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2005.03.31

朝日新聞社が武富士から5千万円を受けていた

 昨晩から一部で話題沸騰だが、朝日新聞社が大手消費者金融(街キン)武富士から5千万円受け取っていたという話、ネタ元である週刊文春の"朝日新聞が武富士から受け取った「ウラ広告費」5000万円 "を読んだ。率直な印象を言えば、あーこりゃダメだわ、であるが、さて、なにが駄目なのか少し呆然と考え込んだ。
 この話題をエントリに書くべきかも躊躇った。私にネタがあるわけでもないし、外交・内政・社会といった点で些細な問題に過ぎないともいえる。むしろ、国連不正でアナン無罪とはしゃいでいる日本の報道は変だよとか、英下院国際開発委員会でダルフール死者の推計が30万人を越えるとかのほうが大きな問題である。
 ただ、これらの報道も、昨年に比べると国内も改善されてきている。よく見渡せば報道はある。極東ブログも昨年は自分では孤軍奮闘感もあったのだが、最近は少し引いてよ、とも思う。
 でも、この朝日新聞の話題、なんとも奇妙に気になるので書いてみたい。最初に自分の思いを言うと、朝日新聞がすでにある種のアノミー(無秩序状態)になっているのではないか、ということだ。オピニオンの主体と会社組織が微妙に特殊なアノミーになっているように見える。そして、そう考えると、一連の事態もそれの派生ではないかとも思えてくる。とはいえ、じっくり考え詰めたわけではない。
 話は現在発売中の週刊文春が詳しい。が、簡単に当のニュースのアウトラインを見ておきたい。毎度のことなら、当事者の話をまず聞こうじゃないかとも思うので、朝日新聞記事"編集協力費処理で不手際 武富士から5千万円 週刊朝日"(参照)から引用する。


朝日新聞社発行の「週刊朝日」が00年から約1年間にわたってグラビア記事を連載した際、大手消費者金融「武富士」(東京都新宿区)から総額5千万円の編集協力費を受け取っていた。連載終了後に写真展の開催などによって同社が協賛していることを明らかにすることになっていたが、双方の都合でいまだに実現していない。31日発売の「週刊文春」が報じた。

 いい比喩ではないのだが、私が子供のころ聞いた漫才を思い出す。「きみ、それ盗んじゃいかんよ」「盗んでませんよ。黙って借りたまま、返さずにいただけです。それを盗みというとは失敬な」…漫才はここで笑う。朝日新聞のこの記事を読んでも、盗みではないのだが、同じような屁理屈で笑う。
 先の朝日新聞とNHKの問題でも、なんだか突然古い話が蒸し返されて奇妙なものだなと思ったが、今回の話も2000年から2001年のこと。古い話を文春が持ち出したものだなという印象はあったが、今回のケースでいうと、それが古いからこそ、この「双方の都合でいまだに実現していない」ということが別の陰を落とす。常識的に見て、ここまで放置されてきたのだから、ここで暴露されなければ、それが実現されることなどなかっただろう。「双方の都合」とやらが気になるが、それは文春の記事にもあり、ある意味でこの事件の面白さでもある。そこは当ブログはそれほど立ち入らない。
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武富士の
闇を暴く
 古い話だなということの今日的な意味がもう一つある。この時期、武富士が社会でなにかと問題を起こしていた。極東ブログ「武富士事件の山岡俊介って山ちゃんじゃないか」(参照)でも触れたジャーナリストの山岡俊介氏は現在ではココログにブログを持っていて、当時についてエントリ"武富士から「ウラ広告費」を5000万円もらっていた朝日新聞"(参照)ではっきりと語っている。

 しかも、この連載期間、偶然というべきか、本紙・山岡が盗聴を受けていたまさに期間と重なるのだ。
 こうしたことから、実は朝日新聞社は盗聴事件が浮上した時、あわたふためいたようだ。

 朝日新聞が武富士からこの金銭を受け取っていた時期は、まさに武富士が社会問題を起こしつつある渦中でもあった。朝日新聞社の態度は、ある意味で信じられないような話でもあり、ある意味でよくある話でもある。
 NHK番組の内容に政治家が介入したかという視点に似た言い方をすると、こうして作成された朝日新聞社の雑誌記事に武富士の思惑なりがこっそりどの程度反映されたのかが当然気になるところだが、ざっと見た範囲ではそれはなさそうではある。朝日新聞としては武富士の名前を消してしかも武富士側からの意向も受けてないのだからなにが問題なのかとも言い得るのだろう。
 ただ、世の中、カネはちゃんとものを言うのだ。イエス・キリストが、あなたは神に仕えるかカネ(マモン)に仕えるかと問うたが、そこで神を強調すれば宗教だろうが、人が自己の倫理・道徳で生きるかカネのために生きるかと問い直せば、人生なんて案外その択一だけの単純な懊悩の連続なのである。
 文春記事ではそのカネのつぶやきを拾っている。2003年12月武富士会長が逮捕されたおりの朝日新聞社発行週刊朝日の報道状況をこう記している。引用冒頭の「その結果」とは5千万円のカネを貰った結果ということだ。関係者は武富士の事件についてこう言う。

 その結果、盗聴事件で武井会長が逮捕される前後、うちは三回しか記事にしていません。短い記事でお茶を濁したんです。やれっこないですよ、うちがあんなお金もらっておいて」(別の「週刊朝日」関係者)
 バックナンバーを調べてみると、武富士関連の記事はたしかに三本あるが、いずれも一ページ弱から二ページのものばかりだ。「AERA」も同様で、逮捕直後の一本(しかも一ページ)しか取り上げていない。
 同時期の他誌と比較するとその異常さは歴然とする。小誌は七本、「週刊ポスト」は六本、「週刊新潮」「フライデー」は五本、「サンデー毎日」は六本。

 そういうふうにカネは語るものである。あるいは、黙らせるものだ。
 ところで、私の関心は、なぜこんな話が今頃出てきたのかに、むしろある。この疑問は文系春秋社にも向けるものだが(それと広告の流通もだが)、とりあえず朝日新聞社に絞る。
 文春の記事を読む限りでは朝日新聞内部ではすでに問題視していただろうし、だからこそ文春側もある程度期間を置いて取材していたのだろう。なぜこんなに暴露が遅れたのか。別の言い方をすれば、この話が本来出るべきなのは、2003年の武富士会長逮捕の時点だろう。その時点で、朝日新聞は、結果的にバックレに決め込んだとも言えるのだが、私は、これは、ただ現実的な意味での責任者の不在ということではないかと疑う。
 前回のNHK・朝日問題でも本田雅和記者の行動を上部がきちんと把握していのか疑問に思える。この件のその後の対応でも、朝日新聞社には現実的な意味での責任者が不在、という事態なのではないかという思いが拭えない。
 朝日新聞社が社会に向けたオピニオン発信者として統制された主体があれば、もっとはっきり社会にものを言うべき事態なのに、そうした声は聞こえない。朝日新聞社はすでに自社の統合を喪失した状態の、各種の兆候を示しているのではないか。

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2005.03.30

止まらないGMの転落が暗示する世界の先には

 昨日の朝日新聞記事"トヨタ、08年に970万台生産へ GM超えも視野に"(参照)では、標題どおり、トヨタ自動車(ダイハツ工業と日野自動車を含む)グループが2008年に生産の計画を970万台とし、米ゼネラル・モーターズ(GM)を抜いて、自動車メーカーとして世界一になるとあった。朝日新聞、そう来たか。
 GMは確かに大変なことになっている。業績不振である。30%代を維持してきた市場シェも25%まで落ちる。転落が止まらないように見える。同記事にはこうある。


 GMは04年の世界生産台数を明らかにしていないが、ほぼ同規模の販売台数(小売りベース)は899万台。トヨタの04年の世界生産は754万台にすぎない。
 しかし、GMは主力の北米でトヨタなどに押され、多額の販売奨励金をつぎ込んで販売台数を確保しているのが実情で、経営悪化に苦しんでいる。

 やや旧聞だが今期GMは赤字に転落した。17日の日経記事"GM、1株利益が赤字転落"(参照)が詳しい。

 同社は1―3月期について収益トントンになるとの見通しを示していたが、前提となる北米の生産が過剰在庫圧縮を狙った減産で予想を大幅に下回っている。価格競争も激化した。通期の一株利益予想は従来の4―5ドルから1―2ドルに落とした。従業員・退職者の医療費・年金負担も財務を圧迫し、有力格付け会社の一部はすでに長期債の格付けを引き下げる検討に入っていた。

 金融市場にも影響が出てきている。28日の日経記事"米投資家心理は委縮、GM業績悪化や原油高懸念"(参照)ではこう伝えている。

米金融市場で投資家心理の委縮が目立っている。自動車最大手ゼネラル・モーターズ(GM)の業績悪化を機に浮上した企業の信用問題や原油高への懸念などが続いているためだ。

 とま、そういうことなのだし、この分野のビジネスに関わりのない私などがどうコメントすることもないのだが、いくつか思うこともある。
 まず、リストラ。赤字転落前に、GMは当然いろいろとリストラした。売れない車種は整理した。そのあたりはごく普通のことだ。気になるのは、金融子会社(GMACコマーシャル・モーゲージ社)の処分だ。GMは自動車ローン関係から金融子会社をもっており、以前はそれがけっこうな稼ぎ手でもあったのだが、これもリストラした。結果的にではあるが、GMほど大きな企業でも本業は何かと問われるものなのか。経営というのにはそれなりに王道というか根本原理というか倫理というかが、やっぱりありそうだな。
 倫理と思ったのは、近年のGMのリコール問題もある。もともと米国市場シェアが高いせいもあるのだがGMのリコールが目立っていた。作りに気合いが入ってなかったのかとも思うし、このあたりことは、物つくり好きの日本人には小一時間問いつめるネタになるかも。
 マーケティング的にもGMはつまづいた。2001年のテロ以降、販売店のインセンティブを高める目的でGMは高額なキックバックを行なっていた。短期的なカンフル剤的な効果はあったのだろうが、米国でありがちな値引き合戦とともに収益の圧迫原因になった。こういう、とにかく目先で売っちゃえ、という感じの経営って、いかにも米国的だなと思うし、この失敗は日本にとってもいい教訓であるのかな。
 GMは雇用もリストラした。一万三千人を整理。GM全体の20%ほど。先の日経の記事にもあったが、ただ雇用調整したというだけでなく、重要なのは「従業員・退職者の医療費・年金負担も財務を圧迫し」ということのほうだろう。医療費はGMにとってかなりの財政的な負担だったようだ。
 このあたりの、いわば企業の福祉切り捨てという動向は、GMだけとは限らない。とすれば、現在ブッシュ大統領が進めようとして逆風を受けている年金改革なども、クルーグマンがいろいろ理屈をこいても、いずれ順風ということになるような気もする。日本人にしてみると米国って社会保障の面では索漠とした国だなという印象が強まる。
 私はそういう国のあり方は少し違うのではないかとも思う。GMの件でも、社会の福祉を担う会社の雇用のありかた、つまり広義の経営が問われてくるようになる、ということなんじゃないか。社会と企業経営の関係において、よい経営がより強いのだという話にまとめるのはちょっとムリメでもあるが。しかし、福祉的な側面について国内的に切り捨てるほうが効率的な経営だぜ、という方向に進めば、結局、社会と国がじわじわ駄目になっていくっていう悪循環ではないのかと。
 別の言い方をすれば、利益を高めるには社会保障の薄い中国で自動車を効率的に生産できる体制にすればいいわけだ。それって、国内の雇用の差分の利益じゃないのか。もちろん、マクロ経済学的には…、などと私がいうのもまたも失笑であろうが、しかし、そうしたシフトはただの産業構造のシフトに過ぎない。そのシフトは、米国も日本も、いわゆる物つくりじゃないサービス産業に向かえ、ということなのかもしれない。
 私としては、内心ではこっそり、米国人や日本人にまだ欲しいものやサービスってあるのかよと思うのだ。質素な生き方という選択でもいいのではないか。その分、社会保障と雇用を考える国家のほうがいいんじゃないかと。

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2005.03.29

おそらく40歳くらいから始まる第二の人生

 職業とは何か、仕事とは何か。私はあまり関心に上らない。無業者(通称ニート)が増えているというが、施を受ける乞食(こつじき)こそ仏道でもあるし、いろんな生き様があってもいいのではないか。そんなことくらいしか思いつかない。それでも無意識にひっかかることはあるので、つらつらと考えてみて、いわゆるぶっちゃけ、なんで働くのかと言えば、ローンを返すことじゃないかと思い至った。
 実父に対する孝の薄い本なので好きじゃないし、しかも読んでもカネに縁ができそうでもないなと、引っ越しのおり捨ててしまったのだが、「金持ち父さん貧乏父さん」にも、たしかローンを背負ったら終わり(じゃなかったか、損だったか)みたいな話があった。働き始めた時点で35年といった住宅のローンを背負い込むと、まあ、35年は働かないといけないということになる。昭和32年生まれの私の世代だと男の場合、結婚年齢の平均は28歳くらいだったか。それで35年ローンを背負うと、終わるのは63歳。定年ちょっと前というあたりだ。
 と、現在こう書くとなんだか奇妙な感じがするのだが、当時はそういう世界が普通だったように思う。私はそうした世界の空気を吸いながら、まだまだドンパチ仕事をしていたつもりでも、反面、なんか世間から落ちこぼれてしまったなと思った。
 その後、日本の世間も変わり、都市部では30代前半の男性の半数くらいは未婚者のようだ。30代の女性もそうなりつつある。晩婚化、そしてそれゆえの少子化ということでもあるのだが、仮に35歳で結婚するとしたら、もう35年ローンは組めないんじゃないか。終わるのは70歳。70歳まで結果として働くことになっても、ローンの計画は難しいのではないだろうか。もちろん、35歳で結婚ということならある程度資産形成もできているので、頭金を増やして、20年ローンとかもありだろう。このあたりの現実の統計を知りたいのだが、そうなっているのだろうか? 印象としてはなってないような気がする。
 たぶん、結婚してローンを背負ったから、それゆえに働く、というのは少数とまではいえないけど、すでに普通ということはなくなったのだろうと思う。ローンがなければ、長期的に働くということの実際的な意味はない。もちろん、どっかに住まないといけないので、賃貸は発生するだろうが、いずれ短期的な計画だけとなる。
 それどころか、いわゆるパラサイトは、親の家をその老後の面倒と合わせて受け継ぐのだから、ローンどころか賃貸の見通しも不要ということになるだろう。そうした人口がけして少なくない。一つのモデルとしては長命化する老人介護につきあって気が付くと人生40歳、50歳ということにもなるのだろう。そう書いてみて、なんか不思議な世界になったなと思う。
 いい悪いではないし、統計を扱っていないので杜撰な議論だが、それでもそうした光景は現状から未来をそう外してるものでもないだろう。
 ローンも、そして賃貸すらない。となると、糊口がしのげるなら、仕事の経済的な意味は薄くなる。そこで、じゃ、適当に暮らすかというのと、自己実現を仕事に賭けるかというのの択一となるのだろうが、後者であっても、大半は40歳、50歳とういうところで人生は失敗するのだろう。なにも悲観的なことが言いたいわけでもない。
 話がずっこるが、目下話題のホリエモンだが、私の記憶だが、彼はこうしたビジネスを40歳くらいまでやるきはないみたいに言っていた。彼をメディアで通してみていると、毀誉褒貶という意味でもないのだが、彼にとって仕事とは40歳くらいっていうものなのだろう。彼はそういう人間の一つの象徴でもあるのだろう。
 で、人は、日本人は、そうして40歳から50歳となってどう生きていくのだろう。現在のその世代の人々の生き様はある意味では参考になるだろうし、ある意味では参考にもならない。全共闘世代の実際の全共闘の経験者の比率は少なく、この私より10歳も上の世代の大半はまだ古い枠組みの世界に生きている。たぶん、ローンも10年残っているのじゃないか。

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明日を支配するもの
21世紀のマネジメント革命
 そういえばと思って書架のドラッカーの「明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命」をめくる。彼は「自らをマネジメントする」という章で、知識労働者の生き方・働き方について5つの項目を掲げて説明するのだが、その最後の項目が「(5)第二の人生はなにか」とある。
 日本で普通、第二の人生というと、定年退職後を指すだろうし、ドラッカーもそうした文脈を大きく外しているものでもないのだが、自分の問題意識を変えて読み直すと、随分印象が変わる。

 今日、中年の危機がよく話題になる。四五歳ともなれば、全盛期に達したことを知る。同じ種類のことを二〇年も続けていれば、仕事はお手のものである。学ぶべきことは残っていない。仕事に心躍ることはほとんどない。

 こうした意見に反論もあるだろう。何歳でも学ぶことあるとか、IT化がさらに進めば全盛期は三五歳くらいでしょとか。しかし、自分の経験からしても、たいていの人は、四五歳ともなれば、仕事に心躍ることはほとんどないと言えるように思う。もちろん、そうでない人もいるだろうが、たぶん、大半の人は内心、自分はそれほど成功者ではないと思っている。
 ドラッカーはまさにそこをきちんと突く。

 知識社会では、成功が当然のこととされる。だが、全員が成功するなどということはありえない。ほとんどの人間とっては、失敗しないことがせいぜいである。成功するもがいれば、失敗する者もいる。

 ドラッカーはそこで成功の次元を変えるという話を進めるのだが、私はここでドラッカーがポイントとしているのは、別の形態の成功ではなく、絆(きずな)ということだと理解している。彼は日本にその期待を抱くという文脈でこう語る。

いかなる国といえども、社会が真に機能するには、絆が不可欠だからである。

 そして、こうした第二の人生というのは、助走が必要だと彼は説く。

 しかし、第二の人生をもつには、一つだけ条件がある。本格的に踏み切るにははるか前から、助走していなければならない。


 労働寿命の伸長が明らかになった三〇年前、私を含め多くの人たちが、ますます多くの定年退職者が、非営利組織でボランティアとして働くようになると予測した。だが、そうはならなかった。四〇歳、あるいはそれ以前にボランティアの経験をしたことがない人が、六〇歳になってボランティアになることは難しかった。

 そうした助走は、四〇歳くらいから始まるのだろうと思う。

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2005.03.28

EU(欧州連合)憲法お陀仏の引導を渡すのはフランスとなるか

 標題にはちょっとばかりの悪意があるが、それほど釣りの意図はない。最初に明言しておくと、EU(欧州連合)憲法なんか潰れてしまえとも私は思っていない。環境問題のEUのありかたから、私もけっこう影響を受けてきているせいもある。
 とはいえ、潰れる可能性は当面高まっている感じがする。話は少し古いが、18日付で発表されたフランスの世論調査(CSA)では、僅差ながら、EU憲法憲法成立への反対が51%となり、賛成49%を上回った。この二週間で賛成が14%もがくんと凹んだ。
 この急激な変化にはわけがある。毎日新聞記事"欧州憲法:フランスで反対強まる 5月に国民投票、域内他国に影響も"(参照)は、その理由についてパリジャン紙をひいてこう伝えている。


 同紙は、EU不信に加えてラファラン内閣に対する国民の批判が「制裁票」になっている可能性を指摘している。仏では2月のゲマール前経済相の不動産スキャンダルの表面化に続き、教育改革反対の高校生や、政府の経済・労働政策に抗議する官民の労働者がデモを展開、対政府圧力を強めている。

 ということで、毎日新聞の外信では、ニュースなどでも伝え聞くフランスでの大規模なストライキの余波と見ているわけだ。が、なぜか「政府の経済・労働政策に抗議する」として、その内実に触れていない。これは公共部門での賃下げと法定労働時間35時間の見直しが含まれている。
 同記事ではこれに続けて「サービスの自由化」を上げている。

 また、EUのボルケスタイン前欧州委員(域内市場担当)が起草した「サービスの自由化」についての域内指令が仏国民の危機感をあおっている。旅行・ホテル業、建築・不動産業、レンタカーなどの分野で加盟各国企業に対してEU域内での自由営業を認めるもので、安価な労働力の域内移動が加速され、すでに失業率が10%に上っている仏国民は職を脅かされることになる。

 これでも国内紙では毎日新聞の外信はよく伝えているほうなのだが、もしかするとシラク大統領来日に遠慮しているのではないか。

 欧州憲法反対派はこの域内指令を反EUキャンペーンに利用しており、シラク大統領は15日、EUのバローゾ欧州委員会委員長との電話会談で「受け入れられない」と指令の再検討を要請した。

 とややぼやけたトーンなのだが、この点は、19日付フィナンシャルタイムズの愉快な標題の記事"Falling out of love"(参照・有料)では、きちんとというか強いトーンで書かれている。

Mr Chirac's latest move to blow the directive out of the water was to ring up Jose Manuel Barroso, the Commission president, this week to tell him the services plan was "unacceptable", and then spread his demarche all over the French press. Hardly a tactic to endear Brussels to the French electorate, or himself to Mr Barroso, who said he was "amazed at the French debate".

 EUの基本となるべき「サービスの自由化」をけっ飛ばしたのはシラクであり、バローゾ欧州委員長もこのおフランスな議論"the French debate"には、びっくらいこいた。ポルトガルは田舎だがや、ってか。
 それにしても、法定労働時間35時間の見直しにしたって、もとはといえばフランスが吹いていたリスボン戦略じゃねーか。ったくよぉ。ちなみに、リスボン戦略というのは2010年にEUが世界でもっとも競争力のある世界となるというもの。笑うな。
 バローゾにしてみれば、フランス人ってのは国民も国民、大統領も大統領である。それに、またかよでもあろう。と同時にこのあたり、バローゾを支持した英国の気持ちをフィナンシャルタイムズが代弁している。原文にはさらにジャン・モネ(Jean Monnet)を引いてもってまわった英国風の皮肉が込められていたりして、読みづらいったらありやしない。
 いずれにせよ、この流れでEU憲法お陀仏の引導を渡すのはフランスとなるかなのだが、ま、そうなるんじゃないかというのは極東ブログの従来からの読みでもあるのだが、差し迫ったとはいえ、国民投票が実施される五月二九日までは間がある(フランス政府としてはこれでも間を取らないための日時設定だが)。今回の世論調査でも、棄権が53%もいるので、充分覆る可能性はある。
 今週のニューズウィーク日本語版(3・30)"EUを救う民間の底力 腰が重い政府を尻目に民間レベルで高まる改革の波"では、旧来勢力のパリのストライキに反対する動向に着目している。

 パロゾの改革を支えるのは、破綻寸前の福祉国家などあてにできないと考える若い起業家や活動家。

 としているが、こうした勢力や、従来からの欧州統合派などが盛り返してなんとかフランスの国民投票を乗り切るという可能性もある、というか、ルペン潰しの時の図柄を思い出してもそうした可能性は考えられはする。
 それにはさっさとシラクが引っ込むべきかもしれないし、そうすることで昔懐かしいおフランスな政治風景も変わるかもしれない。もちろん、フランスがこければイギリスがこける。

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2005.03.27

終わったのか、ホリエモン

 月曜日以降また奇妙な展開があるのかもしれないが、ホリエモン騒動のコマがまた一つ進んだようだし、どうも腑に落ちないことが多いので、そのあたりを、結果的に私もワッチしてきた手前書いておきたい。
 前々回「釣り堀衛門? いえいえ算盤弾いて末世」(参照)でふざけたトーンでこう書いた。


もちろん、窮鼠猫を噛むの例えもある。ホワイトナイトだかなんだかわけのわからない迫撃砲がどかんと一発禿げ頭になる可能性もある。あると言えばある。でも、もうそれって、経済とかマーケットとかの次元ではない。

 「禿げ頭」というのは失礼な話だが、このおりソフトバンク孫社長を少し思っていた。ホワイトナイトもありだし、ホワイトナイトならというなら、先日の野球の騒動を顧みても、面子的にそうかな、と。もっとも、予想したとおりだった、などとも思ってもいない。それに、今回の件は直接的にはSBIであってソフトバンクではないとされている。
 いずれにせよ世間的にはというかネットの空気も、ホリエモンこれで終わったでしょう、負けたでしょうというのが感じられる。すでに総括しちゃったブログもあるし。確かに、ホリエモンがフジテレビを取得するかという点ではそういうことかなとは思うが、ニッポン放送については、たとえそれが資産価値としては空っぽでも、また多少難題はあるにしても、得ることはできただろう。その意味で、負けでもないし、AAで終了と大書する、ということでもないとも言える。ただ、ホリエモンもこの件で多額の金を動かしており、それがこの結果では、メリットが実質なし、だろう。それに、他事業から推測しても、ニッポン放送の経営の才覚もないだろう。
 私としては、ちょっと話を戻して考える。SBIの登場は突然の感はあったのだが、そうなのだろうか。当ブログ「ホリエモン・オペラ、間奏曲」(参照)で類似の想定には少し触れておいた。

