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2004.08.04

レジ袋問題について、つらつらと思う

 レジ袋について、このところどうも心にひっかる。ので少し書いてみたい。
 のっけから余談めくが、「レジ袋」という言い方でいいのか気になって「デイリー新語辞典」をひくと、載っている。「スーパーマーケットなどの小売店で,レジでの精算の際,客に渡される買い物袋。多く,ポリエチレン製。」 つまり、アレだ。レジ袋と呼んでよさそうだ。
 海外では、plastic bagと呼んでいる。ちょっと気になって、EXCEED英和辞典をひくと「ビニール袋」。あれま。英辞郎をひいたら「ビニール袋、プラスチック袋、ポリ袋」のみ。こんな例文も載っている。


I put the things I bought into a plastic bag.
買ったものをビニール袋に入れた。

curb shoppers' use of plastic bags
買い物客{かいものきゃく}のビニール袋使用に歯止め{はどめ}をかける


 訳していて変だと思わないのだろうか。ま、どうでもいいか。
 plastic bagという単語を挙げたのは、もしよかったら、これでニュース検索してみて欲しいからで…そう、最近、けっこう世界的に話題になっている。特に、最近ではオーストラリアで話題だ。当然、環境問題である。
 例えば、"Australian town joins global war on plastic bags"(参照)はあまり一般的なニュースとは言えないが、逆にわかりやすいかもしれない。

SYDNEY The tiny Australian seaside town of Huskisson, perched on the edge of glittering Jervis Bay and fringed by pristine national parks, has signed up for the global battle against the humble plastic bag.

 オーストラリアの海辺の町、ハスキンソンは、あのささいとも言えるレジ袋に対して国際的な宣戦布告をした…ということで、トーンはわざとヒューモラスになっている。でないと、環境問題って、ちょっと宗教みたいになるしね。
 レジ袋っていうのは普通の日本人の感覚でも、やなゴミだなという感じはあると思う。殊更に環境問題にするほどでもないかのようだが、これってけっこう生物には残酷なシロモノだ。間違って喰ってしまうから。

Sacred cows roaming India's streets have died after chewing bags containing scraps of food, while thousands of turtles, birds, and other marine animals are killed each year after mistaking the millions of bags in the world's oceans for squid and jellyfish.

 私もカルカッタで生ゴミをあさるツートーン・カラーの烏をよく見た。もっとも、それほどはレジ袋は見なかった。道の中央分離帯よろしく生ゴミが捨てられているのだが、すぐに干上がる。ま、そんな話はどうでもいいか。
 話を戻すと私も沖縄で海辺で暮らしていたので、寄せられるゴミのレジ袋には困惑していた。できたら、こんなものは使いたくないので、私は、コープで売っている100円ほどの布のショッピングバッグをよく持ち歩く。これがけっこうタフに出来ていて、しかもきちんと折りたたむと小さくなる。便利極まりない。コープ以外のスーパーマーケットでも使うので、レジのお姉さんにも覚えられてしまったものだ(けっこう恥ずかしいものがあるが)。
 コンビニでも使う。近所のコンビニは比較的マナーがいいので(中年男性店員のマナーの悪いのには呆れる)、特に困らないのだが、困ることある。ネットを見ていたら面白い話があった。「質問:コンビニのレジ袋」(参照)。長いが引用したい。

近年スーパーでは、環境問題への配慮からレジ袋を使わないよう働きかけている店も多くみられるようになりました。しかしコンビニではそういう動きはあまり見られません。

自分の袋をかばんに入れているので、スーパーの時と同じように「袋はいりません」と言うとあまり店員さんの態度がよくない時があります。

「調子狂うな、マニュアルと違うことを言う客だな」「もっと早く言えよ」という気持ちが見え隠れしている店員さんが時々います。(大抵そういう時はレシートもこっちが言うまで渡そうとしない)

何度も同じ店に行っていれば顔も覚えるだろうに、あい変わらずの対応です。(マニュアルどおりしか仕事ができないタイプかも)

