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2004.12.04

[書評]幕末日本探訪記(ロバート・フォーチュン)

 ロバート・フォーチュン(Robert Fortune)は、1812年スコットランドに生まれた。エディンバラ王立植物園で園芸を修めた後、ロンドン園芸協会で温室を担当した。異国の植物に魅せられた人だったのだろうが、そのままそこで人生を終えても不思議ではなかった。だが、30歳を過ぎて好機が訪れた。アヘン戦争後の南京条約によって中国に外国人が入国できるようになったことから、彼は中国に派遣された。主要な目的の一つは茶の木である。優れた茶は貴族たちが目の色を変えるほど欲しいものでもあった。

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幕末日本探訪記
 手元の「現代紅茶用語事典」のロバート・フォーチュンの項目を参照するに、彼は中国語を習得し、中国人の服装をし、中国の茶の産地をくまなく調査したとのことだ。東インド会社の依頼で彼は中国からインドに茶の木を移植した。その後、インドではアッサム種が発見されて主流になるが、私のような紅茶ファンは中国種を好む。
 ロバート・フォーチュンは、先日紹介した「蘭に魅せられた男(スーザン オーリアン)」にもあるようなプラントハンターでもあった。キク、ラン、ユリなど東洋の代表的観賞植物を英国にもたらしたのも彼である。バラの愛好家なら彼の名を冠したバラ、Fortune's Double Yellow(参照)を知っているだろう。金柑の学名Fortunella japonicaは、まさにフォーチュンの名前と「日本」を彼が組み合わせたものだ。
 フォーチュンは二度来日し、その時の記録をこの「幕末日本探訪記―江戸と北京」に残している。標題には江戸と北京とあるが、内容の九割は日本に割かれている。オリジナルは「A Narrative of a Journey to the Capitals of Japan and China」。翻訳は日本語として読むにはややこなれていない印象を受けるが、それでも、この探訪記は無性に面白い。これを読まない読書人があろうか、と言いたくなるほどだ。
 彼が最初に来日したのは万延元年、1860年のことだ。まだ明治維新前の江戸のようすが、あたかも植物を描写するように、客観的に精密に描かれている。これを読みながら、私のような日本人はこの一世紀半の間だに変わってしまった日本と変わらない日本についていろいろ物思いにふける。昨今の軽いナショナリストの主張が明治時代の擬古の化けの皮に過ぎないかもしれないと啓発される点もあって楽しい。そういう面白いところを、ちょっとトリビア風に紹介してみよう。
 明治直前の若い女とはどんなものだったのか。

とにかく私に侍った小娘達は、輝くばかりの白い歯を持ち、唇を深紅に染めていた。

 お歯黒は既婚者のものであり、未婚の女は今とそれほどは変わらないようだ。

日本女性はシナの女性と比べて、作法や習慣がひどく違っている。後者は外国人の顔を見ると、すぐに逃げ出すのが常識となっている。日本女性はこれに反して、われわれに対して、いささかも疑惑や恐れを見せない。

 集会で彼はこんな経験もする。

ことに婦人たちが既婚、未婚の別なく、面白がって私の意見を求めた。そして笑いながら次つぎに前で出てきて、「奥さんになる!」と申し出た。

 目に浮かぶようだ。現代の若い日本の娘とまるで違いはないのではないだろうか。
 話を変える。日本人の肉食は明治以降のことだというのが通説になっているが、これはどうも嘘のようだ。

通りすがりに肉屋[ももんじ屋、江戸時代の獣肉を売る店]も目にとまった。これは日本人が野菜や魚だけを常食としていないことを表している。

 日本人は江戸時代から肉を食っていたようだ。ただ、フォーチュンは、牛と羊の肉はないと言っている。代わりに「鹿の肉はどこにもあった」と言っている。なるほどなと思う。が、本当なのだろうかと思うこともある。猿の肉も売っていたというのだ。「おそらく日本人は、猿の肉をうまいと思っているのだろう」と彼はコメントしている。
 トリビア的な話はこのくらいにしよう。
 フォーチュンはプラントハンターとしてか、当時の日本人が植物を愛し景観を愛する姿をある種感嘆と敬意の念をもって見ている。また、絶えず剣道など武術に精を出す国民性に将来の発展を予感してもいる。
 だが、そこはもう違ってしまったの知れない。私たち日本人は植物と景観を愛し、また文武の心を日常に涵養することはない、ように思う。悲観しすぎかな。

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2004.12.03

欧州連合(EU)の軍隊が始動する

 昨日2日、ボスニア・ヘルツェゴビナの治安維持活動が、北大西洋条約機構(NATO)の平和安定化部隊(SFOR:Stabilisation Force)から、新設の欧州連合(EU)の和平維持軍(EUFOR:EU Force)へ移譲された。つまり、EUの軍隊が本格的に稼働を始めた。予定されていたことなので、驚きということはないのだが、実際にEUの旗のもとに軍事力が行使されるのは感慨深い。というより、私は大事件なのだと思う。
 正確に言えば、EUは昨年マケドニアやコンゴに部隊派遣をしているので今回が初めての軍事活動というわけではない。なお、EU軍という呼称は従来欧州のNATO軍や米軍を指していることもあり、EUFORとしたほうがいいのかもしれない。
 例によってこの話は日本国内ではベタ記事扱いなのだが、そんなことぼやくのはもはや無駄だろう。この問題には、恐らく現在のウクライナ騒動も関連している根の深いものもありそうだが、今日は自分の実時間をそれほどにはブログに裂けないこともあり、雑駁に思うことを記しておきたい。というか、私の間違いなり、補足なりについて、トラックバックやりコメントをいただけたらと思う。
 日本語で読める記事としてはCNNジャパン"サラエボの和平維持活動、EUが指揮権引き継ぐ"(参照)がある。


