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2004.05.15

残業100時間で身体壊すなよってな話

 民主党やら北朝鮮を巡る話にはあまり関心が向かない。一定の思考を強いられているような感じがして、いやだ。たるい話を書きたい。というか、人によってはたるいどころではないのだろう。残業100時間についてだ。
 コメント欄で残業100時間を見て、心にひっかかる。現場はそうなんだろうなと思う。世相の覗き穴らしいニュースをざっと見ると、サービス残業が多少問題になっている程度で(参照)、それほど社会問題化はしてない。「過労」がキーワードかとも思ったが、それほどニュースはひっかからない。ネットからは、よくわからないなと思う。
 が、私印象では、残業100時間的な勤労の状況はかなり深刻ではないだろうか。実態がわからないし、社会学的な統計として出てくるかもよくわからないが。
 私は昔(といって下手すりゃ20年近くも前なんで時代が違い過ぎるが)、流しのプログラマみたいなことをして大手の電気会社を数社渡ったことがある。大手だと系列を含めてちゃんと労組があって、残業がそれほどできないようになっていた。私のような流しのほうも、それに連動してそれほどの残業はできない。なるほどなとは思った。
 その後、知人と仕事を興したりなんだり、小さなオフィス経営などを覗き見るに、まず私生活と仕事の区別はなくなる、ものだ。そうなると、換算すると確かに残業100時間は軽く、いく。
 恐らく今でもそういう世界では変わりないだろう。つまり、いわゆる資本家との関係の労働者っていうのはそれほど仕事をしないが(と言うと語弊があるが)、ある程度自分のジョブに責任を持つなり、シビアな仕事をしている人にとっては、潜在的に残業なんてもんじゃないよの状況になる。
 自分が、あれっという間に40代半ばを過ぎてみると、そういう残業100時間みたいなことができるのは、40代ちょいまでではないかと思う。人にもよるのだろうが、「40歳になってしもうたぁ」みたいな感慨はあっても、まだなんとかできるような気がするものだ。が、さすがに厄年とは言ったもので(男の厄年だが)、42歳になると、だめぽの世界が来る。あ、俺ってダメじゃん、である。ふと気が付くと、最近朝立ちもしてねーんじゃん、みたいなトホホである。が、トホホのうちはいい。見渡しても、かなりの人がガクっと、ものすごいものが来る。経験で言うと、腰痛、歯痛(っていうか洒落にならない歯科系の病気)、慢性疾患(この年代ならがんも慢性疾患と言っていいだろう)、アル中…廃人っていうのもあるな。洒落にならないが。
 身体が元手だよみたいな説教をこいてみたいが、これっていうのは、経験してみないと通じる世界でもないので、それ以上は言わない。ただ、こうして書いてみると、下手な言い方だが、心の問題はあるなと思う。大きいのではないかというか。
 心の問題というのは、「なにかもっとできる」という感じと、実はこっそりなにかを避けているうっすらした感じだ。センター試験以降の世代だと、どうやらティーンエージの段階で序列意識を持たされるようだし、残念ながら、その頃の知的な能力はどうやらその後も概ね変わらないようだ。が、能力っていうのはいわゆる学力的な知的能力だけではない。また、感性っていうのも、けっこう30歳くらいから、出てくるものもある。そうした、なんか、俺ってなんかできるかも(女性もだが)、という感じが、自分を支えてくるようになるのだが、裏には、なにか避けているなとうっすら感はあるのではないか。
 42歳くらいっていうのは、そのうっすらした影のようなものが、あれ、その影って俺そのものじゃないかという、そうだな、英語のovercome、overwhelmっていう感じではないか。多分にユンク心理学の「影」的でもあるし、ゲド戦記の「影」的でもある。
 思わせぶりに書いてもなんなので切り上げるが、っていうか、何言ってんのかわかんねー感漂いまくりだと思うので一つだけ補助線を引くと、仕事をガンガンやっている時ほど、そして、俺が欠けたらこの仕事は実際にこける、というときでも、実は、その「俺」なり「私」がいなくても、世界は動くだろうなみたいな、感じは拭えないものだ。今朝みたいな空を見上げて、ああ、俺がいなくてもこの空はこんなふうだろう、みたいな感じは誰も持っている。公園に座って、遠くの団地に布団でも干してあると、俺がいてもいなくても、あの布団は干さなくてはいけないな、みたいな。
 自分で選んだ仕事ならある程度しかたないが、小児科医のように気が付いたら自分の責務だけがしっかりあるような、そんな苛酷な勤務とか見ていると頭が下がる思いがする。あまり社会的な負荷をかけないような社会にしなくてはいけないなとも思う。
 支離滅裂な話になったが。おしまい。

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2004.05.14

石油高騰で米国を責める朝日新聞のジョーク

 日本には気の利いた知的なジョークが少ないと言われることもあるが、心配ご無用。朝日新聞社説がある。今朝の「石油高騰――世界を脅かす中東不安」はなかなか秀逸なシロモノだ。


 うなぎ登りの石油価格が、世界の経済に暗い影を投げかけている。
 昨秋、1バレル=30ドルを超えた原油価格はその後も上がり続け、NY市場で40ドルを突破した。イラク軍がクウェートに侵攻した後の90年秋以来の高値だ。
 石油の高騰で各国の株式市場や為替相場なども不安定になっている。
 このままの水準が続けば、ガソリンや重油、石油化学製品の原材料となるナフサの値上がりで、各国の成長にブレーキがかかるだろう。

 おお、そりゃ大変だ。社説を高校生レベルの頭脳に書かせてしまうのも大変だ、の部類だが、さて、なぜ石油価格高騰という大変なことになったのだろうか? というと、きっと悪いヤツがいるのだ。誰だぁ?

 ところが、中国をはじめアジアでの消費が急増し、需給に構造的な変化が生まれた。そんななかで、石油に再び政治と結びついた「戦略商品」という色合いを濃くさせているのがイラク戦争だ。
 ワシントン・ポスト紙のウッドワード記者は新著『攻撃計画』で、イラクのフセイン政権を打倒する見返りに、サウジアラビアが米大統領選の前に石油価格を下げるとの密約があったと暴露した。

 ふむふむ。なるほどなるほど(わくわくとオチを期待する)。

 鍵を握るのはやはり米国である。

 やっぱりそうか!
 イラク戦争をやったのも米国だし、裏でサウジと石油で密通していたのも米国だし、なにかと諸悪の根源は米国じゃないか…!

