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2005.01.01

2005年新年雑感

 あけまして、おめでとうございます。
 雑談です。
 2005年になるのかと思うと感慨深い。ミレニアム2000年のカウントダウンをしていたのがつい先日のようにも思えるのだが、四捨五入で言えば、2010年という時代になる。そういえば、1984年になったときも、1948年に書かれたオーウェルの未来小説の年になったのかという話題があり世人は感慨ふかく思ったものだ。村上春樹は1986年に「‘THE SCRAP’―懐かしの1980年代」として1980年代を戯れに回顧していたが、今では懐古だ。懐古なるものはきりがない。
 私事だが、昨晩は、年越し蕎麦をなんとなく食べた。というか、それをもって夕食とした。実家にいたころは、年取りのご飯とかいって粕漬け鮭で二杯食わされたものだ。信州のだけの風習というわけでもなく、「歳取り魚」の一例である。
 その後、沖縄に転居し何度か大晦日を他家と過ごしたが、かの地では年越し蕎麦に沖縄そばを食う風習が定着しつつあった。滑稽であることはウチナーンチュも自覚しているようではある。なんくるないさ。他に、沖縄の大晦日ではすき焼きというのがあった。これは、沖縄と限らないようだ。変な風習だなとは思うが、それが伝統だという家風もあるだろう。
 私は正月の喧噪を好まないので、昨晩は早々に床に就いたもののいつものラジオ深夜便はない。世間の物音に耳をすますと、ときおり遠くを消防車と救急車が通り過ぎる。しばらくすると近場の寺の除夜の鐘も聞こえる。紅白歌合戦が終わったころかと、ラジオをオンにするとほどなく2005年となった。花火が遠く聞こえるようにも思ったが、気のせいだったかもしれない。
 日本の風習でいえば、たしか大晦日から元旦は寝ない。この夜を年取りというが、昔は数え年なので全国民がみな歳をカウントアップした。こうした数え年にこだわる老人が私の子供の頃にはよくいた。あの時代の空気を知っているのは昭和32年生まれの私くらいが最後かもしれない。当然のことだが初夢とは元旦から二日にかけて見るものである。
 初夢の富士だのなすびだのといったトリビアを書くのは控えるが、新春というのは、本来、旧暦のものである。今年でいうなら2月9日。中華圏では春節として祝うし、沖縄でも旧正として祝う地方は多い。
 新暦では初春と言われても春の趣はなにもない。近代日本というのは戦後にならぶ日本文化の破壊と再創造の時期だったし、およそ文化と歴史というのはそういうものだ。昨今の女帝を忌避する議論など歴史に吹き飛ばされていくがいい。それでなお残るものだけが日本文化なのだと、日本を信頼するしかない。
 近代日本の文化破壊と再創造は奇妙なものだった。暦を破壊し新暦にしても行政上は問題ないが、例えば俳句の季語はめちゃくちゃなものになった。歳時記はしかたなく四季の他に新年を別立てにした。なに俳句など近代以前は連歌の発句であったものを都合良く改造したものだ。発句としての姿に独立性はあるものの、それだけを単独の文芸とする野蛮さこそが近代化というものだ。
 近代日本では、和歌も短歌となり、あたかも西洋人のように自然を愛でることが文芸であるかのようになった。しかし、日本の歌というのはまず人の心の動きから始まるものだ。愛の想いがあり、死者への想いがある。死者への想いと愛の想いがどれほどか通底していることを折口信夫は「死者の書」で明かした。
 漢籍では詩は詩経から始まるかのごとくであり、唐代には詩人を排出した。とはいえ、唐心においては、詩とは政治であった。日本の古代の詩歌も唐代の文化の影響を受けているのだから、政治がテーマとして潜んでいるのだが、明治という時代はそこに日本文化の起源というもの倒錯的に見るだけだった。戦後から半世紀を経て日本はまた似たような擬古に覆っていくように思える。年取りの魚も食いもしないで、日本の文化というのだ。畑からご都合でこさえた明治神宮に参拝客も多い。
 と、愚痴か。新暦では情緒もないが、雪の正月ならよかろう、と、家持の歌が心に浮かぶ。

 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事

 冒頭は「あらたしき」、末は「よごと」と下すのが通例になっている。家持が因幡守として国府の饗宴でなした歌とされている。この歌をもって万葉集は終わる。
 あたかも良きことがあれと未来に期待をかけているかのようだが、この歌を最後に置くべく万葉集を編纂しているとき、家持は失意の人生の最後に近かった。父旅人も武人であれながらヘタレを極めた挫折の人生だった。息子もそうなった。さらに大伴氏の末路は哀れというか滑稽なものとなった。
 それでも、ヘタレの文学とは味わい深いものである。かくのごときヘタレのブログも2005をカウントする。さても、いやしけ吉事、と結ぶ。

