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2004.06.03

皇太子妃報道のうっとうしさ

 週刊新潮(6/10)「『鬱病』の雅子さまは『天皇・皇后に敵意』を持っていると報じた英高級紙」の記事を読み、しばしぼんやりと考え込んだ。考えがまとまるわけでもないが、自分の感じるうっとうしさのような思いを少し書いてみたい。
 まず思ったのは、週刊新潮のこういう手つきはちょっと汚いなということだ。新潮社もジャーナリズムの中にいてオフレコ情報を持っているはずだが、それを出さずに海外メディアを道化回しにして「雅子皇太子妃は鬱病である」と言うあたりの手つきだ。しかし、週刊新潮にそう言っても詮無きことだとは思うし、そうでもしないと、とても言えないよ、というこのうっとうしい現状に少しでも風穴を開けることはできなかっただろう。
 週刊新潮が話題をひいているのはタイムズだが、私は原文にはあたっていない。それでも、新潮の引用や訳にそれほど問題があるわけもないだろうとは思う。気になるのは、結局、そこしか、現状は、彼女が鬱病であるというジャーナリズム上のソースがないことだ。だとすると、例えば、私は、「雅子皇太子妃は鬱病だ」と言えるのだろうか? そのあたりがよくわからない。私が一般的に他人を「あの人は鬱病だ」と言っていいかと言えば、もちろんプライバシーの問題がある。しかし、皇太子妃については、そういう私人のプライバシーとは違うことはあきらかだ。
 ごたごたした話を端折るが、結局のところ、私は彼女の病状について、「何も言うんじゃねぇ」という重苦しい空気を感じる。そしてその空気はたまらなく不愉快だ。
 心の悩みと鬱病は違う。鬱病は医療を必要する病気だという意味で、帯状疱疹と同じだ。それを皇室が秘すとすればその理由がわからない。現状の報道では皇太子妃は病気であるというが、なんの病気かは知らされない。しかし、現代人の常識からすれば鬱病であると考えてもいいように思う。
 次に気になるのは、それが鬱病だとして、報道が精神的な苦痛と安易に結びつけてすぎているように私には見えることだ。鬱病についての、私の認識が間違っているのかもしれないが、鬱病は心の悩みとは違うはずだ。心の悩みが鬱病をトリガーすることはあるのだろうが、原因と結果の関係ではない。そのあたりが、報道では整理されていない。専門家がきちんと言及すべきだと思うのだが、それ以前に、表向きは鬱病ということになっていないので言及できないということなのだろうか。
 彼女の心痛と彼女が置かれている環境の問題についても、ごちゃごちゃに議論されているように見える。それも、私には不快な感じがする。が、この点については、率直に言って、皇室側にも問題があるという印象を持っている。私の記憶で言うので詰めが甘いのだが、昨年雅子皇太子妃が帯状疱疹であるという発表があったのは、彼女が40歳になる直前だった。これは端的に言って、40歳という節目に想定される「お世継ぎ」問題を避けるためだったと推測してもいいだろう。
 私が思うのは、これも問題を切り分けるべきだということだ。私の常識からすれば、「40歳の女性に男の子の出産をもとめるのは非常識」である。だから、彼女の病状如何と切り離して、もう「男子お世継ぎ問題」に政治的な対処を行うべきではないか。そして、それができるのは、内閣であり、小泉首相ではないのか。
 以上の話をもう一度くっきりまとめたい気もするが、やめて、自分も話題を混ぜ返すようだが、彼女の心痛について少し言及したい。
 そう思ったのは、先日、Boston Herald.com"Japan crown wears heavy for princess: Mass. friends recall ‘driven’ schoolgirl"(参照)を読んで、印象深く思えたからだ。
 この記事は、先の週刊新潮の記事でも引用されているのだが、大学生時代の小和田雅子さんについてイギリス人の学友が"She was, in some respects, an all-American girl."と述べているのが、特に気になった。イギリス人から見て、彼女は実にアメリカ人的な少女だったということはどういうことか?
 私はこれは、イギリスの上流階級的な女性ではないという意味だと思う。ハリーポッターのなかでハーマイオニーの家柄の話がうだうだと出てくるが、これは、ハリーポッターが上流の血統の洒落であるのに対して、ハーマイオニーは上流の血統とはいえない、というキャラを反映している、ということだ。こういう人間観を持つイギリスってやな国だなと私は思うが、現実は現実で、おそらく小和田さんは、上流的な雰囲気はなかったのだろう。と同時に、ハーマイオニーのようなフランクさもあったのだろうと思う。
 私は彼女が皇太子の意中の人らしいという時代のテレビ報道を覚えているが、そこに映された私人時代の彼女は、下賤とも言える報道陣を無視して闊歩していた。私は彼女を下品だとは思わないが、地は気丈な人なのだろうとは思った。
 私は個人的にだが、雅子皇太子妃はあの20代の芯の強さを取り戻して欲しいと思う。下衆な報道陣を無視して闊歩するあの姿を好ましいと思う。

