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2005.02.28

漁業に遠慮して日本のスパイ衛星打ち上げは延期だ、とBBCが伝える

 今朝のエントリにアップすべくたるいネタを用意していたのだが、なんとなく、H2Aの話に急遽差し替え。とはいえ、重要というほどの話でもないし、日本の衛星ビジネスに当方が詳しいわけでもない。クサシという意図はないのだが、なんだかなぁコレという思いが強くなったのでざっと書いておきたい。
 私の見落としってことはないと思うが、H2A打ち上げ成功について、大手新聞社社説では朝日新聞だけが触れていない。なぜなんだろう? 余談だが、朝日新聞のサイトはニュースをちょこちょこ書き換えているようだ。Irregular Expression"朝日新聞は自社の「記事改変問題」をどう説明するか?"(参照)にその経緯があって笑った…で済まされることじゃないな。せめてdel/insタグで修正の履歴は残してほしいものだ。もう随分昔の話だが、こういう笑い話があったのを思い出した。「スターリンでもできないことがある。それはプラウダを発行しなおすことだ。」 ところが朝日新聞ってそれやっているじゃん。
 さて、他紙の社説でのH2A打ち上げ成功の話だが、読売"H2A成功 復活への足がかりが得られた"(参照)が、いけいけどんどん、といったところか。そう悪い話でもない。今回のキモは気象衛星だったが、情報収集衛星についても言及している。


 H2Aは来年度、三回の衛星打ち上げを予定している。災害監視に力を発揮する陸域観測技術衛星、MTSAT2号、日本の安全保障に重要な情報収集衛星と、どれも失敗は許されない。

 毎日"H2A成功 信頼性向上へさらに努力を"(参照)はややテクニカルな話に傾き、情報収集衛星の話はスルー。ちょっと国寄りのトーンは強い。

ロケット打ち上げをはじめとする宇宙開発は、やはり自前の技術を確保しておきたい。その期待に、JAXAもメーカーも協力して応えてほしい。

 産経"打ち上げ成功 さらなる努力を重ねたい"(参照)がなぜか情報収集衛星に触れていない。代わりに衛星ビジネスに主眼を置いている。このあたりの産経のスタンスがよくわからない。もしかすると手の込んだアイロニーなのかもしえない。私は日本の衛星ビジネスは絶望的だと思う。

 日本の宇宙開発は、H2Aロケットの民間移管の途上にあり、三菱重工業が主役になることが決まっている。今回の打ち上げでは株式会社のロケットシステムが中心的な役割を果たし、形の上では日本初の商業打ち上げが実現した。
 だが、世界の衛星打ち上げビジネスの市場は以前に比べて一段と厳しさを増している。衛星打ち上げの需要減に加え、廃棄ミサイルを再利用したロシアのロケットは価格破壊をもたらしている。
 H2Aロケットが国際市場で生き抜いていくには、これまでに倍する努力が必要である。

 日経"H2A、信頼回復まだ一歩"(参照)は、遅れて出したわりに、特に見るべき内容はない。が、しいていうと、ここが重要か。産経の社説でも触れてはいたが、三菱重工業かぁ、と。

H2Aは、国産ロケットの高コスト批判を受けて、打ち上げ費用を抑え、宇宙ビジネスへの参入も狙ったロケットだ。すでに三菱重工業が運用する形で民間移管することが決まっている。だが、前回の失敗で移管時期など細目の協議は止まったままだ。移管を円滑に進め、外国の衛星打ち上げの商談も進むよう、さらに技術の完成度を上げ、高い信頼性、安定性を示すことが重要だ。

 久しぶりに社説を舐めてみたわけだが、なんだかなという印象はある。NHK「あすを読む」で「科学大好き土曜塾」の隊長さんが詳しく説明していたが、衛星ビジネスの標準的な成功率である9割のラインに日本が乗るのはあと16回の連続成功が必要らしい。日本は年間3本くらいか。するとあと最短であと5年。失敗を含めて8年くらい……お話にならないのでは。
 とはいっても、日本が衛星技術を持っているという誇示だけがその意味かもしれないとも思っていたのだが、昨日のBBC"Fishing season delays Japan satellites"(参照)には笑った。

Fishing season delays Japan satellites
The launch of two spy satellites in Japan has been put on hold for the third time - because it coincides with the fishing season.
【試訳】
漁業期間の都合で日本の衛星計画は遅れる
日本のスパイ衛星の打ち上げは三度目の延期に迫られた。理由はというと、漁業シーズンにかち合うからである。

 その言い方はないだろとか日本人である私はちょっと思うのだが、記事を読むに、ふーん、そういうことなのか。つまり、国際的に見れば、ポイントはスパイ衛星を日本が自前で運用するということと、そうした国策レベルの話が漁業民の生活より優先順位が落ちる、と。
 BBCの記事の文章は淡々として凝った皮肉というわけでもないが、こりゃ、しかし、結果として皮肉な話だな。というか、日本って外側からはこう見えるわけか。
 そういえば、読売新聞でこのところ「国家戦略を考える」という連載をしていた。22日"第1部(16)宇宙開発、政府ちぐはぐ"を読み返すと、ちゃんと漁業保護について触れている。

仮に商業衛星を二月末までの打ち上げで契約した場合、悪天候で二月中の打ち上げを見送ると、次に打ち上げが可能なのは六月二十六日以降になる。「こうした遅延は賠償金の対象となる恐れがあり、受注自体がおぼつかない」と中間報告は記している。

 他に滑走路の問題の問題にも触れていたが、要するに、種子島じゃ、衛星ビジネスって話はむりむりという結論しか出ないようだ。いや、それって外国でやればという結論が出る。ということで、キリバス共和国を借りる話が進んでいたらしい。

 日本は二〇〇〇年、キリバス共和国との間で、約22億円を投じて周辺整備を行う代わりに飛行場を借用する協定を結んだ。「日本版スペースシャトル」と言われる無人宇宙往還技術試験機(HOPE―X)の着陸場として使うためだった。だが、予算削減のあおりでHOPE―X計画が凍結され、昨年秋、借用協定を打ち切ることになった。

 ま、キリバスはダメでしょう。もうすぐ沈むしって、ブラックジョークはやめとけか。それにしても、こうなったらひょっこりひょうたん島の精神である。つらい時には笑っちゃえ、進めぇ、ひょっこり日本島。

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2005.02.27

スペインのご事情、EU憲法とレグラリサシオン

 2月20日に実施されたスペインでの、EU(欧州連合)憲法の是非を問う、加盟国で初めての国民投票だが、賛成多数が見込まれることもあり、それほどには話題にはならなかったようにも思う。私としても、ふーん、スペインでしょ、EUに労働者を送り込む側の国でしょ、補助金とかもがーちょーんと貰っているじゃん、観光で食ってる面も多いしね、で、賛成だってか、ふーん、といった感じであった。
 国内の報道などを見るに、賛成が76.73%と反対の17.24%を大差で上回ったとして喜んでいるトーンが感じられたが、ふと昨日のエントリを書いたあと考え込んだ。この選挙の意味は、投票率も42.32%のほうではなかったか。そのあたりの雑感を書いてみたい。
 話の枕に日本経済新聞記事"スペイン、EU憲法に77%が賛成・投票率は42.32%"(参照)を引用しておく。


 同日深夜(日本時間21日朝)に官邸で記者会見したサパテロ首相は「スペイン国民は欧州の歴史を作った」と各国の先陣を切る投票でのEU憲法承認の意義を強調。「スペインが切り開いた道にしたがって後に続いて欲しい」と述べ、今後国民投票を予定している加盟国に呼び掛けた。焦点の投票率は2004年6月に実施した欧州議会選挙の45.1%を下回ったが、圧倒的な賛成票によって投票所に足を運ばなかった「サイレント・マジョリティー」の幅広い支持を印象づけた。野党の国民党などが投票前に与党の責任を追及する目安としていた「40%」も上回り、国内的にもサパテロ政権への求心力を高める結果と受け止められている。

 前半はどうでもいいし、お目出度いトーンもスルーして、今回の投票におけるスペイン国民の無気力さという点から見ると、昨年の議会選挙の投票率を下回ったわけだ。これはれいのテロ後の反発だったのかもしれない。スペイン国内的には、今回の投票では、40%を割るかというところがテロ後のサパテロ政権の事実上の承認ラインだったようだ。で、この結果の42.32%は、日経の記事のように「サパテロ政権への求心力を高める結果」と見るのは難しいように思う。
 関連ニュースを見直してみた。欧州側では一応安堵。米国はさして関心もないという印象だがそれでも日本よりは報道はある。読みやすいところで、CNNジャパン記事"スペイン国民投票、EU憲法を承認 加盟国で初"(参照)がわかりやすい。

 スペイン内務省によると、総票数1330万票のうち、EU憲法に賛成が76.4%。反対が17.4%、6%が白紙投票だった。投票率は有権者役3500万人のうち42%にとどまった。
 今回の結果を受けて、スペイン議会が批准の是非を決める。スペインは1986年のEU加盟以来、計860億ユーロ(約11兆6100億円)の補助金を受けており、与野党ともに、EU憲法を支持している。

 気になったのは6%の白紙票だが、これが抗議の意図なのかがわかりづらい。もしそうなら、投票率から事実上この分を減算してもいいのではないか。EU憲法を蹴飛ばそうとした前政権のアスナールの影響がまだ残っていると見るのも難しいだろうが、それでも反EUの気風はまだまだスペインにはあるのだろう。とすると、他の国も推して知るべしかもしれない。CNN報道にあるこの補助金だが、来年からはこれが東欧にまわるので、むしろこの時点での投票はかなり仕組まれた印象も受ける。
 ところで昨日のエントリでCASA ROSSAのエントリをぱらぱらと読みながら、スペインに関連して、"不法滞在者 80万人に査証発給へ!"(参照)が気になった。先日スペインで行われたレグラリサシオン(regularización:大赦)である。ニュース的な話については、2月12日の読売新聞記事"スペインが不法移民を合法化 EU諸国、流入懸念し批判"を引用しよう。

 スペイン政府は、国内に滞在する不法移民約百万人に対して一定の条件を満たせば、滞在、労働許可証を付与する大胆な合法化策を今月七日から実施した。移民はいったん、滞在、労働許可証を得れば欧州連合(EU)域内を自由に移動できるため、他のEU諸国からはスペインの政策に早くも批判が高まっている。
 スペインは、不法移民にとって欧州諸国への玄関口となっており、現在、南米、北アフリカなどからの不法移民がスペイン国内で建設業や農業などに従事している。
 同国が不法移民の合法化に踏み切ったのは、地下経済のあぶり出しにつながり年間数百万ユーロ(数億円)程度の税収増も見込まれるためだ。

 先日読売の外信は使えねーとかタメ口をこいたが、反省。よく書けている。というわけで、記事を読んでいただければわかるが、スゲーなである。まず、これってEUに対外民を取り入れるお安い窓口だし、しかも地下経済の吸い上げって、なんだか、それって※クザ?みたいな感じだ。
 今回のEU憲法投票を前にしてのレグラリサシオンなのかよくわからないが、CASA ROSSAのエントリにもあるように今回が初めてではなく、6回目である。
 今後もこの施策が通じるのだろうかということもだが、この状態を他EU諸国がどう見ているかというと、読売記事標題にもあるようにかなりむっとしている。しかし、ここでEU憲法はGOGOにしておきたい…ま、つらいところか。
 今後この流れ、つまり、EU憲法成立への機運と不法移民のバランスはより深刻になっていくのだろう。この当たりのEUの事情が世界にどう跳ね返ってくるのは、私にはよくわからない。大局的に見れば、洒落でなく、EU自体がイスラム圏になりうる。

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2005.02.26

入管難民法改正案でなにか改善するわけでもなさそうだ

 人身売買罪の話の全貌がよく見えないので、当然、話もさしてまとまらないのだが、気になることでもあるので書いておきたい。
 話はまず、入管難民法改正案が今国会で成立する予定ということ。日本経済新聞記事"人身売買罪を創設・刑法と入管難民法改正案を閣議決定"(参照)を引用する。


 政府は25日の閣議で、人身取引の撲滅や密入国対策の強化を目指し、「人身売買罪」の創設を柱とした刑法改正案と、偽造旅券の授受や所持を罰する規定などを盛り込んだ入管難民法改正案を閣議決定した。今国会での成立を目指す。
 国際組織犯罪防止条約に付属する人身取引議定書などを批准するための国内法整備の一環。売春や強制労働など人身取引をめぐる日本の対応の遅れが国際的な批判にさらされてきたことから、対策に乗り出す。

 これだけ読めば、それほど難しい話ではない。人身売買はよくないよね、国際間で協力しないとね、ということだ。ただ、この話の背景には外国人の人身売買が野放しになている日本の現状に対して国際的な圧力がある、というふうに読める。この話は以前も書いたが、日本という国は欧米などからはそう見られているようだ。
 で、これに風営法改正が関連する。産経新聞記事"人身売買防止へ罰則強化 風営法改正、就労資格確認を義務付け"(参照)を引用する。

 人身売買の温床となっている性風俗店での不法就労を防止するため、業者に就労資格の確認を義務付け、無届け業者の罰則強化を盛り込んだ風俗営業適正化法(風営法)改正案が二十五日、閣議決定された。人身売買で来日した女性はほとんど資格がないため店で働かせることができなくなる。
 改正案は、風俗店や飲食店が外国人女性を従業員として雇う際、ビザでの就労資格確認を義務付け、違反すれば百万円以下の罰金を科すほか、刑法に新設される「人身売買罪」で摘発された業者を刑の終了後五年間、風俗営業の欠格とする。

 この話もそれほど難しいわけでもない。「人身売買で来日した女性」(この表現もすごいものがあるが)は資格の有無によってフィルターできるというのだが、それも普通に考えると当然でしょとも思える。
 よくわかんないのは、実態だ。
 話が少し飛ぶようだが、先日17日付けの朝日新聞記事"女性来日、比大使館が仲介業から預託金 是正要請"(参照)で、興行ビザで来日するフィリピン人女性に興行仕事を斡旋する業者に対し、フィリピン大使館が手数料や預託金を徴収しているということが問題になった。

 外務省によると、同大使館は業者の登録制をとっており、登録には2万ドル(約200万円)を「預託金」として納めなければならないとされていた。同大使館は外務省に対し、給料未払いなどの時に女性への補償に充てると説明していた。
 また、登録業者が女性を日本に呼ぶ場合、「認証費用」などの名目で1人当たり7350円の手数料を大使館に支払っていた。03年の来日者数の8万人から単純計算すれば、大使館の手数料収入は6億円近くに上ることになる。
 国際法では「行政面の公権力は他国の主権にかかわるため海外では行使できない」が原則。外務省は、フィリピン大使館が国内業者から預託金・手数料を徴収していることは、この公権力行使にあたると判断した。

 これもこれだけ読んでいるなら、そりゃそうでしょなのだが、この問題は記事からもわかるようにこれまで外務省は黙認していた。それがここにきて強行した理由は、先の、人身売買対策に関係するというのだ。

 日本は昨年6月、米国務省から人身売買の防止などへの対応が不十分な「監視対象国」と指定された。その理由の一つが、興行ビザで来日するフィリピン人ホステス問題への取り組みの不十分さだった。すでに日本政府は興行ビザの発給基準の厳格化を決めているが、今回、外務省がフィリピン大使館への是正要請という措置を取る方針を固めたのも、人身売買対策に前向きの姿勢をアピールする狙いがある。
 外務省によると、問題となったのはフィリピン人女性が「歌手」や「ダンサー」として来日するケース。日本政府はフィリピン政府発行の「芸能人認定証」に基づいて興行ビザを発給し、来日を認めている。

 回りくどく大人語で書かれているが、ぶっちゃけ、おっと、ここでぶっちゃけるとろくでもないが、ま、大人なら察してくれ、ということらしい。
 この事態にフィリピン政府はかんかんに怒っているらしいが、確かにこうした上納金の制度はまずいとしても、ようするにこれはフィリピン人労働者の排除なのだから、怒りも当然ではないかとも思う。
 ここで、私はよくわからないのだが、無資格者の労働者を排除するというなら、「芸能人認定証」があればそれを資格とみなしていいのではないか。だめ?
 19日付朝日新聞社説"興行ビザ――やっと動いた外務省"では、このあたりをこう言ってのけている。

 批判を受けて、政府は人身売買を防ぐための議定書の批准手続きを急いでいる。乱発気味の興行ビザについても、「人身売買に悪用されかねない」として発給の基準を厳しくすることを決めた。

 私はナイーブすぎるのかもしれないが、人身売買と興行ビザにはなんの関係もないと思うし、朝日新聞のこの誘導的な書き方も変だと思う。
 さて、実態はどうなっているのだろうと、といって紅灯の巷を彷徨う金も気力もないのでネットなんぞをピーピングするだけなのだが、CASA ROSSA"現場のデカは知っている"(参照)が興味深かった。

実際どういうことになっていくのか?
一番怖いのは、北海道のように警察が、「資格外活動」で活発に動き出せば、現在の形態の店舗は全滅してしまうだろう。入管と警察の温度差、各都道府県警間の温度差がどの程度に出てくるのか?

今回の興行査証を絡んだPP問題、今のところフィクサーは誰も手を上げたがらない様だ、全く落としどころが無い状況なのか?とりあえず「落として」、時間経過で法改正へ持っていくなど、手はいろいろあると思うのだが・・・・。


 よくわからないが、この問題は今後「入管と警察の温度差、各都道府県警間の温度差」に出てくるのか、というのはなるほどなと思う。地方ニュースとかワッチしておこう。
 他にも同ブログで興味深い話があったのだが、"人身売買罪の新設で、ほくそえむヤクザ"(参照)には考えさせられた。

今、米国務省が指摘する 《日本の組織犯罪集団(ヤクザ)》 が大忙し。

人身売買罪の新設で、笑いが止まらないらしい、もっとも当局は彼らと米国務省のために人身売買罪の新設を急いだわけだから当たりまえかもしれない。

特にシノギが無くきつい犯罪集団には、新しいビジネスがたくさん生れてくるこの外人ビジネスはうまみがある。

シノギは、昔はシャブやチャカ ・・・ 今は、外人ビジネス ・・・ というわけ、さらに人身売買罪がビジネスに拍車をかけてくれた。

『稼ぐだけ稼いで、帰国したくなったら 「私、人身売買の被害者です」 と話して、帰国経費も国費で帰れる。ブラックにもならないですむ、今帰国したらもう日本へはこれないよ!』 式の勧誘が続いている。


 率直に言って、私はこの手の世界について無知すぎて実態をどう捕らえていいのかわからない。が、私が知っていることもある。入管難民法改正案では、従来ならただちに強制送還となった人身売買の対象者を、日本国は一時的な滞在を含めて保護しなくてはならないということだが、どこに保護するのか? 婦人相談所らしい。そこは受け入れた体制はできているか? そうでもないらしい。また保護の期間もよくわからない。1か月程度で強制送還ということらしい。
 入管難民法が改正されても実質は従来どおりということ、じゃないのか。

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2005.02.25

[書評]サーノ博士のヒーリング・バックペイン(ジョン・サーノ)

 現在発売中のTarzanが腰痛・肩こりを特集していた。へー、Tarzanがこの特集ですかと冷やかしに立ち読みでぱらっとめくりつつ、微笑みながら、あれ、PNFが載ってらとちょっと驚いたので買うことにした。とはいえ、PNFやその関連についてはこのエントリでは触れない。でもそういえば、と、標題の本のことを思い出した。ネタにしようとして、していなかった。

cover
サーノ博士の
ヒーリング・
バックペイン
 この本は、日本版の副題に「腰痛・肩こりの原因と治療」とあるように、とりあえず腰痛について書かれた本だと言っていい。米国では"Healing Back Pain(腰痛治療)"として1991年に出版され、話題となった。というのもこれを読んだだけで腰痛が完治したという人が多数出現したからである。ちょっと宗教みたいな状況だった。
 と、書きながら、少しためらうのは、そう書くことでいかがわしい本であるかのような印象を与えるのではないかということだ。実は、この本をどう伝えるかということが非常に難しい。つい尻込みしてしまう。
 本の帯には「腰痛、肩こり、関節痛患者が最後に読む本 投薬、手術、物理療法によらない画期的治療プログラム」とあるが、本書を読めばそれがある程度よく練られているもののアオリだとわかるだろう。「プログラム」というのは違う。本書でサーノ博士はこう明言している。

 断っておくが、本書に書かれているのは、背腰痛の「新しい治療法」ではない。TMSはこれまでなかった「新しい疾患概念」である。となれば、その「疾患概念」に合った方法で治療しなくてはならない。

 正確に言えば、本書は、腰痛や肩こりの治療法ではなく、サーノ博士がTMSと呼ぶ疾患、緊張性筋炎症症候群(Tension Myositis Syndrome)について本だ。なんとなく、TMJ(temporomandibular joint Syndrome)に似ているが、こちらは医学的に広く認められた疾患であるの対して、TMSについては、現代医学からは、どちらかというトンデモの部類になっている。というのは、TMSは、ある意味、腰痛の原因は心だというふうに受け止められているせいでもある。確かに広義には心因性ということになる。
 しかし、本書を直に読むとわかるが、TMSはかなりきちんと医学的に整理され、限定された概念であり、現象面では筋肉の部分的な機能原因による酸欠状態を指している。その酸欠状態は、人間のなんらかの神経系の指示によって、ある利得のために発生しているのだろうも、としているがそれはある意味で推測として区別されている。
cover
腰痛放浪記
椅子がこわい
 TMSにはそうした現象の考察と原因についての考察の二面があり、むしろ、サーノ博士が本書を著したのは、原因がある種の心因であることの一つの社会的な説得なのかもしれない。
 ただ端的に言って、腰痛のある人に向かって、「それって心の問題ですよ」と言っても通じない。いや、通じないことにサーノ博士の内省の部分の呼応があるので、その意味では、日本版の帯にあるように、腰痛治療にすべて諦めた状態になってから読むのがいいのかもしれない。また、そのあたりのことは夏樹静子の「腰痛放浪記 椅子がこわい」が参考になる。こうした問題の機微をこの本はよく描いている。ある意味でホラーとも言えるほどだ。夏樹はその後、サーノ博士の本を訳した長谷川淳史の「腰痛は<怒り>である」なども推薦しているので、心因について深く思うところはあるのだろう。が、そこはそれほど表層的な理解でもない。
cover
腰痛は
<怒り>である
 ところで、こちらの「腰痛は<怒り>である」だが、私はこちらも読んだのだが、取りあえずサーノ博士の本をわかりやすくアレンジしたともいえる。ちなみに、アマゾンでのサーノ博士の本の評価であまりに絶賛が多いのも、どうやら長谷川の影響のようでもあるようだ。それはそれで実際的なTMS理論の普及でもあるのだろう。ただ、私は、両者、つまり、サーノ博士の理論と長谷川の理解には大きな違いがあるようにも思う。が、非難の意図はないので、それ以上は述べない。
 ブログでもあるので私と腰痛の話も少し書いておく。高橋源一郎よろしく私も30歳を少し過ぎた頃、ぎっくり腰というのをやった。朝起きたら、毛虫になっていたというくらいの変容だった。いや、朝起きたらではない、起きられないのだ。腰から全身に激痛が走った。知り合いに石坂宗哲(参照)の系譜を引く闇鍼を打つものがいて、応急処置をしたものの、へっぴり腰とはこのことかと思った。まわりの者というか、やや年長者から「そうなんだよ、30歳過ぎにくるんだよ」「治らないないよぉ~」「いや、おまえも腰痛持ちか、童貞でよかったな、※EXは難儀だぞ」と祝福していただいた。るせーっ。
 幸い、呪いは解けた。最近では一年に一度は腰がちょっと痛いかなということがあるが、「かな?」程度ですむ。そういうこともあり、腰痛については随分考えさせられたし、いろいろ試みた。結果として一番効果があったのは……なにかの機会にふれるかもしれないが、こうした問題は人それぞれなので各人の工夫あるべしだろうし、大筋でサーノ博士の見解は正しく、心や生き方の問題も関連してはいる。
 現状、すべて良好かというとそうもいかない。昨年は、40肩かな、情けねーことになった。これは意図的な筋トレでかなり改善した。その後も、肩だの背筋だのはごちごちとしているが、ま、歳相応こんなものでしょという感じではある。

