キューブラー・ロス博士の死と死後の生
精神科医エリザベス・キュブラー・ロス(Elisabeth Kubler‐Ross)博士が、米国時間の8月24日午後8時15分(日本時間8月25日)アリゾナ州の自宅で死んだ(参照)。享年78歳。彼女は、1999年タイム誌が選んだ20世紀最大の哲学者・思索者100人のうちの一人でもあった。
彼女はもっと早い時期の死を予言していたので、長い読者の一人である私にはある種心の準備が出来ていた。中島らもの死を知った時のような驚きはなかった。また私は彼女の著作を通して、彼女が自身の死をどう捕らえているのかも理解していたつもりなので、その意味では哀悼とはまた違った思いが去来する。なにか書きたいという思いと、奇妙になにも書けない思いが錯綜しているが、やはり書いておこう。
エリザベス・キュブラー・ロス博士は、世界的なベストセラー「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)の著者として知られている。1969年に出版されたこの本の読者は日本人にも多い。この本はまさに死につつある人にインタビューし、死というものを探ろうとした驚くべき労作である。私も死を思い続けた思春期に読んで強く影響を受けた。当時の日本での翻訳書は川口正吉訳「死ぬ瞬間―死にゆく人々との対話」(1971)だが、近年鈴木晶による完全新訳改訂版「死ぬ瞬間―死とその過程について」(1998)が出ている(リンクは文庫版)。書名の違いも興味深い。新訳の副題が示唆するようにこの本は、人の心が死をどう受容するかという過程を科学的に取り組んだ点に大きな意義がある。ここではその過程(プロセス)についてはあえて触れない。
この労作がきっかけとなってターミナル・ケア(終末期医療)の分野が確立したといってもいい。おそらく現代人の日本の大半は、一人静かに死と向き合うことになるだろうが、その時、医療とは異なったターミナル・ケアに頼むことになる。
この労作に続けて、彼女は一連の書籍を著した。まず「続・死ぬ瞬間」(こちらのリンクは文庫版新訳)が刊行された。私にとって「死ぬ瞬間」よりも大きな影響を受けたのは、「死ぬ瞬間の子供たち」だ。標題どおり、まだ幼い子供が死をどう受け入れていくのかをテーマにしている。
うまく言えないのだが、私などいまだに死というものに発狂しそうなるほどの恐怖を感じるのだが、それでも、人間というものはある程度生きれば「もういいかな」という感じがしてくるものだ。私も、キリストの死の歳を越え、ツアラトゥストラの死の歳も越えた。ラファエルやモーツアルトの歳はとっくに越した。太宰治の死の歳も越えた。三島由起夫の死と同年。もうすぐ夏目漱石の死も越えるのだろう。こうして「もういいかな」感は増してはくる。人生は生きればそれなりの意義はあるといってもいい部分はある。
だが、幼い子供の死とはなんなのだろうか。あるいは、今ダルフールで死んでいく子供たちの死には、どんな意味があるのだろうか。それを考えると、やはり発狂しそうな思いが去来する。もちろん、その言い分に冗談のトーンがあるように、普通、私たちは、その幼い命を奪っていく死というものに向き合って生きているわけではない。
ロス博士は、そこにきちんと向き合った。そこに向き合うということはどういうことなのか。一つの成果は、ファンタジックに描かれた「天使のおともだち」に見ることができるだろう。普通、我々はこれを比喩として受け止める。
だが、ロス博士はこうして死の問題に取り組みながら、明確に死後の生というものを確信していく。先ほど私は「発狂しそうな思い」と書いたが、これにきちんと取り組めば、人間は気が狂ってしまうのかもしれない。ロス博士もついに、気が狂って、向こうの世界に行ってしまったのか、という思いもする。
このことを決定的な形で描き出したのは彼女の自伝「人生は廻る輪のように」だ。これは、名著「死ぬ瞬間」に劣らぬインパクトを持っている。そこには死後の生を確信したロス博士の生涯が描かれている。そして、その確信から生まれ出る後半生の驚くべき活動(赤ん坊を含むHIV患者のターミナル・ケア)も描かれている。
ロス博士はこういう人だったのか。これは狂気ではないのか? 私はこれをどう受け止めたらいいのか。やがて死ぬ私は、死後の生を確信しなければ、恐怖に打ちのめされるだけとなるのか。
正直に言えば、私はこの問題に孤独に取り組みすぎ、知的に狡猾になった。信じる・信じないの危うい均衡のようなものを生きていけるようになった。それはちょうど河合隼雄のようなものだ。カール・グスタフ・ユンクも死後の生を確信していたが、河合はそういうユンクの思想を悪くいえば狡猾に吸収した。私はたまたまテレビだったか、河合がロス博士の生涯を、そうなる必然として理解していることも知った。
この狡猾さは哲学的・神学的な言辞でいかようにも語ることができるように思う。しかし、問題はおそらく、やはり赤手空拳に死後の生に向き合うことだ。
もちろん、私たち現代人の社会にとって死後の生は意味をなさない。「と学会」のような浅薄な知性は、死後の生をただ嘲笑うだけで通り過ぎていくだろうし、それぞれの自身の死もあたかも他者の死の光景のようにみなし、そして忘却のように彼ら自身も死んでいく。それで良しとするのだろう。それが健全な常識というものじゃないか?
