« 2004年10月10日 - 2004年10月16日 | トップページ | 2004年10月24日 - 2004年10月30日 »

2004.10.23

コーヒーは心臓に悪いらしい

 またコーヒーと健康の話。今回はコーヒーが心臓に悪いよということ。マジ? ま、そういう可能性は高そうだ。ネタ元は"American Journal of Clinical Nutrition"という健康研究誌。みのさんじゃない。
 話は、"Associations between coffee consumption and inflammatory markers in healthy persons(健康な人の炎症マーカーとコーヒー消費量の関係)"。概要はこれだ(参照)。で、結論はこういうこと。


Conclusions: A relation exists between moderate-to-high coffee consumption and increased inflammation process. This relation could explain, in part, the effect of increased coffee intake on the cardiovascular system.
【試訳】
結論:適量のコーヒー消費と炎症過程には相関がある。この相関は、部分的ではあるが、コーヒー摂取量増加が心臓血管系に影響をもたらすことを説明しうる。

 ロイターだともうちょっとわかりやすい。"Coffee Tied to Inflammation, Perhaps Heart Disease(コーヒーは炎症に関係がある、たぶん、心臓病にだね)"(参照)がその記事。同種のCBSだと"Coffee Tied To Heart Risks(コーヒーは心疾患リスクを高める)"(参照)。
 この調査は3千人を対象に問診したものだ。心疾患に関係する炎症マーカーは、コーヒーをまったく飲まない人に比べて、飲む人は一日一杯のコーヒーでも影響を受けることがわかった。より具体的には、コーヒー二杯以上がよくないようだ。この影響は性別とか喫煙とは独立したものらしい。
 コーヒーのなにがよくないかというと、やっぱしカフェインらしい。とすると、コーヒーだから悪いというものでもない。影響がでるのは一杯を28mgとすると二杯は56mg。この量は、健康ドリンクとかに含まれている量50mgにも近いから、あれも心臓によくないかもねである。
 さて、このネタをどれだけマジに受け止めるか?
 もちろん、この調査でコーヒーは心臓によくないと決まったわけではない。この手の研究はけっこう覆ることがある。
 でも、心臓に不安のある人は、コーヒーは避けておくのが無難かもねとは言えそうだ。
 余談としてだが、ちょっと専門的に見ると、詳細はこう。

Compared with coffee nondrinkers, men who consumed >200 mL coffee/d had 50% higher interleukin 6 (IL-6), 30% higher C-reactive protein (CRP), 12% higher serum amyloid-A (SAA), and 28% higher tumor necrosis factor (TNF-α) concentrations and 3% higher white blood cell (WBC) counts (all: P < 0.05).

 IL-6とTNF-αの増加が目立つので、今回の結論とはなったのだろうが、CRPも高めるので**(伏せ字)のリスクも高まるのではないかと思う。っていうか、そういう研究も次には出てきそうな気はする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.10.22

リベリアの武装解除と暴れる学生たち

 VOA(Voice of America)にあるアフリカのニュースを見ていると、"UN: 95,000 Liberian Fighters Disarm(国連:9万5千人のリベリア人兵士が武装解除)"(参照)というのがあった。あらためて言うまでもないが、14年にもわたったリベリア内戦が終結し、昨年、イラク同様、ガーナで開かれた協議で各派を取り込んだ暫定政権が樹立し、選挙実施までの二年間の統治を行うことになっていた。今回の武装解除もこの10月31日までに行うと期限を切ったもので、取りあえずは順調な推移となっている。ジャック・ポール・クラレン国連リベリア問題特別代表も、武装解除プロセスは概ね終了したと発表した。もちろん、完了とは言い難い。
 リベリア内戦についてはあまり深く立ち入らないが、1989年、当時のサミュエル・ドウ政権にチャールズ・テーラー率いる国民愛国戦線が武装蜂起したことから始まった。昨年テーラーがナイジェリアに亡命したことで一旦終止符が打たれた。この内戦による死者は15万人以上と見られている。経過は「はてな」のキーワード「リベリア」(参照)がなぜか詳しい。
 VOAの記事中、ちょっと気になることがあった。


The top U.N. envoy to Liberia, Jacques Paul Klein, told the U.N. News Service that 10,000 of those who have turned in their weapons are children.
【試訳】
ジャック・ポール・クラレン国連リベリア問題特別代表が国連ニュース・サービスで語ったところによると、この武装解除者の一万人は子供だったとのことだ。

