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2004.12.25

ヤドリギの話

 日本でクリスマスにツリーを飾ることが多いのは米軍占領下の文化の名残だろうか。オーナメントとしては最近ではそれに加えてリースも見かける。しかし、クリスマス・クリブは見かけない。キスィング・ボールもなにげで目立たない。そういえば、ヤドリギ(mistletoe)も見かけないなとふと思った。
 ヤドリギ、知ってますよね?(参照
 ヤドリギといえば、あれだ、松原のぶえの「宿り木みたいな人だけど」…違う。漢字で書くと「宿木」。「寄生木」「桑寄生」とも書くか。ちなみにアマゾンをひいたら、大林幸二「宿り木情話」川江美奈子「宿り木」も出てきた。知らないなぁ。シングルだったらダウンロード販売のほうがいいのでは。話が間違った方向にずれた。
 西洋ではクリスマスにヤドリギを飾ることもある。「トイ・ストーリー」の最後のシーンでボー・ピープがウッディーに無理矢理キスをするのだが、あれはヤドリギの下だから…ということ。欧米ではヤドリギの下にいる相手にキスをするというクリスマスの風習がある。ヤドリギのキス(Mistletoe Kiss)とも言うようだ。ネットをちょっとひいたら"Why people kiss under mistletoe"(参照)というページに由来の考察があった。


Ancient Europeans thought mistletoe was sacred. Druid priests used it in sacrifices, thinking it brought good luck. Perhaps the kissing started with the Norsemen when Frigga, the goddess of love, shed tears of joy over her son Balder, god of the sun, when he was restored to life after being shot with an arrow.

 ここで、古代のヨーロッパではヤドリギは聖なるものと考えられていたとあるが、そうなのだろうと思う。
 ここからトリビア的な話なのだが、先のヤドリギのリンク(参照)で薬用植物を引いておいたのは、これが伝統薬にも利用されるからだ。漢方(というか本草)では「桑寄生」をソウキセイとそのまま読む。カネボウの独活寄生丸にも配合されている。
 ヨーロッパで聖なるものといえば、担当はルドルフ・シュタイナーでしょ、というわけで、彼は、ヤドリギは癌の薬だと霊的に理解したのである。なぜか…。
 シュタイナーはわかっているのである…彼によれば、癌とは、人間の身体を形成する低次元の組織力と高次元の組織力という二つの力の不均衡によるもので、高次元の組織力が弱くなると細胞の低次元な組織力のよって腫瘍が形成される。これは、魂の混乱によっても引き起こされるのである…。だから、この均衡を変える非地球的な特性をもったものの力が援用されるうるのではないか…地上なるものは地に立ち、重力に支配され、季節の循環に屈服する…しかしがそうではないもの…そ、それはヤドリギではないか!!
 彼の電波、いやいや直感、いやいや霊的洞察力によってできた薬がイスカドールというので、これはけっこうドイツなどで利用されている。またまた米国人にもこういうのがお好きでたまらない人がいるので、数年前だったか癌になった女優がイスカドールを使うとマスコミで吹聴してちょっと話題になった。
 イスカドールはこんな文脈でおちゃらけで書くとお笑いの対象のようだが、ヨーロッパではある程度の効果をもたらしたとする歴史があり、薬学的にも研究が進められている。注意したいのは、じゃ、とかいって、ヤドリギ茶とか作らないように。イスカドールの原料となるヤドリギはクリスマスなどのヤドリギとは違って特定された種類だし、製法は難しい。特殊な方法でミネラルを配合するのだが、単純にはできない。
 最近はイスカドールの話題はどうかなと思ったら、一昨日のタイムのオンライン版に"Kissing plant has dubious reputation(キスの木の評判は疑わしい)"(参照)という記事があった。

A good source of information on mistletoe is the USGS site (www.usgs.gov/mistletoe) where you will learn that there are over 1,300 species of mistletoe worldwide, 20 of which are endangered. Quoting from the Web site: "In fact, says Rob Bennetts, a USGS research scientist, some animals couldn't even survive without mistletoe, including some birds, butterflies, and insects."

And we thought it was only for kissing!


 結論が常識的なところだろうか、曰く、私たちが思うに、ヤドリギはキスの口実にだけ使うのがよろしかろう、と。
 それでも、ヤドリギって、出会いヲタこと栗先生(参照)のアイテムには使えねーでしょうかね。あるいは、れいの帰国子女とかだとよいかもしれませぬが。って、イブは終わったけど、米人などが騒ぐクリスマスパーティは今日。

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2004.12.24

環境問題をスルーしてしまった人のために

 どうでもいいやと思ってスルーした話題だったのだが、あれだ、先日のブエノスアイレスで開かれてた地球温暖化防止条約(気候変動枠組み条約)の第10回締約国会議(COP10)のことだが、あれって、いったいなんだったのだ? わかる?
 わたし的には、どうせ京都議定書なんて成功するわけもないし、成功したところで地球環境になんかに関係ないし、米国をやりこめる政治的な枠組みとしてしか使えねーと思っていたのだが、どうやら、かなり芳しい方向に爆走していたみたいだ。
 おっと、こんな枠組みが成功しないのは日本くらいであって、EUのほうは、さすがヨーロッパ人、使える道具はとことん使え。マジでやる気のようだ。昨日の共同だが"排出削減目標は達成可能 EU、積極的取り組み強調"(参照)でもその見通しを確認していた。


