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2005.03.10

[書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part 2

 実はPart 1(参照)を書いたあと、あまりいいウケでもなかったし、率直に言うと、「イザヤ・ベンダサンの正体は山本七平だ」というだけのコメントをいただくのも辟易としたので、この先書くのもやだなと思っていた。

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日本人とユダヤ人
 が、この数日、風邪で伏せっていながら、山本七平の「人生について」を読み返しながら、ああ、そうか、と思った。長いが引用する。彼が「私の中の日本軍」などを執筆するに至った経緯の話の流れだが。

 そのあと、南京の『百人斬り競争』ですか、あれを鈴木明さんが解明されましたでしょう。これは非常にいい資料を集めて書いたものなんですが、鈴木さんは軍隊経験がないので、せっかくのいい資料がちょっと使い切れていない感じだったんです。それで鈴木さんにこう助言してくれってたのんだんです、”これはこいうことじゃないか、軍人がこう言った場合は、こういう意味です”と……。彼ら独自の言い方がありますからね。そうしたら、それを書いてくれって言われましてね。とうとう十七回で七百枚にもなっちゃったんですよ。
 ただ、この問題については相当に積極的な気持ちもありました。というのは、これ、大変なことなんです。新聞記者がボーナスか名声欲しさに武勇伝などを創作する、これは架空の『伊藤律会見記』などの例もあるわけですが、この『百人斬り競争』の創作では、そんな創作をされたために、その記事を唯一の証拠にして、二人の人間が処刑されているんです--極悪の残虐犯人として。しかもその記者は、戦犯裁判で、創作だと証言せず、平然と二人を処刑させているんです。しかも戦後三十年「断乎たる事実」で押し通し、それがさらに『殺人ゲーム』として再登場すると、これにちょっとでも疑問を提示すれば、「残虐行為を容認する軍部の手先」といった罵詈ざんぼうでその発言は封じられ、組織的ないやがらせで沈黙させられてしまう。そういった手段ですべてを隠蔽しようとするのでは、この態度はナチスと変わらないですよ。このことは、いまはっきりさせておかねば、将来、どんなことになるかわからない、基本的人権も何もあったんもんじゃない、と感じたことは事実です。それだけやれば、私は別に、文筆業ではないですから、もうこれでやめたと、一旦やめたんです。

 いまでこそブログのコメントスクラムが問題視されるけど、少し前までは、右翼でもない人間がちょっとでも左翼的な発言に疑問を提示すると「罵詈ざんぼうでその発言は封じられ、組織的ないやがらせで沈黙させられてしまう」ということがあった。そうした慣性が、現代にまだ残っていてもしかたないのかもしれないが、やはりそれで過ごしてしまえば「基本的人権も何もあったんもんじゃない」という状況にはなるだろう。
 前振りが長くなったが、前回、私はこう書いた。

 と、書いていて存外に長くなってしまったので、一旦、ここで筆を置こう。この先、「日本人とユダヤ人」に隠されているもう一人のメンバーの推測と、「日本人とユダヤ人」の今日的な意味について書きたいと思っている。近日中に書かないと失念しそうだな。

 近日中に書かなかった理由は今書いた。今回は、その隠されていたかもしれないメンバーについて書こうと思う。そのメンバーというのを仮に「イザヤ・ベンダサン」としたい。仮である。彼は、1945年の3月10日、東京にいた。
 ちなみに、執筆者の一人と推定される山本七平はこの時期、フィリピンにいる。素直に考えれば、「イザヤ・ベンダサン」は山本七平ではありえない。しかし…と言う者もあるだろう、それはそもそも「イザヤ・ベンダサン」なる存在がフィクションだからだ、と。そうだろうか? 「イザヤ・ベンダサン」=山本七平だから、その話をファンタジーだと逆に考えているのではないか。
 次の証言を素直に読んだとき、普通、どういう印象を持つだろうか? もちろん検証資料がない現状では判断しようがない。私はこの箇所こそが「日本人とユダヤ人」を解く鍵であり、この本の隠されたモチーフが実はジェノサイドであることを示唆していると考える。

