« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »

2004.09.30

胡錦濤政権はたぶん国内格差を深めるだけだろう

 先の中国共産党十六期中央委員会第四回総会(四中総会)で江沢民党中央軍事委主席が辞任し、後任に胡錦濤総書記が就任した。中国の国家権力は軍にあるので、これで名実共に胡錦濤が中国の権力を掌握したように見える。日本人の多数は、これで江沢民の反日政策が終わってくれるのではないかと期待していることだろう。だから、江沢民の権力が本当に失墜したのかが気になるところだ。現状では概ね権力移譲は完了したようにも見える。もともと、江沢民は中国内での権力基盤が弱かったために反日政策を推し進めてきた経緯もあるし、鄧小平は江沢民を抜擢したものの彼らの基盤となる上海閥を警戒していた。そうした声は中国国内でなお支持されているようにも思える。
 胡錦濤主導のもとで中国がより普通の国になってくれるものなのか、現状ではそれほど悪い兆候はない。台湾侵攻の演習もほどほどで中断したし、国連のスーダン政府制裁についても真っ向から拒否権をふるうという非常識な行動は出ていない。天安門事件ではその本質を暴露したかのような人民解放軍内も、さらに世代交代が進み、エリートには米国など世界情勢をよく理解している層もあるのだろう。
 むしろ問題はそのあたりなのかもしれない。当たり前と言えば当たり前なのだし、江沢民時代でも対して変わらないことではあったが、党中央軍事委員会は胡錦濤を除き全員軍人である(以前は江沢民と胡錦濤の二人が文民だった)。しかも八人制から十一人制になった。統帥権は当然胡錦濤にあるとしても、中国も建前として取る文民統制が実現できるかについては、軍内の胡錦濤閥の権力争いにかかっている。
 胡錦濤政権の課題は彼自身が明確にしているように、まず、国家内の腐敗・汚職の刷新がある。しかし、この問題は表面的な制度面では前進は見られない。産経系「中国共産党、四中総会『決定』全文発表 体制改革見送り」(参照)の観測は正確だ。


中国共産党は二十六日、先の十六期中央委員会第四回総会(四中総会)で採択した「党の執政能力建設強化に関する党中央決定」の全文を新華社通信を通じて発表した。腐敗問題などで失った国民の信頼を回復、複雑な内外情勢に対応できる体制確立に「党の指導方式と執政方式」の「改善」が必要とし、制度上の抜本改革は見送られた。胡錦濤総書記の当初構想は大幅に後退したようだ。

 こうした対応は東洋的というか日本も似ているのだが、訓戒と厳罰、つまり、見せしめを派手にやるというのが常套だ。そうなるのだろうか。
 こうした対応を手ぬるいとの批判もあるのだろうが、私はしかたないだろうとも思う。二つ理由がある。一つは、この不正の構造が事実上中国国内格差の問題が噴出する防御の機能を持っているだろうということ、もう一つは汚職・腐敗はものの見方であっていわばこれは当たり前の人事の権力システムだろうということだ。そして、このシステムこそが軍であるかのように見える軍産共同体としての人民解放軍の正体だろう。
 統計に当たっていないので失当かもしれないが、むしろ、人民解放軍は産業部門で巨大化しているように思う。軍転用から始まった港湾、鉄道、空輸、通信、さらに、開発研究、工場、病院、観光まで各種の分野でコングロマリットになっている。これらの利潤が人民解放軍を通して共産党の維持メカニズムになっているのだが、これも中国というのはそういう国というだけに過ぎない。
 問題があるとすると、これらのコングロマリットは当然内需もあるものの、日本や韓国のように、ウォルフレンが言うところの新重商主義の施策を取っていることだ。このため、政府は為替安定のために、やはり日韓のように膨大なドル買いを通して為替介入を行っている。中国は現在人民元の対ドル・レートを1ドル=8.28元で事実上固定するペッグ制を採用したままであり、米国はこの結果中国の輸出製品が不公正に割安になっていると見ている。
 これはG7で明確な問題となる。「G7で中国に柔軟な為替制度採用を要求=米財務長官」(参照)からスノー米財務長官の発言を引用する。

 同長官は「わけわれは通貨(人民元)に関して中国に圧力を掛けるつもりだ」と言明。「中国は(この問題で)前進しているが、余りに遅い。われわれは満足しておらず、彼らとの1時間の話し合いの中でこのことをはっきりさせるつもりだ」と強調した。

 しかし根の問題は中国のドル買いにあるのだろう。Newsweek"The Almighty Yuan(日本語版では「中国『為替操作』の支配力」)"(参照)の指摘が急所を突いている。

The Chinese have got the U.S. by the throat," says William Barron, managing director of Deutsche Asset Management in London. "When China stops buying dollars, the age of cheap capital is over."

 中国がドル買いを止めれば、米国の資本調達は行き詰まる。長期金利は急上昇するだろう。まさに米国の「喉元(throat)」を中国が抑えている。余談めくがこうした中国による米国への影響力が、昨今の台湾の軍事化の焦りに関係しているようにも見える。
 と、いうわけで、胡錦濤がかりに制度上、中国の全権を握ったとしても、たぶん、彼自身の権力行使という点ではなにも出来ないのではないか。日本人の嫌がる反日政策も、こうした中国の軍産構造とマクロ経済に従属して変わるだけだろう。むしろ、中国は国内内部の所得格差などの問題に対応する機構すらないのだから、より大きな矛盾を抱え込んでいくだけかもしれないとも思う、別に中国を嫌悪して言うわけではないのだが。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2004.09.29

サダム・フセイン統治下の核兵器疑惑の暴露手記によせて

 サダム・フセイン統治下のイラクで核開発について、開発当事者のマハディ・オバイディ(MAHDI OBEIDI)氏による手記が先日(09.26)のニューヨークタイムズに掲載されていた。非常に興味深いものだったので、その紹介と自分の印象を書いてみたい。
 記事は"Saddam, the Bomb and Me"(参照)。標題は「サダム、爆弾と私」となるだろうが、the Bombの定冠詞に核爆弾の含みがある。英文はなかなかの美文なので編集の手が入っているだろうと思ってみると、カート・ピッツァー(Kurt Pitzer)という共著者がいる。彼はUSニューズ・ワールドリポートの記者でもありバグダッド陥落の際、マハディ・オバイディの知己を得たようだ。

cover
The Bomb
in My Garden
 ニューヨークタイムズの手記は、二人の共著である最新刊"The Bomb in My Garden: The Secrets of Saddam's Nuclear Mastermind"(参照)の紹介も兼ねているようだ。書籍の標題は直訳すれば「私の庭のにある爆弾:サダムよる核開発立案者の秘密」となるだろうか。邦訳の話は知らないが、英語で全編を読むのはしんどいので、訳されたら読んでみたいと思う。同書についてはアマゾンの米国サイトで読者評に「イラクには核開発疑惑なんなかったんじゃんか。ブッシュは知らんぷりかよ」といったコメントがあるが、ニューヨークタイムズの手記から想像するに著者たちの力点はそこにないので、通読された評ではなさそうだ。それでも、手記はそういう印象も確かに与える。つまり、イラクには核開発疑惑なんかなかったのでは、と。手記はその疑問にまず簡素に答えようとしているように思えた。

While the final report from Charles A. Duelfer, the top American inspector of Iraq's covert weapons programs, won't be released for a few weeks, the portions that have already been made public touch on many of the experiences I had while working as the head of Saddam Hussein's nuclear centrifuge program. Now that I am living in the United States, I hope to answer some of the most important questions that remain.

 オバイディはサダム・フセイン指揮下のウラン濃縮遠心分離器プロジェクトの責任者だったらしい。その立場から、サダム統治下のイラクの核疑惑に答えようというのが手記の意図だ。
 内容なのだが、ある意味で意外とも言えるのだが、それほど我々の予測から外れるものでもない。英文の引用も煩瑣なので簡単にまとめると、1991年、イラクがクウェート侵攻した時点ですでにあと数年というレンジで核兵器開発の能力を持っていたらしい。しかし、その後の国連の査察の結果、こうしたプロジェクトを推進することができなくなっていた。この流れでオバイディも開発中の濃縮遠心分離器を自宅の庭に埋めて隠匿したとのことだ。
 こうした証言を知ると、イラクに核開発の疑惑は実際にはなくなっていたということが取り敢えず言えそうではある。手記には70年代からのイラクの核兵器所有の意図についても書かれているがこれらはすでに歴史資料の領域だろう。
 核兵器所有の野望が断たれたサダムの野望はというと、意外にも、れいの国連主導の食料石油交換プログラムの不正から得られた個人的な利益で満足していたようだ。むしろ、こうした金蔓が奪われるのを恐れていたようでもある。なお余談めくが、食料石油交換プログラムに関わる国連疑惑だが、日本での報道はないが、最新の動向を見ると以前疑惑のままのようだ。そしてフランスの関与が強く疑われる。関心があるかたは"Oil-for-food investigators probe French bank program"(参照)をあたってほしい。
 オバイディはサダム・フセインという人間がどのような性質を持っていたかという点についても彼の視点から描写しているのだが、これには彼の偏見があるのかもしれないが、奇矯な人物という印象を与える。バグダットが攻められたら煙幕を張ればいいとか、長距離ミサイルを所望するといった、まるで「上司は思いつきで物を言う」的でもあるようだ。
 この手記を読みながら、私に去来していた思いは、こうだ。こうした暴露が真実であるとした場合、食料石油交換プログラムが不正に利用されていたとして、そして仏露などがそこから不正な利益を上げ、石油市場に混乱を与えていたといえ、ブッシュ、つまりネオコンらが主張するようにイラクに戦争を仕掛ける意義はあったのだろうか? 別の言い方をすれば、国連の査察には、多少の不正などがあるとしてもそれはそれに見合うコストなのではないか。こうした思いは北朝鮮の問題が念頭にあるせいもある。あるいは、広義に韓国もそこに含まれるだろう。
 もっとも、ネオコンの論理はすでにこのブログでも書いたように、大量破壊兵器の問題でも、国連疑惑でも、食料石油交換プログラムによる石油市場混乱抑制でもなかった。単純に言うなら、イスラエルとあまりに強く結びついて不可分にできないとしたうえでの米国の国益だったのだろう。そう見れば、昨今の、ロバート・ノーバックのたれこみ"Quick exit from Iraq is likely"(参照)を裏付けるようなラムズフェルドの暴言も理解しやすい。だが、そうした理解は、結局のところ、国際世界がネオコンの独走にいかに無力であったかというだけでしかない。現在スーダン問題に力を注いでいるパウエルのような穏健的な米国の外交・軍事にはどのような可能性があるのかと問うことが、多少なりとも、ネオコンの代替とはなるだろう。
 そうした点からすると、オバイディの次の自問は示唆深い。果たして、サダムのイラクは米国や世界にとって潜在的な脅威だったのだろうか? ここは引用しよう。

Was Iraq a potential threat to the United States and the world? Threat is always a matter of perception, but our nuclear program could have been reinstituted at the snap of Saddam Hussein's fingers. The sanctions and the lucrative oil-for-food program had served as powerful deterrents, but world events - like Iran's current efforts to step up its nuclear ambitions - might well have changed the situation.

 この自問に、彼はまず、それは認識の問題だろうとしている。その含みは正確な情報だけで結論の出る問題ではないということだ。
 そして彼自身がこの核兵器開発のプロジェクトに関わった技術者として、90年代に廃棄されたプロジェクトではあっても、サダムがその気になれば再出発が可能だっただろと指摘していることが重要だ。国連制裁が抑止力を持っていたとはいえ、世界の状況が変わればそれが常に有効だとはいえないとも言及している。
 オバイディは現在米国の庇護のもとにあり、それゆえ米国に親和的な見解を取らざるを得ない。だが、彼の言及は、米国の開戦を支持するというだけでもなければ、旧来の国連主義や欧州的な交渉主義で十分に新しい世界の危機に対処できるというわけでもないように読める。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2004.09.28

「郵政民営化実現内閣」というのだが、なにが本当は問題なのか

 昨日第二次小泉改造内閣が発足。自民党三役も一新させた。率直に言っていよいよ小泉も本気かなという印象はある。自民党総裁の任期は三年、そして自民党の党則によって総裁の連続三期の在任を認めていないから、彼が首相でいられるのは二〇〇六年九月まで。泣いても笑っても欠伸をしてもあと二年だけ。この間、国政選挙もない。避けがたいはずの増税もこの二年は凍結という暴挙を国政・国民に飲ませたから、ポスト小泉のババを踏むヤツにはかなり胆力が必要となるだろう。
 小泉本気は、郵政民営化法案を来年の通常国会に提出して成立させることだ。その意味で、彼自身が言うように「郵政民営化実現内閣」ではあるのだろう。
 が、今朝の新聞社説を見渡すと読売新聞と日経産業新聞が当たり前にその点を書いているものの、朝日新聞と毎日新聞は党幹事長となった武部勤に奇妙な難癖をつけることを先行させていた。確かに武部が指揮したBSE対策は結局のところ国際世界の失笑を買うもののとなったにせよ、彼が失墜させられたのは農水省と農水族議員の癒着を着るべく行政介入を行おうとし、農協にまで手を入れようとしたからだ。話を端折るが、ようするに、朝日新聞と毎日新聞の武部クサシは反動。ということはもうちょっと裏がありそうだ。が、ここでは触れない。
 当の問題である郵政民営化なのだが、この話は以前にもこのブログで書いた。要点は、郵政が握っている第二の国家予算とも言える膨大な資金を恣意的に財投に回すのではなく、国民のコントロール下にせよということだ。が、再読を促すほどの内容でもない。
 現時点で、なにが問題なのかとあらためて問い詰められると、正直なところ、すっきりとはわからない。一応、財投機関債の制度は出来ているので、郵便貯金が財投に直接回ることはない。が、この債権の運用は財務省の小手先で決まっているので市場を介して国民がコントロールするというのにはほど遠い。そこで、一気に根本の郵貯を解体せよというのならそれはそれで話は分かるし、フィナンシャルタイムズなどを読むに対外的にはそのように受け止められてはいるようでもある。"Privatising post"(参照)ではこう指摘している。


It is astonishing that an institution that controls assets of about Y400,000bn - the equivalent of $3,660bn or roughly equal to the US federal public debt - can continue to operate in the murky and inefficient fashion of the Japanese post office. A combination of mail service, insurance company and savings bank, it has become notorious for acting as something close to a slush fund, channelling the savings of Japanese households into politically motivated white elephant construction projects at the behest of scheming LDP bosses.

 対外的には日本の郵政とはこのように見えているのだ。つまり、世界経済の懸念材料とも言える米国政府の赤字三兆六六〇億ドルに匹敵する四百兆円を自民党が左右しているというのだ。ちょっと数値の桁に脳髄がしびれる感じがするが、それに比べると一億円程度の不正で橋本派を揺さぶっている図というのは、陰謀論的に言えば、小泉側の今回の内閣の地ならしだっとしか思えない。
 問題は、では、この資金が自民党の利権から国民に取り戻せるのかというと、そこがよくわからない。そうではないようだ。どうも単に官僚コントロールになるだけのようでもある。だとすると、小泉改革、つまり、郵政民営化とはなんなのだろうか、それがよくわからない。そう、よくわからないのはそこだ。このあたり、すっきりとわかる方がいたらトラックバックなどで教えていただきたい。
 ついでに言えば、財投の資金源は郵貯だけではない。年金のなぜだかわからないけど膨大にプールしてあるれいの積立金も財投に使われている。このあたり、結局、全部国債に化けて、円維持のための操作として米国に投資されているのだろうか? なんかあまりの無知で失笑を買いそうだが、問題の根は郵政だけではなく、ようは、財投可能な資金の制御の問題だと思える。
 郵貯以外に、郵政民営化には、郵便事業と保険事業がある。これらも郵政民営化ということでコミになっているが、端的に言って、郵便事業は国がやるべきだろう。逆に保険事業ななぜ国がやっているのか、歴史的な経緯ということを除いた現代的な意義としては、理解しづらい。
 この点、先のフィナンシャルタイムズの記事だが、もう一点、日本人が好きな段階的な解決(phased transition)に疑問を投げている。

Their preferred solution, a phased transition, would allow the post office's insurance and savings arms to offer new products such as commercial loans while still being privatised. That is a recipe for an inefficient state-backed institution, with an unfair advantage from its government guarantee and tax-free status, stealing custom from private banks and insurers. It is, rightly, being resisted, particularly by foreign companies that have fought hard to enter the Japanese market.

 つまりその時間稼ぎが日本国内の利権確立の猶予じゃないかというのだ。それはあまりに対外的に不公平だというわけだ。
 それももっともなことだが、いわゆる目に見える形での外圧、つまり米国からの圧力はこのところ少ないので、その面からの解決はたぶんないだろう。米国は現在国際的には孤立を深めているので、どうしても政治的・経済的に日本の支援を必要としてる。
 というか、政治、経済、そして軍事の面で、日米が一蓮托生化している感じがある。どうも陰謀論めいていけないのだが、米国の思惑としては、日本の国富を日本の国民が還元するしくみより、官僚コントロール下に置いて国家レベルで米国に都合のいいインタフェースができたほうがありがたいのではないだろうか。

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2004.09.27

少子化を食い止めるオランダ・モデルは主婦をなくして労働者にすること

 昨日夕食の支度を始めるころ、朝食用のパンがないことに気が付き、急遽小麦を練り始めたものの焼き上がりは10時。そして9時には手持ちぶたさもあって、たまにはニュースでも見るかとテレビをつけると、NHKスペシャル 「63億人の地図 第7回出生率~女と男・支え合う未来へ~」(参照)というのをやっていた。出生率がテーマらしい。たるそうなので、見ることにした。話は、日本より深刻な課題となっている韓国のようすと、この問題を克服したかに見えるデンマークの事例を取り上げていた。少子化に悩む日本としては、成功したデンマークの例が気になるでしょう、といった色目のちらつく奇妙な番組だった。話のアオリを引くとこうだ。


 一度は落ち込んだ出生率を回復させたデンマークは、出生率1.79。60年代、経済成長と共に生じた労働力不足を補おうと、国を挙げて女性の社会進出に取り組み、保育施設の充実や男性の育児参加を促してきた。その結果、世界で最も男性が家事労働をする国となったうえに、所得でも女性は男性の7割以上と世界一になった。つまり、男女が協力して女性の社会進出を実現させた時、出生率が上がったのである。
 一方、先進国で最も出生率が低いのは韓国の1.17。保育施設の不足や男性の育児参加が進まないこと、さらに重い教育費の負担など、日本と同じような原因が指摘されている。番組では、出生率の地図から、男と女が平等に社会に参加する、男女共同参画社会のあり方について考えていく。

 パンの焼き具合のほうが気になって、番組は上の空で見ていたこともあり、私の理解が至らないのかもしれないのだが、NHKの言い分はこうらしい。つまり、日本は男女共同参画社会の建前はできているが、その実質が伴っていないから女性への負担が大きく、それで出生率が上がらないのだ、と。
 NHKの言い分にもう一点加えると、成功例のデンマークのケースということでもあるが、「所得でも女性は男性の7割以上と世界一になった」というカラクリ、つまり、柔軟な労働制度が重要だというのだろう。
 番組では、デンマークのすげー重税について隠してはいないものの、国民の幸福度は高いからよいのだと誘導していた。みなさまのNHKとしては、日本の実質的な重税の一端である受信料も幸せならいいじゃないということなのかもしれない。ま、そのあたりは、選択の問題だというのはある。
 番組ではアメリカの状況についてはなぜか触れていなかった。アメリカの出生率はそれほど深刻な状態ではない、が、記憶によるのだが、問題を白人に限定すると日本や韓国と類似の状況であったはずだ。アメリカで出生率がある程度維持されているのはヒスパニックのセクターによる。そしてそのヒスパニックのセクターの増加は基本的には移民を受け入れる国策によるもので、この移民政策という点では、オーストラリアが現在非常に意識的に取り組んでいる。
 私の考えでは、大雑把過ぎるのだが、少子化なんて問題はどうしようもないのだから、移民を受け入れる制度や社会のほうを論じるべきだ、なのだが、あまりこうした議論は受けがよくない。
 米国もすでに、「文明の衝突」で物議を醸したハンチントンがまたまた物議の「分断されるアメリカ」で縷説しているように、アメリカのナショナル・アイデンティティーの理念型(白人であるという人種、イギリス系の民族性、民主主義の信条、プロテスタントの宗教・文化)から逸脱するヒスパニックの勢力が今後アメリカ国内の問題となりうる、のだろう。余談だが、まぬけと言われるブッシュだがあれはあれでスペイン語がなかなかさまになっているようだ。
 移民の話はなかなか日本人には違和感があるし、これはこれで別次元の話と言えばそうかもしれないので、さておくとしよう。で、他に、なんとなく私は二点違和感が残った。
 一つは国家の規模の問題だ。デンマーク王国の人口は538万人(参照)。都市東京にはるかに及ばない。日本の地方のレベルで言うと、四国の人口が360万人ほど。デンマークは四国の倍はない。つまり、その程度規模の国家の施策が日本に当てはまるものなのだろうか。もっともデンマークもEUの地方となるわけなので、そのあたりの国家と産業の規模の関係は、かなり複雑なのかもしれない。
 もう一つは、なんだかんだと言っても、このデンマークの施策は主婦撲滅政策だということ。それが悪いわけでもない。恐らく日本の先鋭的な官僚はそれを理念としているような気がする。私がなんとなく思うのは、と、これを言うと非難を浴びそうだが、日本女性の晩婚化は、小倉千加子「結婚の条件」で暗示するように、労働環境より、裕福な主婦となる願望が大きいのではないか。フェミニスト小倉あたりが、デンマークのようになれと日本の変化を求めていなさげなのも、そのあたりの現実を知っているからかもな、と思う。
 と、このあたりで、別の疑問に思いが移るのだが、日本の社会はそこまでして、つまり、主婦を撲滅して労働力に変換するほど、生産力を必要としているのだろうか?
 すでに日本の労働は第三次産業が主体だ。つまり、サービス業。しかも、労働時間という点では、ネット世界の実感だとすげー過労だとはいえ、日本の全体の表向きのところではすでに週休三日に近接している。労働状況の基本としては、この日本社会はそれほど労働力も必要としていないし、生産力も求められていない…のではないのか。
 デンマークではないが、類似の施策を取るオランダの場合、労働力は夫婦換算で「1・5モデル」と呼ばれている。片方が1でもう片方が0・5だ。フルに2としない分を家族維持に向けているという含みがある。日本の場合は、表向きは男が1ということだ。だが家庭単位では日本では成人した子供がパラサイト化しているので、1+0・2くらいかもしれない。もっともパラサイトの労働力は現状では家庭単位の労働力には換算されていないかもしれないのだが、が、今後、パラサイトが老人の介護にあたることになるので、老人の社会保障換算0・4+パラサイトのパート0・3くらいになるのだろう。
 雇用の形態からすれば、デンマークやオランダのモデルではいわゆる正社員概念も解体されるのは当然、男性もパートタイムとなりうる。随分先行的だなという思いと、いや顧みれば、日本でも実際、若い世代ではそうなっている事実はある。
 どうも要領を得ない話になってしまったが、日本の少子化というのは別に問題でもなんでもない、ただの日本社会の変質ということではないだろうかと思えてきた。
 女性にとって裕福な主婦になりたいという社会階層的なドライブ(欲望)をなくして、あるいは男性にとってビジネス欲(出世とか)をなくして、まったりと夫婦でパートをしながら子供を産んで育てることができる確信ができれば、あとは子供を持とうが持たなかろうかは、もはや国家が介在する問題ではない。その結果として、新しい日本という縮退する国家の相貌があっても、それはそういうこというだけなのだろう。

| | コメント (9) | トラックバック (2)

