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2004.05.01

人質会見に私は落胆した

 昨日のイラク邦人人質事件被害者の会見を見るためにテレビを付けた。見て、落胆した。この人たちは、テロリストのシンパなのだと思ったからだ。テロという人間の尊厳に対するもっとも卑劣な行為を憎むことができないのだ。それが心的障害による譫言だと信じたい。が、たぶん、そうでもないのだろう。他にも報道番組を見たが、私のように落胆している人の姿はなかった。むしろ、この会見を好ましくみているかのようだった。こうしたテロリストのシンパが私の同胞であり、このテロリストのお友達とともに、日本国はテロとの戦いというこれからの世界に向かうことになる。内憂外患というにはすまされないものを感じた。
 会見ではこうあった(参照)。


 --彼らについて
 レジスタンスだと思う。ファルージャの町を自分たちで守ろうという自警団。彼らは外国人を拘束しメッセージをああいう形で発信することしかできない不器用な人たちだった。まとまりはなかった。よくけんかしてましたから。

 人質だった人だった三人も日本に帰国して日が経つのだから、この間、同じような状況で殺害されたイタリア人のこと知っているはずだ。どう思うのだろうか。イタリア人人質を捕らえたグループはテロリストだが、日本人人質を捕らえたグループはレジスタンスということなのだろうか。そこまで詭弁はできないだろう。日本政府が尽力したから、日本人の命が守られたとのだと私は思う。
 いや、これには反論があるのか、曰く、自衛隊撤退のデモ行進が彼らの命を救ったのだ、と。それは、詭弁でも冗談ではない。それは、テロに屈するということだ。
 北朝鮮は、日本人を数多く誘拐した。下校途中の13歳の少女も誘拐した。テロである。これに「彼らは外国人を拘束しメッセージをああいう形で発信することしかできない不器用な人たちだった」と言うのだろうか。そんなふうにテロに屈していいのだろうか。冗談ではないと思う。テロリストは擁護することはできない。人間の尊厳に対するもっとも卑劣な行為だからだ。
 テロリストの認識が難しというなら、近代戦では、民間人を巻き込んではいけないという原則くらいは知っておくべきだ。
 事件の真相は会見からではわからなかった。人質たちの知らない真相というのもあるかもしれない。狭義に見れば、部分的には、狂言であることは明らかになった。日本国民は、人質の命を心配していた。が、会見からわかった事件の様相では、最初から人命は保護されいた。これが狂言でなくしてなんだというのだ。広辞苑を引くに、狂言の意味はこうだ。「うそのことを仕組んで人をだます行為」。用例に「狂言強盗」。

 --自作自演とか演出ともいわれているが
 あのビデオは、演出というより命令。あのような状況で否定できますか、みなさん。命の保証はされてましたが、いうこときくしかない。

 そう問われたら、私とても、「イタリア人の死に様を見せてやる」というほど腹が据わっているわけではない。なるほど、演出してくれと言えば、そうしたかもしれない、とは思う。が、私はこれは不自然な言い訳だと思う。私なら、「あの状況ではしかたがなかったし、映像が日本に報道されているとも知らなかったが、あの演出で日本国に心配をかけることになったのは恥ずかしい」と言うだろう。ついでに私の感想だが、撮影の前には饗応があったようだが、それも不自然だと思う。演出などせず、そのまま脅して撮影し、それが終わってから、実はこういうことだった、すまない(ソーリーソーリー)というのなら、わかる。
 ただ、演出して作ったものだから、日本国政府側は見破りやすかったのだろう。テロリストの要求である自衛隊撤退を早々に拒絶したのは、原則を貫いたというより、テロリスト側より日本国政府のほうが一枚上手という知恵比べだったわけだ。しかし、今後はそんな呑気な事態ではすまくなるだろう。
 警察側としては、ある程度満足のいく事情聴取はすでに完了しているだろう。そう見れば、認定された事件としてはすでに終了している。だから、事件の真相を自作自演とするのは、無理がある。私の言い方では、事件の全貌を狂言だというには無理がある。が、私は依然疑いを持つ。
 事件の全貌が、「自作自演」かどうかはわからない。が、今回の事件で、とくに2ちゃんねる系の意見は「自作自演」という言葉に自縄自縛になっていたように思う。その言葉を踏み絵にすれば、「自作自演」という説を押し通すのは難しくなるだろう。
 言葉による自縄自縛といえば、「自己責任」も似たような始末となったように思えた。「死ぬ覚悟でイラクに行きましたか」と問えば済むだけのことにしか私には思えない。彼らがまたイラクに行くというなら、日本国と日本人に迷惑のかからない計画を立てて貰いたい。

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2004.04.30

[書評]アラブ政治の今を読む(池内恵)

 雑誌の書評などで概ね好評なので、一般向け書籍で2600円はちと高いなと思いつつも、アマゾンに注文。1500円以上の書籍の配送は無料なのでこんなときは便利だ。で、読んでみて、どうか? 確かに、お値打ち感はある。読みやすい。いろいろ蒙を啓かれた点もある。こりゃ、俊英というに相応しい頭の良い学者さんだなと思う。読みつつ、ふーんと思う点や、こりゃそうか?と突っ込む点も多々あるので、鉛筆持ちながら線引いたり、ちょこっとメモして読んだ。こんな読書は、学生のころのリーディング・アサイメントみたいだ、とちょっと苦笑。