で、フジ側はどうするかというと、週刊文春(3・10)にも噂が飛んでいるように、「メディア初の共同持ち株式会社を作って上場し、他を未上場会社にする」という手に出てくるのだろうか。

 週刊文春で触れていたこのシナリオがずばり現在のシナリオというのものでもないが、想定ケースとしては類似のものだろう。というか、SBIの今回の立ち回りのカネの出所がフジ関係だということはないのかとも疑問に思うが。
 かいかぶるわけでもないが、ホリエモンとしても、企業買収を業態としているプロであり、こうした事態こそ想定の範囲内だったのではないか。つまり、SBIが出てきて、「え、その手があったのか、ガーン!」というほどナイーブな話とは素人の私にも到底思えない。なにより、この手法こそクラウン・ジュエル(参照)そのものであり、これをプロが想定していないとは考えにくい。
 しかも、ライブドアとニッポン放送という枠組みでクラウン・ジュエルを見るうちはいいが、フジテレビにしてみるとニッポン放送をTOBまでした株主なわけで、日本の風土的には所詮ニッポン放送はフジテレビのものという先入観はあるのだろうけど、フジテレビの株主、特に外人とかにしてみると、フジテレビはなんちゅう経営やってんのじゃ、という異文化的に変な図でしかない。
 この関連で言うなら、結果的に、フジのニッポン放送TOBとはなんだったのだろう? やってみなくても負けとわかっていたけど、やってみたら負けました、だったのだろうか。大東亜戦争っぽい感じもする。
 わからないと言えば、ニッポン放送の新株発行予約の裁判沙汰も、メディアでは、当時の地裁の時点だが、口を揃えて、「結果はわからない」「地裁がどう出ても長期化する」という話ばかりだった。この件については素人考えにもあまりにも変なので極東ブログ「ホリエモン・オペラ、間奏曲」(参照)でこう指摘しておいた。

ただ個人の勝手なブログなので勝手に賭けに出ると、裁判所沙汰について言えば、ホリエモンの勝ちでしょう。


であれば、裁判所の判断は案外単純に出るだろう。

 自分が予想を当てたと言いたいわけではない。この分野に知悉しているわけでもないのだから。ただ、この話は視点さえ定まれば素人にも、すっきりわかる。むしろ、わけのわからない煙幕が張られているな、ということが単純にわかった。
 繰り返すが、新株発行予約の話など、最初からフジテレビ(ニッポン放送)側に勝ち目のない、ただの煙幕として想定されていたメディア陽動作戦であり、メディアは実にフジテレビ側に協力していた。こんなことが本当に起きていたのかというのはちょっと驚く。と同時に、煙幕というか情報陽動作戦はそれだけだったとも思えない。
 SBI登場でホリエモン負けの空気が醸し出されたのは、構造的に見るかぎり、フジテレビはLBO対象になりうるという構図がオモテに出てきたことの対応でもあった。この構造はまさに構造なので、しかも、当初ニッポン放送がフジテレビの親会社的な位置にあるという構造とともに、今回のホリエモン騒動の構造的な基底となっていた。もちろん、素人の私などそんなことは事前に知らなかったのだが、知ってしまえば、それは現実の構造なので、情報陽動でどうとなるものでもない。見方が変わっても構造というのは変わらない。
 SBIの登場で、この構造が変わったのか? ニッポン放送の位置については変わったと言えるかもしれないが、依然フジテレビがLBO体質である構造には大きな変化はない。
 話が回りくどくなったが、要するにホリエモンが現状のフジテレビをLBOで入手するためのカネの工面ができない、よりしづらくなったということだけだろう。
 これには二点ある。一つはSBIにニッポン放送が持つ議決権を握られたから、そこがゲタにならないということと、もう一つはLBOしづらく状況が転換したということだ。
 この後者なのだが、情報の流れという点でいうなら、産経新聞をかかえたフジサンケイグループ憎しという頓珍漢な友軍である朝日新聞のLBOニュースが実に効いた。
 この経緯は、率直に言ってある程度解っていても私も乗せられたクチだった。極東ブログ「釣り堀衛門? いえいえ算盤弾いて末世」(参照)はそのログでもある。情報との向き合い方において、自分の失点かなと思うのは、当のホリエモンの言葉に耳を傾けるのを待たなかったことだ。待ってみると、ホリエモンは否定したのである。なので、「モーソーモーソーとホリエモンは言う」(参照)を続けて書いたのだが、いずれにせよ、朝日新聞が流したLBOニュースは、素直に経緯を見るなら、ホリエモンからこの時点で出た話ではない。
 このLBO話は誰が出したのか? すでに先のエントリでも触れた話なので再記しないのだが、この情報の出所が気になる。ただの朝日新聞の飛ばしとも思えないし、朝日新聞側にこの件での情報操作の意図があるとも思えないのは、頓珍漢な友軍爆走が他に多いことでもわかる。
 今回の件では、どうも、不可解な情報陽動策が目立つ。陰謀論とまで言わないが、あまりに煙幕が多い。
 しかも煙幕を取り払うと奇妙な絵が出てくることが多い。LBOニュースでも、その情報で誰がメリットを得るのか?と考えたのだが、同じ発想で今回のSBIの登場を見れば、結果的にソフトバンクグループによるフジテレビの支配という構図だけが見てくるのも奇怪だ。すでにそうした陰謀論みたいなものも見かけるがしかたないだろう。
 単純な話、ホリエモンもカネを張って勝負に出て、それにフジ側も乗ってしまったのだから、ニッポン放送からお帰り願うとしても帰りの駄賃くらいは出さないとホリエモン側としてもお商売にはならない。もっとも、ホリエモン本人がなに考えているのか、最近クチが堅くなったみたいなのでよくわからないが。
 そうしてホリエモン自身という要素を今回のSBI効果の結果の構図から抜いてしまえば、全体の絵は、また単純になる。LBOに弱い構造をもっていたフジテレビをソフトバンクがいきなり触手を伸ばしても、ホリエモン騒動以前なら、すんなりと事は進まなかっただろう。
 私としては、そうした陰謀論みたいな話にはあまり関心はない。が、結果的に、フジテレビという旧メディアがソフトバンクというITメディアの産業と提携し、メディアの構造が変わる、それが重要だみたいな話も、それはそうであっても、まだまだ早すぎるように思う。
 つまり、メディアの構造と状況にそんな変化はないでしょ、と。OECDが懸念しているように日本のデフレはまだ終わってないでしょ、というのに似ている。立ち枯れ状況がまだまだ続くのであり、それは退屈でもある。しかたない。

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2005.03.26

ヒューストン、何かおかしい(Houston, We have a problem)

 まとまった話ではない。ヒューストン、なんか変だな的な話である。
 23日に財務省が発表した二月の貿易統計で、貿易黒字は前年同月比21.7%減で二か月連続で減少。もちろん、それがどうということではない。読売新聞"貿易黒字2か月連続減少…原油高騰などで輸入金額増"(参照)では次のように説明している。


IT(情報技術)関連部品の生産調整の動きが続いているうえ、日本企業が中国に生産拠点を移し、部品などの現地調達の比率を高めているためだ。中国向け輸出は、同2・2%減の5768億円と、2001年12月以来、3年2か月ぶりの減少だった。
 一方、輸入は、原油や鉄鋼、石炭などの値上がりが響き、同11・3%増の3兆7536億円で、2月としては過去最高だった。

 まあ、そんなものでしょとは言える。特に原油高は効いたでしょう、と。ただ、同じニュースなのだが、VOA"Japan's Trade Surplus Registers Surprisingly Large Drop"(参照)では少し違ったトーンが感じられた。

Japan's trade surplus for February shrank nearly 22-percent, the second straight monthly drop. The results are worse than forecast by many economists, who say the surprising data shows Japan's exports have not recovered to the extent expected. Some economists say the recent rise in oil prices, making imports more expensive, is partly to blame.

 ここでいうエコノミストはVOAの立場から考えて海外エコノミストと見ていいだろう。すると、彼らは、この日本貿易黒字減の連続を意外と捕らえていることがわかる。新重商主義国家日本の稼ぎが予想外に悪化しているな、という含みであろう。
 先の読売の報道でも暗に示唆しているのだが、日本の貿易比重はどこから上がっているかというと、中国である。米国ではない。この構造は昨日発表された日本貿易協会「日本貿易の現状2005年版」からわかる。これを伝える日経記事"昨年の貿易額、初めて100兆円超す・対中貿易17%増"(参照)はこう伝えている。

対中国貿易(香港を含む)が前年比17%増の22兆円となり、中国は米国を抜いて最大の貿易相手国となった。日本から部品や素材を輸出、現地の工場で組み立てた製品を日本や欧米に輸出する産業構造の変化が顕著となり、貿易の対中シフトが一段と鮮明になったと分析している。

 こうした構造は米国ですら同型であり、日米は中国を生産拠点として貿易の主軸に置いている。そうなると、なにか巨大な異常が発生しうるとすれば、中国発ということにはなるだろう。
 こうしたなか、24日ロイターが、ある意味でまたかでもあるのだが、中国バブルの可能性を示唆する報道"中国でバブルの可能性、人民元相場維持に脅威 -- 人民銀行=メディア"(参照)を行なった。

中国人民銀行(中央銀行)の調査部門は、このほど公表した報告書で、不動産や製造業会でバブルが発生している可能性があり、このことが人民元の安定を脅かしているという見解を示した。中国の国営各メディアが報じた。


バブルがはじければ、銀行は巨額の不良債権を抱え込み、現在1ドル=8.28元前後に固定されている人民元の為替相場の維持が危ぶまれると、報告書は続けている。

 では人民元切り上げがあるのか? この狼少年話もさすがにうんざりはする。中国としてもこの舵取りが内政に関連して難しい。15日の中国情報局"高まる元切り上げ圧力、対応迫られる中国"(参照)が簡単にまとめている。

しかし一方で、中国側からすれば、これは世界の人民元に対する過剰評価であり、この切り上げ要求に応じられない内部事情を抱えている。高度成長を支える輸出産業へのダメージ、不良債権問題などの脆弱な金融システム、深刻な失業率、農村経済の貧弱さなど、人民元の切り上げはこれら爆弾の導火線に火をつけるほどの危険性もはらむ。

 この話がまたぞろ出てきたのは、14日の温家宝首相発言の対応という含みがあるだろう。産経記事"人民元、突然切り上げも 温家宝首相「不意突くことに」"(参照)が示唆深い。

中国の温家宝首相は十四日、全国人民代表大会(全人代=国会)終了後の記者会見で、切り上げ圧力が高まる人民元の為替政策について、切り上げに伴う影響評価を中国政府が進めていることを認めた。その上で、「いつごろ発表するか、どういった方策をとるのかは不意を突くことになるだろう」と述べ、突然の切り上げの可能性を示した。

 不意をつくというのはすごい発言だなということで、ニュースにもなったのだろう。公式な発表ではない。しかし、考えてみるに、それって不意打ち以外にはありえないのだろう。ただ、一気にどかんとくるものでもあるまい。
 このことはある意味で、織り込み済みとまではいえないにせよ、織り込まれてくる問題ではあるのだろ。貿易黒字減というのは、賢い防衛の体制ではないのかとも思えるし、むしろ、新重商主義的な方策しかとれない日本にしてみると、現状の不況も防衛策かな…ま、それは洒落です。

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2005.03.25

横須賀基地キティホークの後継艦はなぜケネディ(JFK)か

 横須賀基地を母港とする通常型空母キティホークの後継艦について、軍事関連の概ねの予想では原子力空母かという声が強かったように思う。しかし、この数日のニュースでは、他方噂の強かった通常型空母のジョン・F・ケネディ(JFK)配備という報道が流れた。
 理由としては、地元の原子力空母反対の声を考慮したとの見方が多いようだ。23日共同"通常空母JFK配備へ キティホーク後継で米海軍"(参照)ではこう伝えている。


 後継艦をめぐっては当初、原子力型空母起用が半ば既成事実化していたが、地元横須賀市の反対などを受け、イングランド海軍長官は議会証言で、空母JFK起用の可能性を示唆していた。地元や日本政府の意向に配慮した形。
 いったん予備役にして艦載機や装備を新型に取り換えることで、通常型でも戦力向上を図れると最終的に判断した。

 この報道と同時に共同はやや奇妙とも思える報道"「正式決定でない」と慎重 後継艦にJFKで横須賀市"(参照)を流した。標題を見ると、JFK決定が覆る米側の可能性でもあるのか、共同が飛ばしたと自覚しているのかと思うが、そうではない。

政府に原子力空母の配備反対を強く訴えてきた横須賀市基地対策課の江指長年課長は「正式決定ではなく、手放しで喜べる状況ではない。予断を許さない状況に変わりはなく、引き続き政府などへの働き掛けを強めたい」と述べた。

 原子力型空母反対派の意見を考慮したというだけのことだ。実際の空母配備がJFKで本決まりなのか米側の明確なソースは見あたらないように思えた。"U.S. to replace Kitty Hawk with another non-nuclear carrier"(参照)などを見ると、むしろ米側が共同をひいている様相でもある。
 問題の背景を補足する意味で三月九日とやや古いが毎日新聞"空母キティホーク:後継艦、早急に日米協議を 米司令官"(参照)も引用しておきたい。

 クラーク米海軍作戦部長は2月10日の上院軍事委員会で、キティホークの後継に原子力空母を配備する方針を表明したが、イングランド米海軍長官は同月17日の下院軍事委員会で、退役後のケネディを予備艦にして、日本が原子力空母を受け入れない場合に再配備する可能性を示し「選択の余地はある」と述べている。


 公聴会では、マケイン上院議員(共和党)が「空母ケネディが退役すると、通常型空母はキティホークだけになる。(キティホークの退役後)日本は原子力空母を受け入れないのではないか」とただしたのに対し、ファロン司令官は「(日本は)世論としては核を嫌う傾向はあるが、(原子力空母を受け入れないという)宣言をしたことはない」と説明。その上で「どういう選択肢があるか、早急に日本政府と話し合わなければならない」と述べた。

 概ねこの原子力空母を既成事実化する方向で話は進んでいたのが、日本の国内事情が配慮されたと見る向きが日本国内では強い。
 軍事的に見れば、原子力空母の路線であっただろう。というのも、空母の配置は海軍のみならず米軍戦略の主軸となるからだ。緊張する台湾海峡と中国原潜が跋扈しはじめる東アジア海域に米軍の強いプレザンスを示すには、時代遅れともみられる通常型空母ではまずかろう。軍事評論家江畑謙介も朝日新聞"空母キティホークの後継艦は?"(参照)で、ケネディを否定していた。

 キティホークをのぞくと唯一の通常型空母であるジョン・F・ケネディ(母港・米フロリダ州メイポート)を、米海軍が06会計年度(05年10月~06年9月)に前倒しで退役させる計画を打ち出したが、たとえ退役しなくても横須賀に配備することはないだろう。ラムズフェルド国防長官が町村外相に「キティホークの後継艦は決まっていない」と答えたのは、運用上、どの原子力空母にするかは決まっていないという意味であり、横須賀に通常型のケネディが来ると考えるのは早計だ。

 結果としてこの予想がはずれた形になるのだが、むしろ、ラムズフェルドの凋落を暗示しているのかもしれない。
 軍事アナリストの神浦元彰は、やや後出しじゃんけん的な解釈にも思えるが、次のコメントをしている(参照・24日)。

これを普通の人なら、アメリカが日本人の核アレルギーに配慮した結果と考えるだろう。しかし軍事を知ればそうは考えない。やはり米海軍は無給油で高速航行できる原子力空母を、象徴的な配備の横須賀に置かないで、いつでも実戦に使える配備に決めたと考える。

 つまり、原子力空母の性能が上がったので横須賀配備が不要になったというのである。私は批判という意味ではないがこの指摘には疑問を感じる。もう一点。

 それと比較して、JFKの横須賀配備は北朝鮮や中国に対する象徴的な配備となる。それなら通常型空母で済ませるというのが軍事流の考えである。

 象徴的な配備にすぎないとの指摘だ。が、これは結果的にはそうだということかもしれない。
 加えて軍事アナリストの神浦元彰は整備の拠点を米軍は日本に置きたいと見ている。これに対して、軍事評論家江畑謙介はハワイか米本土だろうとしている。どちらが正解かということに私は興味はないが、日本が整備の拠点となる可能性は日本の将来を大きく変更することにはなるだろう。
 いずれにせよ、通常型空母JFKの配置ということは、日本を含むこの地域の軍事的緊張が一時的に緩和されていることを示しているとは言えるだろう。この点については極東ブログ"「反国家分裂法案」を引っ込められなかった中国"(参照)でも指摘したが中国の対応のまずさ(加えてシラクの内政のどたばた)から、結果的にEUを硬直化させ、その対中武器禁輸措置の解除が延期させたことも関連しているのではないか。
 もっとも、こうした状況の傾向は短期的なものに留まる。JFKが実際に横須賀に配置されるのは現在のキティホークが退役する2008年以降なのだが、この三年間に状況の変化がないと想定することは難しい。実際上、JFKの配備するとなれば短期的なものとなるしかない。ちなみにJFKの退役予定は2018年とされている。やや矛盾を感じないわけにもいかない。
 以上、日本サイドの情報が多いのだが、この問題は米側から見ると別の様相もあった。一端は"Navy defends decision to retire carrier "(参照)などからでもわかる。
 日本ではJFKは2018年まで現役という情報のもとで報道・考察されているが、米海軍は二月の時点で突然のようにJFKを年内に退役させるというアナウンスを出した。理由は改修費用が高すぎるというのが最大の理由だ。日本が負担するという裏はないのかとも疑問に思う。
 それ以上に米国内で問題になったのは、JFKを母港とするフロリダの状況だった。フロリダではJFKによって年間三億ドルのメリットを得ている。フロリダと言えば今回の大統領選挙を想起すればわかるが、ここにブッシュがしょっぱい乾燥梅干しを投げるわけにもいかない。フロリダでも弟ブッシュも即座に率先して反対運動に乗り出した。こうした米国内事情を考えると、実は、JFK決定は、ブッシュの都合でしょ、というのが正解、と見えてくる。なお、原子力空母に関連した内情については"Navy wants Mayport as base for nuclear aircraft carrier"(参照)が参考になる。

追記(2005.10.29)
 JKFではなく原子力空母の配備が決定された。
 朝日新聞マイタウン・神奈川 (2005.10.29)”原子力空母が来る 地元「納得できぬ」”(参照


 横須賀基地への原子力空母の配備案が浮上したのは7年ほど前にさかのぼる。だが、市をはじめ地元にはまだ余裕があった。
 米海軍が保有する空母12隻のうち、原子力型でない通常型空母はキティホーク以外はフロリダ州を母港とするジョン・F・ケネディしかない。しかし、キティホークの退役予定は08年だが、もう1隻のジョン・F・ケネディの退役予定は18年とまだ先だ。被爆国で「原子力」施設に抵抗が根強い日本が反発すれば、米国も容易には原子力空母に変更しにくい、との読みもあった。
 ところが、今年2月に風向きが変わった。クラーク海軍作戦部長(当時)が米議会でケネディを年内に退役させる意向を表明したのだ。当時の沢田秀男市長は、後継艦は通常型とするよう真っ先に外務省に出向いて要請した。地元の反発を懸念したのか、イングランド海軍長官が、日本が原子力空母を拒んだ場合に退役したケネディを予備艦にして再配備することが可能という見解を示し、通常型空母の配備に含みを持たせた。沢田市長も歓迎の意向を示した。今年6月に沢田氏の後継者として新市長となった蒲谷氏も7月に外務省、10月には米国大使館に同様の要請をした。
 その3カ月後の突然の決定である。28日朝、蒲谷市長への初めての連絡は町村外相からのたった一本の電話だった。しかも、時間はわずか1分間弱。シーファー駐日米大使からは午前10時前後に電話が入ったという。

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2005.03.24

[書評]静かなる細き声(山本七平)

 むなぐるまさんの"お知らせ"(参照)を読み、しばし物思いにふけった。饒舌な私のことだから、ポンと背中のボタンを押せば言葉はいくらでも出てくるだろうが、そうして出てきた言葉に意味は少ない。未だ「匿名で書かれたブログはどうたら」という頓珍漢な批判もあるが、むなぐるまさんは匿名でも確固としたパーソナリティであった。だから、そこを埋める別の知識あるとしても、本当はそこを埋めるものなどはない。逆に、だからこそ実人生の季節でブログとのいろいろなつき合い方もあるだろうとは思うし、さよならも似つかわしくはない(髷も知らないオー二シをまたとっちめてやろうぜ!)。と、ふと、「水の上にパンを投げる」という伝道の書の言葉を思い出した。そして、山本七平の本の一部を思い出した。

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静かなる細き声
 山本七平の自伝的なエッセイ「静かなる細き声」に、彼が中学三年生か四年生のとき、木村米太郎教授の聖書講義を聞いたという話がある。ほんの四、五回程度ではあったらしい。山本の推測では、木村教授が少年を相手に講義を持ったのは、臨時的なものではなかったかとしている。というのも、講義は神学生向けの高度な内容だった。学生の多くも「何となく先生の音声に耳を傾けている」ようであったらしい。
 しかし、山本はそれを「不勉強な私が、一種無我夢中の状態で、一語も聞きもらすまいと先生の低い声に全神経を集中した」と語る。彼はその講義で、初めて、「マソラ本文」「七十人訳」「アリステアスの手紙」「ソフェリーム」といった言葉を聞き、それが歴史的であるがゆえにと思われるが、少年の山本にとって、聖書を初めて身近な本と感じさせたものだった。

その私にとって、「聖書とは、人間がその一字一字を筆写しつつ、次代から次代へと、気の遠くなるほど長い期間、順次に手わたされてきた本である」という木村先生の講義は、何ともいえない一つの感動であった。

 山本は後にこう語る、「今にして思うと自分の生涯はこのときに決定されていたように思う」と。そういうことが人生にはある。

 勝手な憶測だが、木村先生はあの臨時講義に内心少々迷惑を感じておられたかもしれない。全く興味なさそうな顔をしている中学生に、「マソラ本文」とか「七十人訳」などについて語ることは、文字どおり「パンを水に投げるに」に等しいことであろう。

 その状況では虚しく思えることでも、他人の人生に大きな影響を与えるということの証を山本はしている。だからこそ彼は、こう確信したのだろう。

 人は、生涯、木村先生のように淡々と、水の上にパンを投げていればよいのであって、それ以上のことを推し計る必要はないと私は思う。

 もちろん、この言葉だけ取り上げれば、そうでもないよと突っ込みたくなる。しかし、このパンは夢というものの種なのだ。同書の別の、この箇所に続くのだろう。

 人はみなその若き日にさまざまな夢を持つであろう。その夢が実現することもあるであろうし、実現しないで終わってしまうこともあるであろう。
 私も確かにいろいろな夢を抱いていた。
 『ギルガメシュ叙事詩』もその一つで、これは不思議な摂理で実現したわけだが、夢のすべてがこのように現実になったわけではない。
 しかし、たとえそれが不可能と思える現実の中にあろうと、いわば戦場にあろうと、病床にあろうと、失意の底にあろうと、その夢は持ち続けてよいのであろうと思う。
 パウロの言うように「我は植え、アポロは水をそそげり、されど育てたるは神なり」であろう。
 育って成果となるか否かは、人が如何ともしがたいことである。
 しかし、植えられたものに水をそそぎ続けることは人間に可能なのであり、そのことが無意味だと言うことではないと思う。

 私がこの山本の話を読んだのは一九七八年のことだった。三〇年前になる。当時日キ系のキリスト教雑誌「信徒の友」に連載されているのを私は毎月楽しみに読んでいた。当時私も夢があった。夢を実現できるかとも思った。しかし、今年四八歳にもなり、孔子の言うように後生畏るべしもなく、四十五十にして聞こゆること無くんば斯れ亦た畏るるに足らざるのみとなり、finalventさん罵倒まみれもしかあるべしとなる。
 しかし、不思議と夢が潰えたわけでもない。というか、ブログに夢を見ている。むなぐるまさんにその夢が消えたとも思えない。まるで、ね。

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2005.03.23

ウォルフォウィッツ世銀総裁ですか

 ちょっと話が古い。ウォルフォウィッツ国防副長官が世界銀行の総裁候補に指名されたという話を聞いたとき、私は、うへぇと思った。ネオコンだからというより、実務的にどうなのかと思ったからだ。しかし、考えてみると、やはり「ネオコン」という言葉のマジックにひっかかっていたのかなと思う。たいしてまとまった考えがあるわけでもないが、反省がてらに少し書いてみる。
 ウォルフォウィッツ=ネオコン=だからダメ、を強く出してきたのは例によって朝日新聞である。21日の社説"世界銀行――米戦略の道具にするな"(参照)がちょっと読むと標題からしてアレなんでやけに際立っている。


ふたりともネオコン(新保守主義者)と呼ばれ、世界を民主化するのが米国の使命だとして、イラク戦争を正当化し、欧州との亀裂をつくった人たちだ。世界が驚くのも無理はない。


 国連を軽視する発言を繰り返してきたボルトン氏に、イラク戦争で傷ついた国連を修復できるのか。ブッシュ人事を危ぶむ声は大きい。しかし、それ以上なのがウォルフォウィッツ氏である。世銀総裁は、米国の利益代表ではなく、途上国の発展を助ける国際組織のトップであるからだ。

 証拠がはっきりと出るまで国連疑惑にシラを切りとおし、反米デマみたいなのを撒き散らしてきた朝日新聞にこう言われるのはボルトンにとって名誉というものだろう。
 が、問題は、ウォルフォウィッツだ。途上国の発展を助ける国際組織のトップじゃだめというのだが、何故? 朝日新聞のここまでの言い分を聞くと「イラク戦争を正当化し、欧州との亀裂をつくった人」というのだが、それって単純にスジ違い。
 朝日新聞もさすがにめちゃくちゃ言っているという自覚はある、というか、普通あるでしょ。

 同氏には、駐インドネシア大使として経済発展を助けた経歴がある。ベトナム戦争を指揮したマクナマラ国防長官が世銀総裁に転じて、途上国の貧困対策に尽力した例もある。
 ウォルフォウィッツ氏が不適格だと決めつけることはできないが、こういう人事を見せられると、世銀の総裁は米国から、国際通貨基金(IMF)の専務理事は欧州から、という発足以来の「慣例」の見直しが必要だろう。

 マクナマラを持ち出すあたりが一定年代以上の人には微妙な味わいがあるのだが、いずれにせよ、論理的に考えて、実績もあり、類似の事例もあり、さて、ウォルフォウィッツのなにが悪いのか、朝日新聞は論理破綻し、とばっちりに、IMFの慣例批判をするのだが、むちゃくちゃでんがな。
 とま、それは毎度のユーモア新聞である朝日新聞の芸でもあるのだが、次の箇所でそういえば…とひっかかった。

ブッシュ氏から人事構想を聞かされた小泉首相は、すぐに支持を表明したという。しかし、支持するにせよ、世銀やIMFの大口出資者である日本は、こうした機会を活用して、国際機関の改革への同意を取りつけるべきだった。

 引っかかったのは「大口出資者」という点だ。これって… leading shareholders …あ、そうか。ワシントンポスト"A New Boss for the Bank"(参照・要登録)がこの朝日新聞社説に対応しているわけか。

The bank's leading shareholders -- principally the Japanese and Europeans -- should welcome Mr. Wolfowitz's nomination, not use their positions on the World Bank's board to obstruct it.