15カ国の02年までの削減率は2・9%だったが、欧州委は、排出量取引制度の導入など今後予定している削減策を動員すれば、10年までに8・6%まで引き上げることが可能と指摘。10カ国は追加的な削減策で目標を達成できるとしている。

 確かにうまく立ち回ればこれは使える。って対米的に使うのだろうが。それに、ふと思うのだが、これって結局日本はせっせと墓穴を掘っているのではないのか。
 この話題を積極的にスルーしたのは、例えば12月16日の愉快な朝日新聞社説"温暖化会議――次の一歩を踏み出そう"とかがあまりに説得力があったからだ。

 ブエノスアイレスで開かれている気候変動枠組み条約の第10回締約国会議(COP10)の参加者には、久しぶりに笑顔が戻っている。

 そりゃあいい。当然、朝日新聞さんだって環境なんて反米の看板だってことはわかっていらっしゃるからこうなる。

 対立はあっても、世界が一つになって温暖化を防ぐという共通の目標に向かう必要がある。途上国を呼び込むには、まず先進各国が自分たちの削減義務を確実に果たすことだ。  それを考えるとき、最も大きな障害はやはり米国である。


 米政府の代表は会議で「米国は京都議定書とは異なる道を選んだ」と議定書に加わらないことを改めて示した。削減は容易ではないとはいえ、世界最大の排出国が途中で降りるのは身勝手だ。
 先の大統領選挙では温暖化への対応も焦点になった。民主党のケリー氏は京都議定書の批准には反対したものの、国際交渉には積極的にかかわるべきだという姿勢を示していた。
 振り返ってみれば、温暖化研究を引っ張ってきたのは米国である。市場メカニズムを利用した排出量取引など京都議定書の仕組みも米国のアイデアだった。
 国際社会と協調することを求める声も米国内には多い。そうした声を受け止め、米政府は方針を転換すべきだ。

 そうよ、そうよ、米国よ、悪いのは。って、そういう話題かよ。と、こりゃ、スルーしかないよね、と思っていたのだが、どうやら、そーゆーことではない。
 どういうことか。これが個別のニュースを引くとかえってわかりづらいのだが…ちょっとまとめる。

南の島は沈んでしまうよぉと嘆く嘆く
 読売新聞(2004.12.17)"温暖化防止「COP10」閣僚級協議 ポスト京都議定書、各国手探り"より。開催日の花火のようなものだが…。


だが、この日のハイライトは、その直後に演説した太平洋赤道直下の国・キリバスだった。海面上昇で水没の危機を訴える島しょ国代表として、「我々は持続的発展どころか、生存の危機にさらされているのだ」と訴えると、聴衆から、さらに大きな拍手が起きた。

 ナウルなどを考えるに、沈む原因はそれかねとも思うが、話としてはわかりやす過ぎ。ところで、島しょ国って沖縄でよく聴いた言葉だった、あ、次、行ってみよう。

中国はなにかとケチを付けるの巻
 共同"先進国への不満相次ぐ COP10閣僚討論会"(参照)より。


中国は「世界最大の排出国が議定書を批准しておらず、批准しながら排出が増えている先進国もある」と米国や日本などを厳しく批判した。

 ケチをつけないと中国らしさが出ませんし。

EU対米国の対立は当たり前
 共同"欧米間の意見対立が表面化 将来の温暖化防止国際制度"(参照)より。


京都議定書に定めのない2013年以降の「ポスト京都」の国際制度をめぐっては、同議定書をベースに、より厳しい温室効果ガスの削減目標を目指すEUと、議定書と異なる枠組みを求める米国の立場が鋭く対立。

 このあたりは、先にも触れたようにEUってすっかりヤル気でいるし、米国もすっかりソノ気。ついてけないよ。

EU内でも方針が分裂するかも
 共同"イタリア、延長に「反対」"(参照)より。


ロイター通信によると、イタリアのマテオリ環境相は15日までに、地球温暖化防止のための京都議定書の有効期限について、現行の2012年までとし、延長すべきでないとの考えを示した。

 イタリアってEUでしょ、ってツッコミはなし。反対理由は、温室効果ガス大量排出国である、米国、中国、インド抜きで意味があるのかぁ!、であり、このあたりはただのラテンな気質とは言い難い。

ボーランド曰く、環境だけの問題じゃないよ
 京都新聞"「気候変動」対策、途上国と溝深く COP10、閣僚級会議"(参照)より。


ポーランドは「気候変動の影響は環境だけではない。社会や経済への影響を測る手法を共有する必要がある」と提案。

 ポーランドにしてみれば、この問題はEUに日和ったものの、このまま進むといいようにEUにしてやられてEU内の三流国家にされちまうぜ。

産油国は環境なんて儲からん、ゼニをくれぇと吠える
 同じく京都新聞より。


サウジアラビアは「先進国が京都議定書に基づき二酸化炭素などの削減を進めれば産油国は毎年数10万ドルの損失を被る」と、気候変動対策の「補償」を求める従来の主張を繰り返した。

 芳し過ぎ。土台昨今の原油価格つり上げでボロ儲けを出しているのは誰ぇ? それはさておき、中国が北京オリンピック後にシナリオ通りに崩壊したら、世界の石油ってだぶだぶになるのでしょうか。

