自殺者で3万人、交通事故で1万人死ぬ社会
警察庁統計によると自殺者が前年より2284人多く3万4427人になったとのこと。ニュースや社説などでよく目にしたものの、この問題を扱うのはもういいやという感じがしていた。しかし、なんとなく心にひっかかることでもあるので、まとまりもないが書いてみたい。
いくつか思ったのだが、私たちの身の周りの具体的な自殺者と、こうした統計3万人という統計は、うまく自分の心のなかで噛み合わない。噛み合えばいいというものでもないから、デュルケームの古典「自殺論」以来、社会学的なテーマにもなる。というか、そういう社会科学の方法論をもってその噛み合わなさを理解することになる。この問題は社会科学的にはアノミー論になるかと思うが、この分野のたぶん最高の水準である小室直樹の「危機の構造―日本社会崩壊のモデル」では日本の状況を急性アノミーと、斜めの階層という概念を立てていた。簡単にまとめるのは難しいが、階層社会ならそれはそれなりに階層間の連帯が生じるが、日本社会の病理はどのような集団のなかにも連帯の原理が見られないような、まるで再帰プログラムのような差異を生み出す構造がある(小室はこういう言い方はしないが)、というものだったと思う。
その論があっているのか私の理解がぼけているのか、ちょっといい加減だが、連想ゲーム的に言えば、そうした斜めの階層=非連帯の社会構造というのは、日本の今向かうべき消費社会の構造と似ているなとは思う。サヨク的にあるいは杜撰に「消費社会がどうたら」というのは私にはまるで関心はない。私が気になるのは、微細な差異に象徴的な価値を持たせることで日本の消費社会が成立するというふうになってきているのだろうという点だ。粗く言うと、「そんな違いはどうでもいいだろ」ということに「価値を見いだせ」と迫る社会だ。こだわりってやつか、ま、そんなところだ。
もうちょっと続ける。そうした消費活動に組み込まれた微細な差異という欲望の表象、あーめんどくさい言い方だな、簡単にいうと、金で買えるちょっとしたこだわり、センス、みたいなものがなぜ求められているのか、というと、「私」というありかたが、そうした微細な差異でしか表現できなくなったからだろう。
無料ブログなどでは、アマゾンからのキックバックを期待してか、「あなたのオススメ商品を掲載しよう」みたいな機能がアフィリエイトもどきで付いてうざいが、自分がなにものであるかを示すために商品が必要になるのだ。マルクスが生きていたら、こうした動向も物象化と言うだろうか。ま、私は批判できる立場などには全然ない。
多分、今の若い人の恋愛というのも、自己がそういう微細な差異の収束となっている以上、同じような機構となっているのだろうと思う。ブログなどで若い人の恋愛の様子をたまに覗くとき、かつては理念としての愛だのがあったところに、微細化された商品欲望のゲームがあるように見える。ついでに言うと、読書なんぞも、当然、本という商品流通のありかたにあいまって、そんなふうなものになってしまった。なにを読んだかが量的に問われ、どう読んだかは概念の組み合わせでできる差異の織物になっている。デイビッドソンを読んで偉そうなこと言うがプラトンは読んでないなんて洒落にもならないというのが古典的な教養であった。デリダの哲学用語を並べてもラテン語ができないのではジョークであった。でも、そういう世界ではなくなったのだ。
と、書いて、オヤジ臭いか。でも、私のような人間にはそうした表象としての消費の運動には疲れてしまったので、どうでもいいや、勝手にしてくれという気がする。もうちょっと過激に言うと、そうした社会構造が自殺の社会学的な説明になりうるなら、やはり、どうでもいいと思う。新聞の社説だのは、はなから自殺=倫理的な悪、としたり、自殺=排除すべき病気としているのだが、自分の身近の自殺者でもなければ、どうでもいいやと思う。ただ、私は日本の社会を見るとき、交通事故で1万人、自殺者3万人、しめて4万人は死んでもしかたないや的世界に生きているのだ、自分もいつなんどきそういうところにぶち込まれるのだろうなとは思う。悪いジョークだが、現在のイラクの治安の悪さは政治的な部分が多分にあるが、単純に規模として見れば今の日本社会とそれほど変わらないのではないか。そうではないとしてもそれにはそれなりの日常はあるのだろう、とは思う。バグダッドの小売り店の品揃えとか見ると、ふーんとか思う。
