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2004.02.07

人の狂牛病、血液感染の可能性

 ランセット(The Lancet February 7, 2004)の最新ニュースだが、通称、人の狂牛病(the human form of mad cow disease)こと新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)が血液感染する可能性が高くなったとみていいようだ(参照)。


vCJD transmission Two studies published this week highlight the public-health implications of blood transfusion as a possible route for infection by the prion protein responsible for variant Creutzfeldt-Jakob disease (vCJD).

 難しい英文でもないので、訳は不要だろう。研究は次の二点だ。いちおう参考までに同サイトの研究者名だけ記しておくが、未登録ではオンラインでは読めない。

  1. C A Llewelyn and colleagues
  2. C Herzog and colleagues

 血液感染の可能性は以前から指摘されていた。少し古いが、"British Medical Journal: Scientists show that vCJD can be transmitted through blood."がある(参照)。
 最近では、同じくBMJが次の警告を出している。"Action needed to prevent spread of vCJD"(参照)。
 説明の順序がよくないのは承知の上だが、あまり危機感を煽ってもいけないのでどの程度書くべき、訳すべきか、戸惑う。
 少しぐぐってみると、最近のNew York Timesの邦訳があった。「血液経由で狂牛病に感染の疑い 1.27.2004:New York Times/ニューヨークタイムズ」(参照)、読みやすいといえば読みやすい。
 日本では、米国産の牛=狂牛病の危険、というだけの、阿呆な風潮になってきたが、とうの問題の重要な防御ラインは、そこではない、ように思える。この件については、Recipients of blood or blood products "at vCJD risk"(bmj.com Bird 328 (7432): 118)を参照のこと。
 と言ったものの、あまり露骨に書けない。この問題を論じたサイトは国内にあるのだろうか?

追記1
国内でもニュースになったようだ。男性の輸血感染の高いケースを報告。ついでに、e-血液.comというWebページを見つけた。このページについてはあえてコメントしない。

追記2
龍蛇蟄さんからのインフォ。以下のサイトはこの問題にとても重要だと思う。
http://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/bsecjd.html
と、リンクをはることの危険性もあるが、以下のことはもっと知られていいだろう。


全頭検査の成果は純然たる学問的趣味:全頭検査により,肉骨粉使用禁止以後に生まれた生後2年未満の牛に非定型的BSEが発見されたことは,純粋に学問的な意味しかない.それは,BSEの起源に関わる問題である.肉骨粉を食べていない非常に若い牛にBSEが見つかったということは,肉骨粉とは関係なく,ごくまれながら,牛固有にプリオン病が自然発症することを示している.

 極東ブログの狂牛病関連の記事を経時的にまとめたいが、めんどくさい。

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北朝鮮核技術流出の問題

 よく書けているとは思わないが、このテーマを社説に選んだ毎日新聞を高く評価したい。社説「核兵器技術流出 これで全容解明と言えるか」は、れいの北朝鮮核技術流出の問題だ。


 パキスタンの核技術漏えい事件でムシャラフ大統領は5日、「核開発の父」とされるアブドル・カディル・カーン博士らの「個人の犯行」と断定した上で、博士を赦免する方針を発表した。
 カーン博士は4日、国営テレビで全責任を認めて謝罪した。博士以外に技術者ら11人が拘束され、十数年にわたりイラン、リビア、北朝鮮にウラン濃縮や核兵器の製法・技術を流していたという。

 これで朝日新聞のほっかむりも息をつくのだが、この毎日新社説の標題にあるように、こんなのは全容解明にはほど遠い。

 北朝鮮への密輸には専用機が使用されたとの情報もある。ムシャラフ大統領や歴代政権・軍部は本当に一切知らなかったのか。漏えい先が3カ国だけで、他には流れていないのか。闇の密売組織もまだ全容が解明されていない。パキスタンの今後の対応を世界が注視しているのは当然のことだ。

 北朝鮮が国家的に深く関与していたと見ていいだろう。問題を進める。では、全容解明すべきか? 馬鹿なことを訊くんじゃないみたいだが、問うてみたいのは、すでにそれって米国が解明を終えているのではないか、と思うからだ。
 パキスタンの情勢も気になる。

 ムシャラフ氏自身が昨年末、二度もテロで命を狙われた。カーン博士らをどう処罰するかによっては、国内の民族主義感情に危険な火を注ぐ恐れもある。米政府はムシャラフ政権の取り組みを評価しつつ、核の安全管理に最大の配慮を示さざるを得なかった。

 この書き方はわかりづらい。背景に先日のテロはマッチポンプだろうという共通の理解があるからだ。もちろん、ムシャラフには敵は多いだろう。匿っている例の御大だっているはずだ。そうした背景で、米国がムシャラフをバックアップしているということは、今回のカーンの措置は、むしろ米政府の意向だろう。
 北朝鮮ゲームの強いカードが米国に回ったし、それも中国に通じている。日本の上をテポドンのように情報が通過していくだけだ。
 しかし、日本になにができる? 今回の事態解明は結局米政府を敵に回すことなりかねない。が、本来ならやるべきだ。それでも、毎日新聞のような大衆受けの正義の文脈で全容解明といっても、あまり意味はないのかもしれない。

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朝日新聞の台湾観、もろ脱力

 朝日新聞社説「台湾総統選――『両岸関係』を凝視する」は、またしてもやってるなという感じだが、脱力したな。書いている本人も多少はわかっているのだろうなとは思う。絶妙なところで端的な歴史認識の誤りを避けている。執筆者は専門家の朱注を反映したのか。それにしても、以下のような文章には溜息が出てしまう。


 国民党の独裁が続いた台湾で、野党が公認されたのはわずか15年前のことだ。

 そりゃ間違いはないよ。ただ、歴史を知る人間はこう言うか。「台湾」が時事上自明になったからこう言えるのだということが、この執筆者にわかっているのだろうか。だが、正確に言えば、未だに表向きは「台湾」というものは存在しない。
 次のような朝日新聞の言いかたは、脱力しつつ、ふざけんなよ、と思う。

 台湾には、内戦に敗れた国民党とともに大陸から来て大陸とのきずなを尊ぶ外省人と、それ以前から住んでいた本省人がいる。両者の対立はなお残るが、いまや台湾生まれが人口の大半を占め、「台湾人」という意識が強まっている。

 なにこいているやら。さて、この文章から高校生は「両者の対立」をどう読み取る? 正解は何も読み取っていけないこと。事実が隠されているからだ。
 事実とは、1947年に起きた台湾の二・二八事件だ。余談だが、戦後史で隠蔽していはいけない事件にはもう一つ、韓国の済州島四・三事件がある。
 二・二八事件について、ちとぐぐったが、意外にプレーンな解説がない。この手の話題は「はてな」のキーワードにもないだろう。と調べるとない。映画関連もないようだ。晒しの意図はないが、ある台湾旅行記らしい記事「7月28日(土) ... これが台湾だったのか…」(参照)が面白かった。

二二八?
 予備校街を抜けてしばらく南下をつづけると、二二八公園に行き着く。二二八というのは台湾の何か歴史的な日付けなんだろうが、今回の旅行は全くの準備不足であっため詳細はわからず。ギリシア風の建物(国立博物館)や中国風の建物が建っている緑の多い美しい公園だ。整備も行き届いている。ただ、この日は雲一つない晴天で、暑かった。木はあるのだけれど、涼し気な木陰は見当たらなかったな。

 ま、それもいいのかもしれない。ただ、その上に今日の朝日新聞社説がのっかる日本っていうのは困ったものだと思う。ついでにこんなのも見つけた。ネットの世界とは不思議なものだ。「台北旅行2日目」(参照)である。

省立博物館と二二八和平公園
省立博物館はギリシャ風で、かつての植民地政府すなわち日本が建てたものである。一方、二二八和平公園の「二二八」とは、戦争が終わりせっかく帝国主義日本から開放されたと思った台湾人(本省人)が、今度は蒋介石の政府(外省人)の手により大弾圧を受けた有名な事件を指している。なぜこの名前が市の中枢部の公園の名前になったのだろう。とにかく、これだけでも台湾の複雑な事情が伺える。

 批判ではない。批判されても困るだろう。が、こういう教育を受けてしまう日本人はちと困るなとは思う。「帝国主義日本から開放されたと思った台湾人」はあの日、惨事の前にどんな唄を歌って凱旋していたか、もはや語られないのだろう。♪天に代わりて不義を討つ 忠勇無双のわが兵は…右翼・戦争賛美の歌ということなのだろうから。
cover
わが青春の台湾
わが青春の香港
 ついでに中華民国公式サイトに「二二八事件五十四周年記念式典開催」(参照)があった。当然と言えば当然だが。ついでだが「なぜ今、『台湾青年』をやめるのか?」(参照)には泣けるものがあるな。こう言ってはなんだが、みんな歳をとったのだ。
 この時代が日本にどう関わっているか、邱永漢の最高作「わが青春の台湾 わが青春の香港」を薦めたいが、絶版らしい。今となっては中央公論で出したのが不運だっか。しかし、他の選択もなかっただろう(参照)。こういう本を刷らないでなにが出版社だと思う。

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2004.02.06

死者たちよ、正月である

 干刈あがたがまだ作家として世に出ていないころに自費出版した「島唄」に、こういう唄がある。


後生じ札渡ち
戻らんでとしやしが
後生のあんだ王が
戻しならむ

cover
樹下の家族/島唄
  島唄といっても、沖縄ではない。奄美だ。彼女が現地で採集した唄だ。
 はてなのキーワードに干刈あがた(参照)が掲載されているのはいいが、奄美についての言及がない。ちょっと情けないなと思う。自分で追記しておくべきか。どう追記しようか、少し悩む。干刈あがたについては、干刈あがた資料館(参照)が詳しい。彼女の文学がこうして生き続けていることが不思議なような、それでいてあたりまえのような気がする。彼女に芥川賞が授与されなかっのは、芥川賞がくだらないからに他ならない。
 干刈あがた資料館の年譜を見る。1943年(昭和18年)0歳にこうある。