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2004.12.31

奈良小1女児殺害事件、容疑者逮捕雑感

 奈良小1女児殺害事件の容疑者として男36歳が逮捕された。共犯の可能性についてはわからないものの、公開されている情報から普通に判断してこの男が犯人だろうと確信させるものがある。昨日のこのブログでこの事件について書いているときに、事情聴取が始まったものの、書き出したときはこの事件の解決も年を越してしまうかもしれないと懸念した。まずはよかったとは言える。今後、事件の全容が明らかになるのだろうが、現時点で残る奇妙な後味のようなものを記しておきたい。
 逮捕報道は一定の時間を取りながら昨日じわじわと進行した。当初は犯人の名前が出てこないようであったり、報道機関によっては名前の公開に時間差があることから、なにか裏があるのではとも思ったが、最終的には犯人名は公開された。報道機関にある種の逡巡があったようには思う。私が思ったのは、犯人が毎日新聞の配達員ということで多少なりとも報道機関に関わっていること、また、後でふれるつもりだがミーガン法への世論の配慮があったのではないだろうか。
 逮捕報道に併行して、2ちゃんねるなどでもちょっとした「祭」が進行した。こういう事件では現地ならではの空気というものがあり、そのタレコミでもないかとざっと見回した。気になったのは、二階堂コムというサイトの記事、"貴様ら!俺の言うことを聞いてみませんか?"(参照)というコーナーの【12/6(月) 3:30】という日付入りの項目だ。そこにタレコミ投稿の情報と思われるものがあり、犯人の住所として「奈良県生駒郡三郷町城山台」という記載があった。旧地名であることに奇妙な印象があるし、結果として、三郷町はまではあたりとしても、総じて言えば、このタレコミは外していた。
 後から考えると、容疑者には前歴があり、この手の犯罪は再犯を繰り返すということから、警察では早々に目ぼしを付けていたと思われるし、昨日の逮捕劇も年内決着を図るという政治面があっただろうと思う。それにしても、タレコミ的な空気は漏れていなかったのだろうか。このことに私がこだわるのも後でふれるつもりだがミーガン法との関連だ。
 当事者と言ってもいいと思うが今回の事件に関連する毎日新聞の対応は面白かった。21日付けの記事"奈良・女児誘拐殺人 事件受け、配達中に防犯パト--新聞販売店の代表ら /奈良"(参照)では、今回の事件について新聞配達員に防犯パトロールを指示しているということが誇らしげなトーンで書かれている。


 この日は県支部幹事の福井隆輝・毎日新聞二上販売店主ら5人が出席。不審者を見かけたら積極的に警察に通報することなどを約束した後、プレートの見本を山崎勝洋・県警生活安全部長に手渡した。
 山崎部長は「夕刊の配達は、児童の下校時間と重なることもあり、大いに期待している」と語った。

 おそらく毎日新聞内部ではタレコミなり予想は立っていなかったのだろう。警察のこのときの心境は、昨今の流行語でいえばビミョ~だ。
 2ちゃんねるなどでは毎日新聞へのツッコミ的な発言もいくつか見られたが、今朝の毎日新聞の記事"奈良女児誘拐殺害:「携帯画像入手」と自慢 小林容疑者"(参照)はなかなか含蓄がある。すでに容疑者と毎日新聞記者とは面識があった。記事では記者としての限界を率直に吐露している。

県警が絞り込んだ地域をよく知る販売所従業員として、直接取材した本紙記者もその弁舌にだまされた。


 翌14日夜。もしかしたら携帯の履歴に例の画像の発信元が残っているかもしれない。記者がそう思い電話で問い合わせたところ、小林容疑者は「履歴は消した」と返答。むきになったような答え方に不自然さも感じた。
 ただ、質問にはっきりと答える小林容疑者に、後ろめたさは感じ取れなかった。「ごめんな、情報小出しで」。むしろ取材に協力する姿勢すら見せた。だが今から考えると、こうした口のうまさが子どもまでをだまし、誘拐できた理由なのかもしれない。

 記者に刑事コロンボ並の優れた勘があれば、こいつはおかしいと思ったに違いない。それこそが記者の能力だからだ。だが、率直に言ってそれを新聞記者に求めるのは現代では無理なようにも思う。また、この記事を公開した毎日新聞の姿勢は好意的に受け止めていい。
 ここでちょっとしきりのまとめだが、ようするにタレコミ的な空気はなかったのではないだろうか、ということだ。
 新聞配達員という点に視点を移す。
 今回の事件で、市井の人なら新聞配達員ということがかなりひっかると思う。端的にいえば、かなり多くの人が新聞配達員・新聞勧誘員に嫌な思いをした経験があるだろう。ひどい言い方だが端的に言えば、「ああいう人たちならやりかねない」といった感じだろうか。恐らく新聞社の側もそのことを理解していると思われる。新聞は表向きでは正義をたれているがそのエリートの裏のゼニの収拾部分には事実上日本の闇に隣接するようなシステムを基礎としている。
 今回の容疑者は、逮捕時には毎日新聞の配達をしていたが、この業界はそれほど新聞社のカラーが強くあるというものでもない。彼は他紙も配達していた経歴があるらしい。朝日新聞"奈良の容疑者、新聞販売所転々 ASA解雇、再雇用断る"(参照)にはこうある。

 小林薫容疑者(36)は高校卒業後、新聞各社の販売所などを転々とした。00年には朝日新聞の販売所(ASA)に勤めたことがあったが、5カ月後に解雇されていた。
 小林容疑者は00年3月、奈良市にある朝日新聞の販売所に採用されたが、同7月、「勤務態度が悪い」(朝日新聞大阪本社広報部)として解雇された。今年春ごろにも、同じ販売所の関係者に「雇ってくれないか」と電話があったが、店側は過去の経緯から断った。

