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2005.01.31

イラク総選挙はとりあえず成功した

 イラク選挙の投票が終わった。テロはあった。死者は出た。しかし、投票を覆す事件にはならなかった。私は率直にテロって意外にヘタレだなと思った。もちろん、それを弾圧した膨大な軍事力を知らないわけではない。ファルージャは廃墟となった。
 今朝の主要新聞各紙社説は投票について触れていない。間に合わなかったのかもしれないが、毎日新聞社説"サマワの自衛隊 より重くなった政治の責任"(参照)にはこの日についてこう触れている。


イラクで30日、移行国民議会選挙が行われた。反米勢力などが選挙妨害のための武装闘争を活発化させてきただけに、選挙後のイラク情勢が大きく流動化する可能性も少なくない。

 こんな話を選挙についての論評に先行させてしまう政治センスについていけないものを感じる。他、その後の国内ニュースなどを見ると、イラク国民を称える欧米の論調と落差がはげしい。NHKにいたっては早々に今回の選挙は成功だとはいえないと解説員に言わせている。だが、その理由たるやスンニ派が参加していないことと今後の動向を見る必要があるというもので、それって別に昨日の投票の意義とは関係ない。解説員が解説を放棄しているように思える。少なくともこの選挙で目立ったテロが発生しなかったこと、多くのイラク国民が命を賭けて投票に行ったことに言及すべきだろう。
 どちらかといえばブッシュ寄りではないサロン・コムの、APニュース"They voted"(参照)ではこういう話を伝えている。これもヤラセと言うのだろうか。

At one polling place in Baghdad, soldiers and voters joined hands in a dance, and in Baqouba, voters jumped and clapped to celebrate the historic day. At another, an Iraqi policeman in a black ski mask tucked his assault rifle under one arm and took the hand of an elderly blind woman, guiding her to the polls.
【試訳】
 バグダッドのある投票所では、兵士と投票者が手をつないでダンスをしていた。バコバでは投票者は、この歴史的な日を祝うために、躍り上がり喝采していた。別所では、黒いスキーマスクをしたイラク警官がライフル銃を小脇にかかえ、盲目の老婆を投票場に連れて行った。

 私は単純にこうした話に感動する。それは一部のできごとではないかということかもしれない。シーア派の人々は投票せよという宗教令が出されたていたからとも言われる。でも、私はまず単純に感動する。私はこの勇気ある行為をもってイラクの人々を称えたいと思う。イラクの国民がイラクの国家のために命をかけて投票したことはたしかだし、APが"They voted"と短くタイトルをつけた理由もわかる。
 BBCでは経時的に投票の詳細を"Reporters' log: Iraqi elections "(参照)で触れている。

Paul Wood : Baghdad : 1808 GMT
There was almost a party atmosphere in the streets around the BBC bureau in Baghdad, with Iraqis we met delighted at being able to cast a democratic vote.

And in the holy city of Najaf, an 80-year-old woman declared: "I've been forced to vote under Saddam. Today I freely choose my candidate."

These were Shia voters. In Sunni towns the electoral commission admitted that some polling stations hadn't even opened.

Still, there was a trickle of voters even in Falluja, an act of courage given the insurgents' threat to behead anyone casting a ballot.

With the Shia and Kurdish turnout clearly high the crucial question now is how many Sunnis have been prepared to defy the gunmen and vote.


 こうした話を読むと、スンニトライアングルでの投票は難しいと見られていたし、確かにそうではあった。でも、バグダッドでも投票はあり、ファルージャですら投票者がいたのだなと感慨深い。
 今回の投票が、今後のイラクと米国の関係にどういう意味を持つかについては、難しく議論したいなら、国務長官であったキッシンジャーとシュルツが25日付けのワシントンポスト掲載した寄稿"Results, Not Timetables, Matter in Iraq"(参照)が重要だろう。いわゆる出口戦略論である。

The debate on Iraq is taking a new turn. The Iraqi elections scheduled for Jan. 30, only recently viewed as a culmination, are described as inaugurating a civil war. The timing and the voting arrangements have become controversial. All this is a way of foreshadowing a demand for an exit strategy, by which many critics mean some sort of explicit time limit on the U.S. effort.

We reject this counsel. The implications of the term "exit strategy" must be clearly understood; there can be no fudging of consequences. The essential prerequisite for an acceptable exit strategy is a sustainable outcome, not an arbitrary time limit. For the outcome in Iraq will shape the next decade of American foreign policy.


 というわけで、難しい議論が進むのだが、シーア派の人々による政権に民主主義が根付くまでまたクルドという難問をこじらせないためアメリカの関与が必要だと、彼らは説く。
 言うまでもなく、イラクから米軍が撤退すればすべて解決と説くような議論とは正反対の位置にある。

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2005.01.30

対中武器禁輸解除の動向について

 日本時間の午後からイラク選挙が始まる。最初から限界の多いことがわかっている選挙だが、私としてはなにより大きなテロが発生しないように祈る気持ちだ。選挙については蓋が開いてから触れるとして、今日は簡単にEUの対中武器禁輸について少し書いておきたい。
 1989年の天安門事件をきっかけにEUは表向き対中武器禁輸に踏み切り、この措置が現状まで続いているのだが、中国とフランス(シラク)はこの措置は冷戦の時代のものだとして、EUからの武器禁輸解除を求めている。昨年12月のEU・中国首脳会議では即時解除は見送りとされたが、フランス中心にEUとしてもこの禁輸を解除したいという意向が強く、近く解除される見通しでもある。
 鍵を握るのは英国だ。従来は対中武器禁輸に慎重な態度を取っていたが、風向きが変わってきた。13日の毎日新聞"対中武器禁輸:今年7月までに解除の見通し 英外相示す"(参照)では状況をこう伝えている。


【ロンドン小松浩】ストロー英外相は12日の議会で、欧州連合(EU)の対中国武器禁輸措置について、英国がEU議長国(各国半年輪番制)になる今年7月までに解除されるだろうとの見通しを明らかにした。


ストロー外相は、中国の人権状況に懸念が残ることを認めながらも、中国はジンバブエやミャンマーといった国とは異なるとして禁輸解除に理解を表明。EUが武器輸出に関する行動基準を強化することで、中国への野放図な武器輸出は起こらないと強調した。

 このあと、英国ストロー外相は、21日に北京に向かい李肇星外相との会談で、武器禁輸の解除に英国が基本的に賛同するとの考えを伝えている。
 こうしたEUや英国の動向に対して反対している筆頭が米国であり、その子分でもある日本だ(正確にいえばEUですべて合意が取れているわけではないが)。26日の毎日新聞"米国務長官:「現、新」長官と重複会談 英独外相"(参照)では、この24日と25日に、英国ストロー外相とドイツのフィッシャー外相が米国務省とホワイトハウスを訪問した際、ライス次期国務長官就任と外相会談を持った。

またストロー英外相は24日、欧州連合(EU)が検討している中国向けの武器禁輸解除についてライス補佐官に説明した。
 ホワイトハウスは大統領補佐官の会談内容を公表していないが、バウチャー国務省報道官は25日、対中武器禁輸が89年の天安門事件に対する制裁として米欧が発動したものであることを背景に、中国の人権状況が改善されていない現時点での解除は「誤ったシグナル」を送ることになり反対だと明言した。

 米国側からのそれほど強い意志の表示ではないものの、ライスには明確な意識がありそうだ。
 日本側では、中川昭一経済産業相が欧州歴訪中の13日、ゲマール仏経済財務産業相と会談で、EUの対中武器禁輸を解除に日本からの反対の意志を伝えた。14日の日経新聞"経産相、仏の対中武器禁輸解除論に苦言"(参照)ではこう伝えている。

経産相は「潜水艦の領海侵犯の問題とか(調査船の)排他的経済水域航行の問題などで、日本に限らず東アジアは中国の軍事的プレゼンスをひしひしと感じ始めている」と説明。「武器禁輸解除の問題はEUやフランスにとっては単なるビジネスの問題かもしれないが、東アジアの平和的発展には大きな影響を与える」と理解を求めた。これに対してゲマール氏は「事情はよくわからないが、話は聞かせてもらった」と応じるにとどまった。

 中川も言うところはちゃんと言うじゃないか、これじゃ中国シンパにはたしかに目障りだな…という感じだし、当の日本ではこのニュースは別件で事実上もみ消されたようになっていた。
 対中武器禁輸については、バウチャー国務省報道官が「誤ったシグナル」とうまく言い当てているように、実際上は単にシグナルでしかない。だから、反対する米国もイスラエルに武器輸出をしているじゃないかという愚論はさておくとして、実態が問題になる。この点については、22日の毎日新聞"EU武器輸出:中国に567億円分 禁輸措置抜け道多く"(参照)が詳しい。

【ブリュッセル福原直樹】欧州連合(EU)が過去3年間、世界各国に輸出した通常兵器と関連機器などの詳細が22日、各国の申告を元にした内部統計から分かった。武器禁輸の対象国・中国に03年、規制対象の電子機器など約4.2億ユーロ(約567億円)が認可されていたほか、米がテロ支援国家に指定したイランに約8.2億ユーロ、シリアには最高で年約1400万ユーロが認められていた。EUの武器輸出は各国の判断に任されているうえ、禁輸の監視体制も整わないなど、不透明さが批判されており、EUは監視体制の強化策を検討している。

 つまり、実態は対中武器禁輸はシンボリックな問題でしかない。実際上は、議論の繰り返しのようだが、中国を巡るEUと米国の対立であり、それに必然的に巻き込まれた日本と英国の問題でもある。日本国内では、ブッシュ政権は2期目になってイラク戦争でこじれた国際関係改善を重視とか抜かしているのんきな見解が目立つが、対中武器禁輸問題には日本はのんきに構えすぎているきらいはある。
 英国は以上見てきたように対中武器禁輸解除の意向なのだが、22日のフィナンシャル・タイムズ"Weapons for China"(参照)は意外に慎重な見解を出していた。

However, it is clumsy and irresponsible of the Europeans to consider ending the embargo without taking US concerns on board, especially when the re-elected President George W. Bush is holding out an olive branch to them and visiting Europe next month.

 フィナンシャル・タイムズ、大人、だな、である。ブッシュが折れた姿勢を示すならそれにEUも応えなさいと。実質的には英国が応えろということでもあるのだが。
 で、どうせよと?

Pressed by China to end the embargo and by the US to keep it, the EU dismisses the embargo as outdated but insists its proposed new regime would not lead to greatly increased arms sales. One does not have to be American to find this argument unconvincing. The best solution is for the EU and the US to agree what sanctions they want to keep on China and then to apply them as firmly as possible.

 結局のところ、対中武器禁輸は実際的ではないとするものの、EUの現状の武器販売をなし崩し的に認めるのはやめて、米国と協調した制限を設けるべきでしょう、と。おお、大人じゃん。
 日本にそういう人はいるのかなと思う。わかんないなと思う、ので、私もこのフィナンシャル・タイムズに、取りあえず、同意。現実は現実だし。本来なら、平和を世界にもたらすべき使命が明記された憲法を持つ国民なのだから、もっと積極的にこうした問題に関わるべきなんだろうけど、そういう動向って、なんも見えないじゃないですか。

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2005.01.29

ミューズリ(Muesli)

 先日のエントリに書いた「[書評]スイス探訪(国松孝次)」(参照)だが、この本の話のなかに、スイス人が発明したものの一つとしてミューズリがあった。そうだ、ミューズリだ、と思って、私は、またミューズリを朝食に食べ始めた。もう一か月以上食べている。長くは続かないのだが学生時代からの習慣で、ときおりミューズリを食べる。沖縄で暮らしていたころも、インターネットでチョコ屋に「アララ」というブランドのミューズリがあるのを知って、取り寄せて一時期食べていた。こうしたことはそう長くは続かない。気まぐれでもあるのだが、また始めたというわけだ。

cover
ミューズリ
 ミューズリとは…と思って手元のリーダーズの辞書をひいたら、ムースリ、と載っている。それはないでしょ。でも、スイス料理とちゃんと書いてある。

_n. ムースリ 《穀粉・乾果・ナッツ・蜂蜜などに牛乳を加えるスイス料理; 朝食に多い》.
[Swiss G]

 ネットのgoo辞書もひいてみた(参照)。

mues・li
_n. ミューズリ ((シリアルの一種)).
muesli belt 〔米俗〕 〔戯言〕 ミューズリー地帯 ((muesliを好むことに象徴される,中流・革新・環境保護派・女権擁護派等の人々が住む一帯)).

 こんなの好んで食べているなんて元リベラルの地が出ましたか…という洒落ではないが、私もこうした米国流の生活習慣の影響がある。
 で結局、ミューズリというのはなにかというと、とりあえずはシリアルの一種みたいなもので、実際日本だとそういうふうに広まっている、というか米人でもそうなのだが、ちょっと違う。ミューズリは、要するに押し麦だよ、ということなのだが、とネットをさまよっていたら、いい解説があった。allabout"ミューズリーの朝食"(参照)である。

最も身近なコーンフレークやオートミール、グラノーラやミューズリーもシリアルの中の1種類と言えそうですね。個々の違いはおおよそ以下のとおりです。
(1)コーンフレーク
挽き割りとうもろこしを蒸し、ローラーで丸ごとつぶして乾燥させたもの。
(2)オートミール
外皮を取り除いたオーツ麦を蒸してから圧縮し、乾燥させたもの。
(3)ミューズリー
主にオートミールをベースに複数の穀物をブレンドし、ドライフルーツ、ナッツ等を混ぜたもの。
(4)グラノーラ
ミューズリーに植物性油脂やはちみつ、糖類、シロップなどを添加してオーブンで焼いたもの。

 そういうことだ。リンク先には写真もあるのでわかりやすい。ただ、このガイドさんの食べ方は、現代欧米の主流ではあるけど、私はお薦めしない。健康がとかの理由ではなく、リッチに食べては押し麦のあの貧しい味わいが減るからだ。もっとも、長時間に水に浸しておくというのはオリジナルの食べ方でもある。高齢者にはいいだろう。
 このミューズリを作ったのは、マクシミリアン・ビルヒャー・ベナー(Maximilian Bircher-Benner:1867-1939)(参照)でスイスの医師だ。米国などでの通称はマックス・ビルヒャーでよさそうだ。彼はミューズリを治療食として作った。ちょっとネットを見たら、スイスインフォのサイトに詳しい邦文の話がある(参照)。

マックス・ビルヒャーがチューリヒで医者になった頃、医学は対症療法が主で、病気の症状が出てから、症状を軽くしたり、症状を取り払うことにあるという考え方が一般的だった。ビルヒャーは、日常の食事が健康に大きく関わると考え病気の予防には栄養の摂取が重要だと目をつけた。1904年にはチューリヒにサナトリウムを開設し、食事療法を実践する。現代にも通用する健康に対する考え方だが、当時は受け入れられなかったという。

 ミューズリは米国ではシリアルの扱いになっている…といえば、ケロッグが連想される。ケロッグを作ったケロッグ博士もまたビルヒャー博士の同時代の人だった。この二人は比較にはかかせないこともあり、説明でもこう触れている。

米国では1906年、ケロッグ兄弟がコーンフレークを発明。こちらは早速製品化され、今では売上90億ドルを誇る有名食品である。一方、ミューズリーは商品登録もなされず、ビルヒャーは「お金儲けは考えていなかった」とチューリヒ州立大学の医学史のエバーハルト・ヴォルフ氏。「唯一商品登録された彼の考案品は、りんごを擦り卸す金具の板だろう」と、ビジネスにはほとんど無縁に生涯を終えた。卸し金は日本の大根卸しとは違って、目が粗く、りんごは細切れのようになる。

 つまり、ミューズリのほうはオープンソースだったわけだ。ちなみに、この卸し金だが沖縄だとどの家庭にもある。「しりしり」に欠かせないのだ。「しりしり」がなんであるかについてはここで話すと長くなるので割愛するが。
cover
ケロッグ博士
 ケロッグ兄弟の兄、ケロッグ博士がどんな人だったかは、新潮文庫の「ケロッグ博士」を読めばわかるし、映画にもなった。本の釣りをひいておく。つまり、こういうことだ。

1907年、一組の夫婦がコーンフレークで有名なあのケロッグ博士経営の療養所を訪れた。博士の健康法を信奉する妻が、胃痛と不眠に悩む夫を連れてきたのだ。オオバコの種子とヒジキの食事、菌の排出のための一日5回の浣腸、電気風呂やら泥風呂、振動ベルトに電気毛布、そして厳格な禁欲生活…。過酷な科学的治療に夫は疲れ果てる―いまアメリカで最も笑える作家が贈る抱腹絶倒本。

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ケロッグ博士
 おもしろおかしく書いてあるが、これがけっこう実話だったりする。まったく、アメリカ人の健康強迫症は、そういうわけで今に始まったことでもない。この手の米国の変な博士はウイルヘルム・ライヒとかぎらず五万といる。
 というか、ビルヒャー博士とケロッグ博士の違いが、もしかすると欧州と米国の文化の違いでもあるのかもしれない。
 ところで、ミューズリって健康にいいのか? よいと言われている。最近の米国では一段落ついたもののローカーブ(低澱粉)や旧石器ダイエット(Paleolithic Diet)またはゾーン・ダイエット(Zone Diet)などが騒ぎだったので、ミューズリにはあまり新味な話題はない。ちなみに、ケロッグのシリアルのGI(グリセミック指数)は商品によってはまばらだが、主流のものはけっこう高い。これに対して、ミューズリは、ビルヒャー博士のオリジナルに近いものは低いようだ。たぶん、ダイエットにも向くだろうと思う。ミューズリ・ダイエット…流行らないよね。
 私といえば、先にちょっと触れたように押し麦(参照)だよね、これ、という感じで食べている。なんか貧しいものを噛み噛みして食うのがいいのだ。ああ、人間ってこういう貧しいものを食って生きる生き物だよねと思う。ま、全然違うのだけど、ちょっとくらいそう思う。

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2005.01.28

中国政府は国際世論を受けてチベット僧の死刑を軽減した

 26日付のVOA"China Commutes Tibetan Monk's Death Sentence(中国政府はチベット僧への死刑を軽減する)"(参照)を読んだとき、少し複雑な気持ちがした。話は死刑が宣告されていたチベット僧が終身刑に軽減されたということだが、端的に言えば、冤罪である。この事態を事実上伝えない日本のメディアの大半は論外だが、世界はこの問題に注視してきた。幸い、国内ブログではこの話題を扱うところが少ないわけでもない。
 昨日この話題をエントリにするか実は奇妙にためらう感じがあった。チベット問題はどうしようもないという思いと、今回の減刑は世界の声がそれなりに中国に届いたということではないか、お前は声を上げなかったではないか、という悔恨があったからだ。それと、ニュースの波及を一日観察したいという思いも多少あった。
 ニュースについては、VOAよりも、この問題を経時的に扱っているブログ「北朝鮮・チベット・中国人権ウォッチ」の昨日のエントリ"テンジン・デレク・リンポチェの終身刑減刑が正式に決定!"(参照)にある新華社報道の訳文「チベット僧侶の死刑判決は終身刑に減刑された」が読みやすいだろう。


 成都・1月26日(新華網)-中国南西部の四川省高級人民法院はテロリストによる爆撃に関与したチベット人僧侶の2年間の執行猶予付き判決を終身刑に減刑した。
 この日に下された法廷の裁断によると、テンジン・デレク・リンポチェとして知られる阿安扎西(A'an Zha)は政治的権利を終身的に剥奪された。
 この裁断は、彼は死刑執行日を迎えるまでの過去2年間の間に再び故意に法の基準に違反することはなかったため、法廷は阿安扎西に対する死刑判決を終身刑に減刑したのだとした。

 問題の全容については、邦文では"TSNJ緊急行動:チベット人僧侶テンジン・デレク・リンポチェの死刑執行中止をもとめる緊急行動にご協力ください。"(参照)が詳しい。英文では"Trials of a Tibetan Monk:The Case of Tenzin Delek"(参照)にかなり詳細な情報が掲載されている。「はてな」でも「チベット人僧侶死刑執行問題」(参照)がキーワードにはなっている。2ちゃんねるにも専用のスレッド"【チベット】緊急アピール【弾圧】 "(参照)がある。これらは、ネットをベースにした新しい、国際的に開かれた市民活動の萌芽のようでもある。
 「はてな」は簡素に伝えている。なお、事態が多少進展したので書き換えたほうがいいだろう(非難ではないよ)。追記(2005.1.29)新情報が追加されました。

チベット人僧侶死刑執行問題
 2002年12月2日、中国政府がチベットでテンジン・デレク・リンポチェに死刑判決を下した。東チベットで起きた爆破事件に関与した容疑である。
 この事件を冤罪であるとして、亡命チベット人コミュニティやアムネスティなどが抗議している。
 2004年12月2日現在執行猶予期間は切れ、いつ死刑が執行されるかわからない状況である。

 2ちゃんねるの先スレには、同じく先のTSNJから、この問題提起が引用されている。

テンジン・デレク・リンポチェがこの爆破事件に関与したという証拠は全くなく、 裁判は弁護士の立会いも許可されず明らかに不公正なものでした。 現在、刑の執行を憂慮する世界中の政府・NGOが、 テンジン・デレク・リンポチェの死刑判決を取り下げ、釈放するよう、中国に要求しています。

 この問題を世界がどれだけ注視してきたかは、Google Newsの"Tenzin Deleg"検索例(参照)でもわかるだろう。英文のニュースとしてはBBC"Tibetan monk 'broken' by China "(参照)がわかりやすい。また同ページからは関連するBBCのニュースのリンクなどもある。公共放送というのはこういう情報を提供するものだと思う。
 話を少し一般論に移す。チベットの問題は難しい。日本のメディアの大半がこの問題に沈黙しているのも、日本の国益についてそれなりの意識があってのことからだろう。単純に対中カードとして人権問題を取り上げて済むというわけにもいかないし、いわゆる人権団体も結果的であれ、それなりに政治的な権力のバランスの中にある。また、ひどい言い方だが、チベット問題は解決するには遅すぎたようにも思う。今後のビジョンは簡単には描けそうにはない。
 この話題で、私はダライ・ラマを思いだし、昨今のAppleのiPod話題につられて、Think different"(参照)を掲げていたのは何年前だっただろうかと思い出していた。あの広告にもダライ・ラマがいた(参照)。

While some see them as the crazy ones,
we see genius.
Because the people who are crazy enough to think
they can change the world, are the ones who do.

