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2004.04.17

韓国総選挙、ウリ党過半数への不安

 15日に実施された韓国総選挙で盧武鉉大統領の与党ウリ党が、以前の第3党から過半数を占める第1党に躍進した。予想された事態ではあったが、もう少しハンナラ党が伸びるかなと期待していた。
 選挙の率直な印象は「やべーなぁ」であるが、そういう本音を漏らすと「なぜ」とか突っ込まれそうになる。「やべーなぁ^2」である。簡単に説明できる問題ではないよ。極東ブログのスタンスでいうと、なにもやばいことなんかない、とも言える。板門店共同警備区域を警戒していた100人ほどの米軍がこの10月に完全撤退し、韓国軍に完全委託になるのだが、これも、別にやばいことなんかない。と、言ったものの、私は47歳だが、50歳より上の世代の日本人は内心やばいよなと思っているのではないか。読売新聞は露骨に北朝鮮関連で心配を表現している。朝日新聞ですら内心懸念を感じているようだ(「韓国総選挙――変化の風はやまない」)。


 ウリ党は、従来の政治家たちにはできなかった改革を速めようとするだろう。しかし、数の力にものを言わせて強引な進め方をすれば、野党との対立をあおるだけに終わる恐れもある。ここはおごってはならない。
 日本にも課題ができた。金鍾泌(キムジョンピル)氏の落選が物語るように、これまで日本との間をつないできた世代が舞台から消えた。若い議員同士の交流をどう築くか。

 今回のウリ党勝利は端的に若い世代の勝利といっていいのだから、日本の朝日新聞は韓国の若者に「ここはおごってはならない」とお説教をたれるのである。ありがたいだろ。
 よその国の内政を諭す気にはならないが、そういう気持ちもわからないではない。昨年11月26日朝鮮日報社説「国がここまで上手くいかないなんて…」(参照)がある意味具体的でわかりやすい。なお、この記事で野党となっているのが今回与党になるのである。

 最近の大韓民国は本当に「めちゃくちゃ」としか言いようがない。▲在韓米軍問題 ▲イラク派兵 ▲労使間葛藤 ▲自由貿易協定(FTA)と農民問題 ▲セマングム ▲京釜(キョンブ)高速鉄道の金井(クムジョン)山区間 ▲北漢(プクハン)山トンネル ▲行政首都移転問題 ▲スクリーン・クォータ制度 ▲扶安(プアン)問題 ▲大学入試の公信力をめぐる危機、など問題は山積している。
 こうした問題の中にあって、何一つまともに解決されたものがない。ここに、大統領による特別検事制法案の拒否で、与野党の対立問題がまた1つ加わった形だ。
 本当にもどかしいのはこれら問題のうち、そのほとんどは政府の不手際によるものだという事実だ。

 別の見方をすれば、大統領側のウリ党が与党になることで「政府の不手際」が解消されれば問題はスムーズに行く、とも言える。さーて、そう思いますかね?という以上、私はつぶやくべきでもあるまい。
 韓国がどうしてこういう政治に転換してきいるのかについて、私は、ちょっと単純過ぎるようだが人口動態が最大の原因ではないかと考えている。このあたりの基本である386世代については毎日新聞社説「韓国総選挙 政治の混乱収拾が急がれる」がわかりやすい。

 候補者も支持者も「90年代に30代になり、80年代に大学に通い、60年代に生まれた」いわゆる386世代と呼ばれる40歳代の青壮年層が中核だ。高度成長下に育ち、革新志向が強い。それが時に反米的民族主義感情を高め、米国の対極にある北朝鮮への親近感となっているといわれる。大統領選で盧氏を当選させた原動力は、米軍装甲車による女子中学生ひき殺し事件に抗議する反米デモだった。

 これを人口ピラミッドで確認すると面白い。少し古いのだが、ネットにあった。「人口で見る韓国/ソウル 」(参照)である。グラフの画像の拡大はこちらにある(参照)。
 すぐ見てわかるように、20歳から40歳までの層が厚い。選挙時このグラフを睨んでいる私に、「何を見ているのか」と問う者がいたので、「ある国の人口ピラミッドなんだけどどう思う?」と訊いてみた。「高齢者が長生きできないみたい」と答えた。ぎゃふん。
 グラフを見てわかるように、現在の40歳代までは途上国的な発展をしていたのだろう。日本と10年ずれのシフトという感じではないか。そして、発展の雰囲気が20年間続いたのだろう。いずれにせよ、この20歳から40歳までの層の厚みが今回の政変の基礎になっているのだろ。とすれば、10年から15年後にはまた大きな変化が来るだろう。
 人口分布についてもこの記事に面白いコメントがあった。

ソウル市の人口は989万5000人で、全国の人口の21.4%。そして仁川広域市と京畿道を含む首都圏の人口は2135万4000人。なんと全国の人口の46.3%、つまり韓国の人口の約半分が首都圏に住んでることになるんですね(@_@)。すごい集中ぶりにびっくり!

 とびっくりされているが、日本でも都市部に1/4は集中しているのではないか。だが、韓国ほどの都市化ではないだろう。当然ながら、これを背景に韓国では住宅事情の問題もあるようだ。
 と、オチはない。なにが「やべー」だよだな。そうそう。これは歴史の感覚とも言えるものなので、うまく説明はできないのだ。

