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2004.12.13

窪田弘被告という人生もまた良し

 2004年はまだ終わっていない。そんな今年の5月28日のこと、東京地裁は72歳の窪田弘被告に懲役1年4か月、執行猶予2年の有罪判決を言い渡した。求刑懲役は2年。刑は少し軽い。堀の中で老後を過ごす心配はなかった。被告には感慨があったことだろう。被告、窪田弘の父親は裁判官だった。
 罪状は、証券取引法違反。有価証券報告書の虚偽記載だ。旧日本債券信用銀行の会長だった窪田弘は、1998年3月期決算で不良債権の貸し倒れ引当金1592億円を隠していた。隠し事っていうのはよくないよね、で済む程度の話ではない。が、そりゃあ巨悪だ、なんて驚くのは嘘くさい。
 旧日本債券信用銀行(日債銀)は現在の「あおぞら銀行」である。名称が暗示する晴れ渡るその青空は、はて、どこの国のものだろうかと考えるに、朝鮮かもしれない。日債銀の前身は「朝鮮銀行」であった。
 朝鮮銀行は、戦前朝鮮半島に日本が設置した中央銀行だった。日韓併合の前年1909年(明治42年)、すでに当地に設置されていた第一銀行の京城支店が韓国銀行として第一銀行と分離した。その3年後、1911年(明治44年)に、日本は「朝鮮銀行法」を公布し、韓国銀行を朝鮮銀行とし、この地の中央銀行とした。国が設立したものだが、株は民間人も持っていたようで、窪田弘の祖父はその株主でもあった。
 朝鮮銀行は、戦後、当然解体された。朝鮮半島での資産は接収され、それをもとに大韓民国に韓国銀行、北朝鮮に朝鮮中央銀行がそれぞれ設立された。日本国内の資産分は、1957年(昭和32年)、長期信用銀行法よって、新設の日本不動産銀行に引き継がれた。この設立に若き日の大蔵省官僚、窪田弘も関わっていた。
 朝鮮銀行を継いだ日本不動産銀行は、さらに1977年(昭和52年)、社名を日本債券信用銀行と変更した。業態に合わせたのだろう。その看板でもある、割引金融債「ワリシン」(旧「ワリフドー」)や、利付金融債「リッシン」「リッシンワイド」という名前に、ある年代以上の人なら、懐かしさを覚えるのではないか。
 このワリシンだが、実に都合のよい代物だった。金融商品としては、償還期間1年の利息先取り型債券、ということだが、重要なのは、無記名で購入できたことだ。これはいい、誰が買ったかわからないし、誰に渡してもわからないという優れもの。たくさん持っているやつもいた。1993年3月7日、自民党副総裁も勤めた金丸信を家宅捜索したら、約12億円ものワリシンを簿外資産として持っていたことがばれた。ちなみに、この時、日本興業銀行発行のワリコーも家宅捜索で出てきた。こちらも無記名で購入できた。
 いくら無記名で購入できるとはいえ、これだけ巨額のワリシンを出して日債銀は素知らぬというわけにもいかないでしょう、というわけで、旧大蔵省が日債銀の改革に駆り出したのが、窪田弘だった。なぜ彼に白羽の矢が? 彼がその頃、日本国の税の番人のトップである国税庁長官だったからだ。一番脱税に厳しい人を日債銀の幹部に据えれば、ややこしい問題は解決するだろうと、誰もがとりあえず納得しやすい。
 そう、窪田弘は1993年には国税庁長官になっていた。着任したのは、金丸事件の6年前、1987年(昭和62年)のことだった。それも大抜擢だった。大蔵省といえばエリート順送りの人事をしていたのだが、この件では有能な人材を優先した結果だったと言わているほどだ。
 国税庁長官になった際、窪田弘はインタビューでこう答えていた(読売1987.11.11)。やや長いが、窪田弘自身の言葉使いの感じがよく出ている。