私は昭和16年に日本を去り、二十年の一月に再び日本へ来た。上陸地点は伊豆半島で、三月・五月の大空襲を東京都民と共に経験した。もっとも、神田のニコライ堂は、アメリカのギリシア正教徒の要請と、あの丸屋根が空中写真の測量の原点の一つともなっていたため、付近一帯は絶対に爆撃されないことになっていたので、大体この付近にいて主として一般民衆の戦争への態度を調べたわけだが、日本人の口の軽さ、言う必要のないことまでたのまれなくても言う態度は、あの大戦争の最中にも少しも変わらなかった。私より前に上陸していたベイカー氏(彼はその後もこういった職務に精励しすぎて、今では精神病院に引退しているから、もう本名を書いても差し支えあるまい)などは半ばあきれて、これは逆謀略ではないかと本気で考えていた。

 私は長い期間、なんどもこの本を繰り替えして読んだが、この箇所はいつも奇妙な陰翳を投げかけてくる。ニコライ堂によって古書街も守られたのかもしれない。湯島聖堂も。いや、こちらは4月13日の空襲で一部だが焼失した。いろいろ思いが巡る。
 これを素直に読めば「イザヤ・ベンダサン」は明確に諜報員だとわかる。が、それを指摘した評者を知らない(大森実は手短に言及していたが…)。
 しかも、ここで唐突にベイカー氏なる本名が出るのだが、それは、彼が「精神病院に引退」したからである……ということは、もう一人の諜報員「イザヤ・ベンダサン」は、本書が書かれた1970年の時点で本名を明かさない=引退していない=諜報活動中、を意味している。
 本書の続編にして物騒な本となった「日本教について」など、形式的には、彼の上司の系統の「高官」に宛てるレターにすらなっている。それどころか、この「日本人とユダヤ人」もその報告書の一環とされていたようでもある。諜報員「イザヤ・ベンダサン」を含めたのはどのような組織なのか。そういえば、小声で言うのだが、「日本教について」には田中角栄失墜の裏も暗示している。
 「イザヤ・ベンダサン」なる諜報員が戦時下の東京に極秘で送り込まれていたというのは、フィクションなのだろうか。ベイカー氏なる人物が追跡できればかなり明確になるのだが、そこまではわからない。私は、「イザヤ・ベンダサン」=山本七平という仮説は仮説として、もう一つ、「イザヤ・ベンダサン」をプロファイルする仮説が必要ではないかと思う。私の印象では、ある程度一貫性をもって「イザヤ・ベンダサン」なる人物のプロファイルが可能だ。それにフィクションが含まれないと考えるのは幼すぎるが、そうであってもプロファイル自体の意味が薄れるものでもない。
 この奇怪な歴史の逸話はフィクションかもしれないが、仮に、これが史実だと仮定してみたい。すると、ここからさらに奇妙な連想が派生する。誰が「イザヤ・ベンダサン」を伊豆から東京に運んだのか。誰が神田に居を世話したのか。そう、戦時下の日本側の誰が、連合国側の諜報員である彼を支援したのか?
 米国に内通できる可能性のある当時の日本側の団体と言えば、私は二つしか思いつかない。ミッショナリーかメイソンリーである。メイソンリーというとネットでは愉快な話題が多いが、「石の扉」などを参照されると理解が進むだろうが、明治維新などにも関連している可能性は強く、正史側でも重視すべき点は多い。
 ここで、私は、当然、山本七平のことを思い浮かべる。彼はこの本の共同執筆者でもあり、この話全体が彼のでっち上げかもしれないのだが、それでも、なんらかのそういう組織の活動を知っていてこうした話を創作したのかもしれない。フィクションではないと仮定した場合、彼山本はこの日本側の内通団体について当然ある想定を得ていたに違いない。彼はそのことについて完全に秘密を守り通した。妻にも語っていないようである。この頑ななありかたは、この引用箇所に続く、話と呼応しているように思えてならない。

