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2004.11.20

[書評]45歳、ピアノ・レッスン!―実践レポート 僕の「ワルツ・フォー・デビイ」が弾けるまで(小貫信昭)

 標題のとおり、まったくピアノを練習したことがない45歳の中年男が、ジャズのナンバーが弾きたくて、ピアノのレッスンを始めたという話。

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45歳、
ピアノ・レッスン!
 著者小貫はこの本を執筆した2004年5月の時点で47歳。私と同い年なのである。始めたのが45歳。実は私も45歳のときからピアノの練習を始めた。だから、この本を見たとき、あれ?と思った。
 本の釣りにはこうあるように、彼の場合は、いちおうこの企画が仕事ではあったようだ。

理屈をコネるのは得意だけど、めっきり最近腰が重い。そんな時に「ピアノを習って、その奮闘記を書いてください」と依頼が…。楽器を初めて習うところから「ワルツ・フォー・デビイ」が弾けるまで、45歳の実践レポート!

 仕事だからとはいえ、実際にピアノが弾けるようになりたかったのは確かだ。まえがきにこうあるのは本心だろう。

 でも、ピアノじゃなかったら、やってなかったかもしれない。ギターとか、フルートとか、和太鼓とかだったら、断っていたと思う。理由は簡単。「もし弾けたら、カッコいいだろうなぁ」と思う楽器は、ピアノをおいて他にはなかったからだ。

 まず、書籍として見て面白いか、なのだが、ライターさんというだけあってさらっと読みやすく、面白く書いてある。が、もうちょっと実戦的な練習のヒントが多いといいなとは思った。例えば、個々のレッスンの再現のようになっている教本的な構成だったら、役立つのに…と。
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ピアノスタイルVol.6
 それでも、実際に同じようにピアノレッスンを始めてみると、細かいところで、そーなんだよね的に同意する点は多い。話はピアノの購入の手ほどきから書かれている。彼はこの本の企画がヤマハだったこともあり、「P-120 YAMAHA ELECTRONIC PIANO」を購入した。この機種はアマゾンでみたら「在庫切れまたは製造中止」とあった。価格は168,000円。このクラスだとそんな感じかなと思う。他のショップをあたると12万円くらいである。音の良い最近の電子ピアノについては、カタログ代わりに「PIANOSTYLE Vol.6」など、「ピアノスタイル」の最新刊を買うといいと思う。バックナンバーによっては初心者向けの紙上レッスンなどもある。
 私はとにかく運指ができたらいいなと思って、「CASIO CTK-571」を買った。これもすでに製造中止。後継機種は「CASIO キーボード(61標準鍵) CTK-591 シルバー」のようだ。音もタッチもたいしたことはないが、運指のレッスンには向いている。私は小貫のように先生につくことはしないで、ひたすら指示された通りの運指だけをやった。
 やればできるものである。この本では、次の3曲のレッスンがメインになっているが、私も、バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」が弾けるようになった。

  • サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」
  • バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」
  • ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビイ」

 カシオの電子ピアノに入っているバッハ「主よ、人の望みの喜びよ」は小貫のとは違ったアレンジでどちらも、一般にピアノで弾かれているマイラ・ヘスの編曲にはほど遠い。が、私の譜のほうがちょっと複雑かな…といってお聴かせするほどではないが。
 小倉も書いているが、やさしいアレンジであってもバッハが弾けるというのは、なにか魂に喜びのようなものを与える。私はちょっとばかりクラシックギターも弾くのだが、やはりバッハは美しい(バッハのギターアレンジ譜もある)。

 バッハに決まった。やるとなったら、決断が早い。
「でもバッハといっても、主に三つくらい、違うタイプの曲があるんですよ」
 マナミ先生は、即座に弾き始めた。
(中略)
ちなみに、先生が弾いてくれた三つのパターンというのは「メヌエット ト調長」と「プレリュード第一番(五つの小さなプレリュードより)」と「主よ、人の望みの喜びよ」ということだったらしい。

 で、私は「メヌエット ト調長」も弾ける。すでにピアノが弾ける人には失笑ものだろうが、この曲は二、三か所短いのだけど、右手と左手が違うメロディーというか流れを形成する部分があり、こんなもの両手で弾ける日がくるのかと思ったが、できた。できてみると、左右の手が歌っているようで楽しい。小貫も「忙しい両手が快感に!!」と書いているがそんな感じだ。
 「主よ、人の望みの喜びよ」はもともとピアノやハープシコード用の曲ではないが、「メヌエット ト調長」は厳密にはバッハの作品ではないものの、バッハが後妻に与えるべくその名を記した「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラビア小曲集」なので教本らしい良さがあるし、クラビコードを意識しているせいか、ペダルもなしで(たぶん)いい気軽さがある。
 そう、電子楽器だとペダルとかけっこう問題でもある。こうした点も配慮してなのか、この本で、小貫は電子楽器ではないグランドピアノも弾いた体験を書いている。
 私も少し弾けるようになったので、アップライトピアノだが借りて弾くことがある。鍵盤が重いのだね。すごい力がいる。それでも、物を叩いて出る音というのはいいし、カシオのちゃっちい電子ピアノと比べてはいけないが、音の表現力はまるで違う。
 超初心者のピアノについては、他にもいろいろ思うこともあるけど、これもまたいずれ。

