« 2004年9月5日 - 2004年9月11日 | トップページ | 2004年9月19日 - 2004年9月25日 »

2004.09.18

あなたは三日間コーヒー断ちができますか?

 これを書いているのは金曜日の午後。もうすぐ安息日が始まる。私はユダヤ教徒ではないので、電源のオンオフやエレベーターの昇降くらいはするが、先週同様「ニュース断ち」をしようと思っている(「健康のためのエントリー休刊日」)。ということはアコンージングリー「ブログ断ち」である。このエントリも書き上げたら、土曜日の朝に投稿するようにセットしておくことにしょう。
 さて、先週の初めての「ニュース断ち」をしたのだが、ある程度予想はついていたものの、けっこう来た。禁断症状で手が震えだした…ということはないが、精神がさまようさまよう。その間北朝鮮で核実験をしていたとしても、私などがどうすることもできないのに、気になる。東京にテポドンが飛んでくる気配はないのか、と気になる。考えてみれば命中すれば気に病むこともないのだが。
 「ニュース断ち」の禁断症状がきついかもな、と予想がついたのは以前、同じくワイル博士のお薦めで「コーヒー断ち」をやったときの経験からだ。「コーヒー断ち」とは、単純に三日間コーヒーを飲まないことだ。それだけ。だが、これが生涯忘れられないほどきつかった。
 私が「コーヒー断ち」をしたのはもう五年以上も前のことだ。その頃、ふと気が付くと毎日コーヒーを飲んでいる。それほど飲むわけでもない。せいぜい二杯程度。ただ、コーヒーには凝っていて、ベトナムのコーヒーのようにフレンチローストというのかダークローストが好み。豆もちょっとこだわってカナダから個人輸入していた。ローストまでは自分でしないもののグラインドは手でごりごりとする。エスプレッソ器もイタリア製を使う。と、いう感じのありがちなコーヒー好きの懲りようである。

cover
ワイル博士の
ナチュラル・
メディスン
 コーヒーに凝っているとはいえ、中毒ってことはあるまい。「コーヒー断ち」なんてたいしたことはあるまいと思っていた。違った。すごく違った。やばいほど鬱になった。医学的な意味での中毒症ではないのだろうが、自覚としては、自分はコーヒー中毒だぞと理解した。
 「ワイル博士のナチュラル・メディスン」では「コーヒー嗜癖」をこう説明している。

 そうとは知らずに無数の人に使われているが、コーヒーも強力な薬物である。すべてのカフェイン飲料の中でも、コーヒーはとくに強力で、からだへの刺激と嗜癖性がいちばん強い。わたしの推測では、コーヒー愛好者の八割は嗜癖者だと考えてもいい。その嗜癖は身体的なもので、急に摂取を中断すると明かな禁断反応を呈する。コーヒー嗜癖のおもな特徴は次の通りである。

  • この薬物を毎日使用する。とくに朝が多い。コーヒーを飲まないというという日がない。のむ量は重要ではない。わたしは一日一杯しかのまない真性の嗜癖者をたくさん知っている。
  • 排便の促進をコーヒーに依存している。
  • エネルギーのサイクルがコーヒーにコントロールされている。午前中が元気だが夕方には活気がなくなるというパターンが多い。
  • 二四時間~三六時間コーヒーをのまないと禁断反応がはじまる。反応は無気力になる、怒りっぽくなる、拍動症(血管性)の頭痛がひどくなるなどで、悪心や嘔吐が起こる場合もある。それらの症状は三六時間~七二時間つづく。なんらかのかたちでカフェインをとると、症状がすぐに消える。


 ワイル博士は医師だが、厳密にいうと医学的にはこうした知見は確立されていない。その意味で「コーヒー中毒」というのは比喩的な表現だとするのが常識的な判断である。まじで言うと「とんでも」である。
 ただ、そうは言っても、実際に「コーヒー断ち」をやってひどい鬱を経験をしてみると、これは実感としては、あるとしか思えない。「コーヒー断ち」は鬱を誘発するなど、ちょっと危険な面もあるので、あまり人には勧められない。
 それでも「コーヒー断ち」をやってみたい人には次のようにワイル博士は指針を出している。

コーヒー嗜癖はアルコール嗜癖やタバコ嗜癖にくらべれば克服しやすい。ただし、時間とエネルギーに余裕があり、何の拘束もない自由な三日間をつくって、そのときに摂取停止を試みること。コーヒーに意識が向かわないように、何か別の気晴らしや楽しみを用意しておくといい。四八時間~七二時間の脱力感・頭痛を覚悟しておくこと。その間は絶対にカフェインを摂取してはならない。

 私としては、あの地獄のような鬱を思うと、「絶対に」とは言えない。まして、これは医学的にも確立した嗜癖症状でもない。
 とはいえ、たぶん、かなりの人にこの地獄の三日を経験する意義はあると確信している。心身の不調が改善されることがあるからだ。

| | コメント (5) | トラックバック (8)

2004.09.17

[書評]サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか(新井佐和子)

 個人的になのだがこの夏はサハリンや沿海州の朝鮮人についていろいろ思うことがあり、その関連で「沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史」(参照)などを読んだ。この本については先日簡単な書評のようなものを書いたのだが(参照)、そのおり、コメント欄で強く勧められたのがこの「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年」(参照)だった。精読にはほど遠いが二度読み返した。この問題に結果的に人生の大部を費やした著者ならではの貴重な記録だということがわかる。確かに、この本は、サハリン問題についてまず最初に読まれるべき本だろう。本の概要がてらに帯分を引用する。


戦前、戦中、開拓民として、また戦時動員によってサハリン(樺太)に渡り、終戦後も同地にとどまらざるをえなかった韓国人を故郷に帰還させるべく、黙々と運動を続けた日韓夫妻がいた。昭和十八年末、樺太人造石油の労働者募集に応じて渡樺した朴魯学と、戦後朴と結婚した堀江和子である。昭和三十三年、幸運にも日本人妻とその家族の引揚げに加わることができた朴は、その後半生を同胞の帰還運動に捧げ、和子は献身的にこれを支えた。だが、昭和五十年、サハリン残留韓国人帰還のための裁判がはじまると、この問題はにわかに政治的色彩を帯びて、日本の戦争責任、戦後補償問題へと発展してゆき、夫妻の活動は忘れ去られていった。サハリン残留韓国人はなぜ祖国に帰れなかったのか。その責任は本当に日本にあるのか。だれがこれを政治的に利用しようとしたのか。夫妻の足跡をたどり、ことの真相を明らかにした労作。

cover
サハリンの韓国人は
なぜ帰れなかったのか
 私は当初、サハリン韓国人の帰還者問題に強い関心を持っていたわけでもなかったので、この問題にゼロのスタンスに近い。そのような人がこの本を読んだ場合、その豊富な情報がきちんと読み込めるものだろうか、と少し気になった。というのは、この本の主眼は、後半部に描かれる、朴魯学と彼と結婚した堀江和子のサハリン残留韓国人帰還運動の苦難の歴史にあるのだが、私のように、むしろその前史のほうに関心を持つ人もいるだろう。読み返して驚愕することはいくつもあった。が、なかでも、すでに先の書物で知ったことでもあるのだが、戦後サハリンの朝鮮人の区分については考えさせられた。少し長くなるが引用したい。

