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2004.07.24

PDF出版とブログ

 Exciteブログが先日リニューアルした。予定されていた機能アップは十分には行われなかったが、定刻に始まり定刻に終わり、JUGEMのようなトラブルはなかった。これで、Exciteブログも試験運用のベータ版だった状態から本格実施となり、無料利用と有償利用に分かれることになった。無料利用ではブログ上部のIFRAMEに広告バナーでも付くのかとも予想していたが、そんなことはなかった。野暮は、アマゾンアフィリエイトの小銭をサービス側でいただきますよ、という程度だ。このあたり、日本のブログ・マーケットの動向も大きくものを言っているようだ。有償料金(アドバンス会員)の料金設定である250円という横並びもそうだ。ココログよりちょっと安という線で落ち着きそうだ。
 ま、その手のメタブログ的な話の大半はどうでもいいのだが、気になるのは有償のブログというとき、どこで商品価値をつけるかだが、Exciteブログの場合は、PDF出版を打ち出した。書きためたブログを、サービスサイドの処理でPDF文書化するわけである。そして、PDF化した文書は、現在まだサービスは実施されていないが、実際に紙の書籍として印刷・簡易製本ができる。これは、私などには食指が動くサービスだ。まだ実際の製本の仕様と価格は公開されていない。
 ExciteブログのPDF出版は、現状5エントリが無料で出力できる。2エントリで試しにつくってみた。eBook338140(886KB)だ。ご覧のとおり、ファイルサイズが異様に大きい。フォントを埋め込んでいるようだ。ブックデザイン的には無難なものだ。画像が入ると、見栄えがいい。処理にはTeXを使っているのだろう。
 ブログを印刷・製本するというサービスということでは、私の知る限りでは、はてなダイアリーが先行して始めたものだ。サービス「はてなダイアリーブック」(参照)を見ると、こうだ。


はてなダイアリーブック価格表
基本料金
(税込・PDF作成料1回分を含む) 800円(税込)
印刷料金
(1ページあたり印刷費) 8円/ページ(税込)
送料
(税込・日本国内) 350円(税込)
上製本オプション 3,000円(税込)
※ページ数が100ページ未満の場合は、印刷料金一律800円が必要です
※440ページを超える場合は分冊となります
※料金ははてなポイントのみでご購入可能です
※10冊まとめてご購入頂きますと、1冊無料プレゼントいたします
価格例
100ページの場合・・・ 800 + 8 x 100 = 1,600円 + 送料 = 1,950円 (税込)
400ページの場合・・・ 800 + 8 x 400 = 4,000円 + 送料 = 4,350円 (税込)
400ページ+上製本の場合・・・ 800 + 8 x 400 = 4,000円 + 3,000円 + 送料 = 7,350円 (税込)

 ちょっと直感的にわかりづらいが、ソフトパッケージに添付されいてるマニュアルのような製本仕上がりで1冊2000円という感じだろうか。単品で注文できるし、縦書きも可能なので、小説などを書くのにも向けているかもしれない。ただ、自分の感性から言うと、この製本仕上がりはあまり好きではない。
 ブログと連携した類似のサービスでは、Teacupが提供しているAutoPageの書籍化サービス(参照)がある。こちらの価格はこんな感じだ。

記事数
(投稿記事単位)
基本料金 書籍本体価格 お支払い合計
(税込)
60 500円 1,480円 1,980円
120 500円 1,980円 2,480円
180 500円 2,480円 2,980円
240 500円 2,980円 3,480円

 価格帯・製本の仕上がりで、はてなとサービスがよく似ているように思える。
 この手のサービスで私が欲しいと思うのは、次の5点だ


  1. PDFから作成する
  2. サイズは新書版
  3. ページは100ページ
  4. 価格は1000円
  5. 日付の表示は消す

 自分の書いたものとかを簡単に読むには、読み慣れた新書版がいい。人にあげるのにも便利だ。書棚の問題も大きい。売る場合でもこの形態がいいのではないか。
 自分が書いたもの以外でも、青空文庫やグーテンベルグプロジェクトのテキストを実際に紙に打ち出して読みたいとも思う。100円ショップのダイソーが学校向けなのか、青空文庫を元に100円の文庫を出しているのだが、あまり面白みのないのが残念だ。ああいう感じでもっと選択があるといいなと思うが、100円ショップのコンセプトが足を引いてる。
 ちょっと手元の一太郎でまねごとを作ってみた。Taro-sample.pdf(38KB)だ。フォントを埋め込まないので、かなり小さいサイズになる。まじにブックデザインをすると手間取るので、ブログ同様あまり校正もしてないし編集も手抜きだが、なんとなく実際にプロトタイプを作ってみると、こういうのって悪くないなという感じがする。
 やってみて思うのは、手抜きでないととてもやってらんないくらい時間がかかる。失笑を買うような当たり前のこと言って恥ずかしのだが、書籍というのは編集がものを言う。ブックデザインもかなり重要だ。が、そのあたりはかなり妥協してもいいのではないか。
 サンプル作成は当初、Wordを使おうかとも思った。ある程度使い慣れているし、編集ノウハウとしては、「Wordで本をつくろう タテ組編」「Wordで本をつくろう ヨコ組編」、それと、「Wordでマスターする使えるビジネス文書」が便利だ。余談だが、「Wordでマスターする使えるビジネス文書」はこのシリーズとかけはなれたちょっとした奇書でもある。
 が、実際にサンプルを作る際には一太郎のほうが楽だった。この手の作業はやはり餅は餅屋ということだろうか。TeXはいいとして、やはり普通に使うなら昔のroffのようなシステムのほうがやりやすい。いや、これこそ、簡易なXMLタグのシステムがあるといいと思う。具体的には、タグ打ちしたものを安価にPDFで返すようなサービスだ。
 PDF出版のアウトソースは技術的には難しくないし、これが普通にブログユーザなどに利用されるようになり、オークションなどで販売すればちょっと違った出版の風景になりそうな気もする。が、キモは編集者なんだろうな。

