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2004.09.04

韓国は核兵器を保有したいのではないか

 韓国政府系の原子力研究所が原爆転用可能な高濃度ウラン製造の実験を行っていた話題だが、一日置いて最初のショックが収まるとなんとも奇妙な光景が浮かび上がってきたようだ。私自身の率直な印象を言えば、韓国に裏切られたような気持ちがした。逆に言えば、それだけ韓国に期待し、信頼していた面があったことに気づく。
 それに追い打ちをかけるように、日本語で読める韓国紙サイト、東亜日報、朝鮮日報、中央日報の報道はどれも、「たいした問題ではない、日本が騒ぐのは困ったことだ」という基調で報じていた。私は落胆した。
 率直言えば、私は、その韓国人の発言の背後に、核武装への自負が感じられた。考えすぎかもしれない。しかし、泣きたい気持ちになった。私は核兵器なんてものはこの世から完全に無くさなくてはいけないと思う。それがどれほど難しいことであれ、そこを志向しなくてはいけない。もし、日本で同じような秘密の実験が進んでいたのなら(その可能性がゼロとも思えないのだが)、他国に向けて今回の韓国の報道のように軽率な弁明を許さない。
 落胆したのは、その気持ちを韓国人と分かち合うことはないのだと、腹の底にずしんと思ったから。そして、動じまい、釣られまいとも思った。案の定、朝日新聞社説が驚くべき早さで釣られて出てきた。
 事件の真相だが、依然わかっていないように思える。いろいろな憶測はある。ここでは、この事件がアメリカからどう見えているのか、ワシントンポストとニューヨークタイムズを参考にしたい。
 新しいところでワシントンポスト"S. Korea Acknowledges Secret Nuclear Experiments"(参照)に記になる指摘がある。


U.S. officials, speaking on the condition of anonymity, said the United States had begun a separate inquiry into whether the scientists involved had trained at U.S. nuclear facilities as part of friendly exchange programs and whether the technology may have come from the United States years ago.

Experts and diplomats said revelations that a U.S. ally conducted secret nuclear work, in violation of the Nuclear Nonproliferation Treaty, could complicate efforts by the Bush administration to increase international pressure on Iran and North Korea, which are also accused of conducting clandestine programs.


 米国と韓国では親善交流として技術者交換プログラムを行っていたのだが、今回の実験に関わった韓国人科学者が米国の核施設で訓練を受けたかどうかを米国が注目している。つまり、米国技術の利用違反があるのではないかというのだ。米国のフカシとも思えないので、なにか裏があるのだろう。つまり、マークされているそいつは誰だ、という問題だ。このことを韓国系のニュースは明らかにしていないように思える。
 同記事では明らかにブッシュの痛手になりそうなこの暴露時期についても疑問を出している。

"This could not have come at a worse time for the Bush administration's efforts on both Iran and North Korea," said Jon Wolfsthal, a nonproliferation specialist at the Carnegie Endowment for International Peace. "Iran is going to say the U.S. is giving an ally a free pass, while the North Koreans are going to accuse the U.S. and the South of hypocrisy and warmongering."

 ブッシュの痛手になることはたしかだ。が、そのことを韓国の報道者が考えないわけもないのにその言及を見かけなかった。というか、私自身の被害妄想っぽいのだが、韓国報道はほくそ笑んでいるような印象を受けた。この点は、ニューヨークタイムズ"South Koreans Repeat: We Have No Atom Bomb Program"(参照)のほうが直截だ。ニューヨークタイムズは日本の評論家小川和久の発言に注目している。

Kazuhisa Ogawa, a military analyst in Tokyo, said the timing of Seoul's announcement now might have some relation to the Bush administration's decision in the spring to withdraw one-third of the 36,000 American troops from South Korea without demanding reciprocal security concessions from North Korea. "I think this was an attempt to shake up the U.S. after it had announced the withdrawal of its troops from South Korea," he said.

 つまり、今回の核兵開発暴露は韓国からの米軍撤退を思いとどまらせるものではないかというのだ。先日の共和党大会でブッシュは明からさまに韓国を無視していたことを思えば、穿ちすぎとも言えないのだろう。
 それにしても、なぜ核兵器開発を行っていたのか。その前提としてそれは核兵器開発なのか、という問題がある。ニューヨークタイムズは断定していないものの、"South Koreans Say Secret Work Refined Uranium"(参照)で十分な疑いを提出している。

To date, the laser technique has been so expensive that experts assume its only usefulness would be for a military program where costs are no obstacle. It uses different colors of laser light to separate different forms of the same element, like uranium 238 from uranium 235, which in atomic reactions easily splits in two in bursts of energy.

"Given its lack of commercial application, the only conclusion you can reach is that any nation pursuing this technology is doing it for military uses," said Paul Leventhal, president of the Nuclear Control Institute, a private group in Washington that has campaigned against nuclear facilities whose waste could be used for weapons.


 確かに核兵器に十分な量のを作り出せるわけでもないのだが、政府の軍事的な関心なくしてこんな研究はできないのだろう。その意味で、仮に火遊びだとしても、十分に潜在的に核兵器を志向していたとは言っていいのだろう。
 また、この研究は隠匿しやすい。

The method chosen by South Korean scientists to enrich uranium, through the use of lasers, is considered easy to hide.

 実験が行われていたのは金大中政権下だった。中年以上の日本人なら彼のことをよく知っている。それゆえ、彼がこの研究を支持をしたとは考えにくい。

At the time of the South Korea experiment in the year 2000 - which Seoul insists was never repeated - the country was led by President Kim Dae Jung. Mr. Kim was known for his "sunshine policy" of seeking increased engagement with the North, and traveled to North Korea the same year that the enrichment experimentation reportedly took place. "I would doubt it is anything that Kim Dae Jung condoned," said Donald P. Gregg, a former American ambassador to South Korea. "But that doesn't mean it hadn't been condoned by some previous government" or parts of the military.

