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2004.09.10

モーリタニアの奴隷制

 モーリタニアの奴隷制と題したものの、のっけから長い脇道に逸れる。
 今朝の朝日新聞社説「9・11から3年の米国――蛇の賢さと鳩の素直さを」(参照)を読んで、無教養ってのは困ったもんだな、としばし苦笑した。もっとも、無教養がいつも他人事というわけにもいかないだろうから、自戒の意を込めてちょっと解説してみよう。


 みずからを敬虔(けいけん)なキリスト教徒とし、宗教右派を支持母体とするブッシュ大統領は好んで聖書の言葉を使い、主張を正当化する。だが、新約聖書にはキリストのこんな言葉も記されている。「蛇のように賢く、鳩(はと)のように素直であれ」
 ここで言う蛇の賢さとは、自分の置かれた現実を知り尽くした、したたかな知恵を意味する。鳩の素直さとは、自分が厳しい環境に置かれても他者に心を開くことを忘れるなということであろう。

 これはまいったな。しかし、日本人の多くは、必要もないせいもあり、あまりきちんと聖書を勉強していないものだ。朝日新聞だけを責めるものでもない。聖書を論語のような立派な格言集のように思っている日本人もいる。それにしても、聖書の句を取り出して「…ということであろう」と言うのはあまりに恥ずかしいことだ。聖書の句の意味を知るには、まず、その句の文脈を読み、使われている用語をコンコーダンス(一種の索引)で引き、そして、ギリシア語・ヘブライ語の辞書を引き、旧約聖書の参照を調べるといった手順を踏む。米人の実業家でもよく「バイブルスタディ」を日課にしている人がいるが、バイブルスタディとはこういう手順をきちんと踏んで聖書を読むことだ。
 この句の文脈を見よう。朝日新聞が参照している聖書がどのバージョンがよくわからないが、共同訳ではなく、表記は違うものの戦後の口語訳のようなのでそれを使う。マタイの10章にある。少し長いが引用する。

イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
(中略)
どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。 人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。

 話はイエスが弟子に宣教を命じるくだりだ。ここで、イエスは、福音を伝える弟子たちが、その訪問先で歓迎されないことを見越して諭しているのである。まず、受け入れてもらえる人と話なさい、通じない人には怒らないでユーモアを込めて足のちりでも落としておけ。これから出会う人々は狼のように危険だから、ちょっと人を騙すくらいの蛇の狡猾さを持ちなさいというわけだ。そして、ただ、狡猾なだけではなく、自身を貧しいながらも神に捧げられる鳩のように純真に使命感を持ちなさい。
 と、ここで私は蛇と鳩に解釈を加えた。聖書の世界を知る人間なら、蛇の狡猾さはアダムとエバの物語を連想させるし、鳩といえば当時の貧しい人々が神殿に捧げるための生け贄だったことを知っている。鳩については、貧しい者から利鞘を取ろうとする鳩商人にイエスが怒り暴れた話も印象的だ。
 しかし、そんな説教めいた話はどうでもいいといえば、どうでもいい。問題は朝日新聞社説のこれに続く文脈だ。

 米国は古代ローマに例えられるほどの超大国だ。しかし、一人では安全も繁栄も維持できない。欧州や他の大陸の国々や、異なる宗教や文化との共存なしに、それは不可能なのだ。アラブの民主化を唱えても、相手を理解する心がなければ進まない。それが現実である。

 朝日新聞が聖書の句を理解していないのはしかたない。が、これは無教養というより、なに馬鹿なことを言っているのだと思う。相手を理解すればアラブが民主化できるというのか。そんなことを思ったのは、VOAニュースでモーリタニアでイスラム教徒たちが行っている奴隷制のニュースを見たからでもある。
 "Anti-Slavery Groups Denounce Ongoing Practice of Human Bondage in Mauritania"(参照)によれば、モーリタニアではまだ奴隷制が存続しているのだ。

The northwest African country of Mauritania outlawed slavery in 1981, but, despite government denials it still exists, anti-slavery groups say the practice remains widespread.