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2004.04.16

鷺沢萠、松田新平

 高校生のころだったか私も自殺しようと思っていたことがある。そのあたりの記憶はぼんやりとしてる。なにかを無意識に抑圧してしまったためだろう。なにが自殺を押しとどめたのかということでは、ぼんやりと歎異抄の「念仏申さんと思ひ立つ心の起る時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり」が思い浮かぶ。
 当時の私は亀井勝一郎や三木清、梅原猛などの影響もあり、親鸞に傾倒していた。それが自分を救いうるのだろうかという若い思いでもあった。
 歎異抄は、唯円の聞き書きとして、この文言の前に「弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて」とある。信仰が先行するのである。が、私はその時の体験から、これは逆だと思った。つまり、念仏申さんと思ひ立つ心の起るその時に、弥陀の救済が働き、そして、誓願不思議と往生の確信となる、という順なのだろう、と。
 そう考えることで、親鸞の信仰と唯円との落差が見えたように思った。親鸞は、変な言い方だが、「念仏申さんと思ひ立つ心」をある種、絶望の極北と見ていたのではないか。他力とは、ある意味、絶望の極北ではないか。そこにあるとき、人を貫いて念仏申さんと思ひ立つ心の起ること自体が、弥陀の誓願不思議の顕現ではないのか。もちろん、真宗学の人は否定するだろう。私はその後、その何かをキリスト教の中に見ていこうとしたが、その話はどうでもいい。
 その後自殺を思うことがなくなったが、死んだほうがましということは、今思うと二度あった。一つは青春を打ち砕いた。と、言うも恥ずかしいが、私のような無名な人間のそういう生き様はごく普通の人の生き様でもある。過ぎ去れば、どういう話でもない。もう一つは、正確には死んだほうがましというものではなく、単に生きる苦悩だった。大げさな言い方ついでに言えば、乾巧がウルフオルフェノクに変身したように絶叫した。人生には存在の底から絶叫することがあるものだ。が、それも、沈静して考えれば、わりと普通のことでもある。
 自殺や懊悩というのは普通の人生の一部だと思う。というか、私はそうして生きることにした。ふん、俺は生きるのか、という感じだ。
 こんな光景も思い出す。人っ子一人いないある西洋の断崖に立ったことがある。柵もなく注意書きもなく、眼下に遠くただ美しく静かな海が広がっていた。怖くもあった。死ねるな、である。自殺の思いがふっとよぎった。小林秀雄が若いころ、断崖から見る海が美しかったら死のうとしていたことを思い出した。彼が自殺しなかったのはその日曇りだったからだろう。そういうこともある。
 慰撫的な前振りが長くなったが、鷺沢萠と松田新平の自殺ということを聞いて、さて自分は、とそんなことを思ったわけだ。
 鷺沢萠という作家の作品は読んだことはない。その内面はまったく知らない。が、気になったのは、たぶん、メディアでも取り上げることになってしまうのだろうと思うが、彼女が昨今言うところの「負け犬」の代表の一人であり、その生き様の一つとして、自殺ということを刻んだのだということだ。そんなのは勝手で不謹慎な解釈と非難されそうだが、言わずにも世の中はそう受け止めるだろう。現在発売の「野生時代」で、まさにそのテーマで酒井順子と対談していた。読んだ。この時点で読めばいろいろ思うこともあるのだが、それでも、端的に言えば、こうした残された文章から自殺へはつながらないのではないか。そして、それは、負け犬の生き方の一つの結末として自殺があるとしても、そこはそう簡単に文章でつなげるものでもないだろう。本質的につながらないかもしれない。ただ、酒井順子は、もし、物書きの魂というものがあるなら、何かを書かなくてはいけないだろうし、書くだろうなと期待する。
 ネットで鷺沢萠のことを軽く見回したら、「鷺沢萠連載エッセイ かわいい子には旅をさせるなvol.28 メシのモンダイ  その2」(参照)という面白い話がった。このシリーズのエッセイではこれが最後になるだろうか。


 韓国人も実に頻繁に「メシ食った?」のひと言を口にする。もっとも韓国人の口から出るそのひと言は、アメリカで私を驚かせた「ジュイッ?」と違って、純粋な意味での質問である。
 これは私見だが、韓国人は「ひとりで食事する」ことをあまり好まない。韓国人には「メシは複数人数で食うもの」という観念があるように思う。だからこそ頻繁に「メシ食った?」と訊ねるのであろう。つまり彼らはそのことばを介して、「一緒にメシを食う相手」を探しているのではないか、というのが私の個人的見解である。

 エッセイに無粋な重箱つつきをする意味はないが、この挨拶は中華圏では当たり前のものだ。私の父は、10代を朝鮮で過ごしたので、この話を私が子供の頃よくしてくれた。鷺沢萠の祖母は朝鮮系であるというが、家庭内ではそういう文化の伝承のようなものはかったのだろうか。ふと気が付いたのだが、私はそういう意味で、引き揚げ者の子供なわけだな。
 松田新平が誰かという詳しい話はしない。最近、松田新平が死んだという噂は飛んでいたことが気になっていた。先月から「みんな」心配していたのだ。「松田新平をかまってやれないほど忙しかったわけですが、最近毒電波も飛んでこないところを見るとイジケテいるのかもしれません。今頃うんこ我慢しながらインターネットしている彼に激励の言葉をどうぞ。」(参照)というわけだ。そうしたら、今日の山本一郎のブログに追悼が出ているじゃないか。「松田新平が死んだ件について」(参照)。現代における名文だな。本当に死んでしまったのだなという心の思いがこの文章にすーっと引き寄せられる。

しかしまあ、松田が死んだってことで、これで少し世の中が生きやすく、そしてつまらなくなったってことだ。あれだけ人を騒がせておいて、自分勝手に逝きやがって。

 山本は意図的ではないのだろうが、結果的に暗示するように、彼の死はこの現代の日本の一つの大きな象徴なのかもしれない。またしても、ここで時代がぐぃんとつまらんものに曲がってしまったか、あるいは、この世代をつまらない世界に押し込んだのか。ある意味、今というこの時は、その不思議な頂点でもあるのだろう。ああ、そうだ、僕らみんな松田新平が好きだったのだ。そういう「好き」という人間への感性が、今から変容していくのだ。
 松田新平は、はてなでこう問いかけたことがある(参照)。

わたしはだれでしょうか。nameforslashdotだのnameforhatenaだの1967.08.02生まれの男性だの住所だの学歴だの病歴だの人間だの動物だの生き物だの無機物の集合体だの三次元空間の存在だのわかりませんだの知っていますだの誰に聞けだのなにを読めだのはぜんぶだめです。

 私はこう答えた。

「ゲド」です。
漢字の「外道」ではありません。
参考:http://homepage1.nifty.com/ima-dame/matuda.htm

 彼の応答はこうだった。

なに、おれの本名は「ゲド」だというのですか?それでいいのですか?
それはそれとして、参考URLとしてあげられている、クリッカブルでないほうのURLがどうして参考になるのかわかりません。減点しようかな、、どうしましょうか?

 減点はされなかったが、貰ったのは2ポイントだった。通じなかったな、と思った。彼は、彼と私にある重要な共通の知人がいることに気が付かなかったようだ。が、私はそれでもいいやと思った。私は彼が面白い人だとは思うが、ある一定以上近寄るのはやめようと思った。
 私はそうして、少しずつ、本当に孤独になっていくのだろうなとは思う。それは、自分の死というものの一つの形だ。自殺しないという決意は、反面崩れていくような死の受容でもある。だが、それは本当は虚偽なのだろうとも思う。

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2004.04.15

米軍を擁護するわけではないが

 日本人人質3人がバグダッドで解放されたとの報道がアルジャジーラからあった。つまり、解放は確かなようだ。人命問題は解決して、私も日本人として安堵した。
 以下は、そう言いながら、アルジャジーラの報道姿勢を疑うような話である。
 イラク情勢関連の情報について、非常に微妙な問題ではあるのだろうが、この間気になったことを少し散漫にでも書いてみたい。
 日本版CNNのサイトのニュース「アルジャジーラは『うそつき』 米軍が非難」(参照)が挑発的なタイトルということもあって気になって読んだが、要領えない感じがした。こうした場合、原文を読んだほうが早いこともあるので探したのだが、わからない。対応していると思われる記事は"U.S. blasts Arabic-language TV networks"(参照)だろうが、記述の順序やディテールに随分に違いがある。報道バージョンの違いかもしれない。が、この差は気味の悪い印象も与える。
 いずれオリジナルはこの英文であろうと思われるので、それをひく。話は、アルジャジーラの報道には偏見があるとして、米軍や暫定占領当局がクレームを付けているというものだ。


BAGHDAD, Iraq (CNN) -- Citing reports by Arabic-language television networks they considered erroneous, U.S. military representatives urged Tuesday that reporting from some news organizations not be taken at face value.