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2005.02.24

40%と低迷していた日本の食料自給率が70%まで改善したのでお目出度い

 ちょっと古いネタだがスルーするのもなんなのでという程度の話。標題のおふざけはご存じのとおり、食料自給率について従来カロリーベースだったのが、2月10日の食料・農業・農村政策審議会で晴れて金額ベースに改めることになったので、それでみると、日本の食糧自給率は70%になった、という話。というか、この話自体ふざけてんじゃねーのって思うが。
 基準を突然変えた理由は表向きにはいろいろある。簡単なところでは、野菜や果物などカロリーは低いが高価格で国産比率が高いものに焦点を当てたともいえる。また、カロリーベースだといつまでたっても先進国で最低レベルのままなので無意味ではないかという意見もあるようだ。
 が、ぶっちゃけ、これまで、カロリーベースで40%だ、先進国で最低レベルだ、とかぬかしていたのは、なんらかの危機感を煽るための詐術だったわけで、その詐術支持勢力と今回の変更勢力との間に芳しい政治的な抗争があったのではないか。ま、このあたりは突っ込めそうだが突っ込むとうんこまみれになりそうなのでやめとこ。
 とか言ってその近隣の話題かもしれないのだが、このルールちゃぶだい返しの2日前2月8日の"島村農林水産大臣記者会見"(参照)では、こんな話がある。なんか、ドリエル飲まなくても読んでてて心地よい睡眠に襲われる(てか、ドリエルは…)。


Q: 大臣、ちょっと話が変わりますけれども、新しい基本計画の中に盛り込む食料自給率の目標ですけれども、今まではカロリーベースで数値目標を立ててきましたが、今回から金額ベースの自給率も新たに設定するというような報道もありましたけれども、これについてはいかがお考えですか。
A: 型どおりの、まず回答から申し上げますと、(中略)。
 それで今、ご指摘のあったあれなんですが、これはまだ私達自身の中でもそういう動きを断片的に聞くことはあっても、やっぱり10日の企画部会以降に我々はどう対応するかということですから、あまり何かこういうような話が先行していろいろ出てしまうと、かえってやりにくくなるといけないので、私達なりのことではいろんな情報を得ていますけれども、まだ発表段階ではない。ただ、今ご指摘のあったそのカロリーベースだけではなくて、金額ベースの目標も設定するんじゃないかという話は聞いてないわけではありません。

 ととぼけている。が、ここでのQにある報道は、前日の7日の時点でNHKが"食料自給率に新指標を導入"を指しているのだろう。というわけで、既決事項のぼけぼけ感がいい空気を醸し出している。
 で、結局どうよ?なのだが、18日の朝日新聞"食料の新自給率目標、カロリー基準で45% 農水省"(参照)を見るとわかるように並記状態ではある。

 農水省は、15年度を達成年次とする新たな食料自給率目標を、カロリー(供給熱量)基準は45%、金額ベースは76%とする方針を固めた。与党などと調整し、3月に決める今後10年間の農政の指針「食料・農業・農村基本計画」に盛り込む。

 両方の基準が明確になって大変よろしい…じゃなくて、それって矛盾してんじゃないのとか思うが、実際上は、カロリーベースでの食料自給率というのは無視されたということなのだろう。それと、「15年度」って、はぁ?である。
 ところで、よく言われる日本の食糧自給率は最低という比較の元になる国際基準どうなのかとちょいと調べてみると、これは従来どおりカロリーが基準だ。じゃ、グローバルスタンダードでカロリーベースでいいのではとも思ったのだが、ところがちょっと調べたら昭和61年までは食糧自給率は金額ベースで算出していたわけだ。私なんぞにしてみると、え?みたいな感じである。さらに金額ベースが参考値になった(事実上隠蔽した)のは平成10年以降のこと。そういえば、食糧自給率が最低だとかいう議論が出てきたのは、最近のことだなと思い返す。
 余談めくが、毎日新聞記事"食料自給率目標:現行の10年度から5年間先送りへ"(参照)が気になった。

 自給率は60年度には79%あったが、その後は年々低下。最近は03年度まで6年連続で40%が続いている。与党内には「目標は高く」との声もあるが、有効な施策を講じなければ10年度には38%に低下するとの試算もあることから、農水省は「スローガン的目標は無意味」と判断した。

 60年度の79%というのは金額ベースで、昨今の40%というのはカロリーベースではないのか。この手の話は毎日新聞だけじゃなくて他でも見られるのだが(参照)。どうなのだろう。
 さて、総じて見ると、カロリーベースの統計がグローバルスタンダードであっても、そうした統計はすでに先進国では特に意味がないということなのだろうか。さらに現状では、途上国ですら、肥満の問題が起きている(もちろん、アフリカには飢餓の問題もある)。
 畜産物については、カロリーベースでは、畜産物自体の自給率に飼料の自給率を掛け合わせるのだという。上質な肉を作っても飼料を海外から輸入していると自給率は下がることになるのだが…はて、なんだかな、と。
 カロリーの自給率が大切という場合でも、日本の現状では無駄が多い。国民一人の一日当たりの総供給熱量は約2600キロカロリーだが、実際に食べた熱量は約2000キロ・カロリー(参照)。差、600キロカロリーは捨てているのだろう。
 ああ、もったいない。

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2005.02.23

負けたのか、ホリエモン

 フジテレビを含めフジサンケイグーループを事実上乗っ取るというホリエモンの大勝負だが、概ね、終わり。この点については、ホリエモンの負けのようだ。
 当事者とも言える産経新聞だから共同をべたに引っ張っているのか、22日19時の"ニッポン放送株、フジが30%超を確保へ"(参照)では、ご覧のとおり30%の数字が浮いて出た。


フジテレビジョンが実施しているニッポン放送株の公開買い付け(TOB)について、目標に設定している発行済み株式の25%を超え、議決権ベースで30%超を確保できる見通しになったことが22日、分かった。フジサンケイグループや親密な金融機関などがTOBに応じる構えを示したため。

 フジ側としては25%が死守できれば、取り敢えず勝ちのラインだから、それを楽勝に越え、しかも、同記事に言う「株主総会で新株発行や合併などの重要事項に拒否権を持つことができる33%」のラインも目指せるかということだが、23日1時の"「25%超は間違いない」 フジ会長、目標達成へ自信"(参照)ではややトーンが弱い。

 フジテレビジョンの日枝久会長は22日夜、記者団に対し、同社が進めているニッポン放送株の公開買い付け(TOB)について「25%超は間違いない」と述べ、TOBの取得目標である25%超について主要株主から同意を取り付けることへ自信を示した。

 ま、しかし、これは、余裕の表現と見ていいのだろう。当方の素人考えでも、メディアとしてのフジテレビは買えるかもしれないけど、産経新聞は無理なんじゃないかという印象は持っていた。産経新聞がホリエモンの狙い目と読むスジもあったが、私はそれは無理なんじゃないかと思ったのは、至極単純で、産経新聞にまで手を伸ばされることにはかなり御不快な御老人が多いだろうし、彼らは最終局面で動くのではないか、というか、もともと今回の事件の発端は日本放送がフジテレビを持つという古い時代の名残が原因であり、それゆえ古層は古層なりの動きをするのではないかとも思ったからだ。事態がそういうことなのかは真相はわからないがいずれにせよ産経新聞は守られた。しかし、それが結果的にどうよという問題は残る。が、それはまた別の話題だろう。
 今回の勝負、銭の世界の玄人筋には世間とは別につまらぬ勝負と見えていたのかもしれない。私としては、ホリエモンはそうしたことを承知でやったのか、ただのアマチュアリズムでやったのか、その奇妙なアマルガムだったのか、さて、どんなだろう。いずれ銭の世界は銭の世界の論理でカタが付くとして、むしろ、アマチュアリズム的な爆走に関心を持った。王様は裸だと言うのは愉快じゃないかと。
 だが、率直に勝ち目というのがあるのかもしれないとも思っていた。そう思ったのは彼の将棋の比喩からだ。ネットに残っているニュースとしては"堀江社長「将棋でいえば詰んでいる」"(参照)があったのでひいておく。

 ライブドアによるニッポン放送株取得問題で、ライブドア堀江貴文社長(32)が11日、「将棋でいえば詰んでいる。穴熊やっててもしょうがない」と語った。ニッポン放送の子会社化を目指し株式公開買い付け(TOB)を実施しているフジテレビが「最低取得株式の引き下げ」という“裏技”を使ったことを、将棋にたとえて皮肉った。フジの対応については「気にしていない。予想の範囲」とした。

 「穴熊」というのはいい表現だなと思った。現代の将棋で穴熊がどう評価されているかわからないが、これはヘボ将棋にはほとんど禁じ手だ。折角のへぼ勝負の醍醐味がなくなってしまう。ただの時間稼ぎ将棋だかパソコン相手の詰め将棋で手をとちっているのかわからなくなる。ホリエモンがそう事態を認識しているなら、なにか目あるのかもしれないとこの12日の時点で思った。もう少し引用する。

 今回の問題について既に「詰んでいる」と豪語。企業防衛に走るフジを、将棋の「穴熊」にたとえて皮肉った。一方でフジの25%取得が実現すれば、ニッポン放送の株主上位10社の持ち株比率が75%超になり、上場廃止に追い込まれる可能性もある。
 堀江氏「上場廃止になろうが、1年間の猶予があるので我々の持ち分が棄損することはない」。
 エコノミストの紺谷典子氏は「常識的に上場廃止となれば株価の値下がりは避けられず、株主にダメージは及ぶ。持ち分が棄損しないというのは強がりにも聞こえる」とも指摘する。

 この記事に限らず、この時点ではホリエモンはフジの25%の取得を難しいと踏んでいたと読んでいたようだ。が、当のホリエモンはそれを予想の範囲だと言っているのに。
 ここで私はまた率直にホリエモンの言葉を聞いてみる。こういうことではないか……ちゃんと言っているのに通じないやつらだよなぁ。既存メディアっていうのはこれだからだめなんだよな。ちゃんと言っているのに、変な読みばかりしてボクの言うこと聞かないじゃないか……と。
 しかし、世間的には今週開け、村上ファンドが日本放送の保有株をすでに売却したという話が出たあたり(参照)で勝負ありとはなった。これでホリエモンは日本放送の株50%以上の取得は無理だろう。世間的には終わった話となった。
 さて、ホリエモンどんな泣き言を言うのだろうと、"livedoor 堀江社長所信表明"(参照・会員のみ)を聞いてみた。負け惜しみと聞こえないこともないのだが、面白かった。率直に言って、私は腰を抜かしそうになるほど驚いたのだが、すごい素人くさいのだ。わざとそうやっているのかと疑ったが、ホリエモンとしては、どうです、ニュースがこんなに簡単にできるんですよ、ということの実証のつもりのようなのだ。すごいなと思った。ニュース報道やテレビというものを舐めきっているこの壮大なアマチュアリズムに感激してしまった。
 同じ感覚で、ホリエモンはテレビの広告が事実上独占的になっているのおかしいんじゃないのと思っているのだ。広告の現場を知らないというか、頭がいいのか、単なるアマチュアリズムなのかだが、アマチュアリズムなのでしょう。
 一昨日の彼の社長日記も面白かった(参照)。ここにも泣き言はない。

しっかし、今の日本って株主の権利が激しくないがしろにされているなあ、と感じる。なんで命の次に大事なお金を投資しているのに、会う必要がないなどとふざけたことがいえるんだろうか。失礼にもほどがある。株主が投資した資本金がなければ会社はスタートできない。そのことを日本の多くの経営者は忘れてしまっているのではないか?自分たちの力だけで会社が運営できているとでも思っているのだろうか。

 自社株をあれだけ下げるトリックに参加してよく言うよというか株主は激怒するのだろうが、傍からみていると、おもろいやっちゃで、ということになる。
cover
経営に
終わりはない
 今朝の毎日新社説"ライブドア問題 公正でオープンな視点が必要"(参照)で毎日新聞は爺ぃ代表でなにかと小言を言っているが、雷のち晴れ、雨降って地固まる、彼の大暴れで市場改革のきっかけにはなる。
 たまたまネットを見ていたら、"堀江貴文 株式会社ライブドア代表取締役社長 兼 最高経営責任者/社長対談~デキる男社長に会いに行く"(参照)という記事があって、内容はどってことないのだが、そこにホリエモン社長の格言があった。なんだと思う? 「諸行無常」だそうだ。すごいな。ホンダ創業藤沢武夫の「万物流転」に通じるものがあるな…な、わけはない。

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2005.02.22

なにかと兵力が足りない話

 散漫な話になるが、世界情勢の基本部分のシフトで気になることがあるので書いておきたい。なにかと兵力が足りないという話でもあるのだが、ちょっとこみ入っている。
 枕としてはトーゴの問題から。日本国内ではそれほど話題にならなかったようだし、たしかにそれほど話題にするほどでもないのだが、2月5日、西アフリカ、トーゴのニャシンベ・エヤデマ大統領が心臓発作で死去した。69歳なので異常な出来事ではない。むしろ在職38年を迎えていたというほうが異常に見える。大統領というのだから選出されたかというと、これもありがちなクーデター政権による独裁。それでも憲法があり大統領交代選挙規定もあるだが、この機にシカトして軍指名で息子のフォレ・ニャシンベが大統領なった。ついでに憲法のほうを改正した。お笑いみたいな国である。「また、アフリカか」ということだし、宗主国フランスも直接介入するわけでもなさそうなで、ほっとけとなるかと思いきや、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)とアフリカ連合(AU)も歩調を合わせて圧力をかけ、フォレ・ニャシンベ辞任という圧力が強まってきている。つまり、アフリカ内部でこの問題の見通しが立つというめでたい展開になりそうだ。むしろ、そっちのほうが事件という印象すらうける。この点で、ワシントンポスト"Africa's 'Huge Blot'"(参照)が指摘するように、南アフリカとナイジェリアの労も評価できるだろう。


The continent's two powerhouses, South Africa and Nigeria, are both democratic and are trying to spread democratic values across the continent. According to Freedom House, 32 African countries are free or partly free; 16 are classified as unfree. The South Africans and Nigerians scored a victory recently by leading a continent-wide denunciation of an undemocratic succession in the West African state of Togo. Their firmness is having an effect: Togo's regime has promised an election within 60 days, as called for in its constitution.

 ワシントンポストのこの記事は、しかし、トーゴについて論じているのではなく、ジンバブエ、そのムベキ大統領に焦点が置かれている。たしかにそちらのほうがやっかない問題であり、アフリカがどう取り組んでいけるのかが気になる。
 話をスーダンにシフトする。日本国内では自衛隊のスーダン派遣があまり問題になっていないように見えるのも不思議なのだが、イラク派遣がただの米国への尻尾振りだったのは違い、こちらはほんとに手(兵)が足りないということではあるのだろう。ダルフール危機について朝日新聞社説などは、AUの取り組みに期待したが兵力が足りず難しかったなどとバックレているが、AUは兵力不足で実際的にはアフリカの各種の危機に対応できない。
 こうしたなかで、昨年度世界ワースト独裁者の栄誉に輝いたスーダンのバシール大統領は、スーダン問題はAUだけの関与にせよとほざいている。笑止なのは、これを中国が事実上後押ししていることだ。というのは、China Radio Internationalの動向なのでもわかる。むかつく例をあげておく。まず"アフリカ諸国指導者、ダルフールへAU以外の軍隊を派遣しないよう呼びかけ(2.17)"(参照)。

 スーダンのバシール大統領を含むアフリカ諸国の指導者は16日声明を発表し、アフリカ諸国がダルフール地区の和平を推し進めるために払った努力が失敗しないようにするため、国際社会はダルフール地区へAU・アフリカ連合以外の平和維持部隊を派遣せず、またスーダンを制裁しないよう、呼びかけました。

 さらにお笑い。"ムバラク大統領とカダフィ大佐、AUの枠組み内でのダルフール危機解決を支持(2.18)"(参照)。

 エジプトのムバラク大統領は、17日カイロで訪れたリビアの指導者カダフィ大佐と会談を行いました。双方は共にAU・アフリカ連合の枠組み内でダルフール危機を解決することを支持し、この問題の国際化に反対する」と表明しました。

 ふざけた笑話を中国が撒いているのも、アメリカが動かないと踏んでことで、現状ではアメリカには動きの動向はアフリカ問題には見られない。いろいろ憶測があるのだが、一番のポイントはやはり手(兵)が足りないということだろう。
 先の大統領選で民主党はブッシュが再選されれば徴兵制が復活するぞとデマを飛ばしまくったが、この問題が難しい。
 兵が足りないからといっても、現代の軍事では徴兵制の素人は役に立たない。むしろ、プロフェッショナルが必要になるのだが、そうした人材が民間に移動するために米軍が細る結果になっている。そして、イラク戦争ではその民間、つまり事実上の傭兵を投入したのだが、結果は、あまり芳しくない。テロとの戦いというのは空言ではあるが、都市部の治安という点では、傭兵の軍はあまり機能できないということなのだろうか。
 こうしたなか21日付のワシントンポスト"Army Having Difficulty Meeting Goals In Recruiting"(参照)で、やがて軍志願が減るよという話が出てきている。これにどういう裏があるのか、どう流れていくのかわからない。が、気にはなる。
 日本ではあまり報道されないが、イラク戦争では、米国市民権が優遇されるこということで移民の志願兵が多く、戦死後に名誉の市民権を与えるというようなこともやっている。ひどい言い方になるが、米国というのは貧富の差とか、移民とかをある程度じゃぶじゃぶさせておくと、こうした時のためのメリットになる。もちろん、そうしたことで底辺の人間も命を張れば教育の機会が与えられるということでもあるのだろう。

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2005.02.21

尻割れならぬ札割れ的世界

 ふざけたタイトルにしたが、話は量的緩和政策と実質的な増税論のことだ。が、さして私が詳しいわけでもないので、簡単に雑記しておくだけのことになる。
 話のきっかけは、この手の話題の毎度毎度の毎日新聞社説"量的緩和策 金融政策は自然体が一番だ"(参照)である。毎日新聞の経済担当というか財務省の一部なのかが言いたいのかのは、量的緩和政策の出口論である。


 景気の先行きについては、強気論もあれば弱気論もある。だが、いずれにしても30兆~35兆円を日銀に積んでおくべき合理的な理由は見当たらない。すでに日銀内でも論議されているようだが、4月のペイオフ凍結解除をひとつの区切りに、量的緩和の出口を模索するのがよいだろう。
 この先には消費税増税問題などが控えている。待てば金融政策の正常化が容易になるというものではないのである。

 一読、わっははなのだが、こうしたことが国内世論にならないように、先日OECD対日経済審査報告が出ていたことについては、極東ブログ「OECD対日経済審査報告と毎日新聞社説でちと考えた」(参照)で触れた。
 たまたま典型的なので毎日新聞の社説を取り上げたのだが、この議論がまたぞろ出てきたのは、やはり昨今の札割れである。

 しかし、日銀の資金供給が予定額に達しない「札割れ」がしきりに起き、30兆円以上の残高維持が難しくなっている。景気が回復し金融不安も遠のいたため、市中銀行も巨額の資金を日銀に積んでおく必要性を感じなくなった。日銀の政策委員の間から、当座預金残高の引き下げ論が出てきたのは当然である。また、目標は引き下げないまでも、一時的に30兆円を割り込むのは容認しようという意見もある。これまた、当たり前のことではないか。

 私もこれはなんだろうと思った。毎日新聞が意図的にミスリードしているのか周到にミスリードしているのかわからないのだが、単純に受け止めると、札割れ(参照)しているのだから、日銀の言葉を借りれば、「資金供給オペレーションで札割れが起こっているということは、金融機関に十分な資金が既に行き渡っているため、金融機関がオペレーションに全額は応じようとしなくなるほど、日本銀行が豊富に資金供給を行っていることを意味します」ということで、ふーん、リフレ政策も終わりか、ふーん、リフレ政策なんてたいしたもんじゃないな…なんて言おうものなら総叩きになるくらいの空気は読めるのだが、さて、いわゆるところのリフレ派はこの札割れをどう見ているのか…と気にはなった。もっとも、現状の課題としてはOECD対日経済審査報告が示すとおりなので、別に政策転換の必要性はないのだが、ま、言い方まずいと反リフレ派みたいく思われるのもなんだしな、と。
 で、これがよくわからない。まず、昨年の非不胎化介入は効果があったでしょみたいな意見もあるようだが、ま、それについては、当時極東ブログ「グリーンスパンは日本の円介入をリフレと見ていた」(参照)で触れていたとおり。専門筋はあたりまえでしょということなのだが、この時点で私なんぞがこれを明確に言うのは、けっこうきつかったなと思い起こす。
 それはそれとして、その後はどうよ、と。そこがはっきりしない。リフレ派的にみるとどうなのか、と愚問を抱き続けていたのだが、bewaad institute"[economy][BOJ]日銀券残高と長期国債保有額との関係等"(参照)で取り上げていただいた(謝々)。

単なる量的緩和では無意味で、将来においてもそれをきちんと継続し、足りなければさらなる緩和をするというコミットメントが重要だと考えています。日銀の量的緩和は、前者はまあある程度満たしていますが、後者がまるで欠けているので、リフレ派から見ると不徹底で不十分なものだと映ります。

 この文脈にテクニカルな説明が続くのだが、とりあえず上記の部分でいうと、やはりOECD対日経済審査報告と同様でまず常識的な見解にはなる。
 ただ、それでも札割れといわゆるリフレ政策の具体的な提言みたいなのは見えないなと思ってはいたのだが、そもそも、今回の札割れという事態もわからない。当然、当方の知識が足りないせいもあるのだろうが、この点は、マーケットの馬車馬(参照)で取り上げていただいた(謝々)。3回シリーズになっている。

  1. 札割れのお話(1) 日銀当座預金というキノコの苗床
  2. 札割れのお話(2) 札割れのメカニズム
  3. 札割れのお話(3) 傾向と対策

 これが非常に興味深い内容で、特に私などには次のように指摘してもらえるだけで、ああ、そうかと思う。

だが、この説明で最近の札割れを理解しようとするのは無理がありすぎる。マネーマーケットにキャッシュが溢れているのは今に始まった話ではない。2年前から当座預金残高は30兆円を超えていたのだから。一方で札割れが頻発し始めたのは昨年の10月くらいからだ。

 内容を端的にまとめる能力が私にはないが、特に、「札割れのお話(3)」での具体的な提言は今後の予想の部分が含まれているので、そのあたりを指針に今後の動向を見ていこうかと思う。
 話を毎日新聞社説に戻すのだが、読みながら、先日のフィナンシャルタイムズ"Japan's recession"(参照)を思い出していた。あたかも、こうした議論が日本で沸き起こるのを想定していたかのタイミングだったからだ。
 フィナンシャルタイムズの経済見通しなんて毎度外すじゃんという意見もあるのだろうが、まず同紙は標題が暗示するように日本はまだまだ不況だよと見ている。内容を読むとフィナンシャルタイムズらしい慎重な物言いなのだが、いずれにせよ、欧米からは日本がそう見えるという例証にはなる。

The bare statistics published yesterday about the world's second-largest economy make grim reading. Not only did Japanese gross domestic product shrink in the three months to December, it also declined - according to revised figures - in the previous two quarters. Three consecutive quarters of negative growth are more than enough to count as a recession. On the face of it, Japan's recovery of the past three years has come to a juddering halt.

 フィナンシャルタイムズはかくどよ~としたトーンで切り出すのだが、国内では奇妙なラッパが鳴り響いていた。日銀が大丈夫と言ったからでもあるのだろう。そのあたりの記事として"(2/17)日銀総裁「春以降、再び成長軌道に」・設備投資拡大続く"(参照)がある。

 日銀の福井俊彦総裁は17日の記者会見で、景気の現状について「好調な企業収益を背景に設備投資は増加を続けており、景気回復の基本的なメカニズムは維持されている」と強調した。日本経済は昨年10―12月期にマイナス成長となったが、情報技術(IT)産業の在庫調整が終わる春以降、再び成長軌道に乗るとの見解を改めて示した。

 この点についても実際的には「春以降」を見ていけばいいのではあるだろう。ただ、実は、フィナンシャルタイムズはこの日銀アナウンスを受けての記事だった。

Yesterday, the Bank of Japan, which has been consistently over-optimistic about economic growth, began a two-day meeting at which it had been expected to discuss a possible tightening of the ultra-loose monetary policy that has kept interest rates at zero. Meanwhile, the tax bureau, which remains disconcertingly independent of political control, is still considering the kind of tax increases that would throttle another recovery at birth.

 かくフィナンシャルタイムズでは、量的緩和政策についてはすでに今朝の毎日新聞的な議論は外されているが、増税の効果を懸念している。

Neither of these ideas is wrong in principle. Interest rates and taxes will both have to rise eventually as Japan emerges from deflation and recession and begins to tackle the problem of budget deficits and high public debt. But the timing is all-important. With the economy in a recessionary trough, the time is not now.

