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2005.01.09

ヒーローものゲームの攻撃性、そんなのどうでもいいじゃないですか

 たるい話題だが、読売新聞"ヒーローものゲーム、子供の攻撃性高める可能性"(参照)を読んで思ったことを少し書いておきたい。話は、標題のように、ヒーローものゲームをやっていると子供の攻撃性が増長されるというのである。心理学的にそうなのだという話で、また、ゲーム脳ですか、とも当初思ったのだが、研究の中心者はお茶の水女子大の坂元章教授であり、彼はゲーム脳にはどちらかというと批判的だ。
 記事を追う。


 6校の児童592人についての調査結果を分析すると、知的だったり、見た目がかっこよかったり、魅力的な特徴を持つ主人公が登場し、攻撃するゲームでよく遊んでいた児童は、1年後に「敵意」が上昇していた。「ひどいことをした悪者に報復する」という、暴力を正当化するゲームでよく遊んでいた児童も同様に「敵意」が高くなっていた。
 これに対して、攻撃回数が多い、たくさんの人を攻撃するなど、暴力描写の程度が高いゲームで遊んでいる児童の場合は、研究チームの予想とは反対に、むしろ攻撃性が低下していた。
 この結果を坂元教授は「かっこいい正義の味方だと、プレーヤーが自己同一視しやすいため」と分析している。

 記事を読んだときの最初の私の印象は、それで何が悪い?というものだった。この印象は、ふと考え直すと、ちょっと複雑なのだが、自分の子供時代の記憶も深く関係している。
 以前に書いたし、みっともない話だが、私は小学生低学年のときは、居住区の関係から友だちに排除され、それゆえにいじめられっ子だった。成績も凡庸だったのだが、四年生あたりからクラストップに自然になった。と、その変容とともに「ブリキの太鼓」ではないが、内心の奥深くで「やられたらやり返すからな、私の忍耐の限界を越えさせたら殺してやるかな」と決意した。たぶん、その殺気のようなものが周囲に伝わり身を守ったのかもしれない。いじめられっ子ではなくなった。そして孤独に生きるしかないとも思った。ま、そんなところだが、ある種の子供には、そういう敵意のアイデンティが必要なのではないか。それは悪いことかね、と思う。問題は、それを暴発させない大人の体制の側にあるのではないか。
cover
テレビゲームと
子どもの心
 話をこの調査に戻す。調査によると、暴力シーンがいけないのではなく、暴力を正当化することがいけないのだということらしい。なんとなくだが、この手の話が別の国際政治みたいな文脈に移ったら萎えるなと思うのだが、正義とは、単純に言えば、そんなものではないのか。私がザルカウイを殺せる立場にあれば殺しますよ、と。ま、現実にはそういう設定はあり得ないし、プロセスも複雑だけど、本質はそういうことだ。
 別の言い方をすれば、市民を政治的に去勢化する傾向には賛成したくもない。ウクライナ選挙については私は民主化推進派に嫌悪を覚えたが、それでも、民主化というのはあのくらい暴力的なものだということは了解している。
 話がおちゃらけてきたのだが、現実問題として、そういうヒーローものゲームはどうするかということになれば、それほど気にすることではないのではないかと思う。別の言い方をすれば、一般的な暴力表現の規制だけでいいのではないか。
 話はずれるが、私は今回シリーズは退散したが、この数年平成仮面ライダーをよく見ていた。恥ずかしいことに解説本まで買って読んでいるのだが、クウガ、アギト、龍騎、ファイズには、作り手の側では、どうやったら正義のヒーローが解体できるか、怪人たちの運命的な悲しみのようなものが表現できるかということが腐心されていた。クウガの場合は、グロンギは意味のない悪意の世界の表象として描かれていたが、それでも最終の敵ダグバはクウガの究極形態と同一としてクウガの側の暴力もきちんとオダギリの生身の痛みとして表現されていた。正義の暴力とはあんなものだという主張はわかりやすかった(参照)。
cover
金城哲男
ウルトラマン島唄
 他の平成仮面ライダー・シリーズはさらに複雑だし、語るにオタクみたいだから控えるが、TVなどの作成側ではヒーローは正義の暴力みたいなのは表現として成り立たない時代になっている。というか、ある程度まで日本社会のなかで心が成熟すればそうならざるをえないだろう。この傾向は金城哲男などが描いた初代ウルトラマンですらそういう設定だった。
 むしろ、正義を不可能にする閉塞感が、社会無意識を介して、単純でわかりやすい怪物への欲望に変化しているのかもしれないし、その欲望する主体は、むしろ、ヒーローゲームを忌避する社会正義の感性ではないのかと皮肉に思う。もっとも、今回の調査でも、ヒーローゲームとヒーローものの物語は違うとされているし、実際違うのだから、あまり話を混乱させることもあるまい。
 少し話題が逸れるが、子供のメディアと暴力について、英国で先日奇妙な調査結果が出た。ニュースの話としては、伝統的な童謡の持つ暴力性は、暴力的なテレビ番組よりひどい、というものだ。「グリム童話より怖いマザーグースって残酷」ではないが、マザーグースなどを指していると理解していいのだろう。ロイター"Nursery rhymes have more violence than kids TV "(参照)ではこうだ。