 戦後サハリンには朝鮮族に三つのグループがあった。
 ひとつのグループは、先住朝鮮人であった。戦前から入植していたり出稼ぎでやって来た者、戦時動員で来た労働者が含まれる。その出身地はほとんどが朝鮮半島の南であり、心情的にはのちの北朝鮮を忌避していることから、現在は自らを「韓国人」または「韓人」と称している。
 もうひとつのグループは戦後にやって来た「派遣労務者」である。朴の手記には彼らののことがつぎのように記されている。

 二十一年五月ごろだろうか、北韓[北朝鮮]からの派遣労務者が四千トン級の船で千名もやって来た。長いあいだ戦争に疲れた耐乏生活のためか、その服装は同じ同胞でありながら恥ずかしいぐらいみじめであった。他の先住民らはその憐れな同胞を接待してやった。その後何回となく船は着いた。労務者の数は約五万人。しかしこの人たちは私たちと思想がちがっていたせいか、常に双方のあいだは不和であったので、たびたび喧嘩が起きたのである。

 私は朴のこの記述を読み、戦後のサハリンには北朝鮮から派遣された労働者がいると知った。雑誌にこのことを書いたりもしたが、さしたる反響もなかった。しかし、平成七年(一九九五)三月二十八日、韓国の「連合通信」の報道によって、朴の手記にあるように、戦後まもなく派遣労働者がやってきたことが証明され「産経新聞」がこのニュースを伝えた。


 三つめのグループにソ連系朝鮮人がいる。ウズベキスタン、カザフスタンなどの中央アジアに移住していた朝鮮族のうち、共産党、軍人、ロシア語のできる者が、先住朝鮮人や派遣派遣労働者を管理し、思想教育をほどこすために派遣されてきたのである。エンゲーベーの市町村支部にはソ連系朝鮮人の役人がひとりずつ配属されていた。この中央アジアの朝鮮族とは、一九三七年(昭和十二年)、スターリンの強制移住政策によって、朝鮮の国境近くの沿海州から移住させられた人びとであった。現在約五十万人いるが、この人たちはいま、自らを高麗人と称している。

 引用を書き写しながらこの歴史にいまだ私は呆然とする。歴史に関心を持つものとしては、高麗人・ソ連系朝鮮人の実体や総数がさらに知りたいと思う。金日成こと金成柱(キム・ソンジュ)は平壌西方万景台に生まれ、後、中国に移り、吉林の学校に通った。その意味で、金成柱は高麗人ではないが、サハリンのソ連系朝鮮人に近い。金成柱はその後、ソ連領に移った。金正日こと「ユーリ・イルセノビッチ・キム」はハバロフスク近郊の軍事教練キャンプで生れたソ連人でもある。
 近世における朝鮮族の全貌と中ロの関わりがもう少し包括的に見えないものかと思う。あまり粗雑に書いてはいけいないが、先日のオセチア事件にも高麗人が関わっているとの情報もある。
 もう一点、私自身無知だったのだが、北送と北朝鮮籍についての関連だ。金石範の「国境を越えるもの 在日の文学と政治」でも考えさせれたのだが、依然、北朝鮮籍(朝鮮籍)についてよくわかっていなかった。しかし、「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」の「北朝鮮帰還事業」のくだりでわかった。ここも長いのだが、重要なので引用する。

 話は朴と和子の引揚げからしばらくたったころにもどるが、昭和三十四年(一九五九)、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業がはじまった。北朝鮮を支持する在日朝鮮人が、祖国への帰国を希望したのに応えて、日本赤十字社が中心となっておこなった事業で、総費用を日本政府が持ち、運営面では主として日本共産党と朝鮮総聯[在日本朝鮮人総聯合会。朝鮮民主主義人民共和国を支持する在日朝鮮人の団体。昭和二十年(一九四五)結成の在日朝鮮人連盟の継続団体である在日朝鮮統一民主戦線が発展的に解消し、昭和三十年(一九五五)に結成された]が協同であたった。
 共産国の生活からようやく逃れてきた朴ら引き揚げ者は、自分たちの考えとはまったく逆のことをしようとしているこの帰還事業にどれほど驚かされたかわからない。
 日本のなかでは北朝鮮が「地上の楽園」だとさかんに宣伝されていたが、それがまったくのウソであることは、サハリンにいた者ならよく知っていた。一九五〇年代の後半、朝鮮人民族学校の中学科を卒業した多くの子弟が、北朝鮮の宣伝を聞き、民族的向学心に燃えて帰国していった。だが宣伝と実情のあまりの格差に耐えかねて、サハリンにもどりたいと訴えたが聞き入れられず、脱走してきた子どもが途中で力尽きて死亡するという事例もあった。このとき北朝鮮に帰国した子どもたちの大半は消息不明のまま連絡が絶たれている。
 本当のことを知っている自分たちが声を大にしていわなければ、多くの在日同胞がまた同じ憂き目にあわされる。朴は昭和三十四年の二月十二日に数十名の引揚者仲間とともに外務省へ北朝鮮帰還事業反対の陳情にいき、国会周辺で反対の気勢をあげた。さらに代表十人が藤山愛一郎外相に会いにいって談判したが「人道的的立場からの送還」との答であった。もしこのとき日本政府が朴たちの声に耳を傾けていたら、「日本人妻」の悲劇は起きなかったかもしれない。
 結局、昭和三十四年から平成元年(一九九八)までのあいだい、日本人家族を含めて、およそ九万三千人が帰国したという。このうち日本人妻が千八百名、日本人夫とその子ども等が約五千人いた。合計六千八百余名が日本国籍所有者である。帰国といっても、もともと地理的に北朝鮮から来た人の多くは戦後の引揚げで帰国しているからこの九万三千人の大部分は南部[韓国]出身者である。