cover
アラブ政治の今を読む
 本というのは、私にしてみると読後のしばらくしてからの思いというものが重要になるのだが、さて、しばらくしてみると、あれれ、と心に疑念がいくつか浮かんでくる。本書が優れていることは確かで、クサシの意味はないのだが、そのあれれの部分を書きたい。批判というほどのことでもないので誤解なきよう。
 2つある。1つは前著「現代アラブの社会思想」のほうが顕著なのかもしれないが、この筆者のお得意である、90年代以降の現代アラブ世界のメディアに満ちる、陰謀史観風「イスラムの終末論」についてなのだが、なんというか、現代アラブのメディアの傾向としては面白いが、それが現代日本人にとってアキュートな課題である、テロリズムに直結したイスラム原理主義との関係が、実は、議論として、つながってないんじゃないの?、という疑問だ。単純な言い方をすると、9.11を起こした犯人側の思想は、そういう池内が分析する陰謀史観風イスラムの終末論なのか?、ということがわからない。この本では結局、9.11の事件やそれに関連する米国側でのメッセージは、現代アラブに陰謀史観風「イスラムの終末論」として伝わるという、だけではないのか? ちょっとひどい言い方をすると、そのこと自体には、国際社会は関心を持たないし、関心を持つ意味はあまりない。どこの国でも陰謀論はあるものだ、くらいのことになる。陰謀論的な世界がイスラム原理主義的なテロリズムに具体的にどう関与しているかが、本書では結局問われていないように見える。
 別の問題意識かもしれないが、例えば、韓国では反日の歴史・精神風土があり、また、陰謀論めいた反日メディアがぼこすか出てくる。では、それらがウリ党の出現などに関係しているか?、というと、そうでもあるし、そうでもない。こうした場合は、実際の経済活動の動向などから、できるだけ客観的な状況というものを見る必要がある。指標は様々あるのだろうが、経済交流の面などからは、どこが反日?という実態があったり、対日本というよりもグローバルな位置に置かれた韓国の状況分析が実際の韓国の動向をうまく説明するものとして見えてくる、ものだが、そうした点は、アラブ社会にも言えるのではないか。
 韓国を中程度の発展国というのは間違いだし、陰謀史観は米国にも多いが、そういう雑音を除き、現代アラブについて、具体的な経済や社会の動態などから、テロリズムの温床がどのように形成されるかという抽象化の方法論が欲しい。
 ええと、ですね、つまり、そういう経済や社会の実態的な動向側から裏打ちされたイスラム原理主義についての説明が欲しい、というわけだ。もうちょっと突っ込むと、本書では、ヨルダンやカタールなどが親米というのはわかるのだが、その経済的な背景や軍事的な背景について、特に数値を含めた考察が知りたい。そうした、できるだけ客観的なもののと、イスラム原理主義のテロリズムとの関連がないと、ただ、エジプトで広がっている終末論的なメディアの解説というだけのことになってしまう。
 関連して、本書は意図的なのか、サウジがごそっと抜けている印象を受ける。本書の場合、エジプトに著者が居住していたということはわかるし、ご先輩?の酒井啓子でもそうなのだが、エジプトがアラブ学のベースになるというのはわからないではない。が、それでも、サウジにもう少し突っ込んで書いてほしい。サウジこそ、諸悪の元凶であるという見取り図には間違いないだろうから。
 くどいが、例えば、ザルカウィについてはエジプトの文脈は必要だが、ウサマについてはサウジの歴史背景や現状のサウジの分析が必要になるはずだ。というか、繰り言になっていかんが、テロリズムに直結したイスラム原理主義について、どうも本書のような現代アラブの思想状況からは、十分に説明されていないという印象を持つ。
 もう1点は、私なぞ古くさいヴェーバリアンでもあるせいか、逆にこの本で啓蒙される面が多いのだが、それにしても、思想と社会機能の関連の考察が弱いという印象をうける。もちろん、コーラン(クルアーン)は出てくるのだが、イスラム社会の場合、キリスト教のフンダメ(fundamentalism)のようなSola Scriptura(ソラ・スクリプチュラ)ということはない。実際にタリバンの例でもそうだが、法学者とその社会機能のあり方の変異として原理主義が出てくる。その意味で、トルコなどの穏和なイスラム原理主義もタイポロジーとしては同じはずだ。という、あたりのイスラムの社会構成や社会機能についての考察が本書にないように思える。
 くどいが、アラブ社会というのは、イスラムの法学的な権威によって、部族内外の公機能(調停機能)を担う最適な組織(構造)なのではないか。その基本構造と、部族社会のスルタン的な王の関連が、どう近代化と軋みを起こすのかという、古くさい考察が本書にないように思える。不要? 
 と、基本的に「あれれ?」は2点である。くさしに聞こえるかもしれないが、実は、本書で優れた点は、アラブ学なりの知見ではなく、単に、池内恵の国際政治に対するセンスの表出ということなのではないかとも思える。その意味で、その優れた感じというのは、フォーリンアフェアーズあたりの論考のレベル、ということなのではないだろうか。っていうか、左翼さんのおかげで日本の知的レベルが沈没しているから、当たり前の知性が目立つのか、というと皮肉か。いずれ、普通に英語論壇が日本語でバランスよく見えるようになれば、本書のように普通に見えるはずの像を、ただ確認するという感じにはなるだろう。その傾向は否めないというか。
 本書で、読後、うなったのは、多文化主義の問題だ。本書では安易な解答を出していないのが優れた点かもしれないし、著者は、昨今のニューアカ以降の日本の若い知性みたいに自由を論じるにジョン・スチュワート・ミルもお読みでないみたいなポカはないのが助かる。と、八つ当たりのようだが、自由を議論するなら、池内のように古典(歴史)を踏まえてアキュートな現代のコンテクストで論じてもらいたい。日本の現状を批判する形で流行の欧米理論的に自由を論じ、ほいで、それでそのまま日本の状況がグローバルに移行する、なんてことは金輪際あり得ないのだから、むしろ、グローバル化がもたらす潜在的な日本の問題に論者の身を置いて、さあ自由とはなんだ?と問う必要がある。
 で、多文化主義なのだが、まいった。わからん。決定的にわからないのは、いかに論理的な解決が出て、それを我々の原則としても、彼ら(イスラム教徒)には通じない。とすると、むしろ、通じないということを高位の原則として、我々の最低綱領を断固押し通すしかないのではないのか、と私には思える。つまり、フランス風ライシテだ。
 くどいようだが、日本人好みの文化相対主義では、譲ることを知らない絶対主義に向き合えるわけがない。むしろ、イスラム文化圏側で「譲る」可能性は西洋近代原理による知性の開放(単純な話、教育)を契機にするしかない…と言いつつ、ここでも、詰まる。自爆で言うのだが、西洋近代原理が貫徹化したかに見えるイスラエルが全然、新しい形での、多文化主義を打ち出していない。むしろ、イスラエルの穏健な思想は伝統的な歴史主義的な多文化主義でしかない。隘路?迷路?
 とま、およそ書評じゃないが、それだけ、知的興奮を誘う書物であることは確かだし、頭のなかからバカの垢が落ちてすっきりする面も多い。
 本書を読むなら今が旬だとも言えるし、この本自体が日本の現在をうまくスナップショットしているという意味で、私の書架に残るかもしれない。いや、残るなと思う。
 余談だが、喧嘩売っているつもりはないが、現状、本書についてのアマゾンの書評はなんか無意味だ。本書が批判されるとき、どこから批判しているかを見極めたほうがいい。私については、以上のとおりだ。

