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2005.02.05

「パソコン情報教育」でいろいろ思った

 パソコンとか情報とかの雑談。話は未整理。ま、よろしければ以下。
 先日の一太郎騒ぎでIT Proというサイトを覗いたのだが、同サイトに"アラン・ケイ氏に聞く「コンピュータで子供に何を教えるか?」"(参照)という記事をなんとなく見つけて、一読。ふーんと思った。ケイの言うことはこの20年来毎度毎度の金太郎飴なのでどってことはないと言えばどってことはない。ちょっと心に引っかかったのは、「パソコン操作は技術ではない」というくだりだ。これを受けて記者はこう書いているところだ。


 一方,日本で「コンピュータを使って子供に何を教えるか」と考えると,なぜかパソコンそのものを指導する方向へ走り出してしまう。このため学校にパソコンを配ったものの,先生がいない,といった事態に陥る。ちなみに我が国では従来の「技術」の時間を割いてパソコン作法を教えようとしている。ワード・プロセサや表計算,インターネット検索のやり方を修得することは「技術」の勉強とは言えない。強いて言えば国語であろうか。

 最後の「強いて言えば国語であろうか」はケイの発言ではなく、記者の発言だろう。間違いとも思わないが、例えば、これらからの世代の人は、何を発言するにもGoogleを引かなくてはならなくなるだろうが(Googleでなくても相応のもの)、国語ではないような気はする。公開の発話と情報の関連とでもいうのだろうか。こうした言語活動と情報探索・組織化の基礎技能は必要にはなるだろう。
 余談めくが、先日、ある集会の事務局の電話番号をGoogleで検索したら、え?と思うような別の団体の電話番号だったことがわかって、Googleの世界ってなんだろと思った。その情報が最初にわかっていたら、例の問題の構図ってすっきりしすぎじゃないか、と。
 現代における情報というものの扱い方、もっと端的に言えば、Google的な情報とそうでない情報をどう切り分け、言葉の活動(思想とか、ま、ブログなんかも)に統合していくのか、というあたりの教育は必要な気がする。そのあたりで、ケイとかの発想はもう古いのじゃないだろうか。
 雑想が続くのだが、パソコンの操作と言えば、かつては、DOSコマンドみたいなものの操作だった。思い出すに、Windows3.1が出たころだったか、いやWindows95かな(もう10年経つのか)、人に「もうDOSの世界は不要ですよね」と問われたことがあった。「いやぁ、どうでしょうね」と当時答えたが、さて今なんと答えたものか。不要といえば不要だけど、ここまでDOSが生きるとは思ってなかった。ネットワーク管理なんかはコマンドがメインだし、Windowsについては、WMI(参照)という仕組みがあるのだが、利用されているのか?
 昔のことを思出すと知らず最近は足をすくわれて考え込むことが多い(歳だな)。DOS以前は、BASICの時代だった。あの時代のBASICは事実上DOSを内包していたのだが…という話はさすがにかったるいのでパスだが、数年前、中学校のパソコン教育を覗く機会があって、まだBASICを教えているのにのけぞった。コ、コ、コンピューター教育ってやつですか、これ。
 BASICが悪いわけでもない。以前の知り合いにかなり高度な独創的な画像処理手順を書くやつがいたが、言語何?ときいたらBASICなんで、なぜ?とさらに訊くと、BASICだっていいじゃないとだけ言うのだ。言語に関心ない。アルゴリズムが書ければいい。ま、そりゃそうだ。PASCALあたりなら一番きれいだろうが、本質的な問題ではない。
 ということで、プログラム教育はアルゴリズムの教育かというと、いつのまにかOOP(参照)の時代である。っていうか、OOPがあたりまえの時代でプログラムを始める人が多い。私なんかには、ちょっとわかんないなという感じはする。
 OOP、つまり、オブエジェクト(参照)なわけだが、データ処理の分野だと、いつのまにかこれも現代では、もうすっかりXML(参照)なのですね。
 ブラウザーもかつてはroff(参照)みたいにタグを処理しているだけのものかと思ったけど、内部の処理はすっかりXMLの処理をしているわけで、ちゃーんとDOM(参照)ができている。
 HTMLのブラウザー表示というのはいかにも文書みたいに見えるけど、そのルック・アンド・フィール(参照)というかは一つの結果に過ぎない。しかし、それだけが唯一のものではない。どうなりうるかはわからない。が、セマンティックWebなんて流行しそうにないから、ネットの世界は、HTML+CSSでレイアウトした情報にマルチメディアがある…くらいなことで定着しそうだし、そうなることで広告業界も落ち着くのだろう。
 が、考えてみると、それは一つの形態に過ぎないわけだから、ざっくらばんな話、このブログだってもっと別の表示ができるようにセマンティック(意味論的)に考えなおしてもいいのだろう。だけどWebの世界では、ID・クラス付けというのが、すっかりCSSに従属したようになっていて、HTMLが論理構造で見栄えがCSSってことになりつつあるようだ。考えすぎか? そりゃ違いまっせ、と思うのだが。