 今年、加盟25カ国に拡大したEUは、米軍とは一定の距離を置いた、域内の軍事協力態勢の強化を図っているが、今回の指揮権しょう握もその一環となっている。EUには、ボスニア内戦を初期段階で終息させることが出来なかった苦い経験もある。
 AP通信によると、指揮権の委譲で、現在駐とんする米軍兵士1000人以上が、英軍少将が指揮官のEU和平維持軍と交代する。ただ、NATO軍は全面撤退せず、一部が残留しボスニア政府の戦犯追跡作戦などを側面支援する。米兵約150人もとどまる。

 他の英文のニュースをざっと見てもEU側の軍事力については明示的には書かれていないが、交代ということなので現状の千人規模とみてよさそうだ。この規模が今後のEU軍の活動単位になるのだろう。読売新聞"EU戦闘部隊創設へ 20か国参加、紛争地域に緊急展開"(2004.11.23)にはこうある。

欧州連合(EU)は二十二日、外相・国防相合同会議をブリュッセルで開き、英仏独三か国が提唱した、緊急介入のための千五百人規模の「EU戦闘部隊(バトルグループ)」創設に、加盟二十五か国中、二十か国が参加することで合意した。当初は英仏独を中心とする数か国の参加と見られたが、結局、大勢が参加することになった。

 ここで正確に見ていく必要があるのだが、今回のボスニア・ヘルツェゴビナの治安維持活動はピースキーピングであるのに対して、この報道はバトルグループと性格が違う。だから、同等に議論してはいけないのだろう。が、それでも、千人から千五百人の規模がユニットなって構成されるとはいえるだろう。後に触れたいと思うのだが、日本の自衛隊の場合、大枠ではペースキーピングとはいえEUFORとかかなり性格が異なるうえ、バトルグループは存在しえない。また、イラクの場合は、600人規模であり、端的に言えば、軍事的には「使えねー」、というのが国際的な評価だろう。
 先の記事の続きではEU戦闘部隊の構想が言及されているが、ようは、この部隊はEUの行政部から指示があれば10日以内に該当地域に展開し、そのまま30日間の作戦能力を持つとされている。スケジュール的には2005年までに英仏伊が初期作戦用にそれぞれ1500人の部隊をもち、2007年には完全な作戦の遂行ができるようにということになる。
 話を端折るが、EUつまり事実上フランスの指揮下で現在の米軍規模の軍事活動が展開できるというのだ。余談だが12月2日はフランスではボナパルト祭になっているのだが、その盛り上がりは私などにはフランスは醜悪な幻想を持っているような印象をうける(偏見だろうとは思う)。
 当然、疑問が浮かぶ。米国がそれを許すのか? また、英国はNATOなのかEUFORなのか?
 ここれは大きな問題で考察を要するのだが、後の課題としたい。いずれ米国の対応の動きはある、としか思えない。
 EUFORでの英国軍の役割もだが、この軍に参加しているのはEUだけではない。なぜ?とつぶやきたくなるのだが。ロイター"EU force takes over Bosnia role"(参照)では端的に以下の事実を示唆している。

EUFOR's troops come from 22 EU member states and 11 other countries, including Canada, Chile and Morocco.

 つまり、カナダ、チリ、モロッコがEUFORに参加している。日本では意外と知らない人がいるのだが、カナダは米国の隣国なのだが米国主導の有志連合によるイラク戦争に荷担していない。このことでカナダと米国はある意味かなり険悪になっている。また、チリでは先日の米大統領訪問に関連してこれも日本ではあまり報道されなかったが、些細とはいえ反米騒動があった。米大統領が暗殺されても不思議でもないような状況とも言えた。と、明らかにこの枠組みは反米的に出来ている。
 日本は追米だから問題外、としてのんきでいていいのかもしれないが、端的に言って、日本の昨今の自衛隊イラク派遣延期問題の新聞社レベルの議論はかなりピンボケしている。話を端折るとまずい面もあるのだが、オランダの撤退を英米で埋め合わせるというのは具体的な状況における戦略の問題(軍事的な問題)なので政治と混同すべきではないが、オランダとしては、単純に言えば、今回の撤退は米国への義理を果たしたしEUとのつき合いもあるし、なにより、仏独への皮肉でもある。なんだかんだといってもイラクは復興せざるをえないし、それには国連なりが主導するということになる。となると、実際にはこれに仏独が関わらざるをえない。米国の始めた戦争でしょとはさすがにここに来て言えるわけもない。
 アフガニスタンの場合はNATOが機能したが、これにEUFORが当たるのか、というと、そういう話は私は聞かない。どうなるのだろうか?
 話が散漫だが、こうした動向に、また、こうした新しい世界の枠組みのなかで、日本はただ追米でいいのかも当然議論されなくてはならない。余談めく話ではあるが、今回のEUFORの派遣にあたり、ノルウェーでは憲法議論が起きている。EUFORへの参加が憲法違反ではないかというのだ。"Controversy over Norwegian EU force"(参照)をひく。

There is a majority in Parliament in favour of sending a Norwegian contingent to the new EU security force.

