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2005.04.25

「ゆとり教育」という言葉にこだわる

 22日文部科学省は、全国の小学生(五・六年)二一万人と中学生二四万人を対象にした教育課程実施状況調査(学力テスト)の結果を発表した。通称「ゆとり教育」と言われる、2002年度開始の新学習指導要領の定着度として見ると、まずまずの成果だ。いや、これはかなりよい結果が出た。前回と同一問題では43%も正答率が高く、ごく一部の教科を除くと全体で前回よりもよい。学習意欲も学習時間も増加した。ということは、ゆとり教育でよかったのである。それ以外の結論がどうでるのかわからない。
 だが、すでに文部科学省では昨年末、学力低下が進行しているとかで、ゆとり教育の見直しに着手している。なにやってんだかという感じだ。暫定的であれ、少なくともこうした結論が出ている以上、もうしばらく現状を継続していくべきなのではないか。
 新聞社説などを見ると、「そうは言っても」論が多い。なぜそこまで文科省の方向に口裏を合わせるのかよくわからない。23日付け朝日新聞社説”学力調査 「考える力」が心配だ”(参照)では次のようにめちゃくちゃな不平を言っている。


 学力調査は、教える内容や指導方法をさらに良いものにするためのものだ。文科省は成果を強調するよりも、むしろ問題点に目を向けた方がいい。
 調査では、朝食をとり、登校前に持ち物を確かめる子は成績がよい傾向がはっきりした。正しい生活習慣を身につけさせるのはまず家庭の仕事である。教育は学校だけが担うものではない。そのことも今回の調査は改めて教えてくれる。

 この戦前の訓話みたいなのが現在の朝日新聞の社説なのであるから苦笑してしまう。産経新聞と日本経済新聞がこれについて社説では触れてなかったように思うが、毎日新聞と読売新聞の社説も似たようなものだ。
 私自身の「そうは言っても」は中一のところで学力低下が目立つのが気になる。ここに断層があるのではないか。
 しかし、なんだかんだ言っても、すでに「学力低下防止!」みたいなスローガンというか空気は変わらず、奇妙な方向に日本の教育は迷走続けるのだろう。というか、近代以降迷走し続けているのでそれが常態でもある。
 ここでちょっと話の向きを変える。どうにも「ゆとり教育」という言葉が私にはしっくりこないのだ。「ニート」(参照)のときのように、なんかまた言葉で騙されているような気がする。というわけで、この機にちょっと調べてみたので、簡単にメモしておきたい。
 少し驚いたのだがWikipediaに「ゆとり教育」(参照)の項目があり、かなりしっかり書かれている印象を受ける。定義っぽいのはこんな感じだ。

ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは、学習者に焦燥感を感じさせずに、学習者自身の多様な能力を伸張させることをめざす教育のことである。

 が、この定義がなに由来するのかわからない。経緯についてはこうある。

1976年(昭和51年)、加熱する受験戦争や、学校教育が知識を偏重し過ぎた詰め込み教育であるなどの批判(落ちこぼれ問題など)に対応する形で、文部省(現在の文部科学省)の中央教育審議会は、「昭和51年12月答申」において"ゆとりと充実"という表現を用いて学習内容の削減を提言した。

 この説明に誤りがあるとも思わないのだが、「ゆとり教育」という言葉の出所とその歴史に基づく解説はWikipediaのこの項目にはない。好意的に見るなら、昭和51年12月答申の「ゆとりと充実」という表現の省略形ということなのだろう。
 「ゆとり教育」というキーワードについて読売新聞で近年での初出を調べてみたら、”増える都内小中学校の空き教室 なんと1万室 有効利用の工夫も”(読売1988.9.4)という記事だった。

 さらに、空き教室をもっと高度に利用するため、二、三年前から、ほとんどの区市で利用方法の検討委員会を設けてチエを出し合っている。その結果、図書室と空き教室の境の壁を取り払って図書室を拡張したり、ゆとり教育を進めるため、ランチルームや和室に改造するなど、これまでにはない積極的な利用方法も増えてきている。