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2004.11.19

ウンチングスタイル考

 標題からお察しできるように、ちょいと品の悪いお話。そんな話書くんじゃねーと言われるかもというか、それならもっと専門のブログがありますよというか。ま、簡単に切り上げようとは思うのだが、昨日ちょっといろいろわけあって「ウンチングスタイル」のことが気になった。もしかして、「ウンチングスタイル」って死語?
 そういえば、コンビニの前とかでうんこしている、もとい、座っている青少年少女も、最近は休息中の米兵みたいにべたっと地面に座っている。あれれ、ウンチングスタイルを見たのはいつの日かぁ♪ 沖縄で見たか。沖縄では「つんたちぃ(飛立居)」と言う。
 死語かなと思って辞書を調べる。が、俗語すぎるので記載されているわけない。新語の多いgoo辞書を見ても、ない。新語でもないしな。Googleをひくと、ある。そりゃ、ないと困る。重要な日本語だし(たぶん)。ヒット数は中点の有無で違うが、どうやらGoogleは「ウンチングスタイル」を一語として認識しているようだ。それでいいのかよくわらかないが…。
 どうも私は世相に疎く「パンツぱんくろう」とかも知らないでいたのだが、現代では「ウンチングスタイルって何よ?」って声も出てくるかもしれないので、この言葉の意味は…、と解説するより、Googleで「ウンチングスタイル」と書いて"I'm Feeling Lucky"ボタンを押す。
 と、ラッキー! 「バクオン:ウンチングスタイルに革命」(参照)というページが出てくる。いや、これ、一目瞭然ってやつです。さらにこれのネタもとは"Nature's Platform"(参照)だ。いや、これ、いいですよ。このショップがアフィリエイト出していたらもっといいのだけど(なわけない)。


Two-thirds of humanity use the squatting position to answer the call of nature.

In those cultures, appendicitis, diverticulosis, hemorrhoids, colitis, prostate disorders and colon cancer are virtually unknown ... Learn why
【意訳】
人類の三分の二の人々、つまり、40億人もの人々が、ウンチングスタイル、そう、しゃがんだ姿勢で、自然からの要請に応えているのである。ウンチングスタイルが維持されている人類の大半の人々が所属する文化において、盲腸、憩室症、痔、大腸炎、前立腺障害、大腸・結腸癌といった病気はその社会で認知されないほど珍しい。その理由をここで学びたまえ。


 と、マジにとるなで、はあるが、リンク先の"Health Benefits of the Natural Squatting Position "(参照)では、その7つの健康メリットをあげている。なんか、ぐっと引き込まれる力強い文書ですな、と、読み進むに、長ぇ長ぇ、この執拗さって、フロイト派精神分析学のいうところなんとかみたいでもある。なんだか、ピンチョンの「重力の虹」でも読んでいるみたいだ。

Historical Background
Human beings have always used the squatting position for elimination. Infants of every culture instinctively adopt this posture to relieve themselves. Although it may seem strange to someone who has spent his entire life deprived of the experience, this is the way the body was designed to function.
【意訳】
歴史的背景
人間という存在は常に排泄においてウンチングスタイルをとってきたものなのである。どの文化に所属していても幼児は本能的にこのスタイルを採用することで目的を達成している。このスタイルをもって生活を過ごした経験のない人ですら、身体の構造からしてウンチングスタイルこそがこの目的のための最適なスタイルなのである。

 これもマジでとるなよなではあるが、笑える。
 で、この補助装置なのだが、ある年代以上の日本人にしてみると懸念を抱かせる構造的かつ機能的な欠陥があるかもしれないと思える。その欠陥とは「おつり」である。あ、ま、次、行ってみよう!
 構造的な欠陥よりも、そもそも現代日本人はこの神聖なスタイルをとることができるのだろうか。と、身近の若い者にしゃがませてみたら、できた。踵が浮いているようでは、前に転げる。大丈夫。さすが日本人だ。以前、米人にやらせたら、面白いように、イテーだの、前につんのめるだのしていた。
 とはいえ、現代日本だとこうした補助装置が必要になるやもしれないとしみじみ思う。先のサイトの説明文の言う、三分の二の文化圏に日本は所属しづらくなっている。それでも、公園とか古いデパートとか、列車とかにはあるはず…。と、つい列車の状況をGoogleで調べていると、「国際化とトイレ」(参照)というページを見つけた。面白い。なるほどね。
 そういえば、このタイプのをトルコ式という。イスタンブルで国際線から国内線に乗り換えたら、とたんにこれだったので感激したことがある。インドでもそうだった。
 ただし違いはある。その違いはある意味で大きく、宗教的とも言えるのかもしれない。これは同じ坐禅でも臨済宗と曹洞宗の違いを想起していただければわかるかと思う、って凝った冗談を書くまでもなく、壁に向かうか、ドアに向かうかである。日本は曹洞宗的で壁に向かっているのだが、やぁ、こんにちは、ただいま取組中ですという人間的な応答こそがイスラム的な世界には相応しいのかもしれない。
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Dr.スランプ
 そういえば、これらの国では、設備にどちらも、専用の水汲み桶があった。イスラム圏だから必須だともいえるのだが…。
 いや、必須ではないかもしれない。人間というのは、健康的に暮らしているなら、事の始末に水だの紙だの不要なのではないだろうか。あれだ、Dr.スランプでスッパマンが勇気の存在証明に必要としてるあれ、あのとぐろな形態は違うのではないか。というのも、以前「はじめてナットク!大腸・内幕物語―知られざる臓器をさぐる」(絶版)を読んだとき、大腸というもの機能から、そう考えたことがある。先日、井の頭公園でヤギを背面から見ながらも同じことを考えた。ま、この話は深入りすると苦いので止める…。
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陰翳礼讃
 それにしても、ウンチングスタイルが消えていく文化はそれに見合った生活様式もまた消えていくということで、最近では、美しい茶室に蹲踞があっても、さすがに別室を雪隠とは言わない。雪隠がなければ「雪隠詰め」なんて言葉もなくなる。手水鉢は日本庭園のただのアクセサリーなのだ。谷崎潤一郎の世界はもうすでに遠い。

