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2004.06.19

女の子の喧嘩には科学的に見て特徴がある

 当然とも言えるのだが、佐世保小六女児殺害事件に対するメディアのヒステリックな反応は終わりつつある。精神鑑定に持ち込むことでメディアから遮断し、人の噂も75日ということだ。イラク日本人人質事件も「新潮45」6月号で奇妙なルポが掲載されたが、もはや終わった話題となった。かくして本質的な考察は忘れ去れられ、類似の、あるいは、より悪質な問題が継続する、と偉そうに言ったものの、よくわからない。社会的な忘却は、社会精神の自浄作用なのかもしれない。
 佐世保小六女児殺害事件について、私は文書報道を除いて、NHKの報道番組以外は見ていない。が、気になるのは専門家からのコメントがなかったように思えることだ。あるいはあったのだろうか。あまりに馬鹿馬鹿しいコメントで私の脳がスルーしているかもしれない。少なくとも、私の意識にはなにも残っていない。精神医学関連の専門家はなぜ沈黙しているのだろう。メディアがあえて出さないようにしているのだろうか。私は、奇妙だと思う。
 少年・少女の行動は米国ではきちんと医学の類縁で扱われている。そして、そうした医学成果は、大衆向けには健康情報の一貫として扱われる。
 日本では、健康情報というと馬鹿げたテレビ番組の話題か、栄養士や医者の医学ぶった、戦前の医学かよと思われる旧態依然としたコメントくらいなものだが、健康というのは、養生法だの子どもの知能面の速成に限らない。
 ぼやきはさておき、この分野の専門誌" Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine"の最新号(6月号)に気になる研究発表があった。例によってアブストラクトしか見ていないのだが、日本のこの分野の専門家は当然読んでいるだろうから、なにかしら社会的なコメントを出してしかるべきではないかと思う。
 発表標題は"Characterization of Interpersonal Violence Events Involving Young Adolescent Girls vs Events Involving Young Adolescent Boys"(参照)と簡素なもので、試訳すると「青少年期の対人暴力の男女差の特徴」となるだろうか。一般的な言葉でいえば、子どもの喧嘩に男女差がある、ということだ。
 このテーマが研究される背景はこうだ。


Background
Multiple studies have demonstrated that girls are engaging in interpersonal violence. However, little is known about the potentially unique aspects of violent events involving girls.

 当たり前と言えば当たり前だが、まず、女の子といえども喧嘩はする。しかし、女の子の喧嘩というものがどういうものかは、医学・心理学的にまだよくわかっていない、というのだ。
 馬鹿馬鹿しいこと言うよな、そんなの世間を生きる経験や文学でわかりそうなもんじゃないか、とも思うのだが、米国科学の良いところは、こういうゼロから考えるところだ。余談だが、大学の教科書などでも、ほんとゼロから書いてあるものが多い。ちゃんと読んで演習すれば実力が付くようになっている(演習がポイントなんだけどね)。
 研究目的も単純だ。

Objectives
To describe characteristics of interpersonal violence events in preadolescents and young adolescents and to determine if events involving any girl are different than those involving only boys.

 というわけで、女の子同士と男の子同士の喧嘩の差異を調査しようというわけだ。
 実験のデザインと結果も、アブストラクトには掲載されているが、率直に言って、たいしたものではない。エンロールも190名と少なく、これではちょっとした学部の卒論といった感じもある。しかし、だからといってこの調査が無意味というわけでもない。
 結果もあたりまえと言えばそうなのだが、きちんとこう言われると興味深い。

Conclusion
Violent events involving preadolescent and early adolescent girls are more likely to be in response to a previous event and to involve the home environment and family member intervention. Health care professionals should screen violently injured girls for safety concerns and retaliation plans and consider engaging the family in efforts to prevent future events.

 ここは意訳しておくほうがいいだろう。率直に言って、想定されている事態はかなり、現実的な暴力を含んでいる印象はある。

結果
前青年期および初期青年期の少女間で起きる暴力行為は、男子に比べて、単独で発生するというより、前回の暴力行為の続きとして起きる傾向がある。また、この暴力行為は家庭環境や家族による介入(その場の仲裁)を巻き込む傾向が強い。青少年の健全育成に関わる専門家は、安全を重視し報復を避けるために、暴力によって負傷したことのある少女を保護すべきである。また、暴力再発を避けるために家族を含めての対処をする必要がある。

 訳が拙いので、想定されている事態はかなり実際的な暴力だとして、日本の状況とは違うのではないか、という印象を得るかもしれない。が、そうではない。Violent eventsを単純に暴力行為とすると、原義が損なわれやすい。端的には実際の暴力だが、心理面に関わる面もある。
 問題は、表層に現れる暴力行為ではなく、女子の場合の対人暴力は報復性が強いという心理的な特徴なのである。
 さて、こうしたことは、私の世間感覚からすると、日本では素では言えないかなという印象を持つ。言うとすれば、偽悪的に、「命の大切さ」みたいなどろっとした空気がよどんでいるよね、という感じだ。
 しかし、そんなことはどうでもいいのであり、問題はきちんと医学、心理学、つまり科学的なレベルで対応が可能だという点が重要だ。偉そうなことを言うとかえって無意味なのはわかるが、このこと、つまり、科学的な社会への対処というものが、日本の社会に決定的に欠けているように思う。
 くどいが言う。道徳のような訓戒ではだめなのは、日本の敗戦と同じだ。戦時、「日本は負けるでしょう」と言えない空気があり、そう言う人間を道徳的に罰して沈黙させた。そして、道徳「絶対勝つぞぉ」みたいなもので進めていく。それを「命の大切さを知らせる」と言い換えても、構造的にはなにも変わらない。
 今回の事件で、誰もが、「なぜ女の子が」と思ったはずだ。そして、この事件にはまさに、そこが問われてもいいはずだったが、戦中と同じような空気で日本社会はそこを封じている。
 個人的な印象だが、こうした女児の行動特性は、私は多分に文化環境によるものではないかと思う。つまり、生物学的な傾向ではないだろうと考えている。このアブストラクトの出だしにもあるが、我々の社会は、女児の暴力性を女児だからとして過度に抑圧するようにできているため、その自発的な制御が効きづらいのだろう。
cover
「ソロモンの指環」
 このあたり、ふと、コンラート・ローレンツの愉快なエッセイ(愉快すぎて今読むと恐怖でもあるが)「ソロモンの指環―動物行動学入門(ハヤカワ文庫 NF222)」のウサギの話を思い出した。たしか、狼とウサギとどちらが残酷に争うかという話だ。もちろん、動物だと本能的な行動特性ということになるが、人間の男女ではそうでもなかろう。
 え、その学生、「ソロモンの指環」を読んでない? ダメだなぁ、って、これを読ませない先生がダメっていうこと、さ。

