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2004.08.15

終戦記念日という神話

 終戦記念日というけど、終戦したのは日本だけ、ということを日本人は忘れがちになる。しかも、8月15日は。降伏勧告のポツダム宣言を受諾したと元首が国民に通知しただけで、実効の降伏文書に調印したのは9月2日。終戦記念日は9月2日とすべきかとも思うが、沖縄を含む南西諸島の日本軍守備軍と米軍との間で降伏調印が行われたのは9月7日。なので、沖縄戦が本当に終わったこの9月7日をもって、日本の終戦記念日としたほうがいいと思う。
 1945年8月15日、日本の国家元首である天皇はラジオを通して敗戦を通知した。玉音放送と呼ばれている。放送とはいっても、いったんレコードに録音されたものだった。録音場所は皇居なので最初から雑音が入った。その前日、新聞などで重大な放送があると発表されていたので、多くの日本人はたぶん敗戦宣言だろうと予断を持って聞いたようでもある。
 玉音とはいえ、日本国民は現実の天皇の声など聞いたこともなかったし、そもそも聞いてわかるような内容ですらない。書き起こした「終戦の詔勅」(参照)は今ではインターネットで読むことができる。玉音放送のmp3ファイルへのリンクもある。玉音放送など聞いたこともないという日本人もいるかもしれない。だったら、聞いてみそ。
 秋田県に疎開していた山本夏彦は、玉音放送を聴いたその日は、別に変わったことはなかったと言っている。ただ、その夜、突然拡声器で東京音頭が流れたそうだ。老は「僕のだいきらいな東京音頭、やーっとな、それよいよい」(「男女の仲」)と言う。
 余談だが、昭和天皇が崩御したその時、私は東京駅にいた。職場に向かうはずだったが、こんなことは人生にそうあることでもないと思って、そのまま二重橋に走った。明治大帝が亡くなったとき、あるいは敗戦時を連想させるような光景がそこに出現するだろうかと期待した。が、何も無かった。静かだった。人も少なかった。私はしばらく虚空を見ていた。歴史に遭遇するというのはそういう感じかも知れない。
 玉音放送のシーンは、その後ドラマなどで何度も再現された。だが、そのたびに、別の物語になっていくように思われる。本当はどうだったか、もっときちんと調べたほうがいいようにも思う。
 一例だが、春風亭柳昇の名著「与太郎戦記」によれば、柳昇は、負傷兵となり北京の病院に収容されているときに、玉音放送を聴いた。前日にやはり通達があったそうだ。


私たちは、翌八月十五日の正午、病棟前に整列し、玉音放送を聞いた。だれも、
「戦局が悪くなるし、みんな、がんばれ」
という陛下の激励のおことばだと信じ込んでいた。そのうえ、詔勅の文章がむずかしく、ラジオも雑音が多いので、ご放送が終わると、
「さァ、いよいよ決戦だぞ!!」
一同、武者ぶるいしながら病室に戻った。

 「与太郎戦記」を読めばわかるが日本軍は実にトホホとしか言いようがない、笑うっきゃないような戦争を展開していた。私は戦争をばかにしたいのではない。本当の戦争には、そういう側面もある。「与太郎戦記」のような、本当の従軍者の、しかも、高位軍人ではない人の実体験禄は、今後も日本人が読み継いでいく必要があるだろう。が、これは絶版のようだ。
 柳昇は玉音放送を聞いて疑問に思ったらしい。

だが、どうも私にはフに落ちないところがあったので、ただ一人残って、あとのニュースを聞き、戦争は日本の無条件降伏で終わったことを知った。助かったと思う半面、いい知れぬ悲しみをおぼえ、気持ちは複雑だった。
 当然のことだが、終戦になると同時に、食事は今までの半分になってしまった。なるべく体を動かさず、腹がへらないように努めた。
 炊事場へ行くと、昨日まで雑役で働いていた中国人が、一夜にして中国軍の中尉に変わっていた。スパイだったと聞いて、ビックリした。