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2004.04.29

大欧州がコケるに賭ける

 朝日新聞社説を読み切れないことはあまりないのだが、今朝の「大欧州の誕生――この途方もなさ」はなんだろう。朝日の左翼・反日の意図がどうこの記事に反映されていて、何を誘導しようとしているのだろう。あるいは、そういう毎度の枠組みではないのか。気になって何度か読み返してみてもわからない。そう、基本的には私はこの社説に同意している。
 問題は、五月1日に人口4億5千万人、国内総生産の規模で世界の4分の1を占める大欧州が誕生する、ということだが、もっと端的に言えば、「おフランス帝国出現」ということだ。が、そう言ってしまうまえに、解説したほうがいい。ちょっと読みづらいが、まず朝日を引く。


 政治的な統合が深まるにつれて、新たな問題も起こり始めている。
 ユーロの導入はユーロ圏諸国が通貨主権を手放すことによって実現した。EUが重要政策を決めれば、各国は歩調を合わせる。例えば、フランス議会で作られる法律の半分以上がEUの方針を実施するためという試算もある。
 だから、多くの人々は、国政選挙での自分の選択とは関係なく生活にかかわる決定がなされていると感じてしまう。反EUを掲げる左右の急進的な政党が支持を集める背景にも、この不満がある。

 朝日はどうしてこうねじ曲がった文章を書くのかよくわからないが、ようするに、フランスがEU諸国を支配するということだ。ボナパルト再来だか、ドゴール再来だか、そんな感じだ。
 冗談じゃないということで、スペイン、ポーランド、イタリアは、早々に反仏を明確化するために米英主導の有志連合に加わったが、現在となれば、貧乏くじを引くことになった。どうしたわけか、日本では、フランスのル・モンドあたりの反米主張がさも世界の言説のごとく流布されるが、こういう政治背景を差し引いて読まないといけない。
 いずれにせよ、スペインは転んだし、ポーランドもびびっている。ということで、今こそイタリア人の本気の底力が試されるところでだが、私は、早々に枢軸から転げた過去を持つイタリアであれ、この状況では本気になるよと、信じている。
 むしろ、イギリスが奇妙なコケかたをしているように思えてならない。これまでジョンブル・ブレアよくやるよと思ってきたが、ここに至って、私はよく理解できない。ブレアは、それまで否定してきたEU憲法の是非を問う国民投票を実施するというのだ。そんなものやれば、否決されるだけじゃないかと思うのだが、やるというわけだ。「英国:EU憲法の是非問い国民投票…ブレア首相、真意どこに 方針転換に波紋」(参照)をひく。

 英の国民投票は、73年のEC(欧州共同体=当時)参加の2年後にその是非をテーマに実施して以来、ほぼ30年ぶりとなる。EU憲法をめぐる最新の世論調査では、賛成はわずか20%台。ブレア首相は「英国が欧州の政策決定の中心にいると決意するかどうかの時だ」と国民に呼びかけ、首相周辺も最終的な勝利に自信を示しているが、情勢は楽観を許さない。
 英国民にはもともと、仏独の大陸国家主導で進められてきたEUへの複雑な思いがある。一部のメディアは、6月のEU首脳会議でEU憲法が採択されれば英国の主権がEU本部のブリュッセルに移る、と早くも危機をあおりたてている。

 理由はイギリス内政的にはいろいろと噂されている。が、それよりも、この国民投票が実現してコケれば、フランスも国民投票せよということになる。そうなれば、爆笑ものだが、フランスですら、コケるだろう(マーストリヒト条約成立を想起せよ)。そういうドミノ倒しを近未来に見ることになるのだろうか。というか、それを避けるために、「フランス、必死だな」、になってきている。余談だが、もともと、フランスはドイツなしではやってけないという、ありがちな隣国腐れ縁もあるので、当面はよりドイツに親和を示すだろう。そして、それがまたドイツなんてやだな、という国を刺激するわけだ。
 どういう展開になるのか、EUズッコケという以外に私には予想はつかない。いずれ、当分はフランスからのお話はこうした背景で聞いたほうがいい。
 実際のイギリスの国民投票は2006年にずれこみそうだ。まだ、かなり、間がある。その間、当然アメリカ大統領選、イラクの動静なども影響するのだろう。

