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2004.12.18

英国風に考えるなら愛子様がいずれ天皇をお継ぎになるのがよろしかろう

 9日のことになるのだが、英国で王位継承権のあり方を変更する法案が提出された。この法案にはいくつかの側面があるが、もっとも重要なのは、王位継承権を持つのは男女を問わず王または女王の最初の子とする、ということだ。従来は男性が優位だったので、王または女王の長男に姉がある場合でも年下の長男が王位を継いでいた。男子がいなければ女子が女王となった。この王位継承のありかたは、従来、毎日新聞"女性天皇:政府内で検討 皇室典範を改正へ"(参照)の記事にあるように、「英国型」と呼ばれていた。


 改正の素案では「男系の男子」と定めている皇室典範第1条を見直す。また、皇位優先順位は、欧州の王室で見られるような兄弟姉妹の中で男性を優先している英国型▽男女にかかわらず長子を優先しているスウェーデン型があり、識者の意見を踏まえながら骨格を固める。

 法案の審議は来年に入ってからだが、おそらく英国の王位継承権は改正されることになるだろう。王室もこの法案を好意的に受け止めている。その意味で、今後は王位継承のあり方として「英国型」というのはなくなる。
 この法案は労働党のダブズ議員(ダブズ卿)が提出したもので、彼は、この法案を出すにあたって次のように主張している。ガーディアン"Bill challenges 'outdated' royal succession rules "(参照)から引用する。

"Anachronistic rules of succession risk preventing the monarchy being acceptable to a full range of 21st-century British society," Lord Dubs warns.

"Support for changes that would reflect modern Britain's values on gender and religious discrimination would be all but universal."
【試訳】
「時代錯誤の王位継承規範には、王室が21世紀に英国社会に幅広く受け入れられることを妨げる、というリスクがあるのだ」とロード卿は警告している。「改正を支援することは、現代英国が掲げる男女平等と宗教差別撤廃が普遍的な価値であることを反映したものなのだ。」


 ここで宗教差別の話が出てくるのは、今回の法案では、従来、王位継承者はカトリック信者を配偶者としてはいけないという規制も廃止するためだ。現実的にはチャールズ皇太子がカトリック教徒のカミラさんを後妻にしてもいいよ、という意味になる。
 同じく、The Heraldの"Time for reason to rule in the outdated royal family"(参照)にあるダブズ卿の発言も興味深い。

"If parliament is unwilling and the monarchy is unable to discuss the issue, then royal reform risks becoming the Bermuda Triangle of the British constitution. Increasingly, the monarchy will suffer from this politics of 'benign neglect'. Most Britons support the monarchy but regard these anachronistic features as unacceptable."
【試訳】
もし議会が気のりしないまま先延ばしの態度でいたり、王位継承権問題は議論できなとするなら、王室改革がはらむリスクは、英国という国家の根幹において、船舶や航空機が蒸発する謎の水域であるバミューダ・トライアングルと化してしまうだろう。しかも、王室は、「慎み深い無視」という政策によって苦しむことになる。英国人は王室を支持しているのだ。この問題について触れるのはやめておこう、といった時代錯誤の誤りをおかしてはならない。

 ダブズ卿の雄弁がまるで指輪物語のシーンようにも思えてる。王室を愛するというのはこうした気迫を持つということでもあるのだろう。
 法案の解説については、ちょっとビックリしたのだが、すでにWikipedia"Succession to the Crown Bill"(参照)に手短にまとまっている。法案全文は英国国会のサイトにある(参照)。だが英国法と歴史の知識が必要とされるのでむずかしいったらありゃしない。
 さて、ダブズ卿が警告しているように、王室が社会に受け入れるには、社会の普遍的な価値を受け入れなくてはいけない。普遍的というのは、このあたりもしかすると日本人にはあまりピンとこないかもしれとも思うのだが、伝統より優先するということだ。日本の文脈で言えば、メディアが愛子様と呼び習わしている敬宮愛子内親王殿下をいずれ東宮とすべきだ、ということになる。
 とはいえ、この手の話は、日本国内だとなんたらかんたら収拾のつかない議論となるのだろう。ふと思うのだが、日本には本来的な意味での貴族制がなくなったために、ダブズ卿のように発言できる人がいなくなってしまったのがいけないのかもしれない。
 日本の皇室については、先日の秋篠宮発言に関連してだろうが、英国系のロイター通信だが、12月7日に"Japan royal succession crisis sparks drama"(参照)という記事があった。

Japan's monarchy is in crisis and, four decades after the last imperial male was born, many royal watchers say it can only be resolved by a decision to let a female succeed to the throne.
【試訳】
日本の皇室は、皇太子誕生後、四十年ものあいだ、危機状態にある。皇室を考える人たちは、この問題を解くには女性の皇位継承しかないと考えている。

 実際のころ、それしかないだろうし、それ意外はあまりに奇怪なウルトラC(死語)にしかならない。
 英国ロイター通信は、2007年には問題になるのでしょうな、としてこの記事を締めている。ま、そうでしょう。そのころまでには、日本の空気ももっと女帝承認になっているだろう。

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2004.12.17

れいの「ひざまくら」が世界のブログに苦笑を誘う

 ところで、話題の「ひざまくら」だが、こんなものもうブログのネタにもならないよね、と思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。ところで、もしかして、「ひざまくら」が何を意味しているか知らない人もいるかもしれないだが、これは、つまり、こういうものなのだよ、ということで、@nifty:デイリーポータルZの"「ひざまくら」新発売"(参照)にリンクを張っておく。余談だが、銭形平次などで見る膝枕っていうのは、こんな正座ではなく、ちょっと足を崩すと思うのだが…。
 ま、「ひざまくら」とは、そういうシロモノなのだが、これが、一昨日付でロイターで流れたらしく、世界に爆笑というか苦笑を撒き散らしている。イギリス版だが"Japanese men offered "lap pillow" solace"(参照)がまず、一つのソースになっている。


TOKYO (Reuters) - Single or lonely Japanese men may get lucky this Christmas.
One popular item for holiday shoppers is the "lap pillow", with skin-coloured polyurethene calves folded under soft thighs -- a comfy cushion for napping, reading or watching television.
【試訳】
東京(ロイター) 日本人独身男性やあるいは寂しい男性はクリスマスに幸運を得るかもしれない。休暇用品販売店で人気が高まるのが、「ラップ・ピロー(膝枕)」だ。肌色のポリウレタンでできたふくらはぎが、柔らかいふとももの正座の形状になっている。昼寝や、読書や、テレビを見るのに心地よいクッションになる。


At stores, lap pillows gather crowds where people poke and pry at the foam legs.