 イラク政策の転換は、世界経済を安定させる観点からも必要だ。力まかせの占領は、イラク国内だけでなく、アラブ全体の反米感情を強め、石油市場が嫌うテロへの懸念を高めるからだ。
 石油を確保するためにサウジの非民主的な政治を黙認する「二重基準」や、イスラエルへの過度の肩入れも改めなければならない。米国は中東政策の手詰まりが自国だけでなく、世界に跳ね返っている現実を直視すべきである。

 そうだそうだ! だから、石油市場の安定のために、米軍はイラクの力任せの占領をやめて撤退せよ! 米軍がイラクの石油施設に関わらなければ、テロの懸念だって根本的になくなるのだ! イスラム原理主義者たちが非難するように圧政を敷くサウジ専制への支援を米国はやめるべきだ! イスラエルの肩入れもやめて、テロリストの言い分も聞いてやれ! そうすれば、米国の中東政策の手詰まりが打開できるぞぉ!
 …というわけだ。阿呆か(余談だが、!マーク付の文は反語ですからね)。
 朝日新聞も、石油がもやは市場で自由に買える「普通の商品」になっているということをお勉強したのだから、変な妄想してないで、ちゃんと経済の原則や歴史の動向で考えればいいじゃないか。社説執筆者のなかには、Financial Timesなんかも読んでいる人がいるのだから、こういうお馬鹿な社説を書く同僚がいたら、諫めろよ、と思う。
 Financial Timesでは、4月29日にこの石油高騰の問題について、"No panic on oil"で扱っている。

The run-up in oil prices is causing worry. Last weekend finance ministers of the Group of Seven industrialised countries warned that rising energy costs posed a danger to their economies' recovery prospects. Yet the Opec cartel of oil producers seems blithely unbothered. Indeed, as the basket of Opec crude oils - which sell at a discount to the Brent and West Texas benchmark crudes traded in London and New York - yesterday rose to $33.20 a barrel, their highest level for nearly four years, the cartel's Indonesian president has suggested moving Opec's target price range upward to reflect market reality. But in the absence of any further spike in oil prices or serious volatility in their level, the concern is overdone.

 重要なのは最後の一文だ。the concern is overdone、である。つまり、考えすぎ。
 なぜか?

But higher energy prices may be no bad thing, though they pose a severe problem for the world's poorest economies that are often least able to switch away from fossil fuels. For the track record is that price has been the most powerful instrument for energy efficiency, and that as the impact of the 1970s oil price shocks has waned, so has energy saving.

 石油が高騰すれば、石油を見限って別のエネルギー源への構造変化が起こる。なにより、石油の無駄遣いが減るのはいいことじゃないか。歴史を見れば、そういうインセンティブが働く。というか、そういうインセンティブを与えるにはむしろ都合がいい。
 もっとも、そこまで行かなくても、マーケットメカニズムが先行して動き出す。

The oil price is still far short of its 1980 record which, in 2003 money, was $78.40 a barrel. Long before prices ever regained this level, corrective mechanisms would kick in, with Opec members cheating more on their quotas, supply rising, demand falling and development of alternative fuels increasing. As Mr Greenspan rightly warned Opec, the history of the oil price is as much one of the power of markets as the power over markets.

 つまり、石油は出てくるよということだ。
 ただ、多少、日本の状況からすると、補足は必要かもしれない。Financial Timesの場合、イギリスのエネルギー事情が念頭にあるのかもしれない。イギリスで国内の庶民生活ではガソリン高騰をくらってひーひーしているが、一次エネルギー構成からみると、石油が34%であるのに対して天然ガス38.3%とすでに天然ガスに移行している。フランスは、石油が37.4%だが原子力が37%と別のシフトを目指している。ドイツは困ったことに石炭があるのでそれと天然ガスでバランスできる。
 問題は日本で、石油に48%も依存している。
 もっとも、これも困ったことかいうと、そうとも言えない。すでに石油高騰で韓国経済などはひーこらしているが、もともと日本の庶民生活でのガソリン価格は最初から、なんだかんだと流通で高値過ぎるのでこれが逆にバッファになっている。この機会に、無意味なバッファを除いて流通を正常にしたほうがいい。(追記・同日:ここでは「流通」としたが、まず、税を強調すべきだった。)
 さらに、日本は、これからハイテクでどんどん省エネルギーは可能だし、なにより国が縮退しているのだから、石油エネルギーを消費過多に向ける必要はない。石油を燃やしてつくっている電力ですら、配分にはロスが多すぎる。

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2004.05.13

若者の労働状況に思う

 昨日のNHKクローズアップ現代「働く意味は何ですか」は、たるい内容だった。問題は、現在新卒者の5人に1人が就職できないということとだが、これについて、次の視点を立てていた。


学生達の就職に対する意識も変わってきているのだ。自分のやりたいことがわからないなど、就職活動の入り口から悩み、つまずいて就職から身を遠ざけてしまっている学生が増えつつあり、大学でもカウンセリングや個人指導などの対策を始めている。