 フィナンシャルタイムズとしては、日本が増税へシフトする施策の議論は可能だろうとしているし、その必要性をも理解はしているが、とにかくタイミングが重要だとしている。確かにタイミングなのだろうと私も思う。
 先日、京都議定書関連の話をしつこく3つも書いたが(参照参照参照)、環境問題の実際的な施策は経済とのバランスが必要になる。まじでもう不況はやめにしてもらいたい。
 と、以上、毎日新聞社説をくさしたようになったが、次の視点は重要だと思う。

 半面、年金システムはずたずたになり、預金者の金利は銀行に吸い取られ、財政規律は緩んでしまった。国債市場はバブル状況であり、副作用も無視できないレベルとなった。

 経済通には失笑されるのだろうが、この間、銀行は、生活者の金利を吸い上げていただけではないかという思いはぬぐい去れない。

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2005.02.20

2プラス2で何が起きていたのか

 まったく予想していない展開でもなかったのだが、日米安全保障協議委員会(2プラス2)を取り巻く動向にちょっとふいを突かれた感はある。私の読みが外している可能性も高いのだが、国内報道が中国への利害関係から総へたれ状況になりそうなので、簡単にまとめておきたい。なお共同文書"Joint Statement of the U.S.-Japan Security Consultative Committee"そのものはすでに公開されているが(参照)、外交文書なので読みづらい。
 話題に入る前に、国内報道の見取り図を書いておきたい。あまり単純に言うのもなんだが、国内の報道はこんな配置に見える。朝日新聞は中国内の特定派の代理店化している。すらっと読んでいるとムっとくるのだが、逆に割り切ってしまえば、中国の手の内が見えるインフォとなってありがたい。日本経済新聞は中国にへつらっているせいか曖昧な報道しかしていない。が、逆に事実関係の大筋だけはくっきりしている。読売新聞は端からこの手のインテリジェンスはない。使えない。産経新聞は最近の傾向としては古森御大などが出てくるのはなぜか遅れるきらいがある。古森御大以外にもよい記者がいるのだが、その動向は鈍い。本社側の揺れがあるのかもしれない。主に地方紙に配信している共同は、情報の分析能力がないのか単に英語力の不足なのか朝日新聞のようにイデオロギー的な変更なのか、あらぬ方向に爆走している(昔からそうだが)。最近の奇怪な例は、"中国の主張正当と米専門家 沖ノ鳥島問題で米紙"(参照)の誤報だ。反MSM"マス・メディアが報じないアメリカ"(参照)に訳があるので読み比べてみると、共同の爆走ぐあいがわかる。
 話に入る。意外に使えるのが毎日新聞の外信だ。"日米安保協議:共通戦略目標は朝鮮半島と台湾海峡の安定"(参照)が詳しい。共同文書でもそうだし国内報道でも朝鮮半島が重視される。確かに、その側面はある。この点については、すでに金正日後が射程に入っている。が、問題は、中国である。


 共同発表文に盛り込まれる「朝鮮半島の平和的統一」への支持は、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)体制の崩壊を視野に入れたとみられ、北朝鮮への影響力が大きい中国に対しても「責任ある建設的役割」を期待する内容になる。

 軍隊の再編成と自衛隊、特に沖縄問題の動向は別に稿を起こしたい。ただ、グリンピースの爆走が気がかりではある。
 問題の目は、表向き中台関係にある。つまり、日米の軍事文書に明確に台湾海峡への警戒感が盛り込まれた。

日米両政府の共同発表文書に台湾海峡への警戒感が盛り込まれるのは初めて。米国としては、日米共同対処をちらつかせて中国をけん制するとともに、台湾側にも自制を求める思惑がある。

 毎日新聞の外信もしかたがないのかもしれないが、この問題の台風の目については、ワシントンポストとAPを引くだけになっている。余談めくが、こうした点では、すでにブログと新聞社の外信は同じ土俵にいる。

 「2プラス2」協議を翌日に控えた18日付の米紙ワシントン・ポストは「日本が米国の台湾政策に参加」との記事を1面に掲載。「日本は中国との争いを回避する傾向にあったが、北朝鮮の脅威と中国の台頭への懸念が刺激となって約60年間の平和主義を転換しようとしている」と報じた。さらにAP通信は「日米は安保条約改定を議論し、中台の緊張を初めてアジアの発火点と確認する」とまで報道。米国務省のバウチャー報道官は「改定などしない」と即座に否定したが、米国での中台問題への関心の高さを示す動きだった。

 何が台風の目かというと、このワシントンポストの報道であり、これは要するに、日米安保が事実上終わったということを意味している。もちろん、表向きは、それを否定しているし、日本国内のへたれ報道の多くは勧進帳に決め込んでいる。
 当のワシントンポストの記事は"Japan to Join U.S. Policy on Taiwan"(参照)である。これを詳しく解説すべきなのだが、大筋では変わらないので先に進める。
 ワシントンポストに遅れてニューヨークタイムズでも重要な関連の記事が出た。"Japan Said to Support U.S. on Security of Taiwan"(参照)である。ある意味で、こちらの記事のほうがワシントンポストより重要かもしれない。標題を見ればわかるが、意訳すれば「日本は、台湾防衛において米国軍を支援すると明言した」ということだ。意訳しすぎのきらいはあるかもしれないが、そういう内容であり、ようするに従来の日米安保の終わりを実質意味する新しい軍事同盟の発足でもある。
 より大衆的なCNNは、ある意味、より明快に、対中国の側面を強調している。記事としては"U.S., Japan to address China's growing military"(参照)が参考になる。米国はかねてより中国の軍拡に警告を出していたが、今回のポイントは日本にある。類似報道はGoogleをひけば英文で山ほど出てくるのだが、日本国内の報道はあまりないように見受けられる。この点については冒頭に触れた報道の見取り図の関係だろう。いずれにせよ、問題の核は台湾海峡の緊張ということでもあるのだが、それはあくまで中国にへたれて問題の軸足を台湾に置いているからであって、問題の本質は中国の軍拡にある。
 問題の全貌については、VOA"US Rules Out Expanding Mutual Security Treaty With Japan"(参照)がわかりやすい。大本営VOAだからなのか、標題は、ご覧のとおり、「日米安保の拡張・変更を米国側は否定した」ということになっている。が、当然、そこが問われているからなのだ。記事を読むとその機微がわかりやすく描かれている。
 まず、報道上のエポックである先のワシントンポストの記事のインパクトである。

Bush administration officials say the United States and Japan share concerns about the security of Taiwan, but that Washington and Tokyo will not be expanding the scope of their mutual security treaty. The comments came on the eve of the annual gathering of the U.S. Secretaries of State and Defense and their Japanese counterparts, the so-called "two-plus-two" meeting. It is normally a low-profile affair. But Saturday's meeting at the State Department is drawing heavy attention after a Washington Post report that the two countries will declare for the first time in a joint statement that Taiwan is a "mutual security concern."

 "mutual security concern"は軍事同盟の目的と理解していいだろう。そして、これは安保の変更(終了)でしょうと話の筋をつける。

Such an assertion would be a policy departure for Japan, which has been circumspect on the issue in the interest of preserving relations with China. The newspaper said the pending statement was the most significant alteration of the U.S.-Japanese security alliance since 1996.

 そして、外交マターでもあり、表向きは、安保問題の変更はないとしている。もっとも、バウチャー米国務省報道官がワシントンポストの記事内容を否定していない点も重要ではある。そこを延長した形で、次の発言が出てくる。

Mr. Boucher said the U.S. view of China's behavior is not entirely "rosy" and that it has frequently expressed concern about among other things its export of missile technology and Chinese military activity in the Taiwan Straits area.

 さて、ここからもう少し私の読みを踏み込んでみる。
 なぜ、米国は2プラス2とはいえ、あるいは2プラス2にこの問題を抜け出せないように日本を巻き込んだのか? 私は、まじで、中国の暴走が懸念されるからだろうと思う。
 来月三月開催予定の中国の第十期全国人民代表大会(全人代)の第十三次会議では、台湾独立を武力的に阻止することを正当化する「反国家分裂法(反分裂国家法)」が可決する可能性がある。この話は先に極東ブログ「春節限定、中台直行便」(参照)で少し触れたが、春節話題以外、二月に入ってからは国内ではあまり報道を見かけないが、わずかに中国情報"台湾:「反分裂国家法」阻止、各国で反対意見表明"(参照)に記事がある。ここでは、台湾内部の問題に主眼が置かれているが、ある意味、それこそが中国の目論見であるのだが、要は、そうした外交的な圧力の政策なのか、まじで軍事力が行使されるのか、という点だ。私は、基本的には前者とは見ていた。
 が、米国は、これをまじで中国が軍を動かして台湾攻勢をかける懸念を読み取ったのだろう。それが、今回の事態の一連の背景だろう。
 日本国内の知識人は反米派が多いせいか、また、私としても、台湾海峡の緊張は米国の軍産業の利益だろうと斜に構えているが、それでも歯止めが必要だ。マジで戦争になっては困る。しかも、中国という国は、先の中国原子力潜水艦による日本領海侵犯事件の動向を見ても、軍は常識では考えられないような変な行動をする。というか、中国という国は、内部の政争のメンツに血がのぼると外側に世界があることが見えなくなる。蘆溝橋事件のとき、蒋介石は日本軍との和解を狙っていたが、共産党の工作の結果、メンツの自縄自縛になってしまい、事態収拾の糸口を見失った。もっとも、戦前の日本軍も同様だが。
 まとめると、全人代で成立予定の反国家分裂法をできるだけ骨抜きにするというのが、米国が、今回、日本を巻き込んでの強面をしたということの意味ではないか。もちろん、ここで強面にしておかないと、中国は米本土を狙う原潜開発に爆走してしまう危険性もある。この点については、極東ブログ「中国は弾道ミサイル原子力潜水艦(SSBN-Type094)を完成していた」(参照)を参照してほしい。
 さて、さらにもう一歩踏み込んで考えてみたい。この先は陰謀論に近いので、冗談と聞かれてもいい。
 私は、今回の米国強面の裏には胡錦濤と米国の摺り合わせがあったのではないかと思う。中国原子力潜水艦による日本領海侵犯事件(参照)でもそうだが、どうも胡錦濤のコントロールが軍に浸透していない。
 なにが中国内部の抗争になっているのか。人民解放軍の若手のエリートというかテクノクラートはSARS騒動を見てもわかるが基本的に胡錦濤的に合理的な行動をする。人民解放軍が一枚板だとは思えないが、軍事を動かすから軍部という筋でもないかもしれない。中国のこうした騒動の定石は、まず名目の権力者を屠ることだから、胡錦濤を屠ることがメリットになる集団と反国家分裂法の影響を見ていけば、抗争の筋は見えるのではないだろうか。江沢民派みたいなものではないかなとも思う。また、日本のスポークスマンである朝日新聞がこの構図のどこにポジションしているかが興味深い。はっきりとはわからないが、朝日新聞のアナウンスがある派を代表しているだろう。
 最後に余談めくが、こうした孤立した中国権力者が米国に擦りつくというのは、実は、毛沢東や鄧小平と実に伝統的な陳腐な政策でもある。そう、毛沢東も鄧小平も親米派でありそれで権力を巻き返した。そしてその代償にいつも台湾を支払ってきたのである。

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2005.02.19

しりしり

 久しぶりに料理の話でも。自分は無趣味な人間だが(笑うなって)、料理は趣味に近い。凝ったことはしない。紹介するのは、簡単な野菜料理だ。沖縄の家庭料理と言ってのだろう。しりしり、だ。専用のスライサー(卸し金)さえあれば簡単にできる。
 しりしりは、うちなーぐちで言うと、しりしりー、だろう。本土の言葉風にいうと、すりすり、だろうか。漢字を当てると、擦り擦り、かな。しかし、本土の「すり」が沖縄の「しり」になることはない。むしろ逆に、首里は「すり」に近くなる。しりしりは本土起源ではないのだろう。
 しりしりとは、同じく、しりしりと呼ばれるスライサー(卸し金)を使って、固い野菜を、千切りのように細く切り刻むことである。
 牧志を朝の十時ごろぶらぶらとしていると、道脇に座ったおばーが、青いパパイヤ(沖縄語では、ぱぱやー)を、丹念にしりしりしているのをよく見かける。そうでなければ、もやしの根切りをしている。沖縄の人は、もやしの根をきちんと取って食べる。え? うちなーんちゅだけどそうしてない? おばーにしかられるやっさ。
 おばーの使っている、しりしりスライサーは木製の板に千切りくらいにするカッターの金具がついたものである。沖縄の金物屋とかには売っている(かな)。たいていの沖縄のうちにはある。本土でも探すと、大道芸人のスライサー売り(最近見かけないか)のスライサーセットにも含まれているので、私はそれを使う。本土のはちょっと、しりしりあがりが細くなりすぎるきらいはある。
 先日ミューズリー(参照)の話を書いたが、スイスインフォ"健康食品のミューズリを食べましょう"(参照)にしりしりの話があって、驚いた。ヨーロッパでも使っているのか。


米国では1906年、ケロッグ兄弟がコーンフレークを発明。こちらは早速製品化され、今では売上90億ドルを誇る有名食品である。一方、ミューズリーは商品登録もなされず、ビルヒャーは「お金儲けは考えていなかった」とチューリヒ州立大学の医学史のエバーハルト・ヴォルフ氏。「唯一商品登録された彼の考案品は、りんごを擦り卸す金具の板だろう」と、ビジネスにはほとんど無縁に生涯を終えた。卸し金は日本の大根卸しとは違って、目が粗く、りんごは細切れのようになる。

 ミューズリの発明者ビルヒャー博士の特許はもう切れているのではないか、というのは冗談だが、なぜこれが沖縄でこんなに普及しているのだろう。アジア域でも使われているはずだが、確認せずまま、このところ旅にも出ていない。
 しりしりスライサーは、固い野菜を千切りに擦り卸すためのものだが、これが沖縄で絶対的に必要なのは、まず、パパイヤを食べるせいだ。言うまでもなく、パパイヤは沖縄では野菜だ。青く固いうちに食べる。パパイヤの生えているアジアのどこの国でもそういうものだ。グローバルスタンダードってやつ。だが、本土では通じないので、野菜パパイヤと言うこともある。これに対して、あの甘いやつがフルーツパパイヤ。沖縄人は、種類が違うのだと言う。たしかに、種類は違うのだが、試しに私も庭のパパイヤ(庭にはバナナもあった)が黄色く熟れるまで待って食べてみた。ほの甘い。そんなまずいものじゃない。喰えるよと、おばーに話したら怪訝な顔をされた。余談だが、ごーやー(ニガウリ)も黄色く熟らして喰うと中が赤く甘くなる。これは、昔のウチナーンチュはよく食べたらしい。
 で、パパイヤを擦り下ろす。素人にはそう簡単にはできない作業ではある。手を怪我しないように。擦り上がりの形状は金平牛蒡みたいでもある。これをフライパンに油をひいてくたくたになるまで炒める。どういうわけか、沖縄の人は、野菜でもなんでもくたくたになるまで炒めるのが好きなようだ。塩を振る。あらかた炒めあがったら、トゥーナーを入れる。トゥーナーというのは、本土でいうフレークのシーチキンである。トゥーナーの話は深入りしない。さらに炒めて、これで、ぱぱやーしりしりーのできあがり。旨いか? 旨くない。妊婦はこれをたーんと食わされる。お乳の出がよくなるというのである。パパイヤの汁が白く乳に似ているせいもあるのだろうが、消化を助ける働きもあるのだろう。
 パパイヤの料理といえば、八重山(やえま)の人の家を訪問したとき、生っぽいパパヤーのしりしりが出てきて驚いたことがある。サラダっぽい感じもある。「生?」と訊くと、湯がいてあるらしい。やえまではそうして食べることもあるそうだ。かかっている醤油の感じも、本島のとは違う。関西の薄口醤油に近い。これは、旨い。……と食っていたら、そうだそうだ、これってソムタムじゃん。タイ料理のあれである。タイからやえまに伝承したのか、この手の食べ物はこの一帯にあるのか、いずれにせよ、ソムタムと類似の食べ物だろう。
 野菜パパイヤは東京ではエスニック店などで売っている。雑草のように道脇からもいでこれる沖縄暮らしをしていたせいか、これって買うものか、という意識が先立って、なかなか買うことができない。
 やえま風ぱぱやしりしりに近いのは、大根しりしりだろう。大根をしりしりする。しりしりスライサーがなければ、金平牛蒡よろしく千切りにしてもいい。くどいが、しりしりは慣れないと手を怪我しやすいのでご注意。で、できた大根の生のしりしりにトゥーナーを混ぜる(ほとんど条件反射)、そして醤油を掛ける。それだけ。私は、トゥーナーではなく、ポン酢と醤油とカツ節のほうがさっぱりして旨いかなと思う。潰した梅干しと塩であえてもいい。フレンチドレッシングでもいい。なんかハーブとあえてもいい。
 本土の人にもお薦めしたいしりしりは、ニンジンしりしりである。ジンジンをしりしりする。油でくたくたになるまで、甘みが出るまで炒める。塩で味付けした溶き卵を掛けて炒め、ふっくらまとめる。卵の量はご自由に。仕上げにバターを使ってもいい。ウチナーンチュは炒り卵もくたくたになるまで炒めて、炒り卵まぶしみたいにしてしまうが、そこまでやるなって。にんじんしりしりは、上手に作れば、子供も喜んで食う(ただ、にんじんきらいな子には臭いを上手に処理する必要はあるだろうが)。三色そぼろのネタにもなる。
 もう一品。ジャガイモしりしり。ジャガイモの皮を剥く。包丁でやろうと気取らず、ピーラー使うが吉。これをしりしりする。しりしりしたら水にさらす。さらすこと10分くらいか。このプロセスが必須。そして、水をよく切って、油で炒める。塩とコショウで味を調える。別の作り方もある。最初にガーリックを炒める(参照)。そして味を整える。ベーコンのみじん切りを最初に炒めてもいい…ってそれってハッシュドポテトじゃん。そう、ハッシュドポテトだ。これって戦後沖縄に入ったのだろうか。ハッシュドポテトみたいに重く作らず、軽い感じで作ってマスタードをきかせてもいい。

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2005.02.18

三宅島第一次帰島から二週間が過ぎて

 読売新聞の短い記事"三宅島の新聞販売、4年半ぶりに再開"(参照)を読みながら、ちょっと物思いに沈んだ。なかなかこの問題については言及しづらいものがあるなと思う。しかし、だからこそ、ちょっと書いておこうかとも思う。まとまった意見ということではない。
 記事は標題通り、三宅島で読売新聞の販売が開始されたというもの。戸配ではなく商店での販売である。記事は自社宣伝みたいでもあるが、この島民の心情はわかる。


島内では、噴火前に唯一営業していた新聞販売店が再開しておらず、宅配も店頭販売も行われていなかった。帰島した人々の間では「新聞を読みたい」という要望が高まっていた。


 仕事帰りに立ち寄ったという銀行員中山洋さん(54)は、「活字が恋しくて、新聞が読めないのが寂しかった」と笑顔で話していた。

 私は沖縄の海辺を八年ほど転々と暮らしたのだが、当初は新聞など読みたいとも思わなかった。地域とのつながりができるとそのつながりから現地の新聞を買えのプレッシャーは来る。結局、ほとんど同じ論調にして同じ共同配信記事ばかりの二紙を取っていた。それはそれなりに面白いと言えないでもない。幸い低速の回線だがインターネットはできたし、NHKは受信できるので、本土のニュースや海外ニュースがわからないわけでもない。それでも、いつからか、なにか変だ、なんだろうと思ったのは、書籍の広告を見なくなったことだった。そう気が付いたら無性に本土の新聞を購読したくなった。書籍広告を見たいがためというとほほな理由だ。沖縄の僻地でも、本土新聞配達のためのなんとか会というがあって、でーじな金額を払うと本土の新聞を読むことができることがわかり、いろいろ手続きを進めたのだが、どんな理由だったか、結局頓挫した。そして、沖縄にはジュンク堂もない(あるわけもない)し、図書館も充実はしてないと痛切に思った。しかたがない。実家から一ヶ月分古新聞送れとでも頼んだが、リサイクルがどうので、それも実現しなかった。変な話のようだが、「活字が恋しくて、新聞が読めないのが寂しかった」というのは、だから、わかる。そして、読めるようになって、よかったねとは思う。
 三宅島住民帰島のニュースは概ね、そうしたよかったねと思うしかないように受け止めていた。幸いにしてか、報道もそういうトーンでまとめられていた。が、NHKの「あすを読む」で最新の三宅島の光景を見て私は凍り付いた。そして改めて過去のニュースを読みながら、二酸化硫黄濃度の減少が帰島のきっかけではないことを知った。災害の状況は"東京都公式ホームページ/三宅島災害情報"(参照)が詳しい。
 ではなぜ、この機に帰島ということになったのか。そのあたりは、ちょっと口ごもる感じがする。
 Yahooのテーマ別のニュース一覧に"三宅島火山活動"(参照)があり、各種の報道を経時的に読むことができるのだが、古い記事は少ない。むしろ、昨年11月28日の"避難島民が最後の交流集会 新潟の被災者に義援金も"(参照)からは、テーマは帰島が前提となっていく。その記事のトーンが、なんというのだろうか、あと三年後にこれを読んだらどう自分が思うだろうか、うまく言えない奇妙な空気のようなものを感じた。それはひとつには毎日新聞系の記事"三宅島帰島:「出征兵士を送る気持ち」 石原都知事、感想 /東京"(参照)にもつながる感じだ。石原都知事は第一次の帰島に「複雑で、うれしいと同時に戦争中の出征兵士を送るような気持ちだった」と述べ、こうつなぐ。

知事は「三宅は戦争ではないけど、決して正常な環境状況じゃないですからね。そこにいて慣れたつもりで、慣れることでどんどん体が侵食されなければいいと思うし、とにかく火山ガスが一刻も早く止まることを望みます」と話した。

 毎日新聞としては戦争を暗示させる石原都知事を揶揄したい思いも込めているのかもしれないが、私にはむしろ、率直に石原都知事の思いがうまく伝わった。そして、その先は、どうしても言葉にはできなかったのだろう。
 二週間が経過し、島民の暮らしはどうか。共同"居住地域でまたガス注意報 三宅島、村民マスク着けず"(参照)が興味深い。

 9日午前8時半、伊豆諸島・三宅島(東京都三宅村)南西部の阿古地区で、二酸化硫黄濃度が2・0ppmを超え、三宅村は火山ガス注意報を発令、村民らにガスマスクを着けて室内に入るよう呼び掛けた。1日の避難指示解除後、居住地域での火山ガス注意報は7日に同じ阿古地区で発令されたのに続き2回目。
 阿古地区では7日と同様、ガスマスクを着けずに歩く村民らの姿が見られた。その一方、民家に片付けの手伝いに行く途中だったボランティア6人は、午前10時40分に注意報が解除されるまで、錆ケ浜港の定期船待合所内に避難した。

 皮肉ではなく、ある意味、それは、いわゆるガスとの共存ということでもあるのだろう。そして、釣客もある程度は見込めるのではないだろうか。サンスポの記事"まず島民の生活復旧を…三宅島避難解除から2週間"(参照)を読むとそんな期待も浮かぶ。
 帰島への政策転換の過程を東京新聞"追跡・三宅島災害"(参照)や他の過去ニュースで見ていくと、時系列としては、昨年の今頃行われた村長選挙が大きな節目だったのだろうと思われる。長谷川鴻(参照)前村長は、昨年、体調不良を理由に七月までの任期満了を待たず一月に辞職し、この辞職を受けて出馬を決めた元村復興調整担当課長の平野祐康氏(55)が当選した。もちろん、この村長交代が、帰島の政策転換のためだっただけとは言えないことは、平野新村長の得票状況などからも察せられる。
 平野新村長には今後も大きな課題が課せられていることだろうと思う。それがなにかとは言いづらい思いがあるし、そこを祈りに換えたい気持ちにもなる。

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2005.02.17

結局、京都議定書ってどうよ

 三回シリーズでお届けする京都議定書をどうするだが…ってシリーズにする気もなく、原油ピークアウト説のネタでもと思ったのだが、一昨日「ブルガリアといえば、ヨーグルト、琴欧州勝紀、そして…」(参照)でグリーン投資スキームを看板とした企業の奇怪な動きに簡単に触れ、昨日まさに議定書発効日に「環境税(温暖化対策税)はしばらくやめにしたらどう」(参照)を書いてみて、心に残るものがまだある。というか、考えが少しずつ変わりつつある。そのあたりを書いておきたい。結局、京都議定書ってどうよ、ということでもある。
 私は、すでにこのブログの過去の論調でもわかるように、京都議定書なんてくだらないと思っていた。最大の理由は、地球の気温変動は小賢しい人間の仕業なんぞに左右されるものではない、まして、最大の温暖化排出国である米国と中国が含まれていない国際協定になんの意味もないと考えていたからだ(米国は州単位で環境問題に取り組んでいる)。そして、この環境テーマはEUの世界戦略に関係しているのも、笑い飛ばしたい一因でもあった。
 しかし、率直に言って、考えは変わりつつある。一昨日、昨日と、どちらかというと、グリーン投資スキームや環境税に批判的なスタンスでいたのだが、いや、これは肯定的に考えるべきか、という思いが強くなってきている。温暖化ガスの抑制は地球に対して微々たる影響力あっても、無視できるわけでもないと言えるまでに研究が進んでもいるようだ。
 そして恥ずかしいことだが、私は、自然に対して倫理的でありたいとさらに願う気持ちが強い。いや、そう言って、すごいこっぱずかしい。だが私は多分ヒューマニズムを越えていけないように古風な自然愛好の心情を越えてはいけないのだろう。あと何年この地球にいられることやら。そしてさらに個人的なことだが、好きだった沖縄でも、八年の後東京に戻り、その関東の雑木林や河川の土手などを歩きながら、この自然が自分を育ててきたのだ、これに守られてきた子供だったのだと感慨深く思った。もちろん、沖縄にも自然がある。でも、自分の自然とはこういうものだったのだと強く思った。感傷域になりそうだが、特に松の木の衰えには泣きたい気持ちになる。
 ま、それはさておくとしても、京都議定書に取り組むというより、それを一環としたある倫理的な生き方をしたいと願う人が増えてきてもいいだろう。現代は、個人の美学は個人の勝手で許されるというか罵倒されるが、倫理的な生き方については、ナショナルなものしか見えなくなりつつある。が、それは違うと私は思う。日本ナショナルなものは、日本の自然とその自然を育てた伝統の後から来るものだろう。
 で、京都議定書なのだが、わかりやすい問題点は、1990年を基準にあと8年ほどで6%削減するはずが京都議定書採択後7年で8%増え、結局、14%削減が迫られるということ。つまり、現状の努力では、常識的に考えても無理がある。なので、とてつもない産業構造の変換とライフスタイルの転換が求められるはずだ。
 日本で温室効果ガスを排出している最大のセクターは言うまでもなく産業部門なので、京都議定書を推進していくには、当然、そこが改善されなくてはならない、と私は考えていた。当然、これは、産業界からは反発があり、その反発は、昨年時点までけっこう稚拙なものだった。現在、実際に議定書が発効され、産業界はどう考えているのか。
 昨日の時点では、その代表ともいえる日本経団連のアナウンスが読めなかったが、今朝は公開されている。15日付の"地球温暖化防止に取り組む産業界の決意"(参照)がそれである。ポイントは実際的な削減見込みが成立しているかということだ。