 ニューヨークタイムズも金大中への疑念は控えている。が、それが韓国の国策であった可能性を示唆している。
 もともと韓国は1970年代に核兵器開発を志向した経緯がある。先のニューヨークタイムズ"South Koreans Repeat: We Have No Atom Bomb Program"も明記している。

Many analysts drew parallels with the early 1970's, when South Korea secretly worked on making an atomic bomb. The weapons program was fueled by worries over the United States defense commitment to the South, insecurities that started with the American defeat in Vietnam and increased with President Carter's decision to remove American troops from South Korea.

 核兵器を志向したのはベトナム戦争での米軍の敗北がきっかけだった。米軍が頼りにならないので、自前の軍事力として核兵器開発を志向していた。
 しかし、今回の問題については、IAEAはすでに過去の問題だとして現状の韓国の危険性を追求していない。もちろん、そうした落としどころがあってこそ公開されたに違いないし、核兵器製造というより、もともと火遊び的な傾向のある研究に過ぎなかったのだろう。
 それでも、私は心地よい眠りから覚めた。韓国はなぜ再び核兵器を志向したのだろうとまず考える。そして、一度そう疑ってしまえば、北朝鮮への韓国の関わりも、その核兵器の継承の意図を持っているのではないかとまで疑念が膨らむ。

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2004.09.03

レバノン大統領選挙がシリアの内政干渉で消える

 米国大統領選挙と同様11月に予定されていたレバノン大統領選が消失しそうだ。レバノン内閣は、ラフード現大統領が選挙をせずに任期を三年間延長するという憲法改正案を国会に提出した。今日あたり可決するのだろう。ニュースはVOA"Lebanon, Syria Criticize UN Draft Resolution "(参照)に詳しい。
 言うまでもなく、ラフード大統領下のレバノンはシリアの傀儡である。レバノン内戦(1975-89)の初期、1976年以降、アラブ首脳会議の決定ということでシリアが「アラブ平和維持軍」という名目で派兵したまま一万五千人もの部隊を駐留させ、レバノンの内政干渉を続けている。なお、フィナンシャルタイムズ"Syria's own goal"などでは二万人としている(参照)。内戦の詳細は、Wikipediaの「レバノン内戦」(参照)に詳しい。
 シリアも明からさまにふざけたことをやってくれものだというのが欧米の一般的な認識だ。レバノン憲法では、大統領任期は1期6年で連続2期の再選は認められない。しかし、選挙は直接選挙ではなく128人の国会議員で行うので、その理屈からすると、国会で憲法改正案が通るなら同じことと言えるのかもしれない。が、レバノン国民の民主化の願いは潰える。
 この事態を受け、米国、フランス、イギリスが主体となり、国連安全保障理事会を通じて、シリアによるレバノン内政干渉中止決議のドラフトが作成された。が、制裁は無理だろう。ダルフール問題ですらスーダンへの制裁はロシアによって覆された。レバノンの件では中国系の報道をみると、これらを欧米の内政干渉として牽制する向きが多いようだ。中国もこの件についてはシリア側に立つことになるだろう。
 国連安保理を経由する以外にも、米国、フランス、イギリス、さらにはドイツもそれぞれ独自の外交を展開しつつある。特に米国の場合、中東担当バーンズ国務次官補がシリアに訪問する予定だ。シリアはフセイン下のイラクほど反米に固まっているわけでもないので、こうした米国側の圧力で大統領選が実施されるかもしれない。
 冷酷な見方をすると、米国の本音はそれほどシリアへの敵視は少ないのではないかとも思う。極東ブログ「シリア制裁発動」(参照)でも触れたように、すでに発動された米国のシリア制裁も及び腰ではあった。対イスラエル的にそれほど物騒な騒動を起こしてくれるなというあたりが、同じく大統領選挙を控えている米国の内情ではないか。ニューヨークタイムズ"Lebanon's Lost Sovereignty"(参照)の糾弾のトーンもそれほど高くはない。
 フランスはレバノンの宗主国という面子があり、またイギリスも歴史的にこの地域に関わってきた経緯もある。欧米側の反応にはレバノンに多いキリスト教徒への配慮もあるかもしれない。
 事態にはなんとなく落としどころが見えるのだが、そこに落ち着くかどうかが、しばらく注目すべき状態だ。
 ところで、国内でのこの問題の扱いは軽い。かろうじて毎日新聞が扱っている程度のようだ。9月1日から日本でもGoogleのニュースサービスが開始されのでレバノンで検索してもたいした情報はない。情報統制があるとも思えないのだが、よくわからない。
 ついでにJANJANの姿勢も批判しておきたい。レバノン大統領選挙を扱った記事「カルロス・ゴーン 期待のレバノン大統領候補」(参照)は、問題の本質にせまらずただのお笑いに仕立てて終わっている。JANJANはスーダン・ダルフール問題でも当初は剥きだしの反米といった姿勢だけだったが、オールタナティブなジャーナリズムを志向するならそれなりの水準の見識を示して欲しいと思う。同様に天木直人にも期待したい。彼はココログのブログ「天木直人・マスメディアの裏を読む」(参照)のプロフィールにはなぜか記載されていないが、2001.3-2003.8の期間駐レバノン国日本国特命全権大使であったはずだ。レバノンの内情に詳しいはずなので、なんらかの言及があってしかるべきだろう。