環境省VS経産省
 読売新聞(2004.12.17)"ポスト京都議定書交渉 環境省VS経産省 足並みの乱れ露呈"より。


 期間中、経産省は米国や中国の政府高官らをゲストに招いた講演会を相次いで開催し、その席で、同省の審議会がまとめた報告書を紹介。ポスト京都の国別の数値目標は補完的なものにとどめ、目標の期間も緩やかな二十―四十年の長期にするべきだとの立場を説明した。
 一方、環境省は同省所管の研究機関が主催する講演会で、「次の枠組みでは、京都議定書の成果を尊重すべきだ」と主張。会場では数値目標を軸にした同省審議会の報告書が配布された。

 アッパレ日本。環境省と経済産業省が相反する内容の報告書を配布していたのだ。

 実際のところ、気候変動枠組み条約第10回締約国会議(COP10)ってなんだったのだろう。
 例えば…環境って大切だよね、それを守らない米国って悪いよね、だから、良い子のEUと日本とロシアが正しい道を進めば、中国やインドもきっと納得してくれるよね…とか言う?
 マジなストーリーで言えば、現代の先進国の経済発展とそれを狙う中国・インド・ブラジルとの縦の覇権争い、それにEU対米国の横の覇権争い。そして、日本は道化。
 それと、EUと日本については、所詮石油をだぶだぶ使うわけにはいかないので、石油に絡んだエネルギー戦略でどうやって優位に持ち込むかということ。
 環境問題っていうのは、環境って考えるからスルーしがちになるけど、以上のような乱闘のリングとして見ると、まだまだ楽しめるのではないだろうか。

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2004.12.23

世界子供白書2005を巡って

 ブログのネタとしては少し古いが12月9日「世界子供白書2005」が発表され、その翌日から英語版がPDF形式でダウンロードできるようになった(参照)。日本語版は来年3月末になるとのことだ(参照)。概要部分については、すでに日本語の文書がPDFで用意されている(参照・PDF)。内容は、おそらく誰もが想像がつくように、陰惨極まるものだ。
 国内のニュースでは、例えば毎日新聞では共同配信の"ユニセフ:「世界子供白書」を発表 途上国の子、半数ピンチ"(参照)の記事がある。


国連児童基金(ユニセフ)は9日、ロンドンで05年版「世界子供白書」を発表。発展途上国に住む18歳未満の子供の半数以上に当たる約10億人が貧困や戦争、エイズのために窮状にさらされていると指摘した。

 10億人が窮状にさらされているとあるが、英語ではもっと端的に"Under Threat"と表現している。「脅迫」という日本語の語感は合わないとはいえ、窮状というよりは脅迫下に置かれているというほうが実態に近い。
 こうした問題は従来貧困の問題として扱われてきた。たしかに貧困の問題は基底に存在している。
 ここで私が自分の稚拙な意見を挟むべきではないのかもしれない。だが、こうした世界の貧困問題は、日本では従来、左翼なりレーニン系のマルクス主義の文脈で捕らえられ、あたかも世界の資本主義国が帝国主義として第三世界を搾取しているのだというふうな話につながっていたと思う。現在ではある程度の知識人の層は苦笑するだろう。また、そのリングで不毛なイデオロギー論争は避けたいと思うのではないか。私もそう思う。
 世界の貧困の問題は難しい。今回の白書では、ノーベル賞経済学者スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)の寄稿もあるのだが、率直に言って、その経済学的な知見を活かしたものではない。

Our self-interest is at stake: A world with such social injustice and despair provides a fertile breeding ground for terrorism. Democracy without education often falters. As an economist, it is easy to say that we are not allocating resources in ways that maximize our own long-term interests. Lack of resources is not, and cannot be, an excuse. But we should not view the eradication of poverty among children as simply a matter of self-interest. It is a question of what is morally right.

 スティグリッツですら、経済学の立場を横に置いて、今やモラルを説いている。
 もしかすると、経済学の本質になにか欠陥があるのではないかとすら私は疑念を持つ。政治と経済を分離し、モラルを独立させることで問題は解決されるのだろうかと疑う。旧来のマルクス主義なり世界システム論なりが不毛であるにせよ、より代替的な世界理論の構築が計られなくてならないではないのか。
 子供を巻き込む紛争が今回の白書の大きなテーマでもあった。紛争と言えば、現在、世界は日本も含め、中東問題に目を向けていることが多い。しかし、世界を本当に世界の視座で見るなら中近東は紛争地域の典型でもなければ、貧困地域の典型だともいいがたい。その対応の可能性も、そう難しいものではない。この地域の国家資源をどのように内政的に配分するか、あるいは、国際市場に対応するかという模索で見ていくことができる。むしろ、紛争ということで世界的に問題となっているのはアフリカだということは、たとえば私なども、この一年間の極東ブログの継続でも実感されるものだった。
 問題は、端的に言えば、アフリカだ。共同は今回の白書について、こう簡単にまとめている。

 白書はまた、90年以降の戦争や紛争で死亡した360万人の半数近くが子供だったとした上で、大勢の子供が依然、兵士になるのを強制されたり、戦争に伴う性的暴行の犠牲になっているとした。
 さらにエイズで親を亡くした子供の数が2003年末で1500万人に達し、そのうち8割はサハラ砂漠以南のアフリカ諸国に住んでいると指摘した。