昨年11月に発表した2004年度のフォローアップ結果では、2003年度のCO2の排出量は1990年度比で0.6%の減少となり、2010年度のCO2排出量の伸び率を1990年度比±ゼロ%以下に抑えるとの目標を4年連続で達成することができた。主要業種の見通しをもとに予測した2010年度の排出量も1990年度を下回る見込みであり、各業界が推進中の様々な対策を着実に実行すれば、目標は十分達成可能である。

 これはまとめ部分なので詳論ではないが、概ね、これは正しいだろう。つまり、産業セクターでは現状の努力で「1990年度比±ゼロ%以下に抑える」ことが可能であるということであり、もう一つの側面はその程度しか削減できないということでもある。ドイツの大幅な削減と比較するとあと二歩踏み込んだ対策が必要になるだろう。が、EU全体でみればドイツが例外なのであまりそういう議論もどうかとは思う。具体的に今回のアナウンスでそのからみで問題となるのは、次の点だろう。

環境税や経済統制的、規制的な対策には強く反対
 政府は国民や企業の自主的な取り組みを促すような施策を温暖化対策の中心とすべきであり、個人や企業の自由な活動を阻害する管理型の施策をとるべきではない。
 欧州等の他国の政策を先進的とみなして、無批判に後追いしてはならない。わが国はすでに世界最先端の省エネ国家を実現しており、産業部門の追加的な限界削減コストの大きさや、米国やアジア諸国とのグローバルな競争の激化といったわが国の実情を十分に踏まえた政策が求められる。
 環境と経済の両立への配慮を欠き、持続可能性のない一時しのぎの政策は、国民や企業の理解を得られないばかりか、産業の海外移転や輸入の増大により地球的規模での温暖化問題の解決にかえって逆行する。
 
1.環境税には強く反対
実質的な企業課税となる環境税は、わが国産業の国際競争力に大きな影響を及ぼすばかりでなく、産業界が更なる温暖化対策を進める上で不可欠な、研究開発や設備投資の原資を奪うものである。
温暖化対策予算としては、毎年1兆円を超える予算が充てられており、財源を新たに求める必要はなく、既存予算の効果的・効率的活用を考えるべきである。
 
2.わが国の実情にあわない国内排出量取引制度
本年EUで導入された欧州排出権取引制度(EUETS)は、域内貿易取引が太宗を占める欧州企業を対象とする制度であり、また中東欧諸国などに排出量の削減余地が大きい企業が存在するなど、日本とは異なる事情の中で成立するものである。
 そもそもキャップ・アンド・トレード型の排出量取引制度は、実質的にエネルギー使用量を政府が決定・管理するものであり、公平な制度構築は不可能である。またわが国企業の削減ポテンシャルを考えても認められるものではない。

 環境税の認識も間違っており、排出量取引制度を国内で反論しながら海外に推進していくという矛盾などがある。いずれにせよ、こうした未熟な議論はあたりはいずれハンマーアウトしていくしかないだろう。つまり、産業セクターの根幹を改革しなくてはならなくなる。ただし、経団連懸念しているように、場当たり的な政府にそれができるのかという不信感があるのだろうし、そこが大きな問題だとは思うので、早急に産業界に変革を期待すべきではない。
 問題はあるとしても、産業セクターは概ね見通しがあると見ていいだろう。とすると、やはり民生・運輸のセクターが大きな問題となるというスジは正しい。経団連の言葉を借りるとこうだ。

翻ってわが国全体のCO2排出量の動きを見ると、1990年度比で民生・運輸両部門のCO2排出量は20%~30%と大幅に増加しており、両部門の対策強化が京都議定書の目標の達成に向けた最重要課題となっている。

 1990年からのセクターごとの排出の変動を見ると、特に大きいのは、運輸のセクターだ。やっかいだが、ここにかなり大きな変革が求められる。民生のセクターは、端的に言って、現状より消費を縮小させるわけにはいかないので、むしろ、公的な部門をさらに縮小することが先決だろう。と、ブログのネタとしてはつまらない話になりつつはある。
 1990年からの生活の変化として私の生活感として変わったなと思うのは宅配だ。最初に言うが、宅配が悪いというのではない。むしろ、宅配は消費側からはコストゼロにしなくてはいけないとすら考えている。今後さらに消費のメインストリートに出てくるはずの通販でボトルネックになるのはそこだからだ。しかし、宅配を含めた運輸の全体像はどうなっているのか、そこは気がかりだし、私もそこをこれからワッチしていこうと思う。
 話を戻して、どうしてこんな議定書を追米というか事実上米国占領下にある日本が率先して採択したのか疑問でもあったが、先の産業セクターの努力を見ていて、当初は、軽い気持ちだったのだろうなと思うようになった。
 結果としてこの問題を放置したために、14%削減という数値が浮上したのだが、当初は6%削減でしかなかった。しかも、この6%の内、3.9%は森林吸収、1.6%は対外的な排出量取引と見ていた。これだけで5.5%になる。残りの0.5%が、日本国民の生活面と産業界の努力に課せられていた。そう、たった0.5%の話と甘く見ていたのが、ヤミ金融の金利みたいに14%に膨れてしまったのだろう。
 そう考えると、京都議定書の問題というのは、年金問題などと同じように、責めるようだが官僚のシミュレーションの甘さと無責任さが国民にじわっと広がったのと同じ構造にある。タメのようだが、ドイツと比較すると、政治の不在でもあるのだろう。
 で、結局、京都議定書ってどうよなのだが、産業セクターは大きな節目であと数パーセントの削減が迫られ、残り、民生・運輸のセクターではまず、政策的な転換による大幅削減、そして、実際に国民の努力がそれに続くのだろうと思う。そして、そこにどう環境への個人の倫理性が旧来のイデオロギーに収斂されず起立しえるだろうかが課題になる。
 これから日本は人口が縮退化し、さらに産業構造としても温暖化ガスをばかばか出す一次産業が伸びていくわけでもない。それらが大きな、産業全体の縮退の圧力となり、結果として温暖化ガス削減にも援軍とはなるだろう。

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2005.02.16

環境税(温暖化対策税)はしばらくやめにしたらどう

 というわけで、今日、めでたく、地球温暖化を防ぐための京都議定書が発効した。で、どうしようか。問題は、けっこう深刻に見える。というのも、温室効果ガスの排出について、日本は、3年後の2008~12年の5年間に、基準となる1990年に比べ、6%削減が求められている。だが、2003年度時点では8%増加していた。つまり、あと8年以内に温室効果ガスの排出を14%%も減らさなければならない。これまでも努力してきたのにそんなことが可能なのか? ざっと考えても、日本の社会の根幹部分で変更が迫られることになる。
 で、こうした大問題があるとあらぬ方向に火の手があがるものだが、その一つの動向は昨日の極東ブログ「ブルガリアといえば、ヨーグルト、琴欧州勝紀、そして…」(参照)でふれたグリーン投資スキーム看板下の企業の奇怪な動きだ。おちゃらけで書いたがまず笑っちゃうしかないでしょ。
 もう一つの爆走が環境税(温暖化対策税)だ。え? 環境税の何が悪いのか? 温暖化対策の一環として欧州ではすでに導入されているではないか。しかし…。
 いろいろ考えてみたのだが、単純に反対はできない。また、現状、日本政府がこの問題についてどこに向かっていくのかもよくわからない。時事的には財務省側では"環境税は全体の政策の中で位置付けて議論=京都議定書発効で谷垣財務相"(参照)では今後の課題としている。


谷垣財務相は、閣議後の記者会見で、温室効果ガス削減のための環境税について、「税の観点からだけ考えるわけにはいかない。京都議定書達成のための基本計画をこれから作成する。全体の政策の中で税をどのように位置付けていくかの議論だ」と述べた。

 言っていることはとりあえず正論。環境税は税の観点からだけ考えるわけにはいかないものだ。
 いくつか原則がある。第一に通常環境税は石油など温暖化ガスを排出を抑制するという意図がある。こうした税による使用の抑制としては、たとえば、欧米などではたばこは有害なので国民が吸わないように重税にしたところ喫煙者が減ったことなどがある。しかし、日本のガソリン価格がいい例だが、リッターあたり二、三円上がってもほとんど意味がない。昨年後半からの原油価格の高騰にもほとんど動じないほどの事実上の重税が課せられている。また、まさに原油価格の高騰などでこうした税は抑制という面では見えなくなる。ま、どさくさで税金取っちゃえというなら話は別だ。
 第二に、その税収がどう使われるのか。これは、端的に、どのように温暖化ガスの抑制に効果を持つのかが、見えない。誰か見えている人がいるなら教えてほしい、まじで。少なくとも、その税は、環境対策の施策の全体のなかで生きるものだが、日本では欧州に比してそういう政策はまだ存在してないとしか見えない。
 第三に、先の点にも関係するのだが、税制中立という題目だけではないにせよ、ドイツの例をみても環境税は税のための税ではなく、例えば企業への課税としても社会保障面でのバーターの援助にもなっている。だから、総合してみれば、減税とも考えられる。というか、そういう方向がまず打ち出されなくてはならない。でも、そうではないのだろうというあたりが、経団連の反応からわかる。
 話を経団連の動向に移すのだが、これはもう一年以上前だが"「環境税」の導入に反対する"(参照)という面白い意見書を出している。アウトラインはこうだ。

1.「環境税」は本格的な景気回復に水を差し、産業活動の足枷となる
2.国内空洞化を促進する一方で地球の温暖化をかえって進行させる
3.エネルギー課税は既に過重である
4.自主的取り組みを尊重し、実効ある民生対策に取り組むべきである
5.全ての国が参加できる新たな枠組が不可欠である

 一見すると真面目なように見えるが、読むとちょっと笑える。というか、一昨年の時点ではまだこんな呑気なものだったのだろう。単純にいえば、まるで環境問題が理解されていない。
 余談にそれがちだが、類似の頓珍漢は今朝の産経新聞社説"京都議定書発効 新たな国際体制が必要だ"(参照)にも見られる。

 日本の〇三年度総排出量は九〇年比8%増で、日本の義務となった6%減には14%の削減が必要になる。政府は従来の温暖化対策の評価・見直しを行い、近く「京都議定書目標達成計画」を策定する。だが「乾いたタオルを絞る」ほど省エネ努力をしてきた日本にとってこのハードルは厳しい。
 産業部門にはさらに削減を求められるが、排出が急増している運輸・民生(事務所、家庭)部門が一層の省エネ対策を担うべきだろう。風力や太陽光など自然エネルギーの比重を高めるべしとの論もあるが、効率や供給量、品質など不安材料は多い。やはり高度情報化社会を支えるのは原子力エネルギーであると認めねばならない。

 ぷっと吹いてしまうのだが、排出の最大のセクターである産業部門の抜本的な転換こそが問題なのだが、産経新聞はまるでわかってない。ホリエモンなんとかしてよ。また、「排出が急増している運輸・民生(事務所、家庭)部門」とまとめるのもなんだかなだではある。民生部門では産経には素敵な奥様くらいの発想しかないのだろうが、むしろ重要なのは、省エネ装置の買い換えの強い行政的なインセンティブだろう。さらに公共部門での構造的な省エネ対策が必要になるのだが、そのあたり、運用の問題(蛍光灯をこまめに消すんじゃねー)とシステムの問題(採光の見直しと、省電力照明にしろよ)が理解されづらい。運輸はけっこうな問題だが、このあたり、ディーゼル問題で日本国民がいつまで騙されているかでもある。ま、この手のディテールはいろいろある。
 いずれにせよ、繰り返すが、産業のセクターが大きく変わらなくてはならない。だが、ここで、多少、私も譲歩して考える。昨日の経団連のアナウンスは気がかりだ。オリジナルがまだ経団連のHPにないので日経の記事"経団連、温暖化防止で政府統制の排除求める"(参照)を引用する。

日本経団連は15日、京都議定書の発効を前に「(環境税など)経済統制的な温暖化対策には反対」とする文書を発表した。温暖化ガスの削減目標を定めた自主行動計画が効果を上げ、「産業界の2010年度の温暖化ガス排出量は1990年度を下回る見込みだ」と指摘。経団連が業界や企業への働き掛けを強めるとして、政府には企業の創意工夫を引き出す施策を求めた。

 重要なのは、「産業界の2010年度の温暖化ガス排出量は1990年度を下回る見込みだ」というのがどう科学的に裏付けられているかだ。だが、これまでの推移を見ると、また、この記事の後半を見るに、どうも、ハズシっぽい。
 しかし、経団連の言い分にも理があるようにも多少思う。というのは、エントリを起こすにあたり、14%削減!というスローガンの実態をデータや、日本の温暖化ガスの排出状況の他国との比較を見たのだが、これって年金問題やヤクザ問題みたいに手が付けられない問題ではなく、まだなんとかなる範囲にも思えた。というか、日本人は、まだまだ大丈夫なんじゃなか、と、印象を書くようだが、このあたり、14%増というスローガンと怪しい爆走を冷静に見直していいように思える。

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2005.02.15

ブルガリアといえば、ヨーグルト、琴欧州勝紀、そして…

 ブルガリアといえば、ヨーグルト、琴欧州勝紀、そして……あまり思いつかない。身近な人間にも訊いてみた。「ダイヤモンドの加工品がいいのよ…」とのお答え。あ、そこでストップ。話は、そっちの方向ではなく、明日発効される京都議定書のことなのだ。
 地球の平和を守るため、みたいな、地球温暖化を防ぐため、と言われる京都議定書が明日16日、発効する。今朝の朝日新聞社説の言葉を借りれば「気候変動枠組み条約が生まれて13年、京都会議で議定書が採択されてから7年がたつ」とのことだが、議定書については最初から米国を抜いてロシアが入れば発効できるようにしくんだため、プーチンが「こ、これは使えるじゃん」とかえって日和らせる材料になってしまった。
 その間、欧州では温暖化防止の施策が進んだ。特に、ドイツ。緑の党もけっこうまともっぽくなった。まったくドイツって国は目標が決まるとなんでもやってしまうのか…ということでもないのだが、実質後進国だった東ドイツを吸収したことをこればかりは好機にして、二酸化炭素排出量が少なく制御できたようだ。京都議定書もクリアできる模様。他、前世紀に戦争経験がなく市民社会がヨーグルトみたいに発酵してんじゃないかぁの北欧などでも、進んだ。
 で、なぜブルガリア。そうそう。ブルガリアが環境対策の先進国か、ということはない。むしろ問題は日本だ。日本は、京都議定書の枠組みでは、1990年の二酸化炭素排出量(約11億トン)を基準として、第1約束期間である2008年から5年間で温室効果ガスの平均排出量を6%削減すると約束した(内、森林による吸収が3.9%)が、お立ち台、じゃない、お立ち会い、1997年に9%を越えた。え?である。いやいや、日本だって努力はしている。2003年には8%になった。やったぜ、1%も減った。あと、14%減らせである…虚しい。ダメじゃんである。見込みなし。
 少なくとも現状の努力の継続では無理ということは判明した。2008年といえばあと3年。そこから5年で14%がくんと減量するにはアトキンズダイエットしかない…というような妙案はないか、じゃなくて、マジ、すげー産業構造と生活のあり方を変えなくてならない。
 で? いや、全然どうしていいかわからない。今朝の朝日新聞社説"議定書発効――地球守る「百年の計」を"(参照)でも標題を見てもわかるように、あと数年先の未来を百年後でいいじゃんにしている。戦中の朝日新聞みたいに戦争イケイケというのも困ったものだが、最初からこんなとほほでいいのだろうか。ま、もっともおやびんの中国が環境問題に関心ないしそのあたりをぼかしたいという意図もあるのかもしれない。それに憎き米国だって京都議定書を離脱しているし、と。


 しかも、米国は議定書から離脱し、ブッシュ大統領は、復帰することはないと明言している。最大の排出国である米国が「中国やインドなどへの義務付けがない」と反発し、2位の中国は「まず米国など先進国が義務を果たすべきだ」と言い返す。これでは限界がある。
 2010年には、両国で世界の二酸化炭素排出量の37%を占めるとの試算もある。ちなみに日本は4%弱だ。第2期は米国のほか、中国などにも何らかの規制の網を広げる手立てが欠かせない。

 って問題は足もとの日本なんだけど。と、その点は昨日から前編後編のスペクタクルにしている日本経済新聞社説がちょいマシ。今朝の"京都議定書発効(下) 温暖化防止で日本モデルを世界に示せ"(参照)ではこうまとめている。

 目標達成に向けて大事なことは、環境という価値を経済にしっかり組み込み、市場メカニズムを活用して排出削減が加速される仕組みを早急につくりあげることだ。排出削減すれば経済的価値が生み出され、削減できないのなら経済的な負担を強いられる。こんな仕組みでおのずと温暖化防止が進む社会をつくりあげなければならない。

 なーんかはどうでもいくてぇ…。要点はこっち。

 政府は地球温暖化対策推進大綱を練り直し、3月にも京都議定書目標達成計画をまとめる。あいまいだった大綱の政策は、計画への切り替えでもっと具体性を持たせて個別に達成すべき目標を明示し、実効性のあるものにすることが必要だ。日本は議定書の行方を模様眺めしていたから、経済的手法を取り入れた制度づくりが遅れており、その整備も急がなければならない。
 例えば「排出権取引」は、産業界が排出枠設定を嫌って国内制度は未整備のままだ。日本経団連は自主行動計画で業界ごとに目標を設定、排出削減に取り組んでいる。しかし目標が達成できなくても、ペナルティーがあるわけではない。最終的に勘定合わせが不明朗にならぬよう、排出枠を設定して透明性の高い取引制度で削減を進めるべきではないか。

 具体的に施策として「排出権取引」はどうよ、と。
 で、ブルガリアはどうした? そうそう。ブルガリアと日本は国家間の枠組みとして、初めて排出権取引が合意されている。つまり、ブルガリアから温室効果ガスの排出権を日本が買い取り、ブルガリアはその代金で省エネルギ投資を実施しすることで温室効果ガスを削減するというわけだ。公式文書は官邸HP"日本国とブルガリア共和国とのパートナーシップに関する共同声明"(参照)にある。

16.双方は、京都議定書が、気候変動に対する国際的枠組みの強化において極めて重要な要素であることを認識しつつ、京都議定書の下で、共同実施及び排出量取引において日本の民間部門も参加した二国間協力に対する期待を表明した。

 これだけじゃよくわかんない。より詳しくは国際協力銀行"ブルガリア共和国政府と京都メカニズムに関する協力に合意~初めての共同実施(JI)における協力~"(参照)を一読されたし。
 ま、そういうわけだが、ようするにこれがグリーン投資スキーム(GIS:The Green Investment Scheme)(参照)というやつだ。
 簡単に言うと、ブルガリアは現状、おめーなんかまだEUに入れるわけにはいかないよ~んとされているのを日本が目を付けた。チャンスじゃん、ブルガリアは京都議定書の目標値をかなり下回っているから、ね・ら・い・目である。
 さすが日本、お目の付け所が違いますな、というのも、実際のところ、以前なら、資源もない国なんか相手にしなかった日本だけど、言っちゃ悪いけど、夢があり若く貧しい人間だけが革命を担えるのであるという毛沢東主義みたいに、貧乏未開発国それが君たちの資源だみたいなことになったわけだ。しかも、省エネルギー関連設備の導入や建設事業に日本の企業が参入できるってウマ~である。
 というわけで、ブルガリでうまくいったら、次はロシアだ。バイカル湖まで進めぇって違うか。お商売、お商売。でも、南進策もあり。南方の国の島国にどかーんと原発でも作ってやっかぁ! 
 おっと、それじゃ、政府も業界も作っておかなくては納豆、というわけで、日本温暖化ガス削減基金(JGRF:Japan GHG Reduction Fund)もできました(参照)。なんか、それって、スジ、違ってねとか思うけど、それはそれとしてウォッチ。なにもそれだけで悪いっていうものもない。ただ、本筋とは違う。
 本筋の国内の二酸化炭素排出削減は…ということだが、なかなかそこに行かず、環境税へとなんかスジ違いかも話はまだ続くのだが、このエントリはここまで。

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2005.02.14

ヴァレンタイン・デー…起源を知れば、いー感じぃ

 クリスマスは冬至の祭である。建国記念の日は春節である。ヴァレンタイン・デーについてははっきりとはわからない。でも、こんなところでしょという、お話を書いておこう。
 ヴァレンタイン・デーの起源について、歴史家は概ね古代ギリシアのゼウスとヘラの婚礼月(ガメリオン)に由来すると見ている。ギリシア文化をパクった古代ローマでもこの月を婚礼の月と呼んでいたようだ。そのあたりから、現在のヴァレンタイン・デーに関連付けられたのだろうと思われるが、実際にこの日がカトリックの聖者ヴァレンタインに関連づけらたのは欧州が中世に入ってからのことで、カトリックとしてもこの日は聖ヴァレンタインを祝う日とはしていない。つまり、これについては異教の祭としているに等しい。
 ヴァレンタイン・デーが古代ギリシアに由来するとしても、14日という日付についてはギリシア文明には直接遡及できそうにもない。ギリシアのヘラ神、またそれをパクったローマ神話のユノ神を祝う日とも言われるが、その翌日15日、古代ローマではルペルカリア祭として豊穣の神ルペルクス(Lupercus)を盛大に祀るので、おそらくこちらが実際の起源なのだろう。
 ルペルクス神は、神話学ではファウヌス(Faunus)神と同一視されているというか、エイリアス(別名)のようだ。ファウヌス神は、二月(如月)を表す英語Februaryの語源になっている。つまり、二月はファウヌスの月という意味だ。
 余談だが、Februaryの発音は、つい字面に引かれて「フェブラリー」みたいに発音する日本人が多いが身近に生粋の、頭はいいけどつまりちょっとたらんかな的な米人がいたら発音させてみると面白い。彼らは「フェビュラリー」と言うはずだ。この字面の発音は米音ではできないのである。

cover
火の鳥
冨田勲
 ファウヌス神はローマ神話に取り入れらているが、直接的には、エトルリアの神話に由来するらしい。ローマ人はその言語であるラテン語も古典ギリシア語をパクってつくったほど表面的にはギリシア文明を継承しているが、こうした傾向は一種の劣等コンプレックスみたいなものではないか。現在日本人は呑気に「ローマ字」と言っているが、このアルファベットも、もともとギリシア文明に精通していたエトルリア人を経由してローマ人がパクったものである。エトルリア人とその文明にはいろいろ謎が多いが、そこまで余談に突っ込むわけにもいかない。
 エトルリアの文明に由来すると見られるファウヌス神だが、おそらくこの神はエトルリア起源というより、古代ギリシア文明の神話に由来するものだろう。ギリシア神話では、この神はパン(Pan)神として知られている。トリビア的な話をすると、日本語にもなっているパニック(panic)は、パン神が引き起こすとーんでもねーことというのが語源だ。そう、パン神はけっこう碌でもないことをするというか、ま、そんな感じなのである。その感じはこういう感じだ。
cover
 パン神は、上半身は人間だけど下半身は山羊で、角と蹄をもっているアレである。明治時代の日本の文学者たちはこれを「牧神」とか訳している。ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」はステファヌ・マラルメの詩「牧神の午後」に由来するが、これだね。と書いたものの、こんなふうに芸術的な文脈で書くと気高いおフランスみたいに誤解されるが、実態は、違う。どう違うのか…といい解説の絵はねーかなと、ぐぐると。"ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲 :小林Scrap Book"(参照)が大変によろしい。リンク先の絵をよくご覧あれ。これだ。ふっ、ふらちなぁ、というのが牧神の基本イメージなのである。Wikipediaにもよろしい写真があったので貼っておく。クリックすると気になる部分がもうちょっと大きく見えるはずである。
 話がヴァレンタイン・デーからすごく離れてしまったみたいだが、いやいやそうずっこけて書いているつもりはない。要するに、ヴァレンタイン・デーの本質はパン神のこの、いー感じぃ、なのである。なにしろ、上半身は人間だけど下半身は山羊である。うちなーんちゅなら、ヒージャーやっさである。食ったら慌てて冷水を飲むなである。
 というわけで、チョコのネタもちょっと考えていたけど、それはパスしよう。日本や米国のチョコレートは最近では、vegelate(ベジレート)と言われるらしいってな話などは、別の機会にでも。