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2005.01.27

フェロモン研究は未知の次元に突入

 ネタはちゃんとした科学研究なのだが、このエントリは与太話である。もっと重要な話題があるんじゃないのか、例えばイラク石油食糧交換プログラム不正疑惑でアナンが聴取された(参照)とか。しかも朝日新聞とNHKが仲良くこのニュースをスルーしているみたいとか。しかし、特に新事実はないのだ。なので、与太話へ直行。
 ネタ元はロイターの"Secret Ingredient for Elderly Romance"(参照)だ。標題を訳すと「高齢者ロマンスのための秘密の成分」か、といきなりイミフだが、読むに、ますますなんなのだこの話ではある。


A mystery chemical isolated from the sweat of young women seems to act as a romance booster for their older counterparts.
【試訳】
若い女性の汗から抽出された謎の化学物質は、より高齢なご相手のためのロマンス促進剤として機能するようだ。

 な、なんだ、それ? とにかく、フェロモンらしい。ここには書いてないがこの汗は腋の汗(armpit sweat)です。

Pheromones are airborne chemicals secreted from the body and recognized by their smell. Humans and animals emit pheromones.
【試薬】
これらのフェロモンは人間の体からこっそり揮発される化学物質で、その存在は臭いでわかる。人間や各種の動物はこの種類のフェロモンを発する。

 同じネタのお話はニューサイエンティストの"Sex pheromone spray boosts senior romance"(参照)にもある。
 よくわかんないが、話はこういうことらしい。つまり、若い女性の腋の汗には、男性のその気にさせるフェロモンが含まれているらしいのだが、それは閉経後の女性にも効く……効くってどうよ、なのだが。このフェロモンをアレンジしたところ、彼女たちの愛情表現など活動が活発になったというのだ。
 なんのために?
 いや、閉経後の女性をおとしめて言うのではなく、いったいこういう研究はなんのためにやっているのだろうかと疑問に思ってオリジナル論文が閲覧できるかとサーチしたら、ありました。"Pheromonal Influences on Sociosexual Behavior in Postmenopausal Women"(参照)がそれ。

To determine whether a putative human sex-attractant pheromone increases specific sociosexual behaviors of postmenopausal women, we tested a chemically synthesized formula derived from research with underarm secretions from heterosexually active, fertile women that was recently tested on young women.

 試訳を省略するけど、さすがに研究論文だけあって、いきなり社会的な前提も背景も問わずに始まってしまうのだが…さて、閉経後女性のロマンス香水ってなんなのだろうか、依然わからない。ニューサイエンティストの記事では、これで儲けるつもりはない、とのことだが、さてさて。
 とま、ネタはそれだけ。なんとなく思ったのは、欧米人の女性の場合、自己の性欲みたいのが自己承認の意識とかなり重なる部分があるのだろうか、ということ。日本ではあまり報道されないのだが、欧米というか特に米国の場合、女性向けのバイアグラみたいな薬剤のニーズは高く、サプリメントなどもそういう分野(sexual enhancers)がある。いや、そもそもバイアグラ自体が女性側ニーズのようでもある。日本ではこうしたニーズはどうなんだろうよくわからないのだが、もしかすると…とよからぬ連想が働くが筆禍を招きそうなので避けるのであった。
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シェリ
 そういえば、先日、ひょんなことから、コレットの「シェリ」とついでに「シェリの最後」を読んだが、意外に面白かった。「牝猫」より面白いかな。同じコレットでも、「青い麦」はちょっと違うかなという感じはするが、それでも、案外コレットの文学って、男ってトホホ、ということかもしれない。
 与太話なのでオチはないです。

追記(2005.1.28)
産経新聞系で昨日午後このニュースが出た。そっちのほうがわかりやすい?ので参照用に。"人造フェロモンが著効=高年女性が男性ぞろぞろ引き付ける"(参照)より。


英科学誌ニュー・サイエンティスト最新号は、若い女性が分泌し、無意識のうちに男性を引き付ける作用があるとされるフェロモンを人工的につくり、閉経期の女性に投与したところ、男性を大いに引き寄せる効果があったとの実験結果を紹介している。

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2005.01.26

お次はジンバブエとベラルーシかな

 少し旧聞に属するが、米国時間で18日、ライス米大統領補佐官は国務長官への就任承認を審議する上院外交委員会の公聴会で、キューバ、ミャンマー、北朝鮮、イラン、ベラルーシ、ジンバブエの六か国を「圧政国家」と名指しした。記事的には毎日新聞"ライス米補佐官:北朝鮮など「圧政」と批判 米上院公聴会"(参照)が読みやすいだろう。
 当然、前回の「悪の枢軸」の拡張版かとも思えるのだが、この三国は、イラク、イラン、北朝鮮だった。イラクは潰した。なので、残るはイランと北朝鮮かと考えても不自然ではないし、今回の「圧政国家」リストもこの二国はノミネートされている。上位ノミネートっていう感じだろうか。これに、キューバとミャンマーが続くのは、米国とか欧米の雰囲気からするとそれほど違和感はないのだが、ベラルーシとジンバブエと来ましたかというあたりで、率直なところ、私はちょっと意表を突かれた。と、いうのは当方がそれだけ世界認識が甘かったなということでもある。
 ベラルーシと言われれば、地理的に見て、先日のウクライナ騒動の関連だろう。大統領選挙に関連したどたばたで日本では実際にはそれほど関心が持たれなかったし、西側メディアはこぞって元米人内儀を持つユーシェンコ支持に回ったが、東部域やロシアは西側の陰謀だと見ていた。実際、かなりの人員がポーランドから動員されていたようだが、あまり報道はされていない。このスジを過剰に読むと愉快な陰謀論ができるのだが、大筋で見ると米国政府側がそのまま西側勢力に荷担していたとも見づらい。いずれにせよ、ポーランドに隣接するベラルーシだからなにかきな臭い動きは今後もあるのだろうとは思う。
 ライスの上院公聴会演説から二日後にブッシュの就任演説があり、民主主義を世界に広めることが世界の安全につながるとか毎度のしょうもないクリシェだったのだが、ライスとの関連で見れば、次の軍事攻勢はこの六カ国ですかととりあえず米メディアがワザトラの祭にしたのもそれほど違和感はない。そのあたりはブッシュ側もわかっていたのか早々にパパ・ブッシュまで出てきて釈明している…のだが、普通に考えてベラルーシへの軍事攻勢というのは考えづらい。ま、選挙切り崩しのようなことか。
 そして残るは、ジンバブエということだが、これもわかりづらいといえばわかりづらい。私などの世代からするとジンバブエといえばローデシアである。つまり、コモンウェルスというやつだ。1980年独立したものの、ちょっとねの事態だったのは、Wikipediaとかを参照するといいだろう(参照)。


19世紀後半に南アフリカ会社に統治された後、第一次大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなる。
 1960年代から黒人による独立運動が行われていたが、民族自立までの道のりは険しく、1965年には、世界中の非難の中、植民地首相イアン・スミスによって白人中心のローデシア共和国が独立を宣言し、人種差別政策を推し進めた。これに対して黒人側も、スミス政権打倒と黒人国家の樹立を目指してゲリラ戦を展開するが、イギリスの調停により、100議席中、20議席を白人の固定枠とする事で合意。1980年の総選挙の結果、ジンバブエ共和国が成立し、ムガベが初代首相に就任。

 その後の白人所有大農場問題については今日は触れないが、ライスがこの六か国にジンバブエをノミネートしたとき、私がとっさに思ったのは、フランスにとってのコート・ジボアール問題のようなものが、英国にとってのジンバブエ問題と言ってよさそうだから、英国側が米国になにか泣きつきをしているのか、ということだ。ご安心あれ、この着想から陰謀論を仕上げる気はない。当面はワッチしていくだけだ。
 北朝鮮もそうだが、ジンバブエもけっこうお調子者の国家なのか、ライスのノミネーションに脊髄反射しているようでもある。翌日にイラクと共同宣言などを出している。ヨハネスブルク在毎日新聞白戸圭一記者による"ジンバブエ:イランとの関係強化 核開発も支持"(参照)が詳しい。

20日発足した2期目のブッシュ政権のライス新国務長官はジンバブエを「圧政の前線基地」と指弾、圧力を強める構えをみせた。ムガベ大統領はイランのほかにも中国からの技術導入などに積極的な姿勢をみせており、強まる米国の圧力を前に、米国に対抗する国々との関係強化を通じた体制存続に躍起となっている。

 ここで「圧政の前線基地」としている用語が、国内で流布されつつある「圧政国家」だ。毎日新聞でも先のライスの記事を読めばわかるがこちらを使っている。が、原語では"outposts of tyranny"で、白戸記者の用語が原義に近い。が、英語の語感すると、「独裁政治会社の支店」みたいな感じもあり、ブッシュの世界観としてはスターウォーズ同様なんか宇宙の悪の本店みたいのがあって、それに支店の国家としてあるという感じなのだろうか。いずれにせよ悪の本体を意識させるこの発想には、ちょっとついてけねー、ではある。
 具体的に重要な点は、白戸記者の記事にあるジンバブエと中国との関わりである。ちょっと古いが11月の時点で新華社で次のニュースが流れた(参照)。

呉邦国・全人代委員長、ジンバブエを公式訪問
【ハラーレ1日新華網】全国人民代表大会(全人代)委員長の呉邦国氏は1日午後、ジンバブエ共和国のハラーレに到着した。 同氏は「両国は国交が樹立してからの24年間、国際情勢の変化にかかわらず順調に発展し、政治上の信頼関係、経済貿易上の協力関係ともにますます強まっている」と語った。また、ジンバブエ政府および国民が国家独立を守り、経済発展に向かって努力していることを高く評価した。

 なにもすべて裏で中国が絡んでいるというわけでもないし、本店は中国とまで言う気もないが、現在の世界の経済構造上、中国としてもこうした世界戦略に出ざるを得ない。ただ、それが中国の統制された国策なのかわからない点が困る。
 ちょっと呆れるのだが、また中国は春暁ガス田群あたりをうろつきだしている。読売系"中国新鋭の駆逐艦、東シナ海ガス田付近で確認"(参照)はこう伝える。

 巡航ミサイルを搭載した中国海軍のソブレメンヌイ級駆逐艦2隻が、東シナ海で中国が開発を進める「春暁ガス田群」付近の公海を航行しているのを、海上自衛隊のP3C哨戒機が22日夜、発見した。
 中国海軍の最新鋭艦である同駆逐艦の航行が日本の監視海域で確認されたのは初めて。日中両国が天然ガス開発などをめぐり対立している海域であることから、防衛庁は「海洋資源の獲得に向けた中国の示威行動ではないか」(幹部)と分析している。

 胡錦濤政権が是認しているのか、あるいは海軍が統制できていないのかと考えれば、後者と見るほうが妥当だろう。まったくもって中国というのはこういう国なのである。ということが頭に入ってれば、24日、自民党本部で行われたベーカー米大使講演(参照)も日中に友好を持ちかけたみたいな単純なスジでないことくらいはわかるはずだが。

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2005.01.25

OECD対日経済審査報告と毎日新聞社説でちと考えた

 理解してないこと書くんじゃねーと言われそうだが、気になるので書く、というか、ブログを通して教えていただければ儲けものという不埒な意図である。話のきっかけは昨日の毎日新聞社説"財政展望 本当に破たん避けられるか"(参照)である。内容の大筋は毎度毎度の、一部財務省パブリシティですかぁ、みたいなのだが、ちょっとスルーできないなと思ったのは、経済協力開発機構(OECD)対日経済審査報告とのからみだ。まず、毎日新聞社説の提起はこう。


 内閣府と財務省が中期の財政展望を公表した。また、経済協力開発機構(OECD)も対日経済審査報告で、財政再建に注文を付けた。日本経済が国、地方を合わせて国内総生産(GDP)の1.7倍もの長期債務を抱え、財政政策が機能不全に陥り、金融政策に過度の圧力がかかっている状況下では、財政再建の信頼できる改革と展望を提示することは何よりも重要なことである。

 OECD対日経済審査報告のキーワードが入ってなければスルーなのだが、そこを毎日新聞社説はどう捕らえているのか気になって読むのだが、そこがわからない。
 話が錯綜するかもしれないが、毎日新聞社説としては、状況をこう見ている。つまり、構造改革や予算改革が加速化できなければ、公債等の対GDP比率は190%に近付き、国債発行の幾何級数的な増加が起こりかねない、と。

それを避けるには、国債発行を減らしていくしかない。財務省は国債の海外での消化拡大を目指し、投資家説明会を開始した。海外の投資家の保有比率が高まることで、相場の乱高下を危惧(きぐ)する声もあるが、一方で、市場での評価も厳しくなり、常に有利な条件で消化できるわけではなくなる。財政改革の一助にもなりうる。

 国債発行を減らすというのはそうかもしれないとは思うが、海外の投資家の保有比率が高まるというのはわからない。あんなもの買うやついるのか?
 私がよくわかってないのだが、国債発行を減らすというのはそうかもしれない、として、それでどうやってデフレを克服せいと? もうデフレじゃないのか、と。まぁ、それとこれとは話が別かもしれないので、これはこのくらい。
 当初の問題意識に戻るのだが、OECD対日経済審査報告関連で、毎日新聞社説はこう書く。話のスジは、基礎的財政収支の黒字化が13年度と見られているということについてだ。

そうであれば望ましいが、OECDが指摘するように、仮に、基礎的財政収支が黒字化しても、国・地方の公債と借入金の残高が200%を超えている可能性がある。

 この点をOECD対日経済審査報告で確認してみた。キーワードは200%ということで単純に見たので、基本のハズシかもしれないが、該当箇所と思われるのはこれだ。"Economic Survey of Japan 2005: Achieving fiscal sustainability"(参照)より。

Even if consolidation advanced at the 1/2 per cent of GDP pace included in the Perspective, it would take more than a decade to meet the target, by which time gross debt might have risen to 200 per cent of GDP or more, imposing a significant burden on the economy and increasing the possibility of a rise in the risk premium.

 この部分について言えば、毎日新聞社説が外しているわけでもないのだが、この先はこう続く。

The negative impact of the high debt in Japan, however, is limited by the high private-sector saving rate and the low level of interest rates. Nevertheless, the medium-term plan should be more ambitious, even though special circumstances make fiscal consolidation more challenging in Japan than in other OECD countries. At a minimum, the government should achieve its goal of a 1/2 per cent reduction in the budget deficit per year.

 というわけで、トーンとしては地味な緊縮財政でなんとかなるっしょ、というのがOECD対日経済審査報告のように思える。それって毎日新聞社説のトーンと違うような…。
 些細な点だけ取りだしたようだが、ざっとOECD対日経済審査報告を読む限り、全体として毎日新聞社説のトーンとは逆のように感じられる。そのあたり、どうよ?というのが、冒頭、気になるということだ。
 OECD対日経済審査報告については、国内ニュースとしては、日経"OECD、日本の量的緩和解除は物価上昇率1%メドに"(参照)があった。先にちょっと触れたが「それでどうやってデフレを克服せいと?」というのの対応がやはりメインになっているとみてよさそうだ。

政策の焦点を「デフレからの脱却に当てるべきだ」と強調、金融の量的緩和策を巡り「日銀は解除の条件について、例えば物価上昇率1%とするなど十分高く設定するように」と注文を付けた。

 そして、具体的にはこう。

量的緩和策については、仮に消費者物価がプラスに転換しても拙速に解除しないよう強調した。日銀政策委員会が2003年10月に公表した解除の条件に基づくと「インフレ率がわずかでもゼロ以上になれば解除の可能性があり、日本経済がデフレに押し戻されかねない」と懸念を表明した。

 私もざっとOECD対日経済審査報告を読んだが、そんな感じだ。そして、この報告書を、単純な話、そっくり日本の財政政策にすればいいのではないか、あるいは、すでにそういうことになっているという感じもする。
 誤解されかねない言い方だが、毎日新聞社説批判とかではないが、今回の毎日新聞社説のトーンはたぶん財務省の一部あるいは特定の派の代弁ではあるのだろうが、対外的にみると随分ローカルな意見だなという感じがする。
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自治体破産
再生の鍵は何か
 が、だが、毎日新聞社説は明確に書いてないが、これってやがてくる地方財政の破綻実態への衝撃に備えよということではないのか。「日本経済が国、地方を合わせて国内総生産(GDP)の1.7倍もの長期債務を抱え」のポイントは「地方」か。
 先日、「自治体破産―再生の鍵は何か」を読んで、地方自治体というのはかつての銀行のように制度上破綻できない仕組みになっているだけで、実態は破綻に近いようだと思った。呆れたのだが、団塊世代地方公務員の退職金などのメドもまるで試算されていないようだ。

二〇〇七年度に大量の退職者が予想されているにもかかわらず、日本の多くの自治体がそれに対する備えも充分にすることなく、いたずらにときをすごしているのは無策の批判を免れないではないだろうか。この問題に関する限り、自治体の多くが「出たとこ勝負」を決め込んでいることが懸念される。

 ちょっとうなってしまう。地方自治に関してまだ開示されていないファクターが大きく、実際にはOECD対日経済審査報告のシナリオみたいには進まないのではないのか、っていうか、そのあたりがクリアに見えないものかと思う。

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2005.01.24

偽札騒ぎも変な話だった

 偽札騒ぎも一段落したのだろうか。私は変なニュースだなと思ってこの騒ぎを傍観していた。明確にこれという意見があるわけでもないのだが、気になることをいくつか書いておきたい。
 まず、昨今の偽札騒ぎなのだが、これがいつから話題になったのか、といえば誰でも、この年初を思うのではないか。いわく寺社で使われたと。そういうニュースをよく聞かされた。しかし、気になって調べてみたのだが、偽札のニュースはどうもそれ以前から各月満遍なく発生している。時系列に追ってみて、どこかに際立ったエポックがあるのだろうかと2002年くらいまでサーチしてみたが、特にない。うんざりしたほどだ。お笑いがてらだが、昨年の正月にもこんなことがあった。読売新聞(2004.1.3)"元旦に偽1万円札 石川の寺社で15枚"より。


 初詣で客でにぎわう石川県内の寺と神社で一日、偽一万円札計十五枚が使われていたことが分かった。石川県警は、同一グループによる偽造通貨行使事件とみて捜査している。

 繰り返すが、このニュースは一年前のものである。ついでにもう一つ、これも昨年のニュースだが読売新聞(2004.2.4)"偽札、使いに使ったり900万円分? 県内でも38万円発見"より。なお、記事中の県内とは静岡県のことである。

 野迫被告は関東から九州の各地で偽千円札約七千枚と偽一万円札約二百枚を使ったとみられ、県内でも二〇〇二年十一月―二〇〇三年三月に、野迫被告が使ったとみられる偽千円札二百六十七枚、同一万円札十二枚が見つかっている。偽札は、野迫被告がパソコンとカラープリンターで作ったもの。肉眼で偽札と判別が可能な出来だといい、野迫被告は自動販売機やパチンコ店の両替機で使用していた。

 パソコンによる偽札流通?は2002年からあった。これに関連したマニュアル本もあるらしいので、そのあたりが取り敢えずはエポックなのだろうか。
 昨今の偽札騒ぎは、もちろん過去の同種のニュースに比べれば量的にも多いのかもしれないし、広がりがあるのかもしれない。だが、それにしても、ここで騒ぐというのは、そうした、問題量のスレショルド(閾)を越えたということか。つまり、量が質に転換したとなのだろうか。
 この程度で陰謀論とか邪推と言われてもなんだかなと思うのだが、誰でもまず納得するだろうが、偽札騒ぎは新札の登場と軌を一にしている。ということは、これって新札の話題の一環でそそられて出てきただけのことではないのか。とすると、誰かが煽っているのか、新札が出るようになったので多くの人が紙幣に関心を持つようになってみて、あれま、これって偽札だわ、と気が付いたのか。いずれにせよ、今回の偽札騒ぎは、その程度のことではないのか。
 パソコンで簡単に偽札ができるようになったし、マニュアル本もあったらしい、というのが取り敢えず近年の偽札史のエポックの一つなのだろうが、もう一つは、端的に言うけど、北朝鮮が関係している印象がある、と書くとヘンテコな攻撃を受けそうなので、ニュースで傍証しておく。読売新聞(2000.9.7)"北朝鮮船員使用の偽1万円札 「和D―73号」と同一 警察庁鑑定"より。

 大阪府泉大津市の助松港で七月二十一日、停泊中の北朝鮮籍貨物船の乗組員が支払った家電製品の代金から見つかった偽一万円札三枚は、約二年前に大阪や福岡などで出回った偽一万円札「和D―73号」と同一であることが七日、警察庁科学警察研究所の鑑定でわかった。


国内ではあまり使われない写真製版のオフセット印刷で偽造されたとみられ、警察当局は海外の偽造団が関与しているとみている。

 他にも類似の話はあるのだが、ここから妥当に推測できるのは、当局側は一連の系統の偽札についてはある程度まとまった情報を持っているのではないだろうかということ。この他、関連する情報も当局側はだいぶ持っているようだが、奇妙に出てこない。
 今年の偽札騒ぎに戻るが、「それってお賽銭じゃないの?洒落でしょ?」という疑問がある。それがどの程度の割合を占めるのかニュースからははっきりわからないのだが、お賽銭なら洒落じゃないのか。もちろん、これはまじめくさった議論もできる。ネットを見たらNAVER"お賽銭に偽札をつかうのは違法なの?"(参照)にこんな問いがあった。

別に商取引が行われているわけでもなく
祈祷とか御札代とかではなく、純粋なお賽銭に偽札をつかうのは違法になるのでしょうか?

 回答がいろいろ上がっているのだが、納得しますか。ポイントは「賽銭であっても、偽貨を直接流通に置くことに変わりなく行使に当たる」のかだろう。そうなのか。それほどマジに疑問に思うわけでもないが、沖縄でもそうだし中華圏全体には宗教儀礼に使うのだが、紙銭(カビジン)というものがある。偽札といえば偽札だが、さすがにそうした誤用のないほどのデザインではあるが…。この儀礼用の札は、本土の葬式でも最近では六紋銭を印刷した紙を使うのと同系だ。この話をすると長くなりそうなので控えるが、賽銭箱に紙銭を投げたら、違法なのだろうか?
 もう一点。今回の偽札騒ぎは新札との関連でもあったのだろうが、そのせいか、日本の新札技術は素晴らしい的な話もうんざり聞かされた。ネットで読めるものでは、例えば"世界最強!新紙幣の偽造防止技術"(参照)がある。

今回の新紙幣には、前記のように急増している紙幣偽造に歯止めをかけるべく、世界最先端の偽造防止技術を駆使していることが特徴だ。

 というのだが、ちょっと苦笑する。最先端はオーストラリアのポリマー幣(参照)ではないか。私の理解が違っているかもしれないが、登山地図などに使う材質と類似のものだろう。私が子供のころはお風呂でも読める本とかで話題になったものだ。
 ポリマー幣が偽札を作りづらいという話は、シドニー在のブログを書かれている平野さんの"偽札対策はオーストラリアにおまかせ!?"(参照)に詳しい。
 日本ではなぜポリマー幣を導入しないのだろうか? 意外と日本のパソコン技術だとそれでも偽札が作りやすいということなら面白いのだが、実際のところ、日本は日本の紙幣技術にこだわっているだけからではないか。あれは一種の和紙で、材料は伝統のコウゾ・ミツマタってやつだ。印刷技術も伝統のなんとか…みたいなお話。たしかに、日本の紙幣は他国の紙幣よりは長持ちしそうではあるが。
 いくら日本の紙幣技術が優れていても、と、思うのだが、米国などの場合、日常生活で100ドルを持ち歩くことは少ないだろう。だが、日本人だとある程度のランクのビジネスマンだと、昔鈴木健二が言ったように歳の倍の万札を持ち歩かないとサマにならない。日本ではクレジットカードがまともに機能していないこともなのだが、結果として日本の場合はアンダグランド経済がでかすぎるからなのではないか。なんか、しょーもない印象だが、優秀と言われる日本の紙幣はアンダグランド経済との関連にあるような気がするのだが。

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2005.01.23

国連がハマスに資金供与の疑惑?

