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2004.08.11

李下に龍を顕す

 この14年間シンガポール首相を務めてきたゴー・チョクトン(63歳、Goh Chok Tong)が辞任し、明日12日、これまで副首相兼財務相を勤めてきたリー・シェンロン(52歳、Lee Hsien Loong)が首相となる。シンガポール建国の初代首相にして善き独裁者リー・クアンユー(80歳、Lee Kuan Yew)の長男である。単純に言えば、王位継承ということだ。世界が沈滞化してきたのか、自由主義国ですら、世襲が珍しくないが、直接的な国民投票によらないという点ではどこかの寒い国に似ている。もちろん、どこかの寒い国と同様に、表層的にはその国民に不満があるわけでもない。リー・シェンロンはシンガポール国民に強く支持されている。もっとも、盤石と言えないのは、かつてリー・クアンユーがその位置にいた上級相にゴー・チョクトンがつき、さらに心太よろしくリー・クアンユーは新設の顧問相に突き上げれたことからでもわかる。没問題、大丈夫。52歳のシェンロンには、パパがついている。かくして三首相体制となった。東南アジアの龍に首が三つもある。なんだかキングギドラみたいだな。
 今回の世襲は古い筋書き通りだった。もともとゴー・チョクトンは父クアンユーが長男シェンロンに国を嗣がせるための中継ぎに過ぎなかった。シェンロンが父に並ぶ生え抜きの経歴を持つのに対して、ゴー・チョクトンは見劣りがする。シンガポール大学を卒業し、政府系海運会社の役員を務めて、1976に政界入った。その後、国防相・副首相を歴任して、1990年リー・クァンユーから首相職を移譲された。リー・クァンユーにしてみると、英国自治領時代から通算31年後のこと。すでに、1984年に政界入りした世継ぎの嫡子シェンロンも、この時すでに副首相兼商工大臣となっていた。いい滑り出しじゃん、とパパは思ったか。
 人生というのは広く眺めてみると意外に公平なものである。あるいは、どこかに神の采配があるような気もしてくる。「天の将に大任を是の人に降ろさんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、行いには其の為す所を払乱す。 心を動かし、性を忍び、其の能くせざる所を曽益する所以なり」である。1992年、シェンロンは癌(リンパ腫)にかかっていた。妻は1983年に病気で亡くしていた。世の辛酸舐めた。
 シェンロンは、「そのことは今でも人生に影響していますか」と訊かれたとき(参照)、こう答えた。「それは誰の人生でもありうることです。人生の荒波に揉まれず自動操縦の飛行機に乗るようにはいきません。人はそうした不幸とともに生きていくものなのです。」
 彼は先妻との間の子を引き取り、再婚もした。どこかの国の首相と、とても、違う。人生いろいろではないのだ。庶民の普遍的な生き様には変わりえぬ根幹というものがある。それを見つめることができない人が首相となってはいけない。国民が不幸になる。
 シェンロン個人への表立った批判は少ないだろうが、リー王朝への批判は少ないわけではない。現在の妻ホー・チンはテマセク・ホールディングスの執行取締だ。この企業はシンガポール航空など国内の主要企業を傘下にしている。弟のリー・シェンヤンはシンガポール・テレコムの最高経営責任者。ま、もっとも、自由主義というのはそんなものか。米国大領選挙候補ケリーの最終的な金づるはかみさんだしな。ブッシュ? もう言うまでもないでしょ。
 世襲で、しかも、大企業をファミリーにしていて、それでいいのか?
 いいに決まっている。それ以外になにがあるというのだ。歴史は苛酷だ。それを思えば独裁制と言われようが屁のごときだ。
 シンガポールの歴史は1819年に始まる。今ではホテルにその名前を残すサー・スタンフォード・ラッフルズがシンガポール島に着いたとき、そこに中国人はいなかった。マレー人が150人ほどだけ。なのに、4年後には、住人は1万人を越え、中国人はその1/3を占めるまでになった。中国人といっても、出身はばらばらでお互いに言葉は通じない。この華僑たちは、今でもそうであるように、その地に現地夫人を作るから、混血の子供がたくさん生まれる。日本の古代もそんなものだっただろう。
 マレー人の女と華僑の間に生まれた子供たちはババ・チャイニーズと呼ばれる。母語とはよく言ったもので、母の言葉を指すが、マレー人の母を持つ華僑の子孫たちは、マレー語を母語とする。中国語なんか話せない。リー・クァンユーもそんな一人だ。頭が良かったのは確かだから、宗主国イギリスで教育を受けることができた。
 1957年、ようやくこの地にマレー人の民族意識の高まりから、マラヤ連邦ができたが、できてみると、華僑の子孫ははたして自分たちが何者かわからなくなった。彼らは1963年マラヤ連邦に入ったものの、2年後に追い出された。この理由をマハティールがこっそり書いているが物騒で再録できない。
 こうして1965年8月9日、シンガポールは華僑の国として独立することにした。華僑なんだから中国を話さなくてはということで、リー・クァンユーも普通語(北京語)を覚えた。もっとも、ババ・チャイニーズたちがすべて彼のように普通語が話せるわけもない。そもそも華僑が北京語を話すというのも変な話だ。ということで、英語を普及させることにした。We can speak English, laである。語尾になんか付いているがいいじゃないか。日本人はかくしてシンガポールの公用語は英語だと思っている。間違いではない。が、公用語は英語、中国語(北京語)、マレー語、タミル語。で、この国の言語はと言えば、歴史が示すとおりマレー語だ。法螺話ではない。JETROの「シンガポール;概況 」(参照)にも正直にそう書いてある。
 そうそう、リー・クァンユーは漢字で李光耀だった。この光輝くイメージは息子のシェンロンのあだ名、Rising Sunに受け継がれているようだ。Rising Sunとかいうと、つまらぬ歌でも歌いそうになるな。

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コメント

無粋ですが、李下に冠を正さずとリー・シェンロンのもじりですか?それとも他に出典が?

投稿: Sundaland | 2004.08.11 12:32

Sundalandさん、ども。ただの駄洒落です。ブログってタイトルだけで読まれる面があるので、臍曲がり、ってなものです。

投稿: finalvent | 2004.08.11 13:50

リー親子そしてシンガポールの公務員は徳治主義を地でいっているところがあり、感心してしまいます。まさしく国家の父。
反面、第二次反抗期をむかえ、家出する(=海外留学、就労)国民も多いようで。

このような政体がどこまで持ちこたえるのか、ある意味で楽しみに見守っております。

投稿: | 2004.08.11 15:28

>庶民の普遍的な生き様には変わりえぬ根幹というものがある。

トートロジーでつ。

投稿: どうでもいいことながら | 2004.08.11 16:18

まあ、世襲は世襲なんですが、あらかじめ世襲するぞ、と事実上の予告をしておいて、これだけ長い期間にわたり、実務的な実力の検証をされて、それでようやく実現するという話なので、ただのぼんぼん坊主に位を譲るというのとは、ちょっと違いますよね。
死ぬかもしれない病になっていたにもかかわらず、テストを(たぶん)クリアした息子も(たぶん)偉いんだろうと思います。
なんのかんの言っても、おばかさんに跡継ぎをさせるほどオヤジさんはまぬけではないし。

ちなみに、マレー・ジレンマって、マハティールが退陣した今でも禁書なんでしょかね?

投稿: fanannan | 2004.08.11 21:47

「We can speak English, la」のlaで笑いました。中国人は日本語でも語尾にla(了)をよく付けてますよね。

投稿: iko | 2004.08.12 00:02

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