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2005.02.13

[書評]オレさま・ワタシさまってやつは(藤臣柊子・青柳和枝)

 この本、一言で言えば、DV(ドメスティックバイオレンス)を内側から、女の側から見た本である。すさまじい。私のように男の側で見るなら、自慢でもなく私は吉本隆明みたいにDVとはとんと縁もなくマイバッグを下げてスーパーに行く男なのだが、が、それでもこの本に描かれているダメ男に、男というものの情けない本質がこれでもかと描かれていることを了解する。ああ、男というのはこういうもの。

cover
オレさま・ワタシ
さまってやつは。
 この本面白いのか? 文句なく面白い本である、とは言えない。広く社会に読まれるべき本、とも言えない。教養人なら読まないと恥ずかしい本だとは、さらに言えない。ただ、私はこの本を繰り返し読んだし、また読むだろう。一種の奇書だし、文学を越えるもののようにも思う。というか、私にとって文学というのはこちらの方向を向いたもので、昨今の愛を称えて涙する系はちょっとパスしたい。
 なんとなく最近の大衆書の方向は純愛っていうのか、そっちに向いているし、このブログを始めたころからいつかこの本について書こうと思ってたものの、空気を読めみたいになんとなく機を逸してきた。その内、どうやら絶版になったようだ。でも、おかげでアマゾンから古書で安く購入できる。それと、電子書籍のパピレスでもダウンロード販売をしている(参照)。たぶん、電子化に合わせて書籍を潰したのだろう。
 DVだけに特化すると重くてどうしようもないこともあるのか、藤臣柊子のマンガが入っている。マンガの入り方は、一応この本のコンセプト、つまり、自己中心的な「オレさま・ワタシさま」ってこうだよね、という感じである。藤臣も鬱を抱え、離婚経験などもあり、もうちょっと深いところが描けるんじゃないかと初読で思ったが、ま、そういうものでもないだろう。話は、ようするに、青柳和枝の壮絶なDVの再婚生活の実録だ。
 青柳和枝は1958年生まれというから私より一つ年下だが、書籍には生年がないので、私は自分より二三歳上かなと思っていた。高校生にもなる大きな娘がいるせいもあるのだが、考えてみたら、同じく一つ年下の日垣隆を思うまでもなく、私なんぞ大学生の娘がいてもおかしくない。というか、大学時代の恋愛でそのまま結婚していたら、あるいは社会に出たときのなんかの幸運でやけっぱちな結婚をしていたら…とあれこれ思う。私と限らず、私の周りでも同じようなものだ。30歳ちょっと過ぎた当たりで、一群はばたばたと離婚した。私は青春時代にひどい恋愛をしたし、人生もうお終いと思っていた(ま、今でも)ので、ある意味山本夏彦のように死びとのように世相を見ながらも、30代は若さもあるので云々、という次第だった。私の話などどうでもいいのだが、青柳が出会う男は、ある意味で、そんな私のような男だったなと思う。
 彼女はこう物語を始める。

むかしむかし、あるところに、
結婚はもういいわというオンナと
結婚にたいしてくたびれてしまったオトコがいました。
ふたりはもともとの知り合いで、
たまに食事をする友だちでした。
半年ぶりに会って食事をしたとき、
オトコは勤務先が倒産し、無職でした。
オトコは、日本をベースに、
いろいろな国を放浪して生きていきたいと思っていました。

 で、同じ仕事をしながら、「一時の感情でもりあがって結婚する歳じゃない」けど、暮らして見みようと思うようになる。

オトコの言葉に納得したオンナと子供は、
家族というかたちを取って、
いっしょに暮らすという選択をしました。
そして仕事も、生活も、何もかもいっしょの毎日が始まりました。
どこにもあるような、
ごく普通の、家族というかたちで。
しかし。
ひとつだけ違っていたのは、オトコはオレさまだったのです。

 もちろん、「オトコの言葉に納得したオンナ」というのは欺瞞だろう。また、生活が破綻していく理由が「オトコはオレさまだった」からとして、どこにでもある家庭がうまく行くというわけでもない。もちろん、ここでアンナカレーニナを引用する趣味もない。
 男の側からみると、これは、やっていけないという感じの共感もある。そのあたりが、DVというふうに総括していいのかわからない。家族幻想が問題なのだというようなインテリ様はさらに邪気退散でもある。
 目次の引用というのもまぬけだが、なにかとこってりとトピックがある。

オレさまはお金がお好き
好み・センスも、オレさまが一番
記念日だってオレさま・ワタシさま
オレさまは食にこだわる
電話の回数がオレさま指数
オレさま攻撃は弱い者へ
内ヅラと外ヅラのギャップ
ひどいことをしたあとは、やさしいオレさま
オレさまスイッチの入り方
なにかとモノに八つ当たり
オレさま・ワタシさまの必殺だんまり作戦
殴るオレさま・暴れるワタシさま
実は依存体質のオレさま・ワタシさま
キレるオレさま・ワタシさま
オレさま・ワタシさまの最終手段

 と、話はある種の痴話でもあるのだが、実は、なにげない伏線がはってあって、最後のエンディング(最終手段)に向かっていく。「電車男」とはまったく逆の、爽快感というのでも脱力感というのもないのだが、インパクトがある。でも、スポイラーはしないことにしよう。いくつかのクライマックスを引用するのもやめとこう。なんとなく、これって映画にしたら面白いかとも思うが、見る人は少ないだろう。
 アマゾンの読者評をなにげなく見ていたら、こうあったのが印象的だった。

結局、ワタシもその後離婚しましたが、同じ悩みを抱えてるひとには、この本を渡して「あなた一人ががんばらなくていいんだよ」って言ってあげたい。どん底の頃のワタシを支えてくれた大事な一冊で、今も本棚に常駐しています。~

 なるほどなと思う。私も、なぜか、今も本棚に常駐していますよ。(著者青柳和枝へ、あるいは同年代の女性へのエールの気持ちもあるし。)

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2005.02.12

北朝鮮核保有宣言と六か国協議拒否

 10日北朝鮮外務省の発表には二点重要なことがあった。一つは核問題をめぐる六か国協議への参加を無期限中断したこと、もう一つは、核兵器を製造したとの初めての公式アナウンスである。
 すでに日本を射程に収めたミサイルを持つ北朝鮮が、さらに核兵器も保有したと公式にアナウンスしたという報道が流れた当初、日本国内には多少衝撃が走った。が、多少というところか。日本政府も早々に目新しいことではないとのアナウンスを出し、また、NHKなどの報道メディアも「核兵器ではない核兵器だ」と、に論点を移そうとしていた。いずれにせよ、しばらくして国内の危機感みたいなものは消えた。ブラフに対向するには無関心が最高である。
 もっとも、核兵器保有アナウンスなんてたいしたことないよ、てな論点は欧米のジャーナリズムには見られないようだ。もちろん、米国政府は基本的にはどってこないじゃんという対応をした。が、BBCなどコモンウェルス系の報道はかなり深刻に受け止めている。
 米国ジャーナリズムでもミサイルに搭載された北朝鮮の核兵器の影響について、それなりに詳しく扱っている。この点で私に一番わかりやすく思えたのはワシントンポスト"North Korea's Nuclear Path"(参照)だった。戦前のイラクより明確に北朝鮮は脅威だな、というのが見て取れる。
 ワシントンポストのこの図と限らないのだが、北朝鮮の核で覆われている圏内には欧米が含まれない。中東の問題やアフリカの問題に日本が実際には関心もたないように、あるいはかつてのリビアの核兵器開発に関心を持たないように、北朝鮮の核の脅威に欧米にはそれほどは関心をもっていない。しいていうとオーストラリアがかろうじて圏内に入るせいか、また、保守政権でもあるせいか、関心が高いような印象は受ける。
 改めて図を見ると、というか、見るまでもなく、中国とロシアがすっぽり覆われた形になっており、中ロとしては、今回の発表はかなりむかつくシロモノだったのではないか。
 実際のところ、北朝鮮の核兵器の脅威はあるのか、日本はどうよ、ということについてだが、以前にも触れたように、ミサイルを持ち、核兵器が開発されていても、それに搭載可能な技術と、さらに移動式の発射台を持たなくては実際上の軍事的な意味はない。せいぜい、汚い爆弾を東京あたりにアバウトにぶち込むくらいのものだろうし、その暴走は、独裁者金正日が「我が死後に大洪水あれ!」と叫ぶかによる。米軍は実質関東を軍事下に置いているので、米軍はある程度事前に察知するだろうし、金さんとしても、東京にアバウトに向けることはないのかもしれない。
 余談にそれるかもしれないが、米国時間10日にこれに合わせるかのように、MSNBC"New book reveals military code names"(参照)でConplan8022がすっぱ抜かれた。話は早々に朝鮮日報に伝染しているので記事"「北核施設先制攻撃の暗号は『Conplan 8022』」 "(参照)が日本語で読みやすい。


 米国の軍事分析家ビル・アーキンが3000にも上る作戦暗号を米国防部と中央情報局(CIA)の関連プログラムの説明とともに公開したとMSNBCインターネット版が10日、報じた。
 アーキンが最近「コードネーム」という題で発刊した本で公開された暗号名には、北朝鮮やシリア、イランの核施設とその他の危険物に対する極秘先制攻撃計画を意味する「Conplan 8022」も含まれていた。

 これ話自体はガセの可能性もあるが、移動式ではない核弾頭ミサイルは先制で叩くべし、というのは私には軍事のイロハであると思う。ただ、それが核施設まで延長されるものかはよくわからない。昨年秋から日本海に出ばっているイージス艦も案外MD(ミサイル防衛)のためばかりではないのかもしれない。
 今回の北朝鮮発表のもう一つの目玉は、六か国協議への参加の無期限中断だが、これはこの問題をある程度ワッチしてきた人には意外だったのではないだろうか。というのは、先日のブッシュ演説でも、わざとらに北朝鮮への言及を避けることで、この会議の地馴らしをしていると見られたからだ。当然、中ロもその了解にあるだろうと見られていた。結果は、もう金さんてば勝手なんだからぁ、である。
 金さん、何を考えているのか? どんづまって尻をまくった、というのがただの正解の可能性もあるが、それの波及でわはははというだけでは独裁者は長いこと勤まらない。いろいろ憶測はあるが、これも意外とお家の事情というのがあるのかもしれない。先日の日本を越えて飛んで行ったミサイルについても、発射されてから金さんが知って驚いたふうでもある。案外、さみしい独裁者なのではないか。今週の日本版ニューズウィーク"北朝鮮 国境に広がる覚醒剤の闇 対中販路拡大のツケで中毒者が国内に増えている"がなかなか傑作なのだが、このあたりの話も、かなりの実態を突いているのだろう。つまり、権力と関係した一部の富裕層はかなり芳ばしく発酵してきている。
 いずれにせよ、北朝鮮内で誰かは今回のブラフというか、ちゃぶ台返しでゴネ得を狙っているのは確かだろう。ということで、一番むっと来たあたりを眺めると、まぁ、中ロではないか。そのあたりから、なにか引き出せると踏んでのお商売の感じはする。
 今後の動向と日本の関わりは当然気になるところだが、これが案外というか当たり前というか、日本はなんにもできないのではないか。日本では拉致問題関連で北朝鮮制裁論が一部でわきたっているが、私はすでにそうした制裁が有効であった時期は終わったと思う。日本を外しても中国と韓国でなんとか北朝鮮の独裁者とその取り巻きは食っていけるようになってきた。特に韓国が政治の本音のところで統一朝鮮の看板で北朝鮮を背負い込むのを恐れているための太陽政策なんかも抜けられない止まらないかっぱえびせんになっている。中国としても、北朝鮮に自国の傀儡以外の政権が打ち立てられ、統一朝鮮みたいな民族主義みたいなものが隣接域に発生するのは恐い。もともと、中国はモンゴルだの北方民族が恐くてしょうがないものなのだ。そして、強面に見える米国もMDを推進する手前、北朝鮮よ永遠なれ、が本音である。
 こうした配置で、概ね日本はすでにずっこけているのだが、唯一方策があるとすれば、私がまだ幻想を持っているのかもしれないが、国連を使うことだろう。国連は、いまだ核保有の大国という前提で成り立っているのだが、それを崩すのが核の拡散だ。インドはしかたないなとはしても、パキスタンが保有国になってしまったのはかなりの失点だった。これに北朝鮮が加われば、あとはアラブ世界に連動するだろう、となると、国連の立つ瀬はない。というか、この側面では、EUもほぼ同じだろう。中国と結託したいEU(実体はフランス)としても、核のゲームは終わりにしたいはずだ。アナンとブレアあたりが動いたら、小泉でなくても日本人の雁首を並べてみてはどうか。
 それと、あまりこれは言及すべきじゃないかもしれないが、この構図を生温かく薄目で見ると案外日本国内の北朝鮮シンパと見られる勢力の居場所がないことに気が付く。昨今奇妙な小競り合いのような問題を引き起こしているかに見えるのは、なんとか将軍様にお仕えしている様子を誇示したいためなのではないだろうか。ま、このあたりは、洒落なんで、ここを狙ってうんこ批判はしないでね。その気力があったら、国連と反核の枠組みにリキ入れようや。

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2005.02.11

建国記念の日というのは春節、つまり旧正月なのだ

 建国記念の日は、辞書(大辞林)とかを見ると、「建国をしのび、国を愛する心を養うという趣旨で、一九六六年(昭和四一)制定、翌年公布。旧制の紀元節に当たる」とある。日本は独立戦争とかの歴史経験はないので、建国といってもあまりピンと来ない。
 この祝日ができた1966年というと、私は小学校二年生だが、この日についてあまり記憶がない。なんで「建国」とかは疑問に思ったかすかな記憶があるくらいだ。ちょっと計算してみると、当日は金曜日。当時の土曜日は学校は半日だし、職場も休日というのは少なかった。なので連休にはならかったはずだ。この同じ年、体育の日も制定されたのだが、そちらは担任の先生の結婚式の日だったので覚えている。いずれにせよ、あの60年代のころ、欧米の労働日数に日本も伍するべく休日を増やしたのだろう。というのも、日本人なんか個々に休みなんか取れるわけもないので(現在ですら)、その後も国民の休日がどんどん増えていった。こんなに国民の祝日のある先進国は珍しいのではないか、というか、なんでこんなに目出度い国なのかと思われているのではないか。
 日本の戦後の祝日は基本的に明治国家行事みたいのがベースになっている。なかでも傑作なのが七月二十日の海の日で、これは「海の恩恵に感謝し海洋国日本の繁栄を願う日として1995年に制定され、96年から施行」(広辞苑)とあるが、もとは昭和十六年の次官会議において「海の記念日」として制定されたもの。で、この日は、明治天皇が明治九年東北巡幸の際、灯台視察船明治丸で横浜に帰着したことに由来する。なんだかなである。
 同じようなからくりで建国記念の日の正体は紀元節である。紀元節は、手元のマイペディアをひくと、旧四大節の一つとされ、建国祭とも言われるとある。やっぱし、祭だ、わっしょい。
 この紀元節の起源だが、辞書などを見ると、明治五年太政官布告で一月二十九日を神武天皇即位の祝日と定め、翌年これを紀元節と命名したということになっている。が、ちょーっと待ったぁ、一月二十九日? そう、間違いない(古い)。
 なにがどうなっているのか? 入力側は一月二十九日で、出力側は二月十一日。いったいどんなメソッドが利用されているのか。そもそもクラスはなんだ? これが実にやっかいな話がある。しかし、ひとまず、初回の紀元節の話に戻ろう。
 明治政府は、紀元節を布告した同年に旧暦から新暦に改暦をやった。この改暦の切り替えは、明治五年十二月二日、と、ここまで旧暦で、そして、その翌日を新暦で明治六年一月一日とした。政府はこれを見越して、紀元節を新暦で一月二十九日とした。
 しかし、その時点で改暦をしなければ、この新暦一月二十九日は、あっぱれ、春節、狂喜発財、新年好、爆竹BANGBANG、つまり、由緒正しい旧暦の元旦なのである。もともと、紀元節は正月(旧暦)を祝うものなのだ。
 紀元節とは、正月(旧正月)なのである。正月はめでたいよね、ということなのだ。
 しかも新暦の布告は、その前年明治五年の十一月九日。当時は放送メディアなんかないから、全国にこの布告が行き渡ったのは正月(旧正月)が終わったあと。初回の紀元節というのは、大半の日本国民にとって、まったくもって、ただの正月だったのである。新暦みてーな西洋暦(グレゴリウス暦)でアジア人は生活することはできない。
 そもそも紀元節というのは、名前を見てもわかるように、「紀元」なわけで、暦法の起点という意味だ。そこが原点になっているのだから、元旦で当然。
 この祝日の元になった日本書紀ですら、ちゃーんと「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮」と書いている。
 じゃなぜ、現在の二月十一日にずれたのか。本来なら、春節(旧正月)なのだから、今年で言えば、二月九日が正しい。なのに三日ずれた。もちろん、ずれる理由は簡単で、現在の建国記念の日(紀元節)が新暦で固定したからである。しかたない近似値というやつか、なのだが、これにはもうちょっと歴史的なわけがある。
 初回の紀元節がすっかりただの旧正月という事態になって、西洋近代化を推進する明治政府が慌てた。愚民ども、正月じゃねーんだよ、神聖なる帝国建国の日なんだぁぁ!というわけである。
 それで翌年あたりの旧正月(元旦)にでもフィックスするのかと思いきや、このあたり、明治という時代がいかにも日本の歴史からはずれたすっとんきょうパラノイアみたいな時代だなと私などは思うのだが、初代天皇が祝ったとされる数千年前の、旧暦の正月元旦のその日を歴史的に実在の日と仮定して、そしてグレゴリウス暦に換算するということをやってのけた。Wikipediaによれば、こうだ(参照)。


この国民の反応を見て、これでは国民が新暦を使わなくなると危機感を持った政府は、神武天皇即位の日を新暦(グレゴリオ暦・陽暦)に換算して、紀元節を新暦の特定の日付に固定しようと考えた。水戸家の『大日本史』編集員であった藤田一正が、推古天皇以前の時代の日付について元嘉暦がずっと過去にも行われていたと仮定して逆算し、2月11日という日付を算出した。翌年からは2月11日に実施されることとなった。

 水戸家の大日本史だよ。これって、マジで亡命中国人を師と仰いだ水戸黄門様が始めた日本の歴史書事業であり、その帰結がグレゴリオ聖歌だよ、ららら♪、違う、グレゴリウス暦だ。そんなわけで、いずれにせよ、数千年昔にファンタジー・ノベルみたいにトレースバックしても、所詮は元嘉暦も旧暦の一つなので、現在の旧暦に近い時期にやってくる。
 明治時代が考えた日本の紀元なんてそんなものなのである。実は明治時代に再構成された日本の天皇制なんていうものも似たようなものなのだが。
 しかも、この話にはまだおまけがあるのだが、来年まだこのブログをやっていて、そのネタを思い出したら書くことにしたい。
 いずれにせよ、現代日本は、休日もひょこひょこフロートさせるのだし、特に建国記念の日の日付については法的根拠もない(政令による)なので、今後は、建国記念の日も、正しく、春節に合わせればいいのではないかと思う。いや、マジで。建国記念なんてそんなもの。いやいや、そんなふうにめでたいものだ。爆竹BANGBANGBANG

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2005.02.10

日本人ヤコブ病患者のこと

 社会不安をかきたてたい意図はまるでないし、最初におことわりしておくけど、日本のヤコブ病の状況が危険だ、というほど重要な話ではない。ただ、先日4日に発表された日本人ヤコブ病患者のニュースでなんとなく心にひっかかっていることがあるので書いてみたい。
 というのも、今週の週刊文春をめくっていたら"「狂牛病感染源が日本」だったらどうなる? 椎名玲 ついに日本人ヤコブ病患者発生"という記事があって気になった。なんというか、私の感じからすると「ま、普通そう考えるよね」と思っていたのだが、この記事を見るまで、世間とかネットをざっと見回すにあまり「普通」でもないようだし、危機を騒ぎ立てるほどのことでもないので、そんなものかと思っていた。
 文春の記事は飛ばしネタかなと思ってざっと読んでみた。総じて言うと飛ばしネタです。でも、ふーんと思うことがあった。例の一ヶ月英国滞在の話の信憑性に疑問を投げている点だ。


 しかし、そもそも本当に一ヶ月間、英国滞在していたのかが疑問なのだ。厚労省は亡くなった男性が英国にいたという確実な証拠をまだ何一つ掴んでいないという。ある政府関係者が衝撃の事実を話す。

 衝撃は笑劇の誤字かもしれないけど、こういうことらしい。まず、事実関係で重要なのは、情報の伝達は1月31日だったのかもしれない点。この点は、この問題を扱ったNHK「あすを読む」でもそんな印象を受けた。いずれにせよ、ヤコブ病の委員会から厚労省に報告が出された。

 知らせを受けた関係者が最も懸念したのは、狂牛病患者が出たことによる国産牛乳肉の風評被害。それを食い止めるために英国で感染したことにしようという運びになったのです。

 ほんとかねと思うが、記事によると、この英国渡航歴は、患者の七十歳を越えた父親からの聞き取り調査だけらしい。
 実は、そうなんじゃないかと私も思っていた。というのは、4日のニュース発表のトーンが変だったからだ。どう変かというと、例えば共同"国内初の変異型ヤコブ病 男性死亡、英国感染が有力"(参照)ではこう。まず、標題のようにその情報が有力というだけのこと。

昨年12月に死亡した50代の男性で、主治医の報告によると、牛のBSEが大流行していた1989年に英国に1カ月間滞在したという。
 確定診断した同省疾病対策部会CJD等委員会委員長の北本哲之・東北大医学部教授は記者会見で「ヨーロッパ以外の変異型の患者は全員、英国滞在歴があり、この患者も英国で感染した可能性が有力」と話した。

 時期が曖昧なのは渡航記録から確認されたわけではないことを意味しているのだろう。記事を見るとわかるように、結果からトラックバックしてできた話の印象も受ける。
 そのあと、患者についてのさらなる調査が必要だとも言われたが、一応、この患者が献血などしてないかという文脈に置かれた。
 その後、どうなのだろうか。渡航は確認されたのだろうか。すでに確認済みなら、この仮説はそれなりに重みがあるにはある。追記(2005.3.7):パスポートで渡英の確認ができたとの報道あり。
 記事にも触れているが、ヨーロッパ以外の変異型ヤコブ病の患者は全員英国滞在歴があるものの、一ヶ月滞在で感染した例はない。もちろん、ヤコブ病の感染は、実験的な類推では滞在期間によるのではなく、危険部位の摂取にあるとは言える。でも、この日本の厚労省の発表を聞いて、欧米の学者は眉をしかめたのではないかと思う。ただ、その様子の報道は欧米圏からはわからなかった。そんなことはなかったということかもしれない。
 文春の記事では、青山学院大学福岡伸一教授のコメントにつなげて、日本でも全頭検査開始前の牛が摂取されていた可能性を示唆している。
 で、ここで私としては、ちょっと苦笑してしまうのだが、私は全頭検査にはまるで意味がないと考えている。理由は食品の安全性については、特異な新知見でもない限り、欧米のスタンダードは科学的に妥当だから。全頭検査は無意味ということは、最近、ようやく日本でも広まりつつあると思うが、どうなのだろうか。
 変異型ヤコブ病の感染を防ぐには、危険部位の除去のほうが重要で、この点では、欧米のスタンダードとしてピッシング(pithing)が禁止が推奨されているはずだが、日本ではこの間も継続しているはずだ。現状はどうなのか、ちょっと調べてみたいが、なんで調べるのとか逆に疑われそうで恐い。
 今回のニュースに関して、実態がニュースからよくわからないのだが、先に触れたNHK「あすを読む」の話では、当たり前といえば当たり前だが、変異型ヤコブ病の認定は患者の死後解剖が元になっているらしい。生存時の状態では、年齢に比して診断して疑われるというくらいなことのようだ。実際、そういうことなのだろうとは思う。診断は非常に難しいと見ていいのだろう。
 真相はどうかなのだが、今後、変異型ヤコブ病患者が数名出てくるのようなら国内感染が疑わしいということになるだろう。潜伏期間は10年ほどなので、あと数年状況を見守っていくべきかなと思う。