"I think this may be good for single men, but it could cause trouble for someone who is married," said Shingo Shibata, a 27-year-old company employee browsing at a toy store which sells the pillow.
【試訳】
店では、たくさんの人が「ひざまくら」に集まって、ひざのところをつついたりいじったりしている。
 店員のシバタ・シンゴさん(27)は、「ひざまくら」の売り場を眺めつつ、「独身男性にたぶんいいと思いますよ。でも、既婚者だとちょっと問題ありかも」と語った。


 ロイターのこの記事だと写真もないし、ウィットも抑えているのだが、BBC"Japanese men lap up new comfort"(参照)や"If girl's away, pillow is the way"(参照参照参照)などに添えられている写真の醜悪なインパクトは、日本人への偏見かねという感じがもした。
 いやそうなのかな、という疑問もあって、情報の流れをなんとなくトレースしてみたのだが、どうやら一つのネタ元は各種ブログのリンクなどを見るに、テックジャパンの"Girlfriend's lap pillow"(参照)のようだ。しかもこの記事、先の、@nifty:デイリーポータルZの"「ひざまくら」新発売"を訳したものだ。
 よく日本のブログは日本語に閉鎖していて、海外には意見が伝わらないとも言われるが、なんのことはない、海外にインパクトのある情報なら、こうして伝わっていくようだ。と、言っていいのかちょっと自信はない。
 このネタは視覚的なインパクトというものが先行しているから、ブログの言論とかいったものではないのだろう。"12/14/2004: Lap pillow"(参照)などを見るに、映像が強烈ということのようだ。気になって、Yahoo!(US版)のMost Emailed(メールで配布しまくった写真)というコーナーを見たら案の定「ひざまくら」が上位にあった(参照)。ようするに、英語でいうところのbizarre(ビザール)というのと、日本のもつ奇妙なエキゾチシズムが受けたのだろう。
 いくつかブログを見渡して気になったものをクリップしておこう。フランス語のlegweak"Hizamakura"(参照)は、こんなものを必要とするのは精神分析医に行けという感じだ。

Enfin... je me demande si certains ne devraient pas plutot prendre rendez-vous chez un psy ???

 Lone Star Times"Men can really be pathetic"(参照)は侮蔑的なコメントをつけている。試訳は避けておく。

And to think these people were responsible for the Rape of Nanking and the Bataan Death March.

 世の中にはどの国にも変な人はいるということか、Kitten With A Whip - Natasha Strangeの"Lap Pillow?"ではこうだ。ちょっと用語が特殊な世界なので、訳せませーん。

A small modification to this and it could be a face sitters dream.

 いずれにしても、海外では「ひざまくら」がかなり奇妙なものには見えるのだろう。日本のブログだが、"今日も一日"というブログの"HIZAMAKURA 「ひざまくら」"(参照)というエントリに興味深い話があった。

 日本語サイトのページの上の部分をそのまま画像に保存してメールに添付、日本語環境の整っていないオージーのPCでも文字化けせずに見れるようにとの配慮があるメ-ル。。。会社のオーストラリア人の同僚にも転送したところ、デスクにやってきて:
 「何あれ?(笑)」 (もちろん英語で)
 「枕だって。友達がメールしてきた。赤と黒の色が選べるみたいよ(^^ii) 」
 「え?何?どうやって使うの?えっ、えっ?」
 膝枕を全く理解していなかったみたいのですが、奴はなんだかすごいものを発見したかのごとく興奮していました...

 案外この11月15日のエントリが今回の国際的な広がりに火を付けたのか…ということはなく、実は、この手のネタが受けるには素地があった。私も知らなかったのだが、「ボーイフレンドのうでまくら」というのがあって、すでに世界に苦笑を撒いていたのだ。BBC"Boyfriend pillow for Japan singles"(参照)がわかりやすい。MSNBC"Women snuggle up with 'Boyfriend's Arm'"(参照)に類似の記事がある。けっこう洒落でなく米国で売れているふうでもある(参照)。
cover
片腕(収録)
眠れる美女
 それにしても、こういう発想というのは、日本的なのだろうか? よくわからないのだが、ふと、川端康成の「片腕」を思い出した(参照参照)。

「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言つた。そして右腕を肩からはづすと、それを左手に持つて私の膝においた。
「ありがたう。」と私は膝を見た。娘の右腕のあたたかさが膝に伝はつた。
「あ、指輪をはめておきますわ。あたしの腕ですといふしるしにね。」と娘は笑顔で左手を私の胸の前にあげた。「おねがひ……。」


「ありがたう。」私は娘の片腕を受け取つた。「この腕、ものも言ふかしら? 話をしてくれるかしら?」
「腕は腕だけのことしか出来ないでせう。もし腕がものを言ふやうになつたら、返していただいた後で、あたしがこはいぢやありませんの。でも、おためしになつてみて……。やさしくしてやつていただけば、お話を聞くぐらゐのことはできるかもしれませんわ。」
「やさしくするよ。」
「行つておいで。」と娘は心を移すやうに、私が持つた娘の右腕に左手の指を触れた。「一晩だけれど、このお方のものになるのよ。」

 変なこじつけをするようだが、「ひざまくら」も「ボーイフレンドの腕枕」も、「やさしくしてやつていただけば、お話を聞くぐらゐのことはできるかもしれませんわ。」ということかもしれない。こうした心性は、やはり日本的なものでもあるだろうし、そうした日本らしさというのは、どこかでユニバーサルな心性にもつながっているのだろうと思う。
 ちょっと笑いで締めておきたいのだが、このエントリのネタ探しに「ひざまくら」をめぐって英語で書かれたくだらねーブログをしこたま見た。わかったこと。ブログって、外国でも日本と同じレベルで、けっこう、くだらない。

