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2004.08.07

金魚救い?

 金魚救い? あー、また誤字かね、正しくは、「金魚掬い」とコメントをいただきそうだが、金魚救いでよろしい。この4月のことだが、イギリスでBBCで報道されたが、金魚救出の事件があったのだ。
 洒落た文章なのでちょっと読みづらいが、BBC"Goldfish rescued from drain death"(参照)を読まれたし。


 He was the only goldfish showing any signs of life when seven of the fish were spotted down a drain, among pebbles and plants from their tank.
 Residents of Sunbury Avenue, Newcastle upon Tyne, called the RSPCA but when the drain grate refused to budge, the council was called in to save the fish.
 He was fished out, christened William and adopted by one of the rescuers.

【試訳】
 彼は生存の可能性を示していた唯一の金魚だった。他の7名の金魚は、排水溝の下、タンクの小石や水草にまぎれていた。
 タイン河沿いサンベリー街ニューカーッスルの住人はRSPCAを呼んだが、排水溝が開けられないとわかるや、住宅委員会が金魚の救出に呼ばれた。
 ウイリアムと名付けらた金魚は救助隊の一人に救い出された。


 いまひとつ解せないのだが、どうやら、金魚の救出が困難であれば、排水溝を壊すぞということだったようだ。
 いずれにせよ、マジで、金魚救い、なのである。
 ところでこの話の主人公は金魚のウイリアム君ではない。RSPCAだ。RSPCAは、Royal Society for Prevention of Cruelty to Animalsの略。ロイヤル・ソサエティだよ、控えおろう! 王立動物虐待防止協会(英国動物愛護協会)だ。アニマルポリスと言ったほうがわかりやすいかもしれない。おいこら、そのジャ※、エビのおどり喰いすんじゃないよ。おいこら、そのコリ※※、犬を喰うんじゃないよ。
 RSPCAは篤志家の寄付金によって運営されている団体で、イングランドとウェールズに200ほどの支部、100ほどの動物病院を持つ大組織だ。国際的にも活動を展開している。
 この団体は、金魚の命を救うのに必死だ。日本人の感覚からすると、金魚って動物?って印象もあるが、動物だ。ウイリアムはニモの友だちなんだ、ということかどうかしらないが、先月は、RSPCAの尽力によって、金魚掬いから金魚を救うための法案もできた。
 だから、マジなんだってば。テレグラフ"New law to ban children from owning pets"(参照)にちゃんとこうある。

The Bill, which modernises century-old laws, safeguards circus animals and halts the sale of goldfish as prizes at funfairs. Children under 16 would be banned from buying pets if the Bill becomes law.

【試訳】
この法案は、100年前のものを現代的にアレンジしたものだが、サーカスの動物の生命を守り、お祭りなので金魚を商品用に金魚を売るのを止めさせるものだ。この法案が通れば、16歳以下の子どもが動物を購入することも禁止される。


 ほらね。夏祭りの金魚掬いなんてもっての他だ。NHKの「ためしてガッテン」で金魚掬いのコツなんか放映していたけど、これをBBCで流せば日本バッシングになってしまう、マジで。
 こうした動向はさらに広がりを見せている。イタリア北部のモンツァでは金魚鉢で金魚を飼うのも禁止になった。ABC"Council bans goldfish bowls"(参照)の報道はこうだ。

Pet owners in the northern Italian city of Monza, best known for its Formula 1 Grand Prix, have become the first in Italy to be banned from keeping their goldfish in bowls.

【試訳】
フォーミュラ1グランプリで有名なイタリア北部のモンツァだが、ここがイタリアで初めて金魚鉢で金魚を飼うことが禁止されるようになった。


 これが台湾にまで広がれば、故旧の茶館の金魚も撤廃されるのだろうか。
 とま、この手の話は、俺なんざ日本人さと、茶化してみるのだが、正直に言うと、私はけっこうRSPCAに心情的に傾いている。その心情の本源は彼らと同じではなく、単に仏心ってやつだ。地獄に堕ちたら、蜘蛛の糸で救われたいと願っているのだ。金魚掬いも好きではない。命からがら逃げまどう衆生を追いつめてはいけないとも思う。日本ではなにかと命の大切さというが、本当じゃないなと思うし、私は仏教徒なら肉食はすべきではないとも思う。
 ただ、こうした愛護は日本ではまたぞろ偽善になるのだろうとも思う。夏祭りの金魚掬いの金魚だが、あれは、実は、他の動物飼育用の餌の流用だと聞いている。金魚掬いだけを隠して、生きた餌として流通される実態はそのままというのも変なものだ。
 また、金魚掬いは残酷だという声は日本にもあるのだが、それも金魚を追いつめるからというよりは、始末に関連したもので、池などに放てばいいとしているところもある。おいおいという感じがする。
 こんなことで日本の夏の風物詩が消えていくのもなんだかなという感じもするが、すでに昔のような夏祭りでもない。金魚が好きなら、私のお薦めだが、奈良の郡山でも散策するといい。ほんと、いい所だよ。旧家の町並みもあり、女郎屋敷の話「千と千尋の神隠し」を思わせる風情もある。

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2004.08.06

空想過去小説「チーズとバギウム」

 毎週鉄人28号を見ている。今週は、ヤポンスキー(日本人)とニッポンとヒコポンデリーから造語したような、おなじみのキャラ「ニコポンスキー」も声優名を隠して登場した。面白くてたまらない。戦後に糸川英夫(バレーリーナ?でもあった)博士が作ったペンシルロケットも、戦前の設定で登場してきた。フィクションだからな。空想科学小説が未来ではなく過去に向けて描かれるのは、もしかするとなんらかの意味があるのかもしれない。私も過去に向けてちょっとフィクションを書いてみたい。
 というわけで以下は、フィクションである。