 これって単に空間的なゆとりという以上の意味合いはない。1980年代は「ゆとり教育」という言葉自体がまだ普及してなかったのではないか。
 あるいは、と思って記憶を辿ると「ゆとりある教育」だったか。それで1980年代の用例を見ると、”パソコン教育シンポジウムが開幕”(読売1987.11.25)があった。

 北海道から沖縄県まで全国の小、中、高校の教員や教育委員会関係者など約四百人が参加。来賓として出席した中島源太郎文相は、「文部省でも、臨教審の提案を受けて、情報メディアの利用について調査中。コンピューターの活用によるゆとりある教育の実現を期待する」とあいさつした。

 中島源太郎文相の発言なのだが、「コンピューターの活用によるゆとりある教育」という表現はイミフ(意味不明)と言う以外ない。この事例からも「ゆとりある教育」という言葉の現代的な意味はまだなかったようだ。
 やっぱし、なんか、変だ。
 ざっと過去の用例を見ていているく、1989年の新学習指導要領あたりから、「ゆとりある教育」という表現が現れ、それが省略されて「ゆとり教育」という表現に縮退したようでもある。”[ミニ時典]新学習指導要領”(読売1989.4.26)

学習指導要領は小・中学校、高校の教育課程の基準となるもので、教科書はこれに基づいて編集される。ほぼ10年間隔で見直されており、今回の改定は小・中学校が5回目、高校は4回目。前回(52年)の改定が、詰め込み教育を反省し、「ゆとりある教育」を重視したのに対し、新学習指導要領は、教育の国際化、個性化、文化と伝統の尊重などを強く打ち出しているのが特徴。これらを基調に具体的には、高校での世界史必修、中学校の英語の時間の増加、小学校低学年の生活科新設、入学式などでの「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱の事実上の義務化などが盛り込まれている

 あらためて読み直すと、細かい点でふーんという感じがする。単純に教科の削減が進んだというわけではないのか。とすると、先のWikipediaの項目にあった次の指摘もあまり正確ではないなとも思う。

これ以降、学習内容の精選(のちに厳選)として各教科の指導内容が削減されていくとともに、中学校などでの「選択教科」の拡大、小学校などでの教科「生活」の新設、小学校から高等学校までの段階のすべてで「総合的な学習の時間」を新設するなど、よりきめ細やかな指導をするために各学校の教育課程に関する裁量権が拡大されてきている。

 話がちょっと錯綜してきたので、小休止的に推測をまとめると、どうやら、「ゆとり教育」という言葉は、現代の用例としては、1990年代以降に出てきたようだ。それでも、1990年代の初めはまだ定着してない。”教科書にも性差別が… セリのさし絵に男性だけが活躍 教研集会の発表から”(読売1991.1.27)だと、依然、現代とは違った用例が見られる。

また、「校門圧死事件」をきっかけに議論を呼んでいる“管理教育”に挑戦、一日に鳴らすチャイムを三回だけに減らしたユニークな試みも報告され、ゆとり教育に一石を投じた。

 この用例だと、「ゆとり教育」とは、授業をぼちぼちはじましょうかね的である。
 この20年間のこの言葉の用例を追っているうちに、現代の語義の「ゆとり教育」というのは、「詰め込み教育」の反意語として世間に定着していたようだなと思った。
 私が学生だったころ(1970年代)は、まだ「詰め込み教育」の慣性があり、これじゃいけない、詰め込みじゃいけない、ゆとりを…という「空気」だった。
 その観点から1980年代を眺めてみたら、ああ、そうだったよなと思い出した。”教育改革 読売新聞社世論調査 9月入学に国民感情の壁”(読売1987.3.9)がわかりやすい。引用が長いが、これが約20年前の「空気」だったのだ。

