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2004.06.05

[書評]こわれた腕環(ゲド戦記2)アーシュラ・K・ル=グウィン

 この数日鈍く追われるように考えていたことがあった。論理的に考えてもわからない問題は、深く自分の魂の奥の声に耳をすますほうがいい。その声は、ル・グイン「こわれた腕環(ゲド戦記2)」"THE TOMBS OF ATUAN"を再読せよ、とつぶやいていた。

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こわれた腕環
 「こわれた腕環」はゲド戦記"Earthsea Books"の二巻目にあたる。ゲド戦記は、ファンタジー文学の古典の一つ。仮想の世界アースシーの魔法使いゲドの人生を描いたもので、一巻目「影との戦い」"A Wizard of Earthsea"では、主人公のゲドが一人前の魔法使いとなり、自分の運命に向き合っていく姿を描いていく。一見すると魂の成長の物語のようにも見えるし、そう読まれてもいるのだが、またゲド戦記の他の巻きにも言えるのだが、物語の比喩は単層ではない。ゲド戦記は、読み返すたびに異なる啓示をもたらす。私が40歳を越え、ある人生の危機をかろうじて超したのか、それとも死をひきづりながら生きていくのかと思ったとき、一巻目を読み返し、ゲドの物語は、まさに死の問題として浮かび上がってきた。
 二巻目「こわれた腕環」はゲドの物語としても読めるが、主人公はゲドではない。二巻目だけを読んでも話がわからないということはない。この物語では、主人公はテナーとよばれる少女だ。テナーは幼くして、恐るべき闇の存在に支配されたアチュアンの墓所の大巫女のアルハとなる。この任命はダライ・ラマに似ている。死者の蘇りのとしての大巫女だからだ。アルハとは、この墓所の悪しき存在である「名なき者」によって魂を食い尽くされた「喰らわれし者」の意味である。
 物語は、アルハ/テナーが女性としての魂の成長と決意を遂げながら、ゲドによって救い出されるという仕立てになっている。が、ここでも物語の比喩はそう単層ではない。根幹にある神話的・哲学的なテーマは、「少女/女」という存在と、世界に向けられたその存在論的な意味だ。
 物語をなぞりたい。少女テナーは根源的な悪意の象徴である墓所に連れてこられ、犠牲となる。

 突然、玉座右手の暗がりから、白い毛織りのガウンをはおり、腰に革帯を巻いた人影があらわれ、大股で石段をおりてきて、子どもに近づいていった。白い覆面の男で、その手には一メートル半はあろうかと見えるよく光る刀が握られていた。男は少女のかたわらに立つと、無言のままいきなり両手でその刀をふりあげた。少女の小さな首がその下にあった。太鼓の音が止んだ。

 物語はここで刀を首に差し込むことはなく、テナーの命は救われたかに見える。違うのだ。ここでテナーは象徴的に殺害され、復活して墓所の大巫女アルハとなった。
 少女アルハは、彼女に向かってくるものに、かつて自分の首に向けられた刃のような殺意を向け続ける。ひたすら死だけを願うような根源的な殺意だ。それを魔法使いゲドに向ける。アルハはゲドを殺そうと決意する。

アルハはのぞき穴の縁に置いていた両手に力をこめると、ないか、ひどい苦痛にでも耐えるように唇をかんで、からだを激しく前後に揺すった。水なんてやるものか。一滴だってやるものか。殺してやるんだ。水のかわりに死をやるんだ。死を、死を、死を……。

 アルハはしかしゲドをそのまま殺すことはできず、物語はある信頼のような関係から展開し、ゲドはアルハに失われた名前である「テナー」を告げる。
 テナーとして存在しうることを意識したアルハは、ここで、墓所の根源的な殺意とともに、無神論的な傲慢な世界からの殺意にも怯えるようになる。
 後者は神話的な悪意を無化するかに見える。だから、テナーは、この世界にただ殺意をもたらすような悪の存在が死に絶えたのではないかと、あたかも現代人のように考える。だが、ゲドはそれを否定する。この世界では、根源的な悪意というものは死んでいないとゲドは語る。

「ほんとに、彼らが死んだと思ったのかい? いや、あんたは心の奥底でちゃんとわかっている。そうだよ。彼らは死ぬことはない。決して滅びることはないんだ。彼らは闇に生きて、光をきらう。限りある命を持った、われわれの明るい束の間の光をきらうんだ。彼らは永遠不滅なものだよ。…


「そうさ。彼らは人間に与えるものなど、何ひとつ持ってはいないんだ。彼らにはものを作る力がないんだもの。彼らにあるのはこの世界を暗くし、破壊する力だけだ。彼らはここを離れることができない。彼らはこの場所そのものなんだからね。ここは彼らに残してやるべきなんだ。彼らの存在は否定されるべきものでもなければ、忘れ去れらるべきものでもない。…

 単純に読めば、ゾロアスター教以来の二元論に聞こえるかもしれない。しかし、ゲドの物語では、そうした悪の存在をアルハとしての少女の世界に結びつけている。なぜか? その理由は語られていない。
 だが、ここで私ははっきりと、その殺意を含んだ根源的な悪について、否定されるべきでも忘れ去られるべきでもないことを神話的に了解する。
 物語に戻ろう。死と合体した魔法使いゲドは、テナーであるべき者に、決定的に呼びかける。その呼びかけなくしては、アルハ(悪としての少女)はテナー(悪から離れた少女)にはなれない。