ちょっと言うタイミングが遅いとさっさとレジ袋にいれてしまうし、一旦入れたものを出してくれというわけにいかずそのまま店をあとにすることもあります。

そのレジ袋はゴミ箱に捨てるしかないけど、何枚も積み重なると何だかもったいないという気持ちがしてきます。邪魔くさいし。

コンビニでレジ袋をいらないと言うことはおかしいのですかね。最近ちょっとそういう気がしてきました。(もしかしてどうでもいいことかもしれないけど)


 これ、わかるな。どうも余談が多くていけないが、冷たいものと雑誌と一緒に袋に入れる神経もわからん。「それ、入れないで」とか言おうものなら、険悪。
 この質問に寄せられた回答は好意的なもので、電車男の話じゃないが、世間もそう悪くないような気になるが、実態は改善されないだろう。
 さて、話は、さぁ、みんなマイバッグを持ちましょう、というオチなのか。なんだか15年くらい前だったか、割り箸止めましょう運動みたいで、キモイな。
 あるいは、杉並や韓国みたいに、レジ袋に課税したり有料を義務づければいいのか。それもあるかもしれない。せっかく先進国日本なのだから、レジ袋は可燃性のものせよという規制をかけてもいいのかもしれない。
 マイバックを使う主婦にちときいてみた。ところ、レジ袋はレジ袋で便利だというのである。それもそうかと思うが、どうやら、結局、ゴミとして捨てられてはいるようなので、可燃性なり自然に壊れるようなもののほうがよさそうだ。
 つらつらと思うが、どうも心のひっかかりは取れない。先の英文ニュースにはこうもある。

"We've had plastic bags since the 1960s and initially they seemed like a great idea, lightweight, low energy needed to make them. Then the dead animals starting washing up on beaches," said John Dee, from environmental group Planet Ark.

 環境団体の人は、1960年代にレジ袋が登場したころはなんて便利だと思ったものだ、と言っている。というあたりで、私もいつレジ袋がこの世界に登場したのか、ちょっと思い起こしてみる。私も目撃者の一人だ。
 それは、急激な変化ではなかった。じわっとした変化だったと思う。エポックはある。たとえばコンビニだ。酒屋がコンビニになった、あの時代だ。
 あの時代の前の時代というのがある。
 最近、ネットなので30代の人の意見をよく見かけるのだが、なにかが抜本的に通じないなと思うことが多い。なんだろと思うのだが、共通する風景かもしれないという気もしてきている。「檄を飛ばす」「姑息」なんてのの誤用はどうでもいいが、あの風景を見た人と見ない人の差はなんだろうと思う。いや、あの風景を生きた人と生きてない人の差だろうか。もちろん、いい悪いといった話ではない。
 かつてスーパーでは紙袋だった。紙袋で足りているところにスーパーがあったと言ってもいいのかもしれない。菓子屋は、うすっぺらなスジの透けるような紙の袋だった。開封のところがぎざっとしていた。乾物屋の包み紙はぺらっとした鶯色だった。ピンクのもあった。あの紙はどこに行ったのだろう。魚屋は新聞紙だったと思う。肉屋は経木だった。「経木」なんて読めないのだろうな。
 懐古したいわけでもないし、昔はエコだったと言いたいわけでもない。ああいう生活のなかで包装というのものはああいうものだったという生活の感覚の有無が、なにか重要だという感じはする。
 批判ということでは全然ないが、例えば、レジ袋反対とか言う環境運動の人が1970年代生まれだったら、私は、心のどっかでその人を信じないだろう。というか、信じろっていうのが無理に思える。
 環境運動は懐古を基礎にするものではないことはわかる。でも、あるべき環境というものに生活の臭いや風景が感じられないなら、全然だめだよという感じがする。
 この感覚が大切なんだろうと思う、というのがこうした問題の暫定的な自分の結論である。

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「環境」カテゴリの記事

コメント

> レジ袋反対とか言う環境運動の人が1970年代生まれだったら、
> 私は、心のどっかでその人を信じないだろう。

この場合の「信じる」にはどんな意味があるのだろう。

私は1979年生まれだが、主義・主張・行動に賛同が得られれば、
(それが交際したいと思っている異性でも無い限り、)
私と言う人間を信じて貰いたい等とは微塵も思わない。