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2004.11.18

ファルージャの戦闘についての感想

 ファルージャの戦闘について、まだ考えがまとまっているわけではないのだが、この時点で思うことを少し書いておきたい。まず、この戦闘の是非については、国連からの示唆もあるように、いろいろ議論があることだろうと思う。特に反米的な立場の人はこの戦闘には頭から批判的にもなるだろう。ただ、この問題はイラクという単独の視点で考えるより、コートジボワールで現在進行している問題などとも併せてより一般的にな地点で、今後は考察したほうがいいようにも思う。
 今回の戦闘は、たとえ肯定するにしても肯定しやすくはない。戦闘を推し進める第二期米国ブッシュ政権としても、さすがに再選前には実施できないと判断しただけのことはある。かなり手を汚すことになるだろう。
 それでも取り敢えずアフガニスタンの大統領選挙の形がつき、また有志連合のつなぎ止めを長期化させるわけにもいかないとなれば、無理矢理にでもイラクで総選挙を実施するしかない。そのためにはかなり犠牲を出してもテロの拠点となりつつあるファルージャを処置しておかなければならないだろう。つまり、事実上壊滅させることになるのだろう。
 戦闘が開始されれば、日本へはなんの情報も来ないだろうと思い、準備段階での米軍の動きを見ていた。意外に周到に準備を行っているようだった。むしろ今回の戦闘での敵は国際世論なりアラブ世界側のメディアであかもしれない。各国の報道陣もパージされているはずだ。
 私は、米国政府お抱えの報道機関であるが、VOA(Voice of America)などをメインに読むことにした。VOAは経緯を見るとそれほど大本営でもなく、ソースもそれなりにしっかりしている。そのあたりを追って見るしかあるまいと思ったわけだが、戦闘が始まってみると、他のソースからも戦闘報告がある。なかでもメディアとして衝撃的だったのは、米国海兵隊員がファルージャのモスク内に残されていた戦闘不能と見られる負傷者を射殺した映像だった。朝日新聞系"「モスクで殺人」衝撃、負傷者殺害 反米強めるアラブ "(参照)ではこう伝えられた。


 米NBCテレビのスタッフが撮影した映像では、モスクに踏み込んだ海兵隊員が13日、横たわる負傷者に銃を向けて「こいつ、死んだふりをしている」と言い、射殺した。NBCによると、この負傷者は武装勢力に加わっており、モスクに運ばれて治療を待っていたという。

 朝日新聞はNBCのテレビスタッフと書いている。間違いだとも言えないが少し違う。ニューヨークタイムズ"Marine Set for Questioning in Wounded Iraqi's Shooting"(参照)によればこうだ。

Senior military officials and human rights advocates, including those often critical of the armed services, cautioned that the graphic videotape of the shooting, taken by a pool correspondent, Kevin Sites, a freelance cameraman working for NBC News, left many questions unanswered and underscored the confusion of urban warfare.

 映像を撮ったのは、"a pool correspondent, Kevin Sites, a freelance cameraman"、訳すと共同的な通信員でフリーランスのカメラマンであるケヴィン・サイトだ。彼は以前CNNと契約していてもめた事がある。反戦的立場と言ってもいい(参照)。
 このニュースを聞いたおり、私は、どうしてそんな映像を撮ることが可能なのか、かなり疑問に思った。また、その後の反響も毎度の反米パターンだったので、率直に言って、なんらかのヤラセのようなものがあるのではないかと疑った。結論からいうと、ある種従軍の報道は可能になっているようだし、今回の映像は仕込んだものというより偶然っぽい印象はある。ただし、映像と日時の経過はわかりづらい。
 併せて、そのヤラセなりの可能性を日本のジャーナリズムがどう扱っているか気になっていくつか日本での報道を読んでみた。率直に言うと、AP通信などを経由して二次情報になっているせいかあまり要領を得ない。事実認定についてはあまり疑問を持っていないのではないだろうか。
 そうはいっても、映像については疑問が残る。先のニューヨークタイムズの記事でも疑問が投げかけられている。

It is unclear from watching an unedited version of the videotape whether the prisoner was moving before the shot. A senior Pentagon official said Tuesday that an autopsy might be required to help determine whether the man was dead or alive when the marine shot him.