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2004.12.16

美人だろうが民主化だろうが、私はチモシェンコ(Tymoshenko)が嫌い

 私は率直に言ってウクライナ選挙に続く騒動にそれほど関心はない、ということは先日の極東ブログ「ウクライナ大統領選挙雑感」(参照)にも書いた。その後も基本的にどちらの勢力にもそれほど荷担する心情はない。だが、日を追うにつれ、気炎を上げているユシチェンコ陣営に不快感を覚えるようになった。それほど政治的な意識ではなく、印象に過ぎない。でも、この印象を書いておきたい気になってきた。
 不快の核は、ユシチェンコ陣営のユリヤ・チモシェンコ(Glamorous Yulia Tymoshenko )元副首相(44)の存在だ。彼女の紹介は読売新聞系"カリスマ的な演説…ウクライナに「ジャンヌ・ダルク」"(参照・または参照)を借りよう。


 【キエフ=飯塚恵子】大統領選をめぐって政治危機が続くウクライナで、野党代表ビクトル・ユシチェンコ大統領候補(50)を支え、「ウクライナのジャンヌ・ダルク」(欧米メディア)と注目を集める女性政治家がいる。
 ユリヤ・チモシェンコ元副首相(44)で、敏腕ビジネスウーマン出身の同氏は、女優のような容姿とカリスマ的な扇動演説を“武器”にキエフで連日10万人以上のデモ隊を動かす原動力となっている。

 こういうのって不快なんだよね。個人的なものかもしれないのだが。かつてニクソン追及のために奮闘していたジョーン・バエズに萌えの少年時代を送ったことへの嫌悪感かもしれないなとも思うだが。それでも、バエズは今でも好きだが、チモシェンコについては、うへぇという感じがする。自分でもよくわからない。美人? ま、それは人の好みもあるでしょうけど(参照)。
 「萌え」の問題だからというわけでもないが、要は物語的な言葉による描写っていうこともあるのかもしれない。読売系のニュースを引用したのは、この語り口も紹介したかったせいもある。ナイーブとはいえこの書き出しはねーだろという感じがする。
 このあたりについては、そう感情的に無茶苦茶を言っているつもりはない。BBC"Ukraine's 'goddess of revolution' "(参照)と比べてみるとわかりやすい。

Orange-clad protesters call her "Goddess of the Revolution" while outgoing President Leonid Kuchma and some of the oligarchs - Ukraine's business and political elite - are believed to hate her.
【試訳】
オレンジ色をまとった抗議者たちは彼女を「革命の女神」と呼ぶ。だが他方、クマチ元大統領やロシアの新興財閥は彼女を嫌悪しているようだ。

 いかにも明暗のあるリードが先にくる。
 チモシェンコに、こうしたダークサイドがあることは、先の読売系のニュースも伝えてはいる。

 トレードマークは、長いブロンドを3つ編みにして後頭部に回すウクライナの農民風髪形。だが、チモシェンコ氏は実は、工業が栄える東部のドニエプロペトロフスクの出身。地元財閥との関係を深め、ウクライナの天然ガスを取り扱う「統一エネルギー機構」代表を95年から2年間務めた際には商才を発揮し、巨額の富を蓄えたとされる。
 98年に国会議員に当選し、現在の政敵・クチマ大統領の庇護(ひご)を受けて政治基盤を築いたが、2000年に大統領と対立、副首相を解任された。その後も2001年には汚職容疑で逮捕され、釈放されるなど、闇の部分も併せ持つ劇的な半生を送ってきた。

 端的に言って、このあたりの彼女の過去の持つダークな部分が今回のウクライナ騒動にどのような影響を持っているのかが気になるところだ。
 実際のところ、30日に野党陣営が与野党協議の決裂を宣言した背景はチモシェンコの画策だろう。ユシチェンコが大統領になれば、チモシェンコは首相になるのは、過ぎゆく今年の流行語で言えば、間違いない。下衆の勘ぐり的に言うと、ユシチェンコに致死ならぬ毒を盛って一番利益を得るのは誰なんだ?
 読売系のニュースでは「統一エネルギー機構」について曖昧に書いているが、こいつは独占企業だし、商才を発揮というよりは、そのビジネスの全容は不透明なままだ。BBCの言葉を借りるとこうだ。

They point to her controversial past when in the 1990s she reportedly made a fortune from questionable gas trading.
【試訳】
ウクライナの人々は彼女について評価の割れる過去を指摘する。彼女は、1990年代において疑惑がつきまとう天然ガス取引で財産を形成したと言われているからだ。

 彼女の「汚職容疑」も天然ガスに関係している。クチマ元大統領との対立も、ようはこうした彼女の疑惑に端を発していると言っていいのだろう。
 BBCでは、ユシチェンコの下でチモシェンコがロシアの新興財閥のカネを政府側に吸い上げたという話も伝えているが、彼女が首相となれば、さらに新興財閥の追討を徹底させる…というか、その利益を自分の統制下に置くようになる。彼女自身も新興財閥ではあるが。
 日本語圏以外にネットを見渡すと、この問題にはいろいろ陰謀論も渦巻いている(参照)。日本経済新聞などにも事前に暗示的な記事があったりもする(参照)。しかし、私などにはなにが真実だかわからない。多少なりともわかるのは、東部資源にダークな関わり秘めたチモシェンコのような政治家が牛耳るような国には所属したくないよ、という東部分離派の言い分だ。

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2004.12.15

岩月謙司容疑者、"準強制わいせつ容疑について

 考えがまとまらないのだが、現時点で思うことを書いてみよう。きっかけは、香川大教育学部教授、岩月謙司容疑者(49)の"準強制わいせつ容疑"逮捕の事件だ。
 この話を聞いたとき、私は苦笑した。先生、すっかりあっちの人とは思っていたが、そこまで爆走してしまいましたか、と。彼は、教授というステータスとかなんだけど、恋愛とか人間心理についてはただのド素人だし、彼の本を読むとわかるけど、ほとんど新興宗教的な内容。ただ、だからくだらない、と切れないところはある…。
 事件として見ると、毎日系の7日の記事"<準強制わいせつ>恋愛指南本の香川大教授を逮捕 高松地検"(参照)では、容疑を否認。ついでに事件概要はこういうこと。


