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2004.08.19

[書評]沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史

 率直なところ、あまり多くの人に勧められる本ではないのかもしれないが、私には面白く、そして考えさせられることの多い本だった。「沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史」(アナトーリー・T・クージン)である。
 内容は、沿海州及びサハリンにおける朝鮮人の近代史についてだ。文章は紀要か修論でも読んでいるような大味な感じなのだが、この問題に関心をもつ私などには面白い事柄に満ちていた。構成は沿海州とサハリンの二部に分かれている。


  1. ロシア極東の朝鮮人 1862~1937年(移住の始まり/法的問題/文化の発展 ほか)
  2. サハリンの朝鮮人 1870~1992年(サハリン人として生きて/強制移住と弾圧 ほか)

 率直なところ、出版社名(凱風社)やあおり文を読むと、うへぇまた左翼史観ですかという気にもなる。が、事実は事実だ。特に、日本が戦前行ったこの蛮行を覆うことはできない。

ロシア極東の朝鮮人が、どのように中央アジアやカザフスタンへ強制移住させられたのか、日本によってサハリンに連れてこられた朝鮮人はなぜ、祖国に帰れなかったのか。サハリン在住の研究者がソ連時代の公文書をもとに著した過去の「真実」。

 だが、この問いかけに本書は十分に答えていない。著者クージンが記す部分はなんと言ってもロシア人だという偏向はしかたないとしても、それほどは日本左翼マンセー的な内容ではない。歴史を見つめる者の一人としては、「日本によってサハリンに連れてこられた朝鮮人はなぜ、祖国に帰れなかったのか」はこの本によってもわからないと言うのが公平なところだろう。それは曖昧にするというのではなく、未決な歴史上の問題だということだ。
 前半に描かれるスターリンによる沿海州朝鮮人の強制移住は、ロシア側に立つクージンとしても、その数値、17万人を見る限り、弁明のしようもない蛮行であることがわかる(これをモンゴルにやっている)。スターリンの言い分としては、朝鮮人は日本のスパイになりかねないというのだが、そんなことはいくら左翼史観でも受け入れることは無理だろう。いずれにせよ、この強制移住で沿海州の朝鮮人は事実上根刮ぎになった。
 私も迂闊だったのだが、極東地域の朝鮮人の問題はついサハリンを中心に考えていた。そして、そのダイナミックな要因は日本だろうと思っていた。しかし、沿海州の朝鮮人移住は1969-70年の飢饉と当時の朝鮮の専制を逃れることによって始まったようだ。もちろん、その後は、日本の圧政を逃れての朝鮮人もいるのだがそれほどクリティカルな特徴は形成していない。
 現在中国と韓国の間でもめだしている高麗の歴史(日本史学では高句麗)だが、背景にあるのは中国域内の朝鮮族200万人が、統一朝鮮ができた際に民族主張をするのを中国側が恐れていることもある(参照)。
 この朝鮮族がどのように形成されたのか、私はよくわからない。ここでも日本の朝鮮半島支配を逃れたという説明を読むことがある。たとえば、「チャイナネット」の「中国の少数民族」(参照)の朝鮮族の説明にはこうある。

中国の朝鮮族の人びとは、主に19世紀中葉に朝鮮半島から続々と移住してきたのである。1910年に、日本帝国主義が朝鮮を併呑した後、帝国主義の残酷な抑圧と搾取に堪えられなくなった朝鮮の人たちの多くが中国の東北地区へ移住し、1918年までに36万余人に達した。

