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2004.08.21

料理の下手な女

 ちょっと危険な話題だが、「料理の下手な女」について最近思うことが多いのでちょっと書いてみる。最初に断っておくが、料理は女がせよとも、女は料理が上手でなければならないともまるで思わない。
 先日、「父への恋文」(藤原咲子)を読み返していて、その藤原ていは料理が下手だったらしい印象を受けた。


塩と砂糖を入れまちがえるのはいつもだが、料理の種類も少なく、魚や肉は焼くか、煮るかの状態でほぼ原形のまま、大皿にどんとのっていた。

 この様子は目に浮かぶものがある。私の母親も似たようなものだ。私の母も藤原ていも信州人だからということもなかろうとは思うが、都市的な文化のない地域にはあまり美食というものはない。
 「美麗島まで」(与那原恵)に描かれる母与那原里々のエピソードもすごい。娘与那原恵はこう語っている。

私は子供のころ、里々のつくる料理のまずさに閉口して、これは自分でつくるしかないと台所に立ったほどである。良規は、普通の食材を使っているのに、里々ほどまずく調理するというのはある意味すごいと、妙な感心をしていた。

 自分の母親の料理はまずいんじゃないかと思う人は少なくないだろう。庶民漫画としてサザエさんを嗣いでいるような、「あたしンち」だが、主人公の一人であるおかあさんの料理も、笑っきゃないでしょという壮絶なものだ。
 こう言うに少しためらうのだが、字はいくら練習してもうまくならない人はならないように、料理というのも下手な人は努力しても無駄なのではないか。ただ、字を書く器用さとは違い味覚の問題もあると思う。作っている料理の味がまずいというのを分析的にフィードバックして自己教育できないのだろう。そう書くと一群の人を貶めているようだが、これはようするに向き不向きということだ。
 ちょっと頓珍漢な意見かもしれないが、現在問題になっている学習障害(LD)についても、現代文明が要求する一斉教育という限定が付く。もともと一斉教育などというのはコメニウス(Comenius, JA 1592-1670)の独創であり、特殊な学習形態だ。同じように、料理の技術というもの、特殊な学習能力という側面はあるかと思う。
 話が逸れるようだが、およそある程度料理ができる人間は日常の料理にレシピを必要としない。それどころか、ある料理を食べれば、だいたいのコピーはできるものだ。このあたりを沖縄料理の名人山本彩香は「てぃーあんだ」でうまく表現している。

料理の作り方に関して、ここでお断りしておきます。材料はこれこれを何グラム入れて、などとはなかなか決められないのです。ですからこの本の中では、材料の量などに関して詳しく述べていません。適量というのは作る人それぞれの舌と感覚で決めるしかないと思います。

 もっとも、私はちょっと違った考えを持っているのだが、いずれにせよ、レシピで料理を作るということは、日常の料理を作る人間は、しないものだ。
 私はさらにやばい話に進める。美人と料理の上手下手には相関があるのではないか。美人で料理が上手という人が思い浮かばない。例外は翁倩玉や平野レミくらいか。美人で利発な人はいる。その利発さで料理をこなすことはできる。が、料理が上手というのとなにか違う。
 山本彩香の連想だが、彼女の育ての母は辻の「じゅり」(芸妓)だった。辻と「じゅり」については取り敢えず花街と芸者としておく。山本の母はそこでの料理を担当していたのことだ。失礼な言い方だが、それほど美人ではなかったのだろうと思う。
 さらに私は変な話に進める。先の与那原恵の母里々だが、夫の良規が求婚した際、金魚のてんぷらでなければなんでも喰うと宣言したそうだ。ここで男の私は密かに思うのだが、たいていの男は自分の伴侶が美人でなくてもいいと思っているし、料理が下手でもしかたがないと思っている。女性には失礼な言い方だが、たいていの男はそう決心してそう耐えるし、一生耐える。「耐える」と言えば何事かと叱られるのは必定なので、普通は、男は黙る。あたしンちのお父さんは、男というのをよく表している。
 で? だから?
 別に男が偉いわけでもない。男のほうが料理が上手なら自分で作れば、は、正論だ。それにうまいものが食べたいなら、金を出してグルメになればいい…なのか? というと、そこが実は大きな間違いで、外食の味は日常の料理の味ではない。料理屋でよく、おふくろの味とかいうのもあるが、そう言われてきたもので、私がそうだと納得できなのは数少ない。おふくろの味というのはたぶん嘘だ。
 家庭というものには、あるいは男と女というのには、うまく言えないのだが実際に生活してみないとわからないなにか、奇妙な秘密のようなものがある。なにかの統計だったと記憶するが、離婚の理由というのが、歳を取るにつれて、味覚の相違が増えた。日本では女性が食事を作るケースが多いから、女性の料理が下手なのか、男性の忍耐が弱いのか、どちらかなのだろう。

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2004.08.20

ナウル、冗談ではない

 少し前の話になる。今月5日のことだが第35回太平洋フォーラムがサモアの首都アピアで開催された。様子はBBC"Pacific Forum opens Samoa talks"(参照)などがわかりやすいだろう。話題の中心はここでも触れられているように国家破産に貧しているナウルだ。


On Friday, an appeal was made for help for the nearly bankrupt island of Nauru, on the brink of financial ruin.