2004.09.26

某市場の動向によるとブッシュ好調

 私は今の米国の外交・軍事政策がいいのか率直に言うとよくわからない。ブッシュ再選を支持しているわけでもない。感覚的に言うと、また四年間ブッシュですか、はちょっと退屈かなとも思う。メディアの側から米国の世論動向を見ていると、現状ではブッシュやや有利という感じのようだ。米メディアの論調は基本的に民主党よりなのだが、ケリー陣営のアピールはなんとなく空回りしているようにも見える。日本政府はといえば、すでにブッシュ再選を織り込んで行動しているふうな印象も受ける。
 そういえばと思い出して、アイオワ電子市場(Iowa Electronic Markets)(参照)の米大統領選を覗いてみて、ちょっと驚いた。と、その前にアイオワ電子市場について簡単に説明しておくと、対象は政治だけと限らないのだが、大統領選挙といった世論動向を先物取引市場に見立てたものだ。投資額は一ドル単位といった低額なので、予想が合っていてもおよそ収益にもならない。このことからわかるように、教育的に遊ぶというのがその趣向だ。運営も非営利教育機関アイオワ州立大学である。日本でも大学改革が叫ばれているがこうしたセンスのある大学って見あたらない気がする。はてなのアンケート機能を拡張すればいいと思うのだが、日本だと法的な規制がありそうだ。
 で、アイオワ電子市場で驚いたのは、これ、政治市場の大統領選のチャート"2004 US Presidential Election Winner Takes All Market"(参照)だ。詳細な意味は私もよくわかっていないのだが、粗方の意味は一目瞭然といったところだろう。ブッシュとケリーの相場のチャートなのだが、九月に入ってブッシュがぐんぐんケリーを引き離している。七月八月は両者ちょぼちょぼといった感じなのと八月末はちょい上がりは共和党大会の影響かなくらいだが、そのちょい上がりを戻したあとは、ブッシュ独走といった印象を受ける。時期的にはれいのラザーゲート事件とかぶるので、主な出資者である学生たちの関心もそれに引っ張られたかなという印象は受ける。であれば、ブログの影響かとも買いかぶりたくなるが、そのあたりはそれほどはっきりしているわけでもない。
 大統領選の市場についての解説は概要などをふくめてこちら(参照)にある。同ページにはFAQ(解説的Q&A)もあるので関心のある人は、英語だが、読んでみるといいだろう。
 アイオワ電子市場はこれまでかなり高い勝率を示してきた。未来予想としてなかなか馬鹿にならない。しかし、それほど連勝というわけでもない。2002年の米国議会の中間選挙で予想を外してから、少し熱狂が薄れてきている印象はある。
 アイオワ電子市場に似たこの種の賭けのサイトは他にもある。そうしたサイトをネタに、イラク戦争開戦前のことだが、「ブッシュ政権が国連安全保障理事会でイラク武力行使を承認する修正決議案を通過させるだろうか」という予想について、ワイアード日本語版「イラク問題を賭けの対象にするサイト:はたして読みは当たるか?」(参照)にちょっと面白い記事がある。現時点で見直すと、こうした予想は、未来予想というより、多分に民衆の熱気というか、マクロ経済学でいう「期待」のように鵺的な存在をうまく表現しているようにも思える。
 話を今回の米大統領選に戻すと、アイオワ電子市場で見る限り、米国民はブッシュ続投ですかという期待が広まりつつあるようだ。私はブッシュを支持しているわけでもないしケリーを支持しているわけでもない普通の日本人だが、この状態がしばらく続くなら、懸念されたオクトーバーサプライズもないのではないかと少し安堵する。あるいは、オクトーバーサプライズはケリー陣形からかという懸念がないわけでもない。が、ラザーゲート事件(実はこの続報もあるのだが)のよい影響というべきか、ジャーナリズムが慎重になったことで、情報操作によるその可能性は減っているだろう。
 ぼんやり思うのだが、これからブッシュ人気が今後がらっと変わる転換のような事態としてはどんなことがあり得るだろうか。そう考えてみてよくわからない。ラザーゲート事件の陰に隠れたちょっと気になるニュース"The Story That Didn’t Run"(参照)などもあるにはある。ただ、罵倒とかはすでにやりすぎて無効になっている感はある。

【追記(2004.10.03)】
第一回公開ディベート後、ブッシュは急落し、ケリーが急上昇した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.25

鼻がスっとして健康によさそうだからワサビを食べるアメリカ人

 いやあきれた、などと言っては異文化理解などできないのだが、アメリカ人は、鼻がスっとして健康によさそうだからワサビを食べるらしい。20日付ロイターヘルス"Think Wasabi Clears Your Sinuses? Think Again(ワサビで鼻がスッとすると思っているなら、考えなおせ)"(参照)を読んで、ぶっと吹いてしまった。


Many people believe the sushi-seasoner wasabi clears their sinuses, but new research presented this week suggests that the spicy green paste may do the opposite.
【試訳】
寿司の調味料であるワサビは鼻の通りを良くすると思っている人が多い。だが、今週発表された最新の調査によると、このスパイシーな緑色のペーストはその反対の効果を持つようだ(つまり、鼻が鬱血する)。

 なんだ、それ。それってシャレか。鼻がスッとするからワサビを食う、なんてこと思っているやつなんかいねーぞ…、って、これはアメリカ人の話だな。
 それにしてもあきれたなと思ったら、その先がある。あれだ、健康のためなら死んでもいい系のノリだ。

While wasabi may not work as a decongestant, previous research has suggested that it is not without other health benefits. For instance, lab research shows that wasabi may inhibit the growth of cancer cells in test tubes, prevent platelets from forming blood clots, and may even fight asthma or cavities. And, appropriately for a condiment used to season raw fish, wasabi has antimicrobial properties.
【試訳】
ワサビが鼻の鬱血解消にならないとしても、健康に悪いわけではないと示唆する研究もある。実際に人間に適用した研究結果ではないが、ワサビにはガン細胞の成長を抑制する効果や、血液サラサラ効果もあるらしい。さらに、喘息や虫歯を抑えるはたらきもありそうだ。ワサビは生魚の調味料として適切に利用さえすれば、抗菌作用もあるだ。

 おいおい。間違ってないけど、すごい違うぞ、とか言いたい。これじゃ、そのうち、ワサビのサプリメントでもできてしまいそうだ。
 それもあながち冗談でもないかもしれない。すでにインド料理のスパイスからはサプリメントができているし、ワサビというのはブロッコリやキャベツなどと近縁な植物でもあり、ファイトケミカルズ(有用植物由来化学物質)が豊富だろうというのは理解しやすい。
 ちょっと悪のりがてらに、この調査のやりかたも説明しよう。笑えるんだよ。

During the current study, Cameron and his colleagues from Kaiser Permanente Medical Center in Oakland, California asked 22 people to dissolve a lentil-sized amount of wasabi on their tongues multiple times at one-minute intervals, and then report whether the spice affected their sinuses.
【試訳】
今回の研究では、キャメロン研究員とその同僚は、レンズ豆大のすりおろしたワサビを、1分間隔で交換しては、被験者22名の舌に乗せることで、鼻腔の状態を調べた。

 想像すると、なんか喜劇のようだ。
 アメリカ人のワサビ利用には困ったもんだなというのは、現代アメリカの食をリポートした「食べるアメリカ人」でも描かれている。

 また、アメリカには独自の寿司マナーがまかりとおっており、それを高級店のカウンターでやられた日には、それこそいたたまれなくなってしまう。割り箸を割ったらまずシャッシャッとこすり合わせる、小皿にしょう油をなみなみと注ぎいれ、ワサビ(アメリカではガリと一緒に必ず山盛りで添えられてくる)をドロドロに溶く。彼らはその「ワサビ・ソイ・ソース」とも言うべき代物に寿司をどっぷりつけて食べるのだ。

 うぁぁぁ、やめてくれぇぇ。絶叫しそうだ。
 著者加藤裕子も見かねて指導したようだが、結果は、奉行ならぬ、「ワサビ・ナチ」の称号を得てしまったそうだ。そこで、これじゃだめだということで、彼女は、なぜダメなのかを合理的に説得するようになったらしい。

 そんな彼らに対抗するには、理論武装でいくしかない。「それが日本の伝統」などといった曖昧な根拠ではダメなのである。

 とは言ったものの、それはそれでいいのかもしれない。
cover
食べるアメリカ人
 カレーだって日本料理だし、アメリカの寿司がアメリカ料理であってもおかしくはない。むしろ、日本の寿司やワサビのほうが怪しいくなっているかもしれない。市販されているチューブワサビの原料の大半はホースラディッシュなのだ。だから、あれ、鴨のローストとかローストビーフにも合う。
 日本の寿司も怪しくなりつつある。シャリの握りとネタのバランスがあれ?と思うことが多い。私だけがそう思っているのかと思ったら、友里征耶ご意見番も言っていた(参照)。

 かくして、私の経験ですが、最近の若い主人の鮨屋では、「疑問な握り」に出くわす結果が多くなるのです。小ぶりなシャリを、覆い隠すようにネタで巻き囲み、ネタ毎、箸や手で摘ませる、つまり直接箸や指がシャリに触れないようにして、シャリの崩れ、つまり握りの技術のなさを隠す手法が結構とられているのではないでしょうか。

 そう思うな。
 ま、しかし、私の場合、懐具合もあって、小洒落た寿司屋にはあまり行かない。こうしたこともマーケットのニーズで各様のままでいいのかもしれない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.09.24

在外米軍の売春利用規制

 ぼんやりsalonのAPニュースを見ていると、22日付だが"Troops may be tried for using prostitutes"という物々しい見出しが気になった。ふぬけた試訳だが「米軍は売春利用で裁判を受けることになるかもしれない」ということだ。なんかまたやらかしたかとも思ったが、"may be"ということは事件でもあるまいというわけで、記事を読んでみた。ようするに、今後米兵や従軍関係者の売春利用の規制が厳しくなるから、不埒者が裁かれるかもよ、ということだ。
 同記事はワシントンポストにも"Anti-Prostitution Rule Drafted for U.S. Forces"(参照)として掲載された。こちらは「米軍向けに売春防止の規制が起案された」とわかりやすい。記事自体のアクセスは、salonと同じ標題のABC"Troops May Be Tried for Using Prostitutes"(参照)が容易だろう。冒頭はちょっと抽象的に書かれている。


U.S. troops stationed overseas could face courts-martial for patronizing prostitutes under a new regulation drafted by the Pentagon.

The move is part of a Defense Department effort to lessen the possibility that troops will contribute to human trafficking in areas near their overseas bases by seeking the services of women forced into prostitution.


 海外に派兵されている米軍兵士が現地の売春に手を出さないように規制するというのだ。そんなの当然じゃないか、今まで不十分だったのがおかしいというのが一応常識でもあるだろう。ただ、内情を少し知っている人間にしてみると、ちょっと複雑な印象も受ける。私もそのクチなので、なんで今さらという感じがした。
 記事を読み進めるとさらに違和感は深まる。

In recent years, "women and girls are being forced into prostitution for a clientele consisting largely of military services members, government contractors and international peacekeepers" in such places as South Korea and the Balkans, Rep. Christopher H. Smith (R-N.J.) said yesterday at a Capitol Hill forum on Pentagon anti-trafficking efforts.

 規制の対象者なのだが、米兵以外に軍関係者や和平監視部隊も含まれている。たしかにそこまで規制しないとザル法になる。気になるのは、"in such places as South Korea and the Balkans"、つまり、韓国とバルカン半島諸国と例が挙げられている点だ。バルカン半島諸国といえば、旧ユーゴが含まれていることからもわかるように戦地だったので想像しやすい。問題は、なぜまたここで韓国に言及されているのかということだ。記事はさらに韓国に注目して書かれている。

All new arrivals to duty in South Korea are instructed against prostitution and human trafficking, and the military is working with South Korean law enforcement agencies, he said.

 これでは、韓国で米軍相手に売春が頻繁に行われているようではないか。と、ここで失笑しない欲しい。私は本当に知らなかったのだ。それどころか、朝鮮ネタは、日本の隣国なのでどうしても話題は多くなるのだが、もう書くのはうんざりというのが正直なところだ。無意味な誤解を膨らましたくもない。
 と言いつつ、なぜ韓国?と思い、Koreaとprostitution(売春)でちょいと検索しただけでわかった。韓国では昨日から性売買特別法が施行されたのだ。先のAPニュースはこれとの関連があるのだろう。
 できるだけ邦文のほうがわかりやすいので、そうした記事として朝鮮日報「在韓米軍、基地周辺の性売買根絶へ」(参照)を引用する。

性売買女性の人権保護と性売買強要に対する処罰などを強化した性売買特別法が今月23日施行されることから、在韓米軍も基地周辺の性売買根絶に乗り出したと、星条旗新聞が21日報じた。

 米軍と韓国での売春については不要な誤解を招きかねないのでこれ以上は言及しない。
 米軍関連とは別にこの性売買特別法についてだが、かなり大規模で徹底したものになりそうだ。私の率直な印象を言えば、規制が成功すればいいだろうとは思う。
 私は、気取るわけではないが、売春には関心がない。あるとすれば、それが意外なほど経済効果を持つという点だ。そんなわけで、韓国の売春と経済の関連を少し調べたところ、中央日報「買春売春市場の規模、年間26兆ウォン」(参照)という記事があった。昨年の2月の記事なので最新ではないが、規制法以前の実態としてはそれほど違いはないだろう。

 政府が行った調査のまとめによると、韓国の買春売春産業は年間26兆ウォン(約2兆6000億円)台の規模であり、買春売買産業の専業女性がおよそ26万人にのぼる。 今回の調査は、政府が行った初の買春売春産業調査報告であり、民間団体まで含ませたケースとしても全国規模で行われた初の実態調査となる。
 26兆ウォンにのぼる買春売買産業の規模は、2001年の国内総生産(GDP)545兆ウォン(約55兆円)に比べるとき、その5%にあたる。また、専業女性数およそ26万人は、満20歳から34歳までの女性(2002年、統計庁)人口の4%にのぼる。

 ちょっと信じられない統計だなというが率直な印象だ。
 いつもながら他山の石として日本を考えるに、買春売買産業の専業女性は恐らく少ないのだろうとは思う。だが、日本はこうした問題からフリーかというと、現代日本の生活者の実感としてそうでもないようにも思う。あるいは、日本の場合、不倫がバランスしているのかもしれない。
 いずれにせよ、米軍と売春の関係については、日本の場合、過去のことしてしまうか、あるいは現在のそうした側面は十分に隠蔽できるだけの経済面での余力はあるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.23

ケリー陣営支援のために韓国は米国でスパイ活動をしていた

 問題がタッチーなので、エキサイトのブログニュースの一覧ですぐ釣れるような標題はできるだけ避けようとも思うが、一応事実を示す標題にはしておく。韓国政府はケリー陣営支援のために米国でスパイ活動をしていたようだ。
 それ自体の問題もだが、こうした情報がこの時期にリークされることも同等に重要な問題でもある。
 ニュースはAP系なのでブログなどの噂ではない。ざっと見た限り、私が議論の水準の目安とするニューヨークタイムズやワシントンポストでの言及はない。が、ロサンゼルスタイムズや昔から好きなサンノゼ・マーキュリーニューズ(参照)、さらにABC(参照)やNBC(参照)のニュースなどでも報道されている。英国ガーディアンではAPを引いていた。こうしたニュースのシェア状態から見て重要なニュースと言ってもいいだろう。
 真相については、APニュース以上のことはわかっていない。
 韓国側の報道は、日本語と英語で読めるものについては、朝鮮日報の英文版を除いてないようだし(参照)、この報道もAPニュースに言及し驚きの含みを持たせているという印象を出ない。韓国内での情報は今のところないようだ。
 21日付のニュースだが、ざっと見た限り、その後日本国内では報道されていない。朝鮮ワッチャーたちがどう考えているのか知りたいところだが、私は率直に言ってそこまで継続的に朝鮮問題に注視しているわけでもない。たぶん、朝鮮ワッチャーにしてみると、そんなことは旧知のこととなるかもしれない。
 私はこのニュースをsalon.comで知ったのだが、すでに述べたようにsalonの執筆ではなくAPを引いただけで、しかもsalon側での言及はない。salonは民主党寄りだが、ジャーナリズムの基本は外していない。当のAPニュース"AP: Kerry Fund-Raisers, S. Korean Spy Met"(参照)はガーディアが見やすいだろう。


AP: Kerry Fund-Raisers, S. Korean Spy Met
Tuesday September 21, 2004 7:46 PM
AP Photo NYLL106
By JOHN SOLOMON and SHARON THEIMER
Associated Press Writers
WASHINGTON (AP) - A South Korean embassy official who met with John Kerry fund-raisers to talk about creating a political group for Korean-Americans was in fact a spy for his country, raising concerns among U.S. officials that he or Seoul may have tried to influence the fall presidential election.
【試訳】
韓国・朝鮮系米人の政治団体を創立すべく、ケリー候補の選挙資金関係者と会合していた韓国大使館員の正体は自国韓国のスパイであり、その目的は、ソウルの意向として大統領選に一定の影響力を与えようと、米国政府当局内で関心を高めることだった。

 率直に言うと、私のニュースを最初に読んだとき、これを韓国の陰謀というより、ありがちなロビー活動ではないかと思った。また、当然、これはケリー陣営へのネガティブキャンペーンの一環だろうとも思った。私自身はその最初の印象をその後打ち消しているものでもない。
 この問題は、スパイ(Chung)が帰国しており、さらに真相が解明されるふうでもない。

The FBI has not begun a formal counterintelligence investigation because Chung left the United States in May, the officials said.

 また、韓国政府側としてもスパイ活動をしたことを認めてはいない。が、それはスパイ活動にとって当たり前のことなのでどうという意味もないだろう。
 APニュースは背景について次のように推測しているが、おそらくその推測は現状から見て妥当なものだろう。

South Korea has been frustrated over the deadlock in talks on North Korea's nuclear activities, while at the same facing the Bush administration's planned withdrawal of thousands of U.S. troops from the tense region. One expert said Chung's actions were consistent with Seoul's concerns with the Bush administration even if he didn't get a direct order.

 つまり、APでは、韓国は北朝鮮との核を巡る六カ国会議の行き詰まりや、在韓米軍の縮小に苛立っていることを背景として見ている。また、米側の担当者の見解として、ブッシュがこの問題に絡んでいるのではないとしても、韓国側はブッシュ政権に強い関心を寄せていることを示唆している。
 また、アメリカン・エンタプライズ研究所員ニコラス・イーバスタッド(Nicholas Eberstadt, a researcher at the American Enterprise Institute)の次の見解を掲載している。

"But, nonetheless, this sort of intervention certainly provides a faithful reflection of the general attitude of Roh Moo-hyun's administration toward the presidential race," Eberstadt said. "There's an awful lot of people in this (South Korean) government who can't stand the Bush administration and would love to see Bush lose."

 彼は、このスパイ活動は盧武鉉政権の外交を反映していると見ている。また、盧武鉉政権内にブッシュ政権を忌避し、その継続を好まない勢力があるとしている。
 私は、そうした見解があることについては、それほど驚くべきことでもないとも思う。が同時に、一国の外交がまさかそこまで画策するのだろうとは信じがたい。
 少しこの当の問題から離れたい。誤解されたくないのだが、こうしたニュースを極東ブログに書くことで、韓国を非難したり、また、ケリー陣営を貶めたいとはまるで思わない。なにより、私にはこのニュースは奇怪であり、極東情勢を知るうえでの重要性を感じることだ。そして、それが日本国内で報道されていなさそうなのも気になる。
 話は一般論的になるのだが、このニュースを聞いて、奇妙な違和感を持つのは、韓国・朝鮮系米人の国家忠誠のあり方の問題だ。この問題はさらに広義にイスラエルと在米ユダヤ人との関係でもあるのかもしれない。私の基本的な認識は、どの系統の背景をもっても所属するその現在の国家に忠誠を持つのが当然だということだ。日系二世が日本と戦ったことは日本民族の文化と倫理の誇りであると私は思う。
 韓国でもそうなのだろうと思う。が、朝鮮日報「『移民しても祖国は守る』志願入隊した海外同胞たち」(参照)は両義的なものを感じる。

 最近、プロ野球選手と芸能人の兵役逃れが巷の怒りを買っている中、幼い頃、外国に移民した海外同胞の若者が志願入隊して軍に服務していることが分かり、注目を浴びている。

 移民していても父祖の国に戻り再帰化すればその国に忠誠を誓うのは当然だ。だが、この記事のトーンは移民者にも父祖国への忠誠を説くような印象を受ける。
 この問題は難しい。だからといって見ないことにするというわけにもいかないと思う。

【追記同日】
23日付で、産経新聞「韓国 盧政権が米大統領選、干渉? ケリー陣営に要因 会談バレ、帰国」(参照)に該当ニュースがあった。

| | コメント (20) | トラックバック (0)

2004.09.22

インドネシア大統領選の隠れた主役は国軍

 長期にわたったインドネシア大統領選挙だが、退役軍人のユドヨノ前調整相が、メガワティ現職を破って当確となった。今朝の主要紙社説では読売新聞「政権交代を政情安定の契機に」(参照)、日本経済新聞「民主化進展示すインドネシア大統領選」(参照)がそれぞれ特に論点もなく扱っていた。米国大統領選とは異なりそれほど日本国内では注目された選挙でもないのだろう。私自身も深く関心を持っていたわけではない。ただ、こうした日本のある種、インドネシアへの無関心はインドネシアに対する無知もあるのかもしれない。例えば「インドネシアの人口をご存じですか?」「インドネシアの宗教の人口比をご存じですか?」と問われてすっと答えられるだろうか。日経社説はそのあたりに配慮した跡が見られる。


同国は1万3000余の島々に約2億2000万人が住む世界最大のイスラム国家であり、今回は直接選挙による初めての大統領選であった。スハルト体制下の強権政治が終わりを告げてから6年、インドネシアの民主化が大きな成果をあげたと高く評価したい。

 インドネシアは人口比で見ると日本の倍ある。アメリカに匹敵する大きな国でもあり、人口では世界第四位。宗教的にはイスラム国家だが、キリスト教徒が約一割いる。ヒンズー教徒が2%弱だがこれは主に日本でも人気の高いバリ島を指しているかと思われる。だが、バリ島のヒンズー教はインドのそれとはかなり異なるので一概にヒンズー教としていいのかわからない。また印僑の人口も含まれているのかもしれない。と、外務省の資料(参照)で記憶を確かめてみて華僑が見えないことに気が付く。この問題は今日は扱わない。
 インドネシアがイスラム教国であり、昨今イスラム原理主義と見られるテロも起きているので、アラブ・イスラムと同じように誤解されるむきもあるかもしれないが、実際はかなり違う。それでも世界で最大のイスラム教国はインドネシアなのであり、日本人のイスラム教のイメージには偏向があるようにも思われる。
 今回の選挙では、会員四千万人を擁するインドネシア最大のイスラム団体ナフダトゥール・ウラマの法学者が「女性候補への投票はイスラムの教えに反するので禁止行為とする」と定めたファトワ(イスラム法見解)を出したが、さして効果があったふうもない。むしろ、ナフダトゥール・ウラマに関わる政治的な動向のほうが宗教に優先したようだ。
 またクローズアップ現代「高まるイスラム主義」(参照)でもイスラム主義として、プサントレン(イスラム寄宿学校)のキアイ(イスラム導師)の動向に焦点を当てていたが、これも大筋では失当でもあった。

 今月5日に史上初の直接選挙が行われたインドネシアの大統領選挙。その行方を左右するキーワードとして注目を集めたのが「イスラム教」。直前にメッカへの巡礼を行って敬虔なイスラム教徒としてのイメージを強調したり、副大統領候補に有力イスラム団体の幹部を抜擢し組織票を取り込もうと各候補がしのぎを削ったのである。
 背景にはこれまで穏健とされてきたインドネシアのイスラム教徒が中東情勢の影響を受け、自分達の声を政治に反映させようとしている事実がある。国民の期待を一身に担って登場したメガワティ大統領が結局暮らしを豊かにしてくれなかった失望が、より政治的なイスラムへの支持へとつながっていったのだ。
 これまでインドネシアにはなかったイスラム原理主義的な綱領を掲げる政党も登場、反米デモを繰り広げるなど急速に支持を集め始めている。変わり始めたインドネシアのイスラムの姿を、大統領選をとおして描く。

 番組は面白かったがインドネシア状勢を見る上ではずっこけていた。
 イスラム原理主義には、日本や欧米が着目するワハブ派的なもの以外に、トルコに顕著なのだが素朴な下層民の互助会的なものがある。インドネシアの構造は後に触れる軍政ともあいまって基本的に類似の構造があるのだろう。むしろ、日本はこうした素朴なイスラム教に欧米風の民主主義の接点・妥協点を見いだす先行例になればいいと思うのだが、あまりそういう見解を見かけない。ちょっとフライングだが、イラクやイランなども大衆の実態はかなりセキュラー(secular)なものなので、そうした面こそ注目すべきかもしれない。その意味で、インドネシアの動向は日本に近く経済的にも関係が深い点でより関与を深めるべきなのだろう。
 インドネシア大統領選について、欧米紙の反応の一例としては、ワシントンポスト"President Heads For Defeat in Indonesia Vote"(参照)がある。彼ららしく民主化に主眼を置くのだがあまり論点は見あたらないように思う。ユドヨノについてこう書いている点は興味深い。

Susilo Bambang Yudhoyono, 55, a retired army general with U.S. military training who portrays himself as a cautious reformer, was on track to capture about 61 percent of the vote, according to the projection.

