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2004.11.30

中国事件報道の奇妙な後味

 中国陝西省銅川市の陳家山炭鉱で28日朝ガス爆発があった。その後の続報はどうなっているのだろうかと気になったが、あまり国内ではニュースがないように思えた。このエントリを書いているのは30日になったばかりの深夜なので、夜が明ける頃には報道も変わっているのかもしれない。
 現状、ざっとネットを見渡してみた。まったく続報ないわけではないが、少ない。29日夜7時の共同を産経新聞"火災発生後も採掘命令 中国の炭鉱事故、生産優先か"(参照)が事件を伝えてはいる。


中国紙、京華時報は29日、中国陝西省銅川の陳家山炭鉱で28日起きたガス爆発事故について、爆発の約1週間前から一部で火災が起きていたのに採掘を停止しないなど、経営側の生産優先姿勢が事故の背景にあったとの見方を伝えた。

 たしかにそういう背景はあるのだろう。しかし、問題は被害の状況だ。29日昼のCNNジャパン"中国の炭鉱事故、死者25人に 141人不明"(参照)では141人を不明のままとしている。

中国国営新華社通信によると、陝西省銅川市の陳家山炭鉱で28日朝に起きたガス爆発で、死亡が確認された作業員はこれまでに少なくとも25人となった。坑道にはまだ141人が閉じこめられているという。

 Googleで現時点の最新ニュースを英語圏で探すとInternational Herald Tribune"'Absolutely no hope' for 141 miners in China"(参照)があり、すでに事態は最悪となっているようだ。

CHENJIASHAN MINE, China - The 141 miners trapped inside a mine in northern China following a gas explosion have no chance of survival and are presumed dead, a local Communist Party secretary said Monday.

 おそらく誤報ということはないのだろう。外電ではすでにこうした流れになっているので、30日朝刊にはこの悲劇が掲載されることになるのだろう。
 情報統制の強い中国でもあるとしても、日本国内ではこのニュース報道が遅いようにも思われる。もっとも、そう時間を争って伝えるべきことでもないのかもしれないし、もともと、事件当初から絶望視されていたのかもしれない。それでも、この間のこのニュース報道の流れは奇妙に心にひっかかる感じがする。
 話は変わる。爆破事故のニュースの続報を見ているうちに、時事で奇妙なニュースをたまたま見つけた。"学食への不満爆発=四川大学で騒ぎ-中国"(参照)である。時事は、29日付香港紙太陽報をソースとしているのだが、四川省成都市四川大学で26日夜、学生によるある暴動が発生した。

学生食堂の管理者が飲酒運転の末に起こした当て逃げ事故に対して、学生約1000人が抗議に集まり、管理者の車をひっくり返すなどの騒ぎに発展した。学生食堂のメニューやサービスが極度に低下したことへの不満も背景にあるという。

 学生たちのやんちゃな大騒ぎなのかという印象も受ける。そりゃ、不味い食事を食わされる身にもなってみろ…といったのんきな感じもしないではない。そうなのだろうか?
 別系でニュースにあたったのだが、国際ニュースとするには些細なのか、国内でもまた英語圏でもこのニュースは見あたらなかった。
 そういえば、Googleは中国語にも対応しているのだと思ってサーチしていくと、いくつかこのニュースを見つけた。"四川大学…事件"(参照)には写真があるのでわかりやすい。自動車の壊れ具合をみるとけっこう派手にやったなという印象がある。
 私は中国は読めないので、またもそういえば…と思い出し、Exciteの中日翻訳(参照)にかけてみた。ある程度意味は通る。

その後キャンパスの保安と公安はうわさを聞いて出席して秩序を維持して、学生にやじ馬見物をするのはますます多くて、運転手に謝るように求めて、そして警官と保安と口論になっておしてぶつかって、場面の混乱。その中に甚だしきに至っては銃を抜いて警報を発する公安があって、しかし学友の情緒はますます感動して、そして打つ事を起こす車を解体して、打つことを始める。その間そして大きな声で叫んで校長の謝和平に出てくるようにと学生の対話求める。

夜明け方の2時43分の頃まで、加害者の運転手は車のドアを開けて、別の1台の車の上で逃げることを企む。やじ馬見物をする学生は形が直ちに前に出て遮ることに会って、そしてと公安はおしてぶつかる。


 1000人を抗議行動に集合させたというより野次馬がどっと集まって、集団ヒステリー状態になったようだ。2chでいうところの祭というやつ、にしては威嚇発砲なども必要としたようだ。
 事態はそれなりに短時間で収拾がついたという点で偶発的な事件ではあったのだろう。特に国際ニュースとするほどのものでもないとも言える。それでも、昨年の西北大学の騒動などを思い出すになんとも嫌な後味が残るニュースではある。
 そして、このニュースを知ってしまえば、奇妙な余韻と中国の現状にそれなりに思いを巡らすのだが、知らなければ知らないで過ごしていたのだろう。
 今回のこの小競り合いが中国内で報道されたのは、おそらく先日の四川省の暴動が念頭にあったのかもしれない。11月9日の東京新聞"四川でも10万人暴動"(参照)では次のように伝えていた。

 中国四川省の雅安市漢源で十月末以来、ダム建設による立ち退きに反発する農民ら十万人規模の暴乱が続き、人民解放軍が鎮圧に乗り出した。香港紙などによると、八日までに農民と警官の四人が死亡、百人が逮捕された。中国では重慶市や河南省でも大規模な暴動が発生したばかり。貧富の格差や役人の腐敗に対する不満が各地で爆発しており、胡錦濤政権は重大な試練を迎えている。

 八日付香港紙、太陽報は「建国以来最も深刻な農民暴動」と報じた。一万人規模の武装警察に加え、正規軍も鎮圧に投入された。これに対し七十歳すぎの老人らが「決死隊」を組織し、「私を殴り殺せ。死ねば立ち退かなくてもいい」と叫んでデモを続けている。


 文章を追っているととんでもない事件のようにも思えるが、率直にいって、それほど実感はない。この手の中国報道のありかたによるような気もする。代わりにウクライナ状勢は緊迫感を持って日本でも伝えられている。
 伝達とリアリティに変なズレのようなものを感じる。ダルフールで日々1000人の人々が死んでいくとも言われるが、そうした話にも率直なところリアリティはそれほど感じられない。

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2004.11.29

ラオスとモン(Hmong)族のこと

 昨日午後、小泉純一郎首相は東南アジア諸国連合(ASEAN)出席のため、羽田からラオスのビエンチャンに向かった。当地では日中韓三カ国の首脳会議などもするらしい。というわけで、ニュース的には先日のAPECの続編ということになるのだろうが、それはさておき。私はラオスかぁと感慨深く思った。
 ちょうど一昨日(11/27)にNHKで「30年目の戦後処理 アメリカと共に戦った民族」(参照)というのを見て、ラオスについて物思いにふけた。話のきっかけは番組の説明を引用したほうがてっとり早いようにも思う。


 ベトナム戦争終結から30年が過ぎた今年、アメリカは1万5千人のインドシナ難民を新たに受け入れることを決めた。メディアが「最後のインドシナ難民」と呼ぶ彼らは、ベトナム戦争でアメリカに協力し、CIAの指揮下で極秘任務に活躍したモン族の人々。共産勢力が政権を掌握したラオスからタイへ逃れ、私設の難民キャンプで命をつないできたモン族を受け入れることは、アメリカにとってベトナム戦争の最後の重荷を清算する歴史的な節目となる。

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モンの悲劇
暴かれた「ケネディの
戦争」の罪
 ベトナム戦争では、ベトナム軍は中国やソ連から支援の多い北部から南部への補給のために通称ホーチミン・ルートを使ったのだが、これがラオスの一部を経由しているため、米軍は、これを断つためにラオスのモン族の特殊部隊を編成して攻撃させていた。この時代すでにラオスもラオス愛国戦線(パテト・ラオ)の共産主義化が進んでいた。米軍側のモン族には事実上の徴用もあったようだが、ある意味ではモン族の自由を賭けた戦いでもあった。このあたりの歴史評価はかなり難しい。いずれにせよ、ベトナム戦争で米軍が負けると、モン族は共産主義政権の弾圧を恐れ、ラオス国外に脱出せざるをえないはめになった。
 NHKの番組では、タイに身を寄せているモン族に焦点を当ていたのだが、すでに彼らは国連からは難民の扱いではなくなっている。タイ政府も難民区を有刺鉄線で隔離はじめていた。タイに残るモン族には米国への移住が残る強い選択肢となった。

 7月、その第一陣約150人を迎えるのはセントポール市(ミネソタ州)。ここにはベトナム戦争終結直後アメリカに逃れたモン族と家族20万人のうち2万7千人がコミュニティを築き、アメリカ市民として暮らしている。今回の受け入れでやってくるのは30年間にわたって過酷な環境に捨て置かれてきた彼らの親族たちだ。セントポール市当局の再定住プロジェクトがスタートする中、まったく異なる歳月を生きてきたモン族の家族が再会し、祖国を追われた民族の不安な未来を模索し始める。

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メコンに死す
 30年も経つと世代が変わっており、若い人々にしてみればラオスという故郷も実感は伴わない。それでも、言葉もおぼつかない米国での暮らしは若い世代ですら不安そうだった。米国での受け入れでは、すでに先行して米国に定住している同族が保証人となる必要があるとのことだ。30年の年月の間に、先行して移住したモン族も米国に地歩を固めつつはあるのだろう。NHKでは触れていなかったが、今回の米国受け入れ決定の背景には、米国内のモン族のロビー活動もあったようだ。
 小泉首相が滞在する現在のラオスだが、人口は6,068,117人(参照)。民族構成は低地ラオ族が68%と多数を占め、丘陵地ラオ族22%がこれに続く。さらに高地ラオ族が9%で、ここに僅かなモン族が含まれる。当然ながら、都市には華僑越僑もいる。いずれにせよ、現在のラオスではすでにモン族の居場所はないような状態にすら見える。余談だが日本外務省はラオスの人口を550万人ほどしている(参照)。資料が古いとはいえCIA資料との差が大きすぎる。
 現在の国家体制に至るラオスの現代史だが重要なのはやはりベトナム戦争だ。米軍の敗北の余波からさらに赤化が進み、1975年12月に国王シサバン・バッタナ国王が退位した。王家は14世紀のランサン王国からの歴史を持っていた。もっとも、バッタナ国王自身は王族でありながらラオス愛国戦線に参加し、新政権の初代大統領となったスファヌボン殿下の顧問として約2年間務めた。
 77年に共産主義体制に反対する勢力が、バッタナ国王を利用して復古をもくろんでいるとして、バッタナ国王は事実上拉致され、その後、杳として行方はわからない。ラオス国民としては王様は80歳を越えてどこかに暮らしているのでしょうということで、この話題はそれ以上なしよ、ということになっている。
 話はこれでフェイドアウトとはいかない。バッタナ国王の子孫で「ラオス皇太子」と自称する、フランス亡命中のスリウォン・サワンという人物らはラオスの現政権の転覆を狙っていると見られている。ただし、2000年7月ラオス南部起きた反政府武装組織の蜂起には関係ないとしている。ま、このあたりの陰謀論の展開については、おなじみの専門家がいらっしゃるので私は深入りしない(気になるなら"スリウォン・サワン"と"陰謀"のキーワードで[I'm Feeling Lucky]ボタンを押すといい)。
 その後のラオスだが、1997年にASEANに加盟。ベトナムのドイモイのように開放を進めつつあると見てよさそうだ。南部サバナケットではメコン川を渡す橋がかけられる(参照)。さらに経済特区が整備されタイ企業を誘致する計画もあるようだ。
 今回のASEAN会議は、こうしたラオスの開放を推進すべく、事実上現政権を強く承認するという意味合いもあるのだろう。政治的な意図という点では、沖縄開催のG7によって沖縄の主権問題に事実上の区切りをつけたような感じだ。
 最後に蛇足めいた話だが、ラオスのモン族はミャンマーのモン族(Mon)と区別するために、英語圏ではHmongと書かれる。中国ではその内部の少数民族にあわせて苗族(Miao)としている。Wikipediaでは「苗族」呼称を採用するに次の理由を挙げている(参照)。

ミャオ族かモン族か
日本語版ウィキペディアではミャオ族の表記を採用した。理由として、

  • 日本ではほぼミャオ族と言う表記が採用されている
  • 日本においては「ミャオ」と言う言葉は差別用語として使われていない。
  • 中国語のウィキペディアの記事もミャオ族(苗族)でたてている
  • 中国でも一般的にミャオ族の名で知られる
  • 中国ではミャオ族が公称である
  • モン族と書くとハリプンチャイ王国を建てたモン族 (Mon)と混同される(詳しくは事項で)

と言う理由が挙げられる。ちなみに、英語版のウィキペディアではモン (Hmong)で記事が建てられている。

 中国でそう言っているという以外、理屈になっていないな、と私は思う。Wikipediaも「ミャオ族と言う言葉は中国の漢民族による呼称であって他称ではない。ミャオ族の中には「ミャオ」の呼称を嫌うものもいて、また、ミャオ族自身もモン族を自称している」と明記するのだから、モン族とすればいいではないか。あるいは、同じ基準なら、日本人を倭人か東洋鬼とし、日本を小日本(シャオリーベン)とでもするべきだろう。

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2004.11.28

裴勇俊狂想曲を考える

 考えたって、無駄である。でも、考えてみる。同姓だが裴世清(ペ・シチン)の子孫ではないと思う。問題は、なぜ裴勇俊に日本人女性が熱狂するのか、なのだが、まるでわからない。滝に飛び込むほどではないが、不可解。なにより、私には関心もなった。しかし、社会事象としては事件である。その人気たるや、殺到して怪我人を出すほどである。なんだろね。先日台菜屋台で30代後半の女性に訊いてみたが、不明、っていうか、関心ないらしい。だよね。でも、昨今の世相見るにそうでもない。不可解。その奇妙な疑問となにか無意識にひっかかるものはある。もちろん考えはまとまらない。ま、たかがブログである。書いてみる。

cover
ジャズ
(紙ジャケット仕様)
 殺到するほどの人気…といえば、エルビスプレスリーとかビートルズの時代にもあった。ちょうど氷河期が終わり小動物が陸地に顔出したころだ。暖かな夕暮れに岡林信康コンサートでもすっぽんぽんで踊り出すお姉さんがいたくらいだ、っていうか、あの時代を思い出す。昭和46年(1971年)「週刊平凡パンチ」(8/2)で「大スタジアムで105人の女が脱いだ」である。アレを見てフレディ・マーキュリーが「バイシクル・レース」の着想を得たっていうことはないのだが、なんか、すごい時代だった。あれか?
 あのころのお姉さんたちが、またやっているのかな?と思った。秋吉久美子とかまだまだ週刊現代の元気なアイドルだしな。あのお姉さんたちは、私より5歳くらい上だから現在52歳くらい。「SHは恋のイニシャル」だともうちょっと上。
 さて、年代はどうなのかと朝鮮日報"ホテル側の曖昧な嘘が原因?"(参照)の写真を見ると、そうかなという感じもするが、さすがに50代は少ないかとも思う。わからない。
 はてと考え込む。私の世代、つまり40代後半の女性の若い頃のアイドルといったら、御三家だよ、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎だね。そりゃ、もう。でだ、同じ世代だからある程度異性の感性もわかるのだが、裴勇俊とかに熱狂しちゃうってことはないと思う。ってことは、御三家より下の世代? でも、30代後半だと、すでに違うようだし。
 すると、ゾーンとしては、自分より5歳下、つまり現在42歳くらいの女性が熱狂の中央値なのだろうか? あのころのアイドルって?と回想するのだが、太川陽介あたりかな。往時の写真を見るとなんか昨今の韓流っていう感じも出ているよね。
 いろいろ思い出す。順序立ててみよう。まず、フォーリーブスがあって御三家があって…で? そこでジャニーズを思う。御三家とジャニーズの間だが、そこって開いているのか? そこってツボ?
 別の発想をしてみると。基本的に「冬の恋歌」は日本人にしてみると懐古的な物語である、というのは言うまでもない。それで、その熱狂には疑似恋愛感情があるのだから、ファンの青春時代の美男子やその雰囲気なんかと類似性があるのではないか? そう思って「誕生日・1962年(昭和37年)に生まれた人々」(参照)とかいうリストみていると、あ、やっぱそんな感じがする。小熊英二とかも雰囲気似てない?
 ゾーンは現在42歳くらいの女性なのだろうか。この世代の女性の婚期は26歳くらいではなかったか。クリスマスケーキってな洒落があったくらいだ。そうだと仮定すると結婚して16年。子供は中学生。手が離れた、ちょっくら遊ぶわ、っていうことか。
 現在の都市部の女性の結婚年齢は30代後半になってきているわけだが、ざらっと言うと、彼女らは30代頭出したくらいではまだばりばり恋愛とかとかとかやっているわけで、学生終えてから、二花、三花くらい咲かせている…(まそれで慣れてしまうのでしょうけど)、こうした傾向は世代というより女性の一般性でもあるだろうから、すると26歳くらいで結婚したあの世代の女性の人生では、30代に花咲かず、みたいなのが「恨」みたいに残っているのではないか。時代もバブル前夜でお立ち台にも乗れなかったし…とエネルギーを貯め込む。あ、全然違いますか。なんか全然違ってるみたいですね。はい。
 話を戻して、裴勇俊の人気っていうのは明かにと言っていいと思うが、「冬の恋歌」っていう物語があってこそなので、それって、つまり「萌え」と同じカラクリ。キャラもだけどそれよりストーリーなんだよね。
 ってことは、世代論だのうだうだやるより、ただ「萌え」の時代ってことではないか。物語さえあればいいのであって、消費できる物語が多様にあって、それと現実との狭間が見えるとなお吉ということ。
 愚考、ここまで。

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2004.11.27

ようやくiPodを買った

 ブラックフライデー! いやいや、iPodを買ったのは先日のこと。でも、今頃iPodを使っているというわけだ。SE30を買い、IIciを買い、キューブを買ったMacマニアの自分だったが、この数年、なーんかAppleには引いてしまっていた。それでも、G4と電気スタンドiMacはある。けど、特定の作業以外には使っていない。Windowsがいいとも思わないけど…うだうだ。

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Apple iPod 20GB
Click Wheel Mac&PC
 要するにiPodはちょっと出遅れてしまって、なんかバツが悪いような感じで、使ってなかったのだ。Rioもあるし、MP3対応オリンパスのICレコーダーもあるし、MDも2台使い回しているし、ま、いいかぁと。iPodなくても困んないよね、と。違いました。iPodで生活行動が全面的に変わりました。古いやつ、ぜんぶ、お払い箱。
 iPodもそろそろ買うしかないかなと思ったのは、4世代目のを見て、Newsweekのカバー(参照)を見たときだ。こりゃ、Appleがどうこうっていう時代じゃないなと。20GBのを買った。音楽だけなら5GBでいいので身近なものにはminiを勧めた。で、Newsweekの記事だが、英語でよければ以下にある。

 なるほどね的な話は言い尽くされている。しいていうと、意外に音が悪くない。オートパワーオフが自然なのも便利。
 iPod買って私はどうしたかと言えば、ま、例外ではない。マシンに溜まっているMP3を吐き出す。それから手持ちのCDをがんがんエンコードしなおした。いろいろ考えたけど、マシン側と同期はとらないことにした。どうせ、CDで持っているのだし。
 転居後の家にある目ぼしいものはiPodに入れた。それでも2GBにはなってないようだ。
 そして聞く。Newsweekの記事にもあったけど、げ、懐メロばっかじゃん。っていうか、オリビアニュートンジョンとかきいていると自分が高校生のころを思い出す。って、無意味にちんこが立つ歳でもないが…。キングクリムゾンはやっぱりREDが最高とか…。クリントン・オヤジじゃないけどジョニミッチェルはどれもいいよなぁとか…歳をとるっていうのはこういうことだね。
 やべーな。これって、懐メロ機じゃん。と思いなおして、最近の曲も…ってわからん。ブリトニーとかアブリルとかそんなに聞くもんじゃないし。そうだそういえばとサロン・コムのオーディオで毎週無料のMP3コーナーがあったよなと、それを入れる。これが、けっこうよい。Lonesome Touch(参照)とか知らなかったです(恥)。
 で、入れても入れても20GBには遙かに及ばない。ええいと思って、コーラン朗詠(んなものを持っているのだった)とかグレゴリアンチャントなんかも入れた。意外に歌を聴いていると疲れるので、アンビュエントなのがいいのだね。
 なんかなんでも入るような気がして、入れる入れる。好きなラベルの「夜のギャスパール」なんか、ミケランジェリ、アルゲリッチ、ボゴレリチなど何バージョンもあるぞ。ちなみに、誰の演奏が一番いいかというと、野島稔(参照)です。ポゴレリチの演奏は興奮するけど外道です、はい。ラフマニノフのピアノ協奏曲なんか、最近、ご本人の録音とかCDで出ているので(参照)、キーシン(参照)だのアルゲリッチだとのつい比べてしまう。
 ついでにラジオのシステムも変えて結局ラジオ深夜便までMP3化してiPodに入れるようになった。あー、便利。ついで、VOAのrmファイルをMP3に変換して聞いたり…。
 これで「ビジネス英会話」が杉田敏先生だったらいいのになと思ってNHKの番組欄を見たら、あれれ、杉田敏先生(参照)、いつのまにか復活ですね。いやぁ、ファンの力ってすごいものです。極東ブログが明日消えたら消えっぱなしですよね(僻)。
 技術的に見ればiPodなんてどってことないんだけどねと言い訳してきたけど、これは美しさの点でCubeに劣らないし、操作インタフェースもこれ以上ってないんじゃないか。
 実はこれまで米国AOL経由で懐メロを落としてきたけど、プロテクトのかかったRealMedia対応なのでめんどくせーったらないので、さっさとiTuneのオンライン販売が始まるとよいなと思う。
 それにしてもこうなると業界もあれだな、負け。日本だとこの装置のプロテクトの甘さなんかが四の五のうるせー議論になって沈没だけど、ジョッブズ様だとなんでもやってしまうものだ。もっとも、これが普及すれば、デジタル万引きなんて今の規模ではなくなるのだろうけど。