 このまとめが間違っているわけではないのだが、白書が現在世界が訴える子供の問題は少し違うようにも思われる。そこがうまく表現できないのだが、アフリカの紛争という構造が必然的に子供を巻き込んでいるように見える。
 この側面において、最悪なのは、私が思うに、ダルフールではない。ウガンダだ。今回の白書でも"Uganda's ‘night commuter’ children(ウガンダにおける「ナイト・コミューター」の子供たち)"(同書p48)として大きく取り上げている。
 「ナイトコミューター」の説明の前に、私のような者が言うにためらうのだが、できたら、今、国連人道問題調整事務所(OCHA:the Office for the Coordination of Humanitarian Affairs)のサイトのトップページを開いて見てもらいたい(参照)。

"The conflict in northern Uganda is characterized by a level of cruelty seldom seen elsewhere. This is a war of children against children. It excludes vast swathes of the population from participation in any semblance of development. The world owes them better, for the sake of peace and for the sake of humanity. They should not be abandoned."

Jan Egeland
Under-Secretary-General for Humanitarian Affairs
and Emergency Relief Coordinator

【引用部試訳】
北部ウガンダの紛争は他所では見られない残虐さで際立っている。この紛争は子ども同士が殺し合う戦争なのだ。この戦争は社会向上の原動力となる人口を奪っている。世界の人々は、平和と人道主義のためにも、この子どもたちに救援の手を伸べなくてはならない。この子供たちを見捨ててはいけない。


 ここで起きている事態については、日本語では、実際にウガンダ北部でこの問題を取材された毎日新聞白戸圭一記者による三回シリーズ"子供たちの戦場:ウガンダ北部内戦"が詳しい(参照参照参照)。

 アフリカのウガンダ北部で「神の抵抗軍」(LRA)と名乗る武装カルト教団が、18年にわたって住民虐殺と子供の拉致を続けている。政府軍の攻撃で勢力は衰えつつあるといわれるが、子供たちが拉致におびえる暮らしは変わらない。国際社会からほとんど顧みられることのない危機の実態を報告する。


 住民は90年代半ばに激化した襲撃のため、村を捨てキャンプへ移住してきた。だが、逃げても逃げても抵抗軍は追ってくる。避難民はウガンダ北部全体で50万人を超え、拉致された子供は2万人、うち少なくとも5500人は行方不明のままだ。

 先の「ナイト・コミューター」についても、同記事で触れられている。ナイト・コミューターは子供が夜間に拉致されないようにするための避難所である。

午後6時。熱帯の太陽が地平線に消えるころ、ウガンダ北部の都市グルでは子供たちの大移動が始まる。5000人は下らないと思われる子供が鉄条網に囲まれた施設へ吸い込まれていく様子は異様というほかない。行き先は、地元ボランティアが運営している「ナイト・コミューター」と呼ばれる宿泊所だった。

 このウガンダの悲惨な状況は、さすがにウガンダにおいて頂点を極めるのだが、類似の構造はアフリカの他所でも見られることは、極東ブログ「リベリアの武装解除と暴れる学生たち」(参照)でも触れた。

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2004.12.22

米国は台湾への軍事支援を強化してきている

 昨日VOAのニュースを見ていたら、アメリカ政府は現在台湾の台北に派遣している防衛エキスパートのシビリアン(非軍属)を、今後現役将校に据え換える、とあり、ぎょっとした。単純に考えると、台湾への軍事支援を明白に強化するように思えたからだ。VOAのニュースは"US Reported Ready to Station Military Officers in Taipei"(参照)である。
 この手のニュースは日本国内では報道されないだろうかと気になったが、その後、ロイター系で報道され、おそらくそれを引いた共同系の"米、現役将校を台湾派遣か 断交後初と英軍事誌"(参照)でベタ記事に近い扱いで報道された。主要紙では毎日新聞が台北特派員の記事として、"米が将校配属か 英誌報道、断交後初めて"(参照)の記事を出したが、内容を読むに、「台湾当地の新聞では」と切り出すものの、その文面はロイター系の報道とほぼ同じなので、現地取材の利点は活かせてないようだ。これに対して、冒頭のVOAは北京特派員による取材情報が含まれている。
 事態の概要を知るべく共同系のニュースから引用する。


 20日付の台湾各紙は22日発売の英軍事専門誌ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー最新号の報道として、米国の現役将校が来年、米国の台湾代表部に当たる米国在台協会台北事務所に配属されると報じた。

 また、その意味として、共同系はこうまとめている。

ここ数年来の中国の軍事的脅威拡大を懸念している米当局が台湾との軍事関係強化に向け、政策転換したとみられるとしている。

 さらっと書いているがここ、つまり「米当局が台湾との軍事関係強化に向け、政策転換した」がこのニュースのキモでもある。
 同記事では、さらに、現在台湾が対中防衛力強化に向け、米国から約2兆円もの武器購入決めているため、その調達を担当するとしている。VOAもそのスジでの解説もしているのだが、それだけなら、シビリアンでも問題はないだろう。むしろ、武器の技術的な調整などは製造に関わるシビリアンでも詳しいはずだ。
 今回のニュースの元ネタは英誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー」だがこのサイトから該当記事はオンラインでは読めないようだった。また、この事実関係について他のソースからは裏は取れていない。追記同日:ATIからアナウンスがあり確認された。
 Google Newsを使って、このニュースの国際的な反響を見たのだが、日本国内とは違いベタ記事扱いとはいかなようだ。AsiaNews"US military staff to be stationed in Taipei after 25 years"(参照)ではVOAよりも政治面に踏み込んでいた。

According to the magazine, the change reflects “growing concern in Washington over China's military ambitions in the region” and should become effective by mid-2005 when military officers are expected to take up their posts at the American Institute in Taiwan, the de facto US diplomatic mission in Taipei.