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「時事」カテゴリの記事

コメント

うつを一回やっていますのでわかりますが、

>心の悩みが鬱病をトリガーすることはあるのだろうが、原因と結果の関係ではない。

トリガーになることはありえます。但し、どのような悩みがトリガーになるのかは人によって千差万別であり、結局なって見なければわかりません。つまり「何がうつの原因になるかは事前にはわからない」ということです。
それより問題なのは心の悩み、心労はうつの原因と直接の原因ではなくとも確実に病状を悪化させるもとになるということです。例えるなら腰痛に悩んでいる人に重い荷物をかつがせるようなもの。といえばわかるでしょうか。

>私は個人的にだが、雅子皇太子妃はあの20代の芯の強さを取り戻して欲しいと思う。下衆な報道陣を無視して闊歩するあの姿を好ましいと思う。

残念ながら、私はその意見には逆です。皇太子妃がここまで病状を悪化させてしまったのは、逆に大変な無理が出来るほどの精神力が備わっていたからです。そしてその精神力の限界を越えてしまったときには、かなり重症化していたと考えるのが普通でしょう。

皇太子殿下の発言について私が思うのは、つまり「皇太子妃殿下はお強い方だからここまでは大丈夫だろう」と考えて、まだ初期段階だったうつのときにさらにプレッシャーをかけた宮内庁側の無神経さです。

投稿: F.Nakajima | 2004.06.06 20:41

Nakajimaさん、どもです。コメントいただいて、その限界という視点は示唆深いものでした。問題が顕在化する以前をよく考えなくてはいけないのでしょうが、まず目先のメディケアが大切かなとも思います。

投稿: finalvent | 2004.06.07 08:04

>私の常識からすれば、「40歳の女性に男の子の出産をもとめるのは非常識」である。

うううっ。(涙)なんでやねん。当方40歳の人妻ですが、もう「常識として」男の子の出産は無理なんですか~(泣)
まだうちの家庭はがんばっているのに…

投稿: sachi | 2004.06.07 14:46

sachiさん、私の言葉は不用意だったかもしれません。傷つけてしまったら、すまなく思います。ただ、40歳の女性が男の子をもとうとすることが非常識だとは思っていません。まわりのものが、そうしろ、というのが非常識だろうということです。