 ワシントンポストに言わせると、日本と欧州はウォルフォウィッツの世銀総裁指名を歓迎せよというのだ。
 実績についても朝日新聞より詳しく書いている。

Unlike several of his predecessors, Mr. Wolfowitz would come to the World Bank presidency with real knowledge of development. He served as U.S. ambassador to Indonesia in the late 1980s, when that country was one of the World Bank's biggest clients and a poverty-reduction success story.

 というわけで、実務的には問題はないのだろう。「ネオコン」という言葉とイラク戦争のイデオロギー的な評価を実務面の評価とごっちゃにすると朝日新聞みたいな頓珍漢になるというだけか。
 ただ、ウォルフォウィッツ世銀総裁万歳かというと、私はそうでもない。その点、ワシントンポストも気にしているようだ。

Moreover, Mr. Wolfowitz will have to modulate his admirable passion for democratization, the idea that has animated his thinking since his experience, as a State Department official, of the people-power uprising against Filipino dictator Ferdinand Marcos.

 フィリピンのピープルズパワーというのは私の世代にはけっこうインパクトがあるが、天安門事件ともバランスして、奇妙な思いを残している。率直なところよくわからないなと思う。
 が、ウォルフォウィッツがピープル・パワーみたいな経験から民主化の推進をマジで考えているのだとすると、つまり、イラク戦争はただの算盤というだけじゃないというのだとすると、それもなんだかなとは思う。その面でやばいかなと。私の念頭にあるのは、ミャンマーである。ラオスを入れてもいい。非常に複雑な問題だなとは思う。ま、東南アジアに発想が向くあたり私もいかにも日本人。
 実際的にはそれよりアフリカ問題に世銀が力を入れてくれるといい。こちらのほうが世界的にはより大きな問題だからだ。なんでも朝日新聞にやつあたりすればいいといわけでもないが、朝日新聞などもアフリカ問題は実は視野にはないのだろう。いわゆる左派からはダルフール問題などについて現実的な声が聞こえないのもそうした関連なのかもしれない。

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2005.03.22

米国牛肉輸入再開問題は米国の国内問題

 米国牛肉輸入再開問題だが、私の基本的な立場は、いいんじゃないのOK、OK牧場といったものだった。この問題はかなりテクニカルな領域が入り組んでいるのだが、市民にとって重要なのは、そうしたテクニカルな知識、あるいは知識の保有者を権威化せずに、市民社会の脅威という側面でフラットに扱うべきだ。つまり、通常のリスクとして扱え、そしてそのリスクの管理は妥当な科学的な議論が必要だ、つまり欧米の標準でよい、とするものだった。基本的にこの考えは変わらないのだが、問題は、政治である。そうした科学的な基準に政治が介入することは大変に好ましくない。その様相が少し見えつつあり、結果、私も、米国牛肉の早期再開はやめとけに傾きつつある。
 うかつだったのだが、BSE汚染国となっているカナダから米国への牛肉の輸出は禁止されているとばかり思っていたのだが、これには抜け穴があった。牛肉加工品はスルーだったのだ。まいったな、しかし、ある程度現状維持ならしかたないかと思ったら、カナダ側ではこの抜け穴を大々的に利用してやんの。なんてこった。
 話はニューヨークタイムズ"The Merry-Go-Round of Beef"(参照・要登録)にあった。


Canada can't send cows across the border, but it is allowed to ship packaged meat. So Canadians have been building new slaughterhouses and selling low-priced boxed beef to American markets.

 つまり、その抜け穴を通すために加工工場まで作っているのだ。ちょっとそれはないでしょという感じがするし、米国民としてもそれじゃなんのための禁輸なのかということになる。そして、ニューヨークタイムズの話では、こうした状態で日本に牛肉輸入再開を迫るのはどうよ、という展開にもなる。そりゃ、そうだ。
 なのだが、ここには書かれてないが、そして以前にも当ブログでちょっと触れたのだが、加工品として抜け穴があるとしても、現状米国ではカナダからの牛肉は輸入されないために、そして、日本など海外に牛肉を輸出しないことで、米国内で牛肉の供給量が安定しているということがある。つまり、カナダから牛肉が入らないで、日本に牛肉が出て行くのは本音のところで米国では困る。そのあたりは、日本政府も知っていて適当に米国の足下を見ているし、米国政府側でもそんなことは知っているので、政府間ではさしてこのことは問題ではない。
 気になるのは、牛肉というのは、いろいろな部位があり、単一に牛肉として扱われるものでもない。日本で米国牛肉というと、どうしても吉野屋が連想されるのだが、正確な情報を忘れたが吉野屋が使っている牛肉の部位は、米国では消費されないもので、ちょっと悪い言い方をすればクズに近いところが米国業者にしてみると日本に売れてカネになるうまみというのがある。そのあたりの米国の食肉業界の本音と実際の日米間の牛肉の部位の扱い気になるのなるのだが、あまりこの点はニュースで取り上げられていないように思う。ついでだが、これもこれまでにも触れてきたのだが、日本が長期的に米国牛の輸入を禁止すると決まれば、オーストラリアでの生産体制が決まる。政治的には、近く落とし所があるということで、オーストラリアなどは動けない。
 日本として気になるのは、日本が米国の牛肉輸入を再開した場合、先のカナダから米国に入った加工肉がずるっと日本に流れるという経路があるのかだが、そこがよくわからない。そういう経路が推測されるなら、この問題は単に米国の国内問題に過ぎない。
 ニューヨークタイムズの記事でもう一点気になったのは、ミニマル・リスクという概念だ。

The agriculture department can cling, if it likes, to the notion of unproven "minimal risk."


It's hard to fathom what would happen to the beef business in this country if a single case of the human version of mad cow disease were discovered and attributed to eating Canadian or American beef. "Minimal risk," based on little more than a set of assumptions, should be an unacceptable gamble for every cattle rancher and every politician.

 この「最小限のリスク」というのは、悪い考えではないのだが、問題はそれがどんな基準に則っているのかということだ。ニューヨークタイムズ暗にこれって米国のローカルルールちゃうん?という雰囲気を漂わせているのだが、そこが私には今一つわからない。
 この問題の経緯は、Sasayama's Weblog"アメリカは、カナダ生体牛輸入問題を解決してから、日本に圧力をかけるべし"(参照)に詳しい。
 どうこの問題を受け取っていいのか難しいのだが、私としては、米国上院がこのミニマルリスクを認めて、カナダから米国への輸入が再開されるなら、日本側としては、米国牛肉輸入反対という立場は難しいだろうと思われる。つまり、これも基本的には米国の国内問題だろう。
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もう牛を食べて
も安心か
 話が少しそれるのだが、ニューヨークタイムズの記事でも、米国で全頭検査があってもよいというようなトーンが見られた。もちろん、そういう強い主張ではない。このあたりの話は、日本側の対応が米国に奇妙なフィードバックになっているのではないだろうか。
 最後に、この話をするととばっちりを受けるだろうなとは思うが、少し触れておく。この問題でなにかと推薦されることの多い「もう牛を食べても安心か」だが、著者福岡伸一青山学院大教授はSPA(3・22)で次の発言をしている。

 そもそもなぜ全頭検査が必要か、という点についてですが、日本で発生した15例の狂牛病は、実はひとつも英国産の肉骨粉を食べさせた例がない。つまり国内においては、感染源も感染ルートも、本当のところは何ひとつわかっていない状態なんです。これを見極めるために全頭検査を維持しているのであって、安心のためだけにやっているわけではないことを認識してほしい。

 つまり、全頭検査は牛肉の安全性とは直接関係の薄い問題である。むしろ、安全性のためになにをすべきかという議論に向けるべきなのではないか、そしてそれは日本のローカルルールというわけにもいかないだろう。あるいは、そのローカルルールこそが世界の標準であるというなら、対米的な問題でなく、世界標準への提言でなくてはならないはずだ。が、印象に過ぎないのかもしれないが、日本の米国牛肉輸入問題は対米という枠組みだけに閉じているように見える。

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2005.03.21

原油高騰の背後にある石油枯渇の与太話

 年明け以降、なんとなく気になっていた石油枯渇論だが、率直に言うと、これって壮大な電波というか与太話ではないかという印象をもっているので、どう触れていいのかためらっていた。それでも、このところの原油価格の動きを見ていると、それが与太話であれ、なんらかの影響をもっていそうだなという感じも受ける。すでに各所で触れられている話題でもあるし、当方も詳しく知らない領域でもあるのだが、ごく簡単に触れておきたい。
 このところNHKの科学解説を見ていると、またかよと「ハバート曲線」が出てくる。与太話にしても船頭は科学者らしいのが環境問題なんかと同じで萎えるものがあるのだが、いずれにせよ、それなりに科学的な文脈の話だとも言える。
 ハバート曲線は、採掘年を横軸、産出量を縦軸とした正規分布グラフのような釣り鐘状をしている。しだいに産出量が増え、ピークを迎え、産出量が減少する。発案したハバート(M. King Hubbert)はシェル石油採掘のエンジニアで、1956年に油田の寿命としてこの理論を著した。これが所謂「ハバート曲線」。この理論では、アメリカの石油産出が1970年頃にピークになり、それから衰退するということで、それと直接関係もないのだが、日本の石油パニックと合わせて有名にもなった。ハバートの理論は個別の油田についてと、ごく限定されたもので、地球規模で当てはまるものでもないが、今こうして振り返ると米国の国政の長期計画に影響があったのかなとも思う。

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Hubbert's Peak
The Impending
World Oil Shortage
 その後、この理論を地球規模に適用する試みがなされ、石油地質学者キャンベル(Colin J. Campbell)などは2004年を地球規模での原油のピークとした。具体的な曲線は、"エネルギーの未来、食料、自然環境"(参照)にもある。つまり、ピーク以降は原油は減少するというのである。
 与太話風にわかりやすいのは、中国がばかすか原油を必要としているのに現状の石油は減産に向かうとなれば、原油は高騰するでしょう、と。こうした話は米国や日本ではあまり報道されていないと稲川淳二、もとい金子勝がラジオでほざいていたが、うそうそ、"The Impending World Oil Shortage"はペーパバックで売られている。
 現状からの推測とすれば、ハバート曲線的な予想が当てはまらないものでもないし、英国インデペンデント"Business Analysis: What will the rest of the world do if Saudi oil runs out early?"(参照・有料)でも、標題からもわかるようにサウジがらみで面白い話が掲載されていた。

Mr Simmons, the chairman and chief executive of a Texan energy investment bank, is calling for a new global standard of transparency for all serious oil and gas producers.


He warns that Saudi oil production may be close to peaking, pointing to the increasing use of high-pressurised water to maintain production in some fields.

"At some point in time the 'water sweep' will end and the high reservoir pressure will drop. This is simply the ageing process of any oilfield," he says, pointing to the North Sea as an example.


 つまりサウジの油田開発は古いし、限定されている。すでに高水圧で汲み出すというのはよぼよぼ状態じゃないか、と。
 シモンズは投資会社員なので吹いている部分はあるのだろうが、このあたりの指摘は油田を限定していることもあり、そう与太話とも言えない。ついでに、シモンズが言っているわけではないが、昨今の原油高でうはうは(C 巨泉)なのはサウジなので、今後原油を掘り出すためのカネをプールしているかもなとも思う、というのは与太話。
cover
世界を動かす石油戦略
 とはいえ、日本人必読「世界を動かす石油戦略」にあるように、地球にどのくらい石油が埋蔵されているのかはわからないし、石油の量というのは、ビジネス的に見るなら採掘投資との相関になる。つまり、現状の体勢から石油が枯渇するぞぉというのはかなりハズしているわけで、実際のところ、原油高も80ドルあたりで投資ビジネスへの転換となるらしい。日本は、がばがば石油に税金のゲタを履かせているのでそのくらい上がっても中期的には屁でもない。ので、米国と欧州と、さらに中国のチキンレースが見ものということになる。
 面白いのは中国で、原油のニーズがふくれあがっているといっても、近未来的にはどかんと経済が凹み、ニーズも短期的に凹む可能性が高い。欧州ではすでに、環境問題という煙幕で石油から距離を置こうとしているし、日本もこっそりその尻馬に乗っている。結論的に言えば、ハーバート曲線がどうのこうのというより、このあたりのチキンレースの動向を見るほうがいいだろう。幸いにして日本の経済の総体は縮退するので、原油減耐性がメリットになるかもしれない。
 蛇足的な話ではあるが、イラク戦争がなければ、欧州の石油はサウジ離れを起こして、短期的にサウジ抜きのOPECというか産油国を優位に持ち込めたのかもしれない。そのあたりの話になると、もろに陰謀論となり、私の専門でもないのだが、そんな印象も受けるには受ける。

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2005.03.20

本物のダイヤモンドと偽物のダイヤモンドの違い

 本物のダイヤモンドと偽物のダイヤモンドの違いとはなんだろう。その違いは、一方は本物で他方は偽物といった違いに違いない…と、トートロジー(同義反復)。本物とそっくりな偽物の世界は夢に見る現のような気がする。お前、本物かい? そう問われたら、アリスのように泣き出したくもなる。山形浩生訳「鏡の国のアリス」(参照)より。


 「あたし、ほんものだもん!」とアリスは泣き出しました。
  「泣いたって、ちっともほんものになれるわけじゃなし。泣くことないだろ」とトゥィードルディー。
 「もしあたしがほんものじゃないなら」――アリスは泣きながら半分笑ってました。なんともめちゃくちゃな話だと思って――「泣いたりできないはずでしょう」

 本物じゃないなら、泣いたりできないはずでしょ。アリスは言う。そうかもしれない。本物の愛にしか涙はない…ということもないな、そりゃな。

「それがほんものの涙だとでも思ってるんじゃないだろうねえ」とトゥィードルダムが、すごくバカにした調子で口をはさみます。

 「ほんものの涙」は原文では"real tears"。英語の語感だと、誠の涙。そこを皮肉にしたいがためにキャロルはアリスを半分笑わせている。と、英文学講義をしたいわけではないが、何の話だっけ? 本物と偽物。本物のダイヤモンドと偽物のダイヤモンド。
 違いは…わからない。
 鑑定士が識別できない。識別できなければ、本物と偽物の違いはない。
 まさか。それがそうでもない。というのがまさに現代の合成ダイヤモンドの世界。とりあえず物凄い識別装置を使うとわかる、ということにはなっている。というか、識別装置の技術だけが本物のダイヤモンドと偽物のダイヤモンドを決める……結果的には。
 それでも、偽物には、当然、騙す意図があるのだから、結果としてではなく、偽物としての創造があるはず。そう、ある。最新の合成ダイヤモンド技術だ。
 その技術を抑え込んでおけば(内緒にしとけば)、偽物のダイヤモンドは世の中には出てこない…そう話がうまくいくのか。
 以前から、私はこの話に関心を持っていたのだが、今週のニューズウィーク(3・23)にけっこう詳しい話"あなたのダイヤ「本物」ですか? 最新技術で誕生した完璧な合成品が宝石市場に価格破壊をもたらす"が載っていた。手際よく現状がまとめられている。
 面白いなと思ったのは、現在の技術では、透明な合成ダイヤモンドは、せいぜい2カラットが限界のようだ。ということは、2カラット以上のダイヤモンドを買えば真贋問題は安心…って、そんなものおいそれと買えるわけねー。1カラットですら80万円以上もする。逆に言えば、1カラット以下のダイヤモンドが本物なのかどうかは、真贋がビミョーってことかもしれない。もちろん、合成技術がすでに市場を攪乱していなければ問題ないのだが。そのあたりがどうなのだろうか。
 本物と見分けが付きがたい合成ダイヤモンド作成の技術(CVD)は、米国ボストンに本社を置くアポロダイヤモンド社が率先しているのだが、歴史的な経緯をみると、合成ダイヤモンドの技術はソ連下でも研究が進んでいた。こちらはジェメシス社に関連している。こっちの品質はそれほどでもないと言われている。
 ちょっと妄想めく。こうした合成技術なのだが、市場から未知な部分で1カラット程度の合成ダイヤモンドをすでに作り出してこそっと流れている、ということはないのだろうか。もちろん、ない、ということになっている。ニューズウィークの記事ではそうした事態はまだだが時間の問題だろうとしている。だといいのだが。
 今回このニューズウィークの記事を読んで、以前からそうなんじゃないかと思っていたのだが、ダイヤモンドというのはそれほど稀少価値の高い宝石ではないみたいだ。

「稀少品」のイメージが強いダイヤだが、実は比較的ありふれた宝石だ(一般的、ダイヤより価格の安いサファイアやルビーのほうがずっと珍しい)。ダイヤの高価格と人気を支えているのは、巧妙なマーケティングと大手数社の統制下にある供給システムだ。

 なるほどね。というわけで、本物と区別しがたい合成ダイヤモンドが存在すれば、マーケットを攪乱しかねない。でも、合成ダイヤモンドの製造会社もうまみのあるマーケットを破壊したいわけでもない…そりゃそうだろうね。
 もしかすると、本物と偽物を決めるのはマーケットの非マーケット的な支配力なのかもしれない。それって、他でもいえそうだが。
 合成ダイヤモンドの話で言えば、いずれカネの関わることでもあるので、数年以内に奇怪な事件でも起きるのではないかなと思う。
 個人的には、1カラット程度の合成ダイヤモンドが廉価になるのも悪くない。昔、祖父がこんな話をしてくれた。昔の人の宝だと箱を開けたら、なかに入っていたのがガラスだった、と。昔はギヤマンといって貴重品だったのだけど、ガラスじゃ価値がない、と。ふーんと子供ながらに私は思った。でも、ガラスだって高価なものになる。私は切り子が好きだ。エミール・ガレの手にかかれば芸術にもなった。

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2005.03.19

モーソーモーソーとホリエモンは言う

 「ホリエモンは、LBOをモーソーモーソー」って言っているよと、周りの者から言われた。ほぉ、そうか。私は、金曜日から土曜日にかけてはブログだのニュースを基本的にお休みにする。TypePadにはオートアップロードの機能があるのでたるいネタをセットしておくこともある。が、予定エントリを落として、昨日のエントリの続きを書く。
 ちょっと複雑な心境ではあるな。踊らされていたじゃんと言われても、簡単に返す言葉はない。後出しじゃんけんをする気もない。筏声援隊と読まれていたフシもあるかもしれないが、そうでもない。ま、話を続けよう。
 毎度ながら、本人はなんと言っているか? ホリエモン自身がなんと言っているか。毎日新聞記事"ライブドア:堀江社長、フジ買収検討を「妄想」と否定"(参照)を引用する。


「妄想、妄想。妄想ですって。何回言わせるんですか。妄想ですよ。妄想ですから」と答え、レバレッジド・バイアウト(LBO)による資金調達やフジテレビ株の公開買い付け(TOB)をライブドアが検討しているとの一部報道を否定した。

 発言は18日の日本テレビの番組とのこと。この報道は間違いではないようだ。妄想の内容は、LBOだけではなく、TOBも含まれる。友軍朝日新聞もなんか言うはずだと見ると"ライブドア「フジ株TOB」の観測広まる 来週にも?"(参照)がある。

ライブドアは、経営権獲得を目指し、少額の自己資金で巨額買収が実現できるLBO(レバレッジド・バイアウト)方式での買収を検討しているが、市場で買い進めるとフジ株が高騰し買収額が膨らむため、市場外で大量の株を一定価格でまとめて買えるTOBの実施が有力視されている。

 ということで、なにげにLBOを引っ込め、火曜日以降のTOBの話に移している。ホリエモンの言葉から考えるとLBO騒動は情報操作臭い。
 話を少しトラックバックして、そもそもLBO話は情報操作だったか?
 そうかもしれないなとは思う。情報操作を見破るというほどの炯眼は私にはないが、臭い話は、それって誰のメリットか、と考えると構図が見えることが多い。今回のケースでは、この話をリークすれば誰がメリットを得るか。答えは、一部投資家とフジテレビ。そもそも増配も、株価をつり上げてLBO/TOBに耐えようとしての策だった。もっと急速に効かせる点でLBO話には効果はあった(短期的かもだが)。ちょっと後出しじゃんけん的に言うと、LBOを宣戦布告するバカはない。が、ホリエモンならやるかもという空気が逆手に取られたのはホリエモンの”人徳”だろう。
 とはいえ、昨日のエントリに書いたように、フジの構造はまさにLBO無防備に近い状態だったし、それを恐れてもいただろう。ホリエモン側にその策がなかったと考えるのも幼稚過ぎる。このあたりは、ライブドア・PJニュース"ライブドア、フジテレビ買収か?【埼玉県】"(参照)が絶妙な味を出している。

 以前、テレビでLBOのことを堀江社長が、金さえ貸してくれるところがあるならば、誰(だれ)だって買収できる手法ということを話していた。もしも、このLBOが実現すれば、フジテレビがほとんど確実に手に入るということになるだろう。「ライブドアに金を貸してくれるところが現れた」という時点で、経営手腕を買われたことにもなるのだろう。