◆教師の質、詰め込み、偏差値… “体質”改善を要望◆
 国民の六割以上が学校教育に不満を抱いているが、どんな点に不満を感じ、改革が必要だと思っているか、いくつでも挙げてもらったところ、今回の調査での上位五位は、(1)「教師の質」42%(2)「詰め込み教育」38%(3)「いじめ」33%(4)「校内暴力・非行」32%(5)「偏差値教育」31%――となっている。
 六十年二月以降同じ質問(「いじめ」は六十一年から加えた)を繰り返しており、その変化をみると、前回一位の「いじめ」が23%減、同二位の「教師の質」が10%減、同三位の「校内暴力・非行」が15%減とそれぞれかなり減少している。「いじめ」や「校内暴力・非行」は、ここ二、三年社会問題化したが、さまざまの対策が打ち出され、かなり沈静化している状況を反映しているといえようか。「教師の質」は前回より減ったとはいえ、六十年調査を上回っており、国民の不満は根強い。
 こうした上位グループの減少傾向の中で、三回の調査を通じてほぼ一定して不満が多いのは、「詰め込み教育」や「偏差値教育」「道徳教育」などで、三割前後の人が挙げている。さらに、「詰め込み教育」や「偏差値教育」の原因ともなっている「大学入試」や「高校入試」に対する不満や改革を求める声は漸増しており、ことに「大学入試」では前回より5%増え20%になっている。
 この三回の調査を通じて、「教師の質」を含めて「詰め込み教育」「偏差値教育」、それに入試といったわが国の教育の“体質”にかかわる面では、国民の不満は一向に解消されていないことが読み取れる。

 いろいろ興味深いこともあるが、「詰め込み教育」に着目すると、問題は過度な競争となる大学入試が背景にあった。だから、当時は詰め込み教育をしていたのだ。しかし、少子化の人口動態から、大学入試も自然に緩和されることが予想されたので、「ゆとり」のシフトが始まったということだな。ついでに言うと、教師の仕事もゆとりという理由で私企業ならリストラだったものが看過されてきたのだろう。
 現在大学入試は有名校とそれ以外に分化し、後者はスルーで入れるようになってきている。つまり、所謂エリートにならなくてもいいなら、詰め込み教育はいらないのだし、所謂エリートになるなら詰め込み教育が必要だということになった。つまりはそういう世相がつい最近まで「ゆとり教育」という「空気」だったのだ。
 しかし、日本の経済活動の衰退とともに、そうして楽に入って楽に出た大学の卒業生が企業で使い物にならんとかなんとかかんとか小一時間で、この上「ゆとり教育」とやらだと全体の学力がどうたらとオヤジたちが言い出して、うっとうしい「空気」が醸されているいうことなのではないか。

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コメント

教育を云々言うのなら、まずあの無駄に長い夏休みを短縮すればいいと思うのですが。もちろん全教室にクーラーを設置して。
時間的なゆとりは増すでしょうし、非行に走る生徒も減るでしょう。

投稿: Baatarism | 2005.04.25 10:03

大学の入り口は広げ、出口を狭めるだけで
この問題って解決するような気がして
ならないんですがどうなんでしょうか。

投稿: 某 | 2005.04.25 10:16

>某様
アタシも同意見です。

投稿: Nagarazoku | 2005.04.25 10:22

ゆとり教育で「リストラ」を行なったのでは?と思うのですが...

現に都立高校の数学科の教諭は90年代のほぼ10年間にわたって新規採用がないという状態が続きましたし,理科の教諭も相当採用がしぼられていました.
理由は「ゆとり教育による時間削減と数学選択者の減少」でした.

