日本の報道の自由の順位はチリ、ナミビア、ウルグアイに並ぶ
今年で3回目になる「国境なき記者団(Reporters Sans Frontieres)の「世界各国における報道の自由に関する年次報告(Third Annual Worldwide Index of Press Freedom)が26日に発表された(参照)。日本の順位は42位。チリ、ナミビア、ウルグアイに並ぶ栄誉である。なんかおおらかで住みやすそうな国の印象を出して好ましい、わけはない。
世界各国の報道の自由の順位
1 デンマーク | 11 スウェーデン | 24 ジャマイカ | 36 ブルガリア |
1 フィンランド | 11 トリニダード・トバゴ | 25 ポルトガル | 36 イスラエル |
1 アイスランド | 15 スロベニア | 26 南アフリカ | 38 カーボベルデ |
1 アイルランド | 16 リトアニア | 27 ベナン | 39 イタリア |
1 オランダ | 17 オーストリア | 28 エルサルバドル | 39 スペイン |
1 ノルウェー | 18 カナダ | 28 ハンガリー | 41 オーストラリア |
1 スロバキア | 19 チェコ | 28 イギリス | 42 チリ |
1 スイス | 19 フランス | 31 ドミニカ | 42 日本 |
9 ニュージーランド | 21 ボスニア・ヘルツェゴビナ | 32 ポーランド | 42 ナミビア |
10 ラトビア | 22 ベルギー | 33 ギリシア | 42 ウルグアイ |
11 エストニア | 23 アメリカ | 34 香港 | 46 モーリシャス |
11 ドイツ | 23 アメリカ領 | 35 コスタリカ | 46 パラグアイ |
率直に言ってむかつくほどの低順位なので、日本の新聞やテレビ報道機関は無視するだろうかというと、無視するとすれば、その理由はたぶんそうではない。「国境なき記者団」が日本の報道の自由の問題で目の敵にする記者クラブの存在について、日本の新聞やテレビ報道機関が触れたくないというところだろう。
「国境なき記者団」は2年前に記者クラブなんて廃止にしろよ、ということで、"Reform of Kisha Clubs demanded to end press freedom threat"(参照)という勧告を出している。これに対して、昨年末に「日本新聞協会編集委員会 記者クラブ問題検討小委員会」は「記者クラブ問題検討小委員会・2002-2003活動報告」として次のように明快に回答している。
結論から言えば、これらの疑問の大半は、誤解や曲解に基づくものです。しかし、結果として、彼らは記者クラブを「承服できない障壁」ととらえ、十分な取材ができなかった不満・怒りの矛先が<記者クラブ>に向けられる例が少なくありません。われわれ新聞協会加盟各社は「日本の記者クラブ制度は国民の『知る権利』の代行機関として重要な役割を果している」との基本認識を共有しています。
なかなか面白いでしょ。というわけで、面白い反論がこの先と、「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」(参照)に書いてあるので、暇な人は読んみてもいいかもしれない。いずれにせよ、今年の発表でもそうだが、そんなの反論にもなってないと結果的に受け止められている。
今回の発表について、日本のブログで触れているところはあるかとちょいと検索したら、CNNの日本語版が触れていた。"報道の自由度、中東、東アジア低く、日本42位"(参照)。
紛争地におけるジャーナリストの支援や、言論と報道の自由について調査している国際団体「国境なき記者団(RSF)」(本部パリ)は26日、世界各国における報道の自由に関する年次報告書2004年度版を発表した。経済先進国では日本が最低で42位。全体的には、最下位の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を含む東アジアと中東地域で、自由度の低さが目立った、としている。
いったいどんな基準でこんな順位にしているのかというと、アジアというだけでベースの減点があるわけでもない。"How the index was compiled"(参照)に説明がある。具体的にこの順位が本当に気にくわないなら、これにそって反論すればいいのだろう。
私はこの順位が気にくわないかというと、そうでもない。こんなものなんじゃないか、日本の報道ってと思う。そんな諦観で国民の知る権利はどうなる、と思うのだが、新しいジャーナリズムを模索していくしかないのではないかと思う。とはいえ、ブログや2ちゃんのようなものがすぐにその代替となると楽観しているわけでもない。
基本的には国内問題はタレ込みがもう少し増えればなんとかなるかもしれない。外信関係はもうネットで十分でしょと思う。
社会問題がグローバルな枠組みに置かれるようになれば、国内のボトムアップ式なジャーナリズムでなくても、大枠で抑えることができるのではないかとも思う。例えば、アメリカ産牛肉の輸入がストップしている例の問題だが、これなんか全頭検査という虚構はさすがにグローバルな照明によって維持できなくなった。類似の例だが、日本版Newsweekの編集長コラム「大統領選とすき焼きの中身」ではこんな話がある。