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2004.11.26

パニックを避けつつマーガリンとショートニングを日本社会から減らそう

 ネタとしてエントリを書くと誤解が広まる可能性があるので、できるだけすっきりと書くことにしたい。要点は、日本社会の加工食品から漸次マーガリンとショートニングを減らすようにしたほうがいいという提言である。
 これらがもたらしうる健康への害は日本の場合、メディアを通じて社会ヒステリーになる可能性があるのではないかと思う。現状では、食品会社がこの情報をできるだけ抑えているようにも見受けられるので、そのことが逆に作用しないように、少しずつ現実を改善したほうがいいだろう。
 マーガリンとショートニングは製造的には水素添加によって液状の油をバターやラードのように低温では固まる硬化油に改造した油脂分だ。このため、かつてはマーガリンは人造バター、ショートニングは人造ラードとも見なされていた。
 マーガリンとショートニングの脂肪を構成する脂肪酸は、トランス脂肪酸(trans fat)と通称されることが多い(厳密にいうとトランス脂肪酸を含まないマーガリンも可能)。この脂肪酸が健康によくないとする研究が欧米で高まり、すでにデンマークでは使用禁止となった。これに加えて、一昨日カナダの下院(衆議院)で使用禁止の議決が多数を占めた。これから法制化に向かうのか、加工食品産業に与える影響が大きすぎるので暫時禁止となるのか社会問題になっている。
 米国ではすでに昨年の時点で話題にはなったが、米国の場合は、禁止ではなく表示義務化の方向であり、つまり、消費者が加工食品において、トランス脂肪酸の食品かそれ以外を選択できるという方向になった。ただし、トランス脂肪酸は自然界にも存在しているので表示義務については技術的な問題も残されてはいる。
 日本ではこの問題は事実上社会的に隠蔽されているように見受けられる(たとえば、健康によいとされているエコナは通常の油よりトランス脂肪酸がやや多い)。あきれたことにと言っていいと思うが、「買ってはいけない」などに見られる消費者運動は1970年代の知見のまま反資本主義的な運動に終始しているので、どうでもいいようなグルタミン酸などを敵視しているが、トランス脂肪酸の問題は重視していない。それどころか、これらの運動に連携した食品会社はトランス脂肪酸を含む食品を製造している。
 日本語で読める記事はないかとサーチすると、韓国東亜日報の日本語記事"果たして、ファーストフードはすべてが有害なのか"(参照)が出てきた。ここでいう国内は韓国を指している。


トランス脂肪酸は血管の細胞膜を堅くしてコレステロール濃度を高める。たくさん摂取した場合には、心血関係の疾患を起こす。米国食品医薬局(FDA)は2006年から、すべての食品にトランス脂肪酸の含量を表示するようにした。現在、国内ファーストフード会社にはトランス脂肪酸含量の分析資料がない。

 健康への問題は現状では循環器系への悪影響が注目されているが、他にも、"マーガリンのトランス脂肪酸が痴呆の引き金に"(参照)といったその他の面での問題が今後も指摘されるだろう。というのは、各種の脂肪酸は人体でホルモンの合成に関わっているのだが、トランス脂肪酸はこの代謝に問題を引き起こす可能性もある。
 時事的な問題に話を移すと、ニュースはカナダCBC"MP's trans fat comments no small deal"(参照)などで読むことができる。

The NDP introduced the motion to address concerns over the connection between trans fat and heart disease. The House of Commons voted 193 to 73 in favour of Winnipeg-Centre Pat Martin's private member's bill.

 下院での投票はトランス脂肪酸の禁止の法制化に大差を付けたかたちになった。なお、報道面では同じくCBC"Banning bad fats"(参照)が詳しい。
 こうしたニュースからもう一つの背景が見えてくるのだが、それは子供の健康という側面だ。つまり、次世代の子供たちに危険な可能性のある食品を作る社会を改善しようとする動きが見て取れる。
 日本の場合、こうした食の問題は、時代倒錯的な「自然食」に収斂されるか、奇怪な健保食品に収斂されるかという状況にある。率直に言って、日本の加工食品の現状からトランス脂肪酸を除くことは不可能に近い。だからこそ、少しずつ理性的に除去していくほうがいいだろう。

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2004.11.25

ウクライナ大統領選挙雑感

 ウクライナ大統領選のごたごたは、国際的には大きな問題だということは頭でわかるものの、私はあまり関心が向かない。単純な話をすると、どちらに心情的荷担するかという部分で宙に浮いた感じがする。しいていうと、ウクライナは親ロシアでやっていくしかないようにも思う。
 対立の国際的な構図としては、EU+米国 vs ロシア、ということなのかと思う。米国はすでに、ヤヌコビッチ首相当選という中央選管発表を正当な結果として受け入れないと、態度を明らかにしている。ただ、米国はここでロシアと対立する気もないだろうから、仕切り直しの時間稼ぎだろう。ロシアとしてもこの地域ではそう明からさまな軍事行動に出るわけにもいかない。
 今朝の朝日新聞社説「ウクライナ――ロシアか欧州かの危機」(参照)でも標題は勇ましいものの、話は腰折れになっていた。


 だが、ここは考えてもらいたい。混乱が長引き、流血の事態になれば、ウクライナ自身が傷を負う。欧州全体の安定や米ロ関係にも悪い影響を与える。
 それを避けるには、誰もが納得できるように集計をやり直すことと、選挙の実態がどういうものであったかを公正な機関に調べさせることから始めなければならない。国民の声に耳を傾け、対話で局面を打開することだ。

 政治というものを敢えて見ぬ振りし、国民という幻想に依存する朝日新聞らしさに苦笑したものの、日本の左翼としては親露も親米も困ったということなのだろう。
 もう一段下の構図には、EU vs 米国があって、これも端的なところ、ウクライナがEU軍に入るのかNATO軍に入るのかということだ。が、そのNATOがややこしい。米国は中長期的にはEUに敵対していくと思われるが、その際、NATOをどう使うのか現状では見えてこない。
 少し話を戻すと、仮に正統な選挙が再実施されても、どちらかよほど優勢ということにならないとウクライナは落ち着かない。台湾総統選でも米国大統領選でも誤差のような僅差だったが、国としての体をなしつつあるのでなんとかなったが、ウクライナはそうはならないのだろうと思う。
 ウクライナの基本的な対立は東西の分裂とも見える。つまりジオポリティカルな要因が強い。これを宥和させるのは難しいだろうと思うのはそのあたりの印象からだが、そのあたり感覚をうまく表現している情報はないかとネットを見ていたら、「GPSの森」というサイトの"ウクライナ"(参照)が面白かった。

 ウクライナは日本とはあまり縁のない国です。多くの日本人はウクライナのことをよく知らないと思います。チェルノブイリ原発事故では有名ですが、被害が大きかったのはウクライナよりもお隣のベラルーシです。ウクライナにはチェルノーゼムで有名な肥沃な国土はあるものの人材や技術が十分にありません。外貨を獲得できる基幹産業もなく経済的にはとても貧しい国です。また、ウクライナは長年ソビエトの支配下にあったために、そのアイデンティティも希薄になっています。この希薄なアイデンティティを象徴するものがウクライナの言語事情だと言えます。ウクライナの公用語はウクライナ語ですが多くのウクライナ人はロシア語を使うことができます。実際、ロシア語とウクライナ語はかなり類似しています。しかし、言語事情はウクライナの東部と西部で全く異なっています。東部にはロシア語はわかるがウクライナ語はわからないという人が多くいます。例えば、首都のキエフという町ではロシア語のテレビ番組、新聞、音楽があふれかえり、ウクライナ語はほとんど理解されません。西部ではその逆です。例えば、ポーランド国境に近いリヴィウの人々はウクライナ語に高い誇りを持っています。リヴィウではロシア語は完全に「外国語」なので、「スパシーバ」(ロシア語)なんて言わない方がいいです。

 この先も興味深いのだが引用はここまでとして、それでも、私の実感としては、ウクライナというものを簡素にうまく表現していると思う。
 いずれにせよ、言葉までが違っているなら国家としての宥和は難しいだろう。もともとかつてのウクライナ独立運動は弾圧されたウクライナ語の解放がその民族的な情念の焦点だった。余談だが、ゴーゴリはウクライナ人だがロシア語を使っていた。
 言語と民族性は必ずしも一致しているものではないが、民族幻想は往々にして言語にアイデンティティを抱きやすい。余談が多くなるが、私が以前台南に旅行したとき現地の老人が極めて流暢な日本語を話している際、どうしても私には彼らが日本人しか見えなかった。言葉というのはそういう幻想を生み出しやすいものだ。
 そういえば、ウクライナ語と米国ということで、なにか無意識にひっかかるなと思って、しばし物思いにふけったのだが、突然VOAだ!と声をついてしまった。VOA(Voce of America)ではソ連崩壊前からロシア語とは別にウクライナ語の放送をやっている。ソ連はそれにむかっ腹をたてて妨害電波すら出していた。面白いことにソ連が崩壊しても、VOAのウクライナ放送は続いている。VOAを通じた米国の情報戦略は、先の「GPSの森」のページにも言及がある、ウクライナ人の北米移民が多いことなどにも関係しているのかもしれない。
 話が散漫になったついでに、文化的な背景の話として、個人的に関心を持っているウクライナ・カトリックのことを少し書いて終わりにしたい。
 まず考察のベースとなるウクライナの総人口だが、2004年時点で4,773万人(参照)。日本の外務省が世界銀行によって前年の統計では4,836万人。誤差というには大きな差があるようにも思える。民族的には73%ほどがウクライナ人。宗教者の多くは正教だが、人口比で見ると、モスクワ教区が26.5%、ウクライナ正教が20%、ウクライナ・カトリックが13%。なので、ウクライナには620万人のカトリック信者がいる。ソ連下では350万人と言われていたから、倍増しているのかこのあたりの状況はよくわからない。ウクライナ・カトリックは1946年、スターリンのロシア化政策によって強制的にロシア正教会に組み込まれた。その後、独立までに数千人の司祭や一般信者などが殺されたり逮捕されたりした。もっとも、1930年代にスターリンが行った強制的農業集団化で起きた飢餓の惨事に比べるとそれほどでもない、というのが悲劇的過ぎる話なのだが。

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2004.11.24

米国ドル安をもってEUと中国を撃沈

 ちょっとスジの悪い話を書く。最初から冗談・洒落を狙っているわけでもないし、ましてそうまじこいているわけでもない、と最初に弁解。が、失笑を買うのを承知の上で、四の五の言わず、書いてみることにする。話は昨今の円高というかドル安と米国の世界戦略だ、いや、ユーロ高問題とも言える、とキーワードを並べただけでスジの悪さが際立つ。
 まずファクツからだが、23日のニューヨーク外国為替市場でユーロ買いが先行し、一時1ユーロが1.3108ドルと、ユーロ導入以来市場最高値が付いた。ユーロ高はドル安ということでもあり、円も対ドル102.87円と板子一枚下は地獄かというか、黙示録のように介入喇叭が鳴り渡るか…というところ。でも、冷静に見れば、たいした話ではないとも言えるのだが…。
 今朝になってドル安傾向は少し持ち直しているようだが、大筋での流れは変わらないし変わるわけもない。ドル安原因についてはあらためて言うまでもなく、米国の財政・経常収支の巨額赤字がドル売り圧力になっている。これに先日のグリーンスパンFRB議長やスノー財務長官の発言への思惑がいろいろ絡む、というか、悪いスジの読みが炸裂する。
 先日のG20(20カ国・地域の財務相・中央銀行総裁会議)でもドル安阻止連携の話題はない。米国は無意味な強さを吹いているだけでドル安協調をとる気はない。ということはそれ自体が一つの米国の対外的な政策でもある。なので、これを一つの国際戦略として読むことも可能だろうという悪魔の囁きは絶えない。
 てなことを思いつつ、別の関心でサロン・コムを見ていたら、変な話"Unilateralism in a different guise"があった。サロンのオリジナルではなくガーディアンがオリジナルらしいので、ガーディアンを見ると、ある。標題はサロンとは違って"US risks a downhill dollar disaster"(参照)と単純だが内容は同じ。ふざけた書き出しで始まる。


George Bush's foreign policy is simple: don't mess with America. The same, it appears, applies to economic policy as well. On Friday, the dollar fell sharply against the euro. That was unsurprising, since the downward lurch followed comments from Alan Greenspan which - by his own cryptic standards - were unambiguous.

 曰く、アメリカって国がどうなっているのか複雑でわからないものだが、ブッシュの国際戦略は単純極まるし、経済戦略でも同様、とくる。対ユーロでドル安が進行しているが、さして驚くべきことでもないのは、まいど言語明瞭意味不明のグリースンパンも曖昧には言ってなかったじゃん、と。つまり、グリーンスパン彦左衛門もブッシュへのご奉公をしているのだろというわけだ。スジ悪な前奏である。
 日本でそろそろ介入ですかの空気だが、EUもそうなりつつある。このままでは輸出が息絶え、各国の国内経済が干上がるからだ。

Joaquin Almunia, Europe's monetary affairs commissioner, said last week: "The more the euro rises, the more voices will start asking for intervention. It has to be a coordinated effort but it seems that our friends across the Atlantic aren't interested."

 EUから見て大西洋対岸のお友だちは介入の気配はない。というわけで、プラザ合意のようなことはないし、そもそも歴史状況が違うのでというか日本がダメダメなので国際的な協調はハナから無理。
 ここで、面白い二つの仮説が提示される。一つはそれほど悪くはない。単に経常収支の改善でしょ、と。

There are two reasons why the Bush administration is not willing to play ball with the Europeans. The first is that it sees a lower dollar as inevitable given that the US current account deficit is running at $50bn-plus a month. A lower dollar makes US exports cheaper and imports dearer.

 山場は第二の理由だ。米国がイラク戦争がらみでEUに報復戦を始めたというのだ。わくわく。

The second reason is that the Bush administration has neither forgotten nor forgiven France and Germany for the stance they adopted over Iraq. Jacques Chirac and Gerhard Schroder weren't interested in helping the US to topple Saddam, and now it's payback time. If the European economies are suffering as a result of the weak dollar, why should the US care? What's happening in the currency markets is simply American unilateralism in a different guise.

 ドル安をもってEU撃沈が真相。爆笑な陰謀論か。陰謀論というのは一度スジが通るとあとはネタは集めやすい、お話も作りやすい。そりゃね。
 かくして二つの理由にさらにもう一個理由が追加される。中国撃沈だ!、というのだ。まじかよ。

Washington may have another reason - apart from getting its own back - for allowing the Europeans to suffer. The US is desperate for the Chinese to revalue the yuan, but has so far utterly failed to get Beijing to agree to abandon its dollar peg. The Chinese, for political as well as economic reasons, are determined to resist American pressure.

 元の調整をする気がないなら、無理矢理やってやるぜというのがドル安だと言うのだ。もちろん笑うっきゃないのだが…と、ここあたりで、我ながらいかんなとも思うのは、スノーはその気かもという疑いは拭えない。
 いずれ、中国経済のバブルはソフトランディングするかハードランディングするしかない。で、エコノミストたちはソフトランディングでしょ、でなきゃ困るでしょ、ハードランディングするメリットはないでしょ…という蛙の歌が聞こえるような輪唱となるのだが、が、そこがわからない。
 ガーディアンの記事でも、ハナからおふざけではなく、ソフトランディングでしょとはしている。が、歴史を見れば、経済はそう統制できないよとも言う。実際のところ、エコノミストも経済学者もその二つのシナリオがあるといい、可能性の提示はするが、現実の政策と結果の見通しだとも言えない。
 誰か私の身代わりにハードランディング説を言っている蛮勇はいかないかと思ったら、思わぬ所にあり。朝鮮日報"SCBチーフ研究員「中国はハードランディングの可能性高い」"(参照)だ。

 ライアン博士は「米国は大統領選以降、再び下降曲線を描いている」とし、「中国政府も現在の過剰投資に対し適切に対処できず、ハードランディングする可能性が高い」と悲観的な見通しを示した。

 へぇ。
 いや、へぇ、で済まされることなのか、よくわからないのだが、ちょっと気になるのは、こうした話のなかですでに日本は存在していないということ。関係ないのか。では、お茶でも一服。

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2004.11.23

シラク大統領の次はサルコジ大統領

 正式な発表は来週に待つことになるが、昨日予想通り、現在経済財務産業相のニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)がフランス与党国民運動連合(UMP)の党首に決まった。当然、2007年の大統領選にも出馬することになる。関心の的は、サルコジが次期フランス大統領となるか、なのだが、現状の流れではそうなる可能性が高い。そして、その意味は、現在のシラク(Jacques Chirac)大統領のアンチクライマックスだ。同じ党であるとはいえ、シラクとサルコジは対立している。
 日本では、実際の国政・経済は米国べったりなのだが、イラク戦がらみもあって、マスメディアやジャーナリズムには反米気運が高く、その対極として親フランス的な言動者が目立つことがある。なので、フランスも帝国主義剥き出しじゃないかというコートジボワール問題についても日本ではそれほど話題にもならない。そう言えば、在沖だった池澤夏樹もパリ郊外に転居した。沖縄という文脈をいまだ課題としているなら、現在のタヒチの植民地政策についてなにか言及して欲しいものだが、どうなのだろう。
 サルコジが大統領選挙候補と言われるまでにならなくても、シラク大統領にはもう後はない。政治家として最後を飾りたいところだ。といえば、ドゴールだのナポレオンだのを連想するようなフランスの栄光ってやつだ。もちろん、ボナパルト再来というわけにはいかないから看板はEUとする。そしてその主導権を握り、トルコやイスラエルなど中近東に威光を示す。かつての植民地だったアフリカ諸国は自国文化に染め上げる。トレビアン。米国なんか世界の田舎者だ。遠方の大国は味方に引きつける。まず、中国。日本も中国の末席に置いてやろう。そうだな国連で日本に無意味な名誉を与えよう。何か悪い?
 何も悪くない。国際政治に善悪なんてない。ただ、そんな夢のような話はうまく行かないだろう。内政での右傾化と外交面でのトルコのEU加盟問題からも推測がつく。
 2002年の大統領選では、シラクは決選投票では極右候補の国民戦線ジャンマリ・ルペンの台頭を許した。いくらエスプリの効いたフランス国民でもこれには泡を吹いてシラク支持の国民運動になった。それでも極右の支持者の層は社会的な影響力を持つほど厚くなっている。
 本音はトルコのEU加盟なんて冗談ですらないのに、EUのトルコ加盟問題もシラクはエレガントにこなした。しかたない。フランスなりEUなりが現在社会の資本主義世界で伍していくにはドイツというエンジンが不可欠。ということはその内部に必然的に組み込まれているトルコ人を排除できるわけもない。それでも、トルコ人を含め反イスラム色を濃くしつつあるフランスの内政に不満は高まっている。
 それでもなんとかやってのけるのが大政治家というもの。幸い、シラクはどこかの国の権力者とは違って、後継者もちゃんと用意していた、はずだった。ドビルパン(Dominique de Villepin)だ。サルコジではない。
 サルコジは90年代前半はシラクの右腕的な存在だった。が、95年の大統領選挙でシラクを裏切った。この時点で政治理念が違っていたのだろう。シラクは当選後、相応にサルコジに冷や飯を、いや冷やパンを食わせた。よいパン? ドビルパンだ。彼が取りなしてサルコジを内務・治安・地方分権相に据えた。警察の最高責任者でもある。サルコジは辣腕を振るい犯罪率を下げた。交通事故なども劇的に減ったと聞く。
 シラクとしてはちょっとスジが違うぞと思った。ので、内務・治安・地方分権相をドビルパンにすげ替えて、代わりに国民の非難が向きやすい経済・財務・産業相にサルコジを置いた。たまりませんね、このおフランス趣味。ところがここでもサルコジは辣腕を振るい、働けフランス人とやり出した。もともとサルコジはがんばるっきゃないハンガリー系の移民の子孫だ。エリートの保証ともいえる国立行政院(ENA)も出ていない。
 でも、インテリはインテリだ。どのくらいインテリかというと、日本の国技を見て、「相撲は肥満体同士の取っ組み合いで、インテリのスポーツとは思えない」とのたまうほど。東京はいかが? 「魅力的な香港に比べ、東京は息苦しい。京都もどこが刺激的なのか理解できない」と。ロランバルトが絶賛した宮廷はいかが? 「皇居の庭園だって陰気なだけ」 いや、おみごと。ところで本気? いや公式には否定するだけの知性もある。
 歯に衣を着せぬサルコジの人気はフランスで高まった。もともとサルコジはシラクなんか恐くないから野心も剥き出しにした。まずは党首から、と。シラクとしては、党首をするなら役職は降りてくれとなった。かくしてサルコジは党首となったものの、事実上、閑職。この間、サルコジ人気が冷めればシラクにとって好都合だ。
 さて、そうなるか。ならないだろうと思う。ドビルパンなどサルコジが大統領となる日を見越しているに違いない。
 現段階で予測するのはお笑いのうちだが、フランスの次期大統領選を待たず、いずれ英国はEU憲法を国民投票にかけるだろう。そして、それは、転ける。そして、それが、フランスにも伝搬して、EU憲法はおじゃんになる。そのあと、サルコジ大統領が勤勉なフランス国家を造りあげるようになるのだろう。