投稿: とおりがかり | 2005.04.25 10:31

学力に関しては学校だけでなく進学塾もからんでくるので、
成績があがった、さがったで即どうのこうのとはいかないかもしれないですね。

投稿: neoki | 2005.04.25 11:24

教育関係者(教員養成系大学教官)として言わせてもらえば、そもそも一般的に言われているゆとり教育の定義自体が間違っていて、半数以上の教師、9割近くの文部官僚、中教審の全ジジイども、ほぼ全数の国民が「明らかに」間違った定義でゆとり教育批判をしている。
これには文科省の人間に教育学の専門化が1人もいないという驚愕の事実と、寺脇にしても必死に勉強してデューイや佐藤氏らの教育思想を見につけてゆとり教育思想を構築したはいいものの、いかんせん自分自身が理解をするので精一杯で、内向きにも外向きにも教育学体系の学識の無い者にまともに説明が出来なかった事がそもそもの原因なのではという気がする。
ゆとり教育とは学習の効率化と視点の多様化であって、「ゆとり」とは時間的なゆとりでもなく、内容的なゆとりでもなく、思考幅のゆとりの事であって、従来の詰め込み型で規定された論法というのはあくまで物事を見る1つの側面でしかなくて、しかし今まではその思考法のみが「絶対化」され、それ以外の思考法を持つ生徒は置き去りにし、「あの子は出来の悪い子」「あいつは授業を乱す」など、要するに型枠で思考性を規定していた訳で。
そこに思考の幅を加える事により、従来では「5+X=7」と考えない生徒は置き去りにして出来ない子とレッテルを張っていたものが、「X+5=7」と考える子も拾い上げるようにしたのがゆとり教育であると。
そもそも「5+X=7」と「X+5=7」は視点の違いなのであって、共に正解であるはずなのが、後者は間違いであるとしていた従来の教育思想が狂っていただけであり。
それが教育基本法改正派の論争材料にされ、いつの間にか教育施策の方法論に摩り替えられ、そして恐ろしい事に現場の教師ですらその事実に気付かず、中にはゆとり教育導入によって求められる教師としての技能性維持の労務を認識していながら、職務増加を嫌って未だに教科書読み上げ授業を展開する税金泥棒野郎までいるという始末で。
教育論法としては、少なくとも現在考えうる最良の方法論であるのに、それをまともに実践しない教師、政争の材料にしたい文教族のデマによって崩壊し、論点が摩り替えられていく。
今すべき事は、ゆとり教育に潜む新たな問題点をあぶり出し、さらなる改良を加えるべきであって、間違った認識の元にゆとり教育を廃止する事ではない。
教育基本法改正は、それ単体で議論すべき事であるし、そもそも現場レベルでは今も、そして改正後も、まともに機能するような代物じゃないんだから、どう改革されようが激しくどうでもいい代物。

投稿: くれふ | 2005.04.25 15:09

教師のリストラは相当程度進行中のようです。子供が減る、という場合、均一にどの高校からも生徒数が減る、のではなく、特定分野の学校(たとえば工業高校や商業高校など)から急速に生徒数が減ります。退職者の補充をしないとか、非常勤講師で欠員者を埋めると同時に、非常勤講師は期間限定/条件付きという形で雇用。普通科にも非常勤講師が増えているようです。

投稿: miyakoda | 2005.04.25 15:15

実は成績は向上していたんですね。90年代後半からすでに「ゆとり教育」が導入されていて学力テストに悪影響('95>'02)があったので2002年以降は「詰込み教育」に復古しており、新指導要領のお題目は縁起モノなので気にしないようにということなんでしょうか。そうでないと新聞の記事や大臣の謝罪の意味が通りません。成績の良い新要領ゆとり(実は新詰込み?)世代がバカ認定されるのは理不尽ですが。
イメージとしての「ゆとり教育」は「教育産業の需給状況」「チルドレンライツと保守の振幅」で是非を論じられているわけですね。

>>くれふ
そういう背景があるんですね、勉強になります。
しかし思考の多角化は面白いのですが実効しない、実行されない動機というのはなんでしょうか。政争、怠惰といえば簡単ですが、そもそも教育(周囲)、学習(本人)のインセンティブは聖域ということで曖昧なまま放置されているように思えます。

投稿: papepo | 2005.04.25 16:01

>>papepoさん

授業構造が複雑になるため、まともに教材研究をしたり研究授業を開いたりしていなければ、そういう授業を行う事が出来ないんです。
現場の反発というのはそういうところにあって、良い先生、すばらしい授業というのは、その教師が粛々と教材研究と研究授業を繰り返している行為の賜物で、そういう人は基本的に声を上げない。
声を上げるのはサボる人、お役所仕事感覚で教師をやっている人、その類ばかりです。
確かに教師の職務というのは非常に煩雑で過剰労働なのですが、それは前者の声を上げない教師に当てはまる事で、後者の声を上げる教師は、完全に地方自治体の役場職員状態ですね。
もちろん仕組みとして事務労務や教材調達関係は専門の事務員をつけて、カウンセラーも置き、教師はクラス運営と授業に専念させるという環境作りも大切ですが。
要するに教師の意識の問題があり、自体を把握していない、そして教育的専門性の欠片も無い教育委員会、そして予算のことしか頭に無い文科省という構図が後押ししていると。
先の予算改革で文科省は予算を守るために教育委員会への支配権を手放しました。
先進的な首長のいる自治体では、大幅に教育改革が進むでしょう。