自分が自分の価値観で取捨選択することであり、
誰かを信じたり疑ったりして判断する事では無いと思うのだが...。

投稿: (anonymous) | 2004.08.04 17:35

ま、79年生まれでも、ちょっとした売店の油紙袋くらいには触れているでしょうね。職場近所の売店も5年位前は紙袋だったのだけど…

投稿: synonymous | 2004.08.04 18:15

私も30代前半ですが家が商店街にあったので経木とかは懐かしいですね。

投稿: (anonymous) | 2004.08.04 18:50

私も70年代生まれですが、田舎(岩手)では89年頃まで紙袋がよく使われていた記憶があります。そう、酒屋や雑貨屋(〜茶屋)がすごい勢いでコンビニ化した時期。当時を思い出してしまいました。結構すごい変化だったのだな、と。

投稿: (anonymous) | 2004.08.04 19:15

1975年生まれですが、ちとむかついたので脊髄反射レスを。

> どうも余談が多くていけないが、冷たいものと雑誌と一緒に袋に入れる神経もわからん。
> 「それ、入れないで」とか言おうものなら、険悪。

じゃあどうしろと。別々の袋に入れたら、それはそれで文句垂れるんでしょ?人に文句言うだけで、解決策を示さない、示せない奴は嫌いだね。

投稿: 1975 | 2004.08.04 19:28

> どうも余談が多くていけないが、冷たいものと雑誌と一緒に袋に入れる神経もわからん。
私の近所のコンビニでは、ちゃんと「袋、お分けしましょうか?」って聞いてくれるけど・・・。

店員教育がなっていないコンビニなんだと思います。

投稿: むにゅう | 2004.08.04 21:37

>じゃあどうしろと。

だから「別々のふくろにいれろよ」っていってるわけだろーよ。
これはおれも同感。ていうかなんどか言ったことある。
「本が濡れるからわけろよ」って。こんなもん常識だと思うんだが、、

>別々の袋に入れたら、それはそれで文句垂れるんでしょ?

元の文章のどこをどうよめばそんな解釈になるんだか(笑)。

投稿: (anonymous) | 2004.08.04 22:04

こんな東の果てまでも夏がやってきたようですな

投稿: (anonymous) | 2004.08.04 22:23

 こんばんは。私のまわりではたいてい「ビニール袋」と呼んでいて、レジ袋とは聞かない気がします。
透明なビニール袋と区別するときは「コンビニの」「買い物でもらった」のように付け加えて言いますね。
地域的なものもあるのかもしれません。

 今ではレジ袋はおおむね燃やしても有害でない材質に切り替わったと思っていましたが、実際はどうなのかこれから少し意識してみたいと思います。

投稿: (summercontrail) | 2004.08.04 23:00

 すみません、コメントの「確認」を繰り返しているうちに名前とURLを入力し忘れていました。
上の(午後11:00の)投稿は私です。

投稿: summercontrail | 2004.08.04 23:03

>>(anonymous)
はたから観ればあんたも厨と一緒だよ。
10:04の発言を観て言ってんだけどさ。

投稿: とおりすがり | 2004.08.04 23:06

自分は冷たいものと雑誌を別々に入れられると
「袋がもったいない」って思ってしまう方です、、、

投稿: (anonymous) | 2004.08.04 23:30

>>包装
環境といえども衛生面は避けられないですね。

投稿: Cyberbob:-) | 2004.08.05 08:35

飲料物などは常識的に紙物と同梱すべきではないと、私的には思う。
これは環境問題とは別次元の問題なのではないだろうか?
あたたかいモノと冷たいモノを同梱するのも、また然り。
客が「ぜひ同梱して欲しい」という意向なら話は別だが。

私個人は手持ちにしたり自前のバッグに入れたりすることで
袋を2枚貰わないようにしてはいるが、
サービス業である以上、企業側の対応が欲しいとこではある。

それにしても、生活観の記事は凄いコメント伸びますね。
関心が高いと同時に意見しやすいということなのか。
伸びの方向性が本懐とは違うのがなんともアレだが。

投稿: peco | 2004.08.05 10:09

なんかしみじみとして良いエントリーですね。私も30台前半なのですが、おっしゃっている風景(魚屋=新聞、肉屋=経木等)は記憶の片隅に残っています。
恐らく感覚的な問題なのでしょうが、ビニール袋は萎えますね。コストの問題や(別の意味で)資源・環境の問題もあると思うのですが、紙袋が復権するとよいですね。ちょっと話しはずれますが、昔ながらの「プラスチックではないお弁当箱」を使うほか弁とかコンビニがあったら嬉しいですね。