 反日は中国のお得意だし、その後の満州での人口増加を見るにこの説明はそれほど妥当なものとは思えない。むしろ、日帝のせいだというなら、なぜ帰還させないのかという問題を当然惹起するし、さらに半島自体を中国に含めていけない理由が消えてしまう。というわけで、チャイナネットの記述はいったって呑気な印象を受ける。この呑気さだとそのうち中国は、彼らは渤海人とか言い出すかもしれない。いずれにせよ、この曖昧な記述からも、沿海州の朝鮮人と類型な要素は多いだろう。
 ちょっと問題発言かもしれないが、今回の高麗歴史問題が韓中間で発生したのは、スターリンのような強制移住がなかったからとも言える。逆に言えば、ソ連を継承したロシアはカザフスタンやウズベキスタンに残る100万人からの朝鮮人子孫の問題を内包している。また、北朝鮮がソ連によって形成された傀儡政権であったことからも、北朝鮮の国境というものを皮肉にも明確にしている。つまり、ソ連の思惑どおりの北朝鮮のイメージを北朝鮮自身が受け取っている。
 しかし、韓国が統一朝鮮を朝鮮民族という視点で国民国家化するとなると、こうしたやっかいな問題を扱っていかなくてはならなくなる。日帝憎しの単純な発想ではすまないはずだ。だが、代替となる国家ビジョンを韓国側の知識人から聞くことは私にはない。
 日本が多く関わるのはサハリンである。「沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史」で私が驚愕したのは、むしろ知ってたはずのサハリン史のほうだった。先日の極東ブログ「北朝鮮残留日本人」(参照)を書いたおり、朝鮮人サハリン連行の事態にどうも自分が十分知らない大きな要素があると思いなおしたのだが、「沿海州・サハリン近い昔の話―翻弄された朝鮮人の歴史」を詳しく読み返すと、ぼんやりその相貌が見え始めてきた。
 まず、日本が行った強制連行の歴史は比較的わかりやすい。この本でも、(1)1939.9~1942.2の募集、(2)1942.2~1944.9の官斡旋募集、(3)1944.9~1945.8の徴用にわけて説明している。クージンは簡単な補足を述べている。

ここで注意したいのは、樺太への朝鮮人連行には、戦時の法に従った動員によるものと、募集によるものの二つがあったことである。動員によるものが完全に強制的だったとすれば、募集はそうではない。つまり、樺太に来た朝鮮人のすべてが強制されて来たというわけではないのである。もちろん、募集が詐欺的であり、拒否すれば身が危うくなったということはあるが、それは別問題である。また、日本に財産を持つ裕福な朝鮮人たちが樺太に渡り、地元の保護者に忠実に仕えた事実も否定できない。

 私の感触だが、1980年代ごろから「強制連行」が「徴用」の語感を失って論じられるようになってきたようにも思われるが、史的には徴用として考え直したほうがいいケースも多い。つまり、日本人も等しく徴用されていた。
 むしろ問題は、その「日本人も等しく徴用」という入口に対して、引き揚げの出口が対応していないことにある。日本の敗戦によって、突然、サハリンに残された朝鮮人は日本人ではないということになり、置き去りにされてしまった。これが非常に大きな問題だし、すでに日本人と朝鮮人の融合も進んでいたことも悲劇的な問題となった。
 この対処を行ったのはなぜか。本書からはあまり得るところはないのだが、やはり連合国側の思惑だろう。ちょうど、極東ブログ「終戦記念日という神話」(参照)で連合国が朝鮮総督府を使って戦後も朝鮮を統治しようとしたのと似た構図がありそうだ。
 こうして朝鮮人としてサハリンに遺棄された人口なのだが、本書では23,500人と推定している。率直に言うと、私がなんとなく記憶していた4~5万人という数の半数になる。私の錯覚は、まさに自分自身が「終戦記念日という神話」に呪縛されていたことにあるようだ。つまり、戦争が終わったのは日本だけなのだ。
 ソ連の傀儡国家である北朝鮮が成立すると、ソ連の要望によって、サハリンでの労働力を確保するために、北朝鮮の朝鮮人がサハリンに移動させられている。これは名目は募集ということになっているし、スターリンが行ったような強制移住ではない。1946年時点ではある種出稼ぎ労働者とでもいうように、帰還者も多い。だが、1948年、韓国が独立してから様相が変わり、帰還者が減る。クージンはあまり強調しないのだが、1950年時点で単純に入出の引き算すると12,000人ほどの北朝鮮の人々がサハリンに残されていることになる。
 ということは、よく左翼が日本が強制連行し遺棄したとする朝鮮人にはこの北朝鮮の人々と子孫が算入されているのではないか。
 誤解しないで欲しいのだが、私はそう読み取ることで、日本を免罪したいとも思わないし、北朝鮮を単純に責めたいということではない。一義的には歴史が語ることを不思議に思うのだ。
 むしろ私はこうした問題に対して悪い意味でナイーブなので、日本本土内の在日朝鮮人がなぜ十分保護されて半島に帰還できないのかとも思うし、帰還できない部分は帰化を推進すべきだと思う。だが、サハリンに遺棄されたように見える朝鮮人を朝鮮半島の南北の政府はどう扱っているのだろうか。帰還が推進されているのだろうか。