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2004.11.22

胡錦濤のキューバ訪問

 たいした国際ニュースではないのだが、胡錦濤のキューバ訪問が気になって、ネットをうろついてみた。発端は、チリのサンティアゴで開催されたAPEC(Asia Pacific Economic Cooperation:アジア太平洋経済協力会議)関連のニュースを見ながら、中国の胡錦濤国家主席の動向が気になったことだ。
 ニュース的にはAPECに関心が向くのだが、他の側面もある。胡主席は今月の11日の時点で中国を旅立ち、チリ以外にブラジル、アルゼンチン、キューバの中南米四か国も歴訪していた。当たり前だがれいの原潜騒ぎの時には北京を留守にしていたわけだ。帰国は23日ということなのでまだ北京に戻っているわけではない。重慶市の動乱なども胡主席の留守の出来事だった。
 四か国の歴訪といっても、APECのおまけではあるのだろうが、以前のアフリカ訪問などと同様に資源・エネルギー外交の一環でもある。日経系"中国が中南米外交強化・胡錦濤国家主席が4カ国歴訪"(参照)では次のように報道していた。


ブラジルやアルゼンチンの資源開発を軸とした経済交流の拡大が柱。中国は関係強化で資源の確保を図ると同時に、台湾外交の切り崩しや、米国の一国主義への対抗を視野に入れている。

 また同記事では中国が中南米との貿易に熱心だとも指摘している。

中国と中南米の経済関係は毎年緊密化の一途だ。中国海関の統計では1―9月、ブラジルの対中輸出は前年同期比52%増、中南米全体では同46%増だった。日本の中南米貿易の縮小傾向とは対照的だ。

 それはそうかもしれない。末文に日本との比較ということで話に色を付けているのだが、実際はもう少し冷静にみたほうがいいのは、フィナンシャルタイムズ"Beijing blessings"(参照)が皮肉っぽく指摘するとおりだ。

Above all, governments should not exaggerate the scale or impact of Chinese inflows. With or without Chinese investment, Latin America will still face enormous economic challenges. The region must maintain fiscal discipline in order to secure stability. And if it is to create enough jobs and address pressing social problems, it will still need both to do more to help small and medium-sized companies and to attract capital and technology from the developed world. A China windfall will help, but it will not be a panacea.

 試訳は端折るが、フィナンシャルタイムズは、こうした中国の資源・エネルギー外交をそれほど驚異に見るべきではないとしている。理由は、中南米諸国が経済問題を抱えていることに加え、中国も経済的に失速すると予想されているからだ。
 ところで、私が気になったのはそんな偉そうな経済の話ではない。資源・エネルギー外交だという点で、ブラジルとアルゼンチンはわかる。それにチリは今回のAPECの目的地でもある。で、キューバはどうよ? 資源もエネルギーもないよ、あそこ。
 ということで、キューバ? 胡錦濤がなぜキューバ? そういえば高校生の時、岩波新書「キューバ:一つの革命の解剖」だったか読んだな。そういえば中学生の時、日比谷で岡林信康が「サトウ(栄作)を刈りに行く」とか息巻いていたっけ(これは挫折した)…とか連想する。そうだ、キューバって共産主義ってことで中国のお仲間だったな、と。
 ネットをひくと、あたり。そういうことのようだ。Sun-Sentinel紙というフロリダ南部の新聞に"A show of ideological solidarity from China"(参照)という関連の記事があった。

But if the first part of Hu's Latin American tour reflected the needs of a pragmatic new China that has thrown open its doors to dynamic entrepreneurs -- even inviting capitalists to join the Chinese Communist Party -- his last stop, a visit to Havana on Monday, is a nod to China's ideological alliances and a show of solidarity with his communist brethren.

 試訳を端折るが、胡主席のキューバ訪問は投資といったビジネスの要因より、同じ冷戦時代からの共産主義国の誼みがあるようだ。同記事ではキューバのニッケル資源投資なども触れているが、むしろ援助といった意味合いなのだろう。米国のキューバ制裁への当てつけもあるかもしれない。
 記事の後半を読むとわかるが、中国とキューバには共産主義以外にも歴史の絆があった。米国と中国の歴史でも同じだが、苦力といった中国労働者の移民の歴史だ。

China's connections with Cuba date to the 1840s, when Chinese laborers arrived on the island to work on sugar cane plantations. They helped fight the Spaniards in Cuba's war of independence and established a bustling commercial center near Havana's capitol building. By the early 1900s, Havana's Chinatown, or Barrio Chino, was the largest Chinese outpost in Latin America.

Today, fewer than 400 Chinese immigrants remain in the Barrio Chino. Most are in their 70s and have seldom journeyed back to their homeland -- a country they now barely recognize for its economic boom.


 私はキューバには行ったことがないが、ハバナの中華街については知っている。もはや古老が残るばかりとなっているのだろうが、彼らに中国本国旅行といった夢のようなものはあるのだろうか。中国本土の縁者とかはどうなのだろうか。なんとなく歴史と人生の交錯するところに思いが引き寄せられる。
 さらにネットを見ていたら、昨年から中国からキューバへの観光が解禁されていることがわかった(参照)。今年1月には最初の観光客があったようだ。"初めての中国人観光団、キューバに到着"(参照)にこうある。

 中国国家観光局とキューバ観光省が昨年の7月24日に「中国公民の自費キューバ団体観光に関する了解覚書」に調印し、キューバはラテンアメリカで初めての中国公民の観光先となった。直航便がないため、キューバを訪れるには、フランス、ドイツ、米国でトランジットしなければならない。この3カ国のなかで、中国公民の観光先として認められているのはドイツだけで、フランスや米国を経由する場合と比べ、越境ビザを取得する必要がなく、旅費も安い

 だが、先日ラジオで聞いた話を思い出すのだが、イタリアやフランスも中国人観光客を今年から大幅に受け入れ出しているらしい。とすると、そうしたなかでキューバの観光メリットはそう多くはないだろう。マカオの取り締まりを厳しくした埋め合わせに、遠いところにコロニアルなカジノを提供する、というわけでもないだろうが。

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2004.11.21

Googleの自動翻訳に日本語が対象になっていた

 最近IT系の情報に疎くなりつつあるのでみなさんご存じのことかもしれないが、私は昨日発見したので最初は驚いた。Googleに日本語の翻訳機能が付いているのである。例えば、検索結果のページを英語から日本語に翻訳してくれるのだ。試してみると逆もできる。つまり、日本語から英語への翻訳も可能になっていた。私は英語もおぼつかないが、それでも、フランス語やドイツ語となると私はからっきし読めないので以前から英語を軸にした翻訳機能は重宝していた。日本語が使えるとなるとそれはいいぞと思ったわけだ。
 それにしても、いつのまにこんな機能が装備されいるのかと感心した。Googleもさすがだな、自動翻訳の分野にまで技術を持っていたのか。と、あんぐりを口を開けたもの、なわけねー、とか天啓なのか悪魔の弁明なのかあって、シストラン(Systran)と比べてみたら、機能は同じだった。若干シストランとバージョンが違う印象は受けるがエンジンは同じようだ。なーんだ、シストランと提携しただけなのか。
 どこと提携しても精度がよければいいのだが、ちょっと試してみるとわかるが、ベータ版の注意書きに恥じないものである。それでも、なんとか使えないわけでもないかもしれない。ちょっとやってみよう。
 翻訳用のサーバーは以下にある。


  • http://translate.google.com/translate_t

 例文はこれ。

According to a participant, Greenspan told G20 finance ministers and central bank governors meeting in Berlin that the U.S. savings rate was currently around zero and the transfer of savings to consumption was slowing.

 で結果はというとこれ。

関係者に従って, Greenspan はG20 大蔵大臣に告げ, ベルリン米国の節約率がゼロ現在だったと消費への節約の移動で 会う中央銀行ガバナーは遅れていた。

 使えませんね。ちなみにエキサイトなどが採用しているAMIKAIだとこう。

参加者によれば、グリーンスパン、米国の貯蓄率が0のまわりで現在あったとベルリンでG20大蔵大臣および中央銀行知事会に伝えました。また、消費への貯蓄の転送は遅くなっていました。

 開発に日本人が入っていると思われるAMIKAIのほうがちょっとマシかもしれない。
 今後日本でも自動翻訳のニーズが高まるので、技術も進歩していくだろうと思われるので、その意味で、現状での精度を云々するより、そうした市場ニーズがあるよということを喚起していくほうがいいだろう。ビジネス的には、Froogleがすでに日本語でも一部使えるように、通販などで採用されていくといいのかもしれない。
 ちなみに、Googleで翻訳させるには、translateサーバーにURIの引数を渡してやるだけでいいようだ。
 英和の場合はこれ。

  • http://translate.google.com/translate?hl=ja&sl=en&u=

 VOAをこれを使って翻訳するとこう。

 和英ではこれ。

  • http://translate.google.com/translate?u=

 まだ機能がよくわからないのだが、日本語版のGoogleサービスからは検索の際に自動翻訳は出てこないようだ。Googleの国際版で使える。追記(同日):日本語版Google.co.jpでも装備されていました。

 そして、[このページを訳す BETA ]をクリックすればいい。
 こうしたサービスが日本主導でできるといいなとも思うし、エキサイトやOCNなどはそうした志向があるのかもしれない。自動翻訳技術の難しさは四の五の言うまでもないが、早く実用レベルになるとグローバリズムというのも政治の話題からさらに広がるだろう。

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2004.11.20

[書評]45歳、ピアノ・レッスン!―実践レポート 僕の「ワルツ・フォー・デビイ」が弾けるまで(小貫信昭)

 標題のとおり、まったくピアノを練習したことがない45歳の中年男が、ジャズのナンバーが弾きたくて、ピアノのレッスンを始めたという話。

cover
45歳、
ピアノ・レッスン!
 著者小貫はこの本を執筆した2004年5月の時点で47歳。私と同い年なのである。始めたのが45歳。実は私も45歳のときからピアノの練習を始めた。だから、この本を見たとき、あれ?と思った。
 本の釣りにはこうあるように、彼の場合は、いちおうこの企画が仕事ではあったようだ。

理屈をコネるのは得意だけど、めっきり最近腰が重い。そんな時に「ピアノを習って、その奮闘記を書いてください」と依頼が…。楽器を初めて習うところから「ワルツ・フォー・デビイ」が弾けるまで、45歳の実践レポート!

 仕事だからとはいえ、実際にピアノが弾けるようになりたかったのは確かだ。まえがきにこうあるのは本心だろう。

 でも、ピアノじゃなかったら、やってなかったかもしれない。ギターとか、フルートとか、和太鼓とかだったら、断っていたと思う。理由は簡単。「もし弾けたら、カッコいいだろうなぁ」と思う楽器は、ピアノをおいて他にはなかったからだ。

 まず、書籍として見て面白いか、なのだが、ライターさんというだけあってさらっと読みやすく、面白く書いてある。が、もうちょっと実戦的な練習のヒントが多いといいなとは思った。例えば、個々のレッスンの再現のようになっている教本的な構成だったら、役立つのに…と。
cover
ピアノスタイルVol.6
 それでも、実際に同じようにピアノレッスンを始めてみると、細かいところで、そーなんだよね的に同意する点は多い。話はピアノの購入の手ほどきから書かれている。彼はこの本の企画がヤマハだったこともあり、「P-120 YAMAHA ELECTRONIC PIANO」を購入した。この機種はアマゾンでみたら「在庫切れまたは製造中止」とあった。価格は168,000円。このクラスだとそんな感じかなと思う。他のショップをあたると12万円くらいである。音の良い最近の電子ピアノについては、カタログ代わりに「PIANOSTYLE Vol.6」など、「ピアノスタイル」の最新刊を買うといいと思う。バックナンバーによっては初心者向けの紙上レッスンなどもある。
 私はとにかく運指ができたらいいなと思って、「CASIO CTK-571」を買った。これもすでに製造中止。後継機種は「CASIO キーボード(61標準鍵) CTK-591 シルバー」のようだ。音もタッチもたいしたことはないが、運指のレッスンには向いている。私は小貫のように先生につくことはしないで、ひたすら指示された通りの運指だけをやった。
 やればできるものである。この本では、次の3曲のレッスンがメインになっているが、私も、バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」が弾けるようになった。

  • サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」
  • バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」
  • ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビイ」

 カシオの電子ピアノに入っているバッハ「主よ、人の望みの喜びよ」は小貫のとは違ったアレンジでどちらも、一般にピアノで弾かれているマイラ・ヘスの編曲にはほど遠い。が、私の譜のほうがちょっと複雑かな…といってお聴かせするほどではないが。
 小倉も書いているが、やさしいアレンジであってもバッハが弾けるというのは、なにか魂に喜びのようなものを与える。私はちょっとばかりクラシックギターも弾くのだが、やはりバッハは美しい(バッハのギターアレンジ譜もある)。

 バッハに決まった。やるとなったら、決断が早い。
「でもバッハといっても、主に三つくらい、違うタイプの曲があるんですよ」
 マナミ先生は、即座に弾き始めた。
(中略)
ちなみに、先生が弾いてくれた三つのパターンというのは「メヌエット ト調長」と「プレリュード第一番(五つの小さなプレリュードより)」と「主よ、人の望みの喜びよ」ということだったらしい。

 で、私は「メヌエット ト調長」も弾ける。すでにピアノが弾ける人には失笑ものだろうが、この曲は二、三か所短いのだけど、右手と左手が違うメロディーというか流れを形成する部分があり、こんなもの両手で弾ける日がくるのかと思ったが、できた。できてみると、左右の手が歌っているようで楽しい。小貫も「忙しい両手が快感に!!」と書いているがそんな感じだ。
 「主よ、人の望みの喜びよ」はもともとピアノやハープシコード用の曲ではないが、「メヌエット ト調長」は厳密にはバッハの作品ではないものの、バッハが後妻に与えるべくその名を記した「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラビア小曲集」なので教本らしい良さがあるし、クラビコードを意識しているせいか、ペダルもなしで(たぶん)いい気軽さがある。
 そう、電子楽器だとペダルとかけっこう問題でもある。こうした点も配慮してなのか、この本で、小貫は電子楽器ではないグランドピアノも弾いた体験を書いている。
 私も少し弾けるようになったので、アップライトピアノだが借りて弾くことがある。鍵盤が重いのだね。すごい力がいる。それでも、物を叩いて出る音というのはいいし、カシオのちゃっちい電子ピアノと比べてはいけないが、音の表現力はまるで違う。
 超初心者のピアノについては、他にもいろいろ思うこともあるけど、これもまたいずれ。

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2004.11.19

ウンチングスタイル考

 標題からお察しできるように、ちょいと品の悪いお話。そんな話書くんじゃねーと言われるかもというか、それならもっと専門のブログがありますよというか。ま、簡単に切り上げようとは思うのだが、昨日ちょっといろいろわけあって「ウンチングスタイル」のことが気になった。もしかして、「ウンチングスタイル」って死語?
 そういえば、コンビニの前とかでうんこしている、もとい、座っている青少年少女も、最近は休息中の米兵みたいにべたっと地面に座っている。あれれ、ウンチングスタイルを見たのはいつの日かぁ♪ 沖縄で見たか。沖縄では「つんたちぃ(飛立居)」と言う。
 死語かなと思って辞書を調べる。が、俗語すぎるので記載されているわけない。新語の多いgoo辞書を見ても、ない。新語でもないしな。Googleをひくと、ある。そりゃ、ないと困る。重要な日本語だし(たぶん)。ヒット数は中点の有無で違うが、どうやらGoogleは「ウンチングスタイル」を一語として認識しているようだ。それでいいのかよくわらかないが…。
 どうも私は世相に疎く「パンツぱんくろう」とかも知らないでいたのだが、現代では「ウンチングスタイルって何よ?」って声も出てくるかもしれないので、この言葉の意味は…、と解説するより、Googleで「ウンチングスタイル」と書いて"I'm Feeling Lucky"ボタンを押す。
 と、ラッキー! 「バクオン:ウンチングスタイルに革命」(参照)というページが出てくる。いや、これ、一目瞭然ってやつです。さらにこれのネタもとは"Nature's Platform"(参照)だ。いや、これ、いいですよ。このショップがアフィリエイト出していたらもっといいのだけど(なわけない)。


Two-thirds of humanity use the squatting position to answer the call of nature.

In those cultures, appendicitis, diverticulosis, hemorrhoids, colitis, prostate disorders and colon cancer are virtually unknown ... Learn why
【意訳】
人類の三分の二の人々、つまり、40億人もの人々が、ウンチングスタイル、そう、しゃがんだ姿勢で、自然からの要請に応えているのである。ウンチングスタイルが維持されている人類の大半の人々が所属する文化において、盲腸、憩室症、痔、大腸炎、前立腺障害、大腸・結腸癌といった病気はその社会で認知されないほど珍しい。その理由をここで学びたまえ。


 と、マジにとるなで、はあるが、リンク先の"Health Benefits of the Natural Squatting Position "(参照)では、その7つの健康メリットをあげている。なんか、ぐっと引き込まれる力強い文書ですな、と、読み進むに、長ぇ長ぇ、この執拗さって、フロイト派精神分析学のいうところなんとかみたいでもある。なんだか、ピンチョンの「重力の虹」でも読んでいるみたいだ。

Historical Background
Human beings have always used the squatting position for elimination. Infants of every culture instinctively adopt this posture to relieve themselves. Although it may seem strange to someone who has spent his entire life deprived of the experience, this is the way the body was designed to function.
【意訳】
歴史的背景
人間という存在は常に排泄においてウンチングスタイルをとってきたものなのである。どの文化に所属していても幼児は本能的にこのスタイルを採用することで目的を達成している。このスタイルをもって生活を過ごした経験のない人ですら、身体の構造からしてウンチングスタイルこそがこの目的のための最適なスタイルなのである。

 これもマジでとるなよなではあるが、笑える。
 で、この補助装置なのだが、ある年代以上の日本人にしてみると懸念を抱かせる構造的かつ機能的な欠陥があるかもしれないと思える。その欠陥とは「おつり」である。あ、ま、次、行ってみよう!
 構造的な欠陥よりも、そもそも現代日本人はこの神聖なスタイルをとることができるのだろうか。と、身近の若い者にしゃがませてみたら、できた。踵が浮いているようでは、前に転げる。大丈夫。さすが日本人だ。以前、米人にやらせたら、面白いように、イテーだの、前につんのめるだのしていた。
 とはいえ、現代日本だとこうした補助装置が必要になるやもしれないとしみじみ思う。先のサイトの説明文の言う、三分の二の文化圏に日本は所属しづらくなっている。それでも、公園とか古いデパートとか、列車とかにはあるはず…。と、つい列車の状況をGoogleで調べていると、「国際化とトイレ」(参照)というページを見つけた。面白い。なるほどね。
 そういえば、このタイプのをトルコ式という。イスタンブルで国際線から国内線に乗り換えたら、とたんにこれだったので感激したことがある。インドでもそうだった。
 ただし違いはある。その違いはある意味で大きく、宗教的とも言えるのかもしれない。これは同じ坐禅でも臨済宗と曹洞宗の違いを想起していただければわかるかと思う、って凝った冗談を書くまでもなく、壁に向かうか、ドアに向かうかである。日本は曹洞宗的で壁に向かっているのだが、やぁ、こんにちは、ただいま取組中ですという人間的な応答こそがイスラム的な世界には相応しいのかもしれない。
cover
Dr.スランプ
 そういえば、これらの国では、設備にどちらも、専用の水汲み桶があった。イスラム圏だから必須だともいえるのだが…。
 いや、必須ではないかもしれない。人間というのは、健康的に暮らしているなら、事の始末に水だの紙だの不要なのではないだろうか。あれだ、Dr.スランプでスッパマンが勇気の存在証明に必要としてるあれ、あのとぐろな形態は違うのではないか。というのも、以前「はじめてナットク!大腸・内幕物語―知られざる臓器をさぐる」(絶版)を読んだとき、大腸というもの機能から、そう考えたことがある。先日、井の頭公園でヤギを背面から見ながらも同じことを考えた。ま、この話は深入りすると苦いので止める…。
cover
陰翳礼讃
 それにしても、ウンチングスタイルが消えていく文化はそれに見合った生活様式もまた消えていくということで、最近では、美しい茶室に蹲踞があっても、さすがに別室を雪隠とは言わない。雪隠がなければ「雪隠詰め」なんて言葉もなくなる。手水鉢は日本庭園のただのアクセサリーなのだ。谷崎潤一郎の世界はもうすでに遠い。