1月25日、父柳納富(明37生・青梅警察署勤務・警部補)、母アイ(明45生)の長女として東京府西多摩郡青梅町勝沼(現青梅市東青梅1丁目)に生まれた。本名和枝。長兄茂樹(昭14生)・次兄哲夫(昭15生、幼児の頃病死)・妹伸枝(昭22生)。
両親は鹿児島県沖永良部島和泊町の出身。

 両親が奄美の人だ。この青梅時代のようすは「真ん中迷子」に詳しい。私と彼女では歳が15年近く違うが、そこに描かれている立川の雰囲気は思い出せる。
 「島唄」には、昭和28年、彼女が10歳の12月25日に、奄美が本土復帰したときの光景も描かれている。大森海岸近くの会場で沖永良部島出身の人たちが集まりあでやかに復帰の祝いをした。「いったいあの貧しげな人々が、どこからあんなに美しい衣装や楽器を次々に持ち出してくるのかが、不思議でたまらなかった」と彼女は書く。ある意味、そこで奄美に強く出会ったのだと言っていいだろう。
 年表によれば、1975年(昭和50年)彼女が32歳とき、「島尾敏雄の呼び掛けでつくられた『奄美郷土研究会』の会員になった。奄美・沖永良部の島唄に惹かれ、島唄を採集し始めた」とある。彼女にとって、島の言葉はどう響いていただろう。初めて奄美に行ったのは20歳。その後、34歳で再訪するとき、言葉の消失を感じている。
 彼女にどのくらい島の言葉は息づいていただろうか。私は東京で生まれ東京育ちだが、生まれてから毎年盆暮れ、親の帰省で長野県に行った。その言葉の深い響きは私の存在の芯にある。沖縄で8年暮らしたが、芯には届かなかった。

後生じ札渡ち
戻らんでとしやしが
後生のあんだ王が
戻しならむ

 干刈あがたはこうルビを振っている。

ぐしょじさつわたち
むどらんでとしやしが
ぐしょのあんだおうが
むどしならむ

 彼女の訳はこうだ。

冥土で金渡し
帰ろうとしたが
冥土のあんだ王(えんま大王)が
帰してくれぬ

 意味は間違っていない。しかし、こう訳すことで大きなものが抜け落ちてしまう。そこを干刈あがたはどう考えていたことだろう。
 「札渡ち」の札は、紙銭である。中華世界に馴染み深いものだ。沖縄の「かびじん」である。かびじんはスーパーマーケットでも売っている。どんなものか見たければ、スーパーの店員に「かびじんはありますか」と聞けばいい。300円もしない。死者のために燃やす。死者はこれを受け取って、「札渡ち」となるのである。
 「後生」は沖縄でいう「ぐそー」である。表記は沖縄でも「後生」とされることが多い。音から考えると「後生」かもしれないし、本土の「後生」が伝搬したのかもしれないが、意味的には「世」が近いと思われる。「世」、つまり「ゆ」は、英語のregimeに近い意味がある。そこは、あんだ王の統治なのである。
 今日は、旧暦の1月16日。グソーの正月である(参照)。沖縄では「16日祭」「ジュールクニチー」とも言う。奄美では先祖正月とも言う。あの世の死者たちのための正月である。 今日、沖縄の各地では、酒と重箱を携え親族(門中)が墓を訪れ、後生正月(グソーショーガチ)を祝う。
 後生正月は中華圏では旧暦15日のランタンフェスティバル(花燈會)になる。籠燈(花燈)、つまり提灯を飾り、それ熱気球のように空に舞い上がらせる。このランタンフェスティバルを春節と勘違いする馬鹿者も多いが、さっさと今生に別れを告げたいのだろうか。
 干刈あがたが収集した先の唄は、グソーショーガチの唄だと私は思う。札を渡すこともだし、これが会合で歌われたものだろうということもだが、もう一つ符丁がある。あんだ王だ。
 「あんだ王」は干刈が解しているように閻魔大王だろう。「あんだ」は「えんま」の音変化だろうとは思うが、「あんだ」とだけ聞くと、ウチナーグチでは「てぃーあんだ」「あんだぐち」を連想させる。多分、違うのだろうが。
 本土の人間でも知らない人が多くなったし、しかたがないとはいえ、恥ずかしい勘違いも多くなったのだが、旧暦の1月16日は初閻魔(はつえんま)である。薮入りと言った方が通りがいいかもしれない。本土では旧暦が、戦後のGHQと社会党政権下のなごりか、撤廃されたため、新暦の1月16日に初閻魔(藪入り)ということになっている。「恥ずかしい勘違い」とはそういうことだ。
 本土でも正月と七月の16日閻魔堂に参る。閻魔参り、閻魔詣とも言う。大辞林を引くと、「俗にこの日は閻魔の斎日といわれ、地獄の釜のふたがあいて、亡者も責め苦を免れるという」とある(広辞苑もほぼ同じ)が、死者たちの正月だからであろうか、正月と解したのはウチナーンチュであろうか。藪入りについても、平凡社のマイペディアを見ると、使用は「元禄のころからで、もとは単なる休み日というだけでなく、大切な先祖祭の日で、他郷に出た者、嫁にいった娘などが実家に帰る日であったと思われる。」と呑気なことを書いている。日本の歴史を知るのには、沖縄や中華圏のことも知らなくてはいけないのに。
 さて、かく考えるに、この島唄は今日の日のものだろう。死者たちも、現世に帰りたいのだが、帰ることができないというのだ。
 干刈はこの後にもう一点、後生の唄を収録している。

後生の里主や ( ぐしょのさとぬしや )
如何る里主や ( いきゃるさとぬしや )
我が愛し子 ( あがかなしぐわ )
戻しならむ ( むどしならむ )

 彼女の訳はこうだ。

冥土の里主よ
どんな里主よ
私のいとし子
返してくれぬ

 干刈が先の唄と同じコーダ部分の「戻しならむ」を訳し分けている点に注意したい。後生(グソー)については先と同じだ。今度は、幼い子を失った母側の思いで切ない。「愛し」を「かなし」と読ませるのは、万葉集に馴染んだ人には不思議でもないだろう。

多摩川にさらす手づくり
さらさらに
何ぞこの子のここだ愛しき


父母を見れば貴し
妻子見ればめぐし愛し
世間はかくぞことわり…

 沖縄ではウチナーグチでは今でも使っている言葉だ。というか、民謡に多い。「かなさんどー(愛さんどー)」である。「みーあもーれ」である。
 愛がなぜ本土で切ないの意味になるかは古典の先生たちはきちんと教えているのだろうか。まあ、いい。「愛し」は室町時代ころまで本土では生きている。
 愛し(愛しゃる)と奄美と言えば、先頃結婚した元ちとせのラブソング「サンゴ十五夜」が連想される。この唄では「拝むいぶしゃた」が耳に残る。干刈の島唄にもこのフレーズは出てくる。現代の沖縄では聞かない言い回しだが。

アメリカ世暮らち ( あめりかゆくらち )
御頑丈見せる ( うがんじゅみせる )
御年寄ぬ姿 ( うとしゅいぬしがた )
拝みぶしや ( うがみぶしや )

 彼女の訳はこうだ。

アメリカ統治時代を経て
なお身心の毅然とした
お年寄りの姿
尊いことです

 沖縄なら、「うちなんかおじぃ、しにガンジューやっさ」である(ここで笑)。「拝みぶしや」は「尊い」でもあるだろうが、元ちとせの唄のように、「お目にかかりたい」という含みがあるのだろうなと思う。そして、私は亡き干刈にそう思う。

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北朝鮮への核技術流出がバックレで済むかよ

 些細なことと言えば些細なことだが、あれ?と思ったことがあるので、書く。極東ブログは主に主要新聞紙社説をネタにしている、と。ま、そういうことでいいかぁであるが、社説評論をしているわけでもないで、網羅的ではない。というか、それじゃつまらな過ぎ。だが、それでも、私は全部ブリーフしている。えばっているわけじゃない。社説なんてものは、さらっと読めるものだ。日本の場合、クオリティ・ペイパーズがないのだから、所詮、大衆が理解できるものでなくてはいけない。読みづらいものであってはいけない。
 前置きはそこまでで、あれ?というのは、朝日新聞社説って、パキスタンから北朝鮮への核技術流出についてなにか触れていたっけ。明日、触れるのか? エリック・カール「だんまりコオロギ(The Very Quiet Cricket)」みたいな話か。と、いうのは、今朝の日経新聞社説「背筋が凍る核技術の流出」でふと思ったのだ。こちらをまず引く。ちと長いが、重要な問題提起ではある。


 パキスタンの「核開発の父」と呼ばれるアブドルカディル・カーン博士が北朝鮮やイラン、リビアにウラン濃縮など核技術を供与していたことを認め、全面的に謝罪した。以前から国際社会はパキスタンに核技術流出の疑いを持っていたが、今回のカーン博士の告白によって事実だったことが判明した。
 背筋が凍る出来事と言わざるを得ない。パキスタンは事実をさらに詳しく調査し、どの程度の技術が、どこに、どういう形で流れたのかを公表すべきだ。カーン博士はムシャラフ同国大統領に事実を伝え、寛大な措置を求めたとされる。あくまで個人的な行為としているわけだが、本当に情報機関などパキスタン政府の関与がなかったのか、我々は疑いを消すことができない。第三者で構成する国際的な委員会などで本格的に調査すべきではないか。

 常識的に言って、個人行為のわけはない。そして、日経はこう書きながら、いまいち「北朝鮮」というキーワードを避けている。しかし、問題は、つまり、北朝鮮だろ。
 で、あれ、ここまでわかってきて、朝日新聞はどうばっくれていたっけと思ったのだ。と、読み返してみるに、4日の社説「6者協議――さあ核放棄の道筋を」で触れていた。