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2004.07.23

人間の遺伝子にはコピー番号が付いている

本文を読まれる前に

 本稿について、duさん、おがさんより、重要なコメントをいただいた。本文に併せて読んでいただきたい。
 エントリの標題は「人間の遺伝子にはコピー番号が付いている」としたが、これは誤りだった。「コピー番号」ではなく、「コピー数」である。標題は「人間の遺伝子情報には重複や欠落がある」としたほうがよかったかと思う。
 本文もこの点に大きく誤りがあるが、INSタグで修正する種類ではないので、ここに明記しておくことにする。本文を読まれるかたは注意していただきたい。

 ニュースをザップしながら、ロイターヘルスの記事"New genome test finds big differences among people"(参照例)が気になった。標題を試訳すると「新しいゲノム・テストによって、人それぞれに大きな違いがあることがわかった」となる。  で? みたいな感じだ。遺伝子情報は人それぞれ違っていて当然じゃないか。だから、サダム・フセインを捕まえたときはわざわざ家畜の扱いにして口を開けさせ遺伝子を取り、鑑定していた。遺伝子鑑定は究極の個人認証だみたいな考えは、なぜか日本人には、いや現代人にはかな、なじみやすく、奇妙に常識化している。  が、話はそういうことでもないようだ。なんどか記事を読み直したが、どうも要領が得ない。記事の書き方も悪いようだが、それでも、なにか重要な話でもありそうだ。
The researchers found - by accident - that some people are missing large chunks of DNA, while others have extra copies of stretches of DNA.

Writing in the journal Science, the researchers have dubbed these differences "copy number polymorphisms." They are found in genes linked with cancer risk, with how much people eat and with reactions to drugs.


 人によって特定のDNAがごそっと抜けていたり、逆にくっついていたりというこことがあるらしい。これは、コールド・スプリング・ハーバー研究所などが開発したROMA (Representational Oligonucleotide Microarray Analysis )という遺伝子の検査方法で、偶然に発見されたというのだ。近くサイエンス誌に掲載されるらしい。今日付のサイエンス(Science 23 July 2004: 525-528.)に記事"Large-Scale Copy Number Polymorphism in the Human Genome"が掲載されている。こうした違いを、この研究者たちは「コピー番号多形(copy number polymorphisms)」と呼び、CNPと略している。定訳語がわからないが「複写番号変異多型」となるかもしれない。
 この概念が私にはよくわからない。ポリモーフィズムは結晶学では多形性を示すものだ。ダイヤモンドと炭素の違い、というのはあまりいい比喩ではないが、そんな感じでもある。Javaのクラスなんかでもポリモーフィズムがよく活用されているので、プログラマはそんな印象を持つだろう。私の感じからすると、polymorphic(多形)はpolyphonic(多声)に似ているので、16音源着メロみたい語感ではないかと思う。
 もちろん、生化学的には、"CNP:copy number polymorphisms"は略語の類型からして、"SAP:single nucleotide polymorphisms"、つまり一塩基変異多型に対応しているのはわかる。ロイターの記者もある程度その点は意識しているようだ。

These were large differences that have not been reported before - involving much more DNA than so-called single nucleotide polymorphisms, which are well-known single-letter changes in the A, C, T, G nucleotide code that makes up DNA.

 CNPは、核酸記号ACTGのシークエンスの変化による多様形態SAPとは違うというのだ。が、説明はSAPのほうでCNPの説明はない。とにかく従来考えられてきた以上に、個体間に遺伝子情報の差異があり、それは、いわゆる遺伝子暗号の差異ではないということだ。
 説明には苦慮のあとがある。

Everyone has two copies of each chromosome, except for the X and Y chromosomes that separate men from women. The researchers found that each of their healthy volunteers had just one copy of each CNP.

"If they happen to marry and have children with someone who has the same CNP, maybe the children will be affected," Sherwood said.


 性遺伝子を除けば、人は両親の遺伝子情報をもつので、そのあたりで、いわゆるDNA鑑定ができる(ちなみに、GoogleでDNA鑑定を検索してくずおれたが)。だが、CNPはそういう概念でもないようだ。血統が違っても同じCNPがあるのとこだ。このあたりはよくわからない。
 推測だが、このコピー番号というのは、リソグラフやエッチングのコピー番号と似た語感で命名されたのではないだろうか。著作権のCopyの概念にも近い。余談だが、英語では、通常の書籍のことをコピーという。オリジナル原稿をコピーしたものだからだ。そういえば、昔は書籍に通し番号入りの著者検印があったが、ああいう感じだろう。
 余談めいた話が多くなったが、今回の発見で、重要なことは2点ある。まず、終了したはずのゲノム解析にも影響が出るもようだ。

The researchers also found possible mistakes in the map of the human genome published by the Human Genome Project.

In 20 people they found a stretch of DNA on chromosome 16 that does not appear there in the published sequence of the human genome - but rather on chromosome 6. "It is extra copies of a gene that no one knew about," Sherwood said.


 個体差が大きいので従来のゲノム・マップが見直されるかもしれない。
 もう一点は、CNPが、がん、肥満、神経疾患、遺伝子病などと強い関連を持つらしいことだ。

"Thus, a relationship between CNPs and susceptibility to health problems such as neurological disease, cancer, and obesity is an intriguing possibility," the researchers wrote in their report.

 この点については、昨年に出されたコールド・スプリング・ハーバー研究所のプレス情報"Powerful new method helps reveal genetic basis of cancer"(参照)のほうがわかりやすい。

Plus surprising differences in 'Normal' DNA
Researchers at Cold Spring Harbor Laboratory have developed one of the most sensitive, comprehensive, and robust methods that now exists for profiling the genetic basis of cancer and other diseases. The method detects chromosomal deletions and amplifications (i.e. missing or excess copies of DNA segments), and is useful for a wide variety of biomedical and other applications.

 この研究は当初よりがんなどの医学的な応用が意図されていたようだ。

By using ROMA to compare the DNA of normal cells and breast cancer cells, the researchers have uncovered a striking collection of chromosomal amplifications and deletions that are likely to be involved in some aspect of breast cancer (see http://roma.cshl.org, password available on request). Some of the DNA amplifications and deletions detected in this study correspond to known oncogenes and tumor suppressor genes. However, many of them are likely to reveal new genes and cellular functions involved in breast cancer or cancer in general.