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2004.06.18

Takeru "The Tsunami" Kobayashi(小林尊)こそ、国際的なセレブ

 サロン・コムに掲載されているAPニュースを読んでいて、一瞬、え?と思った。記事の標題は、"Wiry Japanese man ready for eating contest"(参照)。訳すと、「ひょろっとした日本人が大食い大会に備えている」でいいだろうか。なぜ、そんなものがAPニュースなのか? もってまわった言い回しのパラグラフを読み進めて、目が釘付けになった。


June 17, 2004 | Tokyo -- He's taken on sumo wrestlers. No contest. Former NFL star William "The Refrigerator" Perry, three times his size, took up the gauntlet. Not even close. Nobody, but nobody, can eat hot dogs like Japan's Takeru "The Tsunami" Kobayashi. And, once again, he's in training to devour the field at one of competitive eating's most venerable battles -- the annual Fourth of July hot dog wolfing contest on Coney Island.

 そ、それって、小林尊プリンスじゃん。
 数年前、アメリカのホットドック食い大会を制して世界をあっと言わせた、というのはなんとなく知っている。ちょっとぐぐると、「まろの杜」というサイトの「アメリカのPatriotismを刺激する日本人たち」(参照)というページが出てきた。そうそうこれだよ。
 で、この話は、2001年のこと。まだ、ナンシー関が生きていたころだ。彼女の絶妙なエッセイのおかげで、私もときたま、この手の大食い番組を見たことがある。彼女は死んだ。それから、この話題を私は忘れた。あれから毎年吉例でテレビで大会とかやっているのか? 知らん。
 が、だ、日本のテレビ向け大食い大会なんかどうでもいい。アメリカでは、やっていたのだ。どころじゃない、APのニュースを読み進めて、驚いた。小林尊プリンス、いや、アメリカでそう呼ばれているように「ツナミ」と呼ぶべきだろう、すごいよ、ってしみじみ思った。小林・ツナミ・尊、そう、Power Macintosh 9500/9600シリーズで採用されたロジックボードがツナミと呼ばれたのは、当時としては、そりゃ、ものすごい、からだ。
 今や、小林尊プリンスがツナミなのだ。まさに、日本を誇る日本人、だね。APニュースは、だから、正しく、セレブと呼んでいる。彼こそ、本物のセレブなのだ。

The best eaters, like Kobayashi, are celebrities. Hailed by his fans as "the prince of gluttony," the 25-year-old earned an estimated $150,000 in prize money last year.

 この日本の若者が、この三年間、アメリカ独立記念日を祝う愛国イベントの話題をさらっているのだ。
 大会を主催するIFOCEのサイト(参照)を見ると、小林尊プリンスはまさに殿堂入りの扱い。すげぇ。その勇者の一覧もすごいけど(参照)。
 同サイトに掲載されている歴史の話もよい(参照

In the United States, competitive eaters were dominant figures early in the 20th Century, when names like Charles Sylvester Carter and Stan Libnitz tripped off the tongue of any self-respecting sporting man. During the past decade the discipline has again risen in popularity in America, appealing to fans seeking a pure and fundamental sport.

 大食いっていうのはスポーツというわけだ。冗談ではない、きちんと安全も意識されている。

According to archives, the Fourth of July Hot Dog Eating Contest was first held in 1916, the year Nathan's opened on Surf Avenue. The contest has been held each year since then, except in 1941, when it was canceled as a protest to the war in Europe, and in 1971, when it was canceled as a protest to civil unrest and the reign of free love.

 まさに平和を祝うイベントでもある。今年の日本での予選については、ネイサンズのサイト(参照)に話題が掲載されている。
 と、話はここでずっこける。Takeru Kobayashiで英語のサイトをぐぐっていたら、"WHO2 Find Famous People Fast(有名人が即座にわかる)"の日本人ページ(参照)を見つけた(正確には日本生まれの有名人)。小林尊プリンスも当然含まれている。が、ちょっと呆れた。こ、こ、これが、有名な日本人なのか。
 リストしてみる。さて、何人わかりますか?

  • Asahara, Shoko (Kyushu)
  • De Havilland, Olivia (Tokyo)
  • Godzilla (Tokyo)
  • Hello Kitty (Tokyo)
  • Inoue, Harumi (Kumamoto)
  • Kobayashi, Takeru
  • Kurosawa, Akira (Tokyo)
  • Masako, Princess (Tokyo)
  • Noguchi, Thomas
  • Nomo, Hideo (Osaka)
  • Oh, Sadaharu (Tokyo)
  • Ono, Yoko (Tokyo)
  • Sailor Moon
  • Snowlets (Nagano)
  • Suzuki, Ichiro (Kasugai)
  • Tojo, Hideki (Tokyo)
  • Tomita, Tamlyn (Okinawa)
  • Yamamoto, Isoroku (Nagaoka)
  • Yukio, Mishima (Tokyo