 22日付のウォールストリート・ジャーナルの寄稿にちょっと気になる話があった。"The U.N. at Work"(参照)がそれだが、標題のヒネリは今ひとつわからないのだが、副題"The world body gives financial support to Hamas."はわかりやすい。つまり、国連がハマスに資金援助をしている、というのだ。
 ハマスは、Wikipediaの説明を借りると「パレスチナのイスラム主義団体で、パレスチナ解放運動の諸派のうちいわゆるイスラム原理主義と呼ばれているものの代表的な組織である」(参照)ということになる。極東ブログの過去エントリでは「アハマド・ヤシン殺害」(参照)でハマスについて少し触れた。いずれにせよ、イスラエル側からは、ハマスはテロリストに見える。
 ウォールストリート・ジャーナルの話のポイントは一応書き出しにある。


In 2003 and 2004, the Israel Defense Forces captured documentation showing how the U.N. Development Program was regularly funding two Hamas front organizations: the Tulkarm Charity Committee and the Jenin District Committee for Charitable Funds. The donations varied--sometimes $4,000 and sometimes $10,000. Receipts and even copies of thank-you notes to UNDP were discovered.

 イスラエル国軍が入手した文書によると、2003年と2004年に、国連開発計画(UNDP)がパレスチナのハマスに4千ドルから1万ドルの資金供与を行っていたというのだ。
 本当かなと思って、例によってGoogle Newsを軽く当たってみたのだが、この話はそれほど話題にはなっていない。また、話題になっていたとしても、どれも、この記者ドーアー・ゴールド(Dore Gold)に関わるものばかりなので、その意味ではそれほど信憑性はない。ニューヨークタイムズやワシントンポストなどでもこの話題は扱われていなさそうなので、現状では、ここから愉快なストリーを仕立て上げる気にもならない。が、それはその程度の話だとしても気にはなる。
 記者ドーアー・ゴールドは、イスラエルの元国連大使でその意味で国連の内情に詳しいと言えるだろう。私は読んでいないのだが、国連の不正をテーマにした"Tower Of Babble: How The United Nations Has Fueled Global Chaos"(参照)という著作もある。
 ものの書きようともいえるのだが、イラク石油食糧交換プログラム不正と同等に国連には問題がある、として話を仕上げるあたりは、関心をそそられる。

Besides getting to the bottom of the Oil-for-Food scandal, it is equally vital to get the U.N. to halt its backing of recognized international terrorist groups.

 ただ、ここでちょっと注意したいのは、彼がハマスをそのまま国際的なテロ組織だとしてしている点だ。
 というあたりで、さて私の感想なのだが、私としてはこのニュースの信憑性は確かなものだとは思えないこともあるが、ハマスを最初からテロ組織に同値して話を進めるのには、ちょっとひくものがある。ハマスはパレスチナの福祉的な組織でもある。Wikipediaの解説はそれほど偏ったものではない。

ハマースはパレスチナ解放の大目的のイスラエルとの妥協を拒否し、自爆テロなどの過激なテロ行為をも辞さない過激派組織とのイメージが強いが、パレスチナ住民にとっては、医療・教育などの福祉を、機能不全に陥っている自治政府にかわっておこなっている自助組織の意味合いが強い。

 とするなら、国連がこれに資金供与するのもそれほど不思議なことではないのではないかとも思える。もちろん、それがイスラエル攻撃の過激な活動の資金ともなっていた可能性があるとしても、現状の国連ではそこまで管理はできないだろう。
 その意味で、記者ドーアー・ゴールドの結論を私はちょっと皮肉に読む。

True, the U.N. is a huge complex of many sub-organizations--and it may be difficult to monitor everyone. But the U.N. has a duty today to clean up its act before it asks for the trust of Israel or any law-abiding member of the international community again.

 今日の国連の組織は下部などが特に複雑にあり十分に管理できない、というのはそうなのだろう。だが、現実問題、そう簡単に是正されるわけもないのだし、さらに現実問題でいうなら、イスラエルが多少手を汚してでも、正常に機能できるように関わっていくしかないのだろう、あるいはそれが無理なら別の仕組みで対応する…と言うに、他人事のようだが、この問題は実務レベルの問題になりうる。
 この話、右派のウォールストリート・ジャーナルに掲載されたということは、なんらかの米国でのロビー活動と結びつくのだろうか、というあたりも気になる。大筋でいうなら、イスラエル軍部が意図的にリークしているのだから、次ステップの動きがあるのだろう。
 なんとなくだが、この記事でイラク石油食糧交換プログラム不正にからめて書いているわりには、そのスジではなく、イランとイスラエルの関係のスジに流れていきそうな気はする。
 それでも、現状ではどうなるのかよくわからない。というか、それ以上の読みをする能力が私にはない。あると思っている人もいるみたいだけどね。

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2005.01.22

街中のタバコの広告

 ちょっとした街の風景の雑感を。
 どこの駅でも見られる光景なのかもしれないが、先日西武線の高田馬場の講内で壁を覆うほどのタバコの広告を見た。というか、当初白地の大きな立て看があるのかと思って近寄ってみたら、たばこの害について書かれた警告文で、それゆえにその左側の大きな写真がタバコのイメージ広告なのだとわかった。


喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなり…

 タバコの健康被害のメッセージを広告に付与しなければいけないというのは知っているし、タバコの広告の面積比率によって警告も大きくしなければいけないというのも知っているが、これほどでかい警告文が公衆の場に、立て看のように掲げられているのは変なものだなと思った。奇妙な情報の空間を生きている気がした。
 もうちょっとなんというか、洒落っけというかユーモアっていう心はないものか。伊藤園の「おーい、お茶」の缶についている川柳(新俳句というのか)みたいなものを公募してみてはどうか。

若いとき禁煙しとけば小金持ち
肺がんの理由はタバコだけじゃない
おやじより長く生きたいタバコ消す
こっそりと道行く人に根性焼き

 だめかな。
 広告のほうはこの警告文とは関係ないような風景写真のようなものだ。無意識的な印象を喚起させたいとの狙いなのだろうが、その分、警告文が孤立したように浮き立つ。それでも、この警告文があれば、タバコの広告なのだという連想が確立するから、たぶん、この警告文にどんな写真を付けてもタバコの広告ができるんじゃないだろうか。
 それにしても、こんなに大きなたばこの広告が必要なのだろうか。駅の構内だと、なにげなく横を過ぎていくと、壁の模様のようにしか見えない。タバコの広告だとはわからない。遠目で見ようとすると線路に落ちそうだ…と、なるほどこれは向いのフォームから眺めるように出来ているのか。
 と考えて、そういえば、こういうでかいタバコの広告を屋外に設置してはいけなくなったのではなかったっけと思いだした。よくわからない。自分はタバコを吸わない。タバコの煙も嫌になった。臭いに敏感なたちなので、服などに付くタバコの臭いも嫌だというくらだい。が、もっと嫌なのは、私の印象だが、歩きタバコがいっときより増えたことだ。他の人の歩いているなか、火のついたものが触れるかもしれないのにと思うと、以前は怒りがこみ上げてで誰彼となく怒鳴りつけたが、最近はしない。世の中を生きるというのはこういう愚か者に慣れることでもある。
 そういえば、タバコの規制がこれからもっと厳しくなるのだっけと、ちょいとニュースを調べるとそのようだ。朝日新聞記事"たばこ規制強化へ本腰 14省庁が初の連絡会議"(参照)に話がある。

たばこがもたらす健康被害の防止をめざし、世界保健機関(WHO)が主導する「たばこ規制枠組み条約」が2月に発効するのを前に18日、厚生労働省や財務省、文部科学省など14省庁の連絡会議の初会合が開かれ、たばこ広告の規制強化など今後各省庁で取り組むべき施策や協力のあり方が話し合われた。

 読み直すと屋外広告の禁止は四月からのようだ。つまり、この春からタバコの広告が風景から消える。
 私はテレビドラマなどあまり見ないのだが、それでもタバコの登場するシーンは少なくなったなと思う。自主規制のようなものがあるのだろう。そう思って、関連ニュースを見ていたら朝日新聞記事(2005.1.14)"少年漫画誌の喫煙場面、平均8.7カ所 厚労省調査"でこんな話があった。

 少年漫画雑誌には喫煙場面が1冊当たり8.7カ所もあるが、たばこの害についてのメッセージがほとんどないことが、厚生労働省の研究班による調査でわかった。たばこ業界の自主規制で未成年がよく読む漫画雑誌には広告こそないものの、公衆衛生の専門家の間では漫画そのものが広告の役割を果たしているという見方があった。その実態が数字で裏付けられたといえる。主任研究者の鳥取大医学部の尾崎米厚助教授(環境予防医学)は「漫画雑誌が未成年者の喫煙に影響を及ぼしている可能性がある」と指摘している。

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『鉄人28号』
公式ガイドブック
 これも規制するのだろう。もぐら叩きみたいな感じがする。そういえば、私が鉄人28号好きというので先日「『鉄人28号』公式ガイドブック」を貰った。中身はネットの公式ページとそれほど変わらないのでちょっとがっかりしたのだが、話のなかで今回のリメークでは正太郎にピストルを持たせることができなかったとあった。なるほどな、その分村雨がぶっ放していたのだが、それでも私が子供のころ見た正太郎はピストルをばんばん放っていた。あれを見て私が影響を受けたか…あほくさ。
 少年探偵がピストルを持たないとしてもそれは所詮フィクションのこと。最初からありもしない光景だ。だが、あのでかいタバコの広告はもうすぐ私たちの街の光景から消える。人にもよるのだろうが、こうした光景について、なにが加わる変化より、何かが消える効果のほうが、弱いものの、鈍く長く残る違和感になるような気がする。

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2005.01.21

春節限定、中台直行便

 今朝の読売新聞社説"中台直行便 対話再開の糸口となるのか"(参照)で、春節限定(今月29日から来月2月20日まで)の中台直行便の話題について触れていた。同社説には特に論点もないし、このエントリでもたいしたネタがあるわけではない。が、気になる話題なので触れておく。
 来月になるが2月9日、春節(旧正月)の帰省に合わせ、大陸中国と台湾の双方の航空会社が直行チャーター便を運航することが実務協議で決まった。中国旅客機の台湾乗り入れは、1949年の中台分断後としては初めてとなるが、すでに一昨年に同種の春節期間限定の台湾人帰省のチャーター便が飛んでいるので、その意味では今回が二度目になる。中台間の政治的緊張緩和が望まれるということでは、ある意味で来年以降の継続も望まれるところではある。
 特に、大陸中国側では、この三月に予定されている全国人民代表大会(全人代)で、台湾独立を武力でも阻止するというとんでもない「反国家分裂法」が制定されることになるので、今回の直行便が和みの話題にもなればということもある。まあ、それとこれとはまた別の話というのが中国のわかりづらさでもある。
 このあたりに関連して、どういう意図なのか、あるいは特に意図もないのか、共同が流した"台湾住民の大陸離れ警戒 中国、圧力と融和使い分け"(参照)も興味深いといえば興味深いものがあった。直行便には政治的に大陸中国側のメリットも大きいという読みである。


【北京16日共同】中国が春節(旧正月)休暇期間中の直行チャーター便運航で台湾と合意した背景には、台湾住民の「大陸離れ」に対する危機感がある。独立志向の強い陳水扁政権への圧力をかけ続ける一方で、融和姿勢も打ち出すことにより、台湾の反独立勢力を後押しする狙いがある。

 こうしたやりとりはいかにも中国人らしい面があり、私にはよくわからない。ただ、現実の要請というものもある。
 読売新聞の社説でも触れているが、政治・軍事の反目とは裏腹に、経済の一体化というか、台湾は日本同様中国市場への依存を深めている。台湾の大陸中国への累計投資額は300億ドルを超えるとのことだが、それが大きいのか小さいのか私はよくわからない。しかし、台湾からは家族を含め百万人規模の台湾人が大陸に在住しているというのは事実で、今回の春節チャーターはこの巨大なニーズを背景としている。
 話がずっこけるのだが、中華の鉄人陳建一のエッセイを読んだとき、父健民の古里と墓を訊ねるというくだりがあったことを思い出す。彼は日本人なので、外省人ではないのだが、それでも台湾の外省人の心性をちょっと伺い知る感じはした。台湾人のアイデンティティは簡単には理解できないようにも思う。が、いずれにせよ大陸とのつながりは心性としても切りづらいだろう。民間レベルの交流は取り敢えず維持されるべきだろうとは思う。
 今回の直行便なのだが、沖縄に長く暮らした者としては、航路のディテールが興味深かった。あまりこの話題に触れているニュースはなかったようだが、沖縄の管制にも関連している。産経ビジネスi"中国、台湾と「直行便」合意 29日から香港経由せず48便"(参照)が伝えている。産経は台北で新聞を発行できるだけあって、こうした情報に強いようだ。航路の違いを前回との差で説明している。

 しかし、今回の場合、チャーター機は香港には駐機せず、香港上空を通過するだけ。さらに、台湾側は迂回ルートとして、香港のほか、韓国や沖縄の管制空域の通過を主張したが、中国が拒否した。中国としては、迂回地を香港だけにしたことで、「中国の国内事務」として処理できるからだ。
 仮に、韓国、沖縄の迂回ルートを認めれば、「中台問題は中国の国内問題」との原理原則が崩れてしまうことになる。しかも、前回では、中国内の乗降地点は上海の1カ所だったが、今回は上海のほか、北京と広州の2地点が加わり、中国が主張する「直通」に近づいている。

 私の関心を端的に言えば、ほぉ、共産党は沖縄の管制を外国だとしてくれたのかである(国民党も同じだが)。
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この厄介な国、
中国
 こんな話、当たり前といえば当たり前だが、当たり前が通じないのが中国人である。なんとでも言う。「てめーで言っていて言葉に酔っているのかお前、本音はどっちだ」と日本人は思うが、中国人に本音などない。あれだ、ジョージ・オーウェル「1984年」のダブル・シンク(二重思考)というのがマジで別に矛盾を起こしているわけでもない。それでいて道徳心がないとか情熱がないわけでもない。日本人とはおよそかけ離れた心性だというだけのことだ。逆に彼らから見れば日本人は愚か者にしか見えないだろう。
 この国内便か国際便かの話で、邪推に近いのだが、沖縄の管制が外国になっているのは、もしかすると米軍の手前かもしれないとも私は思う。これが全面的に日本人に帰還されると、中国側としては小日本(シャオリーベン)が剥き出しになるので、さて、どうなることやら。
 誰もが知っていることかもしれないが、現在沖縄では那覇から毎日上海へ直行便が出ている。そして、以前から那覇と台北には直行便がある。だから、那覇でトランジットすれば台北と上海は簡単につながるし、乗り継ぎ客は多いといえば多いのだが、政治化する可能性もあり、現状では細い。稲嶺知事はさらにオリンピックを当て込み北京直行を期待しているが(参照)、それよりも、この台北上海を太くしておいたほうが利益が上がっただろうという感じもする。トランジット中にちょっとギャンブルでもできれば、博打好きの中国人のことだからカネががんがん落ちるのにな。しかも、日本人や沖縄人からは隔離できるから社会問題にもならないのに。
 そういえば、私が利用していたころは那覇の国際便は実にローカルな感じで空港使用料もなかったが最近はどうだろうか。運び屋がと米人が行き交う昔の那覇の国際空港が歴史の風景になったのかなと感慨深い。

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2005.01.20

イラク石油食糧交換プログラム不正と日本国内報道

 イラク石油食糧交換プログラム疑惑が「疑惑」といったレベルから脱しつつある。予想されていたこととはいえ、一昨日大きな転機があった。暗躍していたイラク系米国人が米国裁判で起訴事実を認めた。つまり、このプログラムに不正があったことはかなり明確になった。
 被告はイラク系米国人サミール・ビンセント(64)で、1998~2003年にかけて、制裁をすり抜けて石油の闇取引をするため、国連及び米政府の担当者にロビー活動を展開し、さらにこの闇取引から500万ドルほどの利益を上げていた。
 基本的なことを繰り返すとまたブログのレベルが低いぞとお叱りを受けるかもしれないが、この不正はフセイン政権が国際世界を騙していたという不正でもあるのは当然だが、重要なのは国連が噛んでいたからこそできた不正だった。国連は制裁の裏側で石油の闇取引に荷担していたのである。その意味で、この問題の一つの焦点は国連ではある。が、本丸はこの不正の重要なプレーヤーが米仏露という国家が絡んでいる点だ。米国の手が汚れてないわけはない。ロシアもそうだが、ロシアの石油ビジネスはすでに大きな転機にあり、やや陰謀論的な推測なのだがプーチンはこの問題で事実上ブッシュとあるレベルまで合意ができているだろうと私は推測する。問題は、フランスだ。すでに一部高官が名指しされ、スイスの闇口座なども一部は事実上は解明している。これにアナンの息子コジョも噛んでいると見られるのだが、現状ではコフィーへの疑惑は一部は明白に解明されているものの、大枠のイラク石油食糧交換プログラム疑惑のなかでは解明されていない。当然、このスジ上にアナンとシラクがいるのだが、こう言うといかにも陰謀論みたく日本では聞こえのだろうが、私の感触ではこれはすでに国際的な常識である。
 つまり、問題は、この問題を誰がどこまでなんのために解明するのか、ということになっている。端的に言えば、イラク石油食糧交換プログラム不正は、EU対米国、国連対米国、OPEC対ブッシュ&サウジ王家、という対立の利害のカードゲームとなっている。
 どうしたらいいのかだが、この問題は日本の国益も関連してきているので、単に真相を明らかにせよという単純な主張にはならない。特に国連に大金を拠出しているのだからそれ相応の矜持が必要なのだが言うに虚しい。
 ちょっと言い過ぎだが、この問題について日本の体制左翼の認識は甘すぎてというか、端的に言うと中国の代弁しかしていないので困ったものだなと思う。言うまでもないが昨年の貿易実績を見ても明らかだが中国はEUとの関連を深め、米国&ドルから離れつつあるし、米国はそうした対立をいいことに日本をからめた中台緊張に軍産業の活路を見いだそうとしている。また、OPECやサウジといった旧体制の石油産出国との関連で中国はアフリカや南米に権力を伸ばそうとしているのだが、それはそれで大国面して勝手にやってもいいともいえるのだが、アフリカの人権問題への配慮があまりに乏しい。特にダルフール問題への国連の関与の足を引く効果を上げていて、嘆かわしい。中国は元来自国民を国軍で殺戮するような国家なので人権を説くのは無意味だが、それにしても、もう少し表向きだけでも国際ルールとして人権を配慮してもよさそうなものだ…がそのあたり国内の体制左翼は自民党橋本派並に頭が古い。せめてガーディアンでも読んでゴードン・ブラウンでもプッシュしてIMFの金(キン)の解体でも支援しろと思うのだが…。
 話を戻す。今回がサミール・ビンセントが罪を認めたというニュースだが早々国際的にはトップニュースとなり昨日の極東ブログ・エントリ「朝日新聞の変な外信」(参照)をささっと書いているときにすでにGoogle News(米国)の国際ニュースのトップ項目になっていた。が、上にうだうだ書いたように今回の解明それ自体がニュースバリューを持つという時節でもなく、むしろ、日本人として見ると、このニュースがどう国内に報道されるかということが重要だと思えたので、昨日はそのようすを時折ワッチした。
 結論から言うと、国内報道が出た。先日、これも極東ブログ「国連ヴォルカー調査が発表された」(参照)を書いた時点では、国内報道はどうなってんだと思ったものだが、以降子細に見ると、主要紙もそれなりにベタレベルだが言及はしていた。その意味で、今回の報道もベタ程度には出るだろうなとは期待した。というわけで、話を日本との関わりにおいて、国内での今回のニュース報道について少し話を移すというか、このエントリのネタはそちらのほうが主眼でもある。
 正確に追ったわけではないが、国内報道の流れは、こんな感じだったかと思う。意外なのだが、TBSが先行していたようだ。該当ニュースは"石油食糧交換計画巡る不正疑惑で起訴"(参照)である。時刻は、8:30。


 国連のイラク石油食糧交換計画をめぐる不正疑惑で、18日、アメリカの司法当局はイラク系アメリカ人の男を 起訴しました。
 「1996年から 2003年にかけて、 ヴィンセント被告は 9百万バレル以上の石油を 数百万ドルで売ったことを 認めている」(アシュクロフト司法長官)
 起訴されたのはイラク系アメリカ人のサミール・ ヴィンセント被告です。

 内容の流れを見ると、これはCNNからの流用っぽい。CNNにも邦文"石油食料交換計画の不正、イラク生まれの米国人を訴追"(参照)が上がったので、邦文ではあり邦文報道は時間的には遅れているのだが、比較してみると面白い。

(CNN) アシュクロフト米司法長官は18日、記者会見し、旧フセイン政権下のイラクに対する国連の人道支援事業「石油・食料交換計画」をめぐる不正疑惑について、イラク系米国人1人を訃報取引などの疑いで訴追したと明らかにした。
 長官によると、ニューヨークの連邦地裁に訴追されたのはサミール・ビンセント被告(64)。同被告は外国政府の代理人として必要な登録をしないまま、98~03年にかけてフセイン政権の指示に従い、経済制裁緩和のため秘密裏のロビー活動を国連や米政府担当者に対して展開した。またイラク原油900万バーレルを転売して、300万~500万ドル(約3億~5億円)の利益を得たという。
 長官によると、ビンセント被告はニューヨーク連邦地裁で同日開かれた審理で、罪状を認めたという。

 それに遅れて10:54にニューヨーク18日時事(参照)が流れた。が、この記事では起訴までにしか触れられていなかった。時間的に見て、すでにCNNやABCなどでも出ていたので、時事の側になにか問題がありそうだ。
 共同も出してきた。共同記事は地方紙にコピペ(Copy&Paste)で配信されるので、記事数は増えた。むしろ、大手紙側がよくわからない。大手紙の外信をまとめているgooの外信のリストには上がっていないようだ。
 共同の記事はネットから閲覧できる最初のものとしては、徳島新聞"石油交換疑惑で初の訴追 米国人が違法に利益"(参照)があるが、そのタイムスタンプを見ると、" 10時38分"なので時事より速い。