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年金問題はまた五年後に蒸し返し

 年金問題について書くだけ馬鹿馬鹿しい気がする。率直な話、国会議員がふざけているなら、どうでもいいやという感じだ。こんなことで国はどうするという思いもあるが、気が抜けてにへら笑いしそうだ。普通の国なら、暴動が起きるか、国会にコーラの瓶でも投げ込むのだろうとなと思う。自分にもその気力がない。活動はプロ市民にお任せだよね。
 もちろん、考え詰めていっても、ある意味「どうでもいい」とも言える。それは極東ブログで書いてきたとおりだ。目先に迫ったと言われる年金危機はフェイクの可能性が高い。差し障りがある表現だが、共済年金が実は隠れた本丸じゃないのかとも思う。また、もしかすると、現状の公明党路線で日本の景気が上向けば(=インフレになれば)、問題は自動的に解決するのかもしれない。しかし、理性的に考えれば、年金問題はまた五年後に蒸し返しになるだけなのだろう。
 と、つい「公明党」と口走る。今朝の新聞各紙社説を読みながら、あるもどかしさの中心は公明党なのではないかという印象を持つ。私の印象は間違っているのかもしれないが、産経新聞が最近とみに公明党に配慮しているようだ。社説「年金法案可決 これじゃ誰もソッポ向く」は威勢のいいタイトルの割に、内容は散漫。同様に、毎日新聞社説「採決強行と未納 年金不信はここに極まった」も数値を示すなど毎日らしいトーンではあるが、主張というには弱い。この気の抜け方は、公明党への配慮ではないのか。
 読売新聞社説「年金法案可決 党派超えた改革協議の場を作れ」も気の抜けた感じだが、これは自民党への配慮か。ただ、結語は奇妙なものだった。


 先進各国が年金改革のモデルと注目するスウェーデンは、党派を超えた論議の末、抜本改革を実現した。合意形成への政治手法を、日本も学びたい。

 執筆者の精一杯の読売上層部への抵抗なのかもしれない。というのは、スウェーデンのように、党派を超えた論議をするには、専門家を入れるしかなく、専門家を入れれば、スウェーデンのように当たり前の結論しか出てこない。つまり、一元化だ。
 朝日新聞社説「年金大揺れ――これは一体何なんだ」は、他紙より公明党への怒りを含んでいる印象を持った。それでも、朝日は民主党案への支援の意志は弱い。そう、この態度は、社民党と共産党のそれと同じということなのだ。
 私は考えすぎかもしれないが、当面の問題は年金に見えながら、起きている事態は、新聞なりという公論の崩壊なのではないか。そしてその公論的な言説は、庶民の感覚からはすでに離れている。新聞の社説なんてそんなものだよというのはわかるが、そういうふうに総括したいわけではない。
 新聞がダメならダメでいい。しかし、国民は公論というか、整合できる意見をどうまとめていったらいいのだろうか。
 私の話も散漫になった。やけくそ的な気分は晴れない。
 私は、年金問題について、国会議員らよりもう少し国家というものを信頼していたと思う。私はどういう状況であれ年金のための金をきちんと払ってきた。払うのは大人の甲斐性だよとも言った。しかし、立法府は腐っていたのだ。甲斐性も糞もない。福田、谷垣、竹中、茂木、管、中川、麻生、石破…その面を見るだけでむかつく。台湾から専用の腐った卵を密輸してそのツラにぶつけてやりたいと思う。そうされるに値するだけ、こいつらは国民を愚弄してきたのだから。

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2004.04.28

大学非常勤講師は…

 朝日新聞社説「非常勤講師――こんな処遇ではいけない」が面白かった。大学の非常勤講師の実態の話だ。要するに、すごい低賃金なのだ。私も大学で非常勤講師をやったことがあるので、爆笑…もとい、苦笑した。
 実態を知らない人もいるかもしれないので、基本はこうだ。


 しかし、大学の先生は二つに分かれ、待遇に大きな格差がある。専任教員は月給が支払われ、個別の研究室と研究費が与えられる。一方で、非常勤の教員は講義に応じて賃金が支払われるだけで、研究室も研究費もない。

 賃金はこうだ。

 首都圏や関西の非常勤講師組合の調査によると、1コマ、90分の講義を受け持って、平均賃金は年30回で計約30万円。年齢は平均で42歳だ。講義の準備や試験の採点にかかる時間を考えれば、学生の家庭教師並みの時給である。
 専任教員並みに5コマの講義を担当しても、年収は150万円ほどにしかならない。講義のための本代や学会に出席する費用は自己負担だ。契約は1年ごとで、専任教員になれる保証もない。

 わっはっはとか笑ってしまいそうだが、これでもマシな部類かもしれない。時給6000円ならいいじゃんとかね。実際には、前後に1時間近くかかる。時給で割ると3000円くらいか。それでいいバイトじゃんとか思う? これに通勤費は含まれない。なにより問題なのは、大学によってはけっこう辺鄙なところにあるので、通勤時間が馬鹿にならない。1コマだけのために午前なり午後がつぶれるということになる。その影響のほうが大きい。つまり、その間は、生活費を稼ぐための仕事に充てられないのだ。とすると、ある程度稼ぐということで考えるとどうしても2コマ以上は入れることになる。
 と、すでに、実はボランティアだよ~んの雰囲気をただよわせているが、実感としてはそんなものだ。じゃ、なぜやるのか?というと、岸本葉子が、カルチャースクールの講師の話だが、「炊飯器とキーボード」に書いているように、断りにくいことがあったり、また、山本夏彦が、彼自身の経験ではないが、なにかのエッセイで、歳を取ると若い人に教えたいという欲望は抑えがたいと書いていたが、それもある。学生と飲むというのは楽しいこともある。
 大学講師は、ちょっとした肩書きにもなる。私の場合だと、図書館のフリーパスとかメリットだし、どうせ本でも読むなら静かなところがいいかというのもあった(専門書は自前で購入できないしな)。ま、いずれにせよ、金銭的には、わっはっはと笑ってしまうしかない。余談だが、学生たちに、「きみたちに教えているより、実仕事をしているほうが稼ぎの点ではいいんだよ」と言ったら、え?みたいな顔をしていた。
 繰り返すが、大学非常勤講師はボランティアだと思えばいいというのはある。私自身について言うと、失礼な言い方かもしれないが、大学生がつまんなくなったというのが、もうやりたくねーの最大の理由だ。私が歳を食ったからかもしれないが、もうちょっと言うと、ケースにもよるのだろうけど、講義が終わった後、「はーい、教室を出て」とか言って、ドアに鍵をかけるなんて指導込みっていうのも、どうよ?とかとも思った。
 問題はそうした賃金のことだけではない。