 先日「プリンス正男様、母の生まれた国へ、またいらっしゃい」(参照)で金正日の後妻高英姫(コ・ヨンヒ)について触れ、その父高泰文が済州島の生まれらしいという噂に言及したものの、済州島出身者がなぜ朝鮮籍(北朝鮮)なのかよくわからなかった。しかし、実態は北送(北朝鮮帰還事業)の人は南韓出身者であったのだ。多少は南韓出身者もいるだろうくらいに思っていた私はまったくの無知であった。
 なお、北送について朴は、彼の経験からか、北朝鮮の労働力不足を補うためのものだと推測していたようだ。
 サハリンの韓国人帰還の問題は、あまりに長い月日が経ち、すでに問題は、当初の様相とは異なっている。そのあたりも「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」はよく描いている。現在ではサハリン帰還という問題ではなくなっている。例えば、最近の朝鮮日報「サハリン同胞80名、16日故国訪問」(参照)で、サハリンに移住した韓国子孫80名が短期間だが母国を訪問をしているようすが伺える。記事では「日帝時代にサハリンに強制移住させられた韓国同胞たちの子孫」と記載されているが、それを直接批判するよりも歴史を知る者の眼で見守りたいと思う。
 同様に、関連するすべての物語はもう昔のことという感もあるが、そうでもないのかもしれない。余談めくが、昨日の朝日新聞系「北朝鮮帰還事業で新資料 政府や日赤の積極関与明らかに」(参照)を見て、少し気が重くなった。

 在日朝鮮人9万人余が北朝鮮に渡った帰還事業(59~84年)に先立ち、日本政府や有力政治家、日本赤十字が55年から赤十字国際委(本部・ジュネーブ)に積極的に働きかけていたことを示す秘密文書が、オーストラリア国立大学のテッサ・モーリス・スズキ教授(日本史)の調査で明らかになった。大量帰還をめざして日本の政治・行政が早い段階から主体的に関与していたことが、文書で裏付けられた。


 文書は、赤十字国際委が秘密扱いを解き今年公開した。帰還事業は一般に、58年の在日関係者の運動や北朝鮮政府の呼びかけなどで機運が高まり、それを受けて59年2月に日本政府が実施を閣議了解したと説明される。公開された文書は56年7月に国際委が帰還実現へのあっせんを提案する以前のもので、この時期に日本の政治・行政が積極的に行動したことを示す資料はほとんど知られていない。

 私はまだこの歴史事実について実態がわからないので言及できないが、印象としては、トホホである。
 そして、「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」の後書きで、新井佐和子はこう書いていることが痛感される。

 半世紀にわたる出来事を一冊の本にまとめるには、初稿を多く割愛したが、その中で最後までためらった部分がある。それは、執筆をはじめるにあたり、堀江和子さんに書いていただいた手記のうち、和子さんが最も訴えたかったこと、それは、ご主人の魯学さんが亡くなられたあと、社会党をバックにした一時帰国招請グループから受けた、口ではとうてい言い表せない侮辱とあからさまな妨害のかずかず、これがつもって韓国流でいえば大きな「恨」となり、彼女の胸中に十年近くしこっていたのだが、その具体的な一つの例を、私はこれが公に訴える最後の機会でもあるにもかかわらず、あえて載せることをしなかった。ずっと行動を共にしてきた私には、そのころの悔しさがいつまでも強くこみ上げてくる。だが一方ではこの「恨」をバネにしなければ、女ふたりがあのような仕事を出来るはずもなかったという思いもあるので、この際、胸に去来する個人的な思いはすべて呑みこんで、二人だけの老後の語りぐさにとっておこうと考えた。

 個人的にはその話を伺いたいとも思う。だが、その大きな「恨」を胸秘める徳こそが朴魯学が日本人に伝えたいものであったのかもしれないとも思う。

| | コメント (4) | トラックバック (3)

2004.09.16

女王陛下、英国大使の野上義二でございます

 9月11日の閣議決定で、折田正樹英国大使の勇退の後、前事務次官の野上義二が駐英公使となった。野上義二? 思い出すこと二年前、NGO排除問題で世間を騒がせてくれた、あのヒゲだ。「ヒゲをそったらどうだ」と当時経済産業相の平沼赳夫が苦言を呈した、あのヒゲの男である。ここに一人のヒゲの男が再び立ちがあった。
 当時を思い出そう。2002年1月東京開催のアフガニスタン復興支援会議の際、外務省が一部の非政府組織(NGO)の出席を直前になって拒否した。真相は鈴木宗男が外務省に一部NGO排除を働き掛けていたことだった。外務省の最高責任者田中真紀子元外相は国会答弁できちんと真相を明言した。が、だ、にも関わらず、野上義二事務次官(当時)はこれをまっこうから否定した。どっちが本当だ?ということで国会は紛糾した(「国会バトル 田中氏/鈴木氏 参考人質疑、真っ向対立」・参照)。
 なさけない話だった。というのも、次官というのは補佐が仕事。外務省なら、その最高責任者田中真紀子元外相を補佐するために給料が与えられている。大辞林にも次官というのは「国務大臣を助け、省務・庁務を整理し、内部部局の事務を監督する一般職の国家公務員」とある通り。分をわきまえろよ、サーバント、というのが常識だし、国際的にもそう見えるものなのだが、なぜか、日本では喧嘩は世間を騒がした双方が悪いってことにして、「ここは野上義二”しばし”収めておけよ」と小泉首相は田中外相、野上次官の両氏を更迭した。外務省としては、うるさいおばはんと差し違えたということで85へぇ、金の脳を送ったという(これはウソ)。
 更迭後、野上義二は、座敷牢こと官房付に入れられた。甘甘の処分である。他省庁だとフツー局長までやって更迭されれば退職なんだけどねぇ、の声も伏魔殿には届かない。更迭後も専属の公用車が与えられていたのだが、ちくらりちまったよ、ということで、それは廃止。もっとも更迭といっても退職金はがっちり8500万円ナリ。え? そのくらいは当然でしょ。少ないくらいでしょ、当然ですよ。
 座敷牢にも長いさせず、2002年9月に、野上義二は英国公使に任命され、英国の調査研究機関「王立国際問題研究所」の上席客員研究員として中東問題を担当した。給料は外務省から出たのだが、それがいくらかは公開できないとのこと。それにしても、やっていることが中東問題かよ、とも思うが、ま、さして世論への影響もないからよいか。不善をなさぬには閑居がよろしい。
 もっとも、元レバノン大使天木直人は、国防総省の中堅幹部がイスラエルのスパイだったという話の余談に、愉快なエピソードを書いている(参照)。


因みに日本にもイスラエル諜報機関が入り込んでいる事は間違いない。その手先の一人が今度駐英大使になる野上義二元外務次官であるという情報がある。その真偽は確認しようもないが彼が米系ユダヤ人とのパイプが太いことを自慢げに同僚に話していることは事実である。
 そういえば彼が外務次官のときイランの外務次官に「イスラエルとパレスチナの紛争からイランは手を引いてほしい」という驚くべき話をしていたのを思い出す。日本はあまりにも国際政治の裏取引にナイーブである。それとも自らそれに取り込まれているのを自覚しているのであれば何をかいわんやであるが。

