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2004.07.27

脱北者450人の韓国受け入れを巡って

 400人規模と言われていた脱北者の韓国受け入れが始まった。国内では毎日新聞系「北朝鮮:脱北者200人、あす韓国へ 「東南アジア待機」が定着--過去最大規模」(参照)が詳しい。基本的には、今回の受け入れは、数が多いということだけで、外交・政策上、質的な転換になるわけでもないようだ。


 北朝鮮を脱出し、東南アジアに滞在している脱北者約200人が27日にもチャーター機で空路韓国入りする。政府関係者が26日明らかにした。第一陣の200人に続いて250人も後日、到着する予定。脱北者が増え始めた94年以降、一度にこれだけの脱北者が韓国入りするのは初めて。韓国政府としては、中国だけでなく東南アジアにも広がった脱北者問題に積極的に取り組んでいることをアピールする狙いがあるようだ。

 いくつか気になることがあるのだが、まず、大規模といっても、400人程度が現状は、韓国がいちどきに受け入れられる上限だろうということ。通常、韓国入りした脱北者は、ソウル郊外定着支援施設「ハナ院」に収容され、2カ月間韓国社会の生活に慣れる訓練や治療を受ける。ただ、今回は「ハナ院」ではないらしい。施設滞在後、政府から生活資金が5年間で3600ウォン(360万円)提供され、韓国社会に放たれる。
 2か月のローテンションを組めば、今回の450人に続く脱北者の受け入れも可能だが、そのあたりの今後の動向がわからない。政府の本音はこれで大量受け入れが終わりにできるものなら終わりにしたいだろうし、また今後も受け入れ可能を示せば、さらに脱北者が増えることにもなる懸念はあるのだろう。
 もう一点、どこから脱北者がやって来るか、なのだが、人道的な配慮もありこれは表向き公表されていない。が、毎日系のニュースにも示唆があるように、ベトナムらしい。いったんは中国を経由しているだろうから、中国とベトナムの関係が気になる。同じ社会主義圏とはいえ、両国が複雑な関係にあることは古くもない歴史を顧みてもわかる。あるいは私はこの問題に疎いので誤解かもしれないが、各ルートの脱北者を今回はいったんベトナムにまとめているのかもしれない。つまり、直接海路で北朝鮮から東南アジアに出ていたのかもしれない。
 脱北者の統計だが、毎日系ではこう指摘がある。

食糧難で餓死者も出ていると言われる北朝鮮からの脱北者は94年以降、年々増加している。00年の韓国入りは312人、01年は583人だったが、02年には一気に1140人になった。昨年は1281人で、過去最高を記録した。

 脱北の理由は食糧難とみてよさそうだ。ただ、ラジオ深夜便の話では1997年までは70人だったというので、毎日系の示唆と違う。この増加数を見るに、94年あたりを契機とするには無理がある。
 同じく、ラジオ深夜便の話では現状の韓国在の脱北者総数は5000人。うち、19歳以下の教育を必要とする人口が500人とのこと。だが、実際に通学が定着しているのはその2割だとのことだ。現状の韓国の学歴社会傾向を見れば、脱北者を十分に受け入れることは難しいようにも思える。
 問題を韓国という国の、民族的なアイデンティティとして見た場合、ある意味、急速に大衆レベルでの民族国家志向が高まるなか、韓国という国の歴史が必然的に持つ対外的な多様性はどうなっていくのだろうか。
 この問題は、日本からは在日の問題として捕らえやすいのだが、私は、朝鮮族というものの意識が、今後どう韓国で形成されているのかが気になる。
 朝鮮統一というとき、一般的には、南北を指すのだが、在日以外にも韓国人・朝鮮人は世界に広がっている。だが、「コリアン世界の旅 講談社+α文庫」などでも、中国内の朝鮮族の問題には触れていなかった。
 つらつらとこの問題を考えているうちに、カザフスタンやウズベキスタンの朝鮮人の現状が気になった。この問題はまったく隠蔽されているわけではない。1998年には国際在日韓国・朝鮮人研究会主催で「ロシア・日本の韓朝鮮人強制移住と国際人権」といったシンポジウムも開かれている。概要の代わりに1988年11月6日読売新聞(大阪版)をひく。