 乳がん研究からわかったようだ。
 話を極東ブログっぽく締めたい。誰でも推測できるが、いわゆる「生活習慣病」の遺伝子リスクは今後より正確に計測されるようになるだろう。当然、予防にも活かせるのだが、その情報は保険に限らず個人の人生選択に影響を与えるようになる。これは、従来からも言われていたことでもあるのだが。
 また、厚労省が責任逃れ、あるいは個人の「自己責任」化をもくろんで作り出した「生活習慣病」というものの嘘臭さも、こうした新世紀の医療・保険のなかで実質的に暴露されるだろう。健康が、生活習慣に依存するなら、そのリスクも計算できなくてはいけないし、いかにもそのリスクは疫学的に計算できそうにも見える。
 しかし、CNPのような研究が進めばどこかで、いわゆる健康によるリスク回避は係数ではなく些細な定数のようになるのではないかと思う。つまり、健康という概念は、どこかで終焉するか、変化するだろう。すでに変化しているのかもしれないが。

【追記 同日】
コメント欄でおがさんから、「コピー番号」ではなく、「コピー数」という指摘をいただきました。


”通し番号”ではなくて遺伝子のコピー数のことですね。
父母から1セットづつ常染色体を貰うので、我々は大部分の遺伝子について2つづつコピーを持ってます。片方の親から受け継いだ染色体にCNPがあれば、コピー数が1(脱落の場合)あるいは3以上(重複の場合)になるってことです。

 なるほど。
 さらに誤解かもしれないが、通常遺伝子情報は両親から受け継いだ2つのコピーを持っているが、情報の部位(それがCNP)によっては、1つであったり3つであったりということのようだ。
 とすると、その発現が気になる、ということでもある。

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2004.07.22

[書評]アーリオオーリオのつくり方(片岡護)

 料理本にはめちゃくちゃにおもしろいものがまれにあるが、「アーリオオーリオのつくり方」(片岡護)は間違いなくその一冊だと思う。こんなに面白くて、役に立つ本はない。読んですぐ役立つ。特に人生のどん底にある人間、あるいはかつてどん底にあってどん底に馴染んだ人間(ああ私もそうだ)は、この絶望のパスタ、スパゲッティ・アーリオオーリオを食べるべきである。

cover
アーリオオーリオのつくり方
明日も食べたいパスタ読本
集英社文庫
 アーリオオーリオの「アーリオ(aglio)」はにんにく、「オーリオ(olio)」はオイル、つまりオリーブオイルのこと。にんにくのオイルソースということだ。これをスパゲッティにからめたのがスパゲッティ・アーリオオーリオなのだが、普通、辛みをきかせる。辛みは唐辛子、ペペロンチーノ(peperoncino)。だから、スパゲッティ・アーリオオーリオは、ペペロンチーノのことである。なーんだと思うかもしれないし、そう思っても当然かもしれない。なにしろ、こんな料理はイタリア料理屋にはない。中華料理屋がお粥を出さないのと同じ。金をとって食わせるものじゃない。でも、スパゲッティ・アーリオオーリオがわかれば、イタリア料理のとても大切ななにかがわかると思う。アルポルトの片岡護主人はこうさらっと言っている。

 ミラノでの五年間、休日はほとんどパスタの食べ歩きに費やしました。
 知れば知るほど、ますますパスタが好きになりました。
 ですから、この機会に、僕の道を決めることになったパスタのことをいっぱい話したい。しかし、この本一冊では五年分のパスタはとてもとても語りつくせません。
 そこで、名案か迷案かわからないが、にんにくの香りと鷹の爪の辛みをオリーブオイルとともにゆでたスパゲッティにからめる、あのもっとも簡素で、しかしイタリーのパスタを代表する「スパゲッティ アーリオ オーリオ」について、五年間の成果とし、まず、聞いていただこうかと考えました。

 というわけで、アーリオオーリオの話なのだが、まず基本的な素材について、項目立てて説明がある。これが大変に面白い。

第一章 スパゲティアーリオオーリオのつくり方
 第一課 パスタ
 第二課 オリーブオイル
 第三課 にんにく
 第四課 赤唐辛子
 第五課 パセリ
 第六課 最後に水と塩と鍋について
 第七課 では、実際にアーリオオーリオをつくりましょう)
第2章 パスタは僕の料理の原点
 料理人になるまでの右往左往
 パスタの旅日記
つくり方索引
おわりに

 オリーブオイルの項目には、ワインと同じように、フリーランの話もある。一通りオリーブオイルの区分と作り方の話のあと、こう続く。

 で、この作業を始める前にオリーブの実を集めて山のように積んだとき、重さに耐えきれず、たらたらと流れ出るオイルがスーパー最上級ものです。これをフリーランといいます。なんの手を加えずに流れ出たオイルは素直で、生の香りと味わいに満ちています。フリーランは、エキストラ・ヴァージンの最高級品として、一リットルに一万円ほどの値段がつきます。
 こういう最上級のオイルは、深いオリーブグリーンの色がゆったりと広がり、力強い花の香りやいろんな要素の香りがします。神様からの贈り物というものがあるとすれば、こういうものかと思います。一口ふくむと、奥深い香りと味が生まれて、これは確かに植物から採れた純粋なジュースであることがわかります。ああ、こういうのをブーケというんだなと納得できます。その年の天候や実のつき方で、香りも味も当然違います。それが、楽しみでもあるのですが。

 神が存在するのかなどと問うまえに、「神様からの贈り物というものがあるとすれば、こういうものか」というものを喰ってみるのがいいのだと私は思う。そうすれば、逆に神の存在が確信できるかもしれない。できなくても生きる支えにはなる。生きてみるというのは、まず、喰うことだし、愛することだ。なんだか、イタリア人になってきたみたいだな。
cover
アーリオオーリオのつくり方
アルポルト
御馳走読本 (4)
 フリーランのオリーブは高いといってもワインに比べれば安い。でもアーリオオーリオには使わない。どう使うか。この本には書いてないが、いいオリーブオイルは、茹でたパスタ(塩茹)にそのままかけて喰うというのを私はする。焼き魚にもかける。刺身にもかける。トーストにもかける。豆腐にかけてもいい。冗談ではない。
 塩の話も面白い。和食でなければ、塩はやっぱり岩塩だよと思う。パセリも…そうだな、日本のパセリはどうしてこうなっちゃたんだろうなと思う。水の話もうなづく。にんにくは…といろいろ思う。
 アルデンテの話も愉快だ。