 ID・クラス付けというのはHTMLのレベル低過ぎっていうか、こうなることを想定していない規格なので、必要になった論理的なものだ。もちろん、現状のCSSを意識したID・クラス付けは、それはそれでもいいのだけど、この上位にもっとセマンティックな規制をかけてもいい。そうしないと、「日本語における段落の形式化は、/^\s.+。$/」みたいになってしまう、って、わかりもしない洒落を書くなだが、全然形式化に意味がない。
 ID・クラス付けはあくまで論理に従属する、とまでは言えないによ、現状のWebにはどうもギャップがある。と、考えていくと、確かにセマンティックWebというのもありかもしれない。が、さて、OWLとかウェブ・オントロジーとかだと、ちょっと、うーむ、それは違う(参照)。竹田青嗣的に言えば、さしあたって、idとclassの業界規格というか、ブログの規格を作ればいいのではないか。って、それがRSSでしょと言われると、そうなのかぁ?
 繰り返すけどいずれにせよ、ドキュメントがオブジェクトとして意味構造化されると、そうなるとやっぱし広告は入らない。入るとするとAdSenseのように意味的な関連づけになる。というか、広告というのはそういうオントロジーの領域に移行するのだろう。アフィリエイト技術やその努力もそう無駄なものでもない鴨ちゃん。
 だらだらとこの手の話にずっこけってしまったがのだが、ブラウザーとHTMLとDOMということでは、最近、あれま?と思ったことがある。FireFoxを使っていたときのことだ。
 SP2になってから、Internet Explorerに奇妙なセキュリティをかましているせいか使いづらいこともある。ので、FireFoxも使う。これ、いいですね。けっこう使える。使っていて、ちょっとイタズラ半分でdocument.allのコレクションをダンプさせたら、出た!
 そんなの誰でも知ってるわいかもしれないけど、FireFoxの文書モデルって、document.allなのだった。っていうか、マジかよとひっくり返った。もちろん、Internet Explorerですら、document.allは進化の残存なのだが。
 FireFoxにdocument.allのモデルがおまけで付いているのか、互換性のためなのかわからない。後者なんだろうけど、考えてみるとdocument.allってそんなに悪いもんじゃないなと…。そんなのなくてもW3C DOMのAPIで充分でしょとお叱りを受けそうだが、document.allのコレクションってあると便利なものです…と実例を示すのもなんだが。
 それにしても、FireFoxってW3Cのサヨク的な思想(もちろん冗談ですよ)のインカーネーションかと思ったら、違うみたいだ。すごいプラクティカルにできている(Operaみたいにプラクティカリティを誤解していない)。どのレベルでこの仕様が決定されたのか関心あるのだが、もしプログラマー(参照)のレベルだったら、これはかなりすごいやつだ。
 話題が偏ってきたので、フツーに近い話にトレースバックすると、現代のパソコンってGUI(参照)になっために、文書処理とかプログラム処理がすごい難しくなった。MacのHyperCard(参照)みたいのがあればいいのだけど、AppleScript(参照)もちょっと使いづらい。
 その点、私の頭が古いのか、文書処理的な作業だと、パイプとかリダイレクトとか、UNIX的な仕組みのほうが使いやすい。ま、DOSのコマンドだ。sed、awkとか、正規表現的なもの。もちろん、perlもだし、rubyもだけど、ちょっとこうしたツールは独立性が高すぎて使いづらい。
 で、先の話に戻るのだが、すでに現代は、そうしたプレーンなテキストを処理するという時代ではなくて、HTMLがいい例だけど、すでに情報はXML化している。そして、それはオブジェクトでもある。ということは、DOMとして見える。DOMのAPI(参照)で扱うことができる。でも、そこを、もっとHyperCard的に普通の人が扱うツールというのはない、のだろうか?
 情報というのは、すでにオブジェクトなわけだ。ということは、そのAPI、インターフェースを情報それ自体の側で持っていてしかるべきではないか。つまり、情報それ自体が、どう語りかけるべきかについての手法を内在させておけるはずだ。
 あるいは、ある種の情報というのはオブジェクトなのだから、そのオブジェクトとしての情報をどう扱うかという基礎技術というのはあると思う。
cover
情報の「目利き」
になる!
メディア・リテラシーを
高めるQ&A
 話をなんか無意味に難しくしているようだが、日垣隆とかが「情報の目利きになる」といっているのも、工学的なアプローチが可能であるように思うし、そういう教育が情報教育だろう。
 もっと身近な話、世の中が情報化されればされるほど、その引き出し方と再構成の手法が高度化されなくてはいけないし、そういう具体的な応用がiPodみたいなものになるといいのだが。ビル・アトキンソン(参照)の夢の跡みたいなPocket Crystal(参照)があればいいなと思う。iPodがそう進化しないだろうか。
 Wired(日本語)"『iPod』が生む新ユーザー層「サイボーグ消費者」"(参照)にちょっとありげな話があった。