「チーズとバギウム」
 アジアの現代史はアヘン戦争から始まる。
 イギリスは中国人に麻薬のアヘンを売りつけていた。人間をダメにするには最適の薬だ。当然、中国に君臨していたモンゴル王朝正統の清王朝道光帝は怒った。1839年、イギリスとの交易を禁止した。が、翌年イギリスはこれに因縁をつけて中国に軍を派遣。42年に攻撃開始。清軍は大敗し、香港島、九龍地域が割譲された。98年には99年間の租借とした。契約を結んだとき返還が実現する日が来ると思う人はほとんどいなかっただろう。だが、1904年に生まれたポーカー好きの小柄な中国少年は心に誓った、必ず、この契約を実現してみせる、と。なお、この契約書は今台湾にある。
 こうしてアジアにヨーロッパが侵略を開始した。まるで大きなチーズを切り分けるような具合である。
 各国はイギリスのような汚い手口の真似を始めた。ロシアは鴨緑江以北(これが今の北朝鮮とロシアの国境にもなる)とウラジオストックのある沿海州を割譲させた。フランスは清朝下のベトナム、ラオス、カンボジアを植民地化した。この地域を、だから、日本人は仏印と呼んだ。対向する西側のビルマをイギリスが植民地化した。タイは緩衝地域になったので植民地化を免れた。
 清朝下の国は植民地化される、というのがこの時代の常識になっていた。そして残りの李氏朝鮮をロシアが狙っていた。
 朝鮮半島がロシアのものになれば次のチーズは日本になる。日本は焦った。僕はチーズじゃないよ鼠だよ、というわけで、朝鮮に手を出した。半島の清軍を追い出そうして清朝と戦争を始めた。1884年日清戦争である。日本は勝利し、朝鮮を清朝配下から独立の名目で自国配下に置き、さらに遼東半島(大連・旅順)を割譲した、はずだったが、ロシアが怒った。そこは俺のチーズのはずだったと言うのだ。フランスとドイツをつるませて、いちゃもんをつけた。1889年三国干渉である。日本は遼東半島を失った。
 遼東半島の旅順を失えば、朝鮮半島支配などできるわけもない。逆に言えば、旅順を手に入れれば朝鮮半島が支配できる。ロシアは清朝から旅順を租借し、要塞を築き始めた。おまけに清朝の内乱義和団事件(1899)にかこつけて満州を占領した。やったね。実質半島はロシアの手に落ちた。余談だが、北朝鮮はソ連が作った傀儡政権なので、見方によれば今でもロシアの手に落ちたままなのかもしれない。
 日本は怒ってロシアに宣戦布告した。日露戦争である。日本はからくも勝利した。が、全面的な勝利でもなければ、さらに泥沼の戦闘に推し進めるだけの国力も日本にはなかった。
 このまま突き進めば最後はロシアが勝つだろうと、ロシア買いかぶりのアメリカ人ルーズベルト大統領は思った。
 アメリカは日本の植民地化に失敗し、ようやくフィリピンを捕ったばかりだ。日本を潰してロシアとことを構えるのはめんどうなことだとも思った。ここは日本にロシアを露払いさせて、あとで日本を潰せばいいのだ。というわけで、講和に乗り出した。かくして満州が実質、日本の手に入った。日本は、迫り来る最後の日も知らず、図に乗って朝鮮も併合した。最後の日を想像できる日本人もいたにはいたのに。
 アメリカは満州にちょかいを出し始めた。
 それを知ったロシアは、やべーぜと思った。今度は日本とロシアが満州の権益をきちんと山分けしておくべ、とした。
 が、矢先にロシアのロマノフ王朝が倒れた。1917年ロシア革命だ。レーニンのちょっとした勘違いのクーデターがひょんないきさつで革命になっちまった。これって、マルクス=エンゲルスの予言した共産主義革命かもと思うばかたれは、アメリカにまで出てくるありさまとなった。いずれにせよ、ロシアは極東から一時的に撤退した。それを見ていた愛国者スターリンは義憤した。俺がチーズを取り戻してやると思った。
 満州に居座った日本の関東軍は、なんくせだか屁理屈だかつけて、日本本土のシビリアンコントロールから外れてきた。シビリアンコントロールがあれば軍隊は暴走しない。シビリアンコントロールのない軍隊は暴走する。まんまじゃん。
 関東軍は、「清朝を倒すことに一役買った孫文も満州は中国じゃないからね」と言ったよ、ほいじゃね、というわけで、1932年関東軍は満州に清朝の傀儡政権を作った。
 日本本土の犬養首相は怒った。うぜーなと軍人は思った。軍人は犬養首相を問答無用で暗殺した。いや、こんなの軍人なんかじゃないか。軍人はこれから殺そうとする者にまず銃を渡す。そうでなければ、軍人の名誉が守れない。日本の軍人には名誉なんてものはなかった。それはやがて満州が崩壊したときに、恐ろしく醜いかたちで露呈したのだが…。
 満州をめぐり日本と米国が争う構図はできあがった。
 だが、国際状況が読めないとんちきな軍部はロシア戦争の勝利とソ連共産政権への恐怖から次の戦争はソ連に備えていた。まるで根拠がないわけでもない。
 1939年、スターリンの台頭とともに極東への関心を取り戻したソ連は、満州とモンゴル人国境ノモンハンで日本と衝突し、戦闘を始めた。ノモンハン事件と呼ばれるが、事件なんてものではない。戦争である。
 日本側の被害もひどかったが、ソ連側の被害もひどかった。スターリンは実は臆病ものである(ロシア軍の本質は臆病である)。しばらく日本と事を構えるやめとこうと考えた。1941年、日ソ不可侵条約を結んだ。
 もっとも、それで終わりなわけはない。スターリンは考えた。この愚劣なヤポンスキー(日本人)を南方に追い出し、アメリカに叩かせればいいじゃないか、と。
 かくして、諜報活動を駆使して日本の方向を転換させた。が、日本の軍事教練はいまだに対ソ連戦を想定して行われていた。そんなもの南方では役に立たない。役に立たないという点で、今の日本の教育と似ている。日本人は歴史からなにも学ばない。
 ソ連との関係が沈静化するなか、満州を巡り、日本とアメリカの対立は激化した。
 1939年以降戦時に盛り上がったアニメ、トムとジェリーよろしく、アメリカは日本鼠を巣から出してみるか、ということで、アメリカは日本の海路を封鎖した。日本に石油が来ない。資源のない島国はこれで終わりだ、と日本は妄想した。フセインくらいタフな悪知恵も働かなかった。