 さすが天木直人である。さすが笑話である。わっはは、次、行ってみよう!
 というわけで、一般常識からすれば、次官経験者の公使への降格は前代未聞なのだが、これはただの伏線。ニコポンスキーの正体は敷島博士だし、野上義二は伏魔殿の守り神である。
 さても、頃合いもよし、残暑も引いてくるであろう。日本の国民はもうすっかり野上義二を忘れたころだ。王立国際問題研究所の成果なんてものもありゃしない。文藝春秋もこの間、どうでもいいことで宿敵田中真紀子を叩きまくってくれたし、父親が米国の陰謀で失墜させられたのと同じで、世間的にはもう田中真紀子が出てくる目もあるまいて、と、いうわけで、さて、野上義二に外務省官僚の最高の地位に据えてやろうか、ということで、今回の決定となった。
 さすがに疑問の声は上がった。あのさ、外務省改革ってどうなったわけ?である。現川口順子外相の私的懇談会「変える会」では、機密費流用事件など一連の不祥事をめぐった提言で、通常の省庁にならって「次官を最終ポスト化する」としていた。つまり、「次官経験者は大使に就任させない」として、次官経験者の大使転出の禁止を提言していたのだ。が、いきなり反則。それってどうよ、なのだが、小泉純一郎首相曰く、「人事になると人それぞれ見方がありますから。適材適所、そう思って起用した」。またしても人生イロイロである。
 8月31日にこのルール無視をただすべく衆院外務委員会の米沢隆委員長が異例の反対声明をあげたが消えた。田中真紀子も虚しく吠えた。講演で「スキャンダル、問題が起きたときの次官で鈴木宗男元衆院議員の長い友人。(起用は)イギリス人、日本人に対し侮辱だと思う」と批判した。
 田中真紀子に言わせるところの侮辱を受けたところのイギリスの反応はどうかというと、早々にテレグラフでは"New ambassador an 'insult' to Britain"(参照)を掲載。標題は「新大使は、英国への『侮辱』」である。

The promotion of a controversial bureaucrat to become Japan's ambassador to London is "an insult to the British and Japanese people" the country's former foreign minister said yesterday.

Yoshiji Nogami, whose appointment was made official yesterday, was sacked as deputy foreign minister two years ago after he clashed publicly with his then boss Makiko Tanaka.


 と威勢がいいが田中真紀子に沿っているだけで記事は尻つぼみ。いまいちイギリスでは盛り上がらないのかと思ったら、今週の日本版ニューズウィーク「外務省人事は笑えない喜劇」で同じくコリン・ジョイス君が執筆していた。以前日本版ニューズウィークの仕事をしていたよしみの寄稿か。こっちはちょっと毒が強い。

 テレグラフの編集者たちは私に聞いた。なぜ外務省は野上のためにそこまで便宜を図るのか。ほかに適任者はいなかったのか。ほかに希望者はいなかったのか。考えつく唯一の説明は、田中と差し違えた野上の「功績」に報いる人事だった、というだけだ。

 そ、それだけ。
 しかし、野上義二が優秀な人材であることはテレグラフの記事にも書いてある。

Mr Nogami, who speaks excellent English and has a British wife, is said to have a "lively mind" by western diplomats in Tokyo. A Japanese diplomat added: "He's a very good man. He has great experience in foreign affairs."

 イギリス人の妻を持ち、英語も堪能だ。英語が堪能というのはいいことだ。というのも、外交の英語は難しいものだ。
 そういえば、2001年のこと、外務省が、業者の水増し請求を利用した裏金づくりと職員処分についての最終報告を出した際、当時次官の野上義二は、与党幹部への事前説明に回った。裏金の総額は二億円を越える。一億六千万円は使い切った。野上と与党幹部は次のように話し合った(読売新聞2001.12.09)。

 与党幹部「ホテル宿泊券なんかもらっても、生活の足しにならんじゃないか」
 野上「実は、金券を換金して使っていたようです」
 与党幹部「それは立派な横領だ。刑事告発しないのか」
 野上「捜査当局は立件は難しいと言ってます……」

 野上義二、日本語でもこれだけの弁が立つ。英語も堪能だ。仕事もできる。
 この裏金づくりには後日談がある。さすがに世間に申し訳がないというので外務省が一丸となって弁済の寄付を募った。このとき、最高額を出したのが、野上義二である。その意欲で二億円の弁済のうち五十万円が埋められ、外務省に今なお語り継がれている。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004.09.15

米国の銃規制法が失効したことの意味

 米国時間で13日、十年間の時限立法として成立していた襲撃用銃器の製造と販売の禁法が期限切れとなり、失効した。正確には、凶悪犯罪の処罰強化を目指した犯罪防止法内の該当条項の失効である。単純に、これで米国で銃器の製造販売が可能になると理解したくなる。日本人としては米国っていうのは野蛮な銃社会だからな、という感じだろうか。私はまずそう感じたものの、なにか違和感が残った。
 この禁止法は民主党のクリントン政権下、1994年に時限立法として成立した。大統領の職にある者なら失効を避け、禁止状態の延長を推進することもできたかもしれないとして、現在の共和党のブッシュ大統領を民主党のケリー大統領候補は「テロリストに武器を手渡すようなものだ」として非難した。それだけ聞けばもっともな言い分だし、日本人にもわかりやすい。なのに、ブッシュ大統領が結果的に推進側に回ったのは、大方の見方どおり、全米ライフル協会(NRA:National Rifle Association)の強力な反対によるものだった。ブッシュが銃規制撤廃の強い信念を持っていたというのではない。連邦議会が期限延長に動かなかったのを、しぶしぶ承認したような形になっているからだ。議会としてもまた大統領としても、300万人以上の会員と潤沢な政治資金を持ち、強力に政治活動を推進するNRAを敵に回したくはないという思惑があったというくらいだ。
 銃規制をしない米国社会というのは困ったものだなというのは、実際のところ普通の米国人の実感でもある。VOA"US Ban on Assault Weapons Set to Expire"(参照)などにもあるように今回の禁止法廃止は米国民の世論とは言い難い。


According to a poll released last week by the National Annenberg Election Survey, 68 percent, more than two-thirds of Americans, support extending the ban, which was signed into law by President Bill Clinton in 1994.