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2004.11.18

ファルージャの戦闘についての感想

 ファルージャの戦闘について、まだ考えがまとまっているわけではないのだが、この時点で思うことを少し書いておきたい。まず、この戦闘の是非については、国連からの示唆もあるように、いろいろ議論があることだろうと思う。特に反米的な立場の人はこの戦闘には頭から批判的にもなるだろう。ただ、この問題はイラクという単独の視点で考えるより、コートジボワールで現在進行している問題などとも併せてより一般的にな地点で、今後は考察したほうがいいようにも思う。
 今回の戦闘は、たとえ肯定するにしても肯定しやすくはない。戦闘を推し進める第二期米国ブッシュ政権としても、さすがに再選前には実施できないと判断しただけのことはある。かなり手を汚すことになるだろう。
 それでも取り敢えずアフガニスタンの大統領選挙の形がつき、また有志連合のつなぎ止めを長期化させるわけにもいかないとなれば、無理矢理にでもイラクで総選挙を実施するしかない。そのためにはかなり犠牲を出してもテロの拠点となりつつあるファルージャを処置しておかなければならないだろう。つまり、事実上壊滅させることになるのだろう。
 戦闘が開始されれば、日本へはなんの情報も来ないだろうと思い、準備段階での米軍の動きを見ていた。意外に周到に準備を行っているようだった。むしろ今回の戦闘での敵は国際世論なりアラブ世界側のメディアであかもしれない。各国の報道陣もパージされているはずだ。
 私は、米国政府お抱えの報道機関であるが、VOA(Voice of America)などをメインに読むことにした。VOAは経緯を見るとそれほど大本営でもなく、ソースもそれなりにしっかりしている。そのあたりを追って見るしかあるまいと思ったわけだが、戦闘が始まってみると、他のソースからも戦闘報告がある。なかでもメディアとして衝撃的だったのは、米国海兵隊員がファルージャのモスク内に残されていた戦闘不能と見られる負傷者を射殺した映像だった。朝日新聞系"「モスクで殺人」衝撃、負傷者殺害 反米強めるアラブ "(参照)ではこう伝えられた。


 米NBCテレビのスタッフが撮影した映像では、モスクに踏み込んだ海兵隊員が13日、横たわる負傷者に銃を向けて「こいつ、死んだふりをしている」と言い、射殺した。NBCによると、この負傷者は武装勢力に加わっており、モスクに運ばれて治療を待っていたという。

 朝日新聞はNBCのテレビスタッフと書いている。間違いだとも言えないが少し違う。ニューヨークタイムズ"Marine Set for Questioning in Wounded Iraqi's Shooting"(参照)によればこうだ。

Senior military officials and human rights advocates, including those often critical of the armed services, cautioned that the graphic videotape of the shooting, taken by a pool correspondent, Kevin Sites, a freelance cameraman working for NBC News, left many questions unanswered and underscored the confusion of urban warfare.

 映像を撮ったのは、"a pool correspondent, Kevin Sites, a freelance cameraman"、訳すと共同的な通信員でフリーランスのカメラマンであるケヴィン・サイトだ。彼は以前CNNと契約していてもめた事がある。反戦的立場と言ってもいい(参照)。
 このニュースを聞いたおり、私は、どうしてそんな映像を撮ることが可能なのか、かなり疑問に思った。また、その後の反響も毎度の反米パターンだったので、率直に言って、なんらかのヤラセのようなものがあるのではないかと疑った。結論からいうと、ある種従軍の報道は可能になっているようだし、今回の映像は仕込んだものというより偶然っぽい印象はある。ただし、映像と日時の経過はわかりづらい。
 併せて、そのヤラセなりの可能性を日本のジャーナリズムがどう扱っているか気になっていくつか日本での報道を読んでみた。率直に言うと、AP通信などを経由して二次情報になっているせいかあまり要領を得ない。事実認定についてはあまり疑問を持っていないのではないだろうか。
 そうはいっても、映像については疑問が残る。先のニューヨークタイムズの記事でも疑問が投げかけられている。

It is unclear from watching an unedited version of the videotape whether the prisoner was moving before the shot. A senior Pentagon official said Tuesday that an autopsy might be required to help determine whether the man was dead or alive when the marine shot him.

 つまり、事実認定には検死も必要だろうとしている。
 その後の報道の流れを見ていくと、それでも海兵隊側に問題があったとの認識が強まっている。ヤラセとまでする線は消えた。そして、すでに政治のレベルに乗せられている気配はある。先の朝日新聞系の記事にもあるように、この事件はアラブ諸国に反米の気運を高める結果にはなっているからだ。
 この事件をもって、米軍は非人道的と言えるのか、というと、言える。詳細にはまだ疑問が残るとはいえ、負傷者を殺害することは、近代戦では許されない。
 だが逆に言えば、今回の問題が内包していることは戦闘の否定ではなく、ルールを元にした戦闘は肯定される、ということでもある。なので、いわゆる反戦論者や反米主義の主張には、今回の事件は、本質的には都合がよいものではない。
 また今回の事件は海兵隊の教育の不備を明確に露わにしてしまったとはいえ、戦闘の全体を伝えるものではない。ひどい言い方をすれば、かろうじて映像として見えるところが問題になっただけだ。依然、戦闘の全体は見えない。
 今回の事件で、海兵隊側には落ち度があったとはいえ、あの戦闘という文脈では海兵隊としても言い分がありそうだ。特に"booby trapped bodies"が問題になったようだ。死者に見せかけて地雷のように爆破させたりするようだ。例えば、FOX"The True Story About the Fight in Fallujah"(参照)ではこう問いかけている。

You know, I hate to see stuff like that. And again, we don't know exactly what happened. We do know that a lot of incidents are occurring where these so-called insurgents are waving white flags and then shooting, booby trapped bodies, people feigning death. And when the Marines come up, they turn around and they shoot. So we are not making any judgments here about what happened, but the video is there. And we decided to just play it. What do you think about it?

 白旗を掲げたかと思うと撃ち込んで来る敵に近代戦を強いられるのが海兵隊の運命でもある。死者に見せかけて撃ち込んでも来る。近代戦であることが弱みとして付け入れられる隙となる。
 "What do you think about it?(これをどう思うか?)"と問われて、この件については、ネットで映像を見た。海兵隊はグループで行動しており、敵がブービートラップだとしてもそれほど強い戦力にはなりえないと思った。やはり、海兵隊の行動は間違っているという印象をもった。
 もっとも、だから海兵隊を弁護はできないというものでもない。むしろ、海兵隊の戦闘訓練をより現代化せざるをえないのだろう。

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2004.11.17

ライス国務長官とCIA騒動で最強のブッシュ政権ができる

 パウエルの事実上の更迭でコンドリーザ・ライスが国務長官となった。すでにブッシュの家族とも個人的にも親しい関係にもあり、とやかく言わずとも流れとしてはそれほど不自然なものではない。当面は、ライス国務長官にどれだけの外交能力があるのか(ピアノの能力ではなく)ということに関心が向くのも当然だろう。
 日本としては、穏健派のパウエルの更迭に伴い、親日的と見られてきたアーミテージ国務副長官も事実上更迭されたので、いわばパイプを失った状態となりこれからどうなるのか、というような話題にもなる。そうした見方が間違っているとも思わないが、やや日本的な物語に過ぎる印象はある。ちょっと違うかな、と。
 この違和感をどう表現したものかネットをうろつきながら読んだBBC"Washington's bureaucratic battles(ワシントンの官僚的闘争)"(参照)がわかりやすかった。BBCによれば、ブッシュが親近感を深く持つライスが国務省(日本の外務省に相当)のトップに立つことで、省庁の官僚組織全体が行政(ワシントン)の配下に強く置かれることになるというのだ。


The resignation of Colin Powell and the selection of Condoleezza Rice as secretary of state means that in President Bush's second term, the State Department should be firmly under White House influence.
【試訳】
コリン・パウエルの辞任とコンドリーザ・ライスの国務長官任命は、ブッシュ政権二期目において、国務省がホワイトハウス(大統領府)の強い影響下に置かれることを意味している。

 官僚は行政の手足なのだから、国務省が行政の影響下に置かれて当たり前のようだが、実際には米国の政治はなかなかそう行かなかった歴史がある(日本でもそうだが)。ある意味、イラク戦争後の統治のごたごたはこうした米国内部の闘争の反映という側面もある。
 こうした経緯をBBCの解説記事では歴史的に簡素にまとめていた。BBCの報道・解説は基本的には英国民を対象としているわけだが、こうした記事が解説として出てくるということは、英国民にとっても米国という国はやや不可解な外国ではあるのだろう。
 重要なのは、官僚組織である国務省と大統領府(国家安全保障会議)の外交路線での対立関係だ。

Tension between the State Department and the National Security Council is part of the American way in foreign policy. Sometimes, in the White House view, the location of the State Department in the "Foggy Bottom" area of Washington also refers to the view of the world as seen by its rivals.
【試訳】
国務省と国家安全保障会議の対立的緊張関係はアメリカ流の外交に当然含まれるものであった。行政の主体である大統領府からしてみると、ワシントンの「霧の底地」にある国務省の存在はその対立者の世界観にも見なされていた。

 対立者はこの段落の前段にもあるが、ホワイトハウスのスタッフと官僚組織である国務省だ。国務省は議会寄りでもあるので、国会(議会)対内閣の構図もあるはず、とはいえ、現状、議会も大統領と同じく共和党優勢なので、この対立構図は弱まっている。余談だがまさかと思って英辞郎で"Foggy Bottom"を検索したら、「米国国務省◆俗称」ともあった。
 米国では、外交面だけではなく、軍事面も国家安全保障会議(National Security Council)が担うのだが、これも他機関との対立関係にある。

The State Department is an important voice, but only one voice. The Defense Department will have a view - so will the CIA and other departments. Differences are supposed to be hammered out in the National Security Council.
【試訳】
国務省の見解は重要だが、対外的には一見解に過ぎない。国防省も、また、CIAなど他部門も同様である。違いがあれば、国家安全保障会議から叩き出される。で叩き潰される

 BBC解説の解説がしたいわけではなく、ここにCIAが言及されている点をちょっと使いたかった。国務省と大統領府と同様の問題が、CIAと大統領府でも発生しているというのが、このところのCIAのごたごたのようだ。日本語で読めるニュースとしては読売系"CIA高官相次ぎ辞任、長官・生え抜き組の対立表面化"(参照)がある。

AP通信などによると、米中央情報局(CIA)のスパイ活動を統括するカッペス作戦部副部長が15日、辞任した。
 12日にはマクロクリン副長官が辞意を表明しており、相次ぐCIA高官の辞任に、9月に就任したばかりのゴス長官と生え抜き組の確執が取りざたされている。

 このニュースは実際にはニューヨークタイムズとワシントンポストの焼き直しなので、元ソースで論じてもいいのだが、簡略を兼ねて引用する。

 また、ニューヨーク・タイムズ紙によると、複数のCIA筋は「局内のごたごたは過去25年間で最悪」と述べ、カーター政権下でCIAに風当たりが高まった時以来の険悪なムードだとこぼしている。
 同紙によると、CIAは同時テロ以降、イラクの大量破壊兵器を巡る情報収集の失敗で批判にさらされているが、局内では「ホワイトハウスと議会がCIAを不当にたたいて生けにえにしようとしている」との不満が強まっている。
 こうした事態をワシントン・ポスト紙は「CIA大混乱」の大見出しで報道。ゴス長官が「幹部の進言に耳を貸さない」と指摘し、長官が今や局内で孤立しつつあるとの見方を示した。一方、「ゴス氏は改革を嫌う勢力の抵抗を受けているだけ」(マケイン上院議員)と長官を擁護する声もある。

 大筋でこのまとめでもいいのだが、一番重要なのは、大統領府、つまりブッシュ政権が事実上これまでのCIAを潰そうとしていることだ。このあたりは、サロン・コムの"Killing the messenger"(参照・有料かも)が、批判的とはいえ、明快だ。

Porter Goss' purge at the CIA will ensure the agency is full of Bush yes men -- but it will seriously damage U.S. intelligence.
【試訳】
ポーター・ゴスによるCIA内の人事パージ(掃討)によって、この機関は完全にブッシュのイエスマンで満たされることになる。それは、米国の外交・諜報活動において深刻なダメージとなるだろう。

 ちょっと話が前後するが、もともと大統領選挙後半ではCIAはかなりブッシュ叩きをやっていて、マスメディアやケリー候補寄りの人々が踊らされていた。サロン・コムはケリー候補支援だったこともあり弱く書いているのだが…。

The last several months of the presidential campaign saw a series of intelligence disclosures concerning Iraq and the war on terrorism that the White House regarded as intended to derail Bush's reelection.
【試訳】
大統領選挙前のこの数ヶ月の間にイラク戦争とテロとの戦いについての情報が各種公開された。CIAによるこれらの活動を、ホワイトハウスはブッシュ再選阻止の行動と見なしていた。

 実態は、ウォールストリートジャーナルに掲載された"The CIA's Insurgency"(参照)がより詳しい。が、この件についてはこれ以上立ち入らない。
 取って付けたようなまとめになるが、ライス国務長官とCIAの混乱は、米国のなかで、歯止めのない権力が形成されつつことを意味しているのだろう。
 それだけである種の恐怖感を覚えるのだが、もともと、ネオコンの外交というものはそういう本質のものだった。むしろ、前期のブッシュ政権では対外的にのみ目を向けて、獅子身中の虫を甘く見て、やられてしまった。
 この強権の成立は、民主主義というものの事実上の崩壊なのだろうか? こんなもの所詮金権政治だから壊れると楽観視できるだろうか。
 率直言うと私はわからない。原理的にはなんらかのカウンターパワーが必要なのかもしれないとも思えるが、これも率直に言うと、米国内の民主党のありかたや、対外的にはEUを呑み込んだフランス・中国帝国チームがそれになるとはとうてい思えない。

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2004.11.16

パウエル米国務長官が辞任

 パウエル米国務長官が辞任し、後任はライス大統領補佐官となることが決まった。ブッシュ政権二期目にパウエルは辞任するだろうというのは、およそパウエルを知る人なら想像の付くことではあったが、秋以降大統領選挙が盛り上がるにつれ、パウエル続投の噂は飛び交った。どうせ選挙がらみの話には違いないが、選挙後にもそうした話が消えなかったのは、パウエルへの期待なのか、別の理由があるのか奇妙にも思えた。この手の話には状勢をマクロ的に見ることができない一連人たちが釣られるだろうなとも思った。
 パウエルは政治家向きの人ではない。やはり軍人なのだろう。軍人としての品位が政治家としての大成を許さなかった。政治とは、人生が時にそうであるのとは対極で、修羅場の連続だ。修羅場には表立った修羅場と隠れる修羅場があり、前者では品位は武器になるが、後者では下品こそが威力なる。およそ修羅場に向かう人間のツラには品位と下品のアマルガムのような奇妙な特徴が出てくるものだ。特に低い階級に生まれて一代で地位を得た人間は必ずそうなるというのは世間知の一つだ。が、パウエルにはそれがない。軍という存在が彼を精神的に守ったのだろう。
 パウエルは1937年(昭和12年)ニューヨーク市でジャマイカ移民の子供として生まれた。ニューヨーク市立大学を卒業後、陸軍に入隊。レーガン政権で大統領補佐官となり、1989年、制服組のトップである統合参謀本部議長に就任。1991年には湾岸戦争を指揮した。当時は彼は、およそ軍隊を持つ国の気風がそうであるように、英雄視され、大統領候補にせよとまでの声が上がった。が、この時の指揮は純粋に軍事的に見る場合、それほど評価すべきなのか異論もあったようだ。
 パウエルは、一言で言えば、古いタイプの人でもあるのだろう。軍人らしい軍人さんということか。くだらない命令でも指揮系に従うのが軍人というものだが、ブッシュ政権下で政治家となったものの、軍人気質で政治をしていた。内心は、こんなのやりたくねーというのがにじんでいて、そこに知性と特有のご愛嬌があった。
 彼は、イラク戦争開戦前に大量破壊兵器はイラクになかったなどと発言してブッシュ政権内で孤立した。それでいながら、国連では大量破壊兵器があるといったプレゼンテーションを任された。すまじきものは…である。トラップされてコケにされたとき、サラリーマンはなんと言うか。なにも言わない。内心、このジョブを終えたらやめちゃると思うだけだ。つまり、そういうことだ。そういう心情がわからないのはサラリーマン経験を十分に積んでいないということ。
 パウエルは、政治的にはネオコンに対立する穏健派と見られていた。なので、ネオコン反対の勢力からはパウエルに期待する声もあった。古風な平和勢力に見立てたい思いも投影されていた。軍人は基本的に平和を志向するものである。が、さて、辞任して欲しくない惜しい政治家だったのかというと、そうでもない。
 私は今朝のニュースをぱらっと見渡して、BBC"The disengagement of Colin Powell"(参照)に共感した。


His weakness was that he lacked the vision of the world held by his rivals. Colin Powell was no dove. He too believed in US power and influence but where others saw certainty, he saw complexity. This slowed him down and gave them the edge.
【意訳】
パウエルの弱点は、そのライバルであるネオコン派と比べ、世界がどうあるべきかというビジョンを欠いていたことだ。もちろん、パウエルとしても、米国が圧倒的な武力を持ち世界に影響力を行使すべきだとは考えていた。が、彼の対立者が確信を持ってそう思っていたのに対して、彼はそこに複雑さを見ていた。この弱さが彼を失墜させ、窓際へと押しやった。対立者を利することになった。


One of Colin Powell's weaknesses was his reluctance to engage in diplomacy first-hand.
【意訳】
これもパウエルの弱点なのだが、彼は外交の現場で自ら泥をかぶるというという意気込みがなかった。


He lacked the enthusiasm of a Henry Kissinger shuttling across the Middle East, though he did engage there regularly and in person.
【意訳】
彼には、ニクソン時代のキッシンジャーのように中東を駆け回るほどの情熱というものがなかった。もちろん、彼なりに定期的にまた個人的に各地を訪問したのであるが。

 なんだか、悪口だけ取り出すようだが、もう一点だけ。

It is doubtful whether the neo-conservatives had their own disengagement plan for Colin Powell. He was a very useful presenter of US policy, given that he has been the first African-American secretary of state.

But they will probably not be too sad to see him go.
【意訳】
事実上の失脚とも言える今回のパウエルの辞任がネオコン一派によって画策されたものだという話は疑わしい。彼は米国政治に有用な人物であったし、ナンバーワンの国務長官、つまり外務大臣であった。が、彼が政治の場を立ち去る事態を寂しいとは言い難いだろう。パウエルは初のアフリカ系国務長官(外務大臣)という意味で、アメリカ外交の看板として使い手があったからだ。
 もっとも、ネオコン一派のことだからパウエルの去就を寂しいとは思わないだろう。


 残念ながら、すでにパウエルの時代は終わった。たぶん、今後あまり顧みられることもなくなるのだろう。もちろん、それはいい悪いということではない。単に、時代が変わっていくというだけのことだ。

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2004.11.15

チョコレートは女性の媚薬

 チョコレートは女性の媚薬…小ネタの域を出ない話なのだが法螺話でもない。イギリスのタイムズ紙(オンライン)に掲載されていた。他にもオーストラリアで話題になっているようだ。
 ネタもとの"Women really are hot for chocolate(女性はチョコレートにご執心)"(参照)はこう切り出す。


FOR a long time women have compared chocolate to sex. Now doctors have discovered a scientific link between the two.