Corruption, economic mismanagement and dwindling stocks of phosphate, its main export, mean that Nauru risks becoming a "failed state", said Cook Islands Prime Minister Robert Woonton.

"I hope the bigger countries will look very sympathetically toward the needs of these islands before it becomes a multimillion dollar exercise like the Solomons," he said.


 ナウルは1万6千人ほどの小国だが、今回のアテネ・オリンピックにも代表選手を送っているように国家として独立している。1999年には国連にも正式加盟しているので、台湾・中国外交のターゲットにもされた。
 詳細は外務省の「ナウル共和国」(参照)と言いたいところだが、重要な情報がわざとらにオミットされているのと、内政についても正確な情報ではあるのだがなにがなんだかわからない。むしろ、ナウルを知るにはブログ「適時更新」の「ナウルの記事のまとめ」(参照)がわかりやすいかと思う。お笑いテイストで書かれているのだが(というかお笑いテイスト以外には書けない対象かもしれないのだが)、ナウルという国の現状の問題は掴めるだろう。きちんと手短にまとめた情報は、BBC"Country profile: Nauru"(参照)及び"Timeline: Nauru"(参照)にある。
 ナウルは、もともと燐鉱石の国家資源を有効に島民に配分していけばなんとかやっていけた国なのかもしれない。が、同規模の日本の地方自治体でも似たような傾向があるのだが、ナウルもその資源枯渇とともに迷走を始める。国家の指導者が誰かもよくわからない。それでも一応、国家であることを建前に、パスポート販売やタックスヘブンを始めてしまったので、ウンコに銀蠅が群がるように(という光景を最近見なくなたと思うが)悪が群がった。アルカイダ資金がプールされていることも判明しアメリカは怒った。テロリストや犯罪人もナウル国籍を偽造に使った。
 と、言うような話は日本には関係ないのかと思ったが、ちょっと調べると、あらま、そうでもない。「資産家宅を狙った緊縛強盗事件、男2人を再逮捕」(参照)によると、関東地方の4都県で2003年末から相次いだ資産家宅を狙った緊縛強盗事件の犯人がナウル国籍だった。

再逮捕されたのはナウル共和国籍で千葉県市川市市川南4、無職、デイビット・カイピン・チェン(35)▽中国籍で同県船橋市海神1、同、余強(35)の両被告=いずれも強盗罪などで起訴。調べでは、チェン容疑者らは3月12日午前4時ごろ、ほかの7人と共謀して板橋区大山町のビル管理業の男性(60)方に侵入し、室内にいた男性ら4人を粘着テープで縛り、現金約245万円と約3000万円相当の貴金属を奪った疑い。

 おやまという感じだが、このあたりは組織的に展開していたのだろう。
 都合のいい国なので、難民もやってくる。北朝鮮難民も経由したようだ。が、最大の問題はアフガン難民だ。しかも、アフガン難民がナウルにやって来るというのではなく、オーストラリアにやってくるのをゴミ箱よろしくナウルに押し付けてきた問題だ。先のBBC"Timeline: Nauru"にはこうある。

2001 August - Australia pays Nauru to hold asylum seekers picked up trying to enter Australia illegally.

2002 June - Nauru holds some 1,000 asylum seekers on Australia's behalf. President Rene Harris says Canberra's promise that they would be gone by May has been broken.


 この状況は非人道的ではないかということで、昨年末から今年の初めにかけて収容されているアフガン難民はハンガーストライキを始めた。読売新聞2003.12.18「足止めアフガン難民、豪移住求めハンスト 赤道上のナウルに2年」を読むに、悲愴である。

 難民支援団体や豪移民省によると、ナウルの収容施設には、女性や子供を含む二百八十四人の中東からのボートピープルが生活しており、このうちアフガン人二十三人とパキスタン人一人の計二十四人がさる十日、ハンストを始めた。このうち四人は自分の唇を縫い合わせた。十七日までに十一人が脱水症状などで病院に運ばれた。

 ハンストは収束したがオーストラリアの態度は変わっていない。という情報だけ書くとオーストラリアはひどい国だという印象を与えるが、私の考えでは日本のほうがもっとひどい。オーストラリアはなんだかんだ言っても、政治難民の受け入れを全体では緩和している。むしろ、オーストラリア政府としてはこの件をテロ対策の一環として扱っていたのだろう。
 ナウルをどうしたいいのか? 太平洋フォーラムが示唆するように支援するしかないのだが、支援は実質的な独立の放棄になるだろう。
 今朝のNew Zealand Herald"Nauru learning to live without wealth"(参照)は、日本人にしてみるとなんだか植民地政策のように見えないでもない。ABC News"Nauru urged to reconsider its independence"(参照)はもっと露骨だ。独立なんかやめなさいということだ。
 しかたがないのだろう。ナウルは特例とも言えるが、こうした傾向は他にも及ぶだろう。国家とはなんだろうなと思う。というほどでもではないが、宮古など文化的にはすでに独立国。だが、名目的に独立することは無理だろう。え? どこから独立? 日本、沖縄?