 つまり、事実認定には検死も必要だろうとしている。
 その後の報道の流れを見ていくと、それでも海兵隊側に問題があったとの認識が強まっている。ヤラセとまでする線は消えた。そして、すでに政治のレベルに乗せられている気配はある。先の朝日新聞系の記事にもあるように、この事件はアラブ諸国に反米の気運を高める結果にはなっているからだ。
 この事件をもって、米軍は非人道的と言えるのか、というと、言える。詳細にはまだ疑問が残るとはいえ、負傷者を殺害することは、近代戦では許されない。
 だが逆に言えば、今回の問題が内包していることは戦闘の否定ではなく、ルールを元にした戦闘は肯定される、ということでもある。なので、いわゆる反戦論者や反米主義の主張には、今回の事件は、本質的には都合がよいものではない。
 また今回の事件は海兵隊の教育の不備を明確に露わにしてしまったとはいえ、戦闘の全体を伝えるものではない。ひどい言い方をすれば、かろうじて映像として見えるところが問題になっただけだ。依然、戦闘の全体は見えない。
 今回の事件で、海兵隊側には落ち度があったとはいえ、あの戦闘という文脈では海兵隊としても言い分がありそうだ。特に"booby trapped bodies"が問題になったようだ。死者に見せかけて地雷のように爆破させたりするようだ。例えば、FOX"The True Story About the Fight in Fallujah"(参照)ではこう問いかけている。

You know, I hate to see stuff like that. And again, we don't know exactly what happened. We do know that a lot of incidents are occurring where these so-called insurgents are waving white flags and then shooting, booby trapped bodies, people feigning death. And when the Marines come up, they turn around and they shoot. So we are not making any judgments here about what happened, but the video is there. And we decided to just play it. What do you think about it?

 白旗を掲げたかと思うと撃ち込んで来る敵に近代戦を強いられるのが海兵隊の運命でもある。死者に見せかけて撃ち込んでも来る。近代戦であることが弱みとして付け入れられる隙となる。
 "What do you think about it?(これをどう思うか?)"と問われて、この件については、ネットで映像を見た。海兵隊はグループで行動しており、敵がブービートラップだとしてもそれほど強い戦力にはなりえないと思った。やはり、海兵隊の行動は間違っているという印象をもった。
 もっとも、だから海兵隊を弁護はできないというものでもない。むしろ、海兵隊の戦闘訓練をより現代化せざるをえないのだろう。

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2004.11.17

ライス国務長官とCIA騒動で最強のブッシュ政権ができる

 パウエルの事実上の更迭でコンドリーザ・ライスが国務長官となった。すでにブッシュの家族とも個人的にも親しい関係にもあり、とやかく言わずとも流れとしてはそれほど不自然なものではない。当面は、ライス国務長官にどれだけの外交能力があるのか(ピアノの能力ではなく)ということに関心が向くのも当然だろう。
 日本としては、穏健派のパウエルの更迭に伴い、親日的と見られてきたアーミテージ国務副長官も事実上更迭されたので、いわばパイプを失った状態となりこれからどうなるのか、というような話題にもなる。そうした見方が間違っているとも思わないが、やや日本的な物語に過ぎる印象はある。ちょっと違うかな、と。
 この違和感をどう表現したものかネットをうろつきながら読んだBBC"Washington's bureaucratic battles(ワシントンの官僚的闘争)"(参照)がわかりやすかった。BBCによれば、ブッシュが親近感を深く持つライスが国務省(日本の外務省に相当)のトップに立つことで、省庁の官僚組織全体が行政(ワシントン)の配下に強く置かれることになるというのだ。


The resignation of Colin Powell and the selection of Condoleezza Rice as secretary of state means that in President Bush's second term, the State Department should be firmly under White House influence.
【試訳】
コリン・パウエルの辞任とコンドリーザ・ライスの国務長官任命は、ブッシュ政権二期目において、国務省がホワイトハウス(大統領府)の強い影響下に置かれることを意味している。

 官僚は行政の手足なのだから、国務省が行政の影響下に置かれて当たり前のようだが、実際には米国の政治はなかなかそう行かなかった歴史がある(日本でもそうだが)。ある意味、イラク戦争後の統治のごたごたはこうした米国内部の闘争の反映という側面もある。
 こうした経緯をBBCの解説記事では歴史的に簡素にまとめていた。BBCの報道・解説は基本的には英国民を対象としているわけだが、こうした記事が解説として出てくるということは、英国民にとっても米国という国はやや不可解な外国ではあるのだろう。
 重要なのは、官僚組織である国務省と大統領府(国家安全保障会議)の外交路線での対立関係だ。

Tension between the State Department and the National Security Council is part of the American way in foreign policy. Sometimes, in the White House view, the location of the State Department in the "Foggy Bottom" area of Washington also refers to the view of the world as seen by its rivals.
【試訳】
国務省と国家安全保障会議の対立的緊張関係はアメリカ流の外交に当然含まれるものであった。行政の主体である大統領府からしてみると、ワシントンの「霧の底地」にある国務省の存在はその対立者の世界観にも見なされていた。