 強制移住は1937年にスターリンの指示で行われ、18万人が短期間に中央アジアの草原に送り込まれた。現在は、カザフスタンやウズベキスタンなどに子孫を含め約35万人が住んでいる。

 史実はあまり異論はない。問題は現状だ。このあたりの統計が実はよくわからない。例えば、WikiPediaの次のKoreanについての記述(参照)は少し困惑させるものがある。

Koreans in Central Asia
Approximately 450,000 ethnic Koreans reside in the former USSR, primarily in the newly independent states of Central Asia. In 1937, Stalin deported approximately 200,000 ethnic Koreans to Kazakhstan and Uzbekistan, on the official premise that the Koreans might act as spies for Japan.

As of January 1, 1998, 1,123,200 ethnic Koreans lived in Uzbekistan, amounting to 4.7% of the total country's population.

Probably as a consequence of these ethnic ties, South Korea was the second import partner of Uzbekistan, after Russia, and one of its largest foreign investors. The car manufacturer Daewoo set up a joint venture (August 1992) and a factory in Asaka city, Andizhan province, in Uzbekistan.


 記載ミスが私の誤読かわからないが、1998年の時点で100万人を越えるコリアンがこの地域にいるらしい。
 情報に確信がもてないのだが、仮にこの統計が正しいとすると、統一朝鮮というのはいったいどういうイメージを持つべきなのか、私には皆目わからない。もちろん、ある民族が他国の大都市に移民するということはある。ギリシア人が多く住む都市の1位はアテネ、2位はサロニカだが、3位はメルボルンらしい。不思議でもないといえば不思議でもない。それでも、歴史の意味合いは違うだろう。
 話が斜めにずれている気もするが、ちょっと気になるニュースがある。関連しているのだろうとしか思えない。2003年12月18日読売新聞「北朝鮮からウズベクの労働者撤収」をひく。

 韓国政府で、対北朝鮮軽水炉事業を担当する軽水炉企画団の関係者は17日、北朝鮮咸鏡南道・琴湖地区の軽水炉建設現場で働いていたウズベキスタンの労働者94人が同日、韓国経由で帰国の途につき、撤収が完了したと明らかにした。

 時期を考えてもわかるが、これは、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が中断したことに伴う措置だ。さらっと読むと、ウズベキスタンの労働者が誰であるかはわからないが、朝鮮族なのではないだろうか。そうではないとしても、ウズベキスタンの朝鮮族が噛んでいることは間違いないだろう。
 どういう連携プレーが北朝鮮、韓国、ウズベキスタンにあるのだろうか。またそれが、どういうふうに韓国人・朝鮮人の意識に関わっているのだろうか。石油の関連も気になるのだが、こうした文脈で触れるべきではないだろう。


【追記 7.28】
 どう考えていいのか困惑するような事実が数点わかった。追記しておきたい。
 まず、女性の比率と、中国内朝鮮族についてだ。朝鮮日報「450人中女性が70%」(参照)より。


 今月27日と28日の両日に東南アジアの第3国から韓国入りする脱北者450人のうち、女性が70%も占めていることが分かった。女性脱北者が脱北者全体に占める割合は1990年前は10%未満だったが、90年代後半から20~40%台の増加率を見せ、2000年40.4%、2001年49.6%、2002年54.8%、2003年63.4%と増え続けている。
 このように女性脱北者の割合が増えたのは、女性が男性より現地に適応しやすいためとみられる。女性が多数であるだけに、今回入国する脱北者に子どもの占める割合も全体の20%であると伝えられた。
 地域別では咸鏡(ハムギョン)道出身が全体の80~90%となっている。中国国境に近い咸鏡道地方の住民が脱北者の多数を占めているということだ。政府は、今回入国する脱北者の中に中国朝鮮族が含まれている可能性があるだけに、合同尋問を通じ徹底して探し出す方針だ。

