建国記念の日というのは春節、つまり旧正月なのだ
建国記念の日は、辞書(大辞林)とかを見ると、「建国をしのび、国を愛する心を養うという趣旨で、一九六六年(昭和四一)制定、翌年公布。旧制の紀元節に当たる」とある。日本は独立戦争とかの歴史経験はないので、建国といってもあまりピンと来ない。
この祝日ができた1966年というと、私は小学校二年生だが、この日についてあまり記憶がない。なんで「建国」とかは疑問に思ったかすかな記憶があるくらいだ。ちょっと計算してみると、当日は金曜日。当時の土曜日は学校は半日だし、職場も休日というのは少なかった。なので連休にはならかったはずだ。この同じ年、体育の日も制定されたのだが、そちらは担任の先生の結婚式の日だったので覚えている。いずれにせよ、あの60年代のころ、欧米の労働日数に日本も伍するべく休日を増やしたのだろう。というのも、日本人なんか個々に休みなんか取れるわけもないので(現在ですら)、その後も国民の休日がどんどん増えていった。こんなに国民の祝日のある先進国は珍しいのではないか、というか、なんでこんなに目出度い国なのかと思われているのではないか。
日本の戦後の祝日は基本的に明治国家行事みたいのがベースになっている。なかでも傑作なのが七月二十日の海の日で、これは「海の恩恵に感謝し海洋国日本の繁栄を願う日として1995年に制定され、96年から施行」(広辞苑)とあるが、もとは昭和十六年の次官会議において「海の記念日」として制定されたもの。で、この日は、明治天皇が明治九年東北巡幸の際、灯台視察船明治丸で横浜に帰着したことに由来する。なんだかなである。
同じようなからくりで建国記念の日の正体は紀元節である。紀元節は、手元のマイペディアをひくと、旧四大節の一つとされ、建国祭とも言われるとある。やっぱし、祭だ、わっしょい。
この紀元節の起源だが、辞書などを見ると、明治五年太政官布告で一月二十九日を神武天皇即位の祝日と定め、翌年これを紀元節と命名したということになっている。が、ちょーっと待ったぁ、一月二十九日? そう、間違いない(古い)。
なにがどうなっているのか? 入力側は一月二十九日で、出力側は二月十一日。いったいどんなメソッドが利用されているのか。そもそもクラスはなんだ? これが実にやっかいな話がある。しかし、ひとまず、初回の紀元節の話に戻ろう。
明治政府は、紀元節を布告した同年に旧暦から新暦に改暦をやった。この改暦の切り替えは、明治五年十二月二日、と、ここまで旧暦で、そして、その翌日を新暦で明治六年一月一日とした。政府はこれを見越して、紀元節を新暦で一月二十九日とした。
しかし、その時点で改暦をしなければ、この新暦一月二十九日は、あっぱれ、春節、狂喜発財、新年好、爆竹BANGBANG、つまり、由緒正しい旧暦の元旦なのである。もともと、紀元節は正月(旧暦)を祝うものなのだ。
紀元節とは、正月(旧正月)なのである。正月はめでたいよね、ということなのだ。
しかも新暦の布告は、その前年明治五年の十一月九日。当時は放送メディアなんかないから、全国にこの布告が行き渡ったのは正月(旧正月)が終わったあと。初回の紀元節というのは、大半の日本国民にとって、まったくもって、ただの正月だったのである。新暦みてーな西洋暦(グレゴリウス暦)でアジア人は生活することはできない。
そもそも紀元節というのは、名前を見てもわかるように、「紀元」なわけで、暦法の起点という意味だ。そこが原点になっているのだから、元旦で当然。
この祝日の元になった日本書紀ですら、ちゃーんと「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮」と書いている。
じゃなぜ、現在の二月十一日にずれたのか。本来なら、春節(旧正月)なのだから、今年で言えば、二月九日が正しい。なのに三日ずれた。もちろん、ずれる理由は簡単で、現在の建国記念の日(紀元節)が新暦で固定したからである。しかたない近似値というやつか、なのだが、これにはもうちょっと歴史的なわけがある。
初回の紀元節がすっかりただの旧正月という事態になって、西洋近代化を推進する明治政府が慌てた。愚民ども、正月じゃねーんだよ、神聖なる帝国建国の日なんだぁぁ!というわけである。
それで翌年あたりの旧正月(元旦)にでもフィックスするのかと思いきや、このあたり、明治という時代がいかにも日本の歴史からはずれたすっとんきょうパラノイアみたいな時代だなと私などは思うのだが、初代天皇が祝ったとされる数千年前の、旧暦の正月元旦のその日を歴史的に実在の日と仮定して、そしてグレゴリウス暦に換算するということをやってのけた。Wikipediaによれば、こうだ(参照)。
この国民の反応を見て、これでは国民が新暦を使わなくなると危機感を持った政府は、神武天皇即位の日を新暦(グレゴリオ暦・陽暦)に換算して、紀元節を新暦の特定の日付に固定しようと考えた。水戸家の『大日本史』編集員であった藤田一正が、推古天皇以前の時代の日付について元嘉暦がずっと過去にも行われていたと仮定して逆算し、2月11日という日付を算出した。翌年からは2月11日に実施されることとなった。
水戸家の大日本史だよ。これって、マジで亡命中国人を師と仰いだ水戸黄門様が始めた日本の歴史書事業であり、その帰結がグレゴリオ聖歌だよ、ららら♪、違う、グレゴリウス暦だ。そんなわけで、いずれにせよ、数千年昔にファンタジー・ノベルみたいにトレースバックしても、所詮は元嘉暦も旧暦の一つなので、現在の旧暦に近い時期にやってくる。
明治時代が考えた日本の紀元なんてそんなものなのである。実は明治時代に再構成された日本の天皇制なんていうものも似たようなものなのだが。
しかも、この話にはまだおまけがあるのだが、来年まだこのブログをやっていて、そのネタを思い出したら書くことにしたい。
いずれにせよ、現代日本は、休日もひょこひょこフロートさせるのだし、特に建国記念の日の日付については法的根拠もない(政令による)なので、今後は、建国記念の日も、正しく、春節に合わせればいいのではないかと思う。いや、マジで。建国記念なんてそんなもの。いやいや、そんなふうにめでたいものだ。爆竹BANGBANGBANG
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コメント
単純に「民族神話としての日本神話に出てくる初代天皇の践祚の日」として、休日を楽しめば、いいじゃんか。屁理屈つけて、中国暦にリンクする理由はなんだろうか?
投稿: 罵愚 | 2005.02.12 10:17
何だあそうだったんですか。日本もアジアの国々のように、旧正月は休みにすればいいのにな~と思っているので、建国記念だのなんだのいわずに、素直に初春、新春を祝えばいいのですね。良かった~(と、一人で納得安心している)。
投稿: donald | 2005.02.12 11:07
は~。そうだったんですかぁ。
私も、中華圏のようにお休みが長い方がいいなと思います。
ところで、
> 来年まだこのブログをやっていて、そのネタを思い出したら書くことにしたい
って、このブログをやめる計画があるのですか?楽しく読ませていただいているので、やめないでほしいのですが。。
投稿: むぎ | 2005.02.12 12:14
2月11日を求めるための具体的な計算が↓に。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-4-2.htm
正確に計算しないと、昔の人が苦労して1260年に一度の縁起のいい年に神武天皇が即位したことにしたのがずれてしまいます(笑)
投稿: /anon | 2005.02.12 14:38
ちなみに春節を祝い中の台湾の建国記念日は新暦の1月1日で、祝日になってます。
投稿: (anonymous) | 2005.02.13 06:48