 つまり、ユドヨノは米軍の訓練を受けていたよということで、この人は親米だろうという臭いを出している。
 ユドヨノの主要な経歴は99年に軍を退役後ワヒド政権の閣僚となり国政に関わったことだが、国際的によく非難されるインドネシア国軍の残虐的な行為には関与していない。別の言い方をすれば、国軍の権力中枢からは離れていた。その分、国民からは清廉な元軍人とも映るし、旧勢力からは危険な分子とも見られうる。
 新聞社説など日本の報道に顕著だが、今回のインドネシア大統領選について、経済と治安が焦点だったとする見解が多い。日経社説ではこうである。

 今回の大統領選挙で争点になったのは失業の増加をはじめとする経済問題とテロ対策など治安問題だった。今回の選挙結果はこうした問題に手をこまぬいてきたメガワティ大統領への批判の強さを示している。特に投票を前にして起きたオーストラリア大使館前爆破テロは、人々の不安をかき立て、同大統領の「無策」を浮き彫りにする結果となった。

 確かにそうだとも言える。インドネシア大衆の意識もそうだったのだろ。だが、おそらく最大の問題はインドネシア国軍だ。
 インドネシアの国軍というと、つい脊髄反射的に非民主化的な批判を投げかけたくなるが、私はその側面はあまり関心がない(このあたり、極東ブログのスタンスが誤解されているようだが)。むしろ、国軍が事実上の第二の国家基盤になっている点が重要だ(これはインドネシア国民には当たり前過ぎるのだろう)。
 国軍は今回の大統領選挙では驚くほど中立を守った。対外的に見る限り、国政に不干渉という印象すら与える。国軍としてはどの候補が大統領になろうがあまり関係ないと考えていたのか、本気でその分を守ろうとしていたのかわからない。後者である可能性も低くくないのは急速に進む国軍の改革でもわかる。悪名高き国会の国軍任命議席も廃止された。警察組織も分離してきている。
 だが、反面、国軍は地域ごとの軍管区を強化し、その主要ポストに軍人を配備し、さらに、このネットワークを使い、独自の収益を上げるビジネスを展開している。これが事実上、いわゆる国政側からアンタッチャブルな領域となってきている。酷い言い方をすれば、インドネシアの本体には、現状の政府が転覆してもまるで問題ないメート系のように国軍が存在している。この構造はなにもインドネシアに限ったことではないのだが、今日はそこまでは触れない。
 欧米的な考えからすればとんでもない軍政だということになるだろう。日本では反米テロのからみでチョムスキーの言及が重宝されるが、彼は私の見る限り、インドネシアの問題に同等のエネルギーを裂き、その問題に対する日本人知識人の怠慢に呆れている。
 話が存外に長くなってしまったが、今回のインドネシア大統領選はインドネシアの民主化にとって重要な一歩となるだろうし、端的に言えば、より親米的な政権となるだろうと予想される。しかし、国軍という第二のインドネシア国体の構造はより近代化を進めつつも強化される。
 それが良いことなのか悪いことなのか。私は端的にわからない。おい、オメーさんは単純な民主主義推進派じゃないのか?と問われれば、それは誤解なんですけどねとしか言えない。しかし、誤解は誤解で、多事争論の良い面でもある。少なくとも、日本人はもっとインドネシアに目を向けなくてはいけないのだから。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.09.21

米国ブログが既存ジャーナリズムを叩き潰した

 おまえはなぜ極東ブログを書く?と自問。答えは、ブログがジャーナリズムを越えていくようすをいち早く見たいからだ。もうちょっと恥ずかしく書くと、米国のブロガーに負けてられねーよ、あいつらに負けたくねーよ、と。劣等感? そうかもなである。そして今、やつら(米国ブロガーズ)はやってくれたよ。既存ジャーナリズムをついにぶっ飛ばした。どこかでブログが既存ジャーナリズムを越えていく分水嶺(Watershed)を見せてくれる日が来るかと思ったが、いよいよかもしえない。ロイター"Is 'Rathergate' a Watershed Moment for U.S. Media?"(参照)を読んで嬉しいやらくそぉと思うやらである。標題を試訳すると「ラザーゲート疑惑の解決が米国メディアの流れを大きく変える分水嶺となるか」だ。


Internet bloggers have drawn blood and American journalism may never be the same.
【試訳】
インターネット・ブロガーは本気怒った。そして、アメリカのジャーナリズムはもう以前のままではいられない。

 ブロガーたちの怒りが、アメリカのジャーナリズムをもう引き戻すことができないほど、変容させたというのだ。きっかけはフジテレビではない。ラザーゲート疑惑だ。
 ラザーゲート疑惑については日本ではあまり報道されなかったようなので、簡単に予備知識をまとめておく。
 米国時間の9月9日CBSテレビの報道番組「60ミニッツ2」(れいのアブグレイブ収容所の拷問映像写真を流した番組だ)が、ブッシュ大統領の兵役に疑問を投げかけた。番組では、ブッシュ大統領はベトナム戦争徴兵を逃れるために、父親の縁故でテキサス州空軍に入隊し、さらに州兵としての兵役義務も十分に果たしていなかったのではないかとの軍歴疑惑を報道した。その際、疑惑を立証する新資料と称するメモが提示された。メモの内容は、ブッシュが州兵時代だったときの上官キリアン中佐によるものとされ、ブッシュの訓練や健康診断を免除したり、評価に手心を加えるよう上層部から圧力がかかったことを記していた。
 が、このメモがどうも胡散臭いシロモノで、ブロガーたちは即座にこの検証に取りかかり、偽物であることを証明した。
 CBS報道番組「60ミニッツ2」は、著名なダン・ラザー(72)を看板キャスターとしているのだが、今回の事件はラザーの報道姿勢への疑問も深まり、辞任問題まで巻き込んで大騒動に発展していた。ちなみに、日本でお年寄りという点でも類似の看板キャスターといったら、あ、言うまでもないですね。
 文書偽造という点からのこの話については、WIRED日本語版「ハイテクで文書偽造が容易に――『ブッシュ文書』で話題」(参照)が詳しい。

最近公開されたジョージ・W・ブッシュ米大統領に関する32年前の米州軍の覚書が、専門家がにらんでいるように『Microsoft Word』(マイクロソフト・ワード)を使って書かれたものだとすれば、それは近年の偽造の歴史上、とりわけ低いレベルの文書として際立っているということになる。複数の文書鑑定家は今週、『タイムズ・ニュー・ローマン』のフォントから上付き文字まで、時代に合っていないと思われる証拠を次々と指摘しはじめた。

 とくに、この上付文字が怪しいことから、Rathergateとも皮肉られた。

 いくつか疑問点があるなか、懐疑派はまず、この文書に上付き文字が使用されている点を指摘した。たとえば、「111th Fighter Interceptor Squadron」(第111要撃戦闘機部隊)のように、thが上付きになっている部分が2ヵ所ある。Wordのような最近のパソコン用ソフトウェアでは自動的にこのように表記するよう書式を設定できるが、伝えられるところでは、30年以上前のごく普通のタイプライターではこういう処理はできなかったという。もう1つの怪しい点は、使用されているフォントがタイムズ・ニュー・ローマン(あるいは『タイムズ・ローマン』――この2つのフォントをめぐる複雑な歴史を知っているかどうかで呼び方が異なる――になっていることと、プロポーショナル・スペーシングが行なわれていることだ(それぞれの文字の大きさによって印字幅が変わる方式で、iよりwの方が印字幅が広くなる)。
 一部のアマチュアとプロの文書鑑定家によると、フォントもプロポーショナル・スペーシングも、司令官がこの覚書を書いたとされる時代には一般に利用されていなかったものだという。

 結果はCBSダン・ラザー側の負け。余談だが、れいの人質事件のときのCD-ROMについてエンコーディングの状態がわかれば2ちゃんがもっと徹底的に解析してくれたのになともふと思った。その意味で、現状、こうした対向ジャーナリズムは日本では2ちゃんが担っている面が大きい。で、日本の場合ブロガーではなく2ちゃんがこうした役割をもつように成長するかなのだが、端的に言って、よくわからん。個人的には、私なんぞは、2ちゃんに書く気力はない。というか、掲示板だと「んだ、んだ、そーだべ」という合意になるが、今ひとつ深い切り込みができないように思う。と、2ちゃん批判じゃなーねーのでウンコ書かないでね。
 話をロイターに戻そう。

Schell and former New Republic editor Andrew Sullivan, among others, say there is a media revolution under way.

Writing in this week's Time magazine, Sullivan said, "The Web has done one revolutionary thing to journalism. It has made the price of entry into the media market minimal. In days gone by, you needed a small fortune to start up a simple magazine or newspaper. Now you need a laptop and a modem."
【試訳】
シェルとニューパブリック誌の前編集者アンドルー・サリバンなどは、こうした事態に対して、現在メディア革命が進行中だと言っている。

今週のタイム誌に寄稿したサリバンは、「ウェッブはジャーナリズムに革命をもたらした。メディアの市場において、記事も最安値となり、小雑誌や新聞を立ち上げるにごく少額の資金で済むようになった。市民が必要とするのはノートパソコンとネットの環境だけとなった」と言う。


 意訳なので、米国ではまだモデムが主流なんだよというのは省略した。

Steven Miller, who teaches broadcast journalism at New Jersey's Rutgers University, said CBS fell victim to the economics and cut throat competition in television news.
【試訳】
ニュージャージー州ラトガー大学で放送ジャーナリズムを教えているスティーブン・ミラーは、CBSはこうしたネットの経済効果のテレビニュース生存競争の犠牲となったと言う。

 ロイターとしては、ネットやジャーナリズムの経済性を基底に見ている。また、記事ではこの先、そうでもないかもぉ的な話も載せている。
 私としては、ジャーナリズム対ブログと見たいせいもあり、ちょっとフライングして書いたが、ある種の報道はブログが既存ジャーナリズムを凌駕していくことは間違いない。問題は、むしろブログの限界はなんだろうということになるようにも思える。むしろ、そのあたりが、今後の先行した課題だろう。ちょっと飛躍した言い方だが、2ちゃんねるにもけっこう欧米ニュースを読み砕く猛者がいるが、それがまだ十分に文殊の知恵に噛み合っていないようだ。日本の場合、ブログと2ちゃん的な世界がどう連携するかも今後の課題だろう。
 あと、少し言いづらいのだが、今回のラザー叩きは、ネットの世界の右傾化にも多少関係しているようにも思う。それと、右傾化とも違うのだが、ある種全体的なフレームワークというより徹底的なディテールの追及の意志がネットに感じられる。日本ではムーアの「華氏911」がさも陰謀暴きのような印象で受け止めれているようだが、米ブロガーではこれはディテールで粗悪なシロモノという評価がすでに定まっているようだ。
 ブッシュの軍歴疑惑と大統領選という文脈で、今回のCBS沈没を見るとどうなるか。
 私の印象としては、依然、ブッシュには軍歴疑惑が付きまとっているように思える。しかし、その事実性は、今回のCBS沈没のように、どうメディアやブログが受け止めるかに依存している印象を受ける。事実と報道がブログなどネットを介することで奇妙な様相になったきたようだ。なお、ブッシュの軍歴問題という点では、むなぐるま「ブッシュ大統領の軍歴疑惑(1)簡単にまとめ」(参照)がわかりやすい。
 大統領選の文脈では、テレグラフ"Blow to Kerry as CBS apologises for report on president's war record"(参照)がわかりやすい。標題を意訳すると「ブッシュ大統領へのCBSテレビの謝罪はケリー候補へのボディブローになる」といった感じか。

For supporters of Mr Bush's re-election campaign it was a glorious double triumph. Rather, 72, is a hate figure for many on the Right, where he is seen as personifying an elitist liberal bias in America's old establishment media. Also, the scandal over the CBS report has all but destroyed any chance of the Democrats exploiting the difference between Mr Bush's record on the home front and the medal-winning heroics in Vietnam of the Democratic candidate, Senator John Kerry.
【試訳】
ブッシュ陣営の再選キャンペーンにとっては、今回の事態は二重の勝利となった。右派にとっては、ラザー(72)は、嫌悪の対象であり、アメリカの保守メディアに偏見を持っていると見られている。また、このCBSの失態によって、民主党陣営は、ブッシュ軍歴疑惑と戦時勲章を持つケリー候補の差異を強調することができなくなった。

 今回の疑惑がケリー側の仕掛けだとするような話が出てくれば、民主党沈没というオクトーバーサプライズになるかもしれないが、それはないだろう。これでケリーの目は消えたかというと、これからの大統領論戦にかかっている。お楽しみは続く。引っ捕まえておいたビンラーディンが出すはまだ先のことである(これはウソ)。

| | コメント (11) | トラックバック (10)

2004.09.20

イラク戦争はするべきではなかった、と、それで?

 当初Salon.comのAPニュース"Report: Blair warned of Iraq chaos in '02"(参照)で読んだのだが、英国ブレア首相はイラク戦争の開戦前に、その戦後の混乱を懸念していたようだ。


The government was accused Saturday of misleading the British public over plans for postwar Iraq after a newspaper reported that Prime Minister Tony Blair was warned a year before the invasion that postwar stability would be difficult.

 AP系以外にワシントンポスト"Paper: Blair Was Warned About Chaos in Iraq"(参照)も同じ話がある。
 元になったのはテレグラフ紙の"'Failure is not an option, but it doesn't mean they will avoid it'"(参照)だが、二次情報とは違い、なかなか含蓄が深い。

The Prime Minister knew the US President was determined to complete what one senior British official had already described as the unfinished business from his father's war against Saddam Hussein.

There was no way of stopping the Americans invading Iraq and they would expect Britain, their most loyal ally, to join them. If they didn't, the transatlantic relationship would be in tatters. But there were serious problems.


 ブレアとしてはイラク戦争後の統治の混乱を知りながら、それでも結局追米してイラク戦争に踏み出すことになった。それが以外の選択がなかったのか、あるいはブレアになにか他にできることはなかったのか。今の時点で考えればいろいろあるのかもしれない。しかし、歴史というのは、彼のような強い決断で動くものであり、動いた歴史というのは戻らないものだ。
 現状、ブレア首相は家庭的な理由や財務相との確執も噂されて、辞任するかもしれないという状況になってきた。これまで難局を間一髪で越えたブレアである。どうなるのか私には想像もつかない。が、ブレアはすごいヤツだと私は思う。ジョンブルっていうのは強いものだとも思う。
 彼の心中もよくわからない。米国は彼に名誉勲章を与えたいようだが、彼は固持している(参照)。政治の思惑もあるのだろうが、彼の栄誉は、もしそれがあるのなら、歴史が与えるものだろう。
 現在(19日)。ブレアは、来英したイラク暫定政権のアラウィ首相とロンドンで会談し、来年1月に予定されている総選挙へむけて期待を述べている。「イラク首相『選挙実施はテロに打撃』・1月実施言明」(参照)より。

会談後の記者会見でアラウィ首相は来年1月に総選挙を予定通り実施すると言明したうえで、「民主選挙が行われれば、テロリストにとって大きな打撃になる」と強調した。ブレア首相も「イラク、アフガニスタンで民主政権が樹立されることが重要」と同調した。

 国連はこの選挙の予定通りの実施に否定的だ。しかし、アフガニスタンの総選挙がうまくいけば、イラクの民主化にも弾みがつくのではないかと私は思う。そう、アフガニスタンにしてもイラクにしてもこれから、しだいに混乱は収拾して新しい民主国家になっていくのではないかと私はぼんやりと思う。それはあまりに楽観的に過ぎるかもしれないのだが。
 先日(15日)アナン国連事務総長はBBCのインタビューでイラク戦争は違法だったと述べた。よく言うよとも思う。パウエル米国務長官は、「この時点での発言としては、あまり有効とは言えない」「(この発言が)誰に利益をもたらすだろうか。我々はイラクの人々を助けるという考えの下に集うべきで、このような周辺的な問題に煩わされるべきではない」と反論した(参照)。まったくその通りだ。
 イラク状勢についてニュース報道を見ていると、日々死者の数が報告され、より混迷を深めているように見える。米兵の死者も千人を超えた。イラク人の死者は三万人くらいだろうか。酷い状態だとも言えるし、過去の戦争と比べるなら別の見解もあるかもしれない。
 朝日新聞のイラク状勢についてのサイトには米兵の死者数のグラフがある(参照)。これを見ると、主権委譲の前後に米兵の死者が多いことがわかる。米国内で主権委譲後にイラクは内乱になる可能性も見ていたのはわからないでもない。その後の経緯を見ると、報道の印象とは別に米兵の死者数の推移には突出した変化はなさそうだ。
 イラク状勢でなにかが変わっているのかもしれないという思いでいるとき、テレグラフ紙"All the good things they never tell you about today's Iraq"(参照)という皮肉の効いたコラムを読んだ。標題曰く、「現在のイラク状勢について彼らが語らない良い話」である。まず、国連を軽くいなしている。

As for Iraq, the UN system designed to constrain Saddam was instead enriching him, through the Oil-for-Food programme, and enabling him to subsidise terrorism. Given that the Oil-for-Fraud programme was run directly out of Kofi Annan's office, the Secretary-General ought to have the decency to recognise that he had his chance with Iraq, he blew it, and a period of silence from him would now be welcome.

 国連の手は汚れていたのは間違いない。

In Sudan, the civilised world is (so far) doing everything to conform with the UN charter, which means waiting till everyone's been killed and then issuing a strong statement expressing grave concern.

 スーダンについてこのブラックジョークが実現しては困る。つまり、国連憲章に則るということは…、全員が殺害された後、強い遺憾の意を表して終わり…、そうなっては本当に困る。
 本題はイラク状勢だ。

There is a problem in the Sunni Triangle and in certain Baghdad suburbs. If you look at the figures for August, over half the 71 US fatalities that month died in one province - al-Anbar, which covers much of the Sunni Triangle.

Most of the remainder were killed dispatching young Sadr's goons in Najaf or in operations against other Sunni Triangulators in Samarra, with a couple of isolated incidents in Mosul and Kirkuk. In 11 of Iraq's 18 provinces, not a single US soldier died.


 なるほど、ひどい状況もある。が、それはスンニ・トライアングルやナジャフに局限されていて、イラク全土の半数の州では米兵の死者はない。つまり、深刻な戦闘はもうないといえそうだ。

That's the way it is in Iraq. In two-thirds of the country, municipal government has been rebuilt, business is good, restaurants are open, life is as jolly as it has been in living memory. This summer the Shia province of Dhi Qar, south-east of Baghdad, held the first free elections in its history, electing secular independents and non-religious parties to its town councils.