 ライブドア・PJニュース"ライブドアはライブドアの大本営でもないというあたりが、ホリエモン”経営”の面白いところだが、ざっとみて、LBOの仕込みはもたついていただろうし、そのうだうだが”経営手腕を買われた”結果でもあるのだろう。
 LBO砲がライブドア側ではないとして、このままこの話がなし崩しになり、フジ側のプロテクトが堅くなったとすれば、そこに策士の影を感じないわけにもいかないだろうし、策士がいるならその思いに多少なり共感しないものでもない。あるいは、単にライブドア側の要人がずば抜けたアホタンであるのかもしれない(その可能性が否定できないのが面白い)。とはいえ、このエントリを書き出した私は私。私のブログは私のブログである、と、禅問答みたいだが、そのあたりのスタンスとして休みを中断して書く必要も感じた。誰も気にしなくても私は私。カモメはカモメ。
 まぁ、しかし、そんなことはどうでもよろし、大勢の流れはどうなる? つまり、ホリエモンはフジを乗っ取るのか?
 劉備・関羽が老いて張飛が爆走しても、諸葛孔明ありせば蜀攻めはきつかろうとも思うが、大局の構図が変わってるわけではない。貯め込み利益はそのまま。ホリエモンが人物ならこの戦いに勝つだろうし、傍から見ればどんなスラップスティックでも面白いなでもある。大局の構図が変わらなければ、昨日のエントリでも触れたように、この件については、別の次元の問題になるリスクは依然高い。そこまでは読み切れない。
 ブログ的にも気になるのは、こうした渦中にあるライブドア・PJニュース"新聞はインターネット・ユーザーの差別化を考え始めた【東京都】"(参照)だ。ちょっと爆走気味も味わいのうち。

 毎日の記事は、ライブドアが時間外取引で買った株の内、テキサスのファンドが売った株について当局に適切な報告書類を出していなかったため、金融庁がこれを「問題視している」といった内容だったように記憶している。
 他紙が「ライブドア、LBOでフジ株の買収を検討」と書いていた中での記事だが、ライブドアにとってこれはもっとも重要な情報である。つまり、時間外取引の当該ファンドが売った分が無効になるかもしれないのである。これまで好意的な発言をしていた麻生総務大臣も、LBO報道に不快感を示したそうだ。当然だろう。

 この話の先も面白いのだが、そこまで引用するのは礼儀に反するようにも思うのでしない。
 さて、このエントリにオチはないなと思って物憂く最新ニュースを見たら、日経系で"ライブドアとフジテレビ、提携協議を開始――役員が初会合"(参照)があった。

ニッポン放送の経営権争奪戦を繰り広げているフジテレビジョンとライブドアは提携を巡る協議を始めたことが18日、明らかになった。

 そりゃ穏当でよかったと言いたいことだが、経営というのはそういうものでもない。ホリエモン騒動は、木戸銭もなく見られる極上のエンタテイメントのように思えるが、そういうわけにも行かなるのだろうなとは思う。

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2005.03.18

釣り堀衛門? いえいえ算盤弾いて末世

 またホリエモン。だって、次から次へと面白いんだもの。当ブログでは四度目。悪ノリっていう気もしないではないのだが、また大きく局面が変わり、気になることではあるので書いておこうと思う。話は、今度は、勝っていたのかホリエモン、である。でも、標題はもっとつまんない洒落にしておく。
 勝っていたのか、というのは、ニッポン放送分捕り戦じゃない。ま、それは勝ちでしょう。でも、フジサンケイグループ乗っ取り戦のほうは負けていたでしょ、と私は思っていた。
 ところが、ありゃま、別の話があるとは、当方も読めませんでした。当初は、ホリエモンが、フジサンケイグループのいびつな資本構造の弱点をついて、廉価にニッポン放送を買い取り、それを足場にフジサンケイグループを乗っ取ってやれ、というメチャセコイヤ、セコイヤーセコイヤーとちょこーっと思っていた。のだが、っていうか、現状でも、そういう話だったんじゃないのかと半分くらいは思っているのだが、いやいや、算盤弾くとそうでもなさげ。
 ちょっと回りくどいが、昨日昼頃から、「ライブドア 3000億円調達か?」みたいな話が飛び交っていて、おい、桁違うじゃん、800億でひーひーだぜ、と私は苦笑した。煙幕戦ガセ式神もここまでかと思った。が、なんだか雲行きが変わって、雨。木曜日、傘をサースデーが洒落でなくなりつつあり、ついに友軍朝日新聞が飛ばした。曰く、"ライブドア、フジテレビ買収狙い3000億円調達へ"(参照)。


 ライブドアがフジテレビジョン買収に向けて、レバレッジド・バイアウト(LBO)と呼ばれる手法を使って、3000億円の資金調達を検討していることが17日分かった。LBOは80年代に米国で発達した手法で、3000億円にものぼる調達が実現すると日本では過去最大級。ライブドアはこの資金で、フジ株の過半数の取得をめざす見通しだ。ニッポン放送の経営権取得にめどをつけ、次はフジサンケイグループの中核企業の掌握を狙う。

 さすがに他紙はたじろいで黙ってしまったけど、いずれにせよLBO爆弾がぶちかまされた。LBOの簡単な説明も同記事にある。

関係者によると、ライブドアは買収をめざすフジの資産を担保にして、複数の外資系金融機関などからなる融資団から、借り入れや債券・コマーシャルペーパー(CP)発行の形で資金を得る。

 酷い比喩だが、これから買い取るはずの財産を早々に質屋にぶち込んで金を借りるというわけだ。
 問題は、こんな話に誰が乗る?ということ。3000億円出しまっせという末世の香具師がどれだけいるかなのだが、まず、大筋としては、世界的に金余り状態なのでその気になれば無理でもないという状況はある。
 3000億円というのだから、それなりに、お品書きもないといけないね、ということで、毎日新聞"ライブドア:持ち株会社化を検討 経営権掌握後"(参照)が出てきた。

ライブドアは17日、メディア、IT(情報通信)、金融の3部門を傘下に置く持ち株会社制度への移行を検討していることを明らかにした。ニッポン放送の発行済み株式の過半数取得の可能性が高まったことから、堀江貴文社長が目指す「メディアとIT、金融の複合事業体」の実現に向け、グループ全体の再編を目指す。ライブドアを持ち株会社とし、3部門の経営を統括する。特にメディア部門に注力し、ニッポン放送が22.5%の株式を保有するフジテレビジョンとの連携を目指して、経営権取得も視野に同社株の買い増しを進める。

 この話も、ライブドア銀行関連で以前からホリエモンが言ってことだが、それでも、今回の当初のホリエモンの話と随分違うなぁ。
 というか、最初の話もそれは当面それだけの話、ということだったのかもしれない。いずれにせよ、今となっては、フジサンケイグループに突っ込めぇ的状況にはなった。
 この話乗りますか? まとまった金貸してくれぇと。乗る?
 乗らないでしょ、フツー。
 でもこれって、そういう話ではないのだな。ぼんやり思案していたら、菜根譚の章句がふっと浮かんだ。曰く「蠅の血に競うが如し」。
 そうだそうだ。要は、それって、儲かる話かね、ぶひひである。それだけだよ、蠅ぶんぶんぶん。
 そうして見ると、あれま、これって儲かる話なのだな。今朝のNHKのラジオで評論家の田中直毅も言っていたが、フジテレビって利益剰余金が2600億円くらいある。キャッシュでね。つまり、これだけ会社にプールされているわけだ。これが見えているのだから、2000億円くらい貸しましょうっていうのは楽勝の算盤なわけだ。
 朝日新聞の先の記事にあるように、フジテレビの時価総額は7000億円。すでにライブドアがその株式の22.5%を持っている。あと30%くらいならその額くらいで買えちゃう。ぶひぶひ。しかも、フジテレビの株保有は現在18.6%が外人なんで、儲けが出るならするっとホリエモンに売ってくれる。高く売れるのだから、外人、ベリーハッピー、あるね。
 どうするフジ? だが、どうしようもないんじゃないのか。
 フジ側としては、急遽五倍もの増配、しかも、年利益の半分を出すということで、フジテレビの株価をつり上げ、ホリエモンが買い取りづらくしている、ということなのだが、それでもそれだけの利益配分ができるほど貯めておいたのが運の尽きでした。遅すぎ。It's too late。
 ところで、先の田中直毅は、フジなんて人材だけが資産のようなもので、そういう会社を敵対的買収してどうよ、という議論をしたいらしかった。ぶはははである。私は思うのだが、フジの資産というのは、ようするに電波の分け前だ。公共のとか枕詞を付けているけど、ようするに少ないチャンネルを規制によって独占することで利益を上げていたわけだ。つまり、ここでも、利益剰余金の貯め込みと同じように、いわば利権で安逸な日々を送っていたのが裏目に出てしまったわけだ。
 大筋ではそういうことか。
 もちろん、窮鼠猫を噛むの例えもある。ホワイトナイトだかなんだかわけのわからない迫撃砲がどかんと一発禿げ頭になる可能性もある。あると言えばある。でも、もうそれって、経済とかマーケットとかの次元ではない。
 しっかし、フジサンケイグループが…という枠を外して、こんなことがあっていいのだろうか、というとよくわからない。なにも会社を買い取ることはイカーンということではない。経営を変えることで利益が見込めるなら、総じて社会のためにはなる。だが、今回のケースはどうもそういうことではないようだ。
 しいて言うなら、話が明後日に向くのだが、日本の会社は株主にもっと配当せーよ、ということだろう。

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2005.03.17

釜山港、そして津軽海峡春景色

 反日嫌韓が不必要に喧しいのだが政治的な裏でもあるのだろうか。ソープオペラ(メロドラマ)の親密さはどうでもいいが、普通の国と国とのつき合い程度にはならないものか。双方に困ったなと思う人も多いだろうが、そうした声はネットなどからはあまり聞こえない。不思議な感じがする。ライブドア関連のマスメディアの素っ頓興(誤字)もだが、先日の人権擁護法案反対コピペ運動のように、なんか情報の流通が変だ。

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 この日韓の反目でメリットでも得ている勢力があるのか、といえば……全然思い当たらないでもないが、と、つらつら考えながら、そういえば釜山港ってどうなっているのだろうかと、この数日気になっている。日本と距離的に近いということもあるが、歴史の視点からも日本にとってもっとも身近な韓国の港である。が、歴史の話は今日は書かない。
 釜山港はアジア有数のハブ港というだけでなく、日本海事広報協会の2002年のコンテナ取扱量の順位をみると世界第三位である(参照)。が、この資料はすでに古くて、現在は上海とシンセンに抜かれて5位。なので、挽回策に必死中。いずれにせよ、この10位以内のリストに日本の港は一つもない。15位以内にもない。19位に東京港がちょこっと顔を出す程度だ。その後、17位にちょいとアップ。港町横浜は見る影もない(28位)。名古屋は自動車産業の活性もあって24位。
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コンテナ取扱量
 日本の港の衰退は、こうした物流の最終地点が日本だからということなのか。そうした観点で見るなら、石狩湾新港のサイトに、2003年の話として、韓国、中国、東南アジアを結ぶ石狩湾新港への新定期コンテナ航路の話が興味深い(参照)。

このたび開設された新コンテナ航路は石狩湾新港/新潟/釜山/蔚山/光陽/上海/寧波/塩田/香港/ホーチミン/バンコク/レムチャバン/香港/塩田/寧波/上海/釜山/蔚山/苫小牧/室蘭/石狩湾新港のルートを5隻で運航し、当港には毎週木曜日に寄港します。当港の平成14年のコンテナ取扱量は、約26,000TEU(対前年比約14%増)で、平成9年の韓国・釜山港との定期コンテナ航路開設以来、着実に伸長しており、今回新たに韓国・中国・東南アジア航路が加わったことにより、さらに取扱量の増大が期待されます。
 また、これまでの韓国・釜山港に加え、上海や香港などでの積み替えが可能となったことにより物流ルートが多様化し、荷主企業の利便性がさらに向上します。

 同ページにあるその地図でそのルートをぼんやり見ていると、やはり日本への物流の最重要地点は釜山港のようにも思える。
 こうした物流の釜山港へのシフトは阪神大震災による神戸港への打撃の影響もあったらしい。震災前世界ランキングで4位くらいだったのが、最新データでは29位。余談だが、アテネでツヤのいい年寄りから自分は神戸のことはよく知っているぞとかよく話かけられた。昔は神戸港が栄えていたのだからね。
 釜山港が盛況なのは、当然釜山の地の利というものあるのだろうとは思っていたが、そうでもない話も聞く。曰く、日本国内メーカーが日本国内向けに作った製品の配送のために、いったん釜山港に運び、そこから日本の地方港に運んでいるというのだ。つまり、日本国内を陸路でトラック便を使うよりも安いらしい。実態がよくわからないが、それもありなんだろうなと思う。宅配のような急ぎでなければ、海路のほうが安くなる。それにしても、国内配送を迂回するために韓国の釜山港を使うのも、ちょっと奇妙な話ではある。
 いずれにせよ、釜山港側でも今のところは日本はいいお客さんではあるのだろうし、なにより中国と日本を結ぶ中継地としては、高雄よりも利便性の点でよいのかもしれない。逆にそれだけ日韓にメリットがあるなら、もっと反日感情などを抑えてもいいのではないかとも思うが、そのあたりの韓国の事情がわからない。地図をざっと見ると、釜山とソウルの距離の差というものなのかなとも思う。ソウルは北朝鮮に向き合っているが、釜山は日本に向き合っている。
 釜山のデメリットは? ニュースを見ると、先日の釜山には例年にない積雪が話題だったようだ。雪の弊害で各種社会サービスにも問題を起こしたようだ。とはいえ、そうした雪が潜在的な釜山港のデメリットではないだろう。むしろ、韓国お得意の労使紛争(これで釜山港の業務が停止したことがあるらしい)や、社会治安などが日本が側からするとリスクだろうか。
 あるいは…と思うのだが、釜山港の未来は、日本など意識せず、単に韓国が国際的なビジネスを展開する上でアジアや太平洋に開かれている良港ということかもしれない。日本がこのまま人口とともに経済も縮小化していけば、釜山港の対日的なメリットは相対的に低くなるだろう。
 というあたりで、ぼんやりと地図を見ていると、つい歴史に思いが向かう。「これって、不凍港じゃん」とふいに思う。これって不凍港だよな…この港が一番欲しい国って…と連想が進む。いやいやそれは連想じゃなくて、妄想なのだろうか。
 ……と書いたあとで、ちょっと調べ直した。ありゃりゃ。文章の全体をまとめ直すほうがいいのだが、手間が惜しいので、だらっと書き足す。
 「ありゃりゃ」は、釜山から津軽海峡を越えて北米に至るコンテナ輸送の日本海ルートのほうが、太平洋側をまわるよりも2日も早いのだね。ラジオでの話などで津軽海峡は今物流の重要地点だとか、なんどか聞いたが、そういうことか。っていうことは、釜山港というのは、日本国内へをマーケットにしているというより、明らかに津軽海峡を通過して北米ルートに乗ることが想定されている港なんじゃないか。っていうことは、津軽海峡がキモでしょ。
 ひびきなだのサイトにある物流の地図(参照)を見ると、目出度く釜山がシカトされているけど、こりゃどう見ても、米中交易の拠点は釜山と津軽海峡じゃないか。いや、この地図が実に含蓄が深いのだけど、釜山と高雄は、日本の太平洋側といわゆる裏日本との対応になっているわけだ。ネットなどを見ると、反韓親台みたいな意見が目につくけど、もしそうなら、こうした経済の根幹部分を考えないといけないのではないか。
 あるいは、別に反韓ということではないが、日本海側にもっと重要な物流の拠点を作り、さらにロシアを視野に入れたら日本の新しいビジョンが描けるかも。言うまでもないけど、石油の産出量はロシアがサウジアラビアを抜いているのだし、そうした輸送路も…重要でしょうね。

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2005.03.16

[書評]海のサムライたち(白石一郎)

 散人先生のブログの今日の出来事に「3/16 三浦按針が日本に漂着 (1600)……当時は外国人でも国家公務員になれた」(参照)とあり、そして、こう結ばれている。


結局彼は故国には帰れず日本で一生を送ります。しかし、景色がよくって気候が温暖な三浦半島に自分の領地をもらって、新鮮なお魚とアシタバと大根を食べて、彼は幸せだったんじゃないでしょうか。

 そうであったのかもしれない。人間の幸不幸というのは、外側からは見えないものである。ただ、三浦按針という人間にはその数奇な運命からいろいろ人に問いかけるものはあるだろうし、また日本人の歴史に問いかけるものも多い。
 後に三浦按針と名乗ることになったウイリアム・アダムス(William Adams)は、オランダ船リーフデ号で漂流し、慶長五(1600)年三月十六日(もちろん旧暦)、臼杵湾に辿り着いた。当初百十人の乗員が、二年の漂流で生き残ったのは二四人。日本の地を見て息絶えた者が三人。歩ける者は六人。アダムスはその一人だった。ちなみに、もう一人、似た運命を辿ることになるのがオランダ人ヤン・ヨーステン(Jan Joosten)。彼が居を構えていたことから八重洲の地名ができる(地下街にさらし首みたいな彫像がある)。
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海のサムライたち
文春文庫
 と、この話を含めて今日のエントリにはネタ元がある。昨年亡くなった白石一郎の「海のサムライたち」である。私は2001年のこの話の元になったNHKの人間講座をすべて見た。面白かった。後、NHKから「海のサムライたち」が出てそれから文庫本になったようだが、私が手元に持つテキストの標題は「サムライたちの海」である。写真なども興味深いのでNHK版もよいとは思う。書籍化にあたり鄭成功の話などが追加されているようでもある。
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海の
サムライたち
 臼杵領主太田一吉は長崎に使いを出し、イエズス会のロドリゲスを呼んだが、ロドリゲスは彼らを悪魔の申し子と罵った。当時の西欧世界と東洋の関係を考えれば当然のことではあっただろう。リーフデ号を含めた船団も当初はスペイン・ポルトガル船との海上戦闘が可能な装備を持っていた。日本はスペイン・ポルトガルの息がすでにかかっていた。
 が、この事態に日本人は驚いた。特段に関心を持ったのは家康であった。堺から迎えの船を仕立てた。英国人アダムスの身分は低いものだったが、12歳から造船に携わっていたこともあり、天文学や幾何学にも精通していた。リーフデ号でも航海長を務めていた。
 家康はアダムスが気に入った。家康が海外の知識に飢えていたということもあるだろうし、聡く海外の反目の状況を読んでいたのかもしれない。西洋の造船技術は当時の日本にとっては最大の情報でもあっただろう。「海のサムライたち」を書いた白石一郎は、その側面を強調する。が、私は、それ以上に家康という人間とアダムスには相通じ合うものがあったように思える。二人ともある種の頑固な武人気質でありながら激することのない実務家でもある。
 アダムスには英国に妻を残しており、多くの書簡を送った。返信はなかったのかもしれない。家康はアダムスを直臣とし厚遇し、馬込勘解由の娘を娶らせた。雪という名前であったようだ。家康は彼を三浦按針と名乗らせたが、この名前は、いわゆる近代人の名前ではなく、林屋正蔵のように襲名されるものであり、アダムスにはこの名を継いだ息子(ジョセフ)もいた。が、その系譜は今日わかっていない。
 慶長十四(1609)年、アダムスの故国英国の艦隊クローブ号が平戸に到着し、アダムスはその艦隊の若き司令官セーリスと会談するが、二人の関係は悪かった。アダムスはすでに見捨てられた人間でもあったのだろう。このときのアダムスは四九歳。羽織袴に髷を結っていたのではないか。
 散人先生は「新鮮なお魚とアシタバと大根を食べて、彼は幸せだったんじゃないでしょうか」と察しているが、この後、アダムスはジャンク船を買い入れ、タイなどの交易事業にも乗り出す。自力で帰還する金が欲しかったのかもしれないし、その金で英国の名誉を買いたかったのかもしれない。が、こうした事業はバックアップしてくれた家康の死ともに潰え、平戸で五六歳の生涯を終える。墓は平戸にある。戒名は「寿量満院現瑞居士」とのこと。

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2005.03.15

トヨタのサンクトペテルブルグ進出は結局どうなったのか?

 今朝のNHKのラジオで、トヨタがサンクトペテルブルグで現地生産へ向けて始動したといった話が流れていて、えっ?とぶったまげて、慌てて報道の検証をしようとしたのだが、これがわからない。話題はトヨタなのだから国内ニュースなのでGoogleニューズやgooでなにかひっかかるかと思ったのだが、どうも混乱しているようにしか見えない。こうした場合は、現地側のニュースを探るといいと思って、Googleニューズをロシアに切り替えようとして、はたと気が付いた。ロシアがない。Yahoo! Russiaというのもないのだね。あれま。
 国内的には11日の産経新聞系"トヨタ、露工場計画を凍結 政府、大統領訪日に影響懸念"(参照)というニュースが流れていた。これは、標題どおり、凍結したよ、というわけである。


トヨタ自動車が検討していたロシアでの自動車製造工場の建設計画が、凍結されたことが十日、分かった。トヨタ側はすでにロシアにこうした方針を伝えている。トヨタのロシア工場建設については、プーチン大統領も歓迎、訪日の際には合意文書の署名式典も検討されていた。このため、今回の計画凍結について、ロシア側は失望感を隠しておらず、日本側も「経済面での大きな目玉がなくなり、大統領の年内訪日断念につながりかねない」(日露外交筋)と懸念している。

 政治マターになるのはしかたがないにしても、この産経の報道にはちょっと変な印象を受ける。率直に言うと、なんか産経が情報操作に出ているのではないかという懸念すら感じるのは、翌日付、ビジネスi"露への大型投資ご用心、日系企業乗っ取り画策?"(参照)の記事があったからだ。

ロシア政権がシベリアで成功を収めた日系木材加工企業に、税務面での攻撃を強化している事実が11日までに明らかになった。恣意(しい)的な追徴課税を課すことで倒産に追い込み、企業の乗っ取りを画策している可能性がある、とみられている。ロシアでは、日本たばこ産業(JT)の露子会社など有力日系企業への圧力が強まっており、大型投資などは今後、一層の警戒が必要となりそうだ。

 時期的に考えて、それってトヨタを視野に置いているでしょと読み進むのだが、それがトヨタのトの字もない。なんか、産経新聞ってこういうところ朝日新聞と実はそっくりなんだよなとかちょっと思う。
 11日同日の日経系"トヨタのロシア工場、サンクトペテルブルクで2007年稼働"(参照)では、ご覧のとおりイケイケで書かれている。

トヨタ自動車が新設を検討してきたロシア工場の概要がほぼ固まった。建設地はサンクトペテルブルク市で主力セダン「カムリ」を生産する。年産5万台を目標に2007年に稼働する。投資額は150億円程度になる見込み。トヨタは自動車需要が拡大しているロシアを有力市場と位置付けており、現地生産で本格的に開拓する。

 ロシアでは新興財閥への高級車のニーズが高いので、カムリあたりかという感じはわからないではないが、それにしても、この産経と日経のズレってどうよ。と思っていたところ、Responseというサイトに"【新聞ウォッチ】トヨタのロシア工場計画報道、日経と産経の信憑性"(参照)の記事があった。どうなってんのということだ。

概要を明らかにした日経、凍結を報じた産経、信憑性の是非を含めてこの先の続報を注目したい。

 というのが今朝のNHKラジオでびっくりした背景なのだが、さて。
 なにより、トヨタ側のアナウンスが気になるのだが時事"ロシアでの現地生産、引き続き検討=「凍結」報道を否定―トヨタ"(参照)によれば、一応同日中に凍結報道を否定している。

*トヨタ自動車 <7203> は11日、ロシアでの現地生産をめぐる報道に関し「市場動向を踏まえつつ、さまざまな角度から検討している」とのコメントを発表した。報道の一部は「検討を凍結した」としていたが、これを否定した形だ。ただ同社は「時期を含めた具体的な内容は決まっていない」と強調した。

 凍結は否定されたとなると、やってくれるじゃんか、産経新聞という感じではある。先の記事に至っては、ごりごりに政治マターでもあった。

 日本政府は、十一日にも行う町村信孝外相とラブロフ外相との電話会談で日本側の事情を説明すると同時に、ロシア側に大統領訪日に向けた考えを改めてただす構えだ。

 とはいえ、このネタはあながちガセとも思えないので、その電話会談はどうだったのか知りたいのだが、ようするに、その結末が今朝のNHKのラジオの話だったのか。
 産経が政治マターでやってくれたかなという感じだが、この報道はAFP側でも11日に"Toyota scraps plan for Russian plant: report"(参照)に反映している。

TOKYO : Toyota Motor Corp has suspended a plan to build its first auto factory in Russia due to a disagreement over the location of the plant, a Japanese daily said.

Japan's top auto maker was planning to build the plant in Saint Petersburg, but Russian authorities demanded Toyota set up factories in various parts of the country in a bid to boost regional economies, the Sankei Shimbun said, quoting Japanese and Russian diplomatic sources.