投稿: swaka | 2004.08.05 10:26

遅まきながら。
ジャスコユーザーなので、マイバスケットという私用スーパーカゴとエコバッグを使ってます。ジャスコと大きくロゴが入ってますが、他のスーパーでも堂々と使ってます。
(レジで「このカゴに直接入れて下さい」と頼みます。袋に入れ替える手間も時間もかからず、便利です~)
レジ袋をもらわないとスタンプを押してもらえるところが多いので、ちょっと得した気分。(20個で100円の金券になるくらい)
コンビニでも本屋でも袋はほとんどもらいません。たいてい店のシールを貼って渡されますが、嫌な顔されたことないです。
「アリガトウございます」と言われることは多いのですが、ラッキーなだけかしら。
私の住む自治体はプラスチックゴミと可燃ゴミは別になっていますが、圧倒的にプラゴミが多いです。(軽いですが)
リサイクルゴミも別にあるので、可燃ゴミってすごく少ない・・

投稿: あさ | 2004.08.05 13:12

先月ドイツに行ったのだけれど、環境先進国の筈なのに、スーパーだのデパートの食料品店だので、ばかすかビニール袋置いてました(いる奴取れって事ですな.店員がよこさない所が日本と違うと言えば違うか)。土産用に布袋買おうと思ってそう言うと、すっげぇ面倒臭そうなツラされたな。あれは驚いた。

私は1970年代前半生まれ。スーパーが紙袋だった時代は良く覚えていて、あっちの方が正しいだろうと思っとります。というかですね、我々の世代は学校で環境保護(というか省エネ&石油製品拒否)刷り込みされているんです。成功したかどうかはわかりませんが(^^;。こういう誤解は私も結構やってると思うので、finalvent氏を非難するつもりは無いけれど、認識は改めておいた方が、物事を更に妥当に判断するのに良いでしょう。

投稿: (anonymous) | 2004.08.05 20:12

とくにレスということではなく、追記風な話でもあるのですが。

いろいろなご意見があってもいいと思いますし、やはり世代論的な枠組みに受け取られるかなという懸念が当たってしまったふうもあるかなという印象はあります。そこに力点はなかったのですが。

エコ問題で気になるのは、理想的な状況を認識することではなく、実感することではないか、と思うようになったのです。そして、その実感というのは、理念や理詰めの真理ではなく、生活できる風景の、まさに実感です。

もちろん、かつての風景はしだいに消えていき、それ(かつての風景の経験)を若い世代に求めることは無理だし、言葉でそう主張することは無意味だということはわかるのです。

象徴的にしか言えないのですが、たとえば「経木」というのはある感触ももつわけです。そしてその感触は生活に組み込まれていた。しかし、今、経木はない。今、機能的には代替として発泡スチロールなりレジ袋がある。機能は代替されたけど、生活の感触は消えました。その落差と、生活の感覚なのです。発泡スチロールやレジ袋に、経木のような感性が持ち得るのか。

経木がいいというのではないのです。また、理念で決したいわけでもない。むしろ、理念で決するのではないと考えたいのです。

曖昧に聞こえるかと思います。し、聞こえるだけマシかもという気もしますが。

経木や紙は、私はそれとともに生きていたという感触があります。発泡スチロールやレジ袋も同じさと言えるでしょうか。私は海辺に立ちながら、そこに朽ちないレジ袋に圧倒された思いがあります。また、発泡スチロールは異臭を立てて燃えていきました。私はこいつらとどう生きたらいいのだろう?という感じです。