 イラク国土の三分の二で地方選自治が回復しつつある。ビジネスも順調、レストランだって開いている。イラクにはそういう現実もある。
 戦争というのはそういう面がある。そのことは戦後の日本も知っている。
 イラク戦争は間違った戦争だったのかもしれない。でも、世界がするべきことは、パウエルが言うように、イラクが民主化の道を辿ることを支援するという以外にはない。

| | コメント (47) | トラックバック (0)

2004.09.19

[書評]日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン/山本七平) Part 1

 いまさら話題にするような本でもないと思うが、先日書店を見ていたら、「日本人とユダヤ人 角川oneテーマ21」(山本七平)というのがあって驚いた。「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条」の売れに気をよくしての企画なのだろうが、驚いたのは、著者名だ。山本七平となっていたことだ。まさかと思ってコピーライト表記を探したのだが見あたらなかった。いずれ世間的には、この本の著者は山本七平ということできまりなのだから、それでもいいのだろうし、山本七平著作についておそらく全権を持つれい子夫人もかねてよりこの主張をしていたから、そうした承認も取れているに違いない。私はというと、ミンシャ・ホーレンスキー氏かジョン・ジョセフ・ローラー氏が亡くなったのかとも思った。この話は後で触れる。

cover
日本人とユダヤ人
 「日本人とユダヤ人」はある一定以上の年代の人なら誰でも読んでいるだろう。私もなんどもなんども読み返し、先日もふと読み返したが、概ね今さら感がある。面白く読みやすい本だが今の若い人は読まないのではないか。あるいは、重要な点を読み落としてしまうのではないかとも思った。この話もあとで触れたい。
 イザヤ・ベンダサンは、これに続く著作「日本教について」で、当時の左派ライターのヒーローとも言える本多勝一の「中国の旅」が再提起した「百人切り」問題を木っ端みじんに論駁した…と私などは思った、が、左派はまったく逆の印象をもっていた。また、彼らはイザヤ・ベンダサンは山本七平であり、こいつは軍国主義者の右派だ、と決めつけて、執拗に攻撃をした。ほぉ、ここまでやるかと私は感心した。私が山本七平のファンであり「日本人とユダヤ人」を繰り返し読んでいることに対して、「あれは偽物、ウソだよ」ということで、「にせユダヤ人と日本人」(浅見定雄)を勧める人が何人かいた。ので、これも読んだ。「とんでも本」とまでは言わないし、ユダヤ教の知識はそれなりにあるのだろうと思う。だが、イザヤ・ベンダサンはラビでもなければユダヤ教研究者でもない。むしろ、マービン・トケイヤーなど、ユダヤ人は「日本人とユダヤ人」を日本人の手が入っているとは理解しつつ、ここに正確にユダヤ的な感性が含まれていることを理解しているようだ。私もフィリップ・ロスの初期短編集を読みながら、この感性は「日本人とユダヤ人」だなと思った。また、浅見定雄については桜田淳子などの統一教会騒ぎやオウム事件の一連のコメントを聞いて私はまるで関心を失った。
 私の書架には、山本七平ライブラリーの「日本人とユダヤ人」(参照)がある。また読み返してみた。私も、これを書いた山本に近い歳になったなと思った。この本を実際に執筆担当したのは山本七平だ。記述の稚拙さが微笑ましい。この本は彼が49歳のときの作品で結果的にデビュー作になったものだ。彼の出版業は三十代後半でこの歳には天職の思いがあっただろう。彼があれだけ精力的に著作を出しながら、実は著述は余暇くらいにしか思ってなかったのだろうなというのが実感としてわかる。例外はたぶん、「洪思翊中将の処刑」(参照)と「現人神の創作者たち」(参照)の二著だけだろう。
 イザヤ・ベンダサンとは誰か。執筆者は間違いなく山本七平だ。だが、彼は生前執拗なほど「私には著作権がありません」と繰り返していた。だから、著者ではない、というのだ。執筆者であることは否定しなかった。
 平成四年三月月刊誌Voice「山本七平追悼記念号」にこの裏話として山本の談話をまとめた記事がある。彼はこの本を書くころ、帝国ホテルのロビーで校正をよくやっていたらしい。彼は建築家ライトのマニアでもあった。そのころ、帝国ホテルに住み込むほどのライトマニアのジョン・ジョセフ・ローラー氏とその友人ユダヤ人ミンシャ・ホーレンスキー氏と山本の三名はライト愛好の点で意気投合したらしい。山本はこう明かしている。

 当時、帝国ホテルにはオペラ歌手の藤原義江をはじめ五、六人の住人がいた。たまに寄るホテル内のコーヒーハウスで出会ったのが、ホテルの住人ジョン・ジョセフ・ローラーと、彼の友人ミンシャ・ホーレンスキーだった。二人とも私と同様ライトマニアで、ライトマニアが三人集まっていろいろ話をしたのが『日本人とユダヤ人』のそもそもの始まりである。
 ローラーはアメリカのメリーランド大学の教授で、元来は中世英語の専門家らしいが、当時は進駐しているアメリカ人の海外大学教育のために日本に来ていた。写真は本職はだしで、座間に宿舎があるのに、帝国ホテルのあらゆる細部を写真に撮ろうとホテルに泊まり込んでいたのである。ホーレンスキーはウィーン生まれのユダヤ人で、特許かなにかの仕事をしているようだった。奥さんは日本人だった。

 ローラー教授は「日本人とユダヤ人」に大宅壮一賞が受賞されたときの代理人でもあった。この山本の打ち明け話によれば、この授賞式にホーレンスキー氏も出席していたらしい。
 その後のイザヤ・ベンダサン著作についてはこう触れている。

 イザヤ・ベンダサンの名前で四冊本を出したが、ローラーは任地が変わってからはあまり関与しなくなり、あとはホーレンスキーと私の合作という形になった。

 つまり、イザヤ・ベンダサンはブルバギ将軍のように共同執筆のペンネームであり、そのアイデアに対するオリジナリティや山本七平一人に帰するものではない。おそらく、著作権もそのような三人の合意に則っているのだろうと推測されるが、山本の死後、随分時間も経ち、なんらかの著作権整理があったのではないか。この間、山本書店の歴史書の一部が別出版社に移されていたり、息子良樹の愛着もあるからだろうと思うが、「父と息子の往復書簡―東京‐ニューヨーク」(参照)も日本経済新聞社から山本書店に移されている。この本こそは、山本七平の人生を、神が存在するなら、アブラハムを祝福したように、祝福したものである。山本はこの刷り上がりを抱いて死んだに等しい。
 「イザヤ・ベンダサン」名は端的に言って「ガルガンチュアとパンタグリュエル」のようなお下品な駄洒落であるが、発案はホーレンスキー氏であったようだ。日本語の当時の聖書風に言えばイザヤ・ベン・ダダンである。英語なら、アイザック・ベンダサンであろう。
 イザヤ・ベンダサンの主要四作が終わりかける頃だったが、山本はその当時イザヤ・ベンダサンはイギリスにいるとらしいと言っていた。これはホーレンスキー氏の所在を指していたのだろう。意外に山本七平はイザヤ・ベンサン名で書くにあたって、そのアイディアのオリジナリティに律儀にルールを持っていたようにも思われる。というのも、先のVoice「山本七平追悼記念号」収録のコンプリートかと思える著作リストから落ちているが、たしか当時の週刊誌「サンデー毎日」だったかと記憶するが、イザヤ・ベンサン名による参議院についてのエッセイがあった。その前段部分になぜこの原稿依頼を受けたのか困惑しているふうが描かれていた。そこから、山本とのやり取りでホーレンスキー氏がなにか誤解しているようすも伺える。
 と、書いていて存外に長くなってしまったので、一旦、ここで筆を置こう。この先、「日本人とユダヤ人」に隠されているもう一人のメンバーの推測と、「日本人とユダヤ人」の今日的な意味について書きたいと思っている。近日中に書かないと失念しそうだな。

| | コメント (16) | トラックバック (2)

2004.09.18

あなたは三日間コーヒー断ちができますか?

 これを書いているのは金曜日の午後。もうすぐ安息日が始まる。私はユダヤ教徒ではないので、電源のオンオフやエレベーターの昇降くらいはするが、先週同様「ニュース断ち」をしようと思っている(「健康のためのエントリー休刊日」)。ということはアコンージングリー「ブログ断ち」である。このエントリも書き上げたら、土曜日の朝に投稿するようにセットしておくことにしょう。
 さて、先週の初めての「ニュース断ち」をしたのだが、ある程度予想はついていたものの、けっこう来た。禁断症状で手が震えだした…ということはないが、精神がさまようさまよう。その間北朝鮮で核実験をしていたとしても、私などがどうすることもできないのに、気になる。東京にテポドンが飛んでくる気配はないのか、と気になる。考えてみれば命中すれば気に病むこともないのだが。
 「ニュース断ち」の禁断症状がきついかもな、と予想がついたのは以前、同じくワイル博士のお薦めで「コーヒー断ち」をやったときの経験からだ。「コーヒー断ち」とは、単純に三日間コーヒーを飲まないことだ。それだけ。だが、これが生涯忘れられないほどきつかった。
 私が「コーヒー断ち」をしたのはもう五年以上も前のことだ。その頃、ふと気が付くと毎日コーヒーを飲んでいる。それほど飲むわけでもない。せいぜい二杯程度。ただ、コーヒーには凝っていて、ベトナムのコーヒーのようにフレンチローストというのかダークローストが好み。豆もちょっとこだわってカナダから個人輸入していた。ローストまでは自分でしないもののグラインドは手でごりごりとする。エスプレッソ器もイタリア製を使う。と、いう感じのありがちなコーヒー好きの懲りようである。

cover
ワイル博士の
ナチュラル・
メディスン
 コーヒーに凝っているとはいえ、中毒ってことはあるまい。「コーヒー断ち」なんてたいしたことはあるまいと思っていた。違った。すごく違った。やばいほど鬱になった。医学的な意味での中毒症ではないのだろうが、自覚としては、自分はコーヒー中毒だぞと理解した。
 「ワイル博士のナチュラル・メディスン」では「コーヒー嗜癖」をこう説明している。

 そうとは知らずに無数の人に使われているが、コーヒーも強力な薬物である。すべてのカフェイン飲料の中でも、コーヒーはとくに強力で、からだへの刺激と嗜癖性がいちばん強い。わたしの推測では、コーヒー愛好者の八割は嗜癖者だと考えてもいい。その嗜癖は身体的なもので、急に摂取を中断すると明かな禁断反応を呈する。コーヒー嗜癖のおもな特徴は次の通りである。

  • この薬物を毎日使用する。とくに朝が多い。コーヒーを飲まないというという日がない。のむ量は重要ではない。わたしは一日一杯しかのまない真性の嗜癖者をたくさん知っている。
  • 排便の促進をコーヒーに依存している。
  • エネルギーのサイクルがコーヒーにコントロールされている。午前中が元気だが夕方には活気がなくなるというパターンが多い。
  • 二四時間~三六時間コーヒーをのまないと禁断反応がはじまる。反応は無気力になる、怒りっぽくなる、拍動症(血管性)の頭痛がひどくなるなどで、悪心や嘔吐が起こる場合もある。それらの症状は三六時間~七二時間つづく。なんらかのかたちでカフェインをとると、症状がすぐに消える。


 ワイル博士は医師だが、厳密にいうと医学的にはこうした知見は確立されていない。その意味で「コーヒー中毒」というのは比喩的な表現だとするのが常識的な判断である。まじで言うと「とんでも」である。
 ただ、そうは言っても、実際に「コーヒー断ち」をやってひどい鬱を経験をしてみると、これは実感としては、あるとしか思えない。「コーヒー断ち」は鬱を誘発するなど、ちょっと危険な面もあるので、あまり人には勧められない。
 それでも「コーヒー断ち」をやってみたい人には次のようにワイル博士は指針を出している。

コーヒー嗜癖はアルコール嗜癖やタバコ嗜癖にくらべれば克服しやすい。ただし、時間とエネルギーに余裕があり、何の拘束もない自由な三日間をつくって、そのときに摂取停止を試みること。コーヒーに意識が向かわないように、何か別の気晴らしや楽しみを用意しておくといい。四八時間~七二時間の脱力感・頭痛を覚悟しておくこと。その間は絶対にカフェインを摂取してはならない。

 私としては、あの地獄のような鬱を思うと、「絶対に」とは言えない。まして、これは医学的にも確立した嗜癖症状でもない。
 とはいえ、たぶん、かなりの人にこの地獄の三日を経験する意義はあると確信している。心身の不調が改善されることがあるからだ。

| | コメント (5) | トラックバック (8)

2004.09.17

[書評]サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか(新井佐和子)

 個人的になのだがこの夏はサハリンや沿海州の朝鮮人についていろいろ思うことがあり、その関連で「沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史」(参照)などを読んだ。この本については先日簡単な書評のようなものを書いたのだが(参照)、そのおり、コメント欄で強く勧められたのがこの「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年」(参照)だった。精読にはほど遠いが二度読み返した。この問題に結果的に人生の大部を費やした著者ならではの貴重な記録だということがわかる。確かに、この本は、サハリン問題についてまず最初に読まれるべき本だろう。本の概要がてらに帯分を引用する。


戦前、戦中、開拓民として、また戦時動員によってサハリン(樺太)に渡り、終戦後も同地にとどまらざるをえなかった韓国人を故郷に帰還させるべく、黙々と運動を続けた日韓夫妻がいた。昭和十八年末、樺太人造石油の労働者募集に応じて渡樺した朴魯学と、戦後朴と結婚した堀江和子である。昭和三十三年、幸運にも日本人妻とその家族の引揚げに加わることができた朴は、その後半生を同胞の帰還運動に捧げ、和子は献身的にこれを支えた。だが、昭和五十年、サハリン残留韓国人帰還のための裁判がはじまると、この問題はにわかに政治的色彩を帯びて、日本の戦争責任、戦後補償問題へと発展してゆき、夫妻の活動は忘れ去られていった。サハリン残留韓国人はなぜ祖国に帰れなかったのか。その責任は本当に日本にあるのか。だれがこれを政治的に利用しようとしたのか。夫妻の足跡をたどり、ことの真相を明らかにした労作。

cover
サハリンの韓国人は
なぜ帰れなかったのか
 私は当初、サハリン韓国人の帰還者問題に強い関心を持っていたわけでもなかったので、この問題にゼロのスタンスに近い。そのような人がこの本を読んだ場合、その豊富な情報がきちんと読み込めるものだろうか、と少し気になった。というのは、この本の主眼は、後半部に描かれる、朴魯学と彼と結婚した堀江和子のサハリン残留韓国人帰還運動の苦難の歴史にあるのだが、私のように、むしろその前史のほうに関心を持つ人もいるだろう。読み返して驚愕することはいくつもあった。が、なかでも、すでに先の書物で知ったことでもあるのだが、戦後サハリンの朝鮮人の区分については考えさせられた。少し長くなるが引用したい。

 戦後サハリンには朝鮮族に三つのグループがあった。
 ひとつのグループは、先住朝鮮人であった。戦前から入植していたり出稼ぎでやって来た者、戦時動員で来た労働者が含まれる。その出身地はほとんどが朝鮮半島の南であり、心情的にはのちの北朝鮮を忌避していることから、現在は自らを「韓国人」または「韓人」と称している。
 もうひとつのグループは戦後にやって来た「派遣労務者」である。朴の手記には彼らののことがつぎのように記されている。

 二十一年五月ごろだろうか、北韓[北朝鮮]からの派遣労務者が四千トン級の船で千名もやって来た。長いあいだ戦争に疲れた耐乏生活のためか、その服装は同じ同胞でありながら恥ずかしいぐらいみじめであった。他の先住民らはその憐れな同胞を接待してやった。その後何回となく船は着いた。労務者の数は約五万人。しかしこの人たちは私たちと思想がちがっていたせいか、常に双方のあいだは不和であったので、たびたび喧嘩が起きたのである。

 私は朴のこの記述を読み、戦後のサハリンには北朝鮮から派遣された労働者がいると知った。雑誌にこのことを書いたりもしたが、さしたる反響もなかった。しかし、平成七年(一九九五)三月二十八日、韓国の「連合通信」の報道によって、朴の手記にあるように、戦後まもなく派遣労働者がやってきたことが証明され「産経新聞」がこのニュースを伝えた。


 三つめのグループにソ連系朝鮮人がいる。ウズベキスタン、カザフスタンなどの中央アジアに移住していた朝鮮族のうち、共産党、軍人、ロシア語のできる者が、先住朝鮮人や派遣派遣労働者を管理し、思想教育をほどこすために派遣されてきたのである。エンゲーベーの市町村支部にはソ連系朝鮮人の役人がひとりずつ配属されていた。この中央アジアの朝鮮族とは、一九三七年(昭和十二年)、スターリンの強制移住政策によって、朝鮮の国境近くの沿海州から移住させられた人びとであった。現在約五十万人いるが、この人たちはいま、自らを高麗人と称している。

 引用を書き写しながらこの歴史にいまだ私は呆然とする。歴史に関心を持つものとしては、高麗人・ソ連系朝鮮人の実体や総数がさらに知りたいと思う。金日成こと金成柱(キム・ソンジュ)は平壌西方万景台に生まれ、後、中国に移り、吉林の学校に通った。その意味で、金成柱は高麗人ではないが、サハリンのソ連系朝鮮人に近い。金成柱はその後、ソ連領に移った。金正日こと「ユーリ・イルセノビッチ・キム」はハバロフスク近郊の軍事教練キャンプで生れたソ連人でもある。
 近世における朝鮮族の全貌と中ロの関わりがもう少し包括的に見えないものかと思う。あまり粗雑に書いてはいけいないが、先日のオセチア事件にも高麗人が関わっているとの情報もある。
 もう一点、私自身無知だったのだが、北送と北朝鮮籍についての関連だ。金石範の「国境を越えるもの 在日の文学と政治」でも考えさせれたのだが、依然、北朝鮮籍(朝鮮籍)についてよくわかっていなかった。しかし、「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」の「北朝鮮帰還事業」のくだりでわかった。ここも長いのだが、重要なので引用する。

 話は朴と和子の引揚げからしばらくたったころにもどるが、昭和三十四年(一九五九)、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業がはじまった。北朝鮮を支持する在日朝鮮人が、祖国への帰国を希望したのに応えて、日本赤十字社が中心となっておこなった事業で、総費用を日本政府が持ち、運営面では主として日本共産党と朝鮮総聯[在日本朝鮮人総聯合会。朝鮮民主主義人民共和国を支持する在日朝鮮人の団体。昭和二十年(一九四五)結成の在日朝鮮人連盟の継続団体である在日朝鮮統一民主戦線が発展的に解消し、昭和三十年(一九五五)に結成された]が協同であたった。
 共産国の生活からようやく逃れてきた朴ら引き揚げ者は、自分たちの考えとはまったく逆のことをしようとしているこの帰還事業にどれほど驚かされたかわからない。
 日本のなかでは北朝鮮が「地上の楽園」だとさかんに宣伝されていたが、それがまったくのウソであることは、サハリンにいた者ならよく知っていた。一九五〇年代の後半、朝鮮人民族学校の中学科を卒業した多くの子弟が、北朝鮮の宣伝を聞き、民族的向学心に燃えて帰国していった。だが宣伝と実情のあまりの格差に耐えかねて、サハリンにもどりたいと訴えたが聞き入れられず、脱走してきた子どもが途中で力尽きて死亡するという事例もあった。このとき北朝鮮に帰国した子どもたちの大半は消息不明のまま連絡が絶たれている。
 本当のことを知っている自分たちが声を大にしていわなければ、多くの在日同胞がまた同じ憂き目にあわされる。朴は昭和三十四年の二月十二日に数十名の引揚者仲間とともに外務省へ北朝鮮帰還事業反対の陳情にいき、国会周辺で反対の気勢をあげた。さらに代表十人が藤山愛一郎外相に会いにいって談判したが「人道的的立場からの送還」との答であった。もしこのとき日本政府が朴たちの声に耳を傾けていたら、「日本人妻」の悲劇は起きなかったかもしれない。
 結局、昭和三十四年から平成元年(一九九八)までのあいだい、日本人家族を含めて、およそ九万三千人が帰国したという。このうち日本人妻が千八百名、日本人夫とその子ども等が約五千人いた。合計六千八百余名が日本国籍所有者である。帰国といっても、もともと地理的に北朝鮮から来た人の多くは戦後の引揚げで帰国しているからこの九万三千人の大部分は南部[韓国]出身者である。

 先日「プリンス正男様、母の生まれた国へ、またいらっしゃい」(参照)で金正日の後妻高英姫(コ・ヨンヒ)について触れ、その父高泰文が済州島の生まれらしいという噂に言及したものの、済州島出身者がなぜ朝鮮籍(北朝鮮)なのかよくわからなかった。しかし、実態は北送(北朝鮮帰還事業)の人は南韓出身者であったのだ。多少は南韓出身者もいるだろうくらいに思っていた私はまったくの無知であった。
 なお、北送について朴は、彼の経験からか、北朝鮮の労働力不足を補うためのものだと推測していたようだ。
 サハリンの韓国人帰還の問題は、あまりに長い月日が経ち、すでに問題は、当初の様相とは異なっている。そのあたりも「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」はよく描いている。現在ではサハリン帰還という問題ではなくなっている。例えば、最近の朝鮮日報「サハリン同胞80名、16日故国訪問」(参照)で、サハリンに移住した韓国子孫80名が短期間だが母国を訪問をしているようすが伺える。記事では「日帝時代にサハリンに強制移住させられた韓国同胞たちの子孫」と記載されているが、それを直接批判するよりも歴史を知る者の眼で見守りたいと思う。
 同様に、関連するすべての物語はもう昔のことという感もあるが、そうでもないのかもしれない。余談めくが、昨日の朝日新聞系「北朝鮮帰還事業で新資料 政府や日赤の積極関与明らかに」(参照)を見て、少し気が重くなった。

 在日朝鮮人9万人余が北朝鮮に渡った帰還事業(59~84年)に先立ち、日本政府や有力政治家、日本赤十字が55年から赤十字国際委(本部・ジュネーブ)に積極的に働きかけていたことを示す秘密文書が、オーストラリア国立大学のテッサ・モーリス・スズキ教授(日本史)の調査で明らかになった。大量帰還をめざして日本の政治・行政が早い段階から主体的に関与していたことが、文書で裏付けられた。


 文書は、赤十字国際委が秘密扱いを解き今年公開した。帰還事業は一般に、58年の在日関係者の運動や北朝鮮政府の呼びかけなどで機運が高まり、それを受けて59年2月に日本政府が実施を閣議了解したと説明される。公開された文書は56年7月に国際委が帰還実現へのあっせんを提案する以前のもので、この時期に日本の政治・行政が積極的に行動したことを示す資料はほとんど知られていない。

 私はまだこの歴史事実について実態がわからないので言及できないが、印象としては、トホホである。
 そして、「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」の後書きで、新井佐和子はこう書いていることが痛感される。

 半世紀にわたる出来事を一冊の本にまとめるには、初稿を多く割愛したが、その中で最後までためらった部分がある。それは、執筆をはじめるにあたり、堀江和子さんに書いていただいた手記のうち、和子さんが最も訴えたかったこと、それは、ご主人の魯学さんが亡くなられたあと、社会党をバックにした一時帰国招請グループから受けた、口ではとうてい言い表せない侮辱とあからさまな妨害のかずかず、これがつもって韓国流でいえば大きな「恨」となり、彼女の胸中に十年近くしこっていたのだが、その具体的な一つの例を、私はこれが公に訴える最後の機会でもあるにもかかわらず、あえて載せることをしなかった。ずっと行動を共にしてきた私には、そのころの悔しさがいつまでも強くこみ上げてくる。だが一方ではこの「恨」をバネにしなければ、女ふたりがあのような仕事を出来るはずもなかったという思いもあるので、この際、胸に去来する個人的な思いはすべて呑みこんで、二人だけの老後の語りぐさにとっておこうと考えた。

 個人的にはその話を伺いたいとも思う。だが、その大きな「恨」を胸秘める徳こそが朴魯学が日本人に伝えたいものであったのかもしれないとも思う。

| | コメント (4) | トラックバック (3)

2004.09.16

女王陛下、英国大使の野上義二でございます

 9月11日の閣議決定で、折田正樹英国大使の勇退の後、前事務次官の野上義二が駐英公使となった。野上義二? 思い出すこと二年前、NGO排除問題で世間を騒がせてくれた、あのヒゲだ。「ヒゲをそったらどうだ」と当時経済産業相の平沼赳夫が苦言を呈した、あのヒゲの男である。ここに一人のヒゲの男が再び立ちがあった。
 当時を思い出そう。2002年1月東京開催のアフガニスタン復興支援会議の際、外務省が一部の非政府組織(NGO)の出席を直前になって拒否した。真相は鈴木宗男が外務省に一部NGO排除を働き掛けていたことだった。外務省の最高責任者田中真紀子元外相は国会答弁できちんと真相を明言した。が、だ、にも関わらず、野上義二事務次官(当時)はこれをまっこうから否定した。どっちが本当だ?ということで国会は紛糾した(「国会バトル 田中氏/鈴木氏 参考人質疑、真っ向対立」・参照)。
 なさけない話だった。というのも、次官というのは補佐が仕事。外務省なら、その最高責任者田中真紀子元外相を補佐するために給料が与えられている。大辞林にも次官というのは「国務大臣を助け、省務・庁務を整理し、内部部局の事務を監督する一般職の国家公務員」とある通り。分をわきまえろよ、サーバント、というのが常識だし、国際的にもそう見えるものなのだが、なぜか、日本では喧嘩は世間を騒がした双方が悪いってことにして、「ここは野上義二”しばし”収めておけよ」と小泉首相は田中外相、野上次官の両氏を更迭した。外務省としては、うるさいおばはんと差し違えたということで85へぇ、金の脳を送ったという(これはウソ)。
 更迭後、野上義二は、座敷牢こと官房付に入れられた。甘甘の処分である。他省庁だとフツー局長までやって更迭されれば退職なんだけどねぇ、の声も伏魔殿には届かない。更迭後も専属の公用車が与えられていたのだが、ちくらりちまったよ、ということで、それは廃止。もっとも更迭といっても退職金はがっちり8500万円ナリ。え? そのくらいは当然でしょ。少ないくらいでしょ、当然ですよ。
 座敷牢にも長いさせず、2002年9月に、野上義二は英国公使に任命され、英国の調査研究機関「王立国際問題研究所」の上席客員研究員として中東問題を担当した。給料は外務省から出たのだが、それがいくらかは公開できないとのこと。それにしても、やっていることが中東問題かよ、とも思うが、ま、さして世論への影響もないからよいか。不善をなさぬには閑居がよろしい。
 もっとも、元レバノン大使天木直人は、国防総省の中堅幹部がイスラエルのスパイだったという話の余談に、愉快なエピソードを書いている(参照)。


因みに日本にもイスラエル諜報機関が入り込んでいる事は間違いない。その手先の一人が今度駐英大使になる野上義二元外務次官であるという情報がある。その真偽は確認しようもないが彼が米系ユダヤ人とのパイプが太いことを自慢げに同僚に話していることは事実である。
 そういえば彼が外務次官のときイランの外務次官に「イスラエルとパレスチナの紛争からイランは手を引いてほしい」という驚くべき話をしていたのを思い出す。日本はあまりにも国際政治の裏取引にナイーブである。それとも自らそれに取り込まれているのを自覚しているのであれば何をかいわんやであるが。

 さすが天木直人である。さすが笑話である。わっはは、次、行ってみよう!
 というわけで、一般常識からすれば、次官経験者の公使への降格は前代未聞なのだが、これはただの伏線。ニコポンスキーの正体は敷島博士だし、野上義二は伏魔殿の守り神である。
 さても、頃合いもよし、残暑も引いてくるであろう。日本の国民はもうすっかり野上義二を忘れたころだ。王立国際問題研究所の成果なんてものもありゃしない。文藝春秋もこの間、どうでもいいことで宿敵田中真紀子を叩きまくってくれたし、父親が米国の陰謀で失墜させられたのと同じで、世間的にはもう田中真紀子が出てくる目もあるまいて、と、いうわけで、さて、野上義二に外務省官僚の最高の地位に据えてやろうか、ということで、今回の決定となった。
 さすがに疑問の声は上がった。あのさ、外務省改革ってどうなったわけ?である。現川口順子外相の私的懇談会「変える会」では、機密費流用事件など一連の不祥事をめぐった提言で、通常の省庁にならって「次官を最終ポスト化する」としていた。つまり、「次官経験者は大使に就任させない」として、次官経験者の大使転出の禁止を提言していたのだ。が、いきなり反則。それってどうよ、なのだが、小泉純一郎首相曰く、「人事になると人それぞれ見方がありますから。適材適所、そう思って起用した」。またしても人生イロイロである。
 8月31日にこのルール無視をただすべく衆院外務委員会の米沢隆委員長が異例の反対声明をあげたが消えた。田中真紀子も虚しく吠えた。講演で「スキャンダル、問題が起きたときの次官で鈴木宗男元衆院議員の長い友人。(起用は)イギリス人、日本人に対し侮辱だと思う」と批判した。
 田中真紀子に言わせるところの侮辱を受けたところのイギリスの反応はどうかというと、早々にテレグラフでは"New ambassador an 'insult' to Britain"(参照)を掲載。標題は「新大使は、英国への『侮辱』」である。

The promotion of a controversial bureaucrat to become Japan's ambassador to London is "an insult to the British and Japanese people" the country's former foreign minister said yesterday.