 一応1981年には奴隷制は廃止ということになっているが、実際はまだ存続しているらしい。より詳細な情報は"Mauritanian Abolitionists Reveal Flawed State Department Rights Report"(参照)にある。英文なので読みづらいかもしれない。
 日本語の情報はないものかとサーチしてみると、「モーリタニア:『奴隷』状態の男性が警察によって拘禁されました。」(参照)があった。

 メタージャさんは、母親、3人の姉妹と7人の兄弟、計11人家族の元を去りました。家族は全員が依然「奴隷」の状態にあったと考えられます。子どもは誰も父親を知らず、強制労働および搾取されており、教育も受けていません。メタージャさんは彼の「主人たち」へ給仕していました。彼は脅迫を受けた後、逃亡しました。

 SOSトーチャー国際事務局は、メタージャさんの所在が依然分からず、逃れたら殺害すべきだと脅迫している彼の「主人」のところへ戻る危険性が極めて高いため、彼の心身の安全に対して深く憂慮します。


 もちろん、モーリタニアの政府はこうした奴隷制度に対する国際的な非難を認めているわけでもない。ちょうどスーダン政府がダルフールの虐殺を認めていなのと似ているようにも思う。
 関連してたまたま「サイードのモーリタニア日記」(参照)というページを見たが、興味深かった。

 田舎でも都市でも、アラブ系が黒人系を使う、という構図は変わらない。大体どこのアラブ系の家にも黒人系の使用人がおり、家畜の面倒や洗濯などの雑用を任せられる。肉体労働は彼らの仕事で、一方アラブ系はもっぱら商売や学問などに従事する。アラブ系が黒人系の下で肉体労働をする、というのは少なくとも国内においてはないに等しいそうだ(外国に出稼ぎに出ればそのような機会もあり得る)。これは以前の階級制度がそのまま受け継がれてきた結果である。実はこの辺りには何十年か前まで公然と奴隷が存在していたのだが、今でも公の「売買」が出来なくなったのと賃金を与えるようになっただけで、この階級社会自体に余り変化はないのかもしれない。こう聞くと「差別」とか「搾取」とかいったマイナスイメージが思い浮かぶが、僕が今まで観察したところ、そのような悲壮な雰囲気や黒人系の現状に対する反発心、などといったものは見て取れなかった。長い間の慣習がそうさせてしまったのか、或いは生得的なものなのか、ここの黒人系は何か受動的・消極的で、肉体的に秀でそしてちょっと野性的、よく言えばとても陽気で気さくで人の良い人が多く、その地位に安々と甘んじているように見える。アラブ系と黒人系の関係にも特に摩擦はないようで、どちらかが卑屈になったり高慢になったりすることもなく、普通に挨拶し合うし、対等に話し合う。ただ互いに今の構図が当然のものと植え付けられてしまっているのだろう。ここでは一般教育の機会、情報の流入などが内因的かつ外因的理由からまだまだ極端に少ないのだ。このような機会不平等に基づく階級社会~第3世界の中の第3世界問題~を解決しない限り、そして、各々がこのような事象の具現化を許した人間の心の病を正していかない限り、世界中にはびこる大小多数の精神的・物質的「第3世界問題」はいつまでもたっても消えないだろう。

 こうしたアラブ系の社会に朝日新聞は「アラブの民主化を唱えても、相手を理解する心がなければ進まない。それが現実である」というのだろうか。
 大きな間違いだ。相手が理解しようがしまいが、断固として民主化を推進しなくてはいけないことがある。その行為が、ときにはどれほどか暴力的に見え、非難されるとしても。

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「時事」カテゴリの記事

コメント

そうは言ってもイラクなんかは過去に米国がフセインによって「民主化」した国なワケだが...。
朝日の書く事の浅はかさは兎も角、「民主化」とて複数の意味を持ち得る事は意識しておかねば。

投稿: at | 2004.09.10 16:01

ここでの「理解」を共感ではなく認識・把握と解釈するならば、朝日新聞の社説の該当箇所も、部分的にはそう間違いではないように思えます。アメリカも日本も、大部分の人はアラブ社会をほとんど知らないのでは。
ただ、異なる文化との共存という表現は、それこそ奴隷制に見て見ぬふりをするような、ただの事なかれ主義にも流れかねませんよね。(社説の)全体を覆うそうした論調には、やはり大きな問題があると感じます。

Who are the people in your neighborhood?という記事に触発され、いわゆる隣人愛についての聖書の箇所について少し思いをめぐらせていたので、「バイブルスタディ」についてのお話が参考になりました。毎回コンコーダンス等にあたれないとしても、(自分の解釈が大きく間違っているかもしれない)ということは心に留めておきたいと思います。

投稿: summercontrail | 2004.09.10 17:06

お説に心から賛同します。この文脈では「民主化」の意味は明らかなのでそれにはコメントしません。

いわゆる文化相対主義が様々な所で力を持っています。しかしながら、例えば幼い娘に対する性器切除の慣習を持ち込もうとする移民にどう対処すべきでしょうか?また昔の日本は現地の文化を無視して阿片と纏足を目の敵にして徹底的に撲滅しましたが、それはどう解釈すべきでしょうか。

明治の日本人は、外面ではなく、新しい啓蒙精神に対して共鳴し、成功したのです。今も、例えばアラブ地域はそういう時代に巡り合わせているように思うのですが。

投稿: カワセミ | 2004.09.10 22:31

解釈は様々でしょうが、こういうイスラム圏の情報がもっと欲しいと思って止みません。ついこの前まで対イラク姿勢だけを見てロシアを高評価した人までいた状況を見ると、普段から多くのイスラム圏の情報が目に触れやすくなればなあ、と思います。

投稿: あんぽんたん | 2004.09.11 02:01

多分奴隷制はそうやって消えていくだろう、しかし上記の奴隷制社会の雰囲気等をなんとか記録できないだろうか?
消えたとたんに、「悲惨な過去でした」みたいなすり替えが起こるのがなんとなく、もったいなくて...