 19人なので、famousなのかinfamousなのかわかんないがJunichiro, Koizumiでも下駄にして分母を20人として、さて何人わかります? っていうので、現代の国際感覚がわかるかもしれない。(オリヴィア・デ・ハヴィランドって大正5年の東京生まれだったのかぁ。山本夏彦翁の言う震災前の東京だな。)

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2004.06.17

参議院についてのたるい話

 参議院についてたるい話を書く。もともと私は参議院にお笑い集団以上の関心はない。普通に考えても無意味な存在だしな。だが、先日年金法案が参院に回ったときは、もしやという期待を抱いた。誰が考えても、っていうか公明党とかは除くが、あんな法案ダメに決まっている。厚労省はあとから出生率を出して国民の失笑を買ったが、国政をジョークにしてくれるよ、官僚。しかし、参院もまたジョークだった。むなしい。
 あたりまえことだが、参議院の「参議」という言葉は、広辞苑を見るに、字義は「朝議に参与する意」である。朝議は、これもあたりまえだが、「朝廷の儀式」である。参議の歴史的な意味は、その役職だった。


奈良時代に設けられた令外官。太政官に置かれ、大中納言に次ぐ重職で、四位以上の者から任ぜられ、公卿の一員。八人が普通。おおいまつりごとびと。宰相。

それが、表層を古代に模し、内容を欧米に模した明治時代にはこう変わる。

1869年(明治2)太政官に設け、大政に参与した官職。71年以降は太政大臣・左右大臣の次で、正三位相当。85年廃止。

 この役職が廃止になったのは、1889年(明治22)、憲法によって帝国議会として貴族院と衆議院ができたからと言ってもいいだろう。英国の真似っこである。夏彦翁風に言えば、サルがモーニングを着てみたようなものか。
 貴族院を構成していたのは、皇族と「公・侯・伯・子・男」の貴族。天皇を中心とする朝廷の儀式に参加するのは当然貴族である。戦前は字義通りの貴族院だったわけだ。が、これに、多額納税者、帝国学士院会員からの互選者、勅選議員がおまけになる。お恵みである。そんなところだ。こんな呑気な社会でやっていけるのは平時に限る。戦時にはちと変わり、役職としての参議がなぜか復活する。

1937年日中戦争下、重要国務を諮問するために近衛内閣が設置した官職。内閣参議。43年廃止。

 そんな貴族院の歴史はどうでもよかろうと思う人も多いかもしれないが、昭和32年生まれの私が子どもの頃はまだ「貴族様」という言葉にはかすかに意味の面影があった。貴族院を継いだ参議院も近年まで貴族院時代と同じ「公衆傍聴券」を使っていた。
 戦後、当然貴族院は廃止。GHQは、廃止は廃止だから、衆議院だけでいい、と当初想定したのだが、それが覆ったのは、歴史学者によっては、日本側が二院制を主張したからだとしている。
 私はちょっと疑問だな。日本国憲法の英文原点を読むと、nationとstateは使い分けられ、この用法は、どうやら日本国憲法が連邦憲法を想定したように思われるからだ。もう一つは、GHQは当初から天皇の残存を決めているので、英国のようにするのがいいと思っていたのではないか。
 いずれにせよ、GHQは考えを変え、「じゃ、二院でもいいかぁ」として、それなら、英国式に両院不一致の立法については、下院(衆院)で三回可決し、一年ほど経過したら、上院(貴族院・参議院)の決議にかかわらず成立としたらいいんちゃう、と思っていたようでもある。が、それも変わって、どういうわけか今のようになる。わけわからん。
 現行では、近代国家らしく、当然、下院(衆院)の優位がある。立法も下院=衆議院だけでできる。が、その場合でも衆院議員三分の二の多数を必要とするから、現実的には単独で立法はできない。週刊こどもニュースが以前子どもに嘘教えて謝っていたが、しかたない面はある。それと、余談みたいな付け足しだが、参議院にはなぜか首相の指名権がある。よくわからん。なにがよくわからないか? 憲法はどういう思想で参議院を規定しているのか、ということだ。
 先に日本国憲法はもともと連邦法ではないかと書いたが、基本的に二院制を取るのは地方の法の独立性が高いためでもある。連邦制国家である米国、ドイツ、ロシア、カナダなどは、下院が個々の国民を代表し、上院は各州を代表するようになっている。フランス上院はちょっと変わっていて、というかよくわからないのだが、下院議員と地方議員からなる選挙人団などによる間接選挙らしい。イタリアは、日本に似ているが両院は対等になっている。これもよくわからない。イタリアを理解しようとするのは無駄だが。
 とはいえ、こういうのは法理論上の問題ではなく、歴史の問題なのだろう。現在の世界の国の約六割は一院制と、むしろ二院制が少ないのだが、サミットなど自由主義側の主要国はみな二院制を取っている。残念なことは、日本のこの半世紀はその歴史になっていない、ということだろう。やめようぜ、と言ってもいいのかもしれない。
 たるい話はこれで終わりにしようと思ったのだが、ふと気になって、英辞郎で「参議院」の英語をひいてみる。やっぱり、"House of Councillors"、"Upper House"である(theが付くが)。で、"House of Councillors"の英語を日本語にすると、ちゃんと「参議院」に戻る。ふーん。ついでに「衆議院」は"House of Representatives"となり、逆引きすると、「衆議院、下院」になる。ちなみに、英語の上院は、"senate"である。対応しているのかどうか、これもよくわからない。制度が違うってことか。
 制度と言えば、米国の両院の上には大統領がいて、こいつがvetoつまり、拒否権を持つ。由来はラテン語の「私は禁じる」らしい。ローマ帝国の名残りというかパロディだ。vetoは元来ローマ部族時代の護民官が持つ権限だったが、帝国になり皇帝の特権となったものだ。まぁ、そんな歴史の話はどうでもいいが、英文を読んでいるとなにかと、vetoが出てくる。
 なんか、こーゆーvetoみてーなものは、日本人にはわかんねーよな、と思っていたが、今回の年金法案のような愚法を拒絶するためのものだろう。それが日本にはない。
 っていうか、こういうとき、近代市民はvetoの代わりに暴徒になってもいいんじゃないのか、って危険思想かね? 