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2004.08.19

[書評]沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史

 率直なところ、あまり多くの人に勧められる本ではないのかもしれないが、私には面白く、そして考えさせられることの多い本だった。「沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史」(アナトーリー・T・クージン)である。
 内容は、沿海州及びサハリンにおける朝鮮人の近代史についてだ。文章は紀要か修論でも読んでいるような大味な感じなのだが、この問題に関心をもつ私などには面白い事柄に満ちていた。構成は沿海州とサハリンの二部に分かれている。


  1. ロシア極東の朝鮮人 1862~1937年(移住の始まり/法的問題/文化の発展 ほか)
  2. サハリンの朝鮮人 1870~1992年(サハリン人として生きて/強制移住と弾圧 ほか)

 率直なところ、出版社名(凱風社)やあおり文を読むと、うへぇまた左翼史観ですかという気にもなる。が、事実は事実だ。特に、日本が戦前行ったこの蛮行を覆うことはできない。

ロシア極東の朝鮮人が、どのように中央アジアやカザフスタンへ強制移住させられたのか、日本によってサハリンに連れてこられた朝鮮人はなぜ、祖国に帰れなかったのか。サハリン在住の研究者がソ連時代の公文書をもとに著した過去の「真実」。

 だが、この問いかけに本書は十分に答えていない。著者クージンが記す部分はなんと言ってもロシア人だという偏向はしかたないとしても、それほどは日本左翼マンセー的な内容ではない。歴史を見つめる者の一人としては、「日本によってサハリンに連れてこられた朝鮮人はなぜ、祖国に帰れなかったのか」はこの本によってもわからないと言うのが公平なところだろう。それは曖昧にするというのではなく、未決な歴史上の問題だということだ。
 前半に描かれるスターリンによる沿海州朝鮮人の強制移住は、ロシア側に立つクージンとしても、その数値、17万人を見る限り、弁明のしようもない蛮行であることがわかる(これをモンゴルにやっている)。スターリンの言い分としては、朝鮮人は日本のスパイになりかねないというのだが、そんなことはいくら左翼史観でも受け入れることは無理だろう。いずれにせよ、この強制移住で沿海州の朝鮮人は事実上根刮ぎになった。
 私も迂闊だったのだが、極東地域の朝鮮人の問題はついサハリンを中心に考えていた。そして、そのダイナミックな要因は日本だろうと思っていた。しかし、沿海州の朝鮮人移住は1969-70年の飢饉と当時の朝鮮の専制を逃れることによって始まったようだ。もちろん、その後は、日本の圧政を逃れての朝鮮人もいるのだがそれほどクリティカルな特徴は形成していない。
 現在中国と韓国の間でもめだしている高麗の歴史(日本史学では高句麗)だが、背景にあるのは中国域内の朝鮮族200万人が、統一朝鮮ができた際に民族主張をするのを中国側が恐れていることもある(参照)。
 この朝鮮族がどのように形成されたのか、私はよくわからない。ここでも日本の朝鮮半島支配を逃れたという説明を読むことがある。たとえば、「チャイナネット」の「中国の少数民族」(参照)の朝鮮族の説明にはこうある。

中国の朝鮮族の人びとは、主に19世紀中葉に朝鮮半島から続々と移住してきたのである。1910年に、日本帝国主義が朝鮮を併呑した後、帝国主義の残酷な抑圧と搾取に堪えられなくなった朝鮮の人たちの多くが中国の東北地区へ移住し、1918年までに36万余人に達した。

 反日は中国のお得意だし、その後の満州での人口増加を見るにこの説明はそれほど妥当なものとは思えない。むしろ、日帝のせいだというなら、なぜ帰還させないのかという問題を当然惹起するし、さらに半島自体を中国に含めていけない理由が消えてしまう。というわけで、チャイナネットの記述はいったって呑気な印象を受ける。この呑気さだとそのうち中国は、彼らは渤海人とか言い出すかもしれない。いずれにせよ、この曖昧な記述からも、沿海州の朝鮮人と類型な要素は多いだろう。
 ちょっと問題発言かもしれないが、今回の高麗歴史問題が韓中間で発生したのは、スターリンのような強制移住がなかったからとも言える。逆に言えば、ソ連を継承したロシアはカザフスタンやウズベキスタンに残る100万人からの朝鮮人子孫の問題を内包している。また、北朝鮮がソ連によって形成された傀儡政権であったことからも、北朝鮮の国境というものを皮肉にも明確にしている。つまり、ソ連の思惑どおりの北朝鮮のイメージを北朝鮮自身が受け取っている。
 しかし、韓国が統一朝鮮を朝鮮民族という視点で国民国家化するとなると、こうしたやっかいな問題を扱っていかなくてはならなくなる。日帝憎しの単純な発想ではすまないはずだ。だが、代替となる国家ビジョンを韓国側の知識人から聞くことは私にはない。
 日本が多く関わるのはサハリンである。「沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史」で私が驚愕したのは、むしろ知ってたはずのサハリン史のほうだった。先日の極東ブログ「北朝鮮残留日本人」(参照)を書いたおり、朝鮮人サハリン連行の事態にどうも自分が十分知らない大きな要素があると思いなおしたのだが、「沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史」を詳しく読み返すと、ぼんやりその相貌が見え始めてきた。
 まず、日本が行った強制連行の歴史は比較的わかりやすい。この本でも、(1)1939.9~1942.2の募集、(2)1942.2~1944.9の官斡旋募集、(3)1944.9~1945.8の徴用にわけて説明している。クージンは簡単な補足を述べている。