 文部科学省の調査によると、専業の非常勤講師は全国で延べ約6万7千人にのぼる。いくつかの大学を掛け持ちしている人が多いので実数は2万数千人と見られるが、こうしたパートタイム教員が科目の3~4割を担当しているのが日本の大学の現実である。

 ある意味、こっちのほうが問題なのだ。というと、講師の質が悪いからなと思うかもしれないし、そういうのもあるのだろう。私の立場の偏見もあるのかもしれないが、教えていることや背景知識の点で、講師は大学教師に劣るものでもない。というか、現場に近い人が多いので優れていることも多い。そういう点では問題はあまりないのだが、要は、この構図なくして大学が教育の場として運営されていないことだ。
 この問題について、朝日は次のような見通しを語っている。

 文科省は国立大学に対しても「4月の法人化後、非常勤講師はパートタイム労働法の適用を受けることになる」と通知した。法人化で教職員は公務員でなくなり、一般の労働法の適用を受ける。国立大学も専任教員の待遇とのバランスを考えなければならないというわけだ。各大学はこの通知を重んじてほしい。

 朝日は意図していないか、さらなる実態を知らないのかもしれないが、この話はさらに、わっはっはと笑ってしまいそうになる。って、笑ってどうするなんだが、笑う以外になんと言っていいのかよくわからない。極端な話をすれば、教員が今度は講師になり、講師がさらに下に落とされる。トランプの大貧民みたいな感じだ。
 私の認識は間違っているのかもしれないし、それなら幸いだ。私は、むしろ、こうしたひどいなという状況から、逆に大学を離れた場で教える・学ぶという意義が市民社会に広がる契機にもなるかと思う。
 カルチャースクールとかいうと、主婦の暇つぶしのようにも思われてきたが、先の岸本葉子でもないが、市場原理から優れた講師が教えるという場に増えてきている。語学や基礎の計算力といった勉強でなければ、優れた先生の謦咳に触れることは、人生の宝ともいえる経験になる。

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今日は沖縄デー

 読売新聞社説「主権回復の日 『戦後』はこの日から始まった」があまりに馬鹿なことを言っているので、書くのはやめようと思っていたが、少し書く。


 きょうは何の日か。こう問われて、すぐにピンと来る人はそう多くはないだろう。
 一九五二年四月二十八日に、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は、六年八か月にわたる占領統治から解放された。
 講和条約の第一条を読めば明らかなように、日本と連合国との戦争状態は、この日にようやく終了した。本当の意味での「終戦の日」、あるいは「主権回復の日」と位置付けることもできよう。

 今朝の朝日新聞に「『反日』とは何ですか」というくだらない社説があったが、読売新聞のこの社説こそ「反日」と言っていいだろう。日本という国のありかたに真っ向から反対しているのだから。
 きょうは何の日か、そう問われれば、すぐにピンと来る。沖縄デーだ。それ以外にあるのか。
 1952年4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は国土を分断された。沖縄は日本ではなくなったのだ。「占領統治から解放」されただの「主権回復」だのいう意見は沖縄を日本だとは思っていないのだ。
 講和条約を読めば明らかなように、日本と連合国との戦争状態は、この日から新たな問題の次元に突入し、戦争は終わったとはとうてい言えない歴史が始まった。
 日本国の主権を理解していない読売は、当然ながら領土も勘違いしている。

 サンフランシスコ講和条約は、日本の領土についても規定している。
 中国や台湾が尖閣諸島、韓国が竹島の領有権をそれぞれ主張しているが、講和条約を素直に読めば、日本が主権を放棄していないことは明らかである。

 この話は、最近では、極東ブログ「尖閣諸島、領土と施政権」(参照)、「領有権=財産権、施政権=信託」(参照)にも書いたので繰り返さない。
 読売のこうした主張は、日本国民として恥ずかしいと思う。

四月二十八日は、昭和史の大きな節目となる記念すべき日であるはずだった。だが、この日の意義は、日本の占領体験と同様に忘れ去られようとしている。

 そのとおりだ。でも、忘れているのは、読売新聞だ。
 しかし、当の沖縄でも、「沖縄デー」は風化してきている。だが、その日が残した米軍基地がある限り、風化しきることはできない。
 沖縄デーについては、「やがて「壁」は崩れる 4・28の運動に学ぼう」(参照)がよく書けているので参照して欲しい。

楽観も悲観もせず、ひたすら兵力削減と基地返還を求め続ける。4・28は、その愚直とも思える運動がやがて厚い壁を突き崩すことを教えている。

 それがこの日の意義だ。

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2004.04.27

郵政民営化問題が象徴するかもしれないこと

 今朝の新聞各紙社説は、昨日、郵政民営化の法案作成ための「郵政民営化準備室」が小泉内閣発足したことを受けて、郵政民営化をまたテーマとしていた。同じ話の蒸し返しめくが少し書いておきたい。
 朝日新聞の社説は無内容だった。産経は視点がややぼけている。が、少し触れておく。