 で、結論は?
 そこがよくわからない。問題も錯綜している。まず、具体的にトヨタのロシア進出はどうなっているのかが重要。次に、この政治マターはどう動いているのか。そして、この問題における産経のビヘイビアってどうよ?である。
 総じて言えば、日本側でロシアの足を引っ張るようなのは、やな感じぃ~である。

追記(2005.4.27)
 四月二六日付で、トヨタ自動車はサンクトペテルブルク市郊外に約四〇億ルーブル(一五〇億円)の投資により自動車工場の建設を発表。会社設立予定は六月。生産開始は〇七年から。

 ”トヨタ、ロシア・サンクトペテルブルクに新工場”(参照


トヨタ自動車は26日、ロシアのサンクトペテルブルク市に新たな自動車工場を建設することを決めロシア政府、同市と基本合意した。2007年末までに乗用車「カムリ」を年2万台規模で生産開始し、1―2年内に5万台に引き上げる。投資総額は約40億ルーブル(150億円)。ロシア市場の拡大に対応したもので、日本企業の現地生産は初めて。

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2005.03.14

日韓の友好は冷静に考えればありえないだろう

 日本語で読めることもあって、東亜日報、中央日報、朝鮮日報の三紙のサイトはざっと眺める。が、最近はしだいに嫌になりつつある。竹島問題といい扶桑社の教科書問題といい、そんなことが話題なのかという感じが私にはする。こうした話題に巻き込まれるのが楽しい人も双方いるのだろうが、私にはどうでもいいことだ。三紙が韓国民の声をそれほど反映しているわけでもないことは、韓国のフリーペーパーの動向などからも察せされるのだが、それにしても、こうした反日嫌韓的な騒ぎの根はそれなりに深いのだろう。どうしたらいいのかと多少は思うのだが、どうにもならないのではないか。そんなおり、日本版ニューズウィーク(3・16)に掲載されているピーター・タスカのコラム"日韓関係にひそむ危険な「純愛幻想」"が相変わらず秀逸だった。
 タスカはクリアにこう指摘する。


 では、日本が誠意をもって過去の過ちをわびれば、韓国、さらには中国との関係が改善するのか。そうした考え方は、因果関係を見誤っている。歴史が戦略的緊張を生み出すのではなく、現在の戦略的緊張が歴史問題を生み出すのだ。

 タスカは、その例証の事例をコラムでいくつか挙げるのだが、概ねそんなものだろう。タスカの例証には含まれていないが、双方に歴史の傷を持つトルコとギリシアだって、状況の戦略的認識によっては改善に向かうこともある。もっともこのまま改善されるのか歴史的に見ると疑問はあるが。
 もっとも、日本人は、タスカのようには発言はできない。私も、できない。言えば、口は災いの元というくらいになるのが関の山である。むしろ、日韓の現在の戦略的緊張を冷静に考えたほうがいいのだろう。
 タスカは日韓の修復されない根幹的な亀裂を二つ指摘している。一つは安全保障であり、もう一つは産業形態だ。後者は単純に言えば、ソニーとサムソンということなのだが、この問題についてのタスカの言及は正しいとも間違っているとも言いがたい微妙なものがある。日本人の多くは先日のソニーの経営陣交代に奇妙な物作りプロジェクトXの感慨を持っているが、そうした感性がずれていることはすでに書いた(参照)。サムソンについてはどうかというスペシフィックな考察が必要になるのだが、そこまでは今回は立ち入らない。ロジスティックスにおける釜山港の現状にも触れない。問題は前者の安全保障に絞る。

韓国はもはや北朝鮮を脅威とみなしていないし、日本の拉致問題に対する興味はゼロ。北に圧力をかけるどころか、核保有すら容認する覚悟をしている。これでは、たとえ6か国協議が再開されたところで、進展は見込めない。大局的に見れば、韓国の現政権は同盟関係の重点をアメリカから中国へ転換しつつある。

 もちろん、そうなのかという疑問の声もあるだろうし、私がいまだに古いタイプの人間だから思うのかもしれないが、この事態に胸張り裂けんばかりの韓国人も少なくはないだろうとも察する。しかし、冷静に見れば、そういうことなのではないのか。韓国はそういう国なのだ。そしてこの先に統一朝鮮が存在する。タスカは言及していないが、統一朝鮮とは、中国の現状の延長で考えるかぎり、親米的なものではありえない。中国が国家的な脅威となる存在を喉もとに許すわけもない。地政学的に、と言うのも恥ずかしいが、親中となるだろう。もちろん、当面は、北朝鮮の傀儡化だろうが。そうした見取り図のなかで、日本と韓国が連携していくという強い国策を打ち出せるほどのタマは日本にもいなければ韓国にもいないだろうし、それはおよそ幻想の部類だ。
 タスカは半島の核がどこに向くかと暗示しているが、言うまでもなく、親中的な国家に選択はない。というか半島の核の存在自体がそれを意味するわけだが、日本の現状を見るに、その悪夢の階梯は理解されているふうでもない。
 タスカは洒落なのかコラムを奇妙に締めている。

 日本が周辺国のどこかと関係改善を望むなら、戦略上重要な同盟国になりそうな相手を選んだほうがいい。経済的利害をめぐって直接ぶつかり合うことがなく、中国の言いなりにならない国となれば、候補は一つしかない。

 そう、一つしかない。言うまでもない。ディプロマシーのプレーヤーなたらその選択に躊躇うものはない。だが、日本の空気はそうなっていない。なぜそうなっていないかについては、極東ブログではほのぼのとしか触れていない。この点も筆禍を避けたいがゆえのヘタレなのだが…。

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2005.03.13

ブッククロッシング(bookcrossing)

 先週の話になるが、英国の公共放送BBCがブッククロッシング(bookcrossing)の支援を始めた。ブッククロッシングは、書籍を共有物として社会のみんなで読み回すという試みだ。たとえば、駅のベンチに本を意図的に置いていく(あたかも置き忘れたかのように)。それを別の誰かが拾って読む。読んだらまたどこかに置いておく。別の人が拾って読む…。こうしてみんながその本を読む。これがブッククロッシング。本のほうにもそういう意図のラベル(あるいは電子タグ)を付けておく。インターネットなども連携して、拾った本の感想などを書き込む。国際的にはbookcrossing.com(参照)が有名だ。
 BBC主導のブッククロッシングの試みについては、インディペンデント"Bookcrossing scheme puts paperbacks into the 'wild'"(参照)が詳しい。ここに、英国のブッククロッシングで放流されている書籍の人気リストがあった。参考までに邦訳を主にアマゾンでリンク付けておく。


  1. The Da Vinci Code, by Dan Brown 719(参照参照
  2. The Lovely Bones, by Alice Sebold 707(参照
  3. Angels & Demons, by Dan Brown 626(参照参照
  4. A Painted House, by John Grisham 599(参照
  5. Divine Secrets of the Ya-Ya Sisterhood, by Rebecca Wells 542(参照
  6. The Firm, by John Grisham 529(参照
  7. The Pelican Brief, by John Grisham 529(参照
  8. A Time to Kill, by John Grisham 513(参照参照
  9. The Secret Life of Bees, by Sue Monk Kidd 487(参照
  10. Jurassic Park, by Michael Crichton 477(参照参照

 ブッククロッシングは、日本でも一部実施されているのだろうか。新聞などにも話題が取り上げられているようだが、まだそれほどの広がりはないようにも思う。というか、日本では、なにかとちょっと無理かなという感じもする。スタバとかが賛同してくれたら、ローカルに広がるかもしれない。BBCが推進しているからと言っても、同じ公共放送であるNHKにはそんなセンスなさそうだ。
 そういえば、私事だが、10年以上も前になるが、成田から”リムジン”に乗って東京に戻るとき座席に村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の文庫本があって、なにげなく読みふけった。へぇこの本って文庫があるんだという感じでつい読んでしまい、気が付くと新宿だった。ああいう感じっていうのは面白いなと思う。
 そういえば話のついでだが、沖縄暮らしでなにかとホテルのお世話にもなったのだが、ロビーに置いてある本とも奇妙な出会いみたいのが何度かあった。沖縄というところは出版が独自なこともあり、地域の本の状況がわかりづらい。意外と町村史なんかが面白い。そうしたものが意外なところで読めたりする。
 さて、社会風俗としてのブッククロッシングだが、考えてみると、公共と書籍というもののある本質的な意識も込められているようにも思えてくる。
 書籍というのは、当然、現在の世界の枠組みでは商品なのだが、歴史を俯瞰するに、つねに商品というものでもなかった。むしろ、歴史上では書籍はある種の公共物でもあり、権威でもあった。聖書など西洋の中世では実際には読まれはしなかった。
 書籍の歴史では、言うまでもなく印刷技術というのが大きなエポックになるのだが、そうした視点は、あまりに西洋的なものかもしれない。日本でも江戸は出版物に満ちていたのだから。
 それ以前の日本の歴史を見ても、大蔵経の書写の歴史などを知ると、いろいろと考えさせらるものがある。先日柳田聖山の話を聞きながら、日本の仏教や仏教学はけっこう朝鮮の寺刹の恩恵も多く受けているなと思った。
 前近代の書写というのも、広義のブッククロッシングなんだろうと思う。その意味で、ブッククロッシングというのはパブリッシングより根の深い本の読まれ方なのかもしれない。

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2005.03.12

親日家ブリュノ・ゴルニッシュ(Bruno Gollnisch)発言の波紋

 本題に入る前にちょっと脇道。
 週に一日はニュースだのブログだのから離れていようと思うが、さすがにホリエモン関連の裁判騒ぎは耳に入るし、当方としても、5日の時点で極東ブログ「ホリエモン・オペラ、間奏曲」(参照)で、「ただ個人の勝手なブログなので勝手に賭けに出ると、裁判所沙汰について言えば、ホリエモンの勝ちでしょう」と言った手前、ちょっと気にはなった。結果はご覧の通り。
 本題のほうは、といって、これもタッチーな話題なのでそれほど突っ込む気もないのだが、親日家に応えるのも日本人の人情ってもんじゃないかと思うので、簡単に触れておく。
 話は、フランスの国民戦線(FN)を支える重要人物ブリュノ・ゴルニッシュ(Bruno Gollnisch)が、教官を務めていた、リヨンにあるジャン・ムーラン大学から五年間の停職処分を受けたのだが、その理由は、ホロコーストに疑念を表明したことだった。
 ここが実にタッチーな話なので、事の次第を知る基本ニュース自体はAPではあるが、あえてユダヤ系のJeerusalem Post"French professor suspended for doubting Holocaust"(参照)から引用しよう。


A French university said Friday it decided to suspend a professor for five years after he made remarks that cast doubt on the Holocaust.

Bruno Gollnisch, who is also a top official in the far-right National Front party of Jean-Marie Le Pen, questioned whether the Nazis used gas chambers in the Holocaust and suggested that the number of Jews killed during World War II might have been exaggerated.


 記事にはFNの前にfar-rightという形容があることにも注意していただきたい。問題発言はこのニュースからは、ゴルニッシュが、ホロコーストのガス室を疑問視したことと、虐殺されたユダヤ人数が誇張されているのではないかと示唆した、と読める。
 さらに、今回の決定は、前年の出来事から続く話にも関連していた。

His comments, made at a news conference in October, sparked uproar among Jewish and anti-racism groups.

 ということで、昨年のこのニュースなのだが、朝日新聞などでも報道されていた。ネットでは、"ホロコースト自由議論求めた仏の日本研究者が大学停職処分の朝日新聞報道に決定的重要欠落部分"(参照)というページに関連情報が残っているが、このページについては当方は言及しない。
 ブログ(日記)では、はてなダイアリーfenestraeさんの"世に「なかった主義」の..."(参照)が興味深い。教官職を吹っ飛ばされるに至る問題発言は次のものらしい。

今やまともな歴史家でニュールンベルク裁判の結論を全面的に認めるものはいない。強制収容所があったことを私は疑問に付すものではないが、死者の数について歴史家が議論できてもいいはずだ。ガス室の存在についていえば、どういう判断をするかはそれぞれの歴史家の自由だ。

il n'y a plus un historien serieux qui adhere integralement aux conclusions du proces de Nuremberg. Je ne remets pas en cause l'existence des camps de concentration mais, sur le nombre de morts, les historiens pourraient en discuter. Quant a l'existence des chambres a gaz, il appartient aux historiens de se determiner.


 これに触れたコメントはかなり的確である。

とにかく「歴史修正主義 revisionnisme」、「なかった主義 negationnisme」 に対するフランスやドイツなどの常識とはこういうものだ。もし上のゴルニッシュ氏の発言を一読して「なるほどもっとも」と思う常識があるとしたら、その常識は今のフランスのものではない。こうした発言でも、公人としては極めて危険なものである。現にゴルニッシュ氏に対してはリヨン大学が停職措置を求めて教育省に報告書の提出を予定しており、法務大臣も訴追の意図を表明している。ただしあきらかにぎりぎりの挑発を狙ってなされたこの戦略的な発言がこの先どう法的に決着がつくかは定かではない。

 私自身は「挑発を狙って」については否定もしなければ同意しない。また、fenestraeさんがこの話から南京事件に言及していく文脈についても当方は基本的に触れないのだが、一点、気になることがある。

この事件が事実かどうかのかまびすしい議論の向こうに、日本人の中にたまたま2人だけ残虐な行動をした者がいたということの事実の確定にとどまらないもっと大きい問題として、当時の日本人が心性において大虐殺者だったというイメージが控えている。

 もしかすると、通州事件とその国内への影響についてご存じではないのかもしれないとは思う。つまり、その問題を議論するには、もう少し広範囲なレンジで日本の当時のメディアの状況を検証する必要があるかもしれない。が、それは非常に困難な作業を伴うだろう。
 話をゴルニッシュに戻す。現状はどうか。国内は当然だが英米圏ではやはりこの問題には極力触れまいとしているか、あるいはルペンの流れでおさえようとする印象は受ける。FN支持も少なからぬフランス国内でだが、この話題はメインのジャーナリズムでは避けられている印象もある。11日付けのフランス語のロイター"Gollnisch fait appel de son exclusion pour cinq ans de Lyon III"(参照)あたりがニュースとしては妥当なところだろうか。当方フランス語は読めないのでさっさと自動翻訳の手を借りる(参照)。現状、ゴルニッシュはこの対応を不服としている。

LYON (Reuters) - Bruno Gollnisch appeals to the national Council of the higher education and the search (Cneser) for his exclusion for five years of the university Jean-Mill Lyon III, where it taught.

"I make call of this illegal decision in front of Cneser, but without too much illusion, announced number 2 of the FN at the time of a press conference.


 この件ついて、れいのフリーペーパー20minutes"Bruno Gollnisch de juges en juges"(参照)が意外とクリアに述べているようにも思えた(参照)。
 話は余談めくが、ゴルニッシュの奥さんは日本人で二人には三人の子供がある。日本語も堪能であり、日本などアジアの政治についても専門分野だ。親日家でもあるらしい。FNと聞くと人種差別主義者かのような印象を持つ人もいるだろうが、あまりに短絡なイメージに過ぎないようだ。
 "ゴルニッシュさんと王党派と南北朝"(参照)というページの記事によると、ゴルニッシュは京都大学の卒業でもあるらしい。いろいろ逸話が面白いが、歴史好きの私には次の話などが興味深い。

 ゴルさんが言うには、「王党派は国民戦線に少しいるが、力はない。又、歴史は後戻りしない」と言う。「それに、かつぐべきブルボン王朝が分裂していて、南北朝と同じなんですよ」という。さすが京大出の人は違うと思った。「南北朝」なんて、今や日本人だって知らないよ。このことは「創」(6月号)に詳しく書いたけど…。ゴルさんによると、フランス革命でギロチンで殺された王様の〈嫡流〉はスペインに亡命した。そこでスペイン人になった。外国人になった王はフランス王になれないんだそうな。南朝は外国人になってしまって、ダメなんだ。でも、ブルボン王朝の〈傍流〉はフランスにいる。まァ、北朝ですわな。でも、「三種の神器」はない。(フランスにもあるのかな?)。まァ、王党派もこの人をかつぐしかない。そんなわけで、フランス版「南北朝」なんですな。

 EU憲法を巡るフランスの動向には今後も目が離せない状態だが、いずれにせよ、FNのこうした動向を含めて複眼的にワッチしていく必要はあるだろう。

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2005.03.11

てるりん追悼

 てるりん(照屋林助)が死んだ。七十五歳だった。うちなー風に見れば、かじまやー(参照)にはまだまだということで若すぎるということかもしれないが、長寿沖縄と言われてるわりにその実態は男性の壮年死が多い。八年も住んでみれば理由は自ずとわかる。てるりんも長く糖尿病に悩んだ。足の指も切っていた。
 てるりんに私が会ったのは十年ほど前、と書いて、特別のことでもない。うちなーんちゅの大半はてるりん本人に会ったことがある。目立つ。巨漢である。日常からして、歩くモダンアートのような出で立ちである。コザの若いフラーターでも、とっさに、本能的に、引く。あのばりばりのオーラーにはかなわない。
 メディアなんぞでは、てるりんは、ワタブーのイメージどおりににこにこしているが、普段は憮然としていることも多く、自分が弟子だと決めた芸人になんとか芸を継がせたくしかり散らしているふうでもあった。その眼の座り方に、私は林山を思った。
 てるりんが林山の不肖の息子であったかどうか私などが言えるものでもない。ただ、林賢にまで継がれるあの強烈な音楽的才能は、伝統芸の維持ではなく、常に破壊と創造をやまないものなのだろう。てるりんは三線に一本線を加えた。エレキ三線も作った。MIDIの打ち込みなんかもやってたようだ。息子のりんけんも、チェレンを作った。たしか、てるりんの兄はエンジニアで沖縄で最初にエレキを自作したのではなかったか。そういう血統でもある。フリッパトロニクスみたいな志向なのかな。
 ワタブーショーや戦後の舞天との活動については、よく語られるし、コピペみたいな逸話を書く意味もない。沖縄の大衆芸という枠で語られる。しかし、私は、彼の芸は、そのとんでもない音楽的才能と、やまととうちなーの近代史の微妙な内省から生まれたものだろうと思う。彼自身はチャンプラリズムと言うのだが、むしろ、それは今の日本が失ってしまった日本の伝統の本流に深く関わっているようだ、と書けば、あたかも大和の亜流であるかのように聞こえてしまうのだがそうではない。
 てるりんは大阪に生まれた。沖縄に移住するのは子供のころからだし、大阪での暮らしもうちなーんちゅに囲まれてその文化のなかにいたという意味で、うちなーんちゅであることに違いはない。が、やはり、だからこそ、あるズレのようなものがあったのではないか。藤木勇人が大正区でれいの一人芸をして笑いを取ったとき、オジーが笑うなと若者をたしなめたという笑えない笑い話があるが、うちなーんちゅであることは「美麗島まで」に描かれた与那原恵のファミリーヒストリーが暗示するように、うちなーの外側、やまとやアジアの全域に関わる微妙な問題がある。あえて言えば、今の沖縄本島の沖縄文化とは常に自己模倣によって作成されたある奇妙な創作物だ。こんな風景を思い出す。私が中城湾をぼんやり見ながら「きれいな海ですね」というと、うちなーんちゅの年配の一人はこう言った。「きれいになったのは復帰後だね」「そうなんですか」「昔は廃油ボールがぷかぷか浮いていた」。その言葉の奇妙な陰翳が忘れられない。やまと世が海をきれいにしたという単純な話ではない。

cover
平成ワタブーショー
沖縄チャンプラリズム
の神髄2
 やまととうちなーのその微妙なつながりというのをてるりんはさらっと笑いの芸にしていることがある。「沖縄よろず漫芸 平成ワタブーショー沖縄チャンプラリズムの神髄 2」に「すべて黒潮のお陰」という演目があるが、これがヨサコイ節がどう沖縄音階に変化するかというのを自在にマジカルに三線で解き明かしていく。これなど、中学生か高校生の学習過程で是非聞くべきだろう。黒潮がどう音楽につながっていくのか、もちろん実証的ではないが、そこに込められた感性のある連続のようなものが重要なのだ。西原淑子さんが食材を見て海の物か山の物かの二分しかせず、調理はなんでもかんでも炒めちゃうというのは、この黒潮系の文化でもある。
 ってな話はきりがない。というか、私の心のなかで沖縄もてるりんも全然消化できていないということだ。もう一ネタ書いて終わりにしたい。
cover
平成ワタブーショウ
 てるりんの芸能のもう一つの重要なことは、うちなーが米軍下にあった経験というものだ。てるりんがコザんちゅうということでその色は特に濃いが、その本質は戦後のGHQ下の内地にも関係している。その経験の、なんというのか、悲惨とか卑屈とかではなく、民衆はどのような圧制下でも笑って生きているというある奇妙な感覚でもある。民衆から乖離した思想が芸能に劣る局面である。なんど聞いても可笑しいのが、「沖縄漫談 平成ワタブーショウ」の「カミダーリユンタ」である。

うちの女中もさらウフソー
ソーメン買いに行かせたら
ソーメンの名前も忘れちゃって
小さなトゥーバイフォーないかいな


そのまた隣のお手伝い
これもしたたたかポンテカで
カマボコ買いに行かせたら
小さなコンセットないかいな

 腹がひきつるほど笑った。私が戦後の沖縄とはなんだろうと現地に暮らしながらまじめくさった戦後史を読みながら得た知識が、笑いを通して大衆の、あの時の生活の視点になっていく感じに変わった。
 てるりんは舞天と戦後命の祝いをしようと沖縄各地を回った。その時からの歌だろう「生き返り節」は絶唱である。

特配ぬ脂 鍋にすりなして
焼ちゅうるヒラヤチぬ
音の清らさよ
匂いの香ばさよ

 現代の沖縄では、「美ら」と書いて「ちゅら」と訓じ、あたかも沖縄の美を「ちゅら」に込めようとしている。たしかにそういう面もあるが、「ちゅら」とは「清ら」である。そして、「清ら」であるから中国語の「清」にも引かれる。この語感は、うまい食い物を連想させるのだ。「清香園」もそれである。うまいものが喰える(ひらやーちーが泣かせる)ことが「生き返えやびたんでえ」である。あとすることは、歌って子作りすることである。生きたものがよろこび子孫が増えることが死者への供養である。

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2005.03.10

[書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part 2

 実はPart 1(参照)を書いたあと、あまりいいウケでもなかったし、率直に言うと、「イザヤ・ベンダサンの正体は山本七平だ」というだけのコメントをいただくのも辟易としたので、この先書くのもやだなと思っていた。

cover
日本人とユダヤ人
 が、この数日、風邪で伏せっていながら、山本七平の「人生について」を読み返しながら、ああ、そうか、と思った。長いが引用する。彼が「私の中の日本軍」などを執筆するに至った経緯の話の流れだが。

 そのあと、南京の『百人斬り競争』ですか、あれを鈴木明さんが解明されましたでしょう。これは非常にいい資料を集めて書いたものなんですが、鈴木さんは軍隊経験がないので、せっかくのいい資料がちょっと使い切れていない感じだったんです。それで鈴木さんにこう助言してくれってたのんだんです、”これはこいうことじゃないか、軍人がこう言った場合は、こういう意味です”と……。彼ら独自の言い方がありますからね。そうしたら、それを書いてくれって言われましてね。とうとう十七回で七百枚にもなっちゃったんですよ。
 ただ、この問題については相当に積極的な気持ちもありました。というのは、これ、大変なことなんです。新聞記者がボーナスか名声欲しさに武勇伝などを創作する、これは架空の『伊藤律会見記』などの例もあるわけですが、この『百人斬り競争』の創作では、そんな創作をされたために、その記事を唯一の証拠にして、二人の人間が処刑されているんです--極悪の残虐犯人として。しかもその記者は、戦犯裁判で、創作だと証言せず、平然と二人を処刑させているんです。しかも戦後三十年「断乎たる事実」で押し通し、それがさらに『殺人ゲーム』として再登場すると、これにちょっとでも疑問を提示すれば、「残虐行為を容認する軍部の手先」といった罵詈ざんぼうでその発言は封じられ、組織的ないやがらせで沈黙させられてしまう。そういった手段ですべてを隠蔽しようとするのでは、この態度はナチスと変わらないですよ。このことは、いまはっきりさせておかねば、将来、どんなことになるかわからない、基本的人権も何もあったんもんじゃない、と感じたことは事実です。それだけやれば、私は別に、文筆業ではないですから、もうこれでやめたと、一旦やめたんです。