 番組中キャスターの国谷裕子も、自分たちも若い頃、何をやりたいかわかってませんでしたが…というようにコメントを挟み、顔のシンメトリーを崩して微笑していたが、若い人の労働意識が現代において変わったわけでもない。番組でも、一応、そのあたりは含めてはいた。むしろ、会社が若者に就労意識を求めるようになったという線を強調していた。確かに会社側としても就職しても3人に1人は短期で辞めてしまうのだから、しかたがない面はある。
 しかし、この状況をもたらした大きな要因は、番組でも紹介していたが、「親が積極的に就職をすすめない54%」だろう。親が子供に働けとは言わない、あるいは、子供も親から自立したいと希望しない、しなければいけないという理由もない、ということだ。
 考えようによっては困ったことでもない。もともと先進諸国における大学の社会的な意味など、余剰な雇用を隠蔽する装置でもある。それがさらに家庭に延長されても、どうというわけでもない。実際のところ、日本社会は明確に、若い人の労働を必要としていないとうメッセージすら出しているに等しい。雇用問題でも、オヤジたちや老人の雇用維持が優先課題になっている。それは当然ながら、彼らが子供もだらっと養えよな、という意味でしかない。
 30代になって未婚の人口が増えているのも、これとまったく同じ構造だ。30代の未婚女性が多いというが、小倉千加子が解いたように、親が結婚を引き留めているのだ。端的に言えば、これだけ手間をかけた娘をそんな若造にやれるか、である。まさに、雇用も同じで、親がフォローできるのに、低賃金のバイトやパシリなどしなくてもいいだろうということだ。
 この問題はどっかで構造的にカタストロフして、いわゆる3K的な労働力の社会ニーズから海外労働者の導入になるようにも思える。若者や女性の労働力と対外労働力の、比較優位論のような状態になるわけだ。恐らく、日本の潜在的な生産力からすれば、このバランスが内部の労働力を活かす方向には向かないだろう。つまり、現状の延長に3Kを外人に任せる、日本の若者は仕事しない、という未来になるのだろう。
 話は少し逸れるのだが、今朝のVOAの"Child Labor Still a Concern in Industrialized Countries"(参照)が興味深かった。テーマは児童労働なのだが、これが北米でも問題だというのだ。私など、児童労働というとすぐ第三世界問題、搾取、じゃ左翼さんにお任せ、みたいに思うのだが、どうもそれだけではない。

Child labor is mostly identified with the developing world. However, an international congress on child labor heard this week industrialized countries, including the United States and Canada, are not immune to the problem, which affects sectors of the economy as varied as agriculture and the sex industry.

 VOAの英文はやさしいのでその先も読んでいただくといいのだが、ようは、米国の性産業にどっと海外の児童が「労働者」と流し込まれているということだ。つまり、貧困、帝国主義的搾取、世界システムってな気の利いた左翼の洒落で済む問題ではない。メディアや高度資本主義の世界システムが、どうやらまさにシステム的にこの問題を起こしているようだ。
 もう一点、VOAのニュースでほほぉと思ったのだが、北米の児童労働は農業分野にも顕著だ。考えてみれば、米国は農業国である。

Ms. Adkins said that agriculture is also a sector in which abuses are taking place. “Agriculture is one of the most dangerous industries in the United States and we have as many as 800,000 children under the age of 18 who are actively working, harvesting fruit and vegetables,” she said. “These children are dropping out of school at very young ages to assist their families.”

 まいったな、そうかと蒙を啓かされる思いだ。
 ただ、VOAでは触れていないが、英国でも状況はやや似ていて、親が子供を学校にやらずに労働させている。が、これは階級的な意識から来ているようだ。このため、英国では親を処罰する法律も作って規制を始めた。おそらく、英国だけはなく、広く欧州の社会構造だと言ってもいいのだろう。
 違う2つの話を洒落でミックスしたみたいなことになったが、日本の若い世代の労働の状況が、まさに、国際的にはハイパーな状況にあるとはいえるだろう。このハイパーな状況からとんでもない人たちがボランティアとして海外に出て行くのか、と言いたくもなるが、ま、言わないでおく。

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2004.05.12

シリア制裁発動

 アメリカという国がどういう国策で動いているのか、私にはわからないことが多い。多くの人にとってもミステリアスなのだろう。つい陰謀論的に考えたくもなる。困ったことに、アメリカはマジで陰謀をやることもある。と、前フリはその程度にしたい。
 昨日から気になっているのは、米国のシリア制裁発動の意味だ。朝日新聞系のニュース「米、シリア制裁を発動 中東諸国を刺激のおそれ 」(参照)ではこう触れている。


ブッシュ米大統領は11日、テロ支援を続けているとして、シリアに対し、米国からの輸出禁止措置などを柱とする「シリア制裁法」を発動した。イラク人虐待事件で米国への信頼感が問われるなか、イスラエルと敵対するシリアへの強硬措置に踏みきったことで中東諸国から反発が強まることは確実だ。

 この記事には簡単にしか言及がないが、シリア制裁は突然ではない。昨年10月8日米下院外交委員会で可決している。日経系のニュース「米下院外交委、対シリア制裁法を可決」(参照)をひく。

米下院外交委員会は8日、テロリストを支援していることなどを理由に、シリアに対して外交的、経済的制裁を科す法案を圧倒的多数で可決した。同法案を巡っては政府当局が難色を示していたため議会側は採決を留保していたが、イスラエルのシリア空爆を受けて政府が議会側に容認姿勢を伝達したため、急きょ採決の運びとなった。

 イスラエルが米政府の背中を押した感じだ。同法は12月に米大統領署名で成立。その間、さらに、もうワンクッションがある。同じく日経系「米、シリア制裁発動へ――月内にも軍民両用製品の販売禁止」(参照)をひく。

 シリアを巡っては昨年12月、イランに救援物資を届けた貨物機が、帰りの便に小銃、機関銃や爆発物を満載、レバノンを拠点に活動するイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラなどに引き渡した疑いが浮上している。米国務省当局者は「情報は正確だ。失望すると同時に極めて重要視している」と語っている。

 もともとヒズボラの結成にはイラン革命後のイランの援助があったのでそれほど不思議なことではない。イスラエルのシャロンは、ヒズボラを裏で操っているのはシリアだとしている。読売新聞2002.04.05「イスラエル、レバノンを報復攻撃も」をひく。

 イスラエルのシャロン首相は四日、「シリアが(ヒズボラの攻撃を)承認、支援していることは間違いない」と指摘。イスラエル政府は三日夜、治安閣議でレバノン問題を協議しており、さらに攻撃を受けた場合、レバノン駐留シリア軍などへ報復攻撃をすることが決まった可能性がある。
 ヒズボラは昨年九月の米同時テロ後、対イスラエル攻撃を控えてきた。シリアが米国から「対テロ戦争」の標的にされることを恐れヒズボラを抑えた、との見方が強かった。ヒズボラの攻撃再開は、シリアが米国の反発を覚悟の上で、パレスチナの抵抗に呼応して対イスラエル姿勢を転じたことを意味する。