「決めるんだ。テナー。どちらかに決めなくちゃいけないんだ。わたしを置き去りにして、鍵をかけ、祭壇に行って主たちにわたしを引き渡し、それからコシルのところに行って、彼女とうまくやっていくか--そうなれば、それきり話は終わりだけど--、それとも、鍵を開けて、わたしといっしょにこを逃れ、墓所も、アチュアンもあとにして、広い海原に出て行くか。そうなれば、話はそれからだ。アルハになるか、テナーになるのか。両方同時にはなれないんだ。

 アルハとテナーに、同時になることはできない。
 このファンタジーの神話的な問いかけは、私には現代の少女にも投げかけられうるものだろうと思う。しかし、現代でその問いを投げかけるゲドの存在はいないのかもしれない。むしろ、根源的な悪の世界で大巫女として永遠の生命を得るように、アルハであれと呼びかける声のほうが強いかもしれない。
 テナーはテナーとなる。そして、ゲドの物語では、テナーはゲドとともにアチュアンを抜け出す。
 しかし、この物語は、さらにもう一度ねじれる。アチュアンを離れて、さらに物語の終盤手前でなお、テナーにゲドへの殺意を喚起させる。テナーは、アチュアンでの短剣を使った踊りを思い出しながら、短剣を手にゲドを殺そうともくろむ。

落ちてくる短剣の柄がまちがいなくつかめるようになればよいのだが、そうなるまでの間、彼女は幾度となく指をけがした。短剣はよく切れたから、傷は骨に達することもあり、うっかりすれば、頸動脈さえ切りかねなかった。(わたしはやっぱり、今までどおり、あの主たちにつかえよう)と、テナーは思った。(主たちはわたしを裏切って見捨てたけど、でも、最後にはきっと、私の手をとって導いてくれるに違いない。この生け贄を受け入れてくれるにちがいない。)

 テナーは、この自分の内面にわき上がるこの最後の殺意から逃れたとき、はじめて自由になり、泣き崩れた。自由は、彼女に喜びではなく、苦しみを与えた。

 彼女が今知り始めていたのは、自由の重さだった。自由は、それを担おうとする者にとって、実に重い荷物である。

 「こわれた腕環(ゲド戦記2)」はお子様向けのファンタジーだとも言われている。岩波の訳本には「小学6年、中学以上」とある。そう、この物語を、小学6年にも読んでもいたいとも思う。SFXを駆使した映像としてではなく。

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2004.06.04

不妊治療と産後うつ病

 昨日「皇太子妃報道のうっとうしさ」(参照)を書いてから、出産経験のある女性と話したおり、「不妊治療を受けた女性はホルモンバランスを崩しやすいのではないか」と言われた。
 そうかもしれない。と、思い手持ちの資料やネットで情報を軽くあたってみたが、よくわからない。しかし、この問題は気になるので簡単に書いておきたい。
 不妊治療と産後うつ病について、直接は関係のない情報なのかもしれないが、BBC"Multiple births and fertility treatment"(参照)が興味深かった。話は、不妊治療によって双子が生まれやすくなるというものだが、次のような指摘がある。


 Many doctors are worried that they are being put under increasing pressure to use more of the fertility drugs to produce more eggs and so increase the chance of the woman getting pregnant.
 US research shows people undergoing fertility treatment would prefer to have multiple births than have no children.
 This is despite reports that those who have multiple births are more likely to suffer depression, anxiety and emotional problems and more prone to divorce.

 不妊治療によって双子が生まれやすくなるということと、双子を持つ母親が憂鬱や不安など感情問題を持ちやすいということ、その2つがどうつながるのかわからないが、不妊治療による精神への影響はありそうだ。
 雅子皇太子妃の場合は、すでに不妊治療を受けてからかなりの時間が経つので、そうした問題でもないと考えるのが妥当なようにも思える。が、そのときふと思ったのだが、そして悪い噂になっていけないのだが、現在再度不妊治療をやっているのだろうか。真相はわからないのだが。
 不妊治療の問題についてネットを雑見したところ、奇妙な印象をうけた。どうもきちんとした情報源がないように見えるのだ。
 非難するようだが、こうした場合のガイドであるべきAll About Japanの「不妊治療」(参照)の情報が混乱している印象を受ける。少なくとも私は混乱した。広告の入れ方が悪いのかもしれない。アトピー情報でもよくあるのだが、不妊治療についてのネットのソースは、医学的な情報なのか、迷信なのかわからない情報が混在している。さらに、All About Japanの「不妊治療」には「おすすめ書籍」とあるのだが、これはガイドが選定したとはとうてい思えない書籍がリストされていた。
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不妊治療
ここが知りたいA to Z
 気になって、もとになるアマゾンで「不妊治療」関連の書籍を検索して売れ筋に驚いた。All About Japanの「不妊治療」のリストはどうやらアマゾンから自動的にひいているようだ。率直に言って、売れている本ほど、情報の信頼性は低いように私には思われる。といったことを書いてもあまり意味はないので、私の情報は古いのだが、書籍については自分が参照している「不妊治療―ここが知りたいA to Z 健康双書」を薦めたい。ただし、この本には、不妊治療と産後うつ病の関連の記載はない。
 産後うつ病についてもネットで情報を当たったが、あまり適切なものがなかった。三重大学母子精神保健グループの"Postnatal Depression"(参照)のサイトがあまり充実していないのも気になる。社会的な話題としては、読売新聞の医療ルネサンス(参照)で扱われて話題になったようだ。が、その記事はネットからはすでに参照できないようだ。
 ついでに読売新聞の過去のデータベースを当たると、2002.7.2「『出産後うつ病』抗体で予測へ オランダ・ティルブルフ大の研究チームが発表」という興味深い記事がある。