「腹をわって話す」「竹を割ったような性格」こういった一面がない日本人は、ほとんどいないと言ってよい。従って相手に気をゆるしさえすれば、何もかも話してしまう。しかし、相手を信用しきるということと、何もかも話すということは別なのである。話したため相手に非常な迷惑をかけることはもちろんある。従って、相手を信用し切っているが故に秘密にしておくことがあっても少しも不思議ではないのだが、この論理は日本人には通じない。

 このつぶやきの記述の部分には山本七平の思いも含まれているのだろう。
 この逸話が事実だとしてもう少し話を進めてみたい。「イザヤ・ベンダサン」が1945年2月の東京に暮らしていたのは、彼の言葉を借りれば、「主として一般民衆の戦争への態度を調べた」ということであり、想定される戦後において、米国の日本統治あるいは大衆の情報制御の資料作成のためだろう。
 だが、この神戸の山本通り(「山本通り」は洒落ではない)で育ったユダヤ人とされる「イザヤ・ベンダサン」は米国政府のためだけにこんな命賭けの仕事をしたのだろうか。こうした問題は歴史と諜報員の心情という一般的な問題でもあるのだが、そこにはどうしても文学的な課題がある。
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Curtis LeMay
鬼畜ルメイ
 「イザヤ・ベンダサン」の1945年2月の東京に暮らしでは、明らかに、3月9日の深夜から3月10日にかけての東京大空襲が想定されていた。目前に数万人の無辜の民衆が虐殺されるの知りながら、人は平静に暮らしていけるものだろうか。鬼畜ルメイがなにをしでかすか、「イザヤ・ベンダサン」は知っていた。
 この3月10日の未明、「イザヤ・ベンダサン」は、聖橋あたりに立ち、10万人者人を焼き尽くす炎を遠く見ていたことだろう。逆に、ルメイの計画を知っていたから、ある宗教的な信念から自らもその近くにいたかったのではないか。
 東京大空襲。恐るべき戦争犯罪に留まらず、それは、日本人という民族を虐殺するジェノサイド(民族大量虐殺)の始まりでもあった。「イザヤ・ベンダサン」は日本人がジェノサイドされている様を遠く見ていたのだろう。
 妄想的想像と失笑を買うだろうが、これだけは言える。「日本人とユダヤ人」という書籍のテーマは、日本人のジェノサイド(民族大量虐殺)なのだと。それが起こりえること。それが日本人に向けられること、それが、この気の利いた日本人論に見える裏にあること。
 私は、現代の日本人は、この本を再読してほしいと思う。日本人がジェノサイド(民族大量虐殺)される危険性をまた日本人自らが撒き散らしている、あまりに愚かな現状があるのだから。
 彼は、1970年の時点で、こう語っている。

 「朝鮮戦争は、日本の資本家が(もけるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日本人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日本人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。

 日本人もまた、世界の他民族によって差別させられ危険な局面にも遭遇することがありうる。
 信頼できる者にも秘密を守るというのと類似の論理で、他国人といくら友好であっても、そこだけは口を割ってはいけないし、相手にもただしゃべらせるままにしておくだけではいけないという領域がある。
 そんなことは、多くの虐殺経験を持つ民族なら当たり前のことにように知っているのに日本人だけは、3月10日未明、一夜にして10万人の同胞が虐殺されても、いまだ知らないかのように見る。

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コメント

東京大空襲はもちろんですが、日本中の町が空襲に遭い、多数の無辜の民が虐殺されています。私の父も地獄の中、かろうじて生き残った1人で、今でも時々話を聞き、子供(孫)に語ってもらってます。