 この件の補足は記事にはないが、なぜ子供がと問うまでもなく、リベリア内戦は少年民兵が際だつ陰惨な戦闘だった。ネットでは「黒柳徹子のリベリア報告」(参照)や、「リベリア少年兵の悲劇」(参照)といった記事が詳しい。読売新聞(2003.12.24)「リベリア 独裁者亡命後の混乱」にはこうある。

 支援団による武装解除は、旧政府軍兵士、テーラー派民兵、二つの旧反政府武装勢力の計四万人を対象とする。武器を差し出した兵士、民兵は職業訓練を受けた上で、社会復帰支援金として三百ドル(約三万二千円)を手にする。
 初日には予想を上回る約千四百人が武器を置いた。AK47自動小銃を差し出した旧政府軍兵士のアレックス・ティエーさん(26)は「もう戦う理由はない。戦争は終わったんだから」と話した。「大学で貿易を勉強したくてここへ来たんだ」と将来に目を向ける。
 だが、少年兵を中心とした民兵は、そもそも社会復帰をする気はなく、現金が目的だった。武器を差し出してもその場では現金がもらえないことを知ると、数百人が武装解除を拒否。市内に帰ると住民への略奪を再開し、暴徒化した。郊外へと向かう幹線道路は、ぼろぼろのTシャツ、ジーパン姿の少年兵が、目を血走らせて歩き回り、外国報道陣にも銃口を向け、空に向け発砲を繰り返した。

 その後の状況はどうだろうかと少しネットを見回すと、最近のニュースとしてBBC"UN confronts angry Liberia pupils"(参照)があった。引用は控えるが、ここでは少年兵でないが、暴徒と化した学生の状況が語られている。他にも"UN peacekeepers disperse Liberian school protest"(参照)といったニュースが伝えられている。
 少年民兵と暴れる学生とのつながりはないのかもしれないし、ちょっとした小競り合いということなのかもしれない。
 日本ではあちこちで「平和の尊さ」が語られているが、平然と人を殺し続けてきた少年民兵にどのように平和を語ったらいいのか、私にはわからないなと思う。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2004.10.21

農業に求められる生物多様性は文化をも守る

 先週の土曜日、10月16日は世界食糧デーだった。今年のテーマは「食糧安全保障のための生物多様性(Biodiversity for Food Security)」。FAO(国連食糧農業機関)の"World Food Day 2004"(参照)は、生物多様性を維持することが人類の食を守ることになると主張している。


A rich variety of cultivated plants and domesticated animals are the foundation for agricultural biodiversity. Yet people depend on just 14 mammal and bird species for 90 percent of their food supply from animals. And just four species - wheat, maize, rice and potato - provide half of our energy from plants.
【試訳】
農作物と家畜が十分に多種類存在していることが農業における多様性の基礎となる。なのに、現在の人類は、その90%の食用畜産・家禽を14種類に限定している。また私たちは、カロリーの半分を得ているもとを、たった四種類の植物、小麦、モロコシ、米、ジャガイモに限定している。