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コメント

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サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年

投稿: この辺とかも是非 | 2004.08.19 12:31

サハリンの残留韓国人問題に関しては「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」新井佐和子・草思社がベスト。「日本が韓国人を強制連行して置き去りにした」という通説にそこはかとない違和感を感じる人が読むと、得心する点が多い。なにより帰還運動に生涯を捧げた朴魯学氏の同胞愛には敬服する。余力があれば「サハリンからのレポートー棄てられた朝鮮人の歴史と証言」朴享柱・御茶ノ水書房もどうぞ。こちらは当事者による迫真のレポート。

ちなみに帰国できなかった原因は
 ソ連が帰国運動を反ソ運動とみなして抑圧した。
 北朝鮮が対立している韓国への帰国に強く反対した。
 韓国が共産圏からの帰国の受け入れに消極的だった。
 在サハリン・コリアンが立場の違いによって対立していた。
 日本が日本人の帰国が反故になることを恐れて積極的に韓国
 人の帰国を求めなかった。

広い意味で冷戦の犠牲者といえる。

投稿: takeshi | 2004.08.19 17:51

「潮」(潮出版社)2002年9月号
【特別企画】「戦争」を語り継ぐ
サハリン残留韓国人たちの癒えない傷。  粟野仁雄(ジャーナリスト)

戦前、強制連行などで樺太(サハリン)に渡り、半世紀間故国に帰れなかった人たちのうち約1500人が韓国に永住帰国した。
   (中略)
1945年のソ連軍侵攻時に樺太にいたおよそ30万人の日本人のほとんどは帰国したが、日本政府は、戦時中「皇国臣民」として日本語まで強要した朝鮮半島出身者の4万3000人を「日本国籍がない」と置き去りにした。大半は半島の分断後でいう「南」の出身者。冷戦でソ連と韓国に国交がなくなり、彼らは半世紀にわたり肉親と生き別れた。
  (中略)
仁川にある療養院を訪ねた。99年に日本の支援金で完成した、帰還者が余生の最後を過ごす施設といってよい。
  (中略)
道案内や通訳をしてくれた李周雨さん(68歳)が意外なことを言った。
「この問題は戦後、サハリンから外へ出さなかったソ連政府が悪いんです。決して日本の責任ではない。戦争に負けて逃げて帰るのに韓国人のことなど考えられないでしょ。それに強制連行なんて嘘ですよ。商売や募集で渡った人がほとんどです」
さらに、
「韓国政府は反日感情を煽るために利用しているだけで何もしない。帰れるようになった功労者はペレストロイカ、そして私たちのために尽くしてくれた日本です」

以上、拾ってきたものです。ともあれ創価学会系の潮に、「強制連行は嘘」「ソ連が帰国させなかった」「韓国は反日感情を煽るために利用している」「ペレストロイカと日本に感謝している」とあるのに、?です。しかし徴用を否定し強制連行と主張する公明党・創価学会系の潮の記事であることを考えれば、これは正しいのではないでしょうか。