【ニューヨーク18日共同】アシュクロフト米司法長官は18日、記者会見し、経済制裁下にあったイラク向けの国連の人道支援事業「石油・食料交換計画」をめぐる疑惑で、イラク生まれの米国人1人を旧フセイン政権のために違法な活動をした罪で訴追したことを明らかにした。この疑惑での訴追は今回が初めて。

 後半があるが、内容はほとんどベタ。時事のベタ記事は無視されることも多いので、今回の報道の事実上の引き金となったのは共同のようだ。が、繰り返すようだが、共同はできるだけ無色な記事としているので、その意味がわかりづらい。その点、先のTBSでは、こんなオチがついている。

 まもなく退任予定のアシュクロフト司法長官が、このタイミングで起訴したのは、国連に対する けん制とみられてます。

 昨日の極東ブログ・エントリ「朝日新聞の変な外信」(参照でひいた朝日新聞の外信と比べると、お楽しみいただけるかと思う。
 共同の記事のまま流せない大手紙だが、遅れて東京新聞が記者名入りで"旧フセイン政権 代理人罪認める 国連支援事業公判"(参照)を出したが、共同ベタに近い(仕事してね)。毎日新聞は、この問題を一昨年前からときたまワッチしてきたこともあり少しヒネリがある。以下はトリビアネタになりそうだ。

同被告は58年に渡米後、ボストン大を卒業。陸上選手として活躍し、64年にはイラクのオリンピック代表の1人にも選ばれている。

 と微笑んで終わりという以上に、サミール・ビンセントは当然対外フセイン派なので同じく人間の盾などで活動した日本国内の同派ともつながりがあるのではないかと私は推測する。
 毎日新聞外信で優れているのは次の点だ。

 この起訴を機に、米司法当局の捜査や国連の独立調査委員会(委員長、ボルカー前米連邦制度理事会議長)の疑惑解明に弾みが付きそうだ。

 ヴォルカー調査はまだ終わっていない。6月にさらに報告書が出るらしい。この点は、むしろCNNが面白い。

石油食料交換計画の不正疑惑を調べている米独立調査委員会(委員長・ボルカー前米連邦準備理事会(FRB)議長)は、同被告から事情聴取できるよう希望するとコメントを発表した。

 つまり、ヴォルカーとしては後手に回ったというか、ばっくれるわけにもいかないか、ということなのだろう。
 以上、今回は国内報道の側に焦点をあてたのだが、今ざっと大手紙の外信を見るに、まだニュースは上がってないようだ。大手紙がこれからどう出てくるのか、それと、共同がどう外信を捌いているのかが気になるところだ。
 っていうか、こんなの、英米圏のネットを覗けば筒抜けに見えることなので、ブログが興隆してくると、こうした日本での外信の流れに別の流れがでてくるのではないだろうか。ブログはジャーナリズムかとか、一次ソースがとかいう議論より、国際的なニュースと外信の関係がブログで底上げすると、日本国内の対外的な世論の質も変わってくるだろうと思う。

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2005.01.19

朝日新聞の変な外信

 朝日新聞バッシングをしたいという意図はないし、こんなのスルーしといてもいいかなとも思ったのだが、この手の問題は日本国内のネットではあまり話題にも上らないだろうし、記録として残しておくのもいいだろうかとも思うので、簡単に書く。国連の石油食糧交換プログラム不正疑惑についての16日付の朝日新聞記事"アナン事務総長、対米改善へ動く 国連高官すげ替え"(参照参照)についてだ。
 話の概要は新聞記事らしく冒頭に書かれている。


アナン国連事務総長が、「国連たたき」を続けるブッシュ米政権や米議会との関係改善策を探っている。米側の覚えが良くない高官の一部をすげ替え、意思の疎通を向上させるのが眼目のようだ。米政府との関係悪化に気をもむ米民主党系の外交畑重鎮たちの助言をいれた結果と言われる。だが、関係悪化の根底にあるイラク問題を巡っては、アナン氏も譲歩の姿勢は見せておらず、効果を疑問視する声もある。

 一読、なんだかなぁという感じだが、でもこの程度なら朝日新聞だものね、産経新聞だって別の意味でこんな程度だものね、と思う。
 ついだが、この話題のニュースとして重要なのは次の点だ。

 高官すげ替えの第1弾は、3日に発表されたマーク・マロックブラウン国連開発計画(UNDP)総裁の国連官房長併任だった。

 つまり、マーク・マロック・ブラウン(Mark Malloch Brown)が重要人物ということ。この話は彼が英国人ということで、いつもなら芳ばしい対立を描くガーディアンもテレグラフも仲良く嬉しいなのトーンの記事だったのが笑えた。ニューズウィークにもインタビュー記事が掲載された。日本版には掲載されないみたいだが。
 ちなみにガーディアン"Take the lead, Kofi "(参照)は今回の人事をこう描いている。

It is understanding of the need for change that has brought Mr Malloch Brown from the UN development programme to Mr Annan's office, which is braced for a forthcoming report on the oil-for-food row and the certainty that it will give Washington more ammunition. Supporters of the UN, like this newspaper, are often accused of being too reverential. That is to misrepresent the reality of an organisation that can only be as good as its members. The UN is far from perfect, but the only world body we have, still dominated by the victors of the second world war, and needs reform, not marginalisation.

 ガーディアンも左派というかリベラルな新聞だが、朝日と比べるとなんと謙虚な姿勢だろうかと思う。彼ら自身と国連の関係を理解し、そして国連は完全ではありえないという現実的な視点を持ち合わせている。朝日新聞もこのレベルになるといいのだが。
 話を戻して、朝日新聞の先の記事だが、これを読んで、おお、燃料投下だ!と思ったのは次のくだりだ。

 米政府や議会の「国連たたき」は、表向きはイラク・フセイン旧政権時の「石油と食糧の交換計画」での不正疑惑を持ち出すという形をとることが多いが、根源は国連がイラク政策を批判し続けることへの不満にある。

 こんなの新聞が書いていいことなのか。なんの根拠も示されていない独断でしかないよ。極東ブログも陰謀論とかご指摘を受けるけど、ここまで独断はしてないと思うが。ま、それでもブログと新聞は違うはずだが。
 私の見落としかもしれないけど、それまで朝日新聞って石油食糧プログラム不正を扱ってきただろうか。コフィーのだめ息子の不正とか扱ってきたのか。それどころから、ヴォルカー調査の結果について触れていたのだろうか。十分ではないけど、国連に問題があることはこれまでの過程で明白になっている。国連も一部だが非を認めている。というか、より多くの不正が暴かれることへの防戦にあるように見える。確かに米政府や米議会は国連を批判することが多いが、それでもこの記事の独断のような話ですむことではない。今朝もこの問題の新たな進展のニュースがニューヨーク・タイムズを含め各紙で上がっている。一例は"Virginia Man Pleads Guilty in Oil-for-Food Inquiry"(参照)である。
 このあたりも、苦笑ということかなと思うのだが、が、その先はテクニカルに困惑した。というか、ここがこのエントリのキモなのだが。朝日新聞記事はこう書く。

 こうした動きに関し、国連寄りの論陣を張ってきたニューヨーク・タイムズ紙の社説は10日付で「不当かも知れないが、ワシントンの協力が必要だから」と高官すげ替えもやむなしと断じた。民主党系重鎮の意向と軌を一にした動きとみられる。

 ここで私は、おやっ?と思ったのだ。あれ、ニューヨーク・タイムズ社説ってそうだったっけか?
 ここでちょいと確認なのだが、朝日新聞のこの記事だと、ニューヨーク・タイムズがなぜ「ワシントンの協力が必要だから」としたのか、どう伝わるのだろうか?
 記事の冒頭を繰り返す。

アナン国連事務総長が、「国連たたき」を続けるブッシュ米政権や米議会との関係改善策を探っている。米側の覚えが良くない高官の一部をすげ替え、意思の疎通を向上させるのが眼目のようだ。

 つまり、関係改善=「ワシントンの協力が必要だから」というふうに読まれるのではないか。
 当のニューヨーク・タイムズ社説"Housecleaning at the U.N."(参照または参照)の対応部分を読んでみよう。こう書いてある。

It is no secret that the re-elected Bush administration would like to force out several highly competent officials who have disagreed with it over Iraq or other sensitive issues. Some may have to go, however unfairly, since the United Nations cannot do its very necessary work - from helping tsunami victims to delivering on the promise of real help for the billions trapped in absolute poverty - without at least minimal cooperation from the United States.

 つまり、国連が津波被害者や絶対的貧困援助という仕事をするためには、最小限であれ米国の支援なしにはできないよ、というのがニューヨーク・タイムズ社説の意図だ。ただ、米政府や議会からの「国連たたき」を受けているのでしかたなしに高官すげ替えという妥協をしたというのではないのだ。国連には大きな任務があるのだから、この妥協もしかたがない、というように国連の責務の自覚に主眼が置かれている。そこが朝日新聞記事から読みとれるだろうか。ニューヨーク・タイムズの立場はガーディアンのように基本において国連が不完全なものであるという認識が前提になっている。
 朝日新聞の読解力って大丈夫?的問題なのか、意図的なねじ曲げなのだろうか。
 朝日新聞の記事はエール大学国連研究所のサタリン上級研究員の言葉を借りて締めている。がこれもなぁ。

このため、サタリン氏は「ブッシュ政権は今後も声高ではないにせよ、アナン氏批判を続け、米議会も国連に批判的な姿勢を崩さない」と、今回の関係改善の試みに悲観的な見方をしている。

 人の言葉を借りているけど、朝日新聞は、米国と国連の関係はうまくいかないよというのだ。
 朝日新聞って、改革されない不正体質の国連と米国がうまくやっていけ、とか思っているのだろうか。それ以前にアフリカ問題などでも自縄自縛の現状でもいいと思っているのだろうか。やれやれ。

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2005.01.18

NHK番組改変問題について朝日新聞報道への疑問

 NHK番組改変問題については先日極東ブログ「NHK従軍慰安婦特集番組の改変問題って問題か?」(参照)で触れた。体制左翼が安倍晋三潰しにボケかましたましたかくらい思っていたのだが、若干問題が奇妙な錯綜したかに見える方向に進みつつあるので、自分なりの整理のメモを書いておきたい。
 端的に言って、問題はなにか?
 まず、「従軍慰安婦」は当面問われていない。それはこの問題が四年間寝かされていたことでもわかる。それに関連していた直接的な政治勢力についても同様に当面の問題ではない。「女性国際戦犯法廷」についても同様だ。こうした問題は当面、カプセル化(内容に立ち入らない)としていい。
 問題はまさにこれを問題として切り出してきた朝日新聞の報道の文脈で見るべきだろう。つまり、2点になる。(1)朝日新聞はなにを問題としていたか、(2)朝日新聞の報道に問題があるのではないか、ということだ。
 資料はネット上では次のとおりだ。


 これらを経時的に見ると、当初の問題は、中川昭一現経産相、安倍晋三現自民党幹事長代理がNHK番組に政治的に介入したかという点であった。"NHK番組に中川昭・安倍氏「内容偏り」 幹部呼び指摘"(参照)を引用する。

 01年1月、旧日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷を扱ったNHKの特集番組で、中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していたことが分かった。NHKはその後、番組内容を変えて放送していた。番組制作にあたった現場責任者が昨年末、NHKの内部告発窓口である「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に「政治介入を許した」と訴え、調査を求めている。
 今回の事態は、番組編集についての外部からの干渉を排した放送法上、問題となる可能性がある。

 よく読むとわかるが、この報道では、中川昭一と安倍晋三が介入したとは直接的には触れていない。その可能性があるとすれば問題だということになっている。
 ここで朝日新聞はわざと曖昧にしているのだが、単純な話、悪いのは、(1)中川昭一と安倍晋三なのか、(2)NHKなのか、ということになる。さらに、話を単純にするのだが、今回の問題を仕掛けた側の意図は、中川昭一と安倍晋三の政治的な失墜を狙ったものだろう。しかし、そこがうまく行かなければ、弱り目のNHKが悪いという二番目のスジにしてしまえ、ということだ。
 事実関係で、その後明かになったことは、この当初の朝日の報道が与えた印象とはことなり、番組の編集直しの状況は、この二者の関わり以前から進められていたことだ。むしろ、NHK内の編集過程でNHK側の要請で2者に意見を求めたとみてよさそうだ(中川については不明な点もあるが、安倍についてはそういうことのようだ)。追記(同日)この点は朝日新聞に掲載された"安倍晋三氏の主な発言 NHK番組改変問題"(参照)から妥当に推測できる。

《1月13日のコメント》「面会は、NHK側の『NHK予算の説明に伺いたい』との要望に応じたもので、こちらからNHKを呼んだ事実は全くない。NHK側から、自主的に番組内容に対する説明がなされたものであって、こちらから『偏った内容だ』などと指摘した事実も全くなく、番組内容を変更するように申し入れたり、注文をつけたりした事実もない。

 すると、中川昭一と安倍晋三を狙った(1)のスジでは、そのターゲットはすでに外したと見てよく、(2)のNHK側のあり方を責めるという流れに朝日新聞は持ち込みたい、ということになる。そのあたりが、今日付の"NHK番組改変問題、本社の取材・報道の詳細"(参照)に現れてきている。が、それでも、(1)のスジ、つまり、中川昭一と安倍晋三を狙ったスジは完全には外されてはいない。引用する。

 番組編集作業が進み、翌01年1月13日から試写が始まった。NHKの番組制作局教養番組部長は19日、「取材対象との距離が近すぎる」と指摘。それを受けて修正が重ねられた。24日、部長は「改善がみられない」とし、以後の制作作業はNHKが引き取り、直接進めることになった。26日には、民衆法廷に批判的な秦郁彦氏(当時は日本大学教授=日本近代史)をインタビューすることを決めた。
 当時、番組内容の一部が右翼団体などに漏れ、20日すぎからNHKに対して放送中止を求める電話やメールが殺到。27日には、政治団体のメンバーが応対に出た職員ともみ合いになり、別の団体も街宣車で乗りつけた。
 こうした事実は当時、朝日新聞も詳しく記事にしている。

 《放送直前の改変》
 編集作業が終わり、教養番組部長からOKが出たのは28日午後11時ごろ。番組は44分。
 それが再び大幅変更されたのは29日夕。番組制作局の局長室で松尾氏と国会対策の野島氏も参加した「異例の局長試写」(NHK関係者)があった。開始前、番組制作局長はスタッフに「(国会での予算審議の)この時期にNHKは政治と戦えない。天皇有罪とかは一切なしにしてよ。番組尺(長さ)が短くなったら、ミニ番組で埋めるように手配して」と述べたという。


 つまり、中川昭一と安倍晋三との面談のあった29日のその日に番組の改編があったのだから、中川昭一と安倍晋三の介入があったのだろう、というのが朝日新聞が今言いたいことらしい。このあたりは、「異例の局長試写」という表現で記事中に強調されている。
 問題は、つまり、29日夕の「異例の局長試写」と中川昭・安倍晋三面談の関係だということになる。
 事実関係としては、「教養番組部長からOKが出たのは28日午後11時」が重要になる。
 この点の事実関係については、雑誌「創」(2002年1・2月)に掲載された記事"坂上香「私が見たNHK番組「改編」と過剰な自主規制」"が参考になる。ネットではすでに流布されている(参照)。事実関係の部分だけを読むと、「異例の局長試写」は28日夜に決定していたことがわかる。だとすると、中川昭一と安倍晋三との面談は二次的なものになる。
 「女性国際戦犯法廷」を推進したVAWW-NETジャパンの公開文もこの事を間接的に支持している。"なぜNHKを提訴するのか"(参照)より。

その後明らかになったのは、12月27日に制作された番組を1月19日に見た担当部長が「法廷に距離が近すぎる」と修正を命じ、その結果24日にできた完成納品版をさらに修正した台本で28日出演者の一人にコメントの取り直しをさせ、同日わざわざ右翼学者のインタビューを急遽追加して、「法廷」たたき、「慰安婦」たたき発言をさせたのです。

 すでに28日の時点で急遽修正取材が進められている。であれば、当然、その確認もこの時点でスケジュールに乗ったと考えられる。つまり、NHK内部的に28日でOKが出たとは考えにくい。いずれにせよ、この点からも、中川昭一と安倍晋三との面談は二次的なものになる。
 朝日新聞としては今回の報道で、中川昭一と安倍晋三がNHK番組に介入していたか、ということを提起したかったのだろうが、その影響はあるにせよ、二者の介入は、二次的なものに過ぎず、であれば、「こうした事実は当時、朝日新聞も詳しく記事にしている。」(参照)という以上のことが今回明かになったわけでもない。
 朝日新聞が今後するべきことは、NHKバッシングのスジに逃げ込むのではなく、中川昭一と安倍晋三の関与がどのようなものだったかということを明確にすべきだろう。
 具体的には29日の「局長試写」で当時の松尾武・放送総局長と国会担当の野島直樹・担当局長が改変した内容が次の3点であったと朝日新聞は言う。

(1)秦氏のインタビューを大幅に増やす
(2)民衆法廷を支持する米カリフォルニア大学の米山リサ準教授の話を短くする
(3)「日本と昭和天皇に慰安婦制度の責任がある」とした法廷の判決部分のナレーションなど全面削除

 であれば、中川昭一と安倍晋三がこの三点にどのように関与していたかを問わなくてはならないはずだ。そこが明かになれば、それはそれなりにニュースの価値があるだろう。そこが問われないなら、朝日新聞というのはジャーナリズムなのか世論の疑問を積み重ねることなるだろう。

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2005.01.17

むーちー

 10年前の阪神大震災のことも思うが、その話題はあえて避けたい。泥臭い国際政治の話題も避けて、また沖縄の話。
 今日は旧暦の十二月八日。本土でも事八日としてかつては重要な日だった。事八日には二月の事始めと十二月の事納め(御事納め)があり、今日は事納めである。何を納めるかというと仕事。農事を納めるのが基本だが、針供養などをする地方もある。いずれ、これから新年(春節)に備えるのである。と、辞書をひいたら、二月八日に正月を納めるともある。
 沖縄では「むーちー」の日である。「むーちー」は餅(もち)である。沖縄に暮らしていたころ、「むーちーの言葉は餅と同じですよね」と何の気なしに年配の方に言ったところ、困ったナイチャーだという顔をされたことがある。餅は餅、むーちーはむーちーである。なんか、この「である」が沖縄っぽいが。
 ムーチーは、丸大でもかねひでも売っている餅粉(上新粉と同じかとちなみにウチナーンチュに訊いたら違うというが説明がわからない)を練り、名刺大に平たくし、月桃の葉で包んで蒸したものだ。最近ではできたものが丸大でもかねひでも売っている(くどい)。
 月桃は沖縄では「さんにん」とも呼ばれるが、ショウガ科の植物で、ボタニカルガーデンの写真(参照)がわかりやすいが、上部の写真は斑入りキフゲットウ(黄斑月桃)だが、これは沖縄には少ない。丈は二メートルを超える。あちこちに野生であるかのように見えるが、さにはあらずして、ムーチー用なのである。私が沖縄で暮らし始めたころから、月桃の葉(かーさ)をスーパーマーケットで売るようになり、オバーたちが呆れていた。
 月桃は花も美しい。英語ではシェルジンジャー(Shell Ginger)とも言うが、花の形が巻き貝のように見えるからだ。米人がけっこうこの花を好む。芳香が強い。フィリピンなどでは食用にもなる。
 ボタニカルガーデンには実の写真もあるが、これがサンニンの語源に当たる。漢字で書くと砂仁だ。元来の生薬砂仁、つまり縮砂は月桃とは異なるのだが代用されていたようだ。よく仁丹に月桃が含まれているといった話を聞くが誤解だろう。
 月桃の実は、インドネシアのバリ島に行ったとき、現地のハーブマーケットでなんとかカルダモン(呼称を忘れた)として売られていた。なお、ボタニカルガーデンの縮砂の項目(参照)に「漢方の縮砂とは別物」とあるが話は逆ではないか。
 花の芳香は、ムーチーの葉(かーさ)を蒸したときも同じで、この香りを嗅ぐとウチナーンチュはムーチーを思う(ウチナーンチュにしてみるとあまり月桃の花の香りを楽しむことはないようだが)。稀代の食通古波蔵保好の「料理沖縄物語」(絶版)には、むーちーが蒸し上がる風景をこう描いている。


わたしは、かまどのそばで、この芳香を堪能しながら、蒸し終わるのを待ったものだ。子供のころの楽しかった思い出に、きまって「さんにん」の香りがつきまとっている。

 ある年代以上の沖縄の人にとてむーちーというのはそうものなので、今日はオバーたちは一生懸命にむーちーを蒸し上げて宅配便で内地に送り出す。これで郵便局が月桃臭に満ちるほどだ。そして明日、本土にいるないちゃーは「こんなに喰えないやっさ」とか思いつつ、飯前にむーちーをひたすら食べる…。この季節は沖縄が一番寒い季節なので、「むーちーびーさ」(むーちーの寒さ)とも言う。
 「料理沖縄物語」にはむーちーについての興味深い話がいろいろある。昔は餅米を石臼で挽いて作ったらしい。作業を読んでいるとソテツの実の晒しにも似ているようではある。また、むーちーには愉快な伝説もあるのだが、ここに書くのは控えよう。
 沖縄のむーちーの由来は中国によるもだと思われている。だが、本土でも八日餅、八日団子の風習があり、私は行事は本土由来ではないかと推測している。しかし、現在のムーチー自体は、これはインドネシアやマレーで地元を旅行した人なら誰でもわかるが、この起源はクエ・ピサン(Kue Pisang)だろう。
 クエ・ピサンは、名前のとおり、クエ(菓子)をピサン(バナナ)の葉で包んだものだが、正確にはクエ・ピサンのピサンは内に入れるバナナのことかもしれない。よく見かけるのは、米粉にココナッツミルクと砂糖を加えバナナと一緒にバナナの葉で包んだ蒸し上げたものだ。月桃の葉は、おそらくダウン・パンダンの代用なのだろう。
 沖縄のチャンプルとインドネシアのチャンプールが同源であることは疑いようもないが、沖縄の民衆文化の伝承は表面的な歴史研究からまだまだわからないことがあるのではないかなと思う。

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2005.01.16

対流圏オゾン

 先月6日の話だが海洋研究開発機構が"過去約30年間に我が国上空の対流圏オゾンが広域で著しく増加"(参照)という発表を行った。この研究に関わった秋元肇プログラムディレクターの話を昨年ラジオで聞いて、なんとなく気になっていたので、この話をネタに少し書く。
 話は該当の発表を読むほうが早いかもしれないのだが、この話は少し難しい。


独立行政法人海洋研究開発機構(理事長 加藤康宏)・地球環境フロンティア研究センター大気組成変動予測プログラムの秋元肇プログラムディレクターとマニッシュ・ナジャ研究員は、長期にわたるオゾンゾンデデータの解析から、1970年から2002年の約30年間に我が国上空の対流圏オゾン(注1)が広域にわたって著しく増加していることを明らかにした。この原因として、東アジアの大陸起源の窒素酸化物放出量の上昇が、光化学反応が活発な春から夏に風下側の我が国のオゾンを著しく増加させてきたことが示唆された。