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2004.09.02

ミサイル防衛という白痴同盟

 中国人民解放軍が台湾を威嚇するために台湾海峡沿い東山島で行っていた軍事演習が突然中断した。これを受けて、台湾側での対向軍事演習も中断。まずはよかったが、潜在的な問題が解消に向かうわけではない。中国側はこの機に、米国による台湾への武器輸出が台湾の独立気運を高めることでこの地域の平和を脅かしているとして、武器輸出を中止すべきだとアナウンスした(参照)。最初に脅しをかけておきながらなに言ってやがんだと思うが、台湾独立云々は論外としても、台湾が米国から大量の武器輸入を行っているのは確かだし、今後も軍事費は増えるだろう。と、他人事のように言える日本でもない。
 中国はこうした問題では滑稽なほど自分勝手なことだけほざくものだが、事態は笑って済ませる段階を越えているかもしれない。VOAニュース"Pentagon Report: Asia Tops World Arms Purchases"(「ペンタゴン・リポート:アジアは武器購入の最上位顧客」)(参照)を読んで気が沈んだ。ネタ元のレポートは"Conventional Arms Transfers to Developing Nations"である。


A just-released study by Congress finds Asia has eclipsed the Middle East as the world's largest buyer of weapons, with Russia and China the region's largest providers.

While the United States remains the world's biggest arms provider, this new report from the research service of the Library of Congress finds that Asia is now the world's biggest buyer.


 もはや世界で武器購入のお得意様と言ったら中東を抜いて今やアジアがトップということだ。世界規模で見るなら最大の武器販売国は言うまでもなく米国だが、この地域に限定すると中国とロシアが最大の販売国になるというのだ。
 特に中国がひどいという印象を受ける。

A recent report by the Pentagon concluded Beijing has embarked on an ambitious, long-term effort to modernize its military through purchases of advanced technology, intended to bring its military more in line with those in the developed world.

 中国は兵器を売りつつ、自国では最新の軍事技術の購入を行っている。なに考えてんだ中国と思って、同ニュースを中国側で見るとチャイナデイリーに"US still dominate arms market, but world total falls"(参照)がある。こちらのニュースでは、力点は米国が武器市場を独占していることに置かれ、中国国内の状況には触れていない。そんなものなのだろう。
 こうした状況に日本も他人事ではないのは、端的に言って、れいのミサイル防衛システムの購入があるからだ。ちょうど一年前の読売新聞の記事だが「ミサイル防衛 唐突さ否めない概算要求の計上」(2003.8.30)にはミサイル防衛システムに対する予算として、こうあった。

 防衛庁が導入を計画しているのは、米国が二〇〇四年から二〇〇五年にかけて米本土に配備するシステムで、イージス艦発射型の「SM3」ミサイルと、地上配備型のパトリオット「PAC3」ミサイルを組み合わせる方式だ。
 これは、日本に飛来する弾道ミサイルをSM3が大気圏外で迎撃し、撃ち漏らした場合、着弾直前にPAC3で迎え撃つ二段階方式。同庁は二〇〇七年度中の実戦配備に向け、来年度予算に自衛隊のイージス艦とパトリオットの改修費、ミサイル本体の取得費など千三百四十一億円を計上した。配備までには最低五千億円が見込まれている。

 それで日本がミサイル攻撃から防御できるなら高い買い物ではない。が、ミサイル防衛システムなんか機能しっこないのだ。この問題はここでは詳細には触れない。私が依拠しているのは、"Union of Concerned Scientists"による"Technical Realities: National Missile Defense Deployment in 2004"(参照)だ。

The ballistic missile defense system that the United States will deploy later this year will have no demonstrated defensive capability and will be ineffective against a real attack by long-range ballistic missiles. The administration's claims that the system will be reliable and highly effective are irresponsible exaggerations. There is no technical justification for deployment of the system, nor are there sound reasons to procure and deploy additional interceptors.

 私はこの科学者の言明を信じている。だから、ミサイル防衛システムなんてものに取り組むやつらは、ばかじゃないのか、と思う。
 これをきちんと言明したのは、カナダ自由党のキャロリン・パリッシュ閣僚だ。先月25日のことだ。きちんと、ミサイル防衛を白痴(idiot)だと言ってのけた。カナダでは連日の話題になったが、一例として、"'Coalition of idiots' backs missile defence: MP"(参照)によれば、パリッシュはこう言及した。

"We are not joining the coalition of the idiots," Parrish said at a small anti-missile-defence rally outside the Parliament buildings.

 発言は「私たちカナダ人は白痴同盟なんかに参加しませんよ」ということだ。"the coalition of the idiots"は、もちろん、イラク戦争の有志同盟(Coalition of the Willing)をもじったものだ。
 この発言はお下品ということで物議をかもした。が、もちろん、米国とカナダのこういう側面の険悪な感じは、サウスパークを見るまでもなく日常的なものなので、米国人側はそれほど意に介していない。カナダ側としても、本音ではキャロリン・パリッシュの暴言を責めているふうでもない。Eye Weekly"Politically incorrect"(参照)が笑える。

George Bush is a moron (if not clinically, then at least in the common usage of that word). Dick Cheney is a greedhead. The American government is run by a bunch of rich assholes, for the benefit of a bunch of other rich assholes. Missile defence is an idiotic idea.

None of the above is particularly newsworthy, as far as I can tell, and despite my blunt phrasing, I'm unlikely to be challenged very vigorously on any of the above assertions because for a substantial chunk of Canadian society, these ideas are simple, uncontroversial and accepted.


