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2004.09.06

新羅・しらぎ・しんら・シルラ

 このところ「新羅の神々と古代日本 ― 新羅神社の語る世界」(出羽弘明)をぱらぱらと読んでいた。内容は標題どおり日本各地の新羅神社について書かれた本だ。新羅神社なんてあまり多くの人には関心ないだろうから、お勧めしたい本ということではない。このエントリも、だから、ちとたるい。
 著者はこの分野の専門家ではない。話は足で稼いでいるといった趣。足で稼いだ話というのは、金達寿の、例えば「日本古代史と朝鮮」のように紀行文的な味わいもあり面白い面もある。本書は奇妙に文学的な嗜好がないのもいい。谷川健一の、例えば「日本の神々」(岩波新書)なんかだと、気分は伝わってきても、結局なに言ってんだか皆目わからん。
 「新羅の神々と古代日本 ― 新羅神社の語る世界」の冒頭を読みながら、ふとこういう話を今の日本人はどう受け止めるのだろうかと気になった。


 韓国では今でも三国時代の地域間の対立が残っていると言われる。『三国史記』などによれば高句麗、百済は扶餘族であるが新羅は元々辰国あるいは馬韓の一部であり、秦国の亡命者や、倭人と接していた韓族である。馬韓は扶餘族より滅亡し百済国となったことが遠因であろうか。日本古代においても、百済系の大王と新羅系の大王(天皇)は異なった扱いである。

 扶余と言えば、現代では忠清南道南西部の都市名だと思う人が多いだろう。元来は百済の都だった。百済王家も扶余系を自称していたからで、史記もそれを記している。だから、この本のように百済は扶余族であると言われる。私も特に否定するものでもないが、それほど肯定もしていない。
 扶余はツングース系の民族で、現在の中国東北地区紀元前一世紀から紀元後五世紀に国を興していた。この扶余系民族には高句麗が含まれる。
 百済は660年に日本の援軍も虚しく滅亡したので、半島にはその後、高句麗と新羅が残る。現在の朝鮮は、そうして見ると、大雑把に言うのだが、扶余族と韓族という二つの別種の民族から成ると理解してよさそうだ。が、このあたりの話はナショナリズムが興隆しつつある現代の朝鮮には通じにくくなっているような気がする。
 また、先の引用部分では、倭国の大王についても、百済系と新羅系とを分けていた。私の誤読もあるかもしれないが、単純なところでは、百済系が天智天皇、新羅系が天武天皇と理解していいだろう。
 ちょっと話が常識から逸脱するが、書紀の記すところでは、この二人は兄弟となっているが、天武天皇の出目の記載もないことや、書紀の編纂ミスからか天智天皇の即位前の中大兄皇子を韓子(百済人)と参照したと受け取れるテキストもあり、二人は別の血統なのではないか。ただし、このあたりは現状ではトンデモ古代史になりそうなのでこれ以上は控える。
 それでも、新羅人の倭国への流入はかなり古い時代になるのだろう。統一新羅以前になるはずだ。その痕跡が新羅神社にあると考えても、そう不思議ではない。

「新羅神社」は新羅の人々がその居住地に祖先を祀った祠(祖神廟)であり、新羅人が居住した地域の氏神である。したがって新羅神社の由緒を調べることは、古代に渡来した新羅の人々の居住地や痕跡を辿ることである。新羅神社は、ほぼ全国にわたって存在しているが、本書では全国の新羅神社を便宜的に「渡来系」と「源氏系」に分けた。「渡来系」とは文字通り新羅から移住した人々が氏神の祖神を祭った神社であり、「源氏系」とは、三井寺の新羅神社の神前で元服し、「新羅三郎」を名乗った源氏の無精源義光に端を発するものである。

 新羅神社跡=新羅人の居住区というのは、民俗学にありがちな荒っぽい措定だが、それでも現状の分布を調べる意義はあるだろうし、その際、「源氏系」をマークアウトするのは方法論的には正しいはずだ。
 「新羅神社」の名称にも史的なバリエーションがある。