 赤ちゃんを産んだ後、気持ちが不安定になり、一人で落ち込んでしまう「出産後うつ病」は、妊娠中のいわゆる“マタニティー・ブルー”より深刻な症状で、約15%の女性が経験するといわれている。
 オランダ・ティルブルフ大のビクター・ポップ教授らの研究チームはこのほど、このうつ病を妊娠中から予測できる目安となるたんぱく質(抗体)を見つけたと発表した。早期に発見する検査法につながる成果と期待される。
(中略)
 研究チームは「出産後うつ病になる女性は助けを求めず、放置されたままになっていることが多い」と、早期発見の重要性を訴えている。

 産後うつ病は産後数週から数か月以内に現れるうつ病で、この記事にあるように経験者は少なくはない。が、一般的には長期に及ぶものでもない。先日、極東ブログで「幼保一元化は必要だが」(参照)を書いたおり、育児が社会問題になるのは、女性が職場復帰できる産後の1年から幼稚園に子供を預けられる3歳までかとも思ったが、産後うつ病などのケアを含めて、産後1年以内でももっと社会的な対応が必要なのではないかと思う。
 時事的な話題の線で言えば、政府は今日少子化社会対策大綱を閣議決定する。大綱の原文は「少子・高齢化対策ホームページ」(参照)で入手できるのだが、これがなんとも理解しづらい。不妊治療にも言及はあるが、具体的にはわからない。
 以上の話に、とってつけたような結論をつければ、不妊治療と産後うつ病については、ネットが普及しても情報がないように見えることは社会的な問題だろう、ということになるか。
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シアーズ博士夫妻の
ベビーブック
 余談みたいだが、産後うつ病について、私が信頼している書籍「ベビーブック」を私なりにまとめておこう。

  • 赤ちゃんケアに専念するときは家事両立など考えない
  • 赤ちゃんケアをやるべき優先順位のトップに置く
  • 毎日数時間は外に出る時間を作る
  • グループカウンセリングを受ける
  • きちんと栄養バランスの食事をする
  • 身だしなみを崩さないこと(出産前にヘアスタイルを変えておくいい)
  • 休息をきちんと取ること

 日本の状況では、グループカウンセリングは難しいかもしれない。また、赤ちゃんケアを優先にしてまともな食事などできないということもあるだろうが、この点については、都心部ならケータリング・サービスを有効活用するといいと思う。

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2004.06.03

皇太子妃報道のうっとうしさ

 週刊新潮(6/10)「『鬱病』の雅子さまは『天皇・皇后に敵意』を持っていると報じた英高級紙」の記事を読み、しばしぼんやりと考え込んだ。考えがまとまるわけでもないが、自分の感じるうっとうしさのような思いを少し書いてみたい。
 まず思ったのは、週刊新潮のこういう手つきはちょっと汚いなということだ。新潮社もジャーナリズムの中にいてオフレコ情報を持っているはずだが、それを出さずに海外メディアを道化回しにして「雅子皇太子妃は鬱病である」と言うあたりの手つきだ。しかし、週刊新潮にそう言っても詮無きことだとは思うし、そうでもしないと、とても言えないよ、というこのうっとうしい現状に少しでも風穴を開けることはできなかっただろう。
 週刊新潮が話題をひいているのはタイムズだが、私は原文にはあたっていない。それでも、新潮の引用や訳にそれほど問題があるわけもないだろうとは思う。気になるのは、結局、そこしか、現状は、彼女が鬱病であるというジャーナリズム上のソースがないことだ。だとすると、例えば、私は、「雅子皇太子妃は鬱病だ」と言えるのだろうか? そのあたりがよくわからない。私が一般的に他人を「あの人は鬱病だ」と言っていいかと言えば、もちろんプライバシーの問題がある。しかし、皇太子妃については、そういう私人のプライバシーとは違うことはあきらかだ。
 ごたごたした話を端折るが、結局のところ、私は彼女の病状について、「何も言うんじゃねぇ」という重苦しい空気を感じる。そしてその空気はたまらなく不愉快だ。
 心の悩みと鬱病は違う。鬱病は医療を必要する病気だという意味で、帯状疱疹と同じだ。それを皇室が秘すとすればその理由がわからない。現状の報道では皇太子妃は病気であるというが、なんの病気かは知らされない。しかし、現代人の常識からすれば鬱病であると考えてもいいように思う。
 次に気になるのは、それが鬱病だとして、報道が精神的な苦痛と安易に結びつけてすぎているように私には見えることだ。鬱病についての、私の認識が間違っているのかもしれないが、鬱病は心の悩みとは違うはずだ。心の悩みが鬱病をトリガーすることはあるのだろうが、原因と結果の関係ではない。そのあたりが、報道では整理されていない。専門家がきちんと言及すべきだと思うのだが、それ以前に、表向きは鬱病ということになっていないので言及できないということなのだろうか。
 彼女の心痛と彼女が置かれている環境の問題についても、ごちゃごちゃに議論されているように見える。それも、私には不快な感じがする。が、この点については、率直に言って、皇室側にも問題があるという印象を持っている。私の記憶で言うので詰めが甘いのだが、昨年雅子皇太子妃が帯状疱疹であるという発表があったのは、彼女が40歳になる直前だった。これは端的に言って、40歳という節目に想定される「お世継ぎ」問題を避けるためだったと推測してもいいだろう。
 私が思うのは、これも問題を切り分けるべきだということだ。私の常識からすれば、「40歳の女性に男の子の出産をもとめるのは非常識」である。だから、彼女の病状如何と切り離して、もう「男子お世継ぎ問題」に政治的な対処を行うべきではないか。そして、それができるのは、内閣であり、小泉首相ではないのか。
 以上の話をもう一度くっきりまとめたい気もするが、やめて、自分も話題を混ぜ返すようだが、彼女の心痛について少し言及したい。
 そう思ったのは、先日、Boston Herald.com"Japan crown wears heavy for princess: Mass. friends recall ‘driven’ schoolgirl"(参照)を読んで、印象深く思えたからだ。
 この記事は、先の週刊新潮の記事でも引用されているのだが、大学生時代の小和田雅子さんについてイギリス人の学友が"She was, in some respects, an all-American girl."と述べているのが、特に気になった。イギリス人から見て、彼女は実にアメリカ人的な少女だったということはどういうことか?
 私はこれは、イギリスの上流階級的な女性ではないという意味だと思う。ハリーポッターのなかでハーマイオニーの家柄の話がうだうだと出てくるが、これは、ハリーポッターが上流の血統の洒落であるのに対して、ハーマイオニーは上流の血統とはいえない、というキャラを反映している、ということだ。こういう人間観を持つイギリスってやな国だなと私は思うが、現実は現実で、おそらく小和田さんは、上流的な雰囲気はなかったのだろう。と同時に、ハーマイオニーのようなフランクさもあったのだろうと思う。
 私は彼女が皇太子の意中の人らしいという時代のテレビ報道を覚えているが、そこに映された私人時代の彼女は、下賤とも言える報道陣を無視して闊歩していた。私は彼女を下品だとは思わないが、地は気丈な人なのだろうとは思った。
 私は個人的にだが、雅子皇太子妃はあの20代の芯の強さを取り戻して欲しいと思う。下衆な報道陣を無視して闊歩するあの姿を好ましいと思う。