 いまでこそブログのコメントスクラムが問題視されるけど、少し前までは、右翼でもない人間がちょっとでも左翼的な発言に疑問を提示すると「罵詈ざんぼうでその発言は封じられ、組織的ないやがらせで沈黙させられてしまう」ということがあった。そうした慣性が、現代にまだ残っていてもしかたないのかもしれないが、やはりそれで過ごしてしまえば「基本的人権も何もあったんもんじゃない」という状況にはなるだろう。
 前振りが長くなったが、前回、私はこう書いた。

 と、書いていて存外に長くなってしまったので、一旦、ここで筆を置こう。この先、「日本人とユダヤ人」に隠されているもう一人のメンバーの推測と、「日本人とユダヤ人」の今日的な意味について書きたいと思っている。近日中に書かないと失念しそうだな。

 近日中に書かなかった理由は今書いた。今回は、その隠されていたかもしれないメンバーについて書こうと思う。そのメンバーというのを仮に「イザヤ・ベンダサン」としたい。仮である。彼は、1945年の3月10日、東京にいた。
 ちなみに、執筆者の一人と推定される山本七平はこの時期、フィリピンにいる。素直に考えれば、「イザヤ・ベンダサン」は山本七平ではありえない。しかし…と言う者もあるだろう、それはそもそも「イザヤ・ベンダサン」なる存在がフィクションだからだ、と。そうだろうか? 「イザヤ・ベンダサン」=山本七平だから、その話をファンタジーだと逆に考えているのではないか。
 次の証言を素直に読んだとき、普通、どういう印象を持つだろうか? もちろん検証資料がない現状では判断しようがない。私はこの箇所こそが「日本人とユダヤ人」を解く鍵であり、この本の隠されたモチーフが実はジェノサイドであることを示唆していると考える。

私は昭和16年に日本を去り、二十年の一月に再び日本へ来た。上陸地点は伊豆半島で、三月・五月の大空襲を東京都民と共に経験した。もっとも、神田のニコライ堂は、アメリカのギリシア正教徒の要請と、あの丸屋根が空中写真の測量の原点の一つともなっていたため、付近一帯は絶対に爆撃されないことになっていたので、大体この付近にいて主として一般民衆の戦争への態度を調べたわけだが、日本人の口の軽さ、言う必要のないことまでたのまれなくても言う態度は、あの大戦争の最中にも少しも変わらなかった。私より前に上陸していたベイカー氏(彼はその後もこういった職務に精励しすぎて、今では精神病院に引退しているから、もう本名を書いても差し支えあるまい)などは半ばあきれて、これは逆謀略ではないかと本気で考えていた。

 私は長い期間、なんどもこの本を繰り替えして読んだが、この箇所はいつも奇妙な陰翳を投げかけてくる。ニコライ堂によって古書街も守られたのかもしれない。湯島聖堂も。いや、こちらは4月13日の空襲で一部だが焼失した。いろいろ思いが巡る。
 これを素直に読めば「イザヤ・ベンダサン」は明確に諜報員だとわかる。が、それを指摘した評者を知らない(大森実は手短に言及していたが…)。
 しかも、ここで唐突にベイカー氏なる本名が出るのだが、それは、彼が「精神病院に引退」したからである……ということは、もう一人の諜報員「イザヤ・ベンダサン」は、本書が書かれた1970年の時点で本名を明かさない=引退していない=諜報活動中、を意味している。
 本書の続編にして物騒な本となった「日本教について」など、形式的には、彼の上司の系統の「高官」に宛てるレターにすらなっている。それどころか、この「日本人とユダヤ人」もその報告書の一環とされていたようでもある。諜報員「イザヤ・ベンダサン」を含めたのはどのような組織なのか。そういえば、小声で言うのだが、「日本教について」には田中角栄失墜の裏も暗示している。
 「イザヤ・ベンダサン」なる諜報員が戦時下の東京に極秘で送り込まれていたというのは、フィクションなのだろうか。ベイカー氏なる人物が追跡できればかなり明確になるのだが、そこまではわからない。私は、「イザヤ・ベンダサン」=山本七平という仮説は仮説として、もう一つ、「イザヤ・ベンダサン」をプロファイルする仮説が必要ではないかと思う。私の印象では、ある程度一貫性をもって「イザヤ・ベンダサン」なる人物のプロファイルが可能だ。それにフィクションが含まれないと考えるのは幼すぎるが、そうであってもプロファイル自体の意味が薄れるものでもない。
 この奇怪な歴史の逸話はフィクションかもしれないが、仮に、これが史実だと仮定してみたい。すると、ここからさらに奇妙な連想が派生する。誰が「イザヤ・ベンダサン」を伊豆から東京に運んだのか。誰が神田に居を世話したのか。そう、戦時下の日本側の誰が、連合国側の諜報員である彼を支援したのか?
 米国に内通できる可能性のある当時の日本側の団体と言えば、私は二つしか思いつかない。ミッショナリーかメイソンリーである。メイソンリーというとネットでは愉快な話題が多いが、「石の扉」などを参照されると理解が進むだろうが、明治維新などにも関連している可能性は強く、正史側でも重視すべき点は多い。
 ここで、私は、当然、山本七平のことを思い浮かべる。彼はこの本の共同執筆者でもあり、この話全体が彼のでっち上げかもしれないのだが、それでも、なんらかのそういう組織の活動を知っていてこうした話を創作したのかもしれない。フィクションではないと仮定した場合、彼山本はこの日本側の内通団体について当然ある想定を得ていたに違いない。彼はそのことについて完全に秘密を守り通した。妻にも語っていないようである。この頑ななありかたは、この引用箇所に続く、話と呼応しているように思えてならない。

「腹をわって話す」「竹を割ったような性格」こういった一面がない日本人は、ほとんどいないと言ってよい。従って相手に気をゆるしさえすれば、何もかも話してしまう。しかし、相手を信用しきるということと、何もかも話すということは別なのである。話したため相手に非常な迷惑をかけることはもちろんある。従って、相手を信用し切っているが故に秘密にしておくことがあっても少しも不思議ではないのだが、この論理は日本人には通じない。

 このつぶやきの記述の部分には山本七平の思いも含まれているのだろう。
 この逸話が事実だとしてもう少し話を進めてみたい。「イザヤ・ベンダサン」が1945年2月の東京に暮らしていたのは、彼の言葉を借りれば、「主として一般民衆の戦争への態度を調べた」ということであり、想定される戦後において、米国の日本統治あるいは大衆の情報制御の資料作成のためだろう。
 だが、この神戸の山本通り(「山本通り」は洒落ではない)で育ったユダヤ人とされる「イザヤ・ベンダサン」は米国政府のためだけにこんな命賭けの仕事をしたのだろうか。こうした問題は歴史と諜報員の心情という一般的な問題でもあるのだが、そこにはどうしても文学的な課題がある。
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Curtis LeMay
鬼畜ルメイ
 「イザヤ・ベンダサン」の1945年2月の東京に暮らしでは、明らかに、3月9日の深夜から3月10日にかけての東京大空襲が想定されていた。目前に数万人の無辜の民衆が虐殺されるの知りながら、人は平静に暮らしていけるものだろうか。鬼畜ルメイがなにをしでかすか、「イザヤ・ベンダサン」は知っていた。
 この3月10日の未明、「イザヤ・ベンダサン」は、聖橋あたりに立ち、10万人者人を焼き尽くす炎を遠く見ていたことだろう。逆に、ルメイの計画を知っていたから、ある宗教的な信念から自らもその近くにいたかったのではないか。
 東京大空襲。恐るべき戦争犯罪に留まらず、それは、日本人という民族を虐殺するジェノサイド(民族大量虐殺)の始まりでもあった。「イザヤ・ベンダサン」は日本人がジェノサイドされている様を遠く見ていたのだろう。
 妄想的想像と失笑を買うだろうが、これだけは言える。「日本人とユダヤ人」という書籍のテーマは、日本人のジェノサイド(民族大量虐殺)なのだと。それが起こりえること。それが日本人に向けられること、それが、この気の利いた日本人論に見える裏にあること。
 私は、現代の日本人は、この本を再読してほしいと思う。日本人がジェノサイド(民族大量虐殺)される危険性をまた日本人自らが撒き散らしている、あまりに愚かな現状があるのだから。
 彼は、1970年の時点で、こう語っている。

 「朝鮮戦争は、日本の資本家が(もけるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日本人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日本人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。

 日本人もまた、世界の他民族によって差別させられ危険な局面にも遭遇することがありうる。
 信頼できる者にも秘密を守るというのと類似の論理で、他国人といくら友好であっても、そこだけは口を割ってはいけないし、相手にもただしゃべらせるままにしておくだけではいけないという領域がある。
 そんなことは、多くの虐殺経験を持つ民族なら当たり前のことにように知っているのに日本人だけは、3月10日未明、一夜にして10万人の同胞が虐殺されても、いまだ知らないかのように見る。

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2005.03.09

マイクロダイエットって何?

 先日「はてな」にマイクロダイエットの質問(参照)があって、そういえば、巷でよく見かけるけど、マイクロダイエットってなんだろと思い、ちょっと調べてみたら面白かったので、そんなネタでも。
 その前に、誤解を避けるために最初に言っておくけど、マイクロダイエットの商売を妨害するつもりないし、それやっている人にどうのこうのと健康指導するわけではない。ただのネタ。
 ちょっと調べてみたいなと思った理由は二つ。一つは、私は米国のダイエットに比較的に詳しいのだけど(単純に米国文化ワッチの一環で個人的にはダイエットの必要はない)、知らないな。よってこれって日本発のダイエットの一つでしょ、となんとなく思っていた。ところが、先の質問の回答リンクからでもわかるけど、英国のダイエットらしい。それが二つめの理由でもあって、なぜ英国のダイエット?という疑問からだ。国内の広告的なWebの情報だとなんだか英国お墨付きというか英国の科学者が…というようなので、そんなに権威のあるものなのかというのも疑問に思った。
 英国で重視されているとか有名ならBBCに話題があるはずと思ってみると、あるにはあった。2001年の記事なのでネット・イヤーの感覚からすると古いのだけど参考にはなるのでは、というのがこれ"Web diet warning"(参照)だ。記事の話は、ダイエットについてネットを参考にしている人が増えているがどうでしょうかね、といったもの。そりゃ、そうでしょ。
 この記事であれれ?と思ったのは、ここに囲みのデータとしてちゃんとマイクロダイエットが記載されていることだ。データはどのダイエット情報サイトを見ているかということなのだが、面白い。


Diet site scores from Health Which?
Total Nutrition Technology (US) - 92%
Fitbay (US) - 75%
ediets (US) - 66%
Slimtone (UK) - 55%
Diet Watch (US) - 53%
Total Body Fitness (US) - 44%
Micro Diet (US) - 36%
Top Weight (US) - 36%
Diet and Weightloss (now closed) - 33%
Nourish Net (US) (now closed) - 25%

 リスト見てすぐに二つ思う。一つはマイクロダイエットはずば抜けて有名でもない。もう一つはUSってあるんだけど、つまり、米国。それってどうなってんの? 英国じゃないの?
 英国のGoogleで"Micro Diet"を検索すると、筆頭に出るのは、その名も"Microdiet"(参照)。ドメイン名もそのまんま。

"Microdiet" is a nutrient analysis software system designed specifically for use by professional dietitians to help them in their task of analysing the diets of patients with diet related diseases such as diabetes. The main buyers of the product are dietitians and nutrition experts in hospitals and health services, teachers of medical or dietetic groups at colleges and universities, food companies and freelance analysts.

 このサイトの情報を読むとわかるけど、マイクロソフト社にマイクロが付いているように、マイクロコンピューターで扱うダイエット用ソフトということらしい。いずれにせよ、この情報は日本国内のマイクロダイエットは明らかに関係ない。いくつか他サイトも見ても、そんな感じ。どうなってんの?
 Googleは"micro diet"と二語検索にしたらというのでそうすると、さっきのBBC記事になる。循環。しかもその関連からはまるで情報が掴めない。
 英国の限定を外してみると、二語検索で"Health Defence"(参照)が出る。これもずばりのドメイン名。で、このサイトなのだが、Dr. Paul Claytonなる英国人学者がいて政府とも関連しているので、これですかと思って読んだのだが、どうも日本国内のマイクロダイエットとは関係なさそう。ちなみにこちらのマイクロは、マイクロ・ニュートリエンツ、微量栄養素という意味らしい。
 どうも、政治問題や学問的な情報を扱うようにグローバルに見てもだめかと、国内系からいくつかキーを探してみた。開発者がDr. Jacqueline Stordyらしいあたりを手がかりに探して、ようやくこれですかというのが見つかった。これです。結局国内サイト"MicroDiet"(参照)。

It was developed according to the "Very Low Calorie Diet" by Dr. Jacqueline Stordy of the School of Biological Sciences, University of Surrey in England. While the ultra-low-calorie MicroDietR provides quick and efficient weight reduction, it remarkably contains all the essential nutrients the human body needs. Various medical tests have verified its safety, and Sunny Health has modified MicroDietR for the Japanese market. It has helped more than 1,100,000 users lose weight, and more than 300 medical institutions that treat obesity have taken advantage of it. Ten years after its release, MicroDietR still enjoys the largest share of the meal replacement market in Japan.

 唖然と言うとなんだけど、いくつか驚いたというのが実感。
 まず、Dr. Jacqueline Stordy はたしかに英国人のようだけど、英国でMicroDietとして利用されているのではなさげ。同時にこれって極めて日本向けにアレンジされたものらしい。
 それと明確に、"the meal replacement market"、つまり、食事代替市場とあること。サプリメント(補助)ではないということ。
 一番驚いたのは、"Very Low Calorie Diet"だったのか、ということ。これはVLCDと略されることもあるけど、医学的な用語と言ってもいい。訳語は、英辞郎など見てもわかるように、「超低カロリー食療法」だろう。
 つまり、カロリーを減らせば、痩せます。3+2の結果が3+8より小さいのは当たり前です的な世界だ。
 ということは、医学的にはVLCDとしてみるといいわけだ。で、VLCDの一般的な効果なのだが…という前に、この文脈ですでにダイエットではなく治療にカテゴリーを移しているのだが、一つの参考としては"ワークショップ 肥満症Q & A ワークショップ 肥満症Q & A"(参照・PDF)がある。少し長いけど引用する。

それから体重減少療法を行うと,どの程度の人が体重を維持できるかという,いわゆる減少体重維持率ですが,正直にいいましてこれは非常に悪いのです.かなり以前のことですが,入院治療でVLCD(very low calorie diet)療法を80名くらいの方に行い,約2年後にアンケート調査をしました.VLCD療法によって減らした体重量のうち,その50%くらいまで体重が戻った人,100%以上戻った人,というように区別して結果をみましたところ,体重の再増加が減少した体重の50%以下であった人は約25%しかいませんでした.この25%という数字は回答した人のなかの25%で,アンケートの回答率も50~60%でしたので,治療した人の8人に1人位の割合になります.減量できた体重を維持するのは難しい,おそらく1回体重を減らしても,その維持率は非常に悪いということです.これはわれわれがVLCD療法を入院してやらせることを,積極的にしなくなった理由の一つです.いくら入院して体重を減らしても,退院後の生活習慣が入院前と変わっていなければ戻ってしまうのではないかと思います.ただ患者さんがお医者さんにお任せして体重を減らしていただきましたということでは,肥満症の治療にはならないというふうに思っています.

 私のコメントは、やっかいなことに巻き込まれたくないので控えておくのだが、それでも、この話は治療としての一般的なVLCDであり、VLCDを応用した特定のダイエットではない。なので、後者にはリバウンドしない効果がある可能性については否定しない。それに以上については、「理由は聞くな。大人なら。」といった心情である。
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The LCP Solution
 話をわざとらに少しずらしてエントリのケツにしたいのだが、Dr. Jacqueline Stordy にはダイエットについて興味深い一般書「The Remarkable Nutritional Treatment for Adhd, Dyslexia, and Dyspraxia」(US版)があった(英国版)。LCPは、long chain polyunsaturated fatty acids(長鎖多価不飽和脂肪酸)の略で、日本人だとDHAとかで知られているあれだ。話は、ADHDなど脳機能に関連する問題は、DHAなどの脂肪酸をよく摂取するといいということらしい。この手の健康情報大杉の日本人にはそれほど驚くほどの内容でもないのだろうが、こうした面については、日本国内の日本脂質栄養学会の学者などからも同種の示唆が出されている。

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2005.03.08

ソニー経営陣刷新、ふーん

 ソニーの出井伸之会長兼CEO(最高経営責任者)と安藤国威社長が退任し、出井の代わりにハワード・ストリンガー副会長が、安藤の代わりに中鉢良治副社長が就任した。衆目の集まるニュースであった。が、私は、ふーんと思った。特段の感慨はない。むしろ、今朝の新聞社説を含め、このニュースを受けた国内の反応をネットなどで見て、違和感を感じた。
 出井たちの退任の理由は極めて簡単。業績が悪いから。他に何か? 今期もソニーの業績は下方修正となり、お得意の10%営業利益率も達成ができそうにない。株も下がる…困るよ、こんな経営、という以上に何か?
 何か言いたい人もいる。日本の新聞の社説とか。今朝の朝日新聞社説"ソニー――「理想工場」に戻れるか"(参照)。


 ソニーは03年に米国流の「委員会等設置会社」に移っている。商法の改正で導入された制度で、取締役の指名や監査といった事柄は委員会にゆだねられ、社外取締役が大きな発言力を持つ。

 毎日新聞社説"経営陣刷新 ソニーらしい進取性の復活を"(参照)も類似。

 また、ソニーは委員会等設置会社に移行し社長人事などを決める指名委員の過半数を社外取締役が占めている。このため今回の経営陣の刷新は社外取締役が主導したともとらえられている。

 それって、当たり前のコーポレート・ガバナンス(corporate governance)なんですけど。何か?
 今回の人事でCEOに外人が立ったことも話題になったようだが、出井が言ってたけど、ソニーという会社の社員の日本人の比率は三分の一くらいなのだから、外人がトップに立ってなにか不思議でもあるのか。
 国内での話題のもう一つの軸が、エレクトロニクスとか「物作り」とかなんだけど、はぁ?という感じ。先の朝日新聞社説の標題が"ソニー――「理想工場」に戻れるか"だったけど、朝日新聞って…(人権配慮的伏せ字)…なのか。

「真面目(まじめ)ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達(かったつ)ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」。59年前に書かれた設立趣意書だ。新経営陣が求められるのは、半世紀余にわたって培ったブランド力を支える物作りの伝統の復活だろう。

 ぶぶぶ、ぶぶ漬けいかがどすか? ぶぶ漬けを勧めないといけないのは毎日新聞社説も同じ。

 また、巨大なエンターテインメント部門を抱え情報商社的な役割を担っていることもマイナスに作用した面があるのではないだろうか。情報商社として著作権管理に厳密になり過ぎた結果、音楽のネット配信事業に出遅れアップルのiPod(アイポッド)の大ヒットを許してしまった。

 まいった。笑い飛ばすはずが頭痛がしてきそうだ。週刊新潮に連載の野口悠紀夫"21世紀のゴールドラッシュ(46)"のほうがなんぼかマシだと思うのだが。

 日本の企業の問題は、依然として「モノ作り」に執着していることだ。実際、日本でITというと、半導体生産やエレクトロニクス機器の生産などの、製造業を指すことが多い。
 いま求められているのは「ものの考え」を変えることだ。

 野口悠紀夫はネットでは批判者が多いみたいだが、このあたりは、当たりってことでいいんじゃないのか。と、もうちょっと言葉を足そうかと思ったけど、なんか無駄な気がしてきた。
 毎日新聞社説ではiPodのキーワードが出ているけど、社説書いた人、使ってる? 確かに音楽配信事業の側面の問題はあるけど、iTunesの開発とかも関係している。それと、iPodなんて、モノ自体の観点から見たら、たいしたことないんだよ。それがあの価値ではない。
 もちろん、ICF-SW7600GRを使っているややラジオマニアの私にしてみるとソニーさんにまともなラジオを作り続けてもらわなくちゃねとは思うけど、それだけがソニーへの期待ではない。
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RDR-HX70
 私事めくが、愛用してきたClip-onの再生の調子がいまいちなんでデフラグするかIDE HDDの交換でもするかと思ったけど、OS(てかファイルシステム)はわかんないし、IDE HDDの交換が簡単にはいきそうにない(ネジ大杉)。まいった。ソニーに連絡したら「最終的にHDD交換になると4万円ほどかかります」とのこと。IDE HDDが4万円のわけもなく人件費なのだろうが、いくら「もったいない主義」の私でもこりゃスゴ録を買うしかないと思って、RDR-HX70を買った。で、RDR-HX70だけど、性能はいいですよ。お薦めしますよ。でも、リモコン手にして泣いちゃいましたよ。ダサ過ぎ。筐体もダサイなぁ。操作インタフェースもClip-onより格段に退化してやんの。こんなの作ってちゃ、松下や東芝と横並びだよなというか、AppleだのSonyだのを買うのはあの美ですよ。操作のエレガンスと。福富太郎が必ずソニーの製品を買えといったアレがないんだよ。
 話を戻して。ソニーというのは、しかし、現実的に言って、そういうもの作りの企業というだけでもない。先日ラジオ深夜便でやっていたけど、スパイダーマンでソニーは800億円の売上げを上げていた(映画界ではトップ収益)。なるほど、ハロウィンでみんなスパイダーマンになっちゃうわけだ。
 ついでにその話にあったのだが、米国の映画産業というのの映画館での収益は全体の20%ほどらしい。じゃ、他はというと、DVDが40%、海外輸出で20%、残り20%がテレビ放映の権利とのこと。つまり、映画っていうのは、もう最初から、メディア製品なんだな。むしろ、映画館はそのプロモーション的な位置づけ。そして、今後はこの海外部分とDVDが増えていくわけで、ソニーもそのスジできちんと経営すれば成長が見込まれるわけだ。じゃ、そういう経営しましょう、と(PSPだって、そういうDVDみたいなメディアを売りまっせの流れにすればいいじゃん)。
 そーゆーことなんじゃないの。つまり、今回の退任劇って、ふーん、ってことでしょ。

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2005.03.07

人権擁護法案反対が一部で盛り上がるのだが…

 一部で話題の人権擁護法案(参照)だが、これが私にはあまりピンと来ない。以前見たNHKの鮨屋職人のドラマで、弟子が「人権が…」と言うと親方が「ジンケンだかスフだか知らねーが」と答えていた。スフって知っている? ま、そのくらい当方もずれまくっているわけだが、ちょっと書く。
 こういう問題は最初に白黒つけておくべきなので、そうするのだが、私はこの法案にはウィーク(weak)に反対。どっちかって言うなら、反対。反対理由に特に特徴的な意見はない。この法案だと、原則が違っているし、実際には一部の差別利権が跋扈することになるだけでしょと思うくらいだ。
 で、なぜ、強く反対しないかというほうの話をする。
 理由の一つは、右派と見られる私が実は現行憲法の改定反対論者である(修正項なら賛成)のと同じで、こうした問題に関して、現在世界における人類の最高の普遍的な倫理意識(つまりは西洋世界の価値観)というものが近代国家やその社会の法の原則であるべきだ、と考えるからだ。この文脈で言うなら、「パリ原則」(参照)に則った形で日本も法制化を急ぐべきだと考えている。もっとも、パリ原則だと哲学者が必要なのだが、日本に哲学者なんているのかとも思うが…中島義道なんかどう?
 と、この点に関しては、国連がいくら日本の敵国条項をほったらかしにしているからといって、日本まで国連規約人権委員会の勧告(参照参照)を六年間もほったらかしていたのはいかがかと思っている(外務省的には常任理事国ハードルなんだろうが)。
 国連規約人権委員会の日本への勧告のキモは、入国管理局や刑務所など国家による人権侵害が問題だった。が、今回の法案は、ジンケンだかスフだかというくらい、そこが、ずごく、ずれている。今回の法案では、人権委員会は法務省外局に置かれるというのだ。いつまでやってんだよ、笑っていいとも。
 ちょっと長くて英語だが勧告ではこのあたりが強調されている。


10. More particularly, the Committee is concerned that there is no independent authority to which complaints of ill-treatment by the police and immigration officials can be addressed for investigation and redress. The Committee recommends that such an independent body or authority be set up by the State party without delay.

 入管ってどないなってんねん、と。

22. The Committee is deeply concerned that the guarantees contained in articles 9, 10 and 14 are not fully complied with in pre-trial detention in that pre-trial detention may continue for as long as 23 days under police control and is not promptly and effectively brought under judicial control; the suspect is not entitled to bail during the 23-day period; there are no rules regulating the time and length of interrogation; there is no State-appointed counsel to advise and assist the suspect in custody; there are serious restrictions on access to defence counsel under article 39(3) of the Code of Criminal Procedure; and the interrogation does not take place in the presence of the counsel engaged by the suspect. The Committee strongly recommends that the pre-trial detention system in Japan should be reformed with immediate effect to bring it in conformity with articles 9, 10 and 14 of the Covenant.