 新羅神社の呼称は「しんら」と「しらぎ」が混在しており、表記や発音も「白城」、「白木」、「白鬼」、「信露貴」、「志木」、「白井」、「白石」、「白髭」、「白子」、「白浜」、「白磯」などと変化している。中には渡来系の神社であることを社号からまったく消して「気多」、「気比」、「出石」などと呼ばれている神社もある。祭神についても同じことが言える。当初の神を抹消したり加神したりしている。また『記紀』の神話の神を同座させる操作も行われてきた。

 これらのバリエーションの派生にどの程度信頼が置けるのかは個々に議論しなくてはいけないが、それでも派生が起きているということは前提になる。重要なのは、ここでさらっと触れているように、『記紀』の神話からの意味づけに注意することだ。記紀はこれらの神社の成立より時代が新しい。日本の神社は実は記紀によっては意味づけできないのがその本質だ。
 こうした日本の新羅神社の系譜もだが、気になるのはこれらの新羅人は半島ではいつの時代の新羅だったかだ。繰り返すが、百済滅亡以前であり、さらに統一新羅がでできる以前だろう。
 新羅の建国については日本同様神話が起源になる。新羅王の始祖は卵から産まれるので卵生神話の一種だ。四世脱解も卵生である。歴史的には、四世紀に辰韓が斯盧国によって統一されて成立し、北の高句麗、西の百済と並んで三国時代を形成した。統一新羅ができるのは、676年、七世紀であり、日本の本来の成立と時期を同じにする。なお、日本が七世紀に成立したとの見解は昭和天皇も言明しているが、日本国内では定説化はしていない。
 新羅については、誰が書いたのかWikipedeiaが重要な記載を加えている(参照)。

4世紀後半から6世紀にかけての慶州新羅古墳からは金冠その他の金製品や西方系のガラス器など特異な文物が出土する。この頃の新羅は中国文化より北方遊牧民族(匈奴・鮮卑など)の影響が強かったことを示している。このため奈忽王以後の金氏は鮮卑系ではないかとの説もある。

 奈忽王は17代で在位は356-401である。まさに四世紀後半から六世紀にかけての新羅には、文化的にみて謎が多い。中国との交流も少なく、文化的に閉ざされている印象もある。
 この時代について、先の副葬品から美術史家由水常雄が「ローマ文化王国‐新羅」でとてつもない仮説を出している。標題のようにこの時代の新羅はローマ文化が興隆していたのとしているのだ。それだけ聞けば、「またトンデモ本かよ」だが、同書には、これは否定できないのではないかと思わせる出土品が数多く掲載されている。あおりを引いておく。

従来の史家は"北方系の異質な文化"として、解明できなかった四~六世紀の新羅とはどんな国だったのか? 天馬塚、味鄒王陵、皇南洞九八号墳等、韓国考古学の成果である大発掘による出土品の数々と世界の博物館の品々とを対比させ、深い関係を検証して、正に新羅文化がローマ文化の所産である一大展観を書中に試みた画期的著作。

 はっきり言って「ローマ文化王国‐新羅」を読んで私は人生観が変わった。先日国立博物館の東洋館で黄金の樹木冠やトンボ玉を見ながら、これはローマ文化と言うほかはないように思えた。
 同書は今アマゾンを見たら絶版で、古書にはお宝の値段が付いていた。嘆かわしい。一部からはトンデモ本扱いされても、この再版を出す責任があるのではないか、新潮社。

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

『ローマ文化王国‐新羅』私も読みました。
日本人の混淆性ばかりが話題になりますが、日本文化の来歴を考える際に話を朝鮮に繋げたらお終いではなく、朝鮮半島も相当な民族が入り乱れていること、とくに中国大陸経由では雑多な文化人種が流入していた可能性を考えねばならないと考えさせられました。