 日本郵政公社の職員は郵貯・簡保業務だけで十万人、全体で二十八万人に上る。事業の縮小・効率化は大幅な人員削減を伴う。それをせずに民営化を進めれば、逆に経営が一気に行き詰まるのは必至だろう。

 それはそれほど大きな問題とは思えない。業態を変えていけばいいだけのことで、経営の行き詰まりを懸念している産経のそぶりは誰の利益を代表しているのだろうか。
 読売新聞社説「郵政民営化 改革の狙いが不鮮明な中間報告」はそう悪くない。はっきり言って、郵便事業など問題から外していい。

 郵政民営化は何のために行うのか――その目的を再確認しながら、今後、検討作業を進める必要がある。
 最大の狙いは、郵便貯金や簡易保険で国民から集めた約350兆円に上る資金を国の管理下に置く構造を改めることだ。巨額の資金は特殊法人に流れ、非効率な事業を支える要因となってきた。
 財政投融資の改革に伴って、その資金を財投に全額預託する義務がなくなったものの、国債や財投債を大量に引き受けており、同じ構図が続いている。
 その資金を民間に取り戻すことで、民間経済の活性化につながる。財政や財投の改革を一層促進することになる。

 問題はまさに、この第二の国家予算ともいえる資金が国債や財投債に流れる構図をどう見るかだ。読売のように、その資金を民間に戻せばいいと単純に言えることなのかが、率直なところよくわからない。陰謀論めきたいわけではないが、この件について、米国からの圧力がいつのまにか消えているように思えることもよくわからない。私は頓珍漢なことを言っているのかもしれないが、日本国民の財産について、まるで国際化なりグローバル化なりが進んでいるとはとうてい思えない。米国銀行がもっと日本に入って、日本人も米国金利で貯蓄などができればいいと思うのだが、なぜできないのだろう。米国側の理由で阻まれているような気がする。
 日経は読売と同じ内容をもう少し正確に説明している。

 国営金融事業の規模は郵貯と簡保の合計で約360兆円、民間の預金と保険の約6割に当たる。国債発行残高の約23%の約126兆円を保有する郵政公社は最大の国債投資家だ。「財投改革」で郵貯・簡保から財投機関への自動的な資金の流れは断ったが、政府が財投機関に貸し出す資金を国債の一種の財投債の発行で調達し、郵貯や簡保が引き受ければ実態はそう変わらない。
 この仕組みを温存すれば、政府の借金の膨張に歯止めがかからず、財政危機が拡大し、金利上昇などを通じ経済全体をむしばむ危険が増す。「金融の衣を着た財政」の仕組みを改め、持続可能なものにしなければならない。郵政改革は日本を危機から救う改革という意味を持つ。

 日経の説明は確かに具体的ではあるのだが、その結論が「日本を危機から救う改革」とするあたりが、どうもきな臭い。
 以下、少し陰謀論めいた話に聞こえると思うが、この件で、「ウォルフレン教授のやさしい日本経済」の指摘が気になっている。ウォルフレンは小泉にインタビューした後、彼が実際に彼自身の主張を理解していないのではないかという疑問を持った。

 彼が初めて郵貯民営化を主張したとき、このアイデアはどこから出てきたのか、と私は考えました。おそらく当局の担当者が長期的に考えていくうちに、思いついたものでしょう。担当者自身、自分たちでしてしまった間違った投資を隠すために使おうと考えていたのが、将来ひょっとすると、政府の資金源である財政投融資(郵貯はその主要部分です)が底をつくかもしれない。そこで、二〇〇三年に郵政事業を公社にしようと計画したのではないでしょうか。
 そして郵政を公社化した後で、旧・国鉄のような形で民営化を進めようとしているのかもしれません。旧・国鉄は世界最大の赤字垂れ流し企業でしたが、それを「民営化」することによって、株式を売り、新しい資金創造ができました。NTTが民営化されたとき、その株式総額は、ドイツ一国の株式市場全株式総額を超えるとも言われたものです。これだけ円を経済に投入する方法があったのかと驚かされました。
 それは新しい形での「創造的な」帳簿つけでした。日本の当局は、歴史上最大の創造的な帳簿つけ名人なのです。

 おそらくウォルフレンの言っていることは、日本の言論の世界では、陰謀論なり素人の見解としてせせら笑うという反応が返ってくるのではないだろうか。私自身、国鉄や電電公社についてはウォルフレンの読みでいいのではないかと思うが、郵貯についてはその線でうまく読み取れない面がある。
 問題をクリアにするには、「政府の資金源である財政投融資が底をつくかもしれない」というリスクがきちんと計量化される必要がある。だが、それはかなり不可能だろう。というのも、年金問題にしても、庶民からは民主党はなにをごねているのだ、みたく現状では見えるからだ。官僚が年金計画の算定のための資料を提示してこない。まして、郵貯については不可能に近い。また、道路公団問題でもよくわからないグレーなものになってしまったことを思えばが、郵貯ではさらにひどいことになるだろう。
 話が皮肉になるのだが、ウォルフレンが嫌悪するような解決の仕方が、結局日本社会にそれほど悪いものでもないのかもしれないという思いもある。国鉄の赤字問題も、気にしないで済むようになってしまった(もちろん、これは皮肉だ)。
 結局のところ、なんだかんだと、日本国は民営化をよそに国家側が肥大化し、隠された重税化になって「解決」するかもしれない。その方向はまさに奇妙なナショナリズムだ。
 縮退していく日本が流民を含めてグローバル化することが避けられなければ、どこかで大きなクラッシュになる。若い知性が「降りる自由」とか議論しているようだが、そうした事態への皮肉な予感なのかもしれない。つまり、「降りる自由」はこの奇妙なナショナリズムにしなやかに荷担していくのだろう。