投稿: finalvent | 2004.06.07 15:29

いや、一般論として40歳以上の女性が出産をするのはある種の危険を伴うのは理解できるし、個別の事情で謝罪する必要は今回はないと思います。

投稿: (anonymous)  | 2004.06.10 01:32

突然、新参者がお邪魔致します。
雅子妃に関するエントリ、興味深く拝読致しました。私は鬱病を患う帰国子女です。
私は週刊新潮についてはよく判らないのですが、"She was, in some respects, an all-American girl" の解釈について、イギリスで10年過ごしました経験から少し書かせて頂きたくなりました。もしイギリス人が、見下した意味でそういうことを言っているのであれば、雅子妃のアメリカでのクラスメイトが言っていることと辻褄が合いません。"driven" という言葉からも判るように、雅子妃は大変な努力家であり、努力すればそれが報われるアメリカで育った典型的なキャリア的女性であるという意味合いの方が強いと思うのです。イギリス(イングランド)人に比べて、アメリカ人というのはとても真面目です。そして女性がしっかりと出世していける基盤があります。イギリスには残念ながら、そういったアメリカ程の基盤はありません。
勿論、言葉というのはラングエッジ・ゲームですから、イギリスの学友がどのようにそういった台詞を言ったのか、気になるところではあります。しかし、アメリカでのご学友の証言から察するに、イギリス上流階級的な人間でないというのではなくて、イギリスの女性とは違うということなのだと思います。リザーブドなイギリス人より積極的なのがアメリカ人です。自由の国の人々ですから。そのような人がイギリスでは保守的でカチンコチンのオックスフォードなんかに行くと大変浮くと思うんですね。
イギリスはなんだかんだ言いつつも、まだまだ階級制度の残る国です。階級制度のある社会は、違う階級の人間はお互いに干渉し合わないという社会でもあります。ですから階級にそぐわない人間のことなど、イギリス人はわざわざ口にしないところがあります。「雅子妃はある意味、とてもアメリカ人的でしたから」という言葉は雅子妃をイギリス人が「ガイジン」として見ている証拠ではないかと私は思います。雅子妃が一度日本に帰国されてからイギリスに行かれたということも踏まえて「彼女、日本人なのにとてもアメリカ的ね」という意味もあったかもしれません。
私もイギリスで色々と嫌な思いをしたことがありますので、普段はイギリス(イングランド)人を援護することなんかないのですが(笑)、イギリスがいつまでも上流社会が鼻高々にツンとしている国というイメージは、日本特のものではないでしょうか?紳士の国だとか、色々言われますけども、そんな時代はもう過去です。そしてイギリス人として認められること…これが実は本当にあの国独特の、辛いところなのです。

長文で失礼してしまいました。要は階級制度や古い歴史のあるイギリスは日本と似通ったところがあるけれども、そこにアメリカ的女性が入るというのは非常に困難なことなんだと、そういう印象をBostonHerald紙の記事から受けました。
言葉の解釈は人それぞれなので、別にfinalvent様の解釈が間違っている、と言いたい訳ではございませんので、イギリスで人生の半分を過ごした人間のひとつの見解だと考えて頂けると幸いです。

投稿: Benmont | 2004.08.06 04:13

Benmontさん、貴重なコメントありがとうございます。私も、持論を通すという意図もありません。というか、え?と思われるかもしれまえせんが、私もBenmontさんのご指摘にほとんど同意しています。

投稿: finalvent | 2004.08.06 15:41

長々とした駄文にレスありがとうございます。マスメディアがサウンドバイト的に取り上げる言葉というのは、難しいですよね(--;)。雅子妃の問題に関しては私も色々思うところがあります。finalventさんの仰る鬱陶しさというのも、私の心の底を流れている『違和感』と相通じるものがあると思っています。

投稿: Benmont | 2004.08.07 00:23

皇太子の雅子崇拝には、うんざりします。
いい加減に、適応障害という病気を認めて、離婚してあげれば、長年のストレスでやる気をなくしている雅子さんにも、ショック療法が効くかもしれないのに。
いくら皇太子一人が、学業優秀な女性が大好きだと言ったところで、その人の人格が皇室の環境には適合しないのですから。皇室に求められる人材は、外国語をしゃべる、ストレスの怪物ではありません。もっと、なごやかで、国民への微笑みもやさしいひとです。自己主張のための欲求不満でひきつった顔をした皇太子妃ではありません。