 かくして日本はアメリカのシナリオどおりに開戦したのだが、日本の戦闘はアメリカの予想に反して意外とタフだった。国家総動員で軍事生産に充てるなんてことは科学的な経済学では予想だにできなかった。おい、この国(日本)には民間部門はないのか。あ、今でもないか。
 アメリカ人は恐怖した。日本人は、そのまま自殺爆弾になって攻めてくる。そんなことは想像もできなかった。
 武士道とは死ぬことと見つけたり。武士は戦うと決めたら死ぬことと決める。考えれば人間は必ず生きることに向かう。己が生きることに向かえば戦闘には隙ができる。いずれ死ぬという状況にその隙は負けを誘発する。死が栄誉であるには、そして勝機を得るには、まず死ぬと決める。これが武士道だ。哲学としては素晴らしいが、近代戦の実戦には有効的ではない。
 それでも自殺爆弾となった日本人に、米軍の勇者の誇り海兵隊がまずびびった。こんなやつらに面と向かって戦うなんてやなこったと泣き言を上げた。
 それじゃ、殺虫剤を撒くように空爆でこいつらの家族を殺してやるに限るな、とファミリー思いのアメリカの上層部は考えた。実践した。
 害虫駆除のように東京を焼き払った。1945年3月10日。10万人の日本人非戦闘員が殺された。面倒よく家族ともども殺したから、その消息も辿れる生存者は少ない。
 それは恐ろしく無意味な殺戮だった。そんなに多数の日本人の民間人を殺す必要はなかった。
 日本政府もその時期、すでに敗戦の手続きを始めていた。が、目先の敵に目がくらんで本当の敵が見えなかった。日本は、こともあろうか、スターリンに泣きついていたのだ。日ソ不可侵条約のよしみで米英につないでくれよ、というのだ。泣けるほど、ダメ、日本。
 なぜならその1か月前にスターリンはそんな日本の泣きをネグって、ルーズベルトとチャーチルとで、クリミヤ半島のヤルタで日本の戦後処理の計画を始めていた。戦後処理といっても、戦後復興ではない。くずれたチーズを寄せ集め、また切り直そうというだけのことだ。
 スターリンは躍起になっていた。このままいけばルーズベルトにやられる。いや、ルーズベルトは阿呆だからなんとでもなるだろう。問題はこのハゲ(チャーチル)だ。取り敢えず、1年期間の残る日ソ不可侵条約なんてものは反故にしまっせ、とした。満州・極東については三国干渉の時に戻して、俺(スターリン)にくれ、と飲ませた。あとはヒットラーがくたばるのを待つばかりだ。
 が、ここでまるで偶然であるかのように4月ルーズベルトが死ぬ。え?とスターリンは思った。ヤルタの密談はどうなるんだ。
 アメリカは副大統領にして真の男、トルーマンを出してきた。今で言ったらチェイニーが大統領になったようなものである、いや、このスターリン嫌いの反共主義者は民主党だな。歴史的には民主党のほうが戦争好きに見える。トルーマンはヤルタの密談に怒った。スターリンにやるチーズはない。
 5月にヒットラーが自殺。ドイツ壊滅。スターリンは軍隊を急いで極東へ向けた。チーズが、チーズが、無くなっちゃうよ。
 トルーマンはトルーマンで焦りだした。ルーズベルトを消すのに手間かけすぎた。敵はスターリンだ。こいつの前で、どかんと一発、やつの嫌いなハゲ頭、をやるしかないだろう。俺(トルーマン)に刃向かえないっていうのを知らせるのに、ま、もう10万人くらい日本人でも殺すか。ビッグファイアー博士の弟子オッペンハイマー博士から届いたコード名「バギウム」の威力も見てみたいものだ。
 7月16日、原爆実験成功。
 すげーな、と実験報告を受けたトルーマンは満足した。まるで、この世の終わりみたいだ。これなら東京大空襲の10万人殺戮が一瞬でできそうだな、な、フォン・ノイマン博士。と、トルーマン大統領はコンピューターの父にきいた。
 ノイマン博士は原爆開発のマンハッタン計画で、爆発高度の計算を行っていた。また、爆発地の選定にも関わり、広島、長崎など4都市の攻撃に賛成していた。というのも、軍需工場地帯ではそれほど威力はない。
 トルーマン大統領に問われたノイマン博士は、内心困惑した。そ、そんな威力はないっすよ、とは言えなかった。
 同席していたオッペンハイマー博士は瞑目した。死ぬのはたぶん1万人だろう。だが、なぜ科学が民間人を殺すために利用されるのか。
 こうした博士たちの心中を見抜いていた一人の軍人がいた。彼は思った。これだからシビリアンは困るぜ。原爆といっても所詮は兵器。いいも悪いもリモコン次第、じゃない、使い方だ。東京大空襲ではチープな焼夷弾で10万人も屠れたのに、こいつの破壊力ではそんなに殺せない。普通に使っても威力は出ない。まして、鼠が巣に隠れてしまうなら威力はさらに半減する。
 ってことは、鼠を巣から出しておくのがこの作戦の要諦というわけだな、と軍人は思った。こっそり、やるか。
 1945年7月26日、広島を避けて、大阪市東住吉区田辺小学校の北側に原爆の模擬爆弾を落としてみた。
 1945年8月6日7時9分、広島で警戒警報が発令された。
 敵大型三機が豊後水道方向から国東半島を周り北上し、広島湾西部から広島中部を旋回した。外出していた人々は防空壕など避難所に駆け込んだ。が、何事もなく、7時25分、敵機は播磨灘に抜けた。
 7時31分、警戒警報解除。あれはなんだったのだろう。さて、敵機が去って、これから暑い一日が始まるのか。時刻は8時を回ったころだ。
 正確な時刻はわからない。後の長崎の原爆では長崎海洋気象台に保存されている気圧計のデータから爆発は定説より10分早い。広島原爆投下時刻は今も不明だ。
 その朝の8時過ぎ、突然フラッシュのような閃光が広島上空で走った。
 廿日市の自宅でこの日、広島文理大に向かう予定だった若木海軍技術大尉は、あれはなんだ、と思った。と、瞬間激しい爆風が襲い、ガラス戸が砕けた。
 若木は地獄図のような光景のなか文理大に向かった。
 その時、きちんとした身なりでリュックサックを背にした少女たちの一群に会った。「あなたたちはやられなかったのですか?」若木はきいた。
 「私たちは警報解除になったのを知らないでずっと防空壕のなかに残っていたんです。」と少女たちは答えた。