Yoshiji Nogami, whose appointment was made official yesterday, was sacked as deputy foreign minister two years ago after he clashed publicly with his then boss Makiko Tanaka.


 と威勢がいいが田中真紀子に沿っているだけで記事は尻つぼみ。いまいちイギリスでは盛り上がらないのかと思ったら、今週の日本版ニューズウィーク「外務省人事は笑えない喜劇」で同じくコリン・ジョイス君が執筆していた。以前日本版ニューズウィークの仕事をしていたよしみの寄稿か。こっちはちょっと毒が強い。

 テレグラフの編集者たちは私に聞いた。なぜ外務省は野上のためにそこまで便宜を図るのか。ほかに適任者はいなかったのか。ほかに希望者はいなかったのか。考えつく唯一の説明は、田中と差し違えた野上の「功績」に報いる人事だった、というだけだ。

 そ、それだけ。
 しかし、野上義二が優秀な人材であることはテレグラフの記事にも書いてある。

Mr Nogami, who speaks excellent English and has a British wife, is said to have a "lively mind" by western diplomats in Tokyo. A Japanese diplomat added: "He's a very good man. He has great experience in foreign affairs."

 イギリス人の妻を持ち、英語も堪能だ。英語が堪能というのはいいことだ。というのも、外交の英語は難しいものだ。
 そういえば、2001年のこと、外務省が、業者の水増し請求を利用した裏金づくりと職員処分についての最終報告を出した際、当時次官の野上義二は、与党幹部への事前説明に回った。裏金の総額は二億円を越える。一億六千万円は使い切った。野上と与党幹部は次のように話し合った(読売新聞2001.12.09)。

 与党幹部「ホテル宿泊券なんかもらっても、生活の足しにならんじゃないか」
 野上「実は、金券を換金して使っていたようです」
 与党幹部「それは立派な横領だ。刑事告発しないのか」
 野上「捜査当局は立件は難しいと言ってます……」

 野上義二、日本語でもこれだけの弁が立つ。英語も堪能だ。仕事もできる。
 この裏金づくりには後日談がある。さすがに世間に申し訳がないというので外務省が一丸となって弁済の寄付を募った。このとき、最高額を出したのが、野上義二である。その意欲で二億円の弁済のうち五十万円が埋められ、外務省に今なお語り継がれている。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004.09.15

米国の銃規制法が失効したことの意味

 米国時間で13日、十年間の時限立法として成立していた襲撃用銃器の製造と販売の禁法が期限切れとなり、失効した。正確には、凶悪犯罪の処罰強化を目指した犯罪防止法内の該当条項の失効である。単純に、これで米国で銃器の製造販売が可能になると理解したくなる。日本人としては米国っていうのは野蛮な銃社会だからな、という感じだろうか。私はまずそう感じたものの、なにか違和感が残った。
 この禁止法は民主党のクリントン政権下、1994年に時限立法として成立した。大統領の職にある者なら失効を避け、禁止状態の延長を推進することもできたかもしれないとして、現在の共和党のブッシュ大統領を民主党のケリー大統領候補は「テロリストに武器を手渡すようなものだ」として非難した。それだけ聞けばもっともな言い分だし、日本人にもわかりやすい。なのに、ブッシュ大統領が結果的に推進側に回ったのは、大方の見方どおり、全米ライフル協会(NRA:National Rifle Association)の強力な反対によるものだった。ブッシュが銃規制撤廃の強い信念を持っていたというのではない。連邦議会が期限延長に動かなかったのを、しぶしぶ承認したような形になっているからだ。議会としてもまた大統領としても、300万人以上の会員と潤沢な政治資金を持ち、強力に政治活動を推進するNRAを敵に回したくはないという思惑があったというくらいだ。
 銃規制をしない米国社会というのは困ったものだなというのは、実際のところ普通の米国人の実感でもある。VOA"US Ban on Assault Weapons Set to Expire"(参照)などにもあるように今回の禁止法廃止は米国民の世論とは言い難い。


According to a poll released last week by the National Annenberg Election Survey, 68 percent, more than two-thirds of Americans, support extending the ban, which was signed into law by President Bill Clinton in 1994.

 米国民の68%は禁止法の延長を期待していた。ケリー候補もそのあたりを読んでの反対でもあるのだが、政治プロセスとしては成功していない。タカ派に見られることの多いワシントンポストだが"Staring Down the Barrel of The NRA"(参照)でもそのあたりの政治プロセスをまず問題視している。
 さらに同紙"No Cheers Over Gun Ban's End"(参照)では、やはり銃規制を支持するトーンでより詳細にこの禁止法の撤廃による米国社会の変化を解説しているのだが、その実態を読むと私はなんとも奇妙な感じがした。どもまどろこしい言い方になるのだが、この話をブログのエントリのネタにしようと思ったのは、銃規制の議論というより、このなんか変な感じが自分では重要に思えたからだ。
 その変な感じというのをなんとか自分なりの言葉にしてみると…、米国社会における銃規制廃止を表面的に喜んでいるのは、銃オタクだけのようなのだ。秋葉でフィギュアを物色しているお兄さんのような感じなのである。これで危険な銃が米国社会に溢れるようになるぞ、というより、お兄さんたち「銃のアクセサリー一式が購入しやくすくなるぞ、わーい」といった感じのようだ。というあたりで、私が実際に規制されていた銃について無知であったことが実感された。
 銃に関する感覚は私は多分平均的な日本人と同じなのではないかと思う。そこで私の銃のイメージなのだが、まず拳銃。そして、猟銃のようなライフル銃だ。ところが、米国でこの10年間規制されていた銃というのは、そうしたイメージの銃というより、殺傷力の強い半自動小銃など襲撃用銃器なのである。私のイメージからするとマシンガンというやつだ。英語では、"assault weapons"とある。このassaultもweaponsもごく基本的な英単語なので意味はわかる。ので、訳せと言われれば襲撃兵器とでもなるだろう。が、はて、定訳語があるはずだと思って調べた。英辞郎に「急襲用{きゅうしゅう よう}ライフル、対人殺傷用銃器、攻撃用武器{こうげき よう ぶき}」とあるが、 "military-type assault weapons"では「軍事用攻撃兵器」とあるので、"assault weapons"の定訳語ははっきりしない。
 もちろん、英文を読んでいけば、"assault weapons"がなにを意味するかはわかる。どうやら、トリガー(引き金)を引いてズドーンというのじゃない。ボタンを押せばだだだだだと自動的に弾が出るやつのことのようだ。あれだ、私のイメージでは、こいつは昔のパチンコ。そして"assault weapons"は現在のパチンコだ。
 なってこったと思う。そんなものは規制して当たり前じゃないかと思う。が、このあたりでどうも自分が従来、銃規制として想定したものや実態とかなり違うんじゃないかという嫌な気分になってきた。これってようするに大量の人間をやたらめったら殺すためのまさに兵器なわけだ。
 呆れたなと言いたいところだが、他の関連の英文ニュースを読むと、こんなあきれた兵器を禁止したところで社会学的に見れば犯罪の減少に寄与したものでもないらしい。また、米国とひとくくりにしても州によってさまざまな規制があるため、そのまま銃器が野放図にばらまかれるというものでもないようだ。
 それでも、と、連想したのは、今回のイラク戦争で「活躍」した米国の民兵だ。現代の傭兵とでも言っていい。はっきりと納得できるまで関連資料を読み込んだわけではないのだが、深層では、こうした現代の米国傭兵を"assault weapons"の安易な供給が支えているのは間違いないのではないか。その意味で、今回の襲撃銃禁止法が失効したという米国の時流は、米国の地上戦における傭兵依存と、実は一体の事態だったのではないかと思える。

【追記 同日14:42】
英辞郎に訳語が掲載されていたのを見落としていたので、その部分をリライトしました。また、"assault weapons"については、simbaさんのコメントに補足となる説明があります(参照)。

| | コメント (11) | トラックバック (3)

2004.09.14

今回のNHKの不祥事は録画でハゲを見せて終わり

 NHKの不祥事については誰もが怒っているので、さらにあらためてなにか書くというのは難しい。それと、かなりの人があの受信料に疑問を持っているから、そうした行き場のない思いも当然混ざってくる。
 週刊文春が暴き出した今回の一連のNHKの不祥事については、この7日に役員処分と再発防止策の提示、9日にエビ・ジョンイルこと海老沢勝二が国会招致、11日にNHKの録画編集入れまくり番組で謝罪というあたりで、幕が引かれたということになったようだ。ふざんけんな。
 これは不祥事というより犯罪である。業務上横領だよ。NHKはこれを全額弁済されたからということで刑事告発も行なっていない。あのな、盗んだ金を返せば罪が消えるってもんじゃないんだぜ、しかも、その金は、みなさまの受信料なんだぜ、というのが庶民感覚である。週刊文春が叩かなければ隠蔽されていたのだろうか。ま、もっとひどい状態で暴露されたのだろうが。
 この件については、新聞は当初だんまりを決め込んでいたが、フジテレビ関連の産経新聞が9日社説「NHK不祥事 これでは『受信料』払えぬ」(参照)と、本文にもないキーワード「受信料」をいきなり繰り出してくれた。毎日新聞も13日「NHK不祥事 不心得者の仕業ではすまな」(参照)として社説を出した。朝日新聞と読売新聞は、まだぁ~、の状態なのか、私の見落とし? もしこのままスルーだとすると、朝日新聞と読売新聞もけっこう香ばしい。追記:見落としでした。9月5日朝日新聞「受信料着服――『皆様のNHK』に戻れ」にあります。
 NHKがこの手の不祥事をやっていることはちょっとでもマスコミを覗いた人間なら誰もがしているので、今回の件も所詮は勧進帳。背景となる構造は変わっていないから、しばらく謹慎し、そしてぼそぼそと再燃するのだろう。構造については毎日社説が簡単に説明している。


 NHKは特殊法人のひとつで、予算や事業計画、番組編集の基本計画など重要事項は外部の識者などでつくる経営委員会が決定し、予算は国会の承認を必要とすることになっている。
 こうした仕組みについてNHKは「事業運営が国民の意向に沿って進められることを意図している」と説明している。しかし、不祥事の発覚は、辞任に追い込まれた島桂次元会長の時に続いてのことで、後を絶たない。
 国会や経営委員会によるチェックは形式的なもので、NHKの組織にはびこる問題には、実は誰も手が出せないような仕組みになっているのではないだろうか。

 ま、そういうことだ。
 私は、問題はむしろ今回の不祥事より、子会社孫会社のほうがひでーんじゃないかと思う。正確にはわからないので記憶を辿ってざっくりしたことを書くのだが、子会社が30社を越える。ま、ここまではいい。これは業務報告書が毎年公開されている。で、問題は70社を越える孫会社。わけのわかんない業態もありそうだ。この実態がまったく未公開。子会社を含め、天下り先でもある。なんか悪のスクツみたいな印象がある。
 個人的に気になるのは、ビジネスを拡大するのはいいけど、それだけ大きくなって儲けを出したなら、出資者とも言える国民に還元すべきなんじゃないか、というか、受信料を下げろということ。それができなければ、コンテンツをなんらかの形で公共に還元して欲しい。ま、そんなところだ。
 そしてなんと言っても受信料についてだが…、ちなみに「NHK」と「受信料」でぐぐったら、ちょっと呆れた。これが庶民の声を反映しているとも思わないが、いかに払わないかについての怨嗟の声に満ちている。圧倒されてしまった。書く気力が萎えた。
 私は個人的には年金同様NHKの受信料も年間契約で払っている。「あすを読む」「クローズアップ現代」くらいしか見ないのだが、好きなラジオ番組「ラジオ深夜便」へのカンパみたいなつもりだ。この放送のおかげで、日本語がかろうじて維持されているんじゃないか。
 NHKの内容的な不満は、受信料を含めて考えてもしかたないやの気分だが、極東ブログ的に気になるのは、国際問題とくにイラク問題に関連して国連主義がやけに目立ったことだ。たぶん、NHKは一度も国連疑惑つまり石油・食糧交換プログラム不正疑惑に触れていない。他は中台問題については、むしろ偏向がないなと感心する。
 NHKの今回の不祥事について朝日新聞と読売新聞の社説は触れてないようだが、NHKも含め、大手新聞は依然戸別の集金から成り立っている体質も関係があるように思う。古き良き時代の一軒家というかアパートもあるだろうから「ご家庭」という単位で金を払うという制度だ。日本では家庭のありかたは崩壊しているとはいえ、新聞もNHKも見ないパラサイトは老人家庭に寄生しているので、現状ママでもさして問題がない。この構図とともに、これらのメディアはあと20年くらいは安定するかもしれない。しいて言えば、結局新聞を支えるのは老人だから、今の倍くらい活字がでっかくなるか。
 ネット的には、こうしたご家庭集金メディアはすでに70%くらい透明度がかかっている。というわけで、これをブログにネタにするにはなんだかなになっているに違いない。

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2004.09.13

北朝鮮北部の両江道爆破事件は核実験か

 中国との国境も近い北朝鮮北部の両江道金亨稷郡で9日、大規模の爆発があった。日本では昨日の正午前ころからNHKを初めぽつぽつと報道が始まった。NHKは核実験の可能性については一切言及していなかったが、ちょうど前日11日付け(但し米国東岸時)のニューヨークタイムズが北朝鮮は近日中に核実験をするだろうとする解説記事"Reports May Indicate N.Korea Nuclear Test - NY Times"(参照)を出していたこともあり、この爆破が該当するのかが欧米のジャーナリズムの中心的な関心となった。
 核兵器実験ではないとする見解は昨日の3時ごろからぽつぽつと出始めた。理由は納得しやすい。大きく2点ある。(1)核実験なら特有の地震波が検出されるものだがその報告はない、(2)近隣の極東地域で放射能が検出されたという報告はない。
 これらの理由は爆破が核実験ではないと説得するための材料としては良質なもので、ニュースが出て一夜明けたのち、日本国内では不可解な爆破だが核実験ではないだろうという安閑としてムードが感じられる。幸い、今日は新聞休刊日なので朝日新聞なども朋友に苦慮した社説を書く必要もない。
 では、本当に核実験ではないのか? また、この報道の流れは何を意味しているのか?
 私の現状の考えでは、核実験説は十分に否定されていない。むしろ、当初核実験への恐怖の影響に探りを入れたような報道に火消しをするような報道のありかたが、胡散臭い。特に韓国系の報道ではこの火消し報道が目立つ。隣接しているせいもあり社会不安を避けたいというのは理解できるが、この火消し情報は、昨今の韓国自身の核開発報道への火消しと同じような文脈に見えてしまうので、それだけでヘタレ感が漂う。韓国側の最たるヘタレは、どうもこの事態を韓国が把握していなかったと思えることだ。今回の事件で使える報道は朝鮮日報だけだな感が出てきたが、その「北は両江道爆発の真相公開すべき」(参照)ではこう伝えている。


国家安保会議(NSC)常任委員会は不審な大規模爆発が起きてから3日後に開かれている上、統一部長官もこの時やっと事実を知ったとされる。また、きちんとした衛星写真一枚すら確保できずにいると報じられているのが現状だ。とかく国民は安心できない。

 韓国がまったくの蚊帳の外ということはないが、韓国国政に影響する情報(インテリジェンス)にすでに不全が起きているのは確かと見ていいだろう。このあたりの米国のやり口はぞっとするものがある。と、同時にこの蚊帳の外のボンクラに日本人も立つことは言うまでもない。外務省、ダメ過ぎ。
 日本の外務省ダメ過ぎは中国側からの情報の扱いもある。もしかすると、外務省のチャイナスクールにはリークされていた可能性もある。というのは、今回の爆破事件は早々に中国で観察されていたようだ。日本国内では他紙に先駆けて報道した産経新聞「北朝鮮北部で大規模爆発 9日に中国国境近くで」(参照)がわかりやすい。なお、同記事は初報道からリライトされているようだ。

 韓国の通信社、聯合ニュースは12日、北京の消息筋の話として、中朝国境に近い北朝鮮北部の両江道金亨稷郡で9日、大規模な爆発があったと報じた。同ニュースは現場で直径3.5-4キロのきのこ雲が観測され、4月に平安北道・竜川駅で起きた列車爆発事故より大規模だとしており、核実験やミサイル爆発との見方も浮上。韓国政府や米当局者は核爆発や核実験の可能性に否定的だが、原因は不明で、日本含め関係各国が情報収集を急いでいる。

 重要な点は、北京側では直径4キロほどのキノコ雲(mushroom cloud)の目視情報を得ていることだ。見ていたのである。ある意味で、今回の事件の重要なキーワードがこのキノコ雲(mushroom cloud)だ。補足としてABC"Blast, Mushroom Cloud Reported in N. Korea"(参照)も引用しておこう。

"We understand that a mushroom-shaped cloud about 3.5- to 4-kilometer (2.2 miles to 2.5 miles) in diameter was monitored during the explosion," the source in Seoul told Yonhap. Yonhap described the source as "reliable."

 一応韓国ソースとしているが北京側の二次ソースと見てよくその限定では、この情報が"reliable"(信頼に足る)という点が重要だ。
 キノコ雲からわかる爆破の規模に注目したい。規模は私の記憶では広島原発の二倍の規模はある。目視者およびその報告を受けた中国側としては、最初の前提として核実験を想定したことは疑いえない。そしてこれが中国国境付近であることから中国への牽制の意図も想定しただろう。すでに極東ブログでもほのめかして書いたが、金正日は中国によって殺害され傀儡政権を打ち立てられることを極度に恐れている。
 米国も当然ながらこの爆破を衛星から確認している。先のニューヨークタイムズの解説のように北朝鮮でいつ核実験が始まってもおかしくない状況にも入っている。
 ここで重要な問題となるのは、9日から12日までの情報の隠蔽だ。これはそう無理な推理ではなく、北京とワシントン側が、核実験ではないだろうと推定するためのタイムラグだったと言えるだろう。そして、北京側とワシントン側は双方の思惑があって、情報の揺さ振りをかけたように思われる。このあたりの情報の二系の奇妙さを先のABCも注目している。

The Yonhap news agency carried conflicting reports from unidentified sources, with one in Washington saying the incident could be related to a natural disaster such as a forest fire. It also cited a diplomatic source in Seoul as raising the possibility of an accident or a nuclear test.

 この揺さ振りで韓国の現実逃避的なハズシ感と日本の熟睡感が十分にプローブ(検知)できたのではないか。当然ながら、この二国は現状に対して十分な影響力行使を絶望と呼べるほど放棄している。余談だが、国内のネットの状況も同様に思えた。おそらく面白い陰謀論という切り込み隊長がいないせいでもあるのだろう。それと欧米系の情報を日本市民は十分い取り扱いできていないようにも見える。
 話をある意味で原点に戻す。今回の爆破は核実験ではなかったのか? 当方が陰謀論の切り込み隊長のように取られかねないが、慎重に見る限り、核実験説は十分に否定されていない。私はどう考えてもそうだと思う。こんなとき、一番信頼できるのは、北朝鮮問題を独自に追及しているブログNorth Korea Zoneなのだが、その該当エントリ"Did North Korea Just Test a Nuke?"(参照)にはこうある。

UPDATE III: Both Colin Powell and the South Koreans are downplaying the possibility that it was a nuke test, yet none of them seem willing to completely rule it out. What about the possibility that it was a failed nuke test, or the test of a fuel-air explosive (which would be similar to a low-yield nuke)? Furthermore, one should treat South Korean efforts--and those of our own State Department--to downplay North Korea's nuclear threat with extreme caution. It's probably only safe to say that we don't know the answer yet, and none of those in a position to really know are telling us.

 重要なコメントなのだが、当面の要点としては、核実験ではない断言はできない、としていることだ。
 別の言い方をすれば、奇妙な巡り合わせになったとも言えるニューヨークタイムズによる、北朝鮮の核実験準備の解説は十分に未だ有効だと言える。つまり、北朝鮮の核実験の可能性は、可能性という点でいうのなら、未だ重要な問題のままだ。
 実際問題として、今回の爆破について北朝鮮がどのような言及をするのか、あるいはしないのかは重要な課題だ。陰謀論的に言えば、この間に口止めされている可能性もゼロではあるまい。冗談としてだが、ネットには"Korean Mushroom Cloud Was Nuclear Test, Says Kim Jong Il"(参照)という情報もあった。

Officials with KCNA, the North's official news agency, said that Powell was "misinformed" and that they "possess evidence that positively identifies the explosion as having resulted from a nuclear weapon test." The evidence is considered to be conclusive, but, said one official, "Release of the materials at this time would constitute a national security breach."

