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2005.03.29

おそらく40歳くらいから始まる第二の人生

 職業とは何か、仕事とは何か。私はあまり関心に上らない。無業者(通称ニート)が増えているというが、施を受ける乞食(こつじき)こそ仏道でもあるし、いろんな生き様があってもいいのではないか。そんなことくらいしか思いつかない。それでも無意識にひっかかることはあるので、つらつらと考えてみて、いわゆるぶっちゃけ、なんで働くのかと言えば、ローンを返すことじゃないかと思い至った。
 実父に対する孝の薄い本なので好きじゃないし、しかも読んでもカネに縁ができそうでもないなと、引っ越しのおり捨ててしまったのだが、「金持ち父さん貧乏父さん」にも、たしかローンを背負ったら終わり(じゃなかったか、損だったか)みたいな話があった。働き始めた時点で35年といった住宅のローンを背負い込むと、まあ、35年は働かないといけないということになる。昭和32年生まれの私の世代だと男の場合、結婚年齢の平均は28歳くらいだったか。それで35年ローンを背負うと、終わるのは63歳。定年ちょっと前というあたりだ。
 と、現在こう書くとなんだか奇妙な感じがするのだが、当時はそういう世界が普通だったように思う。私はそうした世界の空気を吸いながら、まだまだドンパチ仕事をしていたつもりでも、反面、なんか世間から落ちこぼれてしまったなと思った。
 その後、日本の世間も変わり、都市部では30代前半の男性の半数くらいは未婚者のようだ。30代の女性もそうなりつつある。晩婚化、そしてそれゆえの少子化ということでもあるのだが、仮に35歳で結婚するとしたら、もう35年ローンは組めないんじゃないか。終わるのは70歳。70歳まで結果として働くことになっても、ローンの計画は難しいのではないだろうか。もちろん、35歳で結婚ということならある程度資産形成もできているので、頭金を増やして、20年ローンとかもありだろう。このあたりの現実の統計を知りたいのだが、そうなっているのだろうか? 印象としてはなってないような気がする。
 たぶん、結婚してローンを背負ったから、それゆえに働く、というのは少数とまではいえないけど、すでに普通ということはなくなったのだろうと思う。ローンがなければ、長期的に働くということの実際的な意味はない。もちろん、どっかに住まないといけないので、賃貸は発生するだろうが、いずれ短期的な計画だけとなる。
 それどころか、いわゆるパラサイトは、親の家をその老後の面倒と合わせて受け継ぐのだから、ローンどころか賃貸の見通しも不要ということになるだろう。そうした人口がけして少なくない。一つのモデルとしては長命化する老人介護につきあって気が付くと人生40歳、50歳ということにもなるのだろう。そう書いてみて、なんか不思議な世界になったなと思う。
 いい悪いではないし、統計を扱っていないので杜撰な議論だが、それでもそうした光景は現状から未来をそう外してるものでもないだろう。
 ローンも、そして賃貸すらない。となると、糊口がしのげるなら、仕事の経済的な意味は薄くなる。そこで、じゃ、適当に暮らすかというのと、自己実現を仕事に賭けるかというのの択一となるのだろうが、後者であっても、大半は40歳、50歳とういうところで人生は失敗するのだろう。なにも悲観的なことが言いたいわけでもない。
 話がずっこるが、目下話題のホリエモンだが、私の記憶だが、彼はこうしたビジネスを40歳くらいまでやるきはないみたいに言っていた。彼をメディアで通してみていると、毀誉褒貶という意味でもないのだが、彼にとって仕事とは40歳くらいっていうものなのだろう。彼はそういう人間の一つの象徴でもあるのだろう。
 で、人は、日本人は、そうして40歳から50歳となってどう生きていくのだろう。現在のその世代の人々の生き様はある意味では参考になるだろうし、ある意味では参考にもならない。全共闘世代の実際の全共闘の経験者の比率は少なく、この私より10歳も上の世代の大半はまだ古い枠組みの世界に生きている。たぶん、ローンも10年残っているのじゃないか。

cover
明日を支配するもの
21世紀のマネジメント革命
 そういえばと思って書架のドラッカーの「明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命」をめくる。彼は「自らをマネジメントする」という章で、知識労働者の生き方・働き方について5つの項目を掲げて説明するのだが、その最後の項目が「(5)第二の人生はなにか」とある。
 日本で普通、第二の人生というと、定年退職後を指すだろうし、ドラッカーもそうした文脈を大きく外しているものでもないのだが、自分の問題意識を変えて読み直すと、随分印象が変わる。

 今日、中年の危機がよく話題になる。四五歳ともなれば、全盛期に達したことを知る。同じ種類のことを二〇年も続けていれば、仕事はお手のものである。学ぶべきことは残っていない。仕事に心躍ることはほとんどない。

 こうした意見に反論もあるだろう。何歳でも学ぶことあるとか、IT化がさらに進めば全盛期は三五歳くらいでしょとか。しかし、自分の経験からしても、たいていの人は、四五歳ともなれば、仕事に心躍ることはほとんどないと言えるように思う。もちろん、そうでない人もいるだろうが、たぶん、大半の人は内心、自分はそれほど成功者ではないと思っている。
 ドラッカーはまさにそこをきちんと突く。

 知識社会では、成功が当然のこととされる。だが、全員が成功するなどということはありえない。ほとんどの人間とっては、失敗しないことがせいぜいである。成功するもがいれば、失敗する者もいる。