【参考】
原爆は本当に8時15分に落ちたのか―歴史をわずかに塗り替えようとする力たち
広島原爆―8時15分投下の意味
広島反転爆撃の証明
原爆機反転す―ヒロシマは実験室だった 光文社文庫

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2004.08.05

北朝鮮の麻薬を日本が密輸しなければいいのに…でも

 北朝鮮関係の話題は意図的に控えたい気もするのだが、これはちょっと言及しないわけにはいかないのではないか。産経新聞「北、麻薬5億ドル密輸 米議会調査局報告書 年間外貨収入の7割、軍事費に転用」(参照)だ。
 率直に言うと「ワシントン=古森義久」かぁ、米国議会調査局(CRS:Congressional Research Service)かぁ、なんかパスしたいなという感じはある。
 ソースが気になるのでCRSのサイトを見たがまだ登録されていない。関連文書は昨年の"Drug Trafficking and North Korea: Issues for U.S. Policy "(参照PDF)である。この問題は経時的に米国が追及しており、最近特に注目されているわけでもないし、ガセ度も低いと見ていいだろう。
 というわけで、それほど驚くほどのニュースでもないかとも言える。が、韓国紙を見ていると、米国議会調査局のもとネタを洗わずに、産経の記事をそのまま引っ張っている。韓国社会にもインパクトを持っているようでもある。余談だが、東亜日報ではなぜか「ヒロポン」の表記がある(英文でもphilpones)。
 産経の記事の要旨はこうだ。世界が麻薬取り締まりを強化しているのにも関わらず、北朝鮮からの麻薬は増加し、その輸出全体の七割相当年間約5億ドルの外貨獲得に寄与し、これが軍事費などに転用されているとのことだ。また、利益を上げるためにロシア、中国、日本、韓国の犯罪組織とも連携しているらしい。背景についてはこう説明している。


 同調査局が米国議会の法案審議用の資料として作成した「麻薬取引と北朝鮮」と題する報告書は、北朝鮮の国家関与の麻薬生産・流通について米国政府関連機関などが得た情報の総合として、(1)北朝鮮は一九七〇年代半ばからアヘン原料のケシ栽培を国家政策として始め、八〇年代半ば精製アヘンを組織的に輸出するようになった(2)しかし九五、九六年の豪雨でケシ栽培が大幅に減ったため、覚醒(かくせい)剤のメタンフェタミンを大規模に生産して、東南アジアなどに密輸出するようになった-などと伝えている。

 記事では、1999~2001年に押収した3300kgのメタンフェタミンのうち34%が北朝鮮からの密輸品だったとの指摘もあるが、1/3ならもっと別の大きなソースがありそうにも思える。
 これを言うとやぶ蛇かもしれないが、麻薬が北朝鮮にとってそれほど重要な軍事収入源なら、国防という観点で、日本のヤクザを徹底的に締め上げればいいのだろう。日本が組織的な麻薬犯罪をきっちり締め上げれば、北朝鮮はそれだけでこけるという構図はありそうだ。だが、ようするに、それができないわけだ。警察の裏というか行政側の裏がありそうだし、ま、ある程度想像付くよねという言及にとどめたい。
 関連して、朝鮮日報を見ていると、「北紙『大麻は魅力ある植物』」(参照)というベタ記事があった。

 大麻を麻薬の一種として生産および流通を禁じている韓国と違って、北朝鮮では最近金正日(キム・ジョンイル)総書記の指示に従って、大麻栽培がブームになっている中、北朝鮮メディアは大麻の経済的効果を大々的に宣伝し、栽培を督励している。

 本当なのだろうか。ジョークだったらサイコーです。

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2004.08.04

レジ袋問題について、つらつらと思う

 レジ袋について、このところどうも心にひっかる。ので少し書いてみたい。
 のっけから余談めくが、「レジ袋」という言い方でいいのか気になって「デイリー新語辞典」をひくと、載っている。「スーパーマーケットなどの小売店で,レジでの精算の際,客に渡される買い物袋。多く,ポリエチレン製。」 つまり、アレだ。レジ袋と呼んでよさそうだ。
 海外では、plastic bagと呼んでいる。ちょっと気になって、EXCEED英和辞典をひくと「ビニール袋」。あれま。英辞郎をひいたら「ビニール袋、プラスチック袋、ポリ袋」のみ。こんな例文も載っている。


I put the things I bought into a plastic bag.
買ったものをビニール袋に入れた。

curb shoppers' use of plastic bags
買い物客{かいものきゃく}のビニール袋使用に歯止め{はどめ}をかける


 訳していて変だと思わないのだろうか。ま、どうでもいいか。
 plastic bagという単語を挙げたのは、もしよかったら、これでニュース検索してみて欲しいからで…そう、最近、けっこう世界的に話題になっている。特に、最近ではオーストラリアで話題だ。当然、環境問題である。
 例えば、"Australian town joins global war on plastic bags"(参照)はあまり一般的なニュースとは言えないが、逆にわかりやすいかもしれない。

SYDNEY The tiny Australian seaside town of Huskisson, perched on the edge of glittering Jervis Bay and fringed by pristine national parks, has signed up for the global battle against the humble plastic bag.