 高松地検は7日、香川大教育学部教授、岩月謙司容疑者(49)=高松市昭和町1=を準強制わいせつ容疑で逮捕した。岩月容疑者は否認している。
 調べでは、岩月容疑者は02年4月27日夜から28日午後まで、自宅の浴室や寝室で、神経症的な症状に悩んでいた20歳代の女性に対し、「父からのセクハラと母の嫉妬(しっと)という呪いがかかっている」などと言い、治療上必要な行為を装い女性の胸などを触るわいせつ行為をした疑い。

 その2日後、9日の時事"「下腹部触った」と供述始める=わいせつ容疑の香川大教授-高松地検"(参照)では容疑を認めたとしている。

 心の悩みの相談に訪れた関東地方の20代女性に対する準強制わいせつ容疑で逮捕された香川大教育学部教授の岩月謙司容疑者(49)が、高松地検の調べに対し、容疑を認める供述を始めたことが8日、分かった。

 しかし、彼の認可を受けていると思われるホームページ(参照)では、11日のお知らせとして、無罪主張のままだ。

皆様へ
 今回の逮捕に対し、御家族と、応援、支援者たちは、無罪を証明するために全力でがんばっております。
岩月謙司を支援するネットワークを広げたいと思っています。岩月謙司をご存知の方、本を読んでくださった方、またそれ以外でも、今回の逮捕は不当なのではないかと思われて支援したいと思って下さる方は、このHPへ応援メッセージ等をお寄せください。

 おそらく事実関係は報道の通りで、これを女性の側がどう受け止めたかという問題ではあるのだろう。
 二つ思うことがある。一つは、女性が騙されたと理解しているとしたら、この事件は、レイプなのではないか、ということ。このあたり、今週号に掲載されているSPAのコータリのエッセイなどでは、不埒な話だなくらいなトーンで終始していた。彼のエッセイを非難しているわけではない。こうした事件について、これってレイプでしょ、と受け止める感性が日本にはないのか?というのが疑問に思った。
 私の認識ではこれはレイプ事件なのだが、大げさなのか。たまたま"A Rape and Sexual Abuse Survivor's Site"(参照)というサイトに定義があった。

Dictionary Definitions
Rape: Sexual intercourse with a woman by a man without her consent and chiefly by force or deception.

 つまり、"deception"、「騙し」によって行われたという点で定義どおりなのではないか。Wikipediaを見たら、もっと整然とした話があった(参照)。が、大筋では上記の定義でよさそうだ。
 そういえばと思って対応する日本語版Wikipediaの項目を見たら、なるほどねと思う注解があった(参照)。

 欧米、特に英語のレイプ(rape)に比較すると、強姦は、より狭い概念である。近年、国連規約人権委員会や女子差別撤廃委員会(女子差別撤廃条約に基づく)などの国際機関において、日本は法と法の運用の不備を指摘され、国際的な批判を浴びている。
 また、親告罪であることと、後述のように訴えたとしても、その後の事情聴取や法廷の場で証言しなくてはならないという苦痛から、被害者が訴えずに泣き寝入りをしてしまうケースの多い犯罪でもある。

 以前から日本人のレイプ観は違うのではないかと思っていたのだが、きちんとそういう問題意識を持つ人もいるわけだ。そして、法的にはここに書いてある問題がある。
 実は、先日のエントリ「サマンサ・スミス(Samantha Smith)ちゃんの手紙」(参照)でサマンサちゃんの同級生だった女性から日本のレイプ被害者サポーティング・グループの状況について問われたことがあり、応答に苦慮したことがある。欧米ではNPOで州ごとにサポーティング・グループがあるようだった。が、日本の状況はよくわからなかった。まったくないわけでもないのだろうが、率直なところよくわからない。
 話変わって、もう一つの点だが、岩月謙司容疑者は心理学・精神分析学にはド素人(専門は生理学・参照)で、私もド素人ではあるのだが、私はフロイトに傾倒していることもあり、今回の事件で「転移」という概念を思い出した。
 日本ではフロイトについては昨今の風潮もあって非科学的という決めつけが多いのだが、これはある種、経験科学としては侮れない知見が多く、そのなかでも「転移」はとても重要な概念だのだが、と、手元に資料がないのでネットを見ると、またしてもWikipediaにそれなりの説明がある(参照)。

転移(Transference)
フロイトは、面接過程において、患者が過去に自分にとって重要だった人物(多くは両親)に対して持った感情を、目前の治療者に対して向けるようになるという現象を見いだした。これを転移(または感情転移)という。転移は、患者が持っている心理的問題と深い結びつきがあることが観察されたことから、その転移の出所を解釈することで、治療的に活用できるとされた。転移の解釈は、精神分析治療の根幹とされている。
逆転移(Counter Transference)
フロイトは、治療者の側に未解決な心理的問題があった場合、治療場面において、治療者が患者に対して転移を起こしてしまう場合があることを見いだした。これを逆転移という。フロイトは逆転移は治療の障害になるため排除するべきものであり、治療者は患者の無意識が投映されやすいように、白紙のスクリーンにならなければならないと考えた。しかし、そうした治療者の中立性に関しては、弟子の中にも意義を唱えたものが多かった。

 やや曖昧なのだが、「転移の解釈は、精神分析治療の根幹とされている」という指摘はなかなかのもので、まさにフロイトの場合、精神分析医のもっとも基本的な技法と見なしていたようである。このあたり、日本ではあまりきちんと解説されていないようにも思うのだどうだろうか。
 ちなみに英語では、TransferenceでWikipediaには重要な指摘がある(参照)。

Transference is often manifested as an erotic attraction towards the therapist, but it's also common for patients to transfer feelings from their parents or children. The later may be a problem when treating elderly patients.