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2004.06.02

長崎県佐世保市、小六女児殺害事件に思う

 長崎県佐世保市、大久保小学校で起きた六年生女児殺人事件について、自分なりの思いをメモ書きしておきたい。
 私は最初のニュースを聞いたとき、それは事故ではないかと思った。しかし、事故ではないと知った。次に、それでは喧嘩に刃物を使ったために陰惨な結果になったのだろうか、と考えた。しかし、そのとき疑問が浮かんだ。およそカッターナイフで人が殺せるのだろうか、ということだ。10センチの傷というのがよくわからないが、人というのはそう簡単に殺せるものではない。事後の対処の遅れが致死につながったのではないのか、とも疑問に思った。しかし、その後の報道を聞くに、どうやら頸動脈を切ったようなので、対処は難しかったかもしれない。
 続報で、加害者の女児に明確な殺意があったことが明らかになってきた。読売新聞の報道「書き込みでトラブル?補導女児『殺すつもりだった』」(参照)をひく。ただし、被害者名はSさんと書き換える。被害者実名を記す意味はないと思うからだ。


 長崎県佐世保市の大久保小(出崎睿子校長)で、6年生のSさん(12)がカッターナイフで首を切り付けられ死亡した事件で、県警佐世保署に補導された同級生の女児(11)が動機について、「インターネット上で、自分のことについてSさんが書き込んだ内容が面白くなかった。いすに座らせて切った。殺すつもりだった」と供述していることが、2日わかった。


 女児は同署の調べに対し、「(Sさんの)態度が生意気だったので、呼び出して、首を切りつけた」とも供述している。同署は、最近、Sさんが書き込んだ内容を巡ってトラブルが起き、それが事件の発端になったとみて、Sさんが書き込んだ内容や、その後の2人のやりとりなどを詳しく調べている。

 報道が確かなら、殺意があり、十分に計画的とはいえないまでも、計画的な殺人だったのだろう。一時の感情に駆られたということでもないのは、その後の事情聴取で、後悔はしているようだが、落ち着いていることからも推測される。

 女児は1日午後7時半過ぎまで事情聴取を受け、パンとジュースの簡単な食事をした。同10時半、署内の女性職員休憩室で、職員2人に付き添われて就寝した。2日は午前7時50分に起床し、幕の内弁当のごはんだけを半分食べた。事情聴取が再開されたが、興奮した様子はなく、落ち着いて受け答えしているという。