 問題の対流圏オゾンだが、テキスト中にある注釈参照ではこうだ。

対流圏(地表)のオゾン:対流圏では、自動車や工場等から排出される二酸化窒素(NO2)が、太陽光により酸素原子と酸素分子に分解され、オゾンが形成される。光化学スモッグの主な原因で、人間の健康や農作物・森林などにとっても有害な大気汚染物質。IPCC第3次報告書では二酸化炭素、メタンに次ぐ第3の最も重要な温室効果ガスであるとされている。

 それでも少し分かりづらいかもしれない。というのは、ここで話題となっている対流圏オゾンは、よく環境問題で取り上げられるオゾンホールなど成層圏のオゾンとは違う。対流圏・地表というのは地上から10kmくらいまでの上空を指す。
 対流圏オゾンは、二酸化炭素、メタンに次ぐ第三の重要な温室効果ガスとされているが、ちなみに、温室効果ガス(GHG:Greenhouse Gas)には、二酸化炭素(CO2)、メタン(CH4)、亜酸化窒素(N2O)、対流圏オゾン(O3)、フロン(CFC:クロロフルオロカーボン、HCFC:ハイドロクロロフルオロカーボン、HFC:ハイドロフルオロカーボン)がある。農業・酪農はエコ的なイメージあるが、実際にはメタンや亜酸化窒素をけっこう吐き出す元凶でもあるので、困ったことだ。
 対流圏オゾン、つまり、私たちが日常接するオゾンガスは、こうした温室効果以外にそれ自体が有害でもある。先の注釈にもあるように光化学スモッグの原因になる。
 こうした環境問題が認識されると、脊髄反射のように稚拙なエコ運動みたいなのが連想されるのだが、では、どうやって対流圏オゾンを減らしたらいいのか、とかね。私たちはどう取り組むべきか…というのが、すでにトラップなのである。
 状況はこうなのだ。

我が国ではほぼ横ばいないし減少しているが、中国における放出量は増加し続けている(図3)。これらのことから中国や韓国など大陸起源の窒素酸化物放出量の上昇が、光化学反応が活発な夏季に風下側の我が国のオゾンを著しく増加させてきたことが推定される。この研究結果から、我が国の光化学オキシダント問題の解決のためには、東アジア全域における対策が必要であることが示唆される。

 単純に言って日本の問題ではないのである。今回の研究は全世界レベルで行われているので地球視野で見るなら東アジア全域の問題ではあるのだが、実際にこの環境問題で苦しむ日本の側から見ると、中国や韓国など大陸起源の窒素酸化物放出量でもある。日本国内で見るなら窒素酸化物や炭化水素の排出量は横這いか減っている傾向にある。国内努力の問題ではないな。まいったな、ということだ。
 こうしたスジで考えればどういう対処があるべきかは明白なので、エコ命のみなさんには活動の方向をとちくるわないでとお願いしたい。
 話が重たいので関連したトリビア的な余談で締めたいのだが、これも先月21日のロイター・ヘルスのニュース"Smelling Citrus Oils Prevents Asthma in Rats"(参照)が面白かった。柑橘系のエッセンシャル・オイルがネズミの喘息を予防するというのだ。ずばりネタじゃん、という感じだが、読んでいくと、これが私たちが触れるオゾンに関係しているというのだ。

Study author Dr. Ehud Keinan explained that the citrus ingredient is called limonene, and it likely protects against asthma by "burning" inhaled ozone, which can increase inflammation in the lungs.

 つまり、オゾンが間接的に喘息の引き金となるのだが、そのオゾンを柑橘系のエッセンシャル・オイルの香りがオゾンを防ぐのだそうだ。
 ほんとかねという感じだ。実験は人間じゃなくてネズミでしょ?とも言えるが、他生物から見れば人間とネズミは近い動物でもあるので、そうかもしれない。ま、こちらは、あまりマジにとらないでねの愉快な話だ。

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2005.01.15

NHK従軍慰安婦特集番組の改変問題って問題か?

 NHK従軍慰安婦特集番組の改変問題だが、なんでこんなのが今頃話題になるのか、というか体制左翼と自民内部の一派が組んで安倍晋三潰しをやっているのか、そのわりにはお粗末なトリックだなとスルーしていた。粗方、問題は収束したのではないかとは思うが、どうなのだろうか。
 私がこの話を知ったのは13日の朝日新聞社説"NHK――政治家への抵抗力を持て"(参照)だった。


 自民党の有力政治家がNHKの幹部に放送前の番組について「偏った内容だ」などと指摘し変更を求めていた。4年前、旧日本軍の慰安婦問題を取り上げた番組に対してのことだ。
 ひとりは安倍晋三幹事長代理。当時は森内閣の内閣官房副長官だった。政権中枢にいたが、「国会議員として言うべき意見を言った」と振り返る。もう一人はいま経済産業相をしている中川昭一氏である。
 この事実を内部告発したのは当時、番組制作にあたった現場責任者だ。内容を変えるよう指示があったのは両議員の意向を受けてのことだとして「放送内容への政治介入だ」と訴えている。
 国会はNHKの予算や決算を承認する。しかも政権を担う政治家だ。自らの影響力を知っているからこそ、放送前に注文をつけたのだろう。このような行為は憲法が禁止する検閲に通じかねない。

 朝日新聞の社説では「この事実を内部告発したのは」とあり、すでに事実認定されているようだが、どういう認定プロセスだったのか、今後批判検討が必要になるだろう。
 現時点の事実としては当事者のNHKからの調査のほうが信頼性があるだろう。NHK"NHK 見解をまとめ発表"(参照)ではこうまとめている。

4年前にNHK教育テレビで放送された「戦争をどう裁くか」というシリーズ番組のひとつについて、自民党の安倍晋三氏と中川昭一氏が放送前にNHKの幹部を呼んで放送の内容に偏りがあるなどと述べたと報道されたことについて、NHKは改めて調査を行いました。その結果まず、NHKの幹部が中川氏に面会したのは放送前ではなく放送の3日後であることが確認されました。また安倍氏についても放送の前日ごろに面会していましたがそれによって番組の内容が変更されたことはありませんでした。この番組については内容を公平で公正なものにするために安倍氏に面会する数日前からすでに追加のインタビュー取材をするなど編集作業を進めていたものです。さらに番組の当時の担当デスクが記者会見して政治家と面会したことなどの経緯を「会長に逐一伝えた報告書が存在する」と述べましたがそうした事実もありませんでした。

 もともとこの古くさい話が蒸し返されたのは、当事者の告発がすべての話の発端ではなく、いわゆる新規燃料投下にすぎなかった。このことは、これも4年前2001年7月24日付け"なぜNHKを提訴するのか ―「女性国際戦犯法廷」番組改ざんの責任を問う 裁判の目的と意味"(参照)からわかる。興味深いのは、「改竄」過程としてこう触れられている点だ。

その後明らかになったのは、12月27日に制作された番組を1月19日に見た担当部長が「法廷に距離が近すぎる」と修正を命じ、その結果24日にできた完成納品版をさらに修正した台本で28日出演者の一人にコメントの取り直しをさせ、同日わざわざ右翼学者のインタビューを急遽追加して、「法廷」たたき、「慰安婦」たたき発言をさせたのです。それを番組にいれたものを試写で見たNHK上層部は、さらに、修正を命じたため、30日放送ギリギリまで、番組は切り刻まれ、「法廷」を記録するのではなく、批判する番組に変わっていたのです。まさにNHK上層部の製作現場への直接介入で 改ざんされた番組が放送されのです。

 つまり、「改竄」に関しては安倍晋三の関わりがあるとすれば日時的に面会ではありえず、「数日前からすでに追加のインタビュー取材」ということになるが、経緯を見る限り、NHKの側から「改竄」プロセスというかただの編集の追い詰めになって、「これでいいかぁ、うるさそうな安倍ちゃんにOKとっといてよ」ということだったのではないか。私の想像だが、この経緯を、四年後になって、「これって、安倍晋三のトラップに使えるかも」ということではないのか。いずれにせよ、安倍側からの強い関与であるとは考えにくい。
 資料がてらだが、当時の状況は2ちゃんねる"NHKが極左団体に加担!女性戦犯法廷特集を放送!"(参照)が詳しい。また、産経系「正論」"「女性国際戦犯法廷」の愚かしさ"(参照)が興味深いといえば興味深い。これらのソースは、「女性国際戦犯法廷」に対して否定的な見解のてんこ盛りだが、もともとこの「女性国際戦犯法廷」の「法廷」とは名ばかりで、弁護が存在しないという中世暗黒裁判みたいなそら恐ろしいしろものであった。いや、中世暗黒裁判でも悪魔の代理というのがいたかと思う。いずれにせよ、法廷を名乗るなら、弁護を付けろよ、洒落にもなんねーよと思う。
 今回の事態は、NHKの報道に政治介入があってよいのか、ということだが、介入というより公金で成り立っているメディアなのだから、弁護側のない法廷みたいな番組を垂れ流すとしたら、それをどうやって是正するかということで、その是正手段がすべて政治介入ということでは話にもならない。今回の問題で糾弾の先頭にあると見える社民党福島瑞穂もNHKではないが、テレビ番組会社に詰問状を出している(参照)し、そういうプロセスは普通のことではないか。
 総じていえば、体制左翼もこんなチープトリックを繰り出すとは、ここまで焼きが回ったかというか、情けなくなる。アフリカ問題などもっとグローバルな人権問題に取り組めよと思う。
 それと折角古くさい問題が蒸し返されたので思うのだが、この番組のネタを作ったNHKエンタープライズ21(参照)ってなんだ? 決算、役員、株主のリンクが死んでいるみたいなんだけどね(追記:通常のリンクではなくJavaScriptで開くようになっていました)。おまけはドキュメンタリー・ジャパン(参照)ってどうよ、かな。

追記(2005.1.17)
ドキュメンタリージャパンから次の声明が出た。
「長井氏の会見に関する「朝日新聞」記事中の事実誤認について」(参照


2005年1月13日の長井氏の会見を報道した朝日新聞1月13日夕刊の記事の中で、弊社に関係する下記部分に関し、重大な事実誤認が2カ所あると考えます。
 長井氏の発言がそのまま活字化されているのか、朝日新聞記者による加除があるのか、定かではありませんが、いずれにしろ事実とは異なることを明確にしておきたいと思います。

 内容は2点。なお、NHKエンタープライズ21のチーフ・プロデューサーは池田恵理子氏。
(1)朝日新聞はこの番組を企画したのはドキュメンタリージャパンだとしていたが、実際はNHKエンタープライズ21のチーフ・プロデューサーからの強い要請によるものであり、企画も協議によって成った。
(2)ドキュメンタリージャパン視点が主催団体に近かったということはなく、当初の作品は主催団体に近い考え方の要素だけでなく、別の視点の要素も盛り込んだ構成案だった。これをより法廷を主にした内容で行く方針を打ち出したのは、NHKのチーフ・プロデューサーと長井氏だった。

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2005.01.14

Mac MiniとiPod Shuffle

 こんなネタを私が書くのはどうかなと思うが、古いMacユーザーでもあるし、とりあえず歴代のMacを使いながらAppleを見続けてきたし…、昨日付のニューヨークタイムズ"Apple Tries to Break Out"(参照)などでも話題にはなっていたし、というわけで、ちょっと思うことでも。

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Apple Mac mini
1.42GHz,80G
 Mac Miniにはちょっと驚いた。やるなぁと。技術的に見れば、こんなのどこのメーカーだって作れるし、価格的にもそれほど安いものでもない。先のニューヨークタイムズでも指摘しているとおりだ。

The $499 is misleading because it does not include a monitor, keyboard, mouse and other needed items, but the sticker price may get the attention of some Microsoft users, particularly the millions of people who have been introduced to Apple through iPods.

 でも、こういうマシンを作り出すのはジョブズだけの英断だろう。要は技術の問題ではない。こういうマシンが必要だと見なすところがすごい。Mac miniは、iPodだのiPhoto、iMoveだのをファミリー・ユースで使うためのセンター・マシンとして最適だ。ニューヨークタイムズも、iPodから入るアップルユーザーに視点を置いているのは頷ける。
 現状のiMacではあまりにもパソコンめいているし価格的にも高すぎる。Mac Miniなら、リビングに置いておくのにもいいだろう。ディスプレイは液晶TVとの兼用でもいけるか。いずれにせよ、OSだのを意識させないで用途に徹しているマシンというのがなによりいい。
 対照的に、家電志向とはいえ日本のAVパソコンにはこういうのがない(あっても売れないのはわかるが)。あまり言われなくなったが、昔のシャープのX68000のように自社でパソコンを作るということも日本から消えてしまって久しい。嘆かわしい。
 Mac Miniのコンセプトで気になるとすれば、日本人の感じからすると、どうしてもテレビとの統合というのがあるだろう。つまり、AVパソコンならハードディスク・レコーダーとの融合というのが日本ではニーズとしては高いように思う。
 しかし、そこも考えようで、Mac Miniでも思うのだが、コンテンツというのが基本的にCDやDVDのようにセルのパッケージになるのだと割り切りがある。そのうえで、こういうMac Miniみたいな割り切った作りにすれば、逆に今の日本のAVパソコンに求められるTV番組HDレコーディングからDVD焼き、そしてレンタルDVDのリッピングからエンコードみたいな泥臭いニーズを覆い隠してしまうメリットもある。コンテンツ市場的にもさすがジョッブズ様という感じなのではないか。
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iPod 40GB
 iPodについては、私もようやく使いだして、いろいろ思うことがある。これもやはり、コンテンツ志向だなと思う。技術的には、iTunesだとiPod側からのファイルの引っこ抜きはできず、本体側に音楽のデータベースをまさにベースとして作るようになってはいるものの、ファイルはMP3だし、やる気なれば引っこ抜ける。それでも、それはイレギュラーな使い方だし、コンテンツ志向の構成になっているならこそ、ユーザーもまずは自分のための音楽のデータベースの構築が強く意識させられる。今回のMac Miniもそういうベース機能の面から構想されているのだろう。
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iPod mini 4GB
 そうしてみると、iPodのユーザー側の最大のタスクは、自分の持っている全CDを整理するということになる。iPodを使うということは、自分の持つCDコンテンツをデータベース化するということでもあるわけだ。
 私なぞ一時期までのユーミンの全曲を持っているのだが、さすがに今は聞きたくもない。そういうちょっとまだ聞くのはねというのを除いても、CDとしては100~200枚といったところをすでに持っている。そのあたりが取りあえずのユーザーのモデルとなるだろう。CD一枚に各10曲として概算すると2000曲を聞きこなすわけだ。それがフツーのiPodのユーザー層の持ち曲の数とすると、容量的には10GBもあれば足りる。実際にはこの半分でもけっこう大丈夫だし、年期の入らない若い層なら、4GBのiPod miniでもいいだろう。先のニューヨークタイムズの言葉を借りるとこんな感じだ。

But an iPod with a two-digit price tag has a lot going for it. And perhaps there are actually lots of potential iPod users out there who have been discouraged from entering this market because they just don't feel a need for 5,000 songs.

 コンテンツ側の視点に立つと、CDを一枚2500円とすると100枚で25万円。200枚で50万円くらい。そんなものかな。年間20枚買って10年のライブラリーということでもある。単純にいえば、年間5万くらいCDを買えよ、ということでもあるし、あるいはダウンロード販売でもその程度のカネを曲に使えよということだ。iPodはCDコンテンツ販売のインフラでもあるわけだ。
 だから、iPodはその本体の価格帯というより、CDの価格帯とその保有の問題になる。200枚を越えるCDを実際に聞き回わすテクノロジー(そのためにカネを叩かせる)としては、iPodはまさに画期的な製品だった。実際に使ってみて思うのだが、耳に白いイヤホン突っ込む以外に、オーディオ装置に接続して半日聞いているということも多い。カーオーディオのニーズも高いというのも頷ける。
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iPod shuffle
 だからというか、今回のiPod Shuffleについては、ニューヨークタイムズのようになるほどというのと、ちょっと違和感もある。何が次の曲かわからないスリルというのは、そういうのもアリだとは思う。実際の米人のiPodの使い方でもそうだし、日本でも同じかとも思うが、いくつかプレイリストのセットを作って切り替える。だから、そのプレイリストを切り出せばiPod Shuffleになるというのはわからないでもない。
 でも、私などは、ラフマニノフと宇多田ヒカルがシャッフルされても困るし、そう音楽ばかり聴いているのも疲れるので、iPod Shuffleの魅力は感じない。このタイプの小物で欲しいとすれば、マシンを介さずにダイレクトでエンコードできてかつFMチューナー付きのD Cubeみたいのがいい。これにAMがついて操作が簡単なら老人にも向くと思うのだが。
 エントリとしてはそういうこと。つまり、こういうマシンをジョッブズ様が創造してくださったおかげで(洒落の敬語だよちなみに)、コンテンツ側のインフラが整備された、と。ま、それでいうなら、PSPにDVDが入るといいのかもしれないのだが…(だめだめでしょう)。

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2005.01.13

すごいぞ、中国国際ビジネス

 APニュース"China Finds Widespread Cheating on Reports"(参照)がちょっと気になった。中国の国際ビジネスでは不正会計がかなり横行しているだろうなというのと、先月の中国航空油料集団のその後の話題なのかという、当方の予断があるからなのだが。
 該当記事はAP系のニュースでもあるし、新華社もかんでいるので、国内にも情報が入っているだろうとサーチしてみると中国情報局というサイトに類似の記事"中央企業80社不良資産比率10%超、不正行為も"(参照)があった。邦文のほうが読みやすいから、こちらを引用する。話は、中国の国有資産監督管理委員会(国資委)統計評価局の孟建民局長が、直属(国営ということだろう)181社の内、80社で不良資産比率が10%を越えていたというのだ。


 孟・局長は、180社のうち、120社が一部の財務データを会計監査報告書に記載していなかったことや30社でずさんな会計監査が行なわれている現状を指摘。さらに13社では、企業が発表した財務データの監査報告結果と現状が大きく異なること、13社で会計監査報告に技術上の問題が生じていることが判明した。
 企業の会計監査報告の質的レベル低下の原因として挙げられるのが、監査法人による不正行為。直属企業181社は、300社あまりの監査法人に会計監査を委託しているが、「利益至上主義」である監査法人は、監査の段階で企業の不正行為に手を貸すこともあるという。

 というわけで、国際ビジネスにおける中国企業の会計監査の不正はかなり深刻なようだ。というか、国際ビジネスが分かっているのだろうか、中国?という印象もある。
 このページからは関連ニュースのリンクがあり、"中央企業の資産損失計3000億元、管理強化へ"(参照)ではこう伝えている。

 中国の国有資産監督管理委員会(国資委)は、直属する中央企業181社の資産損失が累計で3177億8000万元にのぼり、資産総額の4.2%を占めていることを明らかにした。今後は各企業に対して、予算管理やリスクマネジメント、内部監査などの強化を求めていく。16日付で中国新聞社が伝えた。
 この損失額に、これまで中国財政部が審査して認可した約1000億元を含めると、中央企業による不良資産比率は5.4%に膨れ上がる。

 率直にいって私にはこのニュースの意味がよくわからない。が、時系列に見ると、シンガポールでの中国航空油料集団のデリバティブ問題の派生であるようには思う。
 この事件は日本で報道がないわけではなかったが、10年前のベアリングス社事件ほどには、それほど注目されなかったのが不思議な感じがした。規模がベアリングス社事件の三分の一ほどだし日本もかんでいなかったからということかもしれない。いちおうニュースとしては日経"中国航空油料、石油デリバティブで560億円の損失"(参照)をひいておく。先月の2日のものだ。

【香港2日共同】中国の航空燃料を扱う国営燃料供給大手、中国航空油料集団の子会社で、シンガポール証券取引所に上場する中国航空油料は2日までに、石油のデリバティブ(金融派生商品)取引などで約5億5000万ドル(約560億円)の損失を出したことを明らかにした。
 一部メディアはインサイダー取引の疑いもあると伝えている。シンガポールを舞台にした投機的取引で英国の名門投資銀行旧ベアリングズ社が破たんした1995年以来の金融スキャンダルに発展するとの見方も出ている。

 類似のニュースだが、共同系"中国企業の不正発覚相次ぐ 容易でない体質改善"(参照)もクリップしておく。

 【北京28日共同】中国で大手企業トップの不正行為発覚が相次いでいる。中国政府は企業統治の重要性を再三訴えているが、同族経営による私物化など問題の根は深く、不透明な企業会計の改善は簡単ではなさそうだ。


続いて国営の航空燃料大手、中国航空油料集団のシンガポール子会社、中国航空油料が、石油のデリバティブ(金融派生商品)取引で約5億5000万ドル(約567億円)の損失を出したことが明るみに出て、陳久霖・前最高経営責任者(CEO)が12月8日に逮捕された。

 日経が触れていたインサイダー取引問題だが、本国側がどうなっているのかが気になる。関連の話としては旧聞だが産経系"シンガポールの中国系企業で経済事件相次ぐ 上場誘致に影響も"(参照)がある。

 親会社の中国航空油料集団が10月20日、CAOの持ち株15%を機関投資家に売却したが、その10日前にCAOから巨額損失の報告を受けていたとされ、インサイダー取引や情報公開規定違反の疑いが浮上している。

 その後のこの問題の経緯の報道がよくわからないが、昨日のNHKのラジオを聞いていたら、インサーダー取引問題はその後も継続的に調査が進められているようだ。
 ところで、5億5千万ドルの損失をするのかだなのだが、中国本土側の補填はないらしい。つまり、債権者は放棄を迫られることになるようだ。すげー。

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2005.01.12

未婚男性急増といったことから

 SPA(1/18)の特集「独身オトコの肖像」をめくりながら、昨日しばしぼんやり考えた。副題に「マジで急増中!!」とあるが、身の回りを考えると、それがある意味フツーなので、それほど違和感はない。それでもSPAとしてはこれがネタになるなと踏んだのだろう。煽りを追うとこうだ。


Over35
紀宮さま&黒田さん(39歳)婚約内定で考える
35~39才男性の26%にのぼる未婚者の「彼女いない歴」からオナニー頻度までを本邦初調査!