According to Italian researchers, women who eat chocolate regularly have a better sex life than those who deny themselves the treat. Those consuming the sugary snack had the highest levels of desire, arousal and satisfaction from sex.
【試訳】
昔から女性はチョコレートをセックスになぞらえてきたが、ようやく医学がこの二つの関係を解明した。イタリアでの医学研究なのだが、チョコレートを日常食べる女性はそうでない女性に比べてよりよいセックスライフをおくっている。この甘いお菓子のおかげでセックスから最高の欲望と刺激とサティスファクションをえることができるのである。


 国語審議会とかは嫌がるだろうが、"satisfaction"は「サティスファクション」と訳しておこう。ま、そういうことらしい。ほんとなのか?
 本当だ。ちゃんとした医学研究に基づいている。論文は来月の欧州性医学誌(European Society for Sexual Medicine)に掲載されるとのこと。というので、ちょっとそのサイトを覗いてみたがまだ見あたらなかった。
 この研究をしたアンドレア・サロニア博士はこう言っている。
 
Dr Andrea Salonia, author of the study - funded from a university research budget, not by the confectionery industry - said women who have a low libido could even become more amorous after eating chocolate. He believes chocolate could be particularly medicinal for women who shun sex because they are suffering from premenstrual tension.
【試訳】
研究を発表したアンドレア・サロニア博士によると、日常、性欲(リビドー)の低い女性でもチョコレートを食べた後はより情感が高まるとのことだ。さらに博士は、月経前の緊張から満足のいくセックスができない女性にとってチョコレートは薬となるかもしれない、とまで述べている。怪訝に思う向きもあるかもしれないが、この研究はきちんと大学の予算でなされたもので、チョコレート会社の委託研究ではない。

 原論文の概要も見ていないのだが、この研究では、この効果をもたらす物質についての特定はしていないようだ。とはいえ、あるある大事典などで無用な健康情報をしこたま仕入れている現代日本人のことだから、すぐにテオブロミン(theobromine)が思い浮かぶだろう。あれだ、日本の場合、米国でも同様なのだが、まともなチョコレートがない。なので、テオブロミンの健康効果を得るにはココアという話になってきている。確かに、ココアはチョコレートの原料なので、テオブロミンを摂取したいというだけなら、それでもいいんだけど、それってチョコレートの良さは楽しめない。チョコレートは芸術なのである(Washington Post:Milking Chocolate)ということがあまり理解されていない。なお、チョコレート/ココアには、テオブロミン以外にマリファナに近い作用をもたらす物質も微量に含まれているらしい。ついでに、犬を飼っている人なら常識だろうが、テオブロミンは犬には毒物なのでご注意。
 チョコレートのこうした精神的な効果は以前から知られているのだが、否定する向きもある。子供の頃の思い出や青春時代の思い出を連想させるからで文化的なものに過ぎないというのだ。ところが、今回の調査でコーヒーと喫煙についても調べたのだが、チョコレートのような媚薬的な効果はなかった。
 話はこれで終わり。小ネタだからね。チョコレートについては…私はチョコレート好きなのでこの話を引っ張るのはまたの機会にしたい。ゴディバですら満足していないのだ。(こっそり言うけど、美味しい「オランジェ」が買える店を知っていたら教えてください。)

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2004.11.14

テオ・ファン・ゴッホ映画監督暗殺事件余波

 11月2日にアムステルダムでテオ・ファン・ゴッホ映画監督がイスラム教徒に暗殺されたというニュースは日本ではベタ記事扱いのようだった。それでも内戦の構図だけで事足れりとするダルフール危機問題の扱いよりはましかもしれない。ちなみに、スーダン政府のダルフール住民迫害関与について10日BBCは"Eyewitness: Terror in Darfur"(参照)で取り上げていた。
 話はゴッホ映画監督暗殺事件だが、この事件自体、日本では画家ゴッホの遠縁ということに焦点が当てられ、当の事件とその余波についてはあまり触れられていなかったようにも思う。なので、ここで取り上げておきたい。最初の報道は、3日にロイターで「イスラム社会批判のゴッホ遠縁の映画監督、殺害される」(参照)だった。共同や時事でも報道されていたが、二次情報っぽかったし、日本人記者が扱っている記事は見かけなかった(あるのかもしれない)。余談だが、よくブログについて二次情報だけでつまらないと批判する向きもあるが、日本の場合外信については既存メディアもあまり変わらないように思える。


イスラム教を嘲笑しているとしてイスラム教徒の反感を買っていたオランダ人映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏(47)が2日、アムステルダム市内の公園近くを自転車に乗っていたところを、刃物で刺されたうえ、銃で撃たれ、死亡した。
 警察は、銃撃戦の末、現場付近にいた男(26)を逮捕したが、警官1人が負傷した。容疑者はオランダとモロッコの2重国籍を持っていた。

 容疑者はイスラム教徒の服装をしていたとも言われるが、日本語訳されたロイターのこの記事ではイスラム教徒という言葉を慎重に避けている。「2重国籍」についてはこの記事では背景がわかりづらい。その後、イスラム教徒のテロ組織であることが判明している。同じくロイターでいまだに標題はアレだが「ゴッホ遠縁の映画監督殺害で新たに容疑者逮捕」(参照)で報道があった。

イスラム社会を批判していたオランダ人映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏が2日に殺害された事件で、オランダ警察は、新たに容疑者を逮捕した。別の容疑者2人は釈放された。アムステルダム検察が6日明らかにした。


 検察は声明で、容疑者はテロ行為の意図のある犯罪組織に所属しており、テロリストと殺人を共謀した容疑で身柄を拘束したことを明らかにした。
 ゴッポ氏殺害の容疑者は釈放された2人を含め、9人が逮捕されていた。

 この事件は、画家ゴッホがどうだということではなく、西洋型の市民社会でイスラム教徒過激派がテロ活動を行ったということだ。当然、これは言論の自由に対する挑戦でもある。はずなのだが、どうも日本ではそう受け止められていないような印象を受ける。なぜなのだろう。
 もちろん私も日本人庶民としてそうしたリアクションの無さ、危機感の無さに共感できないわけではない。単純な話、まるで他人事というか、日本と関係ない外信ベタ記事のように受け取る心性もある。曰く「日本人はイスラム教徒になにも悪いことしてないのだから、殺されないでしょう。日本は西洋とは違って、イスラム教徒にも寛容ですよ」、とそんな心情だろうか。もちろん、そう言葉にすると赤面するほど稚拙だが、そんなものではないのか。
 現実はどうかというと日本はまったくこの手のテロに無縁ではない。1991年7月12日、筑波大学構内人文社会学系A棟七階エレベーター前踊り場で同大の五十嵐一比較文化学系助教授が暗殺されている。五十嵐教授は反イスラム的とされる小説「悪魔の詩」の日本語版訳者として、当時イランのイスラム教徒の一派から死刑に当たるとされていた。殺害方法は残虐なものだった。テロリストは、まず五十嵐教授の正面から腹部を突き抵抗力を弱め、それから二、三回にわたって左首から切り込んだ。首をほぼ半分まで切断した状態で犯行は終わった。切断はされなかったようだ。
 この事件は迷宮入りしている。そして10年以上の時が経ち、日本社会は忘れたことにしているかのように思える。というか、社会無意識的にそうした問題を無視したいようにすら見える。それがゴッホ映画監督の殺害についても同様に働いているように見える。うがちすぎだろうか。
 事件は西洋社会への挑戦とも見えるが、オランダ国内では、即座に別の次元の問題に結びついた。オランダ社会のなかに高まるイスラム教徒移民への憎悪である。この点、日本語版CNN"イスラム批判の映画監督が殺害される オランダ "(参照)では初報で少し配慮している。

バルケネンデ首相は「犯行の動機などはまだ不明」として、国民に平静を呼び掛ける声明を出した。オランダでは、右派政党を中心にがイスラム系移民排斥の動きが高まり、社会問題となっている。

 実はこの事件はまさにその方向で問題が深刻化してきている。むしろその後の余波のほうが深刻な問題なのだが、これも日本ではあまり報道はない。時事でベタ記事のように"イスラム系小学校で爆発=映画監督殺害の報復か-オランダ"(参照)がある。

オランダからの報道によると、同国南部エインドホーベンにあるイスラム教系の小学校校舎の玄関で8日午前、仕掛けられた爆弾が爆発した。


 オランダでは2日、イスラム教を批判した映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム過激派に射殺される事件が起きており、警察は今回の爆発が殺害事件への報復の可能性があるとみて調べている。

 8日の時点では「報復か?」でもいいが、その後の動向からすでに国際的には報復とみなされている。英語のニュースでは"tit-for-tat(やられたらやりかえせ)"がすでにキーワードになりつつある。
 この問題がベタ記事の範囲を超えていることは、フィナンシャルタイムズが社説"Upholding Dutch tolerant tradition"(参照)で取り上げたことでもわかるだろう。

The Netherlands is facing an existential crisis in the wake of the murder of Theo van Gogh last week by an Islamic extremist and subsequent revenge attacks. For the very notion of "Dutchness" has, down the centuries, been based on social and political tolerance in an open society. And this tradition now appears strained to breaking point by Muslim immigration and the Dutch reaction to it.
【試訳】
オランダは、テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム教徒過激派によって暗殺されたこと、加えてその報復合戦によって、国の存立の危機に直面している。オランダ的であるということは、数世紀にわたって、開かれた社会としての社会的にかつ政治的に寛容であることを意味していた。その良き伝統が今や、イスラム教徒移民とオランダ国民の反感によって、破綻に近づいているようにも見える。

 フィナンシャルタイムズが"Dutchness"、つまり、オランダモデルと言い換えてもいいだろうという点に焦点を当てているのは重要だ。というのも、日本を含め、これからの先進諸国が歩むべきモデルケースがオランダで進行していたからだ。
 それが今、破綻しかけている。日本の未来のモデルが破綻しかけているのだよと言えば言い過ぎなのだろう。

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2004.11.13

紅茶の話

 紅茶が好きで一日に二回は飲む。イギリス人みたいなものだなと自分でも思う。朝食に飲むし、それとアフタヌーンティー。でも、スコーンのようなタフなお菓子を一緒にとるわけでもない。完全にイギリス人の真似というわけでもない。
 紅茶はアメリカのショップから買うことが多い。よく使うのがSpecialTeas(参照)とUptonTea(参照)。別に海外通販が好きなわけではなく、欲しい手頃なお茶が以前は国内で購入できなかったせいだ。ちょっと調べると、現在では楽天などでもいろいろ購入できるようになっているみたいだが(「セレクトショップ」)・「レクティー」など)、なんとなく今でも先のアメリカのショップから買うことが多い。
 朝はこのところ、SpecialTeasのHajua TGFBOP Assam(参照)が定番。ずばぬけて美味しいアッサムではないが、ミルクと合うし、毎朝飲んで飽きない。グレードはTGFBOP、つまりブロークンリーフだが、朝のお茶にはこのほうがいい。クラッシュしたCTCでもいいのだが、ちょっと品が落ちる気がする。以前は、UptonTeaのC.T.C. Irish Breakfast Blend(参照)も飲んでいた。これだと待ち時間は1分程度。他に、UptonTeaのBond Street English Breakfast Blend(参照)もよく飲んでいた。これはセイロン茶がブレンドされている。名前からわかるようにとってもイギリス的だ。そういえば、Bond Streetというパイプタバコも一時期吸っていたが、タバコはやめた。
 昼は基本的にダージリンを飲む。ダージリンの嗜好はだいぶ変わってきた。最近は、SpecialTeasの"Gopaldhara WT-8 "Wonder Tea" Darjeeling"(参照)に入れ込んでいた。名前が"Wonder Tea"、つまり「驚異の紅茶」というのも大げさだと思ったのだが、それがそうでもない。最初これを飲んだときはびっくりした。自分の嗜好はファーストフラッシュからダージリン・ウーロンのように、淡く香水のような香りを求めるようになってきたのが、これはまさにずばりという感じだった。高級中国茶に近い感じもする。というのも飲み終えたカップの香りすら楽しめる。ただ、いれかたがちょっと難しいかもしれない。"WT-8"というのはロット名らしい。このロットはもう手に入らないかもしれないが、それでも飽きるほど飲んだ。さすがにちと飽きてきたので、最近は同じくSpecialTeasのMakaibari FTGFOP Silver Tips, 1st. Flush (Organic) Darjeeling(参照)も飲む。ちょっとサイトを覗いたらもう売り切れになっていた。誰か買い占めたかなとも思う。わかる気がする。こちらは、シルバーティップス系なので淡く、先のWonder Teaほどの華やぐ感じはないのだが、なんというか、ほんとシルバーティップスが活きていて、喉の奥のほうで果実のような香水のような感じがある。気のせいか、中国茶のような茶酔い感もある。シルバーティップスや中国茶の銀針もよく飲んだが、たいていはこけおどしだし、こういうとなんだがセイロン茶のシルバーティップスやゴールデンティップスはいまいちだった(主観だけどね)。
 自分のダージリンの嗜好はちょっとひねくれているので、普通だったら、やはり、キャッスルトンやジュンパナ、サングマ、マカイバリ、プッタボン、グムティとかそのあたりのがいいと思う。SpecialTeasのほうではこうしたスタンダードの揃えはまばらだがUptonTeaのほうはそれなりにきちんとしている。
 いかにもダージリンというのがUptonTeaのCastleton Estate Second Flush FTGFOP1(参照)とかSpecialTeasのJungpana FTGFOP-1 Darjeeling(参照)あたり。日本人が好きなマスカット・フレーバーなら"Margaret's Hope Estate FTGFOP1 MUSC 2nd Flush"(参照)がずばりという感じ。ただ、こうした紅茶は飲んでいくとわかるけど、古いタイプの紅茶だと思う。
 たぶん最近の傾向は一種の香水のようなタイプだろう。UptonTeasのNamring Upper Estate First Flush FTGFOP1(参照)やPuttabong Estate First Flush SFTGFOP1 Supreme(参照)などを飲むと、ああ、こういう感じというのがわかってもらえると思うが、ご覧の通りお値段通りだ。さすがに世界中にダージリンのマニアがいるせいか掘り出し物みたいのはない。それでもワインを買うと思えば高級紅茶なんか安いもの、と割り切るほうがいいと思うが、この手の嗜好はちょっとはまる。
 秋が深まってからちょっとキーマンが飲みたくなって、先日二つ注文した。一つは"China Keemun Mao Feng"(参照)。これは初めてだったのだが、そう悪くない。キーマン臭さが抑えられていて淡いがその分複雑な印象もある。もう一つは"Organic China Keemun Dao Ming"(参照)。これはキーマンというよりユンナン(雲南)らしいトーンがあった。このタイプは嫌いではないが、慣れないとわかりづらいかもしれないので、あまりお薦めはできない。
 キーマンでお薦めなのは定番だがUptonTeaにもSpecialTeasにもある"Hao-Ya 'A' Superfine Keemun"(参照)だ。実にスタンダードな味と香りがする。それだけつまらないといえばつまらない。正確にはキーマンではないのだが"China Congou Ning Hong Jing Hao"(参照)もよく飲んだ。これはかなりいい。でも、ちょっと飽きた。基本的にキーマンはミルクを入れてもいいのだが、上質なものほどデリケートなのでミルクは向かない。
 なんかうんちくみたいになってしまったが、紅茶は私のように酒をやめた人間のわずかな道楽である。あ、中国茶もあるのだけど、また。

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2004.11.12

非配偶者間人工授精(AID)にまつわる英国の状況

 英国不妊治療専門誌「ヒューマンリプロダクション」の記事"Adolescents with open-identity sperm donors: reports from 12-17 year olds"(参照)が英国系のニュースで多少話題になっていた。標題を意訳すると「12~17歳の青少年期に精子提供者情報を開示すること」となるだろうか。第三者の精子提供によって生まれた子供が青少年期になった時、自分自身を形成するきっかけとなった遺伝子的な親についての情報をどう扱うべきかという問題だ。日本国内では非配偶者間人工授精(AID)の問題として扱われている。
 このニュースについて、BBCでは"Sperm donor ID fears 'unfounded'"(参照)として、精子提供者のいわれない恐れの感覚には根拠がないという点に焦点を当てていた。ロイター系の見出しはいろいろあるがヤフーでは"Identifying Sperm Donors Doesn't Cause Problems"(参照)というようにもっと直接的に、精子提供者情報を開示しても問題はないだろうとしている。
 原論文は医学誌でもあり教育心理学的な立場に立っているようだ。結論はある意味でシンプルになった。


CONCLUSIONS: The majority of the youths felt comfortable with their origins and planned to obtain their donor's identity, although not necessarily at age 18.
【意訳】
第三者の精子提供によって生まれた大半の子供は、青年期になって自分たちの起源やその提供者の情報を知っても不安を持たない。とはいえ、18歳までそうする必要もないとは言える。

 今回のニュースは特に目新しいものではなく、類似の調査はすでに近年「ヒューマンリプロダクション」に掲載されてもいる。むしろ、英国ではこの情報開示が権利の問題として扱われているといった英国ならでは背景もあるようだ。
 私の知識が古い可能性はあるが、英米圏、つまり、英国、米国、カナダ、オーストラリア(州によって違う)では、法律の特性もあるのかもしれないが、生物的な意味での父親を知る権利を法制化していない。当然、記録もないという。が、ニュージーランドは開示に改正された。フランスや南米などカトリック教徒の多い地域を含めた各国の状況について、私はわからないのだが、基本的には開示の方向には向かっているようだ。
 日本では昨年の春に、厚生労働省の生殖補助医療部会で「遺伝上の親(出自)を知る権利」を全面的に認めている。背景には、1994年に日本が批准した国連「子どもの権利条約」に、子供には「出自を知る権利」があると解釈できる条項があることだ。が、率直に言って、人権の問題や日本社会の問題を考えてというより、密室で専門家が決めているという印象はある。実際のところDNA鑑定が進めば遺伝子上の親かどうかはかなり明白になるので、そうなった際に完全開示を原則にしておけば、厚生労働省や関係医は関わらなくていいことになる。なにより、この問題が法制化とは関係ないところで進められているのが日本らしい。
 そもそも日本では非配偶者間人工授精(AID)の始まりも法律や人権の問題としては提起されてこなかった。1949年と終戦からそう遠くない時代に第一例の子供が誕生している。この子は現在55歳になるはずだ。その後、非配偶者間人工授精(AID)で誕生する子供の数なのだが、奇妙なことにとも言えるのだが、概算すらできない状況にある。1~3万人とも言われているのがブレが大きすぎる。この問題には日本特有の問題も絡んでいるようだが、ここではあまり立ち入らない。
 今回の関連ニュースで気になることが二点あった。一つは、ロイター系"Sperm donation children want to learn about donor"(参照)の解説にこうあったことだ。

Thirty-eight percent of them had single mothers, just over 40 percent had lesbian parents and 21 percent had heterosexual parents.
【試訳】
非配偶者間人工授精の実態の38%はシングルマザー。40%は女性同性愛者、21%は異性の親である。

 欧米では非配偶者間人工授精の問題は女性同性愛者のライフスタイルにかなり大きく関係しているようだ。
 もう一点は、同時期のニュースというだけで直接の関係はないのだが、BBC"Egg and sperm donor cash proposal"(参照)で取り上げられているが、英国では、精子および卵子提供を有償にしたらほうがよいという問題が起きている。背景には提供者の低下があるらしい。あえて先のニュースに関係付けるなら、精子及び卵子提供への対価というより、提供者情報の開示のリスク対価のようにも受け取れる。
 余談めくが以前、ES細胞研究関連で韓国の状況を見たとき、意外に人工授精が盛んだと知った。日本の場合も、視点によるのだろうが、盛んだと言えるようにも思う。どちらの国もこうした問題を法から切り離し、社会から隔絶するという文化の傾向を持っているようだが、こうした問題をどう考えていったらいいのか。また、少子化の日本社会でどういう位置づけになっていくのか、気にはなる。

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2004.11.11

中国原子力潜水艦による日本領海侵犯事件について

 たいした話にはならないが、中国の原子力潜水艦が先島諸島周辺の日本領海に潜航したまま侵犯した事件についてなんとなく思ったことを書いておきたい。率直に言って、私はこの事件はそれほど重要な事件だとは思っていなかった。今でも思っていない。ニュースとしてピックアップされたのは10日だろうか。ニュースの例としては朝日新聞系「領海内に国籍不明の潜水艦、P3Cが追尾 先島諸島周辺」(参照)などがある。


 政府は10日早朝、沖縄県の先島諸島の石垣島や宮古島周辺の日本領海内に、国籍不明の潜水艦が潜航しているのを確認し、大野防衛庁長官が同日午前8時45分、小泉首相の承認を得て、海上自衛隊に海上警備行動を発令した。潜水艦は発令前に領海外に出たが、その後も領海周辺で潜航を続けた。政府は、潜航能力やスクリュー音などから、中国海軍所属の「漢(ハン)級」原子力潜水艦とみている。

 こうしたニュースが出たとき、ちょっと気になって事前のニュースをサーチすると8日に読売新聞系「中国海軍の救難艦など太平洋上で確認…海上自衛隊」(参照)がある。

種子島(鹿児島県)の南東の太平洋上を中国海軍の潜水艦救難艦「861」(11975トン)と曳船(えいせん)「トゥーヂョン830」(3600トン)が航行しているのが、今月5日から、海上自衛隊の護衛艦「あけぼの」などにより確認されている。

 そしてこの航行の目的は不明とされていた。当然だが、この時点で自衛隊とおそらく米軍はその近海に遭難の可能性のある原潜の存在を想定するだろう。この8日の潜水艦救難艦のニュースと10日の原潜のニュースに関連がないと見るのは不自然すぎる。
 遭難が連想されるのは、昨年5月に原潜潜水艦の遭難事件があったばかりだからだ。読売新聞(2003.5.3)「中国海軍、潜水艦事故70人死亡 黄海で訓練中 異例の公表」より。

 新華社通信によると海軍当局はすでにこの潜水艦を国内の港までえい航した。事故が起きた場所は山東半島の煙台沖の中国領海内とされている。同通信は「沈没」としておらず、北京の軍事筋は〈1〉潜航中に浮上できなくなった〈2〉艦内に火災などでガスが充満した――可能性を指摘している。
 中国は六十九隻の潜水艦を持っており、このうち原子力潜水艦は六隻。事故に遭った潜水艦361号は、「明」級でディーゼル発電機を用いる通常型。中国で、軍関係の事故が公表されるのは異例だが、情報は極めて限定的。中国政府は新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)問題でも「情報操作」との国際的批判を浴びたばかり。重大な軍事事故を時間が経過した後にほんのわずかだけ公表した手法は、日本など周辺諸国に新たな懸念を生みそうだ。