 ちょっとお下品過ぎるので訳せないが、そういうことだ。
 私は米国全体を見ればばかの集まりとはまるで思わない。イラク攻撃を行った「有志同盟」についてもそれほど批判的ではない。
 ただ、ミサイル防衛に血道を上げる国はパリッシュが言うように白痴同盟だと思う。そして、一点の疑いもなく、日本は白痴同盟の構成員だ。

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2004.09.01

キューブラー・ロス博士の死と死後の生

 精神科医エリザベス・キュブラー・ロス(Elisabeth Kubler‐Ross)博士が、米国時間の8月24日午後8時15分(日本時間8月25日)アリゾナ州の自宅で死んだ(参照)。享年78歳。彼女は、1999年タイム誌が選んだ20世紀最大の哲学者・思索者100人のうちの一人でもあった。
 彼女はもっと早い時期の死を予言していたので、長い読者の一人である私にはある種心の準備が出来ていた。中島らもの死を知った時のような驚きはなかった。また私は彼女の著作を通して、彼女が自身の死をどう捕らえているのかも理解していたつもりなので、その意味では哀悼とはまた違った思いが去来する。なにか書きたいという思いと、奇妙になにも書けない思いが錯綜しているが、やはり書いておこう。
 エリザベス・キュブラー・ロス博士は、世界的なベストセラー「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)の著者として知られている。1969年に出版されたこの本の読者は日本人にも多い。この本はまさに死につつある人にインタビューし、死というものを探ろうとした驚くべき労作である。私も死を思い続けた思春期に読んで強く影響を受けた。当時の日本での翻訳書は川口正吉訳「死ぬ瞬間―死にゆく人々との対話」(1971)だが、近年鈴木晶による完全新訳改訂版「死ぬ瞬間―死とその過程について」(1998)が出ている(リンクは文庫版)。書名の違いも興味深い。新訳の副題が示唆するようにこの本は、人の心が死をどう受容するかという過程を科学的に取り組んだ点に大きな意義がある。ここではその過程(プロセス)についてはあえて触れない。
 この労作がきっかけとなってターミナル・ケア(終末期医療)の分野が確立したといってもいい。おそらく現代人の日本の大半は、一人静かに死と向き合うことになるだろうが、その時、医療とは異なったターミナル・ケアに頼むことになる。
 この労作に続けて、彼女は一連の書籍を著した。まず「続・死ぬ瞬間」(こちらのリンクは文庫版新訳)が刊行された。私にとって「死ぬ瞬間」よりも大きな影響を受けたのは、「死ぬ瞬間の子供たち」だ。標題どおり、まだ幼い子供が死をどう受け入れていくのかをテーマにしている。
 うまく言えないのだが、私などいまだに死というものに発狂しそうなるほどの恐怖を感じるのだが、それでも、人間というものはある程度生きれば「もういいかな」という感じがしてくるものだ。私も、キリストの死の歳を越え、ツアラトゥストラの死の歳も越えた。ラファエルやモーツアルトの歳はとっくに越した。太宰治の死の歳も越えた。三島由起夫の死と同年。もうすぐ夏目漱石の死も越えるのだろう。こうして「もういいかな」感は増してはくる。人生は生きればそれなりの意義はあるといってもいい部分はある。
 だが、幼い子供の死とはなんなのだろうか。あるいは、今ダルフールで死んでいく子供たちの死には、どんな意味があるのだろうか。それを考えると、やはり発狂しそうな思いが去来する。もちろん、その言い分に冗談のトーンがあるように、普通、私たちは、その幼い命を奪っていく死というものに向き合って生きているわけではない。
 ロス博士は、そこにきちんと向き合った。そこに向き合うということはどういうことなのか。一つの成果は、ファンタジックに描かれた「天使のおともだち」に見ることができるだろう。普通、我々はこれを比喩として受け止める。
 だが、ロス博士はこうして死の問題に取り組みながら、明確に死後の生というものを確信していく。先ほど私は「発狂しそうな思い」と書いたが、これにきちんと取り組めば、人間は気が狂ってしまうのかもしれない。ロス博士もついに、気が狂って、向こうの世界に行ってしまったのか、という思いもする。
 このことを決定的な形で描き出したのは彼女の自伝「人生は廻る輪のように」だ。これは、名著「死ぬ瞬間」に劣らぬインパクトを持っている。そこには死後の生を確信したロス博士の生涯が描かれている。そして、その確信から生まれ出る後半生の驚くべき活動(赤ん坊を含むHIV患者のターミナル・ケア)も描かれている。
 ロス博士はこういう人だったのか。これは狂気ではないのか? 私はこれをどう受け止めたらいいのか。やがて死ぬ私は、死後の生を確信しなければ、恐怖に打ちのめされるだけとなるのか。
 正直に言えば、私はこの問題に孤独に取り組みすぎ、知的に狡猾になった。信じる・信じないの危うい均衡のようなものを生きていけるようになった。それはちょうど河合隼雄のようなものだ。カール・グスタフ・ユンクも死後の生を確信していたが、河合はそういうユンクの思想を悪くいえば狡猾に吸収した。私はたまたまテレビだったか、河合がロス博士の生涯を、そうなる必然として理解していることも知った。
 この狡猾さは哲学的・神学的な言辞でいかようにも語ることができるように思う。しかし、問題はおそらく、やはり赤手空拳に死後の生に向き合うことだ。
 もちろん、私たち現代人の社会にとって死後の生は意味をなさない。「と学会」のような浅薄な知性は、死後の生をただ嘲笑うだけで通り過ぎていくだろうし、それぞれの自身の死もあたかも他者の死の光景のようにみなし、そして忘却のように彼ら自身も死んでいく。それで良しとするのだろう。それが健全な常識というものじゃないか?
 そうだろうか?
 中島義道が若い日に死の恐怖をかかえ、やはり哲学をするしかないと心に決めて、哲学者大森荘蔵を訪れたとき、大森は、死について「あのずどーんとする感じ」と答えていたという。そうだ、あのずどーんとする感じだ。その感じからすれば、健全な常識というのはただの虚想にすぎない。「物と心」で彼はこう言う。