 現在この地球では、いまだに飢餓が深刻な問題となっている地域が多い。農業と食の関係はグローバルに見直す必要はある。特に、世界の多様な地域では、その土地とその民族に見合った多様な農業や畜産が維持される必要もあるだろう。単純な話としては、農業に関わった人間なら誰でも知っているが、同じ作物だけ育てていると、耕地は疲弊してしまうものだ。あの繁茂するセイタカアワダチソウですら、自家毒で繁殖の限界が出るらしい。
 多様な農耕を推進することで、各種の生物の環境にも多様性が維持できる。特定の植物だけでは昆虫などの生息のバランスが壊れてしまう。農業・畜産業以外の全体的な環境のためにも生物多様性は重要だ。
 ただ私は、率直に言うと、こうした主張とは多少違った考えも持っている。というのは、1957年生まれの私は、品種改良された作物の種類と計画的な農耕方法を世界規模で進めることで多くの飢餓を救った「緑の革命」を見てきた。このおかげで途上国では人口が増加したケースもある。伝統的な農業の復権が単純によいとも思えない。だから、食糧安全保障のための生物多様性の希求が、捕鯨禁止運動のように、宗教的とも言える環境保護になってしまうような傾向があれば困る。また、福岡正信の著作に見られる自然農法も興味深いとは思うがどう評価していいのかはよくわからない。
 FAOの主張には含まれていないが、私は、生物多様性は伝統文化との関係面でも重要だろうと思う。
 例えば、先日、極東ブログ「白露に彼岸花」(参照)で彼岸花の球根の毒性のことに触れた。毒があるとわかっていながら、私たちの祖先はその毒を水で晒し、澱粉を選り分けて食料としていた。このエントリでは、その労が美味しいものを食べたいからなんじゃないかと気楽なことを書いた。が、そんな呑気な話だけではあるまい。重要な食料だったのだろう。
 同エントリでは沖縄のソテツについても触れた。ソテツにも毒があるが、沖縄の人はその毒を抜いて食用にする。そういえば、沖縄の「きーうむ」にも毒がある(そうでない種類もあるらしいが)。「きーうむ」という言葉は、たぶん、木の幹のように見える芋ということで、「木芋(きいも)」に由来するのだろう。本土人からするとキャッサバ、あるいはタピオカと言われたほうがわかりやすい。世界の各地で沖縄同様、主要な食糧とされている。
cover
てぃーあんだ
 きーうむを水で晒して毒抜きしてできた白い澱粉を沖縄では「きーうむくじ」と言う。琉球の伝統料理のデザートにはこれを使った西国米(しーくーびー)がある。「てぃーあんだ 山本彩香の琉球料理」(参照)に詳しい。
 きーうむくじという名称は、サツマイモ、つまり本来なら琉球芋から取る「うむくじ(芋葛)」の連想もあるだろう。このサツマイモだが、野国総管から儀間真常に伝え、これを薩摩が真似して本土ではサツマイモと呼ばれるようになった。
 もちろん、「いもくじ」の食文化がすべて沖縄経由で本土に伝承されたとは言えない。本土でも彼岸花と限らず、類似の製法による蕨粉などが伝統的に利用されていた。もとの葛自体がこの製法による。「いもくじ」の原型は本土から沖縄に伝えられた可能性もある。他にも沖縄ではぶくぶく茶といって泡立てた茶があるが、これらは室町時代に本土で飲まれていたものが琉球に伝えられたものだ。
 話は食の多様性ということから少し逸れるのだが、農業・畜産の現場と伝統文化というのが、現代の人間には伝わりづらくなっているなとよく思うようになった。
 先日、小学生数名を引率し、昼飯に蕎麦屋で蕎麦を食わせたのだが、注文した蕎麦が出てくるまで間がありそうなので、蕎麦と麦の民話を話した。ご存じだろうか。こういう話だ。
 ある冬の川辺で老人が川を渡ろうと難儀しているのを蕎麦と麦が見ていた。蕎麦は可哀想にと思って老人を背負って冷たい川を渡した。蕎麦の足は凍えて真っ赤になってしまった。この間、麦は素知らぬふりをしていた。老人は実は神様だった。神様は足を赤くした蕎麦に「二度と寒い思いをすることはない」と祝福したが、麦には怒りを覚え「おまえのようなやつは冬に人に踏まれて育つがよい」と呪いをかけた…。
 もちろん、こんな話、子供たちにはまるでわからない。蕎麦と小麦が擬人化されているのもわからないし、気まぐれに呪いをかける神様というのも理解できない。なによりこの物語が何を意図しているのかまるでわからないのだろう。私はこの話より、その解説がしたかったのだが、頼んでいた蕎麦がすぐに出てきたので、解説をする機会を逸した。
 食を守ることは民族の歴史の心を伝えることでもある。この民話は蕎麦と麦についての生活文化がにじみ出ている。蕎麦はごちそうという含みもあるのだろう。こうした生活の実感が単純化された農業と食の工業的製造からは失われてまうだろうし、そうした損失は私たちの伝統文化の情感を失うことでもあるのだろう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.10.20