 また、"臨床心理学の基礎用語"(参照)というサイトに興味深い指摘があった。

 心理療法の過程で生じるクライアントと治療者の間のメンタルな関係は、クライアントが神の子で治療者が神様ということではなく、人間対人間というFace to Faceであるということから、好むと好まざるとに関わらず強いパーソナリティーが生まれます。これを転移と呼びますが、拡大解釈を許されるのなら我々は心理療法の云々という場面だけではなく”転移”そのもので人間関係をつくっているということができると思います。クライアントは治療が進むにつれて、それと同時に治療者の個人的な感情に熱中してくることがあります。これは我々が会社などで新米の後輩が先輩に対して、仕事というものを学んでゆく中でも同じように起こります。このような状態になった時にはクライアント(あるいは後輩)は過度な愛情・盲目的な信頼・依存心などを向けてくるわけです。その全く逆の方向で、憎悪・不信・過度な怒りを感じてしまう場合もあります。前者のポジティブな状態を陽性転移、後者のネガティブな状態を陰性転移と呼びます。これらは、よっぽどの場合を除いて、殆ど治療者(あるいは先輩)の現実的なパーソナリティー(人格)とは全く関係のないものです。我々はこのような場合を”妄想”と言いたくなりますが、心理学ではこの場合を転移という段階に留めています。

 話をちょっと無理目にまとめると、岩月謙司容疑者の事件には類似の問題が潜んでおり、かつ、そのことに容疑者は無自覚であったのではないかと思う。
 あと、日本社会やネット社会について、関連して思うこともあるのだが、うまく考えがまとまらないので、この話題はここまでにしておく。

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2004.12.14

シュレーダー首相が来日時に爆弾発言

 12日のラジオ深夜便でベルリン在住の永井潤子さんの話をいつものように聞いていた。この季節は特にクリスマスの話題が楽しいのだが、それに続いて、先日シュレーダー首相が来日した件について興味深い話があった。
 彼女は、ベルリンに入ってくる国際版の日本の新聞で、シュレーダー首相来日のことが日本であまり報道されていないように思えることを怪訝に思い、日本にいる知人に電話して、日本国内での報道状況について聞いて回ったのだそうだ。
 もちろん、その結果は私たちも知っている。たいした報道はなかった。私など、シュレーダー首相来日に、ほとんど関心をもっていなかった。先日のシラク大統領の真似で中国でセールしくさった帰りにちょっくら日本にも寄ってみたヘタレに関心なんか持てるかよ、と思っていた。間違いだった。シュレーダーはヘタレではなかった。
 永井さんは、この来日の本質について、「シュレーダー首相は実は東京でいわば爆弾宣言をしているんです」と切り出した。爆弾宣言というのは、日本とドイツは国連で常任理事国の五か国と同様に拒否権を持つ扱いを受けなければいけない、ということだ。
 眠気を誘うために聞いているラジオなのに、思わず目がさめた。報道を読み直してみた。なるほど日本経済新聞系"首相「拒否権付きの常任理事国入り、中国も拒否権持ち難しい」"(参照)などを読むと報道されてはいた。


小泉純一郎首相は9日夕、来日中のシュレーダー独首相との共同記者会見で、両国が目指している国連安全保障理事会の常任理事国入りについて、「新しい常任理事国が現在のP5(米ロ中英仏)と差別がない方がいいと思っている。今の時点では同等の権利を持ちたい」と述べ、P5が有する安保理での拒否権獲得が望ましいとの考えを示した。

 フランスのシラクなども、日本が国連でもっと名誉ある地位につくべく推挙してくるふうではある。が、拒否権を持てるほどの地位という話はなかったかと思う。シュレーダー、やるなぁ。
 それにしても、シュレーダーの意図はなんだろうか。もちろん、あちこちで踏んづけられている者の本音を、同じような境遇と見抜かれた小泉にゲロったのだろうが、それにしても、この発言は彼の持論だったのだろうか。
 私はドイツ語がさっぱりわからないが、拒否権を意味するvetoはドイツ語でもvetoだろうし、あとはシュレーダーと国連(UN)をキーワードにしてドイツ語のニュースを検索してみた。
 どうやらシュレーダー首相の発言はドイツ国内で話題となっていた様子がわかった。確かに爆弾宣言と言ってよさそうだ。あまり適切な例ではないが、シュレーダー訪問についてのDie Weltの記事をGoogleで訳してみた(参照)。

Surprising raid of the chancellor
Schroeder demands a right of veto for the new constant members during its Japan attendance with an extension of the uncertainty advice. Merkel and Stoiber support the suggestion.

Tokio Federal Chancellor Gerhard Schroeder wants to exist with an extension of the uncertainty advice on a right of veto for new constant members. With a reform of the committee "not with two different measure", said Schroeder may be measured at a restaurant forum in Tokyo. The new acquisitions would have to receive a equal status with the past five constant members and concomitantly the right of veto.


 ドイツではシュレーダーの拒否権付き発言が驚愕の話題になっていたようだ。
 考えてみれば、それはそうだ。仮に日本が国連で拒否権を持てるなら、どれほど世界に平和を訴えることができるだろうかと私は夢想する。
 日本国内での報道をもう一度見渡してみたが、やはり、シュレーダー発言については、ほとんど触れていない。だが、国連疑惑が国内では腫れ物を触るような扱いであるのに比べると、このシュレーダー発言は、どうやら日本のマスメディアが関心を持っていないためのようだ。
 それでも、官邸のホームページには、シュレーダー首相と小泉首相の会見内容が掲載されている(参照)。

【質問】 今朝、シュレーダー首相は、将来の常任理事国も拒否権を持つべきであるということをおっしゃられたわけですけれども、総理もそのようにお考えであられましょうか。それとも、今後日本の場合には、この拒否権について中国との間に何らかの交渉の余地がまだあるというふうにごらんになってらっしゃるのでしょうか。
【小泉総理】 日本としては、今の国連改革の1つとして、常任理事国と非常任理事国ともに双方とも拡大すべきだという考えを持っています。その際に、新たな常任理事国と現在のP 5、既設の常任理事国と差別が、違いがない方がいいと思っております。しかし、今後の改革でありますから、なかなか難しい状況の中での改革であります。今の時点で常任理事国になるんだったらば、同等の権利も持ちたいと思っていることにとどめておきたい。しかし、これは今のP 5は拒否権を持っていますからね。なかなか難しい問題というのは認識しております。そういう中で中国もP 5の1つである。この国連改革というのは、P5の国々とも協力していかなければならないというのは当然だと思っております。

 小泉はなんとも要領を得ない回答をしている。それでも「今の時点で常任理事国になるんだったらば、同等の権利も持ちたいと思っていることにとどめておきたい」と小泉首相は言っている。日本語特有の曖昧さに辟易するのだが、同等の権利とは拒否権のことなのだから、この発言がきちんと世界に報道されれば、多少は中国もむっとくるのではないだろうか。
 ということで、中国でのこの報道の受け止めかたをざっと見渡したのだが、よくわからない。新華社通信"German government plays down Schroeder's veto power remarks"(参照)を読むに、シュレーダー発言には注視していることがわかる。

BERLIN, Dec. 10 (Xinhuanet) -- The German government on Friday soft-pedaled Chancellor Gerhard Schroeder's demand that new permanent members of the UN Security Council should also have veto power.
 "His remarks should be taken as a starting point for future negotiations," a government spokesman said, adding that the question of veto rights should be considered in connection with the whole UN reform discussions.
 Foreign Minister Joschka Fischer refused to comment on Schroeder's remarks.

