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2004.10.30

あなたは偽善者ですか?

 先日「はてな」のアンケートで「『はてな』に偽善者はいると思いますか?」(参照)というのがあった。アンケートの選択肢に「義援金を払っている人ほぼ全員が偽善者」というのが含まれていることからわかるように、背景には、はてな利用者がはてなポイント(1ポイント1円相当の地域マネー)で新潟中越地震被害者に義援金を送るという話がある。もちろん、アンケート者は、その行為を偽善だと間接的に主張したいわけでもないようだが、なにか、こーゆーのって偽善じゃないかという感じは持ったのではないだろうか。私も多少わかる気がする。
 アンケート結果で多数を占めたのは「はてなユーザーの一部が偽善者」なので、アンケートとしてはほぼ意味のない結果とも言えるのだが、なんとなくこの波紋が面白かった。
 面白いというのは、その、なんというか、みなさん「偽善者」と言われるのが嫌みたいなんだなっていう感じが伝わってくることだ。他方、偽善でも困っている人に義援金を送ることはいいことじゃん、ごちゃごちゃ言わんといて、と考える人も少なからずではありそうに思えた。
 そもそも「偽善者」という言葉がなにかしら、うちあたい(沖縄語:心に自分が思い当たるっていう感じのこと)する人が多いのか、引き続き、「偽善者じゃなければ何者ですか?」(参照)という問いかけも盛り上がった。
 この件で、自分が思ったことは二つある。まず、今の自分は、あまりそういうことは考えなくなったなということ。若いころはけっこう考えていたかなとも思い出す。
 現在だと、「おまえは偽善者だ」と言われても、「ほぉ、そう見えるかね」というくらいのリアクションだ。余談だが、このブログをやっていると、「ばかみたいですよ」というコメントをいただくことが多い。これも、「ほぉ、そう見えるかね」と思う。つまり、他者がそう思う、そう見るという現象自体は正しいし、その他者の経験を私が否定できるものでもない。もうちょっと言うと、実際のところ、私は偽善者だし、ばかなんだろうなと、けっこう了解してきている。
 若いころはそういうふうに自己を受容してなかったのだろうが、どこで、そうした転換があったのか、しばし考えてみた。ただ、歳とともに身体が老化していくように、心も老化したというだけかなという感じもする。
 思ったことのもう一つは、偽善者って英語でなんて言うのだろう?ということ。もちろん、"hypocrite"という言葉は知っているが、あまり日常使わないように思う。この言葉自体は基本的に聖書から来ている言葉だろうと思う。たとえば、マタイ6章にはこうある。


 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあたながたの父から報いを受けることがないであろう。
 だから、施しをする時は、偽善者たちが人にほめられるために会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

 英語の聖書でも大抵はこんな感じで、この「偽善者」に"hypocrite"を当てている。だが、あまり詳しい考証は省略するが、よりわかりやすく工夫した英語の聖書だと、ここは「演技者」のように訳されている。
 聖書では他にも類似の箇所があるが基本的にはこの箇所が「偽善者」についての言及の代表的だと言えるだろう。とすると、聖書的には「偽善者」というのは、「私は良いことをします」と宣伝して良いことをする人ととりあえず言ってもいいのだろう。
 それだと、ちょっと日本語の偽善者の語感とは違うし、英語の生活文化でもそうした言葉はあまり使われていなさげだ。英語だと「嘘つき」"liar"だろうか。いやそれだと人間じゃないというくらいの非難になる。英辞郎を引いたら"fox in a lamb's skin"というというのもあった。それほど使われている表現でもないが、「羊の皮をかぶった狐」というのは、欧米圏の感覚としてはわかる。逆に、日本人の偽善者というのはそういう、「羊の皮をかぶった狐」ほどでもない。
 私は、たぶん、日本人の場合、特に若い人の気性だと、偽善というのは、本心を偽っている、純真にそう思っていない、という、思いの純度のようなものに関わっているのだろうと思う。偽善者の反対はまごころだけの人みたいな。私信を捨て去るみたいな。
 しかし、ある程度人間生きてみると、偽善者より困るのがこの純真な人々ってやつだ。小林よしのりが、「純真まっすぐ君」とかおちょくって言っていたが、そんな感じだろうか、と言って、最近の小林よしのりについては知らないのだが。
 話がたるくなったので、私の考えをささっと書いてしまおう。私は、五・一五事件(参照)や二・二六事件(参照)を思う。このとき、青年将校たちは偽善者ではなかった。純真な心でテロ活動をやっていたのである。
 純真な心が問答無用に彼らが悪と見たものを殺し、しかも、その殺し方は、相手に同等の武器を与えることによって自らの名誉を守ろうということもない卑怯極まるものだった。というか、そういう行為が卑怯になるという西洋的な感性はなかったのだろう。
 いや、もっとも、こうした感性は日本人だけに特有ではないのかもしれないのだが。
 ネットの掲示板などで「匿名」というのが悪の隠れ蓑のように言われることが多くなったが、聖書的な世界観で言えば、匿名とは、先のイエスの垂訓が明確に示しているように、善意をこの世に知られないように、偽善を避けることが主眼であった。聖書的には、偽善者でなく生きるには、匿名で善行を行うことである。
 じゃ、匿名で悪行をなすのは、なんというのかわからないが、ま、偽善ではないのだろう。偽悪というのかな。悪でないだけましなのかも。