 「アルデンテ」とは、「歯ごたえ」ということです。アルは、なになに対してという意味です。ということは、「自分にとって好ましい歯ごたえにゆでましょう」ということなので「絹糸一本残して」ということではありません。実際、イタリーの中でも、ナポリ人のアルデンテは芯があきらに残っている状態を好みます。まだ、ごりっとするくらいで、生の小麦の香りがするくらいです。北のミラノでは、しこっとするくらいを好みます。
 しかし、こんなことは各人の好みなのですから、
 「くたくたが私のアルデンテなのよ」
 と言う人がいても不思議ではありません。

 こういう文章を読むのが料理本の楽しみでもある。
 書籍としては、文庫とオリジナルがある。私は文庫は持っていない。できたら、この本はハードカバーを薦めたい。

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2004.07.21

公文書館なくして民主主義なし

 公文書制度の動向がピンと来ない。現状、細田博之官房長官の私的懇談会「公文書等の適切な管理、保存および利用に関する懇談会」(座長、高山正也慶大教授)が進行しており、先月28日、各省庁が保存する文書の国立公文書館への移管基準の明確化などを求める報告書が細田長官に提出された。
 懇談会の詳細については、内閣府ホームページ(参照)のかたすみの「その他の施策」にこっそりとリンクがある。リンクであることがわかりづらいように下線を消した項目の「公文書館制度」がそれだ。内閣府は公的ホームページの作りかたもわかってないな。とほほ。
 この「公文書館制度」(参照)の資料は、面白には面白い。が、専門的な議論が中心になるのはわかるのだが、率直に言うと、「わかってんのかこの人たち」という印象がある。
 同じ印象は昨日の読売新聞社説「公文書保存 政府が直接やるべき事業だ」からも受けた。内容はよく書けてはいるのだが、ジャーナリストたちは公文書館の意味がわかっているのだろうか、という印象がある。


 「公文書館なくして民主主義なし」という言葉がある。政府は、国の重要な意思決定について、その記録を保存し、公開することを通じて、将来の国民に対しても説明する責務がある。

 もちろん、まとめるとそういうことなのだが、読売新聞の憲法議論でもそうなのだが、主体が誰なのかよくわからない。ここでは、「国は」ということであり、読売粗悪憲法案だと「国民は」だろうか。
 現状の問題としては、読売社説が指摘するように、日本の公文書館のあまりにお粗末な現状がある。

 最大の問題は、その判断が、事実上、各省庁に委ねられていることだ。廃棄するか国立公文書館に移管するかは、内閣府と省庁の合意によって決まるが、文書の内容を把握しているのは省庁側だ。
 各省庁が、自らの判断で保存期間を延長し、保有し続けることも出来る。
 このため国立公文書館には、各省庁の重要な政策を記録した文書は、断片的にしか収納されていない。

 このように、まったくあきれた状態であり、読売社説はこれに対して、米国のように「政府が直接やるべき事業だ」というわけだ。
 だが…、と私はここでそのニュアンスが違うと思う。

 米国では、上院の助言と同意の下で大統領により任命される国立公文書館長が、公文書館へ移管する文書を決定している。公文書保存に取り組む姿勢が、日本とは根本的に異なる。

 大統領だから行政権というふうに読んでもよいのだが、ここには大統領と国立公文書館長に国民の、歴史に向き合う良心が委ねられている、と理解することが重要だと思う。
 日本では、民主主義というのが多数決と同義語になってしまっているが、まるで違う。民主主義とは、正義に国民が向き合う制度であり、その最大のポイントは権力の制御だ。だから機構もややこしい仕組みになっているのだが、そうした機構とは別に、さらにその「選択された正義」を歴史の審判に仰ぐことで、自分たちの正義を裁きうる謙虚さが含まれている。少数の意見や間違いとされた決定をけして歴史のなかで消失させないということをもって、今の正義の根拠ともしているのだ。
 この感触を山本七平が「日本人とアメリカ人」(「山本七平ライブラリー (13) 」収録。ただし、絶版)でよく伝えている。なお、アーカイブとは連邦政府資料館のことである。

 アーカイブのギリシア神殿そのままの建物の前に立ったとき、私は、いかなる精神がこの神殿を造りあげたか、という秘密を引き出し、それを日本と対比するには、たとえ何時間かかろうと、実務でおして行く以外に方法はあるまいと覚悟した。


 前にも記したが「天皇の戦争責任を天皇に直接問うた」のは戦後三十年である。だが重要な資料は、米軍に押収されてこのアーカイブにあるもののほかは、ことごとく焼却され、皆無に等しい。書類焼却は実に徹底しており、たとえば満州国壊滅のときに、日露戦争時の書類まで焼却されたときの大火事のような様子を、児島襄氏が記しておられる。


 焼却・抹殺は、敗戦時に必ず起こる現象であろうか? ドイツ人は、強制収容所の帳簿から、”処理”の原価計算まで残しているから、何もかも焼却することが、敗戦に必ず随伴する現象とはいえない。そしてこの保存という点で最も徹底しているのがこのアーカイブであり、政府の文書はすべてここに集積され、三十年後には一切を公開するという。戦後三十年、日米両国共に民主主義・自由主義のはずだが、この点で両者の行き方は全く違い、日本にアーカイブは存在しえいない。

 山本がこの文章を書いたのは昭和51年(1976年)である。長いがもう少し引用したい。

 アメリカ式にやれば”恥部”といわれる部分も遠慮なく白日のもとに出てくる。その一部はもう出てきて、さまざまな議論を呼んでいる。そして出れば出るだけ「病めるアメリカ」を、アメリカ政府自らが世界に印象づけかつ宣伝する形になり、甚だしくその国益を損ずるであろう。なぜ、こういうことを平気でやるのか?
 日本ではこういういことは起こり得ない。焼却もさることながら、戦後の”民主日本”の政府にも十六万五千の秘密があり(「毎日新聞」松岡顧問による)、さらにこれだけの「秘密があることすら秘密」にしているから、実態は国民にはわからない。