 ◆悪質事犯には社会的制裁を◆
 --悪質な脱税や不正な所得隠しについて、日本ではまだ認識が甘いように思えるが、ある裁判で「詐欺に極めて近い犯罪」という言葉が出た。脱税抑止の観点から悪質事犯についてどんどん公表するべきではないか。
 長官 気持ちとしては良く理解できる。私が十五年前税務の現場(広島国税局直税部長)にいたころ、当時の民間の意識調査では脱税とはこそ泥、住居不法侵入くらいだった。今、同じ調査をすれば詐欺、横領になるのではないか。脱税というのは被害者が具体化しない犯罪。ある人が脱税すれば他の人の負担が重くなる。なかなか見えにくいから世間の批判がもう一つということになる。脱税を摘発された人が「払うべき金は払うから名前だけは出さないでくれ」という話は多いんです。虫が良すぎると私も思うが、税務当局には守秘義務があります。税は最高のプライバシーだからなかなかそうは出来ない。ただ、やはり何らかの形で社会的制裁を加えるには、今後、そういうことも考えなきゃいかんという感じはある。これまで税務の世界では、やっていることを外に言わないのを美風としたものだが、守秘義務に触れない範囲で仕事ぶりを知っていただいた方が良いのでは、と思う。

 窪田弘がこう答えたのは今から17年前のこと。彼がまだ55歳のことだ。読書家でもある窪田弘元国税庁長官は、人の世の機微というものをよく心得ていた。
 話を1993年に戻そう。この年、国税庁長官経験者である窪田弘は日債銀の顧問となった。実際のところは日債銀を大蔵省の特別な管理下に置いたという意味でもあるのだが、当時の新聞(読売1993.6.30)は窪田弘について「いつもは柔和な眼鏡の奥の目は笑っていない。密輸を発端に交際費による政官界への働きかけが表面化したKDD事件では、東京税関長として陣頭指揮に当たった経歴を持つ」とトンチンカンな期待を込めていた。
 彼はこの職に就きたかったのだろうか。少なくとも自分から進んでこの職を選んだわけではない。松岡誠司会長からくどき落とされたとつぶやいていた。彼は日債銀における自分の役目を知っていたからこそ、前のポストのほうが楽だなと思っていた。以前のままでいたら、好きな純米日本酒もじっくり楽しめに違いない。でも、運命は彼を彼の予想以上に遠くに押しやっていく。
 日債銀の顧問から頭取となり、そして、1997年7月30日の取締役会で代表権のある会長専任に任命された。窪田弘はついに銀行の会長となった。普通の天下りなら、ここで上がりというところだろう。が、そうもいかない。仕事っていうのは厳しいもんだな。日債銀は莫大な不良債権を抱え、経営はすでに破綻寸前だった。それでも、彼はやっていけると思っていたのだろう。
 だが、あたかもそれは突然の出来事のように始まった。翌1998年12月12日政府は、経営再建中の日本債券信用銀行に、金融再生法に基づく一時国有化の適用を通告。端的に言えば、日債銀は、潰れた。当然、窪田弘も会長を去ることに決まった。
 この政府による国有化のシナリオを窪田弘元日債銀会長は事前に知っていたのだろうか?
 知らなかったのではないか。前年までと同じ検査官が、金融監督庁という看板に変ったとたん、去年までよしとされていた不良債権が突然ダメとなった、なぜだ?、と彼は思ったのではないか。自分たちが長年決めたはずのルールがいつのまにか変更させられている、と。オレははめられたのか、と。
 それどころか、半年後には、窪田弘元日債銀会長は粉飾決算疑惑があるとして証券取引法違反容疑で逮捕された。旧大蔵省出身者が逮捕されたのは日本史において初めてのことだった。
 もちろん、貧乏人としてひっそりとこの世を仮の住まいとする人間でない者なら、叩けば叩くだけ相応のボロは出るものである。窪田弘元日債銀会長も厳しいリストラの陰で、毎月50万円から250万円もの役員報酬を受け取っていたし、日債銀の帳簿外で保有していた美術品を売却して裏金を仲間内で山分けしてたりもした。ま、そんなのはたいしたことではない。