 もう一点は、脱北の全貌に関係する。中央日報「<脱北者韓国入り>政府の7カ月間極秘プロジェクト」(参照)より。

 何よりも集団移送の計画が公表される場合、およそ10万人にのぼる中国内北朝鮮脱出者が大挙押し寄せることを懸念したからだ。だが、政府が説得しつづけたすえ、結局、今年5月末に「秘密厳守」を条件に、初めて前向きな反応を得た。その時点から、韓国政府も関連省庁の合同対策班を設けるなど交渉準備を本格化した。

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コメント

中国内の朝鮮族に関連する話ですが、彼らが住む
延辺自治州は昔は間島と呼ばれ朝鮮と清との係争
の地で、1909年に日本(当時すでに韓国の外交権
を獲得していた)と清で結ばれた協約によって、
清の領土となり、そのまま中国領となった経緯が
あるようです。

この記事などは、韓国側から見た歴史観がよく
出てると思います。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/04/15/20030415000053.html
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/07/20040707000090.html

最近中韓間で問題となってる、高句麗が中韓どちらの
歴史に属する国かという論争とも絡んでいるようですね。

ただ韓国ナショナリズムの観点からすると、
韓国領であった間島を日本が勝手に清国に
譲り渡したという解釈もできるわけで、
朝鮮半島が統一され、韓国と中国が国境を接する
ようになると、日中韓を巻き込んだ歴史問題に
発展してしまうかもしれません。

投稿: (anonymous) | 2004.07.27 12:49

中国外交部、「任那日本府説」も紹介
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/22/20040722000059.html
> 中国外交部が最近、インターネットホームページの韓国史概況から高句麗史を削除したの に続き、
>日本史概況で日本が主張する「任那日本府説」を紹介していることが22日、 明らかになった。
> 中国外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)は日本史について説明し、「5世紀 はじめ、
>大和国が隆盛した時期にその勢力が朝鮮半島(韓半島)の南部にまで拡大した」と 歪曲した。
>また、独(トク)島問題と関連、竹島と韓国名の独島をめぐり領土紛争が起き ていると紹介した。
> これと関連、外交通商部(外交部)の某当局者は「中国外交部のホームページに誤った 内容が
>掲載された経緯を把握したうえで、対応を議論する」とした。


これは、高句麗帰属問題(将来の中朝国境紛争を睨んだ)において、
中国が韓国に対しての揺さぶりだと思います。
ただ、中国の史料では、任那日本府の存在が裏付けられる記述がそれなりにあり、
また、広開土王碑の件でも、 これらは中国領内に遺跡があるんですが、中国側の考古学者は
信頼できる遺跡と認定していて、韓国側の抗議を退けていましたから、
ただ単に揺さぶりのためだけに掲載したのではないと思います。
まあ、中国は、元々は朝鮮半島に興味は無く、高句麗帰属問題までは
そんなに半島の古代史に関しては、漢王朝の楽浪郡があったくらいしか
気にしてなかったと思いますが、ここに来て、半島の古代史に関して
調査しだしたんだと思います。その過程で任那日本府の件が出てきたと。
ちなみに、中国外交部の任那日本府をめぐる記述は、日本の史料のモノではなくて
中国の古代の史料(宋書倭国伝など)を基にした記述だと思います。
書き方も日本の史料のモノとは違って、中国の史書の基にしたような書き方で書いてあるから
日本の意見に左右されたというより、中国自身の意見という気がします。

投稿: 寄道くん | 2004.07.27 17:25

脱北者問題について、気になる情報を追記しました。

投稿: finalvent | 2004.07.28 08:18

任那は、古代ヤマト領土だった。
これは間違いない。
任那とは孫名(ミマ・名)である。
つまり、日本天皇=ミマキイリヒコの名前に由来する。

任那人は日本民族だったのだろう。


投稿: 古代史研究所 | 2006.01.13 17:04

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