 対立者はこの段落の前段にもあるが、ホワイトハウスのスタッフと官僚組織である国務省だ。国務省は議会寄りでもあるので、国会(議会)対内閣の構図もあるはず、とはいえ、現状、議会も大統領と同じく共和党優勢なので、この対立構図は弱まっている。余談だがまさかと思って英辞郎で"Foggy Bottom"を検索したら、「米国国務省◆俗称」ともあった。
 米国では、外交面だけではなく、軍事面も国家安全保障会議(National Security Council)が担うのだが、これも他機関との対立関係にある。

The State Department is an important voice, but only one voice. The Defense Department will have a view - so will the CIA and other departments. Differences are supposed to be hammered out in the National Security Council.
【試訳】
国務省の見解は重要だが、対外的には一見解に過ぎない。国防省も、また、CIAなど他部門も同様である。違いがあれば、国家安全保障会議から叩き出される。で叩き潰される

 BBC解説の解説がしたいわけではなく、ここにCIAが言及されている点をちょっと使いたかった。国務省と大統領府と同様の問題が、CIAと大統領府でも発生しているというのが、このところのCIAのごたごたのようだ。日本語で読めるニュースとしては読売系"CIA高官相次ぎ辞任、長官・生え抜き組の対立表面化"(参照)がある。

AP通信などによると、米中央情報局(CIA)のスパイ活動を統括するカッペス作戦部副部長が15日、辞任した。
 12日にはマクロクリン副長官が辞意を表明しており、相次ぐCIA高官の辞任に、9月に就任したばかりのゴス長官と生え抜き組の確執が取りざたされている。

 このニュースは実際にはニューヨークタイムズとワシントンポストの焼き直しなので、元ソースで論じてもいいのだが、簡略を兼ねて引用する。

 また、ニューヨーク・タイムズ紙によると、複数のCIA筋は「局内のごたごたは過去25年間で最悪」と述べ、カーター政権下でCIAに風当たりが高まった時以来の険悪なムードだとこぼしている。
 同紙によると、CIAは同時テロ以降、イラクの大量破壊兵器を巡る情報収集の失敗で批判にさらされているが、局内では「ホワイトハウスと議会がCIAを不当にたたいて生けにえにしようとしている」との不満が強まっている。
 こうした事態をワシントン・ポスト紙は「CIA大混乱」の大見出しで報道。ゴス長官が「幹部の進言に耳を貸さない」と指摘し、長官が今や局内で孤立しつつあるとの見方を示した。一方、「ゴス氏は改革を嫌う勢力の抵抗を受けているだけ」(マケイン上院議員)と長官を擁護する声もある。

 大筋でこのまとめでもいいのだが、一番重要なのは、大統領府、つまりブッシュ政権が事実上これまでのCIAを潰そうとしていることだ。このあたりは、サロン・コムの"Killing the messenger"(参照・有料かも)が、批判的とはいえ、明快だ。

Porter Goss' purge at the CIA will ensure the agency is full of Bush yes men -- but it will seriously damage U.S. intelligence.
【試訳】
ポーター・ゴスによるCIA内の人事パージ(掃討)によって、この機関は完全にブッシュのイエスマンで満たされることになる。それは、米国の外交・諜報活動において深刻なダメージとなるだろう。

 ちょっと話が前後するが、もともと大統領選挙後半ではCIAはかなりブッシュ叩きをやっていて、マスメディアやケリー候補寄りの人々が踊らされていた。サロン・コムはケリー候補支援だったこともあり弱く書いているのだが…。

The last several months of the presidential campaign saw a series of intelligence disclosures concerning Iraq and the war on terrorism that the White House regarded as intended to derail Bush's reelection.
【試訳】
大統領選挙前のこの数ヶ月の間にイラク戦争とテロとの戦いについての情報が各種公開された。CIAによるこれらの活動を、ホワイトハウスはブッシュ再選阻止の行動と見なしていた。

 実態は、ウォールストリートジャーナルに掲載された"The CIA's Insurgency"(参照)がより詳しい。が、この件についてはこれ以上立ち入らない。
 取って付けたようなまとめになるが、ライス国務長官とCIAの混乱は、米国のなかで、歯止めのない権力が形成されつつことを意味しているのだろう。
 それだけである種の恐怖感を覚えるのだが、もともと、ネオコンの外交というものはそういう本質のものだった。むしろ、前期のブッシュ政権では対外的にのみ目を向けて、獅子身中の虫を甘く見て、やられてしまった。
 この強権の成立は、民主主義というものの事実上の崩壊なのだろうか? こんなもの所詮金権政治だから壊れると楽観視できるだろうか。
 率直言うと私はわからない。原理的にはなんらかのカウンターパワーが必要なのかもしれないとも思えるが、これも率直に言うと、米国内の民主党のありかたや、対外的にはEUを呑み込んだフランス・中国帝国チームがそれになるとはとうてい思えない。

