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2005.04.05

ローマ法王雑感

 ローマ法王が亡くなった。突然の死ということもなかったので、驚きはない。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、シャイボさんのように命をつなぐことがあれば、世界に別の問題を投げかけたかもしれないとも思う。
 長い在位期間であったとも言われるが、私なども歳食ってきたせいか、先代のヨハネ・パウロ法王が、ある意味不自然な亡くなりかたをしたように思えたのも、そう遠い昔でもない。あの時、今度の法王はポーランド出身なのか、という少しの驚きがあり、それはその後の世界のなかで独自の意味を持ちつづけた。まるでなにか陰謀論でも読みたくなるようなほど。と、書いても苦笑されない程度のネタは多少あるようだ。
 どういうことのはずみかわからないのだが、長く「ホントかよ」とも思われていた旧ソ連KGB(カーゲーベー)による法王暗殺事件だが、本当だったらしい。4月一日を避けたのか二日の朝日新聞で”ローマ法王暗殺、KGBが計画?81年の事件で「証拠」”(参照)という記事が出た。


 81年に起きたローマ法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件について、旧ソ連の国家保安委員会(KGB)が旧東ドイツとブルガリアの秘密警察に対し、暗殺を指示した証拠となりうる書類が存在することがわかった。ブルガリアの元議会関係者が朝日新聞の取材に対して認めた。事件の捜査をしたイタリアが近く、ブルガリア政府に司法共助依頼を出す見通しだ。

 とりあえずすんなりと理解すると、KGBが脅威を感じるほどヨハネ・パウロ2世は仕事をされたということで、その点では、すでに世界史上での評価も、レーガンと同様かなり定まっているとは言えるのだろう。
 反面、法王死後数日が経ち、コンクラーベの、ある意味で政治闘争の時期に入ってきたせいか、批判も少し聞かれるようになった。たとえば、ロイター”「法王は矛盾だらけ」 改革派からは批判の声”(参照)ではこう伝えている。

改革派が問題視するのは、法王が人権尊重の姿勢を示す一方で、既婚男性や女性の司祭、避妊、中絶には反対の態度を取り続けていた点だ。

カトリック教会の改革を目指す国際組織「ウィー・アー・チャーチ」は「ヨハネ・パウロ2世による法王は矛盾に満ちたものだった」「世俗界に示した人権推進の意識は教会には適用されなかった」との声明を発表した。

政治と宗教の関係をめぐって法王庁と衝突し、聖職者の地位を追われたブラジル人神学者のレオナルド・ボフ氏も、法王の考えは一貫性がなかったと話す。


 批判と言ってもどうということでもない。実際のところヨハネ・パウロ2世がこうした問題にどう立ち回れたものか、私などには想像も付かない。日本ではあまり報道されていないようだが、もともとキリスト教の総人口が国民の1%というアジアでは「ありえねー」国である日本だからということもあるが、欧州におけるカトリックはこの間、ジリ貧に衰退してきた。フランスなどではカトリックの伝統が維持できるかという瀬戸際だ。余談だが一昨年フランスは猛暑に襲われ死者まで出たが、身元がわかっていても引き取り手のない死者も多く、結局国家が無縁仏風に埋葬することになった。フランス人の人情がなくなりつつあるとも聞く。
 引用をちと長めにしたのは、この間、私などから見ると、カトリックが息を吹き返しているのは、ブラジルなど南米の国のようにも思えるからだ。次期法王も南米から出るのではないかとも少し思う。予想っていうほどでもないけど。
 話にまとまりがないが、このエントリでも「法王」としているが、日本のカトリックとしては「教皇」としてくれと以前から声明を出しているが、NHKを含めて聞く耳持たぬ状況であるのはなぜなのだろう。後鳥羽院への配慮とも思えないが、韓国・北朝鮮などとくらべて配慮しなくても大丈夫だからなのだろう。ちなみに、受験の世界史関係は随分前から「教皇」で統一されているので、若い世代は、昨今の報道に変な印象を持っているのではないか。
 とはいえ、「教皇」という呼称もなんだかなという感じはする。日本語で考えると、「教えのスメロギ」ってか? もともとローマ「皇帝」とか訳してしまった日本語も奇妙なもので、中華世界の皇帝とローマのそれとは違う。違ってもトップだからいいじゃんかもしれないし、それ言うならローマ「帝国」も誤訳ではある。日本の「天皇」も日本の王様なのだから日王でもいいじゃん、ってなノリである。なんだかなである。
 在位期間関係の報道では、使徒ペテロについで…みたいな表現も多かった。日本語版CNN”ローマ法王、葬儀は8日 埋葬地は大聖堂の墓所”(参照)にはこんな表現もある。

ソダーノ枢機卿は「復活なされたキリスト、生命と歴史の主を信じ、ペテロの後継者として27年にわたり普遍的教会を導いた、愛するヨハネ・パウロ2世を託します」と祈りを捧げた。亡くなる法王の枕元にいた枢機卿は、法王の死は安らかだったと語り、「平安は信仰の賜物だ」と述べた。