かつての私がそうであったように、子供もよく分からないようですが、語り継ぐことが大事なのだと思うことにしています。

日本人とユダヤ人はほとんど忘却の彼方ですが、再読してみます。

投稿: Sundaland | 2005.03.10 16:13

「エコノミック・アニマル」なんて言葉もあったような時代に、「日本人とユダヤ人」は、金儲けにいそしむ民族という観点で語られたような気がする。それが実は、虐殺されうる民族として語られたのだとすれば、戦慄するほかない。

投稿: donald | 2005.03.10 20:43

> やはりそれで過ごしてしまえば「基本的人権も何もあったんもんじゃない」という状況にはなるだろう。

なんて言い回しは、七平節が移ってるような、、

大した読書家でもない私にとって、最も影響を与えた本でした。(最初に読んだのは、高校一年のとき)
自分は、「合理的」で、日本社会は不合理だと思ってたんですが、それも一種の思想に過ぎないと、、
細かい内容は覚えていませんが、そういう読み方もあるのかと思いました。是非、再読したいと思います。

七平氏と言えば、「空気の研究」を読んだときは、これ、相対論でしょ。って思いました。彼はどこでそんな発想を得たんでしょうかね。

投稿: 粘着電脳研究家 | 2005.03.10 20:59

Part1を読んで『日本人とユダヤ人』を買ったくちなので、Part2を心待ちにしていました。
熟読してから感想を書きます。

投稿: 佐々木 | 2005.03.10 23:25

くだらないネタのためにTBしてしまいました。お詫びにこんどこそ「日本人とユダヤ人」を読みます。

投稿: いずみん | 2005.03.11 01:22

韓国の問題ですか?
頭が痛いです。

投稿: (anonymous) | 2005.03.11 07:39

>ベイカー氏なる人物が追跡できればかなり明確になるのだが
>誰が「イザヤ・ベンダサン」を伊豆から東京に運んだのか。誰が神田に居を世話したのか。そう、戦時下の日本側の誰が、連合国側の諜報員である彼を支援したのか?

強烈な体験から生まれたその人の思想を表現するのに、ノンフィクションのような手法が必要でしょうか。私は逆に、複数または大勢の人の境遇や体験を、架空の一人、または複数の人間に辿らせることで自らの主張をより自由に展開できるのではないかと思っています。

>日本人だけは、3月10日未明、一夜にして10万人の同胞が虐殺されても、いまだ知らないかのように見る

広島、長崎もあるのでしたよね。。。ジェノサイドの本質を推察してみることが必要なのかもしれません。

日本人への警鐘のようであって、同時にもっと普遍的な見方を提示しているようにもとれるのですが。

投稿: むぎ | 2005.03.12 01:34

9・11のテロから一年後、警戒中の米国西海岸、確かロサンジェルス空港で爆弾事件があり、イスラエル航空の会社職員男女計2名が亡くなるニュースがあった。犯人は在米エジプト人で、自分は書棚の数少ないひとつ[日本人とユダヤ人]に目がいった。その後、東京の下町で「日本・イスラエル○十周年記念」の大会があると新聞記事で、参加した。曽野綾子女史の講演、在日イスラエル大使の登壇、会場扉外であぶれた方々と椅子からその国の国歌を合唱した。何十年前のパット・ブーンのヒット曲[栄光への脱出](エクソダス)をおもいだした。ここんとこ、外資ファンドが攻勢をかけて、日本の都心のビルを買っている。なぜかその資本にユダヤの影を連想してしまうのは、自分だけだろうか。昨今、騒動がある。M&Aから、その脅威が近づいてくる感じがする。フェアを見守ろう。法律も調べよう。

投稿: 解封印種人 | 2005.03.12 02:54

私の読みはまだまだ浅すぎるのだろうと思う。

でも、鬼畜ルメイを生み出した装置/システムってのがあったわけで、そういった装置がいろんな時代のいろんな場所で発生してしまうメカニズム自体を認識しなければ、話はとぶが、たとえば別の時代には単に几帳面なマニアック真面目男にすぎなかったかもしれないヒムラーが能率性を上げる目的でガス室を考案してしまったりする事象を直視できなくなる。