 米国民の68%は禁止法の延長を期待していた。ケリー候補もそのあたりを読んでの反対でもあるのだが、政治プロセスとしては成功していない。タカ派に見られることの多いワシントンポストだが"Staring Down the Barrel of The NRA"(参照)でもそのあたりの政治プロセスをまず問題視している。
 さらに同紙"No Cheers Over Gun Ban's End"(参照)では、やはり銃規制を支持するトーンでより詳細にこの禁止法の撤廃による米国社会の変化を解説しているのだが、その実態を読むと私はなんとも奇妙な感じがした。どもまどろこしい言い方になるのだが、この話をブログのエントリのネタにしようと思ったのは、銃規制の議論というより、このなんか変な感じが自分では重要に思えたからだ。
 その変な感じというのをなんとか自分なりの言葉にしてみると…、米国社会における銃規制廃止を表面的に喜んでいるのは、銃オタクだけのようなのだ。秋葉でフィギュアを物色しているお兄さんのような感じなのである。これで危険な銃が米国社会に溢れるようになるぞ、というより、お兄さんたち「銃のアクセサリー一式が購入しやくすくなるぞ、わーい」といった感じのようだ。というあたりで、私が実際に規制されていた銃について無知であったことが実感された。
 銃に関する感覚は私は多分平均的な日本人と同じなのではないかと思う。そこで私の銃のイメージなのだが、まず拳銃。そして、猟銃のようなライフル銃だ。ところが、米国でこの10年間規制されていた銃というのは、そうしたイメージの銃というより、殺傷力の強い半自動小銃など襲撃用銃器なのである。私のイメージからするとマシンガンというやつだ。英語では、"assault weapons"とある。このassaultもweaponsもごく基本的な英単語なので意味はわかる。ので、訳せと言われれば襲撃兵器とでもなるだろう。が、はて、定訳語があるはずだと思って調べた。英辞郎に「急襲用{きゅうしゅう よう}ライフル、対人殺傷用銃器、攻撃用武器{こうげき よう ぶき}」とあるが、 "military-type assault weapons"では「軍事用攻撃兵器」とあるので、"assault weapons"の定訳語ははっきりしない。
 もちろん、英文を読んでいけば、"assault weapons"がなにを意味するかはわかる。どうやら、トリガー(引き金)を引いてズドーンというのじゃない。ボタンを押せばだだだだだと自動的に弾が出るやつのことのようだ。あれだ、私のイメージでは、こいつは昔のパチンコ。そして"assault weapons"は現在のパチンコだ。
 なってこったと思う。そんなものは規制して当たり前じゃないかと思う。が、このあたりでどうも自分が従来、銃規制として想定したものや実態とかなり違うんじゃないかという嫌な気分になってきた。これってようするに大量の人間をやたらめったら殺すためのまさに兵器なわけだ。
 呆れたなと言いたいところだが、他の関連の英文ニュースを読むと、こんなあきれた兵器を禁止したところで社会学的に見れば犯罪の減少に寄与したものでもないらしい。また、米国とひとくくりにしても州によってさまざまな規制があるため、そのまま銃器が野放図にばらまかれるというものでもないようだ。
 それでも、と、連想したのは、今回のイラク戦争で「活躍」した米国の民兵だ。現代の傭兵とでも言っていい。はっきりと納得できるまで関連資料を読み込んだわけではないのだが、深層では、こうした現代の米国傭兵を"assault weapons"の安易な供給が支えているのは間違いないのではないか。その意味で、今回の襲撃銃禁止法が失効したという米国の時流は、米国の地上戦における傭兵依存と、実は一体の事態だったのではないかと思える。

【追記 同日14:42】
英辞郎に訳語が掲載されていたのを見落としていたので、その部分をリライトしました。また、"assault weapons"については、simbaさんのコメントに補足となる説明があります(参照)。

| | コメント (11) | トラックバック (3)

2004.09.14

今回のNHKの不祥事は録画でハゲを見せて終わり

 NHKの不祥事については誰もが怒っているので、さらにあらためてなにか書くというのは難しい。それと、かなりの人があの受信料に疑問を持っているから、そうした行き場のない思いも当然混ざってくる。
 週刊文春が暴き出した今回の一連のNHKの不祥事については、この7日に役員処分と再発防止策の提示、9日にエビ・ジョンイルこと海老沢勝二が国会招致、11日にNHKの録画編集入れまくり番組で謝罪というあたりで、幕が引かれたということになったようだ。ふざんけんな。
 これは不祥事というより犯罪である。業務上横領だよ。NHKはこれを全額弁済されたからということで刑事告発も行なっていない。あのな、盗んだ金を返せば罪が消えるってもんじゃないんだぜ、しかも、その金は、みなさまの受信料なんだぜ、というのが庶民感覚である。週刊文春が叩かなければ隠蔽されていたのだろうか。ま、もっとひどい状態で暴露されたのだろうが。
 この件については、新聞は当初だんまりを決め込んでいたが、フジテレビ関連の産経新聞が9日社説「NHK不祥事 これでは『受信料』払えぬ」(参照)と、本文にもないキーワード「受信料」をいきなり繰り出してくれた。毎日新聞も13日「NHK不祥事 不心得者の仕業ではすまな」(参照)として社説を出した。朝日新聞と読売新聞は、まだぁ~、の状態なのか、私の見落とし? もしこのままスルーだとすると、朝日新聞と読売新聞もけっこう香ばしい。追記:見落としでした。9月5日朝日新聞「受信料着服――『皆様のNHK』に戻れ」にあります。
 NHKがこの手の不祥事をやっていることはちょっとでもマスコミを覗いた人間なら誰もがしているので、今回の件も所詮は勧進帳。背景となる構造は変わっていないから、しばらく謹慎し、そしてぼそぼそと再燃するのだろう。構造については毎日社説が簡単に説明している。


 NHKは特殊法人のひとつで、予算や事業計画、番組編集の基本計画など重要事項は外部の識者などでつくる経営委員会が決定し、予算は国会の承認を必要とすることになっている。
 こうした仕組みについてNHKは「事業運営が国民の意向に沿って進められることを意図している」と説明している。しかし、不祥事の発覚は、辞任に追い込まれた島桂次元会長の時に続いてのことで、後を絶たない。
 国会や経営委員会によるチェックは形式的なもので、NHKの組織にはびこる問題には、実は誰も手が出せないような仕組みになっているのではないだろうか。