 私は新聞の宅配制度は不要だとは思うが、反面、新聞配達員が日本社会において、ある意味でセイフティーネットの役割をしていることは重要な意味があると考えている。今回の事件で、新聞配達員が社会的に敵視されないような環境を整備していくことは新聞社の急務だろうし、その手は進められているのだろうが、これらは今後も報道面では見られないだろう。
 話が存外に長くなり、ミーガン法について触れる気力がなくなってきたが、こうした性犯罪者は統計的に見て再犯の可能性が高い。今回の容疑者も再犯だった。なので、社会を守るという点から、米国ではこうした犯罪者を社会に公開するというミーガン法がある。解説記事としては"ミーガン法 - マルチメディア/インターネット事典"(参照)がいいだろう。
 日本でもこの事件をきっかけにミーガン法的な規制を求める声は高くなっていくだろうと思われる。そうした声をすでに先読みして、今朝の朝日新聞社説"女児誘拐犯――性犯罪から子供を守れ"(参照)では防戦的な修辞を繰り出している。

 英国では、子どもを狙った性犯罪の前歴を持つ者は、地元の警察署に住所を登録するよう法律で義務づけている。再犯の恐れのある前歴者に無線標識をつけて監視する対策まで検討された。
 人権に絡む問題だけに慎重さは必要だが、子どもの人権もまた十分に擁護されなければならないのだ。

 米国に触れず、また、人権を説いて現状では深入りしないというのは北朝鮮をテーマにするときも同じ朝日新聞らしい筆法である。だが、朝日新聞だけではなく、対極と見られることが多い産経新聞も社説"奈良女児殺害 凶悪犯逮捕が最大の防犯"(参照)で類似の見解を出している。

 米国や英国では、地域により再犯の恐れが強い性的異常者については、顔写真や住所を公表している所もある。わが国も犯罪防止の観点から、このような制度を取り入れるかどうか、その是非を真剣に論議したい。

 産経新聞では人権云々といった対応はないものの、トーンとしては曖昧だし、ミーガン法というキーワードもなければそれによって引き起こされた問題への配慮もない。確かに社説のなかで扱い切れない問題ではあるのだろうが、いずれそこに踏み込まなければならなくなるだろう。
 ところで、今日は大晦日である。日本もカウントダウンには花火でも上げるようになったのかな。いずれ、一つの年の区切りのように思える。しかし、こういう問題が来年の日本社会に、貫く棒の如きものとして続いていくのだろう。

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2004.12.30

世田谷一家殺害事件から四年

 書いても年末の雑談になってしまうと思う。明日が大晦日かと思うと、あの事件を思い起こす。
 平成12年12月30日深夜から未明にかけて上祖師谷に住む宮沢さん一家四人が殺害された。あれから四年過ぎた。今年も事件解決の糸口すら見つからなかった。昨年大晦日に私はこのブログで大手新聞各紙社説がこの問題に触れないことに苛立ちを書き散らした。しかし、また一年ブログを続けてみて、あの苛立ちは諦観に変わってきてしまったと思う。恐らく、明日の新聞社説になにもこの事件に言及がなくても、そういうものかと私は思うのだろう。
 今年は災害の多い年で「災」という字がキーワードになったとも聞く。しかし、天災というのは絶えることなく起こりうるものであって、人知の及ばない面がある。道徳をたれるみたいだが、人間にはどうしようもなく運と不運というものはあり、天災は不運ということになるのだろう。人はそうした運や不運に流されつつも、それに流されまいとして生きていくものだし、生涯というスパンで見たとき、運と不運がその人の人生にどう意味づけられるかは、その人の生き様のあり方に側に取り込まれる…つまり、どんなに不運でもそれを生きた人生には意味がある…と思う。というか、そう信じたい。
 もちろん、それは大きな虚構かもしれない。スマトラ沖地震の被害者はいよいよ10万人に及ぼうとしている。天災とは、自然とは、依然畏怖を覚えるものだし、不運で済まされないような虚無がばっくりと口を開けているように思う。突然途絶えた人生には、生涯という意味への模索が閉ざされてしまう。
 世田谷一家殺害事件が社会にもたらした恐怖は、天災とも不運とは違うものだ。こうした悪事を撲滅すべく人の社会は努力していかなくてはいけない…しかし…と、それでもそれは、あたかも天災のようにどうしようもなく見えてしまう。11月17日に奈良県で起きた小1女児殺害事件も、その後解決の方向も見えない。このままこの事件も新しい年を迎えることになるのだろうか。いや、事情聴取が始まったようではある。追記同日:同県三郷町に住む男(36)が逮捕された。
 いや、世田谷一家殺害事件は、今年はどうだったのか、と、もう一度問うてみよう。
 Yahoo! JAPANにはこの事件記事のログがある。「Yahoo!ニュース - 世田谷一家殺害事件」(参照)がそれだ。著作権などの理由か、掲載されている点数はまばらになっているが、数えてみると18点ある。過去のものからめくっていく。なんども読んだ記事ばかりだなという思いがよぎるが、読んでいない、気になる記事もあった。先日23日の出された共同"15-45歳「少年」明確に 世田谷一家4人殺害4年"(参照)だ。


東京都世田谷区で2000年12月に起きた宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人殺害事件は30日で発生から丸4年。現場に犯人の指紋が残りながらも捜査は難航しているが、犯人像は徐々に浮かびつつある。