ルメイがいなくても、他の誰かが他の方法で別のことをやっただろう。そして何故か、記録とは更新されるためにあるらしい。広島があり、長崎があった。誰も止めなかった。

投稿: ねこ仏少年 | 2005.03.12 08:21

東京大空襲の際,父親の友人だった高射砲部隊の士官は,灯火管制の暗闇の中で,光が明滅すると,そちらの方向にB-29が進んでいったのを見て
東京内に組織された諜報網が存在していたと,いつも言っていました。こうした諜報網について,戦後史は何も語っていませんね

投稿: こととい | 2005.03.12 10:52

すいません。9日付「日記」で、当方「千種通信」のルメイの記事に言及されていたのですね。知らずに10日にトラックバックしましたが、ようやく気づきました。よいエントリと言ってもらってしあわせです。

投稿: donald | 2005.03.15 00:21

内容にはふれない感想で申し訳ないのですが…
10代の半ば頃、作者のイザヤ・ベンダサンは山本七平と言われていると前置きの上、母から「日本人とユダヤ人」を薦められました。
漠然と単なるペンネームととらえていたのでpart1の内容には大変興奮し、続きを楽しみにしていました。
受けが良くなかったと書いておられたので、続きを楽しみにしていたということだけ書いておこうと思いまして…
この一連のエントリに「日本人とユダヤ人」を読んだ時と同じくらいの興奮を覚えています。
非常に教えられるところの多い内容でした。
今後も楽しみにしています。

投稿: | 2005.03.15 20:27

[日本人とユダヤ人]の主題の一つが「日本人に対するジェノサイドの警告」であることはご指摘の通りだと思います。というより、なぜあの時期に山本七平がこれを出したか、彼は「現人神の創作者たち」のあとがきで次のようにいっています。「戦後20余年、私は沈黙していた。もちろん一生沈黙していても一向にかまわぬ。ただ、その間、何をしていたかと問われれば「現人神の創作者」を捜索していたと言ってもよい。」「また、なぜそのように現人神にこだわり、二十余年もそれを探し、「命がもたないよ」といわれるまでそれを続けようとするのか、と問われれば、私が三代目のキリスト教徒として、戦前・戦中ともの心がついて以来、内心においても、また外面的においても、常に「現人神」を意識し、これと対決せざるを得なかったという単純な事実に基づく。」つまり、「日本人とユダヤ人」の主題は、山本七平にとっては、決して「日本教」を賞揚することではなく(このことについては、当時、福田恆存が「ベンダサンの「赤い舌」と批判的評を下していた。)、「日本教」というのは、彼が「現人神」捜索過程で発見した日本伝統文化の構造機能分析(小室直樹)の成果であったわけで、その主たる主題は、その第1章「安全と自由と水のコスト」以降の記述は第12章「しのびよる日本人への迫害」に収斂するものであった、と見るべきだと思います。また、イザヤ・ベンダサン=山本七平説対するfinalventさんの見解についてですが、「山本自身は、この謎について、昭和62年のPHP研究所の研究会で、ホーレンスキーの日本人妻が、山本を加えた3人のディスカッションを日本語に直して筆記したものが原本となった」と説明した(「怒りを抑えし者」評伝「山本七平」稲垣武)とされています。また、氏は「山本七平の知恵」(「実業の日本」s52.10)で、「私は「日本人とユダヤ人」において、エディターであることも、ある意味においてコンポーザーであることも否定したことはない。ただ、私は著作権を持っていないという事実は最初からはっきりいっている。事実だからそういっているだけであって、そのほかのことを何も否定したことはない」と明快に言っています。つまり、ロウラー博士(戦時中は対日諜報関係の仕事をしていたらしい(前掲書p399))やホーレンスキーとの対話を素材とし、氏自身の経験や知識を交えて、前述の分析手法を用いて、氏自身がユダヤ人の視点で「著作」「編集」したというのが事実ではないでしょうか。従って、「日本人とユダヤ人」の著者が山本七平になっているなら、著作権の異動があったのでしょうね。それにしても、最近の状況を見るにつけ、山本七平の「預言力」のすごさが分かります。また氏の思想の根底には「絶対者との絶対的な関係の中に、しかも背理の中にしか得ることのできない」信仰(「普遍を超える者」(「宗教からの呼びかけ」山本七平)があります。氏自身は、クリスチャンであることをほとんど意識させることはありませんでしたが、日本人に彼独自の視点で「聖書」世界を紹介することを、むしろ本業としていたと思います。私自身、長年、イザヤ・ベンダサン=山本七平説に疑問をもってきましたが、今は、ペンネーム(ペンネームの意義についても氏はいろいろと解説していました)と理解しています。ただし、著作権は前述のどちらかにあげて、自分は版権をもらったのではないでしょうか。また、「日本教について」だったか、ホンダ勝一氏との論争で、ベンダサンは10年後に、またお手紙差し上げると言っていましたが、ついにそれは果たされませんでした。おそらく、氏のその後の著作(当時、氏自身はそんなことは考えていなかった?)で十分と思ったのではないでしょうか。