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2004.06.16

米国「忠誠の誓い」はいかがわしくまだ続く

 米国の多くの公立学校では、星条旗を掲げて「忠誠の誓い」というのをするのだが、この文言に含まれる「神のもと(Under God)」という表現が、米国憲法の政教分離原則に違反しないかということが話題になっていた。もちろん、選挙がらみもある。これの関連で、14日(米国時間)、米連邦最高裁はひとつの判決を出した。が、話題の中心には触れず、原告の提訴の資格の有無という問題に絞り、原告にその資格がないとした。もともと「俺の娘にこんな誓いをさせるわけにはいかねー」というオヤジの戯言で、親権を分けるオッカサンは「これでいいのよ」という痴話に近い。いずれにせよ、結局、今回は「忠誠の誓い」はそのままということになった。学校行事も変わらない。もちろん問題がこれで解決したわけでもない。
 「忠誠の誓い」というのは、社会現象として見れば、馬鹿馬鹿しさも昨今の日本の日章旗にセットした「君が代」と似たようなものだが、似て非なる点は多い。どちらもしょーもねー愛国心教育のようだが、日本場合はもろに国家に結びつく。が、米国は愛国心には結びつくのは確かだとして、本当に国家に結びつくかよくわからないところがある。というのも、この問題は、以前サンフランシスコ連邦高裁で違憲判決が出ており、今回はそれを覆した形なのだが、米国憲法の原則から考えれば、サンフランシスコ連邦高裁に理があるだろうと、私なども思う。
 問題の「忠誠の誓い」だが、こんなものだ。


I pledge Allegiance to the flag
of the United States of America
and to the Republic for which it stands,
one nation under God, indivisible,
with Liberty and Justice for all.

試訳
私はアメリカ合衆国の旗と、それが表す共和国に忠誠を誓います。このひとつの共和国は神のもとにあり、分断されず、全ての者に自由と正義を伴わせます。


 阿呆臭いのがいかにもお子ちゃま向けというわけで(しかし、それをいうなら君が代はもっと阿呆臭いが)、小学校とかでは毎朝やらされるようだ。このあたりのようすは、たまたまぐぐったら、日本技術者がシリコンバレーで働くのを支援するためのNPO JTPAのサイトの「アメリカの小学校」というページで面白い話があった。

私のいた小学校では、毎朝Pledge of Allegianceをクラス全員で唱和していました。私は当初”indivisible(不可分の、一体の)”というのを”invisible(透明)”だと思い込んでおり、「神様だから目に見えないのかな」と妙に納得してそのまましばらく間違えつづけていたのですが、その後毎朝復唱し、しかもクラス全員を前にして各節をリードする、という月代わりの当番まで担当したため、すっかり記憶に焼き付けられてしまいました。

当時の私にとっては、毎朝繰り返される挨拶代わりのもの、という以上の実感はありませんでしたが、後になって考えてみると、幼い私は、毎朝星条旗に向かい、直立不動の姿勢で胸に手を当ててこれを唱える事により、「連邦」「(キリスト教の)神」「共和制」といった、「人造国家」アメリカをまとめるもろもろの原理への忠誠を誓わされ、同時に「自由と平等を実現した偉大な国家」であるアメリカという国、そしてその象徴たる星条旗に対する誇りを持て、と教え込まれていたことになります。加えて、週に一回(このへん記憶があいまいですが)は「星条旗よ永遠なれ」も歌っていました。


 米国ではそういう風景なわけだ。私自身はこの経験はないが類似の経験があり、ばつのわるい思いをしたことがある。
 「忠誠の誓い」の文言を私は阿呆臭いとけなしたわけだが、よく読むと含蓄はある。というか、この文言は変だ。愛国心だからとして読み過ごしがちだが、なぜこんな唱和を必要とするのかと考えてみると、必要だった時期がある。つまり、愛国心の危機から生まれているに違いないと考えればいい。
 すぐに思いつくのは、米国というのは今でも北部と南部に分かれた国家だということだ。先日「博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話」を読んで、しみじみ南北戦争の陰惨さに呆れたが、この歴史の傷跡は未だに消し去れるわけでもない。滑稽なのだが、大統領はなんとしても南部から出すぞ、という意気込みがこの季節になると感じられる。実際、歴代米国大統領は牛とかが似合う南部人ばっかり。というわけで、勝った北部が「おれたちゃ一つの国家だよ」というのだろう。"The Pledge of Allegiance"(参照)にはその変遷が書いてある。

I pledge allegiance to my Flag,
and to the Republic for which it stands:
one Nation indivisible,
With Liberty and Justice for all.
(October 11, 1892)

I pledge allegiance to the Flag
of the United States of America,
and to the Republic for which it stands:
one Nation indivisible,
With Liberty and Justice for all.
(June 14, 1924)


 この変遷を見てもわかるが昔は騒ぎのもとにある「under God」はなかった。ワシントンポストは、昨日の記事"Justices Keep 'Under God' in Pledge"(参照)でこの件にこう触れている。

Only three members of the court -- Chief Justice William H. Rehnquist and Justices Sandra Day O'Connor and Clarence Thomas -- commented on the constitutional issue that had made this one of the most intensely watched church-state cases in recent memory.

Each supported some version of the broader claim advanced by the White House and Capitol Hill in friend-of-the-court briefs: that "under God," which was added to the pledge by a federal law adopted 50 years ago yesterday, does not amount to a prohibited religious affirmation.


 いきさつはニューヨークタイムズの記事"8 Justices Block Effort to Pull Phrase in Pledge"(参照)がわかりやすい。

But in voting to overturn that decision, only three of the justices expressed a view on the merits of the case. With each providing a somewhat different analysis, Chief Justice William H. Rehnquist, Justice Sandra Day O'Connor and Justice Clarence Thomas all said the pledge as revised by Congress exactly 50 years ago was constitutional.