 中台の軍事バランスが数年以内に転換するため、それを機に中国が突発的な軍事行動に出ないようにという米国の思惑があるらしい。

 US Congress in 2002 passed a bill allowing for the posting of military staff in Taiwan if it was deemed to be “in the national interest of the United States.”

 米国下院では今回の件はすでに承認済みとのことだ。ここで米国の国益とやらが出てくるのが、難しい。この点、先のVOAでは台湾法について簡単に補足している。

The United States remains one of Taiwan's key allies and the leading source of its military hardware. It is also obliged by law to come to Taiwan's defense if it is attacked.

 台湾が攻撃を受ければ米国が乗り出すのは同盟に関わることなのだが、このあたりは日本人で知らない人がまれにいる。
 ニュースとしては以上なのだが、「ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー」の記事を書いたWendell Minnickについては、Asia Pacific Media Servicesというサイトで近年のエッセイをまとめて読むことができるので、今回の報道との関連あるかとざっと見渡した。うかつにも驚くべきものがあった。
 なかでも、今年の4月の記事だが"The year to fear for Taiwan: 2006"(参照)では、中国軍がどのように台湾を軍事侵略をするかについてのシナリオが掲載されていた。あくまで軍事的な意味しかないのだろうが、読んでいて私などには空恐ろしいものであった。
 軍事シナリオに加え、軍事的な政策面で、ある意味では当たり前なのだが、興味深い指摘もあった。特にハワイのPACOM(US Pacific Command)の意義だ。

PACOM argues that the move is in response to North Korea, but others are suggesting that Taiwan is the basis of much of the move. This is a common theme in US military planning in Asia: the overt reason used is North Korea, but the covert one is Taiwan. Guam is now being considered for possible placement of an aircraft-carrier strike group to be moved from Hawaii.

 つまり、表向きには対北朝鮮シフトということにしているが、実際には台湾問題のためにある。"the overt reason used is North Korea, but the covert one is Taiwan"という表現に含蓄があるのだが、このあたり、私の印象ではどうも日本のマスメディアや一部の大衆感情は北朝鮮という餌に踊らされているようにも思える。
 それにしても、そこまでして台湾に米国が入れ込むメリットはなにかがやはり問われうるだろう。この点についても同エッセイは踏み込んでいる。

Why is Taiwan worth fighting for?
To anyone who looks at a map of the region, the reasons are obvious. Taiwan's strategic location makes it extremely valuable. The Taiwan Strait is a critical sea lane, and taking Taiwan would allow China to choke off international commercial shipping, especially oil, to Japan and South Korea, should it ever decide to do so. In addition, Taiwan serves as a vital window for US intelligence collection. Taiwan's National Security Bureau and the US National Security Agency jointly run a Signal Intelligence facility on Yangmingshan Mountain just north of Taipei (see Spook Mountain: How US spies on China, March 6, 2003). Taiwan's inclusion into China's military power structure would be unthinkable for Japan.

 「理由は明白でしょう("the reasons are obvious")」というところに、私など沖縄にいたころ米人と話したことを思い出す。彼らは在沖米軍基地についてよくそう答えた。
 ここでは、台湾海峡が封鎖されれば、日本と韓国が封鎖されますよ、特に、石油が断たれますよ("choke off international commercial shipping, especially oil")と触れている。日本には単純にぞっとする話が、冷静に考えれば、そのことがどれだけ米国にとって重要性を持つことなのだろうかとも疑問に思う。米国にとってみれば、日韓が事実上滅んでも、中国がその代替となるというシナリオだってありうるかもしれない。
 考えてみれば、イラク戦争も大儀なき戦争と言われ、確かに理想の国連を中核に据えた国際秩序を考えればそのとおりなのだが、現実の国連は理想とはほど遠いうえに、自由経済の重要な象徴ともなっている石油取引を保護するという理由はあった。
 日本は国際的な自由経済が保証されなければ存続できない。そして、台湾問題は日本の存続が米国にどのような意義を持つのかとい問いにも関連しているようだ。

【追記同日】
その後、北京政府側から米国への公式な非難コメントがあった。また、AIT側も今回のシフトは、台湾への米国の軍事政策変更ではないとの旨ものアナウンスもあった。ので、逆にこのニュースは公式に事実と確認もできた。

China Opposes US Military Presence in Taiwan参照

The Chinese Foreign Ministry says the U.S. policy threatens to destabilize cross-strait relations.

Foreign Ministry spokesman Liu Jianchao criticized Washington's plans in a news briefing Tuesday.