投稿: 渡辺斉己 | 2005.05.01 14:29

渡辺さん、こんにちは。山本七平の著作を深く読みつづける人々が少なからずいることに感銘します。コメント中、ベンダサンの返信の話があり、私もあれはずっと気になっていました。山本が死んだおり、共著者からのメッセージがあるのかとも少し期待していました。

今年になってから、長く書籍化されなかった「日本人と中国人」「ベンダサンの日本の歴史」(書籍名では「山本七平の日本の歴史」)が出て、読み返すと感慨深いものがあります。これらの作品は、ある意味で舌足らずなところがあり、それゆえに読みづらいのですが。

「ベンダサンの日本の歴史」は現在「山本七平の日本の歴史」とされて、この著作はそれでいいだろうと思ったのですが、よく読むと、自分など長期の読者にしてみると、やはり山本七平とは違ったなにかが感じられます。漱石の「こころ」というのはすごい作品なのだという文学論でもあるわけですが、たぶん、文学研究者は顧みることはないのでしょう。

投稿: finalvent | 2005.05.01 16:18

私が「日本人とユダヤ人」を読んだのは、昭和45年10月25日、浪人中のことでした。以来、ベンダサンから山本七平へと読み継いできたのですが、そうした長い読者からすると、ベンダサン=山本七平とはいえない数々の根拠があります。第一、「日本人とユダヤ人」の著者の立場はユダヤ人のものです。彼は「処女降誕・・」の節で、新約聖書は「新約時代のユダヤ教文書」といい、ここには「三位一体」などどこにも出てこないとこれを否定しています。また、「目には目で・・」のところでは、キリストの「右の頬を」という言葉について、これは旧約の「エレミヤ哀歌」の一節(3章3節)であることを指摘した上で、「キリスト教徒よ、これを実行してきたのは、あなた方ではない。私たちユダヤ人なのだ」とめずらしく感情を高ぶらせていることです。山本七平は敬虔なクリスチャンです。これが同一人物とされたら大変です。もう一つ記憶に残っているのは、「私の中の日本軍」の「すべてを物語る白い遺髪」のなかで、ベンダサンと本多勝一との「百人ぎり競争」に関する論争(「日本教について」)に関わって、山本七平は、ベンダサンがなぜこれをフィクションと断定できるか疑問に思い、彼に質問状を送り、その驚くべき解答書を得たことを紹介しています。同一人物がこんな芸当をやりますか。いずれにしても、「日本人とユダヤ人」は、山本七平と二人のユダヤ人(ロウラー博士(戦時中対日諜報関係の仕事をしていたらしい)と、ユダヤ人でありながらユダヤ人の考え方に辛辣な批評を加えるホーレンスキー(「稲垣武」)の対話の中から生まれたペンネームであることは、間違いないと思います。つまり、この本の著作者の人格はあくまで先に指摘した通りユダヤ教徒イザヤ・ベンダサン(ペンネーム)のものであるということです。従って、それと山本七平の人格とに相当重なる部分があるとしても「この両者を同一視」しないことが必要なのです。このことについて山本七平は、「作者すなわち作品により規定されるものはものペンネーム氏であって「本人」ではない。その「自由」をもつものだけにものを書く自由が許される」(「家畜人ヤプー」の評)と書いています。その意味では、私は再版された「日本人とユダヤ人」が山本七平著となっていることについては賛成できません。氏は「一人」が認められない社会が、一人の中に二つの人格を認めるはずがないし・・・「日本人とユダヤ人の著者」・・・という木札を首から下げさせられ、都大路を引きまわされて、ジャーナリズムの獄門にさらされる結果となろう」(上掲書)と予言しています。finalventさんの危惧も、おそらくここらあたりから出ているのではないでしょうか。