However, the move may not be compatible with the Norwegian Constitution, according to legal experts.


 国内法によって対外的な軍事活動を忌避する国があってもいいとは思うし、まさに日本は現行憲法下では、その先頭でなくてはならない。それで国内的にはイラク派遣にすったもんだしてきたわけだが、現在、EUが独自の軍隊をもって活動し、その規模がEUの枠を越えるにあたり、日本は従来のような古い世界観だけではいられないだろう。
 端的なところ、国連を介在した平和への貢献はもう不可能なのか。そして、有志連合というのが、対EU軍という性格を帯びてきたとき、日本はどうするというのだろうか。

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2004.12.02

ブレア首相曰く「ヘリコプター買いまへんかぁ」

 30日朝のNHKラジオで大統領専用ヘリコプター選定の話をワシントン油井秀樹記者(ワシントン)が伝えていた。話を聞きながら、半年くらい前だったか、いくらブレアが熱心にブッシュにヘリコプターを売り込んでも必ずしもブッシュ再選とはならんかもよ、とかちょっと思っていたことを思い出した。そして、そうかぁブッシュは再選したのだよな、と奇妙に物思いにふけった。
 この話、他のソースではどうかなとざっとネットを見渡してみた。NHKの話は大筋でTampa Bay Business Jounarnal"Helicopter decision up in the air -- again"(参照)などにもある。これがそのままネタ元というわけでもないのだろうが、なるほど話題にはなっていたようだ。他にも、この話題は米国内の地元産業のありかたにも関連しているらしく、地域的な観点でも語られているようだ。
 日本国内ではどうかなと思ったら、「突撃隊員休憩所」というブログの"大統領専用ヘリで相手を落としあい?"(参照)というエントリにあった。ネタ元は書いてないが、内容とスジがNHKラジオとほとんど同じだったので、書き起こしてまとめたのだろうかとも思った。いずれにせよ、そういう話だ。
 NHKでの話を簡単にまとめるとこうなる。米国海兵隊が運用している大統領専用ヘリコプター、通称「マリーンワン」(参照)が老朽化し機種変更ということになっているのだが、選定に当たっては、従来から利用されているシコルスキー(参照)に加え、ロッキードマーチン、ベル、アグスタ・ウェストランド三社共同による別機種US101が候補となっている。危機感を覚えたシコルスキーは、自社がオールアメリカンの製品だと愛国心に呼びかけているのだが、社の所在がケリー陣営の強いコネチカット州だったことから、ブッシュ陣営が嫌うのではないかという噂もあるらしい。他方、US101のグループは受注が決まれば製造拠点の大半を米国に移すとしている。現在、選定は紛糾し、結論は1か月後に伸ばされるとのことだ。
 NHKでの話にはないがシコルスキー社創設のシコルスキーについてはWikipediaの該当項目が詳しい(参照)。


イゴール・シコルスキー(Igor Ivanovich Sikorsky, 1889年5月25日 - 1972年10月26日)はロシアのキエフ生まれで、後にアメリカに亡命した、航空のパイオニアの1人で、4発の大型機の開発、近代的なヘリコプターの開発をおこなった。

 ロシアのキエフでいいのかよというツッコミをちょっと入れておくにしても、なかなか興味深い現代アメリカ史の一面である。この時代の亡命ロシア人というと私の好きなラフマニノフ(1873-1943)を思い出すが、米国で活躍した時代はかなり違うということになる。
 余談めくが、Wikipedeiaは軍事情報が充実してきており、自衛隊の兵器一覧(参照)も非常に参考になる。ここのヘリコプターの項目からもリンクのあるUH-60 ブラックホーク(参照)はシコルスキー社製で関連情報を読んでいただければ、日本とシコルスキー社の関係の深さも理解しやすい。また、これらには記載されていないが、シコルスキー社が今回オールアメリカン(純米国製)を標榜しているわりに、部品の一部は日本で製造されているので、ようはアメリカで組み立てているというに過ぎない。当たり前といえば当たり前なのだが、そうした点で見ればUS101と大差はないということにもなるだろう。経済活動とはそういうものだ。
 今回の選定はその単に米国の地場産業に影響するという以上に、国際的なヘリコプター産業全体にも影響があるらしい。英国側の報道なので話半分ということかもしれないが、11月21日タイムス紙"PM wants British helicopters on White House lawn"(参照)では、その意義を強調している。

Some industry analysts believe the Pentagon deal is big enough to decide the future of the world helicopter industry. “Whichever company loses it will find it very difficult to compete in this medium-to-large military helicopter market,” said one analyst. George David, the no-nonsense chief executive of United Technologies, Sikorsky’s parent, has no doubt about its importance: “It’s win or drop dead,” he said.