 今回の中国原子力潜水艦が日本領海を侵犯した事件の背景には、この原潜にも類似の何らかの異変があったのではないかと推測できるる。
 だがその後、この原潜は救助されたわけもなく、また国内報道は日本領海を侵犯に関心が当てられていくようになる。最初に何があったのかは問題が残る。
 その後日本のメディアではヒステリックとも思える反応を示していた。背景には中国脅威論なりがあるのだろう。だが、私はこのとき、この問題は大騒ぎせず事実上の秘密にしてしまえばいいのではないかと思っていた。というのも、この事件の背景には中国海軍のドジというか失態があるので恩着せの外交カードにしたほうが得策だろうと。
 おそらく内閣サイドもそう考えていたのではないだろうか。先の朝日新聞系のニュースでは次のように政府の曖昧さを伝えている。

 海上警備行動の発令については、細田官房長官が同日午前11時過ぎからの記者会見で発表した。しかし、政府は「すべて発表すべきかどうかは安全保障上の問題がある」(細田長官)として、潜水艦の行動の詳細などについて明らかにしていない。

 しかし結局、日本で大騒ぎになった。政府内に、こいつを騒ぎ立ててやれという派があったのではないだろうか。
 現状この事件は、朝日新聞系「潜水艦、中国方向へ 『大胆、意図的、計画的な行動』 」(参照)のように、中国側の意図的かつ計画的な行動というストーリーが覆い始めている。

 潜水艦が追尾を受けながらも日本周辺をなかなか離れないことなどから、政府内には「行動はかなり大胆で、意図的、計画的に入ってきたものだ。こうした行動に日本がどの程度反応するかや、こちらの技量を探る意図があるのだろう」(防衛庁幹部)との見方が出ている。

 これは、防衛庁幹部はそう見たいという要求の表現のようにも思える。
 とはいえ、真相はわからないし、のうのうと領海侵犯をする様子は、実質自国防衛力を持たない日本からすると、中国側の意図的な行動に見えてもしかたがない。
 この事件で、もう一つ気になったのは、漢級・原子力潜水艦だ。ポンコツとまでは言えないのかもしれないがたいした原潜ではない。威嚇なのでボロを使ったのかもしれないとも言えるが、中国はマジな威嚇のときはマジなものを使っている。1997年沖縄県の与那国に近い海域で台湾を威嚇するために行われた演習について、当時の共同がこう伝えている。

 中国は数隻保有している原潜のうち一隻は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を搭載している。出動したのがこの型かどうかについて同誌は触れていないが、その他の出動艦艇が「新型通常潜水艦」「新型ミサイル駆逐艦」などと、新型であることを強調しており、SLBM搭載原潜の可能性もある。
 同誌によると原潜が出動したのは、台湾で初めて実施された総統直接選挙直前の昨年三月十二日から同二十日まで広東、福建両省近くの台湾海峡南部で行った海空合同実弾演習。

 台湾をからめた軍事的な脅威となるのは、SLBM搭載原潜だ。SLBM(Submarine-Launched Ballistic Missile:潜水艦発射弾道ミサイル)は、ICBM(InterContinental Ballistic Missile:大陸間弾道ミサイル)とならんで、毛沢東政権以来中国が悲願とするもので、これがあれば、米国を直接核攻撃に晒すことさえ可能になる。以前のソ連のような軍事大国となることができるわけだ。とはいえ、旧ソ連のような軍事大国に成りたいとしてもそれがまだ無理なことくらいは中国もわかっているはずだ。いずれにせよ、同じ原子力潜水艦といっても、漢級・原潜はそれほど脅威ではない。
 今回の事件が意図的なら、中国は台湾海峡を含めて不用意な緊張を日本をからめて高めたかったことになるが、中国がそんな利益にならないことをするとは思えない。先の軍事演習も早々に引き揚げている。
 それでも、意図的に行なったというのなら、この地域に緊張を高めて儲かるやつらが背景にいるはずだし、それは端的に米仏に関係しているはずだ。あるいは意図的でないなら、中国内部に軍部を含めての混乱があるのだろう。
 私としては、後者ではないかと思う。だとすると、日本は今回の件で中国に厳重に抗議をしても、そうした抗議をきちんと受ける体制が中国内部で崩壊している可能性がある。
 一般論として言えば、中国人が本当に関心を持っているのは、中国人同士の闘争なのである。その闘争が日本の国益にとってどのように有利になるかを考えるのが知恵というものだ。

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2004.11.10

スーハ・アラファト(Suha Arafat)

 スーハ・アラファト(Suha Arafat)、41歳(参照)。パレスチナ自治政府議長ヤセル・アラファト(Yasir Arafat)の妻。夫のヤセル・アラファトは75歳だから、歳の差は34歳。ちなみに私は47歳なので同差の女性を娶るとすれば13歳。ヨセフが娶ったマリアが15歳だったともいうから中近東的には無理がないかもしれないが、日本に住んでいるとそれは無理。いや、もう10年くらいは無理というべきか。日本でも加山雄三の父上原謙は73歳のときに37歳年下の大林雅美と結婚している。このとき大林は36歳。ちょっと歳食い過ぎて悪知恵付き過ぎかなと世間が予想していた展開にその後なった。スーハ・アラファトもスケールが違うが似たような展開になりつつある。
 ヤセル・アラファト(以下アラファト)とスーハが結婚したのは1990年。当時、妻スーハは28歳になったばかり。アラファトは62歳。ちなみに私の父は62歳で死んだので私もそのくらい生きたらいいやと思っているのだが、アラファトの元気さにはちょっと考えさせられる。60歳過ぎて20歳代の奥さんをもらうというと普通ありがちなストーリーを想像したくなるが、いえいえ、アラファトはそれまで独身だった。某若手投資家のように純潔な男だった。
 スーハ夫人の結婚前の名前はスーハ・タヴィル(Suha Tawil)。エルサレムで生まれたがユダヤ人ではない。カトリック教徒だ。家庭も裕福だった。ヨルダン川西岸パレスチナ自治区ナブルスで育ち、後同じくヨルダン川西岸ラマラに移る。カトリック修道院の学校で初等教育を受けたのちフランスのソルボンヌ大学に留学。つまり母語はフランス語であり、なによりその金髪の相貌からは、この人フランス人なんだと思われてもしかたがない。
 父親はオックスフォード大学卒の銀行家とのことだが一応影は薄い。母親ルエモンダ・タヴィル(Reemonda Tawil)はパレスチナ問題で知名度の高いジャーナリストである。っていうかすげーパレチナよりの過激なおっかさんである。今回アラフォトをパリに移した際にもこんなことを言っている。"Arafat Undergoes Treatment In Paris For Mystery Illness "(参照)より。


In Ramallah, Arafat's mother-in-law Reemonda Tawil said the Palestinian leader was in good spirits but people were fearful. "We all hope that he will come back safe to us," she said. "It's very moving, everybody is crying. He is more than a spiritual leader - he is a father, he is everything to us."
【意訳】
ヨルダン川西岸ラマラで、アラフォトの義母ルエモンダ・タヴィルは、「パレスチナのリーダーは良い精神を持っているが、大衆は恐れを感じている。ここに残る私たちはアラファトが安全に帰還できることを望んでいる。私たちはみなアラファトの容態に心を揺さぶられ悲しんでいる。彼は精神的なリーダー以上の存在だ。私たちの父なのである」と言った。

 アラファトの義母に恥じぬほど、このおっかさん、すっかりイっている。
 スーハがアラファトと知り合うきっかけもこの過激な母の紹介による。というか、娘を押し付けた感もある。アラファトがイスラエルによるレバノン侵攻によってチュニジアに亡命中、スーハは母を真似てかジャーナリストを自称しアラフォトに接近。61歳生涯独身のはずのアラファトは即ぞっこんとなっり、娘さんをパレスチナ解放機構(PLO)のスタッフとして雇い入れた。よくある公私混同である。
 結婚は極秘だった。そりゃねである。結婚にあたり、スーハはキリスト教徒(カトリック教徒)からイスラム教徒に改宗した。イスラム教に改宗する際、女性はそれほど痛くないのだが、男性の場合は割礼が待っている。先日テロリストシンパ扱いされたキャット・スチーブンスことイスファ・イスラムも痛かったのではないだろうか。もっとも、スーハの改宗は形式的にすぎず、パリでの生活では教会のミサにも通っている。BBCがイギリス人らしい皮肉を"Profile: Suha Arafat "(参照)で言っている。

One report said her apartment is decorated with images of the Pope and Jesus Christ, as well as one of a young Mr Arafat with a gun.
【試訳】
ある調査によると、スーハの住んでいる高級マンションは、ローマ教皇とイエス・キリスト、そして銃を手にした若きアラファトの肖像画で飾られているという。

 アラファトは若い女と結婚したというだけではなかった。結婚当時62歳とはいえ、さすがに純潔の生涯、貯めに貯めていたのか、濃いというべきか、5年後の1995年、娘が生まれた。このとき、妻32歳、夫66歳。出産はパリの病院だった。というのも、スーハは「ガザみたいに衛生状態が悪いところで子供を産むのはいやぁ」とかましてくれたのだった。なかなかの女王様ぶりというか、現在を想像させる材料になるというか、それでどうしてパレスチナ民衆に向き合っていくのか、どうでもいいかなどなどである。もちろん、スーハは政治的には「イスラエルはパレスチナ人に対して毒ガスを使用している」といった反イスラエルの言動を繰り返している。余談だが、1999年11月ヒラリー・クリントンがスーハと仲良く会談したとき、スーハに反論しないヒラリーに対して、ユダヤ人はヘタレとこき下ろした。
 パリで生まれたアラファトの娘の名前はザフワ(Zahwa)、アラビア語で「喜び」という意味らしい。なるほど「喜び」かである。誕生の際、娘はカトリックの秘蹟を授かっている。
 その後しばらく母子は故郷のガザで暮らしていたが、インティファーダの激化にともない、アラファトと別居し(っていうかアラファトは幽閉されていたのでしかたがない)、2000年以降パリで優雅に暮らしている。
 これがすごい優雅な生活だ。だって、不正な金がたんまりあるんだもの。Gardian"Ramallah shows little sympathy for the woman who would not stand by her man"(参照)によることこうだ。

Last year, the French authorities revealed they were investigating Mrs Arafat over the transfer of about £6m into her bank accounts in 2002 and 2003. The exact nature of the investigation was not revealed officially, but it was reported to involve tax evasion and the receipt of monies stolen from the Palestinian Authority.
【意訳】
昨年フランス当局は、スーハ夫人の口座に2002年から2003年にかけて6百万ポンドが入金されたことを調査していると発表した。正確な額は公式になっていないものの、この入金に脱税とパレスチナ当局からの横領が含まれているとしている。

 Gardianは英国紙なので"£6m"は6億ポンドかな(追記:そんなわけありません)。いずれにせよ、スーハが不正に関わっていそうだ。この不正の要にいるのがムハンマド・ラシッド(Mohammed Rashid)で、彼女はこいつとグルらしい。Telegraph"Arafat doctors 'told to delay' brain death tests"(参照)より、ちと長いし、訳なしだけど。

Abdul Jawwad Saleh, a leading independent member of the Palestinian Legislative Council, wants Mr Rashid to be questioned at the organisation's Ramallah headquarters. His demand reflects concern that very few people will know the whereabouts of more than £2 billion of PLO funds if Mr Arafat dies. Mr Rashid left Ramallah some months ago, and is currently in Paris. Hassan Khreishe, another legislative council member, said Mr Rashid would be held to account. "We will follow him, don't worry," he said.

Mr Saleh is also calling for Mr Arafat's wife, Suha, who is said to be a business partner of Mr Rashid, to be questioned. "Mr Arafat's situation has presented a chance for us to question Mohammed Rashid," he said. "He knows better than anyone else the whereabouts of all the money, all the secret accounts. This is the people's money."


 言うまでもないが、この金蔓はアラファトの汚職が根になっている。読売新聞(1997.05.28 )「パレスチナ政府予算の40%、370億円乱用 閣僚数人が外国からの援助を流用」より。

アラファト議長がイスラエルの銀行に、「秘密口座」を持ち、イスラエルが徴収した関税や消費税などの自治政府への還付金計五億シェケル(約百七十五億円)が、自治政府財務当局とは無関係のこの秘密口座に振り込まれてきたことも明らかになっている。
 ただ、会計検査機関は、アラファト議長の指示で設立されており、議長自身の問題については触れていないと見られている。

 さらに引用もうざいので、この件に興味のある人はBBC"The mystery of Arafat's money"(参照)を読んどくれ。
 イスラエルのパレスチナ政策は責められるべきだ。だが、アラファトの晩年も責められるべきだろう。スーハ夫人が悪玉だと言いたいわけではないが、問題を複雑するだけの役割しかしていない。
 アラファトの私腹には日本人の支援金も流れ込んでいる。結果、アラファトが牛耳る自治政府からパレスチナ人民の心は離れ、困窮した住民に具体的な援助を続けるハマスに期待が高まるのはしかたがない面がある。

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2004.11.09

コートジボワールへフランスが軍事介入

 コートジボワールの動乱が国際ニュースにクローズアップされてきた。発端は、6日コートジボワール政府軍が、反政府勢力の支配している北部地域を空爆したとき、停戦監視の駐留フランス軍兵士に数十名の死傷者が出たことだ。コートジボワール政府としては「誤爆だった」と主張しているようだ。
 攻撃を受けたと認識したフランス軍は、停戦監視の平和維持軍であるものの、コートジボワール政府軍に対して報復攻撃を開始。さらに、元宗主国フランスのシラク大統領はコートジボワール政府が停戦合意を破棄したことを理由にフランス軍を増派し、首都ヤムスクロの政府軍基地に報復の空爆をしかけた。国連もフランス軍の反撃を支持する声明を出した。これでフランスは正義となった。国連なんてそんなものでもある。
 実質上のコートジボワールの首都アビジャン市では、フランス軍の軍事行動に怒った群衆が暴徒化。同市には1万5千人ほどのフランス人がいるので、この安全のためということでフランス軍は鎮圧にかかった。民衆蜂起くらいなら、天安門事件でもわかるが、正規軍で簡単にひねり潰せる。民衆に被害も出ているようだ。読売系「政府軍が仏軍空爆、仏軍も報復…コートジボワール」(参照)によると「コートジボワールの国会議長は7日、仏軍が一連の衝突で国民30人以上を殺害したと主張。仏国防省報道官はこれを否定した」とのこと。そりゃ否定するしかない。さらにフランス軍はその他の都市の鎮圧にもかかった。
 死者が出たので惨事といえば惨事でもあるのだろうが、死者推定30万人に及ぶダルフール危機が進行中なのに比べて、なぜこの程度の小競り合いがすぐに注目されるほどの国際的な問題なのか。コートジボワールの内戦の根は深くこの数年継続的に関心が持たれていた問題でもあるのだろうが、この問題が別の問題の火種になりそうな点が重要なのだろう。
 コートジボワール政府軍によるフランス軍空爆の真相はわかっていない。大枠としては、昨年まで内乱にあったコートジボワールの政府と反政府勢力が和解した際、この10月15日までに反政府側の武装解除を合意したはずだが、反政府側は武装解除を拒否。そこで政府側は制裁ということで11月4日反政府側が掌握する北部を空爆した。この空爆をフランス軍が阻止しようとして惨事となったという話もある。そうだろうか。他に、来年10月の大統領選まで内戦状態に戻して北部を排除しようとバグボ大統領が意図的に行なったとする話もある。特に、フランスの息のかかりやすいアラサン・ワタラ元首相が大統領選挙に出てくることを現政権は恐れている。
 が、なにより今回の事件の発端が反政府側への空爆ではなく、フランス軍への空爆だという点が重要だ。なぜなのか? コートジボワール政府の言うように誤爆なのかもしれない。と、疑問に思うのは、コートジボワール政府側にフランス軍を刺激するメリットがあるのだろうか、ということだ。そんなことをすればフランス軍の介入を招くだけで、実際そうなった。出来レースっぽい印象は避けがたい。
 気になるのは今年1月のBBC"French fears in Ivory Coast"(参照)だ。


The morbid dislike of foreigners, or xenophobia, lies at the heart of politics in Ivory Coast today - that, at least, is the view of a sizable minority here.
【試訳】
今日のコートジボワール(象牙海岸)の政治の核心には、病的ともいえる外国人嫌い(クセノフォビア)がある。現地の少なからぬマイノリティ・グループはそう見ている。

 こうした背景を考えると、かつての宗主国フランスとしては、自国民の安全のために、来年の大統領選挙に向けて高まる外国人排斥の動向に、明確な軍事的プレザンスを示したかったのではないだろうか。というか、この事態にいたってもフランスはコートジボワールの自国人に退避命令を出す気配はない。まるで安定した植民地であることの維持に努めているかのようだ。
 蛇足ながら、というには長いが、コートジボワールについて手短に地理・歴史をおさらいしておく。コートジボワール(フランス語で「象牙海岸」)は、1960年にフランスから独立。現在人口は1,660万人。首都はヤムスクロ(Yamoussoukro)だがその人口約20万人と少なく、実質的な首都はアビジャンで、この人口は約315万人。宗教は、イスラム教30%、キリスト教10%、伝統宗教60%(参照)。
 99年のクーデターで元宗主国の息のかかった政府から、反仏的なロベール・ゲイ元参謀長の軍事政権が誕生したものの、翌年の大統領選挙に対するデモによって彼は国外逃亡した。続いて、ローラン・バグボ(Laurent Gbagbo)大統領(社会主義政党イボワール人民党:FPI)が政権を掌握し、現在に至る。バグボ大統領はゲイ元参謀長と対立していたわけでもなく、同様に親仏とは言い難い。
 2002年9月に、バグボ大統領が南部キリスト教徒を優遇する政策を行ったとして、イスラム教徒が多い北部の軍の一部(コートジボワール愛国運動:MPCI)が反乱を起こした。これが現在につながる内乱となる。この過程で数千人が死亡。内乱に乗じて、西の隣国リベリアが支援する反政府勢力(正義・平和運動:MJP、大西部国民運動:MPIGO)も政府軍と衝突した。
 昨年5月、政府軍と反政府勢力は停戦に合意し、フランス軍部隊約4千人と国連部隊約6千人が停戦監視などのため駐留していた。

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2004.11.08

フランス人も英語を勉強しなくちゃね

 先月のことだが米国大領選挙の前ということもあって「アメリカナイゼーション ――静かに進行するアメリカの文化支配」(参照)という本をときおり雑誌でも読むようにぱらぱらと読んでいた。執筆者も多く統一性のある本ではないが面白いには面白い。実体験や、やや強引な個人見解などについては、ブログを読んでいるような印象を受ける。この本を読んで今回の米国選挙を理解する上でヒントになったことがあるかといえば、ほとんどない。韓国の英語熱やフランスの英語忌避感の話のほうが面白かった。どうでもいいことだが、フランスで昔から人気のアニメ「アステリックス」(参照)についての余談なども面白かった。

cover
アメリカナイゼーション
 この本でもなんどかふれれているが「英語教育というのは文化帝国主義だ」というネタはけっこう昔からある。日本人の場合、英語が日本語と文法的に遠すぎることや、英語を読まなくても日常困らないことなどから、いつまでたっても初等教育において英語習得の未達成者が多いというのが問題になりがちだ。その擁護に文化帝国主義とかいった理屈が出てくる。が、いつになってもその議論はさえない。実用英語と米文化がごちゃごちゃになるせいだろうか。
 実用英語と米国なり英国の言語文化の英語とはクリアに区分されるものではないが、両者を同一に扱うべきではないし、現実問題として、実用英語のニーズは高まっている。現実的にはなにが効果的な実用英語の手段かと問いを出したほうがましだ。
 英語が問題になるという事態はフランスでも似たようなものらしい。この手の話もよく見かけるものだが、特に教育でも自国語のフランス語重視について一定の基準が設けられている。前述書ではこうある。

 学校教育でも小学校では国語(フランス語)の教育を全体の60%以上にするように配慮しており、内容的にもビクトル・ユゴーなどの模範的なフランス語を徹底的に暗記する教育が施されている。

 この先の話もごく一般的な見解だが、よくまとまっているので引用しておく。

 フランスはなぜこれほどまでに英語やアメリカ文化に対して警戒と排除の姿勢をもつのであろうか?
 それは、まずそうせざるをえなほど、英語やアメリカ文化の侵入が広範囲にあるからである。フランス人にとって英語やアメリカ文化はアジア人が感じるほどには異質ではないだろうから、それだけ浸透しやすいのだろう。だから、意識的に警戒、あるいは排除しないと文化の中枢にまで居座ってしまうからである。
 また、フランス国内の多言語多文化の存在も影響しているのであろう。フランス国内の多様な地域言語と文化の存在により、フランス国家の統一は意識的に形づくられる必要があるのだ。そのためにフランス語、フランス文化を強調せざるをえないのである。