冷蔵庫のアイスに興味を示す点などから「15歳-45歳」とし、少年の犯行の可能性を明確にした。

 少年犯罪?
 私は、その可能性は考えてもいなかった。もちろん、可能性としては考えられはするだろう。が、奇妙な思いがする。率直に書くが、この事件は当初、15歳というレンジの少年犯罪を予想させる情報はなかったと思う。そして、今頃こういう情報を出すのは、この四年間で、少年によってもこれほどまで残酷な事件が起こりえる、というふうに日本社会の空気が変わったからだろう。
 もちろん、残虐さというなら、あるいは少年が引き起こすというなら、この数年の社会の空気など言い出さなくても、戦後の世相などでもあったことだろう。しかし、この事件についてわれわれが恐怖を覚えるのは、その虚無性だ。どうやら怨恨でも、カネ目当てだけでもない、しかも犯人の挙動は血まみれの死者に動揺の様子もみせていない。つまり、こうした虚無を少年にだぶらせても不思議ではない社会の空気が出来てきたのだ。
 事件を社会問題に還元して社会を論じたいというオチにしたいわけではない。ただ、若い少年に及んだ虚無の、社会感覚は、今現在の私の感性の一部だとは思う。
 うまく言えないが、それはなんなのだろうか。一つには、たぶん、どのような社会でも失ってはいけない正義への希求感覚の、新しい形の麻痺なのではないか。

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2004.12.29

2004年、中島らも追悼

 今年を振り返ってという趣向は好きではないのだが、それでもブログに書きそびれて心にひっかかっていることがある。中島らもの死のことだ。7月16日未明、神戸市内の飲食店の階段から転落し、頭部を負傷。脳挫傷となり意識不明のまま10日後、26日に亡くなった。52歳の人生だった。
 本人の意思で葬式・告別式はなかった。翌日密葬を済ませたという。今こうして見直してみると、事実としてはちょっと不明なものがあるなとは思う。

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心が雨漏り
する日には
 本名、中島裕之(なかじま・ゆうし)。兵庫県尼崎市の歯科医の二男に生まれ、灘中学・高校へ進み、大阪芸術大学放送学科を卒業。コピーライター名声を高めるものの、おそらく遺伝的な形質から躁鬱病に悩み、酒に溺れる。35歳の時にアルコール性肝炎で50日間ほど入院した。経緯は、2002年10月に出版された。「心が雨漏りする日には」に詳しい。

 とうとう来るべきときが来たと思った。
 病院に行くことにしたが、生きて出てくるのは無理だろうなというあきらめがあった。というのも、おれは今まで三人の人に「お前は三十五歳で死ぬ」と宣言されていたのだ。一人は友人、一人は医者、そしてもう一人が占い師である。三人の意見がバラバラだったら気にも留めないところだが、三人とも同じことを言うのだから、「そういうものか」と素直に受け止めていた。
 ちょうどそのときが三十五歳だった。なるほど、三人の意見が正しかったわけだ。

 その後、アルコール性肝炎は回復したものの、躁鬱病とその薬の副作用に苦しみ続けた。廃人半歩手前と洒落のめして書いているが、その気持ちもわかる気がする。
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牢屋でやせる
ダイエット
 同書には大麻を愛用していた話もあるが、その後のことは触れていない。しかし、大麻を愛用し続けていた。2003年2月、自宅に大麻などを隠し持っていたとして大麻取締法違反の現行犯で逮捕され、同年5月に懲役十月、執行猶予3年の判決を受けた。この経緯は「牢屋でやせるダイエット」に詳しい。筆法は粗く、内容も、さっと読むとくだらない本なのだが、老年期を前にくずおれていく中年の男のなさけない心情をこれでもかというくらい、こってり書いてあり、今は、これは希有の本かなと思う。その情けなさの最たるは女が恋しいことだ。もちろん、若い時のような性欲ぎんぎんとかではない。

 独房の中で最初から最後まで欠乏し、おれが希求していたものがタバコと女性だった。酒や咳止めシロップの禁断症状は一週間もすれば治った。あまたの不自由にも徐々にではあるが耐えられるようになっていった。いや、あきらめるのに慣れていったと言うべきか。
 ただ、タバコと女性だけはどうしようもなかった。結局、おれの拘置所生活は二十一日間だったが、その間ずっと頭を離れなかったキーワードがこの二つだったのだ。
 女性といっても、すぐにベッドインできるような女が欲しかったわけではない。どちらかというと生身の女は面倒だ。そうではなくて、女性的なイメージにおれは飢えていたのだ。菩薩のような慈愛に満ちたまなざし。柔和な微笑。やさしい声。そういうものにおれは包まれたくてしょうがなかった。