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2004.11.16

パウエル米国務長官が辞任

 パウエル米国務長官が辞任し、後任はライス大統領補佐官となることが決まった。ブッシュ政権二期目にパウエルは辞任するだろうというのは、およそパウエルを知る人なら想像の付くことではあったが、秋以降大統領選挙が盛り上がるにつれ、パウエル続投の噂は飛び交った。どうせ選挙がらみの話には違いないが、選挙後にもそうした話が消えなかったのは、パウエルへの期待なのか、別の理由があるのか奇妙にも思えた。この手の話には状勢をマクロ的に見ることができない一連人たちが釣られるだろうなとも思った。
 パウエルは政治家向きの人ではない。やはり軍人なのだろう。軍人としての品位が政治家としての大成を許さなかった。政治とは、人生が時にそうであるのとは対極で、修羅場の連続だ。修羅場には表立った修羅場と隠れる修羅場があり、前者では品位は武器になるが、後者では下品こそが威力なる。およそ修羅場に向かう人間のツラには品位と下品のアマルガムのような奇妙な特徴が出てくるものだ。特に低い階級に生まれて一代で地位を得た人間は必ずそうなるというのは世間知の一つだ。が、パウエルにはそれがない。軍という存在が彼を精神的に守ったのだろう。
 パウエルは1937年(昭和12年)ニューヨーク市でジャマイカ移民の子供として生まれた。ニューヨーク市立大学を卒業後、陸軍に入隊。レーガン政権で大統領補佐官となり、1989年、制服組のトップである統合参謀本部議長に就任。1991年には湾岸戦争を指揮した。当時は彼は、およそ軍隊を持つ国の気風がそうであるように、英雄視され、大統領候補にせよとまでの声が上がった。が、この時の指揮は純粋に軍事的に見る場合、それほど評価すべきなのか異論もあったようだ。
 パウエルは、一言で言えば、古いタイプの人でもあるのだろう。軍人らしい軍人さんということか。くだらない命令でも指揮系に従うのが軍人というものだが、ブッシュ政権下で政治家となったものの、軍人気質で政治をしていた。内心は、こんなのやりたくねーというのがにじんでいて、そこに知性と特有のご愛嬌があった。
 彼は、イラク戦争開戦前に大量破壊兵器はイラクになかったなどと発言してブッシュ政権内で孤立した。それでいながら、国連では大量破壊兵器があるといったプレゼンテーションを任された。すまじきものは…である。トラップされてコケにされたとき、サラリーマンはなんと言うか。なにも言わない。内心、このジョブを終えたらやめちゃると思うだけだ。つまり、そういうことだ。そういう心情がわからないのはサラリーマン経験を十分に積んでいないということ。
 パウエルは、政治的にはネオコンに対立する穏健派と見られていた。なので、ネオコン反対の勢力からはパウエルに期待する声もあった。古風な平和勢力に見立てたい思いも投影されていた。軍人は基本的に平和を志向するものである。が、さて、辞任して欲しくない惜しい政治家だったのかというと、そうでもない。
 私は今朝のニュースをぱらっと見渡して、BBC"The disengagement of Colin Powell"(参照)に共感した。


His weakness was that he lacked the vision of the world held by his rivals. Colin Powell was no dove. He too believed in US power and influence but where others saw certainty, he saw complexity. This slowed him down and gave them the edge.
【意訳】
パウエルの弱点は、そのライバルであるネオコン派と比べ、世界がどうあるべきかというビジョンを欠いていたことだ。もちろん、パウエルとしても、米国が圧倒的な武力を持ち世界に影響力を行使すべきだとは考えていた。が、彼の対立者が確信を持ってそう思っていたのに対して、彼はそこに複雑さを見ていた。この弱さが彼を失墜させ、窓際へと押しやった。対立者を利することになった。


One of Colin Powell's weaknesses was his reluctance to engage in diplomacy first-hand.
【意訳】
これもパウエルの弱点なのだが、彼は外交の現場で自ら泥をかぶるというという意気込みがなかった。


He lacked the enthusiasm of a Henry Kissinger shuttling across the Middle East, though he did engage there regularly and in person.
【意訳】
彼には、ニクソン時代のキッシンジャーのように中東を駆け回るほどの情熱というものがなかった。もちろん、彼なりに定期的にまた個人的に各地を訪問したのであるが。

 なんだか、悪口だけ取り出すようだが、もう一点だけ。

It is doubtful whether the neo-conservatives had their own disengagement plan for Colin Powell. He was a very useful presenter of US policy, given that he has been the first African-American secretary of state.

But they will probably not be too sad to see him go.
【意訳】
事実上の失脚とも言える今回のパウエルの辞任がネオコン一派によって画策されたものだという話は疑わしい。彼は米国政治に有用な人物であったし、ナンバーワンの国務長官、つまり外務大臣であった。が、彼が政治の場を立ち去る事態を寂しいとは言い難いだろう。パウエルは初のアフリカ系国務長官(外務大臣)という意味で、アメリカ外交の看板として使い手があったからだ。
 もっとも、ネオコン一派のことだからパウエルの去就を寂しいとは思わないだろう。


 残念ながら、すでにパウエルの時代は終わった。たぶん、今後あまり顧みられることもなくなるのだろう。もちろん、それはいい悪いということではない。単に、時代が変わっていくというだけのことだ。

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2004.11.15

チョコレートは女性の媚薬

 チョコレートは女性の媚薬…小ネタの域を出ない話なのだが法螺話でもない。イギリスのタイムズ紙(オンライン)に掲載されていた。他にもオーストラリアで話題になっているようだ。
 ネタもとの"Women really are hot for chocolate(女性はチョコレートにご執心)"(参照)はこう切り出す。


FOR a long time women have compared chocolate to sex. Now doctors have discovered a scientific link between the two.