The law adding "under God" as an effort to distinguish the United States from "godless Communism" during the height of the cold war took effect on Flag Day - June 14 - 1954.


 要するに、このしょーもない文言は冷戦のために出来たわけで、もとから米国の理念でもなければ、連邦国家に関わることでもない。あえて言うなら、ごく私的な習慣ではないのか。
 あまり触れたくもないが、こいつを作り出したのはJames B. Upham and Francis Bellamyという変なやつらで、これがどのくらい変かというのは、"The Socialist Pledge of Allegiance"(参照)を見ればわかる。これって、ハイ○ヒッ○ラー、まんまじゃん。歴史的にも実は、一つの社会主義的なイメージから来ているのだろう。ナチズムというのも国家社会主義なのだ。
 関連のネタはまだあるのだが、話が長くなったのでやめたい。一つだけ余談だが、朝日新聞系「ソウルの小中高『気を付け』『礼』廃止へ」(参照)がおかしかった。韓国の話である。

学校の授業の始まりと終わりに「チャリョッ!(気を付け)」「キョンネ!(敬礼)」と学級委員や班長の号令に合わせて教壇に黙礼する小中高校伝統のあいさつを来月から廃止する、とソウル市教育庁が9日、明らかにした。

 そんなものさっさと廃止しとけよと思うが、そう言う資格は現代日本人にはない。もっとも、韓国でも、これを廃止すると三歩一礼みたいな前近代が吹き出すのかもしれないのだが。

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2004.06.15

日本の野球を変えてくれ

 今日の新聞各紙社説では、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併の話が多い。といっても読売新聞にはこの話題はない。ナベツネの顔色をうかがう現状ではなにも書けっこない。朝日新聞は、それをいいことに、標題からもわかるが「球団合併――巨人を分割したら」というように、読売新聞へのおちょくりを書いている。社説でふざけるのもいいかんげんにせーよ。
 私は野球にはまるで関心がない。が、ちょっと気になることがあるので、書いておきたい。きっかけに毎日新聞社説「パ2球団合併 ファン不在許されない」をひく。


 プロ野球パシフィックリーグの大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併話が日本列島を駆け巡った。セ・パ12球団体制が定着して約半世紀。慣れ親しんだ2リーグ制は維持できるのか、これからも球団の合併や身売りはあるのか。国民の関心が高いプロ野球だけに、今後の協議を注意深く見守りたい。

 私のように野球に関心のない人間でも、この出だしは毒にも薬にもならないと思う。毎日新聞社説の話として意味があるのは次の点かな。

 この10年余の間、庶民が低成長やリストラにあえいでいる中、プロ野球の世界は、世間の常識からかけ離れた別天地の「金持ちゲーム」に狂奔した。


 プロ野球は、今回の合併を契機に、抜本的な改革に取り組むべきだが、一連の動きを見ていて痛感するのは「ファン不在」ということだ。プロ野球はファンがあってこそのビジネスだ。球団所有者の「経営判断」だけで物事を進め、ファンから見放されては、興行として成り立つはずがない。

 金持ちゲームと言われれば、なるほどそんな気もする。でも、それでもいいのではないか。というか、何が悪いんだか。気になるのは、「ファン不在」という点だ。「プロ野球はファンがあってこそのビジネスだ。」というのだが、日本の野球、というか、野球は日本にしかないのかもしれないが、ファンに何をしてきただろうか? 毎日新社説は「ファン不在」ということで何が言いたいのだろうか? ファンに見放されないように、プロ野球に何を求めているというのだろう? なんも書いてないけど。
 話を回りくどくする必要はないので、私が思うことを書く。プロ野球選手や球団は福祉サービスをせよ、である。球場があるからその地元なんじゃなくて、地元の病院回りとかきちんとせーよ、と思う。もちろん、今でもある程度やっていて私が知らないだけかもしれない。それにしても、アメリカと違い過ぎるじゃんと思う。
 例えば、River Catsというマイナーリーグのサイトには"River Cats Announce Dates For Sutter Health Summer Caravan"(参照)というページがあり、この球団の病院巡りキャラバンの情報が掲載されている。

WEST SACRAMENTO, Calif. -- The Sacramento River Cats announced today that they will begin their Sutter Health Summer Caravan through the Sacramento region on Tuesday at Sutter Memorial Hospital in Sacramento. The Caravan will include a total of six stops at different Sutter Health facilities in the months of May, June and July.

River Cats manager Tony DeFrancesco, catcher Mike Rose and outfielders Nick Swisher and Steve Stanley will join Dinger (mascot) at the Sutter Health Summer Caravan stop on Tuesday. They will sign autographs and visit hospitalized patients at Sutter Memorial Hospital from 10:30 a.m. to 12:30 p.m.


 病院巡りが吉例になっているのだ。Sutter Healthについてちょっと補足しておくと、これは、カリフォルニア州サクラメントの有名な医療組織ネットワークだ。もうちょっと引用したい。

The Sutter Health Summer Caravan is a great way for our players to meet their fans and put smiles on the faces of hospital patients,"River Cats President & Chief Operating Officer Alan Ledford said. During each of the last three years, we conducted a similar Caravan with Sutter Health during the winter months. This year, we decided to hold the Caravan during the summer so our players can see more people and visit more hospitals over a three-month span."