 オーストラリアの海辺の町、ハスキンソンは、あのささいとも言えるレジ袋に対して国際的な宣戦布告をした…ということで、トーンはわざとヒューモラスになっている。でないと、環境問題って、ちょっと宗教みたいになるしね。
 レジ袋っていうのは普通の日本人の感覚でも、やなゴミだなという感じはあると思う。殊更に環境問題にするほどでもないかのようだが、これってけっこう生物には残酷なシロモノだ。間違って喰ってしまうから。

Sacred cows roaming India's streets have died after chewing bags containing scraps of food, while thousands of turtles, birds, and other marine animals are killed each year after mistaking the millions of bags in the world's oceans for squid and jellyfish.

 私もカルカッタで生ゴミをあさるツートーン・カラーの烏をよく見た。もっとも、それほどはレジ袋は見なかった。道の中央分離帯よろしく生ゴミが捨てられているのだが、すぐに干上がる。ま、そんな話はどうでもいいか。
 話を戻すと私も沖縄で海辺で暮らしていたので、寄せられるゴミのレジ袋には困惑していた。できたら、こんなものは使いたくないので、私は、コープで売っている100円ほどの布のショッピングバッグをよく持ち歩く。これがけっこうタフに出来ていて、しかもきちんと折りたたむと小さくなる。便利極まりない。コープ以外のスーパーマーケットでも使うので、レジのお姉さんにも覚えられてしまったものだ(けっこう恥ずかしいものがあるが)。
 コンビニでも使う。近所のコンビニは比較的マナーがいいので(中年男性店員のマナーの悪いのには呆れる)、特に困らないのだが、困ることある。ネットを見ていたら面白い話があった。「質問:コンビニのレジ袋」(参照)。長いが引用したい。

近年スーパーでは、環境問題への配慮からレジ袋を使わないよう働きかけている店も多くみられるようになりました。しかしコンビニではそういう動きはあまり見られません。

自分の袋をかばんに入れているので、スーパーの時と同じように「袋はいりません」と言うとあまり店員さんの態度がよくない時があります。

「調子狂うな、マニュアルと違うことを言う客だな」「もっと早く言えよ」という気持ちが見え隠れしている店員さんが時々います。(大抵そういう時はレシートもこっちが言うまで渡そうとしない)

何度も同じ店に行っていれば顔も覚えるだろうに、あい変わらずの対応です。(マニュアルどおりしか仕事ができないタイプかも)

ちょっと言うタイミングが遅いとさっさとレジ袋にいれてしまうし、一旦入れたものを出してくれというわけにいかずそのまま店をあとにすることもあります。

そのレジ袋はゴミ箱に捨てるしかないけど、何枚も積み重なると何だかもったいないという気持ちがしてきます。邪魔くさいし。

コンビニでレジ袋をいらないと言うことはおかしいのですかね。最近ちょっとそういう気がしてきました。(もしかしてどうでもいいことかもしれないけど)


 これ、わかるな。どうも余談が多くていけないが、冷たいものと雑誌と一緒に袋に入れる神経もわからん。「それ、入れないで」とか言おうものなら、険悪。
 この質問に寄せられた回答は好意的なもので、電車男の話じゃないが、世間もそう悪くないような気になるが、実態は改善されないだろう。
 さて、話は、さぁ、みんなマイバッグを持ちましょう、というオチなのか。なんだか15年くらい前だったか、割り箸止めましょう運動みたいで、キモイな。
 あるいは、杉並や韓国みたいに、レジ袋に課税したり有料を義務づければいいのか。それもあるかもしれない。せっかく先進国日本なのだから、レジ袋は可燃性のものせよという規制をかけてもいいのかもしれない。
 マイバックを使う主婦にちときいてみた。ところ、レジ袋はレジ袋で便利だというのである。それもそうかと思うが、どうやら、結局、ゴミとして捨てられてはいるようなので、可燃性なり自然に壊れるようなもののほうがよさそうだ。
 つらつらと思うが、どうも心のひっかかりは取れない。先の英文ニュースにはこうもある。

"We've had plastic bags since the 1960s and initially they seemed like a great idea, lightweight, low energy needed to make them. Then the dead animals starting washing up on beaches," said John Dee, from environmental group Planet Ark.