少しニュース的な話に戻す。朝日系「自殺者、過去最多の3万4千人 昨年、経済的動機が増加」(参照)では統計について、こうある。
公表された自殺の動機は、本人の遺書や生前の言動、家族の話などをもとに、警察が分類した。
「経済・生活問題」が動機とみられる自殺者は、全体の増加率が7.1%だった中で12.1%増だった。全体に占める比率も、バブル期の90年は6.0%(1272人)だったが、景気停滞期に入ると増加傾向が続き、昨年は25.8%(8897人)を占めた。
以前このブログにも書いたのだが、私が昔自殺について調べたとき、米国統計は遺書など明確な自殺の意志表明がないものはカウントしていないことに気が付いた。国連関係の資料を見ても、実際には、統計の取り方が各国まばらで比較には使えないなと思った。今ではどうなのだろうか。あまり指摘されていないように思える。だから、23日読売新聞社説「自殺者数最悪『心の病』への対策が必要だ」では、こんな指摘も違和感はなくなっているのだろう。
欧米の先進各国と比べても、日本では自殺する人の割合が二倍前後も多い。なぜこうなってしまったのか、社会の在り方を含めて考えることも重要だ。
とあるが問題は警視庁じゃないのか。
朝日系のニュースのほうに戻るが、増えた自殺のセクターは経済・生活問題が動機らしい。だというなら、このあたり、きちんと目に見える社会学的な分析が可能だ。恐らく、実態は借金苦だろうし、このセクターについては、先に私が述べた消費活動の構造とは別に、10万円程度の小銭(とま仮に小銭という)を擦るような賭博とかも含まれているようにも思う。つまり、サラ金に走ってしまう層だ。放言めくが、このセクターの行動パターンは、日本のサラリーマン社会が生み出したものだ。月額の微細な金(とま仮に微細な金という)でやりくりして、やりくりできちゃうという精神が、サラ金にきちんと結びついている。他の途上国なら、金なんてないときはない、あるときは必死に集めちゃえ、である。金が存外に入ったら、次の一発にそなえるか、ばらまく。ばらまくというのは、よき互助である。自営業でもいわゆる企業をしていなければ、そんなふうに生きるしかない。ちまたにライターになるにはみたいなガイド本がいろいろあるが、一番重要なのは、サラリーはないということだ。邱永漢が子供に小遣いをやるときは、年額をどんと渡すという話をしていたが、さすがだな。小遣いなんか、ちまちまやるから、それを吸い上げるトレーディングカードみたいな商品が出てくる。
自殺の最大のセクターは健康問題らしい。
一方、「健康問題」は動機別で最多の1万5416人、全体の44.8%を占め、5年ぶりに増えた。その原因ははっきりしないが、厚労省によると、自殺につながる原因は複雑で複合的に絡みあっているのが一般的だという。
「らしい」と人ごとのように書いたが、私は個人的にはよく理解できる。ああ、俺はもう生きていけないのか、生きていけないなら死のうという感じだ、たはは、とかちゃちゃでも入れたくなるほどの絶望感である。傍から見れば「健康問題」だの「病気」ということなのだが、内側から見れば、不断の苦痛であり、終わり無き苦痛である。それを解消するのは自殺というのはわからないでもない。そういう自分にしてみると、毎日新聞社説「自殺者最多記録 『社会の母性』を育まねば…」のような話は、むかつく。
1900(明治33)年の自殺者は5863人で、人口10万人当たりの自殺率は13.4人にすぎなかった。昨年の自殺率は約27人となり、先進諸国の中でも突出している。こと自殺予防に関する限り、日本は百有余年間、経済や科学の発展と引き換えに退歩の道をたどってきてしまったと言える。
その非を自覚するところから対策を講じたい。生きる喜びや生命への慈しみを改めて認識し、子供たちにも教育、しつけを通じて繰り返し伝えたい。困っている人、悩んでいる人に優しく手を差し伸べるため、「社会の母性」を育(はぐく)み、強めていかねばならない。
何言ってんだか。母性なんてただ支配の無意識でしかないよ。説明するのもうざったい。