 ま、そういうことだ。
 私は、問題はむしろ今回の不祥事より、子会社孫会社のほうがひでーんじゃないかと思う。正確にはわからないので記憶を辿ってざっくりしたことを書くのだが、子会社が30社を越える。ま、ここまではいい。これは業務報告書が毎年公開されている。で、問題は70社を越える孫会社。わけのわかんない業態もありそうだ。この実態がまったく未公開。子会社を含め、天下り先でもある。なんか悪のスクツみたいな印象がある。
 個人的に気になるのは、ビジネスを拡大するのはいいけど、それだけ大きくなって儲けを出したなら、出資者とも言える国民に還元すべきなんじゃないか、というか、受信料を下げろということ。それができなければ、コンテンツをなんらかの形で公共に還元して欲しい。ま、そんなところだ。
 そしてなんと言っても受信料についてだが…、ちなみに「NHK」と「受信料」でぐぐったら、ちょっと呆れた。これが庶民の声を反映しているとも思わないが、いかに払わないかについての怨嗟の声に満ちている。圧倒されてしまった。書く気力が萎えた。
 私は個人的には年金同様NHKの受信料も年間契約で払っている。「あすを読む」「クローズアップ現代」くらいしか見ないのだが、好きなラジオ番組「ラジオ深夜便」へのカンパみたいなつもりだ。この放送のおかげで、日本語がかろうじて維持されているんじゃないか。
 NHKの内容的な不満は、受信料を含めて考えてもしかたないやの気分だが、極東ブログ的に気になるのは、国際問題とくにイラク問題に関連して国連主義がやけに目立ったことだ。たぶん、NHKは一度も国連疑惑つまり石油・食糧交換プログラム不正疑惑に触れていない。他は中台問題については、むしろ偏向がないなと感心する。
 NHKの今回の不祥事について朝日新聞と読売新聞の社説は触れてないようだが、NHKも含め、大手新聞は依然戸別の集金から成り立っている体質も関係があるように思う。古き良き時代の一軒家というかアパートもあるだろうから「ご家庭」という単位で金を払うという制度だ。日本では家庭のありかたは崩壊しているとはいえ、新聞もNHKも見ないパラサイトは老人家庭に寄生しているので、現状ママでもさして問題がない。この構図とともに、これらのメディアはあと20年くらいは安定するかもしれない。しいて言えば、結局新聞を支えるのは老人だから、今の倍くらい活字がでっかくなるか。
 ネット的には、こうしたご家庭集金メディアはすでに70%くらい透明度がかかっている。というわけで、これをブログにネタにするにはなんだかなになっているに違いない。

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2004.09.13

北朝鮮北部の両江道爆破事件は核実験か

 中国との国境も近い北朝鮮北部の両江道金亨稷郡で9日、大規模の爆発があった。日本では昨日の正午前ころからNHKを初めぽつぽつと報道が始まった。NHKは核実験の可能性については一切言及していなかったが、ちょうど前日11日付け(但し米国東岸時)のニューヨークタイムズが北朝鮮は近日中に核実験をするだろうとする解説記事"Reports May Indicate N.Korea Nuclear Test - NY Times"(参照)を出していたこともあり、この爆破が該当するのかが欧米のジャーナリズムの中心的な関心となった。
 核兵器実験ではないとする見解は昨日の3時ごろからぽつぽつと出始めた。理由は納得しやすい。大きく2点ある。(1)核実験なら特有の地震波が検出されるものだがその報告はない、(2)近隣の極東地域で放射能が検出されたという報告はない。
 これらの理由は爆破が核実験ではないと説得するための材料としては良質なもので、ニュースが出て一夜明けたのち、日本国内では不可解な爆破だが核実験ではないだろうという安閑としてムードが感じられる。幸い、今日は新聞休刊日なので朝日新聞なども朋友に苦慮した社説を書く必要もない。
 では、本当に核実験ではないのか? また、この報道の流れは何を意味しているのか?
 私の現状の考えでは、核実験説は十分に否定されていない。むしろ、当初核実験への恐怖の影響に探りを入れたような報道に火消しをするような報道のありかたが、胡散臭い。特に韓国系の報道ではこの火消し報道が目立つ。隣接しているせいもあり社会不安を避けたいというのは理解できるが、この火消し情報は、昨今の韓国自身の核開発報道への火消しと同じような文脈に見えてしまうので、それだけでヘタレ感が漂う。韓国側の最たるヘタレは、どうもこの事態を韓国が把握していなかったと思えることだ。今回の事件で使える報道は朝鮮日報だけだな感が出てきたが、その「北は両江道爆発の真相公開すべき」(参照)ではこう伝えている。


国家安保会議(NSC)常任委員会は不審な大規模爆発が起きてから3日後に開かれている上、統一部長官もこの時やっと事実を知ったとされる。また、きちんとした衛星写真一枚すら確保できずにいると報じられているのが現状だ。とかく国民は安心できない。

 韓国がまったくの蚊帳の外ということはないが、韓国国政に影響する情報(インテリジェンス)にすでに不全が起きているのは確かと見ていいだろう。このあたりの米国のやり口はぞっとするものがある。と、同時にこの蚊帳の外のボンクラに日本人も立つことは言うまでもない。外務省、ダメ過ぎ。
 日本の外務省ダメ過ぎは中国側からの情報の扱いもある。もしかすると、外務省のチャイナスクールにはリークされていた可能性もある。というのは、今回の爆破事件は早々に中国で観察されていたようだ。日本国内では他紙に先駆けて報道した産経新聞「北朝鮮北部で大規模爆発 9日に中国国境近くで」(参照)がわかりやすい。なお、同記事は初報道からリライトされているようだ。

 韓国の通信社、聯合ニュースは12日、北京の消息筋の話として、中朝国境に近い北朝鮮北部の両江道金亨稷郡で9日、大規模な爆発があったと報じた。同ニュースは現場で直径3.5-4キロのきのこ雲が観測され、4月に平安北道・竜川駅で起きた列車爆発事故より大規模だとしており、核実験やミサイル爆発との見方も浮上。韓国政府や米当局者は核爆発や核実験の可能性に否定的だが、原因は不明で、日本含め関係各国が情報収集を急いでいる。

 重要な点は、北京側では直径4キロほどのキノコ雲(mushroom cloud)の目視情報を得ていることだ。見ていたのである。ある意味で、今回の事件の重要なキーワードがこのキノコ雲(mushroom cloud)だ。補足としてABC"Blast, Mushroom Cloud Reported in N. Korea"(参照)も引用しておこう。

"We understand that a mushroom-shaped cloud about 3.5- to 4-kilometer (2.2 miles to 2.5 miles) in diameter was monitored during the explosion," the source in Seoul told Yonhap. Yonhap described the source as "reliable."