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2004.12.21

マカオの思い出

 昨日は12月20日、コザ暴動の日だなとも思った。そういえば、マカオがポルトガルから中国に返還されて5周年でもある。そんなこともあってか、マカオで開かれた記念式典に胡錦涛が出席したとのニュースを聞いた。マカオかぁ、とちょっと物思いにふけった。そういえば、10年も前になるが、この季節、日本は寒いからというわけでもないが、ちょっくら香港からマカオに行ったことがあった。香港の派手なクリスマス・イルミネーションに萎えて、早々に船でマカオに渡った。マカオの港に着くと空気は奇妙に生温かい感じがした。

cover
ジョアンの
香港・マカオ
ノート
 港から出て、さてどこに行くべーかと海沿いにたらたら散歩した。そして、リスボンホテルの前だっか、ぼーっとつっ立っていたら、現地の女の子なんだろう肌の色の濃い中学生くらいの年頃の子が寄ってきて、なんかもしょもしょ言う。小銭ない?ということらしい。あるよ……ちょうだい……あげるよ……ありがとう……(物乞いでもないらしい)……どうするの?……バスに乗る……と、今思うに、いったい何語で会話をしたのか覚えていないが、そういう次第だった。彼女は、そして、すっとバスに乗って行った。華人ではないなぁと思った。あとで思うと、その後住むことになる沖縄のウチナーンチュの女性みたいな感じではあった。
 また一人ぽつんと残された私は、そういえばよくバスが行き交っているものだなと見ていた。バスの数台は橋の向こうの島に行くようだ。島かぁ、島はいいな、と思って、そっちに行きそうなバスに乗って島のほうに向かった。地図を見ると、島は二つある。なんとなく、島の南端に行ってみたくなくなった。コロアネ島である。
 コロアネ島のバス停で降りて、さて、と見渡すと、なんとなく東洋というよりは、ギリシアかトルコの田舎みたいな雰囲気でもある。南端はどこかなと思っているうちに、タクシーがいたので乗って、南端の海岸に出た。ドライバーは華人だった。今思うと、変なやつと思ったのではないか、怪訝そうだった。ぼられた。ま、いいか。海岸に着く。今はぁもう冬♪、誰も、いない海、である。タクシーがいなくなり、誰もいないコロアネ島の海岸に残されて、さて、俺って何?と思った。別にここに死に場を求めたわけでもない。まぁ、こうしてよく旅先で途方に暮れる。途方に暮れないと旅という感じもしない。
 海を見るに飽きると、自分が異国の島で迷子になっていることに気が付いた。それほど大きな島でもないからと、歩きだした。あの時の風景が記憶のなかでやはり後の沖縄の風景に重なる。まさかそれから沖縄で8年も暮らすことになろうとは…。
 その先はよく覚えていないのだが、またタクシーを見つけたかなんかして、ザビエル教会に出た。当時、コロアネ島の唯一の繁華街?という感じなのだろうか。教会の前にはカフェテラスというかこれも地中海風のオープンエアの、あるいは江ノ島風な、タベルナがあった。白人が20人くらいいたか。まさにコロニアルっていう感じだなと思った。白人たちの幾人かはのんびり巻き貝のようなものをつまんで食っていたので、私もそれをくれと注文した。沖縄のチンボウラとも違う巻き貝だが、塩ゆでしただけのもの。それをただ食うだけ。たいしてうまくもない。他になんだかわけのわからんチャーハンのようなものを頼むと、よく見かける金属製の茶壺(急須)にプーアル茶も出てきた。こんな島でこんなふうに暮らすのいいなとは思った。
 暇なのでザビエル教会も見た。小さな、玩具のような教会だった。きれいはきれいだ。ザビエルの腕なんてものも陳列してあった。まったくな、カトリックってやつらはこういうのが好きなんだよなと、イスタンブルのトプカピ宮殿の博物館で見たヨハネを腕を思い出した。
 ザビエル(Dominus Franciscus de Xabier)と日本では言い習わしているが、本当はなんと読むのかと、そういえば大学生のころフランス語の先生と雑談したことを思い出した。シャヴィエル、ハビエール、グザビエー…なんだったかな。ザビエルはバスク人だ。そういえば、ザビエルの忌日(聖人の日)は12月だったかと思い出し、Wikipediaでもひいてみるかと見ると、ありましたね(参照)。おやおや、ちゃんと名前の読み方談義までついてますね。スパイだった説はあるかなと見るが、Wikipediaにはない。トンデモ説だったか。
 コロアネ島からはまたバスに乗ってマカオに戻った。バスと歩調を合わせて海産物を積んだトラックが走っていたのを奇妙によく覚えている。橋を渡りつつ、遠くに、建設中の大きな空港を見た。あれだけ大きな空港ができたら宗主国ポルトガルへの直行便もあるだろうなと思った。後に台北の中正空港で暇になって、マカオ経由でリスボンに行けるのかちょっと調べたが、直行便があるみたいだった。
 マカオの思い出はそのくらい。マカオの街は…ま、どうでもいいでしょ。観光地ですよ。それから香港が返還され、マカオが返還された。その間、もう一度マカオに行きたいものだとも思ったが、はたしていない。暴力団もいなくなったとのことだが、日本人の中年男がぼそっと出かけると目的を誤解されるのではないだろうな。いや、旅に目的なんてないのだけど。