 ここで私は不謹慎な印象を少し述べる。自分でも不謹慎な話だと思う。が、この自分の印象は自分にとっては、この事件を考える一つの原点になる。それは、忠臣蔵の浅野内匠頭を連想したことだ。彼は失態したので無念が残り、それが続く物語となった。だが、あのとき、浅野内匠頭がなぜそのような蛮行に及んだのかは今もってまったく歴史の謎とはいえ、それでも彼が吉良上野介を一撃で仕留めることができたなら、彼は本望であったにことには間違いない。人間の行動の心理的な理由は他人や後代からは理解できないこともあるが、その本懐に及ぶ行動それ自体を、人の生き様(運命)として了解できないものではない。私たちはかならずしも理性で生きているわけではないし、社会的な倫理に従って生きているわけでもない。感情に押されて気が狂っていると思われても、冷静にただそれを運命と受け止めて遂行することもある。
 もちろん、今回の事件がそうだというのではない。人を殺すことはまったく社会的に是認されない。加害者の女児はこの責任を一生負っていかなくてはならない。被害者とその家族を痛ましく思う。
 ただ、私には加害者を断罪できない心情があるし、また、こうした問題は「命の尊さ」「人を殺すリアリティの欠如」といったことでは解決しないのではないかと思う。
 今回の事件では、おそらく誰にとっても、不可解な殺人事件だという不安から、そこから心理的に逃れ、満足できるストーリーが欲しいのだろう。それが悪いことではないが、そのストーリーは見つからないのかもしれない。
 話を少し戻す。小学校六年生の子供がおよそ殺意を持つものだろうか、ということにも少し触れておきたい。最初に私の思いを言えば、持つ。私自身が、持ったからだ。この話は微妙な側面が多いのだが、私自身小学校低学年とき、いじめられっ子の経験を持っていた。後に客観的に検証してみるに、いじめられっ子だったかどうかはよくわからない。だが、高学年ではいじめられなくなった。一つは学力がなぜか飛躍的に伸びたこともだが、密かに内面で「オレをいじめるヤツについて、オレの我慢が越えれば殺す、断固として殺す、一撃で殺す、ためらわず殺す」と決意した。この決意は、ある種の殺気となって漂うものだ。それが、多分、私を守った。そして、私はその守りで、他のいじめられっ子をまとめた。そうした経験からすれば、私が誰かを一撃で殺していたという人生もあったかもしれない。
 これも難しい話なのだが、そういう決意がこの女児にあったかはわからないが、子供だから殺意がないということはない。そしてそうした子供の殺意は子供の内面を当然ながら荒らす。それは苦しみの一つの形態かもしれない。
 小児的な、こうした殺意という、おそらく苦悩を、どう扱ったらいいのか。言葉で言えばつまらないことになるが、私は、正しく人を嫌悪することを学ぶべきだと思う。
 今回の事件の被害者と加害者は、報道によれば深く関わりのある友だち同士だったようだ。だが、殺意に至る前に、それをきちんと嫌悪に変える心が持てなかっただろうか。「私はこの人が嫌いだ」とはっきりと自覚し、その嫌悪の強さと苦しみから、その嫌悪を無関心にまで引き上げる心の訓練というものはできなかったものか。
 気の利いた皮肉で結語にしたいわけではないが、殺意を緩和するためには、正しく人を嫌悪し、そしてその人に無関心なる心の強さが必要だと思う。

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2004.06.01

IP電話のダウンはコモンキャリアの恥

 「だから言っただろ、IP電話なんか電話じゃねー」とつい怒鳴ってしまった。NTTコミュニケーションズの通信サービスがダウンした結果、IP電話が34万件も不通になったというニュースをたまたまラジオで聞いたときだ。
 電話が通じないという話を聞くと、私は冷静ではいられない。トラウマ(心的外傷)である。私の父親は電電公社で線路監督していたのだ。自分が小さいころ、父は、電話が通じないという連絡があれば、台風や大雨でも深夜でも出かけていったものだ。洒落じゃねーくらい必死だった。それが電電マンの使命だからだ。プロジェクトXは小規模でも普遍的だったのだ。
 と、書きながら、苦笑する。回顧して済むことではない。ラジオのニュースを聞きながら、「きっと今、IP網の復旧で必死の若いオヤジたちがいるのだろうな」と思った。がんばってくれとも思った。
 原因は電源系らしい。障害状況は「大手町電力系故障の影響について」(参照)という、HTMLなのかコレみたいなふざけたホームページにある。つまり、網系ではなかった。網系だと…というあたりで、率直のところ現在の東京のIP網がどうなっているのかよくわからない。パケット交換でも大型規模のIXを使うのだろうが、その保全の仕組みがわからない。というか、パケット網の保全性はITUで規定されているのだろうか。
 この点、回線交換の場合は、わけあって自分もちょっと仕事をしたのだが、かなりしっかりしている。交換機にはメイト系が義務づけられている…というあたりで、どうもIP網というのが私には信じられない。原理的には、ARPA時代の構想のようにIP網というのはタフなものなのだろうが…。実際、今回のようにダウンしてしまうとルーティングもできないものなのか?と疑問に思う。それに、電源系の障害であんなに長時間ダウンするものなのか。と、不可解なのだが、どうも当方の無知を晒しているようでもあるな。
 原則的に言えば、技術は進歩するから、IP網を使って電話ができないわけはないので、技術者さんたち、がんばってくれ、としか言えない面はある。だが、私が見るかぎり、日本のIP電話の実態とそれにまつわるマスメディアの言説については、なんかな、とち狂っていると思う(たとえば日経社説「IP技術が促した通信再編」など、なにがIP技術だよ)。その状況だけを見るなら、冒頭のように、「IP電話なんか電話じゃねー」とつい口をついてしまう。実際、米国FCC(連邦通信委員会)の規定では、回線交換網を経由しないIP電話は、ヴォイス・メールの扱いで、電話ではないはずだ。
 ということもあり、日本のIP電話は、私から見ると、とてもコモンキャリアの商売ではないとも思うのだが、今回のダウンをやったのはNTTを冠するNTTコミュニケーションズなのだから、さらに脱力してしまう。
 しかし、NTTがそうなることは予想外のことでもなかった。2002年4月に出された「NTTグループ3ヵ年経営計画(2002~2004年度)について」(参照)を読みながら、やな感じー、だったのだ。具体的な取り組みにこうある。