 ドラッカーはそこで成功の次元を変えるという話を進めるのだが、私はここでドラッカーがポイントとしているのは、別の形態の成功ではなく、絆(きずな)ということだと理解している。彼は日本にその期待を抱くという文脈でこう語る。

いかなる国といえども、社会が真に機能するには、絆が不可欠だからである。

 そして、こうした第二の人生というのは、助走が必要だと彼は説く。

 しかし、第二の人生をもつには、一つだけ条件がある。本格的に踏み切るにははるか前から、助走していなければならない。


 労働寿命の伸長が明らかになった三〇年前、私を含め多くの人たちが、ますます多くの定年退職者が、非営利組織でボランティアとして働くようになると予測した。だが、そうはならなかった。四〇歳、あるいはそれ以前にボランティアの経験をしたことがない人が、六〇歳になってボランティアになることは難しかった。

 そうした助走は、四〇歳くらいから始まるのだろうと思う。

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「社会」カテゴリの記事

コメント

フーコーはニートやパラサイトの存在をどう思ったでしょうね。

投稿: (anonymous) | 2005.03.29 15:07

こんにちは。
本旨と違いますが、ローンについてです。詳細な統計など知らないのですが、物価上昇が激しかった時代は、借りた時点(購入した時点)と返済が進んだ時点では状況が変わっていたと思います。物価上昇とともに収入も大きく伸びたので、貯金も貯まり、途中で繰り上げ返済が可能でした。退職金で残債を完済するというのも可能でした。また、退職金と貯金で、退職後に家を買うというのも一つの人生パターンだったように思います。

投稿: 偏屈物 | 2005.03.29 16:30

まあローンを組んでマンションとか買うのは負け組みということですかね。ニートはどうなんだろう。一生懸命職探しをしたあげく精神的にまいっちゃった人はたくさん見てきているのだが。
そうゆう人に向かってニートうんぬん言うのは
酷すぎると思う。

投稿: にーと | 2005.03.29 18:41

はじめまして。いつも更新を楽しみにしております。

今回のネタで働くことと住宅ローンについて書かれているようなので最近の住宅購入事情について少々意見を。

確かに、ローンを払う為に働くというのは結果論的にはあると思います。しかし、大多数の住宅購入者はもともと土地を持たず、しからば生きる為に延々と賃貸住宅などで家賃を払い続けざるを得ません。すると、毎月の家賃の支払いというものに疑問符が沸き「毎月これだけ払うのであればローンでも同じやないか?」という思考経過を辿り、家族構成の変化とともに家賃上昇(部屋数や広さの増大)を目の前にし、一定額を過ぎると家を購入したほうが安いということに気付くのであります。
だったらいつかは自己所有でき、その際は余計な出費が無くなる(固定資産税等は払い続けますが)ほうが良いという結論に至るのが普通ではないでしょうか。
ブルジョアジーとは意味が違うのでしょうが、所詮は土地無しの人は生活の場を確保するのにそうせざるを得ないのです。その選択肢にマンションというものも含まれます。
幸い土地のある人(地主の子息だったり、親の家で同居したり)は家賃とローンの損益分岐点というのを考えずに「家建てたいな」という類の欲求とか「もうボロくて限界だ」という必要性でその行為に至るのでしょうが、貸借人である限りそこから逃れられないのです。
そこで、結果的に「ローンを払う為に働く」というところに辿りつくのでありますが、では住宅購入という行為をしなかったらどうなのか?と考えると、結局土地のない人は「家賃」という名の終わりのないローンのようなものを収入があろうと無かろうと払い続けざるを得ないのですね。
日本の国民生存システムは良否は別としてそうなっているのであります。
住宅ローンを組むという行為は土地有りの人、人生を投げた人、一生の生活収入を担保された人を除くと必然なんですね。

そんなことはわかってるよみたいな各論的意見で申し訳ない。

投稿: 場末の住宅設計屋 | 2005.03.29 20:32

まぁ、そういう賃貸のようなものも含めて、ちょっと広義の意味で、重荷とでもいうようなニュアンスで使われたのだと思いますけどね。
ただ重荷という観点からすると、それを敢えて背負わず、例えば近年の欧州で問題になってるように、福祉に寄りかかるような人間が増えるとか、そんな具合にもなるでしょう。国や子供を当てにしないという人ほどずっと先には当てにしたりもします。
そしてどう生きるかという話になると、とりあえず生きるので必死というのが世間の実情であるような気がしなくもなく、それが後から見て助走となったかどうかが分かるだけの話かとも思う。

投稿: カワセミ | 2005.03.29 20:51

いや、すいません。私もこのエントリーの総論としてはそういう意味で受け取っております。まったく同じです。
ただローンの目的・事情として微細な各論としてそれを生業にしている者としてつい言いたくなってしまいました。

投稿: 場末の住宅設計屋 | 2005.03.29 21:16

はじめまして。いつも楽しく読ませていただいています。
本エントリー、大変興味深く読ませていただきました。僕は30代前半で、一応社会人1年生のときに立てた目標はクリアし、ある程度成功している範疇に入っていて、でも「このままこれやってていいの?」と、漠然とした不安を持っています。
30を過ぎた辺りから、この不安は加速度的に大きくなっているという気がしています。いったいどうしたらこんな自分に折り合いが付けられるのか、または自分を満足させられるのか。あんまり深く考えなくていいことなのかもしれないですが、つい、ふとした拍子に思ってしまいます。
finalventさんのエントリは、全体として、なんとなく、そんな僕にヒントをくれているような気がして、全くもってfinalventさんの意図とは外れているでしょうが、勇気付けられます。

投稿: 小鳥 | 2005.03.29 23:07

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