 日本の外務省もヒズボラだけを特定していないがこの見解に立っている(参照)。

 イスラエルは、シリアがいわゆるパレスチナ過激派等テロ組織を支援しているとしており、今回はイスラエル・ハイファで発生した自爆テロに対する報復としてテロ組織の訓練施設を攻撃したものとしています。一方、シリアは、国内にパレスチナ組織の訓練施設は存在せず、攻撃されたのは民間施設であり、シリア領内への敵対行為であるとして、これを強く非難しています。
 シリアは、1967年以来、イスラエルのゴラン高原の占領を巡り対峙しているところですが、イスラエル・パレスチナ情勢、今回の事案に対するシリア・イスラエル・米国の対応如何によっては、イスラエルの更なる攻撃、シリア国内におけるデモ・抗議行動の発生等、国内における情勢が緊迫化する可能性があります。

 話を戻すと、今回の、米国によるシリア制裁には、以前のように、ヒズボラの抑制が期待されてるのだろう。
 先の朝日新聞系のニュースでは、シリア制裁発動をイスラエルのロビーの成果であり、大統領選を睨んでのものだと皮肉っている。

制裁法は、イスラエル寄りのロビー団体などの圧力で昨年11月に可決され、制裁の適用権限を大統領に委ねていた。発動は秋の大統領選を前にした選挙対策の側面が強い。

 この見方は浅薄かもしれない。
 最近のイラク情勢では、サドル率いるマフディ軍の活動が重要な意味を持つようになっているが、サドルがシーア派組織ヒズボラ系のマナール・テレビに出演し、反米扇動を行っていることからも、この活動とヒズボラには関係はあるだろう。つまり、シリアの締め上げは、玉突きのように、サドル側の弱体につながるとの米国の読みはあるのだろう。
 ただ、制裁法案に当初米政府側が渋っていたことが暗示的だが、米国とシリアの協調はアルカイダの抑制にもなっていた。Salon.comの"White House to impose sanctions on Syria"では、次のように指摘している。

Syria provided the United States with intelligence on al-Qaida after the Sept. 1, 2001, attacks. Though some U.S. officials have played down the importance of that, the cooperation probably discouraged the administration from imposing sanctions that would have reduced diplomatic contacts.

 このあたりの事情を含めれば、イラクの次はシリアだという単純な戦線の拡大はないだろうと推測される。
 余談がてらに気になることが2点ある。まず、4月27日ダマスカスで起きた武装グループと治安部隊の銃撃戦についてだ。事件については、産経系のニュース「シリア銃撃戦 アルカーイダ系が関与? 『米に協力 警告』指摘も」(参照)をひく。

 情報は錯綜(さくそう)しているものの、言論統制が厳しいシリアではこうした民間人の論評やリーク情報は政府の意向を反映しているとみるのが普通で、シリア政府はイスラム過激派の仕業とする方向で事態の説明を図ろうとしているようにみえる。米政府はシリアがテロ組織を支援していると非難しているが、シリアは米中枢同時テロ後、アルカーイダに関しては水面下の情報提供や容疑者尋問などで米国に協力してきた。シリアの支配体制がイスラム教スンニ派からは異端扱いされるシーア派少数派のアラウィー派であることも、アルカーイダの潜在的標的になり得る要素ではある。

 この事件と今回の制裁の動向には関係が出てくるだろう。
 もう1点、先日の日本人人質事件についてだが、読売新聞2004.04.09「イラクで3邦人人質 同時誘拐作戦か 他国の民間人も被害」の記事が気になる。

一連の誘拐事件は、一九八〇年代に、レバノンのイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」が反イスラエル占領闘争の一環として採用した欧米人人質作戦をほうふつとさせる。ただ、ヒズボラは多くの場合、シリアなどの政治圧力もあって、米国人記者テリー・アンダーソン氏のように長期拘束の末に、結局は人質を解放した。これはヒズボラが組織としての一体性を保ちつつ、武装闘争の進展と中東政治舞台での政治的駆け引きをにらみながら、人質の取り扱いに慎重を期した結果でもある。

 この記事では、今回の日本人人質事件はヒズボラの人質事件とは違うという流れになっていくのだが、現時点で顧みると、むしろ類似点が多いように思える。
 今回の人質事件では、週刊文春は執拗に犯人グループをサドル側としていた。ガセだなと思って読み飛ばしていたが、なにか文春側ではもう少し突っ込んだ裏を持っているのかもしれない。