(3)VoIP普及を踏まえた固定電話事業の展開
<1>固定電話網投資の停止
 音声からデータへの需要シフトに加えて、益々加速する定額制料金の普及・ブロードバンド化の進展により、固定電話の通話トラヒックそのものがIP通信へ移行していくことが必至であることから、固定電話網及び固定電話系オペレーションシステムへの投資を原則停止し、IP網の充実に投資を集中することにより、通話品質の確保など統合に伴う技術的な諸課題を解決しつつ、IP技術によるネットワークの統合化を進めていきます。
<2>VoIPへの対応
 NTTグループは、当面のIP電話との単純値下げ競争に対しては、固定電話網コストの徹底した削減により対応していきますが、本格的なIP時代に向けた競争力強化のため、ISPサービスへの音声通話機能の付与や法人向けのIP-VPN*16の提供に積極的に取り組んでいきます。

 ようするに固定電話網の投資を止める…廃れるに任せる…ということだ。それにもむっとするが、時代の趨勢であることは否めない。問題は、コモンキャリアの意地というか使命をVoIPに活かすぞ、という意気込みがここに全然ないことだ。算盤弾いてんじゃなねーよ、NTTトップと思う。
 と、うざうざしたボヤキを続けてもなんので、どうしても気になる一点を書いて終わりにしたい。IP電話って緊急時に電話の役をなすのか?である。今回の「大手町電力系故障の影響について」の報告の最後にこうある。

新しい情報がわかり次第、続報を掲載致します。
<本件に関するお問い合わせ先>
お客様お問合せセンタ
TEL:0120-506268

 続報が全然ないのはご愛敬として、さて、IP電話が止まってどうやってここに電話するのか? 答えは、携帯電話、ということなのだろう。で、いいのか? 確かに携帯電話でここにつながるのだが、災害時の電話連絡には使えないだろう。
 ちょっと滑稽なのだが、NTTコミュニケーションズは「災害時の電話連絡について」(参照)で、災害用伝言ダイヤルを説明している。これが、まさに、回線交換のメリットを活かしたものだ。

 この災害用伝言ダイヤルは、被災地の自宅電話番号の末尾3桁をNTTのネットワークが自動判別して、全国約50ヶ所に配置した伝言蓄積装置に接続し伝言をお預かりし、再生時も自動でこの伝言蓄積装置に接続します。

 IP電話はこうした事態にどう対応するのだろうか?
 また、すでにISDNですら問題だったが、停電時はどうなるのだろうか。私は沖縄で長く暮らしていたので、年に4日間くらいは台風で停電の生活をする(それも悪くない。冷蔵庫の中身を全部食うのだ!)。電話網は電灯線側が停電しても電力が供給されるので大丈夫なのだが、ISDNモデムだと問題になる。というわけで、私はその電源バックアップに腐心した。ADSLは通常回線を使うので停電の問題はないのだが、モデム側はどうなのだろうか? 電話会社がコモンキャリアというのは伊達ではない通信のタフネスを保障するからなのだが、IP電話はどうも心許ない。
 技術的には、e911も気になる。e911は米国の緊急電話番号(ダイヤルが911)のことで、日本なら、110番や119番にあたる。現状日本のIP電話ではモデム側でこっそり切り替えてその場しのぎの対応をしているのだが、社会の通信のライフラインを保障するという意味でのコモンキャリアとしての規制をIP電話にかけるべきだろうと思う。
 今回の事態は一部の人が困り、私のように特定のトラウマの人間が騒ぐ程度だが、IP電話の大規模ダウンが再発するようなら、こうした問題をきちんと社会問題に持ち上げなくてはいけないだろう。

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2004.05.31

サウジのテロは新しい危機の始まりか?

 サウジアラビア東部アルコバールで、29日、武装集団が外国の石油関連企業の入るビルや外国人居住区などを襲って銃を乱射する事件が起きた。犯行声明ではアルカイダを名乗っているのだが、アルカイダのような洗練されたテロではない。しかし、今回の事件で特徴的なのは、ハリバートン(米国エネルギー企業グループ)傘下企業を明確に狙った点だ。ハリバートンは、石油メジャー系の陰謀論が阿呆臭くなってからなにかと陰謀論の主役に出てくる。しかも、以前から言われていたチェイニー米副大統領との関連も取りざたされている。朝日新聞系「米副大統領がイラク石油事業発注に関与? タイム誌報道」(参照)では、次のようにうきうきと語られている。


 31日発売の米タイム誌(電子版)は、チェイニー米副大統領が最高経営責任者(CEO)を務めていたエネルギー大手ハリバートン社が米国防総省からイラクの石油関連事業の発注を受けた際、チェイニー氏が関与していたことを疑わせる電子メールを入手したと報じた。同社のイラク復興事業受注にからんでは不正疑惑が相次いで浮上しており、副大統領の関与も指摘されてきた。今回の報道が事実とすれば政治問題になりそうだ。

 復興事業を米国だけに閉ざせばハリバートンが出てくるのは当然なので、そのレベルで稚拙な陰謀論を展開してもなんだかなとは思うし、ここで一気にネオコン退治という米国内の政争ということかもしれない。
 話を戻して、今回のサウジの事件だが、同じく朝日新聞系「米企業を名指し非難 サウジのテロで犯行声明」(参照)では、さもテロの裏付け理論があるように、親切にニュースを仕立てている。

 今回の襲撃の直前、アラビア語のインターネットでイスラム過激派の論文集のサイトの最新版に、アルカイダのサウジでの最高指導者とされるアブドルアジズ・ムクリン氏の「作戦実施計画」とする論文が掲載されていた。
 (1)標的を注意深く選定(2)標的についての情報収集(3)殺害方法や作戦実施時期の決定(4)作戦実施のために類似した場所での訓練など7段階の手順が解説されていた。アルカイダ系の武装勢力が外国企業へのテロ活動を準備していた可能性を示している。