 このあたりは沖縄の米軍問題とも関連している。米国から見ると、日本って人権が考慮されない野蛮な国に見えている。
 こうした本筋の話題が、昨今の人権擁護法案に見えてこないのが、なんとも。というか、こうした問題をさっさと解決するためにこそ人権擁護法案があるべきなのではないか。
 私の反対がウィークである、もう一つの理由は、これはごく私的な感覚的なものだ。ムサシコジロウ的な「やな感じぃ~」がするのだ。
 こういう社会を変える可能性のある問題は、旧派と新派の対立があるものだ。この問題で言えば、これまで人権問題をほったらかしにしておいたことによるメリットを享受する派とそうではない派と、コントラヴァーシャル(controversial)であるべきだ。が、そうした光景が見えない。あれ、この風景違うじゃん、という感じである。風呂屋の湯船の上に掲げてある富士山を仰いだ田子の浦の絵の中にちょっこしウィンドサーフが描かれているくらい奇妙な感じがする。
 2ちゃんをちょっと覗いてみた。あまりよく見ていないのだが、なんか、まるで、またまた電車男話なみに純情に(あるいはコピペ司令部に従ってか)、人権擁護法案はんた~い、ばかりである。いや、そうでもないか「専門学校通ってる人に人権はないよな?」(参照)のような深い話題もあるし(こーゆー実態のほうが実は洒落にならないんだろうなと思うが)。
 2ちゃんなんてまだまだ特殊な社会というなら、その外側の社会に賛成の声があるのかと思うと、あまり、見かけない。主要新聞社説では産経新聞以外、声を揃えて、賛成の反対はハンタイなのだ、である。朝日や毎日も含めてだよ。それが2ちゃんと調和しているわけだよ。そんなのありか? しかも産経は黙ってる。なんか深い事情でもあるのか。面妖な。
 例えば、2月13日の毎日新聞社説"人権擁護法案 メディア規制の狙い変わらぬ"(参照)では、「メディア規制を内包する法案提出には断固反対する。」の理由がこれだよ。

 なぜいま人権擁護法案なのか、というのがそもそもの疑問だ。マスコミ界では、NHK特集番組をめぐり朝日新聞とNHKが提訴をちらつかせながら互いに非難と抗議を繰り返している。
 この問題では、自民党の安倍晋三幹事長代理と中川昭一経済産業相も関係し、朝日新聞の取材と報道のあり方を批判している。そうした中での法案の再提出は、国民の目に政府・与党がマスコミ側の混乱に乗じて法案成立を狙っていると映る。

 え? そういう読みってありか? それで産経が黙り? 悪い冗談でしょ。
 それにしても、ブログや掲示板を含めてネット社会が潰れてしまうよ~、という危機感まである。
 私は、この手の危機感に、どうにも拭えない違和感がある。
 その違和感の核心は、私は思うのだが、悪法が成立したら、そんなもの、シカトしてやればいいじゃん、ということ。
 もちろん、それをするには、それ相応の覚悟がいるし、ヘタレの私なんぞはこのブログをさっさと閉鎖して、もしかしたらMLにするかもしれない。
 いずれにせよ、自分のヘタレ度と世間の空気を鑑みるとしても、悪法なんかつぶしてやる努力をする。それにタマを張っている人がいたらできる範囲の支援をする。それでいいじゃんと思うのだが、だめ? だめですか。そうですか。

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2005.03.06

「反国家分裂法案」を引っ込められなかった中国

 中国全国人民代表大会(全人代)が始まった。「全人代」というとなんだかいかにも中国という感じだが、英語ではcongressである。ちなみに「主席」はpresidentである。共和制の国という点では中国というのは米国と同じようなものかとふと思う。
 今回の全人代の話題は「反国家分裂法案」である。もちろん、中国内政的には経済が重要課題なのだろうが、国際的には、台湾への武力行使の法的根拠となる、人々の自治と平和と民主主義に畏怖を与える、この恐るべき悪法から目をそらすわけにいかない。
 中国だってそれがどんな意味を持つのかわからないほど馬鹿ではないし、米国なども明確に「ふざけんな」のメッセージを出していた。日本はヘタレである。せいぜい週刊文春に異例の陳水扁・呉淑珍のインタビューを載せて日本国民の台湾へのエールをそれとなく出すくらい。
 なのになぜこの糞法が出てきたのかというと、それが中国だし、中国人というものなのだ。歴史の面子に呪縛されて続けているのだ。中国四千年の歴史など噴飯ものの虚構に過ぎないのに、そうした言葉に呪縛され続ける国だ。そしていざとなれば、その言葉に殉じてしまうから手に負えない。ま、日本人だって奇妙な気概というか空気に推されれば国家愛に殉じてしまうものだし、大抵の国だの民族だの大まかに言えば同様。いずれにせよ重要なのは、中国というこの閉鎖された変な権力システムを外部は賢く制御しなければいけないのだが、その賢さだけではことがすまないよというのが英米的な発想なのだろう。結論めいたことを言うようだが、米国は、中国が米国に届く核搭載の原潜の保有を絶対に許さない、と決めている。とすれば、中国はあーだし、米国はこーだから、最悪のシナリオは避けられないし、日本もきちんと織り込まれてしまう。
 それにしても中国というのは愚かな国だなと、これは罵倒していうのではない。もっと国際的な空気を読めと言いたいだけだ。今朝の毎日新聞社説様ですら嘆いている(参照)。


平和な対話と交流を続けて、まず雰囲気を良くすることが重要だ。武器を突きつけて台湾の人心をつかめるはずはない。中国は台湾人の気持ちが眼中にない、としか思えない。

 そして、さらにこう言う。

台湾海峡の軍事バランスは着々と中国側に傾いている。台湾は08年にも中国が優勢に立つと見る。これに対して米国は日本円で2兆円に上る武器を台湾に供与する。台湾への武力威嚇は、軍備相互拡大のサイクルを加速させるだろう。中台双方にとって、平和的対話が最善にして唯一の道である。

 しかし、先に触れたようにそう行かないシナリオがあるわけだ。
 さて、一部中国政治家の日本代理店みたいな朝日新聞社説はなにを言っているのかというと、この問題をスルーで決め込むまでの厚顔でもなかった(参照)。

 今年の大会のもうひとつの焦点は「反国家分裂法」の採択だ。内容はまだ公表されていないが、台湾の独立は認めないという強い意思を示すための法律で、台湾を牽制(けんせい)する狙いである。
 だが、昨年末の台湾立法院選挙では急進的な独立志向にブレーキがかかり、今年の旧正月に中台双方からの直行便が飛んだばかりだ。中台対話の再開への道をふさぎかねない動きは心配だ。
 台湾問題は原則問題だということは分かる。だが、中国自身の多難な経済、社会を思えば、台湾海峡を緊張させることが利益となるはずはない。

 ちょっと読むと、中国に苦言を述べているように見える。違うのだ。これが実は中国の本音である。そのあたりは、VOA"Taiwan High on China Legislative Agenda "(参照)にあるKenneth Lieberthalの解説がわかりやすい。

Kenneth Lieberthal, a China scholar at the University of Michigan, says the anti-secession law reflects the concern of Chinese leaders. "They wanted to find something that made their threats to prevent Taiwan independence by force if necessary credible, without actually having to use force to demonstrate that," he said.

Mr. Lieberthal says Beijing decided to introduce the anti-secession law before Taiwan's legislative elections last December, which, as it turned out, gave the anti-independence camp more seats.

Mr. Lieberthal says Chinese leaders were pleased with the result, but thought it was too late to back off from the anti-secession law. "The Chinese are now saying this law will be very moderate in its language. But what's moderate in Beijing and what's considered moderate in Taiwan don't necessarily coincide, so they risk a substantial reaction that will raise tensions for some period of time."


 つまり、今回の反国家分裂法は昨年12月の台湾立法院選挙で民進党を恐れての対策だったのだが、これがハズレ。しかし、台湾が緩和したことを受け取るまでに結局時間が足りなかった。こんな馬鹿げた反国家分裂法を出せば逆に台湾を硬直化されることもわかっていたが、中国は小回りが効かなかったのである。
 それを念頭に朝日新聞の社説を読むとよくわかるのではないか。ついでだが、朝日新聞社説と人民網日本版"反国家分裂法制定は中華民族の根本利益に寄与"(参照)を比べて読むと笑える。

台湾島内には、この法律が両岸関係を損なうかもしれないと考える人がいる。この法律を見ずに両岸関係を損なうなどとどうして言えるのだろうか。何の根拠があるのか。逆に、この法律は両岸関係の発展を促し、両岸の平和統一を進め、国家主権と領土保全を守り、「台湾独立」分裂勢力による国家分裂に反対、抑制し、台湾海峡地域の平和と安定を守る法律である。中華民族の根本的利益にかなうものである。

 もってまわった中国的表現だが、これは武力行使はしねーです、ということだ。日本は米国に配慮してはいる。そのあたりを米国国務省側は受け止めているのか、れいの2プラス2をこっそり書き換えてやがる。共同"米「台湾懸念」を削除 中国に配慮、戦略目標で"(参照)を引用する。

日米両政府が2月19日の安全保障協議委員会(2プラス2)で合意した「共通戦略目標」で、台湾について当初案では「(日米)相互の安全保障上の懸念」と明記していたが、米国務省の強い意向で「懸念」の表現が削除されるなど大幅に書き換えられたことが5日、分かった。複数の米政府関係者が明らかにした。

 もちろん、国防総省はむっとしているようだ。ラムちゃんご機嫌ななめだっちゃ。
 それにしても今回の悪法を中国がきちんと引っ込めなかったことは将来に禍根を残す。というか、ただ小回りが効かなかったというより、江沢民派みたいな勢力がまだ強いのではないだろうか。時事のべた記事で、またですかそれの話だが"「抗日戦争」で民族精神育成を=中国"(参照)が、きもい。

4日の華僑向け通信社、中国新聞社電によると、中国教育省は小中学校の教育について、今年、「抗日戦争、反ファシスト戦争60周年」を迎えるのを機に、これらを重点に道徳教育を強化し、各地で「民族精神育成、発揚月間」の活動を進めるよう全国に指示した。

 勝手にしろである。所詮、中国内部の権力闘争なのだ。が、そうした文革みたいな変なヒステリーにあの国が陥ることがあることも歴史はあまりに淡々と教えてくれるのでぞっとするのだが。

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2005.03.05

ホリエモン・オペラ、間奏曲

 ホリエモン話の第三話。ってか、素人の私なんぞが口出しするこっちゃないが考えようによっては国民のお茶の間の話題なのでその分際くらいで枯れ木も山の賑わいもよかろうか。特にまとまった意見はない。ただ個人の勝手なブログなので勝手に賭けに出ると、裁判所沙汰について言えば、ホリエモンの勝ちでしょう。
 前回極東ブログ「負けたのか、ホリエモン」(参照)を書いた時点では、フジ主導と言っていいだろうが、ポイゾン・ピルもどきの新株予約権構想が繰り出されると私は思ってもいなかったので(ポイゾン・ピルというのは事前の意思表示)、ニッポン放送はホリエモンのものだろう、でも、本丸らしきフジは当面防御できたようなので、それだとホリエモンの「負け」っていうことかな、というくらいに考えていた。が、局面は変わったというか、より複雑になってきた。
 私の率直な印象は、フジテレビがなぜこんな策を繰り出してきたのか理解に苦しむというものだった。こんな手ありかよ? あまりこの問題のメディアでの反応を見ているわけではないが、そうした意見は、常に喧嘩両成敗的に緩和されるようだった。なんか、そーゆーことかぁ?
 ニューズウィーク日本語版(3・9)"フジ「毒薬」騒動の勘違い 敵対的な株買い占めや防衛策に驚く「M&A後進国」のお粗末"も、外人記者が書いた割に、どっちもどっち的なまとめになっているが、次の指摘は真っ当だろう。


 日本の一部のマスコミが「日本初のポイズンビル」と呼ぶニッポン放送び買収阻止策は、「フジテレビ以外のすべての株主を罰するものだ」と、スタンフォード大学法科大学院ロナルド・ギロソン教授(会社法)は言う。「どこからみても自己利益の追求で、日本の裁判所も認めないだろう」

 こうした問題で私はテクニカルな議論に立ち入るだけの知識はないのだが、大筋ではそういうものだと思う。であれば、裁判所の判断は案外単純に出るだろう。
 このあたりは国際的なビジネスセンスがどう捕らえるかかなとちょっとニュースを見ていると、朝日新聞"フジTOB トヨタ、応じぬ方針"(参照)が興味深い。

 フジテレビジョンとライブドアによるニッポン放送の株式取得合戦で、トヨタ自動車は4日、フジが7日を期限に実施している株式公開買い付け(TOB)に応じない方針を固めた。トヨタは、フジが提示している買い付け価格の5950円は市場価格(4日の終値は6500円)を下回っており、トヨタ株主への説明が難しいと判断した。また、市場での売却も「一方(ライブドア側)を利する」(首脳)として当面は見送る。


 フジの提示価格が市場価格より高ければ、TOBに応じても余計な観測を招きにくい。しかし、現状でTOBに応じればトヨタの株主利益に反する恐れが出てくる。事業展開、資金調達ともにグローバル化を進めるトヨタにとっては、透明性も確保した形だ。

 政治マターはやめてよねというところだろうか(電通はTOBに乗り気だよ、うひゃ)。そういう文脈で言うなら、外資も困ったなぁの顔色である。共同"過剰な外資規制に懸念 在日米商工会議所代表が"(参照)からも伺える。

 在日米国商工会議所のロバート・グロンディン代表は4日の記者会見で、ライブドアによるニッポン放送株取得に関連し「(外資が)お金を貸したから(放送局に対する)間接支配だというのはどう考えても過剰。ラジオ局やテレビ局の資金調達にも悪影響を及ぼしかねない」と述べ、外資による放送局への間接支配規制が行き過ぎた形になることへ懸念を示した。

 そういえば、これだけ日本が騒いでいるし、ホリエモンの外人向けの質疑もあったようなのでと海外のニュースを見ると…、粗方、スカポンです。海外では、それほど重要な問題でもないと見ているようだ。傑作はフィナンシャルタイムズ"Horimon plays his cards well"(参照)で、極東ブログなみのおちゃらけで飛ばしていた。

Horie's nickname, Horimon - after the cartoon monster, Pokemon - has become synonymous with brash and outrageous behaviour. An icon of youth, teenage girls are lining up to buy shares in his company. (Well, that's what he says at least.)

 「ホリエモン」って馬の名前の洒落かと思ったら、ポケモンですかぁ。そうですか。そういえば、ブログで「ホリエモン」とか書くなよみたいな意見もどっかで目にしたが、フィナンシャルタイムズがこれですよ。
 ガーディアン"Japanese whiz kid vows to win radio bid"(参照)も標題からすでに笑いを取っているし。ただ、この記事はなんか日本人が書いたのを訳したみたいな感じだな。
 れいの時間外取引云々についてはブルームバーグ"Japan Regulators Want Off-Floor Trading Law in Force by June 19 "(参照)から察せられるように外資的には終わったよ話でもある。
 さて、今後の展開だが。つまり、裁判ではホリエモンが勝つ、と、ニッポン放送はゲットする、と。で、フジの鉄壁の前で踵を返すかだが、毎日新聞"<堀江社長>総会で委任状含め過半数達成に自信 本紙と会見"(参照)でホリエモンが、また、また、面白いこと言っている。

ニッポン放送の株式を大量取得したライブドアの堀江貴文社長(32)が4日、毎日新聞のインタビューに応じた。フジテレビジョンとの同放送株争奪戦で議決権の過半数を獲得できなくても「6月の株主総会でプロキシファイト(委任状獲得合戦)になるだろう。自信がある」と述べ、経営権の獲得は可能だとの見通しを示した。

 面白いなぁ、ホリエモン。
 で、フジ側はどうするかというと、週刊文春(3・10)にも噂が飛んでいるように、「メディア初の共同持ち株式会社を作って上場し、他を未上場会社にする」という手に出てくるのだろうか。フジ側としては、なんか、すごい躍起なのだが、産経新聞をそのままオモテに立てないようにはするのだろう。
 いずれにせよ、前回このバトル、「穴熊」かぁ、と思ったが、こうして見るとなるほど長期戦になりそうだし、プロキシファイトみたいなものになれば、世間の空気の問題ということになるのだろう。
 というわけで、そろそろ各種の空気が絶妙に醸し出されている、っていう感じですかね。ただ、空気で経営はできないわけで、ホリエモン、どっかで豪快に滑るのだろうな。

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2005.03.04

鳴かぬなら泣かせてやろうカナダ人、詠み人ライス

 またちと旧聞にして話題はまたカナダ。カナダが米国の進めるミサイル防衛構想に不参加を表明したこととその余波について、日本も他人事ではないので触れておく。
 先月24日、カナダのマーティン首相は米国主導のミサイル防衛構想(MD)へ不参加を正式発表した。予想外のことではないし、私もカナダの立場を指示する立場にいたことは過去エントリ(参照)でも触れた。
 それから一週間が経ち、事態の推移を見ながら、ちょっと苦い思いがしてきた。率直に言うと、MDなど技術的に無理だし、だから無駄だという考えだったのだが、それにブレが出てつつある。科学的な評価にはブレはない。問題は政治・軍事としてこれを見た場合の問題だ。このブレは、環境問題への評価にも自分の心の中では似ている。そう自問したのは、恥ずかしい話、私がMDを批判できるのは日本国政府が米国主導のMD推進の立場を明確にしているからだと言える。それって、オレ様、すごい卑怯じゃん。
 28日にウォール・ストリート・ジャーナルにかなり強い論調のカナダ批判の社説が掲載されたらしいのだが、オンラインでは読めないようだ。どっかにコピペでもないかとネットをうろついて、米人からのヘタレ・カナダ人への罵倒をしこたま見た。真性ヘタレの私はノックアウトになりましたよ。そーゆーことだよな。ったく、米国人ってのはこれだものな。もちろん、米国人がそういう輩だけではないのはわかっているさ。
 マーティン首相の今回の発表はカナダの強い反MDの世論を反映したもので、「カナダ紙トロント・スター(十二日付)の世論調査によると、米主導のミサイル防衛への参加に「反対」は54%で、昨年十月から1ポイント上昇。賛成は34%で3ポイント低下」(参照)。他のソースでは、七割近くがこうした立場にあるとも聞いた。この時期には、内政的には、マーティンに選択などないというところだろう。
 米国もそのあたりは、イラク戦争にカナダが不参加の意を示した時のように、多少は意を汲んでやるのかとも思った。クリスチャン・サイエンス・モニター"Don't blame Canada for missile-defense snub"(参照)がこのあたりの機微をうまく代弁している、というか、これを読めば、あらかた事態がわかる。
 だが、ある意味、こっちのほうがウォール・ストリート・ジャーナルより右寄りかもしれない。っていうか、日本も、NO WAY OUT! ということだな。
 その後の米国のオフィシャルな対応は、私にはやや予想外だったかなという展開になりつつある。ライスが露骨にカナダに圧力をかけたからだ。日本の国内報道は少ないようだが、CNN日本版"国務長官、カナダ訪問を延期、ミサイル防衛対立で"(参照)が触れている。


 ロンドン――米政府高官は3月1日、ライス国務長官が4月半ばに予定していたカナダ訪問を延期した、と述べた。カナダが、米国のミサイル防衛構想への不参加を先月下旬、発表したことへの意趣返しの措置ともなっている。AP通信が報じた。
 カナダ訪問の日程は改めて詰めるとしているが、具体的な期日は未定。

 没交渉というわけでもないは、同日ブッシュが動くアナウンスをしているからだ(ってか、ライスって頭いい)。日経"米大統領、カナダ・メキシコ両首脳と同時会談へ"(参照)を引用する。

ブッシュ米大統領は今月下旬、マーティン・カナダ首相とフォックス・メキシコ大統領を同時に米国に招き、3カ国首脳会談を開く方向で調整に入った。マクレラン大統領報道官が1日、記者会見で明らかにした。会談場所はテキサス州クロフォードの私邸になるとみられる。

 この際、マクミラン報道官は、MD不参加問題について触れ、「カナダとは長年にわたり、国防の優先課題について協力的に取り組んできた。今後もそうした関係を期待している」と強調したとのこと。
 クリスチャン・サイエンス・モニターのコラムが指摘しているように、実際のところカナダには選択肢はないに等しい。カナダは、MDを含めたNORAD(ノーラッド:北米航空宇宙防衛司令部)の共同防衛協定に昨年8月合意している。
 話を日本にシフトすると、日本はちゃくちゃくと歩を進めている。昨日の読売"イージス艦レーダー、05年度から日米で共同研究"(参照)などでもわかる。

日米両政府は、ミサイル防衛(MD)システムの要となるイージス艦のレーダー能力向上のための日米共同技術研究を2005年度から開始する方針で大筋合意した。

 私の読みはハズシかもしれないが、日米間のMDの問題は実際は中国原潜の阻止なのだろうと思う。他人事で言えば、米国が中国の核下に置かれてもすでに置かれている日本としては、へってなものだが、そうなったときの中国様とのお付き合いは、ちょっとご免被りたい。ので、この部分のMDっていうのはしかたないか。ああ、ヘタレだな、俺。

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2005.03.03

オーストラリア・ハワード首相には三倍返しが適当かと

 すでに旧聞となるのだが、先月22日、オーストラリアのハワード首相の決断で、イラク南部サマワの日本陸上自衛隊を支援するためにオーストラリア軍450人が増派されることになった。これまで自衛隊を守っていたオランダ軍がこの3月に撤収するため、その穴を埋める形になる。
 気になっていた疑問が私には三つある。一つは、この問題が日本国内ではそれほどには話題となっていなかったことだ。もちろん、報道されていないわけではないのだが、報道はベタ記事並に薄く、また、自衛隊派遣の時のような反対運動もなかった。なぜなのだろう。まるで日本社会は関心をもってないかのような印象がある。
 もう一つは一点目の疑問にも関係するのだが、オーストラリア国民の七割の反対を押し切り、選挙公約を破棄しても断行した、今回のハワード首相の決断の前夜にはどれほどの危機が内在していたのか? 危機はなかったのか。
 三点目は、こういう言い方もいやらしいのだが、これによって得るハワード首相の見返りはなにか? それがないわけもない。
 順に論述といった手間もないので雑記になるのだが、まず、一点目の日本側の無関心だが、これがよくわからない。自衛隊派遣の時に騒いだ一派は沈黙しているに等しい。これによって自衛隊や豪軍に被害が出るという”好機”を待っているのだろうか、と考えるのも穿ちすぎだろう。一庶民の感覚としては、やはり他人事なのだろう。ちなみに、豪軍増派は五月。オランダ撤退は三月。四月は残酷極まる月だとならないといいのだが、そこに空隙はないのだろうか。オランダ軍の総勢は1350人。それがすべて自衛隊防御に当たっていたわけではないし、防御のインテリジェンスの部分は英国の機関が当たっていたふうでもある。今後は英軍が150人、豪軍が450人と総勢で600人。自衛隊の総勢に近いのだが、その配分と現地の意味合いがよくわからない。イラクの治安については、大筋では改善に向かっているし、この間でも、それほど南部に大きな変化はなかった。とはいえ、守っているのはイラクの治安ではなく、パイプラインなのだろうが。治安の変化より期待されるのは、実は、イラク治安機関要員で約5500人に登る。かなりの数だ。が、当然、そこにイラク風の政治が発生することになるのでそれが返って危険になる可能性のほうが強いのではないか。
 二点目の今回のハワード首相の決断の前夜の危機なのだが、この情報が今ひとつ錯綜している。NHKのオーストラリア支局だったかの話では、かなりの危機的な状況が伺われた。日本語で読めるニュースとしては22日の読売新聞系"豪軍が450人増派へ、サマワで英軍の一部と交代"(参照)がある。


ハワード首相によると、増派について数週間前からダウナー豪外相らが英政府と協議を続けてきた。また、18日に小泉首相がハワード首相に電話をかけた際、小泉首相から直接要請が行われた。21日にはブレア英首相からもハワード首相に電話があり、最終的に増派を決断したという。