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2004.05.11

47氏が見たラジカルな世界

 話は、昨日のテーマ「Winny開発者逮捕は時代錯誤」(参照)の続きのようだが、私自身の思いとしてはそうでもない。率直なところを言えば、47氏が、「逮捕はしかたがないでしょう」と確信していることに、少し衝撃を受けた。
 「少し衝撃を受けた」というのは矛盾した言い方だ。率直に「衝撃を受けた」と言うべきなのだろうが、「少し」の部分に少なからぬ思いがある。私なりにある程度背景的な知識をもっていたからまったく新しい事態ではないということもあるが、問題の深みに自分が鈍感すぎたことへの悔やみがある。
 大げさな表現になるが、47氏の逮捕によって表明された「逮捕はしかたがないでしょう」というのは、現在の日本社会への本質的な、もっともラディカルな批判なのではないか。それに比べれば、ま、比べなくても、私の考えなど、ぬるすぎ、だ。「少し衝撃を受けた」というのは、ぬるい私だから、少ししか衝撃が感じられなかったということだ。
 たるい言辞を弄せず、現状思うことを書きとどめておきたい。自分の考えがよくまとまっていないのだが、これほどまでに、思想的な挑戦を受けたのは久しぶりに思える。
 47氏の言動は、明白なラジカリズムなのだ。これは、現代において、アナクロニズムでもなく、カリカチャライズされなくても、ラジカリズムが可能であることを明白に示している。このラジカリズムによって日本国家の限界がくっきりと対象化されてしまった。
 拙い言い方だが、自由に生きたいという根源的な欲望に対して、日本の国家は今回の京都府警のように抑圧者として立ち現れてきた。「著作権違反は悪い、だから、むしろ権力で取り締まるのことが自由を保障する」とは言える。だが、昨日からゲロっとWinnyの利用者が減った状況に、俺のキンタマ縮こまってんじゃん、と率直に思わないわけにはいかない。それどころか、「おや? おれのキンタマどこ?」的恐怖を意識の対象とせざるを得なくなった(Winnyウイルスのことじゃないが)。問題はだから、Winnyをがんがんやれ、ということではない。こういうキンタマ縮こまりが意識のなかで対象化し、それが国家の相貌を持っているということだ。その相貌に私の自由への欲望は、むかつく。
 そのむかつく状況への裏付け説明というわけではないのだが、デジタルコンテンツに対する著作権というものが国家的な恐怖の相貌を持つことは、技術の理想論から言えば、テッテ的に間違っている。
 昨日NHKの報道番組を見ていたらWinny問題と著作権についてどっかの弁護士がぬぼっと出てきて「デジタルコンテンツを守る技術が必要です」みたいな阿呆なことを言って脱力したのだが、デジタルコンテンツの著作権を守る技術、というのは、レトリックに過ぎない。このあたり少し粗雑な議論になるのだが、「著作権」を変更しなければいけないのだ。
 もちろん、そうした著作権を考え直すという思索は試みられている。例えば、スタンフォード学ローレンス・レッシグが提唱するクリエイティブ・コモンズライセンスなどだ。あるいは、ストールマンのコピーレフトとなどもそうだろう。ま、フツーの学者さんなどは、そのあたりをしれっとまとめて偉そうに言えばいいのだろうが、はて、と、考えると、それは依然、オリジネーターという個人と国家的な権力を結合する(マーケットメカニズムではない)という意味で、根本的な錯誤を含んでいないか?
 47氏は、おそらく、Winnyを作り上げてから、そこに気が付いたのだと思う。そこというのは、デジタルコンテンツの持つの本質、というか、その真理についてだ。そして、真理が見えてしまった以上、現状、つまり国家と癒着した著作権のマーケットは虚偽にしか見えなくなったのだろう。
 すでにネット上では消えているが、47氏は「Winnyの将来展望について(2003/10/10)」(参照)には次のように、思索の過程を残している。


1.はじめに
 ここのところバージョンアップ無しですいません。いろいろ首突っ込んでいるので忙しいのと、ここのところ疲れ気味なのと、別に考えているのがあるのと、現状のWinnyであまりやりたいネタが無いということでWinnyの方は放置になってます。

 まず、言えることは、47氏は現状のWinny自体にはそれほど関心を持っているわけでもないということだ。問題は次だ。

4. コンテンツ提供者側の集金問題
 話変わりますが、最近私の方ではコンテンツ流通側とは逆側のコンテンツ提供者側に関するシステムについて考えてることが多いです(コンテンツ提供者向けのシステムであって、よくあるようなコンテンツの保護技術に興味があるわけではないので注意)
 そもそも私がファイル共有ソフトに興味を持ったのは、当時ファイル共有ソフト使用ユーザーから逮捕者が出たということ(これは明らかに変だと思った)というのもありましたが、どうやったらコンテンツ作成側にちゃんとお金が集まるのか?ということに、もともと興味があったからです。
 インターネットの一般への普及の結果、従来のパッケージベースのデジタルコンテンツビジネスモデルはすでに時代遅れであって、インターネットそのものを使用禁止にでもしない限りユーザー間の自由な情報のやりとりを保護する技術の方が最終的に勝利してしまうだろうと前々から思ってました。そしてFreenetを知って、もはやこの流れは止められないだろうと。

 これは当たり前のことを言っているのだ。これが当たり前ということは、恐ろしい意味を持つ。恐ろしいというのは、先に触れた国家との衝突だ。
 47氏の逮捕にあたって、私はこれは不当な逮捕であり、それがいかに不当かということにまず思いを巡らした。それが昨日の「Winny開発者逮捕は時代錯誤」だ。しかし、実は、そんなことはまるで本質的な問題ではないことを、47氏の確信犯的な言動から思い起こした。「話は変わりますが」とさらっと書いているので余談のように思い、ふんふん、そーだよねで、読み過ごしていたが、ここに問題の本質があった。
 「インターネットそのものを使用禁止にでもしない限り…」というのはなんと正確な歴史認識なのだろうか。なにもARPAの歴史からひもとくことはしないが、インターネットを以前私たちは「土管」と呼んでいた。なにを通すか? そんなことはご自由にということだ。それはコミュニケーションのための土管なのだ。しかも、本質的に超国家的な土管だ。その後、HTTPがインターネットのプロトコルの主流のような時代になぜかなった。そのHTTPのブラウザ表示のせいか、ブロードキャストのようにも理解されるようになったが、それはプロトコルの可変性というか、インターネットの本質のちょっとした現れに過ぎない。インターネットという土管はプロトコルの合意があれば、なんでもいいのであって、通じたいなら守ればいいというだけだ。国家的な支配のルールとは違う。守らなくてもいい、でも、それなら通じないかも、というだけだ。駄言が多くなったが、Freenetこそ、インターネットの本質を露わにする本命なのだ。
 47氏は明確に考えていたのだ。というか、これこそラジカリズムだ。

 まぁそう考えて2ちゃんの某スレで書いたは良いが、冷静に考えるとJavaで書かれているFreenetそれ自体はどうやっても実用的でなく、一般に広まらないだろうということで、衝動的に設計部分から煮詰めなおしてWinny作ってしまいましたが(私はJava信じない派)
 ここで私はこういうFreenet的なP2P技術が本質的にインターネットの世界では排除不可能と考えていますし、その事実が認知されていけば必ず自然に別のビジネスモデルが立ち上がってデジタルコンテンツ流通のパラダイムシフトが起こるだろうと考えていました。もしこの問題がクリアできなければインターネットそのものを学者などだけへの許可制にして一般では使用禁止にするしかないだろうとも。よってこれが将来インターネットでキーになる技術であろうと。