 ギースラー助教授は「iPodとユーザーが1つのサイバネティクス的単位を形成しているのだ」と話す。「われわれがサイボーグを語るときは、つねに文化理論やSF文学が絡んでいるものだが、これはサイボーグが市場にも実在するという好例だ……。こうした人々に、私は未来を見ている。彼らはサイボーグ消費者と呼ばれる存在だ」
 ギースラー助教授によると、サイボーグ消費者とは、携帯電話から『バイアグラ』にいたる多様なテクノロジーを利用し、なおかつ技術的、社会的に、ネットワークとの強い繋がりを持っている人々だという。
 たとえば、iPodは単なるMP3プレーヤーではなく、記憶の拡張でもある――人生のサウンドトラックを保存し、名前や住所、カレンダー、メモも記録する。

 一読苦笑してしまうのだが、Pocket Crystalはある意味で端末だったから、ストーレッジ(情報・記憶)はサーバーを想定していた。しかし、iPodが出来てみると、情報というのは、意外とパーソナルなもので、iPodのように100GBをさらりと携帯してこそ意味がある…こういうのは、実感してみたいとわからない。このパーソナルな記憶と知識のブースターと、外部の情報をどうやりとりさせるか…。
 そう遠くない時代、なにかそういうものを自分は見るだろうかと思う。自分の知力が劣化しているのをそういうマシンで補う…サイボーグ知識人?かな。

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コメント

【「技術」の勉強とは言えない。強いて言えば国語であろうか】
はそんな感じでは無いですか?今は文章を書くのもグラフを作るのも
ネットで検索するのも技術というかテクニックでは無いと思います。
もちろんきれいなレイアウトでプリントアウトしたり
ググッても出てこない情報を検索したりという事だと技術が必要になりますが。

今では洗濯はボタン一つで終わりだけど洗濯機が出来る前は
キレイに洗うのもテクニックが必要だったのではないでしょうか?

つまりこの記者が言いたかったことはコンピューターを操作するのは
国語で言う読み書き段階の基礎学力の範疇だというとらえ方ではないでしょうか?
算数で言えば四則演算が出来るような意味で。

現時点でのコンピューター教育の内容なら
メールや掲示板での物理的な対面ではない対話方法や
情報漏洩の対策や過多な情報の選別方法、嘘を嘘と見抜く方法などが
必要だと思います。

但し、これらを国として一括のガイドラインを作成するとなると
大変かもしれませんが。

投稿: lba | 2005.02.05 13:35

飛ばしすぎです。でも、面白い。勉強になりました。
今調べたら、firefoxのdocument.all対応は、1.0PRから。リリースノートによるとInternet Explorerとの互換性向上(つまりIE用サイトも表示できるようにことか)ということのようです。

ブラウザが、言語が日本語だったらPエレメントを先頭空白改行なしで表示してくれる…というようなことをしてくれれば、小段落は/^\s.+。$/使わないでもよくなります。でもそうすると大段落をどうするかが問題になるのですが。エレメントの種類が足りない。

投稿: Nakada Hirsohi | 2005.02.05 21:50

こんばんは
エントリーに直接関係はないのですが、Mac mini関連のアクセサリーにこんなモノが・・・
ttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0502/01/news013.html
なにげに物欲を刺激しますw
こういうのを見ると、やっぱPSPは、ジョブスの戦略に勝てないんじゃないでしょうか?(汗

投稿: uiui | 2005.02.06 04:31

iPodは、ボイスメモ用としても使いやすくなってもらえるとうれしいですね。

投稿: pi | 2005.02.07 06:14

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