なお、現代朝鮮人の民族主義のせいで新羅神社=朝鮮人(?)居住地みたいな言い方がされますが、新羅神社の縁起から考えても人間集団の伝播との直接の関係はないと思われます。
むしろ神功皇后の三韓征伐との関係を想起すべきなのかもしれません。
(三韓征伐が「軍国主義」ということで禁圧されたせいで源氏とはなにか、武士とは何か、ということが非常にわかりにくくなっていると思います)

投稿: あすく | 2004.09.10 16:19

「ローマ文化王国‐新羅」ですか。。。。
一回、目を通したんですがやっぱりトンデモなんじゃないかと。。。。

>これは否定できないのではないかと思わせる出土品
見慣れない品々が多いので普通の人が見たら「おお!」と思われるかもしれませんが、実はほとんどのものは文化的な起源が同じ、あるいは類品が中国各地及び北方民族の遺跡より発掘されています。実際、朝鮮勃興期~三国期は中国においても南北朝~唐の時代であり、異民族が入り乱れて我々が普通考えている「中国的あるいは漢民族的」な類型から離れた文化・文物が数多く見られる上、それらがハイブリッド化したため「珍妙不可思議な意匠」が東アジアで最も輩出した時代です。

>新羅神社の縁起から考えても人間集団の伝播との直接の関係はない

私は新羅神社=朝鮮渡来人祭祀後説に賛成します。
応神大王の時代に東漢氏・秦氏・西氏といった一族が朝鮮半島から渡来してきたこと、又、彼らが朝廷の命によって諸国に土地を与えられてそこを開発してきたことは書記に明記されており、彼らの祭祀がその後、神社として変形したことは充分考えうることです。


投稿: F.Nakajima | 2004.09.11 23:08

嫌韓野郎に思われたら心外なんですが、たしかに記紀に帰化人招聘が頻繁に記述されていますが、それなら何故明確な形で朝鮮由緒が残らなかったのか。最初の新羅神社建立との間に500年以上懸隔しているのはなぜなのか。帰化人の昇官が5位どまりなのは何故か。金達寿などは朝鮮人差別ですべてが隠蔽されたといいますが、あまりに近代の特殊な事情を投影しすぎていると思います。
それに新羅神社自体が「征服者」神功皇后をまつっているということは、神功皇后が移民奨励者=庇護者だったってことになるんでしょうか?そして半島から奨励された人々は「なに人」だったのかも気になります。当時は「中国」の植民地を脱してまもなく、各地に大陸流民の残存していたでしょうし、そういう人々こそテクノクラートであったでしょうから、新羅神社=朝鮮人移民という図式化はあまりに粗雑だと言いたかったのです。

投稿: あすく | 2004.09.21 12:52

初めまして、弓木といいます。
三韓(馬弁辰)や百済・高句麗がイメージ的に割とつかみやすいのに対して、なるほど新羅というのはその起源がわかりづらい、と僕は思う。ツングース系っぽいような、そうでないような…。ローマ系文化というのは初耳ですが、広い意味での「西域」系と捉えるならば、可能性はあるかもしれません。
なお新羅系とか百済系の移民とかって話ですけど、僕は古代日本人の中にそういう「移民」がいたかどうか…って次元ではなく、古代日本人(弥生人)ぜんたいがイコール古代朝鮮人だと考えます。そうでなければ、弥生人は、いったいどこからわいて出たというのでしょう? 中国渡来という声もあるが、それなら中国→南韓→西日本のルートを取ったはずで、結局は朝鮮から来たことになるではありませんか。
クシフル岳のもとは韓国のクジボン岳で、天孫説話は扶余族ルーツであることは明白です。ナラ・ハカタ・イズモ・ノト・ヒダなどはみな古朝鮮語で、とりわけイズモのような貧しい辺境(失礼!)が古代に栄えていたわけは、朝鮮人の流入口だったからとしか、考えられない。キム・ダルスは『続日本紀』中に「飛鳥人口の九割は秦氏系(朝鮮人)」の記事があることを指摘しています。後世-現代のナショナリズムを拭い去って、日本史を冷静に見つめるなら、我々のルーツが朝鮮半島にあることは明白ではないでしょうか?
このことは、僕のブログ「弓木的批評」の「縄文人と弥生人」でもスケッチしてみたので、よろしければご覧ください。