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コメント

その行動の動機が愛なら、やって構わない。と私はいつも自分の行動について考えます。じゃあ愛って?ってことになるけど、それがわかるのが知でしょう。たぶん、、、

投稿: notti | 2004.10.30 09:50

偽善だと言われたくないがために足がすくむ、というようなことはしたくない、って感じです。

投稿: Cyberbob:-) | 2004.10.30 10:58

聖書にもそういう表現があるのを知りませんでした。

日本には昔から「陰徳をつむ」という表現があります。

それから、私も自分のことを偽善者だと最近開き直っております。^^;

投稿: r-38 | 2004.10.30 11:37

言葉の成熟度と関係があると思う。そもそも、善を評価するのが言葉だから。

さらに言葉の成熟は、うちなる心での自分との対話。対話の材料は、ニュースでもいいし、芸術でもいいし、スポーツでもいいし。

私は直接は知らないけど、柔道の講道館には、オリンピックとは関係なく、ま、お爺さんたちなんだろうけど、人物がいるとのこと。

blogは、隠者の発言でもあるかもしれないね。

投稿: 野猫 | 2004.10.30 11:53

「僞」の含意は「ふりをする」ことでしょう。そうすると、聖書の「演技者」という訳はぴったしかな。

「善人ぶる」または「惡人ぶる」すなわち「善行」または「悪行」でしょう。義捐金について、その送る心の「純真さ」まで云々するのはどうかと思いますね。細かすぎ。

仮面をかぶることの是非?ただ社会的ペルソナを演じないと日常生活が崩壊してしまうから、総論で「オッケー」という感じがしますね。近頃の犯罪者には「ペルソナを捨てた善人」多いし。
私は「親」を演じますよ。てきとーに。

投稿: BAUSH | 2004.10.30 17:57

素直に、喜ぶ人がいるのだから、それでいいんじゃないか。
される人にとっては、善であろうと偽であろうと助かるのだし。

投稿: (anonymous) | 2004.10.31 03:23

宗教以外で善行やられると信者が減って困るからおまえら目立つなって事なので宗教は無視するとして。ボランティアと寄付が経済に組み込まれてて偽善者に余裕があるうちは偽善で対応出来るならそれでいいのでは。

投稿: シナ | 2004.10.31 04:05

このエントリーで言うところの「純真な人」というのはゼークトの組織論で言えば「無能な働き者」といったところでしょうか?自分の馬鹿さ加減を知り得ない程の無能かつ、大概の障害を乗り越える程に勤勉であるが故に周囲にとってはこの上ない害悪となってしまう話です。

乱暴な比較をした場合、自覚のある偽善者の方がまだ少しマシかもしれないと思ったりします。まあ程度問題ですが。

>宗教以外で善行やられると信者が減って困るから
宗教の信者に対して「目立つな」と説いてる訳だから話が逆では?

投稿: 若菜某 | 2004.10.31 05:10

宗教以外で善行やられると云々は当を得ない解釈で、聖書を素直に読めば神を信じてる人は少なくとも神には見られているのだから、それで十分な筈、なお人にも知られたいならそれは偽善というものだという意であろう。私は偽善に関しては人間には次の2種類の人間しかいないと考える。
1.自分を偽善者だと思っている偽善者
2.自分を偽善者だと思っていない偽善者
人間はどうせ皆偽善者、偽善を恐れては何もできない。

投稿: 寺内芳郎 | 2004.11.06 22:21

鳩摩羅什 色即是空 空即是色 

この世にも悟りはある。

口上述べる前に知のある偽善者としてなにか成し得なさい。

自己の対象へささやかでも伝えようとする気持ちがあれば救われるものもあるとゆうこと。 己もまた救われるなら尚よい。

己を認知しなさい。

「気持ち」それでよい。

投稿: ムスメ | 2006.03.13 15:58

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