 北朝鮮は寧辺でのプルトニウム型核開発を自ら認めているが、米国から指摘されたウラン濃縮問題については否定している。核技術流出の疑惑に包まれていたパキスタンの核専門家が北朝鮮への濃縮技術提供を語ったと伝えられる。この問題もいずれ6者協議で究明する必要があるだろう。

 これだけ。しかも、毎度の啓蒙韜晦文にくるんでいる。端から、この核技術流出問題は専門家という個人にして、しかも、「と伝えられる」だとよ。
 つまり、これって、北朝鮮ひでーじゃん、というのを、さっと、六カ国協議に持って行けというわけだ。
 違うんじゃないか。核兵器廃絶運動だか、単に反核だか、しらないけど、パキスタン大使館前で広義でもやれよ、それから、北朝鮮の代理人組織の前でも、と思う。反核って、そうことじゃないのか。
 あー、サヨクって嫌だ。

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米国経済が強いのワケがあるのではいか

 現代はどうか知らないが、一昔前は高校の文化祭には前夜祭というのがあった。なんか、祭りだぞという雰囲気を味わうのである。今朝の各紙朝刊を見ると、G7を前にしてそんな浮かれ気分だけが漂ってくる。日経新聞社説「ドル不安を避けるG7の協調を」より。

 7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議が今週末に米フロリダ州で開かれる。世界経済は着実に回復しつつあり、失速の懸念は薄まった。ただ、その一方で対外収支の不均衡が拡大しており、為替市場などでは不安ムードもただよう。参加各国が市場の不安から目をそらさず、それにどれだけ真剣に応えた会議にできるかが試される。

 なにが「真剣に応えた会議」なのやらである。G7の見ものは、米国さん、天に代わってお仕置きよ、である。米国内政で「双子の赤字」を減らすようにし、ドル安を食い止めよである。
 そんなの米国は聞く耳持たないっていうか、問題は、むしろ、EUのスラップスティックと、国際犯罪的な日本の円介入による米国債買いまくりをなんとかせい、なのではないか。だが、日欧としても、そう言われてもなぁである。ちょっと照れるよね、という程度だ。結局、ふざけたお祭りになるのだろうなと、思う。
 三者睨みあってのチキンレースだ。誰が転けるか。意外に日本は打たれ強いし、米国は単純に強いから、EUあたりからヘタるんじゃないかと思う。
 毎回経済面で面白いネタを投げてくる毎日新聞だが、期待に応えてくれる。「フロリダG7 米の財政赤字に取り組め」より。

 米国は「強いドル政策の堅持」という建前を繰り返しつつも、「柔軟な為替相場の維持」を強調している。日本や中国のドル買い介入へのけん制である。
 為替相場の人為的な操作の疑いすら持たれかねない日本の巨額の市場介入に問題があることは、言うまでもない。日本は1月だけで単月としては過去最高の7兆円を超える円売り・ドル買いの介入を行った。それにもかかわらず、円相場は上昇基調にある。日本の通貨当局が円高阻止の決意を強くすればするほど、投機筋は円買い安心感を強めている。
 この限りでは、米国の主張は正しい。日本はG7で円売り・ドル買い介入を「経済のファンダメンタルズ(基礎的諸条件)からかけ離れた相場の行き過ぎ是正のため」として、理解を求めるが、方法論として間違えている。

 このところの毎日の動向を見ていると、そう来ると思っていたぜである。が、私としても、基本的にこの構図は現状認識としてはは間違っていないのではないかと思う。ただ、この先の毎日の筆法はようするに、米国にお仕置き!ってなつっぱしりなんで、勝手にやっていろよである。産経新聞社説「G7 ドル安是正で協調作りを」のオチは地味なトーンを出していて心が和む。

 企業の側もG7に過度の期待をすることなく、為替変動に負けない体質、体力づくりに一層励むべきである。

 G7には期待はできないよである。そうだよね。ところで、「為替変動に負けない体質、体力づくり」って何だ。わからん。ここでお茶を一服という感じだ。
 少し話の向きを変える。経済学者、エコノミスト、こぞって、米国は危機をはらんでいるぞという雰囲気なのだが、そうなのか。私はピンとこない。日本が金を貢いでいるからもってるんじゃんか、というのも、いかにもなのだが、それでも米国の芯の強さがあるんじゃないかと考えるべきではないのか。と、やると、お笑いの、懐かしのニューエコノミー論みたいなるが、ちと、気になることがある。米国の住宅バブルだ。
 世界最大規模のノンバンク、ファニー・メイ(連邦住宅抵当金庫:Funny May じゃないFannie Mae Fact Sheet)のCEOフランクリン・D・レインズのプレス記事がちと古いが朝日のサイトにある。「ファニー・メイ、CEO訪日を機にプレス・ブリーフィング」(2003.11.21)(参照)。ここでこう言っている。ちと長いが重要だと思うので引く。

 住宅バブルを生み出すことは困難です。米国の住宅市場は、証券市場や商品市場において見られた価格の<ブーム崩壊>循環を示したことはこれまで一度もありません。実際、大恐慌以来、住宅価格が全米ベースで下落したことはなく、そして当然ながら崩壊したこともありません。住宅価格は一部の地域において時折激しく変動することはあるものの、その場合は価格投機ではなく主としてその地域の経済の変動が激しいことに起因しています。全米レベルでは、FRBのアラン・グリーンスパン会長は、住宅業界においてバブルを生み出すことは困難である、と指摘しています。彼は「株式市場のバブルからの類推は明らかに不適切」と述べ、取引の費用と過程がバブルにつながるような類の投機的な住宅需要を阻止している、と指摘しています。

 そ、そうなのか? グリーンスパンの威光はもはやお笑いレベルだが、米国の場合、日本のように銀行経営が不動産担保だけで、おまえさんたち本当に銀行業務しているの?みたいな歴史はない。この応答は基本的に正しいのではないか。
 何が住宅バブル、もとい、住宅好景気をもたらしているのか? また、それは米国経済好調の派生なのか、根幹要因の一つなのか。おーい、エコにミスト、なんとか言えというか、どこかで言っているのか。
 私が思うのは、単純なことだ。家というのは、人が住むものである。人が住むというのは、ちょっと嘘くさい比喩だが、人の流動性、が、高いということだ。一義的には、移民の問題があるだろうと思う。もう一つは、現状、日本人の良心あるエリートさんたちは貧困階層をどうすべ、と、悩むのだが、実は、米国の貧困層というのは、移民を米国に吸収するための装置なのではないか。森永卓郎のお笑いではないが、低所得で生きていたってなんにも悪いことはない。むしろ、米国の低所得というのは国際的には相対的な貧困でしかない(というには、ちと酷すぎるものがあるのは知っているが)。
 ま、つまり、そういうことなんじゃないか。そういうこと、っていうのは、米国は、まだまだ、若い国家、ということ。それに比べて…である。

追記 米国住宅景気の件
svnseedsさんからコメントは、恐らく以上の私の愚考に勝っていると思われるので、強調の意味で追記しておきたい。私自身は、このブログについて述べた考えが間違いだとは思っていないが、svnseedsさんの見解のほうが有力であるとは思う。


米国では住宅の需要はモーゲージ金利ときれいに反比例の形になってます。で、今は歴史的な低金利なのでモーゲージ金利も歴史的な低さとなっています。なので住宅需要が強い。それだけの話です。
また家計は、モーゲージ金利が下がるとrefinanceして、余ったお金でどうするかというと前倒し返済でも貯蓄でもなく、消費します。これが個人消費が堅調だった理由です。
ということで米国経済の強さのひとつに、家計行動(住宅投資にせよ消費にせよ)が金利に非常に敏感だ、ということが挙げられると思います。

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2004.02.05

幹細胞技術とか、産経新聞の恥とか

 社説関連で散漫な余談を書く。
 まず、人間の倫理に関連して。毎日新社説「着床前診断 このルール違反は許されない」に変な感じがした。問題は着床前診断についてだ。着床前診断とはこうだ。


 女性の体から卵子を取り出し、体外で受精させる。受精卵が4~8細胞に分割したところで、1細胞を取り出し分析する。異常がないとわかった場合に、残りの細胞を子宮に戻し、妊娠・出産する。

 で、それは生まれてくる人間を選別しかねない重要な問題だ。で、結論を先に言うと、その重要な問題を私たちの社会はどう考えるかは、ちょっとわかんねーである。毎日新聞はここをかっとばして、業界団体が正しいとする。いわく。

 だからこそ、国内では日本産科婦人科学会がルールを定め、一定の歯止めをかけてきた。
 にもかかわらず、神戸市の産婦人科の医師がルールを無視し、3組の夫婦を対象に独断で実施していたことがわかった。

 それが問題だというのである。するっと読むとなんて許せない悪徳医師みたいだが、この手の問題は、ちょっと辟易としてしまう。というのは、諏訪マタニティークリニック」根津八紘院長の提起で内実をよく知るようになったからだ。ただ、与那原恵などライターがこれまでこうした問題にちょっと首を突っ込むのだが、いま一つ真実感がない。根津八紘にくらいつくジャーナリスト魂がないのだろう。ちなみに、「八紘」は「やひろ」と読む。ちょっと解説したい気がするが、しない。
 関連して幹細胞技術(参照)なのだが、これもなんだかわからない。もちろん、個々のニュースはある。というか、うんざりある(参照)。だが、米国のような議論は見かけない。というか、議論があるのはわかるが、どうもピンと来ない。文化的に生命への畏敬感が違うのだろうか。たしか、韓国では幹細胞技術でハゲの治療をといったニュースを最近見かけた。そこまでして毛生やしたいか。
 話は変わって、これも雑談だが、産経新聞社説「交ぜ書き 廃止求める提案に賛成だ」はなんか吹いてしまった。