 シャルル・ベギーの鋭い警句がある、「死とは他人にのみおこる事件である」。また人はエピクテトスの、死はありえぬことの証明を思い起こすだろう。
 だが人は自分の死後の家族を案じ、身辺を整理し、葬式は簡素にと遺言し、遺贈を約束したりし続けている。人は明らかに自分にやがて死がおどづれ、だが世界は何ごともなかったように続行すると信じている。

 そう身辺を整理しないと意外なものが孫に見つかることもあるからな(参照)。
 オカルティックな死後の生を信じない健全な常識人も、大森が指摘するように、自身の死後に世界は何ごともなく続行すると信じているものだ。

しかし、たとえばわたしは自分の死後の世界を想像できるだろうか。見るべき眼も聞くべき耳も、いやそれらを通して知覚するわたし自身がもはやないという条件下で、たとえば街の風景をどのように見えると想像できるのか。風景がどう見えるか、とはわたしに風景がどう見えるかとの意味である。

 そうだ、死後も続く生の滑稽さは、自分の死後にもこの世界は続くという確信と同程度に滑稽なものでしかない。我々の文明は、同じ2つの滑稽さの一つを選んだにすぎない。
 やがて消滅する私は、そもそもいつから私だったのか。記憶としては4歳くらいまでは遡及できる。私が生まれ、脳が発達し、自我が出来たというが、この私の精神はどこから来たのだろうか。その遡及の感覚は、ちょうど夢からこの世に覚めるのと似ている。私は無限の無の世界から目覚めてこの世界にいるのなら、また眠り、また目覚めないとどうして言えるのだろうだろうか。
 ロス博士は、子供のケンとバーバラ、その孫たち、そして友人に見守られて安らかに威厳をもって死んでいった。彼女は死に及び「これから銀河をわたってダンスをしにいくのよ」とも告げた(参照)。

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2004.08.31

緑のある環境がADHD(注意欠陥多動性障害)を緩和する

 ADHD(注意欠陥多動性障害)が日本でも注目されるようになってきたが、今日のロイターヘルスに、子供のADHD改善について、興味深い研究が紹介されていた。ある意味で、常識的なことかもしれないのだが、緑のある自然に触れることで子供のADHDが改善されるというのだ。
 記事と研究の紹介の前に、ADHDについては、東京都福祉保健局の解説(参照)を参考に少し補足しておこう。
 ADHD(attention-deficit hyperactivity disorder)は、注意欠陥/多動性障害と訳されるように、注意力の障害と多動・衝動性を特徴とする行動障害だ。一般的な症状としては、注意障害(注意が持続できない、必要なものをなくす)、多動性 (じっとしていない、しゃべりすぎる、手足をそわそわ動かす、離席が多い)、衝動性(質問が終わらないうちに答えてしまう、順番を待つことが苦手、他人にちょっかいを出す、などがある。
 診断については、現在、極東ブログでおなじみのDSM-IVに加え、ICD-10がある(参照)。私自身もADHDの傾向があるが、それ以外にも私の人生にはわけあって、この問題がMBD(微細脳機能障害)と言われていた時代から関わりがあった。当時はこれが脳構造の欠陥とみなされていた。現在でもその系統をひいた解説も多い。また、学習の側面では、LD(Learning Disorders/Learning Disabilities)とも関係している。
 ジャーナリズム的には、あまり正確ではない印象も持つが、読売新聞「医療ルネサンス」シリーズの「多動性障害・ADHDと向き合う」が読みやすく、ネットからでも読める。


 この他、読売(岩手)「『困ったちゃん』で終わらせないで」(参照)のシリーズも実態を知るのに読みやすい。こちらのシリーズでは、大人のADHDについても扱っている。
 日本ではADHDをどちらかいえば知能が劣ったものとして捕らえられているが、米国では、著名人にも多いという受け止め方もある(参照)。サバン症候群とは違うが、ある種の学習的な能力欠損は別の能力の補償かもしれない。誤解されるかもしれないが、ADHD傾向のある私も自分の脳味噌と47年付き合ってきたのだが、どうも他の人と脳機能が違っているようだ。単に人それぞれの違いというだけのことかもしれないのだが。
 話を戻す。こうしたADHDの子供の症状を、植物のある環境が緩和するらしい。調査のオリジナルは"American Journal of Public Health, September 2004"の"A Potential Natural Treatment for Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder: Evidence From a National Study -- Kuo and Faber Taylor 94 (9): 1580"(参照)。結論はシンプルだ。

Conclusions. Green outdoor settings appear to reduce ADHD symptoms in children across a wide range of individual, residential, and case characteristics.
【試訳】
結論。緑の植物がある野外環境は、各種・各地域のADHDの子供の症状を緩和し、鎮静するようだ。

 ジャーナリスティックにはロイターヘルス"Great Outdoors May Ease ADHD Symptoms"(参照例)がわかりやすい。
 野外の緑ある環境は、芝生でも裏庭でもいいらしい。

They speculate that daily doses of "green time," such as simply taking a greenery-splashed route when walking to school, or playing on grass instead of concrete, could aid in managing ADHD.
【試訳】
例えば、コンクリートで覆った公園より芝生で遊ぶことや、通学路に緑があるだけでもいい。研究者達は、そうした、緑の時間「グリーンタイム」があるだけでも、ADHDの症状を扱いやすくするとしている。