 米軍はアルジャジーラの報道をまともには受け取れないとしている。非難も出したようだ。それがこの話だ。もちろん、非難にアルジャジーラは反発している。

"Al-Jazeera rejects these accusations and consider them a threat to the right and the mission of the media outlets to cover the reality of what is happening in Iraq during this tough and complicated field circumstances," the statement said. "This is an unjustified pressure against the freedom of the press."

 反発はたいしたものではないのだが、"the freedom of the press"に注目してもらいたい。この用語はこういうふうに使う。日本国憲法の「出版の自由」は半世紀前は紙媒体を指していたが、現状ではまるで違う。すでに誤訳と言ってもいいだろう。
 CNNのニュースからは、米軍はアルジャジーラを嘘つき呼ばわりしているとも読めるのだが、実際のニュースを読むと、私の印象では意外に米軍も暫定占領当局もアルジャジーラを全面的に否定しているわけではない。むしろ、彼ら側の情報と照らして、「行きすぎじゃないのか」とクレームを出していると見てもよさそうだ。例えばこういう感じだ。

 Coalition Provisional Authority spokesman Dan Senor called a report that U.S. forces have targeted women and children "poisonous."
 "It is part and parcel with the reporting that we have been seeing, or the misreporting that we've been seeing, on a number of the satellite channels like Al-Jazeera and Al-Arabiya," Senor told reporters.

 暫定占領当局(CPA)のセナー報道官は、女子供を殺めたことを否定しているわけではない。だが、問題の取り上げ方が部分的に過ぎるというわけだ。
 苦笑するむきも多いだろう。報道なんてそんなものだというのが常識だからだ。しかし、次のようなケースは米側の言い分がたぶん正しいだろう。

 Later Tuesday, Brig. Gen. Mark Kimmitt -- in an interview with Al-Jazeera anchor Jamal Azhar -- accused the Arabic-language television network of lying.
 Asked why U.S. tanks violated a cease-fire in Fallujah, Kimmitt challenged the premise of the question.
 "I don't think that the U.S. soldiers violated the cease-fire in Fallujah," he said.
 "We have been respecting a unilateral cease-fire. But you have to understand, if our troops are attacked, they have the right to defend themselves and respond."

 停戦中であれ、局所的な攻撃には防衛的に対応せざるをえない。もっとも、その防衛でよいのかという問題はあるだろう。
 たるい話が多くなったので切り上げたいのだが、つまり、このCNNの記事だけでいうのではないが、私はアルジャジーラからの情報はかなりバイアスが入っていると考えている。
 そんなの当たり前さという苦笑を誘いたいわけではない。むしろ、アルジャジーラの報道の基本的なバイアスに常に考慮しなければいけないということと、アルジャジーラが出所となる伝言ゲーム的な情報にも気をつけるべきだということだ。
 後者は重要だとこの間思うことが多い。日本人は、つい現地イラク人の直接の言葉をその原体験の報告のように捕らえがちだが、彼らの発言もアルジャジーラなどメディアの伝言ゲームである可能性はかなり高いだろう。イラク人と限らない。現地にいる日本人を含めたジャーナリストの発言にもその影が濃くなっているようだ。
 反面、米軍側の情報も同程度の信憑性ではあるものの、軍の原則を逸脱した情報は少ないはずだ。CNNの先のニュースでも、個々のディテールでは、米軍キミット准将の発言にはかなりのファクトが含まれているようだ。
 このことを少し応用したい。
 具体例として、田中宇の「米イラク統治の崩壊」(参照)を取り上げてみたい。「4人の米『民間人』殺害のなぞ」の前段では、ファルージャで米軍の強奪があったかのように、こう書かれている。

 だが、英ガーディアンによると、家宅捜索を受けた人々の多くはゲリラ攻撃とは関係ない一般市民で、捜索を受けた市民の証言によると、米軍兵士は捜索に入った多くの家庭から現金や宝石類などを持ち去った。こうした不当行為は、米軍に対する市民の反感を強める結果となった。

 参照しているのは"Driven by national pride"(参照)なので、読み比べるといいのだが、この強奪とも言える事態は、事実だとは言い切れない。イラク人の証言にすぎない。もちろん、田中宇もそのように書いているとも読めるだが、「こうした不当行為は、米軍に対する市民の反感を強める結果となった」のトーンは事実の認定に近い。これは、修辞というより、詐術に近い。
 また、ファルージャで焼殺された米民間人についての、次の話は陰謀論臭い。

 だが、彼らは実は食糧運搬などしておらず、しかも4人が攻撃され、遺体が引き回されて何時間も騒動が続いていた間、その近くに駐屯していた米軍部隊は全く動かなかった。殺された4人は、ひと目で米占領軍の関係者と分かる白い4輪駆動車に乗り、重武装していた。そのため、殺害事件を誘発するために、米軍がわざと4人を犠牲にしたのではないかという見方が、アメリカの大手マスコミの記事にも出ている。

 参照している大手マスコミはクリスチャン・サイエンスモニター"Seeing Iraq through the globalization lens"(参照)で、確かに、陰謀を臭わす部分はある。

The chaos here has to be at least partly deliberate." The main question on most people's minds is not if his assertion is true, but why?
 For example, many here see last week's carnage of Americans in Fallujah as suspicious. To send foreign contractors into Fallujah in late-model SUVs with armed escorts - down a traffic-clogged street on which they'd be literal sitting ducks - can be interpreted as a deliberate US instigation of violence to be used as a pretext for "punishment" by the US military.