 一応韓国ソースとしているが北京側の二次ソースと見てよくその限定では、この情報が"reliable"(信頼に足る)という点が重要だ。
 キノコ雲からわかる爆破の規模に注目したい。規模は私の記憶では広島原発の二倍の規模はある。目視者およびその報告を受けた中国側としては、最初の前提として核実験を想定したことは疑いえない。そしてこれが中国国境付近であることから中国への牽制の意図も想定しただろう。すでに極東ブログでもほのめかして書いたが、金正日は中国によって殺害され傀儡政権を打ち立てられることを極度に恐れている。
 米国も当然ながらこの爆破を衛星から確認している。先のニューヨークタイムズの解説のように北朝鮮でいつ核実験が始まってもおかしくない状況にも入っている。
 ここで重要な問題となるのは、9日から12日までの情報の隠蔽だ。これはそう無理な推理ではなく、北京とワシントン側が、核実験ではないだろうと推定するためのタイムラグだったと言えるだろう。そして、北京側とワシントン側は双方の思惑があって、情報の揺さ振りをかけたように思われる。このあたりの情報の二系の奇妙さを先のABCも注目している。

The Yonhap news agency carried conflicting reports from unidentified sources, with one in Washington saying the incident could be related to a natural disaster such as a forest fire. It also cited a diplomatic source in Seoul as raising the possibility of an accident or a nuclear test.

 この揺さ振りで韓国の現実逃避的なハズシ感と日本の熟睡感が十分にプローブ(検知)できたのではないか。当然ながら、この二国は現状に対して十分な影響力行使を絶望と呼べるほど放棄している。余談だが、国内のネットの状況も同様に思えた。おそらく面白い陰謀論という切り込み隊長がいないせいでもあるのだろう。それと欧米系の情報を日本市民は十分い取り扱いできていないようにも見える。
 話をある意味で原点に戻す。今回の爆破は核実験ではなかったのか? 当方が陰謀論の切り込み隊長のように取られかねないが、慎重に見る限り、核実験説は十分に否定されていない。私はどう考えてもそうだと思う。こんなとき、一番信頼できるのは、北朝鮮問題を独自に追及しているブログNorth Korea Zoneなのだが、その該当エントリ"Did North Korea Just Test a Nuke?"(参照)にはこうある。

UPDATE III: Both Colin Powell and the South Koreans are downplaying the possibility that it was a nuke test, yet none of them seem willing to completely rule it out. What about the possibility that it was a failed nuke test, or the test of a fuel-air explosive (which would be similar to a low-yield nuke)? Furthermore, one should treat South Korean efforts--and those of our own State Department--to downplay North Korea's nuclear threat with extreme caution. It's probably only safe to say that we don't know the answer yet, and none of those in a position to really know are telling us.

 重要なコメントなのだが、当面の要点としては、核実験ではない断言はできない、としていることだ。
 別の言い方をすれば、奇妙な巡り合わせになったとも言えるニューヨークタイムズによる、北朝鮮の核実験準備の解説は十分に未だ有効だと言える。つまり、北朝鮮の核実験の可能性は、可能性という点でいうのなら、未だ重要な問題のままだ。
 実際問題として、今回の爆破について北朝鮮がどのような言及をするのか、あるいはしないのかは重要な課題だ。陰謀論的に言えば、この間に口止めされている可能性もゼロではあるまい。冗談としてだが、ネットには"Korean Mushroom Cloud Was Nuclear Test, Says Kim Jong Il"(参照)という情報もあった。

Officials with KCNA, the North's official news agency, said that Powell was "misinformed" and that they "possess evidence that positively identifies the explosion as having resulted from a nuclear weapon test." The evidence is considered to be conclusive, but, said one official, "Release of the materials at this time would constitute a national security breach."

 いかにも北朝鮮が言いそうな雰囲気はある。もちろん、これを田中宇的に受け止めないでほしい。ただのネタだ。
 最後に一点、現状では今回の爆破を核実験と見るのはやや無理があるだろう。しかし、それだけの破壊力が何によってもたらされたのかということも重要な課題だ。この点については前回の龍川爆発事故ですら事実上解明されていない。私の雑駁な推測を言えばミサイル燃料かなとも思うが、North Korea Zoneが可能性として示唆する真空爆弾ということがあっても不思議ではない。

【追記 同日15:22】
 冗談の北朝鮮談話が紛らわしいのでリライトした。

【追記 同日19:34】
 新華社から以下の報道があった。実態がなんであれ、中国が収める形にすれば国際問題としては半分は解決したようなもの。
北朝鮮外務省、先週の爆発が発電所建設の一環だったと確認=新華社参照


新華社の報道は、「北朝鮮外務省当局者は、先週、同国北部で発生した爆発が、発電所プロジェクトの一環だったことを確認した」という簡単なものだった。

【追記2004.09.21】
このエントリについて、ついに極東ブログもヤキが回ったかという感じの声が聞かれた。また、エントリをずたずたに編集してまで意図曲解している例もあるようだ。しかし、IAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ事務局長は9月19日のCNNインタビューで、北朝鮮の核実験の可能性を100%排除することはできないと明言しており、依然、このエントリの視点に失当はない。CNNオリジナルは見つからないが、VOA"IAEA Chief Appeals to North Korea to Allow in International Experts"(参照)は信頼できる。


"I think I would like to go there. Our experts would go there. If North Korea would like to exclude that possibility [of a nuclear blast] completely, they would be well-advised to allow us and other experts to go and inspect that," he said. "As long as we are not there, I cannot exclude that possibility 100 percent."

 また、邦文で読める補助的なニュースとして「IAEA事務局長『北の核実験可能性排除できず』」(参照)がある。

国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は北朝鮮の両江(ヤンガン)道・金亨稷(キムヒョンジク)郡で発生したと伝えられた爆発事件は、核実験ではないと思われるが、その可能性を完全に排除することはできないと、19日明らかにした。

| | コメント (13) | トラックバック (2)