 記事にはブラジル、インドと並べて日本もその仲間に入りたがっているとかの言及はあるものの、小泉首相がシュレーダーにこの件で同意したという言及はない。ほとんど、スルーってやつだ。うりゃ、ここでも舐められてんだよ、日本、とちょっと思った。
 そういえば官邸に情報があるのだから、外務省でもなんかあるだろうと思ったら、ありましたよ、こんなもの。"小泉純一郎日本国総理大臣とゲアハルト・シュレーダー・ドイツ連邦共和国首相との間のハイレベル委員会報告書に関する共同プレス声明"(参照)。該当箇所はこれ。

国連の機構改革の中では、安全保障理事会の改革が重要である。安全保障理事会が今日の現実をより良く反映するためには、先進国及び開発途上国を新たな常任理事国とする形で、安全保障理事会の常任・非常任理事国双方を拡大しなければならない。それゆえに、我々は、ハイレベル委員会の報告書の中にある関連する提案を歓迎する。

 キーワードが抜けているんだよ、キーワードは「拒否権」なんだよ。まったく、なんつう外交センスなんだろう日本の外務省。

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2004.12.13

窪田弘被告という人生もまた良し

 2004年はまだ終わっていない。そんな今年の5月28日のこと、東京地裁は72歳の窪田弘被告に懲役1年4か月、執行猶予2年の有罪判決を言い渡した。求刑懲役は2年。刑は少し軽い。堀の中で老後を過ごす心配はなかった。被告には感慨があったことだろう。被告、窪田弘の父親は裁判官だった。
 罪状は、証券取引法違反。有価証券報告書の虚偽記載だ。旧日本債券信用銀行の会長だった窪田弘は、1998年3月期決算で不良債権の貸し倒れ引当金1592億円を隠していた。隠し事っていうのはよくないよね、で済む程度の話ではない。が、そりゃあ巨悪だ、なんて驚くのは嘘くさい。
 旧日本債券信用銀行(日債銀)は現在の「あおぞら銀行」である。名称が暗示する晴れ渡るその青空は、はて、どこの国のものだろうかと考えるに、朝鮮かもしれない。日債銀の前身は「朝鮮銀行」であった。
 朝鮮銀行は、戦前朝鮮半島に日本が設置した中央銀行だった。日韓併合の前年1909年(明治42年)、すでに当地に設置されていた第一銀行の京城支店が韓国銀行として第一銀行と分離した。その3年後、1911年(明治44年)に、日本は「朝鮮銀行法」を公布し、韓国銀行を朝鮮銀行とし、この地の中央銀行とした。国が設立したものだが、株は民間人も持っていたようで、窪田弘の祖父はその株主でもあった。
 朝鮮銀行は、戦後、当然解体された。朝鮮半島での資産は接収され、それをもとに大韓民国に韓国銀行、北朝鮮に朝鮮中央銀行がそれぞれ設立された。日本国内の資産分は、1957年(昭和32年)、長期信用銀行法よって、新設の日本不動産銀行に引き継がれた。この設立に若き日の大蔵省官僚、窪田弘も関わっていた。
 朝鮮銀行を継いだ日本不動産銀行は、さらに1977年(昭和52年)、社名を日本債券信用銀行と変更した。業態に合わせたのだろう。その看板でもある、割引金融債「ワリシン」(旧「ワリフドー」)や、利付金融債「リッシン」「リッシンワイド」という名前に、ある年代以上の人なら、懐かしさを覚えるのではないか。
 このワリシンだが、実に都合のよい代物だった。金融商品としては、償還期間1年の利息先取り型債券、ということだが、重要なのは、無記名で購入できたことだ。これはいい、誰が買ったかわからないし、誰に渡してもわからないという優れもの。たくさん持っているやつもいた。1993年3月7日、自民党副総裁も勤めた金丸信を家宅捜索したら、約12億円ものワリシンを簿外資産として持っていたことがばれた。ちなみに、この時、日本興業銀行発行のワリコーも家宅捜索で出てきた。こちらも無記名で購入できた。
 いくら無記名で購入できるとはいえ、これだけ巨額のワリシンを出して日債銀は素知らぬというわけにもいかないでしょう、というわけで、旧大蔵省が日債銀の改革に駆り出したのが、窪田弘だった。なぜ彼に白羽の矢が? 彼がその頃、日本国の税の番人のトップである国税庁長官だったからだ。一番脱税に厳しい人を日債銀の幹部に据えれば、ややこしい問題は解決するだろうと、誰もがとりあえず納得しやすい。
 そう、窪田弘は1993年には国税庁長官になっていた。着任したのは、金丸事件の6年前、1987年(昭和62年)のことだった。それも大抜擢だった。大蔵省といえばエリート順送りの人事をしていたのだが、この件では有能な人材を優先した結果だったと言わているほどだ。
 国税庁長官になった際、窪田弘はインタビューでこう答えていた(読売1987.11.11)。やや長いが、窪田弘自身の言葉使いの感じがよく出ている。


 ◆悪質事犯には社会的制裁を◆
 --悪質な脱税や不正な所得隠しについて、日本ではまだ認識が甘いように思えるが、ある裁判で「詐欺に極めて近い犯罪」という言葉が出た。脱税抑止の観点から悪質事犯についてどんどん公表するべきではないか。
 長官 気持ちとしては良く理解できる。私が十五年前税務の現場(広島国税局直税部長)にいたころ、当時の民間の意識調査では脱税とはこそ泥、住居不法侵入くらいだった。今、同じ調査をすれば詐欺、横領になるのではないか。脱税というのは被害者が具体化しない犯罪。ある人が脱税すれば他の人の負担が重くなる。なかなか見えにくいから世間の批判がもう一つということになる。脱税を摘発された人が「払うべき金は払うから名前だけは出さないでくれ」という話は多いんです。虫が良すぎると私も思うが、税務当局には守秘義務があります。税は最高のプライバシーだからなかなかそうは出来ない。ただ、やはり何らかの形で社会的制裁を加えるには、今後、そういうことも考えなきゃいかんという感じはある。これまで税務の世界では、やっていることを外に言わないのを美風としたものだが、守秘義務に触れない範囲で仕事ぶりを知っていただいた方が良いのでは、と思う。