 しかし、大手マスコミであるNewsweekやWashington Postの記事からは、ことの背景は、単にファルージャに軍の介入を控え、傭兵的な民間人を投入したことがあることがわかっている。この点は、極東ブログ「ファルージャの状況について」(参照)に記した。
 そこで、対比的にこの問題の、私の推測を書く。
 米軍人は軍規に従うように訓練され、逸脱は軍規で処罰される。が、民間人はその対象ではないため、この傭兵的な民間人は、ファルージャでかなり手荒なことをしていたのではないか。それが、イラク人からは米軍の行動に見える。私は米軍を擁護したいわけではない。むしろ、こうした暴発があるとすれば米軍側が保護すべきだっただろう。だが、米軍側としては、保全についてはイラク人組織に移管したような呑気さもあったのだろう。
 私がそう推測するのは、Newsweek記事でも米民間人の焼殺に際し、なぜ彼らファルージャにいたのか疑問としていることがある。殺害された米人には失礼な推測だが、この行為は彼らの強奪とも関連する勝手な行動の一環だったのではないか。そして、そこを報復で狙われた、と。
 このように、私の推測は田中宇の推測ほど奇抜ではないし、問題の根幹の認識はまったく異なる。私は、問題の根幹は、単なる統治ミスということになる。
 繰り返し、私は米軍を擁護したいわけではないが、と断るのだが、ファルージャの「虐殺」についても、傭兵的な米民間人の暴発ですべてが説明できるとは思わない。米軍も実際は、女子供の殺害を否定していない。
 だが、米軍は、それはゼロにはできないとして、正規の戦闘を行っていたということではないか。そして、当然のことだが、米軍という最高の軍事力に刃向かう武力勢力には、その10倍からの被害はでると推測して不思議でもないだろう。正規軍に兵器を持って向かってくるものは、民間人ではなく戦闘員と見なされる。スイスでは永世中立国と呼ばれた時代から、市民が防衛のために銃を取るなら、その時点で敵からは民間人とはみなされないという教育を国民に施している。
 オチではないが、最後にちょっと余談を書きたい。イラクの現状をベトナム戦争に比較する人たちがいる。だが、ベトナム戦争では1週間のうちに米軍は500人戦死したこともある。もちろん、その数倍ものベトナム人も殺された。ベトナム戦争を知るものなら、イラクの戦闘はクリーンすぎる印象すら持つだろう。

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2004.04.14

ミラーマンの秘密

 くだらない話を書こう。って、くだらなくはないかもしれないけど。早大大学院のU教授が女子高校生のスカートを手鏡で覗こうとして逮捕された話についてだ。
 私は、民放テレビはトリビアの泉とあたしンち、鉄人28号くらいしか見ていないので(今回の仮面ライダーは脱落した)、U教授のTVでの活躍は知らない。そんな有名人だったのか。エコノミストとしては、野村系で財政出動派だったと記憶している、というか、リチャード・クーを読めば、U教授のご説は要らないと思っていた。
 もちろん、43歳の著名人が女子高校生のスカートを覗くっていうのも、びっくりではあるが、マーシーの件もあるので、これは、一種のおビョーキなんだろうなと思う。この手のおビョーキは治らないか、治りづらいと思う。ので、できるだけ社会に害をかけないように、自分で対処すればいいのに、とも思うが、ダメなのだろう。そういう社会的な線を越えるところが、快感の源泉でもあるのだろう。「困ったやつだな、奥さんいないの、この人、43歳」って思うあたり、またしても、私に「保守」のラベルが飛んできそうだ。
 事件を聞いて、ただ、ちょっと変な感じはした。というのは、当初ニュースをざっと聞いたとき、「手鏡」というから、なんか、♀、みたいな形状の鏡をスカートの下に差し入れたのかと思った。が、さすがに、そんなわけないよね。それに、どうして逮捕されのか、もちょっと気になった。
 ニュースを読み直してみた(参照)。手鏡は♀形状ではないようだ。


調べによると、8日午後3時ごろ、JR品川駅の高輪口上りエスカレーターで、前にいた都立高校の女子生徒(15)のスカートの中を、持っていた名刺サイズの手鏡でのぞき見ようとした疑い。

 私の推測なのだが、状況は、たぶん、人一人分くらい上方にいる女子高校生のスカートなかを覗き見るべく、U教授は自分の鼻のあたりで名刺サイズの手鏡で見ていたのではないか。あたかも、コンタクトレンズでも直すかのように。
 ここで私はいくつか疑問が浮かぶ。まず、その角度なら首を上げれば覗けるんじゃないかということ。ただ、自分でも、その気はないのだが、エレベーターなどで、「上にいるあの女子高校生のスカートは下の人から覗けるんじゃないか」と思うことがある。だが、そのアングルから覗けたことはない、って書くと、私までお変態みたいだが、だらしないな、と思うだけで積極的に覗きたいわけじゃない。上を見たら、なんだよあれ、と思うだけだ。
 と、これは誰でも知っていると思うのだが、あの短い女子高校生のスカートの中は、ホットパンツのようなものを履いているのではないか。電車のなかであられもない恰好で寝ている女子高校生のスカートがあられもなくめくれているのをたまたま見たことがあるが、これって下着じゃないな、めくれてもどってことないパンツを履いているのか、と思った。こんなものを見ても面白いわけもないだろうにと思う。
 が、そこは、見識の高いU教授だから、今回の人選にはワケがあったのかもしれない。つまり、下着だったのを確信していたとか。
 関連して、どうして逮捕されたのだろうかも疑問だった。が、これは、わかった。
 彼は横浜駅内でミニスカートの女性を尾行するなど不審な行動をしていたらしい。そこで、神奈川県警鉄道警察隊が彼を尾行し、品川駅に構内のエレベーターで犯行に及んだところを現行犯逮捕したようだ。U教授は取り調べには素直だったという。過去にも同条例違反容疑で逮捕され、罰金刑になったこともあるらしい。
 つまり、警察官がずっと尾行していたわけだ。過去にも逮捕歴があるとのことで、目星を付けられていたのではないだろうか。
 なるほどなと思うのは、前回の逮捕では騒がれもしなかったという経験もあるのだろう。だから、取り調べの対応が素直というのは、ごめんで謝ってしまえ、ということだろうか。このあたりで、ちょっと考え込む。
 というのは、ふざけた話として書き出したネタだが、東京都迷惑防止条例違反で逮捕されるということと、それをニュースとして取り上げることは、ちょっと話が違う。もちろん、テレビの著名人のようなので、私人のプライバシーともならないだろうし、逮捕というのはプライバシーの問題でもあるまい。それでも、この条例違反でたまたま捕らえてみたらU教授だった、というより、著名人を捕まえて見せしめにするという印象が拭えない。
 案の定、日垣隆がたいした被害ものないのに報道するなということをメルマガに書いていた。それもそうだなと思う。もっとも、日垣はU教授が再犯あることには触れていない。初犯のお目こぼしがあったと考えると、そう弁護もできるものでもないだろうとは思う。最近はあまり外人の女性と話す機会ものないので以前のことになるが、彼女らは一様に日本の電車の痴漢の多さに呆れていた。信じられないと言うことも多かった。たぶん、今でもそうではないのか。
 ところで、東京都迷惑防止条例違反ってなんだろと、ぐぐってみると、自由法曹団「東京都迷惑防止条例「改正」案の廃案を求める声明」(参照)というのがトップに出てきた。ざっと読んでみるがよくわからない。都条例なのだから、U教授は品川駅で降りなければ良かったのかもしれない。冗談のようだが、東京都迷惑防止条例改正というのは、冗談ですまされるものでもなさそうだ。そういう点で、U教授のおかげで少し考えるべきことが増えた。
 余談だが、U教授のように手鏡で見ると、女性のお尻は、上から見たときとは逆の像になるはずである。そんな不自然な像が面白いものだろうか、と疑問に思っていたとき、身近にジーンズの女性がいたので、この次第を話して、了解してもらって、椅子に載ってもらい、彼女のファンデーションキットの鏡で見た。
 おやっ!である。これは、ちょっと新鮮な感じがするのではないか。やべー、というわけで、洒落にならない世界に陥る前に実験中止。いや、まずかった。みなさん、真似しないように。
 といいつつ、これは、あれだな。女性の尻が問題ではないな。子供のころ足の股から世界を覗くと、世界の光景が奇妙に見えたあの感じに似ているなとも思った。そういえば、そうして見た世界はいつも草原だった。そんな草原は川辺くらいしかなくなったし、いい大人がするものでもないので、しなくなっていた。