 この見解に両手を挙げて賛成というものでもないが、概ねそんなところかなと思う。フランス文化なるものも、歴史的に見れば近代の虚構という性質を持ち(歴史的な単一性はない)、またEU統合によって欧州内のナショナルな国家のありかたが薄められるにつれ、フランス内などのリージョナルな文化が強まるという逆説的な傾向も見られるようになった。
 話を少し戻すのだが、フランスで英語教育をより積極的に進めようとする動きがあり、当然その反発があるようだ。話は、英国紙テレグラフ"'Compulsory' English lessons spark anger in France(英語教育の強制がフランスで怒りを引き起こす)"(参照)で読んだ。英国の右派的なテレグラフなせいか、ちょっとフランスをからかうような趣もある。

An official report suggesting that French children should be forced to learn English in school from the age of eight has provoked an outcry among nationalists, teachers and unions.
【試訳】
フランスの子供は8歳くらいから学校で英語を強制的に学ばせるべきだとする政府調査書が、フランスの国粋主義者や先生などの団体で抗議の声を浴びている。

 この主張はジャン・ピエール・ラファラン首相を初め、フランソワ・フィロン教育省も支持しているものだ。が、シラク大統領は当然賛成はしない。

The move comes just two weeks after the French president, Jacques Chirac, described the spread of English as a "disaster".
【試訳】
この動向はジャック・シラク大統領が「英語の普及なんて災害である」と言った2週間後に起きた。

 ちょっと気になって本家フランス、例えばル・モンドとかで何か言っているか調べてみると、Googleの自動翻訳のおかげで面白い話題が見つかった。元は"Faut-il rendre l'apprentissage de l'anglais obligatoire des le CE2?"(参照)だが、Googleがフランス語を英語に翻訳してくれたのが、"Is it necessary to return the training of obligatory English as of the CE2?"(参照)だ。全体のトーンとしては英語教育に否定的にも読めるのだが、フランス人にももっと実用的な英語教育が必要だという点はすでに確立した事実のようだ。

Not only, today, 97 % of the pupils learned voluntarily English during their schooling. But moreover, they learn it badly: their level is poor and does not cease degrading itself.
【意訳】
現状フランスの97%もの学生は自主的に英語を勉強しているのだが、その学習法がよくない。結果、英語の習得としては劣るし、より向上させることもできていない。

 ル・モンドでは教育の機会の公平さについても触れているようだが、英語に堪能かどうかは教育の質に関わり、つまり、貧富差にも関係してくるのかもしれない。
 日本のマスメディアに浸っていると、アメリカという国は単独行動主義であり独善的な文化を押し付けるので世界各国で嫌われているかのようだが、実際のところ、好きか嫌いかなどいくら議論しようが、英語を実用面で国際語として習得しなければならないというのは、フランスですらどうしようもない現実になっている。

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2004.11.07

野菜や果物を食べても癌の予防にはならない

 日本で報道されていたのかよくわからないのだが、米国国立がん研究所(NCI)が出しているがん公式機関誌"Journal of the National Cancer Institute(JNCI)"(参照)の最新号に、野菜や果物を食べても癌の予防にはならないよ、という研究成果が発表された。洒落ではないよ。ほんと。
 記事は"Fruit and Vegetable Intake and Risk of Major Chronic Disease(主要な慢性病に対する果実と野菜の摂取とリスク)"(Journal of the National Cancer Institute, Vol. 96, No. 21, 1577-1584, November 3, 2004)(参照)だ。標題を見るとわかるように、癌予防に特定された研究ではない。果実と野菜の摂取は、肯定的な側面としては、心臓病の予防には有効という結果は出た。しかし、癌には効果がないことがわかった。
 この数年、この分野の研究者たちは、うすうすそうなんじゃないかと予期していたこともあり、それほどのインパクトはないだろうとも思う。
 しかし、米国でも日本でも、表向きは、癌の予防のためには意識して果物や野菜を摂りましょうと推進してきたのだが、その医学的な根拠は失われることになる。とはいえ、果実や野菜の包装に「きちんと食べてもがんの予防にはなりません」と書く必要はない。タバコのパッケージに「喫煙はあなたにとって肺がんの原因の一つになります」と書くのとはわけが違う。
 詳細が気になるかたは、先のリンク先の概要ページからさらに有償の本文を読まれるといい。結論は非常に単純だ。


Conclusions: Increased fruit and vegetable consumption was associated with a modest although not statistically significant reduction in the development of major chronic disease. The benefits appeared to be primarily for cardiovascular disease and not for cancer.
【試訳】
結論:果実と野菜の消費が増加しても、主な生活習慣病や慢性疾患を減少させる効果があるとはいえない。メリットは心臓疾患に表れるが、癌には有効ではない。

 さて、米国や日本の健康指導はこれからどうなるのだろうか?
 もしかすると、シカトこくかもしれないなという感じはする。この結果って、ちょっと困るじゃないですか。
 私の印象としては、今回の調査はかなり徹底して行われたので大筋で覆ることはないだろう。
 が、それっとちょっとまずいっすよねという感じなので、早々に批判も出てきつつはある。例えば、"Cancer Experts: New JNCI Diet-Cancer Study Not Conclusive"(参照)などだ。が、そのあたりの弁護論でとりあえず一般の人が納得されるのだろうか。あるいは、今回のJNCIの発表は暫定的だから、今までどおり野菜や果物を豊富に取りなさいよ、ということになるのだろうか。
 くどいけど、野菜や果物の意図的な摂取はそれほどがん予防に重要な要素とはならないだろうと私は思うので、考え方を変えたほうがいいと思う。
 この話、あまり一般受けはしないのかと思ってたら、意外にも、経済紙フィナンシャルタイムズに"The end of broccoli(ブロッコリはお終い)"(参照)として今回の発表がネタになっていた。

The study found that although fruit and vegetables lowered the risk of heart disease, they did nothing to reduce the incidence of cancer, contrary to the advice of health authorities the world over.
【試訳】
今回の研究で、果物と野菜は心疾患のリスクを下げるけれど、癌発病を減らす効果はまるでなしということがわかった。つまり、世界中の健康指導者がアドバイスしてきたことの逆の結果になった。

 フィナンシャルタイムズでは、食物繊維が大腸癌リスクを下げないことや、酒でも赤ワインをほどほどに飲むのは健康的とか、チョコレートも健康にいいぞ(イギリス人はチョコ食べ過ぎ!)、といったありがちな展開で話を締めている。ちょっと浮かれた感じがする。
 日本でも、健康は生活習慣で改善されるという建前だし、運動と食事の改善が大きな二つの柱となっている。しかし、人間の生き様を決める要素というのは、そう杓子定規にわりきれるというものでもないなと思う。オチに非科学的なことを言うのもなんだが、健康を目指しても、そううまくいかない運命っていうのがあるじゃないか。

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2004.11.06

飛行機売ります的なお話

 話は飛行機マーケットについてのありがちな雑談、なのでそれほどのネタではない、と最初におことわりしておく。先日フランスのシラク大統領ご一行がセールスマンよろしく中国で商談を展開したとき(参照)、エアバスの売り込みもあった。この時の詳細は、中国国際航空が6機を購入し来年から引き渡し。残りの20機を中国東方航空が国際専用に買い入れることになっている(参照)。なお、中国のエアバス購入の累計では、1985年からすでに250機を購入しているとのこと。
 フランスと中国って、たいしたもんだと見るか、しょぼいなと見るか、視点が分かれるだろうか。あるいは、エアバスかよ、じゃパス、と見る向きもあるかもしれない。が、いずれにせよ、中国の飛行機のニーズは今後どかんと膨れるらしい。10月21日北京で発表したボーイング社の中国航空市場に関する報告書を伝える新華網"Boeing: China to demand 2,300 aircrafts in next 20 yrs"(参照)ではこうだ。


Boeing released its Current Market Outlook for China here Thursday, projecting that by 2023 the country's air carriers will require nearly 2,300 new airplanes, making China the largest commercial aviation market outside the United States over the next 20 years.

 あと20年以内に中国は2300機の航空機を購入する巨大な飛行機マーケットになるというのだ。売上額もでかい。1830億ドルになるとのことだ。
 というのはボーイング社の話。エアバス社はまた違った皮算用をしているかもしれないが、いずれにせよ、この二社が、フランスとアメリカの代理戦争よろしく、中国市場で戦うようになることは間違いない。
 現状の世界市場を見ると、私のように門外漢にして古い頭には意外なのだが、エアバス社のほうが優勢になっている。日経「米ボーイング・欧州エアバス、シェア競争し烈に」(参照)ではこう。

 ボーイングの昨年の民間機納入数は281機でエアバスに24機の差を付けられた。今年も9月までの納入数は218機とボーイングが6機負けている。エアバスが通年の見通しを年初よりも多い315―320機に増やすなか、ボーイングは巻き返しに懸命だ。

 これはもう、ボーイング必死だな、である。で、まいどながら米通商代表部(USTR)のゼーリック通商代表が出てきて、エアバスに対するEUの補助金は不平等としてWTOに提訴。これを受けて、EUも米国に向けて、政府がらみの補助金を出すんじゃねーというWTO提訴合戦になった。
 EU側からの話は例えば日経「EU、ボーイング向け補助で米に事前協議要求」(参照)のこれ(なお、EU文書のほうはこちら・参照)。

欧州連合(EU)欧州委員会は8日、大手航空機メーカーへの補助金支出をめぐる欧米の通商紛争に絡み、米ボーイングが開発中の次世代中型旅客機7E7に政府補助を行う際には、EU側と事前に協議するよう米国側に求める文書を公表した。

 エアバス社側もシラクを引っ張り出すほど必死なのは、ボーイング社が現在開発中の燃費効率の高い次世代中型機7E7に人気が高まっていることがあるらしい。200機近い注文がすでにあるそうだ。
 日本もこの問題に巻き込まれている。日本もボーイング側に資金援助をしていて、これもEUでは問題視されている。話はInvestor's Business Daily"EU eyes Japan's role in Boeing 7E7"(参照)などにある。

The European Commission has questioned the financial aid that the Japanese government has given to Japanese fims participating in the development of Boeing's 7E7 Dreamliner airplane as a possible attempt to circumvent a 1992 EU-U.S. agreement on subsidies, an EU official said Friday.

 もっとも、日本は全面的に米国贔屓だからボーイング傘下みたいになっているのかというとそうでもない。企業によってはエアバスの開発に関わっている。
 エアバス社もボーイング7E7の売れが良さそうなのを見越して、対抗機種A350の開発を発表している。詳しくはわからないのだが、部品開発メーカーにしてみると、パーツレベルでは双方にある程度互換性があるらしいので、関連産業としては旗色を分けるというより、勝った方が総取りということになりかねない。
 この他、エアバス社には2006年就航予定のA380超大型機(参照)に関心があつまっているようでもある。
 とはいえ、私はこの分野は率直に言ってよくわからない。エアバスと聞くと、中華航空機事故を連想してしまう程である。ま、その後、エアバスの技術は変わったらしく、9.11のテロリストたちも、墜落回避の自動操縦装置が装備されたエアバスを敬遠していたようだ。

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2004.11.05

増税すると労働時間が減り生産力が落ちる

 11月2日の政府税制調査会の答申とやらによると、本当に定率減税をやるのだそうだ。へぇ本気なのかと思う私が呑気過ぎるのだろう。朝日新聞系「『増税路線』に転換へ 政府税調、来年度改正答申で」(参照)の記事で石弘光会長は「減税や公共事業で景気を回復させ、税収増を通じて財政再建するという従来の考えから決別する必要がある」と強調したのことだ。構造改革路線はやめて、ひたすら税負担増ということになる。
 実際には、来年から減税規模を半減し段階的に廃止するらしい。定率減税が全廃されると年間3兆300億円の増税とのこと。と言われてもピンとこない。
 この政策、たしか公明党発だったよなとちょっとネットを見渡すと、赤旗のサイト「公明党が主張する 所得税定率減税の廃止」(参照)に具体的な計算がある。一年前の記事なので状況は違っているのかもしれないが、概ねこんなところなのではないか。

給与収入 現在納税額 増税額 増税率(%)
300 0 0 0.00
400 3.92 0.98 25.00
500 9.52 2.38 25.00
600 15.12 3.78 25.00
700 21.04 5.26 25.00
800 28.48 7.12 25.00
900 41.28 10.32 25.00
1000 55.04 13.76 25.00
1100 69.6 17.4 25.00
1200 84.16 21.04 25.00
1300 98.72 24.68 25.00
1400 116.6 25 21.44
1500 141.2 25 17.71
2000 283.7 25 8.81
5000 689.23 25 3.63
10000 1021.73 25 2.45

 モデル世帯(片働き夫婦、子ども二人の四人家族)で年収800万世帯だと7.12万円の増税になる。それほどたいしたことないとも言える。年収500万円だと2.38万円増。流行の300万円以下だと現状同様税負担なし。高額所得世帯の増税率が小さいので、これならそれほど社会的に文句はでないのではないかなと思う。
 やっぱ日本は増税しかないですか、とも思うが、米国ではブッシュの選挙公約では「減税恒久化、増税は行わず」ということだった。というあたりで、そういえば、今年のノーベル経済学賞受賞(参照)のエドワード・プレスコット(Edward Prescott)(参照)米ミネアポリス連銀エコノミストが先日ブッシュに「けちな減税するんじゃなくどかんと減税せーよ」とアドバイスしていたのを思い出した。"Nobel laureate calls for steeper tax cuts in US"(参照)に10月11日のこのニュースが残っている。


"What Bush has done has been not very big, it's pretty small," Prescott told CNBC financial news television. "Tax rates were not cut enough," he said. Lower tax rates provided an incentive to work, Prescott said.
【試訳】
TV放映CNBCフィナンシャル・ニュースでプレスコットは「ブッシュがこれまでにした減税は十分に大きいとは言えない。かなり小さい」と言った。さらに「減税は十分ではない。税率が低ければ人々はよく労働するようになる」とも加えた。

 プレスコットと言えば実物的景気循環(リアル・ビジネス・サイクル、RBC)理論とか有名なのだそうだがもちろん私は知らない。その理論に基づいての提言なのかとちょいと思って、調べると、へぇな話がある。「ユーロ圏:時間的不整合性」(参照)で、キドランドとの共著"Rules Rather Than Discretion:The Inconsistency of Optimal Plans"(Journal of Political Economy, 1977)をもとにこうなるのだそうだ。

両氏は、この論文の中で、政策当局は低インフレ政策にコミットできないと指摘している。両氏の指摘によると、インフレ期待が低いなら、政策当局は一時的に生産を潜在能力以上に押し上げるために浮揚策を実行するのが好都合と考えるかもしれないが、経済主体は合理的で政策当局の動きを予想して行動するため、経済主体は低インフレを予想せず、生産は拡大しない。経済政策における「動学的不整合性」は、このように「人々が期待を合理的に形成するとき、政策を実行する前には最適である政策が、実際に政策を行う段階では必ずしも最適ではなくなること」をさす。

 誤解かもしれないが、金融政策とかでインフレ期待を高めることなんてできないと言っているような気がする。
 それはそれとして、先のプレスコットの提言だが、こうしたRBC理論と無関係ではないのだろうが、ちょっと違うようだ。というのは、この話は、昨年11月のFRB Minneapolis Researchで公開された"Why Do Americans Work So Much More Than Europeans?(アメリカ人はヨーロッパ人に比べてなぜよく働くのか?)"(参照)につながっているからだ。

ABSTRACT: Americans now work 50 percent more than do the Germans, French, and Italians. This was not the case in the early 1970s when the Western Europeans worked more than Americans. In this paper, I examine the role of taxes in accounting for the differences in labor supply across time and across countries, in particular, the effective marginal tax rate on labor income. The population of countries considered is that of the G-7 countries, which are major advanced industrial countries. The surprising finding is that this marginal tax rate accounts for the predominance of the differences at points in time and the large change in relative labor supply over time with the exception of the Italian labor supply in the early 1970s.
【抄訳】
アメリカ人は、ドイツ人、フランス人、イタリア人に比べて50%も長時間働く。しかし、1970年代前半では西欧の人々がアメリカ人より長時間働くということはなかった。この論文で、私は、収入に対する税率がこの労働時間の差異をもたらす影響について、時系列にかつ国ごとに調査してみた。対象はG7の先進国の人々とした。私自身驚いたのだが、1970年代前半のイタリアで例外があるものの、限界税率こそが労働力と労働時間の推移を決定しているのである。

 え?!である。
 税率を上げたら人は働かなくなるというのだ。欧州で労働時間が少ないのは税率が高いからなのだ、と。とすれば、税率を上げるほど国の生産力は落ちることになるな。
 って、よくわからないのだが、それって経済学の常識なのか? プレスコット大先生が言うのではなく、匿名のブログで書いてあっておかしくないお話のような気がするのだが。
 というわけで、詳細については、この論文をPDFで読むことができる(参照PDFファイル)。ので、気になるかたはそちらへどーぞ。
 この説がトンデモなのか常識なのか、私はわからないし、日本に適用できるのかわからないが、がだ、なんとなくだが、これって本当なのではないか。
 というわけで、政府に国民生活の保証をさらに求めるままにしていくと、日本も税率をじわじわ上げていくことになり、労働時間が減少し、労働力が減少し、生産力が落ちてジリ貧化していくのだろう。
 それって、すでに年収300万円以下の世帯はそういうのの先取りなんだろうか。いずれによ、家庭団欒とか自分の時間が持てるビンボながらも呑気な日本になっていくのかもしれない。それもまたよし、かな。

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2004.11.04

ブッシュが勝った

 ブッシュが勝った。今朝、他の人のブログや日記なりをぱらっと見ながら、今にしてみると、外していた人もいたなとか、予想範囲内だとしながらも敗因可能性の列挙だけだった人もいたなとか思った。私もきれいにブッシュの勝ちを読むことはできなかったが、二日前に書いた極東ブログ「米国大統領選挙の行方」(参照)は概ね外さなかったのではないか。もちろん「俺は最初からブッシュ再選だと言っていた」という人もいるのだろうが、それがただの信念の表明であっては、世界を読む役には立たない。
 今回の大統領選挙で教訓として思うことはいろいろあった。日本のメディアは米国大統領選挙を扱う点ではあまり適していない。重要なのは米国メディアと論説だが、これらに対する自分には違和感があり、自分の感性のほうがいくぶんか正しいのではないかと思っていた。特に、ニューヨークタイムズやサロン・コムは当然として、ワシントンポストもケリー支持にまわったとき、私はそれでもケリー支持に追従できないぞと思った。が、ちょっとこいつらを向こうに回して思考するのにはびびった。反面、ブッシュ支持のメディアといえば統一教会の息のかかっていそうなあたりくらいになり、なおさら俺ってただの右派?とも反省したが、私という人は実際にはそれほどイデオロギー先にありきではなく、小林よしのりが嫌う現実主義者に近い。さてと蓋を開けてみると、自分の感性のほうが正確だったなかなとほっとした。こうした米メディアのバイアスを補正する勘もまた少しついた。

cover
辺境・近境
 事前の各種の推計もけっこう外していたなというのも面白かった。これらはインターネットやメディアから可視になっている部分に過ぎず、アメリカというのもの本体というのが、やはり大統領選挙にもなるとずっしりと出てくるものだと実感した。この感覚はある程度アメリカの生活文化に触れてみないとわかりづらいし、逆に東岸や西岸のような地域に住んでいる日本人だとむしろまわりが民主党的なのでアメリカという国のボリュームを誤解しやすい。
cover
辺境・近境
写真篇
 このずどんと重たいアメリカをマイケル・ムーアのように笑いのめしてもどうにもならない。村上春樹の旅行記「辺境・近境」に「アメリカ大陸を横断しよう」という愉快な、あるいは考えようによってはピンチョン的なエッセイがあるが、あの奇怪な茫漠たるアメリカというものの違和感を、これだけ深く関わるようになった日本人は、より知る必要があるのだろう。
 この重たいアメリカは、ひできさんからこの件でコメントでいただいた指摘も呼応すると思う(参照)。

もしかして、大統領選挙をめぐる共和党と民主党という対立軸っていまだに南北戦争をひきずっているのではないだろうか?、という感じがしてきました。

 必ずしもそうとは割り切れないという言い方もできるだが、現実的には、今回の選挙を見ながら私も「これは南北戦争だな」と思った。南軍の勝ちだな、と。言うまでもなく、米国大統領は基本的に南部から出るのである。
 ただ、この傾向は、今まさに、流れがケリー的な方向に変わろうとしていることを示しているのか、むしろブッシュ的なものに回帰していくのか? 社会学的にはアメリカは今後はケリー的な民主党的な方向になるのではないかと思うが、集団的な意志を持つ集団の分析なり予測は意外と社会学では手に負えないところがある。ブッシュが保守的・復古的とはいえそのブレーンはネオコンのように新しい世界のビジョンをずしんと投げかけてくるやつらもいる。
cover
分断される
アメリカ
 この点では、ハンチントンの「分断されるアメリカ」の推察は今後のアメリカ国内を考える上で重要になるだろう。今回の大統領選挙がらみでいうならヒスパニック系とそれに対する白人主義的な動向だ。このあたりは、今回の大統領選結果の持つ知的にフルートフルな部分だ。
 もう一点、今回の選挙はブッシュ陣営の思惑どおりの進展だったのかというのが疑問に思った。ここまで計画的にできるものだろうか。同じ思いはワシントンポストのコラム"Once Again, Targeting Base Pays Off for Bush"にも掲載された。現在このコラムはリライトされているようだが、私が読んだときはこう切り出していた。