そうだろうか?
中島義道が若い日に死の恐怖をかかえ、やはり哲学をするしかないと心に決めて、哲学者大森荘蔵を訪れたとき、大森は、死について「あのずどーんとする感じ」と答えていたという。そうだ、あのずどーんとする感じだ。その感じからすれば、健全な常識というのはただの虚想にすぎない。「物と心」で彼はこう言う。
シャルル・ベギーの鋭い警句がある、「死とは他人にのみおこる事件である」。また人はエピクテトスの、死はありえぬことの証明を思い起こすだろう。
だが人は自分の死後の家族を案じ、身辺を整理し、葬式は簡素にと遺言し、遺贈を約束したりし続けている。人は明らかに自分にやがて死がおどづれ、だが世界は何ごともなかったように続行すると信じている。
そう身辺を整理しないと意外なものが孫に見つかることもあるからな(参照)。
オカルティックな死後の生を信じない健全な常識人も、大森が指摘するように、自身の死後に世界は何ごともなく続行すると信じているものだ。
しかし、たとえばわたしは自分の死後の世界を想像できるだろうか。見るべき眼も聞くべき耳も、いやそれらを通して知覚するわたし自身がもはやないという条件下で、たとえば街の風景をどのように見えると想像できるのか。風景がどう見えるか、とはわたしに風景がどう見えるかとの意味である。
そうだ、死後も続く生の滑稽さは、自分の死後にもこの世界は続くという確信と同程度に滑稽なものでしかない。我々の文明は、同じ2つの滑稽さの一つを選んだにすぎない。
やがて消滅する私は、そもそもいつから私だったのか。記憶としては4歳くらいまでは遡及できる。私が生まれ、脳が発達し、自我が出来たというが、この私の精神はどこから来たのだろうか。その遡及の感覚は、ちょうど夢からこの世に覚めるのと似ている。私は無限の無の世界から目覚めてこの世界にいるのなら、また眠り、また目覚めないとどうして言えるのだろうだろうか。
ロス博士は、子供のケンとバーバラ、その孫たち、そして友人に見守られて安らかに威厳をもって死んでいった。彼女は死に及び「これから銀河をわたってダンスをしにいくのよ」とも告げた(参照)。
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コメント
私が消滅するということを、この世の消滅としてしか理解できないように思います。私の世界は他者の世界の共鳴として形成され、その私という世界が消滅するのだと。自身の死とは因果地平であり、そこを消滅点と見るかワームホールの夢を見るか、そんな感じでしょうか。なんか適切なコメントになってませんね。
投稿: Sundaland | 2004.09.01 18:25
ロス博士の著作には関心がありつつも、いまだに手にとることができずにいます。こわいのです。死の問題に直面することが。死を意識することで自分の生き方もかわってしまうような気がしています。そして、それがいいことなのかも今は分かりません。
投稿: aquarium | 2004.09.02 00:53
子供の頃の方が死を真剣に見つめていた。大人になって身近な人の死に立ち会っても何も考えてない。無の世界から来て無の世界に帰る。なら自分は何処にでも偏在するのか。
また、読んでみたい本が増えた。しかし読書は進まない。インプットが少ないからアウトプットが無い。だからここに来てしまうのか。
投稿: hasenka | 2004.09.02 06:41
私は、エリザベス・キュープラロス先生の「エイズ 死ぬ瞬間」を1991年に読みました。ちょうどその頃エイズ問題の重要性に気付き、仲間とボランティア活動を始めた頃でしたので、強烈な印象を持っています。死とか、死後の世界に興味を持ちました。
その後、ABCキルトJAPANというグループを作り、エイズの赤ちゃんにキルト贈る運動をしていますが、ABCキルト運動を始める発端がキュープラロス先生の報告書からでした。