 さて、どういう選定になるのか。純粋に軍事的な観点から選択されるのか(恐らく軍人はシコルスキーを好むだろうと思うが)、政治がらみがあるのか。そのあたりをいろいろ考えてみるのだが、政治がらみというスジではないかと思う。
 関連して先のタイムス紙はこう締めていた。

Whitehall officials have also written to the Bush administration putting forward the case for Westland. Both the White House and Downing Street refused to comment on the bid last week, because it was “a commercial matter”.

 英国ブレア必死の要請にブッシュが応えるという構図になるのではないだろうか。
 なお、US101は三社開発とはいえ、実際はアグスタ・ウェストランド社(参照)のEH101をちょこっと変更したものだ。日本では丸紅エアロスペースが扱っている(参照)。

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2004.12.01

国連アナン事務総長退任まであとニ手

 臭い切り出しだが、率直に言って日本の報道はどうなっているのだろう? ブログ対既存ジャーナリズムというような枠はこの際どうでもいいのだが、日本のジャーナリズムがかなりおかしいような気がする。気になる2点を取り上げる。重要なのは後者の国連アナン事務総長退任問題だ。
 まず一点目は、昨日のエントリに書いた陳家山炭鉱の続報だが、日本国内に情報がまるでないというわけではないのだが、事実上はないに等しい。こうした災害の場合初動の48時間が重要になるというのが常識だと思うのだが、そういう枠組みが報道から明白に欠如している。
 中国の炭鉱災害については今回が最悪だとはいえ、近年続発していた。この様子はロイター"CHRONOLOGY-Snapshot of Chinese mining disasters"(参照)で年表形式にまとめられている。異常な状態だと思うのだが、解説は見かけない。
 不確かな情報で危機感を高めたいわけではないし、今回の陝西省ではなく四川省なのだが、"四川:石炭備蓄が危機的状況、産業構造にも問題"(参照)という話を興味深く読んだ。


 四川省の石炭不足が危機的状況になっている。備蓄量は41万トンと、全省の使用量8日分にすぎない状態。燃料ショートのため、11月24日には9つの発電機を停止している。11月30日付で新浪網が伝えた。

 四川省の石炭不足および電力不足は2002年からはじまっている。同年の石炭生産量は5358万トン、03年には7253万トン、今年は8000万トン以上の生産が見込まれるなど、生産量は増えているが、需要に追いつかない状態だ。


 これと昨日エントリーに引用した11月9日の東京新聞"四川でも10万人暴動"(参照)と合わせて考察すると妄想のようなお話もできそうだ。いや、妄想では困る。だが、どこからこの問題に着手していいのかもわからないが、きちんとした考察が必要だ。どこかによい考察があるなら、読みたいと思う。少なくとも、陳家山炭鉱の続報を事実上ネグっているような日本のジャーナリズムはおかしいと思う。
 二点目は国連疑惑だ。極東ブログでも石油食糧交換プログラム関連でなんどか扱ってきたが(参照)、この問題を論じるだけで右派に思われる節もあって最近ではニュースは追いつつ、問題の収束を見つめるだけとしていた。そう、なんとなく終わりになるのだろうという感じもしていたからだ。ボルカーの判断は良識ということかとも思っていた。なにより、このネタは米国大統領選挙ではブッシュ再選への燃料になるかとも思っていたがその気配もあまりなかった。
 しかし、11月24日のワシントンポスト"Oil-for-Food Inquiries Aren't Finished"(参照)で指摘されてように、終わってはいない。そしてその後の展開は、国連アナン事務総長退任へチェックメイトニ手という動きになってきた。
 米国大本営とはいえこうした問題には国際的な配慮を示すVOAまで"US Calls on UN Chief to Release All Oil-for-Food Facts "(参照)として触れてきたので、多少あれ?とすら思った。しかし、すでにある程度「疑惑」の次元は終わっており、VOAの記事で書かれているように、国連内部資料の公開が求められるはずだ。日本など国連への拠出金が大きいのだから、まさにその権利があると言ってもいいだろう。
 が、日本国内ではこの関連の報道を見かけない。過去の経緯で見ると、この問題については大手ではNHKが事実上隠蔽しているに等しく最低であると私は思う。かろうじてCNNジャパンが"アナン国連事務総長、息子の疑惑に「残念」 "(参照)で次の報道を見かけた。

国連のエッカート報道官は26日、石油・食糧交換計画に関わったスイス企業コテクナから、コジョ・アナンさんが西アフリカ情勢に関するコンサルタント料として報酬を受け取っていた期間は、以前に発表したよりも長かったことが判明したと発表。国連は以前、コジさんとコテクナとの関係は、同社が石油・食糧交換計画の取引を受注した98年を機に終わったと発表していたが、実際には04年2月まで報酬が支払われていたと訂正した。