 私は政治的な発言では反米に見られたり親米に見られたりするが、こういうアメリカが大好きだ。"a great way for our players to meet their fans and put smiles on the faces of hospital patients"なんか、泣かせるじゃないか。こうした病院巡りのキャラバンは、球団選手が病院でファンに出会って笑顔を交わすのによいことだ、というのだ。そう、これがファン不在じゃない、ってことだと思う。
 病院巡りの他に、子どもとふれあう活動も活発にしている。それも大切なことだ。子どもが社会問題だというなら、地域のなかで球団が率先して関わってこいよ。
 このRiver Catsが気になって、もうちょっとついてぐぐっていたら、「車イス 世界のレジャー観戦情報」というサイトに「3A サクラメント リバーキャッツ」(参照)という楽しい記事を見つけた。

米国でスポーツの仕事に関わる友人が、メジャーリーグより、マイナーリーグのほうが
面白い。観客サービスがいいと強調していた。
日本では、マイナーリーグの情報なんてないので、半信半疑で訪れた。

 どんなふうに面白いかまで引用できないが、この感想は本当だと思う。

また、観客が早くに帰宅するのもマイナーリーグの特徴。
小さい子どもが多く見に来ることや、試合の勝敗にメジャーほどこだわらないのが理由。
野球に興味がない人でも、楽しみやすいのがマイナーリーグ。
娯楽としてのスポーツ観戦が、米国では都市から田舎まで、非常に充実しております。

とにかく、野球場にきて、こんなに笑い転げたのは初めて。
キャラクター・ショーかよと思ってしまうほど、ファンサービスが充実。
メジャー8球場、マイナー6球場を観戦したことがあるけど、
サクラメントがダントツで一番面白い野球場でした! 皆さんも体験あれ!


 私は、こういうのが野球じゃないかと思う。「フィールド・オブ・ドリームス」また原作「シューレス・ジョー」でも、「それを作れば彼はやってくる」というが「それ」っていうのは、こんな野球じゃないかと思うのだ。
 アメリカ独立リーグ所属、今関勝プロ野球投手のホームページでも興味深い指摘(参照)があった。

 当然、利益を上げることは大切なことですが、それだけでなく社会福祉、社会貢献、次の世代への野球の底辺拡大、理念があってリーグを運営しているように感じました。このあたりが日本野球界と、アメリカ野球界の最大の違いでは・・・・・?

 今後、日本の野球界が、このようなことを考えていけば、自然と良い方向に向かっていくのではないかと考えます。


 なるほどなと思う。
 私は野球に関心がないと書いた。そのとおり、今ではね。でも、私は物心付いたときから、野球を見ていた。「一番柴田」から「一番高田」になったアナウンスは心に焼き付いている。小学校5年生くらいか。金田が突然アンダスローを投げたシーンも覚えている。夏の夜は父親と延々とナイターを見ていた。
 そして、昼間は近所の高校の野球を見ていた。草野球と言ってもいいだろう。草原に座る観客はたくさんいた。あれが野球だと思う。懐古がよいと言いたいわけではない。でも、ああいう野球が野球だなと思う。
 最後に毒を吐く。全国高校野球選手権大会、そう甲子園なんて止めろよ。教育に百害あって一利なしだよ。それが無理なら、せめて、朝日新聞社は優勝校地元駅前の群衆に日本軍みたいな旗を配るのは止めてくれよと思う。醜悪過ぎ。

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2004.06.14

東京は今年も世界で一番生活コストの高い都市

 毎年吉例マーサー・ヒューマン・リソーシズ社による世界の都市の生活コスト・ランキング"Global Cost-of-Living Survey - 2004"(参照)が発表された。言うまでもなく東京は第一位である。生活していくのに一番金のかかる都市というわけだ。そして今回新しく二位に躍り出たのはロンドンだ。フィナンシャルタイムズ"Tokyo tops list of expensive expat postings"(参照)は、東京をdubious honourだと、おちょくっている。


Tokyo has retained its dubious honour as the most expensive city in the world for expatriates, with London leaping five places to clinch the number two spot.

 昔の大阪人なら、いらんこと言わんでもよろし、とか言うだろうか。かくいう大阪は昨年の三位から四位に落ちたが、大阪人の努力または脱力によるわけでもない。ようは、イギリスが変わったことだ。ポンド高なのだ。ロンドンが東京を笑う資格があるわけだ。ちなみに、50位までは次のようになる。けっこう含蓄深い。

04
03
city
04
03
1
1
Tokyo, Japan
130.7
126.1
2
7
London, UK
119
101.3
3
2
Moscow, Russia
117.4
114.5
4
3
Osaka, Japan
116.1
112.2
5
4
Hong Kong
109.5
111.6
6
6
Geneva, Switzerland
106.2
101.8
7
8
Seoul, South Korea
104.1
101
8
15
Copenhagen, Denmark
102.2
89.4
9
9
Zurich, Switzerland
101.6
100.3
10
12
St. Petersburg, Russia
101.4
97.3
11
5
Beijing, China
101.1
105.1
12
10
New York City, USA
100
100
13
17
Milan, Italy
98.7
87.2
14
21
Dublin, Ireland
96.9
86
15
13
Oslo, Norway
96.2
92.7
16
11
Shanghai, China
95.3
98.4
17
23
Paris, France
94.8
84.3
18
42
Istanbul, Turkey
93.5
78.8
19
34
Vienna, Austria
92.5
82.4
20
67
Sydney, Australia
91.8
73.7
21
41
Rome, Italy
90.5
79
22
48
Stockholm, Sweden
89.5
78.2
23
36
Helsinki, Finland
88.8
80.9
24
35
Abidjan, Ivory Coast
88.7
81.3
25
31
Douala, Cameroon
88.3
82.9
04
03
city
2004
2003
26
52
Amsterdam, Netherlands
88.1
76.8
27
22
Los Angeles, USA
86.6
85.6
28
58
Berlin, Germany
85.7
75.3
29
14
Hanoi, Vietnam
85.6
89.5
30
18
Shenzhen, China
85.6
86.7
31
29
Taipei, Taiwan
85.3
83.5
32
18
Guangzhou, China
84.9
86.7
33
40
Tel Aviv, Israel
84.8
79.1
34
37
Budapest, Hungary
84.5
80.2
35
25
Chicago, USA
84.5
83.9
36
16
Ho Chi Minh City, Vietnam
84.5
88.5
37
25
Beirut, Lebanon
84.3
83.9
38
30
San Francisco, USA
84.3
83
39
66
Luxembourg
84.3
74
40
63
Dusseldorf, Germany
84.3
74.2
41
74
Glasgow, UK
84.1
72.3
42
65
Frankfurt, Germany
84
74.1
43
62
Munich, Germany
84
74.4
44
56
Bratislava, Slovak Republic
83.9
75.7
45
38
Jakarta, Indonesia
83.9
80
46
32
Singapore
83.6
82.8
47
56
Dakar, Senegal
83.4
75.7
48
27
Riga, Latvia
83.3
83.7
49
49
Prague, Czech Republic
83.3
78.1
50
71
Athens, Greece
82.9
72.9