投稿: bonbon | 2004.08.19 21:10

サハリンには他にも樺太アイヌ(ウタリと言うべきなのか)やニブヒ(ギリヤーク)、ウイルタなどの少数民族の人たちがなめた苦節もひどいものですが、こちらも忘れ去られようとしていますね。
突然北緯50度に国境が引かれ家族や親戚などが引き裂かれたり、ソビエトや日本政府によって強制的に移住させられたあげく、戦争で召集されて、いまも恩給を受けられない人たちも多数いるそうです。
彼らもソ連と日本の間に翻弄された犠牲者といえます。

投稿: エフ | 2004.08.20 01:14

サハリンには四度訪問しました。何度か政府関係者にインタビューを試みたことがあります。
現在、サハリン州政府は、アイヌ人をサハリンや千島列島の先住民と認め、要請があればその権利に対して誠実に対応する用意があると言っています。
しかし、もう少しつっこんで聞いてみると、現在サハリン州に「アイヌ人はいない」、「全員日本側がつれて帰った」という答えが返ってきました。
アイヌ人の正式な統計もないとのことでした。

サハリン州では現在歴史の見直しが行われており、ロシア史ではなくサハリン史を歴史授業で取り扱うようになっています。(未完成ですがなかなか良い試みだと思います。)
ロシア人にとってのアイヌ人は範囲がひろく、古代中世の蝦夷や俘囚を含みます。(おそらくウタリ協会や東北6県の見解を採用したのでしょう。)
奥州安倍氏・奥州藤原氏などの俘囚政権をひろくアイヌに含めますし、国後メナシとの交流を「外交交渉」だったと解釈しているので、ロシア人はアイヌ人を一定の政治勢力だったと考えています。
(日本政府がアイヌを政治勢力だったと認めていないのと対照的です。)
それにも関わらず、現在のアイヌ人の勢力について全く無関心なのは、18世紀以降のロシアの東方拡大と南下でロシア語話者となったアイヌ人をロシア人に数えているからかもしれません。
実際に、クリルチック(ロシア語でアイヌ人のこと)の姓の人々が旧ロシア帝国西部のベラルーシやポーランドに住んでおり、彼らは自分たちを「ロシア人」だと思っています。
また、同様の例として、サハリン州は、第二次世界大戦後に残留した日本人・朝鮮人の子供や孫であっても、ロシア語化してロシア人としての意識を本人が持っていれば「ロシア人」に数えています。
つまり、我々の感覚で言う「日本人」や「朝鮮人」は、ロシア側が数えているよりも多いのです。

投稿: vodka | 2005.04.30 13:24

vodkaさん、こんにちは。貴重なコメントありがとうございます。

サハリン・プロジェクトが進展しつつあるなか、原住民の漁業補償などもカネだけで解決されるといった話も聞きます。なかなか実態が見えません。

サハリンは今後日本のライフラインになると私は予想しています。どのような形態であれ、貴重なインフォを市民がアクセスできるようになればと願っています。

投稿: finalvent | 2005.04.30 13:37

サハリン在住の朝鮮人について語れば、いささか驚いたことがありました。
サハリン島への朝鮮人の進出は、19世紀にさかのぼり、強制連行以前からロシア領側のサハリンでは朝鮮人労働者が活躍していたことが分かっています。
また、未確認ですが18世紀には日本の娼館がアムール河畔に存在し、出稼ぎロシア人たちの憧れの場所だったことも話としては聞いています。
国境管理がずさんだった20世紀以前では、人間の動きは政府の都合に従いませんから、このようなことが起り得ます。
第二世界大戦中の「強制連行」の後始末があまりにも強く取りざたされたため、こういう人々の権利についても忘れられている面があります。
つまり、日ロの国境策定以前からサハリンに根付いていた日本人/朝鮮人の子孫にまで、日本国・韓国(北朝鮮も)に帰国しなければならないと言う「思い込み」が浸透してしまっているわけです。

また、日本が在サハリン朝鮮人の「帰国」運動に尽くしたのは本当です。
私が知る限り、「帰国」運動に携わった旧島民の方々は日朝ともに実に親しく友情で結ばれており、相手の都合を考えて実に誠実に日韓両政府に働きかけました。
当時、樺太では教育現場での日朝の差別は少なく(無かったわけではないが暴力的ではなかった)、比較的実力主義で評価されていたことを関係者から聞いています。
旧島民にとって重要なのは日本人か朝鮮人かではなく、同じ島で暮らし、同じ学校で学んでいた仲間と言う意識の方が強かったようです。(逆に言えば、そのせいで思い出が美化され過ぎていることも考えなければなりませんが・・・)