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自衛隊が汗を流すのではなく、現地の雇用を増やせ

 たらっとした雑文を書きたい。日本人人質関連したイラクの話題を追うのは、ちょっと疲れたなという感じがある。なぜそんなことに私が興味を持つのかといえば、この問題は案外戦後思想の急所になるかもしれないなという思いもあるからだ。疲労感からゲロっとしてしまうのだが、往時の吉本隆明ならこの状況になんと言うだろうか、と想像する。彼のことだから、「もともと日本に関係ない戦争なんだから、さっさと自衛隊を撤退しなさいよ」と言うかもしれないのだが…。
 こういう言い方は大げさで自分でも笑ってしまうのだが、戦後思想がここを境にこれから全面的な瓦解を始めるのかもしれないな、と思う。「そのとき、俺はどうする?」と自問してみる。もちろん、私なんかどうでもいい存在だし、解体され、小さな発言者としてすら雲散霧消するのもいいことかもしれない。あるいは、戦後思想なんて、すでに瓦解しているのを確認するだけのことかもしれない。ま、この話は個人的な思いに過ぎないな。
 今回の人質事件とリンケージした形での自衛隊撤退論には私は端から与しない。論外だよ、トンカツはヒレじゃなくてロースだよ、みたいな感じだ。って不真面目なジョークを飛ばしてどうするだが、テロリストの要求には一顧だにする気もない。が、日本が自衛隊をイラクから撤退させることはありうると考えてはいる。
 それはイラクを戦闘地域と認識するかということだ。よくわかんないのだが、イラクからの自衛隊の撤退の理由に、反米だの平和だのというのを持ち出す人は、私にはまるで理解できない。
 私は、自衛隊の派遣は「イラクが戦闘地域ではない」という内閣の判断に基づいている、と理解している。だから、問題は、その派遣先が戦闘地域なのか、ということだ。
 問題は細分化する。派遣先は「イラク」なのか、「イラクの一部」なのか、ということになる。イラクということなら、これは常識的に見て、戦闘地域と言っていいだろう。
 だが、マスメディアや識者と呼ばれる人たちでも、イラク全土が戦闘地域と見ていることがあるようだ。
 私はそれは違うと思う。私は、戦闘地域は、ローカライズ(局所化)されていると見る。戦闘地域がローカライズされている国と、国全体を戦闘地域することは別だと、私は思うのだ。なにも、小泉に擦り寄りたいとはまるで思わない。ごくあたりまえの原則から考えているだけだ。
 この間の自衛隊の駐屯地への攻撃と見なせるものも、規模が小さく散発的なものだった。ので、これは戦闘とは呼べないだろう。だから、現状の日本の行政の枠組みでは、自衛隊の撤退はないだろう。
 非戦闘地域という認定のまま自衛隊を撤退させるなら、イラク特措法(参照および「イラク特措法に基づく対応措置に関する基本計画」)の改定に取り組まなくてはならない。あたりまえのつまんないこと書いているようで恐縮なのだが、自衛隊を撤退させたいなら、この法を改定するのが筋なのではないか。「自衛隊を撤退せよ」という主張の行動は私には無法者に見える。
 私はイラク特措法を改定してもいいと思う。というか、改定したほうがいいとすら思う。具体的に法律的な言葉で説明することはできないので、簡単に書くのだが、私は、「復興支援の実動が自衛隊である必要はないどころか、好ましくない」と思うからだ。むしろ、自衛隊はイラク在の日本人の安全保護に徹し、復興はできるだけイラク人に任せるようにしたらいい。つまり、復興を足がかりにイラク人の雇用を発生させるように行うべきではないか、と思うからだ。これもあたりまえのことだと思うが、現行法では難しいのではないか。
 よく自衛隊が汗を流しているというが、イラクの人に汗を流してもらうようにしたほうがいい、と私は思う。雇用があれば、労働の関係が成立し、そこから社会秩序も自動的に正常化せざるをえなくなる。それが結果としての、平和ということではないか。
 非難で言うのではないが、例えば、高遠菜穂子さんが単身バグダッドでティーンエージの孤児らの世話を中心に活動することを日本では尊ぶ雰囲気があるが、この年頃の孤児に必要なのは、職を与えることだ。もちろん、それ以前の状態を救う必要があるのだという反論もわかる。だが、それなら、なぜイラクなのだ?
 私の勘違いかもしれないが、イラクの復興とはNGOがこぞって出かけてボランティアをすることではなく(NGOイコール、ボランティアではないのは知っているが)、雇用をまず先行させ、産業を興し、外資を導入できる体制を作ることではないか。現実に、途上国の発展とはそのようになされるものだし、復興もまたその道筋を辿ることは間違いない。
 と書きながら、それが「資本主義」に見えるが故に、左翼的な思想が違和感を持っているのだろうなとも思う。