 Freenetこそ本質なら、それが歴史の地上に生み出してしまえというのは、哲学と実践のもっともまともな結合である。Freenetの意味がわからないなら、目の前に見せてやればいい、というわけだ。そして、私たちはそれを見たのだ。
 問題は、逮捕なんてことではない。それが「その事実が認知されていけば」という事実を認識したか、ということだ。私たちに思想的にきつい課題になったのは、それが事実なのに、事実として認識できないという、ぬるさなのだ。
 47氏が「逮捕はしかたないでしょ」としたのは、すでに彼の真理の知覚では、現状のほうが歴史の過去になっていたからだろう。それで、世間の処遇がどうなろうと、くだらないことでもあったのだろう。
 私は…とここで私を想起する。私は、47氏を賞賛しているのか? もちろん。心酔しているのか。そこは、むずかしい。
 私は、47氏はラジカリズムであると考える。私が47氏と、ある一線を引くとすれば、ラジカリズムということだ(才能不足は抜きとしてだが)。
 ちょっとたるい余談のような話になるが、日本の歴史は浄土教を徹底的に解明しないかぎり見えない(だが解明されていない)。特に、浄土教は多数のラジカリズムを生んだ。死=浄土という真理が知覚されたとき、ラジカリズムは「とく死なばや(さあ、死のうではないか)」という運動を生み出した。こうした日本史のラジカリズムは皮肉な形かもしれないが欣求浄土という形での安定体制を生み出したが、思想はむしろ、残された。浄土教の中心の親鸞は、「とく死なばや」を無化した。
 ラジカリズムには、独自の本質的な欠陥があることを私は思想的なものに関わってきたから防衛的に知っている。小賢しい言い方をすれば、破壊を先行させたとき、大衆はその破壊の線上にはついて来れない。それは、共産主義国家を批判したハイエクの思想などにしつこく描かれている。
 47氏についていえば、新しいFreenetの現実から、新しい著作権を歴史に強引に受胎させようとした。彼は、その先に「デジタル証券システム」(参照)という、著作権に変わる構想もあった。
 が、ラジカリズムらしいのは、その構想、つまり、希望の種を荒野に撒いたことだろう。新しい荒野が現実となっても、そこに種を撒くには、荒野を荒野と認識した上で開墾が必要になる。その機能はWinnyにはまだ組み込まれていなかった。
 地域通貨のような仕組みと、デジタル証券システムのような仕組みを、Winnyに追加する天才が出るとき、47氏は「無罪」となるのだろう。
 残念ながら、歴史は、47氏に続く天才を必要としているようにも見える。

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2004.05.10

Winny開発者逮捕は時代錯誤

 Winny開発者を京都府警が著作権法違反(公衆送信権の侵害)の幇助容疑で逮捕した。また、京都府警かよだ。が、それについては、とりあえず今回は触れない。読売系のニュース「共有ソフト「Winny」開発の東大助手を逮捕」(参照)をひく。


 発信源などの特定が困難なファイル共有ソフト「Winny」を開発し、インターネットを通じて映画やゲームソフトを違法コピーするのを容易にしたとして、京都府警ハイテク犯罪対策室は10日、東京都在住の30歳代の東京大助手を著作権法違反(ほう助)の疑いで逮捕した。

 このニュースは逮捕前から早々に流れていた。最初にその話を聞いたとき気になったのは、いったい罪状は何?であった。ご覧の通り、答えは、「著作権法違反(公衆送信権の侵害)の幇助容疑」である。で、答えかよ。朝日新聞系のニュース「Winny開発の東大助手を逮捕 著作権法違反幇助容疑」(参照)にはこう補足されている。

 高速で通信するブロードバンド化が進むなか、ファイル交換ソフトによる著作権侵害は深刻化している。府警は、助手がWinnyが悪用される危険性を認識していたとして、立件は可能だと判断した。
 国際的に著作権侵害をめぐるプログラム開発者の刑事責任についての判断は分かれており、今後、議論を呼びそうだ。

 まず私が困惑するのは、前段の著作権法違反についてだ。単純な話、これは民事なので、著作権を侵害された人からの訴えが必要になる。日本では依然ソフトの違法コピーが盛んなようだが、以前、この問題に対してたしか米国系の業界団体が、ちくれば報奨金を出すというキャンペーンをしていた。ちくって実態がわからなくては訴訟にできないからだと私は理解した。つまり、著作権の侵害は親告罪でだから、著作権者からの告訴があって初めて成立する。そのあたりの関係が未だによくわからない。
 そして今回ある意味で多少びっくりしたのは、著作権法違反幇助容疑っていう奇っ怪な罪状だ。先の文脈で言えば、一般的に幇助罪はその前提の罪状、この場合は著作権侵害罪が成立していることが前提になる。朝日新聞系の先のニュースではこのあたりを配慮してか、次のような説明が入っている。

 府警ハイテク犯罪対策室などの調べでは、助手は02年5月からWinnyをホームページで無料配布し、群馬県高崎市の風俗店従業員(41)=同法違反罪で公判中=らが昨年9月、このソフトを使って米映画「ビューティフル・マインド」などの映画やゲームソフトを送信できるようにし、著作権を侵害するのを手助けした疑いが持たれている。

 とりあえず、問題は、「著作権を侵害するのを手助けした疑い」の意図が立証できるかというフェーズに移行していると見ていいのだろう。つまり、「助手がWinnyが悪用される危険性を認識していた」ということだ。
 この点、読売系でも朝日新聞系のニュースでも作者の次の発言をひいてさも、その意図があったかのように誘導している。朝日新聞系のニュースをひく。

 助手はインターネット上の掲示板「2ちゃんねる」上で「47氏」と呼ばれ、「そろそろ匿名性を実現できるファイル共有ソフトが出てきて現在の著作権に関する概念を変えざるを得なくなるはず。自分でその流れを後押ししてみようってところでしょうか」などと開発意図について説明していた。

 これは2チャンネルの発言を拾ってきているように思われるのだが、私が見た範囲では原文が見あたらなかった。もしかすると次の発言をねじ曲げているのだろうか。

89 名前: 47 投稿日: 02/04/11 00:26 ID:TuaSESIN
個人的な意見ですけど、P2P技術が出てきたことで著作権などの
従来の概念が既に崩れはじめている時代に突入しているのだと思います。

お上の圧力で規制するというのも一つの手ですが、技術的に可能であれば
誰かがこの壁に穴あけてしまって後ろに戻れなくなるはず。
最終的には崩れるだけで、将来的には今とは別の著作権の概念が
必要になると思います。

