[書評]雷のち晴れ(アレクサンドル・パノフ)
書評という話ではないが、結果的に書評的になるかもしれないこともあり、エントリ・タイトルはこうしておく。
雷のち晴れ 日露外交 七年間の真実 |
ボタンの掛け違いがいっきに表面化したのは昨年の秋だ。小泉首相が現職首相として初めて船上から北方領土を視察した。領土問題を政権後半の課題として内外に印象づけようという狙いだった。
ところが、これがロシア側の反発を招く。なにせチェチェン独立派による旅客機爆破や学校占拠事件のさなかだ。プーチン政権にすれば、領土保全の決意を見せなければならない時に、日本があえて神経を逆なでしたというわけだ。
11月になると、こんどはプーチン氏が歯舞、色丹両島の返還で領土問題を決着させるべきだと表明し、それが日本側をいらだたせることになった。
ロシアが反発するとしても、北方領土はもともと日本が自己領土だと見なす地域でありあの程度の視察を問題視することはないだろう。プーチンの言明に日本が苛立つというのも、わからない。ロシアとしては中国との国境問題を解決したのだから、次は日本を進めていくだけではないのか。
朝日新聞は、中国の口調を真似てか、日本とロシアを見下したような解決をほのめかす。
ではどうしたらいいのか。日本側は、日ロ関係全体を拡大する中で領土問題を打開していくという、明確な戦略と腹構えを持つことだ。4島の帰属の確認をロシアに求めるにしても、思いついたように口にするだけでは、時の政権の人気取りだと見透かされる。
一方、プーチン氏の主張はあまりに筋が通らない。その2島返還論は1956年の日ソ共同宣言に基づくものだが、彼は国後、択捉の帰属問題の解決にも触れた4年前のイルクーツク声明に署名している。難しい国内事情は分かるが、そうした身勝手は、プーチン政権への国際的な批判をさらに誘うだけだろう。
朝日新聞の提言とは逆に、領土問題については、日本はソ連崩壊後、「明確な戦略と腹構え」を持つべく努力してきた。結果的に十分ではない面もあったにせよ、これが頓挫したのは、日本側の要因ではなかったか。2003年まで駐日ロシア大使を勤めた知日派のアレクサンドル・パノフの手記「雷のち晴れ―日露外交七年間の真実」を読むとそう思えてくる。友好の努力のなかで領土問題を解決しようとした日本国内の一派が、別の日本国内の勢力によって駆逐されたようすが伺えるからだ。パノフはこう考えるに至る。
日本には領土問題が解決されない方がよいと考えている勢力が存在する。私そう判断している。こうした勢力は、ロシアに関係するものには、すべて「生来的に、毛嫌いし、信用せず、眉唾の態度で臨む」という基本的立場に立ち、「領土問題を未解決のままにしておけば、それが日ロ二国関係の一種の”調整弁”として利用できる」と考えているのではないかと推測される。
この問題は複雑でパノフの見解だけが正しいとは言えないにせよ、それでもこうした経緯をふまえてから朝日新聞も言及すべきだろう。そうでなければ朝日新聞も結果的に偏向に荷担することになる。
しかし、こうした話はそれほど問題ではない。問題なのは、朝日新聞社説で言及されている所謂二島返還論だ。端的に言って、朝日新聞はどうしろというのか。二島返還論は正しいと言っているのか。正しいけれど筋が通らないというのだろうか。イルクーツク声明と日ソ共同宣言は矛盾するというのだろうか。つまり、四島返還論が正しく、プーチンが領土に固着するロシア国内事情に配慮しすぎるのはよくない、というのか。曖昧だ。
朝日新聞が韜晦になるのは、「日ソ共同宣言が正当であり、まず二島返還論がある」という認識があるのに関わらず、日本国内の空気に配慮してはっきり言えないということなのだろう。だから、中国外交風に、上っ面のお為ごかしの友好をせいというのだ。
この問題にもう少し立ち入るのだが、日ソ共同宣言とイルクーツク声明はどういう関係になっているのだろうか。声明文の関連箇所はこうだ。
一、五六年の日ソ共同宣言が両国間の外交関係の回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。
一、その上で、九三年の東京宣言に基づき、択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより、平和条約を締結し、もって両国間の関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した。
一、相互に受け入れ可能な解決に達することを目的として、交渉を活発化させ、平和条約締結に向けた前進の具体的な方向性をあり得べき最も早い時点で決定することで合意した。
一、平和条約の早期締結のための環境を整備することを目的とする、択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島をめぐる協力を継続することを確認した。
まずイルクーツク声明で重要なのは、日ソ共同宣言が有効であることが確認されたことだ。よって、自動的に色丹島と歯舞群島は日本に返還される。これは既決事項となった。だとすれば、だからプーチンはそれを実行しようじゃないかと言っているだけのことだとわかる。実に単純なことだ。
問題は、択捉島と国後島だが、これについては協議を継続しましょうということだけで、日ソ共同宣言とそれに付属する色丹島と歯舞群島の返還とは別の話だ。二島返還論が正しいというのではないが、まず最初に二島返還ありき、そして、残りの二島はそれから協議しましょうというだけのことに思える。
なのに、四島返還がなければ平和条約がないとか、四島返還を言明しないプーチンを責める世論とはなんなのだろうか。そもそも二島返還論とはなんなのだろうか。先の書籍でパノフは興味深い言明をしている。
さらに付け加えるならば、平和条約の交渉プロセスに関与していた、鈴木代議士、東郷和彦、佐藤優、さらにはその他の日本の外交官達のだれ一人として、ロシア外交官との個人的雑談を含め、いかなるとき、いかなる場でも、歯舞、色丹二島の対日返還だけで領土問題を解決できるというような発言をしたことは一度もない。このことを私は一点の曇りもなく断言することができる。