 今年の調査の特徴はマーサー・ヒューマン・リソーシズ社"Tokyo and London are world’s most expensive cities; Asuncion in Paraguay is cheapest"(参照)によれば次のようになる。


  • Tokyo and London are world’s most expensive cities; Asuncion in Paraguay is cheapest
  • Three of the five cheapest European cities are in countries that recently gained EU accession
  • Australian and New Zealand cities rise steeply in rankings due to appreciation of currencies against US dollar

 オーストラリアとニュージーランドが対ドルの関係で注目されているということは、皮肉に言うなら、こうした都市間の比較は、ある一定以上の水準を持つ都市なら、経済圏と通貨に依存しているだけのことなのだろう。先のフィナンシャルタイムズは、さらにもってまわった皮肉を言っているのかもしれないが、東京の暮らしだって給与が現地通貨ならさして問題ないと指摘している。

But foreigners living in Tokyo need not despair. Marie-Laurence Sepede of Mercer said that by custom executives posted overseas tended to be given full compensation by their employers for higher living costs.

She pointed out that they could take advantage of expat pay systems by buying local goods in places such as Tokyo, where what is produced at home is often considerably cheaper than what is imported.


 案外そうなのかもしれない。特に輸入品の扱いが気になる。というのも、今回の調査で、韓国ソウルは八位なのだが、現地に暮らす人から聞くに、家電品など工業製品は日本のほうが安いようだ。
 かくして東京はますます奇妙な都市になっていくのだろう。余談めくが、東京の特殊出生率は0.9987となり、1.0を割り込んだ(参照)。面白いといえば面白い。いずれ老人の都市になる。
 話を少し戻すと、問題は結局通貨じゃんかという考えを延長するなら、この調査は、調査方法が間違っているとは言わないまでもだ、あまりにフラット過ぎるというか、数値的なごにょごにょだけじゃんといった印象は受ける。
 むしろ、各高度化した都市におけるマルチカルチャラルなインフラというものからクオリティ・オブ・ライフを出してもいいように思える。それができれば、ロンドンなどはかなりカンファタブルな都市ということにもなり、一層手の込んだジョークが出来るかもしれない。ちなみに、現状のクオリティ・オブ・ライフで言うなら、東京は33位でロンドンは35位。ここでも仲間じゃないか。
 世界都市の動向について、アジアの側面も面白いと言えば面白い。先の調査をひく。

Asia
Four of the world’s ten costliest cities are in Asia, with Tokyo being the most expensive city globally. Osaka takes 4th position (116.1) followed by Hong Kong in 5th place (109.5) and Seoul, ranked 7th (104.1). Chinese cities, though still relatively expensive, have dropped in the rankings, as the Chinese currency is pegged to the US dollar and has therefore been affected by its depreciation. Beijing is at position 11 (score 101.1) followed by Shanghai in 16th place (95.3).

 つまり中国が躍り出てこないのは対ドルのせいという面がある。ここでも通貨がポイントのなのだが、常識的に社会インフラのリスクを算定すると、そうかなぁ?という感じもする。もっともそれを言うなら東京には震災リスクがあるが。
 生活コストは貧富にも関係する。この調査はニューヨークを基準としているが、北米の都市は概ね上位にはこない。単純に考えれば、チープに住めると言うことなのだが、多分に貧富差のセイフティネットなのではないかという気もする。EUにもそのような印象を受ける。北米もEUも別の側面で農業国の顔を持っているというのも、こうした国内の庶民生活のバックボーン(農産物が安ければ取りあえず食っていける)として影響があるようにも思われる。

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2004.06.13

異性化糖でデブになる?

