[書評]あなたは生きているだけで意味がある(クリストファー・リーヴ )
クリストファー・リーヴ(Christopher Reeve)の遺書のようにこの本を読んだ。日本では昨年末の出版だったが、私は、出版社はPHP研究所かぁ、このタイトルかぁ、とひいてしまっていた。帯に「心がふるえる。感動がとまらない」というのも苦手だなと思っていた。でも、この帯は私のような冷笑家には誤解を招くが、正確な表現だった。もっと早く読むべきだった。
あなたは 生きているだけで 意味がある |
さらなる活動が期待されていたが、9日、ニューヨーク州パウンドリッジの自宅で心停止状態から昏睡状態に陥り、翌日10日に病院で家族に囲まれて亡くなった("Christopher Reeve, 'Superman' and Crusader for Stem Cells, Dies"・参照)。子供は三名いる。前妻との間に長子マシュー25歳、長女アレクサンドラ21歳。最期を看取った後妻のデイナとの次男ウィル12歳。
1995年の事故の直後、リーブは死にたいと願った。しかし、それを妻ディナの愛情が押し止めた。
私が自らの命に終止符を打ちたいと思ったことに対して、デイナは「少なくとも二年待ちましょう」と言った。そして、「もしその時点でまだあなたの気持ちが変わっていなかったら、そのときはあなたの思い通りにする手段を見つけましょう」と。
これ続くリーブの文章は、この本のユーモラスな特徴をよく示している。
ある意味で、彼女は古い営業テクニックのマニュアルを使ったとも言えるだろう。消費者に無料お試し期間と無料サンプルを与え、なんの義務も料金も発生させずに、上手に彼らを追い込むやり方だ。一方で、もっと深い意味もあった。そこには私たちの互いの愛と尊敬が常に息づいており、彼女は、この悲劇に直面した私がまだ結論を急ぎすぎているだけだと思っていたのである。「待ちましょう」は完璧な指針の言葉だった。デイナは私に猶予と選択の自由を与えようとした。しかしそのときすでに彼女は、後に私が何を選択するかを知っていたのだ。
この本は、こうしたユーモアとそれが暗示する強く率直な精神に溢れていて、いわゆるお涙的な表現は極力抑えられている。だからこそ、この本をたんたんと読み進めると、私のような人間は不意の号泣に襲われることにもなる。
リーブのこの本は、現在病に苦しむ人やその身近にいる人にとって無理のない勇気を与えるものにもなっている。それまでの医療の常識を覆してリーブが回復していくようすなど、人間の可能性について強い希望を暗示する。
私自身としては、この本を読みながら、自分も無縁ではない障害という問題よりも、一人の男の人生に深く考えさせられた。うまく言えないのだが、男性学、あるいは男性成人の心理的な危機という点で、静かな深い考察を促す指摘も多い。父親との関係、青春をついだ形の恋愛・結婚の破局、子供を持つこと…。
それと多分に私という読者特有のことかもしれないのだが、世代・文化的に共感することも多かった。リーブは1952年生まれ。私は1957年生まれなので5歳下になる。この歳の差は自分にとってはそう少なくもないのだが、サイエントロジーや各種の、日本では「人格改造セミナー」と呼ばれていた活動について、いろいろ心当たりすることがある。
そうしたムーブメント以外に、リーブの語りは信仰という点でも興味深いものだった。宗教への希求・探求は特定の形を取らずに、日々の精神性というもの深化という形で了解されていた。
私は徐々に、精神性というのは、日々の生活を送っていく過程で見つかるものなのだと信じるようになった。他者を思いやりながら時間を過ごせばいい。何らかの高尚なパワーが存在すると想像するのは、それほどむずかしくはない。それがどのような形で、どこに存在するかを知る必要はない。ただそれを崇めて、それを支えに生きていけば十分である。なぜなら、私たちは人間であり、しばしば失敗もするが、少なくとも罰を受けることはないとわかっているからだ。その認識が私たちを守り、改めてトライしようという気持ちにさせてくれるのである。
こうした考えは日本人の近代の神道感にも近いので、ある意味、素直に共感しやすいかもしれない。それはそれで悪いとか間違っているとか言いたいのではない。が、このくだりは実はアメリカ人にとってもうちょっと難しい含みがある。あまりこうした点に踏み込むべきではないのだが、これも私という読者の人生にも関係する手間、ちょっと脱線になるが加えておきたい。この先、リーブこう続ける。
こうした考えが新たな人生を歩むプロセスの中で見えてきた一方で、私は自分が一神教信者になりつつあるとは考えもしなかった。四十代後半になって、信仰と組織的宗教にいつのまにか心が向かっていたのだ。デイナ、ウィル、そして私は、その当日担当の看護士も連れて、定期的にミサに通った。
「ミサ」とあるのでカトリックのようにも思える。「その教会の司祭」ともあるので、日本人ならやはりカトリックかなとという印象を持っても不思議ではない。もう一点関連して、こうある。妻デイナとの話の一部だ。
一神教・普遍救済主義の何がいいかというと、その扉を開いた人々が罪を犯したと仮定されていないからだ、と私は話した。そこでは司祭に懺悔しろとも言われないし、10の天使祝詞と五つの主の祈りによって少なくともあと一週間は神に対して正直であるようになどと言われることもない。
翻訳者に十分な知識がないとも思えないし、なにより訳が間違っているというわけではないのだが、そして原文を私は持っていないのだが、この「一神教・普遍救済主義」とは、ユニテリアン・ユニバーサリズム(Unitarian Universalism)のことだろう(参照)。
そういえばと思って、Unitarian Universalist Associationのサイトを覗いてみたら、ずばりリーブの話が掲載されていた。"In Memoriam: Christopher Reeve, Unitarian Universalist"(参照)である。ユニテリアンとユニバーサリストは米国では融合している。この話をここで突っ込むと混乱するので一つだけ避けるが、ユニテリアン・ユニバーサリズムのもつ宗教的情熱という点で現代日本人にわかりやすいのが、WWW(World Wide Web)を創始したティム・バーナーズリー(Tim Berners-Lee)の思想だ。関心がある人は"The World Wide Web and the 'Web of Life'"(参照)を読まれるといいだろう。Webの宗教的な情熱は多分にユニテリアン・ユニバーサリズム的である。
リーブがユニテリアン・ユニバーサリストとして語っているのは、その背景に、プロテスタントの主流ともいえるカルヴィニズムへの緩和な形での反発がある。神学的あるは社会学的には予定調和説のエートスへの反発だとも言える。そして、それには広義にカトリックへの反発も含まれているだろう。
話をリーブが残した思いに戻したい。彼は、この本のなかでも、強く、胚性幹細胞(ES細胞)の医療活動を呼びかけている。これには深く心を動かされた。私にとってはちょっとしたオクトーバーサプライズにもなった。この研究推進については、現在の米国大統領選挙でも重要な争点となっている。ケリー候補は8日の第2のテレビ討論会でリーブについて言及していた。ケリーが大統領となるなら、リーブが残したこの思いは、米国社会に少し具体的な形を取るようになるのだろう。
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コメント
訃報を聞いて、最初に思ったのは「死因は?」でした。
公表されたそれが真実であるかどうかはともかく、
仮に彼が自分自身で人生の帳を下ろしたのだとしても、
誰も責める者はいないでしょう。
「多神教・普遍主義」では横の繋がりが欠けてしまうのですかね。
投稿: (anonymous) | 2004.10.15 11:20