 窪田弘がこう答えたのは今から17年前のこと。彼がまだ55歳のことだ。読書家でもある窪田弘元国税庁長官は、人の世の機微というものをよく心得ていた。
 話を1993年に戻そう。この年、国税庁長官経験者である窪田弘は日債銀の顧問となった。実際のところは日債銀を大蔵省の特別な管理下に置いたという意味でもあるのだが、当時の新聞(読売1993.6.30)は窪田弘について「いつもは柔和な眼鏡の奥の目は笑っていない。密輸を発端に交際費による政官界への働きかけが表面化したKDD事件では、東京税関長として陣頭指揮に当たった経歴を持つ」とトンチンカンな期待を込めていた。
 彼はこの職に就きたかったのだろうか。少なくとも自分から進んでこの職を選んだわけではない。松岡誠司会長からくどき落とされたとつぶやいていた。彼は日債銀における自分の役目を知っていたからこそ、前のポストのほうが楽だなと思っていた。以前のままでいたら、好きな純米日本酒もじっくり楽しめに違いない。でも、運命は彼を彼の予想以上に遠くに押しやっていく。
 日債銀の顧問から頭取となり、そして、1997年7月30日の取締役会で代表権のある会長専任に任命された。窪田弘はついに銀行の会長となった。普通の天下りなら、ここで上がりというところだろう。が、そうもいかない。仕事っていうのは厳しいもんだな。日債銀は莫大な不良債権を抱え、経営はすでに破綻寸前だった。それでも、彼はやっていけると思っていたのだろう。
 だが、あたかもそれは突然の出来事のように始まった。翌1998年12月12日政府は、経営再建中の日本債券信用銀行に、金融再生法に基づく一時国有化の適用を通告。端的に言えば、日債銀は、潰れた。当然、窪田弘も会長を去ることに決まった。
 この政府による国有化のシナリオを窪田弘元日債銀会長は事前に知っていたのだろうか?
 知らなかったのではないか。前年までと同じ検査官が、金融監督庁という看板に変ったとたん、去年までよしとされていた不良債権が突然ダメとなった、なぜだ?、と彼は思ったのではないか。自分たちが長年決めたはずのルールがいつのまにか変更させられている、と。オレははめられたのか、と。
 それどころか、半年後には、窪田弘元日債銀会長は粉飾決算疑惑があるとして証券取引法違反容疑で逮捕された。旧大蔵省出身者が逮捕されたのは日本史において初めてのことだった。
 もちろん、貧乏人としてひっそりとこの世を仮の住まいとする人間でない者なら、叩けば叩くだけ相応のボロは出るものである。窪田弘元日債銀会長も厳しいリストラの陰で、毎月50万円から250万円もの役員報酬を受け取っていたし、日債銀の帳簿外で保有していた美術品を売却して裏金を仲間内で山分けしてたりもした。ま、そんなのはたいしたことではない。
 今年の5月28日に判決を出した東京地裁だが、この裁判で検察当局は、粉飾時期について、経営者の自己責任で決算を行う自己査定制度が導入された98年3月だけに限定した。それを受けて弁護側も会計基準の解釈論に終始した。つまり、この裁判では、旧大蔵省の関与の歴史にはまるで触れないというエレガントな前提ができていた。
 この判決に窪田弘被告は控訴した。納得いかない点もあっただろう。とはいえ、彼は事の真相を殊更に知りたいという心境でもないのではないかと察する。
 いや、彼は、その地位にいたのだから、すでに真相なんていうものは知っていたに違いない。つまり、不良債権と世の中が呼んでいるものの真相だ。
 不良債権とは簡単に言えば、貸したけど返ってこない金(かね)のことだと普通思われている。しかし、考えてもみよ。ウォルフレンが日本の銀行は「信用権」といったもので動いていると喝破したが(参照)、信用権を持っている大企業に対して銀行は金(かね)を貸したきり、返してもらうことなんて期待されていない。金利分がなんとなく返ってくればいいだけのこと。つまり、不良債権かどうかというのは、「信用権」の有無が決める。
 別の言い方をしよう。この物語は、不良債権を隠すと見るか、信用権を与えていたと見るか、つまりは、見方の問題ではないのか。そして、窪田弘被告はその信用権を管理しうる立場にいたと自分自身をみなしていたとして別段不思議でもない。
 いずれにせよ、彼は、ほぼ強制的にその特異な立場から除外された。今さら信用権がどういうことは無意味になり、「それ」は不良債権となった。
 「それ」がめでたく不良債権となった、ということは、そうなってしまったら、「本当に返らない金(かね)なのか?」と問うことは危険だという意味だ。借りている側の立場に立ってみるとわかりやすい。これまで信用権が与えられていると思っていた。なのに、突然、オメーなんか知らねーよとなったら、その金(かね)返せよ、になって不思議ではない。でも、返せないよ、そうですか、じゃ不良債権ですか、そうですか、とすれば、とりあえず収まる。
 同時に、失われた信用権を補うように、金(かね)を返せる可能性なんてものに首を突っ込むんじゃねーよと諭す何かが現れる。あたかも信用権の裏返しの権威というか、「そいつ」はゲドの影のように現れる。その後、ちゃんと現れるときは現れていたし。
 窪田弘被告は「そいつ」に会うことはなかった。これからも会うことはないだろう。彼はすでに除外されているからだ。一生懸命お国のために尽くしたのに、70歳を過ぎて身に覚えもない罪で被告となろうとは、と嘆く思いもあるのだろうが、それでよかったのだ。
 被告という人生も悪くない。72歳なら今後のんびりと過ごすべきだし、それがたとえ42歳の厄年だったとしても、悪くはない。生きていればこその人生塞翁が馬である。敵に見えるものがその身を救うこともあり、仲間に見えるものが「そいつ」であるかもしれないのだから。

