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2004.12.21

マカオの思い出

 昨日は12月20日、コザ暴動の日だなとも思った。そういえば、マカオがポルトガルから中国に返還されて5周年でもある。そんなこともあってか、マカオで開かれた記念式典に胡錦涛が出席したとのニュースを聞いた。マカオかぁ、とちょっと物思いにふけった。そういえば、10年も前になるが、この季節、日本は寒いからというわけでもないが、ちょっくら香港からマカオに行ったことがあった。香港の派手なクリスマス・イルミネーションに萎えて、早々に船でマカオに渡った。マカオの港に着くと空気は奇妙に生温かい感じがした。

cover
ジョアンの
香港・マカオ
ノート
 港から出て、さてどこに行くべーかと海沿いにたらたら散歩した。そして、リスボンホテルの前だっか、ぼーっとつっ立っていたら、現地の女の子なんだろう肌の色の濃い中学生くらいの年頃の子が寄ってきて、なんかもしょもしょ言う。小銭ない?ということらしい。あるよ……ちょうだい……あげるよ……ありがとう……(物乞いでもないらしい)……どうするの?……バスに乗る……と、今思うに、いったい何語で会話をしたのか覚えていないが、そういう次第だった。彼女は、そして、すっとバスに乗って行った。華人ではないなぁと思った。あとで思うと、その後住むことになる沖縄のウチナーンチュの女性みたいな感じではあった。
 また一人ぽつんと残された私は、そういえばよくバスが行き交っているものだなと見ていた。バスの数台は橋の向こうの島に行くようだ。島かぁ、島はいいな、と思って、そっちに行きそうなバスに乗って島のほうに向かった。地図を見ると、島は二つある。なんとなく、島の南端に行ってみたくなくなった。コロアネ島である。
 コロアネ島のバス停で降りて、さて、と見渡すと、なんとなく東洋というよりは、ギリシアかトルコの田舎みたいな雰囲気でもある。南端はどこかなと思っているうちに、タクシーがいたので乗って、南端の海岸に出た。ドライバーは華人だった。今思うと、変なやつと思ったのではないか、怪訝そうだった。ぼられた。ま、いいか。海岸に着く。今はぁもう冬♪、誰も、いない海、である。タクシーがいなくなり、誰もいないコロアネ島の海岸に残されて、さて、俺って何?と思った。別にここに死に場を求めたわけでもない。まぁ、こうしてよく旅先で途方に暮れる。途方に暮れないと旅という感じもしない。
 海を見るに飽きると、自分が異国の島で迷子になっていることに気が付いた。それほど大きな島でもないからと、歩きだした。あの時の風景が記憶のなかでやはり後の沖縄の風景に重なる。まさかそれから沖縄で8年も暮らすことになろうとは…。
 その先はよく覚えていないのだが、またタクシーを見つけたかなんかして、ザビエル教会に出た。当時、コロアネ島の唯一の繁華街?という感じなのだろうか。教会の前にはカフェテラスというかこれも地中海風のオープンエアの、あるいは江ノ島風な、タベルナがあった。白人が20人くらいいたか。まさにコロニアルっていう感じだなと思った。白人たちの幾人かはのんびり巻き貝のようなものをつまんで食っていたので、私もそれをくれと注文した。沖縄のチンボウラとも違う巻き貝だが、塩ゆでしただけのもの。それをただ食うだけ。たいしてうまくもない。他になんだかわけのわからんチャーハンのようなものを頼むと、よく見かける金属製の茶壺(急須)にプーアル茶も出てきた。こんな島でこんなふうに暮らすのいいなとは思った。
 暇なのでザビエル教会も見た。小さな、玩具のような教会だった。きれいはきれいだ。ザビエルの腕なんてものも陳列してあった。まったくな、カトリックってやつらはこういうのが好きなんだよなと、イスタンブルのトプカピ宮殿の博物館で見たヨハネを腕を思い出した。
 ザビエル(Dominus Franciscus de Xabier)と日本では言い習わしているが、本当はなんと読むのかと、そういえば大学生のころフランス語の先生と雑談したことを思い出した。シャヴィエル、ハビエール、グザビエー…なんだったかな。ザビエルはバスク人だ。そういえば、ザビエルの忌日(聖人の日)は12月だったかと思い出し、Wikipediaでもひいてみるかと見ると、ありましたね(参照)。おやおや、ちゃんと名前の読み方談義までついてますね。スパイだった説はあるかなと見るが、Wikipediaにはない。トンデモ説だったか。
 コロアネ島からはまたバスに乗ってマカオに戻った。バスと歩調を合わせて海産物を積んだトラックが走っていたのを奇妙によく覚えている。橋を渡りつつ、遠くに、建設中の大きな空港を見た。あれだけ大きな空港ができたら宗主国ポルトガルへの直行便もあるだろうなと思った。後に台北の中正空港で暇になって、マカオ経由でリスボンに行けるのかちょっと調べたが、直行便があるみたいだった。
 マカオの思い出はそのくらい。マカオの街は…ま、どうでもいいでしょ。観光地ですよ。それから香港が返還され、マカオが返還された。その間、もう一度マカオに行きたいものだとも思ったが、はたしていない。暴力団もいなくなったとのことだが、日本人の中年男がぼそっと出かけると目的を誤解されるのではないだろうな。いや、旅に目的なんてないのだけど。

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コメント

私も10年以上前に、返還前の姿を見ておきたくて香港とマカオに行ったことがありました。
マカオのあの異様さは新鮮なものがありました。
アジア的街の中にいかにもなマフィアの皆さんとカジノと押、そして私にはスペインチックに見えたのですが、その手の遺跡。
冷やかしでカジノに入ったら、丁度怖いお兄さん達が揉め事を起こしていて、警察が形だけ捜査に入るという、マフィアと警察が同体という実体を直に見ることも出来ました。
中国に返還された後、どのように変化したのか興味がありますよね。
先日、報道ステーションで放送されたマカオにある北朝鮮ダミー企業の特集で、その企業がある街の風景に記憶があり、思わず笑みを浮かべてしまったのは秘密です。

投稿: くれふ | 2004.12.21 15:39

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