追記(同日)
 ちょっと気になるインフォがあったので、追記。
"ピッシングしていると畜場はいくつ?厚労省・農水省のデータは評価に耐えるのか"(参照


訂正及び追記(12月10日):常々情報を頂いている方から、ピッシングを行っている施設の数についてご指摘を頂いた。上の記事で「11月16日の2回目の会合では、ピッシングをしているのは161施設中49施設と説明された」としたのは、この会合の議事録で「牛を処理すると畜場161 施設中、ピッシング中の施設が49・・・」と書かれていたためであるが、これは「牛を処理すると畜場161 施設中、ピッシング中止の施設が49 」の間違いだろうということである。前後関係からすると、確かにそのようだ。従って、12月6日の会合時に示されたピッシング中止施設45(160-115)と大きくは違わない。ただし、中止を「指導」しているというのに、中止施設が減っている(ピッシングをしている施設が増えている)のは理解できない。指導に逆らい、と畜場のやり方が実際に変わったのか(中止していたのに再開したのか)、それともアンケート用紙のどこに○をつけるかが気まぐれで変わったのか。どっちにしても、リスク評価の材料にするには不確実性が残る。

追記(2005.3.7)
 その後、同患者の英国滞在はパスポートで確認されたとの共同報道があった。
"英国滞在中の感染有力に 変異型ヤコブ病で専門委"(参照


 2月に確認された国内初の変異型のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)患者について、厚生労働省の厚生科学審議会CJD等委員会は7日、会合を開き、牛海綿状脳症(BSE)発生国の英国に滞在していた1990年に感染した可能性が有力と判断した。
 厚労省によると、患者の男性は90年前半に24日間、英国に滞在していたことがパスポートで確認された。滞在中に変異型CJDの原因となり得る種類の牛肉を食べていたことも分かった。

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2005.02.09

新年好! ホリエモン

 新年好!
 ホリエモンによるニッポン放送株式買付けの話は私が適任であるわけでもないが、私なりに思うことも少しあるので、そのあたりをざらっと書いておきたい。
 話はよくある株式の公開買い付け(TOB)で、単純に言うと、会社乗っ取りだ。高校生とかもまれにこのブログを読んでいるようなで基礎的な話はパブリックトラスト"将来の株式公開も視野に入れている企業・経営者の方へ"(参照)でも読んどいてね。と、でも考えてみると、「上場するまでは最低限過半数51%以上の株式シェアは確保したいところです」がフジサンケイグループにはできなかったわけだ。フジサンケイグループの構造やお家の事情の基礎的なところは、Wikipediaの説明(参照)がわかりやすい。
 今回のケースは、私は当初、なんでホリエモンが日本放送を乗っ取るのかな、と思った。無知でした。日本放送がフジテレビの筆頭株主。なので、ようするにホリエモンがフジサンケイグループ全体を乗っ取るのでしょう、と。このあたりの構図は、かつて痛い目にあった朝日新聞だからこその記事"ライブドア、ニッポン放送株35%取得 フジテレビ照準"(参照)の図がわかりやすい。これを見ると、なんだか西武と国土開発みたいになっているのだな、歴史だなと思う。ついでに、頼近美津子のネタにするかという気にもなるがやめとこ。
 TOBについては、現時点だと現金を動かせるやつが強い。が、来年になると通称三角合併(参照)、つまり外資による日本企業の乗っ取りが活性化する、というわけで、外資の課税とかなんかより大きな問題になるようにも思う…が、と、そのあたりはなんだかわくわくするようなマネーゲームか、クレヨンしんちゃんの「やればぁ」でもある。
 が、米国でのAOLとワーナーのすったもんだを見てきた感じでいうと、メディア会社の乗っ取りというのは、内情に詳しいものが最終的には実権を握る。あるいは、マルチメディアと従来のメディア産業と経営者のびみょ~な力関係になりうる。ところで最近のスティーブ・ケース(Stephen M. Case)とググって見たら、よくわかんない。ちなみに、Googleでは、いつのまにかFrogleのリンクが結果リストのトップについてやがんの。つまり、そういう時代ですね、とその話は後でまたふれるかも。
 マネーの業界としては、ホリエモンより、村上ファンドのほうに関心があるのだろうが、私は、ホリエモンに関心があるので、彼自身はどう考えているのか、気になる。記者会見の話は"ニッポン放送の株式買付け記者会見レポート! ライブドア、放送業界への展望を発表"(参照)にあり、面白い。なかなかのエンタテイナー。冒頭いきなり、こう来た。Podcastingだよ。


Q.なぜニッポン放送なのか?
A.なぜフジサンケイグループのニッポン放送なのかというと、ニッポン放送関連とのシナジーを考えていきたいため。また、「livedoor ねとらじ」というサイトをオープンし、「Podcasting」を含め、ラジオとネットのリスナーは関係が深いと考えている。

 もちろん、前段はあった。彼のブログの4日のエントリ"2/4(金) 新規サイトが多数オープン。"(参照)である。

それと今日はいろんな新規サイトがオープンしている。まずはネットラジオの「ねとらじ」。常時数十のラジオ局が番組を配信している。ミニFM局のネット版みたいなものだ。ミニFM局と違い、全世界に配信できるのがネットラジオの強みである。今話題のpodcastingなどにももうすぐ対応予定だし、地上波ラジオ局とも連携していきたいと思っている。

 というわけで、Podcastingがメインに来るというわけではないが、そういう新しいコンセプトのラジオ放送のようなものにホリエモンが関心をもっていたのは確かだろう。話はさらに面白い。のだが、この公式なサイトにはなくて、R30"(期間限定)ライブドア堀貴文社長質疑応答"(参照)のカネにならない1時間タイピング作務のほうにある(他にもあるのかも知れないが)。

(NH、フジテレビの番組そのものへの影響を及ぼすことは?)動画コンテンツも音声コンテンツもそんなに詳しいわけじゃないので、今やられている方がいい方法を考えているんじゃないかと思うんですね。ただ、インターネットというメディアが、新聞にしろ雑誌にしろいろいろと変えていっているんじゃないかと思うわけです。人々のライフスタイルが、時間の使い方が変わっていると。HDDレコーダーはインターネットが作り出した製品だと思うんですよ。あれは中身、PCですからね。最近ソニーさんが面白い商品を多数出されてますけれど、ああいうテクノロジーはインターネットが育んできた、インターネットなしに生まれ得なかった機器なわけです。それがテレビに大きな影響を与えているんですよ。もう1週間分のテレビを全局分録画できるわけです。それってテレビの根底を揺るがす事態じゃないですか。今はいいですけど、それにあわせたコンテンツ作りの方法を考えていかないと、彼らは5万円で1週間分のテレビが全部録画できる機械が出たら、それを買って、ビジネスモデルは崩れちゃうじゃないですか。ミニFM局だって、今までは数百メートル範囲内しか聞いてもらえなかったのが、今や全世界の人たちに聞いてもらえるわけじゃないですか。そうすると、安いハードが買える時代になれば、我々が助言して行かなきゃいけないところが出てくるんじゃないかと思います。

 個々には、変だよホリエモン、「HDDレコーダーはインターネットが作り出した製品だと思うんですよ。あれは中身、PCですからね」って違うとか思うが、そんなことはどうでもよろし。問題は、「それってテレビの根底を揺るがす事態じゃないですか。」というところだ。裸の王様って裸じゃん、である。
 類似のことについては、先日の極東ブログ「iPodで笠碁を聞きつつメディアの将来を憂う」(参照)でも触れた。他にも2003年時点の極東ブログ「PSXがわからない」(参照)でも触れた。
 問題は、テレビの根底が覆るってどういうことか、なのだが、単純なところでは、CMが飛ばされるわけで、CM収入を基本としたテレビ局運営が難しくなるということ。ただ、現実的には、ホリエモンが先を見すぎているというか夢想しているのであって、実際には朝日新聞ですらまだ500万世帯くらい戸配があってなかなかくずおれないように、テレビもマスの部分はあまりにでかいので早々に変化することはない。強いていえば、NHKのハイビジョンが頑張って、ペイTVがあたりまえのコンテンツを作るかということで、昨今アホーなNHK不払い運動が起きているが、むしろ、NHKに別の桟敷に移ってもらうほうがメディアの世界は変化してよい…飛ばし過ぎか。
 穏当なところでは、CMがコンテンツとリレーショナルになるというか、GoogleのAdSenseみたいになるというか、さっきびっくらこいたFrogleとの連携みたいなものにある程度なるだろう。もう一つは、生活コンサルト的なものか、囲い込みか…いろいろあるにはあるのだろう。
 もしかすると、そうしたちまいCM戦略ではなく、どーんとホリエモン情報帝国が実現するのかもしれない。生活の情報がそこで完備するような、かつてのNTT藩や日立藩みたいなものの情報ヴァージョンだ。考えてみれば、S学会でも実際には、ある意味で情報帝国ではある、し、その内部の力が経済や政治にじわ~っと出てくる。
 話がおちゃらけになってしまったし、冷静に見れば、ホリエモンの夢想はただのマネー軍団の看板でしかないのだろう。でも、いずれ裸の王様はくしゃみをする。

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2005.02.08

ひろしです。もんじゅ再開でも明日が見えません。

 1995年12月のナトリウム漏れ事故で運転停止となった高速増殖炉「もんじゅ」だが、この5日、西川一誠福井県知事は運転再開の前提になる改造工事を了解し、6日に発表した。この問題をどう考えたらいいのかと思ったが昨日はそれほど話題になるふうでもない。が、どういう契機なのか示し合わせたように今朝の大手新聞社社説で、読売新聞、産経新聞、日経産業新聞が取り上げていた。驚くべきことでもないというか準備できていたはずなのに一日遅れたのはなぜなのか、鈍いだけか。それと朝日新聞と毎日新聞がスルーしているのはなぜなのか、ちょっと奇妙な風景でもある。
 三紙の論調は、単純に言えば、産経がイケイケ、読売がスカスカ、日経が算盤あいまへんがな、ということなのだが、もう少し今回の決定経緯を見ておきたい。
 話の根は深いのだが、今回の動向の端緒は、先月28日の原子力委員会の新計画策定会議の発表による。これによると、もんじゅの運転を早期に再開させ、10年以内に「発電プラントとして信頼性を実証するとともにナトリウム取り扱い技術を確立するとした」(参照)、と苦笑を招く。しかも、もんじゅ再開後の実証炉については05年度末の「実用化戦略調査研究」で国が方針を決める。先延ばし先延ばし。
 なので、まだ一年は先延ばしかと思っていたところ、昨年年末にバーターで福井県が要請していた新幹線福井駅の工事が認可。ということで、年が明ければもんじゅ再開秒読みということだったが、1月は水面下の動きだったのだろうか。2月に入り、3日、核燃料サイクル開発機構の殿塚猷一理事長が西川知事と面談。さらに5日の時点で中山成彬文部科学相の記念写真の刈り出しが決まり、6日の会談で最終的に決まった。
 今後のスケジュールだが、核燃機構は手はず通り即座に資材調達を開始。秋頃から工事に着手。その後1年の確認試験があり、実際の運転再開は3年後程度になりそう。つまり、2008年再開というところ。
 で社説だが、まずどうでもいいよの読売新聞社説"もんじゅ改造 運転再開へ信頼性を高めよ"(参照)だが、安全性にだけ注意すればいってよしTokyo-a-go-go的なスカ。笑いのポイントはココ。


 多彩なタイプの高速炉が検討されているが、「もんじゅ」は商業発電をも目指し、技術的に最も進んでいる。フランスなどは研究参加を望んでいる。
 ウラン資源はまだ豊富なだけに、当面は軽水炉の利用や改良に比重を置く国が多い。だが、中国やインドのように、将来のエネルギー確保のため、高速増殖炉の開発を加速している国々もある。

 確かにフランスは噛んでいる。また、読売は肯定的に書いているつもりだろうが、この技術にこだわっているのは、中国、インド、そしてここに書いてないけどロシア。他の国では、苦笑の歴史に終わっている。
 産経新聞社説は、ある意味、面白いものを読ませていただきました、なのだが、これ、"もんじゅ改造 認可まで10年は長過ぎる"(参照)だ。標題からもわかるように10年も放置プレーはなにごとかと怒る怒る。つい、ナトリウム漏れも、パンツぱんくろうのおしっこ漏れみたいに、たいした事件じゃないよとまで筆が滑る滑るスキーのぉ風切る速さラララ♪である。

 「もんじゅ」は平成七年十二月八日、試運転中に二次系の冷却配管の温度計が折れ、冷却材のナトリウムが漏れて大気中の水分と反応、火災が起きた。国際原子力機関(IAEA)の判定では、1から7までの事故レベルのうち事故とはいえないトラブルの範疇(はんちゅう)の「レベル1」だった。

 そういうこっちゃないのは、原子力行政の全体を見ればわかるのだが、端的に言うとこの一派には、何を言っても通じないでしょう。
 さらに、ナンセンス・ユーモアはコレ。つまり、結語。

 高速増殖炉は使用済み核燃料を再処理して取り出したプルトニウムを主燃料とする原子炉で、資源小国のわが国では避けて通れない選択だ。また実験炉ではあるが同じ方式の「常陽」(茨城県大洗町)は昭和五十二年四月の臨界以来大きなトラブルもなく正常に運転されている。
 高速増殖炉の実用化は難しいとか、開発の意義が薄れたなどという非科学的な評論家の言に惑わされることなく、開発は冷静に進めるべきだ。

 あのなぁ、常陽ってどうよぉ、って怪傑ゾロリのインチキコイータみたいになってしまうが、あれは、あくまで実験炉なので高濃縮度ウランを使っている。というわけで、あくまで理論的な実験設備であって、実用技術とかほとんど関係ない。
 っていうか、このあたりで、こんな事を素人の私が書くと、だね、率直に言って、れいのソニー・ゲートキパーみたいものから反撃が来るでしょうか。ま、それがブログちゅうもんですが。
 それにしても、「非科学的な評論家の言に惑わされることなく」と宣うところがさすが産経新聞ですな。夕刊止めてコンビニ販売とかして、それなりに新聞会社経営立て直しに向かう無鉄砲な気概が感じられて好ましい…かよだが、思わず、全共闘世代みたいに、「本音を言えよ」とからみたくなります立春の今日このごろだが、ようするに、左がかった説を鵜呑みして言うのだが、常陽は軍用転化可能なプルトニウムの保管場であり、もんじゅも軍転用可能なプルトニウムができる。これに併せて、また転けるかなのH2Aはあくまで民需用だが、あれがアッパレどかんと上がれば、日本って平和憲法の下で本気になったらICBMができますと万全の技術を世界に誇示できる。陰謀論みたいにそれが目的とは言わないけど、国際世界からそう見えないわけがない。日本もそれがわかっているから、きちんとIAEAの認可を受けている。ピーター・タスカが先日のニューズウィーク日本語版に高いお守りを買えと暗にMD推進をお薦めしていたが、そういう文脈にも近い。いずれにせよ、このあたりの国策をどのレベルで推進していいのか日本は難しい状況にある。
 産経社説みたいな国策論から離れて、今回の核燃料サイクル開発機構殿塚猷一理事長、必・死・だ・な、でもそうだが、この産業セクターの意義も非常に大きい。ゲートキパーズもたぶん抱えているだろうことはどうでもいいが、その内在的な問題が結局、福井県という地方自治体の経営に延長される形になっている。単純に言うと、ここでリストラなんかしようものなら、またまた※人が出るよぉ、こわいよぉの世界でもあり、ちょっとどうしていいのかわからない。
 話が重くなったので、明快に算盤を弾く日経社説"もんじゅ改造後の展望示せ"(参照)にしゃらっと移るのだが、こう。

 高速増殖炉は核燃料を燃やしながら、核燃料となるプルトニウムを生み出す。このため、計画当初は「夢の原子炉」としてもてはやされ、もんじゅは発電炉の先駆けとなるはずだった。しかし、事故で安全性に不安を持たれたうえ、経済性の点でも建設費が約5900億円もかかり、事故で運転を停止していても炉の維持に年間80億円程度もかかるなど、魅力がかなり色あせている。
 このため、2030年ごろに目指していた実用化は遠のき、実証炉の計画は立ち消え状態になっている。原子力委員会は昨年、原子力発電所の使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを利用する核燃料サイクル路線の維持を決めた。だが、プルトニウムを効率利用する高速増殖炉の実用化は、判断を2015年まで棚上げすることにし、開発計画をあいまいなままにしている。

 というわけで、そういうこと。見通しが立たないのだ。ま、国策なんで採算ベースっていうだけのものでもないにせよ、ちょっと高すぎる。以前ラジオで聞いた再処理工場についての環境エネルギー研究所飯田哲也所長の話だと、再処理の工程に必要な予算は13兆円。国は8兆円はなんとかなるけど、5兆円の足が出る、これが国民負担になるのでしょ、ということだった。スパンにもよるけど、増税などけっこう目に見える負担にはなるだろう。
 で、どうする?
 この問題がいまいち気乗りしないのは、日本という国は、結局、原子力発電を維持しないとやっていけないでしょう、という現実がある。だから、反原発的な社会運動も、もんじゅと同様に明日が見えない状態になる。クリーンな環境エネルギーなんて笑い話はパスしたいし。
 日本のエネルギーの石油依存率は高くて問題とも言われるが、効率よく使うなら、また、世界に石油市場があるならこれほど効率なことはないとも言える。言えば言えるというだけかもだが。それと、めちゃくちゃな余談みたいだが、先日のアチェの津波でも、石油代替となるべきLNGについてスマトラ島のアルン・ガス田の行方に日本は必死だった(参照)。あれを思うと、日本のエネルギー問題は単純には進まないとわかる。それでも、もんじゅは違うんじゃないのかとは、思うが。

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2005.02.07

ファルージャに入った反米フランス人が捕まっているという話で

 すでに国内の朝日新聞でも報道されているが、イラクのファルージャで反米武装勢力に参加していたフランス人3名を米軍が拘束していることが明らかになった。最初に報道したのはフランス時間4日付けフィガロ紙(すでにアーカイブ済み)で、他の報道はすべてこれに拠っている。朝日新聞記事"反米武装勢力に参加の仏人3人を米軍が拘束 仏紙報道"(参照)ではこう伝えている。


 同紙によると、3人は昨年11月、米軍などが行ったファルージャ総攻撃後に拘束された。うち2人は22歳と19歳で、それぞれ中東系とアフリカ系のフランス人。2人はイラクに「義勇兵」を送り込んでいた容疑で仏当局が捜査中の在仏イスラム過激派組織に参加、昨年4月にシリア経由でイラクに入ったという。残る1人の身元は不明。

 「昨年4月にシリア経由でイラクに入った」というくだりが、昨年の4月の状況(参照)を思い出すとなかなか含蓄が深いものがあるが、もう少し事実を見ていこう。日本語で読める記事としては毎日新聞記事"在仏過激派が暗躍 米軍と戦闘"(参照)が詳しい。

 フランスのテロ担当情報機関・国土監視局(DST)は先月下旬、在仏イスラム教徒の若者をシリア経由でイラクに送り込んでいたとみられるグループを摘発、11人を逮捕した。
 さらに、仏紙フィガロなどによると、同グループに所属するとみられる若者3人が昨年末、イラク中部ファルージャなどで米軍との戦闘に加わり、拘束されたことが分かった。現在はイラク南部の米軍基地の刑務所に拘置されているという。3人は昨年3月、イラク中部で昨年後半にテロや戦闘で死亡した別の3人とともにパリを出発したという。

 この記事がよく出来ているのは、フィガロの特ダネの背景を暗示させる情報が含まれている点だ。この点はCNN日本版の記事"仏のイスラム教徒3人を拘束、イラク武装勢力に合流と"(参照)が短いながらもさらに補足になる。

 3人はいずれも、フランスにある密航ルートを通じて、イラクに潜入。うち、パリ居住の22歳と19歳の2人は2004年春にイラクに入国、同11月に米軍などが攻略した中部ファルージャの戦闘で捕まった可能性が高いとしている。
 残る1人が拘束された経緯などは不明。フランス情報機関は先月下旬、パリ東部に本拠があるイスラム強硬派のイラクへの送り出し組織を捜索、イラクへ向かう直前だった2人と、ネットワーク首謀者とみられる人物1人を逮捕し、組織を壊滅したと述べている

 問題の根幹は、フランス人の過激派がファルージャで例の4月ごろから活動していたというより、その組織性にある。この先の背景の構図については、国内報道は欧米紙に比べると弱い。ニューヨークタイムズ記事"3 Frenchmen Among Those U.S. Military Holds in Iraq"(参照)はこの点に触れている。

According to lawyers involved in the case, Mr. Benyettou held court in the mosques, preaching jihad and benefiting from his aura as the brother-in-law of Yousef Zemmouri, a member of an Algerian terrorist organization, the Salafist Group for Preaching and Combat, who was deported in 1998. Many people involved in the case suspect that there are more authoritative figures behind Mr. Benyettou, though there is no evidence that his activities are part of a larger network. Similar recruitment rings have been discovered in Germany and Italy.

 現状ではそのフランスにおける背後組織は充分に解明されていないのかもしれないが、より広域な国際的な組織的なネットワークがあると推測してもいいだろう。この記事でも触れているが同様のケースはドイツやイタリアにも見られた。
 ファルージャで反米活動を行う国際的な組織が単一なものなのか、あるはどのような構図になっているのか、日本との関連があるのかといった点が、今後注視していく必要はあるだろう。
 話が少しずれるのだが、この対外的な反米活動家が4月にイラク入りしたのはシリアが拠点だった。ここでは端折るが他のケースでも、反米テロのヘッドはシリアにあるという情報は散見しているが、対シリアの米国の外交は、制裁を行っているというわりには弱い。陰謀論的なスジを考えたいわけではないが、なにか面倒な経緯があるのだろう(参照参照)。
 今回のフィガロ発の報道だが、状況から見れば、ライスの渡仏にきっちりスケジュールを合わせましたということから見て、米国側のリークなのだろう。明日8日に予定されているライス米国務長官とシラク大統領及びバルニエ外相との会談でもこの話題がふっかけられるのは火を見るよりも明らか。ライスはなかなかしたたかということなのだろうか。"Forgive Russia, ignore Germany and punish France"、なるほどね、かも。

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2005.02.06

国連によるイラク石油食糧交換プログラム不正問題、動向など

 米時間で3日、ヴォルカー元連邦準備制度理事会前議長を委員長とする、国連によるイラク石油食糧交換プログラム不正問題の、国連側の独立調査委員会が、このプログラムの最高責任者だった国連幹部ベノン・セバンの不正を認める報告書を出した。これを受けて、アナン事務総長は、歌舞伎縁者演技のごとく衝撃を受けたとか言ったものの、しゃらっとセバンの不逮捕の外交特権を停止する声明を出した。
 国連不正をワッチして来た者には、内容については特にどってことないものだが、私の率直な印象では、やっぱし尻尾切りはしましたか、とは思った。米国の昨今の動向を見ているとアナンをレイム・ダックにしたほうがメリットがあるので追及はこのあたりでシャンシャンになっているのだろうと推測していたからだ。今後、この不正追及がアナンの息子コジョに及ぶか、さらに端的に言って、フランス大統領シラクに及ぶかだが、どうだろうか。ま、ないかな。
 今回の発表では、さすがにもう完全に国連不正疑惑、といった段階を終えたので、国内メディアもバックレは効かないでしょうから、さて、どう出ますか、というあたりが興味の的でもあった。特にこの問題をスルーし続けたNHKと、できるだけスルーしたかった朝日新聞が見ものである。なお、読売新聞については内部にこの問題を扱うだけのインテリジェンスがないようにも見受けられる。毎日新聞は実は内部的にはこの問題を経時的に追及しているのだが他の問題でもそうだが、現代音楽的な不協和音にしかならない。共同は、すでに投げやりというか適当に垂れ流し始めている。
 朝日新聞としては1月の時点である程度内部で摺り合わせがあったのだろう(外部でも摺り合わせしたい社風なのだろうけど)。前回の報道"イラクでの「石油と食糧の交換計画」疑惑で報告書公開"(参照)では、疑惑はまだ明らかになったわけではないととりあえずしているものの、今回の動向を読んでダメかのトーンはあった。


 旧フセイン政権時代のイラクに向けた国連の人道支援をめぐる疑惑について、独立調査委員会(委員長・ボルカー米連邦準備制度理事会前議長)は9日、国連から提出された内部報告書を公表した。汚職の証拠は見つからなかったが、国連の管理や運営に「落ち度があった」とする内容。
 疑惑は「石油と食糧の交換計画」に関するもの。旧フセイン政権高官がリベートをとり、アナン事務総長が任命した国連高官もわいろを受け取ったとの疑いが浮上していた。米議会は不正額を213億ドルに及ぶとしている。