ここで注意したいのは、樺太への朝鮮人連行には、戦時の法に従った動員によるものと、募集によるものの二つがあったことである。動員によるものが完全に強制的だったとすれば、募集はそうではない。つまり、樺太に来た朝鮮人のすべてが強制されて来たというわけではないのである。もちろん、募集が詐欺的であり、拒否すれば身が危うくなったということはあるが、それは別問題である。また、日本に財産を持つ裕福な朝鮮人たちが樺太に渡り、地元の保護者に忠実に仕えた事実も否定できない。

 私の感触だが、1980年代ごろから「強制連行」が「徴用」の語感を失って論じられるようになってきたようにも思われるが、史的には徴用として考え直したほうがいいケースも多い。つまり、日本人も等しく徴用されていた。
 むしろ問題は、その「日本人も等しく徴用」という入口に対して、引き揚げの出口が対応していないことにある。日本の敗戦によって、突然、サハリンに残された朝鮮人は日本人ではないということになり、置き去りにされてしまった。これが非常に大きな問題だし、すでに日本人と朝鮮人の融合も進んでいたことも悲劇的な問題となった。
 この対処を行ったのはなぜか。本書からはあまり得るところはないのだが、やはり連合国側の思惑だろう。ちょうど、極東ブログ「終戦記念日という神話」(参照)で連合国が朝鮮総督府を使って戦後も朝鮮を統治しようとしたのと似た構図がありそうだ。
 こうして朝鮮人としてサハリンに遺棄された人口なのだが、本書では23,500人と推定している。率直に言うと、私がなんとなく記憶していた4~5万人という数の半数になる。私の錯覚は、まさに自分自身が「終戦記念日という神話」に呪縛されていたことにあるようだ。つまり、戦争が終わったのは日本だけなのだ。
 ソ連の傀儡国家である北朝鮮が成立すると、ソ連の要望によって、サハリンでの労働力を確保するために、北朝鮮の朝鮮人がサハリンに移動させられている。これは名目は募集ということになっているし、スターリンが行ったような強制移住ではない。1946年時点ではある種出稼ぎ労働者とでもいうように、帰還者も多い。だが、1948年、韓国が独立してから様相が変わり、帰還者が減る。クージンはあまり強調しないのだが、1950年時点で単純に入出の引き算すると12,000人ほどの北朝鮮の人々がサハリンに残されていることになる。
 ということは、よく左翼が日本が強制連行し遺棄したとする朝鮮人にはこの北朝鮮の人々と子孫が算入されているのではないか。
 誤解しないで欲しいのだが、私はそう読み取ることで、日本を免罪したいとも思わないし、北朝鮮を単純に責めたいということではない。一義的には歴史が語ることを不思議に思うのだ。
 むしろ私はこうした問題に対して悪い意味でナイーブなので、日本本土内の在日朝鮮人がなぜ十分保護されて半島に帰還できないのかとも思うし、帰還できない部分は帰化を推進すべきだと思う。だが、サハリンに遺棄されたように見える朝鮮人を朝鮮半島の南北の政府はどう扱っているのだろうか。帰還が推進されているのだろうか。

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2004.08.18

ロシアのプルトニウムと日本の関わり

 今朝の朝日新聞社説「核の闇市場――アジアで封じ込めを」は奇妙な感じがした。主張内容には標題以上のことはない。当然、反対する人もいないだろう。奇妙な感じというのは、なんだか見当識障害のような印象を受けたからだ。なんでも朝日新聞を批判したいというのではないが、まず簡単にコメントしたい。気になるのは二カ所ある。
 まず結語が常軌を逸していると思う。


核の拡散が起きるのは、保有国が核を手放そうとしない一方で、その保有国をまねようとする国や集団が絶えないからだ。この矛盾を解くには、核の廃絶に向けて世界を動かすことだ。それも、日本の不拡散外交の核心である。

 単に反米というだけのことかもしれないのだが、問題はそんな単純な理想を掲げることでは解決しない。一度できた核兵器は念力で消失するわけもない。きちんと解体する作業が必要になる。そして、現状の世界にまず重要なのは、ソ連の核兵器の解体だ。ソ連から継承したロシアの核弾頭解体によって、余剰プルトニウムが50トン出てくる。これがどのくらいとんでもない量かというのは、長崎原爆からでも類推できる。長崎に投下された原爆はウランタイプの広島原爆とは違い、プルトニウムを使っていた。当時の技術で6.1キログラム。同程度の破壊力で現在北朝鮮が開発しているのだと、2.5キロほどで足りるようだ。
 朝日新聞が叫ばなくても、すでに世界は動いている。2002年のカナナスキス・サミットでもこの解体のために、先進七か国が10年間で最高二百億ドルの援助を行うという目標を掲げた。もっともこれがうまく行っているとも思えないが。
 もう一点、気になるのはこれだ。

 アジアの国々が輸出管理を徹底し、闇市場を封じ込めていくうえで、日本の果たせる役割は大きい。非核三原則を持ち、武器の輸出を事実上禁じてきた国として、不拡散の大義を堂々と主張できる立場にある。加えて、アジアで最も厳しい輸出管理政策をとっており、そのノウハウを伝えることもできる。

 日本はそんなに偉いのだろうか? 私はあまりそう思えない。日本のプルトニウム管理はむしろずさんに思える。例えば「核燃機構の不明プルトニウム、問題なしと判断・文科省」(参照)など、これで問題解決なのだろうか。