 少なくとも国連がこの件で嘘をついていたことは明確だ。アナン・パパは息子のことは知らないとバックレているが、某国首相が息子の面を民放テレビで売っているのとはわけがちがって、彼は息子を国際政治の場にデビューさせたのだから、責任がないわけもない。というか、常識的に見て、アナン辞任議論がスケジュールに登らないとおかしい状況にある。
 すると、後任の問題やら、国連の置かれた状況だのが大きく変わることになるのだし、その問題をもはや取り上げる時期に来ているはずだ。
 と、ここで右派のウォールストリートジャーナルを引くと滑稽かもしれないが、それでもこの話はどこかの陰謀論とは違い大筋が通っているので、参考になるだろう。"Time for a Kofi Break"(参照)はこう切り出す。

Things are going badly for Kofi Annan. The oil-for-food scandal has revealed U.N. behavior regarding Saddam Hussein's Iraq that ranges from criminally inept to outright corrupt. Rape and pedophilia by U.N. peacekeepers haven't gotten the kind of attention they'd get if American troops were involved, but the scandals have begun to take their toll. And the U.N.'s ability to serve its crowning purpose -- the "never again" treatment of genocide that was vowed after the Holocaust, and re-vowed after Cambodia and Rwanda -- is looking less and less credible in the wake of its response to ongoing genocide in Darfur. And finally, the U.N. has so far played no significant role in defusing the Ukrainian crisis.

 不用意な刺激にならないように試訳はあえて避けておこうと思う(気乗りしない)。
 ウォールストリートジャーナルのエッセイでは、後任として声の高まるバツラフ・ハベル(Vaclav Havel )元チェコ大統領というのはどうだろうか、とネタにしている。確かにネタというだけに思える。ビロード革命なんて過ぎ去った時代のことであり、これを現在に持ち出すのは洒落としては面白いが、それだけという感じがするからだ。
 それでも、明確に国連は変わらざるを得ない。とすれば日本がこれに大きく関わらなくてはいけない。なのに、日本に情報も議論もなきに等しい。いや、私にはそう見える。違っているならそれでもいい。議論を起こすべきだし。

追記(2004.12.2)
米国1日付けウォールストリート・ジャーナルに連邦議会上院小委のノーム・コールマン委員長がアナン事務総長に辞任を求める寄稿をした。
該当記事:Kofi Annan Must Go(参照

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2004.11.30

中国事件報道の奇妙な後味

 中国陝西省銅川市の陳家山炭鉱で28日朝ガス爆発があった。その後の続報はどうなっているのだろうかと気になったが、あまり国内ではニュースがないように思えた。このエントリを書いているのは30日になったばかりの深夜なので、夜が明ける頃には報道も変わっているのかもしれない。
 現状、ざっとネットを見渡してみた。まったく続報ないわけではないが、少ない。29日夜7時の共同を産経新聞"火災発生後も採掘命令 中国の炭鉱事故、生産優先か"(参照)が事件を伝えてはいる。


中国紙、京華時報は29日、中国陝西省銅川の陳家山炭鉱で28日起きたガス爆発事故について、爆発の約1週間前から一部で火災が起きていたのに採掘を停止しないなど、経営側の生産優先姿勢が事故の背景にあったとの見方を伝えた。

 たしかにそういう背景はあるのだろう。しかし、問題は被害の状況だ。29日昼のCNNジャパン"中国の炭鉱事故、死者25人に 141人不明"(参照)では141人を不明のままとしている。

中国国営新華社通信によると、陝西省銅川市の陳家山炭鉱で28日朝に起きたガス爆発で、死亡が確認された作業員はこれまでに少なくとも25人となった。坑道にはまだ141人が閉じこめられているという。

 Googleで現時点の最新ニュースを英語圏で探すとInternational Herald Tribune"'Absolutely no hope' for 141 miners in China"(参照)があり、すでに事態は最悪となっているようだ。

CHENJIASHAN MINE, China - The 141 miners trapped inside a mine in northern China following a gas explosion have no chance of survival and are presumed dead, a local Communist Party secretary said Monday.

 おそらく誤報ということはないのだろう。外電ではすでにこうした流れになっているので、30日朝刊にはこの悲劇が掲載されることになるのだろう。
 情報統制の強い中国でもあるとしても、日本国内ではこのニュース報道が遅いようにも思われる。もっとも、そう時間を争って伝えるべきことでもないのかもしれないし、もともと、事件当初から絶望視されていたのかもしれない。それでも、この間のこのニュース報道の流れは奇妙に心にひっかかる感じがする。
 話は変わる。爆破事故のニュースの続報を見ているうちに、時事で奇妙なニュースをたまたま見つけた。"学食への不満爆発=四川大学で騒ぎ-中国"(参照)である。時事は、29日付香港紙太陽報をソースとしているのだが、四川省成都市四川大学で26日夜、学生によるある暴動が発生した。

学生食堂の管理者が飲酒運転の末に起こした当て逃げ事故に対して、学生約1000人が抗議に集まり、管理者の車をひっくり返すなどの騒ぎに発展した。学生食堂のメニューやサービスが極度に低下したことへの不満も背景にあるという。