LONDON (Reuters) - Children's nursery rhymes contain ten times more violence than British television shows broadcast before the country's 9 p.m. "watershed" after which more adult content can be shown, research published on Thursday said.

"You would hear about 10 times more violence if you listened to an hour of nursery rhymes than if you watched television for an hour before 9 o'clock on an average day," said Dr Adam Fox of St Mary's Hospital in London.


 テレビよりも童謡のほうが10倍も暴力性に富むというのだ。このニュースは発表当時はけっこう話題になったが、所詮はネタというだけ。実際のところ、童謡などは現代世界では摩滅していくのだし、社会問題とはならない。ゲームみたいに産業と結びついてもいないので、研究者の「うまー」もない。
 このニュースは私も忘却していたのだが、ふと気になって、オリジナル論文に当たってみた。概容は公開されている。"Could nursery rhymes cause violent behaviour? A comparison with television viewing"(参照)。結論は意外なほど落ち着いていた。

Conclusions: Although we do not advocate exposure for anyone to violent scenes or stimuli, childhood violence is not a new phenomenon. Whether visual violence and imagined violence have the same effect is likely to depend on the age of the child and the effectiveness of the storyteller. Re-interpretation of the ancient problem of childhood and youth violence through modern eyes is difficult, and laying the blame solely on television viewing is simplistic and may divert attention from vastly more complex societal problems.
【意訳】
結論: 子供と限らず人は暴力的な映像や刺激に晒され続けるべきではないのは当然として、子供の暴力性というのはけして現代的な問題ではない。映像的な暴力と空想的な暴力は区別されることなく同質のものであるが、その影響は子供の年齢や提供者の能力にもよって異なる。幼児や青少年の暴力という古来からの問題を現代的な視点で見ることは難しい。暴力シーンが含まれるテレビ番組を見ることだけ非難して済む問題ではないし、そんなことをすれば、もっと幅広く複雑化した社会問題に眼を背けることになる。

 まったくな、である。
 ということで、同じ結論を繰り返すのだが、こういう研究が無意味だとは思わないが、ヒーローものゲームにレイティングだの、特別に配慮した査定が必要だのと考えることは、子供の置かれた日本社会の問題状況から気をそらすことにしかならないだろう。