 中島らもは知識人でもあり、この文脈の先でユングのアニマのことに少し触れている。彼がヘッセの「知と愛」(ナルチスとゴルトムント)の最終を知っていたかどうか。死にゆくゴルトムントはナルチスに女性なるものがなくて君は死ねるのかいと問うた。たぶん、男の人生というのは、そういう女性なるものなくしては死ねないのだろうと思う。
 この獄中記が出た2003年の8月以降、一年ほどは、らもの話題をあまり聞かなかったように思う。自粛されているのだろうかとも思ったていたが、しばらくして聞いたニュースが死の知らせだった。
 中島らもの死は、私の最愛の書の一つ、山本周五郎「虚空遍歴」(上巻下巻)を連想させる。挫折した芸術家だけが本当の芸術家と言ってしまえば、なんと凡庸なことか。しかし、その挫折はある生き様の必然性である。この世には、悲劇の塊のような芸術家が、その真実を告げるために、たまに現れ、消えていく。不思議なものだ。
 「虚空遍歴」の最後で中藤冲也が死んだとき、彼の破滅していく人生に付き合ったおけいは、冲也の魂がなお、虚空を遍歴しているように感じた。中島らもの夫人中島美代子は8月21日に発売された婦人公論9/7号「中島らもとの35年は心底、面白かった」でこう言っていた。

 だけどね、らもは転倒して後頭部を強打して死んだせいか、まだ自分が置かれている状況を把握できていないみたい。どうやら家の天井あたりをたゆたっているらしくて、夜になるとらもが可愛がっていたペロが上のほうを見上げて変な声で吠えるんですよ。「らも、死んじゃったんだよ」って声をかけているんですけど、らもは自分が死んだこと、わかってないんじゃないかなあ。まだ家にいるんです(笑)

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2004.12.28

スマトラ島沖地震津波に思う

 スマトラ島沖地震津波で沿海の各地ではすでに二万人を越える死者が出たことがわかった。津波が襲ってくるのは、地震発生から時間的に遅れることがあるので、防災の用意があれば被害は防げる、と言いたいところだが、現実にはそうもいかない。今回の地震はスマトラ島沖とはいえ陸地に近いので地震発生から津波が来るまでの時間差はあまりなかったのかもしれない。また、津波地震とよく言われるように陸地からではあまり地震を感じないこともある。
 サロン・コムのニュースを見ていると、国連の発表があり(参照)、今回の地震はcostliestとあった。今後の対策に巨額の費用がかかる。


Dec. 27, 2004 | United Nations -- The earthquake and tidal wave that raced from southeast Asia to east Africa this weekend, killing tens of thousands of people, may be the costliest disaster in history, reaching billions of dollars, the U.N. emergency relief coordinator said Monday.

 陸上の地震などの場合、救援は初動の四八時間が急務だが、今回の津波災害の初動対策はあらかた終わったのではないか。それでも被害者への対策や伝染病の蔓延を阻止する対策は急務だ。
 私は今回の津波被害で、沖縄での生活のことを思い出した。港から50メートルといったところの平屋に数年暮らしていた。窓から海が見えた。リーフが広いのでそれによって津波は軽減されるのだろうなと思ったが、実際に津波が来たら一発で終わりだなとも思った。地震が発生したときは、いつも津波を恐れた。
 沖縄の人間が津波を恐れるのには歴史的な理由もある。通称明和の津波と呼ばれる1771年の八重山地震津波では八重山諸島と宮古で津波の被害で1万2千人が死んだ。石垣島では現在空港建設問題で話題になる白保地区だが、ここでは、およそ千6百人、村人の九八%が亡くなったという。つまり、村が壊滅した。
 この地には伝説がある。海人(うみんちゅ)が人魚を捕らえたところ、「竜宮に帰りたい」と懇願するので海に放った。すると、ほどなく再び海上に姿を見せ、「津波が来るので山に逃げなさい」と告げたという。
 こうした津波から奇跡的に難を逃れたという伝説は本土にも少なくない。それだけ津波が恐ろしいものだということを、伝統社会はそれなりに伝えうるものだろうとも思う。なので、というわけでもないが、今回のスマトラ沖地震津波のニュースを聞いたとき、こうした伝統的な知恵が伝えられてなかったのではないかとも思った。
 近代化を迎えた日本でも、明治二九年(1896年)、明治三陸大津波では約2万2千人を越える人が津波で死んだ。被害が大きかったのは津波地震特有の揺れの小さいこともあっただろう。震度三程度だったらしい。この地域には慶長の大津波(1611年)の伝承もあったのだから、津波の恐ろしさは伝えられてはいたのだろう。
 明治30年代というと私の祖父母が生まれた時代である。私の祖先は山間の人ではあったが、津波の怖さというもののあるリアリティはしっかり継いでいたように記憶する。
 私も津波というものが心底恐いなと思ったのは、津波で百人を越える人が亡くなった昭和58年(1983年)の日本海中部地震の映像を見たときだ。ちょっと言葉に詰まるのだが、本当の津波というのはサーフィンの高波なんていうものではまるでない。マンション群が高速でぐぐっとせまってくるような感じだ。そういえば、昨今のマンションを見上げるとき、津波ってこんなのが襲ってくるのだなと思うことがある。
 津波の被害といえば防災をという話題にもなる。しかし、平成五年(1993年)北海道・奥尻島と渡島半島西部を襲い百人以上の死者を出した北海道南西沖地震では、日本海中部地震での津波をもとに築かれた防潮堤だったのに、この時に襲った津波はそれを越えてしまった。
 今回の津波災害に関する海外の記事では、テレグラフ"A terrible reminder that nature is dangerous"(参照)が私などには心に迫るものがあった。

The extent of yesterday's tidal cataclysm makes it hard to think about the individual losses. Our brains are not designed to compute suffering on such a scale. We can relate to a single death. We can even, with more difficulty, feel grief at an atrocity such as that at Beslan. But, when whole villages are extirpated and thousands slain, our minds seem to skim off the surface. We might cling to the more manageable components - the fate of British tourists, for example - but the swallowing up of whole communities is literally unimaginable.

