スマトラ島沖地震津波に思う
スマトラ島沖地震津波で沿海の各地ではすでに二万人を越える死者が出たことがわかった。津波が襲ってくるのは、地震発生から時間的に遅れることがあるので、防災の用意があれば被害は防げる、と言いたいところだが、現実にはそうもいかない。今回の地震はスマトラ島沖とはいえ陸地に近いので地震発生から津波が来るまでの時間差はあまりなかったのかもしれない。また、津波地震とよく言われるように陸地からではあまり地震を感じないこともある。
サロン・コムのニュースを見ていると、国連の発表があり(参照)、今回の地震はcostliestとあった。今後の対策に巨額の費用がかかる。
Dec. 27, 2004 | United Nations -- The earthquake and tidal wave that raced from southeast Asia to east Africa this weekend, killing tens of thousands of people, may be the costliest disaster in history, reaching billions of dollars, the U.N. emergency relief coordinator said Monday.
陸上の地震などの場合、救援は初動の四八時間が急務だが、今回の津波災害の初動対策はあらかた終わったのではないか。それでも被害者への対策や伝染病の蔓延を阻止する対策は急務だ。
私は今回の津波被害で、沖縄での生活のことを思い出した。港から50メートルといったところの平屋に数年暮らしていた。窓から海が見えた。リーフが広いのでそれによって津波は軽減されるのだろうなと思ったが、実際に津波が来たら一発で終わりだなとも思った。地震が発生したときは、いつも津波を恐れた。
沖縄の人間が津波を恐れるのには歴史的な理由もある。通称明和の津波と呼ばれる1771年の八重山地震津波では八重山諸島と宮古で津波の被害で1万2千人が死んだ。石垣島では現在空港建設問題で話題になる白保地区だが、ここでは、およそ千6百人、村人の九八%が亡くなったという。つまり、村が壊滅した。
この地には伝説がある。海人(うみんちゅ)が人魚を捕らえたところ、「竜宮に帰りたい」と懇願するので海に放った。すると、ほどなく再び海上に姿を見せ、「津波が来るので山に逃げなさい」と告げたという。
こうした津波から奇跡的に難を逃れたという伝説は本土にも少なくない。それだけ津波が恐ろしいものだということを、伝統社会はそれなりに伝えうるものだろうとも思う。なので、というわけでもないが、今回のスマトラ沖地震津波のニュースを聞いたとき、こうした伝統的な知恵が伝えられてなかったのではないかとも思った。
近代化を迎えた日本でも、明治二九年(1896年)、明治三陸大津波では約2万2千人を越える人が津波で死んだ。被害が大きかったのは津波地震特有の揺れの小さいこともあっただろう。震度三程度だったらしい。この地域には慶長の大津波(1611年)の伝承もあったのだから、津波の恐ろしさは伝えられてはいたのだろう。
明治30年代というと私の祖父母が生まれた時代である。私の祖先は山間の人ではあったが、津波の怖さというもののあるリアリティはしっかり継いでいたように記憶する。
私も津波というものが心底恐いなと思ったのは、津波で百人を越える人が亡くなった昭和58年(1983年)の日本海中部地震の映像を見たときだ。ちょっと言葉に詰まるのだが、本当の津波というのはサーフィンの高波なんていうものではまるでない。マンション群が高速でぐぐっとせまってくるような感じだ。そういえば、昨今のマンションを見上げるとき、津波ってこんなのが襲ってくるのだなと思うことがある。
津波の被害といえば防災をという話題にもなる。しかし、平成五年(1993年)北海道・奥尻島と渡島半島西部を襲い百人以上の死者を出した北海道南西沖地震では、日本海中部地震での津波をもとに築かれた防潮堤だったのに、この時に襲った津波はそれを越えてしまった。
今回の津波災害に関する海外の記事では、テレグラフ"A terrible reminder that nature is dangerous"(参照)が私などには心に迫るものがあった。
The extent of yesterday's tidal cataclysm makes it hard to think about the individual losses. Our brains are not designed to compute suffering on such a scale. We can relate to a single death. We can even, with more difficulty, feel grief at an atrocity such as that at Beslan. But, when whole villages are extirpated and thousands slain, our minds seem to skim off the surface. We might cling to the more manageable components - the fate of British tourists, for example - but the swallowing up of whole communities is literally unimaginable.
人間の脳というのは、これほど大惨事を理解するようにはできていないのかもしれない。もちろん、それでいいというわけではない。テレグラフの論調に賛成するものでもないが、人間が自然の前にいかに小さな存在かという事実は愕然と存在する。
追記(2004.12.29)
死者は5万人を越え、WHOは疫病によるさらなる危険性の警告を出している。このエントリでは曖昧にしか扱っていなかったが、被害は対岸のスリランカやインドにも大きい。この距離を考えるに津波の警告は技術的には可能であっただろう。悔やまれてならない。
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コメント
日本赤十字社が災害義援金を集めているようですね…
http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/703.html
苦しんでいる人々の苦しみが少しでも和らぐことを、
心から願います…
投稿: kagami | 2004.12.29 00:46
日本の人気グループの曲に、その名前を使ったものがありますね。私は、それがヒットした時、とても違和感を持ったのでした。不謹慎だとさえ感じたものです。そんなメローな音楽に仕立ててはいけないとも思いました。私の中に、「津波はとても恐ろしいものだ」という観念があったからだということに、今回やっと気づきました。
投稿: r-38 | 2004.12.29 01:48