朝日新聞社が武富士から5千万円を受けていた
昨晩から一部で話題沸騰だが、朝日新聞社が大手消費者金融(街キン)武富士から5千万円受け取っていたという話、ネタ元である週刊文春の"朝日新聞が武富士から受け取った「ウラ広告費」5000万円 "を読んだ。率直な印象を言えば、あーこりゃダメだわ、であるが、さて、なにが駄目なのか少し呆然と考え込んだ。
この話題をエントリに書くべきかも躊躇った。私にネタがあるわけでもないし、外交・内政・社会といった点で些細な問題に過ぎないともいえる。むしろ、国連不正でアナン無罪とはしゃいでいる日本の報道は変だよとか、英下院国際開発委員会でダルフール死者の推計が30万人を越えるとかのほうが大きな問題である。
ただ、これらの報道も、昨年に比べると国内も改善されてきている。よく見渡せば報道はある。極東ブログも昨年は自分では孤軍奮闘感もあったのだが、最近は少し引いてよ、とも思う。
でも、この朝日新聞の話題、なんとも奇妙に気になるので書いてみたい。最初に自分の思いを言うと、朝日新聞がすでにある種のアノミー(無秩序状態)になっているのではないか、ということだ。オピニオンの主体と会社組織が微妙に特殊なアノミーになっているように見える。そして、そう考えると、一連の事態もそれの派生ではないかとも思えてくる。とはいえ、じっくり考え詰めたわけではない。
話は現在発売中の週刊文春が詳しい。が、簡単に当のニュースのアウトラインを見ておきたい。毎度のことなら、当事者の話をまず聞こうじゃないかとも思うので、朝日新聞記事"編集協力費処理で不手際 武富士から5千万円 週刊朝日"(参照)から引用する。
朝日新聞社発行の「週刊朝日」が00年から約1年間にわたってグラビア記事を連載した際、大手消費者金融「武富士」(東京都新宿区)から総額5千万円の編集協力費を受け取っていた。連載終了後に写真展の開催などによって同社が協賛していることを明らかにすることになっていたが、双方の都合でいまだに実現していない。31日発売の「週刊文春」が報じた。
いい比喩ではないのだが、私が子供のころ聞いた漫才を思い出す。「きみ、それ盗んじゃいかんよ」「盗んでませんよ。黙って借りたまま、返さずにいただけです。それを盗みというとは失敬な」…漫才はここで笑う。朝日新聞のこの記事を読んでも、盗みではないのだが、同じような屁理屈で笑う。
先の朝日新聞とNHKの問題でも、なんだか突然古い話が蒸し返されて奇妙なものだなと思ったが、今回の話も2000年から2001年のこと。古い話を文春が持ち出したものだなという印象はあったが、今回のケースでいうと、それが古いからこそ、この「双方の都合でいまだに実現していない」ということが別の陰を落とす。常識的に見て、ここまで放置されてきたのだから、ここで暴露されなければ、それが実現されることなどなかっただろう。「双方の都合」とやらが気になるが、それは文春の記事にもあり、ある意味でこの事件の面白さでもある。そこは当ブログはそれほど立ち入らない。
![]() 武富士の 闇を暴く |
しかも、この連載期間、偶然というべきか、本紙・山岡が盗聴を受けていたまさに期間と重なるのだ。
こうしたことから、実は朝日新聞社は盗聴事件が浮上した時、あわたふためいたようだ。
朝日新聞が武富士からこの金銭を受け取っていた時期は、まさに武富士が社会問題を起こしつつある渦中でもあった。朝日新聞社の態度は、ある意味で信じられないような話でもあり、ある意味でよくある話でもある。
NHK番組の内容に政治家が介入したかという視点に似た言い方をすると、こうして作成された朝日新聞社の雑誌記事に武富士の思惑なりがこっそりどの程度反映されたのかが当然気になるところだが、ざっと見た範囲ではそれはなさそうではある。朝日新聞としては武富士の名前を消してしかも武富士側からの意向も受けてないのだからなにが問題なのかとも言い得るのだろう。