 環境団体の人は、1960年代にレジ袋が登場したころはなんて便利だと思ったものだ、と言っている。というあたりで、私もいつレジ袋がこの世界に登場したのか、ちょっと思い起こしてみる。私も目撃者の一人だ。
 それは、急激な変化ではなかった。じわっとした変化だったと思う。エポックはある。たとえばコンビニだ。酒屋がコンビニになった、あの時代だ。
 あの時代の前の時代というのがある。
 最近、ネットなので30代の人の意見をよく見かけるのだが、なにかが抜本的に通じないなと思うことが多い。なんだろと思うのだが、共通する風景かもしれないという気もしてきている。「檄を飛ばす」「姑息」なんてのの誤用はどうでもいいが、あの風景を見た人と見ない人の差はなんだろうと思う。いや、あの風景を生きた人と生きてない人の差だろうか。もちろん、いい悪いといった話ではない。
 かつてスーパーでは紙袋だった。紙袋で足りているところにスーパーがあったと言ってもいいのかもしれない。菓子屋は、うすっぺらなスジの透けるような紙の袋だった。開封のところがぎざっとしていた。乾物屋の包み紙はぺらっとした鶯色だった。ピンクのもあった。あの紙はどこに行ったのだろう。魚屋は新聞紙だったと思う。肉屋は経木だった。「経木」なんて読めないのだろうな。
 懐古したいわけでもないし、昔はエコだったと言いたいわけでもない。ああいう生活のなかで包装というのものはああいうものだったという生活の感覚の有無が、なにか重要だという感じはする。
 批判ということでは全然ないが、例えば、レジ袋反対とか言う環境運動の人が1970年代生まれだったら、私は、心のどっかでその人を信じないだろう。というか、信じろっていうのが無理に思える。
 環境運動は懐古を基礎にするものではないことはわかる。でも、あるべき環境というものに生活の臭いや風景が感じられないなら、全然だめだよという感じがする。
 この感覚が大切なんだろうと思う、というのがこうした問題の暫定的な自分の結論である。

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2004.08.03

父親が大丈夫なら子どもは大丈夫

 つまらない話なのかもしれない。が、気にはなるので書いておきたい。以前、極東ブログ「女の子の喧嘩には科学的に見て特徴がある」(参照)でもネタ元にした、青少年期の医療を扱う専門誌"Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine"だが、最新号で"Combined Effect of Mothers' and Fathers' Mental Health Symptoms on Children's Behavioral and Emotional Well-being"(参照)という調査を発表していた。
 標題を試訳すると「子どもの健全な行動と情緒に対して、母親と父親双方の精神的な傾向が与える影響」となるだろうか。憂鬱や不安など心的なトラブルを抱えている親が子どもの行動と情緒の発育にどう影響を与えるかという問題を、母親と父親のコンビネーション、つまり組み合わせで調べてみたというのだ。
 結果は特に常識に反するものではない。


Conclusions
A father in better mental health may buffer the influence of a mother's poorer mental health on a child's behavioral and emotional problems, and these problems seem to be most severe for children who have 2 parents with poorer mental health. The form and intensity of pediatric approaches to mothers with poorer mental health may need to consider the mental health of fathers.

【試訳】
結論
母親が精神的によくない場合でも、父親の精神が健全なら、子どもの行動や情緒に対する母親の悪影響を父親が緩和しうる。両親そろって精神的な問題を抱えている場合は子どもへの影響は深刻である。母親が精神的な問題を抱えている子どもの身心の健康について考慮する際、父親の精神的な状態も考慮する必要があるだろう。


 そんなのあたりまえじゃんという感じだが、そうでもないのかもしれない。
 母親に憂鬱や不安(適応障害もDSM-IVに定義されている心的な疾患なのでこれに入れていいだろう)など精神的なトラブルがある場合でも、父親の精神状況が安定しているなら、その子どもが行動や情緒の問題を起こすリスクは低いのだから、それほど状況を深刻に考えなくてもいいことになる。この背景には、より深刻な問題に対処せよという含みがある。およそ、大きな問題を扱うときにもっとも重要なことは、最重要課題と次点の問題を切り分けることだ。その意味で、父親が健全なら、子どもの問題は次点の問題としていいことになる。
 この結果をみて、私はふと考え込んだのだが、日本では、「家庭」「母親」「父親」は確かに子どもの問題の重要なキーワードになるのだが、一義的には家庭であり、次に母親、そして三番目に父親だが、父親というときでも、「子どもには父性も必要」といったノリだなと思う。
 それに対して、この調査が暗黙に示していることは、母親の精神的な状態を父親がサポートできるなら、子どもの行動・情緒の問題は回避できるという点だ。日本ではあまり指摘されて来なかったのではないだろうか? 自分が男なのでその立場に立つと、「男は父親として子どもに接するにはどうたら」という話ばかり聞かされてきた。
 今回の調査は、ジャーナリズム側でも注目されていて、ロイターヘルス"For Kids, Dad Can Buffer Mom's Depression"(参照)のようにもう少し、あけすけなまとめになっている。こちらの標題を試訳すると、「お父さんなら、お母さんの憂鬱攻撃から子どもをまもる防御壁になれる」だろうか。こうしたタイトルにまとめられるということの背景には、米国の家庭では母親の憂鬱という大きな社会問題があるのだろう。そして、多分、日本でも同じなのではないか。
 ロイターのニュースには研究者へのインタビューがあるのだが、これが少し興味深い。

Kahn explained that fathers may buffer the effects of mothers' poor mental health by supporting mothers and helping to take care of the children. In addition, healthy fathers may have good mental health genes, which they pass on to children, he added.

【試訳】
カーン調査員によれば、父親が母親を精神的に支えることで、母親の精神的な状態が子どもに影響することを防げるようだ。また、健全な父親は、精神を安定させる遺伝子を子どもに引き継がせているのかもしれないとも言及した。


 この追加の発言がちょっといただけないなという印象もある。
 いずれにせよ、父親が家庭の精神的な支柱たるべく問われるということになっていくのかもしれない。
 男である私としてはそれをどう受け止めるべきなのかなのだが、正直言って複雑だ。私の精神的な状態というのは、たいしたことない。端的に、だめでしょ、という感じだ。大半の男がそうなのではないかなとも思う。すると、精神的に安定した母親たるべき女性が求められる…となんだか冗談のような展開になってくる。
 ただ、少し思うのだが、これは多分に私の偏見なのだが、男の精神的な健全さというのは、自分が男であるという意識に強く依存しているように思う。それがもっと難しい問題なのかもしれない。