 いかにも北朝鮮が言いそうな雰囲気はある。もちろん、これを田中宇的に受け止めないでほしい。ただのネタだ。
 最後に一点、現状では今回の爆破を核実験と見るのはやや無理があるだろう。しかし、それだけの破壊力が何によってもたらされたのかということも重要な課題だ。この点については前回の龍川爆発事故ですら事実上解明されていない。私の雑駁な推測を言えばミサイル燃料かなとも思うが、North Korea Zoneが可能性として示唆する真空爆弾ということがあっても不思議ではない。

【追記 同日15:22】
 冗談の北朝鮮談話が紛らわしいのでリライトした。

【追記 同日19:34】
 新華社から以下の報道があった。実態がなんであれ、中国が収める形にすれば国際問題としては半分は解決したようなもの。
北朝鮮外務省、先週の爆発が発電所建設の一環だったと確認=新華社参照


新華社の報道は、「北朝鮮外務省当局者は、先週、同国北部で発生した爆発が、発電所プロジェクトの一環だったことを確認した」という簡単なものだった。

【追記2004.09.21】
このエントリについて、ついに極東ブログもヤキが回ったかという感じの声が聞かれた。また、エントリをずたずたに編集してまで意図曲解している例もあるようだ。しかし、IAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ事務局長は9月19日のCNNインタビューで、北朝鮮の核実験の可能性を100%排除することはできないと明言しており、依然、このエントリの視点に失当はない。CNNオリジナルは見つからないが、VOA"IAEA Chief Appeals to North Korea to Allow in International Experts"(参照)は信頼できる。


"I think I would like to go there. Our experts would go there. If North Korea would like to exclude that possibility [of a nuclear blast] completely, they would be well-advised to allow us and other experts to go and inspect that," he said. "As long as we are not there, I cannot exclude that possibility 100 percent."

 また、邦文で読める補助的なニュースとして「IAEA事務局長『北の核実験可能性排除できず』」(参照)がある。

国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は北朝鮮の両江(ヤンガン)道・金亨稷(キムヒョンジク)郡で発生したと伝えられた爆発事件は、核実験ではないと思われるが、その可能性を完全に排除することはできないと、19日明らかにした。

| | コメント (13) | トラックバック (2)

2004.09.12

国際テロ雑感

 日本と米国では17時間くらい時差があるので、この文章を書いている時点では米国ではまだ9月11日は終わっていないだろう。というわけで、旅客機を使ったニューヨークの世界貿易センタービル崩壊のテロから三年が経った。私事だが、その日私は私自身の人生にとって大きな事件があったので、9.11がいくら国際的な大ニュースだからといってそれほど関心を払う余裕もなかった。それに、大ニュースほど私は映像メディアをあまり見ないことにしている。それでも、この事件の映像はなにかと市中で見かけることはあり、この陰惨な映像を垂れ流しする日本のメディアが信じられないなとも思った。
 この事件についてはいろいろ言われている。当然だとも思うが、反面、私はそれほどピンと来ない。そのあたりの思いを、まとまりもないだろうが、少し書いてみたい。
 まず「9.11以降」という表現があまりピンと来ない。この日を契機に世界が変わったのだと言われれば、軍事大国アメリカがそう思ったらそうだろうくらいには思う。それ以上はよくわからない。「テロとの戦い」と大上段に言われると、なるほど頭では多少理解できるようになったが、それでも実感はない。日本の場合、それ以前に阪神大震災がありサリン事件があったからかもしれない。
 9.11の事件が陰謀だったかとは私は思わない。先日の北オセチア事件も陰謀だとも思わない。テログループによる犯罪でしょと言われれば、それはそうでしょと思う。しかし、「テロとの戦い」という言葉が暗黙に含む国際テロ組織のような、敵の実態はまるでわからない。これは単純にわからないなというだけのことでもある。もうちょっというと、9.11と北オセチア事件を「テロとの戦い」で総括できるとはまるで思ってもいない。
 私事を抜いて三年前この事件について思った疑問は、今もぽつんと心の中にある。それは、この事件は、1995年のオクラホマシティーの連邦ビル爆破事件と何が違うのだろうか?ということだ。
 もちろん、違いはある。がその違いはそれほど先験的ではない。連邦ビル爆破事件のほうは結局ティモシー・マクベイをとっ捕まえて公開死刑して米国民の感情はすっきりして、だから、終わったということだけではないのか。この事件については、"American Terrorist: Timothy McVeigh and the Oklahoma City Bombing"の関連の話を読むに、田中宇が描く愉快な推論(参照)といった余地もなさそうである。
 が、それでも、この事件当初、米国社会にはイスラム犯行説が飛び交い、二日間に合計220件ものアラブ系米人に対する嫌がらせや犯罪が起こっていた。それが9.11では早々にイスラム犯行説ということになった。ある意味、オクラホマシティーの連邦ビル爆破事件の反省で多少は米国内600万人と推定されるイスラム教徒への迫害は減ったかもしれない。それでも、事件を受け止める米国社会の構造の問題は、テロという外部のものより、内在的な問題の比重が大きいのではないかと私は思う。
 9.11では犯人を公開処刑にして憂さを晴らすわけにもいかない。98年のアフリカでの大使館連続爆破テロではオサマ・ビンラディンを匿うスーダンとアフガニスタンに報復空爆する程度で晴れた憂さも、この事態では、国際世界を巻き込むかたちで本格的なアフガニスタン戦争に仕上げるしかない。そして、これに「テロとの戦い」と標題をつけみて、こりゃいけるんじゃないかと米政府は思ったのだろう。米国内で長年計画していたイラク戦争にもこの看板をつけてみた。
 もともと、イラク戦争とテロとの戦いは関係がない。が、当時はまるで関係がないとも思われていなかった。手元に詳しい資料がないが、99年1月4日(米国版)ニューズウィークもアフリカの米大使館連続爆破テロ事件でオサマ・ビンラディンとサダム・フセインが結託し、「共通の敵」である米国を標的にしたテロ行為で結託する可能性が出てきたと報じていた。イラクの大量破壊兵器云々はチャラビやアラウィらのガセだったかということになってきたし、ニューヨークタイムズもワシントンポストもイラク開戦前の大量破壊兵器報道は間違っていたと反省したが、さて、このニューズウィークの話もガセだったのだろうか。
 私はあながちガセではなかったのではないかと思っている。というか、米政府の問題は米国を標的とするテロより、アラブ諸国対イスラエルの問題のほうが比重が大きく、その派生として米国テロへの懸念があったのだろう、と私は考えている。つまり、米国はイスラエル状況を強行に改善すれば派生としてのテロも減るだろうくらいに考えていたのではないか。
 そこで、なぜイラク戦争なのか、つまり、サダム・フセインなのか。
 それにはもう少し前の時代、イラクによるクエート侵攻に話を簡単に移す。当時のイラク軍はごく短時間でクウェートを制圧した。当たり前のことだ。クェートの兵力は小国で二万人足らずだが、それにイラク軍は六万人を投入した。戦車は350両。クェートに傀儡政権を樹立したのちも、イラクは約200両の戦車、装甲兵員輸送車、燃料補給車などを追加投入。さらに、軍コミュニケ発令して予備役の招集し、総動員体制を取った。対米戦争への備えだったのかもしれないが、90年8月2日、米政府情報当局者による米議会向けの非公開ブリーフィングでは、サダム・フセインの最終目的がサウジアラビア侵攻にあるのではないかと警告したようだ。米国はサダム・フセインは潜在的なサウジアラビアへの驚異だと認識した。
 サダム・フセインの本当の思惑はわからないが、今回のイラク戦でも彼はイスラエル攻撃を叫びアラブ世界の盟主たらんとはしていた。米国もいずれサダム・フセインがサウジにちょっかいをだし、イスラエルの安全を脅かす存在になるだろうとは読んでいたに違いない。
 というわけで、ネオコンは逆にサダム・フセインのイラクを徹底的に叩くことで、イスラエルを取り巻く状況の不安定要因を一気に解決しようとしたのだろう。
 そして皮肉なことに、そういうふうにイラク戦争を見るなら、あながちこの戦争は失敗でも無意味であったわけでもない。イラク戦争は被害が甚大であるかのように報道されるが米軍被害が千人、イラク人被害が三万人程度と推定される。実戦経験を持つラムズフェルドにしてみれば、微笑しながら朝鮮戦争の昔話でもするのではないか。
 昨今、世界は混迷を深めているといった報道が飛び交う。そうかもしれない。しかし、以上のストーリーで見るなら、おそらくネオコンのプロットはそう外してもいない。イラクはイスラエルの驚異にはならなくなった。リビアの核化も潰した。パキスタンも軟化させた。北朝鮮はあまり叩くとミサイル防衛が不要になるので適当に残しておけばいい。イランはまだ大丈夫。むしろ米国にとって失敗だったのは、石油・食糧交換プログラム不正疑惑で国連、フランス、ロシアを叩きつぶせなかったことだろう。
 「テロとの戦い」からそういう米国の思惑を引き抜けば、依然、オクラホマシティーの連邦ビル爆破事件の時代のままだし、実際国際世界でのテロは、なぜだか、ごくスポラディックにしか発生していないという現実がある。無防備なアテネですらテロ事件は起きなかった。日本でも、またもっとも狙われやすいはずのオーストラリアでも発生していない。テロはもう、小規模なら今日的な意味でのテロらしくないし、北オセチア事件のように、大規模ならそれなりに周到に国際的に展開しなくてはならない。それだけ、失敗しやすいから、適度な保全が検討されている都市では起こりにくいし、それなりの政治的なメッセージを込める点からも、発生地は十分に絞られているのではないか。
 日本は、いくら「テロとの戦い」とか騒いでも、実際はもうしばらく呑気な時代が続くのかもしれない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.09.11

健康のためのエントリー休刊日

 実はこのエントリーは昨日のうちに用意し、ココログ(TypePad)の時刻指定機能で投稿したものだ。そうしたのは、一週間に一日はブログ休日を作ろうかなと思ったからだ。苦笑されるむきも多いだろうが、ご覧のとおり、私はブログ中毒だ。重症なんじゃないか。
 もっとも、だったら、単純に一日書かなければいいじゃないかと言われそうだ。さらに、つまらんエントリーも多いしなとか、言われそうだ。(すでに言われている?)ま、それもそうなのだが。
 ことは健康志向である。日本もいつのまにか米国に近い健康ノイローゼの国になってきた。健康のためなら死んでもいいとまでいかなくても、モデレートに健康を考えたほうがいい。健康というと、つい食い物だのエキササイズ(運動)などが思い浮かぶが、情報というのもあまり健康にいいものではない。代替医療の専門家アンドルー・ワイル博士も、健康指導の八週間プログラム「癒す心、治る力 (実践編)」の二週目で次の指事を出している。なお、文庫版は「心身自在」と標題が違う。


一日だけ、「ニュース断ち」をやってみる。その日は新聞・雑誌を読まず、テレビを見ず、ラジオを聞かないこと。

 うぁ、なんか俺には禁煙よりつらそうだな、って、私はタバコを吸わないし、酒も飲まない(飲めない)。でもま、たしかに、ブログ中毒というか情報中毒には重要な健康指針のような気もする。
 細かい指示はこうある。

 今週はもうひとつ、一日だけ「ニュース断ち」をしてみるようにアドバイスした。世界がいまどうなっているかを知らなくてもいいというわけではない。だが、ニュースを気にするという習慣は不安や怒りなど、治癒系を妨げるこころの状態の原因になりがちだということを知っていただきたいのだ。わたしはこれまで、からだに栄養をあたえるための数かずの方法についてアドバイスしてきた。ここで「栄養」という概念をさらにひろげて、意識にあたえる栄養についてもよく考えていただきたい。意識の栄養補給に不慣れな人は、気づかないうちに膨大なこころの「ジャンクフード」(高カロリーだが栄養にならないスナック食品)を摂取してしまっている。「八週間プログラム」でわたしが「ニュース断ち」をすすめるのは、あなたが力をもっていることに気づいてほしいからだ。その力とは、なにをどのぐらい、自分の心身に摂取するかを自分で決める力である。

 なるほどねと思う。ついでに、そう思ったのは、実は私は、こっそりと、ここやあそことはさらに別に小さなくだらないブログをやっているのだが、そこではくだらないニュースだけを取り上げている。当初はどっかのブログみたいにお笑いネタ志向だったけど、本当にくだらないニュースが少ないことに気が付いた。ニュースって深刻だったり悲惨だったりするのだ。あたりまえだな。
 さて、金曜日の日没も近い。ではこのエントリーをセットして、24時間のサバトの始まりである。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2004.09.10

モーリタニアの奴隷制

 モーリタニアの奴隷制と題したものの、のっけから長い脇道に逸れる。
 今朝の朝日新聞社説「9・11から3年の米国――蛇の賢さと鳩の素直さを」(参照)を読んで、無教養ってのは困ったもんだな、としばし苦笑した。もっとも、無教養がいつも他人事というわけにもいかないだろうから、自戒の意を込めてちょっと解説してみよう。


 みずからを敬虔(けいけん)なキリスト教徒とし、宗教右派を支持母体とするブッシュ大統領は好んで聖書の言葉を使い、主張を正当化する。だが、新約聖書にはキリストのこんな言葉も記されている。「蛇のように賢く、鳩(はと)のように素直であれ」
 ここで言う蛇の賢さとは、自分の置かれた現実を知り尽くした、したたかな知恵を意味する。鳩の素直さとは、自分が厳しい環境に置かれても他者に心を開くことを忘れるなということであろう。

 これはまいったな。しかし、日本人の多くは、必要もないせいもあり、あまりきちんと聖書を勉強していないものだ。朝日新聞だけを責めるものでもない。聖書を論語のような立派な格言集のように思っている日本人もいる。それにしても、聖書の句を取り出して「…ということであろう」と言うのはあまりに恥ずかしいことだ。聖書の句の意味を知るには、まず、その句の文脈を読み、使われている用語をコンコーダンス(一種の索引)で引き、そして、ギリシア語・ヘブライ語の辞書を引き、旧約聖書の参照を調べるといった手順を踏む。米人の実業家でもよく「バイブルスタディ」を日課にしている人がいるが、バイブルスタディとはこういう手順をきちんと踏んで聖書を読むことだ。
 この句の文脈を見よう。朝日新聞が参照している聖書がどのバージョンがよくわからないが、共同訳ではなく、表記は違うものの戦後の口語訳のようなのでそれを使う。マタイの10章にある。少し長いが引用する。

イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
(中略)
どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。 人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。

 話はイエスが弟子に宣教を命じるくだりだ。ここで、イエスは、福音を伝える弟子たちが、その訪問先で歓迎されないことを見越して諭しているのである。まず、受け入れてもらえる人と話なさい、通じない人には怒らないでユーモアを込めて足のちりでも落としておけ。これから出会う人々は狼のように危険だから、ちょっと人を騙すくらいの蛇の狡猾さを持ちなさいというわけだ。そして、ただ、狡猾なだけではなく、自身を貧しいながらも神に捧げられる鳩のように純真に使命感を持ちなさい。
 と、ここで私は蛇と鳩に解釈を加えた。聖書の世界を知る人間なら、蛇の狡猾さはアダムとエバの物語を連想させるし、鳩といえば当時の貧しい人々が神殿に捧げるための生け贄だったことを知っている。鳩については、貧しい者から利鞘を取ろうとする鳩商人にイエスが怒り暴れた話も印象的だ。
 しかし、そんな説教めいた話はどうでもいいといえば、どうでもいい。問題は朝日新聞社説のこれに続く文脈だ。

 米国は古代ローマに例えられるほどの超大国だ。しかし、一人では安全も繁栄も維持できない。欧州や他の大陸の国々や、異なる宗教や文化との共存なしに、それは不可能なのだ。アラブの民主化を唱えても、相手を理解する心がなければ進まない。それが現実である。

 朝日新聞が聖書の句を理解していないのはしかたない。が、これは無教養というより、なに馬鹿なことを言っているのだと思う。相手を理解すればアラブが民主化できるというのか。そんなことを思ったのは、VOAニュースでモーリタニアでイスラム教徒たちが行っている奴隷制のニュースを見たからでもある。
 "Anti-Slavery Groups Denounce Ongoing Practice of Human Bondage in Mauritania"(参照)によれば、モーリタニアではまだ奴隷制が存続しているのだ。

The northwest African country of Mauritania outlawed slavery in 1981, but, despite government denials it still exists, anti-slavery groups say the practice remains widespread.

 一応1981年には奴隷制は廃止ということになっているが、実際はまだ存続しているらしい。より詳細な情報は"Mauritanian Abolitionists Reveal Flawed State Department Rights Report"(参照)にある。英文なので読みづらいかもしれない。
 日本語の情報はないものかとサーチしてみると、「モーリタニア:『奴隷』状態の男性が警察によって拘禁されました。」(参照)があった。

 メタージャさんは、母親、3人の姉妹と7人の兄弟、計11人家族の元を去りました。家族は全員が依然「奴隷」の状態にあったと考えられます。子どもは誰も父親を知らず、強制労働および搾取されており、教育も受けていません。メタージャさんは彼の「主人たち」へ給仕していました。彼は脅迫を受けた後、逃亡しました。

 SOSトーチャー国際事務局は、メタージャさんの所在が依然分からず、逃れたら殺害すべきだと脅迫している彼の「主人」のところへ戻る危険性が極めて高いため、彼の心身の安全に対して深く憂慮します。


 もちろん、モーリタニアの政府はこうした奴隷制度に対する国際的な非難を認めているわけでもない。ちょうどスーダン政府がダルフールの虐殺を認めていなのと似ているようにも思う。
 関連してたまたま「サイードのモーリタニア日記」(参照)というページを見たが、興味深かった。

 田舎でも都市でも、アラブ系が黒人系を使う、という構図は変わらない。大体どこのアラブ系の家にも黒人系の使用人がおり、家畜の面倒や洗濯などの雑用を任せられる。肉体労働は彼らの仕事で、一方アラブ系はもっぱら商売や学問などに従事する。アラブ系が黒人系の下で肉体労働をする、というのは少なくとも国内においてはないに等しいそうだ(外国に出稼ぎに出ればそのような機会もあり得る)。これは以前の階級制度がそのまま受け継がれてきた結果である。実はこの辺りには何十年か前まで公然と奴隷が存在していたのだが、今でも公の「売買」が出来なくなったのと賃金を与えるようになっただけで、この階級社会自体に余り変化はないのかもしれない。こう聞くと「差別」とか「搾取」とかいったマイナスイメージが思い浮かぶが、僕が今まで観察したところ、そのような悲壮な雰囲気や黒人系の現状に対する反発心、などといったものは見て取れなかった。長い間の慣習がそうさせてしまったのか、或いは生得的なものなのか、ここの黒人系は何か受動的・消極的で、肉体的に秀でそしてちょっと野性的、よく言えばとても陽気で気さくで人の良い人が多く、その地位に安々と甘んじているように見える。アラブ系と黒人系の関係にも特に摩擦はないようで、どちらかが卑屈になったり高慢になったりすることもなく、普通に挨拶し合うし、対等に話し合う。ただ互いに今の構図が当然のものと植え付けられてしまっているのだろう。ここでは一般教育の機会、情報の流入などが内因的かつ外因的理由からまだまだ極端に少ないのだ。このような機会不平等に基づく階級社会~第3世界の中の第3世界問題~を解決しない限り、そして、各々がこのような事象の具現化を許した人間の心の病を正していかない限り、世界中にはびこる大小多数の精神的・物質的「第3世界問題」はいつまでもたっても消えないだろう。

 こうしたアラブ系の社会に朝日新聞は「アラブの民主化を唱えても、相手を理解する心がなければ進まない。それが現実である」というのだろうか。
 大きな間違いだ。相手が理解しようがしまいが、断固として民主化を推進しなくてはいけないことがある。その行為が、ときにはどれほどか暴力的に見え、非難されるとしても。

| | コメント (11) | トラックバック (2)

2004.09.09

アフガニスタン大統領選挙雑感

 米国大統領選挙より早い10月9日にアフガニスタンの大統領選が実施される。選挙活動は9月7日から開始され、現在のカルザイ暫定政府大統領が引き続き立候補するのは当然として、各種民族を代表する軍閥指導者も多数立候補している。大方の予想では、カルザイ優位は動かないとしていることもあり、その対抗勢力が結集する可能性もあるといえばある。
 基本的な構図は、アフガニスタンの多数派パシュトゥン人をカルザイが代表し、対抗勢力は、タリバン政権下の反対組織北部同盟ということになる。北部同盟はタジク人の支持と見ていいだろう。自分たちが現在のアフガニスタンを築いたとの思いもある。
 余談めくが、軍事活動以前のタリバンの日本人シンパは、池澤夏樹などが代表的でもあるが、アフガニスタン=パシュトゥン人とも見ていたように、確かにアフガニスタンという国の文化はアレキサンドロスの伝説を嗣ぐパシュトゥン人の文化のようにも見える。彼らは一応に自分たちの古代の誇りを踏みにじったチンギスハーンを忌み嫌い、その系統を引くと見られるハザラ人を嫌う。日本人は現地ではハザラ人に見えるので、パシュトゥン人からは「やだなこいつ」という印象があるだろう。ついでにこのアレキサンドロスの伝説だが、パシュトゥン人のいうアレキサンドロスは、中近東全体に言えることだが、ギリシア・マセドニア王というよりは、ペルシャ王のイメージのようだ。このあたりの古代史の常識は欧米の偏向がかかると分かりづらくなる。
 今回の大統領選挙の重要点は、当初、当選が有力視されるカルザイの副大統領候補の動向と見られていた。カルザイは、7月26日の時点で、北部同盟の最高司令官でもあったタジク人のファヒム副大統領兼国防相(現職)を副大統領候補から外した。このため、NATOを含め、世界がファヒムの暴走を懸念した。この時点のニューヨークタイムズ"Declaring Independence in Afghanistan"(参照)がよくその状況を表している。


Marshal Fahim is currently first vice president and defense minister as well as the commander of Afghanistan's largest private army. Continued partnership with him would have destroyed the credibility of Mr. Karzai's campaign to disarm all the warlords, who protect drug trafficking, undermine Afghanistan's new Constitution and thwart peaceful economic development.

By standing up to Marshal Fahim, Mr. Karzai runs the real risk of an armed challenge. Yet unless he moved now, his authority might have become meaningless in many areas. Nearly 20,000 American troops are now in Afghanistan, and the smaller NATO force is being reinforced for the election. If necessary, these forces should support Mr. Karzai.


 ファヒムは、政争や民族間対立として見れば、パシュトゥン人のカルザイ政権の統一性を阻むことが問題だとも言える。だが、ニューヨークタイムズが指摘しているように、ファヒムは、麻薬取引や軍閥全体の武装解除というアフガニスタンの未来を閉ざす悪因でもあり、欧米社会は圧倒的にこのカルザイの決断を支持した。
 ファヒムを切るというカルザイの決断は、当時の「国境なき医師団」の撤退なども合わせて、状況が悪化すれば、カルザイ支援のためにNATOなどが軍事支援をすべきかもしれないという展開にもなった。
 が、ファヒムはこの国際世論の圧力を受け、表立った対立を避け、タジク人のカヌニ前教育相を支援することにした。賢明といえば賢明な態度だろう。
 大統領選挙で私が気になるのは女性票の動向だ。現在、一千万人を越える有権者登録のうち、その四割を当たり前だが女性が占めている。女性票が大きく中近東の世界で影響力を持つことは、端的に好ましいことだと思う。
 大統領選挙の最終結果判明までは、五、六週間かかると予想されている。正式なアフガニスタン政権大統領誕生は11月になるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.08

Who are the people in your neighborhood?