ミャンマーの政変、複雑な印象とちょっと気になること

 昨日ミャンマーの政変が報道された。クーデターと言ってもいいようだ。キン・ニュン首相は軍によって拘束された。隣国タイの首相府報道官は、駐ミャンマー大使からの報告として、キン・ニュン首相は汚職容疑で解任され自宅軟禁に置かれていると発表。ミャンマー国営テレビは代わってソーウィン第1書記の首相昇格を発表した。
 キン・ニュン首相はミャンマー軍政内の序列三位にあり、軍主導ではあっても民主化にも理解を示す穏健派と見られていた。スー・チー氏とも対話し、国際社会との窓口役も務めていた。しかし、その成果を軍政トップのタン・シュエ議長を好ましく思っておらず、タン・シュエ議長はキン・ニュン首相を冷遇しているとの情報がすでにタイ経由で報道されていた。今回の政変はさらにそれを推し進めものなのだろう。
 私の憶測なのだが、タン・シュエ議長は、外国勢力であるタイが序列四位のトゥラ・シュエ・マン大将を擁立してその地位を奪うと恐れ、事前に今回の行動に出たということはないのか。今回の政変報道がなにかとタイ発なのも気になる。
 政変については、マウン・エイ副議長と間の反目も原因とも言われている。シャン州の中国国境近くで先月マウン・エイ側の陸軍部隊とキン・ニュン首相側の情報局員との間で銃撃戦があり、情報局員が多数逮捕された。この波及で、情報局出身のウィン・アウン外相が更迭されている。キン・ニュン首相の「汚職容疑」には利権の裏があるのかもしれない。
 キン・ニュン首相が更迭されると、ミャンマー民主化の行程表(ロードマップ)も、言い方は悪いのだが、予想通り行き詰まることになる。新憲法の起草、国民投票、民主選挙実施、民政移管といった一連の手順がふいになった。ノーベル平和賞受賞スー・チー氏の民主化運動も頓挫したかに見えることになるので、欧米側からミャンマーへの圧力はいっそう強くなることだろう。
 さて、と言うまでもなく、今回の事態について軍政タン・シュエ議長は当然責められるべきだろう。だが、私は正直に言うと、どうもそうすっきりしないなという思いもある。感情的な些細な問題に過ぎないのかもしれないが、今回の政変について、欧米のニュースを当たっていくうちに、イギリスBBCが頑なに国名を「ミャンマー」ではなく「ビルマ」としているのに奇妙な感じがした。
 ネットの世界を覗くとわかるが、イギリス系の民主化運動では国名を「ミャンマー」ではなく「ビルマ」を使っている。これは、日本がネーデルラント王国をその一部の呼称オランダとして伝統的に使っているのとはわけが違う。イギリスは、「ミャンマー」の国名を頭から否定しているからだ。「ビルマ」呼称には民主化への期待も込められているが、植民地として押し付けた国名の維持という面もある。国名についてはいろいろな見解があるが、現軍政権が押し付けられたビルマ呼称を嫌ったというのが大筋だろう。また、ミャンマーには「ビルマ」という伝統的な言葉は存在しないようだ。
 もう一つすっきりしないのは、ミャンマー軍政は一義的に悪なのだろうかという疑念がある。これもはっきりと言えるものではないが、たとえば、こういう話がある。「ビルマ『経済開放と民主化の狭間で』」(参照)。


 世論に逆行する日本大使館員の意見に、こんな心情を語っていた人を思い出した。竹内輝さん(39)。 ヤンゴン日本人学校の教諭として、九〇年四月から三年間も現地に暮らした数少ない日本人である。
 「赴任する前は、『軍政イコール悪』で『スーチーさん軟禁=民主化が拒まれている』と、思っていました。 でも、二年、三年と住んでみて、一概にそうした図式で割り切れるものだろうか、という疑問が沸いてきたんです」。


ビルマは陸続きに五国と接し、その国境沿いに多くの少数民族を抱える。 「この国を纏めてゆけるだけの集団が、軍以外に今のビルマにあるんでしょうか」。 確かに、この国からは夥しい数の頭脳が流出してしまっている。「『暴動(ママ)』を起こした民衆の大半は、 軍さえ去って民主政府になれば、自分たちの生活も一挙に良くなるというような、無責任な幻想を抱いていたんじゃないですか」。

 もちろん、そうした特定の印象から軍政権を擁護できるものではない。しかし、庶民の生活や軍独裁には複雑な陰影があるように思える。
 ミャンマーの歴史も示唆的だ。少し長くなるが、この経過を見る上で、Wikipediaの該当項目を引用したい(参照)。なお、ここでは、民族呼称としてビルマ人、また、この地域名はミャンマーとされている。それでいいのかについては議論もあるが、通説でもあるのでそこには立ち入らない。ただ、私は、歴史文脈でのビルマ人はビルマ族と仮に呼ぶことにしたい。

ミャンマー南部の地は古くからモン族が住み都市国家を形成して海上交易も行っていた。北部では7世紀にピュー人が驃国を建国したが、9世紀に南詔に滅ぼされ、南詔支配下にあったチベット・ビルマ語系のビルマ人がミャンマーに侵入してパガン王朝を樹立した。パガン王朝は13世紀にモンゴルの侵攻を受けて滅び、ミャンマー東北部に住むタイ系のシャン族が強盛になったが、やがてビルマ人のよるタウングー王朝が建国され、一時はアユタヤ王朝やランナー王国、雲南辺境のタイ族小邦を支配した。17世紀にタウングー王朝は衰亡し、南部のモン族が強盛となるが、18世紀中葉アラウンパヤー王が出てビルマを再統一した。これがコンバウン王朝である。