 例えば、小学四年の国語教科書は「階段」を「階だん」、「骨折」を「こっ折」と表記している。「段」や「骨」は六年生で学ぶことになっているからだ。また、六年の教科書では、「援助」が「えん助」、「図鑑」が「図かん」となっている。「援」や「鑑」が教育漢字にないためだ。
 あまりにも杓子(しゃくし)定規で、愚かしい表記法である。これでは、古典や擬古文だけでなく、夏目漱石や森鴎外など明治を代表する作家の作品すら読めなくなってしまう。書くことが難しい漢字であっても、まず、それにルビをふって読ませる指導が必要であろう。

 なんかなぁ、である。この手の議論を書いていて、「森鴎外」である。まずいよなとは思わないのだろうか。

 漢字を正しく覚えるためには、子供のころから読書の習慣をつけ、小学校の早い段階で古典に触れさせることが大切である。

 先ず隗より始めよ。

追記1
「オチがわかんない人がいるかもよ」と言われた。そうか? ところでこれ見える? 
追記2
産経新聞ネタだが、「問題は『森鴎外』だけじゃないだろ」との声を聞く(どっから?)。えっとですね、それは極東ブログとしては、固有名詞と普通名詞の問題、だから。「池沢夏樹」か「池澤夏樹」か、と。ついでにいうと、日常の文章を全部旧字体旧かなにしろとも思ってない。こう言うとこっぱずかしいのだが、「旧字旧かなは日本人の教養」で、「森鴎外」はちょっと教養ないよね、という話。余談だが、漱石もそうだが、これは「号」である。ペンネームじゃないんだよ、っていうのがわからん人が増えてきた。こういうのも困ったものだと思う(号はペンネームであるとか言われたら、ポコペンだけどね)。

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アメリカという国

 朝日新聞社説「大統領選――『二つの米国』でいいか」は朝日新聞らしいつまらない社説だった。緩和に書かれているが毎度のサヨク・反米というだけのことだ。ちょっと引用しておく。


 指名争いの決着はまだ先だ。しかし、分裂よりも統合を大事にする民主党候補の政策に支持が広がれば、それを取り込む形でブッシュ陣営の政策にも変化が起きるかも知れない。誰が大統領に選ばれようと、そうした方向への展開なら大歓迎である。

 なぜ、ケリーを望むと言わないのか、そのあたりの朝日の毎度の啓蒙韜晦に辟易とする。ケリーを望むと言えば、責任が生じるからだろう。俺はこういう朝日みたいに曖昧なやつは嫌いだな、というのは日常の感覚だが、それもさておく。ようは、朝日のいう「統合」とやらが何か、だが前段はこうだ。

1980年代の「レーガン保守革命」が終わった後、無党派層や、共和、民主両党の穏健派を引きつけるための中道路線が政権獲得の鍵とされた時代が続いた。90年代のクリントン大統領がその典型だ。ところが、いまの米国は右と左、富む人と貧しい人の距離が離れすぎてしまった。選挙の構図もかつてのようになりにくい。ケリー氏もブッシュ政権に対して、大企業寄りの姿勢や利益誘導をあげて激しく批判する。

「右と左」が何を言っているのか曖昧だが、保守(右)とリベラル(左)くらいの意味だろう。もうひとつの分断は貧富の差だ。そして、それを招いたのがレーガノミックスだと言いたいわけだ。ソ連を倒したレーガン憎しというお笑いか。
 保守かリベラルかというのはアメリカ政治のダイナミズムであり、あの国の二大政党の基盤だ。それを統合というのはプロ独裁くらいしかありえないのだから、これも朝日の馬鹿話にすぎない。
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クルーグマン教授の
経済入門
 問題は貧富の差だ。これは問題ではある。だが、ちょっと待て、米国の現在の問題は貧富の差に還元されるのか。あれ、それってサヨク丸出しじゃないの、とも思う。もちろん、米国の貧富の差は大きな問題だし、意外にこれは近年の問題でもある。文庫になって最新の山形浩生の注が加筆された「クルーグマン教授の経済入門」の指摘は参考になる。クルーグマンが結果的にブッシュ攻撃をしている背景にはこの米国社会の経済学的な病理への懸念もあるのだろう。いずれにせよ、朝日のいうような古いサヨクの歌で心情をときめかす問題ではない。
 今回の民主党の動向を見ていて、民主党の提灯持ちであるニューズウィークの動向でもそうなのだが、私は本命はディーンかなと思っていた。しかし、あれを見て、ブッシュより馬鹿じゃん、とアメリカ人もさすがに思ったのだろう。極東ブログではアホ・デブ・マッチョが米人のという枕詞だが(日本はイジケ・ヒンソー・インシツか?)、アメリカというのは強い健全性というか、正直なところ脱帽するほどの正義と謙遜(modesty)の国だと思う。まぁ、多面ではあるが。
 ちょっとおおざっぱすぎるが、言語や倫理というのは、一般的に伝搬の僻地にいくほど古層を残存する。現代沖縄が大正時代を保持しているような感じだ(そうなのだ)。同じく、米国の田舎は古層のイギリスに近い気がする。機関車トーマスとか読んでいると、実に面白い。映像になってしまったし、続編あたりからおかしくなってしまったが、あれはけっこうお子様ものではない。共産主義は危険だという思想まで含まれている。いずれにせよ、トーマスのテーマは傲慢にならないこと、である。あれが米国の田舎の、ある古層の倫理なのだと思う。現地を見た人は、まさかという批判もあるだろうが。
 私はディーンはわらかないでもない。ケリーはわからない。しかし、ケリーを支持する民主党の層はわからなくもない。ある意味、共和党より古層の雰囲気を感じる。
 もうちょっと言おう。私はアメリカの古層の倫理と家族主義がとても好きだ。なぜだろうと思うに、子供時代に米国のファミリードラマをしこたま見たせいかもしれない。題名は覚えてないが、子連れ再婚のドラマだったが、その子連れが双方に3人ずつ。男3、女3というのがあった。もちろん、そうすることで脚本にダイナミズムが出る。ディテールは忘れたが、ああいう家族主義は米国の古層のイメージに近いものだと思う。ニューヨークパパというドラマはけっこう人生観に深く残った。ちょっとかっこいい、しかも金持ちの一人暮らし、しかも召使いがいる。そこに両親をなくした幼い兄弟をひきとってパパになるという話だ。けっこう人情ものだったのだが、特に、パバロッティにちと似た召使いことフレンチさんがよかった。
 この手の話はネットにあるはずと、ぐぐるとある(参照)。1966年? そんなに古いか。原題はThe Family Affairというらしい。ちょっと洒落ている。ちなみに「奥様は魔女」の原題はBewitched(参照)。高校生ならこの原題の洒落、調べておけよ、と塾の講師のようなことを言っておく。The Family Affairも洒落だが、こちらは今の高校生ではわからないだろう。
 ニューヨークパパの幼い子供役は私より少し年下くらいか。だいたい私と同世代の米国中流階級はああいう環境で育ったのだろうなと思う。ヒップの世代より下で、保守への揺り戻しがあったのかもしれない。
 話がまた回顧モードに入ってしまったが、私より上の世代の日本の親米政治家には、これに類した米国への親和感があると思う。あるいは、私より上でも団塊あたりのエリート層はなんであれベトナム戦争の傷があるだろうからその上の世代になるか。アフガン・イラクで陣頭に出てきた池澤夏樹は私は一回り上だが、そのあたりまでの層から上だろうか。ちなみに、池澤も古層にはこの親米性があるのは芥川賞受賞前の仕事を見ているとわかるだろう。
 日本を理解するうで、戦後のこの米国メディアが残したある種の親米基盤みたいなのは、うまく論じられていないような気がする。私からすれば、福田和也がなんかシュールな菊池寛のシミュラクルに見えたり、坪内祐三がなんか疑似レトロに見えるのはそんな感じだろう。しかし、実際の戦後は例の団鬼六が英語教師でカーボーイものに心酔していたように、昭和後期の右傾化や日本的なるものは、ある種のキッチュなのだ。さらにこのキッチュがねじれて白洲次郎などが今頃メディアに出てくるが、あれはただの帰国子女というか中身はただの外人だ。
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私は英雄じゃない
ジェシカ・リンチのイラク戦争
 話が散漫になったが、団塊世代より下の日本人にとって、アメリカという国はどういうイメージなっているのだろうかと思う。確かに留学生や長期滞在者は増えた。しかし、アメリカという国がその歴史の厚みを持って見えているのだろうか。まさか古賀潤一郎みたいな馬鹿ばかり、そんなことはないと思うのだが、あまりアメリカを舐めていいわけはない。日本人のなかから、ジェシカ・リンチが現れるか?と問うてみるがいい。任意の米人からあの正義とオネスティ(honesty)が出現するのだ。アメリカの本当の強さはそこにあるのだ。