 永住外国人の参政権は、どうも物騒な話題になってきているようだ。この件について私には、まるで強い意見はない。というか、書くべき意見はないに等しい。ただ、この問題はそんなホットな話題なのかなという違和感もあり、多少自分の思うことと関連のことを、こんなふうに思う人もいるよ程度の参考例がてらに、ちょっと書いておく。
 私は、地方参政権に限定すれば賛成だ。国政へは反対。そんなの常識じゃないの、というくらいこの問題に疎い。なぜ地方参政権授与に賛成なのかというと、国と地域は厳格に違うし、永住外国人は地方税を払っているのだから、その住民サービスの一環により主体的な関わりをもっていいいだろう、というくらいの考えだ。もちろん、この件だけに絞っても各種反対があるのは、ネットを眺めて知った。というか、反対・賛成は、どちらもなるほどなというくらいには思う。
 私はこの問題をあまり理詰めに考えていない。心情的なものだ。口をついて出るあの歌の心情である。


Oh, who are the people in your neighborhood?
In your neighborhood?
In your neighborhood?
Say, who are the people in your neighborhood?
The people that you meet each day

 訳す必要もないほど簡単な英語。セサミストリートの十八番である。これに続いて、消防士だの歯医者だの、社会を構成するいろいろな人々が出てくるのだが、全部正確に覚えているわけでもないので、歌詞をネットでひいたら、これがなかなかよい(参照)。

Bob: Oh, hi there, little fella.
Anything Muppet #1: Hello.
Bob: Hey, listen, know who you could be if I gave you this little hat and this bag to go over your shoulder?
Anything Muppet #1: I could be a laundry man.
Bob: No, not a laundry man.

 ここで、いの一番にランドリーマン、洗濯屋をもってくるあたり、セサミというのはしみじみいい番組だなと思う。私の誤解もしれないが、ランドリーマンは言葉が通じない移民の仕事の代表だ。日系や沖縄系の一世がよく洗濯屋をやったものだ。
 そういう洗濯屋をする永住外国人こそ私のネイバーフッド、隣人であるのだ。隣人と地域で顔をつきあわせていきていくのが人情ってものじゃないかと私は思う。
 私の思いはその程度のものだ。地域の隣人は等しい、と。
 それでも、日本での永住外国人問題は現状では、実際のところ在日朝鮮人の問題だというくらいのことは、わからないでもない。つまり、この問題は、実質、在日朝鮮人と我々の日本人社会はどう取り組むかという問題なのだろう。
 と、話をその方向に絞ったものの、私の考えはまたしても単純だ。この問題は日本社会が健全なら、在日朝鮮人の一世が死ぬ時代には自然に終わるだろう、ということだ。悪意に聞こえてはいけないがそれまで待てばいいのではないか。
 現状、すでに在日四世の時代であり、そしてそこには在日一世とは違った感性が生まれつつある。単純に言えば、朝鮮系日本人というだけで、つまりは、日本人なのだ。自然に帰化が進むだろう。あるいはそれを促進する施策を進めるべきだろう。
 そうして帰化が進めば、やや語弊があるかもしれないが、琉球系日本人と似たようなものになるだろう。後者のほうが朝鮮系より少ないので対立した形でエスニシティは露出しないし、また、本土歴史とも長い関係があるのでより融合しやすい。それでも、それはより広義には私のように信州系日本人みたいな些細な差異の感覚として、結局は日本に統合されるだろう。
 もちろん、在日一世の問題意識が思想として純化して嗣がれている側面もある。この嗣がれ、リニューアルされた部分の扱いは難しいなと率直に思う。が、取り敢えず、その祖形である一世の感覚はわからないでもないし、そしてこれは歴史のなかに埋没し、消えるしか解決もないように思う。極論すれば、その対立は、どの国民も他国民に害を与えうるものだという一般的な歴史の問題に解消するしかないだろう。日本人にはあまり知られていないようだが、隣国ということでいっても、ギリシアとトルコの歴史など日本と朝鮮の歴史の比ではない。それでも和解の道が開きうる。
 在日一世の問題意識については、「国境を越えるもの 在日の文学と政治」(金石範)が面白かった。

 日本が戦後の責任をもつということは、たんなる戦争責任ではなくて、これは人間の問題なんです。自分たちが支配し、相手の自分というものを否定し、他者たらしめたころからね、人間的に責任をもたなければならない。日本の政府は責任をもたないから、われわれ在日朝鮮人は他者的な存在から自分の存在になるためにやってきている。それを常に意識させるものが、日本の差別とかいろんなことなんです。何十年も日本に生きて、日本の国籍を取らないなんて、そんな馬鹿がどこにいますか。日本人はやっぱり分からないんだ、これが。冗談ですが、日本から天皇制がなくなれば私も帰化いたしますよ。その時私は世の中にいませんけれども。

 彼が私にじかにこれを話すなら私はじっと聞くだろう。ブログのコメントだと、さてご本人は本当に在日一世なのか確認しづらいので困惑する。それとは別にその見解をどう思いますかと問われれば、私の意見はまったく賛成しない。その理由を述べる前に、金石範の冗談が気になる。
cover
国境を
越えるもの
 冗談は、「天皇制がなくなれば」という仮定なのか、彼自身が歴史の流れに比してそれほど余命がないというユーモアなのか、そのどちらかなのかわかりずらい。ただ、心情的には前者だろう。そして、それはこの前半と合わせれば、天皇制こそが日本の他者差別を生み出しているものだと言いたいのだろうと推測できる。たぶん、そうなのだろう。
 天皇制とは社会制度というより、まず日本国憲法の規定だ。憲法という社会契約が結べなければその国民ではない。この規定をいつの日か日本人の総意が改変するかもしれないが、それは他国の人の問題ではない(外側から問われる課題ではない)。しかも、単純に制度としてみるなら、天皇が直接社会差別を生み出しているわけではない。それらは思想なり社会学的な分析の産出であって、日本の法はその差別を否定する。
 それでも、日本社会には根深い差別があるのを私も感じる。そしてその意識が在日に強く表れるのもわかる。だが、私はその差別への感受の意識は当の日本人にも同質だろうと思う。阪神大震災では政府(村山政権)の対処のまずさの責任も問われず多数が殺されてしまった。そこにも無責任がある。
 セサミの先の歌は最後にこう締める。

The trash collector works each day
He'll always take your trash away
He drives the biggest truck you've seen
To keep the city streets all clean

 ゴミ収集人は私たちの隣人、彼らの仕事で街がきれいになっていくというのだ。
 日本人である私たちは、そう思っているだろうか。ゴミ収集人を内心差別しているのではないかと糾弾するのではない。社会のすべての仕事を等しく隣人と見ているのだろうかと思うのだ。これは金石範のいう「人間の問題」に広義に開いて問うべきだろう、彼の意図とは矛盾するかもしれないが。

| | コメント (14) | トラックバック (1)

2004.09.07

白露に彼岸花

 今日は二十四節気の白露(はくろ)。早朝には草の葉に白い露が宿るという。七十二候では初候「鴻雁来」(こうがん きたる)として雁が飛来し始めるというが、それはない。それは中国の話。日本の鴻雁来は寒露。
 今年は残暑も厳しいので、秋の気配が感じられるのはまだ先かと思っていたら、川縁に彼岸花が咲いていた。なるほどもうしばらくすると彼岸には違いない。暑さ寒さも彼岸までということになるのだろう。

cover
アマバルの
自然誌
 東京に戻って約二年になる。その前の八年間の沖縄暮らしでは、海が臨めるところに居を求め転々とした。池澤夏樹の言うところの「アマバル」にも暮らしたが、そのころの借家の一つに、彼岸花が美しく、強く印象に残っている。沖縄で彼岸花かと感慨深かった。借家には老婆が十年以上も一人住んでいたらしく、彼女が植えたものに違いない。他にも季節ごとに各種の植物が現れ、まるでそれが彼女の遺言のようにも思えた。彼岸花は、死人花、幽霊花の異名もあるので、彼女の人生と合わせて、なにか小説のネタにでもなりそうだなとも少し思ったが、当方文才はない。
 彼岸花は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属。ラテン名は、Lycoris radiata。あれ?リコリス?と思うかもしれないが、紫色のジェリービーンはlicorice。別物だ。赤はジンジャーだね。
 彼岸花は曼珠沙華(まんじゅさげ、まんじゅしゃげ)ともいう。いかにも仏教めいた字面のとおり、法華経の摩訶曼陀羅華曼珠沙華による。摩訶はメガと同源の語でデカイということ。曼陀羅華は中野の古本屋。残りがこの曼珠沙華というわけだが、説明にもなっていないか。法華経は経典といってもなかなかドラマ仕立てなので現代語訳で読んでも面白いもので、読むとわかるが、法華経とは、いわゆるあのお経ではなく、SFXのように宇宙に出現する真理のメモリアルのようでもある。「銀河鉄道の夜」の最後の十字架のようでもある。その出現の前触れに、ヨハネの黙示録の光景のように、吉兆として法華六瑞という六つの印が天に現れる。その一つが四華という四つの花。曼珠沙華はその一つの花にたとえられている。ってな、壮大な趣味はいかにも江戸時代らしい。英語ではRed Spider Lily、赤蜘蛛百合、とも言われる。そんな感じもする。植物としてはアマリリスの一種だ。らりらりらりらーである。
 彼岸花の由来は中国大陸からだと言われているが、大陸には現存しているのだろうか。彼岸花は史前帰化植物の一種とも言われ、縄文時代から延々と日本に住み続けていた。しかも彼岸花は縄文時代のままであるに違いない。というのも、彼岸花には種はできない。親の球根に付随して子球根ができて増殖する。が、子球根といっても交配はないので、遺伝子は同じ。彼岸花こそが日本人の来歴を知っているに違いない。
 彼岸花は有毒植物でもある。毒成分はアルカロイドのリコリン(lycorine)やガランタミン(galanthamine)だ。毒性が強いわけでもないが、一応気をつけるにこしたことはないだろう。古代人はこの毒性に目をつけて墓場の守りに植えたり、田畑の動物除けに植えたのかもしれない。
 毒は球根が強い、この球根(鱗茎)は、漢方では石蒜(せきさん)と呼ばれ、適量を去痰剤に処方することもある。しかし、アルカロイドは水溶性なので水に晒して毒抜きもできる。毒を抜いて残りの澱粉を食用にする地方もあるようだ。沖縄のソテツのようなものなのだろう。とすれば、多分、うまいに違いない。毒キノコと言われるベニテングダケも私は喰ったことあるが、うまかった。なにか、こう、毒とわかっていてもうまいんじゃないかというものに、人間は惹かれるような気がする。


【追記2004.09.20】

cover
毒草を食べてみた
 「毒草を食べてみた」に彼岸花の毒性について興味深い記載があるのを書くのを忘れていた。追記したい。

 毒性は、煮たり炒めたりして熱を加えても変わらない。それなのに、昔の人は飢饉とはいえ何だってこんな毒草を食べたのだろう。
 その答えを出してくれたのは、球根を粉にして蒸したものをヘソビ餅だと教えてくれた能登のおばあさんだった。明治三二年生まれの彼女は、十六歳で伊勢から嫁ぎ、かつては旧家だったであろう、海にのぞむ大きながらんとした家にひとりで住んでいた。
(中略)
 日本海の荒涼たる風景をひとりぼっちで眺めながら、彼女はときおり故郷を思い出してヘソビ餅を作るのだという。
(中略)
 ヘソビ餅は、この粉と同量の水を鍋に入れ、とろ火でねっとりとした糊のようになるまで煮詰めていく。熱いうちに皿にあけ、冷やして固める。ほとんどくずもちの要領である。しかし、味つけは黄粉やアンではなく、きざみネギと、なめ味噌のような醤だった。

 余談だが、また本書には触れられてないが、デザートによく使うタピオカにも毒性があり、彼岸花球根と同様に水にさらして毒抜きしている。この例のように、毒抜きした澱粉はそれほど珍しい食品ではない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004.09.06

新羅・しらぎ・しんら・シルラ

 このところ「新羅の神々と古代日本 ― 新羅神社の語る世界」(出羽弘明)をぱらぱらと読んでいた。内容は標題どおり日本各地の新羅神社について書かれた本だ。新羅神社なんてあまり多くの人には関心ないだろうから、お勧めしたい本ということではない。このエントリも、だから、ちとたるい。
 著者はこの分野の専門家ではない。話は足で稼いでいるといった趣。足で稼いだ話というのは、金達寿の、例えば「日本古代史と朝鮮」のように紀行文的な味わいもあり面白い面もある。本書は奇妙に文学的な嗜好がないのもいい。谷川健一の、例えば「日本の神々」(岩波新書)なんかだと、気分は伝わってきても、結局なに言ってんだか皆目わからん。
 「新羅の神々と古代日本 ― 新羅神社の語る世界」の冒頭を読みながら、ふとこういう話を今の日本人はどう受け止めるのだろうかと気になった。


 韓国では今でも三国時代の地域間の対立が残っていると言われる。『三国史記』などによれば高句麗、百済は扶餘族であるが新羅は元々辰国あるいは馬韓の一部であり、秦国の亡命者や、倭人と接していた韓族である。馬韓は扶餘族より滅亡し百済国となったことが遠因であろうか。日本古代においても、百済系の大王と新羅系の大王(天皇)は異なった扱いである。

 扶余と言えば、現代では忠清南道南西部の都市名だと思う人が多いだろう。元来は百済の都だった。百済王家も扶余系を自称していたからで、史記もそれを記している。だから、この本のように百済は扶余族であると言われる。私も特に否定するものでもないが、それほど肯定もしていない。
 扶余はツングース系の民族で、現在の中国東北地区紀元前一世紀から紀元後五世紀に国を興していた。この扶余系民族には高句麗が含まれる。
 百済は660年に日本の援軍も虚しく滅亡したので、半島にはその後、高句麗と新羅が残る。現在の朝鮮は、そうして見ると、大雑把に言うのだが、扶余族と韓族という二つの別種の民族から成ると理解してよさそうだ。が、このあたりの話はナショナリズムが興隆しつつある現代の朝鮮には通じにくくなっているような気がする。
 また、先の引用部分では、倭国の大王についても、百済系と新羅系とを分けていた。私の誤読もあるかもしれないが、単純なところでは、百済系が天智天皇、新羅系が天武天皇と理解していいだろう。
 ちょっと話が常識から逸脱するが、書紀の記すところでは、この二人は兄弟となっているが、天武天皇の出目の記載もないことや、書紀の編纂ミスからか天智天皇の即位前の中大兄皇子を韓子(百済人)と参照したと受け取れるテキストもあり、二人は別の血統なのではないか。ただし、このあたりは現状ではトンデモ古代史になりそうなのでこれ以上は控える。
 それでも、新羅人の倭国への流入はかなり古い時代になるのだろう。統一新羅以前になるはずだ。その痕跡が新羅神社にあると考えても、そう不思議ではない。

「新羅神社」は新羅の人々がその居住地に祖先を祀った祠(祖神廟)であり、新羅人が居住した地域の氏神である。したがって新羅神社の由緒を調べることは、古代に渡来した新羅の人々の居住地や痕跡を辿ることである。新羅神社は、ほぼ全国にわたって存在しているが、本書では全国の新羅神社を便宜的に「渡来系」と「源氏系」に分けた。「渡来系」とは文字通り新羅から移住した人々が氏神の祖神を祭った神社であり、「源氏系」とは、三井寺の新羅神社の神前で元服し、「新羅三郎」を名乗った源氏の無精源義光に端を発するものである。

 新羅神社跡=新羅人の居住区というのは、民俗学にありがちな荒っぽい措定だが、それでも現状の分布を調べる意義はあるだろうし、その際、「源氏系」をマークアウトするのは方法論的には正しいはずだ。
 「新羅神社」の名称にも史的なバリエーションがある。

 新羅神社の呼称は「しんら」と「しらぎ」が混在しており、表記や発音も「白城」、「白木」、「白鬼」、「信露貴」、「志木」、「白井」、「白石」、「白髭」、「白子」、「白浜」、「白磯」などと変化している。中には渡来系の神社であることを社号からまったく消して「気多」、「気比」、「出石」などと呼ばれている神社もある。祭神についても同じことが言える。当初の神を抹消したり加神したりしている。また『記紀』の神話の神を同座させる操作も行われてきた。

 これらのバリエーションの派生にどの程度信頼が置けるのかは個々に議論しなくてはいけないが、それでも派生が起きているということは前提になる。重要なのは、ここでさらっと触れているように、『記紀』の神話からの意味づけに注意することだ。記紀はこれらの神社の成立より時代が新しい。日本の神社は実は記紀によっては意味づけできないのがその本質だ。
 こうした日本の新羅神社の系譜もだが、気になるのはこれらの新羅人は半島ではいつの時代の新羅だったかだ。繰り返すが、百済滅亡以前であり、さらに統一新羅がでできる以前だろう。
 新羅の建国については日本同様神話が起源になる。新羅王の始祖は卵から産まれるので卵生神話の一種だ。四世脱解も卵生である。歴史的には、四世紀に辰韓が斯盧国によって統一されて成立し、北の高句麗、西の百済と並んで三国時代を形成した。統一新羅ができるのは、676年、七世紀であり、日本の本来の成立と時期を同じにする。なお、日本が七世紀に成立したとの見解は昭和天皇も言明しているが、日本国内では定説化はしていない。
 新羅については、誰が書いたのかWikipedeiaが重要な記載を加えている(参照)。

4世紀後半から6世紀にかけての慶州新羅古墳からは金冠その他の金製品や西方系のガラス器など特異な文物が出土する。この頃の新羅は中国文化より北方遊牧民族(匈奴・鮮卑など)の影響が強かったことを示している。このため奈忽王以後の金氏は鮮卑系ではないかとの説もある。

 奈忽王は17代で在位は356-401である。まさに四世紀後半から六世紀にかけての新羅には、文化的にみて謎が多い。中国との交流も少なく、文化的に閉ざされている印象もある。
 この時代について、先の副葬品から美術史家由水常雄が「ローマ文化王国‐新羅」でとてつもない仮説を出している。標題のようにこの時代の新羅はローマ文化が興隆していたのとしているのだ。それだけ聞けば、「またトンデモ本かよ」だが、同書には、これは否定できないのではないかと思わせる出土品が数多く掲載されている。あおりを引いておく。

従来の史家は"北方系の異質な文化"として、解明できなかった四~六世紀の新羅とはどんな国だったのか? 天馬塚、味鄒王陵、皇南洞九八号墳等、韓国考古学の成果である大発掘による出土品の数々と世界の博物館の品々とを対比させ、深い関係を検証して、正に新羅文化がローマ文化の所産である一大展観を書中に試みた画期的著作。

 はっきり言って「ローマ文化王国‐新羅」を読んで私は人生観が変わった。先日国立博物館の東洋館で黄金の樹木冠やトンボ玉を見ながら、これはローマ文化と言うほかはないように思えた。
 同書は今アマゾンを見たら絶版で、古書にはお宝の値段が付いていた。嘆かわしい。一部からはトンデモ本扱いされても、この再版を出す責任があるのではないか、新潮社。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2004.09.05

北オセチア共和国学校占拠事件

 北オセチア共和国学校占拠事件は陰惨な結果に終わった。全貌が明らかになるにつれ、喉が詰まるように苦しい思いがする。なにより子供たちの被害を知ることはつらい。死者数の公開は今後さらに増えるとも予想されている。
 この事件をどう見るべきか。すでにいくつか典型的な視点がある。いわく、テログループたちとのねばり強い対話が必要だった、背景にあるチェチェン問題を解決することがこうしたテロを防ぐことになる、ロシアの強権的な秘密主義は許せない、治安部隊の突入は失敗だった…といったものだ。しかし、実態を知るにつれ、そうしたいかにも正義じみた主張は虚しくなってくる。
 テログループたちとは対話の余地はなかったと思う。高い気温にも関わらず子供たちに水すら飲ませなかったのだ。食物がなくても人間はかなり大丈夫なものだが、水がなければ三日でアウトだ。前回の劇場テロとは違う。最初から莫大な被害を起こしてテログループはトンズラするつもりでいたようだ。
 チェチェン問題を抜本的に解決せよというのは、この問題の識者からの指摘に多いが、識者は知に溺れるの図ではないかと思う。現状のチェチェン大衆はテログループを支援していない。独立への思いはあるにせよ、現状を受け入れつつあることは、今回の選挙の支持率を見てもわかる。問題は複雑だが、現実的には大衆の生活を徐々に改善していけばよいだろう。スターリンの弾圧を受けた民族はチェチェンだけではない。
 ロシアの強権的な秘密主義はたしかに問題だが、秘密主義をやめることが今回の事件をよりよく改善する方向に寄与したかは疑問だ。むしろ、今回プーチン大統領は国連にきちんと支援を求めている。こうした事態にどのように情報を制御するかは、指導者に任される問題だろう。
 治安部隊の突入が失敗だったとも言いづらい。大半の犠牲は爆破によるもであり、この爆破は治安部隊の活動に誘発された可能性があるとしても、当初から仕組まれていたものだからだ。ひどい言い方だが、プーチン大統領にしてみれば、人質の生存も大切だが、今回のテログループを確実に殲滅することも等しい課題であったに違いない。その配慮との強行のバランスから見れば、治安部隊の行動の成否はほとんど運に任されていたように見える。
 と、いうように私は自分の頭のなかで詰め将棋をしてみる。チェックメイト…いや、そうだろうか。どこかに忘れていた退路はないのか。
 もしあるとすれば、チェチェン共和国に隣接する北オセチア共和国の治安強化だろう。今回の事件でもどうやらテログループは周到にテロを準備していた。周到であれば周到であるほどそれを阻止するチャンスもあるに違いない。いずれにせよ、テロ対策が強化されるだろうし、当然、生きにくい生活の雰囲気も漂うだろう。それこそ、実は日本人が未だ経験していないものだ。
 北オセチア共和国は、ロシア連邦を構成する共和国の一つだ。すでに述べたように東にチェチェン共和国に隣接する。共和国としの民族自治は、国名の由来でもあるオセット人によるとされている。が、人口構成を見ると、オセット人53%、ロシア人30%、イングーシ人5%(参照)。日本人から見れば、オセット人とロシア人の区別は付かないが、それはアメリカ人が日本人と韓国人、中国人の区別がつかないのと同じで、彼ら自身は、違いはっきりわかっている。同じロシア正教徒であると言っても、言語も文化も違う。古代スキタイを嗣いでいるとも言われる。北オセチア共和国のロシア人は多分にかつての支配者であろう。今回のテロもロシア人の捲き沿いを喰らったと思っているに違いない。マイノリティのイングーシ人はチェチェン人と民族的には同じ。ロシアに抵抗しなかったグループを便宜的にそう呼んだといってもいいようだ。
 ロシア連邦を構成する非ロシア系民族の多い各共和国では、表立つことはないにせよ、プーチンへの批判は出てくるだろう。ロシア人はさらにプーチンを支持するのではないか。プーチンを批判することはたやすい。しかし、このカリスマティックな大統領が折れれば、ロシア連邦にアノミーが起こるだろう。
 英国紙テレグラフは、「プーチンはこの悲劇に動じない」"Mr Putin will not be moved by this tragedy"(参照)と語ったが、彼は自国への愛からこの悲劇を嘆くことが許されていない。

| | コメント (20) | トラックバック (2)

2004.09.04

韓国は核兵器を保有したいのではないか

 韓国政府系の原子力研究所が原爆転用可能な高濃度ウラン製造の実験を行っていた話題だが、一日置いて最初のショックが収まるとなんとも奇妙な光景が浮かび上がってきたようだ。私自身の率直な印象を言えば、韓国に裏切られたような気持ちがした。逆に言えば、それだけ韓国に期待し、信頼していた面があったことに気づく。
 それに追い打ちをかけるように、日本語で読める韓国紙サイト、東亜日報、朝鮮日報、中央日報の報道はどれも、「たいした問題ではない、日本が騒ぐのは困ったことだ」という基調で報じていた。私は落胆した。
 率直言えば、私は、その韓国人の発言の背後に、核武装への自負が感じられた。考えすぎかもしれない。しかし、泣きたい気持ちになった。私は核兵器なんてものはこの世から完全に無くさなくてはいけないと思う。それがどれほど難しいことであれ、そこを志向しなくてはいけない。もし、日本で同じような秘密の実験が進んでいたのなら(その可能性がゼロとも思えないのだが)、他国に向けて今回の韓国の報道のように軽率な弁明を許さない。
 落胆したのは、その気持ちを韓国人と分かち合うことはないのだと、腹の底にずしんと思ったから。そして、動じまい、釣られまいとも思った。案の定、朝日新聞社説が驚くべき早さで釣られて出てきた。
 事件の真相だが、依然わかっていないように思える。いろいろな憶測はある。ここでは、この事件がアメリカからどう見えているのか、ワシントンポストとニューヨークタイムズを参考にしたい。
 新しいところでワシントンポスト"S. Korea Acknowledges Secret Nuclear Experiments"(参照)に記になる指摘がある。


U.S. officials, speaking on the condition of anonymity, said the United States had begun a separate inquiry into whether the scientists involved had trained at U.S. nuclear facilities as part of friendly exchange programs and whether the technology may have come from the United States years ago.