 このまとめを鵜呑みにすると、冗談のように稚拙だ。もしかすると、今回の事件もそうした稚拙な暴発なのかもしれない。
 問題はむしろサウジの側にある。あれま、というほど断固にかつ強行に事件をねじ伏せてしまった。それ以外の手もありようもないのだが、日本人にしてみるとその手つきはあまり理解しやすいものではないだろう。サウジの態度の背景だが、これも朝日新聞系「石油産業がテロ標的に、投資リスク増す サウジ襲撃」(参照)が詳しい。

 だがサウジが過激派対策に本腰を入れたのは、イラク戦争で米国が世界2位の石油埋蔵量を持つイラクを押さえ、サウジ離れの姿勢を見せてからだ。米国を頼みとするサウジ王家にとって、米国が求める過激派撲滅を実施できるかどうかが、政権存続にかかわる問題となった。リヤドやメディナなど大都市で、治安部隊による過激派拠点の摘発や、過激派グループと治安部隊の銃撃戦が頻発するようになった。

 このあたりの解説は悪くない。米国の中長期の戦略としては、イラクを安定化させることができれば、サウジを切ることも可能になるからだ。その思想をもつ勢力は米国に根強い。が、現状、サウジのお友だちであるブッシュ家の長男が米国の棟梁をしているうちはそう過激な動きにはでないだろう、というのがサウジの読みだが、サウジとしても内情ややこしい問題を抱えており、今回の事件はそう単純ではないこともありうる。
 もともと、アルカイダはサウド家が育てたようなものだし、であれば、アメリカもグルだというあたりは、「裏切りの同盟 ~アメリカとサウジアラビアの危険な友好関係」またはPBS"Saudi Time Bomb?"(参照)を読んどいてくれ。また、サウド家とワハブ派(ワッハーブ派)については、ちょっと情報が散漫だが、Wikipdiaの「ワッハーブ派」(参照)を参照のこと。
 気になるのは、当然、今後の動向だ。本気でアルカイダが親元のサウジを攻撃し始めるかだ。「裏切りの同盟」のBob Baerは昨年の夏時点でこの懸念を、salonのインタビュー"Terror in the Saudi kingdom"(参照)強く表明していた。The regimeとはサウド家である。サウジ・アラビアとはサウド家の所有物である。

The regime is plenty vulnerable. I think the fact that we've been seeing running gun battles all around Saudi Arabia since May 12 [when suicide bombers struck a residential compound in Riyadh] is indication enough there are deep problems in the kingdom.

 動向がマジかどうかは、同じく、Bob Baer のコメントが示唆深い。

Do you agree that the May 12 suicide bombings in Riyadh had a big impact on the Saudi regime? They've announced a number of al-Qaida arrests in the last two months, but is it real progress or just window dressing?
 I think it is window dressing -- just compare Saudi Arabia to Pakistan. The Pakistanis finally understood they had to arrest these people who were behind 9/11. They've been there on the street with us, some getting killed while trying to make arrests, and they've turned them over to us. It's very clear-cut that Pakistan, or at least Musharraf, is helping to a large degree.
 But you look at Saudi Arabia, and as far as I know, there hasn't been a single arrest inside the Kingdom of anybody implicated in Sept. 11. And the Interior Minister, Prince Nayef, said yesterday they're not going to turn anybody over to the United States. To really do a thorough, complete investigation we need to take these people [like al-Bayoumi] into our custody as material witnesses.

 つまり、これまでは各種事件があっても、サウド家は動いていなかったのだ。
 とすれば、逆に、この事件をサウド家がどう見ているか、つまり、マジかよを計るには、今後の取り締まりの動向を見ていけばいい。
 ただ、どうも皮肉な見方になっていけないのだが、アルカイダっていうのは、かなり賢いのではないか。ちょっくら原油市場を脅したり、サウド家を弱体させるようなことをすれば、中長期的に自分らの首を絞めることを知っているのではないか。

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2004.05.30

アラウィ首相指名の黒いゲームも悪くはない

 イラク統治評議会が、6月30日以降のイラク主権移譲で、その受け皿となる暫定政権の首相に、INA(the Iraqi National Accord:イラク国民合意)事務局長イヤド・アラウィ(Iyad Allawi)を指名した。予想外のことではないので驚きはしなかったのだが、落胆はした。国連ブラヒミはまんまと出し抜かれたのだ。
 朝日新聞系「ブラヒミ氏がアラウィ氏の指名を追認 国連には驚き」(参照)がこのあたりをイヤミったらしく書いている。


 複数の国連筋によると、アラウィ氏はブラヒミ氏が考える首相候補の一人に過ぎなかったという。27日に行われたアナン事務総長らによる組閣に関する内部協議でも名前は出なかった。
 エクハルト氏も「考えていたような形で物事が進まなかった」と、指名がブラヒミ氏の意向を無視して行われたことを示唆した。しかし、「イラクの人々は指名に合意しているようだ」として、その意向を尊重する姿勢を示した。

 ブラヒミ=国連は無力なものだなと思う。そして、国連が無力ということは、主権委譲後も別段、イラクでなにが変わるわけでもないということだ。同記事では、イヤミ路線で八つ当たり的にCIA関与を推測している。