The surprise last night was that there were so few surprises. Just as President Bush's strategists have been predicting for years, it was another breathtakingly close election.
【試訳】
昨晩のサプライズ(びっくりすること)といえば、あまりにサプライズがなかったことだ。まるでブッシュ陣営はこうなることを数年前から見越していたみたいだ。つまり、息をのむほどの僅差になるということ。

 この点について、いろいろ考えたのだが、私の考えではブッシュ陣営はきちんとビジネスをしたのだと思う。州内の選挙区の区分とそこから得られる選挙人獲得の最大メリットをあたかもゲーム理論のように配分して最小限の力で最大の成果が得られるようにしたのだろう。私の認識違いかもしれないが、今回の選挙で無駄な努力と金の投入をしたのはケリー陣営だったのではないか。彼らはビジネスというより、主張に基軸を置く昔ながらの選挙をしたのだろう。たぶん、今回の選挙で、ケリー陣営というか民主党が本当に反省しなくてはいけないのは、どぶ板なのだろう。
 オクトーバー・サプライズもなく、選挙戦を左右させるための陰謀なんてないじゃないか、と思った。ビンラディンもブッシュの友情に応えたただけだし(これは皮肉)、その応援はぼけていた。と思っていたのだが、実は、ケリー支持側がやっていたのでしたね。中国の銭其シン前副首相のブッシュへのクサシ「中国前副首相:ブッシュ・ドクトリンを痛烈に批判」(参照)は失笑を買うだけとして、こちらにはびっくり。日本では産経系「IAEAの爆薬紛失リーク疑惑 事務局長3選阻止へ ブッシュ陣営」(参照)で選挙後に書いていたけど。

米大統領選大詰めの攻防で焦点となっているイラクの「爆薬紛失」事件をめぐって、国際原子力機関(IAEA)が、“選挙干渉”を目的に、この問題を一部メディアにリークしたとの疑惑が浮上している。

 これを取り上げたのは以下。

 IAEAからのリーク疑惑は、十月二十九日付のウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・タイムズがそれぞれ「国連の復讐(ふくしゅう)」「エルバラダイの復讐」などとの見出しで報じた。

 とはいえ、これには当方もこの間はできるだけ触れないが吉。というわけで、黙っていたが、この問題はこれからが重要になるだろう。
 ブッシュ再選ということで、個人的に思うことをもうちょっと書いておきたい。ブッシュ再選でまず思ったのは、10月23日テレグラフの"If Bush loses, the winner won't be Kerry: it will be Zarqawi"(参照)というコラムだった。標題は「もしブッシュが負けるなら勝利者はケリーではなくて、ザルカウィだろう」だ。内容はもうちょっと陰影があるが、そういう主張だ。ザルカウィはある意味で象徴でしかない。彼には世界のビジョンはなく、むしろマクロ的にみると陰謀論ということではないがアメリカに利用されているとも言える(日本もまんまとその枠にポチっと収められている)。
 このコラムでザルカウィが出てくるのはイギリスの人質が無惨に殺された怒りが込められている。今の時点になると日本人としてもこの怒りは強く共感できる。
 が、さすがにこのコラムをあの時点で極東ブログのネタにするのも物騒なので控えていたが、私はこの選挙でブッシュが負ければ、テロリストたちの勝利だなという思いはあった。
 筆者のムーアといってもチャールズ・ムーアはこうも言う。

I don't understand what John Kerry or Jacques Chirac think should be done about terrorism. Or rather, I think they think nothing much should be done. Kerry compares terrorism to prostitution - a permanent affliction that can be mitigated, but no more.
【試訳】
私はケリーやシラクがテロ対策でなにをするのか理解できない。それどころか、この人たちは為すべきことをしないのではないか。ケリーはテロを売春に比較している。 つまり売春問題のように永続的なトラブルの元だという以上の主張はないのだ。

 もちろん、ケリーだってうまくやれるというかもっとうまくやるということをそれほど疑うものでもない。ただ、アメリカという国の出すメッセージとしてはそうもいくまいと思っていた。
 結果、有志連合(これがこの体制でいいのかは議論の余地があるとして)は強いメッセージを世界に出すことなり、そして、必然的に日本がぐっと巻き込まれることになった。

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2004.11.03

香田証生さん殺害シーンを語ることの意味について

 香田証生さん殺害シーンの映像がネットを通して流布された。報道メディアでは報道されることはないが、基本的なインターネットのアクセスができる設備がある一般家庭でもこの映像を入手して見ることは容易だ。すでに2chではこの映像とそれを見るべきかが話題になっている。
 私は見たくないなと思う。今回の殺害シーンと限らず、また戦闘シーンの静止画も、事実検証の意図がないときは、私は見ない。見ないについてはいろいろ理屈もあるが、まず、見たくはないという感覚を大切にしている。それはそれでプライベートな領域のことでもあるのだから、このブログにも何も書かずに黙っているべきだろうとも思う。
 だが、今回の問題は、すでに2chで問われているように、「この映像を見つめるべきだ」という問いかけを自分がどう受け止めるかとしても問われている。例えば、次のように問われる(参照)。


この文章は政治的な思想を植えつけたりするものではありません。この文章が言いたいことはただ一つ、「香田さんが殺害される姿を、我々日本の国民全員、、目をそむけないで真剣に見てほしい」ということです。そして、同じ日本人として、同じ世界の人間として「なにか少しでもいいから」感じ取って欲しい。

 この人の意見はこう続く。非難の意図はないが、率直に言うと問題の本質がズレている。

具体的には、これらの拒否反応を起こす人が愚かだとかそういうことを言いたいのではありません。死は人間の本能的に避けたがる側面であるが故、死の瞬間を見ることを本能的に拒否しているだけなのです。我々が共存していくにあたって、乗り越えなければならないいくつもの本能があります。性欲という本能を抑制しなければ強姦だらけで共存しあえる社会が成り立たないのと同じです。死の恐怖、本来これは乗り越えなければならない本能であり、乗り越えてやっとそこから真実を見据えることができるのです。しかし今日のこの国において、死はあまりに敬遠され、隠蔽され、捏造され、死と関わらなくても伸び伸びと生きていける国ができあがってしまっているのではないでしょうか。それは本当の幸せではありません。どうか恐れずに、死の本能的恐怖を乗り越えてください。

 今回の映像を見るか見ないかは、死の本能的恐怖を乗り越えるという問題とは別だ。が、そう問われるうる日本の現状というものもあるのだろう。
 また、2chのスレッドタイトル「殺害動画から目をそむけるバカどもへ 」(参照)にあるように、この映像を直視できないものは「バカ者」であり、根性無し、ヘタレというように、それを見た者が、ある倫理的な優位となって語るというあり方だ。
 そうして見ると、問題のこの側面はそう新しいものではない。ベトナム戦争以来、戦記ルポなどで、死体の山を見てきた経験主義の優位、「あれだけの死体を見てないおまえたちには戦闘の悲惨さ、平和の尊さがわからないだろう」というあれだ。
 当然ながら、この古い問題については、熟考の時間もあり、私などは、それを特定の人間の運命の問題としてとらえている。つまり、私の人生において不可避に避けがたく現れた死の状況を私は受け取る。私の父は私の眼の前で死んでいった。自分の父の身体からぬくみが消えていくその時間を数時間もともに過ごした。
 しかし、他者の死の状況が私の選択として現れるときは、私の決意に関わる。自分の人生の、あるいは運命の意味を問うことになる。
 そうしてみると、香田証生さん殺害シーンという死の状況は、同胞である私に直視を強いる一つの運命なのだろうか。
 そうではないとは言わない。率直にいうと問われているとは思う。
 ただ、先の直視せよという人の意見なり、直視できないものはバカという意見とは異なる。それを直視するとすれば、そうすることが私の人生の意味だからというだけのことであって、それを他者との関係性に持ち出すことではない。
 なお、映像の展開は次のようになっているらしい(参照)。

562 :& ◆QWv3R1XL8M :04/11/03 04:30 ID:???
これを読んでから見るかどうか決めれ

00:00 アラビア文字の白い字幕。背後は黒BGMはオヤジのコーラン。
00:10 アラビア半島を中心とした地球儀に突撃銃が意匠された奴らのマークが浮かび上がる。
00:20 アラビア風の音楽が始まり、アラビア語の字幕が浮かんでは消える。
00:34 小学校みたいな閉鎖された部屋。コンクリ壁には例の黒い旗。一人香田君が正座させられてる。
00:42 3人の執行人が画像処理で現れる。 何か紙に書かれたものを読み出す
02:05 真中の人間が読み終える。即執行開始
02:10 入刀。うごぉ・・・とうめき声

728 :/名無しさん[1-30].jpg :04/11/02 23:35:09 ID:nJLiCo9P
動画落として見たけど、今削除したよ
本人や肉親に申し訳なくて、とても保存できない

729 :/名無しさん[1-30].jpg :04/11/02 23:35:09 ID:dxxp6Het
02:12 アラーアクバルを続ける男たち。首が切られつづける。
02:14 血が噴出す。ピストン運動のように、首にナイフを入れ出しする男。
02:26 最後の「むご」という音とともに、音が消え再びアラビア風BGM始まる。
02:28 視点が変わって、米国旗の上で首を切りつづける。
02:30 切断完了 胴体の上に首
02:33 シーンが変わり、男たちが首を掲げる。背後は例の旗。顔がupになる
02:41 米国旗の上の胴体に首が置かれるjpgと同じ構図になる
02:45 最後に幸田君ドアップ。
02:48 彼らの旗が写る。


 無惨なシーンは人の命を奪う恐怖もあるだろうし(それがテロリストの目的でもある)、その映像が同胞であるということでもある。が、映像は、もしかすると、それが同胞であるという確認の意味しかなく、それに残虐が加味されたとするなら、映像の意義は、同胞が殺されたという事実性にこそあり、残虐さは他国の人の殺害シーンでも同じではないかとも思う。そう言うに、やや小理屈の感はあるが。

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2004.11.02

米国大統領選挙の行方

 たかがブログじゃんか、標題は「私はブッシュが再選すると思う」にしようか、と思いつきのまま放言にしたい気持ちもあったのだが、文章にするとそれなりに言葉を紡いでいくスジみたいなものが必要になりうまくいかない。話スジ立てとしては、私がブッシュを外国の大統領であれ支持するのか、それとも、客観的に見るとブッシュが勝ちそうだよ、というののどっちかになる。両方が揃うと単純でよいのだが、私は台湾の総統選挙の時の陳水扁支持とは違い、強くブッシュを支持してるわけでもない。状況を冷静に見て、ブッシュ勝利の線が見えるかというと、見えない。というわけで、たるい話を手短に書いておく。
 各種の全米世論調査は日本でも報道されているように、拮抗した状態だ。どちらかの陣営が頭一つ出ているようならここから単純に動向がわかるが、現状では各調査でばらつきも大きく、差があっても誤差範囲にしか見えない。大方の言うように世論調査的にも接戦になっている。
 大づかみの世論調査を州ごとに分けていくほうが予想しやすい。米国大統領選挙は米国国民の投票が公平に反映するものではなく、各州ごとの選挙人というのを獲得するという奇妙な方法を取っているためだ。基本的にまず州で勝敗がどう決まるか、そしてその州で何人の選挙人が獲得できるかということが重要になる。
 各州の状況だが、話を単純にすれば、大半の州では実質選挙戦は終わっており、ブッシュかケリーかは固まっている。未決なのは、スイング(揺れている)州と言われる二、三の州だけで、現状では事実上オハイオ(OH)、フロリダ(FL)、ペンシルベニア(PA)の三州が問題になっている。この三州の動向で大統領が決まると言ってもよさそうに見える。他に拮抗しているニューメキシコとニューハンプシャーもあるが両方の選挙人をゲットしても9人なので、この三州ほどの影響力は持たない。が、先の三州でブッシュとケリーのばらつきがあると重要性が増す可能性もある。
 予想サイト"Electoral Vote Predictor"(参照)を見ると、三州ともケリー側に揺れている。なので、このサイトではケリー298対ブッシュ231と最終的にはケリーの大勝を予想している。
 少し情報が古いと思われるニューヨークタイムズの予想(参照)ではペンシルベニア(PA)はケリー側として、スイング州をアイオワ(IA)、ウィスコンシン(WI)を入れている。この点の確認を兼ねて"Electoral Vote Predictor"でペンシルベニア(PA)での推移を見ると、8月ごろまでは比較的ケリー優勢だったのがその後の揺れははげしい。アイオワ(IA)とウィスコンシン(WI)も基調としては拮抗したしているようすが伺われ、現時点での安定した傾向は見られない。こうした点からすると、アイオワ(IA)、ウィスコンシン(WI)の2州もニューヨークタイムズのようにスイング州に換算してよさそうだ。
 前回大統領選挙の経緯(参照)からすると、ブッシュ支持はハイオ(OH)、フロリダ(FL)の二州のみだが、それでもアイオワ(IA)とウィスコンシン(WI)は前回もスイング州だったので、基本的な共和党対民主党の傾向でこれらの州の傾向がわかるわけでもない。
 選挙当日の動向は民主党に揺れる傾向があるとも言われるが、今回の選挙は前例のない選挙とも言えるので、そうした過去の傾向は当てはまらないだろう。
 スイング州がばたばたとブッシュに揺れれば、ブッシュが大勝となる可能性もある。なかなか読めないぞというところだろう。特に、フロリダ州(FL)は前回同様重要にならざるをえないようすがすでに見える。
 こうなると、やっぱ、最後は裁判所で決めましょうというジョークが出そうだが、はたしてそうなのか。私の感じとしては、実は、見えないファクターでバタンと決りそうだ。
 世論調査的な動向は、実は、いくらやってもそのスジのプロのほうが上得手。こんなへっぽこブログで偉そうにするまでもない。ので、搦め手で考えるのだが、そのポイントはなぜオクトーバーサプライズが無かったのだろう?ということだ。終盤になってビンラディンがブッシュ応援に駆けつけたりしたのだが、これもそれほどブッシュのメリットにはなっていない。
 現在懸念されているサプライズはブッシュの都合が悪くなったときの投票中止という措置だが、フロリダ(FL)などスイング州でどかんと無ければこのまま、結局、無かったねぇ、陰謀論っていのも無理目過ぎ、ま、お茶でも…ということになる。そうなるのではないか。
 すると、ブッシュ陣営の選挙のプロはこれで勝てると理解していたということになる。確かに9月以降のスイング州の動向を見ると、ブッシュが勝てそうな推移でもあったので、下手を打ちそうなヤバイ手は出せなかったのだろう。ケリー陣営のほうが結果的にCBSで下手を打ったのは案外ブッシュ側をびびらせたのかもしれない。
 ブッシュ側の見えない勝ち目ファクターは…、ES細胞研究の宗教がらみか、銃規制問題かと考えるにそれらがスイング州への動向を決めるとも思えない。とま、つい冷静に考えると、ブッシュの目は弱すぎかなと思う。
 私自身は言うまでもなく弱くブッシュを支持している。ANYONE BUT BUSH!(ブッシュ以外なら誰で可)といったヴェトー(拒否権)というのでは弱いと思う。英国紙テレグラフは"Bush must be allowed to finish the war on terror(ブッシュにテロとの戦いを貫徹させてやろうじゃないか)"(参照)と言っているが、心情的には私はそんな感じだ。イラク統治は失敗したが、他の面ではブッシュもなかなかの線だったじゃないか、と思う。

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2004.11.01

香田証生さん殺害に思う

 イラクのテロリストグループに拉致されていた香田証生さんが殺害された。この時期にイラク入りした無謀さを責める向きもあるが、若さというのはそういうものだろうと思う。自分も顧みて、無謀さゆえに海外で暴漢に襲われたとき殺されちゃっていたかなと思うこともある。
 私が殺害を知ったのは昨日のことだ。金曜日から土曜日にかけては自分の健康への配慮から、ニュースとブログをオフにすることにしているので、土曜日段階での未確認情報として、メディアに混乱した情報が流れていたのは知らなかった。私としては訂正報道が出た後になってから、ニュース残骸や各種日記・ブログで、すでに殺害されたことを前提に書かれた記事を読んだのだが、随分奇妙な気持ちがした。事実に向き合っているより、この一日の間、この各種の記事は幻想に向き合っていたのかとも思った。
 そうしたあり方を軽率と責めるものでもない。私も土曜日にニュースを見ていたら、殺害方法に疑問は感じただろうが、同じようなことを書いていたのではないかと思う。事実確認とは難しいものだ。今回の事件では、ザルカウィ関与が既定事実化しているようにも見えるが、事実確認は取れていないようだ。犯行後の声明もまだ聞かない。
 今回の事件についてだが、遺体は星条旗でくるまれていたらしく、犯行ビデオでも香田さんに"troops"と言わせていたことからして、このテログループは自衛隊を理解していなかったようだ。
 ザルカウィ関与かは不明だが、それでもグループの指導者はイラク国内というより、その手口から見て、イラク外部のテログループのように思われる。さすがに今回は日本でも「テロではありません、レジスタンスです」といった声はなかったように思う。この日本国内のリアクションも初回の日本人人質事件とは違っていた。
 初回の日本人人質事件については、「自作自演」とまでは言えないものの、狂言強盗が本当の強盗ではないように、本当に殺害するとは思えない狂言的な性格を帯び、人質たちもテログループの行動に心情的に同意していたことが事件途中から察せられ、その分、安否への不安は少なかった。この時の人質だった高遠菜穂子さんの手記「戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない」も読んだが、事件の真相が未だによくわからないものの、人質たちは直接殺害に脅されることなく、テログループに本当の意味で恐怖を持っていなかったようだし、厳しい拘束下でもなかったような印象を受けた。推測に過ぎないのだが、高遠菜穂子さんは先日薬事法違反容疑となった、フセイン体制・スンニ派シンパの「アラブイスラーム文化協会」のジャミーラ高橋千代代表とも懇意なので、その関係もあって、同じくフセイン体制シンパだったと見られるスンニ派の聖職者協会とも話が付けやすかったのではないだろうか。いずれにせよ、あの事件ではのテログループとはチャネルの可能性があった。しかし、今回は早々にスンニ派の聖職者協会もチャネルを持っていないことを明かにしていた。同じような人質事件に見えてもかなり違ったものだった。
 今回の事件ではテログループ側の要求である自衛隊の撤退を支持する声は少なかったように思えた。もともと、今回の手口のグループの活動は反米の政治目的というよりは、狂信的な殺害をしているのではないかと思われるのは、先日のネパール人殺害からも伺える。ネパールは日本とは違い、政府としてはイラク戦争にまったく荷担していない。しかも、殺害されたネパール人はたぶんイラクで働くとも思ってもいない強制労働者だったようだ。テログループの言い分としては米軍に荷担しているというのだが無茶苦茶過ぎるというか、まるでそうした意味では政治的な思想性が伺われない。
 日本では、朝日新聞の論調を初めとして、自衛隊が追米的な行動をやめればこうした問題が解決するかのような議論もあり、これが米国大統領選の反ブッシュ・親ケリーといった流れにも結びついているように見える。しかし、ケリー大統領となれば、彼はイラク問題については、国際協調を呼びかけている分、つまり米軍の負担を各国に分散させるいうことから、逆に日本への軍事負担は多くなるだろうし、それには国連を錦の御旗とせざるをえない。だが、昨年の国連事務所爆破がザルカウィのグループだと見られているように、イラクに流れ込んだこのテログループは国連をも敵視している。この問題に簡単なソリューション(解決策)はない。
 私は、だから自衛隊は撤退してはいけないと言いたいわけではない。日本国憲法からして日本の国是は国連主義と見ていいので、現状のような米国指揮下の有志連合でいいかは、日本国民があらためて仕切り直ししてもいいだろうとは思う。
 ただ、私は、この12月15日に期限を迎える自衛隊の派遣延長問題だけに関心が集まっている世相に違和感がある。というのは、以前からの極東ブログの主張でもあるのだが、自衛隊のイラク派遣は500人規模でありしかも軍事活動の後方支援でもないので、そもそも軍事的な意味に乏しい。これに対して、10月26日の閣議で決定したテロ対策特別措置法に基づくインド洋への自衛隊派遣の延長ほうは、もろに米英軍の後方支援としての軍事的な意味を持つ。しかも、この延長はすでに6回目である。状況が状況だとはいえ、このだらだら感は当初の特別措置法としての性格からすれば、異常ではないのか。しかも、今回の延長では、外国艦艇に搭載されたヘリコプターへの給油と飲料水の提供が追加された。7月に発効した米物品役務相互提供協定(ACSA・参照)からすると、こうした提供は有償が原則のはずだが、なお今回の延長では無償提供を継続するらしい。
 ザルカウィのようなチンピラ上がりのテロリストはこうした世界状勢が読めないかもしれないが、なにも日本人がそのレベルに国際的な軍事見識を同調させることはないだろう。

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