ただ、世の中、カネはちゃんとものを言うのだ。イエス・キリストが、あなたは神に仕えるかカネ(マモン)に仕えるかと問うたが、そこで神を強調すれば宗教だろうが、人が自己の倫理・道徳で生きるかカネのために生きるかと問い直せば、人生なんて案外その択一だけの単純な懊悩の連続なのである。
文春記事ではそのカネのつぶやきを拾っている。2003年12月武富士会長が逮捕されたおりの朝日新聞社発行週刊朝日の報道状況をこう記している。引用冒頭の「その結果」とは5千万円のカネを貰った結果ということだ。関係者は武富士の事件についてこう言う。
その結果、盗聴事件で武井会長が逮捕される前後、うちは三回しか記事にしていません。短い記事でお茶を濁したんです。やれっこないですよ、うちがあんなお金もらっておいて」(別の「週刊朝日」関係者)
バックナンバーを調べてみると、武富士関連の記事はたしかに三本あるが、いずれも一ページ弱から二ページのものばかりだ。「AERA」も同様で、逮捕直後の一本(しかも一ページ)しか取り上げていない。
同時期の他誌と比較するとその異常さは歴然とする。小誌は七本、「週刊ポスト」は六本、「週刊新潮」「フライデー」は五本、「サンデー毎日」は六本。
そういうふうにカネは語るものである。あるいは、黙らせるものだ。
ところで、私の関心は、なぜこんな話が今頃出てきたのかに、むしろある。この疑問は文系春秋社にも向けるものだが(それと広告の流通もだが)、とりあえず朝日新聞社に絞る。
文春の記事を読む限りでは朝日新聞内部ではすでに問題視していただろうし、だからこそ文春側もある程度期間を置いて取材していたのだろう。なぜこんなに暴露が遅れたのか。別の言い方をすれば、この話が本来出るべきなのは、2003年の武富士会長逮捕の時点だろう。その時点で、朝日新聞は、結果的にバックレに決め込んだとも言えるのだが、私は、これは、ただ現実的な意味での責任者の不在ということではないかと疑う。
前回のNHK・朝日問題でも本田雅和記者の行動を上部がきちんと把握していのか疑問に思える。この件のその後の対応でも、朝日新聞社には現実的な意味での責任者が不在、という事態なのではないかという思いが拭えない。
朝日新聞社が社会に向けたオピニオン発信者として統制された主体があれば、もっとはっきり社会にものを言うべき事態なのに、そうした声は聞こえない。朝日新聞社はすでに自社の統合を喪失した状態の、各種の兆候を示しているのではないか。
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コメント
資本主義社会の報道機関にとって、報道の自由とは、「カネから」の報道の自由だと思います。このことに一番厳格だったのが「噂の真相」だったのかも。朝日は、一線を踏み越えてしまいましたね。
投稿: soulnote | 2005.03.31 14:08
疑問があるのですが、なんで黒塗りしたんでしょうかねぇ?
この場合やるんだったら、「そのまま載せる」か「掲載拒否」かの2択しかないと思う私の感覚は間違ってるんでしょうか。
「差し止めたかったけど、最近新潮さんでやっちゃったし、これからのお付き合いもあるし、このへんでカンベン」というんであれば、本気で末期症状ですね。だめだこりゃ。
投稿: はりぼで | 2005.03.31 21:52
大組織を過剰に擬人化(一体化)して捉えるがゆえにどうしても陰謀論臭さが立ち上ってしまう finalvent さんにしては至極まっとうな記事だと思いました。
大企業が統一された意思や統制を保てるなんてはなから幻想でしょう。
投稿: anon | 2005.04.01 00:55
はじめまして。
「沈黙は金なり」の項目に、「鼻薬」を追加したくなりました。
「売れる本」で稼ぎ、「良い本」(でも、儲からない本)を作る、なんてケースがあると聞きます。
「その金があるから、あの報道ができた」と胸を張れたなら、逆にファンを獲得できるのに、もったいないですね。
投稿: 3307(さんさんまるなな) | 2005.04.01 03:32