投稿: 渡辺斉己 | 2005.05.04 16:05

渡辺さん、こんにちは。しかし…というのは私も渡辺さんに共感するのですが、そのあたりは、ネットなどでは「にせユダヤ人と日本人」(浅見定雄・朝日文庫)ということで話は終わっているようで、当初このエントリを書いたときもおきまりの批判のようなものを受けました。浅見定雄の宗教理解(原理教やオウムなどで顕著)や、ユダヤ人の思考の多様性を考えれば、そう簡単に決着のつくことでもないのですが、むしろ、山本七平の言論を封印したいと考える人達もいるのでしょう。しかし、それはそれでいいんじゃないかとも思います。イザヤ・ベンダサンについては、私は、山本七平が律儀に共著の関係を保持したいがため、逆に共著が維持できず消えてしまったのではないかと思います。しかし、基本的にその思想なりは山本七平として読まれてもしかたがないものではあるのかとは思います。もうちょっと個人的に言うと、多分ホーレンスキーだと思うのですが、ベンダサンには日本人女性への愛情のようなものが感じられます。山本七平の女性への視線はちょっと違うようにも思います。そのあたり、読者としては、楽しむ領域でしょう。どうでもいいですが、れい子夫人の若いころの写真はこれはちょっとアイドルそこのけですね(そしてセールスマンとしてもかなりの腕のようですし)。

投稿: finalvent | 2005.05.04 17:05

お忙しいのに、お返事いただき感謝します。
浅見定雄の「にせユダヤ人と日本人」は私は「特殊によって一般を否定するアマノジャク主義」のような気がします。間違いは間違いとして面白いところは学べばいいのに!といった感じです。でも、ついに、高澤秀次「戦後日本の論点ー山本七平の見た日本」(すばらしいテキストです)が出ましたので、これで正面から山本七平を論ずることができるようになったと思います。山本七平の「預言」伝えたいものです。

投稿: 渡辺斉己 | 2005.05.05 22:58

具代的根拠も示さず
何で断定調で言えんの?
極東ブログじゃなくて、
妄想ブログに変えれば?

投稿: 馬鹿かお前? | 2006.12.31 14:44

こんばんは

興味深く読ませてもらいました。

山本氏が日本人とユダヤ人をああいう形でかいたのは

やはり日本人に対する不信感があったのかもしれません。

司馬遼太郎氏との対談ではひどく日本陸軍について罵倒していましたから。

それから諜報員説についてですが、一下級将校の見た帝国陸軍の中にそれらしいことを匂わせる記述があったと思います。

それから十年以上前の話になるのですが、笑ってこらえて
という番組(!)の中で戦時中に米軍の捕虜になった青山学院出身の日本兵が、米軍に協力していたという内容を放送したことがありました。

投稿: コウキ | 2019.03.15 19:33

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