 今回の"国連幹部の行動「不適切」 イラク支援疑惑で独立調査委"(参照)では、私の印象だが内部的な摺り合わせ報告のように聞こえる。

 疑惑に関連して独立調査委が中間報告をまとめたのは初めて。最終報告は今年夏までにまとめられる予定。

 そして次の手も打っているようだ。

 中間報告は、96年に国連が計画遂行のための銀行を選定する際、ガリ前事務総長が、決められた入札規則に反し、フランス系銀行を選んだことも指摘。今後、国連による人道支援事業の進め方や、国連改革議論などにも影響を与えそうだ。

 全文を引用するわけにもいかないのだが、参照先で読んでいただければわかるが、これが結語になっている。問題の核心は、朝日の記事では触れていないが、これもあっさり言ってしまえば、フランスはこの不正に深く噛んでいたから、フセイン擁護をしていただけなのである。次回の報告でフランスの関与がどこまで出るかなと朝日新聞内部では摺り合わせしているのではないか、というのは半分洒落。
 朝日新聞は、セバンについても、その弁護士の言い分「セバン氏は1セントたりとも受け取っておらず、報告も証拠を示していない。政治状況の中で、調査委にスケープゴートにされた」を強調していた。たしかに、セバンについてはたいしたことではない。というか、朝日新聞も後に触れるNHKもこの問題を日本の自民党議員の汚職みたいな構図に持ち込もうとしているのだろう。が、それはそれほどたいした問題でもない。また、朝日新聞はアナンの息子コジョの疑惑には触れていない。コジョが切られればアナンは終わる。国連の一つの時代が終わるというか、国際的にはすでにそうなのだが。
 今回の報道では、私がワッチしてきた範囲ではNHKが始めてこの問題に触れた。ちょっと感慨深かった。先日のイラク選挙後、さすがに柳沢秀夫解説員だけに勝手にしゃべらせるのはまずいんじゃないの空気をなごませるために外信関連の解説委員が「あすを読む」で雁首を揃えていた(オヤジばっかし)。ふーん、和やかな摺り合わせだなというか、奇妙な大人な人たちでしたが…と、ちなみに柳沢解説員の単独の「あすを読む」の回では、スンニ派をどうするのかぁということを異様なまでに強調していた。滑稽だった。だって、フセイン体制下でシーア派とクルド人がどんな扱いになっていた考えてもみなはれ、であるよ。この人、よほど石油不正にまみれたフセイン独裁体制がよかったのだろうね。とま、NHKはもうしばらくこの分野の偏向は続くのだろう。ま、この問題ではNHK批判している声はあまり聴かないし、面白いなNHKと受け止めてもいい。
 で、NHKの記念すべきニュース"国連幹部 石油不正提供に関与"(参照)だが、実に要領を得たもので、この文章量ならこう報道するしかあるまいが完璧になっている。こうした点、NHKってやっぱ職人だよね、この伝統芸は守らなくてはとは思う。いずれにせよ、新聞社のように枠を広げて報道するのは難しいだろうから、とりあえずはこんなものだろう。
 以上、朝日とNHKの報道だが、これで取り敢えず、日本国内でも、国連に多大な拠出をしている日本国民の誰もが、国連によるイラク石油食糧交換プログラム不正問題を考える土台はできた。なので、さて、大手紙は社説で扱うのかなと思ったら、スルーでした。欧米紙は一様に社説で触れていたのだが…ちょっと、この状況はなんなんでしょ、苦笑、か。
 産経新聞の外信は以前からそうだが、今回"国連幹部の不正確認 独立調査委が暫定報告書 イラク石油食糧交換プログラム事件"(参照)でもかなりしっかりしたものだった。

【ニューヨーク=長戸雅子】イラクの旧フセイン政権時代の国連石油食糧交換プログラムの不正事件を調査している独立調査委員会(委員長・ボルカー前米連邦準備制度理事会議長)は三日、プログラムの最高責任者だった国連幹部の不正を確認する暫定報告書を公表した。この幹部に不正はなかったとしてきた国連の内部調査の甘さが露呈され、同時に旧フセイン政権と癒着した国連が、結果的に同政権の延命を手助けしたとの疑惑がさらに強まった。

 問題の核心は、まさに「旧フセイン政権と癒着した国連が、結果的に同政権の延命を手助けしたとの疑惑」なのだ。もうちょっというと、日本では、大量破壊兵器が見つからないことから米国は大義なき戦争をしたということに納めているが、多少親米的というかブッシュ贔屓に見るならそういう隘路に押し込まれただけでもある。とか書くと反発を招くのだろうが、私はそれほどこの点に関心があるわけでもない。問題は、今後、こうした事態に国際社会がどう機能するかということだ。
 産経新聞の記事で、産経色かなと思うのは、ヴォルカーの置かれた状況について言及しているくだりだ。

 一方で、不正事件を同様に調査している米議会やその関係者からは、ボルカー氏率いる独立調査委員会の中立性そのものに疑問を示す声もあがっている。
 有力シンクタンク、ヘリテージ財団の研究員は、独立委員会のボルカー氏が米国連協会など親国連組織の要職を務めたことがあり、そうした経歴がきちんと公開されていないと指摘。国連協会が事件をめぐる国連やアナン事務総長への批判に対し、「政治的意図に基づいた攻撃」と国連擁護に回っていた点などを指摘し、独立委員会の中立性に疑問を呈した。

 しかし、これはそれほどたいしたことではない。所詮、国連側の調査委員会なのだし。
 米英圏での報道では、今回のヴォルカー報告はすでにそれほどインパクトはなく、むしろ、アナンのレイムダック化でどうよ、また、この不正疑惑は米国が知りつつ黙認していたのではないか、という論調が出てきている。痛い腹はあるだろうとは思う。ブレマーだのチャラビだのあの愉快な人々のスラップスティックには、愉快な陰謀論みたいな筋書きはあるのだろう。
 今回の報道に合わせたわけでもないだろうが、この問題は、シェル石油にも、当然波及してきている。サロン・コムでは"Shell denies any knowledge of kickbacks"(参照)がそのあたりを伝えていた。記事冒頭にAPの明記はないが、ソースはAPのようだ。

Feb. 4, 2005 | Geneva -- The Royal Dutch/Shell Group denied Friday that it had any knowledge of kickbacks paid by a Geneva-based middleman it used to buy oil from Iraq under the U.N. oil-for-food program.

Shell bought about 6.4 million barrels of Iraqi crude oil from African Middle East Petroleum, or AMEP, which has told U.N. investigators that it paid an illegal surcharge to obtain contracts from Saddam Hussein's regime.


 常識的に見ると、クロでしょ。しかし、この話は、示し合わせたようにフィナンシャルタイムズが出した記事"Shell's year of extremes"(参照)にも関係しているのだろう。

Oil companies are experiencing extremes: record highs in profit and lows in reserve replacement. The most egregious example is Shell. Yesterday it posted record annual earnings for a European company, but yet again cut its overall reserve figure and admitted that last year it could book only enough new proved reserves to cover between 15 per cent and 25 per cent of that year's production.

If such a ratio of stocks to output continued, Shell would obviously soon run dry. The company will probably be able to make up some reserve ground quite legitimately, simply by re-booking as marketable over time some of the reserves it has just had to downgrade in acknowledgement that it has flouted industry reserve accounting rules. But it is clear Shell will struggle to get reserve replacement back to 100 per cent, a level that its better managed peers are only barely achieving.


 石油業界について私は詳しいわけではないのだが、シェル潰しあり?みたいになってしまっては世界は困るのだろう。今回の国連不正疑惑とシェルの関連とかきちんと読んでみたいようにも思うが、いずれにせよ、この問題は過去や国際政治の力学というより、国際世界の台所の問題なのだろう。
 現状の世界の原油はサウジにかなり依存しているが、これがそのまま推移していけるのかわからない。中国はなりふり構わず世界の油舐めひょんと化している(環境も問題なんすけど)。ロシアのユコスは実質国有化され、しかも、ロシアの産油能力はサウジを上回ったようだ。石油にまつわる陰謀論はそのスジのエンタテイナーに任せるとしても、こうした配分の見取り図の変化は、ジオポリティックス的な効果を世界にもたらすだろう。ライスがロシア政治の専門家というのは、吉と出るか凶とでるかスカと出るか…いずれ、世界はそういう台所事情に大きな変動要因を持つのだろう、なと思う。っていうか、国連不正問題は、その意味では、すでに歴史の領域に半分足を突っ込んでいる。

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2005.02.05

「パソコン情報教育」でいろいろ思った

 パソコンとか情報とかの雑談。話は未整理。ま、よろしければ以下。
 先日の一太郎騒ぎでIT Proというサイトを覗いたのだが、同サイトに"アラン・ケイ氏に聞く「コンピュータで子供に何を教えるか?」"(参照)という記事をなんとなく見つけて、一読。ふーんと思った。ケイの言うことはこの20年来毎度毎度の金太郎飴なのでどってことはないと言えばどってことはない。ちょっと心に引っかかったのは、「パソコン操作は技術ではない」というくだりだ。これを受けて記者はこう書いているところだ。


 一方,日本で「コンピュータを使って子供に何を教えるか」と考えると,なぜかパソコンそのものを指導する方向へ走り出してしまう。このため学校にパソコンを配ったものの,先生がいない,といった事態に陥る。ちなみに我が国では従来の「技術」の時間を割いてパソコン作法を教えようとしている。ワード・プロセサや表計算,インターネット検索のやり方を修得することは「技術」の勉強とは言えない。強いて言えば国語であろうか。

 最後の「強いて言えば国語であろうか」はケイの発言ではなく、記者の発言だろう。間違いとも思わないが、例えば、これらからの世代の人は、何を発言するにもGoogleを引かなくてはならなくなるだろうが(Googleでなくても相応のもの)、国語ではないような気はする。公開の発話と情報の関連とでもいうのだろうか。こうした言語活動と情報探索・組織化の基礎技能は必要にはなるだろう。
 余談めくが、先日、ある集会の事務局の電話番号をGoogleで検索したら、え?と思うような別の団体の電話番号だったことがわかって、Googleの世界ってなんだろと思った。その情報が最初にわかっていたら、例の問題の構図ってすっきりしすぎじゃないか、と。
 現代における情報というものの扱い方、もっと端的に言えば、Google的な情報とそうでない情報をどう切り分け、言葉の活動(思想とか、ま、ブログなんかも)に統合していくのか、というあたりの教育は必要な気がする。そのあたりで、ケイとかの発想はもう古いのじゃないだろうか。
 雑想が続くのだが、パソコンの操作と言えば、かつては、DOSコマンドみたいなものの操作だった。思い出すに、Windows3.1が出たころだったか、いやWindows95かな(もう10年経つのか)、人に「もうDOSの世界は不要ですよね」と問われたことがあった。「いやぁ、どうでしょうね」と当時答えたが、さて今なんと答えたものか。不要といえば不要だけど、ここまでDOSが生きるとは思ってなかった。ネットワーク管理なんかはコマンドがメインだし、Windowsについては、WMI(参照)という仕組みがあるのだが、利用されているのか?
 昔のことを思出すと知らず最近は足をすくわれて考え込むことが多い(歳だな)。DOS以前は、BASICの時代だった。あの時代のBASICは事実上DOSを内包していたのだが…という話はさすがにかったるいのでパスだが、数年前、中学校のパソコン教育を覗く機会があって、まだBASICを教えているのにのけぞった。コ、コ、コンピューター教育ってやつですか、これ。
 BASICが悪いわけでもない。以前の知り合いにかなり高度な独創的な画像処理手順を書くやつがいたが、言語何?ときいたらBASICなんで、なぜ?とさらに訊くと、BASICだっていいじゃないとだけ言うのだ。言語に関心ない。アルゴリズムが書ければいい。ま、そりゃそうだ。PASCALあたりなら一番きれいだろうが、本質的な問題ではない。
 ということで、プログラム教育はアルゴリズムの教育かというと、いつのまにかOOP(参照)の時代である。っていうか、OOPがあたりまえの時代でプログラムを始める人が多い。私なんかには、ちょっとわかんないなという感じはする。
 OOP、つまり、オブエジェクト(参照)なわけだが、データ処理の分野だと、いつのまにかこれも現代では、もうすっかりXML(参照)なのですね。
 ブラウザーもかつてはroff(参照)みたいにタグを処理しているだけのものかと思ったけど、内部の処理はすっかりXMLの処理をしているわけで、ちゃーんとDOM(参照)ができている。
 HTMLのブラウザー表示というのはいかにも文書みたいに見えるけど、そのルック・アンド・フィール(参照)というかは一つの結果に過ぎない。しかし、それだけが唯一のものではない。どうなりうるかはわからない。が、セマンティックWebなんて流行しそうにないから、ネットの世界は、HTML+CSSでレイアウトした情報にマルチメディアがある…くらいなことで定着しそうだし、そうなることで広告業界も落ち着くのだろう。
 が、考えてみると、それは一つの形態に過ぎないわけだから、ざっくらばんな話、このブログだってもっと別の表示ができるようにセマンティック(意味論的)に考えなおしてもいいのだろう。だけどWebの世界では、ID・クラス付けというのが、すっかりCSSに従属したようになっていて、HTMLが論理構造で見栄えがCSSってことになりつつあるようだ。考えすぎか? そりゃ違いまっせ、と思うのだが。
 ID・クラス付けというのはHTMLのレベル低過ぎっていうか、こうなることを想定していない規格なので、必要になった論理的なものだ。もちろん、現状のCSSを意識したID・クラス付けは、それはそれでもいいのだけど、この上位にもっとセマンティックな規制をかけてもいい。そうしないと、「日本語における段落の形式化は、/^\s.+。$/」みたいになってしまう、って、わかりもしない洒落を書くなだが、全然形式化に意味がない。
 ID・クラス付けはあくまで論理に従属する、とまでは言えないによ、現状のWebにはどうもギャップがある。と、考えていくと、確かにセマンティックWebというのもありかもしれない。が、さて、OWLとかウェブ・オントロジーとかだと、ちょっと、うーむ、それは違う(参照)。竹田青嗣的に言えば、さしあたって、idとclassの業界規格というか、ブログの規格を作ればいいのではないか。って、それがRSSでしょと言われると、そうなのかぁ?
 繰り返すけどいずれにせよ、ドキュメントがオブジェクトとして意味構造化されると、そうなるとやっぱし広告は入らない。入るとするとAdSenseのように意味的な関連づけになる。というか、広告というのはそういうオントロジーの領域に移行するのだろう。アフィリエイト技術やその努力もそう無駄なものでもない鴨ちゃん。
 だらだらとこの手の話にずっこけってしまったがのだが、ブラウザーとHTMLとDOMということでは、最近、あれま?と思ったことがある。FireFoxを使っていたときのことだ。
 SP2になってから、Internet Explorerに奇妙なセキュリティをかましているせいか使いづらいこともある。ので、FireFoxも使う。これ、いいですね。けっこう使える。使っていて、ちょっとイタズラ半分でdocument.allのコレクションをダンプさせたら、出た!
 そんなの誰でも知ってるわいかもしれないけど、FireFoxの文書モデルって、document.allなのだった。っていうか、マジかよとひっくり返った。もちろん、Internet Explorerですら、document.allは進化の残存なのだが。
 FireFoxにdocument.allのモデルがおまけで付いているのか、互換性のためなのかわからない。後者なんだろうけど、考えてみるとdocument.allってそんなに悪いもんじゃないなと…。そんなのなくてもW3C DOMのAPIで充分でしょとお叱りを受けそうだが、document.allのコレクションってあると便利なものです…と実例を示すのもなんだが。
 それにしても、FireFoxってW3Cのサヨク的な思想(もちろん冗談ですよ)のインカーネーションかと思ったら、違うみたいだ。すごいプラクティカルにできている(Operaみたいにプラクティカリティを誤解していない)。どのレベルでこの仕様が決定されたのか関心あるのだが、もしプログラマー(参照)のレベルだったら、これはかなりすごいやつだ。
 話題が偏ってきたので、フツーに近い話にトレースバックすると、現代のパソコンってGUI(参照)になっために、文書処理とかプログラム処理がすごい難しくなった。MacのHyperCard(参照)みたいのがあればいいのだけど、AppleScript(参照)もちょっと使いづらい。
 その点、私の頭が古いのか、文書処理的な作業だと、パイプとかリダイレクトとか、UNIX的な仕組みのほうが使いやすい。ま、DOSのコマンドだ。sed、awkとか、正規表現的なもの。もちろん、perlもだし、rubyもだけど、ちょっとこうしたツールは独立性が高すぎて使いづらい。
 で、先の話に戻るのだが、すでに現代は、そうしたプレーンなテキストを処理するという時代ではなくて、HTMLがいい例だけど、すでに情報はXML化している。そして、それはオブジェクトでもある。ということは、DOMとして見える。DOMのAPI(参照)で扱うことができる。でも、そこを、もっとHyperCard的に普通の人が扱うツールというのはない、のだろうか?
 情報というのは、すでにオブジェクトなわけだ。ということは、そのAPI、インターフェースを情報それ自体の側で持っていてしかるべきではないか。つまり、情報それ自体が、どう語りかけるべきかについての手法を内在させておけるはずだ。
 あるいは、ある種の情報というのはオブジェクトなのだから、そのオブジェクトとしての情報をどう扱うかという基礎技術というのはあると思う。
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情報の「目利き」
になる!
メディア・リテラシーを
高めるQ&A
 話をなんか無意味に難しくしているようだが、日垣隆とかが「情報の目利きになる」といっているのも、工学的なアプローチが可能であるように思うし、そういう教育が情報教育だろう。
 もっと身近な話、世の中が情報化されればされるほど、その引き出し方と再構成の手法が高度化されなくてはいけないし、そういう具体的な応用がiPodみたいなものになるといいのだが。ビル・アトキンソン(参照)の夢の跡みたいなPocket Crystal(参照)があればいいなと思う。iPodがそう進化しないだろうか。
 Wired(日本語)"『iPod』が生む新ユーザー層「サイボーグ消費者」"(参照)にちょっとありげな話があった。

 ギースラー助教授は「iPodとユーザーが1つのサイバネティクス的単位を形成しているのだ」と話す。「われわれがサイボーグを語るときは、つねに文化理論やSF文学が絡んでいるものだが、これはサイボーグが市場にも実在するという好例だ……。こうした人々に、私は未来を見ている。彼らはサイボーグ消費者と呼ばれる存在だ」
 ギースラー助教授によると、サイボーグ消費者とは、携帯電話から『バイアグラ』にいたる多様なテクノロジーを利用し、なおかつ技術的、社会的に、ネットワークとの強い繋がりを持っている人々だという。
 たとえば、iPodは単なるMP3プレーヤーではなく、記憶の拡張でもある――人生のサウンドトラックを保存し、名前や住所、カレンダー、メモも記録する。

 一読苦笑してしまうのだが、Pocket Crystalはある意味で端末だったから、ストーレッジ(情報・記憶)はサーバーを想定していた。しかし、iPodが出来てみると、情報というのは、意外とパーソナルなもので、iPodのように100GBをさらりと携帯してこそ意味がある…こういうのは、実感してみたいとわからない。このパーソナルな記憶と知識のブースターと、外部の情報をどうやりとりさせるか…。
 そう遠くない時代、なにかそういうものを自分は見るだろうかと思う。自分の知力が劣化しているのをそういうマシンで補う…サイボーグ知識人?かな。

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2005.02.04

スーダン問題について

 昨日の朝日新聞社説"スーダン和平――PKOを論じ合う前に"(参照)を一読してかなりむかついたものの、早急の問題でもないので昨日のエントリとしては見送った。逆に今朝の話題である米一般教書演説の主眼である米国公的年金改革はかなり難しいテーマなので今朝のエントリにはできそうにない。しばしミューズリ(参照)を噛みしめながら思ったのだが、朝日新聞の社説はさておき、スーダン問題について自分の考えを書いてみたい。書くにあたって、ディテールは少し割り切ってできるだけこの問題のスジをどう自分が考えているかに絞りたいと思う。その分、批判はあると思う。イデオロギー的な反発も受けるだろうと思う。
 まず、スーダン問題は、現状二つの問題が絡み合っている。これを分けてほしい。
 一つは南北内戦問題で、これはある意味でスーダンだけに限らない。コート・ジボワール(参照)でもなどでも抱えているし、極東ブログ「世界子供白書2005を巡って」(参照)で触れたウガンダの問題もある。
 内戦は世界の他の地域にもみられるが、アフリカの内戦では、少年兵や少女レイプ、アラブ人と黒人の対立といったいくつかの特徴がある。スーダンについて言えば、現状のスーダン政府はかつてビン・ラディンをかくまっていたようにアラブ系であり、南部の反乱勢力はキリスト教である。ただし、宗教対立が原因というわけではない。
 なにが内乱の原因かといえば、宗教と重なり合うものの民族的な対立や経済利権の問題がある。特に、スーダンの場合は南部の石油の利権が大きな要因になっている。これに旧宗主国の支配構造や資源を狙う大国の思惑がある。
 スーダンの場合では、中国が石油利権をここで確保したいがためにかなり無理な態度もとっている。もっとも、「中国が」と言ったものの、その利権は必ずしも中国政府(つまり軍部)がとだけは言い切れない面があり、全体のバランスを崩せば多様な陰謀論も可能だ。なにせ石油利権が噛んでいるのでいろいろなお話はある。しかし、問題は私たち日本人と国際社会の人道的な問題なので実際上は陰謀論的な考察はあまり意味がない。同様に、単純に中国を敵視しても実際的ではない。
 もう一つの問題が、ダルフール危機だ。これは、スーダン西部の問題で、ここにも軍事力を持った反乱組織があるので対立の構造として、南北問題のように、スーダン政府対西部の反乱軍というふうに見られがちだ。たしかにそうした見方もなりたつ。が、その見方のためにダルフール危機が充分に認識されないことになった。「ああ、そっちも内乱ですか」ということに見られるからだ。
 しかし、ダルフール危機は内乱の派生の問題ではない、まず10万人を越える虐殺があり100万人を越える難民が発生した、その人道危機にどう国際社会が向き合うかという問題である。本当にここが問題なのだ。内乱の過程で殺されたのではないのだ。
 ある種の知的な枠組みとして、ダルフール危機の原因なり種別(問題のタイプ分け)は考えられる。その側面では、ダルフール危機は、ルワンダでの民族大虐殺問題(参照)と同様、民族浄化、大量虐殺、ジェノサイドである。
 国際社会は10年前にルワンダにおけるジェノサイドを阻止することができなかった。その反省をどう活かすかと国際的な意識が高まる、まさにその渦中でダルフール危機が発生した。
 早期から、ダルフール危機にはジェノサイドの特徴があることはわかった。だが、この知的な追及は実態がわからないために空回りを続けた。皮肉な言い方をすれば、ジェノサイドが進行していることを見たくがないための知的作業のようですらあった。
 もし、ルワンダ問題のような大虐殺であるとしたらどうしたらいいのか。それが世界に再発したときどう対処したらいいのか。国際社会は回答の方向性を持っていない。あるすれば、国連とアフリカ連合が重要になるのだが、これが機能しない。実際は機能できない。
 その意味で、ダルフール危機というのは、国連の問題でもある。そして、なぜ国連が機能できないのかというところで、どうしようもなくイラク問題や国連不正の問題が関わってきてしまう。極東ブログは親米で国連バッシングをしているかのように受け止める人もいるだろう。だが、このブログを続ける私の願いの根幹は、国連をどうやって使えるものするかということだ。
 しかし、この国連の問題は難しい。特に日本では、国連対米国という図式になる。現実世界を見るなら、米国の関与のない国連など機能しようもないのにだ。しかも、国連が不正に働くとき、つまり、国際社会が欺瞞のなかにあるとき、米国はそれを国益として受け止めるならその単独の軍事力をもってしか是正するしか選択肢はない。そう考えるしか道筋がない現実は、率直に言えば、泣きたい思いがする。
 ダルフール危機は、ジェノサイドなのか?
 私は、大筋では、スーダン政府による組織的なジェノサイドだと見ている。しかし、その認識は、ブログやネットでの立場とは少し違う。そう認識することが当面の問題の解決につながらないからだ。まず、人道危機をどう回避させるか、そのために、最低できることはなにか、現状をどう理解するか。
 だが、ジェノサイドと認識しているということを今日は少し書いておこうと思う。
 ダルフール危機は、南北問題が和解に至る寸前で表面化した。おそらく、スーダン政府が、南部と争いの過程で懲りて、問題が長期の内戦化する以前にダルフール地域を反乱ができないほどに抹殺しようともくろんでいたのだろう。そう言うことはある意味でタブーではあったが、ようやくその見解の支持が国際的には増えて来つつはある。というのも、単に証言だけではなく、ようやくスーダン政府自らの民衆虐殺が目撃されるようになってきたからだ。
 もちろん、実際の虐殺の多くに関与していたのは、ジャンジャウィードと呼ばれるアラブ民兵であり、これまでは彼らとスーダン政府との関係はかなり疑われてはいたものの、明確にはされてこなかった。実際のところスーダン政府側もジャンジャウィードを統制していたわけでもない。そこが難しいところだ。
 また、経時的に見るなら、ダルフール危機の勃発は、ダルフール側の反乱組織の武力攻撃に端を発している。先にけしかけたほうが悪いというなら、反乱側のほうが悪いと見なされがちだ。
 だが、その見解は待ってくれと私は思う。ダルフールで殺害され追われた民衆は、必ずしも西部の反乱軍とは一致していない。むしろ、反乱軍もダルフール民衆を迫害していた様子がある。こうしたことは先に触れたウガンダの状況からもわかる。造反有理というようなつまらない洒落で状況を見ることはできない。むしろ、大筋で見るなら、私は、こうした要素をスーダン政府が民族浄化の目晦ましとしてきたと考える。
 ダルフール危機が、もし内乱の構図なら、極東ブログ「[書評]戦争を知るための平和入門(高柳先男)」(参照)でも触れたように、残酷だが、人間の尊厳を考えるなら、内部で満足行くまで殺し合いをするしかないだろうと思う。
 しかし、ダルフールで迫害された民衆には反乱の意図はなく、また武器もない。つまり、絶対的な非対称性が成立している。これに対して、スーダン政府側には中国から石油利権の代償として供与された武器が利用されている。そして、その中国に武器を販売したくしてしかたがないEUがいる(参照)。
 話が錯綜してきたが、国連が機能できないのは、中国の存在も大きい。これも二面ある。一つは実際に利用しなくても拒否権(veto)の存在が大きいことと、もう一つは人民元切り上げをしないためにやがて来る切り上げを狙ったマネーが中国に流れ出して爆弾状態になっていることだ。人民元についてはそうでないと見る見方もある。フィナンシャルタイムズも、現状の中国の報告が正しければ対処可能だとしている。中国の報告書がどの程度正しいかについては極東ブログ「すごいぞ、中国国際ビジネス」(参照)が参考になるだろうが、この問題はとりあえず別の問題だ。
 ダルフール危機にどうしたらいいのか?
 簡単に書くはずが話が錯綜してしまった。
 どうしたらいいかについては、絶対的な非対称性の状況では、端的に軍事力を投入するしかない。しかし、国連は機能しない。国連にも機能したいと願う人はいる。日本にもそうした軍事支援を要請されているのだが、ここで注意してほしいのだが、日本に要請されているのは、ダルフール危機の問題ではなく、かつての南北内戦の後始末的な仕事だ。
 実際の問題として、ダルフールのような状況に丸腰の自衛隊が投入できるわけもない。そんなことは国連もわかっているから、こうなっている。
 では、どの軍事力なら使えるのか。
 私は、当初、実際のところ米軍でしかないじゃないかと思っていた。しかし、極東ブログ「欧州連合(EU)の軍隊が始動する」(参照)でネガティブに触れたが、使えるならEU軍でもいい。しかし、大筋でみるならアフリカ連合の軍事力が適切だろう。そしてその問題を正確に見る必要がある。
 なのに、朝日新聞社説"スーダン和平――PKOを論じ合う前に"がダメだったのは、この問題について、次のようなバックれを書いている。