 山本がこれを書いてから、さらに30年近い時が過ぎようとしている。しかし、日本はなにも変わっていないと思う。なんだか、泣けてくる。「病めるアメリカ」としてあざ笑い、ムーアのインチキ映画を賞讃する日本の知識人の浅薄さをどう評したらいいのだろう。(後年山本はこのアーカイブのなかから洪思翊を読み出した。)
 なんだか長い話を書きそうな気になってきたので切り上げたい。特に糞なのが外務省だ。それがどれほどひどくむごいものか、「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬)を読めと言いたかったのだが、これも絶版。図書館でめくってくれ、大学生。卒業試験より大切なことはこういう事実を知ることだよ、高校生。
 外交には秘密は必要だということくらい私もわかる。沖縄県人がどれほど、機密文書「日米地位協定の考え方」増補版の公開を求めても空しいかもしれない(参照)。しかし、この最初の文書は、沖縄本土復帰の翌年、つまり1973年に、外務省条約局とアメリカ局が作成したものだった。国会における政府答弁の基礎資料となる虎の巻でもあった。日本に公文書公開制度があれば、あれから30年後の今、この文書を私たちが読むこともできるはずなのだ。しかし、できない。これで民主主義国家なのか。

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2004.07.20

マイクロソフト特許非係争(NAP)条項を巡って

 13日、日本の公正取引委員会はマイクロソフトに対して、独占禁止法違反として排除勧告を出した。自分はそれほどこの分野に疎くもないつもりなのだが、率直に言ってよくわからない。最初の印象を言えば、欧州がマイクロソフトに対する予備調査を開始した動向の尻馬に乗って公取はフライングしたか、でも、なぜ今なんだろうか、という疑問がわいた。すでに1998年に米国訴訟の尻馬に乗って排除勧告を出しているのだが、その関連でもなさそうだ。
 連想したのは、この臨時国会で談合の取り締まりを強化する独占禁止法改正案の提出する動きがあるので、そのからみのこけおどしかなとも思った。NHK「あすを読む」では日本の新三種の神器を守るためだ、みたいな解説になっていて、そうかぁ?と疑問を深めた。依然この問題はよくわからない。ので、たらっとした話になるが、気にはなるのでそのあたりをざっと書いておきたい。
 話は、最初のニュースだろうと思われるロイター「公取委、米マイクロソフトに排除勧告」(参照)からひく。奇っ怪なのだが、最初のニュースはロイターのようである。共同も同時とも言えるが共同のほうは薄く、ロイターを追った形だった。


 [東京 13日 ロイター] 公正取引委員会は、米マイクロソフトに対し、独占禁止法違反(不公正な取引方法)で排除勧告する、と発表した。公取委によると、マイクロソフトは同社のOS(基本ソフト)「ウィンドウズXP」を搭載したパソコンを発売する日本のパソコンメーカーに対して、契約に際し不当な契約条項を課していたという。

 不当な契約条項は「特許非係争(NAP)条項」で、Windowsに関して日本のパソコン・メーカーと使用許諾契約を結ぶ際、マイクロソフトに特許侵害の訴訟を起こさないことを誓約するものだ。NAPは"Non-Assertion of Patents"の略で、昼寝している場合ではない。
 今朝の日経社説「転機迎えたマイクロソフト」では、かつてのNAP条項と現状がそぐわないという見方をしている。

 NAP条項が盛り込まれたのはマイクロソフトの売り上げ規模がまだ小さかった1993年のことで、メーカーもあまり問題にしなかった。互いに余計な訴訟を避ける都合のいい手段だった面もある。しかしマイクロソフトが急成長し、デジタル家電分野などで直接競合するようになると、同社の支配力を排除しようという動きが日本の中にも出てきた。

 1993年というとちょうどWindows3.1がリリースされ、本木雅弘がCMでWindowsを連呼して、私ようなMacユーザーは、たかがガワじゃんと苦笑したころだ。1993年は日経のトーンだと曖昧に昔のことじゃないかという感じだが、Windowsは3.1から取りあえず実用レベルになったので、NAP条項も本格的なWindows戦略の一貫にあったのだろう。ただ、この時代を思い出すに、時代の空気は今とは違った。個人的な思い出だが、私がNECのある課長さんに、「Windowsが伸びてくるとこれからは98の時代ではなくなりますよ」と言ったら、そんなばかなという感じで高らかに笑っていた。
 NAP条項について先のロイター記事の後段では、マイクロソフト日本法人はすでにこの8月以降の契約でこの条項を削除しているとしている。が、マイクロソフトにありがな泥縄的な言いぐさかもしれない。というのも、マイクロソフトのNAP条項ではWindows搭載パソコンの販売終了後3年間訴訟を起こせないとしているのだが、それでこのくそな条項が終わりかといと、そうでもないようだ。Windows XPの機能が次期Windows(コード名Longhorn)に継承されると、Longhorn販売終了後さらにその3年後まで、NAP条項が適用されるようだ。洒落にならない。
 問題のもう一方の側面は、その技術ってなによ?である。そのあたりがよくわからない。日経「米マイクロソフトに排除勧告、使用契約に不当条項」(参照)では次のように概要を示している。

 公取委によると、マイクロソフトはOS「ウィンドウズ」の使用許諾契約をソニーや松下電器など日本のメーカー15社と結ぶにあたり、「特許非係争条項」を規定。メーカー側が、自社の開発技術がウィンドウズの中で無断で使われているとの疑いを強めても、訴訟を起こせないよう拘束していた。メーカー側は、マイクロソフトが2000年発売の「ウィンドウズME」以降、OSのAV(音響・映像)機能を拡充したことに危機感を強め、侵害された恐れのある特許のリストを提示して非係争条項の削除を求めた社もあったが、マイクロソフトは応じなかったという。