私の県の日ロ協会が「当時の国籍で補償すべきだ」と言って日本政府と交渉し、在サハリン朝鮮人の「日本への帰国」の費用を捻出させたのは痛快でした。
当時の担当官僚も理解ある方で、交渉も運動もスムーズにすすみました。


投稿: vodka | 2005.04.30 13:41

あ、すみません。あいさつもしていませんでした。
vodkaと呼んでください。岩手日ロ協会のものです。

サハリン・プロジェクトの建設現場は昨年見学してきました。たいへんな大工事で感動してしまいました。
しかし、地元の方々の漁場を荒らしているのは確かで、私たちを案内してくれた運転手(もちろん地元の方)も、この工事を大変憎んでいました。

LNGプラントが建設中のアニワ村は旧名を女麗村と言い、日露戦争のどさくさに日本軍が上陸した場所です。当然のことながら当時の上陸記念碑はみごとにぶっ壊されていました。(笑)

サハリンはとても美しい島です。
その歴史的・政治的な複雑さゆえにロシアでも最も多民族の地域になっており、その文化的な重層さに石油ガス開発による豊かさが加わって、大変魅力的な場所になっています。
今後、ロシア本土や日本側からナショナリズムの煽動家たちがやってきて、島の平和を乱すことをサハリン(と北海道)の心ある人々は非常に心配しています。

サハリン州が用いている歴史副読本「サハリンの歴史」はロシア国民としての同一性を保持しつつも、日本との友好を徹底して繰り返し、日ロを結ぶ「サハリン人」としての自我意識を持たせようとしています。
このような態度は旧島民(その多くは交流団体のメンバー)の共感を集めており、サハリンを「小さな祖国」と呼んで愛してやまないサハリン州の人々との交流は益々盛んになっています。

>どのような形態であれ、貴重なインフォを市民がアクセスできるようになればと願っています。

日ロ間のビザ無し渡航が認められることを願っています。
ただし、その前に、サハリンやその他の北方地域の歴史と文化を日ロ両国民にもっと知ってほしいと思います。
東京やモスクワの都合でナショナリズムを振りかざされるのが一番迷惑なことだからです。
この地域では、日本人もロシア人も新参者に過ぎないことをわきまえて行動すべきだと思います。

では、またどこかでお会いしましょう。

投稿: vodka | 2005.04.30 13:58

19世紀後半、島国日本が明治維新で激変している頃、朝鮮半島は王朝の指導原理と儒教道徳にさからう天主教徒を大虐殺する恐怖弾圧をしています。その頃、白人列強が続々接近。いっぽう、朝鮮半島北部の民衆のには、凶作や飢饉や税金のとりたててに苦しむ者が出て、家族くるみで沿海州に脱出した話がネットに紹介されています。昔、17世紀、朝鮮には虎、熊、猪など猛獣がいました。オランダ人の手記『朝鮮幽囚記』に出てきます。確かに加藤清正の虎退治、また朝鮮の昔ばなしには、虎が居てね・・・と虎と庶民と結びつくお話があり、虎イメージは濃厚です。虎は沿海州、白頭山北部の原生林に20世紀始めまで棲息していたと聞きます。虎も人も昔から北に脱出したのではないでしょうか。
首都京城に居た廓の女達は、日本女性も、朝鮮人経営者の廓も、今度は満洲じゃ、とこぞって北上し、そのあとに、また朝鮮人が朝鮮の女たちを連れて来て商売を続ける構図がありました。連行なのか、商売か、出稼ぎか。言葉と実態に距りがあるのでは?日本人の蛮性だけだとしたら悲しい。死にたくなります。

投稿: オモリ 美樹 | 2006.02.20 18:49

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