投稿: i | 2004.09.11 02:59

ギリシャ・ローマ時代以来の歴史を考えると、少なくとも欧米世界では客観的な過去認識は保存されるように思いますね。消えるとすれば、それは奴隷制に対する偏見ではなく、アフリカ社会に対する偏見としてでは。

投稿: カワセミ | 2004.09.11 13:39

聖書の引用についてのご指摘はごもっともと思います。ただ、そこまでいわれると、聖書のテキストの成り立ちまで口を挟みたくなります。ご存じのことでしょうが、福音書は、さまざまに伝承されたことばの編集作業でできています。イエスのオリジナルなことばと思われるもの、原始キリスト教会の考えをイエスのことばとしてしてしまったものなどが、モザイク状に編集されて正典といわれるものになっています。引用された部分の前半(ちりを払い落としなさい、まで)は、ほぼイエスのことばだろうといわれています。後半は教会が迫害されるようになった時代を反映していて、?がついています。また、朝日が引用し、文脈の中で読みなさいといわれた一節は、マタイだけが編集時に挿入したもので、これは旧約聖書からのことばですが、当時日常的にラビが口にしていたことばだろうといわれています。文脈とはあまり関係のない格言的なものだったともいえます。これはテキスト研究の観点からのコメントです。ご指摘の趣旨が、欧米のキリスト教徒が聖書をどのように読んでいるかの点で、彼らは、前後の文脈の中におかれたものとして、この節も読んでいる、ということでしたら、おっしゃるとおりです。

投稿: アクエリアン | 2004.09.11 13:50

朝日にやってることは手の込んだ嫌がらせのような気もしますけどねぇ。
って、そんな狡賢さはないって?(^^;

投稿: 名無しさん | 2004.09.12 06:48

奴隷制と似たような話で、カワセミさんも言及されている、アフリカでの女性割礼の話があります。あれも非民主的だと国際的に非難されています。
この女性割礼については、当初この辺の植民地化した欧米の宗主国が「あまりに非民主的だ」と言って無理矢理やめさせようとしました。ところが現地の人は逆に意固地になり、「女性割礼こそ俺たち固有の文化だ」とナショナリズムを燃やし、かえってひどいことになってしまいました。現在この地域で女性割礼廃止運動を進めている人は、「押しつけでは決してうまくいかない、それよりこの地域の人々の文化をまずよく理解して、その上で何ができるか考えて欲しい」と語っています。この辺は集英社の「ドキュメント女性割礼」が詳しい。
そういうわけで、「相手が理解しようがしまいが、断固として民主化を推進しなくてはいけないことがある」には正直言って賛成できません。朝日新聞の方がまだ説得力がある、と書くと、あまりに侮蔑的ですか?

投稿: chronology | 2004.09.19 10:05

chronologyさん、こんにちは。「朝日新聞の方がまだ説得力がある、と書くと、あまりに侮蔑的ですか?」について、誰への侮蔑かよく理解でないので頓馬なことを私は書いているのかもしれませんが、前段について言えば、「朝日新聞のほうがまだ説得力がある」というお考えのコメントは、それはそれで、問題を人々に開いて考えていく上で、有意義であると思います。

よろしかったら
極東ブログ「なぜフランスはスカーフを禁止するのか」
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/01/post_6.html
もお読みください。

これも参考になります。
ナイロビで割礼に反対する国際会議
http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/7005919.html

投稿: finalvent | 2004.09.19 11:09

イスラムと奴隷制を単純に結びつけるのは間違いである。
そもそも世界的に奴隷制を拡大したのはキリスト教徒であるし、インドではイスラム教が始まる何千年も前からカースト制度という奴隷制が存在し、モーリタニアの例に漏れず表面上は無いことにされながら今も存続している。
もちろんほとんどのイスラム国で奴隷など存在せず、それをアメリカの戦争の正当化に結び付けようというのは、最大のイスラム人口を抱えるインドネシアなどに対する侮辱に等しい。
もっと認識を高めて自分の都合よく物事を解釈するのはやめるべきだ。

投稿: | 2008.05.11 13:02

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