 「我々の問題は我々の手で」と、アフリカ連合はすでに1700人の要員をスーダン西部に送った。だが、装備と資金の不足で十分な活動ができない。

 そんな要員ではなにもできなことは以前から指摘されていた。そして実際なにもできなかった。「装備と資金の不足で十分な活動ができない」のはわかっていたことだ。しかも、実動でなにもできなかったのは、スーダン政府の妨害があったからだ。こうした経緯は、偉そうに言いたいわけではないが、私が立ち上げた「スーダン・ダルフール危機情報wiki」(参照)でそのおりにふれてログしてきた。なお、このwikiは私だけが書いているわけではない。誰もが参加できる。
 私はこのエントリではちょっと感情的かもしれない。メディアではダルフールの死者は7万人と言われている。それは、殺戮された人で、難民として非業の死を遂げた人はその倍はいる。いつの日かあきらかになるだろうが、この無慈悲な事件で、私はすでに30万人の人が死んでいると思っている。間違いであってくれたら、どんなにかよいだろう。

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2005.02.03

一太郎訴訟、とほほ

 毎朝新聞各紙の社説をざっと読むのだが、今朝はちょっと驚いた。朝日新聞を除いて、大手紙がこぞって「一太郎訴訟」を扱っていたからだ。こんなニュース、社説で扱うものだろうかと読み進めて、さらに困惑した。そのあたり以前エンジニアの端っこにいた自分の考えを書いておきたい。なお、社説としては朝日新聞の「スーダン和平」が南北問題とダルフール危機一緒くたにした最低のシロモノだった。目立った話題がなければ明日取り上げるかもしれない。
 一太郎訴訟なのだが、まずなにが争点なのかが非常にわかりづらい。ブログ「ブログ時評」"「一太郎」製造販売禁止判決報道のずさん"(参照)では、その点を率直に述べていたので参考に引いておきたい。


全国紙の紙面を見ただけではどれも問題点が理解不能だ。唯一、日経新聞だけが、昨年、同じような訴訟が同社の家計簿ソフトで争われ、同地裁の同じ裁判官がジャストシステム勝訴の判決を出している事情を詳しく解説し、問題のボタンがアイコンであるかどうかがポイントと教えてくれる。それでもかなり判りにくく、ITmediaの「ジャスト「一太郎」の販売中止を命じる 松下アイコン訴訟で判決」と併せ読んで理解できた。

 同ブログについて私は詳しくは知らないのだが記者さんが書かれているとのことなので、失礼な含みはないがジャーナリズムの場にいる記者さんにも難解な事件ではあったのだろう。引用部には同ブログが理解できたする記事へのリンクがある。私もそれを読んでみた。確かにわかりやすい記事なのだが、気になることがあった。
 これは「ブログ時評」での扱いにも関連している。同ブログではこの問題をわかりやすく報道していない状況を問題としているのだが、私はそれ以前に、ITmediaの同記事のリードにそれに先立つ問題点を感じた。この部分だ。

松下とジャストが争っていた「アイコン特許事件」で、東京地裁判決は松下の主張を認め、「一太郎」「花子」の製造販売中止と製品の廃棄を命じた。ジャストは控訴する方針で、当面の製品販売には影響はない。

 きちんと「製品販売には影響ない」と明記され、このことは本文中でも触れているのだが、それでも、「製造販売中止と製品の廃棄を命じた」という表現がまずもってきつく響いている。この表現はITmediaだけではなかった。報道としては、私は、これがまずもって問題だと思う。
 この点については、IT Pro"特許侵害で「一太郎」、「花子」に製造・販売中止と廃棄命令"(参照)の追記がわかりやすい。というか、この点が問題となったために追記されたのだろう。

2月2日付記:上記記事のタイトル「特許侵害で「一太郎」、「花子」に製造・販売中止と廃棄命令」中の「命令」は、法律用語としてではなく、一般的な「命じる」の意味で使っています。法律用語としての「命令」は強制力を有する表現になりますが、今回の判決には仮執行宣言が付されていません。このことを勘案すると、「特許侵害で「一太郎」、「花子」に製造・販売中止と廃棄を命じる判決」のほうが、より厳密な表現となります。(日経コンピュータ編集)

 ということで、今回の一太郎訴訟の報道の問題は、その内実がわかりづらいために社会的に混乱をもたらしたというより、「命じた」という表現が報道で安易に流れたことにあるように思える。
 そして、それが伝言ゲームになってしまったのではないだろうか。その結果が株式市場にも反映し、2日は取引開始直後から売り注文が殺到。値が付かない状況が終日続き、大引けでストップ安。というまるで空売りしていたヤツがいたら洗えよと言いたくなるような珍事となった。っていうか、やっぱ、それが報道の問題でしょ。
 当の争点だが、これは、私も取り敢えずエンジニア・サイドに含めるとしての印象だが、「くだらねー」である。「くだらないことやめてくださいよ」と思った。それは、些細な問題だというより、エンジニア側にしてみると、ヘルプシステムのガイドライン部分なんて最初の決め事なので、原則的にはシステム設計者のカバーなのだが、実際には、ヘルプやルック・アンド・フィール(参照)は独立しているので、システム・エンジニアもプログラマーもタッチしない。もっと率直に言うと、「営業に言ってよぉ」である。
 これは現場サイドの本音だと思うが、組織的に見ても、インターフェースやルック・アンド・フィールについては、組織の上部のほうで予め検討されておくべき問題だ。もちろん、知的財産権だのがどうのという問題でもあるが、そういう一般論のなかに流し込んでヘンテコな社説を書くなよ、大手新聞、と思う。
 ちょっとくどいのだが、もうちょっと踏み込む。知的財産権だと特許だのが、アルゴリズムに関わる場合は、まさにエンジニアに直撃するのでその対応が難しい。とはいえ、実際には、こうしたアルゴリズムに関与しているエンジニアは主要な手法に精通しているので、これを書いたらパクリでしょというのは実際にはわかっているものだ。だから、エンジニアのそういう心情を吸い上げる組織が重要になる。というか、そのためにはエンジニアの上司はエンジニアでないと難しいという問題でもある。だが、インターフェースやルック・アンド・フィールは性質が違う。
 別の観点でいうと、今回の松下の特許だが、率直に言えば、「誰もそんな特許の存在知らねー」し、「そんな特許全部読めるわけないっしょ」である。第一、「読んでもわかんねー」だし。
 さらに言うと、この手の「なんだ、この特許?」みたいのは五万とあり、大抵は「業界の常識」によって正しく無視されている。つ・ま・り、今回のケースでは、相手が松下で、しかも、おそらく経営のトップが「業界の常識」破りをやったのだということで、ここから得られる業界的な教訓は、「くだらねー特許に見えても出した香具師は覚えとけ」だろう。くどいが、いわゆる知的財産的な、アルゴリズム的な部分の問題というのは、現場ではけっこうわかっている。ユニシスの特許はGIF画像のエンコーディングに及ぶことはユニシスがトチ狂って騒いだので問題になったが、これってLZHにも影響あるんじゃないのというのは、誰も黙っていたものだ。
 今回のケースでもジャスト側ではそうした業界の常識でこなしていたのが、いきなり、ズブっと来たのではないだろうか。ちょっと下衆の勘ぐりをすると、松下側でも実動部隊というか広報は「ええ??」と仰天しているのではないだろうか。CNET JAPAN"「一太郎ショック」で鳴り響くソフトウェア産業への警鐘"(参照)がちょっと笑える。

一方の松下でも「マスメディアからの問い合わせが集中するなど、これほど大騒ぎになるとは思わなかった」(広報)とし、判決に関して「主張が認められた結果だと考える。なお、今後の展開については見守っていきたい」という声明を出した。

 なんだか某社ゲートキーパーから怪パケットが飛び出すように、松下側でも全体の統制が取れなかったのか、全体の統制がとれちゃって珍事になったか、そんな感じがする。
 さらに、多分、業界の常識的にだと思うが、今回争点になった技術は、一般には、「コンテクスト・メニューをヘルプに応用する」というもので、Windowsパソコンなら、「パネルの翻訳にもっとカネかけてよねわかんないよ」という怪日本語にマウスを置き、右クリックすると、今回一太郎訴訟で問題になったようなちょこっとしたポップアップが出る。つまり、技術的には、大枠で、コンテクスト・メニューのキッキング(あるいはモード・チェンジ)の手法が特許となるのか?ということであり、しかも、今回の訴訟では、その大枠は問題視されず、キックにアイコンを使うことが松下の特許なので、ボタンの表示が「?」だったらいいけど、そこにマウスの絵を載せたらせたらアウチ!という判決だった。ここでも、「く、くだらねー」というつぶやきを呑み込むのだが、つまり、そういうこと。しかも、この適用はワープロに限定されるのが松下の特許のようでもあるのだが…。
 こうした問題にどうしたらいい? 私の回答はすでに書いた。これは、インターフェースやルック・アンド・フィールの問題なのだから、そう対処なさい、と。裁判の動向については、かつてのエンジニアとしては、「あのなぁ」という一つの声としてこのエントリを書いておく。大手新聞の社説執筆子については…「※ってよし」とも言いたくなるが、それだけ言っても通じない、というのもこのエントリを書いた理由。
cover
Human Interface
Guidelines(日本語版)
 先日、このブログの右下のアソシエイトの欄で、Appleの名著「Human Interface Guidelines:The Apple Desktop Interface(日本語版)」をちょっとノミネートしておいた。ある年代のある水準のエンジニアは必ず読んでいた(英語で読まされた)。しかも、この内容はすでに常識になっている。でも、その常識は一般パソコン利用者の常識であっても、会社経営者や大手新聞社説執筆者の常識にはなっていない。お偉い様、読んでくだせー。

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2005.02.02

iPodで笠碁を聞きつつメディアの将来を憂う

 雑談。先日、ラジオ名人寄席を聞いていたら春風亭柳橋(六代目)の笠碁をやっていた。春風亭柳橋といえば昨年いや一昨年亡くなった春風亭柳昇の師匠だなと思った。さて笠碁は、と、まさに名人の力量を示すに格好な題目だが、目線の芸などはラジオを聞いてでは味わい尽くせない。あの時代に、現代の映像メディアでもあれば、そのあたりをくっきりと見ることができるだろうか。いや、そうでもあるまい。などと思って聞いていた。話は手短に20分ほどで終わり、そのあと番組では石庭玉置宏がラジオが娯楽として広まる前の話をしていた。それが面白かった。
 私は知らなかったのだが、ラジオ以前の時代、SPレコードに吹き込んだ落語に人気があったらしい。昭和の一桁の時代だ。柳橋もそうした時代に、SPレコードの落語家としても人気が高かったそうだ。
 SPレコードといえば、あの落とせば割れるというやつだ。そう昔のものでもない。私が小学生のころにはあった。小柳ルミ子の「私の城下町」とか「シェルブールの雨傘」とかよく聞いたものだ。追記同日この2つはSPレコードではないらしい。
 ソノシートというのもあった。アスキーの創刊号にも付いていた…そこまで話はずっこけないとして…、SPレコードだから、今でいうシングルカットくらいしか入らない。時間として3分ほど。玉置もつい高橋圭三の「歌は三分間のドラマと申します」に振っていたが、そうそう。
 SPレコードは裏面と合わせて6分ほど。そんな短い時間で落語になるのかとも思うが、それでも大人気のメディアだったようだ。それなりの工夫も当然あったとのこと。こうしたメディアの制約に合わせて、柳橋も新作小話を作っていた。柳昇の師匠でもあるし。
 そうした柳橋のSPレコード向けの話に「そば屋」というのがあるらしい。元の企画では「うどん屋」とのことだが6分に収まらない。そこで、「そば」ということなのだが、この「そば」が「中華そば」だ。もちろん、歴史的には「支那そば」なのだろう。昭和の一桁の時代だな、なるほどなと私は思った。沖縄のいわゆる「沖縄そば」だがこれの起源はこの数年なにかといろんな人が調べたところ、だいたいこの時代の内地からの支那そばが起源のようだ。なんのことはない、まるで日本語の起源と同じように、本土のラーメンと姉妹麺類だった。
 LPが出るのは戦後のこと。そして、LPの落語もあったらしい…というか、自分の記憶を探ってもそうした名残があったように思う。それがカセットテープに移行したのは私が中学生くらいのことだろうか。そうだそうだ。1970年ころのことである。
 外人宣教師なんかとも知り合いがあったらしい私の父親が、私が小学六年生のとき、田崎英会話のテープを買ってくれたことがある。あのテープはリールだった。再生機もそういうものだった。テープに音が録音できるということだけで不思議に思えた時代だった。

cover
iPod 20GB
 と、なんとも古い話だなとも思うし、そんな昔のことじゃないよとも思うが、メディアというのは時代ともに変わる。そして、この六代目柳橋の笠碁だって、ラジオからタイマー録音しMP3でエンコードしたのを、iPodで聞いているのである…。
 自分としてはNHKのメディアというのは、ラジオ名人寄席とかラジオ深夜便とか、その手のものがあればもう充分だという感じもするのだが、時代はラジオからテレビに移った。その話もいろいろ思い出すことがあるが、それはさておき、そして、現代いよいよそのテレビというメディアも変わらざるをえないのだろう。
 そんなことを思いつつ、SPAに連載されているコータリ(神足裕司)のコラム"海老沢会長が強気でいられた理由はデジタル放送にあり!?"(vol.423, 2/8)をよんでふーんと思った。コータリは、海老様が強気なのはNHKがデジタル放送を基盤に経営の前途は盤石の構えだと考えているからだとしている。

 TV放送は、'11年に完全デジタル化される。ハイビジョンを試聴するには、視聴者のIDを入れた受信カードが必要になる。
 今は玄関先や銀行で支払い拒否ができるだろう。しかし6年先には、誰にもそれはできない。

 もちろん、その話は私も知っている。むりむりとか思っているのだが…、現在のNHKのハイビジョン化の流れを見ていると、価値の高いコンテンツをそちらに移していく傾向はよくわかる。

 近い将来、NHKを視るには必ずお金を払わなければならなくなる。民放のほうはまだ不明だ。しかし、有料でバラエティ番組を視るか? 私は地球大進化を選ぶ。

 そのあたりはどうなのだろうか。しばし考えた。笠碁はたぶんラジオで聞けるかな。それより、この問題は民放のほうが大きな問題でもあるのだろう。

 6年後に始まるデジタル放送では「ハードディスク視聴」が始まり、視聴者はCMを飛ばす。今のような民放経営はなりたたなくなり、ペイTVやインターネットのバナー広告のような試みが求められる。

cover
HDD搭載
DVDレコーダー
SONY
RDR-HX70
 このあたりの技術認識はあれま?とも思うのだが、というのも私はすでにTVはHDレコーディングでしか見ない。民放をまれに見るときはすいすいとCMを飛ばす。ありがたいことにCMの前後はかぶるかぶるなので、飛ばしのコントロールがしやすい。そこまで民放が配慮してくれる時代なのである…ってことではないのだろうが。
 問題は…コンテンツということだろうか。でも、コンテンツというなら、寄席に行って現代の落語家の笠碁を見にいくほうがいいようにも思う。よくわかんないなと思うし、自分などは、所詮、映像メディアの時代から取り残されていくのだろうか。

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2005.02.01

イラクで一兆円近いカネが消えてましたとさ

 国内でまったく報道がなかったわけではないが、イラク選挙に示し合わせたかのように、30日、ボーエン米特別監査官が連合暫定当局(CPA)の予算管理の問題点を指摘した。もっとも期日を示し合わせたわけではなく、議会への四半期の報告だったからにすぎないので、この点について深読みはご無用。
 報告書によれば、CPA下で約88億ドル(9100億円)の使途が確認できなかったということ。もっとも以前からこの問題は指摘されていたのだが、まったくもって洒落にならない額だ、ということで、イラク選挙の成功に合わせて欧米ではけっこう重要なニュースになっていた。簡単に見ると、CPAの問題だから反米のネタにでも使えそうなものだが、朝日新聞も特にピックアップしている様子はない。
 国内のニュースは昨今の傾向でもあるのだが、共同がさらっと流していた。"CPAがずさん経理/イラク復興で"(参照)が該当ニュースだがそっけない、というか、ロイターの垂れ流しであり、日本のジャーナリズムというか報道メディアにおいて共同にかなり問題があるようにも思う。


【ワシントン30日共同】イラクに主権移譲された昨年6月末まで同国を統治した米英主導の連合国暫定当局(CPA)が、復興予算88億ドル(約9100億円)について、ずさんな経理を行っていたことが、米特別監査官の議会向け報告書で明らかになった。ロイター通信が30日報じた。

 というわけでロイターなのだが、日本版でも該当ニュースは流れていた。"旧CPA、イラク復興予算の監督不十分だった=米監査報告"(参照)がそれだ。

 監査報告はその上で、CPAが昨年6月イラク暫定政権に主権を委譲するまでイラク予算について、適切な監督を怠ったでことを批判した。
 報告は「予算配分でイラクの各省庁に渡った開発基金(DFI)資金約88億ドルに関して、CPAの監督は不十分だった」と指摘。

 ロイター・共同系だと今一つこのニュースがわかりづらい。CNN日本"旧イラク暫定当局の経理、「不透明」と指摘 米報告書 "(参照)ではもう一つインフォを加えていた。

同氏らによると、旧政権のある省庁では警備員8206人に給料が支払われていたが、実際には602人しか確認できなかった。報告書は「何千人もの『幽霊職員』がいたことになる」と指摘する。

 この点が重要なのだが、そこに踏み込む前に、このニュースの伝搬の他の側面を見ておこう。つまり、問題の重点と、それって反米で使えるネタかな、というあたりだ。
 まず、この問題の核心だが、要するに一兆円近いカネが米統治下のイラクで消えたということなので、欧米メディアはそこをずばりと斬り込んでいる。かねてよりこの問題をワッチしていた英国公共放送(と強調するのはだめな某国公共放送への当てつけです)BBCは"Iraq reconstruction funds missing "(参照)としてこの点を第一に強調している。

Almost $9bn (£4.7bn) of Iraqi oil revenue is missing from a fund set up to reconstruct the country.
【試訳】
約9000億円ものイラクの石油収入が消失していた。このお金はイラク再建に当てるものであったにも関わらずだ。

 つまりイラクの国富が盗まれたということがこの問題の重要点だ。FOXニュースなどでも扱っているので、欧米のメディアではこの問題の扱いの偏りはあまりない。が、日本ではちょっと違っていた。
 冒頭にも触れたようにこの問題は以前から話題にはなっていた。赤旗などがユーモア記事のようにクリスチャン・エイドの情報を"石油収入30億ドルが消えた"(参照)と書き飛ばしていた。他に、ブログ「暗いニュースリンク」でも"主権移譲前倒しの裏側:イラク再建用の石油収益200億ドルが行方不明に"(参照)と軽いネタに上がっていたことがある。

イラク主権移譲手続きの直後に、大急ぎでヘリに乗り込み帰国の途についたブレマー元CPA代表。そのタイミングは、クリスチャン・エイドの報告書がメディアに伝達される直前だったという。現地の愛人問題以外にも、ブレマー氏には隠し事がたくさんありそうだ。

 話が前後するが、なので、このネタはけっこう反米スジが釣れるかと思ったのだが、現状それほどでもない。不思議なほどだ。ネタの出所が甘すぎるからなのだろうか。
 もう少しちゃんと見るなら、クリスチャン・エイド系のスジではなく、きちんと国際通貨基金(IMF)下の国際顧問監視理事会(IAMB)の報告が重要になる。日経系"イラクの石油収入、管理に不備・国連などが監査報告"(参照)が参考になる。

連合国暫定当局(CPA)統治下の管理不備で大量の石油が密輸されたことが明らかとなり、IAMBは統治を引き継いだイラク暫定政権に、石油生産量の計測徹底などを求めた。
 報告書は米大手会計事務所のKPMGに依頼して作成した。CPA統治下で成立した石油事業を巡る契約のうち「6件は正当な手続きを経ず、4件は競争入札なしで認可された」などと具体的な事実を挙げ、混乱の中で数十億ドル規模の石油収入が管理漏れした構図を浮き彫りにしている。

 当の問題の構図に戻る。1兆円近いオイル・マネーはどこに消えたのか? CNNの示唆では幽霊職員ということになっている。また、このニュースの欧米での広がりは端的にCPAのボスであるブレマーへのバッシングになっており、ブレマー自身も混乱していてわかんねーよという開き直ったコメントを出している。確かにブレマーがどの程度関与しているのかということが問題ではある。
 だが、幽霊職員への不正が賄賂というのならカネがでかすぎる。当然ながら、IAMB報告のように、石油の密輸に関わっていると見るべきだろう。とすると、その密輸が、フセイン政府崩壊後、即座にCPA下で出来たのかというと、私としては、その陰謀説は考えにくいと思う。この不正は巨大なビジネスなのだし、ビジネスには相応の組織性なりが必要になる。
 先のCNNのニュースに戻るが、そももそもこのマネーの出所は、れいの石油食糧プログラムであった。

CPAは03年10月から04年6月にかけ、国連の食料石油交換計画からの資金や旧政権から押収した資産など88億ドルを、復興事業の運営費や人件費、設備投資などに使ったとされる。

 なにも陰謀論を展開したいわけでもないが、妥当に考えて、このリソースはこの構造ともにごそっとCPAに表向き動いただけで、中では、その不正システムが止まっていないか、あるいはそれなりに稼働していたと見るべきなのではないだろうか。こう推理することはそれほど陰謀論でもないと思うのだが。
 この問題に関連してもう一つ気になる問題がある。端的に言って、現状はどうか? この不正のシステムは改善されているのか。当たり前だが、この不正のシステムに米国がまったく汚れていないわけもない。現状イラクに主権は戻り、また、大筋で石油歳入権もイラクに戻っている。しかし、現在の暫定政権が米国から独立してこの巨大な金の鶏を管理できるわけもない。それでも米国の議会鑑査が入り、過去の問題を暴露している以上、いわゆる不正という構図ではなくなってはいるのだろう。
 それにしても、まだ、根の深い問題だし、意外に難解なネタだなと思う。

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