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2004.02.04

ガストン・ジュリア

 昨日はガストン・ジュリア(Gaston Maurice Julia)の誕生日ということで、Googleのトップのロゴは、ジュリア集合のフラクタル画像を模したものだった(参照)。いかにもGoogle的というべきか、私などには、ある種の時代性を感じた。
 ジュリア自身は1893年2月3日生まれ(1978年3月23日死去)。元号でいうなら明治26年生まれ。古い人だなである(参照)。日本人数学者岡潔(参照)がジュリアのもとで学んでいる。
 「時代性」というのは、ちょうどMacintosh IIが出たころ、という意味だ。確か、1988年だったか。カラーデプスは8bitなので今にしてみると、ちょっとなぁであるが、あの画面を見たときはその美しさに驚いたものだ。CPUも68020で扱いやすい、というか、コンパイラ向き、というか、いかにもMacintoshらしいPascal向きなものだった。
 私は自宅ではSE/30を使っていたので、それにカラーボードを入れて、アメリカからユーザーグループのソフトなどを取り寄せたりしたものだが、この時代、よくジュリア・セットのフラクタル画像を見かけた。
 記憶が曖昧になるが、マンデルブロが話題になったきっかけはなんだっただろうか。ぐぐってみると、エール大のフェローとなったのが1987年とある。その時代かなと思う。ところで、ネットをうろついてめっけた「マンデルブロ集合計算・描画プログラム 」は面白い(参照)。ジュリアではなくマンデルブロなのだが、ただの画像描画ではなく、部分を拡大・再描画できるので、微細部分のフラクタルな様子がよくわかる。こういうのが、中学生くらいで見られるっていうのは、ちょっとうらやましいぞ。
 広中平祐がフィールズ賞を取ったのはぐるってみると1970年。そんなだっただろうか。もうちょっと後だったような気もする。私が高校生のころは、広中の啓蒙書のようなものを読んだものだった。コッホ曲線とかの解説もあった。マイコンが世界に登場するちょっと前だったと思う。
 フラクタルという概念自体はBASICでもモデルにできないことはないので、いろいろ記事が出ていたかな、と思い起こすが、さすがに美と思えたのはMacintosh IIでプログラムしたジュリアだった。
 あの時代、Google技術のコアの人々がおそらく高校生から大学生のころだろう。とするに、私より10歳くらい年下の人たちなのだろうか。日本ではどうだろう。ジュリア・セットとか見て、現在35歳くらいの層は、あの時代だなと、思いあたるのだろうか。
 コッホ曲線で思い出したが、そういえば、あの頃、LOGOやシモア・パパートが話題になったことがあった。LOGOについては、最近とんと話題を聞かない。APLがJになったように(参照)、どっかでこそっと生きているのだろうかと気になってぐぐると、なんというか昔のままのようでもある。安価で高性能なフリーソフトがあるかと探すと、あるにはあるが、どうも時代遅れだなという印象だ。代わりに、学習ソフトとしてけっこうな金額で販売されているのを知って、ちょっととほほな感じがした。
 LOGOやパパートについて解説もしないで、それが学習に向いているか、と話を進めるのもなんだが、いつのまにかまるで状況は変わってしまったなと思う。パパートの連想でケイ(アラン)を連想するのだが、こちらは現在もう少しましなSQUEAKを出している、が、これってむしろオブジェクト志向の思考のためか。Small-talk80などはどうなったのか、調べるのもうっとおしい。余談だが、思考ツールに向いた気の利いたコンピュータ・システムはないだろうか。テキスト処理も以前のDOS時代よりもやりづらくなっている。AWKとLISPをまぜたようなシステムがあれば便利だと思うのだが、どうだろう。
 昔の話が好きな歳になっていけないなと思うが、そういえば、SMC-777にはLOGOが付属しいたと思うが、あれが思い出になって大成した技術者はいるのだろうか。ヘンテコなシンボリック・アセンブラもあったっけな。
 と、ぐぐると、懐かしいものがある(参照)。SMC-777のアイドルだったが聖子だが、すでに娘の歳のほうが上だろうか。1983年。懐かしいなと思う。20年前か。

追記
 日本のWebページにはジュリアについての基礎情報がないようなので、お子様たちのために以下を追記しておく。

ガストン・モーリス・ジュリア(1893-1978) (参照)

 フランスの数学者ガストン・ジュリアは、1980年代以降、カラーグラフィックがパソコンで実現できるようになると、彼が考えたジュリア集合という数学的なアイディアもコンピューター画像として見ることができるようになった。
 ちなみに、ジュリア集合は、

zn+1 = zn2 + c

において、定数c=a+bi に対して|zn|が∞へ発散しないような初期値z0の集合。
 ジュリア集合の画像は、ちょっと見ただけでも植物のような動物のような不思議な印象を与える。全体の姿が細部の姿と同じという特徴をもっているフラクタル画像とよばれるものだ。似たものにマンデルブロー集合というのがある。それとジュリア集合はほとんど同じと言っていい。フラクタル画像が生命体の構造に似てしまうのは、もともと生命というのが、フラクタルに近い構造を持っているからだ。人間は一つの細胞から生まれたものだし、その内部に全ての情報を持っているという点でもフラクタルに近い。
 ジュリア集合は有名だが、ジュリアいう数学者については、Googleをひいてみてもあまり情報はでてこないようだ。もちろん、専門以外ではあまり関心をひかないのかもしれない。
 ジュリアは1983年(明治26年)、フランスの植民地だったアルジェリアの、北西部地中海近い都市シディベルアベスで生まれる。第一次大戦に従軍して負傷。鼻を失う。22歳くらいのことか。後年のジュリアの写真に、鼻を黒く覆った小さな皮のマスクがあるのは、この時の負傷によるものだ。
 25歳ですでに有理関数の研究で著名な数学者となる。この時期の研究ですでにジュリア集合の考えを発表している。もっとも、その後の研究には目立ったものはないとされているが、どうだろう。日本人数学者岡潔はジュリアに学ぶためにフランスに留学した。
 ジュリアは1978年、85歳でパリで死んだ。

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市町村合併は法的に行え

 産経新聞社説「自治体合併 将来見据えた決断のぞむ」は概ね良かった。今朝の社説である必要があるのかわからないが、誰かきちんと言っておくべきだ。東京の住民なんか問題をまるでわかっていないというか関心すらないのだから。話題は「平成の大合併」についてだ。問題点は表面的には合併が進まないことだが、ここに来て、話がねじくれてきている。


問題は、第二十七次地方制度調査会が「合併を促す人口規模についてはおおむね一万人未満を目安とする」と最終答申したにもかかわらず、これが法案に盛り込まれていないことだ。総務省は、全国町村会などが反対していることに配慮し、法案成立後に策定するガイドラインで示す方針という。

 溜息が出る。日本人は法をなんだと思っているのだろう、と、当方、法をよく理解しているわけでもないのだが、要するに、本来法で行うべきことが、ガイドラインになってしまう。ところで、この手のカタカナ語止めろって思うぜ。「法に根拠を持たない官僚のご指導」っていうやつだよ。この無法な権力を日本から減らせと思う。裁量だとかぬかして官僚が膨れ過ぎている。
 いずれにせよ、裁量になるわけだから、狙いを定めて金の真綿で首を絞める(爺臭い表現)ってわけだ。陰惨なことになるなと思う。むしろ、明文化したほうがなんぼかましだ。
 産経の結語はこれでいいだろうか。

 地方の借金は十六年度末には二百四兆円に達するとされる。この巨額負債の解消を目指すための“最後の一球”は地方に投げられたといえる。

 地方に投げられたっていうのは逃げじゃないか。

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読売新聞に日本文化なんか言われたくない

 日本文化なんて構えて議論するっていうのは漢心(からごころ)だよなと思う。無粋なやつが産経新聞とか読売新聞に多い。読売新聞社説「国語教育答申 精神文化の『核』を確立しよう」が文科省(っていう省略は気持ち悪い)の文化審議会国語教育答申をネタにほざくほざく。


 答申の特徴は、国語教育で、美的感性や懐かしさの感情、日本の文化、伝統、自然を愛する祖国愛、名誉や恥といった社会的、文化的な価値にかかわる情緒面の育成を重視していることだ。

 むしろそうだったらいいのにな、そうだったらいいのにな、である。実際はかなり阿呆臭い。

 答申は、小学校で国語の時間を増やし、教科書の漢字に振り仮名を付け、古典や名作を数多く読めるようにすることを提案した。音読や暗唱を重視することも求めた。その上で、中学校で論理的思考力の育成を図ることが必要とした。
 正しい方向性である。国際化、情報化が進む今、長い歴史の中で蓄積されたものとつながってこそ、人は本来の自分になれる。

 斎藤孝の弊害もここまできたかという感じだ。国境(こっきょう)の長いトンネルをぬけたり、「こいすちょう」をやるのか。馬鹿乱造だな。まぁ、小学生なら振り仮名でもいいかと思うが、中学生くらいになったら、全部がとはいわないが、GHQが作らせたインチキ略字じゃなくて、正字で伝統仮名遣いのものをそのまま読ませたらどうか、というとちとアナクロか。しかし、驚くのだが、今の子、漢字の旧字が読めないのだね。台湾とか行っても看板読めてないようだ。
 ま、この手の話題はこの手のおちゃらけになってしまう。それに、思うのだが、国語の教科書、あれはひどいシロモノだよ。もっと実務的にすべきだと思う。すべての人が恋愛に向くわけじゃないように、文学なんてものはむしろ向く人はわずかだ。たいていの大衆は大衆文学でいいのだし、大衆文学なんてものは、軽蔑するわけじゃないが、市井に生きているならわかるものだ。
 ついでなんで、もう一つ引用。これが、読売新聞馬鹿丸出しだよ。

 リストカットを繰り返した女子大生が「核になるものが心の中にない」と、語ったことがある。今の若者たちにある寄る辺のない感覚は、自分の中に「核」を見いだせないことにもよるのだろう。
 国語教育がすべてではないにしろ、母語としての国語に愛着を持ち、日本人としての自覚や意識を確立することで、失われつつある精神文化の「核」を再生することが必要だ。
 ただ「個」の尊重だけでは、子どもたちは荒野に投げ出されるのと同じだ。

 これ書いたのは何歳だ。30代だったら、そして俺が本気なら殴るぜ。人間の核というものは、愛だ。今の時代の子たちが愛を見いだせないのだ。そして、その不在は、慟哭すらもたらさないのだ。愛がなければ心は生まれない。心がなければ心が声振りを求めることもない。声振りの身のなかで、身体が現れるのだ。斎藤孝の身体論などふざけた冗談でしかない。
 もちろん、そう言うことは空しい。愛は言葉ではないからだ。
 そう、愛は言葉ではない。言葉は愛のあとから来る。日本語を美しくする以前に、日本の文化のなかで培った愛が問われているのだ。