投稿: 和田山ゆみこ | 2004.08.16 11:48

雅子様を「外国語をしゃべる、ストレスの怪物」と表現した和田山ゆみこさんのご意見を興味深く読ませていただきました。現代日本においては、アメリカや諸外国で駐在したり留学したことのある人たちが多く、雅子様とよく似た経歴を持った女性も増えてきておりますので、私自身も含めて当然のことのように雅子様に対して心から同情し、かつ、皇室のあり方に対して怒りを覚えずにはいられない人がたくさんいると思います。ところが、和田山さんのような全く逆のご意見を持った方もいらっしゃるのだということをここで知り、大変勉強になりました。私は「自己主張のための欲求不満でひきつった顔をした皇太子妃」と書くこと自体、まるで日本全体が抱えているコンプレックスを露わにしているようで、とても恥ずかしく思うのですが、このような価値観も日本の中には確実に存在するのだと言うことを改めて認識しました。何だかんだ言っても、日本も一応は民主主義の国ですので、国民の一人ひとりが自分自身の意見を明確に述べて、皇室の将来、この国の将来を決めるのは正当なことだと思います。和田山さんの勇気に感謝いたします。

投稿: 富田礼子 | 2004.08.21 09:32

あまりにも、雅子さまを切望されてこのご成婚が成り立ったと、考えすぎではないでしょうか?
何百にも何千にも昇る候補者の中には、皇室の大変さを思い自らお断りされ留学されたり早急に他の方とのご縁談を進まれた方もいらっしゃると聞いています。婚約の際は、6年越しの愛を積み上げてであるかのように報道されていますが、
雅子さまに結婚の話が正確にあったのは、ご婚約の寸前ではないかと、思います。皇太子さまは、雅子さまがご自慢にされているようなキャリアや外交に期待してと言うよりも、
そろそろ皇太子妃を決めなければならないという焦りのような
ものがあったのではないでしょうか?そして、その中のリストの一人が雅子さま。もし、雅子さまが空振りであれば、違う方とのご縁談が進んだのではないでしょうか?
雅子さまが皇室にいる前からの宮内庁内外の反対も凄いものがあったと聞きます。雅子妃の御祖父さまのことの他、雅子さま自身の性格など・・・不協和音の10年間だという噂です。
よく、宮内庁や皇室にいじめがあったのでは?と、おとぎ話のような話をされますが。ご成婚パレードにはしゃぐ雅子さまと、ご成婚を終えて一つの仕事を終えた皇太子さまの印象があまりに違いませんか?

投稿: わかめ | 2004.08.24 03:24

>ご成婚パレードにはしゃぐ雅子さまと、ご成婚を終えて一つの仕事を終えた皇太子さまの印象があまりに違いませんか?

これには、なるほどな~!と思いました。

皇太子様は、雅子様を守っていられるとは思います。

雅子様は、「外国語をしゃべる、ストレスの怪物」にしたのは宮内庁をはじめとした、皇室関係者です。
現代社会において、皇室は、もっと雅子様が輝けるような環境を創るべき。あのような優秀な方を頂戴したのですから。
でなければ、離婚もありえます。

投稿: 獲。 | 2004.09.06 19:15

40才過ぎての妊娠出産はダウン症の確立がグッと高くなるよね・・・
もし、次の子がダウンだったら皇室はどうするんだろう‥

投稿: (anonymous) | 2004.09.17 15:17

>40才過ぎての妊娠出産はダウン症の確立がグッと高くなるよね・・・
もし、次の子がダウンだったら皇室はどうするんだろう‥

答え:流産したことにして、里子に出してしまうでしょう。

投稿: スッチー | 2004.09.18 03:02

ネットサーフィンをしていて、ここに辿り着きました。
finalvent様やBenmont様の意見を大変興味深く拝見させて
頂きました。

なおかつ、 和田山ゆみこ様の下記のご意見にも、
>外国語をしゃべる、ストレスの怪物ではありません。
>もっと、なごやかで、国民への微笑みもやさしいひとです。
>自己主張のための欲求不満でひきつった顔をした
>皇太子妃ではありません。