According to Italian researchers, women who eat chocolate regularly have a better sex life than those who deny themselves the treat. Those consuming the sugary snack had the highest levels of desire, arousal and satisfaction from sex.
【試訳】
昔から女性はチョコレートをセックスになぞらえてきたが、ようやく医学がこの二つの関係を解明した。イタリアでの医学研究なのだが、チョコレートを日常食べる女性はそうでない女性に比べてよりよいセックスライフをおくっている。この甘いお菓子のおかげでセックスから最高の欲望と刺激とサティスファクションをえることができるのである。


 国語審議会とかは嫌がるだろうが、"satisfaction"は「サティスファクション」と訳しておこう。ま、そういうことらしい。ほんとなのか?
 本当だ。ちゃんとした医学研究に基づいている。論文は来月の欧州性医学誌(European Society for Sexual Medicine)に掲載されるとのこと。というので、ちょっとそのサイトを覗いてみたがまだ見あたらなかった。
 この研究をしたアンドレア・サロニア博士はこう言っている。
 
Dr Andrea Salonia, author of the study - funded from a university research budget, not by the confectionery industry - said women who have a low libido could even become more amorous after eating chocolate. He believes chocolate could be particularly medicinal for women who shun sex because they are suffering from premenstrual tension.
【試訳】
研究を発表したアンドレア・サロニア博士によると、日常、性欲(リビドー)の低い女性でもチョコレートを食べた後はより情感が高まるとのことだ。さらに博士は、月経前の緊張から満足のいくセックスができない女性にとってチョコレートは薬となるかもしれない、とまで述べている。怪訝に思う向きもあるかもしれないが、この研究はきちんと大学の予算でなされたもので、チョコレート会社の委託研究ではない。

 原論文の概要も見ていないのだが、この研究では、この効果をもたらす物質についての特定はしていないようだ。とはいえ、あるある大事典などで無用な健康情報をしこたま仕入れている現代日本人のことだから、すぐにテオブロミン(theobromine)が思い浮かぶだろう。あれだ、日本の場合、米国でも同様なのだが、まともなチョコレートがない。なので、テオブロミンの健康効果を得るにはココアという話になってきている。確かに、ココアはチョコレートの原料なので、テオブロミンを摂取したいというだけなら、それでもいいんだけど、それってチョコレートの良さは楽しめない。チョコレートは芸術なのである(Washington Post:Milking Chocolate)ということがあまり理解されていない。なお、チョコレート/ココアには、テオブロミン以外にマリファナに近い作用をもたらす物質も微量に含まれているらしい。ついでに、犬を飼っている人なら常識だろうが、テオブロミンは犬には毒物なのでご注意。
 チョコレートのこうした精神的な効果は以前から知られているのだが、否定する向きもある。子供の頃の思い出や青春時代の思い出を連想させるからで文化的なものに過ぎないというのだ。ところが、今回の調査でコーヒーと喫煙についても調べたのだが、チョコレートのような媚薬的な効果はなかった。
 話はこれで終わり。小ネタだからね。チョコレートについては…私はチョコレート好きなのでこの話を引っ張るのはまたの機会にしたい。ゴディバですら満足していないのだ。(こっそり言うけど、美味しい「オランジェ」が買える店を知っていたら教えてください。)

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2004.11.14

テオ・ファン・ゴッホ映画監督暗殺事件余波

 11月2日にアムステルダムでテオ・ファン・ゴッホ映画監督がイスラム教徒に暗殺されたというニュースは日本ではベタ記事扱いのようだった。それでも内戦の構図だけで事足れりとするダルフール危機問題の扱いよりはましかもしれない。ちなみに、スーダン政府のダルフール住民迫害関与について10日BBCは"Eyewitness: Terror in Darfur"(参照)で取り上げていた。
 話はゴッホ映画監督暗殺事件だが、この事件自体、日本では画家ゴッホの遠縁ということに焦点が当てられ、当の事件とその余波についてはあまり触れられていなかったようにも思う。なので、ここで取り上げておきたい。最初の報道は、3日にロイターで「イスラム社会批判のゴッホ遠縁の映画監督、殺害される」(参照)だった。共同や時事でも報道されていたが、二次情報っぽかったし、日本人記者が扱っている記事は見かけなかった(あるのかもしれない)。余談だが、よくブログについて二次情報だけでつまらないと批判する向きもあるが、日本の場合外信については既存メディアもあまり変わらないように思える。


イスラム教を嘲笑しているとしてイスラム教徒の反感を買っていたオランダ人映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏(47)が2日、アムステルダム市内の公園近くを自転車に乗っていたところを、刃物で刺されたうえ、銃で撃たれ、死亡した。
 警察は、銃撃戦の末、現場付近にいた男(26)を逮捕したが、警官1人が負傷した。容疑者はオランダとモロッコの2重国籍を持っていた。