 人間の脳というのは、これほど大惨事を理解するようにはできていないのかもしれない。もちろん、それでいいというわけではない。テレグラフの論調に賛成するものでもないが、人間が自然の前にいかに小さな存在かという事実は愕然と存在する。

追記(2004.12.29)
 死者は5万人を越え、WHOは疫病によるさらなる危険性の警告を出している。このエントリでは曖昧にしか扱っていなかったが、被害は対岸のスリランカやインドにも大きい。この距離を考えるに津波の警告は技術的には可能であっただろう。悔やまれてならない。

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2004.12.27

北朝鮮の政権交代のシナリオが見えてきたか

 北朝鮮の話は気乗りしないのだが、ここに来て急に政権交代というシナリオが強くなってきたようだ。あるいは、そこまで行かなくても、北朝鮮内部の体制変化への言及は増えてきた。例えば、24日のNHK"北の体制不安定化の兆し"では公安がこんな話を流している。


公安調査庁がまとめた「内外情勢の回顧と展望」によりますと、北朝鮮は、貧富の差の拡大などによって体制が不安定化する兆しが見られると初めて指摘し、今後、体制を支える権力基盤に亀裂が生じることもあり得ると分析しています。

 公安による北朝鮮の読みとしては、内部の貧富差が権力闘争をもたらすというのだ。そうだろうか。
 北朝鮮の体制崩壊の懸念は、イギリスのガーディアン"Tremors that may signal political earthquake in North Korea "(参照)などにも見られる。

European policymakers have been advised to prepare for "sudden change" in North Korea amid growing speculation among diplomats and observers that Kim Jong-il is losing his grip on power.

 当の北朝鮮も、世界が北朝鮮を危険視している動向に配慮し出しているようでもある。昨日付けのAP"Report: N. Korea Won't Invade S. Korea"(参照)では、北朝鮮は自国からは侵略しない声明も出した。
 こうした高まる北朝鮮崩壊のシナリオだが、現状では陰謀論に近い観念の遊びに近く、具体的なシナリオと見るにはあやうい。北朝鮮の崩壊なり政権交代の可能性は高まるだろうと以上のことは言いづらい。
 とはいえ、少し踏み込んだ政権交代のシナリオが話題になってきている。特に、中国が現状の金正日政権をより中国の息のかかる政権にすり替えるという話だ。日本語で読めるネタは韓国紙が目立つ。
 きっかけは、一昨日マイケル・ホロウィッツ・ハドソン研究所首席研究員の発言を受けてのことだ。ネオコンのシナリオとも読まれたわけだ。典型的な記事として、中央日報"米強硬保守派ホロウィッツ氏「北朝鮮は1年以内に崩壊」"(参照)を引用する。

ホロウィッツ氏は23日、ワシントンのハドソン研究所で「平壌(ピョンヤン)にはクリスマスがない:金正日政権は持続するのか」というテーマで講演を行った。ホロウィッツ氏は「金正日政権維持の対価がますます膨らみ、中国が(北朝鮮の)一将軍をを選んで政権を奪取させ、これによって中国軍20万人を北朝鮮に送るというシナリオを検討中」と主張した。 また「9月に米上院が北朝鮮人権法案を全会一致で通過させたのは、北朝鮮政権の終末を知らせる強力な信号」と語った。

 この手のシナリオとして見れば、それほど衝撃的でもない。似たような話は以前から流布されてもいた。例えば、極東ブログ「プリンス正男様、母の生まれた国へ、またいらっしゃい」(参照)でもあえておふざけを混ぜてこの手の話に言及しておいた。

杞憂ではあるまい。金正日政権が突然崩壊して北朝鮮に権力の空白ができれば正男への王権委譲はすんなりとはいかないだろう。朝日新聞が暗黙にヨイショするように、金正哲あたりに王朝を嗣がせた親中傀儡政権ができるかもしれない。そういえば、河の向こうに中国の軍隊が見えるじゃないか。

 ホロウィッツのシナリオでは、金正日後の傀儡政権では現在の将軍をトップに据えるとのことだが、私は、先のおちゃらけ話でも触れたように、実際には名目の王様を立てるだろうと思う。というのは、現実の北朝鮮はすでに王権の世襲を行い、壇君神話も建国神話となっていることからわかるように、日本の天皇のような血統的な王の希求がある。いくら南伸介系お笑いフレーバーの金正男とはいえ、長男を無視するわけにもいかない(だから暗殺が話題にもなる)。
 関連した韓国の動向も気になる。すでに政権交代の話題が韓国で盛り上がっているとしても、こうした中国の介入についは、つい最近までは韓国では事実上タブーに近い話題でもあったようにも思える。少し古いが12月9日付け朝鮮日報"北朝鮮の「崩壊」と「政権交代」"(参照)ではこの問題をこう切り出している。

 最近、北朝鮮の政権交代(regime change)がよく話題になっている。北朝鮮の改革と開放に向け、金正日(キム・ジョンイル)政権が交代されるべきだとか、北朝鮮政権が不安になれば東北アジアの安保が危うくなるなどとしながら、自分らの観点でもって政権交代問題をいとも簡単に取り上げているのである。