どうせ戻れないのなら押してしまってもいいかっなって所もありますね。


 この発言が対応しているなら、新聞のトーンとはかなり違うことがわかる。
 Winnyについては、それがこのような形で社会問題になったからには、社会問題の視点でどのような技術なのかという理解が必要になる。共同系のニュース「Winny」開発者、著作権法違反ほう助で逮捕へ」(参照)を参考にひく。

 Winnyはネット上で無料公開されている。特定のサーバーを使わず、暗号化されたファイルが自動的に複数の利用者間でリレーされていく方式のため、ファイルがどこから送受信されているのか特定しづらく、極めて匿名性が高いため、「ソフト違法コピーの温床」とされる。

 間違いではないのだが、このような新聞での解説では、47氏によって、あたかも著作権を侵害する独自技術が開発されたかのような印象を受けるのではないだろうか。しかし、Winny自体はそれほど独自技術を持ってできているわけではない。ただ、このあたり、開発過程で2chの応援で独自性が追加されたと見ることもできないこともないのだが、大筋の理論には独創性はない。
 もともと、Winnyは同種のWinMXの次世代版として2チャンネルで期待されていた話題の流れで出てきた。この話題を見ながら、たまたま47氏は、技術的な関心から米国で開発されたFreenetをWindowsに移植しようと試みた。しかもその動機は、FreenetのソースがJava(支持者が多いわりには基本的には非効率な言語。非支持者も多い)というプログラミング言語で書かれているから別の言語(C言語)に移植してみようというものだった。しかも、ニュースで騒ぐほど、匿名性にはそれほど関心は置いていなかった。

586 名前: 47 投稿日: 02/04/06 18:13 ID:tI2XpLS7
(略)
そもそもFreenetのアーキテクチャは匿名性ばかり重視して
しまっていて無駄が多いと思うんでFreenetプロトコルには準じない
(Freenetクライアントにはしない)で全部自分でやるって方針です。

 だからこそ、匿名性に関する技術は既存の、処理効率の高い暗号技術をとって付けたような形になっている。その意味で、ネットエージェント社(ネットワークセキュリティ専門)が暗号解読をした時点で、Winnyの匿名性など技術的にはなくなっていた。余談のようだが、この暗号化解読が比較的容易だったのも、暗号化に既存アルゴリズムを援用していたからだ。くどいが、こうしたことからも、Winnyの開発意図には匿名性はそれほど重視されていたわけではないことがわかる。
 さらに、こうした開発意図についての発言は、2002年4月の時点だという点も注意を促したい。ざっくばらんな話、高速回線が普及し、社会問題が深刻になったから、過去に遡って、しょっ引いてやれというわけだ。
 いずれにせよ、新聞に引用されたかのような、著作権概念への挑戦のようなコメントは、47氏にとっては余談の部類であり、すでにFreenetによって破られているからという時代意識のうえでなされているものだ。
 当然ながら、47氏を奇妙な罪状でしょっ引いても、Freenetやそれの類縁の技術が海外から押し寄せてくれば、京都府警の対応は無意味になる。というか、たぶんに今回の逮捕は見せしめだろう。
 さて、社会としてこの問題にどう対応したらいいのか。
 その糸口は、私は今回の報道を見ながら、もう一点些細だが、奇妙なことに気が付いたこと、にありそうだ。話を原点に戻して、いったい何の著作権侵害かというと、「映画や音楽などのソフトウエア」と3点上がっているものの、群馬県高崎市の風俗店従業員逮捕では、「米映画『ビューティフル・マインド』などの映画やゲームソフト」となって、なぜか音楽は抜けている。
 ここで米国の状況を知っていただきたいのだが、米国でもファイル共有ソフトで音楽がばらまかれた。が、このことに対して、音楽業界は訴訟で挑み、広範囲に脅しをかけたが、その反面で、妥当な価格でのダウンロード販売を推進した。つまり、利用者は、訴訟リスクの高いコピーを使うか、妥当な価格のコピーを購入するかが選択できる。これによって、事実上、音楽の著作権問題は解決した。
 すると問題は、映像とソフトウエア(ゲーム)だが、映像については、現状の回線速度では、およそ映像といったクオリティのコピーはできない。勇み足な言い方だが、そんなもののコピーは目をつぶってもたいした問題ではない。もともと配布に便利なセルDVDの価格を下げれば問題は解決する。
 ソフトウエアはどうするかだが、ゲームは映像性が高ければ、現状では配布にやや難がある。すると、残るは通常ソフトウエアなのだが、これも、現状パッケージ売りがほぼ全滅し、オンライン販売に移行しているのだから、適正価格にすればいいだけのことだ。
 つまり、今回のWinny事件は、日本の警察と業界の時代錯誤ということだ。

追記(同日)
朝日新聞系「『著作権法への挑発的態度』が逮捕理由 京都府警」(参照)によると以下のように供述しているとのこと。


 金子容疑者はこれまでの調べなどに「現行のデジタルコンテンツのビジネススタイルに疑問を感じていた。警察に著作権法違反を取り締まらせて現体制を維持させているのはおかしい。体制を崩壊させるには、著作権侵害を蔓延(まんえん)させるしかない」と供述。

 これが本当なら、確信犯というか、根本的なところで京都府警に逆らう気でいるとみられる。いわば、危険を冒してまでの思想の実践ということだ。そうであるなら、この問題については、さらに深い考察が必要になるだろう。「逮捕するのは時代錯誤だ」、あるいは、「ソフト開発だけなのに逮捕は許せない」といった次元ではなくなくなる。
 ざっくりとした印象を言えば、前段は私も同意する。後段の体制崩壊うんぬんについては、単純には同意できない。

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2004.05.09

なぜ米軍の虐待はお変態写真で出てくるのか?