安保理の一部理事国や国連事務局には、今回の突然の指名に米英の暫定占領当局(CPA)の関与を疑う声もある。

 毎日系「<イラク>暫定政権首相はアラウィ氏で決まり 米政府高官」(参照)ではAPニュースからイラク内部からCIA関与へのイヤミを拾って結論にしている。

AP通信によると、ワシントンのチャラビ氏と親しい人物は、アラウィ氏が暫定政権の首相になることを「CIAがイラクを動かすことを意味する」と述べている。

 日本人としてみると、CIA=アメリカの悪の出先、という構図だから、こういう反米図式にすると日本ではニュースの引きもいいのかもしれない。むしろ、アラウィはイギリスの諜報機関との関連が深いのだが…。
 日本の進歩派?は、悪いことはすべて米国、という、日本にありがちなガーベジ・コレクションにしたいだろうが、それで済む話ではない。少なくとも、米内部での対立はある。ニューズウィーク日本語版6.2「戦争の仕掛け人 チャラビの凋落」では基本構図をこう描いている。

 今の米政府は、まさに内戦状態。元亡命イラク人のチャラビを「自由の戦士」として支持してきたネオコン(新保守主義者)と、彼を信用しない情報当局や国務省がいがみ合っている。
 一時はネオコン側が優勢だったが、今は自信も影響力も失いつつある。それは、家宅捜索した米軍の司令官が国防総省トップに知らせなかったことからも明らかだ。国連暫定当局(CPA)のポール・ブレマー代表が捜索を許可し、ホワイトハウスも黙認したらしい。

 こうした流れを見ると、米国は南米をぐちゃぐちゃにしまくった昔懐かしい唄を歌いたいのだろうという感じがする。私は、率直に言えば、この古い唄よりはネオコンのビジョンに期待をかけていた…。
 いずれにせよ、これで、国連フェイクと主権委譲、チャラビ宅ガサ入れ、というストーリーの上に今回の食わせ物野郎アラウィが出てくるのは自然な流れだ。食わせ物野郎? 当然ではないか。こいつが例の疑惑の45分情報の出所なのだから。
 その意味で、イラク状勢は陰惨だが欠伸の出るような展開か?と思っていたら、salon"A man for all intrigues"(参照)を読むと、今回のアラウィ出現にはまだチャラビが噛んでいるのだ。チャラビが親類とはいえ今まで敵役のアラウィを押している。なぜ? というか、それ以前にブレマーはこの流れをどう見ているのか? 是認はしているのだろう。大統領選への日和見ということころなのか。
 この先の私の話は、残念ながら、多分に陰謀論的になる。ご注意を。
 敵役同士が手を組むというのは、国共合作じゃないが、たいていの場合、共通の敵がいるか、呉越同舟でも欲しいメリットがあるかだ。今回のケースでは、それって、イラクの石油収入の権利じゃないのか? 陰謀論めくというのは、これだ。石油収入の権利で見ると、ごたごたがすっきりと黒いキャラクターで整理できる。むしろ、ネオコンなんか純情な白ピクミンみたいなものである。
 この間、イラク主権委譲後のイラク統治について、米国がフランスに打診してごにょごにょしている話があるが、これも、端的に、石油収入の権利を米国が独占するのは許せん、ということだ。というとあまりに陰謀論臭いからVOA"Bush Asks French President to Support UN Resolution on Iraq"(参照)をひく。

French officials have also raised concerns about who will control Iraqi oil revenue after the transfer and how long a proposed multi-national security force will stay in the country.

 VOAだからって、そうむちゃくちゃな話をしているわけではない。こういう基本が日本で報道されているのか?、ま、どうでもいいや。
 話を戻して、アラウィ擁立に関わるチャラビの動きを見ていると、取りあえず米側に擦り寄りながらも、米国から石油収入の利権を取ろうとしているわけだ。このハゲ、まだなんかやりそうだ。
 こうした黒キャラたちを見ていると、勝手にしろと言いたいところだが、マクロ的に見ると、そう悪いものでもないのかもしれない。いずれにせよ、イラクという国家が国家としてまとまるのは、この石油収入の権利を配分するという意味での国民が基礎になるのだからだ。つまり、そういうことなのだ。「多少ひどいことはあるけど、クウェートよりましだものな、イラク国民のほうがいいや」、というわけだ。ただ、イラクの貧乏庶民は国家のそういう面をそれほど理解しているわけでもなく、クウェート型でもそう問題はないのかもしれない。
 なんであれ、いずれ米国はイラクの石油収入の利権から手をひくべきなので、そうしたどたばたは可視になっているほうがいいのだろう。がんばれ黒キャラたちである。政治というのはそういうものだ。
 というあたりで、ふと気が付いたのだが、現在世界の原油高騰だが、一般にはイラクの地政学的な問題をネタにしているが、これは逆ではないのか。というのは、産油国が恐れているのは、原油の暴落だし、その長期的な暴落、というか低水準の最大の要因となるのは、イラクの石油が世界に安定的に供給されることだ。
 どうも私は陰謀論に酔っているのかもしれない。が、世界の原油の市場は、イラクの豊潤な石油への敵視が組み込まれているのであり、むしろ、それは中・長期的にはイラクの安定を想定しているからではないのか。
 とすればそれも悪くはない。政治など、善意からいい結果が出るものではけしてない。黒キャラが活動してもいいリザルトは出てくることもある。
 むしろ、こうした開かれた世界に対して危機を感じているのは、EUというかフランス(とロシア)のほうではないのか。もともとサダム時代に甘い汁を吸い、市場を攪乱してきたが、そうはいかなくなるのだ。

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