確信犯か、天然かを判断に迷うような印象を受けつつ、
こういう日本人も未だに居るんだろうなと実感させられました。
先だっての秋篠宮ご夫妻の、何とも「間が抜けた」会見と
重なっても来たりして・・・・。
あの会見で感じたのは、兄弟といえども他人。
相手の立場を考えない、思いやらないのは、秋篠宮の場合は
性格なのでしょうね。自分が皇太子という立場だったらとか
紀子様が、「職業女性」だったら等、全く想像した事も無い
のでしょうね。
生まれも育ちも皇室である宮本人が、そうノタマウのは仕方が
無いと譲ったとしても・・・紀子様に関しては呆然としました。
これだけ鈍感で考える事が出来なくて、自分の事しか考えられない人間だったらば、皇室で・・・

>もっと、なごやかで、国民への微笑みもやさしいひとです

として、生き延びていけるんだろうな、と感心すらしました。

投稿: クロイツェル | 2004.12.07 15:54

私は心身症になりやすい体質のようで、特に鬱の症状がひどい時には、何か(もしくは誰か)に対する嫌悪感がひどくなったり、その感覚に固執したりすることがあります。以前心療内科に通院していた時に、結婚前の夫に一度診療に立ち会ってもらったことがありますが、その時、医師が彼に、
「(患者が、つまり私のこと)時々ひどいことを言うかもしれないけど、それも症状なので気にしないように」
と言いました。

(その時は、「そんなこと言って私の方から本当に『もう別れたい』と思って切り出した時、相手にその気がなくて『君は今病気だからそんなことを言っているんだね!』とか言われたら困るよな」とぼんやり考えつつ聞いていましたが、これは余談。)

従って私は「そりゃ天皇・皇后はおろか『守ってくれている』はずの皇太子に対してさえ敵意を抱くことだってあるよなあ、人間の感情なんて単純じゃないし、その時その時で変わるわけだから」と、皇室報道(をはじめ。その他有名人に関する報道)はできるだけスルーするようにしています。

finalventさんがおっしゃる通り、鬱病(もしくはその他の心身症)と心の悩みは分けて考えるべきで、もし心身症の症状だったら適切な薬物療法でかなり楽になりますし、実際雅子さまの症状に対しても「薬物療法が行われている」と公式の発表にもあったように記憶しています。

(ただ、妊娠の可能性がある場合、
「(あなたに処方する3種類の)薬の催奇性に関しては十分な試験結果が得られていないものの、ほぼないといってよい。しかし、薬を服用していなくても何らかの障害を持った子供が生まれる可能性はあるわけで、もしそういう子供が生まれた際に、薬のせいにするくらいだったら、服用はやめた方がいい。・・・としか言えない。」
とは当時の私の担当医の言葉。)
(あと、個人的な経験・伝聞から、薬物療法を初め治療自体に、患者がどうしても負い目や不安など何らかの抵抗感をぬぐいきれない場合は一概に「楽になる」とも言い切れず。)
(ましてや「お世継ぎを」と言われる立場では・・・・・・。)

Benmontさんのご意見には「アメリカにも階級制度はあるみたいですよ。イギリスのものとは全然違うみたいですが」ということを前提として、賛成です。

(数年前の「抱擁」という映画でアメリカから留学してきた主人公が、イギリスの大学図書館で「あなたアメリカ人でしょ?」と言われてうんざりするシーンがありました。
逆に"Jump Tomorrow"という映画ではアメリカで「鼻につく」イギリス人が思いっきりネタにされています。←でもイギリスのアカデミー賞を受賞。
映画を観ているとイギリス・アメリカにとどまらず、ヨーロッパ内でも「ガイジン」感覚があるのがわかるし、マイケル・ムーア監督のコメディ映画「ジョン・キャンディの大進撃」ではアメリカ・カナダ間のそういう感覚も取り上げられています。)