投稿: 弓木暁火 | 2004.10.05 01:47

古代日本人と朝鮮人は敵対関係にあったではないか。


投稿: イズモ人 | 2005.10.01 10:33

はじめまして。
まず、古伽耶は地下墳墓との関連性において、南九州熊襲の海洋民が開発した地域だと思われます。
伽耶(カヤ)の語源とはインドネシア等の南方民族の「資産」「祝い」という意味だと思われます。オランダのドイフェンダックの説ですが…

大和朝廷と日向の異常に密接な関係も、伽耶の「製鉄」の利権だと思えば納得いきます。

で、新羅ですが、三国史記に倭人の王の伝承がありますように、倭人の支配する国だったと思われます。
http://inoues.net/korea/korea_tenma32.jpg
何故、金冠に勾玉があるのでしょう?
そして…
http://inoues.net/korea/korea_tenma36.jpg

勾玉とは縄文中期から見られる日本固有の物ですね。
じゃぁ、日本と言っても、日本のどこなのか?

筑紫の君・磐井が、大和朝廷が新羅を攻めるにあたり、何故あのように命がけの反乱をしたのか?…
一説によれば新羅から賄賂をもらってたと言われますが、賄賂ごときで命など賭けません。
私は筑紫の国こそが新羅の支配国だったからだと思います。
磐井は密かに伽耶の製鉄を狙い、大和朝廷の転覆を狙ってたのかもしれません。

日本では磐井が平定された後、半島では新羅が伽耶を支配したのは面白い皮肉ですね。

話は戻りますが、新羅の古墳出土の金冠の「出」のデザインですが、古代メソポタミアからある生命樹でしょう。

http://www.onekoreanews.net/20040721/bunka20040721001b.jpg
これも新羅からの出土品ですが、カザフスタンにも同じものがあるらしく、カザフと聞いてすぐに思い出されるのが弓月の君・秦氏ですね。
関連あるのは間違いないと思われます。

なんだか酔っ払っててとりとめない文章になりました、すいません。

投稿: おーやん | 2005.12.01 00:24

志良岐(シラギ。正しくはシラキ)は、古代ヤマトの領土だよね。

シラキの「シラ」とは、治らす(シラス。治める)でしょ。
「キ」は木。つまり、神木だよね。
神木=神が宿る木だから、天孫を象徴する言葉でしょ。古神道には神木信仰があるし、日本人の名前には「木」が付く苗字が多い。
鈴木とか久多良木とか。古神道の影響だろう。
ようするに、シラキは「治らす木」であり、天孫=皇孫が治める国の意味だろう。

投稿: 古代史研究所 | 2006.01.13 17:31

ここで言う天孫=皇孫とは、皇族の意味だが。
この説は正しいでしょう。
皆さんも賛成でしょ。


投稿: 古代史研究所 | 2006.01.13 17:37

古代史研究所さんの説は正しいと思う。
シラキというのは、治らす+木。
こう解釈すべきですね。

投稿: 学生 | 2006.01.15 14:03

弓木氏は阿呆ですか?古朝鮮語など全くわかっておらず辰韓人は秦語を話しており、琉球と本土が言語が唯一一致している事を無視していますね。

投稿: 三河武士 | 2006.06.14 03:35

要約すると朝鮮半島はわれわれ日本人の所有物であるということでしょうねぇ。

投稿: | 2006.12.30 00:12

新羅・・・朝鮮語では「シルラ」。
百済・・・朝鮮語では「ぺクジェ」。
「シルラ」の「ル」はほとんど発音しなくて「シッラ」と聞こえます。これに「ギ」をつけると「シッラギ」になりますが、韓国語で語尾に「ギ」をつけるのはちょっと悪どい言葉というか「憎たらしい」という気持ちを込めてます(日本語で「~め!」とかいうのと一緒)。

「ぺクジェ」がなんで全然発音の違う「クダラ」なのかについては、朝鮮語で「偉大な国」を意味する「クンナラ」を「百済」にあてはめていたのでは?(朝鮮語でナラは「国」)

律令国家になる直前の日本にとっては、「親百済、嫌新羅」、百済は尊敬すべき同盟国で兄弟国、新羅は敵性国家という性格だったのがよく分かります。

誤解を恐れずに言えば、非常に大きく見ると、この頃までの日本(というか大和朝廷系限定ですが)の歴史は、古代朝鮮史の一部にはいるのかも知れません。まあ逆に考えると「任那日本府」実在説も、そう考えると別におかしい話ではないと思うのですが。

それまでの日本は「韓とわが国は同祖なり」という認識をしてたようで、「渡来人」なんていうのも現在でいう「ガイジン」というほどの意識もなく、一緒に助け合って同居してたのですが、白村江の戦いで兄弟百済に援軍を出して、新羅・唐の連合軍にボロ負けした日本は、方向転換を余儀なくされます。とうとう百済が滅亡した以降、律令国家の体裁を整え(この頃からが国家としての本当の日本史という気がしますが)、日本はそのあたりから「わが国は朝鮮半島とは違う独自の国」と言い出すのです・・・

しかし、井沢元彦さんの本にも書いてありますがこれは実は、まさに韓国・朝鮮の人の、兄弟とか親族同士のケンカの時の心情なんです!
韓国人の兄弟ゲンカとか親子ゲンカは凄絶なのになると「もうあいつとは、兄でもなければ弟ではない」「あんな奴とは、最初から血の繋がりはなかったのだ!」と、もう絶交のもっとひどいのになります。
この頃の日本も、仲の良かった兄の百済が滅んで、「もうあんな新羅の奴らとは、血縁も何もない。そもそも朝鮮半島なんか、知らん!」となってしまったのではないのでしょうか・・・。

「日本は韓国や朝鮮とは違う、独自の歴史を持つ独自の民族だ!」と必死に叫ぶ人こそ、実は「韓国・朝鮮人のメンタリティ」を体現してる人なのです。

でも、ここで急に手を返すわけじゃないけど、一部韓国朝鮮人の「日本の文化も歴史も民族も、出自は朝鮮半島起源だ。だから日本など朝鮮の亜流でしかなく価値などない」なんて意見には私も賛同できない。

確かに韓国・朝鮮の文化や技術が与えた影響、人の流入を抜きにして、日本の歴史も日本民族も語れないとは思います。けれど、それで価値がないとか文化が低いとかいうことにはならないし、日本は日本でオリジナルな素晴らしいものも沢山創り出してきました。逆に半島の文化に影響を与えたものもあります。
DNAのミトコンドリアで見ると、今のところ日本人には16通りのパターンがあるらしいのですが、一番多数はやはり中国北部から朝鮮半島の人と共通のものなのですが、東南アジア起源のものもあるし、日本にしかなく、周辺のどの地域にもないミトコンドリアもあります。
日本はけして他の国とは違う異質な国でもなく、もちろん韓国朝鮮の亜流でしかない国でもなく、インド、東南アジア、中国、モンゴル、朝鮮、さらにはシベリア、西域や太平洋の島々にも連なる文化の中にある独特な国、と思います。

投稿: アテルイ | 2008.03.10 02:30

新羅人とも百済人とも通訳を要したことが日本書紀に書かれているわけで
シラギたクダラを和語で無理やり解釈しようとするのは単なるこじつけでしょう。
新羅や百済という漢字をどう考えても日本側の読みではシラギやクダラとならないあたりがそれを表してると思います。
さらにシルラだのぺクジェは今の朝鮮人の使う語の読みなのでまた無意味。