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2004.08.02

サウジ王家のムーア批判の背後にありそうなもの

 たいした話でもないのだが、サンデー・テレグラフによる駐英サウジ大使インタビューが少し気になった。ロイター「駐英サウジ大使『ムーア監督は華氏911で事実をわい曲』」(参照)が概要を伝えている。


[ロンドン 1日 ロイター] 1日付の英サンデー・テレグラフ紙がトゥルキ・ファイサル駐英サウジ大使の話として伝えたところによると、マイケル・ムーア監督はドキュメンタリー映画「華氏911」を制作した際、サウジアラビアに現地取材をしなかったとして事実を歪曲したとの見方を明らかにした。

 話の要点は2つあり、一つは、ムーアの法螺話への批判だ。ムーアは、米同時多発テロ発生直後に民間機がすべて離発着中止となったのに、サウジ王族とビンラディン家族が国外に脱出したとしているのだが、これは法螺じゃないか、と。ただ、その根拠はサウジ側ではなく、先日の米国の報告書によるものだ。余談だが、ブッシュのイラク攻撃も不確か情報に基づいて誤ったのだが、それを批判するムーアが同じレベルでどうすんだよと思うが、ムーア万世によっておろかな知識人がフィルターアウトしてよかったのだろう。
 もう一つは、ムーアにサウジへのビザを支給されたのに、同地を訪問をしていないという指摘だ。これはオフィシャルには初めてかもしれない。ムーアは手を抜いたというより、サウジの真相には関心なかったんだな、やっぱり、という感じがした。
 話はそれで終わりではあるのだが、元になっているサンデー・テレグラフ"Saudi royal family lambasts Michael Moore for twisting the truth in his 9/11 film "(参照)は、事実は同じだが、少しトーンが違う。まず、トゥルキ・ファイサル駐英サウジ大使の意味を確認している。

Prince Turki al-Faisal, the Saudi Arabian ambassador to London and a half-brother of Crown Prince Abdullah, was in charge of Saudi intelligence at the time of the 2001 terror attacks.

 トゥルキ・ファイサル駐英サウジ大使は名前を見ればわかるが、王族であり、アブドラ皇太子の異母兄弟である。つまり皇子でもある。サウド家の権威ある代弁者でもあるし、諜報にも関連していたとある。英大使というだけでなく、この件でのもっとも重要な人物だと言えそうだ。
 インタビュー後半では、焦点をサウジのありかたに当てている。つまり、テロとどう取り組むかだ。なお、サウジこそがアルカイダの温床であることの説明は今日は省略したい。

The Saudi security forces are currently involved in an intensive operation to track down the last remnants of an al-Qa'eda cell that has been responsible for a number of devastating terror attacks in the kingdom.


'We have made significant progress in fighting al-Qa'eda in Saudi Arabia,' he said. 'Of the 26 known al-Qa'eda hardliners in the kingdom, we have killed or captured more than half of them.'

 前段は保守系のテレグラフらしいまとめで、後段はトゥルキ大使の発言である。サウジはテロ撲滅に邁進しているとでも言いたいのだろう。
 だが、事実は少し違う。このあたりは、7月27日のフィナンシャルタイムズ"The House of Saud must pursue reform"が素朴に描いている。

Saudi Arabia's hopes that a month-long amnesty decreed by King Fahd would break the resolve of the al-Qaeda franchise operating to increasingly deadly effect in the Arabian peninsula have been disappointed. The time for the Islamist terrorists to give themselves up has expired and only six have done so.


Crown Prince Abdullah, the kingdom's de facto ruler because the king is incapacitated by a stroke, has promised a pitiless campaign against the would-be insurgents. That seems to have begun, not least with the detention of the wife and children of Saleh al-Awfi, the new leader of the Saudi jihadis who is still on the run.

 サウジの対応はうまくいっていない。テロ的な聖戦主導者の妻子の拘束までしている。当然、サウジ側にも焦りがある。先日のイラク派兵もその対応ではあるのだろう。
 フィナンシャルタイムズの示唆はやや皮肉めいている。

The Saudi authorities will need to strike a careful balance. The local al-Qaeda chapter wants to lure them into an indiscriminate crackdown that will widen its constituency of supporters. At the same time, the House of Saud, after a long period in denial, now knows beyond doubt that Osama bin Laden and his followers seek its overthrow.

 サウジ国家とビンラディンのようなラジカリストの関係はそう簡単に分断できるわけでもないのだが、やりすぎるなよというわけだ。そう言われてもねといった感じだし、フィナンシャルタイムズの提言はといえば、富の再配分をきちんとしろというくらなもので、非白人の私などにはこうした言及に人種差別的な蔑視の印象も持つ。
 話をトゥルキ大使のインタビューに戻すが、もう一点気になる発言がある。

'There is no doubt that as a result of the Iraq war it is easier for al-Qa'eda to sell their point of view to potential recruits. Al-Qa'eda has become stronger and more active since the Iraq conflict.'

 サウジの公式見解と見ていいのだが、イラク戦争によって、アルカイダはより強力となったというのだ。あれまという感じだ。
 ちょっと説明を省くが、アルカイダの求心性はその財源とともに低下していると評価していいだろう。テロの続発は基本的には小規模であり、中東圏の国家利益とも合致した反米勢力である。
 このサウジ側の発言は、ブッシュとサウジの仲が割れていると見ていいのではないか。あるいは責任のなすりあいである。長期的に見れば、ムーアの浅薄な見解とは裏腹に、サウジと米国の関係は緊張が続く。
 ただ、ブッシュが再選されるとこれも流れは少し変わるだろう。ムーアを批判しておきながら、同レベルの放言もなんだが、オクトーバー・サプライズ(October surprise)は、原油価格の低下ではないのか。しかもサウジと結託しての。