Experts and diplomats said revelations that a U.S. ally conducted secret nuclear work, in violation of the Nuclear Nonproliferation Treaty, could complicate efforts by the Bush administration to increase international pressure on Iran and North Korea, which are also accused of conducting clandestine programs.


 米国と韓国では親善交流として技術者交換プログラムを行っていたのだが、今回の実験に関わった韓国人科学者が米国の核施設で訓練を受けたかどうかを米国が注目している。つまり、米国技術の利用違反があるのではないかというのだ。米国のフカシとも思えないので、なにか裏があるのだろう。つまり、マークされているそいつは誰だ、という問題だ。このことを韓国系のニュースは明らかにしていないように思える。
 同記事では明らかにブッシュの痛手になりそうなこの暴露時期についても疑問を出している。

"This could not have come at a worse time for the Bush administration's efforts on both Iran and North Korea," said Jon Wolfsthal, a nonproliferation specialist at the Carnegie Endowment for International Peace. "Iran is going to say the U.S. is giving an ally a free pass, while the North Koreans are going to accuse the U.S. and the South of hypocrisy and warmongering."

 ブッシュの痛手になることはたしかだ。が、そのことを韓国の報道者が考えないわけもないのにその言及を見かけなかった。というか、私自身の被害妄想っぽいのだが、韓国報道はほくそ笑んでいるような印象を受けた。この点は、ニューヨークタイムズ"South Koreans Repeat: We Have No Atom Bomb Program"(参照)のほうが直截だ。ニューヨークタイムズは日本の評論家小川和久の発言に注目している。

Kazuhisa Ogawa, a military analyst in Tokyo, said the timing of Seoul's announcement now might have some relation to the Bush administration's decision in the spring to withdraw one-third of the 36,000 American troops from South Korea without demanding reciprocal security concessions from North Korea. "I think this was an attempt to shake up the U.S. after it had announced the withdrawal of its troops from South Korea," he said.

 つまり、今回の核兵開発暴露は韓国からの米軍撤退を思いとどまらせるものではないかというのだ。先日の共和党大会でブッシュは明からさまに韓国を無視していたことを思えば、穿ちすぎとも言えないのだろう。
 それにしても、なぜ核兵器開発を行っていたのか。その前提としてそれは核兵器開発なのか、という問題がある。ニューヨークタイムズは断定していないものの、"South Koreans Say Secret Work Refined Uranium"(参照)で十分な疑いを提出している。

To date, the laser technique has been so expensive that experts assume its only usefulness would be for a military program where costs are no obstacle. It uses different colors of laser light to separate different forms of the same element, like uranium 238 from uranium 235, which in atomic reactions easily splits in two in bursts of energy.

"Given its lack of commercial application, the only conclusion you can reach is that any nation pursuing this technology is doing it for military uses," said Paul Leventhal, president of the Nuclear Control Institute, a private group in Washington that has campaigned against nuclear facilities whose waste could be used for weapons.


 確かに核兵器に十分な量のを作り出せるわけでもないのだが、政府の軍事的な関心なくしてこんな研究はできないのだろう。その意味で、仮に火遊びだとしても、十分に潜在的に核兵器を志向していたとは言っていいのだろう。
 また、この研究は隠匿しやすい。

The method chosen by South Korean scientists to enrich uranium, through the use of lasers, is considered easy to hide.

 実験が行われていたのは金大中政権下だった。中年以上の日本人なら彼のことをよく知っている。それゆえ、彼がこの研究を支持をしたとは考えにくい。

At the time of the South Korea experiment in the year 2000 - which Seoul insists was never repeated - the country was led by President Kim Dae Jung. Mr. Kim was known for his "sunshine policy" of seeking increased engagement with the North, and traveled to North Korea the same year that the enrichment experimentation reportedly took place. "I would doubt it is anything that Kim Dae Jung condoned," said Donald P. Gregg, a former American ambassador to South Korea. "But that doesn't mean it hadn't been condoned by some previous government" or parts of the military.

 ニューヨークタイムズも金大中への疑念は控えている。が、それが韓国の国策であった可能性を示唆している。
 もともと韓国は1970年代に核兵器開発を志向した経緯がある。先のニューヨークタイムズ"South Koreans Repeat: We Have No Atom Bomb Program"も明記している。

Many analysts drew parallels with the early 1970's, when South Korea secretly worked on making an atomic bomb. The weapons program was fueled by worries over the United States defense commitment to the South, insecurities that started with the American defeat in Vietnam and increased with President Carter's decision to remove American troops from South Korea.

 核兵器を志向したのはベトナム戦争での米軍の敗北がきっかけだった。米軍が頼りにならないので、自前の軍事力として核兵器開発を志向していた。
 しかし、今回の問題については、IAEAはすでに過去の問題だとして現状の韓国の危険性を追求していない。もちろん、そうした落としどころがあってこそ公開されたに違いないし、核兵器製造というより、もともと火遊び的な傾向のある研究に過ぎなかったのだろう。
 それでも、私は心地よい眠りから覚めた。韓国はなぜ再び核兵器を志向したのだろうとまず考える。そして、一度そう疑ってしまえば、北朝鮮への韓国の関わりも、その核兵器の継承の意図を持っているのではないかとまで疑念が膨らむ。

| | コメント (12) | トラックバック (4)

2004.09.03

レバノン大統領選挙がシリアの内政干渉で消える

 米国大統領選挙と同様11月に予定されていたレバノン大統領選が消失しそうだ。レバノン内閣は、ラフード現大統領が選挙をせずに任期を三年間延長するという憲法改正案を国会に提出した。今日あたり可決するのだろう。ニュースはVOA"Lebanon, Syria Criticize UN Draft Resolution "(参照)に詳しい。
 言うまでもなく、ラフード大統領下のレバノンはシリアの傀儡である。レバノン内戦(1975-89)の初期、1976年以降、アラブ首脳会議の決定ということでシリアが「アラブ平和維持軍」という名目で派兵したまま一万五千人もの部隊を駐留させ、レバノンの内政干渉を続けている。なお、フィナンシャルタイムズ"Syria's own goal"などでは二万人としている(参照)。内戦の詳細は、Wikipediaの「レバノン内戦」(参照)に詳しい。
 シリアも明からさまにふざけたことをやってくれものだというのが欧米の一般的な認識だ。レバノン憲法では、大統領任期は1期6年で連続2期の再選は認められない。しかし、選挙は直接選挙ではなく128人の国会議員で行うので、その理屈からすると、国会で憲法改正案が通るなら同じことと言えるのかもしれない。が、レバノン国民の民主化の願いは潰える。
 この事態を受け、米国、フランス、イギリスが主体となり、国連安全保障理事会を通じて、シリアによるレバノン内政干渉中止決議のドラフトが作成された。が、制裁は無理だろう。ダルフール問題ですらスーダンへの制裁はロシアによって覆された。レバノンの件では中国系の報道をみると、これらを欧米の内政干渉として牽制する向きが多いようだ。中国もこの件についてはシリア側に立つことになるだろう。
 国連安保理を経由する以外にも、米国、フランス、イギリス、さらにはドイツもそれぞれ独自の外交を展開しつつある。特に米国の場合、中東担当バーンズ国務次官補がシリアに訪問する予定だ。シリアはフセイン下のイラクほど反米に固まっているわけでもないので、こうした米国側の圧力で大統領選が実施されるかもしれない。
 冷酷な見方をすると、米国の本音はそれほどシリアへの敵視は少ないのではないかとも思う。極東ブログ「シリア制裁発動」(参照)でも触れたように、すでに発動された米国のシリア制裁も及び腰ではあった。対イスラエル的にそれほど物騒な騒動を起こしてくれるなというあたりが、同じく大統領選挙を控えている米国の内情ではないか。ニューヨークタイムズ"Lebanon's Lost Sovereignty"(参照)の糾弾のトーンもそれほど高くはない。
 フランスはレバノンの宗主国という面子があり、またイギリスも歴史的にこの地域に関わってきた経緯もある。欧米側の反応にはレバノンに多いキリスト教徒への配慮もあるかもしれない。
 事態にはなんとなく落としどころが見えるのだが、そこに落ち着くかどうかが、しばらく注目すべき状態だ。
 ところで、国内でのこの問題の扱いは軽い。かろうじて毎日新聞が扱っている程度のようだ。9月1日から日本でもGoogleのニュースサービスが開始されのでレバノンで検索してもたいした情報はない。情報統制があるとも思えないのだが、よくわからない。
 ついでにJANJANの姿勢も批判しておきたい。レバノン大統領選挙を扱った記事「カルロス・ゴーン 期待のレバノン大統領候補」(参照)は、問題の本質にせまらずただのお笑いに仕立てて終わっている。JANJANはスーダン・ダルフール問題でも当初は剥きだしの反米といった姿勢だけだったが、オールタナティブなジャーナリズムを志向するならそれなりの水準の見識を示して欲しいと思う。同様に天木直人にも期待したい。彼はココログのブログ「天木直人・マスメディアの裏を読む」(参照)のプロフィールにはなぜか記載されていないが、2001.3-2003.8の期間駐レバノン国日本国特命全権大使であったはずだ。レバノンの内情に詳しいはずなので、なんらかの言及があってしかるべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.09.02

ミサイル防衛という白痴同盟

 中国人民解放軍が台湾を威嚇するために台湾海峡沿い東山島で行っていた軍事演習が突然中断した。これを受けて、台湾側での対向軍事演習も中断。まずはよかったが、潜在的な問題が解消に向かうわけではない。中国側はこの機に、米国による台湾への武器輸出が台湾の独立気運を高めることでこの地域の平和を脅かしているとして、武器輸出を中止すべきだとアナウンスした(参照)。最初に脅しをかけておきながらなに言ってやがんだと思うが、台湾独立云々は論外としても、台湾が米国から大量の武器輸入を行っているのは確かだし、今後も軍事費は増えるだろう。と、他人事のように言える日本でもない。
 中国はこうした問題では滑稽なほど自分勝手なことだけほざくものだが、事態は笑って済ませる段階を越えているかもしれない。VOAニュース"Pentagon Report: Asia Tops World Arms Purchases"(「ペンタゴン・リポート:アジアは武器購入の最上位顧客」)(参照)を読んで気が沈んだ。ネタ元のレポートは"Conventional Arms Transfers to Developing Nations"である。


A just-released study by Congress finds Asia has eclipsed the Middle East as the world's largest buyer of weapons, with Russia and China the region's largest providers.

While the United States remains the world's biggest arms provider, this new report from the research service of the Library of Congress finds that Asia is now the world's biggest buyer.


 もはや世界で武器購入のお得意様と言ったら中東を抜いて今やアジアがトップということだ。世界規模で見るなら最大の武器販売国は言うまでもなく米国だが、この地域に限定すると中国とロシアが最大の販売国になるというのだ。
 特に中国がひどいという印象を受ける。

A recent report by the Pentagon concluded Beijing has embarked on an ambitious, long-term effort to modernize its military through purchases of advanced technology, intended to bring its military more in line with those in the developed world.

 中国は兵器を売りつつ、自国では最新の軍事技術の購入を行っている。なに考えてんだ中国と思って、同ニュースを中国側で見るとチャイナデイリーに"US still dominate arms market, but world total falls"(参照)がある。こちらのニュースでは、力点は米国が武器市場を独占していることに置かれ、中国国内の状況には触れていない。そんなものなのだろう。
 こうした状況に日本も他人事ではないのは、端的に言って、れいのミサイル防衛システムの購入があるからだ。ちょうど一年前の読売新聞の記事だが「ミサイル防衛 唐突さ否めない概算要求の計上」(2003.8.30)にはミサイル防衛システムに対する予算として、こうあった。

 防衛庁が導入を計画しているのは、米国が二〇〇四年から二〇〇五年にかけて米本土に配備するシステムで、イージス艦発射型の「SM3」ミサイルと、地上配備型のパトリオット「PAC3」ミサイルを組み合わせる方式だ。
 これは、日本に飛来する弾道ミサイルをSM3が大気圏外で迎撃し、撃ち漏らした場合、着弾直前にPAC3で迎え撃つ二段階方式。同庁は二〇〇七年度中の実戦配備に向け、来年度予算に自衛隊のイージス艦とパトリオットの改修費、ミサイル本体の取得費など千三百四十一億円を計上した。配備までには最低五千億円が見込まれている。

 それで日本がミサイル攻撃から防御できるなら高い買い物ではない。が、ミサイル防衛システムなんか機能しっこないのだ。この問題はここでは詳細には触れない。私が依拠しているのは、"Union of Concerned Scientists"による"Technical Realities: National Missile Defense Deployment in 2004"(参照)だ。

The ballistic missile defense system that the United States will deploy later this year will have no demonstrated defensive capability and will be ineffective against a real attack by long-range ballistic missiles. The administration's claims that the system will be reliable and highly effective are irresponsible exaggerations. There is no technical justification for deployment of the system, nor are there sound reasons to procure and deploy additional interceptors.

 私はこの科学者の言明を信じている。だから、ミサイル防衛システムなんてものに取り組むやつらは、ばかじゃないのか、と思う。
 これをきちんと言明したのは、カナダ自由党のキャロリン・パリッシュ閣僚だ。先月25日のことだ。きちんと、ミサイル防衛を白痴(idiot)だと言ってのけた。カナダでは連日の話題になったが、一例として、"'Coalition of idiots' backs missile defence: MP"(参照)によれば、パリッシュはこう言及した。

"We are not joining the coalition of the idiots," Parrish said at a small anti-missile-defence rally outside the Parliament buildings.

 発言は「私たちカナダ人は白痴同盟なんかに参加しませんよ」ということだ。"the coalition of the idiots"は、もちろん、イラク戦争の有志同盟(Coalition of the Willing)をもじったものだ。
 この発言はお下品ということで物議をかもした。が、もちろん、米国とカナダのこういう側面の険悪な感じは、サウスパークを見るまでもなく日常的なものなので、米国人側はそれほど意に介していない。カナダ側としても、本音ではキャロリン・パリッシュの暴言を責めているふうでもない。Eye Weekly"Politically incorrect"(参照)が笑える。

George Bush is a moron (if not clinically, then at least in the common usage of that word). Dick Cheney is a greedhead. The American government is run by a bunch of rich assholes, for the benefit of a bunch of other rich assholes. Missile defence is an idiotic idea.

None of the above is particularly newsworthy, as far as I can tell, and despite my blunt phrasing, I'm unlikely to be challenged very vigorously on any of the above assertions because for a substantial chunk of Canadian society, these ideas are simple, uncontroversial and accepted.


 ちょっとお下品過ぎるので訳せないが、そういうことだ。
 私は米国全体を見ればばかの集まりとはまるで思わない。イラク攻撃を行った「有志同盟」についてもそれほど批判的ではない。
 ただ、ミサイル防衛に血道を上げる国はパリッシュが言うように白痴同盟だと思う。そして、一点の疑いもなく、日本は白痴同盟の構成員だ。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

2004.09.01

キューブラー・ロス博士の死と死後の生

 精神科医エリザベス・キュブラー・ロス(Elisabeth Kubler‐Ross)博士が、米国時間の8月24日午後8時15分(日本時間8月25日)アリゾナ州の自宅で死んだ(参照)。享年78歳。彼女は、1999年タイム誌が選んだ20世紀最大の哲学者・思索者100人のうちの一人でもあった。
 彼女はもっと早い時期の死を予言していたので、長い読者の一人である私にはある種心の準備が出来ていた。中島らもの死を知った時のような驚きはなかった。また私は彼女の著作を通して、彼女が自身の死をどう捕らえているのかも理解していたつもりなので、その意味では哀悼とはまた違った思いが去来する。なにか書きたいという思いと、奇妙になにも書けない思いが錯綜しているが、やはり書いておこう。
 エリザベス・キュブラー・ロス博士は、世界的なベストセラー「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)の著者として知られている。1969年に出版されたこの本の読者は日本人にも多い。この本はまさに死につつある人にインタビューし、死というものを探ろうとした驚くべき労作である。私も死を思い続けた思春期に読んで強く影響を受けた。当時の日本での翻訳書は川口正吉訳「死ぬ瞬間―死にゆく人々との対話」(1971)だが、近年鈴木晶による完全新訳改訂版「死ぬ瞬間―死とその過程について」(1998)が出ている(リンクは文庫版)。書名の違いも興味深い。新訳の副題が示唆するようにこの本は、人の心が死をどう受容するかという過程を科学的に取り組んだ点に大きな意義がある。ここではその過程(プロセス)についてはあえて触れない。
 この労作がきっかけとなってターミナル・ケア(終末期医療)の分野が確立したといってもいい。おそらく現代人の日本の大半は、一人静かに死と向き合うことになるだろうが、その時、医療とは異なったターミナル・ケアに頼むことになる。
 この労作に続けて、彼女は一連の書籍を著した。まず「続・死ぬ瞬間」(こちらのリンクは文庫版新訳)が刊行された。私にとって「死ぬ瞬間」よりも大きな影響を受けたのは、「死ぬ瞬間の子供たち」だ。標題どおり、まだ幼い子供が死をどう受け入れていくのかをテーマにしている。
 うまく言えないのだが、私などいまだに死というものに発狂しそうなるほどの恐怖を感じるのだが、それでも、人間というものはある程度生きれば「もういいかな」という感じがしてくるものだ。私も、キリストの死の歳を越え、ツアラトゥストラの死の歳も越えた。ラファエルやモーツアルトの歳はとっくに越した。太宰治の死の歳も越えた。三島由起夫の死と同年。もうすぐ夏目漱石の死も越えるのだろう。こうして「もういいかな」感は増してはくる。人生は生きればそれなりの意義はあるといってもいい部分はある。
 だが、幼い子供の死とはなんなのだろうか。あるいは、今ダルフールで死んでいく子供たちの死には、どんな意味があるのだろうか。それを考えると、やはり発狂しそうな思いが去来する。もちろん、その言い分に冗談のトーンがあるように、普通、私たちは、その幼い命を奪っていく死というものに向き合って生きているわけではない。
 ロス博士は、そこにきちんと向き合った。そこに向き合うということはどういうことなのか。一つの成果は、ファンタジックに描かれた「天使のおともだち」に見ることができるだろう。普通、我々はこれを比喩として受け止める。
 だが、ロス博士はこうして死の問題に取り組みながら、明確に死後の生というものを確信していく。先ほど私は「発狂しそうな思い」と書いたが、これにきちんと取り組めば、人間は気が狂ってしまうのかもしれない。ロス博士もついに、気が狂って、向こうの世界に行ってしまったのか、という思いもする。
 このことを決定的な形で描き出したのは彼女の自伝「人生は廻る輪のように」だ。これは、名著「死ぬ瞬間」に劣らぬインパクトを持っている。そこには死後の生を確信したロス博士の生涯が描かれている。そして、その確信から生まれ出る後半生の驚くべき活動(赤ん坊を含むHIV患者のターミナル・ケア)も描かれている。
 ロス博士はこういう人だったのか。これは狂気ではないのか? 私はこれをどう受け止めたらいいのか。やがて死ぬ私は、死後の生を確信しなければ、恐怖に打ちのめされるだけとなるのか。
 正直に言えば、私はこの問題に孤独に取り組みすぎ、知的に狡猾になった。信じる・信じないの危うい均衡のようなものを生きていけるようになった。それはちょうど河合隼雄のようなものだ。カール・グスタフ・ユンクも死後の生を確信していたが、河合はそういうユンクの思想を悪くいえば狡猾に吸収した。私はたまたまテレビだったか、河合がロス博士の生涯を、そうなる必然として理解していることも知った。
 この狡猾さは哲学的・神学的な言辞でいかようにも語ることができるように思う。しかし、問題はおそらく、やはり赤手空拳に死後の生に向き合うことだ。
 もちろん、私たち現代人の社会にとって死後の生は意味をなさない。「と学会」のような浅薄な知性は、死後の生をただ嘲笑うだけで通り過ぎていくだろうし、それぞれの自身の死もあたかも他者の死の光景のようにみなし、そして忘却のように彼ら自身も死んでいく。それで良しとするのだろう。それが健全な常識というものじゃないか?
 そうだろうか?
 中島義道が若い日に死の恐怖をかかえ、やはり哲学をするしかないと心に決めて、哲学者大森荘蔵を訪れたとき、大森は、死について「あのずどーんとする感じ」と答えていたという。そうだ、あのずどーんとする感じだ。その感じからすれば、健全な常識というのはただの虚想にすぎない。「物と心」で彼はこう言う。


 シャルル・ベギーの鋭い警句がある、「死とは他人にのみおこる事件である」。また人はエピクテトスの、死はありえぬことの証明を思い起こすだろう。
 だが人は自分の死後の家族を案じ、身辺を整理し、葬式は簡素にと遺言し、遺贈を約束したりし続けている。人は明らかに自分にやがて死がおどづれ、だが世界は何ごともなかったように続行すると信じている。

 そう身辺を整理しないと意外なものが孫に見つかることもあるからな(参照)。
 オカルティックな死後の生を信じない健全な常識人も、大森が指摘するように、自身の死後に世界は何ごともなく続行すると信じているものだ。

しかし、たとえばわたしは自分の死後の世界を想像できるだろうか。見るべき眼も聞くべき耳も、いやそれらを通して知覚するわたし自身がもはやないという条件下で、たとえば街の風景をどのように見えると想像できるのか。風景がどう見えるか、とはわたしに風景がどう見えるかとの意味である。

 そうだ、死後も続く生の滑稽さは、自分の死後にもこの世界は続くという確信と同程度に滑稽なものでしかない。我々の文明は、同じ2つの滑稽さの一つを選んだにすぎない。
 やがて消滅する私は、そもそもいつから私だったのか。記憶としては4歳くらいまでは遡及できる。私が生まれ、脳が発達し、自我が出来たというが、この私の精神はどこから来たのだろうか。その遡及の感覚は、ちょうど夢からこの世に覚めるのと似ている。私は無限の無の世界から目覚めてこの世界にいるのなら、また眠り、また目覚めないとどうして言えるのだろうだろうか。
 ロス博士は、子供のケンとバーバラ、その孫たち、そして友人に見守られて安らかに威厳をもって死んでいった。彼女は死に及び「これから銀河をわたってダンスをしにいくのよ」とも告げた(参照)。

| | コメント (9) | トラックバック (4)

« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »