サダム・フセイン統治下の核兵器疑惑の暴露手記によせて
サダム・フセイン統治下のイラクで核開発について、開発当事者のマハディ・オバイディ(MAHDI OBEIDI)氏による手記が先日(09.26)のニューヨークタイムズに掲載されていた。非常に興味深いものだったので、その紹介と自分の印象を書いてみたい。
記事は"Saddam, the Bomb and Me"(参照)。標題は「サダム、爆弾と私」となるだろうが、the Bombの定冠詞に核爆弾の含みがある。英文はなかなかの美文なので編集の手が入っているだろうと思ってみると、カート・ピッツァー(Kurt Pitzer)という共著者がいる。彼はUSニューズ・ワールドリポートの記者でもありバグダッド陥落の際、マハディ・オバイディの知己を得たようだ。
The Bomb in My Garden |
While the final report from Charles A. Duelfer, the top American inspector of Iraq's covert weapons programs, won't be released for a few weeks, the portions that have already been made public touch on many of the experiences I had while working as the head of Saddam Hussein's nuclear centrifuge program. Now that I am living in the United States, I hope to answer some of the most important questions that remain.
オバイディはサダム・フセイン指揮下のウラン濃縮遠心分離器プロジェクトの責任者だったらしい。その立場から、サダム統治下のイラクの核疑惑に答えようというのが手記の意図だ。
内容なのだが、ある意味で意外とも言えるのだが、それほど我々の予測から外れるものでもない。英文の引用も煩瑣なので簡単にまとめると、1991年、イラクがクウェート侵攻した時点ですでにあと数年というレンジで核兵器開発の能力を持っていたらしい。しかし、その後の国連の査察の結果、こうしたプロジェクトを推進することができなくなっていた。この流れでオバイディも開発中の濃縮遠心分離器を自宅の庭に埋めて隠匿したとのことだ。
こうした証言を知ると、イラクに核開発の疑惑は実際にはなくなっていたということが取り敢えず言えそうではある。手記には70年代からのイラクの核兵器所有の意図についても書かれているがこれらはすでに歴史資料の領域だろう。
核兵器所有の野望が断たれたサダムの野望はというと、意外にも、れいの国連主導の食料石油交換プログラムの不正から得られた個人的な利益で満足していたようだ。むしろ、こうした金蔓が奪われるのを恐れていたようでもある。なお余談めくが、食料石油交換プログラムに関わる国連疑惑だが、日本での報道はないが、最新の動向を見ると以前疑惑のままのようだ。そしてフランスの関与が強く疑われる。関心があるかたは"Oil-for-food investigators probe French bank program"(参照)をあたってほしい。
オバイディはサダム・フセインという人間がどのような性質を持っていたかという点についても彼の視点から描写しているのだが、これには彼の偏見があるのかもしれないが、奇矯な人物という印象を与える。バグダットが攻められたら煙幕を張ればいいとか、長距離ミサイルを所望するといった、まるで「上司は思いつきで物を言う」的でもあるようだ。
この手記を読みながら、私に去来していた思いは、こうだ。こうした暴露が真実であるとした場合、食料石油交換プログラムが不正に利用されていたとして、そして仏露などがそこから不正な利益を上げ、石油市場に混乱を与えていたといえ、ブッシュ、つまりネオコンらが主張するようにイラクに戦争を仕掛ける意義はあったのだろうか? 別の言い方をすれば、国連の査察には、多少の不正などがあるとしてもそれはそれに見合うコストなのではないか。こうした思いは北朝鮮の問題が念頭にあるせいもある。あるいは、広義に韓国もそこに含まれるだろう。
もっとも、ネオコンの論理はすでにこのブログでも書いたように、大量破壊兵器の問題でも、国連疑惑でも、食料石油交換プログラムによる石油市場混乱抑制でもなかった。単純に言うなら、イスラエルとあまりに強く結びついて不可分にできないとしたうえでの米国の国益だったのだろう。そう見れば、昨今の、ロバート・ノーバックのたれこみ"Quick exit from Iraq is likely"(参照)を裏付けるようなラムズフェルドの暴言も理解しやすい。だが、そうした理解は、結局のところ、国際世界がネオコンの独走にいかに無力であったかというだけでしかない。現在スーダン問題に力を注いでいるパウエルのような穏健的な米国の外交・軍事にはどのような可能性があるのかと問うことが、多少なりとも、ネオコンの代替とはなるだろう。
そうした点からすると、オバイディの次の自問は示唆深い。果たして、サダムのイラクは米国や世界にとって潜在的な脅威だったのだろうか? ここは引用しよう。
Was Iraq a potential threat to the United States and the world? Threat is always a matter of perception, but our nuclear program could have been reinstituted at the snap of Saddam Hussein's fingers. The sanctions and the lucrative oil-for-food program had served as powerful deterrents, but world events - like Iran's current efforts to step up its nuclear ambitions - might well have changed the situation.
この自問に、彼はまず、それは認識の問題だろうとしている。その含みは正確な情報だけで結論の出る問題ではないということだ。
そして彼自身がこの核兵器開発のプロジェクトに関わった技術者として、90年代に廃棄されたプロジェクトではあっても、サダムがその気になれば再出発が可能だっただろと指摘していることが重要だ。国連制裁が抑止力を持っていたとはいえ、世界の状況が変わればそれが常に有効だとはいえないとも言及している。
オバイディは現在米国の庇護のもとにあり、それゆえ米国に親和的な見解を取らざるを得ない。だが、彼の言及は、米国の開戦を支持するというだけでもなければ、旧来の国連主義や欧州的な交渉主義で十分に新しい世界の危機に対処できるというわけでもないように読める。
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