 NHKの話でも同じような感じではあった。ちょっと歪めて言うのだが、必死だったのは、ブレだ。その背後で小泉がマッツ青だったかがよくわからない。この平成のスーダラ首相はメディアの見えないところで必死だったのか?違うんじゃないか。ブレアの必・死・だ・な、は、自国内での政争があるのだろう。ゴードン・ブラウンとの戦いか。ただ、それでも、ハワード首相が頷くあたりにはもっと深いコモン・ウエルスというか大英帝国があるのか…陰謀論ではないが、なんかもう一枚ありそうには思う。なんだろ。女王様が噛んでいるのか。いずれにせよ、ブッシュの影はそれほど濃くはなさそうだ。
 三点目のハワード首相の見返りだが…二点目の憶測にも関係するが、これが案外わからない。今週のニューズウィーク日本語版(3・9)に"自衛隊を守る豪州の打算 突然「警護役」を引き受けたハワード首相の思惑"という記事があり、英豪人のライターのものだが、これがなんかまじめくさったわりにぼわーんとした記事だ。案外この記事がほのめかすように、ハワード首相には世界の動向に対する豪州のあり方について強い長期ヴィジョンがあるのかもしれない。というか案外それが解の可能性はある。この人は案外、チャーチルみたいな(なわけもないが)英国の政治家の風でもあるのかもしれない。もうちょっと補足すると、北朝鮮と中国の問題に明確な意識をもっているのは、案外、ハワード首相だけということもありうる。
 日本国内的には、それって、FTAでしょ、キマリっしょ、という空気ではある。もちろん、豪側の読みを受けた形にはなっている。ベタ記事に近いが毎日新聞記事"豪野党党首:陸自の安全確保のためのイラク追加派遣を批判"(参照)を引く。

オーストラリア政府がイラク南部サマワで活動する陸上自衛隊の安全確保のため部隊のイラク追加派遣を決めたことについて、豪野党グリーンズのブラウン党首は23日、「イラク問題ではなく、日本との自由貿易協定(FTA)締結につなげるのが狙いだ」とハワード首相を批判した。

 常識的に考えてそれがないというのが無理でもある。ハワード首相は4月21日のオーストラリア・デーに合わせて愛知万博を見に来ましたってな感じでFTAのプッシュにやってくることになっている。タイミング的にはうまい。というか、日本側もお土産を用意しないといけない。おいくら?
 CNN日本語版の記事"豪、自衛隊支援にイラク・サマワへ兵450人増派"(参照)によるとこうだ。

 サマワに派遣する兵の規模は、軍幹部と協議の上で決めた。450人増派にかかる費用は年間2億5000万~3億5000万豪ドル(約210億~300億円)に上る見込み。

 もちろん、これで済む話でもないのだが、不謹慎なのでやめておく。日本としてはこの数倍返しをしないといけないので、日本政府側がなにどうするのかホワイト・デーのように今頃悩んでいるのはないか。
 ということで当方妙案があるのだが。米国との牛肉問題だが、なにが問題かって、最終的には米国牛肉を輸入するという落とし所がまずいのだ。ここは、ずどーんと、あと10年は米国牛肉は買わない。代わりに豪州牛肉を買うとすればいいのだ。そうすれば安心して豪州側も生産体制を整えることができる…と、これ洒落ですと書いておかないと誤解する人がいるかも。

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2005.03.02

エルンスト・ツンデルはカナダからドイツに”送還”

 非常にタッチーな問題なので書くに尻込みしそうだが、この問題に言及せずしてなんでブログをしている意味があるのだろうと思う。とはいえ一般的な話題でもないし、まして日本のブログに向いた話題でもない。
 話は、カナダ居住のホロコースト否定論者エルンスト・ツンデル(Ernst Zündel)が国外追放となり、ホロコースト否定を法で禁止するドイツに"送還"された、ということ。送還にクオート・アンクオート(参照)としたのは、適切な表現ではないかもという米人がよくやる含みだ。なお、その後、彼はドイツに到着し、逮捕された。
 私が最初このニュースを知ったのは昨日のサロン・コムのトップニュース欄だった。まだ追放前、そして逮捕前ではあった。とりあえず「はてなブックマーク」した(参照・会員制)。ニュースはAP系で"Canada set to deport Holocaust denier"というタイトルだった。同ニュースは他でも読める。


Feb. 28, 2005 | Toronto -- Canadian authorities prepared to deport Holocaust denier Ernst Zundel back to his native Germany, and authorities there said Monday he faces arrest on charges of inciting racial hatred on his return.

Zundel, author of "The Hitler We Loved and Why," has been held in a Toronto jail for two years while authorities determined whether he posed a security risk to Canadian society.

Federal Court Justice Pierre Blais ruled Friday that Zundel's activities were a threat to national security and "the international community of nations."

Zundel's attorney, Peter Lindsay, said his client would not appeal and was expected to be deported as early as Tuesday.


 ある意味でよくまとまっている。ある意味というのは、米人向けということだ。これをさらっと読めば、カナダに逃れていたヒットラー礼賛の危険な極右ドイツ人が本国に送還されるということになる。そう来たか。
 気になって、Googleを当たってみたのだが、米国での主要なニュースソースではあまり触れていない。ニューヨークタイムズやワシントンポストでも触れてないように見える。そう来たか。
 代わりに当事者であるカナダでは話題になっていることがGoogleからわかった。すると…と思って、カナダ在のSoredaさんのブログ"セカンド・カップ はてな店"(参照)を覗くと、予想したとおり、この話題に触れていた。言葉を借りるのだが、「ちょっとこう、なかなか言いづらい話ではあるのだが…」という感じに共感する。翌日のエントリ(参照)にも関連の有益なコメントがある。特に、ツンデルがドイツ系カナダ人ではないという点だ。
 さて、これはいったいどういう問題なのだろう? APのニュースを聞いて、「うんだ、うんだ、じゃ、ベコっ子の様子見てくべ」といった普通の米人の態度でいいのか。っていうか、そういう普通の米人はこのニュースさえ知らないかもしれない。ということは周辺的なことだ。まして日本での報道はゼロかもしれない。
 この問題の根幹は、あまりはっきり言うのも躊躇うものがあるが、私は「ツンデルは思想犯だ」ということだと思う。思想によって処罰をされるということが先進国であり得るという恐怖の事件だ、と。
 しかし、米国知識人や日本のいわゆるリベラルは、こう考えているのではないだろうか。つまり、「ツンデルの思想というのは、ヒットラー礼賛でホロコースト否定という思想である。いくら思想とはいえ、こうした思想とそれを広めようとする思想活動は犯罪である」と。
 そこまで”リベラル”ではないにせよ、10年前の、1995年1月のマルコポーロ廃刊事件を思い出すだろう(参照)。そして、「ああ、これはアレやコレと同じ、触らぬ神に祟りなし系だね、じゃ、健やかにスルーで決まり!」っていう結論に至る。私も、そうだ。断固してツンデルの主張の内容についてはスルーに決め込ませていただく。骨の髄までヘタレであるので、そこのところよろしく。
 というわけで、ホロコースト否定だの歴史修正主義といった話題には触れたくもない。というか、そこは豪快に括弧に入れさせていただく。
 問題は、繰り返すが、現代の先進諸国において思想犯罪なんてものがあっていいのか?ある種の思想というのは制限されるものなのか?ということだけである。
 私は、いかなる思想であれ、思想犯という考えは論外ではないかというふうに、か弱く思う。それって人権の基本ではないかと、か弱く思う。朝日新聞が今朝の社説で説くように「さまざまな分野での人権侵害を見すごさぬよう改めて心したい」(参照)という意見に、小さく賛同する。
 が、そうではないという視点もある。というか、ツンデル、英語読みではアーネスト・ズンデルだが、世界通信情報サミットとかいうサイトの「ネチズンの登場と新しい 民主主義社会―ネットワーク社会問題解決への世界協調」(参照)でこう触れられているのが参考になるかもしれない。話題は「ネットワークと人権」ということらしい。

 高木さんが差別問題に関する事例を挙げておられますが、その他の事例をということですので、以前の知識の蓄積で恐縮ですがふたつの事例をご紹介してみます。
ひとつはネット上のhate propagandaの問題です。欧米ではそこそこ有名な事例なのでご存じの方もおられるでしょうが、ドイツ系カナダ人のアーネスト・ズンデルという人がやっているhorocaust denialのホームページです。「ホロコーストは存在しなかった」という主張をネット上でも行っているのですが、カナダの刑法ではhate propagandaは刑事罰の対象であり、サイトを立ち上げることが禁じられたため、「表現の自由」が無制限のアメリカのサイトで「表現の自由」を行使しているのです。
 カナダは憲法で「表現の自由は法律の下に制限される」ことになっていますし、アメリカは憲法で「表現の自由は制限されない」ことになっていますので、両国の対応とも論理的には正しいものであると思われます。
 それでは日本はどうかというと、「ホロコーストはなかった」という論文を掲載しただけで雑誌が廃刊に追い込まれてしまう。表現の自由を擁護すべきマスコミやジャーナリストや知識人がこぞって自らの首を締めてしまうという状況は全く非論理的なんですよね。論理的ではないので、欧米人にはこのような日本の状況を説明するのは誠に困難です。論理的な説明を可能とする最も好ましい方法は、表現の自由の規制を法律で明確に定めることであろうかと考えます。
 逆に、表現の自由を無制限に認めるという立場に立つのであれば、例え見解に反対の場合であってもその見解を制限すべきではない。他の人権保護との競合があったとしても、その見解の発表の機会を制限をすることは許されないと考えなければならないでしょう。アメリカはこの点で徹底しています。徹底しているからこそ、反論のし甲斐があろうというものです :-)
 ちなみに、最近のカナダのシンクタンクの調査では、インターネット上のhate siteは既に千を超えている状況であるということですが、カナダのISPは自主規制しているので、ごく一部の州を除いてはhate siteは存在しない。ところがアメリカは無制限の表現の自由があるのでhate siteの巣窟になっている、というのが調査結果として報告されています。

 というように、ツンデルについては、10年ほど前、インターネットの規制ということで話題になった人でもあった。
 で、このコメントだが、大筋はこれでもいいのだが、実はある意味で重要な点で錯誤がある。「ドイツ系カナダ人のアーネスト・ズンデル」という読みは別として、Soredaさんがコーションを出していたように、彼はドイツ系カナダ人ではないのだ。しかも、このあたりがあまりも絶妙な味を醸し出していて絶句してしまうのだが、関連して、"セカンド・カップ はてな店"(参照)を引用したい。

 カナダ人だったら追放にはならんのですよ。40年ぐらいカナダにすんでるけど彼は市民権取得を拒否されていた、だからドイツ人ママ。でもって取得を拒否された後アメリカに行ったんだが、アメリカは彼をオーバーステイでカナダに戻しています。
 で、2年間の独房収監を経てこのたび原国籍であるドイツに追放deportした、と。

 Soredaさんがおっしゃるように、この事態、なんと言っていいのか言葉に窮するのだが、ツンデルは40年以上もカナダで暮らしていてカナダの市民権取得が拒否されていた。
 それがツンデルの思想活動の背景にあるのかわからないが、アメリカに一時移動しネットで活動するものの、米国は微罪で彼をカナダに放り出す。米国はこの問題に手を汚したくないという真性ヘタレという点で私のお仲間なのである。っていうか、大人って汚なすぎる、なにが人権だよ、国籍が先行してんじゃんと、言いたい気持ちをヘタレの私はぐっと抑える。洒落はさておき、つまり、ツンデル送還の問題には、この人権と国籍の問題も絡んでいるのだ。この件について、人権擁護派さんたちがなんていうのか聞いてみたいが、ヘタレか、あるいは、思想犯ってもありぃってことになるのだろうか。
 9.11で俄に日本で有名になったチョムスキー御大はそうではない。"Thoughts on Zundel"(参照)でBrian O'Connorはこう指摘する。

I can't help thinking about an incident in the early 1980s when Noam Chomsky defended holocaust denier Robert Faurisson's right to free speech and took much heat for it by folks who couldn't perceive the difference between defending someone's right to speak and defending the substance of what they say. After being attacked from all sides he wrote a brilliant response titled "His right to say it". Part of it I've included below.

Let's continue to fight to abolish this undemocratic security certificate but lets also acknowledge that its net is wide - and will certainly widen with time - and we mustn't pick and choose which of its victims to defend. They are all victims of the same injustice. They are all being denied the right to a fair trial, the right to be free of arbitrary detention, the right to see the evidence against them and to face their accusers in open court.

[BEGIN QUOTE] Faurisson's conclusions are diametrically opposed to views I hold and have frequently expressed in print (for example, in my book Peace in the Middle East?, where I describe the holocaust as "the most fantastic outburst of collective insanity in human history").

But it is elementary that freedom of expression (including academic freedom) is not to be restricted to views of which one approves, and that it is precisely in the case of views that are almost universally despised and condemned that this right must be most vigorously defended. It is easy enough to defend those who need no defense or to join in unanimous (and often justified) condemnation of a violation of civil rights by some official enemy.[...]

It seems to me something of a scandal that it is even necessary to debate these issues two centuries after Voltaire defended the right of free expression for views he detested. It is a poor service to the memory of the victims of the holocaust to adopt a central doctrine of their murderers. [END QUOTE]


 同サイトにはブッシュ叩きで有名なジョン・カミンスキ(John Kaminski)の言葉もある。

"Ernst Zundel is our barometer of freedom, and that forecast is dreadfully stormy as his hope for freedom wanes. Held for 18 months in solitary confinement in kangaroo-court Canada without charges and without the ability to defend himself, he faces imminent deportation to Germany where he will likely never leave prison again..."

 ツンデルというのは私たちの自由のバロメーターなのだと私も思う。
 先のBrian O'Connorも"If it can happen to him, it can happen to you. Or me.(こんなことが彼に起きるなら、同じことがあなたに起こりうる。もちろん私にも)"と言う。そうだよね。
 いかなる思想であれ、思想によって人が裁かれるっていうのは恐いことだ、おー恐い。
 今朝のロイター"Canada deports Holocaust denier to Germany"(参照)では、昨日のAPよりニュースに陰翳が出てきている。ここではツンデルにこう語らせている。

Zundel never backed down from his views and said it was libelous to brand him a hate-monger.

"I've made my contribution to this country. I've paid my taxes," he told reporters in 1998.

"How dare you tell me what I can say and I cannot say? ... Canada has become an absolutely Stalinist, repressive, censorship-happy society, if you are a dissident."


 この見解は私はまともだと思う。
 日本では、ツンデルについて、「ツンデルだって、穴熊? あれって、UFO論者のリアル・●チガイでしょ」といったふうに見る意見がある。例えば、"町山智浩アメリカ日記"の"「華氏911」でいちばん怖い場面"にこうコメントがある(参照)。長いが基本的なインフォも含まれているので引用したい。

# TomoMachi 『やっぱりカナダのズンデル! だと思った! このズンデルがどういう男なのか、今すぐ本屋に行ってと学会編「トンデモ本の世界」の第一集を読んでください。この本は私が編集した本ですが累計で30万部超えたベストセラーなので、ズンデルがどういうバカなのか少なくとも30万人は知っています。この本を読んだ後でもズンデルを信じ続けられますか? ちなみに落合信彦の本についての箇所です。ズンデルの爆笑事実が書いてありますよ。だってこいつ、北極には大きな穴があってそこから地球の内部に入れると信じていて、地球の内側にはナチの残党が住んでいて、UFOはそのナチの秘密兵器だと信じてるんだよ! しかも地球の中のナチ国に行く資金を集めようとカギ十字マークのフリスビーを通信販売してるんだ! だからちゃんとしたネオナチ(どんなだ)はズンデルだけはバカにしてます。こんなバカに味方されたくないって。そりゃそうだ。UFOやら地球空洞説信じてフリスビー売ってるひきこもりの中年ナチマニアじゃ、カッコいいナチのイメージが汚れちゃうもんね!』
# TomoMachi 『で、ズンデル以外に何かネタ元はないの?』
# avon 『私はツンデル個人がどういう人物かというのは知りません。ですのでその本はぜひ読んでみたいと思います。ご教示ありがとうございます。資料の例として挙げたのは比較的近年に行われた裁判で、ニュルンベルグ裁判よりはずっと公正な状況で行われたからです。仮にツンデル本人がバカチンだったとしても、最終的に無罪判決を勝ち取ったわけですから、ツンデルがバカ=ツンデル裁判も無意味・無価値とは言えないと思うのですが。』
# TomoMachi 『ズンデルは正しいから無罪になったのではなくその言論自体が社会的に無意味で無価値だとみなされたからです。ただの引きこもり実質無職負け犬中年の妄想だからね。落合の本でも有名になったからズンデルというのは読書家からも、それにナチマニアの間でも失笑ネタでしかないんだよ。ネオナチだってよほどのバカでない限りズンデルのこと言われると怒るよ。あんな負け犬引きこもり妄想オタク中年と一緒にするな!って。ていうか、はっきり言うけどドイツの歴史云々偉そうにいいながらズンデルの地球空洞説も落合信彦本も知らないなんてユダヤ人問題について偉そうに大人に対して反論する資格がケツの毛ほどもない。勉強して出直して来い! 特にナチ・マニアの人たちはそう言うと思うよ。もしかして中学生ですか? だったらしょうがないと思うけど。』
# avon 『学が無いのはその通りなので認めます。この件に関する町山さんのスタンスはわかりましたので、とりあえずはその本を探してみます。』
# TomoMachi 『ズンデルって本当にどこの町にも一人はいる電波系のオジサンにすぎないんだよ。いるでしょ、自分の家の周りに気が狂ったようなビラを貼ってるババアとか。そんな負け犬引きこもりの無意味で無価値で一銭の得にもならないことにこだわる前に、まず社会的に必要とされる一般常識から身につけて自分の生活を救ったほうがいいよ。ユダヤは殺されてないと主張しても別にいいけど、きっと誰にも相手にされないし、たぶん彼女もできないし(だってそんなこと主張してる奴ってキモくね?)、会社の上司からも嫌がられるし、友達もできないし、どんどん自分の一生を惨めにしていくだけだよ。ドイツの人がかわいそう? 君ドイツ語もできないしドイツ人の知り合いもいないから関係ないじゃん! そういう研究したいならしてもいいけど、まず高校行って就職するほうがいいんじゃないの? まずドイツ人より君が幸せになるために。』
# TomoMachi 『要するに一般に共有されてない知識にこだわると孤独になり、一般に共有された認識をまず身につけると社会的にも経済的にも向上するということ。それをやってからヘンなことにこだわればいいの。』

 まず誤解から自分の身を守る意識が先行するのがヘタレの悲しいサガだが、私はこの町山智浩氏の意見に反対ではない。批判もしてない。というか、「ズンデルって本当にどこの町にも一人はいる電波系のオジサンにすぎないんだよ。」で終わりとできるならそれでよかったとすら思っている。
 今回の事件は、別の言い方をすれば、「電波系のオジサン」を思想犯にしてしまったということだ。だから、そんなことがあっていいのか、という問題でもあるのだ。
 しかも、今回の事態はドイツ側の報道で私にはよくわかったのだが、カナダ政府のテロ対策の一環としての活動なのだ。すでに触れた話のカブリも多いが、Die Weltの翻訳を引用する(参照・オリジナル)。

That today 65jaehrige lived since 1958 in Canada and is particularly as a publisher of right-extremist writings admits become. Among other things he sent the appearing irregular "Germania circular away", which contains anti-Semitic theses. He had striven several times in vain for the naturalization in Canada. 2003 it had tried to receive the American nationality however from the US authorities to Canada had been pushed away. Since then it had been arrested on basis of a new Canadian anti-terror law in Toronto.

 つまり、カナダではテロとの戦いが思想犯の根拠になっているのだ。なんてことなんだろう。

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2005.03.01

~はチルダ、^はなんといいますか?

 以前、「はてな」(参照)の質問から、&の書き方の話をネタにしたことがあった(参照)。今回もそれの続編みたいなもの。「~はチルダと言うそうですが、^はなんといいますか?」(参照)を拝借。
 で、このネタ、それほどどってことでもないのでパスしようかとも思ったのだが、寄せられた回答にちょっと思うことがあるので書いてみたい。
 寄せられた回答やその後の追加の話題(参照)は、なんとなく、「アクサンシルコンフレクス」に落ち着きそうでもある。ま、それで間違いでもないのだが…しかし…と私などは思ったのだった。ちょっとキーボードを見て考えてもわかると思うけど、アクサンシルコンフレクスがあそこのキーにあるのは変…でしょって、私は日本語キーボードではないので、他のマシンを覗きに行くとさらにあれれ?ではある。
 もちろん、この手の話にズバリの回答というのはない。例えば、#とかもなんと読むかについていろいろ説がある。ま、この記号については、また「はてな」とかでネタに上がったら書くかもしれない。Perlのあれがなぜshebangと呼ぶかとかね。
 で、普通というか、伝統的には米国的には、^は、カレット(caret)と呼ぶ。ニンジンは(carrot)だね。なので、はてなの掲示板いわしにはこう書かれていた。


キャロットじゃなくとキャレットですね
人参じゃあしょうがないです。
うちの会社内にもキャロットと言う社員が大勢居ます。
いちいち訂正してられません。まったく。

 それが、米発音では同じなのです。辞書によっては違った発音記号を当てているのもあるけど(分けて発音する人もいるけど)、同じです、はい。というわけで、米語の発音という点でははたして訂正する意味があるかはよくわからない。余談だけど、現代日本人がニンジンと言って食っているあれはまさにキャロット。ニンジンっつうのはもっと細長くキャロットほど甘くはない。
 カレット(caret)とでニンジンは(carrot)は米発音で同じだけど、スペリングは違うように、同じ言葉というわけではない。キャロットみたいにとんがっているからカレットというわけではない。ただ、とんがっているからハット(hat)はそうらしい。
 似たような回答のこれも…。

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%AD%A5%E3%A5%ED%A5%C3%A5%C8&kind=jn...
国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
>頭にぴったりとつく、半球状の帽子。

キャロットって 帽子のことなんですね。

http://park.zero.ad.jp/~zbc91479/kiiboodo.html
白の辞書~キーボードの謎~



質問者のコメント
頭にぴったりとつく、半球状の帽子。

イスラム系などの祭司がかぶっている帽子でしょうか? 「^」全然半球状じゃないですね。


 それは、確かにキャロットだけど、フランス語のcalotte。というわけで、発音がまるで違う。そのRとLは、全然違う音なわけです、日本以外だと。
 じゃ、カレット(caret)って何か?だが、それはgoo辞書だとこう(参照)。

car・et
━━ n. 脱字記号, キャレット (∧).

 説明はこんだけ。
 なので、補足すると、これは、もともと、ラテン語の"careo"(欠損している)から来た言葉(careo, carere, carui, cariturus)。で、これは、脱字記号。なぜ、脱字記号?
 ラテン語で「欠損している」というのがこの記号に充てられたからだ。この記号は「ここに脱字がありますよ」という差し込み位置と差し込み文字を示すのに使う。これは、タイプライター時代、けっこう使ったものだった。
illust
 この「はてな」の質問と回答を見ながら、オリベッティのレッテラとか使っていた世代は私あたりが最後になるのだなぁという隔世の感も打たれた(いや、もう少し下の世代にもいるようだった)。DECのVT-100のキーボード(GにBELLってあるやつ)とか、101以前のIBMの大型のキーボードとか、AltキーはAPLのためにできたとか…自分が博物館入りのような錯覚に襲われる。
 そういうわけなので、「はてな」の掲示板にあるこれ(|)の話も、脱字記号という意味では同じなのだ。

Re:キャロットじゃなくとキャレットですね
キャレットって | となってるやつかと思ってた。

 回答には、JISではアクサンシルコンフレクスらしいともあった。ITU-Tの影響っぽいのか。あれの公式文書はフランス語だしな。とちょっと見たら、ISO-8859-1ではcaretだった。

10年ほど前
パソコン通信のBBSで話題になったことがありまして、JIS用語ではアクサンシルコンフレクスだ、という結論でした。FORTRANの教本にもそう書いてあり、パソコンのオマケの読み上げソフトもそう呼んでいました。今はきっと読み方が変わったんですね。

 というわけで、時代が変わり、^ってカレットといって脱字記号だよ、と言うのも正論ではなくなったわけだ。
 そういえばと思って、Wikipediaをひいてみた(参照)。"This is a disambiguation page "とはあるものの、ここでもCircumflexがメインになっている。時代だな、スヌーピーみたいにタイプライターを使うのは、ローバート・サミュエルソンくらいなものか。が、Wikipediaにはこうもあった。

in Windows API terminology, it means text insertion point indicator (whereas the word cursor is reserved for mouse pointer)

 というわけで、タイプライター時代の名残は、Windows APIに残っているということだろうか(って^の記号かどうだか)。

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