狂牛病の発生によってアメリカ産牛肉の輸入がストップしている問題では、9月になって日本側の全頭検査要求の見直しという動きがあった。その背景に、大票田であるアメリカの畜産業界による圧力があったことは想像にかたくない。酪農の盛んなテキサス州出身のブッシュが当選すれば、よりアメリカ側の要求に沿った決着が図られるか、輸入の解禁がさらに遠のくかもしれない。
コラムのユーモアと受け止めるべきかもしれないが、面白過ぎる。事態はそうではない。アメリカの畜産業界は、カナダからの牛肉輸入がなくなったので、日本に出せなくてほっとしているのが実態だ。日本との牛肉で儲かるのは、彼らがクズ肉だと見なしている部分に限定されている。そのあたりの利権はあるにせよ、米畜産業界全体としてマジに日本に外圧をかける状況ではない。また、米国からの牛肉が本当に減少して日本が困ることが確実になれば、オーストラリアのオージービーフが増産できる体制に入ることができる。現状その動向がないのは、日米に出し抜かれることを恐れているためだ。いずれにせよ、こういう問題は国際関係で成り立っているのだから、グルーバルな大枠が見えれば、国内報道の虚構は大筋でわかるようになる。
ということは、日本の場合は、グローバルなネットリテラシーというのと、またまた英語の問題ということはあるかもしれないが、現状のコンピューターパワーの拡大で実用レベルの英日翻訳は可能になるだろう。
むしろ、日本の場合、ブログなりが代替ジャーナリズムな志向をやめてしまう傾向が特徴的になるかもしれない。というか、そういう傾向と日本の既存ジャーナリズムが釣り合っていて、報道というより、プロパガンダやアミューズメントになっていくのかもしれない。
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コメント
少しでいいから、アルゼンチンの牛肉が庶民の口にはいればなあ、と思ったりしますが、それは無理ですね。
私は某牧場で黒毛和牛のはじっこの所を食べさせてもらいました。ある所にはあるものです。
趣旨と異なるコメント失礼。
投稿: notti | 2004.10.28 12:36
記者クラブの問題にせよ、地震被災地でのマスコミの行状にせよ、マスコミ全体にとって都合の悪い問題は、当然マスコミは報道しないので、社会的に知られることがないんですよね。だから問題解決もなかなか進まないんでしょう。
ネットが普及して状況は少しはマシになったのかもしれないけど、ネットがマスコミを牽制できるほどのパワーを持つのはいつになることやら。
投稿: Baatarism | 2004.10.28 12:43
この記事とっても面白かったです。
日本のマスコミって所詮こんなもんですねー。
ジャーナリスト独自の記事・ブログが充実することを期待してます!
投稿: むぎ | 2004.10.28 16:56
報道の自由の象徴?「パパラッチ」語源のイタリアが39位ってのは意外な感じがしました。
投稿: juno | 2004.10.28 21:58
旧来のメディアがへろへろのバラエティプロパガンダに沈んだ時、外国のバリバリ硬派なジャーナリズムが現れ破竹の進撃であっさりメディア王になるんだろうなぁ...いつか見た光景のように
投稿: i | 2004.10.29 01:29
数年前から、ある物事を一冊の本とすれば日本のマスコミによる報道は帯のコピー程度、と捉えるようになってしまいました。
ところで、違法ソフトを秋葉原で路上販売している中国人を摘発する現場に居合わせた人が画像を自分のサイトにアップしていました。個人情報の保護など考察を要する事柄はありますが、画像にはその現場を同じように携帯電話で写しているたくさんの野次馬の姿もあって、一般人発の報道の可能性を感じました。
村上龍「希望の国のエクソダス」や一昔前のauのCMを小馬鹿にしていたけれど、携帯電話で気軽に長時間の動画を録れるようになれば、報道は一変するかもしれません。
投稿: (anonymous) | 2004.10.29 23:42
マスコミだめってのはそうでしょうが、同時にこれは読者、視聴者の問題でもあると思います。
国内問題についてはNHKなどでクォリティの高い報道はそれなりにあると思うんですが、結局そういうのに需要がきっとないんですよね。国際問題だとそれがさらに際立って、投資も行われず人材も育たないと。
結果、ほとんどの大メディアが需要のボリュームが大きなレベルに合わせた取材活動しか行っていないという現状だと思います。
マスコミの多様性が生まれない構造になっているのも問題なのですが、この原因のひとつが記者クラブの制度なんでしょうね。専門分野の知識が豊富なフリージャーナリストがもっと大勢必要なんですが、そういう人を育てていく環境を意識的に作っていかないとなかなか変わらないでしょう。
投稿: yuno | 2004.10.29 23:48
トラックバックさせてもらいました。いつも勉強させてもらっています。
投稿: Guillermo | 2004.10.30 08:44
新潟地震で食料買占めとかやってるようなマスコミだしなぁ。
妥当でしょ。
投稿: 通りすがり | 2004.11.08 15:02