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北朝鮮6者協議の見所

 極東ブログが紹介されるとき、新聞社説をネタにするブログだよん、という感じなる。ま、プロフィールにもそう書いているし、そういう意識もあるのだが、例えば、今朝みたいな日、各紙社説が北朝鮮の核問題をめぐる6か国協議を扱っているとなると、触れないわけにもいかないかぁ、という気にはなる。しかし、これがどれ読んでもつまらない。が、まぁ、さらっと触れておこうか。
 朝日新聞社説「6者協議――さあ核放棄の道筋を」は、とほほである。端的に言って、朝日の言いたいことは、北朝鮮問題は現状北朝鮮が提示した拉致家族の帰還を持って終わりにして将軍さまに貢ごう、ということだ。罵倒する気もなえる。あの韜晦な啓蒙文の引用もめんどくさい。拉致問題はまだまだ序の口なんだぜと思う。生きている可能性の高い8人ですら、もう死んだことにするのだろうか。
 問題の核心については、毎日新聞社説「6カ国協議再開 北は核放棄で誠意を示せ」がわかりやすい。つまり、こうだ。


 核問題は北東アジアにとどまらず、世界の安全と不拡散体制の根幹につながる重大な課題だ。核やミサイル技術が世界に拡散する事態を半ば実力で阻止するために、米政府が提唱した大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)の参加国も着実に増えつつある。
 これ以上話し合いを拒めば問題は国連安保理に付託され、厳しい制裁を科される可能性が強まる。北朝鮮が協議開催を受け入れたのはそうした空気を感じ取ったからかもしれない。

 このあたりがサヨク君たちが懸念していることかもしれない。イラクの大量破壊兵器問題を騒ぐのも、あれらも無く言ってしまえば、北のお友達を守るためなのだ。毎日新聞のこの話の展開はこれでいいともいえるのだが、ただ、実は主役は中国なので国連安保理になるわけはない。もう少し現実的なツッコミが欲しいところだ。
 日経新聞社説「核廃棄と拉致解決を急げ」は悪くない出来だが、あえて読むほどの意味はない。読売は今朝は触れていない。産経新聞社説「6カ国協議 追い込まれてきた北朝鮮」は一点重要なことがある。

 年明け早々から、北は米国のプリチャード前朝鮮半島和平担当大使らの寧辺の核施設視察を受け入れた。日本に対しても拉致事件で、拉致議連の幹部に接触して新たな拉致家族返還の変則的な提案をして、より柔軟な姿勢を演じてみせた。
 しかし、ここにも北朝鮮の姑息(こそく)な仕掛けがあったとみるべきだろう。米訪朝団への施設公開は、「核活動の凍結」で早く妥協しないと手遅れになるとのメッセージを米国に送る手管に使っていた。拉致議連への提案は、拉致家族を揺さぶり六カ国協議の議題にしようとする日本への牽制(けんせい)である。

 そう、姑息な仕掛けなのだ。産経のこの読みはこれでいいと思うが、なぜか韓国に言及していない。なぜかわからないが、この間の韓国と日本の動向を見ていると、やけに反米だ。もちろん、極東ブログだってそうだというのはあるが、北に有利な反米言動がメディアに目立つ。反米による協議弱体の狙いもあるのだろう。
 その仕掛けの黒幕が北朝鮮なのか。金正日が指揮できているのか、これら全ては中国の差し金なのか。つまるところ、北朝鮮の脅威というのは解消されてはならないというのが6か国の本音なので、そのあたりと、中国の国際面子のバーターがどういうふうに出てくるかだ。それが協議の見所でもある。とはいえ、まだまだメインのプレーヤーは米国であり、米国はこの件で日本を重荷に見ているようでもある。

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2004.02.03

Gravity in eight minutes

 ちとわけあってわかりづらく書く。わかんねーよの御懸念御無用之事、っつうか、ある意味たいした話じゃないので、なんだコレという方、気にせず、次行ってみよう!である。
 で、G八分(参照)の話題だ。この話題は極東ブログ向きではないとも思うので、軽く扱うのだが、例の悪摩尼(参照)関連はすごいことになっている。そのすごさには、スラッシュドット ジャパンの記事のほうがわかりやすいか(参照参照)、というわけで、当方は、ちと曖昧に書く。が、日本もそういう時代かぁと思うべきか、米国ではそうでもないので、これって日本ならではのことか、どっちかな。訴訟自体は覚悟さえすればそれほどのことではない。いしかわじゅんの名著「鉄槌」を参照すべし、である。

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鉄槌
 ちなみに、現状、八分の元になるこの手のフィルタの状態なのだが、アクセスのIPにかけていた。ので、海外の風呂串をかますと、けろっと抜ける。あれま、である。DB側は変わっていない。日本サイドの技術の動向がちと気になるところだが、もともと、商売の売りはDBよりフィルタ技術なのかもしれない。が、ふーんである。
 問題のもう半面、つまり、とばっちり、と言うのとも違うが、「はてな」の動向というか、その受け止め方も気になる。自分もまだ「はてな」に片足突っ込んでいる状態なので、あのコミュニティさのある種の健全さというか正義感は、この件についてどう影響するのだろうか。
 こうした問題の全体については、当初問題提起された「圏外からのひとこと」の一連の見解が妥当だとは思うし(参照)、あまり私が付け加えることはない、どころか、かくぼかしているわけだ。
 問題の視野をもう少し広げると、クローラーは「はてな」やココログをかなり高く評価しているが、2ちゃんねるブログはどうかな、という問題もある。他にもポータル(infoseekやexciteなど)がこぞってブログサービスでもある。
 「はてな」やココログの層というのはかなりマーケット的に美味しい、はずだ。この層の人間群は今後のネットの世界の先行モデルにもなる。が、この先行性をどう活かすかは、そう簡単でもない。ブログ側の課題としてみれば、この層の自己表出は、どう商業主義と折り合うのか、ということになる。単純に商業主義反対!とは言えないというか言えるほど、もはや平坦な世界ではない。
 てなこともあり、当方もちとアフィリエイトをプロービングに使っている。面白いといえば面白い。自己表出が結局、商品化され(まるでマルクスのいう労働の自己疎外のようでもある)、その商品のブログ表出がコミュニケーションになるのだ。簡単にいうと、おれっちこんな面白い本を読んだぜ、DVD見たぜ、というのが自己表出のフォルム(形式)にならざるを得ないのだ。とはいえ、当方、現状では、腰が据わってないので、儲ける気がねーという動機の不在のため、いまいちわからん。極東ブログである、そのあたりの商業主義との兼ね合いが難しい。
 この層のポジションニングもすでに思いがけないほど上位だ。あえて曖昧に言うのだが、この極東ブログなど、ありがちなSEOは使っていないが、Googleアルゴリズムの背後にある米人の発想がなんとなくわかるので、そういうチューンを多少しているせいか、特定のトピックについては、予想外のポジションをゲットしている。ので、これが、ちと怖い。このままだとマスメディアに衝突するかも(しないか?)。それほど、ふんどしを締めているわけでもないので、そのあたりの間合いが難しい事態になるだろうか。
 話が散漫だが、個別の悪摩尼や、今後のG八分だが、ふと思ったのだが、こうした傾向が進むほど、実際のところ、日本の言論を守るのは、2ちゃんねる、になる。という揺り戻しになるのではないか。悪摩尼が検索できない世界を想起せよ、である。
 逆に、悪摩尼など、特定のサイトはすでにポジションをゲットしているのだから、内部にナマズでも飼うといった装備をすれば問題は解決する。それだけの話かもしれない。つまり、Googleな世界よGoodbye、である。

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日米同盟のジレンマって何よ?

 日経新聞社説「日米同盟のジレンマを避けるには」を読んでいて、なんか、こう胃のむかつきに似たような変な感じがした。なにか認識が間違っている、と言えばいえないことはないが、なんなのだろう、この作文はという、変な感じである。出だしも変といえば変だ。記者クラブ?、なんでよ。みたいなツッコミもしたくなる。


 日米戦略対話のために訪日したアーミテージ国務副長官が日本記者クラブで会見し、イラク、北朝鮮問題に触れ「成功のカギを握るのは強固な日米同盟だ」と強調した。同盟関係にはジレンマがつきまとう。関係が緊密ならば、一方は他方の戦争に「巻き込まれる」と心配し、関係が疎遠になると、一方が危機に見舞われた場合に他方に「見捨てられる」と心配する。

 よくわからないのだが、同盟関係にジレンマがつきまとう、とアーミテージが言ったのか、と高校生みたいに誤読しかねない。よくわかんないなと思うのは、ジレンマの極とされているのが、矛盾しているのか。

  1. 日米関係が親密だと、戦争に「巻き込まれる」と心配
  2. 日米関係が疎遠になると、危機(主に北朝鮮暴発)に「見捨てられる」と心配

 そうか? わかんねーなと思うのは、「戦争に巻き込まれる」ってなんの意味なのだろう。北朝鮮の暴発を意味するなら、別に米国関係が起因なわけはないし、米軍なくして対応はない。ジレンマなんかねーじゃんと思う。
 もっとも、そういうツッコミも青いのだろうなと思う。ずばり言えばいいのではないか。つまり、米国関係が親密というのは、日本が有志連合に組み入れられて、米国州兵の海外派兵の肩代わりをさせられるということだ。日本が軍事的に属国化するという問題だろう。
 日米関係が疎遠になる心配というのは、経済問題ではないのか。
 だが、日米関係の経済面の依存はもはや相互的である。日本がばかばか日本の国富をもって米国債を買い続けなくては米国経済は頓挫する。一蓮托生の深い仲となのだから、むしろ、アーミテージとしても、そういう仲じゃないかと、記者クラブで旦那のために芸者踊りをしてくれたと理解すべきじゃないのか。
 それにしても、日経はこの社説を誰に向かって書き、なにを主張したいのだろう。わかんないなと思う。

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クルド人自治区自爆テロ、朝日新聞泡を吹くの巻

 クルド人自治区自爆テロは陰惨な事件だが、不思議でも異常な事態でもない。朝日新聞社説「クルド襲撃――イラク再建の難しさ」が状況認識のとち狂いでおたおたと泡を吹いている様が滑稽である。