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2004.12.20

「NHKに言いたい」で終わるというシナリオなのかな

 NHKの不祥事に対するNHKからの回答とも言える、昨日の「NHKに言いたい」(参照)を見た。2時間を超える番組なのに、あるいはだからなのか、ひどく、つまらなかった。でも、私も「NHKに言いたい」として、もう一つここにエントリを書いておく。
 番組「NHKに言いたい」は、朝まで討論とかの真似事なのだろうか、個々の意見には聴くべきことも多いのだが、この番組を総じて見れば、対話自体のエンタテイメントに過ぎず、不祥事の具体的な対応という問いかけに答えたものとは言えないかった。つまり、この番組の構成が、意図的になのか(ガス抜きとか)、まずい。あるいは表層的に、この番組を映像メディアとして見るなら、「NHK海老沢勝二会長ってすげー恐い顔しているな、こいつってこれでも辞任しないんだな、呆れるなぁ」というのがエンタテイメント的なメッセージだったのだろう。
 このNHKの不祥事問題に関連して私は以前、極東ブログ「今回のNHKの不祥事は録画でハゲを見せて終わり」(参照)を書いたが、依然、関連会社の問題のほうが重要かなとは思っている。些細な例だが、NHKで報道した「永平寺」(参照)をDVDで売るのはいいとして、制作費はNHK受信料持ちなのに、なんでこんなに高額なのだろう。
 別の言い方をすれば、今回の不祥事は、事実上は、問題にすらなっていないと思う。その話を当てこすり的に補足しよう。
 NHKの側の問題としては、単純な話、不祥事であれなんであれ、受信料というカネが入ってくればOKであり、入らなければアウトだ。だが、今回の一連の不祥事で行き詰まったカネは、11月末の時点では11万3000件。これがさらに膨れてもせいぜい20万件止まりだろう。これに対して、現在受信料を払っている世帯は約3800万世帯。桁が違う。不払いの意思表示が問題だとかいうが、3800分の20なんて屁でもない。日本社会の惰性・無気力を考慮すれば、今後、地滑り的に不払い者が増えるという事態もならないだろうし、NHK側としても年金問題のように未来の経営ビジョンが描けないなんてこともない。少なくともNHK側には実質の問題なんてない。
 以前からでもNHKの受信料の不払いは多いと言われるが、それとても、50万世帯で天井ではないだろうか。多く見積もっても、NHKに受信料なんか払いたくないという世帯は100万世帯程度で収束する。やはり、こんなの、NHK側にはどってことのない問題なのだ。
 これは結局、れいの「ブログ対新聞」といった愉快なメタ議論にも関係するが、新聞なんて事実上すかすかでも、戸配と広告による新聞社の収益構造が変わらなければ、変わりはしない。むしろ、戸を中心とする日本社会のシステムがじわじわと崩壊することで、新聞もNHKも崩壊するのだろうが、それというのは、ごく自然な社会変化の過程だ。
 では、NHKはこの機に何も変わらなくていいのかといえば、多少は変わるだろう。NHKとしてもこれだけ「祭」にしたからには、あと十年くらいは不埒なやつも出にくくなる。でも、それだけのことだ。そして、それはそれでいいのかもしれない。と思うのは、国民年金の問題のように、支払いを強制化するような政治権力の介入を招くよりはましかもしれないからだ。
 問いの方向を少し変えて、惰性のNHKはどんどんつまらなくなっていくかだろうか? NHK好きの私にしてみれば、別にそれほどクオリティが落ちているとも思わない。先日の3回特集「ローマ帝国」は中学生レベル以下のすかすかの内容だったが、見る側のレベルもそんなものかもしれない。私について言えば、NHKがキリを入れる韓流ドラマにはまるで関心ないが、だから困るわけでもない。クローズアップ現代とラジオ深夜便があればいいからだ。そのくらい。NHKのメディアとしての価格も、他の情報の価格帯と比べれば、まず妥当だろう。というか、そういう判断が実際の日本社会には結果的に多い。
 今回のNHKの不祥事がうやむやで終わるとして、どうしても嫌だな、やりきれないなと思うのは、エビ・ジョンイルより、NHKの経営委員会という存在だ。端的に言って、本来なら、ここできちんと海老沢勝二会長の首を切るべきでしょう。それができないというか、まるで機能していない。今後も機能しそうにない。
 経営委員の任命は内閣だが、その活動は、事実上、政府側のシナリオ通りに動いているし、それに対して、空気を読め的にNHKの政治情報は規制されている。反面、そこから奇妙にずれたところでは、旧来の左翼インテリ的な奇妙な政治メッセージを出してもいる(例えば、NHKは国連疑惑には触れない)。でも、この点について言うなら、稚拙な偏向報道は別のジャーナリズムで個々に叩き潰していけばいいのだ。ブログのネタにもなるしね。

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2004.12.19

私のお気に入りのクリスマスソングCD

 この数年自分の定番になっているクリスマスソングのCDの紹介でも。

Christmas Singers Unlimited
cover このクリスマスソングCDがないと私のアドベント(待降節)…クリスマスは始まらない。クリスマスのための完璧なBGMだと思う。すごく美しい、って大げさだけど、そう実感している。
 1972年の作品というから、30年以上も前なのだけど、古さをまるで感じない。アカペラだからなのかもしれない。
 リンク先のアマゾンのサイトで全曲の冒頭がリアルプレーヤーで試聴できる。ちょっと聴くとわかると思うけど、シンガーズ・アンリミテッドのこのクリスマス・アルバムを知らない人でも、きっとどっかでなんとなく聴いているから、あーこれかと納得すると思う。
 レコーディングの音質も、デジタルマスターからハンス・ゲオルク・ブリュナー・シュヴェア(Hans Georg Brunner-Schwer)からリマスターしているので、かなりよい。