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コメント

お話のように、「ヒーローゲーム」と「ヒーローものの物語」は
混同されて、規制論を論ずべきではないと思いました。
「ヒーローゲーム」は子供を暴力化させるというより、むしろ
子供が元来持っている(つか大人も含めた人間?)暴力衝動や
サディズム性向を、巧みにマーケティングした産物なんじゃ
ないでしょうかね?
「ヒーローものの物語」については、戦隊モノのルーツは
もしかて「民話 桃太郎」じゃないの?と思ったり(汗、
正義と悪の概念について、そういえば初期ウルトラマンの脚本家は、
金城哲夫と上原正三は沖縄出身者で、市川森一は敬虔なクリスチャン
だったんだなぁと思ったり、この辺り、考え廻すとキリがないのですねw

投稿: uiui | 2005.01.09 18:47

あとまったく蛇足ながら、
「桃太郎」とコメントして、ふと桃太郎侍と暴れん坊将軍は、
悪者に対して全く容赦がないなぁと、漠然と思ったり(汗

投稿: uiui | 2005.01.09 18:57

読売新聞でこの記事を見た時、何とも言えない嫌な感じがした。
攻撃性を持つのは悪い事なのか?
攻撃性を持たない人間は、持っている人間に食い物にされるだけではないのか?

投稿: (anonymous) | 2005.01.09 20:24

http://www.frontpagemag.com/Articles/ReadArticle.asp?ID=16513
にあるように2項対立で物事を考えるというのが左巻き及びこの問題の解決も遠ざけている原因じゃないでしょうか。酷い状況を少しマシな状況にするという場合に必要悪なんてもの(それが暴力的であろうと)もありうるだろうと考えるような帰納法的右派が増えてきて、最近のサヨクの壊滅的状況を招いているのかもなぁと漠然と思いました。

投稿: 中道 | 2005.01.09 20:43

 この仮説を検証しようとして,いわゆる任侠映画(=ヤクザがヒーロー)全盛期に育っていった少年たちの世代がやたら正義を振り回し(左右を問わず)ていることに思い当たりました。
 そうか,小さい頃に,正義に悩むヒーローものを見なかった世代が,偏狭な正義を振り回す大人になっていたのか。
 いやあ,勉強になりました。
初コメントがこんなんですみません。

投稿: ひろつぐ。 | 2005.01.10 01:00

ま、事情は割愛しますけど世界が殺していいよ、ってなれば私は父親を殺しますね。
できねーんだなあと思わせるこの世界がちょっと不自由です。

投稿: kurogane | 2005.01.10 01:22

私なんかは超バイオレンス漫画「北斗の拳」
で育ったので、暴力を振う奴=モヒカンのチンピラ
というイメージが強力に刷り込まれており(笑)
死んでもモヒカンチンピラ族にはなりたくないと
思ったものですが…
物事の正義に対する能動性を育てることは大切だと
思いますね。その能動性を攻撃性と言い替えることで
人間を去勢しようとする研究の方が、すばらしい
新世界的で、実に不気味です…。

「熱情は不安定を意味する。
そして不安定は文明を崩壊に招くのだ」
(ハックスリー「すばらしい新世界」)

投稿: kagami | 2005.01.10 07:53

こういう研究をしているひと、記者は子供のころに何に夢中になったんだろう。

投稿: (anonymous) | 2005.01.10 13:23

童謡ではないのですが,アメリカの子供向けアニメ,あれは恐いですね。
数年前に日本に来ていたインドの学者さんと話していた折,日本のアニメやマンガが良くない旨,おっしゃっておりました。ブラッディで人がすぐ死ぬ,つまり残酷だと。それに比べてディズニーは,というような話だったのですが,その後改めてミッキーやら昔のマンガの国やらそういう目で見てみるとこれが実は暴力のオンパレード。一番恐いのが鉄砲で撃たれても金棒で殴られても相手は血も出なければ死にもしないんですよ。全くやりたい放題で,その上見ている子供は喜びまくり。こんなのばかり見て育つとあんなになってしまうのかしらんと妙に納得してしまいました。まあどっちもどっちかと。

投稿: TRICKSTAR | 2005.01.12 00:37

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