核燃料サイクル開発機構の東海再処理施設(茨城県東海村)で、1977年から2002年9月末までに累計206キロのプルトニウムが行方不明になっていた問題で、文部科学省は実際の不明量は59キロで、測定・計算上の誤差と見なして問題ないとの報告をまとめた。

 この日本の文部科学省は、ソ連の核兵器解体に関係し、余剰プルトニウム処理に乗り出している。読売新聞2004.3.19「核兵器解体後の平和利用 余剰プルトニウム処分へ新技術 文科省、露と共同開発」をひく。

 核兵器のプルトニウムは純度が高く危険なため、原発用燃料にするには、核分裂しないウランなどを混ぜる必要がある。焼き固めて燃料にする従来の方法はコストが高いため、文科省傘下の核燃料サイクル開発機構とロシア原子炉科学研究所が二年前から、粉状の燃料を詰めて使う実験をロシアの原子炉で行ってきた。
 昨年末までの初期試験では、余剰プルトニウム約二十キロを含む新型燃料を燃やし、安全性に問題がないことを確認できた。今年から、一度に使用する新型燃料を七倍に増やす本格試験に入り実用化を目指す。

 実験は国内ではないので実態が掴みづらい。これらについて、まったく情報が隠されているわけではない。例えば、「余剰プルトニウム処分に関する日ロ協力について」(参照)。だが、わかりづらいのは確かだ。
 話が散漫になってきたが、先日のMoscow Times"Nuclear Security Is a Myth"(参照)では現状ロシアのプルトニウム管理に疑問を投げかけていた。真偽についてどうコメントしていいのか、率直に言うとわからないのだが、ロシアにはまだ500トンもののプルトニウムがあるというのだ。

There are other highly disturbing facts. I have obtained a document, signed by the head of the old Nuclear Power Ministry in November 1997, stating that over 500 tons of weapons-grade plutonium and uranium are stored in Russia in conditions that "do not conform to international safety standards." More than 20,000 nuclear weapons could be produced from 500 tons of weapons-grade material.

 Moscow Timesはこれらのプルトニウム管理に欧米の力を借りるべきだと言う。

If nukes get loose, Russia will be the first to suffer. Russia urgently needs Western aid and technology to help build a modern security and nuclear material control system. Just telling the world that everything is hunky-dory won't get the job done.

 核問題に呪縛されたようにナーバスになるべきではないと思うし、ロシアの核の問題はアジアの核の闇市場とは別問題だと言えないこともない。だが、朝日新聞のように、日本が核不拡散の大義を堂々と主張できるとはとうてい思えない。そして、潜在的な問題は、たぶん、ロシアにあり、すでに日本も深く関係している。