Benmontさんのおっしゃるとおり、

> 雅子妃をイギリス人が「ガイジン」として見ている
> 証拠ではないかと私は思います。

要するに、そういうこと、というかそれだけのこと、なんだと思います。
そして、私も富田礼子さんの

> 日本も一応は民主主義の国ですので、国民の一人ひとりが
> 自分自身の意見を明確に述べて、皇室の将来、
> この国の将来を決めるのは正当なことだと思います。

ご意見に同意しつつも、和田山ゆみこさんのご意見にちょっとだけ。
「学業優秀な女性」や「外国語をしゃべる」人の性格・考え方には、或る傾向というものが確かに存在するかもしれませんし、それに基づいた世間一般的なイメージもあるのでしょうが、ある1人の人間をそれで決め付けてしまうのは非常に乱暴かと思われます。
(個人対個人の視点から言うと、一般的なイメージゆえに選択肢が限られたり、そういう風な振る舞いを求められることも時々あるため、その人がどこまで本当にイメージどおりの人なのか判断するのは難しい。)
「そもそも皇室というのはその『イメージ』を大事にしなければならないところなのだ!」と言われるとぐぅの音もでない、というかその通りなのですが、私は雅子さま自身が皇室イメージをダウンさせているとは感じていないのです。

皇室のことには詳しくありませんが、美智子さまもその昔しばらくの間お声が出なくなったことがあるとか。当時の報道では、詳しい原因までは伝えられていないようですが、うちの母なんかは明らかに「重圧のせいだよね」というのを前提にその話を語っておりました。
もしかしたら、今誰よりも雅子さまの気持ちがわかるのは、美智子さまなのでは?想像の域を出ませんが。