2004.09.12

国際テロ雑感

 日本と米国では17時間くらい時差があるので、この文章を書いている時点では米国ではまだ9月11日は終わっていないだろう。というわけで、旅客機を使ったニューヨークの世界貿易センタービル崩壊のテロから三年が経った。私事だが、その日私は私自身の人生にとって大きな事件があったので、9.11がいくら国際的な大ニュースだからといってそれほど関心を払う余裕もなかった。それに、大ニュースほど私は映像メディアをあまり見ないことにしている。それでも、この事件の映像はなにかと市中で見かけることはあり、この陰惨な映像を垂れ流しする日本のメディアが信じられないなとも思った。
 この事件についてはいろいろ言われている。当然だとも思うが、反面、私はそれほどピンと来ない。そのあたりの思いを、まとまりもないだろうが、少し書いてみたい。
 まず「9.11以降」という表現があまりピンと来ない。この日を契機に世界が変わったのだと言われれば、軍事大国アメリカがそう思ったらそうだろうくらいには思う。それ以上はよくわからない。「テロとの戦い」と大上段に言われると、なるほど頭では多少理解できるようになったが、それでも実感はない。日本の場合、それ以前に阪神大震災がありサリン事件があったからかもしれない。
 9.11の事件が陰謀だったかとは私は思わない。先日の北オセチア事件も陰謀だとも思わない。テログループによる犯罪でしょと言われれば、それはそうでしょと思う。しかし、「テロとの戦い」という言葉が暗黙に含む国際テロ組織のような、敵の実態はまるでわからない。これは単純にわからないなというだけのことでもある。もうちょっというと、9.11と北オセチア事件を「テロとの戦い」で総括できるとはまるで思ってもいない。
 私事を抜いて三年前この事件について思った疑問は、今もぽつんと心の中にある。それは、この事件は、1995年のオクラホマシティーの連邦ビル爆破事件と何が違うのだろうか?ということだ。
 もちろん、違いはある。がその違いはそれほど先験的ではない。連邦ビル爆破事件のほうは結局ティモシー・マクベイをとっ捕まえて公開死刑して米国民の感情はすっきりして、だから、終わったということだけではないのか。この事件については、"American Terrorist: Timothy McVeigh and the Oklahoma City Bombing"の関連の話を読むに、田中宇が描く愉快な推論(参照)といった余地もなさそうである。
 が、それでも、この事件当初、米国社会にはイスラム犯行説が飛び交い、二日間に合計220件ものアラブ系米人に対する嫌がらせや犯罪が起こっていた。それが9.11では早々にイスラム犯行説ということになった。ある意味、オクラホマシティーの連邦ビル爆破事件の反省で多少は米国内600万人と推定されるイスラム教徒への迫害は減ったかもしれない。それでも、事件を受け止める米国社会の構造の問題は、テロという外部のものより、内在的な問題の比重が大きいのではないかと私は思う。
 9.11では犯人を公開処刑にして憂さを晴らすわけにもいかない。98年のアフリカでの大使館連続爆破テロではオサマ・ビンラディンを匿うスーダンとアフガニスタンに報復空爆する程度で晴れた憂さも、この事態では、国際世界を巻き込むかたちで本格的なアフガニスタン戦争に仕上げるしかない。そして、これに「テロとの戦い」と標題をつけみて、こりゃいけるんじゃないかと米政府は思ったのだろう。米国内で長年計画していたイラク戦争にもこの看板をつけてみた。
 もともと、イラク戦争とテロとの戦いは関係がない。が、当時はまるで関係がないとも思われていなかった。手元に詳しい資料がないが、99年1月4日(米国版)ニューズウィークもアフリカの米大使館連続爆破テロ事件でオサマ・ビンラディンとサダム・フセインが結託し、「共通の敵」である米国を標的にしたテロ行為で結託する可能性が出てきたと報じていた。イラクの大量破壊兵器云々はチャラビやアラウィらのガセだったかということになってきたし、ニューヨークタイムズもワシントンポストもイラク開戦前の大量破壊兵器報道は間違っていたと反省したが、さて、このニューズウィークの話もガセだったのだろうか。
 私はあながちガセではなかったのではないかと思っている。というか、米政府の問題は米国を標的とするテロより、アラブ諸国対イスラエルの問題のほうが比重が大きく、その派生として米国テロへの懸念があったのだろう、と私は考えている。つまり、米国はイスラエル状況を強行に改善すれば派生としてのテロも減るだろうくらいに考えていたのではないか。
 そこで、なぜイラク戦争なのか、つまり、サダム・フセインなのか。
 それにはもう少し前の時代、イラクによるクエート侵攻に話を簡単に移す。当時のイラク軍はごく短時間でクウェートを制圧した。当たり前のことだ。クェートの兵力は小国で二万人足らずだが、それにイラク軍は六万人を投入した。戦車は350両。クェートに傀儡政権を樹立したのちも、イラクは約200両の戦車、装甲兵員輸送車、燃料補給車などを追加投入。さらに、軍コミュニケ発令して予備役の招集し、総動員体制を取った。対米戦争への備えだったのかもしれないが、90年8月2日、米政府情報当局者による米議会向けの非公開ブリーフィングでは、サダム・フセインの最終目的がサウジアラビア侵攻にあるのではないかと警告したようだ。米国はサダム・フセインは潜在的なサウジアラビアへの驚異だと認識した。
 サダム・フセインの本当の思惑はわからないが、今回のイラク戦でも彼はイスラエル攻撃を叫びアラブ世界の盟主たらんとはしていた。米国もいずれサダム・フセインがサウジにちょっかいをだし、イスラエルの安全を脅かす存在になるだろうとは読んでいたに違いない。
 というわけで、ネオコンは逆にサダム・フセインのイラクを徹底的に叩くことで、イスラエルを取り巻く状況の不安定要因を一気に解決しようとしたのだろう。
 そして皮肉なことに、そういうふうにイラク戦争を見るなら、あながちこの戦争は失敗でも無意味であったわけでもない。イラク戦争は被害が甚大であるかのように報道されるが米軍被害が千人、イラク人被害が三万人程度と推定される。実戦経験を持つラムズフェルドにしてみれば、微笑しながら朝鮮戦争の昔話でもするのではないか。
 昨今、世界は混迷を深めているといった報道が飛び交う。そうかもしれない。しかし、以上のストーリーで見るなら、おそらくネオコンのプロットはそう外してもいない。イラクはイスラエルの驚異にはならなくなった。リビアの核化も潰した。パキスタンも軟化させた。北朝鮮はあまり叩くとミサイル防衛が不要になるので適当に残しておけばいい。イランはまだ大丈夫。むしろ米国にとって失敗だったのは、石油・食糧交換プログラム不正疑惑で国連、フランス、ロシアを叩きつぶせなかったことだろう。
 「テロとの戦い」からそういう米国の思惑を引き抜けば、依然、オクラホマシティーの連邦ビル爆破事件の時代のままだし、実際国際世界でのテロは、なぜだか、ごくスポラディックにしか発生していないという現実がある。無防備なアテネですらテロ事件は起きなかった。日本でも、またもっとも狙われやすいはずのオーストラリアでも発生していない。テロはもう、小規模なら今日的な意味でのテロらしくないし、北オセチア事件のように、大規模ならそれなりに周到に国際的に展開しなくてはならない。それだけ、失敗しやすいから、適度な保全が検討されている都市では起こりにくいし、それなりの政治的なメッセージを込める点からも、発生地は十分に絞られているのではないか。
 日本は、いくら「テロとの戦い」とか騒いでも、実際はもうしばらく呑気な時代が続くのかもしれない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2004年9月5日 - 2004年9月11日 | トップページ | 2004年9月19日 - 2004年9月25日 »