 曖昧な書き方だが、WindowsのAV機能は、Windows Media Playerの関連だろうとは想像が付く。Windows Media Playerは、多くの人が知っているように、iTuneやRealPlayerのような単純なメディア再生のアプリケーションではなく、Windowsのミドルウェアに位置づけられている。粗く言うと、OSの内部に組み込まれている、のだが、COM(Microsoft Component Object Model)の構造からそうなる。というか、COMの考え方はアプリ的なものではないので、その中に、他者特許の技術がずるずる引きずり込まれるようになる。なお、現状では、Dot NET Frameworkという名称になっている。
 私の誤解かもしれないが、この構造が取りあえず問題ということなのではないだろうか。そして、その線で問題解決となると、旧来通り技術はアプリケーションごとに分けるという志向になるのだろう。というあたりで、私も技術屋の端っこにいた感じから、率直に言うと、現状のCOMがいいとも思わないが、そういうルーズなプラットフォームのほうがすぐれているとは思う。
 個別な点で以前から私が気になっていたのは、ASFとWMVの技術の関連だ。よくわからないのだが、ASFは通常言われているAdvanced Streaming Formatではなく、Asynchronous Streaming Formatだったと記憶している。NTTの技術が噛んでいたようにも記憶している。コーデックはMPEG-4の技術を応用しているらしいのだが、これもよくわからない。ただ、いつからか、ASFを避け、単に拡張子を書き換えただけのWMA・WMVとなった。つまり、Windows Media Playerの標準フォーマットである。
 そんな思いでインプレス系「MicrosoftのNAP契約が引き起こしていた問題点」(参照)を読んだのだが、やはりいまひとつわからない。インプレスが、以前マイクロソフトの代理店をしていたアスキーからスピンアウトした関係の会社だからなのか、やや偏向した印象も受ける。が、問題は、より技術的な側面だ。

 MPEG-4に代わるコーデックとして開発されたWMVに関して、昨年までMicrosoftは一貫して「MPEG-4/AVC(H.264)に似たものだが、実装が異なる」と主張してきた。リバースエンジニアリングが禁止されている中では、この主張を崩すことは難しいかもしれない。ところが、昨年10月にWMV9の圧縮・伸張アルゴリズム部分を抜き出したVC-9のソースコードがSMPTE(映画テレビ技術者協会)に提出されたことで状況が変化してしまった。


 ちなみにVC-9で使われている特許はH.264/AVCとほぼ同じで、特許保有者ももちろん同じ。MicrosoftはVC-9で使われている数十の特許のうち、1件しか取得していない。結局、VC-9(=WMV9の圧縮アルゴリズム)のライセンス料金は、他の多くの企業(大部分は日本の家電ベンダー)が制空権を握っている状態だ。

 この説明はなるほどとは思う。この線だと、マイクロソフトが潜在的に引き起こしていた特許の具体的な問題は、Windows Media Playerのヴァージョン9が本丸ということになる。
 私としては、でも、VC-9の話はなるほどとは思うがそれほどしっくりもしてない。依然、COMの構造が重要であるとも思うし、問題がWindows Media Playerのヴァージョン9だけとも思えない。
 話はうまくまとまらないのだが、国産AV時代、新三種の神器の露払いとして、単純にマイクロソフトをとっちめても、実際上の技術の進展にはあまり役に立たないようも思う。
 じゃ、どうする? AV関連でOSに依存しないCOM構造のような仕組みの規格でもあればいいようにも思うが、現実それがTRONで実現しているとしても、市場では個別のアプリケーションや機械として実装されるのではないか。ちょっと技術の方向が違うような気がするのだが。

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2004.07.19

沖縄県内代替基地なしの普天間飛行場返還は好ましい

 特に目新しいこともないのに、今頃になって在日米軍再配置が国内ニュースで問題になっているのは、日米外務・防衛当局者の協議が長引いて、いよいよチキンレースも終わりかという局面になってきたからだろう。
 嫌な感じだなと思う。なにが嫌かというと、これでまた一連の勢力が反米で騒ぎ出すのだろう、なんという偽善なんだろうと思うからだ。
 今回の再配置は、総合的に見れば、確かに在日米軍基地強化につながる。そして、日本は米軍に強く取り込まれる結果になる。しかし、反面、沖縄の負担は確実に軽減されるのだ。平和のプラカードをかざしたところで、それがもたらしてきたことは、他国の軍事基地を沖縄に押し付けるだけのことだった。沖縄の苦渋を理解すると言いながら、ほとんど本土民は分かちあってはこなかった。また繰り返したいのか。それが嫌な感じなのだ。
 事態について素描するための材料として、読売新聞系「米軍基地移転で自治体と調整、官邸に近く専門チーム」(参照)をひく。


日米協議で米側から提案されたのは、厚木基地の移転のほか、〈1〉在沖縄海兵隊一部の陸軍キャンプ座間(神奈川県)への移転〈2〉沖縄の海兵隊普天間飛行場の嘉手納空軍施設への統合〈3〉米ワシントン州の陸軍第1軍団司令部のキャンプ座間への移転〈4〉在日米軍司令部の横田基地(東京都福生市など)からキャンプ座間への移転――などだ。