 学生たちのやんちゃな大騒ぎなのかという印象も受ける。そりゃ、不味い食事を食わされる身にもなってみろ…といったのんきな感じもしないではない。そうなのだろうか?
 別系でニュースにあたったのだが、国際ニュースとするには些細なのか、国内でもまた英語圏でもこのニュースは見あたらなかった。
 そういえば、Googleは中国語にも対応しているのだと思ってサーチしていくと、いくつかこのニュースを見つけた。"四川大学…事件"(参照)には写真があるのでわかりやすい。自動車の壊れ具合をみるとけっこう派手にやったなという印象がある。
 私は中国は読めないので、またもそういえば…と思い出し、Exciteの中日翻訳(参照)にかけてみた。ある程度意味は通る。

その後キャンパスの保安と公安はうわさを聞いて出席して秩序を維持して、学生にやじ馬見物をするのはますます多くて、運転手に謝るように求めて、そして警官と保安と口論になっておしてぶつかって、場面の混乱。その中に甚だしきに至っては銃を抜いて警報を発する公安があって、しかし学友の情緒はますます感動して、そして打つ事を起こす車を解体して、打つことを始める。その間そして大きな声で叫んで校長の謝和平に出てくるようにと学生の対話求める。

夜明け方の2時43分の頃まで、加害者の運転手は車のドアを開けて、別の1台の車の上で逃げることを企む。やじ馬見物をする学生は形が直ちに前に出て遮ることに会って、そしてと公安はおしてぶつかる。


 1000人を抗議行動に集合させたというより野次馬がどっと集まって、集団ヒステリー状態になったようだ。2chでいうところの祭というやつ、にしては威嚇発砲なども必要としたようだ。
 事態はそれなりに短時間で収拾がついたという点で偶発的な事件ではあったのだろう。特に国際ニュースとするほどのものでもないとも言える。それでも、昨年の西北大学の騒動などを思い出すになんとも嫌な後味が残るニュースではある。
 そして、このニュースを知ってしまえば、奇妙な余韻と中国の現状にそれなりに思いを巡らすのだが、知らなければ知らないで過ごしていたのだろう。
 今回のこの小競り合いが中国内で報道されたのは、おそらく先日の四川省の暴動が念頭にあったのかもしれない。11月9日の東京新聞"四川でも10万人暴動"(参照)では次のように伝えていた。

 中国四川省の雅安市漢源で十月末以来、ダム建設による立ち退きに反発する農民ら十万人規模の暴乱が続き、人民解放軍が鎮圧に乗り出した。香港紙などによると、八日までに農民と警官の四人が死亡、百人が逮捕された。中国では重慶市や河南省でも大規模な暴動が発生したばかり。貧富の格差や役人の腐敗に対する不満が各地で爆発しており、胡錦濤政権は重大な試練を迎えている。

 八日付香港紙、太陽報は「建国以来最も深刻な農民暴動」と報じた。一万人規模の武装警察に加え、正規軍も鎮圧に投入された。これに対し七十歳すぎの老人らが「決死隊」を組織し、「私を殴り殺せ。死ねば立ち退かなくてもいい」と叫んでデモを続けている。


 文章を追っているととんでもない事件のようにも思えるが、率直にいって、それほど実感はない。この手の中国報道のありかたによるような気もする。代わりにウクライナ状勢は緊迫感を持って日本でも伝えられている。
 伝達とリアリティに変なズレのようなものを感じる。ダルフールで日々1000人の人々が死んでいくとも言われるが、そうした話にも率直なところリアリティはそれほど感じられない。

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2004.11.29

ラオスとモン(Hmong)族のこと

 昨日午後、小泉純一郎首相は東南アジア諸国連合(ASEAN)出席のため、羽田からラオスのビエンチャンに向かった。当地では日中韓三カ国の首脳会議などもするらしい。というわけで、ニュース的には先日のAPECの続編ということになるのだろうが、それはさておき。私はラオスかぁと感慨深く思った。
 ちょうど一昨日(11/27)にNHKで「30年目の戦後処理 アメリカと共に戦った民族」(参照)というのを見て、ラオスについて物思いにふけた。話のきっかけは番組の説明を引用したほうがてっとり早いようにも思う。


 ベトナム戦争終結から30年が過ぎた今年、アメリカは1万5千人のインドシナ難民を新たに受け入れることを決めた。メディアが「最後のインドシナ難民」と呼ぶ彼らは、ベトナム戦争でアメリカに協力し、CIAの指揮下で極秘任務に活躍したモン族の人々。共産勢力が政権を掌握したラオスからタイへ逃れ、私設の難民キャンプで命をつないできたモン族を受け入れることは、アメリカにとってベトナム戦争の最後の重荷を清算する歴史的な節目となる。

