[書評]幕末日本探訪記(ロバート・フォーチュン)
ロバート・フォーチュン(Robert Fortune)は、1812年スコットランドに生まれた。エディンバラ王立植物園で園芸を修めた後、ロンドン園芸協会で温室を担当した。異国の植物に魅せられた人だったのだろうが、そのままそこで人生を終えても不思議ではなかった。だが、30歳を過ぎて好機が訪れた。アヘン戦争後の南京条約によって中国に外国人が入国できるようになったことから、彼は中国に派遣された。主要な目的の一つは茶の木である。優れた茶は貴族たちが目の色を変えるほど欲しいものでもあった。
![]() 幕末日本探訪記 |
ロバート・フォーチュンは、先日紹介した「蘭に魅せられた男(スーザン オーリアン)」にもあるようなプラントハンターでもあった。キク、ラン、ユリなど東洋の代表的観賞植物を英国にもたらしたのも彼である。バラの愛好家なら彼の名を冠したバラ、Fortune's Double Yellow(参照)を知っているだろう。金柑の学名Fortunella japonicaは、まさにフォーチュンの名前と「日本」を彼が組み合わせたものだ。
フォーチュンは二度来日し、その時の記録をこの「幕末日本探訪記―江戸と北京」に残している。標題には江戸と北京とあるが、内容の九割は日本に割かれている。オリジナルは「A Narrative of a Journey to the Capitals of Japan and China」。翻訳は日本語として読むにはややこなれていない印象を受けるが、それでも、この探訪記は無性に面白い。これを読まない読書人があろうか、と言いたくなるほどだ。
彼が最初に来日したのは万延元年、1860年のことだ。まだ明治維新前の江戸のようすが、あたかも植物を描写するように、客観的に精密に描かれている。これを読みながら、私のような日本人はこの一世紀半の間だに変わってしまった日本と変わらない日本についていろいろ物思いにふける。昨今の軽いナショナリストの主張が明治時代の擬古の化けの皮に過ぎないかもしれないと啓発される点もあって楽しい。そういう面白いところを、ちょっとトリビア風に紹介してみよう。
明治直前の若い女とはどんなものだったのか。
とにかく私に侍った小娘達は、輝くばかりの白い歯を持ち、唇を深紅に染めていた。
お歯黒は既婚者のものであり、未婚の女は今とそれほどは変わらないようだ。
日本女性はシナの女性と比べて、作法や習慣がひどく違っている。後者は外国人の顔を見ると、すぐに逃げ出すのが常識となっている。日本女性はこれに反して、われわれに対して、いささかも疑惑や恐れを見せない。
集会で彼はこんな経験もする。
ことに婦人たちが既婚、未婚の別なく、面白がって私の意見を求めた。そして笑いながら次つぎに前で出てきて、「奥さんになる!」と申し出た。
目に浮かぶようだ。現代の若い日本の娘とまるで違いはないのではないだろうか。
話を変える。日本人の肉食は明治以降のことだというのが通説になっているが、これはどうも嘘のようだ。
通りすがりに肉屋[ももんじ屋、江戸時代の獣肉を売る店]も目にとまった。これは日本人が野菜や魚だけを常食としていないことを表している。
日本人は江戸時代から肉を食っていたようだ。ただ、フォーチュンは、牛と羊の肉はないと言っている。代わりに「鹿の肉はどこにもあった」と言っている。なるほどなと思う。が、本当なのだろうかと思うこともある。猿の肉も売っていたというのだ。「おそらく日本人は、猿の肉をうまいと思っているのだろう」と彼はコメントしている。
トリビア的な話はこのくらいにしよう。
フォーチュンはプラントハンターとしてか、当時の日本人が植物を愛し景観を愛する姿をある種感嘆と敬意の念をもって見ている。また、絶えず剣道など武術に精を出す国民性に将来の発展を予感してもいる。
だが、そこはもう違ってしまったの知れない。私たち日本人は植物と景観を愛し、また文武の心を日常に涵養することはない、ように思う。悲観しすぎかな。
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コメント
戦争直後までニホンザルは高級な食肉だったそうです。漢方薬にもいいらしいですよ。戦後のアメリカからの保護条例で禁止されたようですが、それから右肩上がりで増えて現在深刻な問題になっていますね。
投稿: Cyberbob:-) | 2004.12.04 13:44
この前ディスカバリーチャンネルで取り上げられていましたよ。
阿片戦争に至る道に、彼の行動が関わっていたという内容でした。
元々は中国からの茶葉の輸入による貿易赤字を削減する為に始められた阿片の輸出、やがてフォーチュンのスパイ行為によってインドで茶葉が生産出来る様になりますが、その時には既に英国人は阿片貿易の旨味に取り憑かれていたのでした。
投稿: (anonymous) | 2004.12.04 18:33
>日本人は江戸時代から肉を食っていたようだ。ただ、フォーチュンは、牛と羊の肉はないと言っている。代わりに「鹿の肉はどこにもあった」と言っている。なるほどなと思う。が、本当なのだろうかと思うこともある。猿の肉も売っていたというのだ。「おそらく日本人は、猿の肉をうまいと思っているのだろう」と彼はコメントしている。
池波正太郎の「鬼平」ではよく兎や軍鶏・鴨がでてきます。これは著者が食通であったため、きちんとその時代のガイドブックや調理本を研究した上で書いているためかなり信用できると思います。
また江戸期においては牛および馬は農耕用として貴重なので肉食されることはほとんど無く、かわりに狩猟された鹿・猪・鴨(および多分、)猿が食用にされたのでしょう。
ちなみに現役のマタギに言わせると「その他に熊も採るが肉はまずいため食用に適さない。その代わりに毛皮はいいものだし、特に「熊の胆」は漢方薬の原料として非常に高値で取引される」そうです。
ああ、あの迷いでた熊たちは全て漢方薬の材料にされてしまったのでしょうか?
投稿: F.Nakajima | 2004.12.05 10:10