古代クダラやシラギ人の言語での自称こそがクダラやシラギだと思うわけで
つまり現代朝鮮人と別系統の民族で
また日本人とも違う民族と考えるのが自然かと思います。
統一新羅の過程で被支配者となって民族性を失って現代朝鮮人の祖に同化していったと考えるべきかと思います。

国家間の支配・被支配関係と、その国家の民族性はまた別なので
倭が進出してたから倭人だの、交易してたから新羅人だの
短絡的にしてしまう人が多すぎると思う。

言語からは日本人とも朝鮮人とも違う民と読み取れ、大和の縄文人のように同化し、吸収されて消えていったと見るのが自然でしょう。
多くは現代朝鮮人の祖に吸収され、亡命者や、倭の進出時代に連れてこられた人々は湖北あたりに住まって日本人に吸収され
消えてしまったというだけと思います。

投稿: 山田 | 2008.10.30 11:36

日本に新羅(笑)神社や百済(笑)神社を建てるにも天皇の許可が要るわけです。それで、日本に神社が実際にあるってことは、新羅百済は天皇の巨下(家来)って事になりますよww

で、史書ね↓

宋書倭国伝
朝鮮半島は倭の支配が及んでるとも書いてる

満州にある広開土王碑
倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。

三国史記「新羅本記」
慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。
新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。

日本書紀
「391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」

宋書
倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。


随書
倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。

新羅百済より日本の方が圧倒的に上なのに
何が兄だよww
しかも半島南部を支配してたのは日本なのにね。
日本式の古墳だって半島で見つかってるでしょw

兄とかそういうの本当に気持ちわるいよ?
モロ中国とその弟子の朝鮮の儒教の考えじゃん。

普通の日本人はそういう気持ちの悪い考えはしないよね。

投稿: | 2009.02.21 08:30

本日ブックオフで『ローマ文化王国‐新羅』を見かけました。
新羅出土品のデザインや工芸技法から、北方民族を通じたローマ文化圏との文化的交流を読み取ろうとするなかなか興味深い本でした。
特に藤ノ木古墳から出土した新羅風金冠デザインに強い文化的異質感(中国文化圏以外の強い影響)を感じていた私にとっては、非常に説得力のある美術史的仮説であるように思えました。

もっとも、美術史の解明と歴史の解明には大きな隔たりがあるでしょうけれど。

投稿: うーむ | 2009.03.21 21:24

江南ルートから来るのにどうして朝鮮半島経由する必要あるの?2,200年以上前の弥生米のDNA分析を行なったところ、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっていることがわかってるし、中国の研究でも同じ意見です。管理人の仰ることは科学的にも間違っています。ナショナリズムに基づいた歴史の捏造というのはむしろ韓国の方にあります。また、記紀、日本書紀をもとにされるなら、日本が朝鮮半島を支配して任那日本府もあったことになりますよ?認めるんですか?

投稿: | 2009.09.01 00:31

高句麗は満州族の国家。新羅は倭族の国家。百済は満州族の国家。加羅は倭族の国家。耽羅国も倭族の国家です。

今の朝鮮人は高麗と李氏朝鮮時代に歴史の表舞台に出てきただけです。

百済、新羅は大倭国の属国であったと隋書に書かれているでしょ? 

要するに満州族と倭族の勢力争いに翻弄された漢民族と朝鮮ワイ族ってこと。

投稿: 白い狐 | 2010.02.21 08:49

新羅の金工芸など、ローマというか、中央アジア的な異物ですが
こういうのは日本の古墳からも実は多く出てます
新羅は出雲と地理的にも近く、交易があったことが、出土物から分かっていますし
前期新羅の王には、倭人と記されるものも居ますので、当初新羅と日本(特に出雲)は密接であったのだろうと思われます。

しかし後期新羅になるとこの手の中央アジア的なものは出なくなってしまうし、倭の痕跡のようなもの見られなくなります。
前期新羅と後期新羅は分けて考えたほうがいいような。

その後の日本側における、親新羅派、親百済派という話しは、結局出雲派か九州発の天皇派かというはなしだと思います。

投稿: | 2011.01.08 17:25

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