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2004.12.12

[書評]ウォルフレン教授のやさしい日本経済(カレル・ヴァン ウォルフレン)

 これは変な本だ。この本を読んで日本経済がわかるかというと、たぶん違うだろう。経済学専門のかたは本書をパラっとめくっただけで、ぽいと捨てる…いや、まるでそれを手にしたのがマナーの勘違いであるかのように、そっと書棚に戻すのではないだろうか。学問的には多分価値はない。

cover
ウォルフレン教授の
やさしい日本経済
 経済学の入門でなくても、一般向け書籍として読みやすければそれだけでもいい。そうか? 確かに表面的には読みやすいのだが、何を言っているのかよくわからない説明も多い、と思う。もっともそうした印象はウォルフレンのこの本だけに限らない。当初は啓発された気にはなるのだが、そのうちわけがわからなくなる。近著「アメリカからの“独立”が日本人を幸福にする」(参照)は、よくあるリベラル派の浮ついた話でもないのだが、読み終えてから奇妙な疑問符が残る。なんだ、この本?
 でも私は、この「ウォルフレン教授のやさしい日本経済」(参照)を何度も繰り返して読んだ。さらにこれからも繰り返し読むだろう。で?、どう? いやそのあたりを書こうかと思うわけだ。
 本書の紹介は釣りに任せておこう。

たとえば著者は、「日本の財政政策や全般的な経済政策を旧来どおりに維持してきた官僚たちは、今ではそれらの政策が政策であることを忘れてしまっている」「政策だとはつゆほども思わず、自然の摂理のように思っている」などと論じて、状況が変わっても無自覚に同じ政策を継続させている官僚の「特異な経済システム」を浮かび上がらせている。また、それが経済低迷の原因になっているともいう。

 間違いではない。が、話を進める。
 いきなりだが、銀行とはなにか?
 山本夏彦の言うように金貸しである。企業にも貸す。融資である。その際、銀行はどうするのか。ウォルフレンは原点からこう説明を始める。

 融資にあたって、欧米の銀行が検討する最も重要な事柄は、信用(クレジット)を提供することに伴うリスクの大きさです。この「信用リスク」の計算は、銀行の新入社員教育の最も重要な部分になっています。

 借りる側の企業としては、融資、つまり企業活動の資本に対してどのくらいの金利を払うかが重要になる。単純な話、企業活動の利潤が金利を上回るという判断が必要になる。ウォルフレンはこれを「資本コスト」と説明する。
 そして、彼はこの二つ、信用リスクと資本コストは、日本経済には重要ではないと言い切る。
 それでも銀行は結果として融資にあたり信用を割り当てる必要がある。

 本来、信用はどう割り当てるかが重要なはずですが、それ以上に日本の企業にとって重要なのは「信用に対する権利」を持っているかということです。大企業など、銀行にコネを利用できる日本の企業はこの権利を持っていますが、規模が小さく、コネもない企業は「信用に対する権利」を持っていません。

 「信用に対する権利」というのは経済学の用語ではなく、ウォルフレンの造語である。「信用権」と簡略して呼んでもいる。信用権はこう言い換えてもいいだろう、つまり、政治家や官僚システムに"顔"の利く人間の保証。

 起業家になりたい日本人はまず、日本の経済システムのなかで自分が資金調達の面で保護を受けることができるかどうか、を考えなければなりません。今持っている財産で、上部機構や金融機関との間にどのような関係をつくることができるのか、それがビジネスに成功できるかどうかのカギになるのです。
 もし相当大きな財産を持っていたとしても、それだけでは必ずしも信用を得ることはできません。むしろこれらの関係こそ、持っている財産よりはるかに重要なものになります。

 彼によると、日本の企業は、銀行に対して信用権がある大企業と、それを持たない中小・新興企業の二つに分かれる。そして、日本の銀行は、後者を融資の対象としない。このため、後者はお金を銀行から借りることができない…。では、この信用権のない企業はどうするのか。金は必要だ。

お金を借りるにしても、銀行ではなく、もっとずっと高い金利で融資する「商工ファンド」のような金融会社から借りなくてはならないのです。
 大企業にコネのないこれらの会社の信用判断をするのは、銀行家とは別の人でした。一九八〇年代から九〇年代初頭には、商社が中小企業の信用力を判断していました。

 この二種類の企業の棲み分けとシステムが、崩れてきた。
 かつては信用権を持っていたと見なされる大企業に対しても、ダメなのは潰すということで、改革と称して、潰す企業のリストを作成し、それを元に潰すことになった。
 ウォルフレンの意見ではないのだが、ここで「潰すという決断を下したと見なされた新しい権威が同時に新しい信用権を再配布しうる主体となるのだ」というメッセージが暗黙の内に含まれていたかもしれないと思う。
 大手企業以外にも、中小企業であれ下請け企業として大手企業の信用権を又借りしていた企業も経営が厳しい時代となり、銀行による貸し渋り・貸し剥がしが進んだ。
 他方、信用権を持たない企業は、商工ローンなどより高金利の金融業に依存することになる。それしか、この構図では手がない。
 そこで、当然ながら、銀行からは相手にされないけど、あまりの高金利も避けたいという願望のニッチが経済活動の場に広がってくる。そこに無担保でも融資してくれる新種の銀行があればいいな、という願望が生まれる。あるいは、従来社会構造的な理由などで信用権を持てない者同士が特異な政治力でなんとか新しい信用権が獲得できないものかと画策する機運も生まれる。それらがあたかも自然の流れであるかのように起きても不思議はない。
 しかも、ウォルフレンの言うこの奇妙な信用権だが、その機能に着目すれば、逆の解釈もできる。
 要は、官僚・政治機構にコネと同質のものを作ってしまえばいいのである。
 あるいは、審議会だのなんとか政策のブレーンだの、というところから最初にシステムに侵入し、蚕食し、つまりは、コネを先に作ってしまえばいい。コネ=信用権となる。そして、それを先のニッチに結びつければ、なにか大きなことが出来そうな気配になる…と、書くに、それらは机上のシミュレーションでしかない。つまり、推定上の話。そして、この本が出版されたのは2002年5月から現在まで、2年半が過ぎた。

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