 内容は、企画先にありきの取って付けたような出来合いの仕上がりなので、特に読み応えとか新奇性はないように思えた。というか、違和感が残った。実態がこの特集ではよく見えないというのもあるし、そろそろマーケットのシフトということかなという感じもした。単純な話、SPAという雑誌のターゲット層をそのまま5歳くらい上にシフトするのだろうか。他も同じく。
 話題を当の「独身オトコの肖像」という点に戻すが、私には特に結論のようなものはないといえばないし、あると言えばある。と言った手前、その結論を言うと、これって単純に所得の問題ではないのかということだ。これは、特集でインタビューされている、れいのパラサイ用語を出した山田昌弘東京学芸大教授の結論でもある。

 まず、35~39サイで独身なのは、どういう男性なんでしょうか。
「ズバリ、収入が低い人ですよ」
……二の句も継げぬシビアなお答え。実際、下のグラフのとおり、年収と未婚率はきれいに相関する。

 というわけで、いかにもという棒グラフも記事には掲載されている。そして、これはこれで終わりという感じはする。
 晩婚化とか少子化とかあるいは二子目をなぜ産まないのか…というのは、ワークシェアというような女性参画社会の問題というより、単に男性の所得の問題か? このあたりからちょっと迷路に入る気がする。
 当然ながら昔のほうが収入が低かった。しかし、結婚はしていた…と書き出すにこの話題はなにか全然外している感じがする。そういうことではないのだろう。
 単純なところ、というか、ごく当たり前に、幸福なりは可処分所得に比例している社会になったのだから、それを長期的に可能にする状態への希求が起こるのは当然のことだろう。
 露骨な感じでいうと、「人並み以下の生活はいやだな」という感じだろうか。その人並みはもちろん幻想といえば幻想だが、そこから抜け出せない現実といえば現実でもある、ということだ。
 話はずれるのだが、最近では私も引きこもっているせいなのか、周りで新興宗教の人々と会う機会はない。ものみの塔の人と愉快な神学論争をする機会も減った。が、ああいう共同体の中で半分隔離された現実的幻想あるいは幻想的な現実があれば、所得とかに比例した幸福みたいな基準からはかなり解放される。そういうものなのだと思う。
 もう10年以上も前の話題になるのだが、当時は原理教やオウムからどう子供を奪回させるか、マインドコントロールを解くかという話が賑わっていた。私は、違うよ、そういう思い込みというか思想の問題ではない、コミュニティの問題なのだ…と説得した。そう、そんな相談にそう答えたことがあったなと思い出す。帰るべきコミュニティがなければ帰れないものだ。もともと擬似的にですら帰属するべきコミュニティをそこに見た人々は、なんというか、私には外人みたいなものだ。私の所属する社会とは関係ない幸せを持つ人々…。
 話がだいぶずっこけたが、子供の教育費を含め、幸福なりが可処分所得と消費に構造化された世界のなかでは、そこから落ちこぼれていく人がいるというのは、まさにその構造の特性なのだろう。で、終わり、という感じがする。そこを出るということは、マイルドであれそうした構造に対立するという意味でカルト的なコミュニティへの所属希求になるのだろう。が、それが上位の一般社会を覆うことはない。
 そして、たぶん、人は自分の死をリアルに観念するまで社会的なありかたと自分の人生とは違うものだ、という精神的な自立というのはない。
 なにも自立せよというような偉そうな話ではない。精神的な孤立などたいていの人はできない。それでも、人は現実的にはどういう状況であれ自分の死を受け入れるという意味でみな孤独に死んでいくものだ。
 なんか臭い言い方だが、そうした中で自分の生を繋ぐ幻想に過ぎないとしても、子供でもいたらなぁという幻想はたぶん、かなり、社会依存よりも強固なものとしてあるようには思う。まぁ、家族ってやつですか。希望的に言えば、というか、今の私の生活感からすれば、都市部では、静かにそういう家族を大切に生き始めている人々が弱く社会正義を支えているように思う。それがメディアから、つまり、消費社会の側から可視になる契機があるのだろうか、よくわからない。

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2005.01.11

国連ヴォルカー調査が発表された

 イラク石油食糧交換プログラム国連不正疑惑についてのヴォルカー調査が10日付けで発表された。この問題をワッチしてきた人間にとって驚くべき新事実は含まれていない。予想どおりとも言える。つまり、不正疑惑の解明にはなっていない。
 しかし、ヴォルカーを任命したのは国連トップのアナンであることから、イラク石油食糧交換プログラムについて国連に重大な不手際があったことを国連自身が認めた形にはなった。問題が存在することは歴史に刻むべく明白になった(問題の全容はわからないが)。つまり、それが今回の事件なのだ。英語圏の各主要ニュースを処理したGoogle Newsでは昨日から現在にかけてこのニュースを国際面でのトップ2位で扱っている。
 が、日本では、かろうじて毎日新聞でベタ記事が出ただけのように見える。本来なら今朝の新聞各紙は社説でこの問題を扱うべきだろう。NHKも触れるべきだろう。扱いは明日になるのだろうか。なぜそんなに遅れる。
 八つ当たりのようだが、ホームページやブログなどで、米国の不正を暴くみたいなことをやっている人も、イラク石油食糧交換プログラム国連不正疑惑を扱ってきただろうか。イラク戦争は大義なき戦争だという人も、その審判者の不正を看過してどうするというのだ。と、しかし、すでにそうした次元の問題は終わっているのである。そう、問題はすでに変質している。
 とはいえ、まず、毎日新聞ニュース"イラク不正疑惑:石油と食料交換プログラム、ずさん管理"(参照)から、ニュースの確認をしよう。


国連経済制裁下のイラクで、人道支援を担った「石油と食料の交換プログラム」に絡む不正疑惑を調べている独立調査委員会(委員長、ボルカー前米連邦制度理事会議長)は10日、国連の内部監査結果を公表した。

 国連高官の不正などの証拠は含まれていないものの、同プログラムを監督していた「イラク・プログラム」事務所が水増し請求などずさんな運営を見過ごしていた実態が明らかになり、同委員会は「国連の内部監査では適切な監督が行われず、勧告も無視されてきた」などと指摘した。


 ほとんどベタ記事だし、また今回の報告では国連不正の全容が明かになったわけではないが、端的に言えば、イラク制裁は国連の不正によって骨抜きにされていたというのがその意味だ。そこがはっきりとは記事に書かれていない。それどころか、「米国の共和党勢力などを中心に国連批判が改めて強まりそうだ」とか「今回の内部監査公表は米議会などの不満を沈静化する狙いもあるとみられる」など、政治面での影響についてコメントが付いているだけだ。
 スマトラ沖地震津波支援でも国内報道は、米国の単独主義かとミスリードし、数日後に米国も国際協調に流れを変えた、などと言っているが、流れを見る限り、アナンの首をつないだ時点で国連と米国政府のお手打ちは済んでいるのである。籠絡されたと見ていいのではないか。むしろ、そのほうがなんぼか米国の危険性が増すと警戒したほうがいいくらいだ。
 英米圏でのこの問題に対する状況はGoogle Newsを見てもいいし、大抵のメディアでまだトップに近いニュースになっているのだが、典型はニューヨークタイムズ記事"Panel Reports Lapses in Oil-for-Food Program"(参照)だろう。
 まず、これがスキャンダルだという点をしっかりとらえておく。

The release of the confidential documents shows with new depth the loose financial controls over the sprawling program, which has become a major scandal at the United Nations.

 次に、毎日新聞の記事では「国連高官の不正などの証拠は含まれていないものの」とぼかしてたが、ニューヨークタイムズなどはもう少し問題の含みを厳しくとらえている。

While neither the audits nor the accompanying briefing paper from the commission contain allegations of bribery or corruption by United Nations officials, the audits make clear that many of the deficiencies were known in the late 1990's, at a time when indications of corruption of the program by Saddam Hussein and others were also reaching the United Nations.

 この不正はフセイン統治と深く関わっていたと見ていい。この記事では今回のヴォルカー報告が予定より早く提出されたことの裏への示唆やクルドへの示唆も多少あるが、当面重要なのは、ヴォルカーが結果的にフカシたな、というあたりだ。このあたりは、VOA"Oil-for-Food Audits Reveal UN Mismanagement"(参照)がすっきり書いている。

In an interview with the New York Times newspaper last week, Mr. Volcker said the first part of his investigation, into possible wrongdoing by U.N. staff, had not turned up any clear evidence of criminal activity.

 つまり、ヴォルカーは不正解明にはタッチしないよということだ。参照されているニューヨークタイムズ記事は"Volcker Highlights Smuggling Over Oil-for-Food in Iraq Inquiry"(参照)だろうか(AP系なので)。すでに無料閲覧はできないようなので、"Volcker Highlights Smuggling, Over Oil-for-Food in Iraq Inquiry "(参照)を参照されたい。

Mr. Volcker, a former United States Federal Reserve chairman, said there was a lot of confusion between money from smuggling and money obtained illegally under the now-defunct oil-for-food program, and he refused to give any estimates. "The big figures that you see in the press, which are sometimes labeled oil-for-food - the big figures are smuggling, which took place before the oil-for-food program started and it continued while the oil-for-food program was in place," he said, according to a transcript obtained Monday by The Associated Press.

 これ以上ヴォルカーを責めてもしかたないようにも思うし、ようするにそのあたりのお手打ちが米国と国連の間だでできていると見たほうがいい。早々に"米ハリバートン、イランの大規模ガス田開発に参加か"(参照)といったニュースが出てくるのも芳しすぎるようにも思うが。
 さて、この流れで、月末のフェイクなイラク選挙で一定のケリが付くのだろうかというあたりで、当方のちょっと胡散臭いスジの読みを書いておきたい。あまり楽しい陰謀論というほどでもないが。
 イラク戦争のいわゆる大義の問題はある程度米国としてもわかっていて突っ込んでしまった面はあるだろう。ブレアもわかっていたのではないか。なぜあの時点なのかという点はわかりづらいし、結果としてIAEAが正しいとしても、その後のIAEAを見てもわかるようにIAEA自体もきな臭い政治的な意図を持つ。ただ、いずれ、国連が審判者ではなかったことから、イラクの石油が国際的な石油市場を揺るがす可能性はあった。これにユーロ決済の問題がどれだけからむのかは陰謀論めいた感じがするものの、日本としてみれば、のほほんと繁栄していられるのは石油が市場を通じて提供されるからで、現在中国が奮闘中の、国際ルール無視の石油調達が主流になれば日本は一巻の終わりである。とすれば、イラク戦は結果として日本の死活問題だった。
 多極化世界とは名ばかりであり、イラクを籠絡していたフランスやロシアなどによる、石油市場の混乱要素がこれで是正されるとしても、それは結局のところOPEC体制の立て直しでしかない。だが、イラクを正常な市場に奪還する米国は、結果としてOPEC解体を志向せざるをえなくなるはずだった。単純な話、現在世界では石油はなんといってもサウジからじゃぶじゃぶ出しているから統制が可能だが、イラクから非OPECの石油がじゃぶじゃぶ出ていいものだったのか。それが仮に米国統制下に置かれたと見えてもだ。
 というのは、いずれこうした統制はかつてのメジャーが無力化されたのと同じ経過を辿るはずだ。このシナリオは、もうあまりに過ぎ去ったことになるのかもしれないのだが、米国のサウジ離れの国策とも関連していたはずだ。
 だが、昨年後半から投機の名目というかシカケで原油が高騰した。無鉄砲な高騰はすでに鎮静したし、中国でも現状は市場から石油を調達しないといけないから、ある程度の高値留まりはしかたないだろう。いすれにせよ、これはサウジを利した。ちょうど米ドルの下落補正であるかのような具合なのが笑っていいのかよくわからない。
 イラクが非OPECの流れの本流となる可能性は減った。イラク戦後の混乱で随分と遅れたからだ。おかげでサウジは大笑いだし、それを結局、ブッシュ王朝が支えていたのだろうかとも思える。と、たいした陰謀論ではないにせよ。
 話が国連疑惑から逸れたようだが、国連はこうした愉快な世界に組み込まれていくことになるだろうか。それで済むものなのだろうか。世界はテロとの戦いとかいうストーリーで覆われているが、むしろこの愉快な世界を不愉快と見る勢力との戦いなのではないか。

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2005.01.10

[書評]雷のち晴れ(アレクサンドル・パノフ)

 書評という話ではないが、結果的に書評的になるかもしれないこともあり、エントリ・タイトルはこうしておく。

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雷のち晴れ
日露外交
七年間の真実
 話の枕に昨日の朝日新聞社説"日本とロシア――この空回りをいつまで"(参照)を借りる。この朝日新聞社説では、このところの日露関係のまずさを嘆いているのだが、なんとも奇妙な話に思えた。彼らの言い分はこうだ。

 ボタンの掛け違いがいっきに表面化したのは昨年の秋だ。小泉首相が現職首相として初めて船上から北方領土を視察した。領土問題を政権後半の課題として内外に印象づけようという狙いだった。
 ところが、これがロシア側の反発を招く。なにせチェチェン独立派による旅客機爆破や学校占拠事件のさなかだ。プーチン政権にすれば、領土保全の決意を見せなければならない時に、日本があえて神経を逆なでしたというわけだ。
 11月になると、こんどはプーチン氏が歯舞、色丹両島の返還で領土問題を決着させるべきだと表明し、それが日本側をいらだたせることになった。

 ロシアが反発するとしても、北方領土はもともと日本が自己領土だと見なす地域でありあの程度の視察を問題視することはないだろう。プーチンの言明に日本が苛立つというのも、わからない。ロシアとしては中国との国境問題を解決したのだから、次は日本を進めていくだけではないのか。
 朝日新聞は、中国の口調を真似てか、日本とロシアを見下したような解決をほのめかす。

 ではどうしたらいいのか。日本側は、日ロ関係全体を拡大する中で領土問題を打開していくという、明確な戦略と腹構えを持つことだ。4島の帰属の確認をロシアに求めるにしても、思いついたように口にするだけでは、時の政権の人気取りだと見透かされる。
 一方、プーチン氏の主張はあまりに筋が通らない。その2島返還論は1956年の日ソ共同宣言に基づくものだが、彼は国後、択捉の帰属問題の解決にも触れた4年前のイルクーツク声明に署名している。難しい国内事情は分かるが、そうした身勝手は、プーチン政権への国際的な批判をさらに誘うだけだろう。

 朝日新聞の提言とは逆に、領土問題については、日本はソ連崩壊後、「明確な戦略と腹構え」を持つべく努力してきた。結果的に十分ではない面もあったにせよ、これが頓挫したのは、日本側の要因ではなかったか。2003年まで駐日ロシア大使を勤めた知日派のアレクサンドル・パノフの手記「雷のち晴れ―日露外交七年間の真実」を読むとそう思えてくる。友好の努力のなかで領土問題を解決しようとした日本国内の一派が、別の日本国内の勢力によって駆逐されたようすが伺えるからだ。パノフはこう考えるに至る。

 日本には領土問題が解決されない方がよいと考えている勢力が存在する。私そう判断している。こうした勢力は、ロシアに関係するものには、すべて「生来的に、毛嫌いし、信用せず、眉唾の態度で臨む」という基本的立場に立ち、「領土問題を未解決のままにしておけば、それが日ロ二国関係の一種の”調整弁”として利用できる」と考えているのではないかと推測される。

 この問題は複雑でパノフの見解だけが正しいとは言えないにせよ、それでもこうした経緯をふまえてから朝日新聞も言及すべきだろう。そうでなければ朝日新聞も結果的に偏向に荷担することになる。
 しかし、こうした話はそれほど問題ではない。問題なのは、朝日新聞社説で言及されている所謂二島返還論だ。端的に言って、朝日新聞はどうしろというのか。二島返還論は正しいと言っているのか。正しいけれど筋が通らないというのだろうか。イルクーツク声明と日ソ共同宣言は矛盾するというのだろうか。つまり、四島返還論が正しく、プーチンが領土に固着するロシア国内事情に配慮しすぎるのはよくない、というのか。曖昧だ。
 朝日新聞が韜晦になるのは、「日ソ共同宣言が正当であり、まず二島返還論がある」という認識があるのに関わらず、日本国内の空気に配慮してはっきり言えないということなのだろう。だから、中国外交風に、上っ面のお為ごかしの友好をせいというのだ。
 この問題にもう少し立ち入るのだが、日ソ共同宣言とイルクーツク声明はどういう関係になっているのだろうか。声明文の関連箇所はこうだ。

 一、五六年の日ソ共同宣言が両国間の外交関係の回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。
 一、その上で、九三年の東京宣言に基づき、択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより、平和条約を締結し、もって両国間の関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した。
 一、相互に受け入れ可能な解決に達することを目的として、交渉を活発化させ、平和条約締結に向けた前進の具体的な方向性をあり得べき最も早い時点で決定することで合意した。
 一、平和条約の早期締結のための環境を整備することを目的とする、択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島をめぐる協力を継続することを確認した。

 まずイルクーツク声明で重要なのは、日ソ共同宣言が有効であることが確認されたことだ。よって、自動的に色丹島と歯舞群島は日本に返還される。これは既決事項となった。だとすれば、だからプーチンはそれを実行しようじゃないかと言っているだけのことだとわかる。実に単純なことだ。
hana 問題は、択捉島と国後島だが、これについては協議を継続しましょうということだけで、日ソ共同宣言とそれに付属する色丹島と歯舞群島の返還とは別の話だ。二島返還論が正しいというのではないが、まず最初に二島返還ありき、そして、残りの二島はそれから協議しましょうというだけのことに思える。
 なのに、四島返還がなければ平和条約がないとか、四島返還を言明しないプーチンを責める世論とはなんなのだろうか。そもそも二島返還論とはなんなのだろうか。先の書籍でパノフは興味深い言明をしている。

 さらに付け加えるならば、平和条約の交渉プロセスに関与していた、鈴木代議士、東郷和彦、佐藤優、さらにはその他の日本の外交官達のだれ一人として、ロシア外交官との個人的雑談を含め、いかなるとき、いかなる場でも、歯舞、色丹二島の対日返還だけで領土問題を解決できるというような発言をしたことは一度もない。このことを私は一点の曇りもなく断言することができる。

 二島返還論というのは一種の情報操作なのではないか。
 もっとも、日本としては、地図を見ればわかるように、歯舞、色丹二島を返還されても実質的な意味が薄いことはわかる。それでも、そこにこそ今後の外交努力がある。
 実際のこところ、パノフも指摘しているように、北方領土に関連してかなり大規模な密漁の問題が絡んでいる。

 ところで、ロ日間の貿易事業で、きわめて大規模で、しかも、その参加者に巨額の利益をもたらしている「合弁事業」が一つだけある。この「合弁事業」は、ロシア、日本のいずれにも登記されておらず、その事業内容について何の報告も行わず、さらには税金もいっさい払っていない。
 それは、南クリール諸島の密漁である。

 南クリール諸島とは日本が求めている四島を指す。問題は解決すべきであるがスターリンでもなければ簡単に解決はできない。パノフは本書では四島の現状については触れていないが、先日ラジオで聞いた話では、こうだった。歯舞には人は住んでいない。色丹は、人口は四千人ほどで、北海道東方沖地震でコンビナートの9割が倒壊し、日本の人道支援が頼みになっている。国後は色丹同様。択捉の人口は七千人で、他島の1.7倍の収入を持つ。大学進学率も七割。繁栄しているかに見えるのは、十四年前に設立された水産会社が好調なためで、行政は同社の税収が頼み。また住民の二割が同社に就業している。
 事実上、四島返還とは択捉の問題だろうし、密漁の構造的な問題に加え、一万人ほどの住人と水産会社の対応をどううまく政治・外交的に解決していくかということになるのだろう。
 北方領土の問題はこのくらいとして、先の朝日新聞社説だといかにも日本は対露外交がまずいという印象をぶちまけているが、国際的には逆だ。顕著なのはフィナンシャルタイムズ社説"Diplomatic coup for Japan as Russia picks"(参照)だ。

Russia will by May draw up detailed plans for the financing and construction of an estimated $11.5bn oil pipeline to the Pacific following a decision over the new year to adopt a Japanese-proposed route over one that would have favoured China.

The long-expected decision to build the pipeline from eastern Siberia to the Pacific, from where oil can easily be transported to Japan, will be seen as a diplomatic victory for Tokyo over Beijing.


 れいのパイプライン問題で、フィナンシャルタイムズは、日本は対露外交において中国に勝ったと賞讃している。この話は、先のパノフが日本人に向けて話していたユーモアを思い出させる。

「通常は、日本を代表して皆さんがモスクワにいらっしゃるとき、何をおいても最初におっしゃるのが北方領土と決まっていたのですが、今日この頃は、最優先テーマは石油パイプラインにかわったようですね」

 パイプラインが日本側に決定され背景にパノフの手腕が働いていかについては、今回の本では触れられていない。しかし、今回の決定は、日本外交の勝利というだけではなく、ロシアからの親日本の強いメッセージが込められると理解してもいいだろう。とすれば、それを日本は表面的であれ受け止めるべきだろう。

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2005.01.09

ヒーローものゲームの攻撃性、そんなのどうでもいいじゃないですか

 たるい話題だが、読売新聞"ヒーローものゲーム、子供の攻撃性高める可能性"(参照)を読んで思ったことを少し書いておきたい。話は、標題のように、ヒーローものゲームをやっていると子供の攻撃性が増長されるというのである。心理学的にそうなのだという話で、また、ゲーム脳ですか、とも当初思ったのだが、研究の中心者はお茶の水女子大の坂元章教授であり、彼はゲーム脳にはどちらかというと批判的だ。
 記事を追う。


 6校の児童592人についての調査結果を分析すると、知的だったり、見た目がかっこよかったり、魅力的な特徴を持つ主人公が登場し、攻撃するゲームでよく遊んでいた児童は、1年後に「敵意」が上昇していた。「ひどいことをした悪者に報復する」という、暴力を正当化するゲームでよく遊んでいた児童も同様に「敵意」が高くなっていた。
 これに対して、攻撃回数が多い、たくさんの人を攻撃するなど、暴力描写の程度が高いゲームで遊んでいる児童の場合は、研究チームの予想とは反対に、むしろ攻撃性が低下していた。
 この結果を坂元教授は「かっこいい正義の味方だと、プレーヤーが自己同一視しやすいため」と分析している。

 記事を読んだときの最初の私の印象は、それで何が悪い?というものだった。この印象は、ふと考え直すと、ちょっと複雑なのだが、自分の子供時代の記憶も深く関係している。
 以前に書いたし、みっともない話だが、私は小学生低学年のときは、居住区の関係から友だちに排除され、それゆえにいじめられっ子だった。成績も凡庸だったのだが、四年生あたりからクラストップに自然になった。と、その変容とともに「ブリキの太鼓」ではないが、内心の奥深くで「やられたらやり返すからな、私の忍耐の限界を越えさせたら殺してやるかな」と決意した。たぶん、その殺気のようなものが周囲に伝わり身を守ったのかもしれない。いじめられっ子ではなくなった。そして孤独に生きるしかないとも思った。ま、そんなところだが、ある種の子供には、そういう敵意のアイデンティが必要なのではないか。それは悪いことかね、と思う。問題は、それを暴発させない大人の体制の側にあるのではないか。
cover
テレビゲームと
子どもの心
 話をこの調査に戻す。調査によると、暴力シーンがいけないのではなく、暴力を正当化することがいけないのだということらしい。なんとなくだが、この手の話が別の国際政治みたいな文脈に移ったら萎えるなと思うのだが、正義とは、単純に言えば、そんなものではないのか。私がザルカウイを殺せる立場にあれば殺しますよ、と。ま、現実にはそういう設定はあり得ないし、プロセスも複雑だけど、本質はそういうことだ。
 別の言い方をすれば、市民を政治的に去勢化する傾向には賛成したくもない。ウクライナ選挙については私は民主化推進派に嫌悪を覚えたが、それでも、民主化というのはあのくらい暴力的なものだということは了解している。
 話がおちゃらけてきたのだが、現実問題として、そういうヒーローものゲームはどうするかということになれば、それほど気にすることではないのではないかと思う。別の言い方をすれば、一般的な暴力表現の規制だけでいいのではないか。
 話はずれるが、私は今回シリーズは退散したが、この数年平成仮面ライダーをよく見ていた。恥ずかしいことに解説本まで買って読んでいるのだが、クウガ、アギト、龍騎、ファイズには、作り手の側では、どうやったら正義のヒーローが解体できるか、怪人たちの運命的な悲しみのようなものが表現できるかということが腐心されていた。クウガの場合は、グロンギは意味のない悪意の世界の表象として描かれていたが、それでも最終の敵ダグバはクウガの究極形態と同一としてクウガの側の暴力もきちんとオダギリの生身の痛みとして表現されていた。正義の暴力とはあんなものだという主張はわかりやすかった(参照)。
cover
金城哲男
ウルトラマン島唄
 他の平成仮面ライダー・シリーズはさらに複雑だし、語るにオタクみたいだから控えるが、TVなどの作成側ではヒーローは正義の暴力みたいなのは表現として成り立たない時代になっている。というか、ある程度まで日本社会のなかで心が成熟すればそうならざるをえないだろう。この傾向は金城哲男などが描いた初代ウルトラマンですらそういう設定だった。
 むしろ、正義を不可能にする閉塞感が、社会無意識を介して、単純でわかりやすい怪物への欲望に変化しているのかもしれないし、その欲望する主体は、むしろ、ヒーローゲームを忌避する社会正義の感性ではないのかと皮肉に思う。もっとも、今回の調査でも、ヒーローゲームとヒーローものの物語は違うとされているし、実際違うのだから、あまり話を混乱させることもあるまい。
 少し話題が逸れるが、子供のメディアと暴力について、英国で先日奇妙な調査結果が出た。ニュースの話としては、伝統的な童謡の持つ暴力性は、暴力的なテレビ番組よりひどい、というものだ。「グリム童話より怖いマザーグースって残酷」ではないが、マザーグースなどを指していると理解していいのだろう。ロイター"Nursery rhymes have more violence than kids TV "(参照)ではこうだ。

LONDON (Reuters) - Children's nursery rhymes contain ten times more violence than British television shows broadcast before the country's 9 p.m. "watershed" after which more adult content can be shown, research published on Thursday said.

