北朝鮮残留日本人
「流れる星は生きている(藤原てい)」を読み返しつつ、史料として見ると、ソ連と朝鮮を配慮してあえて書かれていないせいもあるのだろうが、反省するに、私も背景についてよく理解できないことが多い。満州の崩壊については、もっと組織的に勉強しなおしたほうがいいのだろう。単純な話、藤原ていが引き揚げのときに持っていた紙幣はどのように流通していたかさえわからない。紙幣など一夜にして紙くずになってもよさそうだが、そうでもない。
引き揚げのルートがなぜ、あのようなものであったのかもわからない。38度線というと私などは朝鮮戦争後のイメージが強いが、満州崩壊後はソ連軍と米軍の管轄の線引きだったのだろう。宣川の状況についてもよく読み込めていない。ソ連の暫定的な管轄下だったのではないかと思う。そこで1年滞在後に彼らが移動を開始するのは、その管轄にも関係があるのだろう。別の言葉で言えば、ソ連軍には、難民を保護して日本本土に帰還させる義務があったと思うがそれが実質放棄されたのではないか。いずれにせよ、藤原ていなど日本人は、38度線越えてから米軍に保護された。
当然ながら、こうした逃避行を実施し得ない人々も存在する。満州といっても、北の延吉や南の安東などすでに現在の北朝鮮域に近い。北朝鮮に残留した日本人も少なくないことは想像にかたくない。彼らはどうなったのか。
私がこの問題に気になったのはそう昔のことではない。その存在は以前から知ってはいたが、日本国政府が動く気配はないようだった。中国残留の日本人とは違い、国政上顕在化したのはようやく、1997年12月5日にもなってのことのようだ。同日の読売新聞「北朝鮮残留日本人 一時帰国目指し親族調査へ 1442人中、67人/厚生省」にはその実態についてこう記している。
厚生省によると、北朝鮮からの未帰還者として現在、親族から届け出がある残留日本人は千四百四十二人。このうち、千三百七十五人は、死亡が確認されないまま、親族が裁判所へ申請して戦時死亡宣告を受けている。それ以外の六十七人については、同省は九一年まで随時、親族の所在確認を行ってきたが、住所が変更されて居住地がわからないままの親族もいる。
私はこのニュースに驚いた。厚生省が関わるのは67人のみ。1375人については、死んだことになって終わりなのである。
藤原ていは生死の境を越えて生き延び、当時の記憶もないほどの幼児だった藤原正彦はすでに初老といっていい歳になる。この同じ年代の日本人が、北朝鮮の地にあって、すべて死に絶えたのだろうか。そんなわけはないだろう。
ふと気になって、過去の新聞を見ていると、奇妙な話があった。奇妙で済まされることではないのだが、樺太(サハリン)残留の日本人が北朝鮮に連れられたケースがあるというのだ。1991年読売新聞「 不明のサハリン残留邦人女性 北朝鮮へ移住させられた ソ連当局が認める」の記事だ。
同州ユジノサハリンスク市(豊原)に住む秀子さんの妹、ザツェピナ・徳子さん(49)と大阪府内の兄、梅村時男さん(56)の二人が昨年十月にKGBサハリン州総局に対して行方を明らかにするよう求めたところ、徳子さんあてに十一月、U・N・ビスコフ総局長の名で回答書が郵送された。
回答書は「あなたの親族の運命については、ソ連内務省の決定で北朝鮮との合意により、市民権のない人物として一九七七年十一月十九日、北朝鮮に引き渡された」などとしている。生死や現在どこにいるかなどには触れられていない。
徳子さんは「秀子さんが日本移住を強く望んでいたので(日ソ冷戦で)好ましくない人物として強制移住させられたのではないか」と話している。
これは特殊なケースだろうとは思う。しかし、それを言うなら現在焦点を当てられている拉致被害者についても特殊なケースのようにも思われる。もっとも、戦後処理と国家犯罪は別だとも言える。
北朝鮮残留の他に、樺太残留の日本人にも複雑な問題がある。ぞんざいに書いてはいけないことだが、戦前の日本は朝鮮人を多数樺太に強制連行したが、この地で日本人女性と結婚した人も少なくない。日本人社会がそこにあったからだ。彼女たちも長く日本に戻ることができなかった。朝鮮人の樺太連行については、別途書きたいとも思う。
樺太残留日本人の引き揚げは戦後ある程度組織的に行われたが、その後は個別の問題とされた。1993年に国際状況の変化からか社会の話題になり(参照)、永住帰国のニュースも聞いた。あらかたは解決したのか、最近はあまりこの話を聞くこともない。
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