 朝鮮日報の議論は、この先やや混乱した展開になるのだが、中国の関与について言及を避けているためだだろう。また、アジア諸国の政治議論の典型でもあるのだが、対外問題を内政問題にすり替えてしまっているのも議論の混乱のもとになっている。
 しかし、この朝鮮日報の論説は、ブッシュ政権が盧大統領をすげ替える可能性を示しているとも読める点が興味深い。ちょっと変な日本語だが大意は通じる。

 ひいて、盧大統領の「北朝鮮崩壊不可」の言及が北朝鮮の内部要因により、金正日体制に何らかの変化が来ることまでも願わないということと解釈されれば、それは大多数の韓国人の真の願いを反映したとみる根拠もなく、また、内政干渉という指摘を受ける可能性もある。
 それが、何らかの目的を持って、金正日政権の歓心を得るためのことであるばら、危険なことである上、空振りに終わってしまうだろう。
 北朝鮮政府は今この時点では、米大統領と信頼を築き、米国の朝野を動かすことのできる実力を持った韓国指導者をより好むはずだ。金正日政権が最も恐れを持って注目しているのは、結局ブッシュ政権であるためだ。

 北朝鮮崩壊なり政権交代のシナリオより、米国の圧力による盧大統領切り崩しのほうが先行するかもしれない。問題は、北朝鮮体制というより、朝鮮半島における大国のパワーバランスになるだろうからだ。
 北朝鮮の新レジームが出来たとして、また韓国の政権の質が変貌したとして、それは米国対中国のパワーバランスの機能を担わされる。中国側としては北朝鮮は韓国や日本との緩衝地域でもあり、米国側としては、中国の軍事的な台頭を許さないこともあり、対中国の軍事的な恰好のカモフラージュである。
 こうした状況で日本はどうあるべきかと問いたいところだが、選択肢は事実上ない。韓日の連携を深め反米反中を模索するというずる賢さと度量のある政治家はいまや両国には存在しない。
 余談めくが中国にとって北朝鮮を保持しておく理由は地政学的には十分だとも言えるのだが、多少気になるのは、ウラン資源というスジはないのだろうか。もしそうなら、米国もIAEAも日本と統一朝鮮が連携する可能性を早々に潰しにかかるはずだし、中国も北朝鮮資源へのちょっかいを見せるだろう。

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2004.12.26

[書評]スイス探訪(国松孝次)

 この本を知らない人なら、あるいは、この事情を知らない人なら、著者国松孝次(正しくは國松孝次)という名前を見て、あれ?と思うかもしれない。あるいは同姓同名か、と。そうではない。元警察庁長官国松孝次本人の著書だ。1997年に警察庁を退いて、1999年から3年間スイス大使を勤めていた。なお、この本の表紙や本文中の挿絵は奥さんが描いた水彩画で美しく、ご夫妻の人柄がしのばれる。

cover
スイス探訪
したたかなスイス人の
しなやかな生き方
 国松孝次元警察庁長官といえば、1995年3月30日警察庁長官狙撃事件で、荒川区自宅マンション前で狙撃され重傷を追った本人である。事件の全貌は依然わからない。しかし、国民の安全を守るべき最高の権威者であるべき警察庁長官が危機に陥るということ、また、当時は地下鉄サリン事件直後で事実上の厳戒態勢であったにも関わらずこの狙撃の隙を見せたことは、この公務にある者としては失格である。文芸評論家福田和也は、この不覚の事態に「戦前の人だったら切腹していた」と評した。私はこういうアナクロニズムの物言いが好きではない。福田の指摘に対して国松元警察庁長官は「ごもっともと感服するところが多く」「ズシンと胸にこたえた」と文藝春秋で答えていたが、私には、彼が真剣なのかとぼけているのか、物事をただプレーンに見ているのか、よくわからなと当時思った。
 総じて言えば、サリン事件に至るオウム真理教の問題をここまでほったらかしにしたこと自体、警察庁の責任であり、つまりはそのトップの責任なのではないかとも思った。ただ、彼を弁護するなら、彼が長官となったはその前年の7月6日であり日が浅い。また、当時警察の急務となっていた課題は企業テロだった。9月には住友銀行名古屋支店長畑中和文さんが、マンション自室でパジャマ姿まま銃殺されていた。あまり、余談に踏み込むべきではないが、国松孝次元警察庁長官は当時の世相とオウム真理教についてなにか思いあたることがあるのではないだろうか。
 書籍内容には関係のない前段が長くなったが、ある程度は仕方がないだろう。私としてもこの本には関心も持っていなかった。だが、先日ラジオ深夜便四時「心の時代」で二日にわたり国松元警察庁長官の対談があり、それを聞きながら、なんというのだろうか、この人はちょっとただならぬ人だなと思い、この本も読んでみたくなった。
 まず、良書である。やさしく書いてあるのだが、これだけスイスについてきちんと書けるというのは生半可な教養ではない。読みやすいとはいえ、高校生には少し内容的に難しいかもしれない。が、世界史に関心があるなら、是非勧めたい。もちろん、大学生にも社会人にも。
 筆者はおそらく社会学の勉強はされていないのだろうが、この本を読みながら私は社会学の基礎概念である共同体の概念やマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のことなどいろいろ思い出した。また、神学者カールバルトがスイス人であることを少し考えなおしたりもした。例えば、こういう話が私には面白い。