 重要な点が二つある。
 一つは、ミャンマーという民族主義的な国家の主体がビルマ族によって形成されたことだ。ビルマ族のパガン王朝が13世紀にモンゴルの侵攻で滅ぶという過程はユーラシア大陸全域に見られる。が、このビルマ民族的なナショナルな国家運動は、継続してタウングー王朝、コンバウン王朝となる。民族の意識の高まりが強い。近代までにビルマ族を主体とする民族国家が歴史的に形成されていたと言ってもいいだろう。
 もう一つは、モン族など諸部族との軋轢を歴史過程なかでナショナルな国家に十分に統合していないように見えることだ。とはいえ、モン族について言えば、コンバウン王朝下でビルマ族との混血は進み、言語もその多数は固有のモン語から離れていた。現状では、モン族はミャンマー人口の2%ほどの少数民族になっている。
 ビルマ族のコンバウン王朝が近代に民族主義的な国家への萌芽を見せ始めたころ、植民地化によって破壊しつくしたのがイギリスである。コンバウン王朝は独立をかけて三次にわたる英緬戦争を繰り広げたが、1886年に破れ、英領インドに編入された。さらに1937年イギリスの自治領となった。かくして同種のイギリス植民地のように、ミャンマーも実際の経済、つまり軍事以外の実質的な権力を印僑と華僑が握ることになる。
 第二次世界大戦後、植民地化脱出の契機とともに他族との争いが前面に出てくる。この点については、先のモン族を例にすると、モン族支援的な立場で書かれたとみられる「モン族の歴史3 タイ・ビルマ国境からの報告」(参照)が興味深い。
 1962年から1988年までは、ネ・ウィン将軍の軍事政権が続いた。ネ・ウィンは鎖国政策をとるのだが、好意的に見るなら、イギリスによって注入された要素を排除し、植民地化と異民族支配によって中断された民族主義的な国家の完成を目指していた。そしてある意味では、ネ・ウィンを継いだ現在の最高権力者タン・シュエの意図もその途上にあるとも言えるだろう。
 その民族主義的な国家の形成は、その後、軍政自らが結果的に招いた欧米の制裁のよる鎖国的状況から困窮を招き、もはや国内は強権によってしかつなぎ止められないいびつなものに変形してしまった。
 別の言い方をするとベトナムのように社会主義であれ民族主義的な国家でれば、その民族国家的な基盤を形成し、その上に経済的な発展があれば、民主化はその段階の上に位置づけやすい。そういえば、ミャンマーは石油会社ユノカルとの間で奴隷労働による人権侵害を訴えられていたが、これもユノカル側としては経済振興的な意図があったと言えないわけでもない(参照)。
 ユノカルの連想のようだが、今回の政変で石油関連で気になることがある。中国は今回更迭されたキン・ニュン首相との間で、ミャンマーと中国雲南省を結ぶ中国の石油パイプライン建設の構想を持っていた。これは、中国の国策、利権、またこの地域の地政学的に、かなり重要な意味を持っている(参照)。現在、中国はミャンマーの軍政権に多量の武器輸出をしているのだが、これもパイプライン計画の布石の可能性もある。あまり陰謀論的に考えたくはないのだが、その行方と中国の動向も注視しておきたい。

| | コメント (3) | トラックバック (4)

2004.10.19

ロシアのスキンヘッドはマジ恐いよ

 15日のモスクワタイムスに"Asian Student Stabbed to Death(アジア人学生が刺殺される)"(参照)というニュースがあった。私もアジア人なので、なぜアジア人が殺されるのか?と思って読み進めた。サンクトペテルブルグでの事件だ。ぞっとした。


Vu An Tuan, a 20-year-old first-year student at St. Petersburg Polytechnic University, was walking to the metro after attending a friend's birthday party at the Pavlov Medical Institute dormitory when he was attacked at about 10 p.m., police said Thursday, citing witnesses.

The witnesses said there were about 18 attackers and that they had shaven heads and black clothes and boots.
【試訳】
サンクトペテルブルグ技術専門大学一年生ヴー・アンチュアン(ヴェトナム人・20歳)が刺殺されたのは、目撃者情報を元にした警察発表によれば、木曜日夜10時頃、パブロフ医学研究所寮の友人の誕生日パーティの帰り地下鉄へ向けて歩いている時のことだった。目撃者によれば、18人の暴漢がいたが、彼らはスキンヘッドで黒服を身につけ黒靴を履いていた。


 あれかなと想い浮かぶものがある。2002年6月9日のサッカー・ワールドカップ、日本―ロシア戦で、日本の勝利の後、ロシアで大暴動が起きたが、これにスキンヘッドたちが関わっていたはずだ。当時の記事はと探すと、産経「ロシア 恐怖に震えた 騒乱一夜明け…」(参照)にあった。