 柳昇の話によれば、玉音放送にはちゃんと解説もついていたのだ。あれだけじゃなかった。
 さて、日本では終戦記念日だが、日本に支配されていた国では、当然、違う意味を持つ。
 8月15日は韓国では光復節として祝う(なお、台湾の光復節は10月25日)。北朝鮮では祖国解放記念日としているらしい。「光復」には日本の支配からの解放という意味合いがあるのだが、史実はやや皮肉でもある。
 1945年8月15日以降も朝鮮総督府の統治は続いていた。当然といえば当然で、この日を境に体制が崩壊したわけではない。沖縄から遅れること2日、9月9日になって、ようやく朝鮮総督府は米軍との間で降伏調印式を行い、これによって、朝鮮半島は日本から米軍下に置かれることになった。
 この間の1か月に満たない朝鮮の歴史は、かなり紛糾していた。
 朝鮮総督府は、朝鮮が米軍下になる前に、統治機構を朝鮮民衆に引き渡そうとしていた。なんらかの日本側の思惑もあったのかもしれない。17日に朝鮮総督府は、朝鮮の建国準備委員会に権限を委譲し、市中では太極旗の掲揚を推進させた。建国準備委員会では、現在のイラクよろしく、当時のリーダーであった呂運亭と宋鎮禹との政争もあったようだ。
 しかしこの権限委譲の動向を早々に察知した米軍は、16日の時点で暫定的な朝鮮統治を朝鮮総督府に命じていた。結局、米軍の命令どおり、統治の権限は18日には総督府に戻されることになった。太極旗も日章旗に戻った。朝鮮の人はいやな思いをしたことだろう。
 米軍は、朝鮮に主権が発生することを抑制し、朝鮮への支配をそのまま日本から譲渡するという形態を取りたかったようだ。米軍には、38度線で朝鮮半島を分割する、対ソ連の思惑もからんでいたのだろう。
 その後、国連決議では、南北朝鮮で総選挙を実施し朝鮮統一政府を樹立するよう推奨されたが、ソ連の反対により頓挫。しかたなく米軍は、韓国だけで1948年5月10日に憲法制定国会の総選挙を実施させた。
 この結果、李承晩を初代大統領として1948年8月13日に大韓民国が建国した(参照)。
 そう、韓国の建国記念日は8月13日のはずである。が、現状、韓国では、その2日後の15日の光復節をもって、建国記念日としているようだ。日本から独立したという意味合いを込めたかったからなのだろう。

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コメント

普天間に墜落した 整備不良の
大型ヘリ 現場は 劣化ウラン弾の回収が 優先
日本の政府は黙認 現場に立ち入りを拒否された
医療用放射線機器を 搭載していた
と 弁明を検討中 

投稿: 整備不良 | 2004.08.15 10:33

直接、あのヘリ墜落事故を目撃した1人として言っておく。
確かに酷い事件であるが、劣化ウランなんぞ積んでる様子も
回収する様子も無かった。
場所が場所だけに、そんなことをしようとしてもすぐにバレる。
下らないデマを流す暇があったら、この事件が普天間基地移設と
どうリンクしてくるのかということを考えた方が、ずっと有意義だ。

投稿: くれふ | 2004.08.15 12:23

初めて書き込ませて頂きます。永らくROMでした。
やはり山本夏彦さんの読者だったのですね。
なぜかとても嬉しいです。

投稿: 北 | 2004.08.15 22:43

確かに8月15日は「神話」なのかもしれません。私自身は「神話」でも構わないと思っているのですが、それをなぜ9月7日に移すべきだということを強調される意味がいまいち分かりません。8月15日以降も日本は戦争を継続する意思を持っていたのでしょうか?私は少なくともあの「終戦の詔の放送」で多くの国民が戦争に負けたことを実感し、その後の組織的抵抗をやめたわけですから、「記念日」としては8月15日が適切だと考えます。ただし、「終戦記念日」として、思考停止するのではなく、「敗戦記念日」として、「なぜ負けたのか」を徹底的に学習することが必要だと思いますが。

投稿: kanata | 2004.09.27 11:29

墜落ヘリから、防護服を着込んで探していたものは、ストロンチウム90。死の灰の代表とも言える放射性元素だったそうだ。米軍発表によれば、ストロンチウム90を使った「部品」のひとつが見つからない。今になっても(9/27)も見つからないママなのだろう? 情報公開しなければ、放射性兵器と疑われても、仕方がない。
本当に「部品」だとしてもどうだろう。どんな部品?
その候補に「アイソトープ電池」が考えられます。半永久的電源です。その場合でも、行方不明になったり、飛散したらたまったものではありません。ストロンチウム90を吸って、肺がんになることは確かです。でも、それが、墜落ヘリのストロンチウム90だったと知る人はいない。もちろん、立証は不可能です。

投稿: U=Pu | 2004.09.27 12:22

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