教員養成側の問題点を言えば、教職課程が硬直化しすぎており、学生に何の役にも立たない事が延々と吹き込まれている面もあります。
デューイが何を考え、どのような論法を構築し、それがどのように教育的に有効で、実践においてはどう機能させられるのか、本来ならばそういうことを学ばなければいけないのを、学生はしきりにデューイという名前のみを記憶させられている。
これではロクな教員は育たない。
さらに実践教育を行える人材が圧倒的に不足しており、各地の大学を見ても、実践系講義の内容は、指導案の書式教育ばかり。
書式なんて学校ごとに違うし、そもそもあんな公文書でもなんでもないものの書式なんで、どうでもいいものの極みでしかなく。
もう1つ言えば、教育学と行政法をかねている人材が教官側にも少なく、教育行政法は憲法論でしかにし、教育のあり方を行政法学の視点で語り、政策の場に提言できる人間が極めて少ない。

投稿: くれふ | 2005.04.25 16:39

http://image.mailvision.jp/career/20030826/index_bn.html

日本は既に1970年代後半から
ゆとり教育をしていた。そして、
1990年代初めにさらに緩和して、
2002年につながる。
要は、1970年代に初等教育を受けた世代以降は、「ゆとり世代」となる。

投稿: マスコミに釣られるな | 2005.04.25 17:01

「詰め込み教育が、いじめや校内暴力を生んだ。詰め込みに疲れた生徒がいじめの原因となる。」という論説が私には強く印象に残っている。私的には、いじめと詰め込み教育は無関係だろうと思うんだが。

反「競争社会」をかかげる日教組が、ゆとり教育にも影響を与えたとはずなんだが、その辺どうなんだろう。

投稿: バイス | 2005.04.25 19:48

文部省と日教組は対立関係にあって、基本的に文部省は独自に教育行政を進めてきたわけだから、いじめが増えたり学力が低下したりしたとすれば、その責任は基本的に文部省にあると思われるのですが。日教組と協力関係にあった、というのであれば組合の責任は大ですけどね。

大体、組合の組織率が低下しまくっている現在、組合が教育悪化の原因とするならばますます教育はよくなっているはずなんですが(笑)。

投稿: jouji | 2005.04.25 20:02

それはそれとして、総合的な学習や社会や理科のプレゼンは残しておいてほしいですね。物事を調べて、興味をひくような形にまとめて発表する能力は明らかに伸びているとは思いますよ。10年以上前だと単に本に書いていることを模造紙に書き写して人前で読み上げるだけでカンドーされましたからね。それに比べれば今の子の方がレベル高い気が。とはいえ、ここらへんは時間がないと訓練できません。
まあ、50時間/年もいらないとは思いますが。

投稿: jouji | 2005.04.25 20:05

「ゆとり教育」は、「国際理解」みたいな出所と意味のハッキリしない旧文部省用語として、1990年代くらいから定着してきたような記憶があります。

投稿: tomo | 2005.04.26 00:44

>大学の入り口は広げ、出口を狭めるだけで
>この問題って解決するような気がして
>ならないんですがどうなんでしょうか。

それをおこなうならば、就職活動→入社式という日本独特の通過システムも変更しなければお話になりません。
これらのシステムはすべて予測可能性の上になりたっていますから、それをかなりの程度で減じるならば、それに合った社会システムが求められます。
つまり大学を年数かけて通過できるような社会体制の整備が不可欠です。

投稿: ゆーき | 2005.04.26 01:26

専門学校教師の体験を取材したマンガを転載しておきます
http://kun22.net/m/img02/854.jpg
http://kun22.net/m/img02/855.jpg

投稿: noname | 2005.04.26 01:48

未読でしたら是非ご一読をお勧めします。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163567909/250-5354096-8118622

投稿: dwla | 2005.04.26 18:15

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