イラクのフセイン独裁政権崩壊から9カ月以上たった。フセイン元大統領は昨年末に米軍に拘束された。だが、治安は改善されず、旧政権の残党やイスラム過激派によるゲリラ攻撃やテロが続いている。占領軍に協力するイラクの警察官らも「裏切り者」として攻撃されるようになった。
 しかし、今回の標的はクルド人政党だ。占領軍への反発とは種類の違う政治的な背景があったと見ることができる。

 フセイン残党が反米で混乱を起こしている前提で書かれているが、左翼な朝日新聞がベトコンの再現の幻想を持っていたということにすぎない。こういうときは罵倒するのが正しい態度だと思う。朝日新聞って馬鹿だなぁである。
 クルド襲撃については、朝日新聞のように別の文脈を取る必要はまるでない。極東ブログは当初からこの問題を基本構図として内乱としてきたが、それがより顕在化しただけにすぎない。
 クルド人問題については、すでに極東ブログ「幻想のクルディスタン、クルド人」(参照)で触れておいた。ちょっとイヤミな言い方だが、ネットに溢れるクルド・シンパの議論に惑わされないようにしたい。朝日新聞社説もよく読めば、慎重にクルド・シンパとの距離を置いているあたり、実は朝日内部に普通の感覚と知識をもつ人間もいるのだろう。
 社説としてみれば、結語は爆笑ものである。

 多宗派・多民族のイラク社会で、どのような形で「民意」をまとめ、イラク国内の対立激化を防ぎながら、どうやって国造りを進めていくのか。そのためにも、国連をはじめ国際社会が一致してイラクの再建を支える態勢づくりが急がれる。

 前半と後半の文章が論理的につながっていない。国連主義が解決だと思いこんでいる、その思い込みが現実認識に病巣を作っているか、あるいは、反米イデオロギーなのか。いずれにせよ、無前提な議論にすぎない。なにより、「国際社会が一致して」という日本的な発想はもうやめるべきではないか。国際問題に前提となる一致はない、結果としての一致があるだけだ。そのために国連を機能させなくてはいけない。朝日の考えはまるで逆だ。
 社説として問われているのは、まさに「どうやって国造りを進めていくのか」と日本がどう関わるかを現実的に描くことだ。それを放棄してここで事態に泡吹いているようでは、朝日新聞の社説はブログの落書き以下の内容でしかない。

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2004.02.02

台湾総統選挙、日経の正体は何?

 日経新聞社説「勢力伯仲の台湾総統選挙」がなんだかよくわからなかった。もちろん、テーマも内容もわかる。なにがわからないのかをうまく説明できるだろうか。元になる話はこうだ。


 3月20日の台湾総統選挙に向け、1月31日から6日までの立候補の受け付けが始まった。すでに与党、民進党は陳水扁総統と呂秀蓮副総統、対する野党連合は国民党の連戦、親民党の宋楚瑜の両党主席をそれぞれ総統、副総統候補に擁立して勢力伯仲の選挙戦を展開しており、事実上の一騎打ちとなる。

 確かに、そう言ってどこも間違いない。でもなぁ、台湾を少しでも知る人間はこう書くかぁ?である。なんかこれって、日本の自民党と民主党みたいなノリにしか読めない。実態はぜんぜん違うぞである。国民党ってようやく政党になったのだが、これって、大陸の共産党に敵対していた、もう一つの独裁政党なのだが、そういう歴史感覚がごそっと無いような印象は受ける。というか、そのあたりの感覚をベースに書かないと、次の話は意味をなさないと思う。

 陳総統は「中国と台湾はそれぞれ別の国」であり、「住民投票によって2006年に新憲法を制定する」と宣言。まず今回の総統選当日に「台湾を標的とした中国のミサイル撤去を求める住民投票を実施する」と表明した。
 これに中国が猛反発して中台関係が緊張、日米が陳総統の言動に自制を求める事態にまでなった。陳総統は先月、住民投票の内容を「ミサイル防衛能力の強化」や、「中台交流の仕組み構築」の是非を問う穏やかなものに修正したが、投票は実施の構えだ。野党からは今回の住民投票は違法との非難も出ている。

 くどいが、中国には清王朝の版図を継承しようとする共産党と国民党があって、国民党が負け。で、国民党の亡命政権が台湾を軍事的に制覇した。共産党も国民党もどちらも、中国の行政そのものだと主張している。戦前から台湾にいた住民にとってしたら、そんな話はどっか他でやってくれと思うだろうが、国民党は台湾を乗っ取ってさらに大陸への巻き返しという建前を言い続けている。鄭成功の時代じゃねーんだよと思うが、このあたりの中国人の感覚というのはわからない。水戸黄門のチューターだった朱舜水も同じだ。ま、いい。この手の話は小林よりのりの啓蒙本で多く人が知るようになった、のではないか。
 それでも、「野党からは今回の住民投票は違法との非難も出ている」って書く日経の神経がわからない。野党っていうのは、国民党だよ。日経新聞社説執筆者、あんた誰? 正体は何?っていう感じだ。
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「俺は日本兵」
台湾人の人生
絶版か文庫か?
 今回の選挙は、ブッシュがすでにばっくれ。シラクもばっくれ。日本は黙ってばっくれ。日本精神はどうした!と思う。
 ただ、私の感想では、台湾人はこの手の問題になると、きれいにバランスを取る。だから今回も最適な解決を出すのではないかと思う。ただ、それには李登輝のような柱たる人が必要なのではないか。陳水扁はあやういなという感じはする。
 中台問題で怖いのは、理性的な読みがきれいにはずれることがあることだ。中国人というのはわからねーよである。

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大阪のこと

 大阪のことはまるでわからない。そんなヤツがなにか書くというのは間違っていると思う。でも書く。今朝の新聞各紙社説の主要なネタは「大阪知事選」である。結果は予想どおり。どってことはない。でも、江本孟紀だったらおもろいやろなとか思っていた。しかし、大阪人、おもろい、に懲りてしまったのだ。
 投票率は過去最低だったという、やる気あんのかわれ、ということはない。どないせーちゅうねん、といったところだろうと思う。大阪の各種統計指標を雑見して思うことは、やるべきことは有能な官吏でよい、というか、行政の最適解が機械的に決まるような気がする。つまり、選択肢なんかないのではないか。
 日本の地方行政をなんとかせいと口酸っぱく言う極東ブログとしては、ともすれば大阪を大都市と見なしてしまいがちだ。間違いというわけでもないが、今の日本の実態は、東京とその他愉快な仲間たちなのだ。読売新聞社説「大阪府知事選 改革の実行力が問われる二期目」の次の指摘はあたっていると思う。


 大阪府の台所を見れば、借金は増え続け、現在四兆七千億円にも上る。財政硬直度を示す経常収支比率は十一年連続で全国最悪だ。東京一極集中が進んで、関西の空洞化に歯止めがかからない。

 そういうことだ。この手の話題はことかかない。朝日新聞社説「大阪知事選――苦い薬が欠かせない」ではこうある。

 失業率は沖縄に次ぐ厳しさだ。景気・雇用対策は待ったなしである。12万人の雇用計画や、金融機関と協力し中小企業に年1兆円を供給するといった選挙の公約は、ぜひ実現させてほしい。ひったくりの発生件数日本一など治安対策も欠かせない。

 こういうときに本土の人は「じょーとー」と言う。うちななーんちゅの「じょーとー」はインドネシア語の「バグース」と同じだと、ねじれた洒落を言ってもしかたない。沖縄の失業率はひどいが現地で暮らした実感でいえば、なにかとちと違う。ちょこっというと、というか誰も言及しないのが不思議だが、沖縄はアンダグランドマネーの経済だとしか思えない。そんなことは馬鹿でも概算できそうだが、誰も、それは、言わないお・や・く・そ・く、ってやつなのか。たぶん、大阪もそうなんじゃないか。馬鹿にしているのではなく、文化が違うのだと思う。
 大阪は異文化だと思う。私は大阪の石切神社が大好きだ。日本で三番目石切大仏が大好きだ。一番は奈良の大仏であることは間違いないが、二番は問うな大人ならである。あの参道(参照とか参照)を歩いていると、なんか、こう、どうでもええやん、という至福の境地になる。なんか、千と千尋の神隠しみたいだなと思う。いいなぁ、どこかにシンガポールへの秘密の通路があるんじゃないかと思う。
 通天閣や四天王寺の界隈も好きだ。四天王寺の万灯供養法要は最高だ。夜食は串カツだ。至福だ。MDMAなんかでトリップしているやつは阿呆だ。
 もちろん、あの神秘の世界をもって大阪を興隆させることはできない。話がおふざけ過ぎていると思われるかもしれない。でも、ああいう大阪が大好きだ。京都なんか大嫌いだ。
 大阪が日本直轄になるのはタイムスケジュールかもしれない。でも、大阪はあのまま大阪なんじゃないだろうか。昔天王寺駅を降りたら、ホームレスなのか柳田国男言うところの山人なのか寄って来て、にいちゃんこれこーて、といって、生皮をぬっと出された。なんか怖かったのだが、買えばよかったかなと思う。なんの生き物の皮なんだろう。ヤフオクじゃ買えないものな。

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2004.02.01

年金と老人介護の問題

 年金と老人介護の問題について、いきなり書いてみる。いきなり、というのは、書くにあたって資料にもあたっていないし、あまり考えもまとめていない、という意味だ。物書きなら失格という状態だ(失格の物書きは多いのだが)。日頃、私自身も生活人として気になっているので、そのあたりのもやっというのを書いてみる。
 話の発端は、別記事に書いた私自身のコメントだ。