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2004.08.01

夏は冬瓜

 スーダンに武器を流している国のことを少し調べていくうちに気が滅入った。適応障害について調べていくうちにもっと気が滅入った。シリアスな話なんか書くんじゃねーとGoogle AdSenseに言われているようでもある。食い物の話でもするかね。さて、最近なんか食い物忘れているよなとつらつらと思うに、冬瓜である。
 沖縄に暮らしていた頃、この季節、必ず冬瓜を喰う。三日に開けず喰う、というほどでもないが、よく喰う。
 内地に戻ってからは冬瓜すら見かけない。いや、そうでもない。あれだ、切って売るなよな、である。と言っても空しいか。内地の家庭では、まるごとじゃ喰いきれないものな。
 と、もしかすると、冬瓜というものを見たこともない人も増えているかもしれない。もしかして、「冬瓜」も読めないとか…。なぜこの字を当てるかとか……ま、そんなことはどうでもいいか。知識より先に喰うこった。
 沖縄も核家族化が進み(少子化も進んでいる)、スーパーなどでは冬瓜を売ってないところもある。が、ちょっと田舎っぽいところのマチヤ(小売り)みたいなところではごろっと売っている。でかい。欧米の西瓜のように楕円形で、でかい。フットボールより、でかい。そして、すごい重い。まじかよというくらい、重い。あれが伝統的な沖縄の家の台所の隅にごろっと置いてある。やぁ、っていう感じだね。わらび(子供)はこれをかならず、よいしょよいしょとか言って持ちたがる。無理だって。
 冬瓜は、沖縄では「すぶい」とも言う(「とも言う」というのは沖縄的だな)。「しぶい」が語源とも言われているが、まさかね。私が暮らしているときは、「とうが」とも言っていた。「ん」が脱落していた。なぜかわからない。
 調理法は…とネットを引くといろいろ出てくるのだが、なんかポイントがずれているような気がする。山本彩香「てぃーあんだ」をめくってみたら、冬瓜は載っていない。料理のうちに入らないでもなかろうと思うが…というわけで尚弘子「聞き書き 沖縄の食事」の索引を見ると、なんか変。めくっていくと、索引漏れで各所に記載がある。なーんだ。


とうがんはほかの野菜と違ってもちがいいので、収穫したあとは、家の後ろの太陽の当たらない涼しいところに並べて貯蔵する。諸行事のときやお祝いごとのあるときに、こんぶといっしょに豚肉の汁で煮て食べる。また、生でも食べる。

 うまい記述だ。たしかに冬瓜の基本は、いわいむん(お祝い料理)である。もっと重要なのは、昆布と豚肉の汁で煮るという話だ。
 脱線で、しかもこんな話するとちょっと嫌われるだろうなと思うが、ちょい覚悟して言うと、えー、おまえだってそうだと言われるかもしれないがだな、えー、内地の人間が「沖縄そば」のどこがうまいとか言う話題は、大嫌い。うちなーんちゅも、どこどこのそば(すば)がうまい、という話が好きだが、これもおいおい、と思う。
 沖縄そばというのは、昭和初期頃内地から入ってきた支那そばをまねしてできた食い物だ。「そば」の呼称は「支那そば」に由来する。支那そばって、うまいなとうちなーんちゅも思ったのだろう。そして作れないかと思ったわけだ。
 麺の腰を出すのに鹹水はない。だから、ガジュマルの灰の上水を使った。麺を細く切るのはむずかしいので太くなった。出汁は…そう、沖縄で出汁といったら昆布と豚肉の汁しかない(塩で調味する)。それに入れる。できあがり。これが沖縄すばというものだ。
 そこから出汁はかつおがあったほうがうまいので足す。トッピングがないのは寂しいのでかまぶく(蒲鉾)をのせる(内地の現在の蒲鉾とは違う)。三枚肉をのせる。ということだ。そういうものなのだ。これは、アーリオオーリオと同じで、外で喰うようなものじゃない…脱線、長すぎ。
cover
カツ代が聞く、
九十一歳現役台所
 で冬瓜なのだが、ようは出汁で煮るというだけのこと。沖縄料理の出汁は昆布・豚・カツオしかないから、それで煮るだけ。煮くずれないように煮るだけ、と言いたいところだが、冬瓜は一旦下ゆで(水煮)する。それから出汁を含ませる。汁が料理だとも言える。もちろん、バリエーションはいろいろあるけど、基本はそれだけ。同日追記。ちょっと気になってうちなーんちゅに訊いてみた。下ゆでなんかしない、それと、肉を煮るとき泡盛を入れてね、とのこと。なるほど。
 それで話もおしまいなのだが、冬瓜というのは、本土の人も夏場に普通に喰う食べ物だったなと思い出す。そういえばと書架を見ると「カツ代が聞く、九十一歳現役台所」がある。明治38年生まれの秋山千代さんはこう言っている。なお、先生と呼ばれているのはカツ代先生である。

あの、先生、冬瓜は「夏の腹薬」っていうんですよ。夏に煮るのね。これね、今日は鶏の挽肉と煮ましたけど、エビと煮てもおいしいんですよ。…


冬瓜というのは、だいたいやわかくして食べるものですから。鳥じゃなくてもいいのよ。油揚げと煮てもおいしいの。それから「なまり」がおいしいの。「なまり」ってお魚があるでしょ。

 というわけで、東京でも昔から喰っていたものだった。なお、作るかたにいらんお節介だが、油揚げは必ず湯通ししてくれ。
 以前、NHKのドラマほんまもんで夕顔を冬瓜の味の違いがわかるかというシーンがあったが、京料理でも当然、冬瓜使う。もっとも、夕顔を冬瓜を比べるか、ドラマ? 私は宇治で喰った京料理の冬瓜は忘れらないほどうまかった。食い物と限らないが私は京都市内より宇治のほうが好きだ。
 夕顔についてもちょっと思い出がある。信州の思い出だ。またね。

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