 続々と米軍による捕虜(民間人も含む)虐待のニュースが続く。過去の戦闘を想起すれば、これまで騒がなかっただけで当たり前のことではないかとも言える。が、言ったからといってこんな非道は擁護にもならない。それは前提事項だ。
 なんでこの機に出てくるのかというのも、やや疑問だが、その後の報道を見るかぎり、現状それほど政治的な裏があってのことでもないようだ。
 また、現状では、この事態を引き起こしたかなりの部分が、またしても正規軍ではなく、米傭兵のようだ。組織的に見るなら、今回の戦争では米傭兵のコントロールががかなりまずい。率直に言えば、米軍は自分の手を汚さず、汚れ役を傭兵と分担しているだろう。いずれにせよ、最終的には米軍に責任があるのは確かなのだが、組織がテロ戦争には対応していないということでもあるのだろう。
 それにしても、出てきたのは、なぜ、こうも、お変態写真なのか? もちろん、続々と出てくるものや証言からは、お変態ではすまないものも多い。というか、いわゆる暴力的な虐待が出てくるのは、先にも触れたが過去の戦闘などから考えれば、言い方は悪いが、普通だろう。そういうわけで、日本社会では、「虐待」という一括でくくってニュースとしているのだが、その割には、あのお変態写真をマスメディアはばらまいている。ちょっと言い過ぎなのだが、マスメディアのコードからすればそれほどの虐待でもなく、「おいこれって変態じゃん」ということで、逆に猥褻のコードで検討して出しているのではないか。
 同じことは多分、米国でもそうだろう。9.11の時は早々に、事件の映像を流すまいという動きがあったが、今回はどちらかという垂れ流しだ。米国のメディアの常識からすれば、レーティングがかかりそうなものだが、出ている。そのあたりがわからない。私の感じからすると、米国南部の福音派クリスチャンは、こうしたものを嫌悪するだろうと思うし、ブッシュなどまさにその南部オヤジなので、かなりむかついているだろうと察する。
 話を戻す。なぜ、お変態写真なのか? 答えがあるわけではないが、そのあたりの言及というのが、当然ながらマスメディアにはないようだ。言わずもがなというのもあるのかもしれない、つまり「あいつら、根が変態だからな」といった印象かもしれない。確かに、ネットを見ると、この手のお変態映像は山ほどある。虐待映像に紛らわしいポルノが混じったりもする。「なんだ、こいつら」という感じもするが、逆に米国でうけている日本のヘンタイアニメや少女モノなどは、あいつらから見れば、「なんだこいつら」なのだろう。中国人などもけっこうポルノを見るのだが、そうして見られているのは大半が日本人なんで、日本人って…という印象を持っているに違いない。ま、言い悪いは抜きにして、本音の部分はそんなところだ。品のいい話ではないが、しかたがない面はある。こうした愚行が、どうやら我々の自由の本質的な一部でもあるのだろうから。と、話がそれてしまい、かつ、変態ならいいんじゃないのと誤解されそうだ。そうではない。
 7日のワシントンポストにこの問題に関連するコラム"Abu Ghraib as Symbol"が掲載された(参照・要登録)。率直にいうと何が言いたいのかわからないし、コラムニストも文中に"Let's be clear"とか洒落を書いているように、曖昧なこと書いちまったなという意識はあるのだろう。たしかに、ちょっとこのテーマはあからさまには書けない。ただ、問題の切り口としては重要であるだろう。


On Sept. 11, 2001, America awoke to the great jihad, wondering: What is this about? We have come to agree on the obvious answers: religion, ideology, political power and territory. But there is one fundamental issue at stake that dares not speak its name. This war is also about -- deeply about -- sex.

 つまり、西洋社会からのテロ戦争のテーマの一つは「性」だというのだ。

For the jihadists, at stake in the war against the infidels is the control of women. Western freedom means the end of women's mastery by men, and the end of dictatorial clerical control over all aspects of sexuality -- in dress, behavior, education, the arts.

 つまり、西洋文明の自由とは、アラブ社会における女性の従属の終わりを意味するというわけだ。それはそうだ。で、今回のお変態写真がそのためのドカンと一発になったろうという悪い洒落にするという話ではない。コラムは曖昧に書いてあるのだが、ようするに、今回のお変態写真こそ、イスラム原理主義者にとってまさに戦うべき悪の象徴として見えるだろう、ということだ。2ch用語でいうところの燃料投下であるって、2ch用語でいう必要はないのだが。
 ちょっと補足すると、「虐待」が問題だというより、そういうふうに相手の文化から見えるのだよという指摘をこのコラムがしている。たぶん、その含みには、「虐待」という点でなら、アラブ社会の民衆は慣れっこかもということがあるのかもしれない。
 余談めくが、コラムの途中にはヘンテコなエピソードが入っている。

The most famous example occurred in the late 1990s, when Egyptian newspapers claimed that chewing gum Israel was selling in Egypt was laced with sexual hormones that aroused insatiable lust in young Arab women. Palestinian officials later followed with charges that Israeli chewing gum was a Zionist plot for turning Palestinian women into prostitutes, and "completely destroying the genetic system of young boys" to boot.

 コラム中にこんな変なエピソードを挟むのもなんだかなだが、話としては、え?マジかよ?っぽい。日本も含めて西洋化された社会から見れば、洒落でしかないのだが、どうやら、現地では洒落ではないようだ。つまり、イスラエル製のガムには女性を扇情的にさせるホルモンが含まれており、これはシオニストがパレスチナ女性を売春婦にさせるための陰謀だというのだ。
 「アラブ政治の今を読む(池内恵)」でも思ったのだが、主にエジプトが中心ということかもしれないが、こうしたしょーもないデマがデマというより、ある種の世界の意味としてアラブ圏に広がっているというのは、確かと見ていいのだろう。今回のお変態写真もそういう文脈で理解されるに違いない。
 日本も含めて西洋化された社会から見れば、この手の変態エピソードは、笑い事ととりあえず言えるのだが、それは真偽判定の手順を社会に原理的に組み込んでいるからで、逆にいえば、だから、今回のお変態写真は、場所がそこではなく、出演者にペイが出ているなら、ただのありがちなお変態写真になる。が、アラブ社会なり文化圏にはそうした真偽判定の手順は組み込めない。
 悪い冗談を書いているようだが、今回の虐待写真が示す事実は断じて許せるものではないが、そして、私も曖昧に言うのだが、あの変態性というのは我々の社会のある本質的な部分でもあるのだろう。

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