 容疑者はイスラム教徒の服装をしていたとも言われるが、日本語訳されたロイターのこの記事ではイスラム教徒という言葉を慎重に避けている。「2重国籍」についてはこの記事では背景がわかりづらい。その後、イスラム教徒のテロ組織であることが判明している。同じくロイターでいまだに標題はアレだが「ゴッホ遠縁の映画監督殺害で新たに容疑者逮捕」(参照)で報道があった。

イスラム社会を批判していたオランダ人映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏が2日に殺害された事件で、オランダ警察は、新たに容疑者を逮捕した。別の容疑者2人は釈放された。アムステルダム検察が6日明らかにした。


 検察は声明で、容疑者はテロ行為の意図のある犯罪組織に所属しており、テロリストと殺人を共謀した容疑で身柄を拘束したことを明らかにした。
 ゴッポ氏殺害の容疑者は釈放された2人を含め、9人が逮捕されていた。

 この事件は、画家ゴッホがどうだということではなく、西洋型の市民社会でイスラム教徒過激派がテロ活動を行ったということだ。当然、これは言論の自由に対する挑戦でもある。はずなのだが、どうも日本ではそう受け止められていないような印象を受ける。なぜなのだろう。
 もちろん私も日本人庶民としてそうしたリアクションの無さ、危機感の無さに共感できないわけではない。単純な話、まるで他人事というか、日本と関係ない外信ベタ記事のように受け取る心性もある。曰く「日本人はイスラム教徒になにも悪いことしてないのだから、殺されないでしょう。日本は西洋とは違って、イスラム教徒にも寛容ですよ」、とそんな心情だろうか。もちろん、そう言葉にすると赤面するほど稚拙だが、そんなものではないのか。
 現実はどうかというと日本はまったくこの手のテロに無縁ではない。1991年7月12日、筑波大学構内人文社会学系A棟七階エレベーター前踊り場で同大の五十嵐一比較文化学系助教授が暗殺されている。五十嵐教授は反イスラム的とされる小説「悪魔の詩」の日本語版訳者として、当時イランのイスラム教徒の一派から死刑に当たるとされていた。殺害方法は残虐なものだった。テロリストは、まず五十嵐教授の正面から腹部を突き抵抗力を弱め、それから二、三回にわたって左首から切り込んだ。首をほぼ半分まで切断した状態で犯行は終わった。切断はされなかったようだ。
 この事件は迷宮入りしている。そして10年以上の時が経ち、日本社会は忘れたことにしているかのように思える。というか、社会無意識的にそうした問題を無視したいようにすら見える。それがゴッホ映画監督の殺害についても同様に働いているように見える。うがちすぎだろうか。
 事件は西洋社会への挑戦とも見えるが、オランダ国内では、即座に別の次元の問題に結びついた。オランダ社会のなかに高まるイスラム教徒移民への憎悪である。この点、日本語版CNN"イスラム批判の映画監督が殺害される オランダ "(参照)では初報で少し配慮している。

バルケネンデ首相は「犯行の動機などはまだ不明」として、国民に平静を呼び掛ける声明を出した。オランダでは、右派政党を中心にがイスラム系移民排斥の動きが高まり、社会問題となっている。

 実はこの事件はまさにその方向で問題が深刻化してきている。むしろその後の余波のほうが深刻な問題なのだが、これも日本ではあまり報道はない。時事でベタ記事のように"イスラム系小学校で爆発=映画監督殺害の報復か-オランダ"(参照)がある。

オランダからの報道によると、同国南部エインドホーベンにあるイスラム教系の小学校校舎の玄関で8日午前、仕掛けられた爆弾が爆発した。


 オランダでは2日、イスラム教を批判した映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム過激派に射殺される事件が起きており、警察は今回の爆発が殺害事件への報復の可能性があるとみて調べている。

 8日の時点では「報復か?」でもいいが、その後の動向からすでに国際的には報復とみなされている。英語のニュースでは"tit-for-tat(やられたらやりかえせ)"がすでにキーワードになりつつある。
 この問題がベタ記事の範囲を超えていることは、フィナンシャルタイムズが社説"Upholding Dutch tolerant tradition"(参照)で取り上げたことでもわかるだろう。

The Netherlands is facing an existential crisis in the wake of the murder of Theo van Gogh last week by an Islamic extremist and subsequent revenge attacks. For the very notion of "Dutchness" has, down the centuries, been based on social and political tolerance in an open society. And this tradition now appears strained to breaking point by Muslim immigration and the Dutch reaction to it.
【試訳】
オランダは、テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム教徒過激派によって暗殺されたこと、加えてその報復合戦によって、国の存立の危機に直面している。オランダ的であるということは、数世紀にわたって、開かれた社会としての社会的にかつ政治的に寛容であることを意味していた。その良き伝統が今や、イスラム教徒移民とオランダ国民の反感によって、破綻に近づいているようにも見える。

 フィナンシャルタイムズが"Dutchness"、つまり、オランダモデルと言い換えてもいいだろうという点に焦点を当てているのは重要だ。というのも、日本を含め、これからの先進諸国が歩むべきモデルケースがオランダで進行していたからだ。
 それが今、破綻しかけている。日本の未来のモデルが破綻しかけているのだよと言えば言い過ぎなのだろう。

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