 カトリックはなにかとペテロの伝統みたいなものを持ち出すのだが、それはたまたまローマの地の司教区が現在のバチカンと地理的に近いだけであって、キリスト教の権威の伝統、つまり正統という点では、私などはいかがなものかと長いこと思っていた。素直に言うと、私も若いころ、本当のキリスト教ってなんだろと自分なりに歴史を学んだ。結論はすげー虚しかった。どの宗教でも国家神話でもそうだが、起源になにか真実があるかと思わせるようにしているが、どの歴史も子細に見ていくとそんなものなんかないのだ。仏教だって仏陀が実在したかもわからないし、教義だって起源となるものがあるのかすらよくわからない。仏教の原始教団というのも現代仏教学の学としての仮説であって、そうした信仰が現代に伝わっているわけでもない。むしろ現代に伝わっている観音信仰など、これって仏教なのかぁ?とも思える。定説ではないのだが、いわゆる日本の大乗仏教というのはアレクサンドロス以降アフガンあたりで成立したヘレニズム宗教という点で、実はキリスト教と兄弟なんじゃないかとも私は思う。が、ま、そのあたりで、なんだかどうでもいいやという気分になるし、関心も薄れた。
 キリスト教会の東西分裂についても一時期関心をもったが、所詮自分には関係ないないやと思って、詳細を忘れてしまった。記憶をなんとなく辿る程度だ。それにしても、キモとしては、「ビザンチン帝国」って嘘だよな、とは思っている。ビザンチン帝国なんてものはない。三国志(通常有名なのは演義)で魏呉蜀とか言うけど蜀なんていう国はないのであって、あれは「漢」である。同じ理屈で言えば、ビザンチン帝国とか東ローマ帝国なんてものはなくて、あれがローマ帝国なのだ。このあたりの話はどうだろうとWikipediaを見たら、きちんと書いてあった。

東ローマ帝国(ひがしローマていこく)は、ビザンティン帝国・ビザンツ帝国・中世ローマ帝国ともいい、395年に東西に分裂したローマ帝国の東方地域を継承し、1453年までの1000年以上に渡って存続した帝国。首都はコンスタンティノープル(現在のトルコ・イスタンブール)。先に挙げた呼び方はすべて後世に付けられた通称であり、正式な国号はローマ帝国である。

 つまり、よくローマ帝国の崩壊とかいうけど、それは1453年にメフメト2世によって滅亡したときでないとおかしい。
 で、ローマ帝国というのは、ミラノ勅令(313)以降、キリスト教を国教としているのでその王は、っていうか、仮に通例どおり皇帝とすると、ローマ皇帝が地上の権限を握るわけで、こうした皇帝に対応する「教えの皇帝」みたいなものはない。そして、この関係は通称ビザンチン帝国(ローマ帝国)でも同じなので、いったいどこに「教皇」なんてものがありうるのか、歴史的に見ると、なんだかさっぱりわからない。ついでにいうと、今日正教として分離されているけど、歴史的に見れば、これのほうがキリスト教だろうとも思うが、もちろん、現在世界のキリスト教においてそれが正統だとか言うつもりは、さらさらない。竹島の所属について歴史で決着しようとする韓国政府みたいな倒錯に陥ってもしかたない。
 以上、カトリックを貶めるように聞こえるかもしれないし、そうした点で反論を受けるかもしれない。でも、長々書いたわりに、そうした問題、つまりローマ法王の正統性には私は関心なくなってしまった。
 ただ、こうした、ローマ法王?ふーん、という感じは、いわゆる正教徒の感覚でもあるだろう。ヨハネ・パウロ2世は生前、こうした一千年近い東西分裂の和解の推進に努力した。双方での破門みたいなことはたしかに緩和されたようでもある。それで良かったのか、私にはよくわからない。
 プロテスタントを含めてこうした世界にばらけたキリスト教をまとめようとする動きがある。エキュメニズムとかいうのだが、私は若い頃には、そこになにかの意味を感じていた。これも、その後、どうでもよくなった。エキュメニズムとかいっても、コプト教会とか別、とかいうことなんだろう。
 私はカイロを旅したおり、コプト教会に行ってみた。それはそれでそこにちゃんとあった。あるんだと思った。たぶん、バグダッドの東方教会もいろいろ迫害を受けてもそれはそれであるのだろう。
 うまく言えないがそういうものかと思った。古代の伝統を持つエチオピアのキリスト教のようすも知りたいと思ったが、依然果たせないでいる。メディアを通してだが、エチオピアの教会の聖歌を聴いたことがある。だみ声で、日本の東北民謡みたいな感じだった。感動した。

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コメント

ブラジルにいると、色々な報道で随分勉強させて頂いています。

投稿: Sao Paulo | 2005.04.05 14:22

>古代の伝統を持つエチオピアの
>キリスト教のようすも知りたいと思ったが、
>依然果たせないでいる。
>メディアを通してだが、
>エチオピアの教会の聖歌を聴いたことがある。
>だみ声で、日本の東北民謡みたいな感じだった。
>感動した。

なんかこの部分がやたらと心に響きました。

投稿: kaze | 2005.04.05 22:04

最後の部分、隠れキリシタンたちが唱えていた「おらしょ」(oratio)に通じるものがありますね。
彼ら自身はそれをキリスト教であると信じていても、長い歴史の中で和風に変容していったそれはヴァチカンから見れば明らかに「異種」にしか映らないでしょうが、少なくとも「隠れ」の信者にとっては、「イエス様」を敬う気持ちにウソはないわけで。

投稿: guldeen | 2005.04.07 17:48

> ただ、こうした、ローマ法王?ふーん、という感じは、いわゆる正教徒の感覚でもあるだろう。
> エキュメニズムとかいっても、コプト教会とか別、とかいうことなんだろう。

あまりご縁がないようにお見受けしますのでギョーカイのオタク話なのかもしれませんが、東方教会との対話はカトリックはかなり熱心ですし、コプトも東方教会として対話を呼びかける対象でしたし。(改革派に組するわけにいかないというのはそういうこともあるのですよ)

東方教会の方も西方教会は無視できない存在ですし、教義的にはプロテスタントよりも近いですし。この辺はオタク話なんでしょうが、まあ一応、事実と違うことはあまりブログには・・・(汗、 という話です。よろしく。

投稿: ええとw | 2005.04.12 21:46

理性的に救われたいというような言葉をどこかで見たこと、思い出しました。

投稿: ななし | 2005.04.27 04:56

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