 「グリーンタイム」という表現がいいと思う。また、もう一ついいキーワードがある。「注意疲労」だ。

Attention fatigue, though fleeting, shares characteristics with ADHD, the researchers note. Some studies, mostly in urban areas, have suggested that spending time in green spaces eases children's ADHD symptoms.
【試訳】
短時間とはいえ「注意疲労」もADHDの症状と関連している。他の都市部での調査だが、緑のなかですごす時間はADHDの症状を緩和しているようだ。

 自然を好む日本人としては、緑の自然が人間の心を癒すというのは、ごく当たり前に受け止めるだろうと思う。その意味で、つまんない話なのかもしれない。しかし、実際に我々の現代の生活を、「グリーンタイム」と「注意疲労」というキーワードで見つめてみると、わかっていても、そこに大きな欠落があることに同意するしかないだろう。
 辛口エッセイで有名な高島俊男先生も以前連載のエッセイで、緑の木立のなかを散歩するとすこぶる眼によいというようなことを書いていたが、多様な緑の色彩もだが視点が多様になっているのもいいのだろうと思う。我々は読書やパソコン作業では、注意を一点に集中する。慢性的な「注意疲労」があることは想像しやすい。しかし、自然の活動は注意をある程度分散しなくてはいけない。それが注意疲労の軽減にもなっているだろう。
 個人的には、この調査を聞いたとき、私は高校生くらいまで木登りをしていたことを思い出した。実家の隣の空き地には、手頃な松の木があった。そこに私は猿のようによく登った。小学校六年生のとき、アマチュア無線の電話級の試験に合格して嬉しくて登ったことを昨日のように思い出す。ADHDっぽい少年の私は数多くの緑に支えられてきた。思い返すと、小学校から大学までずっと芝生だの雑木林のあるところだった。あの木々と草たちに感謝したい。
 イーデス・ハンソンの「花の木登り協会」は復刻されないのだろうか。今の子供たちが木に登らないことをちょっと悲しく思う。

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2004.08.30

プリンス正男様、母の生まれた国へ、またいらっしゃい

 北朝鮮金正日総書記夫人高英姫(コ・ヨンヒ)の死亡を北朝鮮朋友朝日新聞(ちなみにチョウニチ新聞とは読まない)が、ようやく報じた。「金正日総書記夫人、死亡説 韓国の通信社が報道」(参照)。死因は心臓疾患とも言われているが、詳細はわからない。享年51歳。同じ風景を見た者として哀悼の意を表したい。
 高英姫は日本に生まれた。父高泰文(日本名高山洲弘)は済州島の生まれだとも言われるが、日本に来て大阪で暮らしていた。著名な柔道家でもあり(参照)、後年、北朝鮮に渡っても柔道界の指導に努めた。
 高泰文は戦後は北朝鮮籍とのことでオリンピックなどの場では柔道での活動ができず、昭和30年には当時人気スポーツだったプロレスに転向して活躍した。リング名は大同山又道である。昭和31年日本ジュニア・ヘビー級王座決定トーナメント戦での活躍では、駿河海三津夫の初代日本ジュニア・ヘビー級王者に次ぐ2位になった(参照)。しかし、2位は敗北かもしれない。そのせいもあってか、彼はプロレスを廃業し北朝鮮渡り、当地で体育協会の副会長となり、柔道の普及に努めた。娘の高英姫はダンサーとしての美貌もだが、著名な柔道家の娘としても有名になっていたのだろう。
 高英姫は昭和28年生まれ(推定)だ。離日の年代は1960年代だから、少女時代は日本で暮らしていたことになる。ある意味では日本のよき時代を知っていたかもしれない。そうであって欲しいと日本人の私は願う。2ちゃんで見かける日本の若者はウリナラマンセーとか気合いを込めたのが朝鮮語だと思っているが、本当の朝鮮語は、本当の日本語がそうであるように、たおやかでやさしい響きがするものだ。高英姫ならそれを語ることができたことだろう。金正日の嫡子金正男が、しばしば来日していたのも、義母の第二の故郷への憧憬もあっただろう。

cover
金正日に
悩まされるロシア
 高英姫はその人柄ゆえか、北朝鮮を実質支えている朝鮮人民軍でも「尊敬するオモニ」と呼ばれているとのことだ。高英姫がいわば帰国子女だったように、同じくソ連人の帰国子女である夫正日(ユーリ・イルセノビッチ・キム)とも共感できる部分は多かったのだろう。
 夫正日は妻への愛情と信頼も厚く、それゆえに彼女の死は彼の人生にも深い思いを残すことだろう。金王朝の世継ぎにも影響するとの噂もある。というのも、高英姫は嫡子であるがゆえに正男をよく諫めていたとのことだ。彼女が嫡子正男を失脚させたとの噂すらあるほどだ(参照)。
 そうした噂に踊らされてか、同朝日新聞記事にはこうある。

 高夫人は金総書記の有力な後継候補とされる次男の金正哲(キム・ジョンチョル)氏、三男の金正雲(キム・ジョンウン)氏の母親。金総書記には前妻の故成恵琳(ソン・ヘリム)氏との間に長男金正男(キム・ジョンナム)氏がおり、高夫人の安否は後継問題に影響を与えるとの見方が強い。

 北朝鮮の朋友朝日新聞も無礼なことを書くものだと思うが、歴史を知らない、あるいはよく歴史を忘れる朝日新聞ということかもしれない。歴史を顧みないことはかくも愚かなことだ。次男正哲が有力な後継候補とされるわけなどない。米人ですら、歴史に耳を傾けている。ニューヨークタイムス"A Mystery About a Mistress in North Korea"(参照)はこう述べる。

"Now Kim Jong Nam might be the best candidate," continued Mr. Kim, the defector, who once worked for the Central Committee of the Korean Worker's Party. "He was most loved by Kim Jong Il and Kim Il Sung" - Kim Jong Il's father and political predecessor - "and has the most international sense of the three."