"You would hear about 10 times more violence if you listened to an hour of nursery rhymes than if you watched television for an hour before 9 o'clock on an average day," said Dr Adam Fox of St Mary's Hospital in London.


 テレビよりも童謡のほうが10倍も暴力性に富むというのだ。このニュースは発表当時はけっこう話題になったが、所詮はネタというだけ。実際のところ、童謡などは現代世界では摩滅していくのだし、社会問題とはならない。ゲームみたいに産業と結びついてもいないので、研究者の「うまー」もない。
 このニュースは私も忘却していたのだが、ふと気になって、オリジナル論文に当たってみた。概容は公開されている。"Could nursery rhymes cause violent behaviour? A comparison with television viewing"(参照)。結論は意外なほど落ち着いていた。

Conclusions: Although we do not advocate exposure for anyone to violent scenes or stimuli, childhood violence is not a new phenomenon. Whether visual violence and imagined violence have the same effect is likely to depend on the age of the child and the effectiveness of the storyteller. Re-interpretation of the ancient problem of childhood and youth violence through modern eyes is difficult, and laying the blame solely on television viewing is simplistic and may divert attention from vastly more complex societal problems.
【意訳】
結論: 子供と限らず人は暴力的な映像や刺激に晒され続けるべきではないのは当然として、子供の暴力性というのはけして現代的な問題ではない。映像的な暴力と空想的な暴力は区別されることなく同質のものであるが、その影響は子供の年齢や提供者の能力にもよって異なる。幼児や青少年の暴力という古来からの問題を現代的な視点で見ることは難しい。暴力シーンが含まれるテレビ番組を見ることだけ非難して済む問題ではないし、そんなことをすれば、もっと幅広く複雑化した社会問題に眼を背けることになる。

 まったくな、である。
 ということで、同じ結論を繰り返すのだが、こういう研究が無意味だとは思わないが、ヒーローものゲームにレイティングだの、特別に配慮した査定が必要だのと考えることは、子供の置かれた日本社会の問題状況から気をそらすことにしかならないだろう。

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2005.01.08

緋寒桜とタンカン

 琉球新報の昨日7日の記事を見ていたら、すでに緋寒桜が咲いているという話があった。"本部でサクラ色づく 暖冬で見ごろは今月下旬"(参照)より。


【本部】日本一早い桜祭りで知られる本部町八重岳で、サクラの開花が始まっている。入り口から頂上にかけてのヒカンザクラ約4000本の並木が徐々に色づき始めた。

 老婆心ながら、「本部」は「もとぶ」と読む。沖縄本島北部の地名である。八重岳は標高453メートルの山で、東京西部の高尾山よりやや低い。
hana 新報の記事を読みながら、そういえば、新正月のころは沖縄では桜の季節でもあったなと、八年間の沖縄暮らしを思い出した。新報の記事によれば、今年は暖冬なので開花が遅れたそうだ。桜というのは、本土の染井吉野でもそうだが、春が近づくも、寒さがある日数続かないと開花しない。
 本部の桜祭りが始まるのは15日で今年はその頃でも、二、三分咲き程度との予想だ。見頃は一月下旬らしい。と、書くに、緋寒桜の開花期間は長い。また、染井吉野のように花吹雪で散るわけでもない。私が写した写真よりきれいなものがネットにあるだろうと探したら、奄美のものだが、"峠道の緋寒桜"(参照)が見事だった。解説もうまい。

「色が赤い、寒い時期に咲く」以外にも緋寒桜には特徴がある。それは、花がみな下を向いて咲いていること。そして散る時には花ごとポトリと落ちる。

 緋寒桜を私が最初に見たのは、もう十年も前になるのだが、当時南風原のプリマート(現マックスバリュー)前のバス停で(後に「かねひで」が並びにできたところ)、複雑な沖縄のバスの仕組みもわからず、さてどれに乗ったものかと呆然としていたことがあった。沖縄暮らしの日も浅いこともありなにかと戸惑うことが多かった。バス停のベンチに座って、空を見上げると、視界に梅の花があった。低木に紅梅が咲いていた。寒紅梅の季節かと実家の庭のそれを思い出した。が、梅の花ではない。枝振りがまるで違う。私は植物好きの少年であったから、花の仕組みをじっと見て、それが、紛いもなく桜であることがわかった。これが緋寒桜というものかと驚いた。ナイチャー(本土人)には遠目に紅梅に見えた。
 緋寒桜は沖縄だけのものではない。九州や四国にもある。南紀にもあるようだ。どのように伝搬したものか歴史がわからない。沖縄でも南部ではあまり見かけない。沖縄戦の影響もあるのかもしれない。本島北部、本部の緋寒桜は野生化したものだとはいえ、戦後は観賞用に手を入れているはずだ。
 緋寒桜は台湾南部にもあるらしいが、その季節に訪問したことがないので私は見たことがない。原産は事実上台湾と言ってよいのかもしれないのだが、よくわからない。台湾緋桜とも呼ばれるようだ。
 緋寒桜の呼称は、言葉としては「寒梅」や「寒紅梅」の連想から、「寒桜」がベースにありそうなものだが、実際には対比される「寒」がないからなのか、辞書などを見るに「緋桜」の呼称記載されており、こちらの呼称のほうが古そうだ。「緋桜」がベースなら「寒緋桜」と呼ばれそうなものだし、実際、沖縄では「かんぴざくら」という呼称も聞く。「緋寒桜(ひかんざくら)」だと「彼岸桜(ひがんざくら)」と誤解されるのを避けるとも言う。本当だろうか。
 ウチナーンチュ(沖縄の人)は緋寒桜が好きである。この季節の土日は北部への道は桜見で渋滞になる。ナイチャーの私としては、梅みたいな桜のどこがよいのかと思うのだが、まぁ、ウチナーンチュの心情の核のようなものは八年暮らしてもわからない。
 そういえば、以前、青山で仕事をしていたおり、残業で残る一連と墓地に桜でも見に行くかと繰り出したことがあった。同僚の女性が宮古の出身だったが、彼女は桜には関心がなさそうだったので訊いてみたところ、言下に「ヤマトのさくらはうすい」と答えた。沖縄で暮らしてみて、その感性は、多少わかるようにはなった。
 本部のこの季節といえば、緋寒桜に加えてタンカンの季節でもある。タンカンは柑橘類の一種で、これも元来は沖縄のものではないが、沖縄本島北部でよく栽培している(余談だが島バナナも沖縄の原産ではない)。この季節、花見客を目当てに路上でもタンカンを販売している。タンカンは、酸味もしっかしていて、甘みも強く、なにより香りがよい。オレンジ系の果物では一番美味しいのではないかとも思う。が、残念なことにあまり良質のタンカンにはお目にかかれない。
 今年のタンカンの出来はどうだろうかと沖縄タイムを見たら、よろしくないようだ。"タンカン不作農家落胆/台風・鳥害で6割減 風物詩のミカン狩りピンチ"(参照)とのこと。

 JAとは別組織で、約百二十のかんきつ農家が集まる伊豆味みかん生産組合の饒平名知春組合長によると、同地域ではいずみ紅(大紅)の収穫が始まった昨年十一月ごろから鳥害が深刻化した。
 同地区のタンカンは、例年六百―七百トン生産しているが、今回は二百トン前後にとどまり、収益も五分の一に減る見通し。
 同組合長は「鳥害は年々増えており、今年は台風の影響で特にひどい」と落胆した様子。鳥害を防ぐためには畑に網をかける対策が必要だが、「一戸当たり約二千坪(六千六百平方メートル)の畑は覆えない。限界がある。お手上げの状態だ」とため息をつく。

 台風は天災だし、鳥害もその派生ではあるもだろうが、それにしても鳥害かと思う。コウモリは沖縄でよく見かけたが、カラスなんてあまり見なかったように思う。沖縄の自然はどうなっていくのだろうか。いずれにせよ、今年はタンカンを諦めよう。

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2005.01.07

雑談というか「汚い爆弾」のことというか

 話は多少錯綜する。というか雑談に近い。
 国際ニュースは現在、スマトラ沖地震津波に覆われているような形だが人的な被害を考えれば当然のことでもあるだろう。ただ、情報にはノイズともつかないのだが各種の要素が絡み合う。それもしかたのないことではあるのだが、その割に今回の津波被害の報道では、アチェ問題やマラッカ海峡問題なども関連しているのだろうに、そのあたりの考察はあまり見かけないように思う。
 またそれとも違うが興味深い指摘としてはニューズウィーク"The Twists Of Fate(日本版「意外に小さい経済損失」)"(参照)があった。


The imbalance between death and economic destruction is striking. In a new list of the 10 costliest earthquakes ever, reinsurer Munich Re puts the Sumatran tsunami at No. 8, based on a conservative early damage estimate of $10 billion, while the death toll has surpassed 140,000.

 死者は残念なことに今後も増えるのだが、それでも、同記事によれば40人の死者を出した新潟県中越地震の被害想定額が440億ドルであるのに対して、今回の津波被害は100億ドル程度。その倍に膨れたとしても、新潟県中越地震の被害想定額に及ばない。不謹慎な話ではあるし、"The Twists Of Fate"とは言いたくもないが、そういう側面の事実がある。
 津波以前の国際問題の話題の軸とも言えたイラク状勢やテロとの戦いについてだが、やはり津波報道にやや隠れたかに見える。
 イラク状勢については目前に迫る選挙が当然問題であり、それが可能か延期かという話題になりがちだ。治安が不安定なら可能ではないだろうというあたりの話がNHKからよく出てくるようだ。国連の意向なのだろうか。選挙の問題は治安というより、実施されればシーア派が優勢になることのイラク国内の政治権力のバランスだろう。だが、この問題の考察もあまり見かけないように思う。
 テロ戦については、第二期ブッシュJr政権を前にしてということか、さらにわかりづらくなっている。そうした中、テロ戦の文脈として、5日付BBCに"'Loose nukes' fear spurs US-Russia action"(参照)として、「汚い爆弾(dirty bomb)」のエッセイが掲載された。見出しがさえている。

Just days before Christmas, a secret flight took off from the Czech Republic heading for Russia.

 チェコから極秘の飛行機がロシアに向かったとのこと。そしてこう切り出す。

Until it touched down amid tight security, the details of the flight were kept highly classified for fear of terrorists intercepting the cargo - four specialised transport canisters containing 6kg of highly enriched uranium which could be used for nuclear weapons.

 ようは、ソ連下、冷戦時代の核兵器用の核物質の管理をロシアと米国がやっきになって行っているという話だ。

So far, as well as the 22 December Czech flight, there have also been deals with Serbia, Bulgaria, Romania, Libya and Uzbekistan to return materials from reactors back to either the US or Russia where the technology was developed.

 こうした核物質管理はいわゆる東欧で現状進められているのだが、BBCの話では、テロリスト組織アルカイダの手に渡らないようにということになっている。
 この手の話はBBCのお得意とも言えるもので二年前、2003年にもこうした話題を振りまいていた。例えば、"アル・カーイダが「汚い爆弾」開発か 英BBC放送が報道"(読売新聞2003.2.1)ではこうだ。

英BBC放送は三十一日、国際テロ組織アル・カーイダが、爆発時に放射性物質を周囲にまき散らす「汚い爆弾」の開発を進めていたことを示す情報を英政府が入手していると報じた。

 この話は、英政府当局のリークらしく、アフガニスタンのアルカイダが「汚い爆弾」のマニュアルを持っていたとのことだ。
 当時の話の流れを追うと、前年2002年5月にシカゴ空港でホセ・パディヤ容疑者が「汚い爆弾」などによるテロを米国内で企てたとして逮捕された事件との関連ではあるのだろう。
 こうした話を思い出すのも、このところ、ホセ・パディヤ容疑者への援護の活動が米国取り上げられるようになってきているからでもある。例えばCNN"Attorneys for accused enemy combatant demand U.S. prove its case"(参照)などがある。彼は米国市民権を持つ米国人だが、パキスタンでアルカイダと接触し、その地でテロを計画して、米国に戻ったとされている。
 話が少しごちゃごちゃしてしまったので単純な疑問に戻すと、現在「汚い爆弾」の危機は迫っているのだろうか? そしてそれはテロ戦と関わりがあるのだろうか?
 「汚い爆弾」だが、これは潜在的な問題であって早急の問題ではないと見るべきなのかもしれない。それでもその潜在的な危機故に米国とロシアは強調しなければならなくなっている。そしてそれらの協調はテロリスト集団がそれぞれの思惑の仮想であるとしても、両政府に都合のよいものである。
 陰謀論に立ちたくはないが、ご都合によってテロリスト集団なるものが立ち現れたとき、それがどれほど仮想であるかは、逆に潜在的な脅威である「汚い爆弾」の関与によって推定できるかもしれない。

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2005.01.06

今年の日本はどうなる、もちろん冗談配合

 今年の日本はどうなるのかなと正月もあけて少し考えた。結論もないのだが、そのあたりのことをちょっとお笑いで書いておこう。
 今年はどういう年かといえば、端的に増税の年でしょう。もちろん、一気にどかんと来るわけでもないが、今年から増税に明確にシフトしたよということだ。目立つのは定率減税の廃止(段階的)だが、これとても極東ブログ「増税すると労働時間が減り生産力が落ちる」(参照)で触れたように平均的な世帯で年間三万円くらいの増税ではないだろうか。それ自体はたいしたことはないとは言えるのだろう。
 話を蒸し返すようだが、平均的な世帯というのは実はよくわからないものだ。現代でいうと年収500万円から700万円くらいだろうか。子供は小学生・高校生の二人といった感じだろうか。もちろんモデル世帯の設定はどっかにあったとは思うが、世間の風で考えみたい。
 そこでこうした平均的な世帯の妻なのだが、なにかしら小銭稼ぎのパートをしていると言っていいように思う。ので、考えるのだが、昨年に決まっていたことだが、今年から「配偶者特別控除の一部廃止」が家計に影響を与えるだろう。あれだ、従来、パートなどの給与収入が103万円未満の配偶者がいると、配偶者控除に合わせて配偶者特別控除も受けられていた。が、配偶者特別控除は廃止。配偶者特別控除が受けられるのは、給与収入が103万円を超え、141万円未満の配偶者がある者となる。
 簡単に言えば、奥さんがパートに出ればそれだけ、税金がかかるよということでもあり、また、普通のサラリーマンならなんとなく控除してもらえた38万円の枠がなくなったということだ。つまり、結果的に増税と言っていい。これが平均的な世帯に与える実際の増税額としてはどのくらいか、なのだが、だいたい五万円くらいのようだ。
 これに社会保険関係の細々とした値上げがあるので、総じて、来年は普通の世帯で年間十万程度の増税となると見てよいのではないか。年収に比せばたいした額でもないともなるが、これって、可処分所得だから、いわゆるお小遣いに直撃するわけで、夫婦それぞれで、月額でだいたい五千円ほどお小遣いが減るということになる。
 そう考えると、うっぷす!、痛いな、ということか。独自なエンタイメント世界のフロンティア雑誌「素敵な奥さん」などを見ると、節約主婦の家計でも、けっこう自動車の維持費や酒・タバコの出費があるようなので、そのあたりを含めると案外、旦那は月額で一万円小遣い減だろうか。しかし、現状でも旦那の小遣いは二万円程度なので、して考えるに、塗炭の苦しみ、というか、今年も「我が妻との闘争」(参照)は楽しめる展開となるのだろう。
 こうして世間の風でブレークダウンして見ていくと、ニューズウィーク日本語版"世界があきれた「ケチ大国」"(2004.12.29-2005.1.5)なんてくそ記事だとわかる。不景気に対してこう切り出す。


 04年は、それが逆転してもいいはずだった。消費拡大を期待する楽観論を後押しする根拠も山ほどあった。

 おう、山ほど聞いたろうじゃんか。

 05年3月期の企業利益は2期連続で過去最高となる見通しで、就業者数も確実に増加している。


 強気に生まれ変わった消費者が、今度こそ世界第2の経済大国をデフレの闇から救い出してくれるにちがいない。そう期待して楽観主義者たちは待ち続けた。
 だが、彼らはいまだに待ちぼうけを食らわされている。04年7~9月の個人消費は前期比で0.9%増(年率)。7月に内閣府が予測した2.6%を大幅に下回った。7~9月の実質GDP(国内総生産)の成長率が年率0.2%に留まったのも、消費の低迷が大きな要因だ。


 日本のケチな消費者は、世界経済にとっても困った存在だ。

 う、うるせー。
 とはいえ、外国はそう日本を見ているだろうし、今回の津波支援で日本がドイツとタメ張って不気味な見栄を切っているのも、支出の回転を回したいからではないかと邪推したくなるほどだが、さて、こうした外人の視点は正しいのか。われわれはケチか。月額小遣い一万円の身では鼻でせせら笑って終わりだが、ちょっと考えると、こうした外人視点は嘘だ。
 確かに企業利益は上がった。大規模製造業だと二倍ほどにもなっている。だが、それ比して売上げはほぼ横這い。業態によってはウハウハ(死語)しているところもあるだろうが、総じて見れば、売上げは増加してないのに企業利益が増加している…で、どこで利益を出しているかというと、あれでしょ、社員首切りというか、パート労働者とかにしているからだ。つまり、雇用リストラがテッテ的に進んだということ。
 雇用リストラはもう限界だからこれ以上は進まないという話もあるにはあるが、ま、最大の雇用リストラ対象である公的部門がマダマダだし、それにぶら下がっているところはもっと刈り込めるというか、実質、それが非都市部を襲いだしている。だいたい、日本の社会は経済活動において民間部門と公的部門が分離していないし、その融合というかは非都市部のほうが深刻だ。なので、いろいろ、マダマダ、社会変動があり、それは社会事件に反映してはくるだろう。
 話を先の増税に結びつければ、日本社会の労働者のかなりがパート的な労働者となり、そこでは実質的に賃金は低下していくし、そしてかつての大企業の年功序列の逆で、歳を取るにつれパート的な賃金は低下する。
 そうした労働者の社会を保護するには欧州並みに国家のセクターを巨大化するしかないのだが、欧州のような小国家のモデルが大国日本に当てはまるわけもないだろうし、国家の肥大はまず雇用調整を必要としているはずの公的部門の劣化を招くだろう。
 と、金子勝的なおちゃらけ話で図に乗るのはこのくらいにしても、全体の構図自体は、雇用リストラと消費の縮退ということで、今年はいちだんと世相が暗くなるのではないかなと思う。なにも、暗いニュースなんてことさらに暴き立てなくても、今年は、十分、日本は暗いのではないか。一連の増税が軌道に乗れば、今度は消費税が欧州並み目指して上がるだろうし。

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2005.01.05

ディエゴ・ガルシア(Diego Garcia)の津波

 スマトラ沖地震が発生し、その被害がスリランカからインド洋を越えてアフリカにまで及ぶと聞いたおり、私が気になったのはその中央に位置するディエゴ・ガルシア島(Diego Garcia)の被害状況だった。結果としては被害はほぼなかった。
 ディエゴ・ガルシアはスリランカの南西、インド洋中央部にある島で、英国領であったことから、ここに英国と米国海軍の基地が置かれている(参照)。
 この島は米英が中東に軍事作戦を展開する上で非常に重要な拠点ともなるのだが、軍事展開をするには補給面で弱点があるようだ。同じく珊瑚礁に載った沖縄本島のようには十分な石油施設がない。ディエゴ・ガルシアの場合は地下や臨海部に給油設備を作ることが難しいのだろう。自衛隊のインド洋沖での補給は、実質このディエゴ・ガルシアの運用に組み込まれている。今回自衛隊の起動がやや早かったのはここからの移動だったと思う。米国からの通知が先行した可能性はないのだろうか。
 ディエゴ・ガルシアのホームページ(参照)には、現在津波情報が申し訳程度に掲載されている(参照)。情報は、AP"Geography Protected U.S. Diego Garcia Base"(参照)のほうがやや詳しい。ディエゴ・ガルシアの津波被害について、私は当初環礁による効果かと思っていたが、むしろ海溝の影響らしい。


The atoll is in the Chagos Archipelago west of the Chagos Trench, a 400-mile-long underwater canyon that runs north and south and plunges to depths of more than 15,000 feet in some areas. The trench is one of the deepest regions of the Indian Ocean.