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2004.04.26

G7と「地政学リスク」

 G7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)が日本時間25日未明に、共同声明を採択して閉幕した。というわけで、各紙の社説が扱っていた。今回のG7は私もそれほどワッチしていたわけでもないし、経済の素養が足りないこともあるのだろうが、よくわからない。
 それでも、朝日新聞社説「G7――リスクは下がったのか」は、なんかめちゃくちゃな印象をうけた。これって迷走?と思うので、話の枕代わりに、少し引用したい。


 とはいえ、状況は本当に改善したのだろうか。イラク情勢の悪化は、石油価格の高止まりを招いただけでなく、軍事費の増加による米国の「双子の赤字」の悪化やそれに伴う金利の上昇、テロ拡散による途上国投資の減退など、さまざまな経済リスクをむしろ高めている。

 石油価格高騰はイラク情勢に無前提に結びつけていいのか? 現状では、一義的には石油輸出国機構の問題ではないのか。双子の赤字は軍事費の増加が原因か? 単に米国の財政政策の結果では。また、金利の上昇はまだでしょ? テロ拡散による途上国投資の減退って目に見えているほどなのか? …と、どう読んだらいいのかわからない話がコンデンスしている。ついでだが、読売の社説には特に内容はなかった。毎日は中国を問題視しているのだが、文脈が違うように思えた。
 話をG7自体に戻すと、日経社説「G7政策協調の出番はこれからだ」がよくまとまっている。が、主張のようなものはない。

ワシントンで開いた7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議の共同声明は、世界経済の回復傾向を確認し、為替政策も前回(2月)の声明を踏襲した。米経済は力強さを増し、日本も景気回復軌道に乗り、欧州に停滞感は残るものの、世界経済の不安が和らいだのは事実だ。

 次の判断も妥当だろう。

今回の声明では、各国の個別の政策への踏み込んだ言及はなかった。世界経済のリスクが減っているとの認識から、特定の国や地域に強く政策発動を促す状況にはないという判断であろう。同時に世界経済が最悪期を脱する中で、各国の政策も今後は景気一辺倒ではなくなってくる可能性がある。

 というわけで、G7は今回は形式的な儀式ということでとりあえず理解してもよさそうだが、気になるのは、「地政学リスク」についてだ。日経系「G7会議が開幕――『地政学リスク』を懸念・原油高騰に警戒感」(参照)をひく。

世界経済は順調に回復しているものの、イラク情勢の悪化といった「地政学リスク」を警戒すべきだとの認識で一致。原油価格の高騰などが世界経済に与える影響を注視する姿勢を示す。

 トートロジーのようだが、地政学リスクとは、イラク情勢の混迷に伴う市場の混乱ということだろう。基本事項を確認しようとぐぐってみると、すぐに的確な解説が出てきた。「地政学リスク」(参照)より。

地域紛争がぼっ発する可能性が高まるなど、特定地域が抱える政治的・軍事的な緊張の高まりが世界経済全体の先行きを不透明にすることです。英語で「geopolitical risk」といいます。最近では米国によるイラクに対する武力行使の可能性が増してくるなかで使われたため、中東情勢の緊迫化を指すことが多くなっています。米連邦準備理事会(FRB)が2002年9月に出した声明文で触れてから、多く用いられるようになってきています。

 ということでFRBが2002年から言い出した言葉のようだ。
 差し迫った地政学リスクとして、具体的には、昨日のバスラ沖海上施設を狙った自爆攻撃が気になる。共同系「海上施設狙い自爆攻撃 開戦後、初の海上テロ」(参照)より。

【バグダッド25日共同】米海軍によると、イラク南部バスラ沖で24日夕(日本時間同日夜)、2つの石油輸出ターミナルにボート計3隻が近づき、爆発した。米軍の艦船などが接近を阻止したが、爆発で米兵2人が死亡、4人が負傷した。
 新生イラクの主要な外貨収入源である石油の積み出し施設を狙った同時自爆テロとみられる。イラク戦争開戦後、海上での自爆テロは初めて。ロイター通信などによると、輸出ターミナルや付近に停泊中のタンカーに被害はなかった。

 記事にもあるが、イラクでは1日約190万バレルの石油を現在でも輸出していて、その大半がこのバスラ沖の施設に集中している。こういう言い方はよくないのだが、イラクでのテロ活動がアルカイダなどの「本気」組が組織的に関わるなら、ここやイラク内の石油パイプラインを狙ってくるわけで、当然米軍もここを死守している。
 今回の事件は死者は少なく小さい規模の事件のようだがけっこうな被害だとも言える。共同系「海上テロの損害30億円 石油相、操業再開遅れも」(参照)より。

イラク暫定内閣のウルーム石油相は25日、同国南部バスラの石油輸出ターミナルを狙ったボート3隻による自爆テロの影響で約100万バレル分の輸出ができなくなり、2800万ドル(約30億5000万円)の損害が出たことを明らかにした。

 イラク戦争を米軍の石油利権のための戦争だというのは笑い飛ばしてもいいのだが(「世界を動かす石油戦略」参照)、この「地政学リスク」は世界経済に深刻な打撃を与える可能性はあり、その危険な兆候として今回の事件を見てもいいのかもしれない。
 私の誤解かもしれないが、米国のエネルギー事情は中東の石油にそれほど依存していない。米軍が死守しているものは、世界経済そのものでもあるのだろう。と、書くと、イデオロギー的な批判を受けるのかもしれないが、まだ世界第二位の経済大国であり世界経済システムの恩恵の上になりたつ日本は、言い方は悪いが、イラク復興より、世界システム安定のための「地政学リスク」を減らすために貢献しなければならないはずだ。というか、それが結局、現自民党政権の本音でもあるのだろう。