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2004.04.13

イラク人質事件の政治面は日本政府の勝ち

 私は昨日の夕方あたりから、この事件の真相は狂言ではないかという心証を強くした。ええいとそちらのほうに思いの軸足を寄せてみると、各種の疑問が解きやすいという感じがした。そして、なにより、ニュース報道の見方ががらっと変わることに驚いた。小泉、福田、川口の腹が透けて見える感じもした。さて、自分の心証がそうなら、どれだけ批判を喰らっても、正直これを極東ブログに書くかというところで逡巡した。一晩考えてみるかなと。そして、一晩経ち、「人質事件は狂言だよ」というのは、ぜんぜん主張にはならんなと思った。というか、そう言うことの無責任さを思った。
 だから、この事件は狂言だと主張したいわけではない。が、ブログなんだし、心証としてなら、語ってもいいだろう。この事件の私の心証は狂言だという点は変わらない。そう書きながら、矛盾するようだが、くどいが狂言だよと主張したいわけではない。なぜなら、狂言だとする決定的な理由はないこと、それを将来にであれ証明することも難しいこと、そしてなにより、狂言だとしても依然人命の危険性の点では変わらないことだ。
 ただ、言った手前、ちょっと補足する。最初から狂言だったかとまで思ってはいないのだが、この点で私の最大の疑問は映像がCDだったことだ。私はCDに映像を焼き込む技術にそう詳しくない、わけではない、と笑いを取ってどうするだが、いずれDVには圧縮をかけなくてはいけないし、パソコンの環境も問われる。まず端的にMacintoshかWindowsか。Macintoshなら、あの状況ではiBookか。おいiBookってジャーナリストの御用達だぞ。映像のほうはナイトショットじゃねーのか、と、それだけで犯人側のかなりの情報になるのだが、そうした情報はマニア側の推測ではあるものの、なぜか公的には情報がないのが変だなと思う。CD媒体からですら足がつくはずだし。
 狂言かなという心証は、気取るわけではないが、2ch的な考察ではない(もっとも、2chというのはそうバカにしたものでもないぞと今回は認識を変えたが)。昨日のファルージャの記事を書きながら、これは人間の盾ではないかと思ったことだ。モデレートに見ても、現状の人質はファルージャで人間の盾にされているな、と思ったとき、あっと思った。日本人は、willinglyに人間の盾になりたいものなのだ。と、willinglyって英語まぜるなだよだが、私が思ったタームはそれだ。訳すと「喜んで」か。ちょっとニュアンスが違うが。
 以上で、狂言かなの心証の話は区切りをつける。
 現状を冷ややかに見ると、彼らが主体的(willingly)に人間の盾となっているかはわからない。だが、現状の推測としては、ファルージャの状況からは、人質の意志がどうであれ人間の盾と見ることは最も妥当だとは思う。すると、彼らの意志であれ、強制であれ、人命の危機という点では変わらない。私は、「プロ市民は氏んでください」とはまるで思わない。依然、彼らの人命救助は大きな課題だと思う。そして、それは、どうやら現状の政府側の裏の認識と同じなのではないか。
 事態を政治的に見ると、自分としては、奇妙なことに気が付く。端的に言うとまるで陰謀論めくが陰謀論ではなく、単に政治的に見るということなのだが、日本政府は体よく「自衛隊撤退論」をつぶしてしまったということだ。
 これは、テロ事件の原則を守ったが故というより、テログループから届いたとされる二報で、人質解放が先行したため、人質と天秤にされる自衛隊撤退要求が事実上雲散霧消したこともある。狂言説を取るならこの声明は最大の失敗でもあろうが、狂言説はもういい。いずれにせよ、この二報をこれ幸いと政府側はメディアで大々的にばらまいため、日本国民の大半の脳裡からは当面の自衛隊撤退問題が消え、人命問題だけになってしまった。
 国内左翼にとっては、苦虫を噛むといったところだろう。その後、福田が言うところの情報が錯綜しているということになったので、仮に犯人グループ側から声明が出ていたとしても、事実上、錯綜した情報ですね、で終わることになる。
 関連してアルジャジーラの対応も、不思議なほど、日本政府に好意的だった。もともと、アルジャジーラもテロリズムは好まないということかもしれない(テロは倫理的に恥ずかしいのだろうと思う)。一つ気になったのは、イスラム聖職者からのスポークスマンの発言というのを、たまたま私はTVで見たのだが、彼の訴えかけの大半は、人質を約束通り解放しなさいより、米軍のファルージャ包囲を解きなさいだったことだ。なるほどなと思った。イラク人の本音は、米軍のファルージャ包囲を解くことにあるので、日本人人質や自衛隊撤退という問題が念頭にあるわけもないのだ。
 結果として見れば、スンニ派のイスラム聖職者は、テログループの今回の事態を好ましく見ていないし、日本政府への理解を示している、と見ていいだろう。むしろ、こうした彼らの行動の表れこそ日本人は大切にしなくてはいけないのだと私は思う。
 日本政府がうまくやっていやがるなと思いつつ、今朝のニュースをぼうっとラジオで聞きながら苦笑した。小泉はチェイニー副大統領に、人質事件の解決を協力を要請したのとことだ。
 別に苦笑するほどじゃないというなら、サヨクなんかと縁のないいいセンスをしているということで、自分が嫌になる。サヨクは、この事態にさらに苦虫を噛んでいるはずだ、と私はピンとくる。結果として、構図が自衛隊撤退どころか米軍協力になっているからだ。
 メディアでも私が雑見したブログなどでも、指摘がないようなので不思議に思うのだが、ファルージャ掃討戦において、ほぼ確実な鉄則がある。それは、米軍は絶対に米民間人焼殺犯人をとっ捕まえるということだ。もちろん、それは、米国国内世論向けなので、それに等しい心理インパクトを与えるだけでもいい。報復感を米国民に伝える必要があるというわけだ。こんなの9.11以降の阿呆な米国政策を見て、日本人もすぐに分かれよと思う。と、書くとまたおまえさんだけ偉そうにであるな、すまん。少し冷ややかに考えると、現状では、以前のような目立った掃討戦はできない。しかし、報復のための掃討戦は絶対にやる、とすれば、どうやるのかというだけが課題になる。
 現状の停戦を見ると、これは、豊臣秀吉城攻めかなという感じはする。せめて水を止めるという愚行はしないで欲しい。私の推測では夜間しらみつぶしかなという感じもする。で、この文脈でチェイニーの協力というのが実際上の意味を持つわけだ。つまり、小泉が期待しているのは、ファルージャ掃討戦で、焼殺犯と一緒に人質めっけてくださいね、と。そしてこれが成功すれば、日本国雪崩打って、米軍ありがとうになる。
 おい、そんなストーリーでいいのかよと私は思う。
 今回の話は、陰謀論だの電波だのと言われるかもしれないなと思う。ある程度仕方ないなと思うが、繰り返して言う。まどろこしいが、狂言説はあくまで私の心証というか印象であって、そんなものは主張にすらならない。主張としての意味がないからだ。それよりこのブログから、どの立場の人であれ、全体構図を考えるヒントがあれば受け取ってほしい。
 あ、ついでに、イラクで外国人狙いの人質事件が多発しているが、それがするっと解放されているというのは、つまり、人質ビジネスの市場が拡大しただけだなと私は思う。もちろん、米人人質は別格だろうが。