But Korea has hundreds of years of history of brutal dynastic politics, in which male family members have frequently killed one another in fights over the throne.

"All during the Chosun dynasty, the succession struggles were very severe," Dae Sook Suh, a political science professor at the University of Hawaii, said of a five-century dynasty that ended in 1910. "There were uncles killing nephews, and brothers killing brothers, all to stay in the line of succession."


 そうだ。朝鮮の歴史を少しでも知るものなら、血塗られた王朝の始まりを誰もがみーんな知っている。
 そして、後年金日成と呼ばれる元ソ連人金成柱の名を見れば、誰も李氏朝鮮の太祖李成桂を思い出すだろう。日本で言ったら、神武天皇、あるいは天武天皇(実はどっちも同じだが)のような建国の英雄だ。李成桂を思い起こせば、その皇子たちの果てしない醜悪な跡継ぎ争いを、当然思うものだ。意外にもこの話はWikipedia「李氏朝鮮」に詳しい(参照)。

 李成桂は、新王朝の基盤を固める為に没頭していたが、意外なところから挫折することになる。李成桂は自分の八男である李芳碩を跡継ぎにしようと考えていたが、他の王子達がそれを不満とし、王子同志の殺し合いまでに発展する。1398年に起きた第一次王子の乱により跡継ぎ候補であった李芳碩が五男の李芳遠(後の太宗により殺されてしまう。このとき李成桂は病床にあり、そのショックで次男の李芳果に譲位してしまう。これが2代王の定宗である。しかしながら定宗は実際は李芳遠の傀儡に過ぎず、また他の王子達の不満も解消しないことから1400年には四男の李芳幹により第二次王子の乱が引き起こされる。李成桂はこれによって完全に打ちのめされ仏門に帰依する事になる。
 一方、第二次王子の乱で反対勢力を完全に滅ぼした、李芳遠は、定宗より譲位を受け、第3代王太宗として即位する。太宗は、内乱の原因となる王子達の私兵を廃止すると共に軍政を整備しなおし政務と軍政を完全に切り分ける政策を取った。また、李氏朝鮮の科挙制度、身分制度、政治制度、貨幣制度などが整備されていくのもこの時代である。

 太祖李成桂にしてそうだった。金成柱(金日成)がどれほど金正日の異母弟金平一を世継ぎとしたくても、ダメだった。嫡子は嫡子だ。トートーメーはトートーメーだ。門中は門中だ。今日はうーくいだ。かくして、平一は現在もポーランド大使として国外退去となっている。
 金王朝の三世は金正男に決まったと言ってもいい。日本も、生さぬ仲とはいえ、縁あるこの皇子を快く迎えようではないか。
 もちろん、朋友朝日新聞ですら無礼なことを書き散らすように、不穏な空気はある。同胞韓国人も憂慮している。朝鮮日報「北に親中政権が登場するのではないかと眠れなかった」(参照)がよく表している。

 高建(コ・ゴン)前首相が「大統領権限代行として務めた今年4月、北朝鮮の龍川(リョンチョン/竜川)で爆発事故が起きた時は韓半島情勢が心配で夜も眠れなかった」と打ち明けた。
 もし、金正日(キム・ジョンイル)政権が突然崩壊し北朝鮮に権力の空白が生じる場合、中国が介入することになり北朝鮮に“親中傀儡政権”が登場するのではないかという判断や、その場合韓国が北朝鮮に影響を与えられる手段をひとつも持っていない現実を知っていたためだという。

 杞憂ではあるまい。金正日政権が突然崩壊して北朝鮮に権力の空白ができれば正男への王権委譲はすんなりとはいかないだろう。朝日新聞が暗黙にヨイショするように、金正哲あたりに王朝を嗣がせた親中傀儡政権ができるかもしれない。そういえば、河の向こうに中国の軍隊が見えるじゃないか。
 なに? 朝日新聞は北朝鮮の朋友じゃなくて、親中傀儡報道機関? まさか、そんなことはないでしょ。でも、正哲の期待を日本国内に高めてくれるかもしれないのだが。

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2004.08.29

[書評]私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界(クリスティーン ボーデン)

 「私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界」という本については、これまでなんどかここで書評を書こうかと思って、そのたびごとに読み返し、ためらい、そして断念した。書きたいことはあるがなにも書けない気がした。が、少し書いてみよう。この本は、とりあえずは、標題のように、アルツハイマー病患者の内面を描いた手記と理解していい。
 書いてみようかと思ったのは、今朝の朝日新聞社説「痴呆症――患者の思いにふれたい」を読んでいて、ちょっと嫌な感じがしたからだ。単純に非難をしたいわけではない。社説の執筆者がこの問題を理解していないのにきれい事を書いているなという印象を持ったくらいのことだ。嫌な感じを受けるのは私だけかもしれない。この部分だ。


 昨秋、市民グループの招きで来日したオーストラリアの女性、クリスティーン・ブライデンさんも参加する。アルツハイマーを発病する前は政府の高官だった。病名がわかったとたんに誰も近寄らなくなり、社会的に孤立した。その苦しみや日常生活の過ごし方、子どもたちの顔がわからなくなる恐怖などを講演会で静かに語りかけて感動を呼んだ。豊かな感情は少しも損なわれていなかった。