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2004.04.25

北朝鮮・竜川駅構内大爆発

 北朝鮮の中国国境に近い竜川駅で起きた大爆発について、朝日新聞と産経新聞の社説が仲良く扱っていた。が、まいどの構図とは少し違う印象を受けた。朝日社説「列車大爆発――北朝鮮は本気で門開け」は、何かを知っているという印象を受けた。というのは、記事の書き方が社説というよりベタ記事の文体に近いわりに、奇妙な陰影がある。


 爆発は、訪中を終えた金正日総書記が乗った特別列車が現場を通過してから約9時間後に起きた。一時はテロではないかという憶測も飛び交ったが、米韓両政府ともに否定的だ。
 北朝鮮は、肥料や爆薬の原料となる硝酸アンモニウムを積んだ貨車の入れ替え作業中に「不注意から電線に接触した」と説明している。

 北朝鮮に思い入れの強い朝日新聞なので、いつもなら、日本国民の気分を察しつつ北朝鮮の宣撫班よろしくの誘導話を書くのだが、今回の文章は弱い。金正日を狙っているので「テロ」という表現は拙いのだが、暗殺事件であることを強く打ち消してはいない。
 爆破原因についての説明も朝日らしくなく、投げやりな印象を受ける。朝日はなにかを知っているのではないかという印象を私は持つ。「それって考え過ぎ」というウンコが飛んできそうなので、もうちょっと補足する。朝日はこう続ける。

 北朝鮮の鉄道は、日本の植民地時代に敷かれた路線がもとになっており、老朽化が激しい。過去にも公表されていない大事故が数多く起きたようだ。

 そんなの当たり前じゃんと、さらっと読み過ごしそうだが、この文章の味わいは、「事故」ではなく「大事故」だ。「大事故が数多く起きた」という表現はさらっと読むべきでない。それって何よ?と問われてもおかしくない。ここで隣国日本人の一人として思うのだが、そういう大事故はニュースとして、これまで知らされてきただろうか。北朝鮮は秘密主義だからというのは当然ある。
 朝日は何を知っているのだろうか。朝日の過去を詳しく洗ったわけではないが、きちんと報道してきたのだろうか。
 と、しつこく書くのは、気になる事件が以前あったことを思い出すからだ。ベタ記事扱いだが、読売新聞「北朝鮮の弾薬列車爆発説 在韓米軍も発生を確認」(1988.2.4)ではこう書かれている。

駐韓米軍のルイス・メネトリー司令官は三日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で昨年十二月、軍用列車の爆発事故が発生したことを確認した。

 だが、このニュースは北朝鮮側では否定している。他にもちょっと気になるニュースもあった。同じく読売新聞「中国籍密航容疑者の難民認定を アムネスティが福岡入管に要望提出」(1998.6.16)ではこうある。

同グループなどによると、金容疑者は北朝鮮の鉄道警察官だったが、列車事故の責任で身の危険を感じ、一九八八年に中国へ密入国。同国の身分証明書を不正取得した

 この列車事故について、このニュースからは事故規模はわからない。だが、朝鮮日報に"1997 Train Disaster Claims Death Toll of 2,400 People"(参照)に対応しているのではないだろうか? その対応は憶測だとしても、この朝鮮日報のニュースはいったいなんなのだと思う。2400人が死んでいたのか。ちょっとシュールな感覚になってくる。
 北朝鮮ワッチャーには当たり前のことかもしれないが、朝日もこうした情報をプールしているのではないだろうか。この社説からはそんな臭いがしてくる。
 暗殺説に戻る。朝日も暗に暗殺説を否定していない。というのは、金正日がここを通過したのは9時間前だからということで十分には否定できないようだ。朝鮮日報「【龍川爆発事故】政府はテロ否定 丹東は暗殺説拡大」(参照)では次のように暗殺説に簡単に触れている。

 それにも関わらず、当面「金正日暗殺企図説」は簡単に収まりそうもない。今回の事件が前例のない大型事故である上、金総書記の特別列車が4~5日の間に2度も通った場所で過失により列車が衝突したという事実のためだ。
 特別列車が過ぎる場合、一般住民は全員疎開させられ保衛部員などが近所に密集配置されるため機関士などの不注意で事故が発生する状況にはないというのが脱北者たちの話だ。

 この暗殺説で重要なのは、この後段の部分だ。京郷新聞だが、この点について、金正日の歓迎団体が定刻を知らずに集結されていたというニュースもある(参照)。
 この事件が難しいのは、暗殺説が真相だった場合、事件の意味合いが、がらっと変わるように思えることだ。
 もちろん、暗殺説が真相であろうがあるまいが、救助は必要だとは言える。産経新聞社説「北朝鮮列車爆発 まず秘密主義と独善排せ」もこの点を指摘している。

とはいえ、北朝鮮が国際社会に救援を求めてきたことは注目してよい。現場の鉄道が中朝間の物資輸送の大動脈で、その復旧の遅れは北朝鮮体制の命運にかかわるという事情からかもしれないが、北朝鮮が国際社会と正常に交わることの重要性を見直すきっかけになれば、悲劇も無駄にはならない。北にとって、政治的にも経済的にも重要な意味を持つものとなろう。

 この点は、BBCニュース"N Koreans informed in radio broadcast"(参照)も朝鮮日報をひいて指摘している。

 Choson Ilbo reported that, as the story broke, security-related departments in the South were put on high alert to analyse incoming reports and assess their significance.
 The paper speculated about the impact the blast might have on the North's fragile economy.
 "It is not an overstatement to say that the North Korean economy is sustained by the narrow lifeline passing through Ryongchon. If this lifeline has been damaged by the explosion incident, what adverse effects it will have on the North Korean economy is anyone's guess," it wrote.

 この路線が北朝鮮のライフラインだとはいえるのだろう。ただ、それは政府側のライフラインだという意味かもしれない。
 いずれにせよ、事態は別の事態を引き起こすだろうとは思う。

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