スイスには三段階の行政単位があって、一番基礎となる単位をゲマインデ(Gemeinde)といい、これが全国に二八〇〇余りある。ゲマインデを束ねるのが州(Kanton)。そして、全国に二六ある州が集まってスイス連邦(Schweizerische Eidgenossensshaft)を形成する。ゲマインデは通常「市町村」と訳される。フランス語ではコミューン(Commune)である。


 ところが、ここがスイスのややこしいところであり、面白いところなのだが、実は、スイスにはもうひとつ別のゲマインデが存在し、こちらのほうがむしろ伝統に根付いている。
 それは属人的な概念としてのゲマインデであって、要するにその集団のメンバーシップを認められた者を包摂し、その者がどこに居住しようとその者を対象に一定の管理を及ぼし、あるいは一定の恩恵を与えようとする集団を意味する。これを市町村たるゲマインデと区別してどう日本語に訳すか難しいところであるが、ここでは犬養道子さんのひそみに倣い「共同体」と訳しておきたい。


 さて、共同体のメンバーシップを与えられた者をビュルガー(Bu"rger)といい、これまで述べてきた属人的意味における共同体を普通ビュルガーゲマインデと呼ぶ。

 わかりづらいといえばそうだが、このあたりにスイス的なヨーロッパというものを解く鍵があるようにも思う。ビュルガーゲマインデは単純に考えると土着的な伝統的な地域共同体のようにも見えるのだが、国松はここでこのビュルガーゲマインデが実はスイスが傭兵などで国外に出たものの帰属意識による、概念的な共同体ではないかと考察している。
 ここで、私はちょっと飛躍だが、関連してこう思う……日本では社会主義というときの社会というのは、なにか公的なイメージを描きがちだ。あるいは、「社会の窓」といったり、「世間様」とかのイメージだろう。しかし、この対応の英語であるsocietyという英語の言葉は結社の意味に近く、また、マルクスも原義的な共産主義的共同体のイメージをassociationに近いものとして描いている。これらの結社的な共同体というのは、概念的な土着的な共同体をより友愛によって理念化したものではないだろうか。このあたりで、国家というものの意味がまた難しくなる。
 くどいが、日本の社会主義者・共産主義者というのは歴史的にはコミンテルンに端を発しているため、トロツキー的な亜流はあるにせよ、基本的にレーニン主義に立っており、国家についても、その暴力的な機能として一義的に了解しがちだ(だから暴力革命が肯定される)。ここに国家論の間違いがあり、欧州の構造主義でも吉本隆明の幻想論でも、よりマルクス思想の原義に戻る形で国家の再考を迫るのだが、そこで描かれる国家とは、スイス的なビュルガーゲマインデを友愛原理によって構成した集合体ではないだろうか。あるいはスイスとは、傭兵的な民兵による友愛的な精神の原理であるかもしれない。つまり、その精神を活かすための方便として国家=スイスが可視になっているのかもしれない。
 社会学的に考えるにはちょっと言葉遊びのようになってしまったので切り上げるのだが、スイスのビュルガーゲマインデとゲマインデのありかたが国家というものを要請しているのだろう。問題は、ここで要請される国家が、超国家としてのEUをどうやら拒絶しているという様相だ。
 結局のところ、現代世界では、米国もロシアも中国も国家というよりは超国家の様相を示している。これに向き合うためにはヨーロッパの伝統社会なり諸国家は、EUという超国家的組織が必要とされる。だが、ヨーロッパ的なものの根とも言えるスイスの国家原理はこれを拒絶する。たぶん、この拒絶の傾向のほうがヨーロッパは根強く、EUは近未来的に実質的には超国家原理としては崩壊するのではないだろうか。
 と、書籍の紹介には適さない話にそれてしまったが、この本は、楽しく読め、そして深く考えさせられる。愉快な話題も多い。チョコレートについても詳しい。先日トリビアの泉でネタになっていた黒いサンタクロースの話もさりげなく入っている。有島武郎の逸話など驚きでもある。この本はよく読むとなかなかネタ満載なのである。
cover
黒いスイス
 スイスについては、この他、そのダークな側面を戯画的に描いた「黒いスイス」も面白いのだが、国松の「スイス探訪」に比べると浅薄な印象が否めない。というか、スイスの暗黒面が。なぜどのように歴史と地域共同体に根ざしているのか、彼らがそれをどう考えているのか、そういう深奥に踏み込むことなくジャーナリスティックにスイスの知識を増やしてもつまらない。
 やや余談に逸れるが、先日のOECDのテストで最高位になったのはフィンランドだった。英国やドイツは日本よりも悪いこともあり、なぜフィンランドの教育が優れているのかといった記事もそれぞれの国で書かれていた。しかし、ようは、フィンランドが共同体的な社会を持ち、それを教育にまで延長しているからとしか言えない。そしてそれこそがEUの他の国では実践できなものだった。
 この本の著者国松はスイスを考えることは日本の将来を考えるうえでのヒントになるとしている。たしかに、日本が世界に誇るもの、そしてリソースは、教育を含めた国民の質だけだろう。しかし、フィンランドのような小さなクローズドに近い国家に日本はなれないのだから、どこかである程度スイスのようなビュルガーゲマインデ的な閉鎖性というものをより大規模に実施するということが必然的につきまとう。

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