投稿: finalvent | 2004.08.05 20:32

詩が理念で塗りつぶされていくのを見るような、そんな心持。

投稿: synonymous | 2004.08.06 09:03

_____________________________________________

◆◆◆ アメリカだとPlastic bagの方が紙袋よりエコという事になってます。◆◆◆

こんにちは。上の方で紙袋が良いと言ってる人がいたみたいなのでコメントします。
浪費大国、「リサイクルしない」大国のアメリカですが、「Paper or Plastic?」についてはPlastic bagの方がエコという事が常識になってます。
(ただし日米で分厚さの違いがあるかもしれない。)

地中で分解するのもPlastic bagの方が早いらしい。

以下の文にあること。
Plastic bagの方が:
① 製造に要するエネルギーが小さい。
② 7分の1の重量なのでトラック燃料が節約できる。
③ 簡単にリサイクルできる。

http://www.monroecounty.gov/org50.asp?orgID=50&storyTypeID=4
What is better for the environment: Paper or Plastic bags when asked at the grocery store?
・・・
In fact, plastics can play a significant role in energy conservation.
① Not only do plastic bags require less energy to produce than paper bags,
② they conserve fuel in shipping. It takes seven trucks to carry the same number of paper bags as fits in one truckload of plastic bags.

③ While you can not place your plastic grocery bags in your curbside recycling container you can take them back to the store to be recycled. Most stores have recycling containers for the plastic bags right near the front entrance.

http://jbbs.shitaraba.com/study/4383/stzz.html
_____________________________________________

投稿: stzz | 2004.08.06 10:00

レジ袋はゴミ問題として考える必要があると思いますが、
紙袋だって森林伐採の問題があるので、どちらも解決にはならないと思います。
結局は個人が自分用の買い物袋を持ち歩くのが一番いいのではないでしょうか?

ちなみに私は1979年生まれですが、小学校くらいまではスーパーで紙袋使ってた記憶ありますよ。
重いものが入っていると、よく下が破れて中身を落としてました(笑

投稿: yu | 2004.08.09 12:46

総合的なエコロジーという観点で見ると、レジ袋も、それがリサイクルされるなら、問題はないとはいえそうですね。

ただ、その場合、きちんと廃棄されないレジ袋というのを、道徳的な問題とするのか、技術的な問題にするのか(自然に崩壊する素材にするのか)、という問題は残るようにも思います。

「オーストラリア・シドニー海外生活ブログ」の平野さんから示唆深いトラバをいただきましたし、yuさんのコメントもですが、社会が買い物袋を標準化するというのがもっとも賢いようには思います。

余談ですが、ハンカチにも使える、小型の布バックとか作ろうかと思っています。バティックで作るとかっこいいかも。

投稿: finalvent | 2004.08.09 14:31

そこでバティックの風呂敷ですよ。サイズも絶妙ですし。
亡父がノベルティでもらった風呂敷が結構重宝してます。桂林かどこかの風景の印刷に菜根譚の一節が印字してある柄も気に入ってまして。

投稿: giraud | 2004.08.09 19:22

レジ袋有料、法制化要望へ スーパー業界団体が決定
だそうです。でも環境のこと考えるとやっぱりそういう流れですよね。

投稿: レガ | 2005.05.21 03:05

エルメスたんがすきなんです!

投稿: 電車男 | 2005.10.24 11:56

ぼく、ギターが好きなんだ~^^
みんなは好きぃ~?
みんなはレジ袋がすきなんだよね^^
ウフッ^^ばかみたい。。「

投稿: ギター男 | 2005.10.24 12:13

詩と理念が混同されやすい書き方を意図的にしていますね。
世代論とも宗教とも受け止められるのはしかたがないでしょう。ちょっと不親切であり、誤解を避ける方法はあったはずだと。
いつもながら理論よりは文学に偏りがちで、書き出しと結論の分離ももレトリックとしてありがちとはいえ被害を増しているような。

私の自治体ではレジ袋はごみ袋としても使えます。自治体が指定している袋に限りますが。そうすると、生ごみを捨てるときに一人暮しでにとって適当な大きさなんです。特に夏場なんかは助かる。
小さいごみ袋を作ってもいいんだろうけど、別にレジ袋をなくさなくてもいいんじゃないか。  あとは選択性。
もちろんプラスチックの方がエコであると仮定しての話ですが。

投稿: | 2006.01.14 13:02

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