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2004.08.17

オリンピックと身体

 私はオリンピックにまるで関心がない、とまで言ってもいいと思う。今回のオリンピックについて、しいて関心を持つのは韓国が日本より何個メダルを多く取るかな、ということだけ。韓国では今回シドニーより報奨金(最高約1500万円)が増えたし、金メダルなら兵役免除だ。って、もちろん、皮肉だよ。勝手にしろよ、と思う。というわけで、以下、酔ってくだを巻くような話になる。
 私はスポーツが嫌いか? 概ね嫌い、と言っていいと思う。でも、中学高校と陸上部だった。もちろん、選手ではないし、競技を目指すのも嫌だ。私は、幼稚園から小学校に入る頃、小児喘息だったこともあり、運動オンチってやつだ。ドッジボールでは逃げるの専門。っていうか、玉が当たらないくらいの運動神経はあるというトホホなヤツだ。金魚掬いの金魚の気持ちがよくわかる。小学校が遠いっていうのがいじめられる理由であったりもしたし、勉強もできなかったし、てなものだが、高学年になり成績があがるにつれ、自己イメージを少しずつ変えた。中学で陸上部で訓練していたら、短距離はクラスで2番にはなった。1番にはなれない。先天的に飛脚の子孫かみたいなやつがいる。ま、そんなことはどうでもいいが、こうして自己とそのイメージと身体はまさに思想のように可変だということがわかるのも奇妙なものだった。
 球技もひととおりはやった。ルールはわかるから、競技を見ろと言えば、見てわからないでもない。ただ、球技は抜本的に嫌い。というか、一つの玉を集団で追っかけるというのが、しらけてしまってダメだ。あんなものただの玉だ、オメーラなぜそんなに必死、みたいに思ってしまうのだ。もっとも、人の生き方には干渉しない。
 大学ではフィットネスと水泳を適当にしていた。私は着痩せするタイプだし、ムキっと筋肉が付くタイプでもない。が、「わたしって脱ぐとすごいの」感は、当時は、若干あったかも。ホモ視線をよく浴びた。
 身体を使うというか身体とその運動イメージについては、社会人になっても関心を持ち続けた。ダンスとかバレエとかやりたいものだと思った。バレエはさすがにできないが、ダンス系やニューエージ系の身体訓練は好きだった。世界的に有名なヨガのインストラクター、ロドニー・イー(Rodney Yee)のヨガのセミナーにも参加したことがある。一緒に参加していた欧米人の女性は恍惚(こうこつ)と彼の裸身を見ていたが(参照・スチルだとわかりづらいが)、なるほどね、あれは、さすがにセクシーだねと、思った。東洋人でもあそまで美になれるものなのだ(そもそも仏像っていうのはセクシーだよな)。ロドニーはムキムキ系の筋肉ではない。腹筋も強いが、Tarzanオススメの見せかけ肉ではない。ヨガでは腹筋は鍛えるが柔らくしないといけない。余談だが、ロドニーに訊いたら、昔バレエをやっていたと言っていた。あれだけ美しい裸身をしていながら、ファッションセンスがないのか、服を着ると中国人のオタクみたいになる。なんだか変な話になってきたな。
 私は、レオナルド・ダ・ビンチがその重要性を説く解剖学にまで関心は進めなかったが、それでも骨格と筋肉の付き方には関心をもっていた。もともと西洋美術が好きなこともあり、よくトルソを見た。あれはなんというのか、見慣れてくると、なるほどいうものがあり、面白さがわかる。若者のトルソと中年のトルソの違い、少女のトルソと夫人のトルソの違い。そうしたなかに西洋的な美がどう表現されているかがわかるようになる。私はどうも欧米系のオヤジ志向なのか、マイヨール(Aristide Maillol)のトルソもいいと思う。女っていうのはむちっとしているのもいい(参照)。って、そういう話じゃないよな。
 この話の出だしはオリンピックだった。古代オリンピックの場合、あれは競技というより、美しい身体を生み出し、観賞するというものだったのではないかと思う。全裸で競技をしていたというのも、トリビアの泉のネタで笑いをとるようなものではあるまい。
 あの身体造形、つまり、アテネの考古学博物館やその他地中海の古代彫像を見ていると、はっきりととまでは言えないが、ギリシアの身体とローマの身体には肉付きの差があることに気が付く。個人的には背筋に違いがあると思う。ローマのほうは戦闘の香りがするのに対して、ギリシアのほうがスレンダーでセクシーだ。戦闘の身体ではない。プラトンの著作など読むと、こういう男色的な美の理念があったのだろうとも思う。
 こういう考えかた、つまり、オリンピックはギリシア身体の生成に関係するのだろうというのは、誰かがすでに言っているのか知らないのだが、以前、シュタイナー・スクールを卒業した人とそんな話をしていたら、スクールではではまさにギリシア競技をやっているとのことだった。声(シュプラッハ)を出すにも、やり投げなどが基本になるらしい。ほんとかね。
 シュタイナー、つまりルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner)については、ここではちょっと言及するにためらうのだが、ヴァーグナー(Wilhelm Richard Wagner)についても言える面があるが、どうしてもギリシアを模した美とナチの美学の類型に連想が及ぶ。そう、アレだ、「民族の祭典」(Fest Der Volker Olympia)である。1936年ベルリン・オリンピックの記録映画という枠組みを持つものの、端的に言って、ナチ美学である。「美の祭典」と併せてオリンピア二部作とも言われる。露骨にギリシャ古代遺跡に始まり、その彫刻と同じようにポーズをとる裸体美の描写などが映し出される、と言ったものの、近年NHKでも放映されたことがあるが、私は部分的にしか知らない。
 こーゆーのなんなのだろうねと思う。大正生まれの山本夏彦や吉本隆明も、この手のスポーツ美学を非常に嫌悪していたが、嫌悪と忌避ですまされる問題でもない。
 幸いと言っていいのか、現代のオリンピックは成果主義なのか、特定の競技にアスリートの身体が特化されて(畸形化なんて言っちゃいけないよね)、ギリシア的な身体美は出現しない。唯一の救いは黒人の陸上競技者の美しい身体だ、と思う。

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2004.08.16

米軍機、市街地墜落の意味

 沖縄県宜野湾市の沖縄国際大構内に、米軍CH-53D大型輸送ヘリコプターが墜落したのは、13日の金曜日、午後2時20分ごろ。あれから3日近く経過したが、沖縄県警はいまだ現場検証ができない。ここは本当に日本国領土なのだろうか。日本側の事故検証ができないのは、米軍の同意が得らないからなのだが、なぜそんな同意が必要なのかというと、日米地位協定があるからだ。事故機は米軍財産にあたるので、現場検証には米軍の同意が必要とされるというのだ。沖縄国際大学は日本の財産ではないのか。ようするに、日米地位協定がまたもしょーもないネックになっている。沖縄人のレファレンダム(referendum)といえる住民投票によって、日米地位協定改定が希求されたのに、依然、日本国政府はこれを無視したままである。
 事件は本土側にも報道されたが、ベタ扱いに近い。プロレスとさして変わりない大衆興行であるオリンピックでメディアの時間枠が埋まっているせいもあるのだろう。住民被害もなく、大惨事という印象を与えないせいも大きいかと思う。
 自分も長く沖縄県民であったから思うのだが、沖縄県民には、おそらく二つの思いがよぎったことだろう。一つは、またかよ、である。1972年の本土復帰以降、沖縄県内で発生した米軍機の墜落は今回で41件め。年に一回は落ちる計算になる。しかも、今回のCH-53Dは1985年、1999年に、沖縄本島北部国頭村で墜落したことがあり、2回ともきちんと4人死亡した。今回は乗員3人。1人は重傷だが、2人は軽傷に終わった。よかったねと言えるわけもない。事故地域は人口の多い住宅地なのだ。
 それが二点目の思いにつながる。普天間飛行場自体、危険極まりない存在だということだ。今回の墜落が、沖縄国際大学近くの保育所やマンションであれば大惨事となった。沖縄県民は誰でもいつかその大惨事が起こると予想している(この感覚が本土人に伝わらない)。もちろん、米国側も予想している。昨年来沖し、普天間飛行場の上空を視察したラムズフェルドも巷にいわれるほど、おばかではない。状況を理解している。日本政府もある程度は理解している。次に事故が起きれば、すべては終わる。
 普天間飛行場というのは、実に破廉恥な米軍基地である。回りを住民の居住区が囲んでいる軍事基地などという存在自体がふざけている。米軍側でも言い分もあるかもしれない、後から住民が住みだしたのだ、と。ふざんけんな、である。日本軍の駐屯地ではあったが、本土空爆用の滑走路を作ったのは米軍。戦争が終われば、こんなもの無用になるはずで、しばらく放置されていた。空軍下だったので、嘉手納基地に統合されるはずだった。ところが1960年に海兵隊へ渡され、以降海兵隊の既得権となった。4軍がまともに統制されるなら、さっさと閉鎖されていい基地であり、Stars and Stripes紙が"Base targeted for closure:閉鎖目標基地"(参照)と表現するのも当てこすりではない。
 このニュースが本土側でベタ扱いなのは、土地勘が働かないせいもあるのだろう。沖縄中部の地図を見るとすぐにわかるように、普天間飛行場は沖縄国際大学に隣接している。今回の事故機も、琉球大学西側から北上し、あとわずかで普天間基地内に入ろうとしていたようだ。地域をより詳細に見ると、住宅地であることがわかり、ぞっとする感じももう少し伝わるのではないか。



 墜落地点付近にはマンションが多いことがわかる。まさに住宅地域だ。小学校や保育所(幼稚園)、また、県民なら日常なじみの「かねひで」も近い。沖縄の普通の生活地域だ。琉球大学生による写真撮影「写道部」(参照)が現場の雰囲気をよく表している。一覧(参照)中、特にこの写真(参照)のコメントがいい。


駆けつけた人々。つーかこの高さのマンションによく激突しなかったもんだ。
墜落機の進入経路には背の高いマンションやアパートが並んでいる。
隙間を縫って大学の壁面に衝突したのは奇跡的。

 実際のところ奇跡的だったのかはよくわからない。その他、現場を見ていた人の話を総合すると、墜落以前に沖縄県警のヘリが危険を察知して待避のアナウンスをしていたようでもある。また、事故機はしばし、ふらふら空中を旋回していたらしい。落ちる場所を探していたのかもしれない。シェル給油所は絶対にさけるポイントだったことだろう。事故機の乗員たちに死傷者が出ていないのも、ある程度自分たちの命は助かると踏んでいたのだろう。
 米軍の現場レベルでは今回の事故をそれほど重視していない。というのも、普天間飛行場の海兵隊は15日には通常通り、C2A輸送機のタッチ・アンド・ゴー(離着陸訓練)をやっている。あるいは、事態の政治的な意味が、まるでわかっていないのだ。
 今回の事件は国際的には注目されていない。本土が側が初動ベタ扱いという点では、1995年の少女レイプ事件でも同じだが、あの時は国際的なリアクションがあった。私はすでにインターネットのニューズグループなどを見ていたが、レイプ犯が黒人であるということまで早々に議論されていた。少女レイプ事件や服部君射殺事件でもそうだが、米国内で潜在的な問題意識があれば、事件の様相も変わる。日本政府や日本マスメディアは国際世論に弱い面がある(すべてそうではないが)。しかし、今回の事故は米国民には特に関心をひかない。例外的に新華社が若干関心を持っているようだが、つまり、そういう政治の枠に収まってしまう。
 沖縄を含め、反基地運動グループの動向は、皮肉でいうのではないが、組織が硬直化しているのか反応は遅いだろう。プロ市民動員の割り当てには準備がいるのではないか。インターネット時代の情報戦にも弱いことは先日のイラク日本人人質事件でもわかった。
 日本政府側の表面的な対応はこのままうやむやだろうか。利権もあるため、自民党は辺野古代替基地をいまだ推進しようとしている。愚か者としかいいようがない。潜在的に日本の国家危機でもあるというのに、政府内に沖縄を知るタマがこの10年で自民党から消えてしまった。梶山静六が死に、野中広務が引退し、事実上岡本行男が失脚した。山中貞則も死に、福田康夫も失脚した。つまり、そういうことがすでに危機なのかもしれない。