話はこれで終わり。結論は、ない。しいていうと、このブログを読む人は自殺はやめてくれよとちょっと思う。そういうメッセージは無効だし、出しづらいものだ。ついでに、まったくの余談だが、このエントリにどんなアドセンス広告がつくのか…公共広告だろうな。小銭のお化けは、こういう話が嫌いなのだ。たはは。
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コメント
本当は自殺じゃない人も含まれている気がします。最近の警察の検挙率低下を考えると自殺として処理してしまう(TVの見過ぎか)かも。それでも多い数字ですが。
これが資本主義、競争社会の代償なのか。いやフェアな競争が行われない無念の叫びかもしれない。今の日本には社会でサポートするシステムが無い。友人とか個人的な関係を持っている人しか悩みを相談できない。それが村社会と云われる所以か。
プロ野球の問題を見てもみんな自分の所しか考えていない。自分の事しか考えなくなった社会の結果という事でしょう。
投稿: itten | 2004.07.25 08:12
自殺する人はする、しない人はしない、それだけでいいんじゃないかと思います。何かしたいことがある人や守りたいものがある人、踏ん切りがつかない人は生きようとするし、したいことがなくて守るべきものがない、または守る元気がない人で、きっかけがつかめた人は、あちらに行ってしまう人もいるのかな、と。
>自分の身近の自殺者でもなければ、どうでもいいや
こんな感じ。
投稿: (anonymous) | 2004.07.25 10:32
>ああ、俺はもう生きていけないのか、生きていけないなら死のうという感じだ、たはは、とかちゃちゃでも入れたくなるほどの絶望感である。
素晴らしい。これは皮肉でもなければ悪口雑言でもありません、finalventさん。あなたは今、悟りへの入り口に立っている。お釈迦様が出家前、四門出遊した故事をご存知だと思いますが、今、あなたはそれと同じスタート地点に立っている。今こそもう一度「大乗起信論」を読み直すことをお勧めします。
で、私はこう思います。
自殺する人はします。しかし、日本ではそれを食い止めようとする社会的な制限が極端に薄い。
宗教的には仏教は「厭離穢土・欣求浄土」あるいは「一切皆苦」あるいは「武士道とは死ぬことと見つけたり」など死ぬことを奨励しているしか思えない。(もっともこれらは仏教の曲解ですが)
欧米各国がキリスト教をベースにした「この世での救済」を前提にした互助システムと比べればそりゃ多くなりますって。
投稿: F.Nakajima | 2004.07.25 13:04
「健康問題」の中には精神病による自殺もかなりの数が含まれているのではないでしょうか。同日の読売の社会面にはうつ病による自殺を扱った関連記事もありましたし。死にたい人間が勝手に死ぬのは結構ですが、環境に押しつぶされて心を病んでしまった人が、積極的に望んだ訳ではない死を選んでしまう社会状況は「ほっとけ」の一言じゃ済ませられないと思います。ただの呟きですが。
投稿: 通院中 | 2004.07.25 19:10
追い詰められたら普通の人でも自殺するから
この問題は大事だとおもうんだけど。
F.Nakajimaさんの
> 自殺する人はします。しかし、日本ではそれを
>食い止めようとする社会的な制限が極端に薄い。
この書き込みを見て、かなり同意しました
しかし問題視されていない(対策がとられていない)
という事は、自己責任という変な風潮があるんでしょうね
かく言う自分も、精神が変になるまでは、
「自殺するなら勝手にどうぞ」と思っていたけど
こうなってしまって、色々考えさせられる事がありました。
自殺する人は仕方なくするんだ。と、いう事を知ったり、
精神を追い詰められる環境が悪かったり。
投稿: Hikky | 2004.07.26 10:33
たぶん自殺してしまう人はそんなこと考えないんじゃないかな?失業した、職はない、アルバイトで暮らしていけるなんて考えもしない。その状態が続くことによって精神を病んでいく、病んだ人間は人に助けを求めるなんて考えないから、そのまま死んでしまう。うーんアポトーシスか?