二島返還論というのは一種の情報操作なのではないか。
もっとも、日本としては、地図を見ればわかるように、歯舞、色丹二島を返還されても実質的な意味が薄いことはわかる。それでも、そこにこそ今後の外交努力がある。
実際のこところ、パノフも指摘しているように、北方領土に関連してかなり大規模な密漁の問題が絡んでいる。
ところで、ロ日間の貿易事業で、きわめて大規模で、しかも、その参加者に巨額の利益をもたらしている「合弁事業」が一つだけある。この「合弁事業」は、ロシア、日本のいずれにも登記されておらず、その事業内容について何の報告も行わず、さらには税金もいっさい払っていない。
それは、南クリール諸島の密漁である。
南クリール諸島とは日本が求めている四島を指す。問題は解決すべきであるがスターリンでもなければ簡単に解決はできない。パノフは本書では四島の現状については触れていないが、先日ラジオで聞いた話では、こうだった。歯舞には人は住んでいない。色丹は、人口は四千人ほどで、北海道東方沖地震でコンビナートの9割が倒壊し、日本の人道支援が頼みになっている。国後は色丹同様。択捉の人口は七千人で、他島の1.7倍の収入を持つ。大学進学率も七割。繁栄しているかに見えるのは、十四年前に設立された水産会社が好調なためで、行政は同社の税収が頼み。また住民の二割が同社に就業している。
事実上、四島返還とは択捉の問題だろうし、密漁の構造的な問題に加え、一万人ほどの住人と水産会社の対応をどううまく政治・外交的に解決していくかということになるのだろう。
北方領土の問題はこのくらいとして、先の朝日新聞社説だといかにも日本は対露外交がまずいという印象をぶちまけているが、国際的には逆だ。顕著なのはフィナンシャルタイムズ社説"Diplomatic coup for Japan as Russia picks"(参照)だ。
Russia will by May draw up detailed plans for the financing and construction of an estimated $11.5bn oil pipeline to the Pacific following a decision over the new year to adopt a Japanese-proposed route over one that would have favoured China.The long-expected decision to build the pipeline from eastern Siberia to the Pacific, from where oil can easily be transported to Japan, will be seen as a diplomatic victory for Tokyo over Beijing.
れいのパイプライン問題で、フィナンシャルタイムズは、日本は対露外交において中国に勝ったと賞讃している。この話は、先のパノフが日本人に向けて話していたユーモアを思い出させる。
「通常は、日本を代表して皆さんがモスクワにいらっしゃるとき、何をおいても最初におっしゃるのが北方領土と決まっていたのですが、今日この頃は、最優先テーマは石油パイプラインにかわったようですね」
パイプラインが日本側に決定され背景にパノフの手腕が働いていかについては、今回の本では触れられていない。しかし、今回の決定は、日本外交の勝利というだけではなく、ロシアからの親日本の強いメッセージが込められると理解してもいいだろう。とすれば、それを日本は表面的であれ受け止めるべきだろう。
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コメント
>「領土問題を未解決のままにしておけば、それが日ロ二国関係の一種の”調整弁”として利用できる」
これは戦後のかなり早い段階から日本の政界にあったと思われ、
今はその残滓が存在しているということではないでしょうか。
米国のダレス国務長官が「日本が二島で満足するならアメリカは永久に沖縄を取る」と
脅迫したのは比較的有名ですが、それですらマスコミで大きく報じられることは
ありませんでした。今でも国民一般ベースでは知らない人も多いでしょう。
このダレスの日ソ離間策は、当時の自民党の反ソ勢力との利害の一致で一貫して
推進されてきたと思います。竹島を放置して日韓国交回復したのと好対照です。
「北方領土問題」という表現は、実のところ正確ではないのでしょう。
歯舞・色丹に関しては、かなり早期からソ連は日本帰属を認めています。
焦点はあくまで国後・択捉の「南千島帰属問題」でしょうね。
そして近年のロシアは、この地域の投資を択捉のみに集中させているようです。
これは三島返還を意図しているのかもしれませんね。
投稿: カワセミ | 2005.01.10 23:01
こんなこと言ったら売国奴扱いされかねないけど、歯舞、色丹、国後の3島返還が落としどころかなと思うこともあります。
この3島が返還されれば国境線がすっきりした形になりますし、返還される領土が多くなると日本の負担も増えるので、択捉はもう返還されなくてもいいんじゃないかという気もするんですが。
投稿: Baatarism | 2005.01.10 23:56
そういう考えもありだと思います。この問題は、戦後意図的に抑制されてきた安全保障面におけるナショナリズムの唯一のはけ口という側面もあり、異なる意見がタブー視される度合いが強いと思います。竹島・尖閣諸島に比べると先方の意見も無茶苦茶ではないでしょう。
良いページがあったので引用します。
3.あたりが整理されている。
http://cccpcamera.myhome.cx/Hi-Ho/MINI/HoppouRyoudo/Hoppou.htm
投稿: カワセミ | 2005.01.11 01:49