投稿: pfslh | 2004.12.08 01:10

この問題について多くの方が関心を持ち、一定の感想をお持ちに違いないと想像し、どんな感想をお持ちなのだろうと思ってブロッグその他を拝見させて戴いています。皇室についての情報はほとんど事実については秘密にされていて、メディアそのものの独自な取材による情報はほとんどなく、宮内庁からの公式に発表される「ニュース」や「映像」だけで国民が一喜一憂していることが日本の皇室情報の特徴ではないかと思います。主として宮内庁が、メディアを通してニュースを「操作」するという点では、何処の国の皇室も多かれ少なかれ事情は似ていると言えないこともありませんが、メディアとの関係はopenな印象を重視するという共和制アメリカ大統領府式の情報操作の型とは際だった違いを持っていると思います。しかし、同時に、君主制を持つ国の宮廷情報のあり方や、従って宮廷情報の質や量も、国によって非常に異なったものがあるように思います。君主制は最も純粋にその国民社会の政治システムの「伝統」を意味するものだと思いこむことは硬直した発想に囚われた事実認識ではないかと思います。最近一種の常識になっているとは思いますが、その「伝統」や「国民性」は絶えず創り出されているものだと言えると思います。比較をしてみると、政治システムのあり方やメディアのあり方が、「伝統」を作り続けている姿が浮き彫りになって見えてくるように思います。私が3年ほど滞在した最近のスペインの王室の、一般大衆への「ニュース」報道のあり方、王室について大衆に対して提供されている「王室像」がどのようなものかを紹介してみましょう。ご存じのように、スペインは共和制という政治システムを一時選択したのですが、市民戦争が始まり、フランコ総統による超右翼的な独裁制の政治システムが1976年のフランコの死に到るまで続きました。この間にフランコによって王政が復古され、フランコの庇護の元に現在の国王が皇太子として位置づけられたのですが、時既にヨーロッパ共同体の方向性も明確になり、アメリカの覇権国家としての影響の元に、フランコ体制を維持する限り、戦後国際社会に適応できないことも明らかでありましたので、フランコ主義者たちも含めて、フランコ死後、何らかの「民主主義」政治システムに「移行」することが合意され、象徴的な君主制の形態で、フランコ後の新たな政治システムの創造が国民社会の中心的政治的イシューとなったのでしたが、現在果たしている国王や王室の政治的役割は極めて大きく、市民戦争を戦った「スペイン人」の国民的統合を巡って、極めてシビアな、しかし民主的手続きを厳密に踏んでの、旧フランコ体制派と旧共和制派の政治的紛争が行われています。これを国民としてつなぐシンボルとして、王室は両陣営ともに重視しています。こうした戦前の右翼体制を保持しようとする派を含む政党と、戦後憲法を振りかざす社会主義者の左翼を含む「革新」の対抗という点では、日本の戦後の政治状況の推移と似ている点もあるようです。
 さて、スペイン王室は絶大な大衆的な人気を持っていまして、国王や皇太子がヨットチームや馬術でオリンピックに出場したスポーツマンであることや、現皇太子フィリペが人気女優や人気タレントと浮き名を流したプレーボーイであることは誰でも知っていることですし、遂に毎日のお茶の間に登場していたスペインテレビの既婚歴を持つ人気キャスターと結婚して、最近子供を出産した経過などについても、全てメディアの取材を通じて国民に「開放」されてきました。カトリックを今なお国家宗教としている制度を持った国としては、そちらの側からすると許し難い事件であったはずですが、国民的人気からすると許容せざるをえなかったと言えるかもしれません。皇太子自身がマイカーを運転して妊婦を連れて病院に行き付き添いましたし、退院させましたし、買い物も夫婦で気軽に出かけています。王室の女性達も共働きで、ごく普通の市民生活をしていますし、国王・皇太子の公務は市民や国際的な国家に対する国家のつき合いですが、大変勤勉で毎日こうした仕事に追われていて、そうした姿がニュースとして国民大衆に「開放」されています。国民は幸福そうな家族の姿をそこに見ることによって、「スペイン人」として幸福感を味わっているかのようです。
 フランコ主義政治システムは、スペイン的独自性を持った軍国主義でしたが、「移行期以後」、一方で、その体制の中にいた人々がこの民主主義への「移行」の中で、「国民党」として結集し、体制を「保守」しながら、「伝統」をないがしろにしてスペインを「分裂させようとする「左翼」の共和制主義者達一派のやから達と戦う勢力」として、最近まで政権を担ってきましたが、他方で、「人権論主義」や「ヨーロッパ憲法」批准を振りかざし、現行カトリック主義に対抗する現政権の「社会民主主義者達」が旧共和制派の期待をも担いつつ、いわば「確信」的な「民主主義システム」への移行を目指しているというのが、今のスペインの政治状況だと要約できると思いますが、この「右」と「左」の綱引きのなかで、例えば、日本の靖国神社問題に非常によく似た問題もあって、フランコ時代=旧軍国主義時代の国家宗教であったカトリックが、フランコ兵として戦い戦没したものを英霊とし、共和制側として戦ったもの、その側に立った地方自治政府側の市民、フランコ体制時代の政治犯などを非国民として排除したスペインの靖国神社=カトリックの施設を巡ってのイデオロギー的紛争は、現在王室の関与を右側から引き出すことが出来ない状態ですが、日本の場合、宮内庁の役人を含んだ靖国システム保持の「右」側の小泉体制からの働きかけのすさまじさはさぞや、と勝手に想像するのですが、こうした視点からの日本王室問題というのがあるのではないというのが、げすの勘ぐりかもしれませんが、私のもっと大きな関心です。皇太子妃の鬱は事実かどうかという問題もさることながら、そうした形で伝えられる「ニュウス」が、例えばどの週間誌を通していつから流され始め、誰によってどんな効果を生み出しつつどんな影響を作ってきたか、誰か元気な若い方が研究してくれないかと思っています。

投稿: 文赤千兵衛 | 2006.08.20 14:04

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