モスクワ市内での騒乱は、一九九一年夏に三人の若者が死んだ守旧派によるクーデター未遂事件、九三年秋の当時の保守派の牙城だった最高会議砲撃事件以来だ。しかし、モスクワの真ん中、クレムリン隣のマネジ(調馬場)広場一帯が、放火された数台の車から噴き上がる黒煙に包まれ、百人近くが流血でのたうち回る事態は、帝政ロシア時代からの歴史でも初めてのことである。


 ロシア政府のボーリン官房副長官は、「今回の暴動はスポーツにも本当のサッカーファンにも何の関係もない。数百万というファンへの侮辱だ」と述べた。事実、広場にはネオナチやスキンヘッド組織のスローガンを絶叫する「精神遺産運動」など、極右・過激主義者の姿が多数見られた。別の政府筋は「プーチン政権への国民の信頼失墜を狙った輩(やから)が、法案など何の効果もないことを実力で誇示するために挑発グループを使ったのだ」などと反論している。

 ネオナチの若者たちが、ロシアにまだいたのか。まいったなと思って、しばしネットを探すと、あるある大事件…。アムネスティによる「ロシア連邦:人種的非寛容は撲滅しなくてはならない」(参照)は、昨年のアナウンスだ。

2002年7月のある夕方、スキンヘッドのロシア人の男性10人ほどが人種主義的な暴言を吐きながら、モスクワのとある公園でピクニックをしていたアフリカ系の学生や難民、庇護希望者らを襲撃した。付近の警察は、当初、彼らを助けに来ようとはしなかった。30分後に警察が到着した時には、暴力をふるったとされる一群は2人を残し、すでにその場にいなかった。ある警官は、ピクニックをしていた人たちが最初にけんかをふっかけたといいがかりをつけ、目撃証言を無視した。

 外務省の海外安全ホームページには、「サンクトペテルブルグ(ロシア):スキンヘッドと思われるグループによる外国人留学生襲撃事件の発生」(参照)がある。幸い、この情報は、「本情報は2004/02に失効しました。」とあるから、もう大丈夫…な、わけない。
 モスクワタイムスの記事に戻ると、こいつらひどすぎる。

A 9-year-old Tajik girl was brutally stabbed to death in front of her father and young cousin in February.
【試訳】
9歳のタジク人の少女は金曜日に父と従兄弟の目前で刺殺された。


Last year, a group of young men killed a 6-year-old girl and seriously injured a 5-year-old girl and 18-month-old baby in an attack on a Gypsy camp south of the city. Seven suspects went on trial for the attack Monday.
【試訳】
グループは、昨年、市南部のロマ・キャンプで6歳の少女を殺し、5歳の少女と18か月の赤ん坊に危害を加えた。月曜日にこの襲撃容疑者の裁判があった。

 東欧でも右傾系が進んでいる。日本でも「右傾化」ということが政治的な話題になることがあるが、こんなひどい事件は起きてはいない。こうした問題はたんなる政治的な趣味ではなく、もっと別の視野から見るべき問題ではないだろうか。
 日本人はなんとなく国際ニュースでテロの危険ということに関心を向けているようだが、身に迫る危険はテロだけではないと思う。現状、日本人などアジア人、有色人種が被害に会う地域とその危害を加えるグループは限られている。日本人はまだ身を守ることができるが、世界にはそれが難しい人々もいる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.10.18

パラサイト・シングルの不良債権化現象

 先日「パラサイト社会のゆくえ ちくま新書」(山田昌弘)(参照)を読んだ。ベストセラー「パラサイト・シングルの時代 ちくま新書」(参照)の続編として位置づけられているのだが、雑誌掲載のエッセイをまとめたものらしく、読みやすく興味深いものの、当の問題への求心性に欠くために書籍としては雑駁な印象を受ける。ここでも書評としてエントリするより、雑駁な話題の一つとして「パラサイト・シングルの不良債権化現象」について、軽く触れてみたい。

cover
パラサイト社会
のゆくえ
 「パラサイト・シングルの不良債権化」現象というは面白すぎるネーミングだ。もちろん比喩である。事態は、親元暮らしのパラサイト(寄生)の未婚者が、結婚できないままの状態を不良債権に模したものだ。ちょっと長いが本文の説明を引用しよう。

親と同居して、「いつか結婚できるはず」と将来設計を先延ばしにしているうちに、年を重ね、三十代、四十代に突入する。自分が二十代には五十代だった父親も引退して年金生活に入り、家事をしていた母親も弱り始める。経済的にも、家事に関しても、徐々に、逆に親を支えなければならない立場に移行する。