 読売新聞は意図があってのことかもしれないが、この項目の1と2は、本格的な沖縄の米軍基地縮小につながる。なぜ明記しないのか不可解だが、これは、普天間飛行場を廃止し、しかも、これまで代替案とされてきた辺野古沖海上基地案を廃棄することになる。
 この問題を私は10年近く見続けてきた。8年は沖縄に暮らしていた。住宅地域の真ん中に存在する普天間飛行場は今や米軍の最大級のリスクになっている。そこで住民を巻き込む事故が起これば、すべては終わる。沖縄県民は完全に怒る。冗談ではなく、独立を志向するかもしれない。ラムズフェルドも先日その状況を上空から見て呆然としたのではないか。
 もともと普天間飛行場は嘉手納に統合する予定だった。あまり詳細には言えないが、私が軍雇用員から聞いた話では、沖縄の本土復帰後に移転の準備までしていたようだ。実現しなかったのは、アメリカの四軍の派閥争いである。普天間飛行場返還合意の際でも、識者は当初から嘉手納統合が妥当だと見ていた。それが恐ろしく醜い経緯で辺野古沖案が出てきた。これは政治的な策略も含まれているようだ。もともとあんなところにヘリ基地なんかできはしない。台風銀座の沖縄をなめてもらっては困る。台風の瞬間風速は恐ろしいものがある。
 当然、後はチキンレースあるのみ。これを延々とやってSACO合意の7年が過ぎたというわけだ。日本はなんでも問題を先延ばしにするが、一応契約の民でもある米国が同じことはできない。チキンレースは終わったのだ。ある意味で、四軍の派閥争いの負けだ。これでネオコンがイラク占領統治にとちらなかったら、もっとすんなり変化していただろう。
 こう書くと、いかにもおまえは米軍寄りだということになるだろうか。しかし、それでも、これで普天間飛行場がなくなるんだよ!、その意味が本土に通じるのだろうか。
 問題の裾野にある沖縄の実態については、正直にいうとあまり語りたくない。端的に素描すれば、沖縄の現状からすれば、在沖米軍の全体を今すぐ撤退させることは、軍雇用員や関連産業の状況を見ても不可能だ。この問題が気になる方は、少し古いが、米留組の牧野浩隆副知事が琉球銀行常任監査役時代に書いた「再考沖縄経済」を参照して欲しい。本質的なところで状況は変わっていないはずだ。
 米軍がなぜこの再配置を行うかについても、今回は省略する。極東ブログの話題は散漫だとは言われるが、この問題の背景については、逐次縫うように問題提起してきたはずだ。
 大局的に見れば、日本は安保を解消すべきだろうと思う。在日米軍基地を撤廃するということはそういうことだ。そして、それは米軍にとっても技術的に不可能でもない。グアム、フィリピン、オーストラリア、シンガポールなどのに分散すればいい。恐らく中期的には米軍海兵隊はオーストラリアに定着するようにも思える。
 しかし、平和運動というのは、そういうこととは思えない。日本から米軍を追い出して他国に回すことが平和の実現だとは思えない。本土が沖縄に米軍基地を押し付けてきた偽善の歴史と同じではないのか。そして、安保廃棄は日本が防衛のための軍備を必要とすることでもある。

【追記 04.07.21】
状況は悪化している。こんな話を沖縄県民が飲むと思っているのだろうか。

「普天間代替 現行計画で推進へ 政府説明に米側理解」(参照


 【東京】在外米軍再編(トランスフォーメーション)に関する日米協議で、辺野古沖での普天間飛行場代替施設建設について日本側が現行計画を説明し、米側が一定の理解を示していたことが20日、分かった。政府関係筋が明らかにした。移設の長期化に不満を示していた米側が理解を示したことで、普天間移設は現行計画通り進む可能性が濃厚となった。一方、協議では在沖米海兵隊の一部の本土への移転も論議されており、今後、米軍再編に関する日本側での検討が加速する見通しだ。


 関係筋によると、15―17日の米サンフランシスコでの日米協議で、日本側は普天間代替施設建設の計画内容をあらためて説明した。太平洋の外海に面する辺野古沖は、内海にある他の空港と違い、荒波を防ぐ「ケーソン」と呼ばれる大型のコンクリート施設を数多く必要とする点など、工事に9年半を要する事情などを詳しく説明した。
 米側はこれまで「関西国際空港などは7年で完成したのに、なぜ代替施設は10数年かかるのか」と疑問を示し、工期縮小の可能性などについて日本政府の考えをただしたが、日本側から説明を受け「共通認識を持った」(関係筋)という。

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2004.07.18

ボビー・フィッシャーを捕まえた

 ボビー・フィッシャーについて書くのはまったく私の任ではない。とま、そんな気取ることもないか。フィッシャーは、単純に言って、チェスを少しでも知る人間にとっては、神的存在だ。私もチェスの駒くらいは動かせるし、暇つぶしにチェスもする。
 そんな私にとっても、フィッシャーはグランド・マスターより偉い。もっとも、チェスをよく知る人間にすれば、もう彼の時代は終わったよと言うかもしれないが。
 フィッシャーはすでに伝説の人らしく、映画「ボビー・フィッシャーを探して」(参照)もある。私はこの映画は見ていない。映画のあらすじを読むにフィッシャー伝説の一端を文学っぽく描いたかなという感じがして、あまり見るきにもならない。とにかく、彼はチェスの天才少年だった。チェスの天才少年あるいは少女は、現代でもロシアでは最高の話題である。というか、社会的なヒーローだ。ロシアや東欧の文化は日本にあまり知らせていないようにも見える。いや、世界的に見ても、チェスは、オリンピック、サッカーに次ぐ3番目のスポーツでもある。ほんと。
 その伝説の人、フィッシャーが日本で捕まった。容疑は表面的には入管難民法違反だ。が、そんなものは名目に過ぎない。最大の罪は、アメリカへの事実上の反逆罪だ。と、先走る前に事実確認を兼ねて、共同「チェス元王者を収容 成田で入管難民法違反容疑」(参照)を引く。


 フィッシャー氏は1972年にソ連のボリス・スパスキー氏を破り世界王者になった後、消息が分からなくなった。
 92年、米政府が国連の対ユーゴスラビア経済制裁決議を受け、米国人に対しユーゴにかかわる経済活動を禁止する中、同氏は突然ユーゴに現れて賞金335万ドルをかけて対局し勝利。このため米連邦大陪審に起訴された。
 その後再び姿を消したが2001年、東京都内のチェスプレーヤーによって日本滞在が確認された。