"The depth of the Chagos Trench and grade to the shores does not allow for tsunamis to build before passing the atoll," the Navy said. "The result of the earthquake was seen as a tidal surge estimated at 6 feet."


 今回は津波被害が少なかったものの、洋上の孤島ともいえるディエゴ・ガルシアに軍事基地を置く以上、津波に対する警告システムが存在しないわけはない。このことは、台風銀座の在沖米軍が気象に敏感であることからも推測できる。では、それはどのように動いていたのか? はっきりとしたことはわからないものの、ある程度推測が付く段階になってきた。
 パキスタン紙なのでその点からの偏向はあるかと思うが、デイリータイムス"US had advance warning of tsunami: Canadian professor"(参照)はカナダ人マイケル・チョスダブスキー(Michel Chossudovsky)教授の見解を引いて、今回の津波を米軍が十分事前警鐘可能な時点で察知していたとする話を載せている。同記事では専門家とあるが、彼の専門分野は経済学なので、チョムスキー同様場違いな土俵で息巻いているだけと見てもいい。いずれ、他科学者からの裏付けや他のスジからの裏付けがないと愉快な与太話のネタになるのだが、いずれにせよ、この話でポイントとなるのはディエゴ・ガルシアだ。

Prof. Chossudovsky writes, “It is worth noting that the US Navy was fully aware of the deadly tidal wave, because the Navy was on the Pacific Warning Centre’s list of contacts. Moreover, America’s strategic Naval base on the island of Diego Garcia had also been notified. Although directly in the path of the tidal wave, the Diego Garcia military base reported ‘no damage’,” All that was needed was for someone to pick up the phone and call Sri Lanka, he adds. Charles McCreery, director of the Pacific Tsunami Warning Centre, said, “We don’t have contacts in our address book for anybody in that part of the world.” The fact is that only after the first waves hit Sri Lanka did workers at National Oceanic and Atmospheric Administration’s Pacific Tsunami Warning Centre and others in Hawaii start making phone calls to US diplomats in Madagascar and Mauritius in an attempt to head off further disaster. “We didn’t have a contact in place where you could just pick up the phone,” Dolores Clark, spokeswoman for the International Tsunami Information Centre in Hawaii has said. “We were starting from scratch.”

 この話をどの程度に受け止めるかだが、事実としてディエゴ・ガルシアでの気象システムは機能していたのだろう。また、ここからわかることだが、先のAP通信記事もホノルル発だったが、これらの情報はいったんハワイに集められるようだ。
 好意的に見るなら、ディエゴ・ガルシアの被害想定が弱かったことが、スリランカや東南アジア地域への情報が十分に行かなかった理由となるのかもしれない。それ以前に、ホノルルから米軍系の通報が出されても、今回の被災地域では通報が行き渡るシステムはなかったのかもしれない。
 津波関連ではないが、ディエゴ・ガルシアについては、いろいろ困惑する話がある。原住民の帰還問題については"ディエゴ・ガルシア"(参照)などで邦文で読める。また先日のサロン・コムではガーディアン記事"Indefinite and secretive"(参照)でこの島にガンタナモのような施設があるらしいことも報じられた。

The CIA is also reported to be holding about 30 senior al-Qaida officials in secret detention centers at Bagram Air Force Base near Kabul, Afghanistan; on Britain's Indian Ocean island, Diego Garcia; and on U.S. ships at sea. British officials have denied knowledge of such centers at Diego Garcia.

 ディエゴ・ガルシアは、サンダーバード基地を隠しているわけでもないのに、なにかと秘密が付きまとう島でもあり、日本も結果的に深く関与しているのが気にかかるところだ。

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2005.01.04

スマトラ島沖地震津波被害支援、その後の印象

 スマトラ島沖地震津波被害について、この間の、各種ニュースソースの読みも十分ではないし、自分の心のなかの整理もついていないのだが、それでもいろいろ思うことがあるので、ブログの即時性ということで書いておきたい。
 死者は15万人を越えそうだ。こうなってくると数字だけが浮いて被害についての感覚が麻痺してしまう。それでも、私の知る限り昨年の晩秋の時点でダルフール危機では12万人の死亡が推定され、その後の進展もないのと同程度だろうかと思う。ダルフール危機については、昨年半ばから日本でも関心が高まったわりに実際上の解決を向けての進展はない。日本に伝えられる政治ニュースとしては、スーダン南北問題やダルフール反乱軍の動向に関心が移っており、本来の危機の実質から関心が逸れつつあるように見える。ダルフール危機に目を向けろとブログでいきり立つのは意味がないだろうが、津波被害に比して世論の落差を思う。
 津波被害に世界の関心が集まるのは、その規模がすさまじいこともだが、欧州人が多いことも関係しているのではないか。スウェーデン人の被害者が特に目立つ。スウェーデンはバカンス大国とはいえ、また太陽を求める国民性があるとはいえ、千人を超える被害がでる可能性の指摘は、それだけこの地域への旅行者が多いことも示している。他に、イタリア人旅行者なども多いようだ。邦人被害は百人を越える可能性もありそうだ。
 嫌みにとらないで欲しいのだが、世界では昨年テロ警戒ということが言われていたが、反面では国際的な旅行者の実態はあまり変化がなかったのではないだろうか。自分がかつてぶらり旅をした経験でいうと、日本人や米人は意外と集団行動をする。が、欧州人はあまりそうしてない。それだけ旅慣れてもいるのだろうが、統制しづらい。
 国際支援のあり方については、その主導を巡ってすでに国際間の権力闘争の様相があるといった視点がまことしやかに語られ出している。例えば、3日付"スマトラ地震:支援巡り新たな火種 国連主導求める欧州"(参照)などはそうした相貌を伝えているかのようだ。


 パウエル国務長官は31日、ニューヨークで行ったアナン国連事務総長との共同記者会見で、中核グループも「国連の全般的な監督に従う」と解釈できる発言をしたが、前日まであいまいな言い方に終始していた。一方でブッシュ大統領は、津波被害に関する1日のラジオ演説で、米国が国際的な有志連合を主導すると強調した。
 各国別の支援や非政府組織(NGO)の活動を統括するのは本来、国連の役割だ。なぜ米国、日本、インド、オーストラリア、カナダ、オランダの「中核グループ」を構成し、主導するのか。
 米国にとって、今回の震災支援は、国際社会が納得する役割を果たし、イラク政策の失敗をばん回する好機だ。またアジア地域での米国の政治的、軍事的プレゼンスを維持するためにも支援の主導権を握る必要があると見られる。

 そうなのだろうか。私はこの記事に米国への悪意に近い印象を受ける。実際の動向についてよくわからないのだが、こうした政治的な読みを先行させるのは、政治的に言えば、いかがなものか、と思う。
 3日付けとは言え、毎日新聞記者の取材が古いのかもしれないが、同じく3日付け(英国時間)BBC"Earthquakes shake up governments"(参照)でも同じく、今回の津波と国際間の政治駆け引きを扱っているのだが、かなりトーンが違う。

This shift of view itself represents something of a turnaround from the initial judgment that US President George Bush - by stating that four countries, the US, Japan, India and Australia, would take the lead - was undermining the position of the United Nations.

 ここで"initial judgment"と触れているのは、1日のブッシュによる支援有志連合といったものだろうが、その後の経緯はそこからスジ立てできるものではない、というのが、国際政治を見ていくうえで重要になるのではないか。
 パウエルについても毎日の記事では、反米気分を誘うようなネガティブなトーンで書かれているが、BBC記事では逆に近い。

Mr Powell himself referred to the prospect of the United States being seen to reach out to the Muslim world. Indonesia after all is the most populous Muslim country.

Mr Powell is apparently aware of the opportunities both for US foreign policy and perhaps for himself to make a positive impact before he leaves office.


 つまり、国際協調を進めたいパウエルのよい花道となったと見たほうが正確だろう。
 米国と支援についての日本の国内報道をなんとなく見聞きして気になるのだが、この間の米軍の支援活動だ。私の好むVOAなどは大本営でもあるので連日そんな話題だったのだが、ごく単純に見れば、支援の初動として米軍は賞讃されるべきではないだろか。先のBBCでもそう簡単に触れている。

In the current disaster, some effects are already emerging.

The perception of the United States in the world has been changed for the better, with the rapid despatch of a US aircraft carrier to ferry help by helicopter to the survivors in Aceh.


 BBCは英国の報道機関であり、有志連合として親米だからというのは穿ちすぎだろう。個人的に気になるのは、この地域の米軍プレザンスの構造までわかって批判的な報道があればいいことだ。結果として見れば地域は違うのかもしれないが、Diego Garciaなどあまり報道されていなかったように思う(参照)。
 支援を受ける側の、特に、スリランカとアチェの状況だが、この地域は紛争地域ということで、これも一筋縄ではいかない。同じく先のBBCでは、そうは言っても早急に判断せず監視していこうではないか、という英国らしいトーンで書かれている。

The tsunami struck in two countries where there have been major rebellions against central government - Sri Lanka and Indonesia. It is too early to assess its effects, but there will be some.

 あと、余談めいた二点。
 あまり報道に触れないのだが、日本人やインド人は死体を火葬してしていくものだが、被害地域によっては文化・宗教的にそうもいかないようだ。このあたりの問題はあまり報道で取り上げられないようだが、伝染病などを考えるとなんとか対処のしようがないものかと思う。
 もう一点は、国際支援において、中国のポジションが見えない。中国は内政が複雑なのでこうした場合に緊急の行動が取りづらいのかもしれない。いずれ大国然とした物言いが好きな国だが、実際が伴わないという状況なのだろう。華人のネットワークも地域民救済に機能しているのかはニュースからは見えない。

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2005.01.03

花びら餅

 三が日は正月の内なのでそんな趣向の雑談。昨日近所の和菓子屋が開いたので初釜用にと花びら餅(花弁餅・葩餅)を買った。おりしも客があり、話のタネにとも思い、煎茶に添えて出す。初釜用にはまた買ってこなくてはな。
hanabiramochi 東京に戻って三度目の正月。なにが嬉しいかといって花びら餅のような和菓子が食べられることだ。長く暮らした沖縄にも、ちんすこうくらいしか知られていないが琉球菓子とでも呼べるよいものがある。が、やはりそこはナイチャーということなのか、私は和菓子が恋しい。
 花びら餅は、花びらに見立てた薄円形の餅(求肥が多い)に、白味噌餡とほの紅く染めた餡にさらに蜜漬けの牛蒡を挟み二つ折りにしたものだ。牛蒡は半円をはみ出る。紅が透くところが美しい。
 宮中の焼き餅が起源であるかのように言われている。そのせいか御焼餅(おやきかちん)とも呼ばれるようだ。明治以前の花びら餅については、エッセイストにしてお師匠さんとなった森下典子は有吉佐和子の「和宮様御留」に寄せてこう書いている(参照)。


 それは杉板の上にたくさん重ねられ、恭しく運ばれてきた。白い搗き立ての餅を薄く丸く引き伸ばしたものと、菱形の紅色の餅が、同じ数だけ並べてあり、その横に、白味噌の餡と、甘く煮た牛蒡が横に置いてあったという。


お付きの女官が、白い餅の上に、菱形の餅を一枚重ね、牛蒡と味噌餡ものせて二つに折り、フキに「おあがり」と、手渡してくれる。

 目に浮かぶようだ。関西は今でも丸餅だが、餅(ぺい)というのは丸いものである。中国茶好きなら餅茶を想像すればいいし、ウチナーンチュならコンペンのペンが餅(ペイ)が語源であると言われば納得するかもしれない。現代中国でも同じだ。
 明治以前の宮中で花びら餅に使う紅色の餅が菱形であるのは、雛祭りの菱餅と同じものであろう。牛蒡については、正月ついての易の関係だったはずと思ったが、詳細を忘れたので書棚の吉野裕子の著作をめくったがわからない。「カミナリさまはなぜヘソをねらうのか」だったと思ったのだが。さて、「午」「牛」「土気」いずれだったか。新年は木気。新春の若水は木気の親の水気。愚考するにわからない。こんなことではいけないなと神に諭されるがごときである。
 いずれにせよ明治以前の宮中では花びら餅とはこのようなものであったようだ。基本は正月神事である。
 これが明治になり、裏千家が宮中の許可を得たのか、初釜で使うようになり、そのおりに菓子職人が茶席用に甘味を加え今日のものにしたのだろう。それにしても、花びら餅は職人の技とセンスが問われるような菓子である。大抵の和菓子屋ではこの季節に店頭に置くのだが、まず見た目で私が納得できるものは少ない。次に食するに、餅の食感、味噌餡の塩加減、牛蒡の香りに満足できるものはほとんどない。と、なんだか偉そうだが、それでもよい菓子を作る和菓子職人はいる。
cover
日日是好日
「お茶」が教えてくれた
15のしあわせ
 そういえば、「典奴どすえ」の森下典子はお茶のお師匠さんになったようだ。さらりと書いているが「日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」は面白かった。彼女も昨今の風潮では負け犬に分類されてしまうかもしれないが、茶が彼女を支えていた。酒井順子は和趣味に凝るのも負け犬のイヤ汁と自嘲するが、すべてがイヤ汁になるわけでもない。日本の文化にも、年を経て研鑽する人間にだけ開示する心地よきものがある。いや、魂の慰めがあると言うべきか。
 どうでもいいことだが、私の茶は我流である。利休の言うように、ただ立てて飲むばかり。だが、どうしたものか裏千家の味を好む。碗は朝鮮茶碗を好む。青磁、伊羅保、粉引を使うが、雨漏りの妙のある粉引が気に入っている。

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2005.01.02

陳年茶のこと

 雑談。正月らしきことを仰々しくすることが好きではないが、それでも元旦は元旦か、と正月ボケを楽しむのだが、自室の棚の一箱に何が入っていたけと気になった。あれは二年前の引っ越しのときにも開梱してなかったか。
 開けてみた。奇妙なものがいろいろ入っていたのだが、驚いたのは沱茶が出てきたことだ。沱茶というのは饅頭型というかヌーブラ型に固めた中国茶だ。内側は窪みになっている。茶のツラを見るに、保存状態はよく、黴もない。
 これをどこで買ったものか記憶にない。香港、台湾、沖縄? そしてこれは何年物なのか? よくある雲南沱茶で、蚊取り線香入れのような円筒の箱に入っている。中華街とかでもよくみかけるもので、500円くらいで売っている安物だ。プーアル茶としては速成品の類で茶好きは見向きもしないだろう。貰い物だったのだろうか。まぁ、陳年茶はある程度飲み慣れたので、これも飲んでみたらわかるだろうと、削って、淹れてみる。二度ほど洗茶。待つこと四分ほど。
 飲む。癖がなく喉ごしがいい。この手の速成品にありがちな、尖った感じやえぐ味はなく、それでも十年以上は寝かした感じがする。陳年茶にありがちが茶酔いの感じもあり、甘露と形容したくなる陳年茶特有の不思議な甘みもある。悪くないよ、これ。こんなものでも寝せておくとそれなりの味になるもののか、と得をしたような気分になった。
 うかつだったのだが、箱をひっくり返したら日本の輸入元のラベルが貼ってあった。神戸で輸入されたもので、平成四年とある。平成四年? ところで今年は平成でいうと何年だっけ。平成一七年か。どうも平成以降元号はピンとこないのだが、それでもこの沱茶は十三年物というわけか。十三年前に買ったとも言えないにせよ、十年以上も前のものには違いない。なんだか記憶というものがいかに曖昧か嫌になる。
 プーアル(ポーレイ)茶など黒茶や陳年茶というのは、中国茶のなかでもそれなりにちょっと面倒な世界で、またいろいろウンチクも多いものだ。市場には速成品が多いため、そうではない物を目立たせるための修辞が多いのもしかたがないが、その手の話はさすがに中国人茶商の手の内に踊らされているようでウンザリしてくることが多い。と言いつつ、自分もそれに免れたものではなく、一時期はいろいろ集めたものだ。
 陳年茶はなるほど奥が深く、掘り出し物などの珍品もある。しかし、それなりに飲んでいけば、ワインと同じで、これに熱中していくのもある程度わかってくる、というか、わかってしまえば嵌ったも同然。大枚出して「これは外れか」というのも楽しみのうちとするしかない。私などこの分野にそれほど詳しいわけでもないし、大枚を叩く気力も現物もなしであるが、なんというか陳年茶というのは、茶の姿を見てわかるものではないのが蠱惑的だ。一目でダメだなとか偽物というか速成だなこりゃ、というのは慣れればわかる。わからないのは五十年物とかだ。いろいろな形状がある。枯葉かよというのが、おおっと驚くような茶であったりもする。
 数年前のことだが、台南の街を散歩していたら小さな茶商があり、茶筒も所狭しと並んでいるのでひやかしに入り、適当に注文していると、上段に偉そうなのがあった。五十年だか六十年ものらしい。茶商は大陸系とも見えない。台南人にありがちな呑気な気風だ。それほど熱心でもないが、あれは旨いよ、というようなことを言う。高額なので一両(30g程度)でも売るかと聞くと、売るというので買ってみた。ダメモトというやつだ。見るに、散茶だが縒ってあり、プーアル茶でもない。台北などでよく見る凍頂茶を年々火入れしたものに近い。そんなものかな。ところで帰宅して淹れてみて呆れた。今まで飲んだことのないタイプの茶だった。もちろん陳年茶であることはわかるし、十年といった気合いではないこともわかる。まいったな。もうちょっと買っておけばよかった。
 さて発掘された十三年ものの沱茶を飲み終え、なんとなく物足りないので、茶箱の秘蔵の陳年茶をあさるに檳榔香というのがある。以前飲んだときは、きつくて飲めなかったがあれから何年経つ?と思って淹れてみた。これも驚き、かなりまろやかになっているのだが、それよりもなるほど檳榔香という感じが以前よりもする。陳年茶にこの香りもありか。まったく呆れた世界だな。
 陳年茶とは、かく変なものだと思うが、元旦の夜に、酒も飲めない私がちびちと飲むにはよい。中国という国にはアンビバレンツな気持ちを持つことが多いが、老いていくことを称えるがごとき茶の世界というのは良いものだ。
 我が身が茶に大枚を叩ける運命にないのがわびしい。この境遇で同種の老の趣として残るは、鳥籠を持っての散歩くらいか。しかし、私など野に聞く鳥の声が美しく思える。畢竟、己は日本人か、かく新正月に思う。

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2005.01.01

2005年新年雑感

 あけまして、おめでとうございます。
 雑談です。
 2005年になるのかと思うと感慨深い。ミレニアム2000年のカウントダウンをしていたのがつい先日のようにも思えるのだが、四捨五入で言えば、2010年という時代になる。そういえば、1984年になったときも、1948年に書かれたオーウェルの未来小説の年になったのかという話題があり世人は感慨ふかく思ったものだ。村上春樹は1986年に「‘THE SCRAP’―懐かしの1980年代」として1980年代を戯れに回顧していたが、今では懐古だ。懐古なるものはきりがない。
 私事だが、昨晩は、年越し蕎麦をなんとなく食べた。というか、それをもって夕食とした。実家にいたころは、年取りのご飯とかいって粕漬け鮭で二杯食わされたものだ。信州のだけの風習というわけでもなく、「歳取り魚」の一例である。
 その後、沖縄に転居し何度か大晦日を他家と過ごしたが、かの地では年越し蕎麦に沖縄そばを食う風習が定着しつつあった。滑稽であることはウチナーンチュも自覚しているようではある。なんくるないさ。他に、沖縄の大晦日ではすき焼きというのがあった。これは、沖縄と限らないようだ。変な風習だなとは思うが、それが伝統だという家風もあるだろう。
 私は正月の喧噪を好まないので、昨晩は早々に床に就いたもののいつものラジオ深夜便はない。世間の物音に耳をすますと、ときおり遠くを消防車と救急車が通り過ぎる。しばらくすると近場の寺の除夜の鐘も聞こえる。紅白歌合戦が終わったころかと、ラジオをオンにするとほどなく2005年となった。花火が遠く聞こえるようにも思ったが、気のせいだったかもしれない。
 日本の風習でいえば、たしか大晦日から元旦は寝ない。この夜を年取りというが、昔は数え年なので全国民がみな歳をカウントアップした。こうした数え年にこだわる老人が私の子供の頃にはよくいた。あの時代の空気を知っているのは昭和32年生まれの私くらいが最後かもしれない。当然のことだが初夢とは元旦から二日にかけて見るものである。
 初夢の富士だのなすびだのといったトリビアを書くのは控えるが、新春というのは、本来、旧暦のものである。今年でいうなら2月9日。中華圏では春節として祝うし、沖縄でも旧正として祝う地方は多い。
 新暦では初春と言われても春の趣はなにもない。近代日本というのは戦後にならぶ日本文化の破壊と再創造の時期だったし、およそ文化と歴史というのはそういうものだ。昨今の女帝を忌避する議論など歴史に吹き飛ばされていくがいい。それでなお残るものだけが日本文化なのだと、日本を信頼するしかない。
 近代日本の文化破壊と再創造は奇妙なものだった。暦を破壊し新暦にしても行政上は問題ないが、例えば俳句の季語はめちゃくちゃなものになった。歳時記はしかたなく四季の他に新年を別立てにした。なに俳句など近代以前は連歌の発句であったものを都合良く改造したものだ。発句としての姿に独立性はあるものの、それだけを単独の文芸とする野蛮さこそが近代化というものだ。
 近代日本では、和歌も短歌となり、あたかも西洋人のように自然を愛でることが文芸であるかのようになった。しかし、日本の歌というのはまず人の心の動きから始まるものだ。愛の想いがあり、死者への想いがある。死者への想いと愛の想いがどれほどか通底していることを折口信夫は「死者の書」で明かした。
 漢籍では詩は詩経から始まるかのごとくであり、唐代には詩人を排出した。とはいえ、唐心においては、詩とは政治であった。日本の古代の詩歌も唐代の文化の影響を受けているのだから、政治がテーマとして潜んでいるのだが、明治という時代はそこに日本文化の起源というもの倒錯的に見るだけだった。戦後から半世紀を経て日本はまた似たような擬古に覆っていくように思える。年取りの魚も食いもしないで、日本の文化というのだ。畑からご都合でこさえた明治神宮に参拝客も多い。
 と、愚痴か。新暦では情緒もないが、雪の正月ならよかろう、と、家持の歌が心に浮かぶ。

 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事

 冒頭は「あらたしき」、末は「よごと」と下すのが通例になっている。家持が因幡守として国府の饗宴でなした歌とされている。この歌をもって万葉集は終わる。
 あたかも良きことがあれと未来に期待をかけているかのようだが、この歌を最後に置くべく万葉集を編纂しているとき、家持は失意の人生の最後に近かった。父旅人も武人であれながらヘタレを極めた挫折の人生だった。息子もそうなった。さらに大伴氏の末路は哀れというか滑稽なものとなった。
 それでも、ヘタレの文学とは味わい深いものである。かくのごときヘタレのブログも2005をカウントする。さても、いやしけ吉事、と結ぶ。

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