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2004.08.15

終戦記念日という神話

 終戦記念日というけど、終戦したのは日本だけ、ということを日本人は忘れがちになる。しかも、8月15日は。降伏勧告のポツダム宣言を受諾したと元首が国民に通知しただけで、実効の降伏文書に調印したのは9月2日。終戦記念日は9月2日とすべきかとも思うが、沖縄を含む南西諸島の日本軍守備軍と米軍との間で降伏調印が行われたのは9月7日。なので、沖縄戦が本当に終わったこの9月7日をもって、日本の終戦記念日としたほうがいいと思う。
 1945年8月15日、日本の国家元首である天皇はラジオを通して敗戦を通知した。玉音放送と呼ばれている。放送とはいっても、いったんレコードに録音されたものだった。録音場所は皇居なので最初から雑音が入った。その前日、新聞などで重大な放送があると発表されていたので、多くの日本人はたぶん敗戦宣言だろうと予断を持って聞いたようでもある。
 玉音とはいえ、日本国民は現実の天皇の声など聞いたこともなかったし、そもそも聞いてわかるような内容ですらない。書き起こした「終戦の詔勅」(参照)は今ではインターネットで読むことができる。玉音放送のmp3ファイルへのリンクもある。玉音放送など聞いたこともないという日本人もいるかもしれない。だったら、聞いてみそ。
 秋田県に疎開していた山本夏彦は、玉音放送を聴いたその日は、別に変わったことはなかったと言っている。ただ、その夜、突然拡声器で東京音頭が流れたそうだ。老は「僕のだいきらいな東京音頭、やーっとな、それよいよい」(「男女の仲」)と言う。
 余談だが、昭和天皇が崩御したその時、私は東京駅にいた。職場に向かうはずだったが、こんなことは人生にそうあることでもないと思って、そのまま二重橋に走った。明治大帝が亡くなったとき、あるいは敗戦時を連想させるような光景がそこに出現するだろうかと期待した。が、何も無かった。静かだった。人も少なかった。私はしばらく虚空を見ていた。歴史に遭遇するというのはそういう感じかも知れない。
 玉音放送のシーンは、その後ドラマなどで何度も再現された。だが、そのたびに、別の物語になっていくように思われる。本当はどうだったか、もっときちんと調べたほうがいいようにも思う。
 一例だが、春風亭柳昇の名著「与太郎戦記」によれば、柳昇は、負傷兵となり北京の病院に収容されているときに、玉音放送を聴いた。前日にやはり通達があったそうだ。


私たちは、翌八月十五日の正午、病棟前に整列し、玉音放送を聞いた。だれも、
「戦局が悪くなるし、みんな、がんばれ」
という陛下の激励のおことばだと信じ込んでいた。そのうえ、詔勅の文章がむずかしく、ラジオも雑音が多いので、ご放送が終わると、
「さァ、いよいよ決戦だぞ!!」
一同、武者ぶるいしながら病室に戻った。

 「与太郎戦記」を読めばわかるが日本軍は実にトホホとしか言いようがない、笑うっきゃないような戦争を展開していた。私は戦争をばかにしたいのではない。本当の戦争には、そういう側面もある。「与太郎戦記」のような、本当の従軍者の、しかも、高位軍人ではない人の実体験禄は、今後も日本人が読み継いでいく必要があるだろう。が、これは絶版のようだ。
 柳昇は玉音放送を聞いて疑問に思ったらしい。

だが、どうも私にはフに落ちないところがあったので、ただ一人残って、あとのニュースを聞き、戦争は日本の無条件降伏で終わったことを知った。助かったと思う半面、いい知れぬ悲しみをおぼえ、気持ちは複雑だった。
 当然のことだが、終戦になると同時に、食事は今までの半分になってしまった。なるべく体を動かさず、腹がへらないように努めた。
 炊事場へ行くと、昨日まで雑役で働いていた中国人が、一夜にして中国軍の中尉に変わっていた。スパイだったと聞いて、ビックリした。

 柳昇の話によれば、玉音放送にはちゃんと解説もついていたのだ。あれだけじゃなかった。
 さて、日本では終戦記念日だが、日本に支配されていた国では、当然、違う意味を持つ。
 8月15日は韓国では光復節として祝う(なお、台湾の光復節は10月25日)。北朝鮮では祖国解放記念日としているらしい。「光復」には日本の支配からの解放という意味合いがあるのだが、史実はやや皮肉でもある。
 1945年8月15日以降も朝鮮総督府の統治は続いていた。当然といえば当然で、この日を境に体制が崩壊したわけではない。沖縄から遅れること2日、9月9日になって、ようやく朝鮮総督府は米軍との間で降伏調印式を行い、これによって、朝鮮半島は日本から米軍下に置かれることになった。
 この間の1か月に満たない朝鮮の歴史は、かなり紛糾していた。
 朝鮮総督府は、朝鮮が米軍下になる前に、統治機構を朝鮮民衆に引き渡そうとしていた。なんらかの日本側の思惑もあったのかもしれない。17日に朝鮮総督府は、朝鮮の建国準備委員会に権限を委譲し、市中では太極旗の掲揚を推進させた。建国準備委員会では、現在のイラクよろしく、当時のリーダーであった呂運亭と宋鎮禹との政争もあったようだ。
 しかしこの権限委譲の動向を早々に察知した米軍は、16日の時点で暫定的な朝鮮統治を朝鮮総督府に命じていた。結局、米軍の命令どおり、統治の権限は18日には総督府に戻されることになった。太極旗も日章旗に戻った。朝鮮の人はいやな思いをしたことだろう。
 米軍は、朝鮮に主権が発生することを抑制し、朝鮮への支配をそのまま日本から譲渡するという形態を取りたかったようだ。米軍には、38度線で朝鮮半島を分割する、対ソ連の思惑もからんでいたのだろう。
 その後、国連決議では、南北朝鮮で総選挙を実施し朝鮮統一政府を樹立するよう推奨されたが、ソ連の反対により頓挫。しかたなく米軍は、韓国だけで1948年5月10日に憲法制定国会の総選挙を実施させた。
 この結果、李承晩を初代大統領として1948年8月13日に大韓民国が建国した(参照)。
 そう、韓国の建国記念日は8月13日のはずである。が、現状、韓国では、その2日後の15日の光復節をもって、建国記念日としているようだ。日本から独立したという意味合いを込めたかったからなのだろう。

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