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モンの悲劇
暴かれた「ケネディの
戦争」の罪
 ベトナム戦争では、ベトナム軍は中国やソ連から支援の多い北部から南部への補給のために通称ホーチミン・ルートを使ったのだが、これがラオスの一部を経由しているため、米軍は、これを断つためにラオスのモン族の特殊部隊を編成して攻撃させていた。この時代すでにラオスもラオス愛国戦線(パテト・ラオ)の共産主義化が進んでいた。米軍側のモン族には事実上の徴用もあったようだが、ある意味ではモン族の自由を賭けた戦いでもあった。このあたりの歴史評価はかなり難しい。いずれにせよ、ベトナム戦争で米軍が負けると、モン族は共産主義政権の弾圧を恐れ、ラオス国外に脱出せざるをえないはめになった。
 NHKの番組では、タイに身を寄せているモン族に焦点を当ていたのだが、すでに彼らは国連からは難民の扱いではなくなっている。タイ政府も難民区を有刺鉄線で隔離はじめていた。タイに残るモン族には米国への移住が残る強い選択肢となった。

 7月、その第一陣約150人を迎えるのはセントポール市(ミネソタ州)。ここにはベトナム戦争終結直後アメリカに逃れたモン族と家族20万人のうち2万7千人がコミュニティを築き、アメリカ市民として暮らしている。今回の受け入れでやってくるのは30年間にわたって過酷な環境に捨て置かれてきた彼らの親族たちだ。セントポール市当局の再定住プロジェクトがスタートする中、まったく異なる歳月を生きてきたモン族の家族が再会し、祖国を追われた民族の不安な未来を模索し始める。

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メコンに死す
 30年も経つと世代が変わっており、若い人々にしてみればラオスという故郷も実感は伴わない。それでも、言葉もおぼつかない米国での暮らしは若い世代ですら不安そうだった。米国での受け入れでは、すでに先行して米国に定住している同族が保証人となる必要があるとのことだ。30年の年月の間に、先行して移住したモン族も米国に地歩を固めつつはあるのだろう。NHKでは触れていなかったが、今回の米国受け入れ決定の背景には、米国内のモン族のロビー活動もあったようだ。
 小泉首相が滞在する現在のラオスだが、人口は6,068,117人(参照)。民族構成は低地ラオ族が68%と多数を占め、丘陵地ラオ族22%がこれに続く。さらに高地ラオ族が9%で、ここに僅かなモン族が含まれる。当然ながら、都市には華僑越僑もいる。いずれにせよ、現在のラオスではすでにモン族の居場所はないような状態にすら見える。余談だが日本外務省はラオスの人口を550万人ほどしている(参照)。資料が古いとはいえCIA資料との差が大きすぎる。
 現在の国家体制に至るラオスの現代史だが重要なのはやはりベトナム戦争だ。米軍の敗北の余波からさらに赤化が進み、1975年12月に国王シサバン・バッタナ国王が退位した。王家は14世紀のランサン王国からの歴史を持っていた。もっとも、バッタナ国王自身は王族でありながらラオス愛国戦線に参加し、新政権の初代大統領となったスファヌボン殿下の顧問として約2年間務めた。
 77年に共産主義体制に反対する勢力が、バッタナ国王を利用して復古をもくろんでいるとして、バッタナ国王は事実上拉致され、その後、杳として行方はわからない。ラオス国民としては王様は80歳を越えてどこかに暮らしているのでしょうということで、この話題はそれ以上なしよ、ということになっている。
 話はこれでフェイドアウトとはいかない。バッタナ国王の子孫で「ラオス皇太子」と自称する、フランス亡命中のスリウォン・サワンという人物らはラオスの現政権の転覆を狙っていると見られている。ただし、2000年7月ラオス南部起きた反政府武装組織の蜂起には関係ないとしている。ま、このあたりの陰謀論の展開については、おなじみの専門家がいらっしゃるので私は深入りしない(気になるなら"スリウォン・サワン"と"陰謀"のキーワードで[I'm Feeling Lucky]ボタンを押すといい)。
 その後のラオスだが、1997年にASEANに加盟。ベトナムのドイモイのように開放を進めつつあると見てよさそうだ。南部サバナケットではメコン川を渡す橋がかけられる(参照)。さらに経済特区が整備されタイ企業を誘致する計画もあるようだ。
 今回のASEAN会議は、こうしたラオスの開放を推進すべく、事実上現政権を強く承認するという意味合いもあるのだろう。政治的な意図という点では、沖縄開催のG7によって沖縄の主権問題に事実上の区切りをつけたような感じだ。
 最後に蛇足めいた話だが、ラオスのモン族はミャンマーのモン族(Mon)と区別するために、英語圏ではHmongと書かれる。中国ではその内部の少数民族にあわせて苗族(Miao)としている。Wikipediaでは「苗族」呼称を採用するに次の理由を挙げている(参照)。

ミャオ族かモン族か
日本語版ウィキペディアではミャオ族の表記を採用した。理由として、

  • 日本ではほぼミャオ族と言う表記が採用されている
  • 日本においては「ミャオ」と言う言葉は差別用語として使われていない。
  • 中国語のウィキペディアの記事もミャオ族(苗族)でたてている
  • 中国でも一般的にミャオ族の名で知られる
  • 中国ではミャオ族が公称である
  • モン族と書くとハリプンチャイ王国を建てたモン族 (Mon)と混同される(詳しくは事項で)