 1972年は冷戦のまっただなかである。先にチェスの天才はロシアで社会的なヒーローだと書いたが、当時のソ連でも同じだ。アメリカはフィッシャーを使って、ソ連をくじいたのである。彼はアメリカのヒーローともなった。このことが彼の人生に暗い影を落とす。
 1975年、フィッシャーは世界チャンピオンに就いたものの、タイトル防衛戦の対局をすっぽかして公式には消えた。その後は、共同が言うほど消息不明というものでもない。カリフォルニアを拠点に東欧を転々としていた。彼が次に公式に世界に現れたのは1992年。共同のニュースのとおりだ。これでアメリカからお墨付きの罪人となる。
 共同ニュースでは2001年に在日が確認されたとあるが、この話は、チェスをする人間なら誰でも知っている。それほどの秘密でもない。どういうふうに来日したかはわからないが、この数年ずっと日本滞在していたことについては、私のような人間でも知っていたし、その滞在のようすはある程度想像が付くほどだ。2003年1月26日の朝日新聞の三面には、フィッシャーの東京での行動を伺わせるエピソードも掲載された。東京のチェスセンターにある棋譜のポスターに、これは私のものだととサインをしたというのだ。
 棋譜に署名したという彼の行動はまったくもって正しい。それは彼のものだからだ。彼は棋譜に名誉を持っているのだ。将棋好きでもわかることだが、棋譜とは勝負師の命だ。もちろん、大局に命を懸けるとはいえ、そして負けは負けといえ、棋士が名誉をかけるのは、棋譜の美しさだ。棋譜は芸術である。チェス愛好家は、へぼ同士へっぽこチェスをするだけが楽しみではなく、フィリップ・マーロウのように、一人棋譜を広げてその芸術を観賞するものなのである。チェスは芸術でもある。だから、どんなにコンピューターのプログラムがチェスに強くなったとしても、コンピューターには棋譜という芸術を産む能力などない。過去の棋譜を数学的に処理しているだけなのだ。ディープ・ブルーが深く憂鬱をかこっているとすれば、それを癒すにはフィッシャーの新しい芸術が必要なのだ。
 フィッシャーはアメリカの反逆者であるが、これが徹底的なアンチ・ヒーローとなるには、だめ押しがあった。9.11同時多発テロについてだ。経緯は、ニューヨークタイムス"Chess's Lost Soul, Bobby Fischer, Is Held in Tokyo"(参照)からひこう。

On Sept. 11, 2001, he told a radio talk-show host in Baguio, the Philippines, that the terrorist attacks on the World Trade Center and the Pentagon were "wonderful news," adding he was wishing for a scenario "where the country will be taken over by the military, they'll close down all the synagogues, arrest all the Jews and secure hundreds of thousands of Jewish ringleaders."

 その日、フィリピン滞在中のフィッシャーはアメリカを呪った。「素晴らしいニュースだ。この国は軍事に支配されことになり、ユダヤ教会は全部閉鎖され、ユダヤ人を全員逮捕ということになるだろう。ユダヤ人首謀者たちをかくまうだろう」。暴言である。試訳が悪いのか意味不明でもあるが、実際はこの暴言にはまだ先があるものの内容は支離滅裂ぽいようだ。
 この暴言は全米に流れた。それにしても、ユダヤ人になぜそんなに敵意をもつのか、このユダヤ人。そう、フィッシャーはユダヤ人でもある。こうした屈曲した心理にご関心のあるかたのために、フィリップ・ロスの文学があるともいえる。
 フィッシャーに比べれば、マイケル・ムーアはふざけた陰謀映画を作るアホなデブである。それだけ。ピリオド。およそ、反米になんかなっていないのは、なんのことはない米政府はこのデブを敵視していないことでわかる。
 それに対して、フィッシャーは、本気だ。狂気と言ってもいい。しかし、この狂人が本気でアメリカを怒らせるのは、あの芸術を生み出した天才の本源に、ある真実を予感するからだろう。そして、その予感は、私を少し狂わせる。糞!
 フィッシャーを逮捕したのはなぜ日本政府なのか。このまま、米国に送還させるというのか。糞! この糞は、時期的に見るに、どうしようもないバーターの臭いすらする。

【追記 2004.8.17】
ブログ本文では「その滞在のようすはある程度想像が付くほどだ。」とぼかしておいたが、予想した進展があった。

CNN 元チェス世界王者、日本チェス協会の女性と結婚へ(参照


 東京 無効旅券の利用で東京入管成田空港支局に先月13日収容され、その後、茨城県の東日本入国管理センターに移送されている、元チェス世界王者の米国人、ボビー・フィッシャー氏(61)が、日本チェス協会の渡井美代子会長代行兼事務局長と結婚することになった。
 フィッシャー氏の代理人を務める弁護士が16日、2人は既に婚姻届に署名し、書類は同日中に提出されると述べた。
 東日本入国管理センターは、不法入国などで強制送還が決まった外国人らを収容する施設だが、フィッシャー氏の強制送還などは決まっていない。
 また、2人の婚姻届が受理されるのかどうか、日本人との結婚によって、強制送還措置を免れるかどうかなどは、現時点では不明。
 弁護士によると、フィッシャー氏と渡井事務局長は2000年から一緒に暮らしていた。

【追記 2004.12.20】
 アイスランドがフィッシャー氏のためにビザを出そうとしていた。ここで日本政府がヘタレなければ、フィッシャー氏はアイスランドに移ることも可能になる。

CNN Japan:元チェス王者にビザ発給のアイスランド、米国「圧力」と参照


 コペンハーゲン──無効旅券の使用で東京入管が拘束中の元チェス世界王者のボビー・フィッシャー氏(61)に対し、アイスランド政府が永住査証(ビザ)の発給を決めた問題で、米国が同国に発給を撤回する「圧力」を掛けていたことが分かった。ロイター通信が20日、オッドソン・アイスランド外相の側近の話として伝えた。
 フィッシャー氏は今年7月から東京入国管理局に身柄を拘束されている。
 アイスランド政府は今月16日、ビザの発給方針を明らかにした。外相側近によると、米国は翌17日、発給の撤回を文書で申し入れてきた。アイスランド政府は、米国にはまだ返答していないとしている。

Iceland offers asylum for chess legend Fischer参照

追記(2005.3.12
 アイスランド政府はフィッシャーに対して、永住査証の発給を決めた。よって、フィッシャーは日本政府の拘束さえ緩めれば、いつでもアイスランドへ渡航出来る。もともと恣意的な拘束だったのだから、これを機にフィッシャーをアイスランドに移れるようにしてはどうかと思う。

"拘束の元チェス王者に旅券を発給、アイスランド政府"(参照


成田空港で無効な旅券(パスポート)保持が発覚し、昨年7月から東京入国管理局に身柄を拘束されている米国の元チェス世界王者、ボビー・フィッシャー氏(61)に対し、アイスランド政府が旅券を発給した。フィッシャー氏と面会した元アイスランド国会議員が7日、明らかにした。

追記 2004.3.23
 フィッシャーが解放された。アイスランドに向かうことになる。日本としては、これ以上の恥を重ねることもなく、またこの世紀の天才がいくばくか自由に暮らせると思うと、私は、とても嬉しい。

BBC Japan 'set to free' Bobby Fischer(参照
CNN Fischer 'to leave for Iceland'(参照

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