 私が『パラサイト・シングルの時代』で指摘したように、一生結婚しないことを前提に親と同居生活を選択し、将来の生活設計をして行動している未婚者は問題ない。「いつか結婚できるはず」、「結婚すれば問題が解決する」と考え、準備をしないまま未婚中年になてしまう状況を問題視したいのだ。この状況は、いつか土地や株が上がれば問題は解決すると考え改革を先送りにし、不良債権を抱えて経営危機に陥る企業にそっくりだというのが、私が「パラサイト・シングルの不良債権化」という言葉で表したい状況なのである。

cover
パラサイト・
シングルの時代
 そして、同書によれば、かつてはリッチなパラサイト・シングルもいまや老人となる親の介護や不況につれて経済的な困窮からパラサイトを続けているという状況なのだという。
 そうかもしれないとも思うし、そう言われてもねというふうに思う人も多いだろうと思う。どだい、一生結婚しないことを前提にしている未婚者は少ないのが当然だろうから、それなら未婚で人生設計するなら問題ないと責められても困る。
cover
結婚の条件
 こうした問題について、著者山田は、この文脈では個人のライフプランのように見なしている。だが、社会学的には結婚というのは個人の選択の問題というより、単に世情の問題にすぎないだろう。社会現象というだけのことだ。かつて適齢期で結婚していた人が多かったのも、ただそういう世情だったからに過ぎない。そして、かつて世情のままに結婚した人たちの人生がその後幸せだったかというと、それは結婚とはまた別の問題だろう。むしろ、パラサイト・シングルは、小倉千加子「結婚の条件」にあるように、子供の未婚状態を支えているのが実は親の希望であるということからわかるように、親の結婚観の反映もあるのだろう。
 繰り返すが、世情は単に世情である。逆らって個人を打ち出すこともない。これからの日本はむしろ、パラサイトのまま家の財産を継いで老人介護する未婚者の層を社会を構成する重要な要素と見なしていけばいい。社会の課題としては、そこにどう社会的な連帯を発生させるかということのほうが問われるべきだ。
 むしろ、結果的に生じる少子化と、そうした厳選された子供への教育のための資産投下によって社会が階層分化することのほうが重要になってくる。この点について、「パラサイト社会のゆくえ」では「パラサイト親子の背後に祖父母あり」という章でこの関連問題が触れられているものの、階層分化については言及はない。
 話が散漫になるが、先日、私は東京から大阪まで新幹線で過ぎていく風景をぼんやり見ていながら、地方都市の近郊ほど一戸建てが多いなとなんとなく思っていた。日頃私が大型マンションに見慣れているからかもしれない。こうした地方の一戸建てに、それぞれパラサイト・シングルもいるのかもしれないが、率直に言えば、都市生活から隔離された地域の一戸建てに若い人が暮らしていても面白くもないだろう。
 とすれば、ひどい言い方だが、現状の日本の惰性のまま、こうした地方都市がどんどんだめになっていけば、若者は餌に惹かれるように都市に出てくるだろうし、都市のなかで連帯を模索するようになるのかもしれない。そうしたなかで、定常的な性関係を基礎とするかつての家族の維持は昔のようにはいかないだろう。が、モデルを変えていけばいいのではないか。フリーターが二人でなんとか一人前だが子供もいます、といった感じの人々の生活を都市が許容できるようにすればいいのではないだろうか。
 というか、家とパラサイトの問題というのは、大都市郊外の中産階級地域の崩壊の途中過程なのではないかと思う。それはもっと壊れてしまったほうが、新しいなにかが現れてくるだろうし、その壊滅から新しい都市のあり方を期待するのもそう悪いものではないように思う。

| | コメント (24) | トラックバック (1)