Christmas Harmony Inner Voices
cover こちらもアカペラ。女性四人のグループ。ジャケットを見るとわかるように黒人二人と白人二人、なので、声質のバランスも面白く、リズム的なノリもいい。リンク先の米国アマゾンのサイトで曲の試聴ができる。1990年の作品だが、古さを感じない。
 日本のアマゾンでは販売していないが、米国アマゾンでは売っているのでそっちにリンクを張った。
 米国アマゾンの素人評を読んでいたら、最初はカセットテープで買ったのだけど擦り切れたのでCDで買い直したというエピソードがあった。わかる気がする。なんどもなんども聴きたくなるハーモニーだからだ。
 特に、White Chiristmasは、彼女たちの歌が最高だと思う。


Billboard Top Christmas Hymns
cover これを勧めると、音楽のセンスを疑われて当然、といったシロモノなのだが、ようするに米国の大衆的なクリスマスソングの定番集だ。アンディ・ウイリアムスやジュリー・アンドリュースとかね。
 アマゾンのサイトで試聴できるので聴いてみると、一定以上の年代の人なら、あ、これねという感じがするはず。というか、実に、アメリカンなクリスマスの雰囲気が漂う。
 こういうのもいかがなものかとは思うが、荒井由実的戦後の米軍基地文化というのは私などにも郷愁を呼ぶものがあって、嫌いにはなれない。っていうか、そもそもクリスマスなんてものが米軍文化だった。


Christmas Collection The Carpenters
cover カーペンターズのクリスマス・アルバム。78年の「クリスマス・ポートレイト」(78)と「オールド・ファッションド・クリスマス」(84)の二枚組。1984年なんてついこないだのことかと思うのだがもう20年も経つのか。
 マジで恥ずかしながらカーペンターズのファンだったので(キング・クリムゾンとかもファンだったが)、カレンの声は懐かしくてたまらない。だが、カレンの曲を聴けるよういなったのは、数年前からだ。彼女が死んだのは1983年2月4日のこと。直接の死因は心臓発作だが、そこに至った原因は神経性食欲不振症(Anorexia nervosa)、つまり、拒食症だった。彼女の死については、「カレン・カーペンター―栄光と悲劇の物語」が詳しい。同時代の人間としてはやりきれないような悲しさを覚え、私は10年以上もカレンの声を聴くことを拒んだ。
 昔ギリシア語を学んだとき、ギリシア語で覚えた格言があるのだが、それも忘れたのに、意味だけはなんとなく覚えているのだが、曰く、時はすべてのものにとって薬となる、だったか。かくしてクリスマスには懐かしくカレンの声を聴く。


Celebration of Christmas
cover 考えようによってはこいつもちょっと悪趣味。ジャケットを見るとわかるように、脇の男性はカレーラスとドミンゴ。そして、女性はナタリー・コール。ナット・キング・コールの娘だ。何? パバロッティがいない? いや、パバロッティがいるクリスマス・アルバムのあるのだが、お好きですか?
 当然だが、これは「世界3大テノール’94夢の競演」と似たようなもののクリスマス版。ところで、この3テナのDVD版ってもう在庫なしですか(ってCDももう無くなりそう)。


Favorite Christmas Hymns
cover 私の好きなマリアン・アンダーソンのクリスマス讃美歌集。古いレコードから起こしたらしく、録音状態は悪くノイズがかなり入っている。歌もマリアン・アンダーソンの代表的なものとは言い難い。それでも、不思議に彼女の魂のようなものを感じさせる。
 マリアン・アンダーソンをトスカニーニは「百年に一度聴くことができる美声」と評した。彼女は、美声と信仰と強い心の他には何もない、貧しい黒人として生まれた。もし、クリスマスの伝説のように神が存在するなら、その天才的な声と歌唱力は、アメリカの人種差別を打ち砕くためのものだっただろうとも思う。


Messiah (Arias and Choruses)
cover ヘンデルのメサイア。当然、全曲ではなく、アリアを集めたもの。これ以外にもヘンデルのメサイアのCDはいろいろある。だが、このCDだとソプラノがキリ・テ・カナワ、演奏・合唱はシカゴ交響楽団・響合唱団、指揮はゲオルグ・ショルティ、なので安心して聞ける。ちなみに音楽史的にはこれは「トービン版」。


Byzantine Music, Vol. 3: Hymns of Christmas Eve
cover 「ビザンチン音楽:クリスマス・イヴの讃美歌」というものだが、ギリシア正教のもの。アマゾンではすでに在庫切れ。米国アマゾンも覗いてみたが、売っていないようだ。いろいろ手を尽くせば入手可能だろうが、そこまで強く勧めるものではない。
 それでも、リンク先の在庫なしページから試聴ができる。なので、ものは試し、"2.Doxastikon-Troparia"を聞いてみてほしい。ギリシア語で讃美の詩を朗詠しているのである。日本人には、多分、コーラン朗詠とグレゴリオ聖歌の中間のように感じられるのではないだろうか。ギリシア正教ではこのような朗詠で新約聖書も朗詠するものなのだ。
 このCDには思い出がある。ちょうどクリスマスの日、アテネのプラカで買ったのだった。

 ちょっと早いが、メリークリスマス! 最近のニューヨークでは、ハッピー・ホリデーズ!というのが流行っているらしいけど、混ぜずにもう一つ、ハッピー・ハヌカー!

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