と言う理由が挙げられる。ちなみに、英語版のウィキペディアではモン (Hmong)で記事が建てられている。

 中国でそう言っているという以外、理屈になっていないな、と私は思う。Wikipediaも「ミャオ族と言う言葉は中国の漢民族による呼称であって他称ではない。ミャオ族の中には「ミャオ」の呼称を嫌うものもいて、また、ミャオ族自身もモン族を自称している」と明記するのだから、モン族とすればいいではないか。あるいは、同じ基準なら、日本人を倭人か東洋鬼とし、日本を小日本(シャオリーベン)とでもするべきだろう。

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2004.11.28

裴勇俊狂想曲を考える

 考えたって、無駄である。でも、考えてみる。同姓だが裴世清(ペ・シチン)の子孫ではないと思う。問題は、なぜ裴勇俊に日本人女性が熱狂するのか、なのだが、まるでわからない。滝に飛び込むほどではないが、不可解。なにより、私には関心もなった。しかし、社会事象としては事件である。その人気たるや、殺到して怪我人を出すほどである。なんだろね。先日台菜屋台で30代後半の女性に訊いてみたが、不明、っていうか、関心ないらしい。だよね。でも、昨今の世相見るにそうでもない。不可解。その奇妙な疑問となにか無意識にひっかかるものはある。もちろん考えはまとまらない。ま、たかがブログである。書いてみる。

cover
ジャズ
(紙ジャケット仕様)
 殺到するほどの人気…といえば、エルビスプレスリーとかビートルズの時代にもあった。ちょうど氷河期が終わり小動物が陸地に顔出したころだ。暖かな夕暮れに岡林信康コンサートでもすっぽんぽんで踊り出すお姉さんがいたくらいだ、っていうか、あの時代を思い出す。昭和46年(1971年)「週刊平凡パンチ」(8/2)で「大スタジアムで105人の女が脱いだ」である。アレを見てフレディ・マーキュリーが「バイシクル・レース」の着想を得たっていうことはないのだが、なんか、すごい時代だった。あれか?
 あのころのお姉さんたちが、またやっているのかな?と思った。秋吉久美子とかまだまだ週刊現代の元気なアイドルだしな。あのお姉さんたちは、私より5歳くらい上だから現在52歳くらい。「SHは恋のイニシャル」だともうちょっと上。
 さて、年代はどうなのかと朝鮮日報"ホテル側の曖昧な嘘が原因?"(参照)の写真を見ると、そうかなという感じもするが、さすがに50代は少ないかとも思う。わからない。
 はてと考え込む。私の世代、つまり40代後半の女性の若い頃のアイドルといったら、御三家だよ、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎だね。そりゃ、もう。でだ、同じ世代だからある程度異性の感性もわかるのだが、裴勇俊とかに熱狂しちゃうってことはないと思う。ってことは、御三家より下の世代? でも、30代後半だと、すでに違うようだし。
 すると、ゾーンとしては、自分より5歳下、つまり現在42歳くらいの女性が熱狂の中央値なのだろうか? あのころのアイドルって?と回想するのだが、太川陽介あたりかな。往時の写真を見るとなんか昨今の韓流っていう感じも出ているよね。
 いろいろ思い出す。順序立ててみよう。まず、フォーリーブスがあって御三家があって…で? そこでジャニーズを思う。御三家とジャニーズの間だが、そこって開いているのか? そこってツボ?
 別の発想をしてみると。基本的に「冬の恋歌」は日本人にしてみると懐古的な物語である、というのは言うまでもない。それで、その熱狂には疑似恋愛感情があるのだから、ファンの青春時代の美男子やその雰囲気なんかと類似性があるのではないか? そう思って「誕生日・1962年(昭和37年)に生まれた人々」(参照)とかいうリストみていると、あ、やっぱそんな感じがする。小熊英二とかも雰囲気似てない?
 ゾーンは現在42歳くらいの女性なのだろうか。この世代の女性の婚期は26歳くらいではなかったか。クリスマスケーキってな洒落があったくらいだ。そうだと仮定すると結婚して16年。子供は中学生。手が離れた、ちょっくら遊ぶわ、っていうことか。
 現在の都市部の女性の結婚年齢は30代後半になってきているわけだが、ざらっと言うと、彼女らは30代頭出したくらいではまだばりばり恋愛とかとかとかやっているわけで、学生終えてから、二花、三花くらい咲かせている…(まそれで慣れてしまうのでしょうけど)、こうした傾向は世代というより女性の一般性でもあるだろうから、すると26歳くらいで結婚したあの世代の女性の人生では、30代に花咲かず、みたいなのが「恨」みたいに残っているのではないか。時代もバブル前夜でお立ち台にも乗れなかったし…とエネルギーを貯め込む。あ、全然違いますか。なんか全然違ってるみたいですね。はい。
 話を戻して、裴勇俊の人気っていうのは明かにと言っていいと思うが、「冬の恋歌」っていう物語があってこそなので、それって、つまり「萌え」と同じカラクリ。キャラもだけどそれよりストーリーなんだよね。
 ってことは、世代論だのうだうだやるより、ただ「萌え」の時代ってことではないか。物語さえあればいいのであって、消費できる物語が多様にあって、それと現実との狭間が見えるとなお吉ということ。
 愚考、ここまで。

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