2004.10.17

フリーペーパー雑感

 フリーペーパー(無料新聞)の部類に入るのか、あるいはフリーマガジンというジャンルになるのか、R25(参照)を地下鉄駅とかでチャンスがあればたまに拾う。あらためて配布所一覧を見たら、地下鉄駅だけではなく、関東一円に広がっているようだ。R25が面白いかといえば、私は面白いと思う。雑誌としても軽くて、ネタも文章の質もいい。それなりに成功したと言えるのではないか。
 内容的なノリとしてはブログみたいだなという印象もある。もちろん、編集が入っているからブログとはまるで違ったものとも言えるのだが、それでも、特定のブログのネタを継ぎ合わせて編集してもこんな感じのができるんじゃないか。というと逆にブログもフリーペーパー的なものになっていくのかもしれない。つまり、広告収入がある程度得られるほどのメディアに成長すれば、ブログで喰っていける人も出てくるんじゃないか。大手雑誌を見ても、特集という目玉に配慮するにせよ、実際は、連載エッセーで読者をつないでいる。
 しかし、既存の雑誌の業界あるいは既存の広告業界から見ると話は逆になる。雑誌というのは先に広告主ありきで、特定のマーケットに広告を打ちたい企業のニーズから生まれてくる。そのあたりは業界的にはごく常識。なので、広告が効率的にターゲットに行き渡ることを優先すると、フリーペーパーだとターゲットが絞れないし、かえってハズレにもなりかねない。
 おそらくやる気になればフリーペーパーなどどこでもできるだろうという気はする。現状はその兆候が本格化するかようす眺めもあって、R25が業界的に注目されているのだろう。そういえば、「競争優位を獲得する最新IT経営戦略」というすごい名前のサイトに"フリーペーパー「R25」に学ぶこと"(参照)という記事もあった。ま、考えることは誰も似ている。
 現状の雑誌の問題点は、その雑誌のマーケットの規模と、端的に言ってコンビニの流通の棚の確保なのだろう。雑誌は根が広告媒体だから、部数が捌けないとなるとやっていけない。それがダメなら潰れるというか潰す。同じ現象の裏側とも言えるのだが、現状、ある部数を出すにはコンビニ流通に依存しないといけないし、その流通に乗せるにはまたしても部数が必要になる。このあたりが雑誌のハードルだろう…とか知ったかぶりみたいに書いているのだが、最近、週刊文春が週刊新潮に比べて20円値上がりした意味とかはよくわからない。コンビニへのキックバックの関係だろうか。
 雑誌は宅配という手もある。マーケットが特化されていて規模が小さい場合はこれで行ける。というか、この配布方法も以前から使われている。業界誌系はこれだと言っていい。これが価格として高いような安いような価格帯である。月額にするとワンコイン500円から1000円くらい。宅配がより洗練されると配送費用も落とせるので、実質、コスト面では流通コストだけになるのかもしれない。
 そういえば現在の戸別に配達する日本の大手新聞も実際は広告媒体というのがその本質だ。紙面率でみると、広告が新聞紙面の半分になる。残り半分の半分、つまり全体の四分の一がニュースであり、このニュースは現在、もはや、ネットでほぼ足りている。残りが企画ものや、論説などとなる。この部分はブログを含めたネットである程度カバーできるか。できる、となると、それだけで新聞要らねーとなりそうだ。実際すでにそうなのかもしれない。
 フリーペーパーの海外の状況はというと、アメリカではけっこう盛んなようだが、どのように流通しているのかよくわからない。もともとアメリカでは、日本のような大手新聞というのはなく、基本的に新聞というのはローカルなものだ。
 韓国では地下鉄などで毎日各種のフリーペーパーが配布されていて、部数では旧来の新聞を抜いているらしい。ただ、これらは事実や各種情報を手短に記載したもので、論説的な内容や主張はあまり含まれていないと聞く。
 都市生活とフリーペーパーには流通の接点として強い関連があるのだろうと思うのだが、そうなると諸外国の都市部ではどうなのか。ふと洒落でfree daily newspapersに相当する"quotidiens gratuits"というフランス語をキーワードにgoogle調べてみると、検索結果のリストで、フランス語から英語の自動翻訳が選べるようになっている(余談だがこのサービスはけっこうすごい)。
 上位に"Les titres gratuits gagnent du terrain en regions"(参照)がひっかかり、その英訳を読んでみた。Metroというのが55.5万部、20 Minutesというのが75万部売れているらしい。けっこうな部数なので、既存の新聞にマイナスの影響はできないものかと思うが、それほどでもないらしい。自動翻訳を引用するとこうだ。


Do those cannibalisent the paying press? Mr. Bozo defends himself some: "According to Ipsos, two thirds of our readers did not read a daily newspaper . The daily press is on a slope of regression of its assistantship of 3 % to 4 % per annum. I think that the free press can have an impact of 3 % to 4 % additional."

 つまり、フリーペーパーの購読者の三分の二は既存の新聞を読んでいないというのだ。なるほど、新聞と棲み分けの状態なのだろう。
 日本の場合、既存新聞の代替となるようなフリーペーパーが出現するかわからないが、出るとしても、同様に、読者の棲み分けという現象は起きるようにも思う。というか、現状、新聞を読まない若い層は狙い目のニッチの可能性はあるのだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

« 2004年10月10日 - 2004年10月16日 | トップページ | 2004年10月24日 - 2004年10月30日 »