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2004.04.12

ファルージャの状況について

 日本人人質が依然解放されない。前回解放されると楽観視して書いたのは、現在の時点から考えれば間違いになったと思う。もっと慎重に考えるべきだったと反省する。
 なぜ解放されないのか。私は2つの理由を考えあぐねた。1つは引き渡しの手続き上の問題。もう1つは、解放決定の権限が別グループに委譲されている可能性だ。
 日本政府側は、デマ情報を早々に却下していることや、交渉可能な状態でありながら、難航している様子なので、恐らく、2番目の可能性だろう。また、以前のようにへたれた声明も出てこないところを見ると、相手の要求はそう政治的な意図はないのだろう。金銭であれば日本の手慣れたところだが、そういかないのは、米軍とのからみもあるかもしれない。それ以上の推測は、事態を考える上でただの雑音になるだろうと思うので控える。が、背景から見えてくる構図はある。
 その構図について、この間考えたことを書いておきたい。類似の議論を見かけないので、かなり批判を受けるだろうとは思う。
 日本人人質事件が発生したのはファルージャである。なぜ、3人がファルージャを通過したのか、人質になりたかったのか、と放言したくなるほど、理解を絶するものがある。いずれにせよ、今回の人質事件と先日の米人焼殺はファルージャで起きている。なぜ、ファルージャでこうした事件が起きたのかという考察はメディアでは見かけない。
 もちろん、ファルージャが反米的なスンニ派の拠点であるというのはわかるし、日本のメディアや各種ブログの意見では、すでにイラクは反米一色であるかのようなトーンが見られる。つまり、だから、そこで事件が起きるのは当然である、というお話になるわけだ。そして、この話は反米感につながり、それを支援する自衛隊は撤退せよ、ということなる。私には奇妙なのだが、国連が自衛隊の尽力を期待していた事が一斉に失念されたかに見える。
 なぜファルージャなのか。私は端的に、米軍の統治のミスだろうと思う。力不足だったのだろうと思うのだ。もちろん、そう書けば、それが事実のかなり正確な状況分析であっても、おまえはさらに米軍を強化せよというのかと短絡的な批判は浴びることだろう。だが、私はイデオロギーより状況分析を先行したい。ただし、その分析にあたっては、米ジャーナリズムを使う。
 気になっていた発端は、ワシントンポスト4月6日の"A Necessary Fight"(参照・要登録)という記事だ。


The same could be said for the Marine operation that is developing in Fallujah, where Sunni insurgents are based -- and where the bodies of four American contractors were desecrated after their slaying last week. U.S. forces have largely avoided operations inside Fallujah in recent months, depending instead on Iraqi police and security forces that have proved less than capable. The Marine action represents a return to more aggressive tactics against an enemy that appears not to have weakened as much as U.S. commanders believed.

 この数ヶ月間の間、米海兵隊はファルージャ内の介入を避けていたというのだ。そして、こともあろうか、イラク警察と治安委託会社に委ねていたのだ。"security forces"は先日焼殺された民間人を指しているだろうと思う。いずれにせよ、ワシントンポストが指摘しているように彼らにはその治安維持を行う能力はない。能力とは軍事力と解していいだろう。
 ワシントンポストの意見は、米海兵隊がもっと強固な押さえ込み("aggressive tactics")を行うべきだとしている。理由は、米国が想定したよりも武装勢力(敵とワシントンポストは表現している)が弱体化していないからだ。
 類似の指摘は、Newsweek(April 12)"By Rod Nordland"(参照)(日本版ニューズウィークでは「イラク アメリカ民間人『惨殺』の衝撃 橋につるされた黒焦げの遺体が物語る占領統治の混迷」)にもある。

"The White House doesn't get that we need more troops - significantly more troops," says one knowledgeable Coalition Provisional Authority source. "They don't get that we need more resources for our people." The problem goes far beyond Fallujah, where U.S. forces must find a way to punish the killers without worsening the town's hatred of Americans.

 弱腰とも思える米軍の状態はそれでも国内・国際世論を反映したものだったのだろう。なるべく米軍の存在を潜めようとしていたわけだ。が、存在自体が弱くなっていたわけではない。

U.S. forces have generally tried to avoid such confrontations. Last summer they were running about 2,400 patrols a day nationwide, according to official figures. In the latest reports, the number has fallen to 1,400. Most American troops live huddled in a few sprawling encampments that have grown into small cities. Of 105,000 U.S. military personnel now stationed in Iraq, more than half are housed in just four megabases. There used to be 60 U.S. bases in Baghdad, but the last of those posts is to close by the end of this month, and U.S. troops will have pulled back to eight big suburban enclaves.

 この話は別の読み方もできる。米軍の潜在力は大きい、ということだ。が、実際のイラク治安には向けられていない。
 この状態はイラクの住民も理解しているようだ。米軍のプレザンスより治安を求めていると見ていいのだろう。

As delighted as most Iraqis are to be rid of Saddam Hussein, they still aren't free. Never mind the U.S. military presence. It's no more than an inconvenience next to the insurgents and common criminals who effectively rule much of the country.

 この指摘は気の利いた皮肉というより、それがイラク人としての実態だろう。
 米民間人焼殺の際は、イラク人警官は逃げ出している。この半年で632人のイラク人警察官が殺されている。日本のメディアからすると、イラク民衆対米軍というスキーマばかりだが、実態が報道されていないからではないか。
 米軍のまずさは、さらに続く。こともあろうか、ファルージャへの制圧にイラク人を充てようとして拒絶されていた。ワシントンポスト"Iraqi Battalion Refuses to 'Fight Iraqis' "(参照)ではこの問題が、こんな統治でいいかということで、暴露されている。

BAGHDAD, April 10 -- A battalion of the new Iraqi army refused to go to Fallujah earlier this week to support U.S. Marines battling for control of the city, senior U.S. Army officers here said, disclosing an incident that is casting new doubt on U.S. plans to transfer security matters to Iraqi forces.

 当初この話を読んだとき、私は、米軍というのは、イラク人同士を戦わせようしているな、汚いことをするものだ、と思った。が、実際は、本部側の及び腰を現場で尻ぬぐいさせられているという図柄なのだろう。この件では、それ以上に米軍がイラク人を強いているふうでもない。
 当然ながら、こうした流れで、現在の米軍によるファルージャ包囲が始まり、戦力も増強された。恐らく、やる気になれば掃討可能な状態になっている。そこに現れたのが、ずっこけ三人組なのだろう。話ができすぎている感はある。
 現状まだファルージャでは停戦が続いている。復活祭でもあり、血なまぐさいことは避けたいこともあるだが、日本人人質は恐らくファルージャ市内でいわば人間の盾のようにもなっていて、米軍の目障りきわまりない存在だろう。
 当然やる気になれば、米軍がやるということを、ファルージャ内の武装グループもわかっている。だから、この絶好の盾を利用しない手はないという判断が出てもおかしくない。人質とはいえ、そうした点での主張では、三人組も同意できるだろう(ここで怪電波を飛ばさぬが吉)。
 なんだか最悪のようだが、私は事態はそうひどくもないように思う。米軍が掃討戦に出ることは実際には不可能だろうからだ。今回のテロリストグループのへたれ感を見ても、ある程度の軍事力のプレザンスを持続すれば、スンニ派の部族側も知恵を回してくるだろう。テロリストが打って変わって治安勢力になってもおかしくはないのだ。