犯罪に走る割合がまだ少ないだけ、悲哀を感じるな。
投稿: jiritu | 2004.07.26 11:05
>(人々の)自己がそういう微細な差異の収束となっている
という感覚、まさに仰られる通り、同感です。
人々の中から過去(想起)がここまで消滅した社会
というのは、今までなく、
そして過去が無いということは、『信じる』ことも
できない社会なんですね…。
暗いものを感じますね。朝日新聞的な「未来・進歩思想」
こそが、過去をますます殺害して未来を空っぽなものにし、
人間を、人間でなくしてゆくのですが…。
それにほとんど誰も気がつけないことを思うと、
なんとも、やりきれない気分です…。
投稿: kagami | 2004.07.26 19:16
こんばんは。
ittenさん
>本当は自殺じゃない人も含まれている気がします。最近の警察の検挙率低下を考えると自殺として処理してしまう
検死医が少なすぎるために、死因が現場の警官の勘で決まってしまうことも多いそうです。
投稿: むにゅう | 2004.07.26 23:35
こんにちは
自殺を罪悪と考える宗教は多いと思うのですが、一方ではみんなで自殺する宗教もありました。(今も存在しているのかな)
自殺する人の立場になって考える事はできませんが、何らかの苦しみから逃れるために死を選ぶんでしょうね。
◎生物学的にみた場合
「死を選択する思考回路」を「生成しやすいDNA」を持っている
不幸な人達の現象。
◎天にいる神様的にみた場合
苦しみから救うために、天へ召された幸運な人達。
投稿: 無限 | 2004.07.27 10:13
●「格差が出ることは悪いとは思わない。成功者をねたんだり、能力のある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない」小泉純一郎 第89代内閣総理大臣 世襲3世
●「格差なんていつの時代でもある。じゃあ朝日新聞の給料はいくらなんですかと言ったら終わっちゃう話なんだよ」安倍晋三 第90代内閣総理大臣 世襲3世
●「競争が進むとみんなが豊かになっていく」竹中平蔵 経済学者 元政治家 パソナ特別顧問
●「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」奥田 碩 元日本経団連会長 元トヨタ自動車会長
●「パートタイマーと無職のどちらがいいか、ということ」宮内義彦 オリックス会長 元規制改革、民間開放推進会議議長
●「非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」三浦朱門 作家 元文化庁長官 元教育課程審議会会長
●「日本で払う給料は、間違いなく中国で払うより高い。労働者が、もの凄く安いコストで働いているというようには私は思っていません」折口雅博 グッドウィル グループ創業者 元経団連理事
●「業界ナンバー1になるには違法行為が許される」林 純一 人材派遣会社クリスタル社長
●「お金儲けは悪い事ですか」村上世章 村上ファンド代表
□政財界の支配者富裕層の投資資産家に有利な独善的な改革政策のせいで日本は、1998年より年間の自殺者数が1.45倍(95年:22,445人→05年:32,552人)になる程の厳しい競争社会、格差社会になってしまっています。
『例え嫌な事でも現実世界を直視し、世の中の仕組みを理解する事は生きる助けになる。』…と考えます。戦い、生き抜く為に必要な事です。
○【6年連続「生活苦しい」57% 過去最多】http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090901000606.html
○【年間1万人の自殺者増加(95年:22,445人→05年:32,552人)】http://research.goo.ne.jp/database/data/000606/
○【08年9月期、有効求人倍率の推移(含パート)全国平均 0.84倍】http://209.85.175.104/search?q=cache%3AWJ09YkguDAUJ%3Ahttp://www2.aichi-rodo.go.jp/~a_naka/todoufukenbairitu11.pdf%3A&lr=lange_ja&al=ja&ie=sjis&output=html&client=kddi-auone
○【国民年金納付率、格差最大34.8ポイント 都道府県別、07年度調べ】http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080809AT3S0800O08082008.html