 コカコーラC2をあちこちで見かける。"売り"はカロリー1/2というところだろう。ダイコクやコカコーラライトの系統だから、またしてもアスパルテームか、とつい思う。気になるのは、アスパルテームは過熱するとたしか変質するということだが、風邪薬の代わりにコークを過熱して飲む日本人はいないので、それでもいいのかもしれない。それでも、いまさら果糖とアスパルテームを配合する時代でもあるまい。スクラロースあたりだろうか……。
 と察しをつけてコンビニで手にとって仰天した。御三家だよ。アスパルテーム、スクラーロース、アセサルファムKが全部入っている。思わず、なぜ?とつぶやいてしまった。甘味としては他には、異性化糖(果糖ぶどう糖液糖)と蔗糖(砂糖)も加えられている。あまり想像したくもないのだが、これは日本コカコーラ社内にテイスターがいて、これでいいと決めたのだろう。
 そんな時代なのかと唖然とはした。カロリーを1/2にしたければ飲む量を半分にすればいいのだが…。もともとコカコーラ(クラシック)は甘味が強いのだから、少し薄めるくらいでもいい。ライムを入れるとなお良いのだが、このあたりは個人の趣味の問題だろう。米国では恐らく甘さが決め手でペプシに負けてしまったのだから。という話は、昔読んだ「コカ・コーラの英断と誤算」にあった。もっともマーケット的にペプシが勝ったのは1ボトルの量が大きくて米国の大量購入にマッチしていたことらしい。確かに米軍内でバーガーキングに入るとバケツみたいなカップでコーラが出てくるしな。
 ブログの時代なので、しかもこの手のネタはいかにも日本のブログ向きなので、と思ってコカコーラC2の評判をぐぐってみると、好くない。ポイントは味のようだ。しかも、アスパルテームがネックのように見受けられる。ぐぐったついでに日本コカコーラ社の資料を読むと世界に先んじてとあるから、こいつの味のテイスターは米国人なのか?
 カロリー1/2というのがそれほど日本のマーケットに訴求力を持つのだろうか。当然、マーケット調査をして売り出しているのだろうが、よくわからないところだ。
 と、ここで、アルパルテームを嫌う日本人は和菓子の伝統で甘味の感覚に優れているからな、と書きたいところだが、たぶん違うだろう。というのは甘味に敏感になれば、異性化糖のきつい、それでいてうわついた感じがわかるはずだからだ。でいないと和三盆の味なんかわかるわけもあるまい。現実の日本人の大半の甘味の感覚は異性化糖に合ってきているのだろうと思う。
 資料を詳細に当たるのがめんどくさいのだが、たしか日本の砂糖消費量は往時に比べかなり減少しているはずだ。「異性化糖による砂糖需給の変化」(参照・PDF)を見ると下げ止まりでもありそうだが、それでも砂糖の時代は終わったのは、異性化糖によると言っていいだろう。よく阿呆な自然食信仰者が砂糖は身体によくないとかわけのわかんないことを言うが、むしろ砂糖ならましなほうで、現代日本の甘味消費は異性化糖の比重が多いだろう。
 もしかすると、異性化糖って何?と思う人もいるかもしれないので、日本甜菜製糖株式会社HPの「異性化糖って何だろう?」(参照)を参考に簡単にまとめておく。異性化糖は、ブドウ糖(グルコース)と果糖(フルクトース)の混合液で、日本農林規格(JAS)では、果糖含有率50%未満を「ブドウ糖果糖液糖」、それ以上を「果糖ブドウ糖液糖」とする。これらに10%以上の砂糖を加えると「砂糖混合異性化液糖」になる。異性化糖は澱粉をもとに工業的に製造できるので、このおかげでサトウキビ農業が壊滅的となったと言ってもいいだろう。甘味については、砂糖を100とすると、ブドウ糖が65~80、果糖が120~170。蜂蜜は果糖を成分としていることもあり、人類はそれが砂糖より甘いことを知っていた。で、異性化糖の甘味度だが、果糖42%で70~90、果糖55%で100~120となる。つまり砂糖の偽物になる。話が前後するが、砂糖(蔗糖)はブドウ糖と果糖が結合したものだが、異性化糖は混合液である。
 ここで、気になるのは、人間の身体と果糖の消化の関係だ。現代文明がイカンというなら、異性化糖に害があるとでも言いたいところだが、毒性などありようもない。問題は過剰摂取だが、それとても、蔗糖とめだった差異があるというわけにもいかないだろう。ようするに、総量としての果糖消費が現代人を特徴付けているとだけは言えそうだ。
 そこで果糖なのだが、こいつの代謝がどうも現代科学で完全に解けているようでもないようだ。というあたりから、ブログのネタなのだが、先日"The Journal of Clinical Endocrinology & Metabolism"にちょっと面白い研究が発表された。"Dietary Fructose Reduces Circulating Insulin and Leptin, Attenuates Postprandial Suppression of Ghrelin, and Increases Triglycerides in Women"(参照)である。
 例によって本文を検討したわけではないが、標題や概要からでもこの話は面白い。標題を試訳すると「食用果糖は女性の身体において、血中インスリンとレプチンを減らし、食後のグレリンを抑制効果を減じ、中性脂肪を増加させる」というもの。レプチンはすでに現代人の必須用語になったが、食欲抑制効果を持つペプチドホルモン。グレリンは成長ホルモン分泌促進ペプチドである。概要の一部を引こう。まず、発表の前段となる前回の状況。


Previous studies indicate that leptin secretion is regulated by insulin-mediated glucose metabolism. Because fructose, unlike glucose, does not stimulate insulin secretion, we hypothesized that meals high in fructose would result in lower leptin concentrations than meals containing the same amount of glucose.

 つまり果糖がレプチンを弱めるだろうと推測していた。そして、今回の結論はこうだ。文中HFrはhigh fructose(果糖たっぷり)ということ。

Consumption of HFr meals produced a rapid and prolonged elevation of plasma triglycerides compared with the HGl day (P < 0.005). Because insulin and leptin, and possibly ghrelin, function as key signals to the central nervous system in the long-term regulation of energy balance, decreases of circulating insulin and leptin and increased ghrelin concentrations, as demonstrated in this study, could lead to increased caloric intake and ultimately contribute to weight gain and obesity during chronic consumption of diets high in fructose.

 科学的な言葉をやや不正確に下品に言うと、長期に果糖を過剰摂取していると、食欲を制御するレプチンが減り脳が十分に機能できずにデブになるよ、ということだ。
 この先は、ロイター系のニュース"Too much fructose may skew appetite hormones"(参照)をひこう。

After people in the study ate a meal followed by a drink flavored with the same amount of fructose found in two cans of soda, they showed relatively low levels of insulin and leptin, hormones that help people know that they are full.

On the other hand, they showed relatively high levels of ghrelin, a hormone that stimulates eating.

These hormonal changes "we think could promote overeating," and subsequently obesity, study author Dr. Karen L. Teff told Reuters Health.

 というわけで、果糖を過剰摂取すると、食欲抑制物質が減り、促進物質が増えるというわけだ。デブまっしぐらである。糖については、カロリーも問題だが、特に過剰な果糖摂取が現代人の代謝を狂わせている可能性は高い。
 当然、こうした研究を先読みして、清涼飲料水の産業も異性化糖を減らす方向に向かわざるをえないのだろう。

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