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2004.04.11

日本人人質解放雑感

 イラク人質事件について、2004年4月11日7時の時点で、自分が思うことを記しておきたい。つまり、人質解放が決定された後の感想ということだ。
 日本人の人質3名が解放されてよかったという思いと、私には、そうして自分の心が日本に閉じていく気持ちへの不快感がある。プロ市民なんか殺されてもいいといった阿呆な心情に誤解されないように気を使って言うのが難儀なことだと思うが、極東ブログも「保守」のラベルで済まそうとする人が読む時期になったのだからなと苦笑する。
 自分の不快感は、日本人の生命だけを喜ぶ自分の心性についてだ。日本国民として当たり前は当たり前だが、卑しいと思う。テロリストに捕まっている他国の民間人は解放されていない。日本人のありかたが良かったから釈放されたのだというのは、テロリストに同意しているに等しい。
 今回の日本人解放は極めて政治的な結末になった。政治的な影響という点で、テロリスト側は日本人人質を殺すことと、解放することを天秤で計り、損得を出したわけだ。リザルトは政治である。その政治の意味を日本の知識人は受け止めることができるのだろうか。
 後出しじゃんけんのようなことは言うべきではないが、私はこれは解放されるなという印象も持っていた。でも、大丈夫、解放されるよ、と書く気にはなれなかったのは、おい、日本人だけよければいいのかよ、なにが大丈夫だよという感じがしたからだ。
 私のこの感覚は、考えてみると沖縄での生活の影響なのかもしれない。私は沖縄では米兵や元米兵とも交流があった。会って話せば米兵とて同じ人間である。沖縄は米軍によって被害を被っているし、また、つい米国という政治の括りで考えてしまいがちだ。しかし、この沖縄の被害を構造差別としている主体は日本本土の政治である。
 ひとりひとりの人間という点で見るなら、私が沖縄への寄留民であるように米兵も同じだ。米兵も、イチャリバチョーデー(会えば兄弟)でしょとサヨに言ったら嫌がられたこともある。サヨさんは、米兵は短期の寄留であり余所者だと言いたいのだろう。それなら私も余所者であり、イチャリバチョーデーはなくなる。だが、米兵のうち、そう少なくない人間が沖縄とその民衆に強い思いを残し人生を変えていく。沖縄が彼らを変えるのだ。彼らは、沖縄を愛していると言っていいし、人生に深く関わる。沖縄に来ることで米兵にはその人生の別の次元の可能性が開ける。在沖米兵も潜在的なウチナーンチュではないのか。平和がありうるなら、沖縄はその独自な視点に立てるのではないかと思った。
 先日、沖縄からの派兵された米兵に初めて戦死者が確認された(参照)。シェーン・ゴールドマン上等兵(19)、ジェシー・サーティ伍長(23)、マシュー・セリオ上等兵(21)、クリストファー・ラモス一等兵(26)の4名。同時ではないが、ファルージャ戦闘で亡くなった。歳はごらんのとおり。今回の日本人人質と同じくらいの若者だ。なぜこの若者たちが兵士になったかは知らないが、私はある程度予想が付く。同じような経験者を数名知っているからだ。大筋では、そうする以外に道はなかったのだ。徴兵でもあるまいにと日本人は思うだろうが。
 日本人は、「今回の日本人人質は平和目的であり、イラクの復興のためだ。それに対して米兵は戦争目的であり、イラクを破壊しているのだ」と言うのだろうか。そして、その先は、言う言わないにせよ、「だから米兵は殺されてもいい」となるのだろう。今回の日本人人質は危険地域のジャーナリスト・人道支援ということで、殺される覚悟はあったはずだ。私には、その点では、米兵と変わりないように思う。しかし、それでも兵は兵だ。だが、現在人質となっている他国民は兵ではなく、テロリストの被害者というだけだ。そのテロリストを憎み続けるべきなのだ。
 もちろん、「戦争そのものがいけないのだ」と言うこともできる。殺されるのはイラク人だって同じだ。だが、その結論には今は触れない。それは最後の言葉であり、その言葉を最後に言うためにこのブログを書いているのだという思いがあるからだ。
 私のことなど、どうでもいいといえばいいのだが、極東ブログも短絡して読まれるようになった。私が「小泉支持であり、自衛隊派遣賛成派にして保守」だと思っている人もいるようだ。苦笑する。首をすくめる……が、過去の文章を読んでいだければ、違いはわかって貰えるはずだとも思う。フランスは嫌いだがフランスを理解してのことだしな。だから過去の文章も読んでくれ、と言いたいところだが、私のメディアの勘からすれば、無駄だ。繰り返そう。
 私は、前回の衆院選挙で民主党に票を投じた。小泉政権を倒すためにだ。第一の理由は、民主党が日米地位協定の改定を公約に盛り込んだからだ。もう一点は官僚体制をリセットするためだ。全ての改革は官僚体制をリセットしなくては進まない。
 民主党がイラク復興の派遣に反対していることも知っていた。それはそれでいいと考えていた。私はこのブログでも書いてきたが、自衛隊をイラクに派遣することはどうでもいいと考えてきた。明確に、どうでもいい。その理由はすでに書いた。日本の勢力は微々たるものだし、戦闘に関わるわけではない。
 そして、私の意にはそぐわないが、多数の国民が選挙を通して確立させた与党の内閣(行政)がイラク・サマワを非戦闘地域と認定したのだから、そこへの派遣もあり得ると考えた。そして同じ理屈で、内閣がサマワを戦闘地域と認定するなら、自衛隊の撤去はありうると考えている。だが、テロリストの要求では断じてない。
 今回の解放にいたる事態のディテールの部分で、気になったこともメモしておきたい。今回の事件で、小泉や外務省の対応を無策と見る向きが多かったようだ。また、今後もそう見られるようだ。が、私が冷ややかに見る限り、小泉(福田だなつまり)と外務省は、きちんと動いていた。前もってシフトがあったとしか思えない。えぐいディテールもありそうなので、外務省もしっかり秘密は守ってもらいたいものだ。
 今回の事態も、クロノロジカルにはかなり早期の時点で、スンニ派指導者とのコンタクトがあったように思える。昨晩にはすでに解放の打診は取れていたことだろう。全体の動向としては、テロリスト側とそれを統括するスンニ指導者側の政治誘導は、かなりうまくいった。スンニ側の勝利と言ってもいいのだろう。シーア派を盛り立てないと主権委譲がうまくいかないのだから、頭の痛い話だ。が、それが政治というものだ。
 余談ついでに言えば、今はキリスト教徒は復活際の時期である。本来ならこの時期は肉食も忌む。停戦にはキリスト教信者への配慮もあると思うのだが、日本でその指摘はない。宗教音痴という感じはする。

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