 今年の5月28日に判決を出した東京地裁だが、この裁判で検察当局は、粉飾時期について、経営者の自己責任で決算を行う自己査定制度が導入された98年3月だけに限定した。それを受けて弁護側も会計基準の解釈論に終始した。つまり、この裁判では、旧大蔵省の関与の歴史にはまるで触れないというエレガントな前提ができていた。
 この判決に窪田弘被告は控訴した。納得いかない点もあっただろう。とはいえ、彼は事の真相を殊更に知りたいという心境でもないのではないかと察する。
 いや、彼は、その地位にいたのだから、すでに真相なんていうものは知っていたに違いない。つまり、不良債権と世の中が呼んでいるものの真相だ。
 不良債権とは簡単に言えば、貸したけど返ってこない金(かね)のことだと普通思われている。しかし、考えてもみよ。ウォルフレンが日本の銀行は「信用権」といったもので動いていると喝破したが(参照)、信用権を持っている大企業に対して銀行は金(かね)を貸したきり、返してもらうことなんて期待されていない。金利分がなんとなく返ってくればいいだけのこと。つまり、不良債権かどうかというのは、「信用権」の有無が決める。
 別の言い方をしよう。この物語は、不良債権を隠すと見るか、信用権を与えていたと見るか、つまりは、見方の問題ではないのか。そして、窪田弘被告はその信用権を管理しうる立場にいたと自分自身をみなしていたとして別段不思議でもない。
 いずれにせよ、彼は、ほぼ強制的にその特異な立場から除外された。今さら信用権がどういうことは無意味になり、「それ」は不良債権となった。
 「それ」がめでたく不良債権となった、ということは、そうなってしまったら、「本当に返らない金(かね)なのか?」と問うことは危険だという意味だ。借りている側の立場に立ってみるとわかりやすい。これまで信用権が与えられていると思っていた。なのに、突然、オメーなんか知らねーよとなったら、その金(かね)返せよ、になって不思議ではない。でも、返せないよ、そうですか、じゃ不良債権ですか、そうですか、とすれば、とりあえず収まる。
 同時に、失われた信用権を補うように、金(かね)を返せる可能性なんてものに首を突っ込むんじゃねーよと諭す何かが現れる。あたかも信用権の裏返しの権威というか、「そいつ」はゲドの影のように現れる。その後、ちゃんと現れるときは現れていたし。
 窪田弘被告は「そいつ」に会うことはなかった。これからも会うことはないだろう。彼はすでに除外されているからだ。一生懸命お国のために尽くしたのに、70歳を過ぎて身に覚えもない罪で被告となろうとは、と嘆く思いもあるのだろうが、それでよかったのだ。
 被告という人生も悪くない。72歳なら今後のんびりと過ごすべきだし、それがたとえ42歳の厄年だったとしても、悪くはない。生きていればこその人生塞翁が馬である。敵に見えるものがその身を救うこともあり、仲間に見えるものが「そいつ」であるかもしれないのだから。

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コメント

たった数年前のことを、昔話を聞くような気分で読ませていただきました。

投稿: synonymous | 2004.12.13 22:32

>敵に見えるものがその身を救うこともあり、仲間に見えるものが「そいつ」であるかもしれない
って出典などあるのでしょうか。
僕も最近感じていることだし、
Bob Marleyの"Who is The Cap Fit"という曲で全く同じ歌詞が出てきたので
良かったら教えてください。

投稿: メロリンQ | 2004.12.14 10:36

ゲドの影って?

投稿: むぎ | 2004.12.16 04:18

>むぎさま
小説「ゲド戦記1 影との戦い」(E・K・ル・グウィン作)
にでてくる主人公ゲドの影のことかと。
比喩だと思うので、直接窪田さん事件に関わるものではないと思います。
作中では、魔法使いゲドから出て来ていたるところで彼を苦しめる彼の精神のダークサイドの象徴だったと記憶しています。このジャンルがお好きなら是非読んでみて下さい。

投稿: croquis | 2004.12.20 01:27

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