若い世代の立場で年金問題ついて端的に言えば、2点あるかと思います。1つは、受給は多分70歳になるでしょう。男性だと平均寿命は80くらい。その10年という問題ですが、その10年が年金で暮らせるわけもない、ということで、それ以前に若い人だと70歳は無意味でしょう。つまり、年金は無意味と結論するのは、ある意味しかたがないことです。2つめは、これをリスクの投資とみることです。この場合、相手は国家なのでケツ割れはありません。悪くない投資だと。もうちょっというと、この先、若年の不払いが解決するわけもないので、いずれ皆保険ではなくなるでしょう。すると、払っているやつのほうが利回りがいいはずです。

 これをもうちょっと介護問題の側に軸足を移してみたい。で、私事を書きたいわけもないし、むしろ書きたくもないのだが、私をモデルとして書いてみよう。
 私は昭和32(1957)年生まれ。父は大正15(1926)年生まれですでにこの世にない。母は昭和8(1933)年生まれ。父母の歳が7年違う。モデルとしては、母を基準に補正すると父は昭和4(1929)年くらいが妥当か(ちょっと自分としてはイメージがわかないが)。私は母が24歳の時の子供だが、このあたりはモデルとして妥当だろう。母は今年71歳になる。そろそろ年金(彼女の生活費)と老人介護の問題の渦中に入りつつある。
 すでにこの問題に突入しているのは団塊の世代である。命名した堺屋太一によれば団塊の世代は昭和22~26年生まれだが、人口統計的なコアは昭和22~24年になる。ので、都合で昭和22年生まれをモデルとする。都合というのは、私より10歳上なので私が感覚的に捕らえやすい。
 団塊世代のモデルはかくして私のモデルを10年シフトするといい。団塊君は昭和22(1947)年生まれ56歳。父は大正8(1919)年85歳、母は大正12(1923)年生まれ81歳、となる。ちなみに、森重久弥の相棒役とも言える加藤道子(私はファンでした)が昨日84歳で死んだ。膵臓癌。だいたいこのモデルの範囲に入る。
 自分の世代意識からすると、私が小学校から中学校くらいの時期に、上の世代が暴れていたので、私にとって上の世代、というと5歳くらい上かなという感触はある。
 戦後文化のコアの部分は団塊世代を中央として私の世代で消えて、私の世代から現在のオタク的サブカルの文化が始まる。私の世代は遅れてきた世代であり、先駆的な世代でもある。ま、それは当面の話題ではない。
 団塊世代のモデルでみると、すでに、介護の問題は現実になっている。また、その親たちの年金問題(生活費)もだ。だが、見渡してみて、そういう風景が見えるか? 見えないことはない。だが、私の感じからすると、意図的ではなく社会システムの機能で隠蔽されているように思える。
 その社会システムの機能は、(1)伝統システムが働く、(2)社会システムが働く(年金や国家の補助)、(3)家族システムが働く(端的に言えば子供が兄弟を形成している、「渡る世間に鬼ばかり」を参照せよ)、(4)労働社会システムが働く(会社に温情がある)である、と考える。
 これが団塊世代に下るにつれウィークになっていき、私の世代でほぼついえる。その意味で、年金と老人介護が問題化するのは、私の世代からで、おそらく5年以内のスケールで社会に激震が走るのではないか。
 それでも、現状の団塊の世代の問題、端的にいって、その生活苦が見えづらいのは、社会システムによる作用もだが、マスメディア的に話題とされないということもあるのだろう。さらにいえば、マスメディアの側の人間はエリートなので個人対応として金銭的に解決できる余裕があるのだろう。
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親と離れて暮らす長男
長女のための本©角川書店
 具体的に可視な部分で私が思い浮かぶのは、久田恵(参照)と舛添要一(参照)の二人だ。ちょうど先のモデルに当てはまるので、光景としてイメージが湧きやすい。久田が昭和22(1947)年生まれ。桝添がその翌年だ。
 この二人の著作や発言を折に触れて私は読む。いろいろ共感することが多い。特にディテールが重要になる。マスメディアもある程度彼らの視点をとりあげているが、二人ともベストセラーというようなインパクトは社会に与えていない。というか、ベストセラーがそういう社会機能を持たなくなっているのかもしれない。また、ドラマもそういう意味での家族の光景を映し出さなくなってきている。
 話がちんたらとしてつまらなくなってきているので切り上げようと思うが。私より10歳下の世代、つまり35歳くらいの世代はこうしたイメージを課題としていないような気がする。私自身10年前には考えてもいなかったのだから、当然だろう。だが、この世代には特徴がある。都市部に住み未婚率が多いことだ。つまり、都市民化している。都市民になるとき、一番の援助となるのは、私の常識からすれば国家システムなのだが、この世代はそうした国家のイメージをまるで持っていないように見える。
 現在35歳の世代には、私の視点からすれば、(1)伝統システムが働かない、(2)社会システムもこのままでは働かない(年金はない)、(3)家族システムは働かない(兄弟の互助はない)(4)労働社会システムはすでに破綻した、ということになる。しかし、それが問題となるには、前段として私の世代が崩壊するから、それを待てばいいことになるだろう。
 モデルとして見ると、私の場合、その世代の結婚年齢から計算すれば18歳と15歳の子があることになる(おぇっ?と思うが)。公務員でなければ年収は800万はないだろうから、実際にはすでに階級分裂が進んでいる。年収300万円時代を楽に生きるという冗談はさておき、社会的には私の世代は400~500万円の枠内で、5年後のスパンで子供を大学にやり、親の負担を見ることが可能かということになる。親たちはまだ70~75歳のラインで現状は意外にピンとしているが、5年後には介護の領域に入る。
 そして、クラッシュ!、だろう。その時点で、夫婦関係のしわ寄せも大きいのではないか。団塊の世代から私の世代にかけてクラッシュが勃発する。
 と、暗澹たる未来を描いて微笑む趣味はないが、あと5年で私の世代つまり現在45歳の世代がクラッシュするから、それを見ながら、それから5年くらいでおたおたしつつ、共通一次試験以降の世代は国家を再構築していけばいい。
 それが可能だろうか。おい、若者、国家を互助組織として考えたことがあるのか?ってうオチにはしない。
 私は理性的に考えるのだが、35歳を中心とした日本人はこの問題を解決できないだろう。というか、階級に逃げ込もうとする兆候が今見える。ネットの言説もすでにエリート化しているじゃないか。ナースはフィリピン人にすればいいというのが解決になるだろう(近未来に実現する)。
 つまり、5年後以降は、実質の、年金や介護の問題は下層階級の互助の問題にならざるをえない。と考えてみるに、創価学会や共産党そのものか、それに類したものが社会に強く台頭せるを得ないのだろうと思う。

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女性をパート労働者にせよと朝日新聞は言う?

 新聞各紙のテーマは散漫。時事的な問題は特にないと思われているのだろう。産経新聞社説「ケイ氏証言 短絡的議論につなげるな」はイラク大量破壊兵器問題で米国を支持しているが単にまたポチ保守かというのもだが、私も大量とはいえないにせよ化学兵器は今後見つかるのではないかと思っている。スンニ派の勢力が解体されてないように見えるからだ。他、朝日新聞社説「核技術拡散――パキスタンの深い闇」がパキスタンの核関連技術の拡散問題を扱っているが、この全体シフトを促したのは米国戦略なのにその評価はない。変な話だ。
 今朝の社説で気になったのは朝日新聞社説「女性と年金――不安と不信がつのる」だ。なにを言っているのかわからないのである。なんどか読み返したが、わからない。言いたいことは、年金改革で女性が不平等だということらしいのだが、どこが?なのだろうか。
 まず、課題を3点とりあげている。


(1)サラリーマン世帯の専業主婦は保険料を負担しなくても基礎年金を受け取れるという制度を見直す(2)中高年になって離婚する専業主婦の老後にも配慮し、夫の厚生年金を夫婦で分ける(3)厚生年金に加入できるパート労働者の範囲を現在の週30時間程度から週20時間程度に拡大する、などだ。

 と、項番を打っているのだが、このあとの文脈に受けがない。いちおうこう言っている。

 与党の協議で、離婚が決まった夫婦には年金分割が認められることになった。夫婦で話し合い、半分を限度に妻が夫の厚生年金を受け取れるようにする。話し合いがつかなければ裁判所の手を借りる。
 だが、それ以外は現状のまま、手つかずに終わりそうだ。制度のひずみを直すよりも、参院選を控えて個人や企業の負担増を避けたいとの思惑からだろう。

 とすると、(2)の「離婚で年金を分ける」はサティスファイ(解消)したと朝日は見ていて、残り(1)と(3)は問題だというのだろう。え? それがどうして女性の問題なのだ?、と思う。タメで批判しているのではない。なんか、頭の悪いオヤジにつかまったなぁという感じはあるのだが、それを言うなら手前も目くそ鼻くそを笑うである。
 まず、端的に(3)のパート労働は女性に限定されていない。現状、女性がパート労働者である実態はあるが、これは年金の問題として解消する課題ではない。また、むしろ増えていく若年の労働者のほうが課題であるはずだ。つまり、この点については朝日はただの阿呆だ。
 (1)はどうか。つまり、専業主婦の保護制度、例の3号ってやつだな、この補助を早々に止めるべきなのにしないのはイカンぞと朝日将軍(ってな爺ぃ臭い洒落だな)は言うわけだ。
 つまり、朝日新聞が提起しているのは、それだけ、ということか。
 そうすると、結局、朝日の主張っていうのは、専業主婦よ働け、しかし、働けといってもパートしかないだろうか、これからパートに年金付けろ、と。

 少子高齢社会は女性と高齢者の役割が大きくなる社会でもある。女性が力いっぱい働き、納得して保険料を払える制度に改めれば、社会の活力は維持できる。

 なんか俺は60年代にいるのかと錯覚しそうだ。朝日は足りない税について、「税金で国民全員に一定額の基礎年金を保障するという別の提案もある」とも言っている。うへぇ。
 さて、話をもどして、よくわかんないなと思うのは、この社説って誰が読むように書いているのだろうか。この意見を支持している日本国民がいるのか。
 馬鹿なこと言っているなぁですまされる問題ではなく、なんとも奇っ怪な感じがする。

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