○【4割弱が非正社員。派遣は倍増。07年厚労省調査】http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2008110700859
○【年収200万円以下の労働者が1000万人以上】http://mainichi.jp/life/job/archive/news/2008/10/20081013ddm013100038000c.html
○【相対的貧困率、日本は世界第5位から第2位。2006年】http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/44/index2.html
○【家庭の貯蓄(家計の資金余剰金)の減少】98年:25兆7014億円 ⇒ 03年:-3728億円(家計の資金余剰金=貯蓄金-投資金)
○【サラリーマン平均年収】http://nensyu-labo.com/heikin_suii.htm
(平成9年:467万円→平成18年:435万円)
○【空前の高配当 東証1部上場】http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20060407mh09.htm
○【富裕層って年収、資産いくらの人?】http://waga.nikkei.co.jp/money/asset.aspx?i=MMWAb1000030072008
(年間所得2000万円超の人数は、90年→05年で1.91倍に増加。金融資産5000万円以上の層は366.9万世帯で日本の総世帯数の約7%)
○【証券優遇税制、資産家優遇税制】http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/z141214.html
○【対外純資産と所得収支】http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2007/2007honbun/html/i4120000.html
(海外との所得収支 2000年:6.5兆円→2006年:13.7兆円、対外純資産残高 2000年:133.0兆円→2006年:215.1兆円)
○【相続税の課税割合は9年連続減少の4.2%、海外資産の申告漏れ課税価格は1件当たり9200万円で5年連続増加】http://www.lotus21.co.jp/data/news/0602/news060201_01.html
○【所得階層別給与所得者数の推移(単位:千人)】
区分 1998年→2005年:差
100万円以下~ 3,294→3,555:+261
100万円超~200万円以下 4,639→6,257:+1,618
200万円超~300万円以下 6,783→7,104:+321
300万円超~500万円以下 14,705→14,104:-601
500万円超~700万円以下 8,281→7,395:-886
700万円超~1,000万円以下 5,178→4,374:-804
1,000万円超~1,500万円以下 1,995→1,602:-393
1,500万円超~2,000万円以下 394→335:-59
2,000万円超~2,500万円以下 79→101:+22
2,500万円超 98→109:+11
合計 45,446→44,936:-510
●世界は弱き個人に対してそんなに優しくない。弱肉強食の世界競争、グローバル化競争の世界経済の中で、構造改革において『自己責任』『格差肯定』『自由競争』と言われて放り出されたら、弱き人達はどうなると思うか?
統計データを見るに、自己責任を理由に見放された上で、強者の喰い者にされる……が正解の様です。(日本社会の状態は改革前より確実に悪くなっている。)
投資家資産家富裕層が増える一方で、世帯所得の低下、サラリーマンの賃金の低下、年収200万円以下の労働者層が急増しており、ワーキングプアやネットカフェ難民等の非正規雇用労働者が貧困化してます。
政財界が1998年より、経済、社会をメディアコントロールによって勝手に操り、国民の政治や経済に対する考え方を米国的な自由主義方向に操りつつも、経済財政産業政策を誤り迷走国政をしているせいで、地方や貧困労働者層の人々が行き詰まり、盲目のうちに失業貧困に至り大量に野垂れ死にしています。
○詳しい主張は… http://www.oracity.net/resbbs3/resbbs3.php?cate=1&kijino=0811191227043791
投稿: もがき足掻き進む。 | 2008.11.27 06:50