 揚げ足取りに取られるかもしれないが、「豊かな感情は少しも損なわれていなかった」という表現に私の心は少し傷つく。彼女はたまたま感情に障害がないか、それを乗り切ることができたのであって、こうした障害を持つ人に、たとえ豊かな感情の表出がなくても、その心にはなんの変わりもないのだ。
 あえて、人の魂には変わりがないと言ってみたい。知的にまたは感情的に障害を受けても、人の魂に及ばないことがある。もちろん、そう言えば、宗教めいた言い方すぎるのかもしれない。
cover
私は誰に
なっていくの?
アルツハイマー病者
からみた世界
 ジャーナリズム的にもちょっと疑問が二点ほど残った。敬称は略すが、まず「クリスティーン・ブライデン」の名称。これは再婚後の名称だ。しかし、「クリスティーン ボーデン」名で書籍が出ているのだから、その注記があってもよかったのではないか。また、夫のブライデンにも言及しなければ、「クリスティーン・ブライデン」とする意味は少ない。
 もう一点は、この書物にも言えることだが、クリスティーン・ボーデンはアルツハイマー病ではない。この問題は微妙なのだが、問題の背景を朝日新聞社説執筆者は調べていないように思う。「私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界」には、小沢勲種智院大学教授の解説があり、彼女の文章とその病態について次のように明記している。

この文章を読んだわが国の専門家のなかには、ボーデンさんの痴呆という診断が誤診なのではないか、と疑った方があったという。
 確かに、彼女は痴呆ではあるが、前頭側頭葉型痴呆というアルツハイマー病の中核群からややはずれた病態であることが関係しているだろう。本書ではアルツハイマー病と診断されたとあるが、国際アルツハイマー病学会の招待講演で、彼女は前頭側頭葉型痴呆と自己紹介している。ちなみに、専門家のあいだではこの二つの病態は区別して論じられるのが通常である。

 厳密にはアルツハイマー病ではない。が、もちろん、彼女の体験から私たちがアルツハイマー病について学ぶことは多い。
 朝日新聞社説に難癖をつけているようだが、私が願うのは、こうした問題を、単純なきれいごとで片づけないで欲しいということだ。
 話を書籍に戻す。彼女が厳密にはアルツハイマー病ではないとしても、この本の価値はいささかも減じない。普通に暮らしている人間に突然脳疾患が訪れたときの驚愕をこれほど正確に伝えている書籍は類例がないように思う。原題は"Who Will Be When I Die?"、つまり「私が死ぬとき、私は誰になっているだろうか?」だ。
 そういう苦悩に直面させられたとき、人によっては自殺したくなるような苦悩が起こる。あまり言ってはいけないことかもしれないが、そういう状況では、「今、自殺すれば、少なくとも意識は私のままだ」という思いは捨て去りがたい。
 こうした苦悩をなにが救えるのか。実は、この本はそのために書かれている。それがテーマだと言っていい。
 本書が示唆する答えは、「魂」だ。と、だけ言えば、すでに宗教の領域に入っているし、筆者も自分の自身のキリスト教信仰を人に押し付けるように受け止められることは極力抑制している。だかこそ、下品な言い方だが、この信仰と霊性は本物なのだということが伝わってくる。
 私たちは絶望のなかで神を呪うことがある。日本古来とされる神々は、私の印象ではそのように呪われることをよしとしないようだ。仏教では呪い自体が事実上禁忌であるかのように抑制される。しかし、キリスト教の神は呪ってもいい。神に対して、「なぜこの苦しみがあるのか、あなたはなぜこの苦しみを私に与えるのか」と問うてもいい。
 ボーデンはまさにこの苦悩のただ中を生きて、こう語っている。

 神は、私の病気につける「救急ばんそうこう」ではなかった。しかし、あの診断と私の未来にうまく折り合いをつけることを通して、私は大きく変わった。聖書をよりよく理解し、神の愛により深く感謝し、私の人生において神の目的とされるものを受け入れた。この精神的成長は、ほんの三年間にわたってのことだが、真の祝福となった。
 この旅を思い巡らせて、今、私は神にさらに大きな信頼をおくようになっていることに気づく。私は、神の約束を自分の内に深く信じるように一所懸命努め、いつまでも残る疑いを取り除くことを学んだ。
 私に「もし、選ぶとしたら、この精神的成長は得られなくてもいいから、再び元気になるほうがよいと思うか?」と聞かれるなら、私の答えは疑うべくもない。

 ここには恐ろしい真実があるようだ。しかし、私は、正直に言うのだが、その信仰も彼女も肯定しているわけではない。私には私の人生があり、私には私の神へ呪いがある。私は木に登る収税人である。
 本書には日本での編集の際に彼女のインタビューを巻末につけている。そこにはこうある。

痴呆症と診断された時、「自分の人生に意味があるのかという思いと、今日から違うかたちの自分の人生を楽しんでいくんだと考える内側からの力がないと生きていけません。カウンセリングでは……その人にとって、何が一番大切なのかを探っていくべきなのです。それがみつかれば、ハードルを越える力を生み出すことができます。痴呆症の場合は、自分がなくなるという恐れがあります。でも、それがなくなっても魂があるので恐れることはないのです。

 「痴呆症の場合は、自分がなくなるという恐れがあります」というのは恐ろしいことだ。だが、それに対置されている魂とはなんとも非科学的なと思う人も、日本人には多いかもしれない。
 精神医学者ですら、DSM-IV、の「臨床的関与の対象となりうるその他の状態(Other Conditions That May Be a Focus of Clinical Attention)」のV62.89「宗教または魂の問題(Religious or Spiritual Problem)」 をジョークと見ているかもしれない。いや、専門家はこの問題の奇妙さに真摯に取り組んでいるのに、現代日本社会がDSM-IVの上っつらをなめているだけなのかもしれない。
 そのいずれであっても、いいのだろうとは思う。魂の問題は、それを問うその人だけの人生の意味に深く関わっているのだから。

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