1988年5月、ニューハンプシャー州に住むエレン・アールグレンさんが、新聞を読んだのです。
「エイズ 死ぬ瞬間」を書いたエリザベス・キュープラロス先生が、アメリカにはエイズになって、病院に放置されている子供が3000人もいるということをある報告書で語っていたのです。キュープラロス先生は、死や重い病気で最終的な段階にある患者、そういった苦しみにどうやって対処するか、どうやって立ち直るか、ということの専門の先生です。」という記事でした。
こうした見捨てられた赤ちゃんに対して、私は何をしてあげられるのかを考えたのです。どうすればこの子たちをなぐさめてあげられるか。実は私キルト作りが大好きだったものですから、この子たちにキルトを作ってあげたらどうかということを思い立ったわけです。まず、家族、友人など周りの人に「HIVに感染して病院に放置されてしまっている3000人の子供たちにキルトを作ろうと思うけど、どう思う」と聞きました。そうしますと、大変多くの方から「協力させてください」と言われたわけです。
キュープラロス先生の記事に触発されてエレン・アールグレンさんが始めたABCキルト( の活動は全米に広がり、日本でも行われて、50万枚、日本では6千枚のキルトがエイズの赤ちゃんに贈られています。
ご冥福をお祈り申しあげます。
投稿: 西村雅宏 | 2004.09.25 09:15
死後の世界というと、子供の頃「あなたの知らない世界」(by中岡俊哉)を見ていたことを思い出します。最近のエントリでも触れられていたかと思いますが、やっぱり(ひらたく言えば)死を直視しない限り精神の自立はありえない、というのは本当だと思います。いまよりも死から遠いはずの若い時の方が、死のことを考えていましたが、それも生命力の過剰な若さという混沌が、死の観念を引き寄せるということなのでしょうか。自分も既にニーチェ発狂の年齢を過ぎて、三島由紀夫割腹の年齢に到達し、次はカミュ事故死の年齢に向かいます。自分は自分なりに、できることをやり続けないとね、と感じます。
投稿: donald | 2005.01.30 20:49
ファンタジックという言葉は、意図的に使われてますか?
投稿: hs | 2007.07.22 04:27
死後の世界って、当然もちろん実在します。
私はそれを知ってしまった。
一言で言うと「純エネルギー生命体」の世界です。
人は死ぬと「肉の衣」を脱ぎ捨て「純エネルギー
生命体」になって戻っていきます。
ただ「純エネルギー生命体」の世界も2種類あって
「天国=純粋な愛の世界」イエズス・キリスト様や
天使さんたちや聖霊さまがたや私のなくなったおかあさん
がいらっしゃる世界
物理学的にいうと「エントロピー=0の世界」
「エントロピー=0」だから、純エネルギー生命体は
「永遠に減衰しない」世界です
あと、「純エネルギー生命体」の世界ももうひとつあって
「エントロピー=無限大」の世界があります
そこにすんでいる「純エネルギー生命体」は「エント
ロピー増大」が大好き、まあいわゆる「悪霊」とか
「悪魔」とかいわれているものです。
投稿: 内田 司 | 2007.10.05 16:44
はじめまして。リンクさせて頂いたご挨拶だけ・・。
尋常でない知識をお持ちの有名ブロガーさんに一つだけ伺ってみたいこともありました。
ブログで触れた「生きがいの創造」の飯田史彦氏ですが、「幸福の科学」と何かつながりがあるのでしょうか?ググッてみましたがわかりません。トラックバックさせて頂きますのでご一読頂けましたら幸いです。
有難うございました。
投稿: 九子 | 2011.12.20 21:12
約、30年前に発狂しました。 なんとか生きてきました。 信じる事ができない故、今なお苦しんでいます。 私は趣味で芸術家をやっております。
なぜなら、私の存在しない世界にも、夢と希望を残す事ができるからです。
投稿: 根本重樹 | 2013.05.03 23:28